
Episode.17 "馬鹿は死んでも"
「改めて聞くが。正気か、巽さん」
「まずその手の串を置こうか。そして、何のことを言っているのかな?」
焼き鳥をビールで流し込んで正道は恭介に食いかかる。ここは夏根駅近くの居酒屋の個室。渡がカラオケボックスでレジスタンスの拠点への侵攻を提案したのは二時間ほど前のこと。
現地解散した後、正道は恭介を飲みに誘って数十分ほど管を巻いていたが不意に切り込んできた。ただ恭介も予想はしており、特段せっかちな性格でもないため、いつも通りの穏やかな表情で受け応える。その眼を真正面から見て正道はこの数十分がまるで無駄な時間だったと痛感した。
「渡の話ですよ。あからさまな罠に乗るなんてあんたらしくもない」
「買い被り過ぎだよ。私の人生は失敗ばかりだ」
「大人の昔語りは嫌われるぞ」
「むぅ」
無駄な時間稼ぎは誰のためにもならない。返答によっては敵対も辞さない正道の覚悟を前に、恭介も折れる以外の選択肢を失った。
「心配しなくとも本気で私は次の戦いで終わらせるつもりだよ」
「トラベラーを可能な限りリタイアさせて、だろ」
「そう言われるとまるで悪人みたいだね」
「裏切りは否定しないんだな。どうせ他の連中のためだろうが」
正道が口にした推測は反論の余地のないほど正確に恭介の思惑を見抜いていた。これには恭介もただただ笑うしかない。隠す理由もなくなった以上は、望んだ通りに真実を明かすまで。
「椎奈くんから誘いがあってね。X-Commanderだったか。あの端末を借りる条件が渡くんが持ってきた話……Xの誘いに乗ることだったんだ」
「で、乱戦の合間に契約相手が死んだ連中をその端末で返す魂胆だった訳だ」
「出来る限りだけどね。それでも全滅よりはマシだろう」
それがトラベラーのコミュニティのリーダーだった男の結論。真実を知ってなおトラベラーとして残ることを選んだ自殺志願者に対して出来る救済の手段という訳だ。
「まったくあんたも人が良すぎる」
「買い被り過ぎだよ」
「俺も人を見る目には自信があるんだがな」
正道の口調は敵意を向けた時から変わっていないが、そこに込められたニュアンスは信頼に戻っている。何せ明かされたのは悪人だの裏切りだの言っていたのがあほらしくなる理由だ。確かに望みどおりに事が運べばそれこそ裏切りにはなるだろう。ただその根底にあるのは仲間意識と保護責任に縛られた善意による願いだった。
「二〇十二年七月頃。フィリピン発貨物船。百七丁」
「いきなり何の話だ?」
「君なら聞き覚えがあるだろう。密輸されてある暴力団に渡った拳銃だ」
「あ、ああ」
まだ正道がそういう組織に所属していた時の話だ。新聞に載ったのは密輸から三か月後。それより早くは別の組織が拳銃を百丁近く入手したことは小耳にはさんではいたが、自分達のシマとは関係のない場所で使われたと記憶している。
「あれを運んでたんだよ、私は」
自分の組織とは関係はない。それでも自分の組織に武器が渡った際にどう使われるかなど考えるまでもない。だからこそ恭介の言葉の意味するところを彼が口を開く前に容易に想像がつく。
「勘違いしないでほしいが、私は本当に知らなかったし、特段罪に問われることもなかったよ。……ただ、その銃が使われた抗争に巻き込まれて友人が一人死んだだけだ」
組織同士の抗争にカタギが巻き込まれた。正道にとっては関係のない話だ。それでも考えずにはいられない。
知らず知らずのうちに自分の友人が死ぬ原因を作った当事者は、友人を殺した人間の同類を前にしてどんな感情で居たのだろうか。表情に出すことすら許されない中で正道は少し吐きそうになった。
「何も知らなくても墓穴を掘るし、知ったうえでの選択もきっと間違いなんだろう。結局、私は死んでも治らない馬鹿なんだよ」
巽恭介も最初は友人が生きている未来を求めて戦いに赴いたのだろう。それでも彼は根が善良で優しい大人だから、崩れない表情の裏で他の連中の生存まで高望みしてしまった。そのために自分がどれだけ愚かな選択をしていると分かっていても。
「さて、そんな間違いだらけの馬鹿な私を君は裁いてでもくれるのかい?」
初めて見る泣き腫らしそうなその表情に正道は糾弾する術を失った。若い連中を思う心に多少なりとも共感してしまった段階で、ともに地獄に堕ちる覚悟を決めるのに躊躇いはなかった。
「仕方ない。いいおっさんが若い女に騙されて地獄を見るなんて笑い話にもならないからな。――貰える端末は二つに増やせるか、旦那?」
「一枚噛むのはいいけど、ともに地獄に堕ちるのは許さないよ」
「どういうことですか。――巽さん」
ここは怪物と怪物が互いを食い合う戦場。レジスタンスについた者とトラベラーにしがみつく者の雌雄を決す場。そこに世間話をしている余裕もなければ、罪人を糾弾する猶予も存在しない筈だ。
それでも悠介は恭介に問わずには居られなかった。――自分達のまとめ役である筈の男が敵の道具を持って味方を退場させている事実を目の当たりにしてしまったのだから。
「それ、レジスタンスの機械ですよね。なんでそれを持っているんですか?」
「それは……」
「今その人に何をしたんですか?」
「今はそれどころじゃない、から」
問いに対する恭介の歯切れは悪い。その態度がいつもの彼の頼れる振る舞いとはあまりにかけ離れていて余計に神経を逆撫でさせられた。
「僕らを裏切っていたんですか?」
核心を突く問いに対する答えはない。しかし、この状況においては、答えがないことそのものが何よりの答えとなる。絶対に覆せない事実が重苦しい重圧となって、沈黙の時間が残酷な程に長く感じられた。
「あーあ、黙っちゃって。一度はリーダー面して守ってくれてた身だし、ここは名誉のために人肌脱いであげるかぁ」
その様が喜劇にでも見えているかのように椎奈は二人を嘲笑う。悪趣味なまでの追い討ちだと分かっていても、悠介にはそれを遮ることはできない。恭介はそれこそ判決を下される罪人のように口を閉じている。
「恭介さんが持ってるX-Commanderは私が手を回して提供したもの。条件は弟切渡の話に乗って他の連中を連れてくること。交渉は成立して互いに望むものは手に入った。で、文句ある?」
椎奈が語る真実を否定できる素材を悠介は持ち合わせていない。そもそも変えがたい答えが出ている以上、口にした経緯に多少の差異があろうと互いが認識しているピースが揃っていれば完成したパズルが正しいどうかかの判定はできない。
「そいつの言うことに耳を貸すなぁ! えげつなくておっかねえ女って分かってるだろ」
「酷い言われようね。一枚噛んでる癖に。というかちゃんと止めててよね」
「チッ……分かった。分かってる」
「邪魔すんな、烈司ィ!」
烈司に妨害される正道の声も今の悠介には響かない。響くまで説得できる時間も与えられない。今語り部としての権限を持つのは椎奈だけで、質問の権利を持つのは悠介だけ。そして悠介にはその権利を使いこなせるほど思考は未だ落ち着いてはいない。
「なんで、そんなこと。なんのために」
「あんた、馬鹿? アキを失った真魚がどうやって元の世界に返されたか憶えてる?」
「それが、どうしたっていうんだ」
並べ立てる疑問も椎奈に馬鹿にされても何らおかしくないもの。悠介自身、並びたてた疑問の答えは分かっているし、何ならその目で目撃している。ただ単純に事態を受け入れるだけの時間が不足していた。
「ここまで言って分からないの? 契約相手を失った仲間を安全に帰すため。いや、この戦いの誘いに乗ることがより都合良かったんでしょうね。――自分以外のトラベラーを安全に退場させるには」
その精神の隙間に染み入る一滴の毒。仲間を安全に退場させる。その真実だけは変えることなく、ただ与える印象だけを変えて椎奈は悠介が求めた答えをすべて提供した。
「そんな、ことの……ために」
「ま、私は敵が二度とここに来なくなるなら、元の生活に戻ろうがここで野垂れ死にしようがどうでもいいんだけど」
それが効果を発揮すれば吉。別に発揮しなくても構わない。椎奈にとってはここまでの時間が時間稼ぎとしても仕込みとしても十分な成果だった。真壁悠介と巽恭介の二人の間に疑念と罪悪感が渦巻けば渦巻くほど、彼らの契約相手が齎す恩恵は大きくなるだろう。
「あ、ごめん。それは嘘。――せっかくだし、出来る限り死んでもらうわ」
椎奈が笑う。瞬間、マメゴンの背上から響き渡る不快極まる異音。その正体を誰よりも知っているからこそ、悠介は何故それが鳴っているのかが分からなかった。
「悠介くん、これは?」
「ち、違います。何やってんだ、シド!」
「お前さんのせいじゃないのは分かった。だから、落ち着け!」
グレイブスクリーム。シドことメタルファントモンが持つ技の一つ。重装甲を貫通して精神を蝕む音の猛毒。本来デクスやレジスタンスのモンスターに向けられるはずのそれが、マメゴンを始めとしたトラベラーのモンスターに対して襲い掛かっていた。
「やめろ、おい、なんで言うこと聞かないんだ」
「あららー、裏切りがそんなに許せなかったんだ。意外と繊細なのね……なんて、心配しなくてもこの件はあんた達は何も悪くないわ」
悠介にはシドにそんな命令を下す理由がない。そもそも今のシドには悠介の指示が通らない。そのような理不尽を通す相手とは戦った記憶はなく、元々混迷を迎えていた思考では他者から聞いた話を思い出すことも、状況に対して冷静に対処することも不可能だった。
「ただ、こっちの実験体の試運転に使わせてもらっただけだから」
「おい、どういうことだよ! なんで奴がここに居やがる」
「あの後に仲間に引き入れたのか? いや……流石にそれはあり得ない。だとしたら、あれは何だ?」
「何のことです? 何が起きているんですか!?」
仮に思い出せていてもどうにもならなかっただろう。悠介がシドの手綱を握れなかった原因を過去に目撃している正道や恭介でさえ、その原因が何故この場に存在しているのかが理解できなかったのだから。
シドを見据えたまま猛進する巨体。それは獣の下半身と人の上半身を持つ究極の吸血鬼。その魔眼は見据えた者を闇に堕とし、足元には不自然な程に煌びやかな氷の結晶が舞う。――そして、その吸血鬼は霞上響花とその契約相手が一体となった化け物に酷似していた。
「安心して。あのイカレ女の意思も害獣の意識もないわ。これはデクスが食い漁ったデータを元に復元した再生怪獣。名前は……なんだっけ、リタ?」
「――リボーンズ。アタシ達の力として生まれ変わったお人形さん」
吸血鬼の背の上で見下ろすのは何度か見たアッシュブロンドの少女。この時代における人類の一人だが、X-Commanderを掲げる姿はそれこそ契約相手とともに戦場に馳せ参じたトラベラーと重なった。
「本当に来たのか、お嬢」
「お嬢は止めてって言ってんでしょ、烈司。ようやくアタシも戦えるんだから」
シドの異変はリタの操るリボーンズ――グランドラクモンの魔眼によるもの。支配されたシドはすぐには殺されないだろう。寧ろ生殺しにしていた方がデバフ要因として使える。ましてやこの戦場で一番の強敵に対して最も効力を発揮する立ち位置に陣取っているのなら、それこそ死ぬまで使い潰される。
「よかったじゃない、悠介。少しは恨みが晴れたでしょ」
「違う! そいつが操ってるんだろ。止めさせろ!」
「って言ってるけど。リタ?」
「冗談。アタシの初陣に文句つけないで」
「当然ね。そもそも契約相手の異変に気づくのが遅いのよ。気づかない振りでもしてた?」
「そんな訳ないだろ!」
煽るような椎奈の言葉に反射的に返しながらも、悠介自身この事態を招いた一因が自分にあることは理解していた。口車に乗せられたとしても、口火を切ったのは紛れもなく自分だ。
「そ。まあ私は信じてあげてもいいけど。他の人はどうかな」
だからこそ椎奈が口にしたことの意味は痛いほど分かる。原理が暴かれたところで大差ない。現状起きていることとその直前に抱いた心象で少しでも可能性がちらつきさえすればそれだけで十分なのだ。
「恭介さん、あなたが自分のためだけに裏切ったなんて思ってません。でも、今の俺も違うんです」
「大丈夫だから。分かってる、から。こちらこそ謝らないと、だけど」
不信感と罪悪感。極度の緊張の中で増幅させるストレスはまとめ役として頼れられていた恭介には重荷になる。寧ろ、まとめ役でありながら裏切っていたという罪悪感はその精神が善性であるほど古傷のように染みわたる。
「なあんだ。聞いたほどじゃないわね」
「そういうのは終わってからね。意外と私ら人間との繋がりも馬鹿にできないだけの話だから」
その影響は明確にマメゴンに現れている。契約者のメンタルが契約相手に影響することは、これまでの経験から分かり切っていたことだ。逢坂鈴音の宣言がアハトの進化を促したように。或いは、霞上響花が自身の内面を暴かれたことでナーダが追い込まれて、彼女が身を捧げざるを得なくなったように。
メンタルの混乱は戦況の判断を鈍らすという点で油断と何ら変わらない。そのうえで集中的にデバフを掛けられれば、一度は退けた巨獣のデッドコピーが相手であろうと勝率はけして高くない。
「おじさん、覚えてる? アタシ、アンタに殺されかけたの。ほら、そのデカブツに進化して瓦礫の下に埋めようとしてさ」
「それは……」
「勘違いしないで。慣れているから。ただ、あんたがどれだけ仲間に慕われてようと関係ないってだけ。そっちもアタシ達のリーダーを殺そうとしてるんだからお互い様でしょ」
圧される巨体。軋む鋼の足。黒鋼の巨竜を支える装甲に自我のない巨獣の下半身で吠える双頭の魔獣が牙を剥く。まさしくケダモノのように食いつくその様には装甲への信頼だけでは打ち消すに足りない得体の知れなさがある。
「だから、あんたを可哀そうだとは思わない。ただアタシ達の前には二度と立たせない」
「そう言ってくれるのは、正直ありがたい」
だからこそ打つべき手は迅速に。寧ろ、密着しているこの現状に適した手を選ぶ。少女が必要以上に責めることなくこちらを見据えてくれたから多少は平静を取り戻せた。真意も立場も一端抜きにしてその一点にだけはただ感謝する。
状況を打開する選択肢の一つは胸部の砲門。それは胸部の砲門。その中から放つことが出来るのは砲弾でも光線でもない。堅牢な体内で起こした爆発による焦げるような熱波。爆発の規模を制限して指向性を持たせれば、目の前の脅威だけを燻すこともできる。
「別にあんたのためじゃない。だから、徹底的にするの」
すべては砲門が開けばの話。既にマメゴンの砲門は結晶の檻によって封じられていた。
結晶で表面を覆ったのではない。継ぎ目のない一塊の結晶に作り変えられている。まるで最初からそのような身体であったかのように。
「そうかい。……ならばこちらも」
インファイトならインファイトらしく肉弾戦で。ごくごく自然なモーションで振るう武器は巨大な戦斧のような尻尾。本質は単純な質量の暴力。叩き切るというよりは叩き潰すような。知性の欠片もない純粋な一振りはしかし魔獣の双頭を砕くには至らなかった。
「……く、それは」
「こちらも、何?」
戦斧は何も傷つけなかった。狙うべき標的も、そこに到達するまでの軌道上に置かれた仲間(シド)という白金骸骨(メタルファントモン)も。
「シド……なんでですか?」
魔眼の拘束は終わっていない。格下一体操り続けている状態でもマメゴンと同等の力量を持って立ち回れている。……いや、それほどにマメゴンの出力が落ち込んでいたのだ。
「分かったでしょ、悠介。“私達”のリーダー……だった人はどうしようもなくいい人だったのよ」
「椎奈……お前」
「だから、ここで負けるんだけど」
椎奈の言わんとすることは考えるまでもなく悠介は理解できていた。これから起こる事の顛末も。それを招いた一端が自分にあることを。
「言ったよね。――徹底的にするって」
双頭に届かなかった戦斧は既に結晶と化している。砲門に繋がる胸部全体も、それを支える前足も見慣れた黒鋼からは遠ざかっている。十秒前まで動いていた筋肉がいつのまにか曲がる機能を失う。前足を奪われたことでその範囲は加速度的に広がっていく。
「まだ、だ」
それでもまだ残る武器はある。その名の通りブラキオサウルスに似た最たる特徴である長大な首。首元から頭頂部までを一振りの鉄槌として叩きこむ。それで吸血鬼の脳天をかち割れば、結晶化の術さえ解けるかもしれない。それほどの重い一撃ならばシドを縛る魔眼の効力もなくなるかもしれない。
すべては仮定。だが、そのすべてが仮定で終わったことが恭介にとっての唯一の救いだったのかもしれない。
「――悪いが取らせてもらった」
マメゴンの首筋に墜ちる黒いギロチン。振り下ろされる筈の鉄槌はその相手を見失い、盛大な砂煙を巻き上げながら吸血鬼の足元に転がった。
「そうか……君が居たね」
「ああ、恨むんなら好きにしな」
ギロチンの刃を振りかざして翻るのは元々マメゴンと同格同士の殴り合いをしていたクロム。その背上に跨る契約者である黒木場秋人はサングラスを持ち上げて恭介を見下ろす。その視線に籠る感情は視線の先にある相手にしか伝わらない。
「そうだね。たまにはそれもいいか」
巽恭介に許されているのは彼の意図を汲み取ることだけ。契約相手を失った以上は無防備で、自分が手にしたX-Commanderを容易に使わせてくれる相手ではない。そもそも彼や椎奈が生かして返す気がないことは明白だった。
「我ながら悪趣味だと思うけど……殺すなら相応しい相手でやるべきでしょ」
「自覚あり、か」
椎奈の言うその相手は目の前に導かれた文字通りの死神。その意図が解ってしまったから、無駄だとしても抗う気力が生まれてしまう。生き残るためではなく、せめて退場した後に禍根を残さないように。遺言代わりの証言だけは残すために。
「シドは!」
死神の鎌が振るわれる。その軌道は契約相手と同じ末路を迎えさせるがために。同士討ちという体裁を整えるために。その達成のため、後に続く言葉を遮るように。
「ちッ」
椎奈の舌打ち。それが意味することは鎌の軌道が逸れたという事実。死神と恭介の間には半人半獣の銃士が割り込み、その鎌を撃ち落としていた。
「させるかボケぇえええッ!!」
咆哮のような正道の声は空気を一変させるようで。契約相手のビリーはさながら窮地に陥った無力な民を守るヒーローのようだった。
「本当に、うるさい」
「お前の戯言の方が耳障りだ」
ヒーローが守るのは味方に立ったものだけ。倒すべき敵として睨みつける相手は互いに殺意を向け合うことしかできない。
「そう。――で、本当に聞きたかったものは聞こえた?」
「あ?」
唯一の間違いは、正道とビリーがヒーローであるという前提そのもの。ヒーローは守るべき相手を守れていなければ意味がない。
「恭介、さん? ……なんで?」
「旦那?」
何より、守るべき相手が背後で倒れ、その胸と頭に穴が開いていては価値がない。彼が最期までその名誉を守ろうとした子供が膝をついていては資格もない。
「サンキュー、アル」
「お、まえ……なんだよ、これは?」
「人を殺すのにモンスターは要らないってこと」
殺害方法は狙撃。下手人は椎奈がアルと呼んだ未来人。記憶に符合するのはドレッドヘアの浅黒い肌の男。
加害者が誰であるかが分かったところでどうしようもならない。狙撃という手段を取っている以上は遠方で姿を隠しており、こちらの契約が破棄されなければ攻勢に出ることもないだろう。
「おまえは……おまえら、は……なんなんだ。何をやってもいい訳じゃないだろ」
「それ、あんたが言うの? 元暴力団の癖に」
「ああ、その通りだよ。それでも、俺は、通すべき筋は通してきたつもりだ」
恭介の無念を晴らす相手はここにはいない。ならば、この不条理に対する怒りは誰にぶつければいい。いや、恭介の思いを踏みにじった女なら目の前の居る。彼の契約者を殺して死因を作った男もここに居る。――なんだ、復讐すべき相手ならここに居るじゃないか。
「でも、これはないだろう。こんなことが許されていいなら、何をやってもいいってことだろうが」
「今さら何? その通りでしょ」
椎奈の吐き捨てた言葉が最後のスイッチ。左腕のX-Passは既に鈍くも強烈な光を放っている。他者から見て禍々しく見えても、その本質は何ら変わらない。他者を捕食して得た糧と契約者の思念による刺激が進化に繋がるという原理に則ったうえで最も現状で適切な姿へと進化するだけ。
「そうか。――お前、その言葉に責任取れよ」
ビリーと組み合っていたシドが爆ぜるように弾き飛ぶ。幸いか手加減かその生命は消えておらず、寧ろショックで魔眼の支配から一時的に逃れたように契約相手の元へと戻った。
再度支配を試みようとする吸血鬼の前に立ちはだかるのは、黒一色の竜人。テンガロンハットを始めとするシルエットからガンマンを髣髴させるが、一番目立つ銃は彼の両足そのものだ。だが、空いた両手に灯る光を弾丸とするならば、両手そのものも彼の愛銃と呼べるだろう。
――種の名はアヴェンジキッドモン。復讐の名を冠するアウトロー。通すべき義も無くなったアウトレイジの体現。
「もう、お前らを願いのための障害とも、仲間を守るために退ける敵だとも思わない。――ただ、旦那を踏みにじったクズどもとしてこの手で殺す」
正道の淡々とした声は柄にもないと言うべきなのに嫌に様になっていた。背筋が底冷えするような重い威圧感も、それ自体で心臓を射貫けそうな鋭い視線も、その奥に燻る熱から生まれた紛れもない射場正道という人間の一部だと理解させられる。そうあるべき場所で戦っていた人間の本質が剥き出しになっていた。
「こっちも最初から殺す気だって……のあッ!?」
「そうだな。最初から一歩足りてなかったのかもな」
吸血鬼の左眼が黒い閃光に焼かれる。手の内が分かっているが故の速攻の魔眼の封殺。反射的に残った右眼に絞って魔眼を起動するも、その焦点には既に標的は存在せず、視界に捉えなおす頃には黒一色の熱に閉ざされる。
ビリーの足元で結晶が瞬く。吸血鬼自体の視界が使い物にならなくとも、それを操るリタの目と指示は正確に狙うべき一点を捉えていた。それでも、ビリーの前では文字通り一歩遅い。既にそこは一秒前に奴が通過した地点。初動が遅れた以上はどれだけ鬼が有利な鬼ごっこであろうと追いつくことはできない。一歩につき一発。奴が地を蹴ると同時にその手は瞬き、吸血鬼の身体に黒い炎を灯す。
左眼を狙って撃てる距離がスタートラインだったのではない。そこに踏み込むまでの機動性こそが怪物と相対出来る程に力が凝縮された人型の本質。だが一歩踏み出すごとに爆発音に似た音を発するのはその力強さだけではない。実際に、爆発に似た衝撃が奴の足先の銃から弾丸という形で放たれているのだ。
さながら自分そのものを弾丸とするかの如く真っ直ぐに。しかし、段階的に軌道を変えることで安易な迎撃すらさせない。契約者の黒い意思を携えて、復讐者は怨敵の首を執拗に狙い迫る。
「リタが危ない、黒木場!」
今度は吸血鬼が足元を崩す番だ。既に右前足に撃ち込まれた弾は二十を超え、その間にも視界は執拗に三度潰された。センスか執念か。ことここの戦場においては究極体の力を一番使いこなしているのは、今進化したばかりのビリーだった。
「るっせえ! 言われなくとも……」
だからこそ、同格には同格を二枚ぶつけて力で圧す。その判断は正しい。事故のように覚醒した復讐者さえ潰せば後は覚悟のなかった哀れな弱者だけ。そう思い込んでいた。
「あ? ああ、クソッ、邪魔くせえなあッ!」
契約相手の背の上で黒木場秋人は心の底から吠えた。感嘆に似た響きすら覚えるその罵倒は彼の背後で契約相手に身体を絡めてしがみついている銀の死神に。そいつは黒木場秋人自身の命を刈り取ることはできない。ただ頭上で不愉快な音を鳴らして契約相手を内側から削るだけだ。――この手管は敵としても味方としてもこの戦いで散々見ている。
「この野郎……動けんじゃねえか、えェッ! 今さらになってよ!」
あえて死神の契約者に聞こえるように、秋人は最大級の侮辱を吐き捨てる。お前が最悪のタイミングで糾弾したから、やさしいやさしいあの人は死んだ。お前が集中していないから、自分の契約相手を一時的に奪われてあの人の契約相手を削るのに利用された。その事実を突きつけた上で問う。――そんなお前が何故この場でまだ生きているのかと。
「そうだ……ああ、その通りだ。この事態は僕が招いた。――だからせめて、仇くらいは地獄に送らないと」
だが既にその問いは悠介が自問自答で通り過ぎたものだ。目に灯る黒い炎がその答え。自分が生き残ってしまった以上、戦う理由なんてそれだけで十分だ。それに縋っていなければまともに立ってなんかいられない。
「クソッ……調子乗り過ぎたな。頭を取った後の展開としては最悪だ」
「っさい! 分かってるわよ! それよりさっさと奴を止めて」
「なら、この鬱陶しいのも退けてくんねえかな。……まあいい、最悪人質にすっか」
敵のリーダーを徹底的に潰すという選択の是非を反省する暇はない。機動性はあれど直線的な動きに限定されるクロムにとって、身体を密着させている相手ほど鬱陶しいものはない。密着している以上、シドへの攻撃ははクロムにも影響する。幸いなのはその逆も同様だということ。尤も、相手がそれを考慮する精神状態かは怪しいが。
「どけ。目ざわりだ。三下チンピラ」
「粋がんな、クソヤクザ」
吸血鬼が両膝をつく。止めを刺さんと迫るビリーの前にクロムが割り込む。睨み合うのは殺意が様になる柄の悪い男。片方には守るべき仲間と人質の価値が怪しい敵。一触即発の状況。……そこに、不釣り合いなものが浮遊してきた。
「何の真似だ、烈司」
ひりついた雰囲気に使わない青いハート型の泡。それが戦意喪失という強力な効果を持っていても、ビリーの戦意までは消しきれないことはこの場の誰もが分かっている。だからこそ、敢えてこの技で割り込んだ真意を問わねばならない。
「何って、味方を守ろうとしてるだけです」
技の使い手はワルもんざえモンのペオル。契約者は峰原烈司。真実を明かされた分岐点の日にトラベラーのコミュニティからレジスタンスに移った一人で、少し前まで正道を抑えていた相手だ。そんな男に対して事態の説明など必要もない。
「旦那を……うちのリーダーを殺した奴だ」
「分かってます」
「生かして帰すことを選ばなかった連中だ」
「俺達にもあいつを問い詰める権利はある」
巽恭介にはX-Commanderという彼自身で帰る術があった。意図的に見逃すこともできただろう。ただ、それを許さない人間がこの場に居た。その苛烈さを問い質す権利は正道側だけにあるものではない。
「くだらねえ」
「今のあんたは見てられない」
その主張こそが甘いのだと吐き捨てる正道の姿にこそ、彼の憎悪の原因たる苛烈さがあることを知らないのは彼自身くらいだ。そこにかつての声も態度も大きくとも、柔軟に大局を見ていた頼れる大人はもう居ない。
「……そうね、弁解は後でするわ。――撤退よ」
前髪を力任せに掴んだ後、椎奈はため息交じりに決定事項を告げる。口にしたのは彼女だが、下したのは彼女よりも強い権限を持つ者であることはこの場の誰もが分かった。だが、それが意味することは彼女の仲間にしか把握できない。
「逃がすと思ってるのかよ」
「逃げんだよ。リーダーがそう言ったからな」
言葉通りに背を向け始めるレジスタンス達。無防備な背中に対する追撃は吸血鬼が身を挺して妨害する。魔眼を潰されてもその体躯だけで進行の邪魔になる。背後に回ろうとすれば殿を務めるクロムが罅の入った身体を割り込ませる。
「そろそろいいだろ、リタ」
「そうね。……勿体ないけど」
そんなやり取りを数度した頃、クロムの背には秋人とともにリタが乗っていた。変わらずシドは絡まったまま二人を睨みつけている。それすら意に介さないように、淡々と締めの一手を下す。
「自壊コード。対象:RE01」
吸血鬼の耳元でリタは囁く。その言葉を認識した瞬間、吸血鬼の全身に不自然な罅が入り、そこから光が漏れ始める。時計の針が進むような音が告げるカウントダウンの意味。それを理解するより先に仕組んだ指令が炸裂する。それはクロムが全筋肉を稼働させたちょうど一秒後だった。
「なっ……」
自らの仕組みで爆散する吸血鬼。轟音とともに吹き荒れる暴風は逃亡者と追撃者を隔てる瞬間的な防壁となる。その間を縫ってまで追撃を仕掛けるほど理性は失ってはいなかった。
「なんて真似するんだ、あの連中は」
後に残るのは、宿願を達成できなかった復讐者と最もその相手に近いところに居ながらも最後は振り落とされた死神。そして彼らをどう見ればいいか迷う彼らの仲間達。
彼らをまとめていたリーダーはもう存在しない。彼と契約していた巨大な黒鋼の巨獣も骨の一本も残らず消失していた。
こんにちは! 快晴です。最近すっかり感想書きをサボっていたので、今日こそは、と、『X-Traveler Episode.17 "馬鹿は死んでも"』にお伺いしました。
大変遅くなってしまい申し訳無いのですが、今回のお話が構想段階的には一区切りのパートという事でしたので、こちら、ささやかな品ではありますが、どうかお受け取り下さい。以前拙作への感想でいただいた”呪”です。
なんてことしてくれたんですか……!!
保険、ここからでも入ることが出来る保険は……!?
2話も前の感想を掘り返す事になってしまい申し訳ないのですが、Episode.15に「白田先生を含め、渡さんの周りに大人がいる光景は、本人の心情はまた別としても、一読者としては奇妙な安心感を覚える部分もあったり」なんて私が言ってた時、どんなお気持ちだったのかだけ、教えていただきたく……!
巽さん。癖のあるメンバーをまとめ上げる、そして頼りになる大人として、大好きなキャラクターでした。マメゴンの圧倒的な強さも、毎回とても印象的で……。
冒頭にて、そんな巽さんの、優しく、そして愚かであるからこその、渡さんや、彼に乗ったトラベラーに対する裏切り……いや、この時点で嫌な予感はしていました。していましたけれども。それにしたって、手心……。
人を殺すのにモンスターはいらない。これまでモンスターとしてのデジモンの脅威が存分に描かれてきたからこそ、際立つほどに無残で無情な最期ですね。ぼくは泣きました。マメゴンの敗因があくまで巽さんのメンタルや仲間の盾という彼の「優しさ」を由来とす両者の格が下がることは無いまま退場した点は、物語の登場人物として見れば、一種の救いであり作者の愛なのかもしれませんと思いました。
いや、やっぱり「馬鹿は死んでも」じゃ無いんですよ、「馬鹿は死んでも」じゃ。正道さんとビリーさんの進化シーン、それだけに滅茶苦茶胸に来ましたし、納得しか無いんですけれども。どうして一瞬でも彼らを「ヒーローのよう」と描写して、そこからそうやって堕とすのですか……?
……あと、それはそれとして椎奈さん、ヘイトの稼ぎ方がすごすぎて、一周回って心配になってきました。この先大丈夫なんです? 彼女。
そうして一度呆然とする時間を(個人的に)挟んでから、続く渡さんVS拓真さん。
容赦の無いメンタルへの攻撃。幼い日の思い出に対して直視するしか無い現実。嫌らしい手段ではありますが、拓真さんの、世界を滅ぼした人物の孫という立場を思うと、そちらも全てがいたたまれない。お小遣いあげようね(錯乱)
「好き放題言いやがって! 俺もカインもまだ生きてるんだよ!」
「ならここで死ねよ。過去に縛られて未来を滅茶苦茶にされるのはもううんざりだ!」
もう此処がたまらなく苦しくて……どっちも悲鳴じゃ無いですか……なんでそんなことするんですか……。
同型種対決を制したのは、あくまで屍であるデクスドルゴラモンだからこそ出来る無茶を通しての、文字通り『必殺』の一撃、『メタルインパルス』。
完全に心折られ、カインさんを失い代償行為を果たすことも出来ず、待ち受ける未来は孫にももはや人とも思われない人類の敵……もう保険とかじゃ無くてここで死んだ方が幸せだったりしません? と思いかけたその時、現れたのは――学校の、先生……!?
いや、ここで来るならオメガモン以外には無いとは思っていましたけれども。それに、言われてみれば(そして実際答え合わせもXで拝見しましたが)実にオメガモンを連れていそうな名前ですけれども。でも読んだ時は正直、嘘でしょ!? となっていた気がします。
カインさんのデジコアや、白田先生の思惑。そして、そもそもこの先、渡さんや残されたトラベラー達はどうなってしまうのか。謎を増やしつつ、いったん此処で幕引き、と……。
この感想を書くために再度読み直したのですが、再び無情に浸っています。どうして……どうして……。
どうして……と、なんでそんなことするんですか……と、呪でいっぱいの感想になってしまいましたが、パラレル様に翻弄されっぱなしの『X-Traveler Episode.17 』、大変楽しませていただきました。
この先の展開も、本当に楽しみにしております。
拙くとっちらかったものではありますが、こちらを今回の感想とさせていただきます。それでは!
後書き
という訳で全面対決は決着。未来の大罪人は敗れて退場し、未来の英雄は何かいいものを手に入れました。めでたしめでたし。
……冗談抜きで、まだ続きます。でも、わりと細部は決まってなかったりするので、一旦整理してからになるでしょうね。逆を言えばここまではある程度既定路線だった訳で……さて、渡はどうなるものやら。
――弟切拓真。あんたの孫だよ、クソ野郎
その言葉は渡にとってあまりに理解し難かった。意味は分かる。理屈も分かる。納得もできる。それでもその事実が自分でも理由が分からない程にただ耐え難かった。
「嘘だ、なんて言うなよ。あんたのそれは真実だと理解したうえで嘘だと自分を騙したがっている奴の顔だ」
心の内を完璧に見透かした言葉で逃げ道が奪われた。その手管自体が身内だからという説得力になり、渡の心を何重にも締め上げる。
「あんたがガキの頃にドルモンに出会って命を救われたのは知ってる。父さんが散々聞かされたって愚痴ってた」
もし自分に子供が出来たとして、きっとサンタクロースよりも信じがたい出会いを語らずにはいられない。死にかけた原因は流石に伏せたとしても、その出会い自体は夢のある御伽噺として伝えただろう。
「けど、数少ないあんた自身との会話でも聞いたのを思い出したよ」
子から孫へ。今までの自分の根底にあった出会いはきっと老いても忘れることはなかった。そうでなければ、孫と名乗る目の前の男に純然たる殺意を向けられるはずもないのだから。
「あんたはいつも俺の言葉で癇癪を起していた。本当に酷い顔だったよ。……ちょうど、そこのカインが進化したときと同じ顔だった」
「うるさい」
それはきっと泣き腫らしそうな顔だったのだろう。何も思い通りにいかない現実を受け入れられない子供のように。諦める選択肢しか持っておらず、それ以外の選択肢を探しもしないのにただ決定のボタンを押さずに遅延しているだけ。その癖一丁前に現実を冷めた目で見ている気になっている。
「なんて言ったかって?」
「その必要はない。やめろ」
本当は分かっていた。ただ出会いが非現実的だから別れにも都合のいい解釈が出来ると思っていた。ただ、今の自分はもうあの頃の信じるものだけを信じていられた子供とは違う。年月を経て、経験を蓄え、モンスターに関する見識も得た。だからこそ、本当はあのドルモンの末路には一つの結論にたどり着いていた。
「そうか。……そこまで言うなら大サービスで教えてやるよ」
少なくとも、思ってしまったのだ。カインに食わせた獲物や今この場で倒れて塵に変える仲間の姿が、あのとき最後に見たドルモンの姿と似ていると。
「俺はいつも言ってやったんだ。――そいつ、もう死んだんじゃないかってなああああァッ!!」
「――あ」
X――弟切拓真の雄叫びに似た笑い声とともに究極体デクスが吠える。奴自身の衝動とも思える衝撃波に渡は反応できない。それでもカインの左半身を掠った程度で済んだのは、カイン自身の防衛本能によるもの。
「……悪い、カイン」
一瞬こちらを見る契約相手の姿を見て、ようやく渡は意識が彼らの戦いに戻る。否、そうすることでしか今は自分の意識を保てそうになかった。拓真自身が引き合いに出しているからか、奴を直視するだけで、何故か重なってしまうのだ。父親の最期の光景が。何よりあのドルモンの最期の光景が。
「まだやる気か?」
「ああ」
「まだ吐きそうな顔してるのに」
「構うもんか」
拓真の言葉はすべて正しい。未だに立っていられるのが自分でも不思議なくらいだ。それでも今は自分が決めた代償行為は果たさなければならない。たとえ自分の根底が擦り切れるとしても、それで立てるならまだマシだ。
「馬鹿は死ななきゃ治らないってか」
「死ぬ気も死なせる気もない」
「もう既に亡霊みたいな面してるんだよ」
呆れたように拓真は冷めた目で見つめる。結局正体を明かして言葉を交わしたところで立場は変わらない。弟切拓真は弟切渡を殺したくて仕方がない。そして、弟切渡はまだ死ねないというだけでこの場に立っている。
「そうだ。あんたは……お前は亡霊だ。終わった連中に縋って後に生きる人間に仇なす悪霊だ」
より色濃く重なる始まりのヴィジョン。自分を殺そうとして食い殺された父親の言葉。自分を助けた後にこと切れたドルモンの末路。気のせいだと何度も瞬きをして向き直る。今度こそ、真正面から受け止めるために。
「好き放題言いやがって! 俺もカインもまだ生きてるんだよ!」
「ならここで死ねよ。過去に縛られて未来を滅茶苦茶にされるのはもううんざりだ!」
再びの激突。蒼翼の破壊竜と紫紺の傀儡が互いに互いの手を掴み、同時にヘッドバットを決めてそのままゼロ距離で睨み合う。筋力量も内に燻る熱量も同等。差異は一部の形状とその身に備わった戦闘技術。そして、契約者の執念。
「そもそも俺を殺そうとしてる時点でお前も過去に縛られてるだろうが!」
究極体デクスの両腕がカインを押しこむ。否、寧ろカインがわざと力を抜いていた。行き場を失った力は究極体デクスを前掲姿勢にし、不安定になったその身体をカインがさらに引き寄せる。人の指示による術理。無防備になったその腹部をカインの膝が抉り上げる。くの字に曲がる身体はすぐに反撃には移れない。感情のない目でこちらを見上げる顔面にカインは追撃の尻尾を叩きつけた。
吹き飛ぶ傀儡。奴が体勢を整える前に次の手の準備に掛かる。腹の底に燻る熱量。発射口までの経路も問題なし。反撃の準備を整えさせることなくその身体を打ち砕く。
「そうだろうな。お前の言う通り、俺も縛られてるだろうよ」
放たれる破壊の衝撃波。その数は二つ。片方はもちろんカイン。もう片方は相対する究極体デクス。誤算はただ一つ。相手が反撃の準備を既に整えていたということ。ただ一つのタイミングを狙って耐え忍んでいた。それこそが今の世界を生きる人々の在り方であると吠えるように。
「けどな。俺のはケジメって言うんだよ、老害!」
「勝手に因縁つけるのも大概にしろ、当たり屋!」
ぶつかり合う互いを滅ぼす意思。火力は同等。完全な拮抗勝負である以上、それを崩した者がそのままアドバンテージを握りかねない。それを理解し既に手を打っていたのは拓真――究極体デクスの方だった。
ただそれは奇策とも呼べない強硬策。二つのシルエットの距離が近づいているのは片方が力任せに距離を詰めているから。言ってしまえば、究極体デクスが自分の身を削りながらひたすら前進していた。傀儡が故の再生能力に頼ったゴリ押し。ただ一撃を与えるための執念。それをカインが目の当たりにするのは拳が顔面を叩いた瞬間。
拳がめりこむ顔面。それは二つ。反射的に突き出したのか、究極体デクスの顔面にもカインのカウンターパンチが叩きこまれていた。骨子(フレーム)が歪む程の衝撃を互いに受けながらも、互いの瞳は互いを認め、もう片方の拳が同じタイミングで振るわれる。こうなれば最早術理も何もないない。ただ野獣の如く肉体をぶつけ合うまで。
「勝手な因縁とは相変わらず無責任だな。そうだよな。お前は何も顧みなかった。だから俺が尻ぬぐいする羽目になってるんだよ!」
「その言い方だと構ってもらえなくて拗ねてるみたいだな。一周回ってお爺ちゃん子か?」
「ガキのまま頭でっかちに年を食った奴なんか好きになれるかよ!」
契約者の言葉ともに振るわれる怪物の暴力。片方が殴ればもう片方が殴り返す。掴み合って腕が塞がったのならば尾を振るい、それを察した相手は力任せに身体を揺すって軌道をずらす。自分の身体で使えるパーツは余すことなく武器とする。ただ目の前の敵を倒すために。ただ契約者の妄念を体現するために。
「そもそももうお前を人間だと思っちゃいない」
「人間だと見做すのを止めないと手を下せないだけだろう」
三度距離が離れたところで吐き捨てた渡の言葉に拓真は眉を潜める。ひどく不快な言葉を耳にしたように。その言葉を渡が口にしたことに納得できたことが不思議と不愉快だったように。その理由に思い至ったことで、誰かにとって不都合な何かを悟ったように。
「そうだ。そういう奴だったな、お前は」
「何が言いたい」
今までとは打って変わって淡々と拓真は口を開く。その目には最早憎悪すらない。ただ、レジスタンスのリーダーとして為すべきことを自覚したように。目の前の状況を見据え、取り掛かるべき優先度を再分配していた。
「お前はドルモンに執着した時点で、人間としておかしくなってたんだ。人類の敵と言っても文句ないくらいにはな」
究極体デクスの身体は既に右肩から先が落ち、反対の翼は八割近くもがれている。最早身体を取り繕う余裕もない以上、仕掛けられるとして次が最後だろう。
「残念だが、老いたお前の死にざまを俺は見ていない。知らないんだよ」
方やカインの方も尻尾が根元から千切れ、両翼の膜は既にない。飛行能力も完全に失われているだろう。早急な回復が必要だが、それには何よりも目の前の敵を退けなければならない。
「だから、思うんだよ。過去から人類の敵を送り込んでモンスターと結び付けてる奴も同じようなものなんだって」
究極体デクスの身体が動く。カインも迎撃の構えを取る。目を離すことのできない最後の激突。
「ルートこそお前の成れの果てみたいなものじゃないのかってな」
「――あ」
そのはずなのに、渡の目にはまたあの日のヴィジョンが重なっていた。今までと違うのは時系列が少し前であること。死にかけているのは幼い渡で、殺そうとしているのは父親だった男。――なぜ、今更になってそんなものを思い出すのか。
「……く」
幻視は一瞬。その瞬きの間を越えて、渡の目に映るのは真正面からぶつかる二体の怪物。正面衝突した以上、どちらか或いは両方の身体は拉げて根底から歪むことだろう。
だが、実際に身体の骨格が歪んでいるのは究極体デクスのみ。突き出していた尻尾は何重にも折れ曲がり、首から上に至っては跡形もなく消し飛んでいる。
カインはそれを嘲笑う身体そのものが崩れかかっていた。既に膝から下は砂粒と化して落ちた上半身を支える役割しかない。腕も翼も砂上の城のように崩れて、胸像のように残った上半身が力なく自らを滅ぼした勝利者を見上げている。
「――メタルインパルス。核を残してそれ以外を崩す奥の手。こいつには核しか用がなかったからな」
誇ることもなくただ勝利者の役目として拓真は決め手を語る。渡の耳にはそんなものは入らない。決め手を――自分の敗因を探るうえでそんなものは必要なかった。――あのヴィジョンが見えた段階で、きっと自分の心はもう折れてしまっていたのだから。
「さて……ビンゴだ。まったく誰の采配なのか」
究極体デクスを残った片腕をカインの胸に突き刺して何かを引き抜いた。それを起点に残った身体も崩れ去り、身体を構成していたセルは近場で起きた爆風に巻き上げられる。四方八方に散っていくそれは光の粒のようで、そのうち自分の方に落ちてきたそれをただ浴びることでしかカインの名残を感じることができなかった。
「やるべきことは終わった。後はやりたいことをやらせてもらう」
拓真がこちらに近づいてくるのが分かった。手慣れた手つきでセーフティを外すピストルはこの時代でも用途はあったのだろう。モンスターとの契約の切れた無力な人間一人を殺すには十分過ぎる凶器だ。
「散々言って悪かったが、ケジメはつけさせてもらう。孫のためにおとなしく死んでくれや」
渡には最早抵抗する気力もない。所詮自分は未来の大罪人。それでも他の仲間を巻き込んででも自分自身を認めたいとあがいた結末がこれ。ならば、最早文句の一言を言うこともできはしない。
「――そいつは困るな。弟切はうちの生徒なんだ」
渡の前に大きな影が落ちる。自分と拓真の間を遮ったのは、両腕に竜と獣の頭をそれぞれ持ち、マントを翻して騎士のように頼もしい背中を見せつける白い人型。――そして、異様に聞き馴染みのある声の男。彼には自分の悩みを打ち明けはしたが、それはこの場に現れることはないという前提のはずだった。
「なんで……何が……」
「そこは『ありがとうございます白田先生』じゃないのか」
白田秀一。渡のクラス担任にして剣道部の顧問。その左腕には紛れもなくトラベラーの証であるX-Passが存在し、契約相手であろう白騎士の力量がこの場においてトップクラスであることはすぐに分かった。
「ルート直下の白騎士様か。時間稼ぎとしてはギリギリだった訳だ」
拓真が明らかに警戒対象として意識している以上、こちらの味方ではあるのは間違いない。何故このタイミングになって現れたのかなどどうでもいいし、問いかける資格も存在しない。弟切渡は敗北し、トラベラーの資格を失った。その事実だけは命を救う助っ人が現れたところで変えようのないものなのだから。
「さて、レジスタンスの大将――弟切拓真というべきか。お前の祖父を助けるために手を貸してくれないか。端末と代価分のデクスが欲しい」
「何の冗談だ? 取引のつもりか?」
「冗談……ハッ、脅迫だ。そのくたばりぞこないを倒すのに時間は掛からんぞ」
睨み合う両者はどちらも正常に戦力を分析できている。白騎士がこの場におけるバランスブレイカーであることはこの場に居るという事実だけで十分。カインを倒したデクスと同型のデクスを退けて辿り着いたのだから。
それでも拓真は一切要求に応えるつもりはない。拓真がこの場におけるレジスタンスのリーダーとしての目的は果たした以上、後はそれこそ私怨のために死んでもいい覚悟は既にある。仮に死んでも他の連中を逃して後の戦いにつなげる根回しもとうの昔に済んでいる。
不毛なまでの睨み合い。秀一がしびれを切らして仕掛けるより先によきせぬ形で事態が進展したのは誰にとって幸いだっのだろうか。
「――え?」
間抜けな声が漏れたのは渡の口から。存在が薄れつつある奇妙な感覚。何度も体験したはずのそれは今の自分にはあり得ない筈のもの。
「おい、待て……待て待て待て」
「おや……よく分からんが、手間が省けたか」
拓真は怒りに顔を歪め、秀一は無理矢理納得して安堵したような表情を浮かべる。二人の視線の先には姿が薄くなりつつある渡の姿。それはモンスターの契約が切れた人間にはあり得ない現代への帰還。
「お前ェ、逃げるなァッ!! この卑怯者ォオオッ!!」
弟切拓真の罵声に応えることもなく、弟切渡の存在はこの時代から完全に消失した。
「くそっ、くそっ……クソがっ! キーデータが埋まってた個体故のイレギュラーか? 思い通りにいかないなクソが!」
「荒れてるねえ。人生そんなに上手くいかないものだ」
地団太を踏む拓真の姿に先ほどの戦いの勝利の姿はない。ケジメをつけられるチャンスはもう二度と現れないだろう。唯一義務感ではない弟切拓真個人としての執着は弟切渡にしかなかったのだ。
「何偉そうに説教垂れてるんだよ。上手くいかないことに癇癪起こしたから、お前らはここに来たんだろうが!!!」
執着があるから人は戦いに臨む。そこに例外はない。たとえ、ヒーローのように現れて教え子を助けた教師の鑑であろうとも。
「ああ、そうだな。その通りだとも」
冷めた声で秀一は己の内を見透かす言葉を肯定する。その傍らでは白騎士が右腕を持ち上げる。
「なら、全部今ここでまっさらにするか?」
右腕の先、獣の口から覗く大砲に籠められた弾は契約者の心情を反映したかのような凍てつく冷気の弾。もう片方の竜の頭には相反する灼熱の激情が剣の形を取っている。
「……それこそ、冗談だ」
今にも仕留めに掛かりそうな白騎士を前に拓真は不敵に笑う。不意に突っ込んでくるのは辛うじて動くだけに過ぎない筈の究極体デクス。白騎士は動揺することなく、無策だと断じて冷気の弾を放つ。――その弾が効力を発することはなかった。
自壊する究極体の残骸。飛び散る屍肉はすべて白騎士への接触を試み、何かと衝突すればまた爆散する。爆発が起きる度に白い蒸気が舞い上がり、白騎士の視界を塗りつぶす。
「……やられたか」
意図を見抜く頃には既に手遅れ。煙が晴れる頃には拓真の姿はなく、彼が率いていたレジスタンスの面々は雑兵のデクス含めて跡形もなく姿を消していた。
「さて……何から説明したものか」
残ったのはトラベラー陣営として戦い生き延びたものだけ。そこにはこの全面対決を持ちかけた男も、他の仲間を戦場から送り返すことを画策した者も存在しない。