Episode.14 "ring a bell"
思い返せば昔から人から疎まれ憎まれることには慣れていた。好奇心旺盛な癖に他人の感情には無頓着で、ただ自分が望むことを自分のペースで為してきた。幸い要領もよく頭も回ったから大抵のことはそつなくこなせていた。だからこそ一番近いところに居る相手に敵意を向けられ、家族からの抑圧も相まって知らず知らずのうちに鍛えられてしまったのだろう。
詰まるところ、逢坂鈴音は自分のことがあまり好きではなかった。ただ欲求に従う様を狂人と呼ぶのならば、その定義に当てはめられて当然だとすら思っている。だからどんな末路を辿ろうとも後悔する資格はない。高潔な目的を持つことなども許される筈もない。その枷だけはX-Passを手にした時から変わらず根底にへばりついている。
当時の彼女にとっては異界へと繋がる通行証という噂話も、その先に居る願いを叶える存在の都市伝説も実在性が保障されていない浪漫でしかなく、興味は惹かれても入れ込むほどではいなかった。ただそれ以上に彼女は自分の環境にも執着を持てていなかった。だから他者と比べれば軽々しい動機とそれ以上に軽い経緯で一線を踏み越えることができたのだろう。
幽霊に誘われた。その説明でも大差ない程度には浅く冗談めいた出発点だった。
その日はサークルもバイトもなくただ暇を持て余していた。ただひたすらに退屈だった。気分転換になるものがあれば何でもよかった。
「買い物でもしようか。……ん?」
だから、ドアを開けた瞬間に視界を横切った白い人影を放置する理由はなかった。体格からして家族でも家政婦でもない。来客の可能性はあるが、屋敷の中でもプライベートな部屋が並ぶ二階に踏み入る程に信頼された相手で、白衣が似合うような人物は心当たりがない。
空き巣や強盗の類というよりは不審者。歩き方はあまりに堂々としている割りにどこか掴みどころもなく、気を抜けば見失いそうになる。
警備会社や警察に連絡する気は最初から頭にない。何かやらかすとしても咎めるつもりもない。ただ純粋な興味として白衣の不審者の正体と目的を探りたいだけ。その結果として自分がどんな不利益を被ろうと後悔はしない。
幸いというべきか素人の真似事の尾行でも相手はこちらを意識することなく歩みを進めている。廊下の端を左に曲がり、行き止まりに向かって直進。さらに左に曲がって進んだ先の二つ目の部屋の前で不審者は足を止めた。出発点である鈴音の部屋の対岸に位置するこの部屋が目的地だったらしい。
その部屋は半年前から定期的な清掃のとき以外は開かずの間と化していた。当然今も鍵は掛かっている筈だったが、どんな手品か不審者は住み慣れた自室に入るかのようにドアを開けて踏み入ってしまった。
「は……いやいやいや」
鈴音は慌てて全力で走って後を追う。尾行をしている自覚もなく、ただ不審者の目的を突き止めることを優先する。ドアにぶつかりそうになりながら急停止。一週間ぶりに開け放たれた部屋の奥で、不審者は学習机を愛おしそうに撫でていた。
「何を」
思わず口を突いた言葉を言い切ることはできなかった。先に不審者の姿が煙のように掻き消えてしまったからだ。
「は、はは……参ったね、これは」
まるで幽霊にでも化かされたようだ。今まで幻を見ていたにしても都合がよすぎる。後に残ったのは踏み込む気もなかった部屋に今更踏み込んだ恥知らずだけ。
久しぶりに足を踏み入れたその部屋は、全部屋の稼働率の低さに定評のある屋敷の中で比べればまだましな方だった。家政婦による定期的な清掃のおかげで目立つ埃もなく、家具や各種インテリアはほぼ変わらないレイアウトで安置されている。持ち主の数少ない趣味が開けっ広げにされているような状況でもそのプライバシーが侵害されることはないだろう。それを気遣いと呼ぶには鈴音は両親の無関心さを知り過ぎており、自分が時と場合によってはそれを利用する人でなしである自覚もあった。
ベッド横の本棚に積まれた漫画本や雑誌の趣味は合わない。寧ろ学習机の上に備え付けられた本棚に並ぶ教科書の方がまだ興味をそそられる。ただ今一番視線が引き寄せられたのは、机の上にぽつんと置かれた鍵とそれに貼られた付箋だった。鍵が勉強机の引き出しの鍵であることは、この部屋の勉強机が鈴音のものと同じ規格であることからすぐに分かった。
奇妙な現象に誘われたのか気が狂ったのかは最早どうでもいい。この部屋に踏み入れた以上その鍵に手を伸ばすことを躊躇うようなデリカシーなど捨てたようなものだった。
「『人でなしの君にプレゼント』ねえ」
それでも付箋に書かれた文字は癪に触り、思わず握り潰してしまった。自嘲するのと他人に見透かされるのは違う。ただ図星を突かれても止まれない程度に人でなしな自覚はあるので、付箋を書いた輩の思惑に従うことに異論はない。自分のものと同じ感覚で鍵を引き出しの鍵穴に挿して回す。後は引き出しの取っ手を引けば、これまでの気が狂った行動にも一応の決着がつくはず。
そこでようやく鈴音は自分の手が無意識に震えていることに気づいた。それでも驚いて取っ手から離すことはしない。ただ一度だけ唾をのんでゆっくりと開ける。
所詮は引き出しの中身。覚悟すべきものがあるとすれば所有者が隠したかった黒歴史の産物か異常性癖の証拠、或いは周囲への殺意を綴ったノートの類だと高を括っていた。
「これは……噂のアレ、なのか」
だから都市伝説の代物(X-Pass)が鎮座していることには流石の鈴音も動揺を隠せなかった。
「もし仮に本物だとして、これは……いや、まさかね」
「――仮定を頭ごなしに否定するのはらしくないね。これはそちらの想像通りの理由と私の思惑でこの部屋に存在するものだ」
「今度は幻聴? いや、確かにこのカードから聞こえている。先程の幻覚も同じ類いかな」
唐突に無条件に苛立ちを覚える声が耳朶を叩く。内容が自分を煽ることだと気づいたのは苛立ちの矛先を特定してからのこと。不意を突かれた事に対する恐怖も警戒心も湧かなかったのは、個人としての欠落というよりはそれらより先走った嫌悪感があったからだろう。
「危機意識が欠けてる代わりに話が早くて助かるよ。――さて、君好みの話があるんだが当然聞くだろう。逢坂鈴音」
癪なことにその声が語る内容は確かに鈴音好みの話ではあった。ただそれ以上に自分が人として決定的にずれていることを自覚させられることが何よりも癪だった。
「実は……その引き出しは二段底になっているんだ」
「なるほど……それは興味深い」
それは弱肉強食を前提とする世界ではあり得ないはずの光景だった。十を超える獣竜達が互いに等間隔になるように位置取り、口から鉄球を飛ばしてはそれをぶつけた何かを他の個体へと押しつける。ゴムボールのように奴らの間を跳ね回るのはアハトで、文字通り玩具として遊ばれているその様はあまりに悪趣味だった。
「邪教の儀式はそろそろ止めてくれないかな」
「何とでも言うがいい。バケモノと異教徒には慈悲を与えない主義だからな」
サッカーの試合でも観戦するかのようにくつろぐ晴彦の傍らには弓を番えた女天使。彫像のように静止しているように見えてその照準は傀儡の化物(デクス)の間を回されるアハトを常に捉えている。下手に鈴音が動けばその瞬間に矢はアハトを仕留めるだろう。このまま何もせずにいても嬲り殺しにされるだけ。それでも今の鈴音には癪に触る説教を聞き続けることしかできなかった。
「邪魔者もなし。遠慮も不要。二人きりで腹を割って話そうじゃないか、逢坂鈴音」
「気持ち悪い程に気に入られたものだね」
「本気だとするなら相変わらず面白いことを言う。今すぐ火刑にかけてやろうか魔女め」
冗談めかして言った言葉もその目が笑っていなければ本心を見透かすのも容易い。瞳孔は開き、睨みつけるような視線には露骨な嫌悪感だけが籠っている。想定より仮面を崩すのが早いが、晴彦にはもう取り繕う必要がなくなったのだろう。
「最初から私は貴様のような私利私欲で動く輩が嫌いだった」
大の大人から真正面に嫌悪感をぶつけられる。一周回って新鮮な状況に鈴音は思わず吹き出しそうになった。同年代や身内に奇異な目で見られることには慣れていたが、いい年した裏切り者に感情論を振りかざされると流石に反応に困る。
「捻じ曲げたい過去もなく、ただ好奇心でこの場に居られると虫唾が走るのだ。視界から締めだす労力すら勿体ない。いっそ目と耳を潰せば楽になると何度思ったことか」
次第に晴彦の言葉は熱を帯び、自分が口にした言葉を噛み締めては次第に表情は陶酔したものになっていく。それでも傍らの女天使にすぐに指示を出せるようにX-Passに指を添える程度にはまだ理性を残している。
「私達はXの元、この未来に生きる人々のために戦っているのだ。ふざけた動機で同胞を踏みにじるような輩が居られると吐き気を催すのも当然だろう。だから貴様がこちら側に来なくてせいせいしたものだ。まあ、性根の腐った魔女が私たちのような高潔な選択が出来るはずもないがな」
独り言は演説のように仰々しく糾弾のように敵意を籠めて語られる。それは最初からレジスタンス側として動いていたが故に抱えていた誇りと憎悪。鈴音自身、彼からすれば自分のような人間が誰よりも癪に触るのは当然だと率直に思う。未だこの場に立つ理由を理解もしたくないだろうから。
「つまり、私とアハトを嬲り殺しにしたい、と」
「それはもう惨たらしく。折角の機会だ。愉しませてもらう」
晴彦が心の底から浮かべた笑みは聖職者としても悪に抗う戦士としても歪んでいる。仮に鏡がこの場にあったとしてもそれに気づくことはないだろう。そのことを鈴音は少し哀れに思った。
「それにしても貴様は随分契約相手のことを気にしているな」
「パートナーと書いて生命線だからね。当然だろう」
不意に晴彦が口にしたその言葉を鈴音は牽制だと捉えていた。それ以外のニュアンスが含まれていることに気づいたのは、晴彦の笑みがより嗜虐的なものになったから。
「そうかそうか。何もできずにただ虐められる様を眺めているのはさぞ苦しいだろうな。……だが、気に病むことはない。寧ろ貴様は喜ぶべきだ」
先ほどまでとは一転。気持ち悪いほどに親し気に語り掛けながら讃えるように手を叩く様はただ不気味。あまりにわざとらしい振る舞いは巣に掛かった獲物に近寄る蜘蛛を想起させた。
「霞上響花のような真似はしていないようだが、人語を介する以上は奴は既に人を喰ったバケモノに変わりない」
「引っ張らないでほしいね。結局、何が言いたい?」
モンスターは人を捕食すれば捕食するほど、人語を介したコミュニケーションが得意になる。それはアハトとナーダを比べれば一目瞭然だ。だが、そもそも一人も捕食していなければ人語を介することもできない。カインや月丹と違ってアハトが一線を越えていることも事実だった。
「奴の餌食になったただ一人の被害者を私は知っている」
「ァアア!! ヤァメゥグァッ!!」
何故パートナーでもない晴彦が知っているのか。ただの出まかせではないのか。その疑念を裂くようにアハトの悲鳴が轟く。夥しい数の裂傷と打撲痕を見れば、声を出すことがどれだけ負担なのかは容易に想像がつく。それでも叫ばずにいられなかった動機に思考を割いた瞬間から、その後に紡がれる晴彦の言葉に対する耐性が失われる。
「――被害者の名は逢坂観月。流石の私も驚いたものだ。契約相手の女を喰った挙句、半年経ってその妹と再契約しているのだから」
わざとらしいオーバーリアクションで告げる致命の一撃。貴様は今まで身内を捕食したバケモノに信頼を寄せてともに旅路を進んできたのだ。そう断罪するような言葉に鈴音は初めて顔を伏せる。言葉を返すのに十秒ほど掛かり、絞り出した声は僅かに震えていた。
「念のため聞くけれど証拠は?」
「我がレジスタンスにはモンスター固有の波長を記録し検知するデバイスがある。それで個体の特定は可能だ」
「アハトの前の契約相手が私の姉だという確証は?」
「君の話を本人から聞いていた。聞いていた通りの人間の屑で驚いたものだ」
「何故トラベラーになっていた?」
「さて、なんだったか……ああ、多分自殺した友人を助けたいと言っていた気がする」
「何故捕食された」
「そこのボールにでも聞いた方が早いと思うが。経過を見るに野蛮な飢えだろう」
「見殺しにしたのか」
「こちらも勧誘を保留されたままだったのでね。味方にならないのなら消えてくれた方が話が早い」
苦し紛れに糸口を探す言葉は淡々と弾かれる。その度に鈴音の声音は小さくなる。あれほど叫んでいたアハトも呻き声すら漏らさなくなり、ただゴムボールのように弄ばれる。
「好き放題言ったが、所詮は敵の言葉だ。嘘だと思いたいのなら構わない」
そう口にした晴彦の表情にはただ愉悦が浮かんでいた。出来る筈のないことを提案し、相手が無力さを痛感する様を眺めることほど悦に浸れることはそうそうない。それが会う前から気に食わなかった女相手なら尚更だろう。
「意地が悪いね。嘘だなんて言える筈がないのに」
大きくため息をついて鈴音は顔を上げる。この舞台を整えた時から、晴彦はこの瞬間を待ち望んでいた。心底不快な女の心をへし折ることが出来るこの瞬間を切望していた。
今の晴彦の興味はただ一つだけ。残酷な事実を前にした彼女は今どんな表情をしているのか。常に他者を顧みることなく余裕ぶって笑っていた表情がどれだけ醜く歪んでいるのか。
「――だって私は最初から知っていたのだから」
表情が大きく歪むのは晴彦の方だった。鈴音はどこか晴れやかな表情を浮かべながらただ真っすぐに晴彦を見据えていた。
「ァ……ス、ズ?」
「あれ何なの!? 何なのあれ!!」
「どれのこと!?」
鼓膜を破る勢いで脳を揺らされたため反射的に同等の声量で反撃してしまった。鈴音にそんな行動を取らせることの出来る人物は限られている。高校一年生の当時で当てはまるのはそれこそただ一人だった。
「外を飛んでる変な機械のことよ! あれ、学校でも飛ばしてたでしょう!!」
「ドローンのことだね。時間がないから家で練習しているんだよ」
一つ上の姉、逢坂観月が顔を真っ赤にして唾を飛ばしていた。顔を合わせてようやく因縁をつけた対象が分かった。だが理由までは分からない。ただ課外活動のために時間を割いているのに文句を言われる謂われはない。そう本気で思っていた。
「どろ……また変なおもちゃ買って。よその迷惑でしょう」
「世間の母親みたいなことを言わないで欲しいよ。そもそも部費で買った備品なんだけど」
「それは嘘でしょう。学校が許す訳がないわ」
「理解ある先生方に丁寧に説明したからね。撮影した動画や測量データの活用案にも納得していただけだ」
「クズの奇行に慣れただけでしょうがッ!」
「なるほど。そうかもしれない」
実際のところ校内における逢坂鈴音の知名度はかなり高かった。そもそも幼稚園からの一貫校のため、奇行を積み上げてきた期間は十年を超える。特に中等部一年の頃に聖書の授業で教師に質問という名の討論をしつこくした結果、ヒートアップした教師が逆上して教科書を文字通り焚書した事件は知名度向上に一役買った。
ミッション系のお嬢様女子高にそぐわぬ博学な奇人。それがこれまでの実績から逢坂鈴音に貼られた悪名だった。内部進学を決めた際に当時の担任が高等部の職員室に菓子折りを持って行ったという話も聞いた。自分なりに勉学に励んで積極的な課外活動で実績を残してきた優等生のつもりなのだが、先生方に対する矢印は一方通行だったらしい。
「ほんッと腹立つ……」
逆に鈴音が一方的に矢印を向けられているのは目の前の姉。妹の奇行を風の噂で聞いた数を尋ねた瞬間に拳が飛び出そうな程には腸が煮えくり返っているご様子。話題に出る度に否が応でも自分に飛び火することも、そうならないように友人が気を遣う度に無用な気まずさを覚えてしまうことも想像に難くない。
「いい加減にしてよ! 少しはおとなしくできないの!」
「そう言われてもね……」
努力を絶やさない真面目な優等生にとって、奇行ばかりの癖に大概のことはそつなくこなす妹は目の上の瘤でしかない。それは分かる。ただ今回は正しい手順を踏んだうえで後続に繋がるメリットも提示している。とやかく言われる理由はなく、このレベルの行動でも制限されるのは鈴音も困る。
「流石の私も困るよ、姉さん」
「……なんでクズはいつもいつもいつもいつも」
失言は口にした段階でほとんど詰みのようなもの。下手に取り繕うとすれば自ら墓穴を掘って逃げ道を塞ぐことになる。ここで下手に論理武装すれば自らの装備の重さで沈むことになってしまう。詰まるところ、鈴音は姉の定期的なヒステリー耐えることしかできなかった。
「ずっとずっと、ずぅううっと! 私の邪魔ばっかりするのよォッ!!!」
再び鼓膜が破れそうになった。響き渡る実姉の絶叫。幸い両親はおらず、家政婦も鈴音に関わりたくないがために近くには居ない。つまり逢坂観月の醜態を受け止める責を担うのは鈴音だけ。
「私は真面目にやってるのに見せつけるように好き放題やってッ! それに文句を言われても聞かないから注文は全部こっちに来る! 私だって私のことでいっぱいいっぱいなのに!! ほんっとうにうんざりする! なぜそんなヘラヘラできるの? ねぇ!! 私のことバカにしてるんでしょ! 昔から私が母様に詰められてるのを横目に適当にこなして! その癖、家のことには興味ないって振舞って! あぁぁぁぁ……本当に鬱陶しい。目障り。邪魔」
血縁という長い付き合いで流石に慣れた。だが慣れていても面倒なことはある。自分への罵倒は止まらず、噴き出す不満に際限は無い。性根が真面目な分だけ周囲の圧力に晒された結果として歪に折れて傷んでいく。すぐ近くに変なのがのさばっていればそれが助長されるのも仕方ない。ただその変なのには彼女を癒して正すだけの力もなければ意思もない。だから無駄口は挟まず当然の責務として受け止める。
男児に恵まれなかった旧い価値観の家の長姉として、観月は他者からの圧力を素直に受け止め、真面目に努力を積んだ。次女として産まれた鈴音はそつなくこなす器量を自分のために伸ばし、他者を言い包めて我を通してきた。並べて比較すれば観月の鬱憤も納得できる。これでは視界を飛び回る羽虫のように鬱陶しがられても仕方ない。
「……ここではやらないようにするよ」
「学校でもやめてよね」
一番問題なのは鈴音のブレーキが意味を為していないこと。ここで口にした約束は守られ、ドローンによる被害は収まるだろう。だが観月の胃が安息を迎える日はないことは二人とも分かり切っていた。
「はぁ……こんな妹なら居なければよかったのに」
その言葉を吐き捨てて姉が部屋から出る姿を見るのを数えるのも飽きた。鈴音自身、観月にそれを言う資格があると思っているから何一つ文句はない。それでも自分の性を変えられない以上、自分は彼女にとっての悪だ。
「……大学は外部進学できるといいのだけど」
その進路希望は現実となったが、動機の大半は二回生に進級する時期に消失した。
「2008年7月15日。テストで学年十位以内に入れなかった。夏休みが無くなりそう。私だけ。スズは違う」
鈴音がそう不意に切り出した瞬間、鈴音と晴彦の間に揺蕩う空気が固まった。
「……何のつもりだ?」
「何って、乙女の秘密を晒しているんだよ。悪い女だからね」
一層歪んだ顔ですごむ晴彦をわざとらしい程に涼し気な表情で受け流しながら、鈴音はさらなる秘密を開示する。死人には口もなければプライバシーもない。たとえそれが実の姉だとしても気にしないことが、そちらの言う性根の腐った魔女らしい立ち振る舞いだろうと言うように。
「2009年10月6日。あのクズが自由研究か何かで表彰されたらしい。私には何もない。何もできない」
「2013年4月10日。高等部に上がった。美術部には入らないつもり。三年間居心地が悪かったのは誰のせいだろう」
「2014年4月19日。茶道部に新入部員が入った。上級生らしく面倒をみないと。特に見るからに気が弱そうな神崎舞さん」
「2017年3月5日。舞は外部進学するらしい。一年の頃よりも成長したけど心配でしかない。本当は私が傍に居てあげないといけないのに」
薄ら笑いを浮かべながら鈴音は姉直筆の言葉を滔々と語る。まるでテレビ番組で身内からの手紙を読むように恥ずかしげな振る舞いをしているが、実際はネットで拾った他人のつぶやきを笑っているかのような薄っぺらい態度が透けて見える。所詮は他人の言葉。自分の内から出た言葉でなければそこに乗せる感情も当事者のそれからは遠ざかる。
「2017年5月28日。舞に連絡がつかなくなった。家にも帰っていないらしい」
「2017年7月5日。遺書が見つかった。サークルで何かあったらしいけどよくわからない。調べたクズが何を言っているのかわからない。聞きたくもない」
本当に実の姉の書いたものを読んでいるのかと思える程に鈴音本人の感情が読み取れない。いっそ極端に棒読みだった方がショックを受けているように見えただろう。
「2018年4月2日。舞を助けられる可能性が見つかった。展開が急でよく分からないけれど、私にもできることがある。私にしかできないことがある。頑張れ私。既にスズって名付ける失敗をしたけど」
「2018年4月12日。モンスター。トラベラー。レジスタンス。分からない。何故私には助けられないの。何故何もできないの。何故私には何もないの。いっそ全部無くなってしまえばいいのに」
「2018年4月15日。スズがもう限界だ。ワスプモンに進化してからまともに食べさせられていない。満足に餌やりも出来ない私にできることなんて……」
それはトラベラーとなった日の記録でも最期の日の記録でも変わらない。一人の女が実の妹に嫉妬し続け、妹替わりに可愛がっていた後輩を失って、無理をした結果として最後は壊れて喰われた。ただそれだけの話なのだとでも言うように語り通した。
「因みに舞さんは姉さんのことが少し鬱陶しいってかなりの頻度で私に告げ口していたよ。ここだけの話だから内密にね」
余計な一言を添えて鈴音は意地悪そうに笑った。まさしく自分が表現したような性格の悪い女だ。そう思わされたことが晴彦には何故か屈辱に感じられた。
「貴様、結局何が言いたいのだ!」
「最初から知っていたという確証を提示したつもりだったのだけど。まあ所詮は敵の言葉だから嘘だと思いたいのなら好きにすればいい」
「ほざくなッ! 語った言葉が真実として、何故貴様は平然としていられる? 何故身内を喰った化け物とともに居られるのだァッ!?」
「奇妙なことを言うね。私を性根の腐った魔女と言ったのは貴方の筈だけど」
わざとらしいまでの意趣返し。わざとらしいまでの振る舞いそのものが悉く晴彦の神経を逆撫でする。最初から好感度がマイナスならばいっそ振り切ってしまえばいい。敵対者としてこちらが望んだ振る舞いをされればされるほど、そのわざとらしさが癪に触る。
「そもそも姉さんのことを思う資格なんて私には最初からないんだよ」
もはや声音の些細な機微などどうでもよかった。自覚のある狂人の言葉には虚実の判断を行う意味すらない。
「アハト……姉さんにとってのスズはモンスターとして間違った行動をした訳ではない。私はそう割り切ってしまうような人間なんだ」
それは嫌という程痛感した。寧ろ喜んで差し出していないのが不思議なくらいだとすら思っている。
「姉さんの精神と記憶を取り込んでいるからか、寧ろ安心感を覚えたこともあったくらいだ」
ただ想定の外から嫌悪感を覚えさせられるのは話が違う。魔女の性根は望み通り腐っていたが、根元からいかれているとは思っていなかった。
「貴様はいかれている!」
「最初からその結論は出ていた筈だけど?」
結局、精神的に限界を迎えたのは晴彦の方だった。目の前に居るのは契約相手をいたぶられながら長話できるような人間。そんな相手の心をへし折ろうとすればするほど自分の心が侵されそうになる。
「もういい。貴様らで遊ぶのは終わりだ」
今はただ目の前の女が存在することに耐えられない。契約相手を即刻射殺して、護りを失った魔女を火炙りにする。そうしなければ晴彦の脳が自身の怒りで燃えかすになりそうだった。
「姉の仇諸共死ね」
形容しがたい怒りを乗せて晴彦は右手を上げる。ここに射殺許可は下った。一秒の猶予もなく傍らに立つ女天使が光の矢を放つ。球遊びに興じる傀儡の化物(デクス)ごと、逢坂鈴音という女が背負った罪の証を断罪する。
ことここに至るまでに天城晴彦は注意力を完全に失っていた。逢坂鈴音が今どこに立っているのかを把握できない程に。彼女が話す言葉にばかり気を取られて、彼女の首から下の動きへの警戒心は消え去っていた。
「……は?」
だから、放たれた光の矢が鈴音の目と鼻の先で爆散した現実にすぐに理解が及ばなかった。咀嚼するには爆発で視界を覆った閃光が晴れるまでの時間が必要だった。
契約中のトラベラーを守る不可視のバリア。致命の一撃をそれでしのぐため、注意力を削ぐように煽るように話ながら鈴音は少しずつ距離を詰めていた。それは姉の仇である契約相手を守るため。
晴彦の視界が戻った瞬間、再び彼の目は現実を理解することを拒みかけた。それは逢坂鈴音の傍らを漂う彼女の姉の仇。その身体には散々いたぶった傷は残っているが、動き自体にはもう不安定さは見られない。十数秒前まで奴が転がっていた地点では奴を弄んでいた傀儡の化物(デクス)の方が壊れた人形のように転がっている。
「わざと温存していたのか」
「我ながら酷い契約者だと思うよ。まあ、身内の仇に対する仕打ちとしては妥当なのかもしれないけど」
「ほざくな、クソアマ!」
長く愉しむためにわざと手加減していたぶっていたのが仇になった。そんな考えを振り払うように晴彦は叫ぶ。
「ただアハトが危なかったのは事実だね。散々いたぶられた上に、貴方の精神攻撃が私より刺さったものだから」
対する鈴音は淡々と事実を告げる。その表情にはもうわざとらしいまでの薄っぺらい笑みは貼りついていない。ただ静かに天城晴彦という目の前の敵を見据える。その視線に籠められているものを向けられている当人が理解することはないだろう。
「けれど今はともに感謝しているよ。――貴方のおかげで私達は前に進めるのだから」
鈴音の左腕、そこで存在感を放つ繋がり(X-Pass)で星が瞬く。そのシグナルに呼応するようにアハトの内から光が溢れ出す。それは進化の光。捕食によって他者を己の糧とすることは次なる段階に至るためには必要だ。だが、一線を超える理由が必ずそれである訳ではない。
アハトの記憶領域には二つの記憶がある。
一つはアハト自身のもの。そしてもう一つは逢坂観月のもの。
彼女の記憶が劣化することなくアハト自身の記憶と同じだけの強度で独立して存在していたのは、無意識に優先度を上げて保持していたから。ナーダと異なり唯一の人間の記憶であることは理由の一つだろう。それ以外の理由はアハト自身にも論理的にまとめることはできていない。ただ逢坂観月の記憶がアハトにとって重要なものであることは明白だった。
晴彦の言葉に反応したのは逢坂観月の記憶を何度も噛み砕いて咀嚼していたから。そこには逢坂鈴音に関する記憶も含まれている。
かつての契約相手の瞳に現在の契約相手の姿がどう映っていたか、どのような感情を抱いていたのか。それを今知る者はアハトしか居ない。モンスターにあるまじき罪悪感を咀嚼できるのもアハトだけ。
それでも鈴音はアハトの罪を肯定した。彼女は自分には咎める資格が無いと、アハトよりも先に彼女自身を罰していた。
同じ人間に対して罪を背負った者同士。償うことなく地獄へ向かうと言うのならば、喜んで同じ道を歩もう。
ナノマシンのシナプスを迸る電子。電子の生命の内に燻る闘志。耐え続けて維持した生命力は損傷の回復ではなく次の可能性へ投資。
今の自分を構成するための均衡が崩れても構わない。それが目の前の敵を殲滅して生き残るために必要だというのならば喜んで差し出そう。
今はただ、かつて呼ばれた名前を本来呼ばれるべき相手に返すためにその身を捧げる。
敵対者を殲滅する金色の要塞。そう思わせる程、鈴音の頭上に君臨する相棒は二回り増量した実際のスケール以上の存在感を放っていた。蜂に似た本体の上で丸太のように連なるコンテナには多種多様な火器が備わる。強化された主砲の奥からは殺意に満ちた光が覗いていて、その輝度だけで内に満ちるエネルギーの総量が底上げされたことを感じ取れる。
「スズ、クズ」
「そうだね。よく知っているよ」
キャノンビーモン。人間の記憶を大切に抱える働き蜂は敵対者をシステマチックに殲滅する悪魔の兵器へと変貌した。
「オーダー、ナニ?」
「もちろん、見敵必殺(サーチアンドデストロイ)」
従うべき女王(スズネ)が左手を振り下ろす。すべてのコンテナが開き、内に秘められた殺意が火を噴く。弾幕と呼ぶに相応しい爆撃の嵐。人工的な災害は今までアハトを弄んでいた怪獣人形(デクス)を塵芥へと変える。今までの屈辱という私怨も乗っているのだ。底上げされた格上の火力の前には粗悪な量産品は原型を留めることは許されない。
不意にアハトの身体が空を転がるように回る。直後に閃光が煙を裂いて奔ったものの、アハトに掠ることはなくコンテナのすぐ真下を通り抜けた。軽やかに一回転した後、アハトは射手の方を向いてわざとらしく首を傾げる。
「ここからは悪人らしく暴力に訴えさせてもらうね」
有象無象を跡形もなく蹴散らした後でもまだコンテナには残弾がある。数量は先ほどよりも格段に落ちるが、一つの標的の行動範囲を制限するには十分事足りる。
「ほざけッ! このクソアマがぁああッ!!」
女天使を包囲するように飛来するミサイルの群れ。沸騰したように怒りを露わにする契約相手の怒号に合わせて、彼女は大きな十字を切るように両手を振るう。その軌跡は彼女の内から満ちる力を吸い上げて光へと変えた。拡散する閃光でミサイルを迎撃。そのまま一息つくことなく空へと昇る。二秒後、女天使が居た場所を鋭い閃光が抉った。
ミサイルの追撃は無いとなれば、残るは互いに上空で閃光をぶつけ合う射撃戦。文明と幻想。弓矢と大砲。同じモンスターでありながら真逆の印象を与える射手が各々の武器を向け合う。
互いに見合っての膠着は数秒。女天使が矢を放つのもアハトが主砲を発射するのもほぼ同時。真正面から衝突する二つの光。細く鋭利な金色と太く荒々しい青色。純粋なエネルギー量の差は明確で、金色の矢は青色の奔流に飲み込まれる。
そもそもエネルギーの差は純粋な力の差ではなく攻撃方法の差によるものだ。女天使の矢は自らのエネルギーの一部を切り離して放つが、アハトの主砲は体内でエネルギーを変換して継続的に放っている。断続的に火力を向上させられるアハトに分があるのは当然だ。
だが、それは火力に限った話。それもアハトも主砲に意識を向けていることが条件だ。逆を言えば己のエネルギーを一部切り離しただけの女天使の方が矢を放った後は自由に動ける。要は自分の力に繊細なコントロールを求められるのはアハトの方だということ。女天使は初手を牽制だと割り切っていたから既に光の奔流の進路の上方数メートル上で二の矢を構えている。
放たれる第二の矢。狙いは真っすぐアハトの頭部。巨大な体躯の中央に位置するそれごと中核を射貫かんと奔る。
金属質が砕ける音が響く。地面に落ちた金色の破片は間違いなくアハトのもの。それに視線を向ける者は存在せず、地上で見守る契約相手の意識はまだ上空にある。
「ちぃ」
舌打ちをしたのは晴彦。その表情から渾身の二の矢が中らなかったのは明らか。対する鈴音の表情にも余裕はなく、完全に避けきった訳ではないことは上空から落ちてきた証拠が示している。
女天使が矢を放ったタイミングはベストだった。矢は風の影響を受けることなく寸分の誤差もなく、ゴール地点への最短距離を飛んだ。
だがそれ以上にアハトの対応が迅速だった。方針の角度を下方に向けつつ上方への回避行動を開始。ただ主砲を停止して回避行動に移るのでは間に合わないと判断し、敢えて瞬間的に火力を底上げすることで反動を味方につけた。空中でバックステップするかのような瞬間的な移動。その速度は女天使の想定より僅かに早く、中核を狙った筈の矢は右脇の装甲を一枚剥がすに留まった。
「アナタ、ジャマ」
再び向かい合う両者。先ほどと違うのは互いの力量と特性をおおよそ測り合えたこと。ここからはその予測をどのタイミングでどれだけ裏切れるかに掛かっている。
先に仕掛けたのは女天使。絵画のように洗練された構えで放つのは先の牽制と同じエネルギー量の矢。先ほどと同じアプローチに先ほどと同じ対応をするつもりはない。右方への回避を選んだアハトの目には一射目とまったく同じ構えでこちらを狙う女天使の姿。判断を誤ったかと迷う間もなく、次の矢の対応に追われる。迎撃が間に合わないと判断せざるを得ない以上取れる手は回避しかない。
女天使が矢を放つ。アハトが左方に避ける。女天使が矢を放つ。アハトが下方に避ける。女天使が矢を放つ。アハトが右方に避ける。
「ホンット、ウットウシイ!」
「ん……これ少し姉さんに寄ってきてないかな」
「今さら現実逃避か!? じり貧で余裕がないということだよなぁ、そらそらそらぁッ!!」
同じ展開が連続するのは誰が望んだかたちなのか。少なくとも有利に見えるのは断続的に攻め立てている女天使の方だ。契約相手である晴彦の表情にも優勢であるが故の笑みが戻っている。アハトの方は辛うじてすべて直撃は回避出来ているが、次第に余裕がなくなってきたのか何度か装甲の表面を掠るようになってきた。このままの展開を続ければ射落とされるのも時間の問題だろう。
「そろそろチェックメイトといこうかぁ! やれぇぃッ!!」
晴彦の高笑いとともに放った矢は女天使自身勝利を確信した一矢だった。限界まで引き絞られて放たれる致命の一撃。最大火力が保証されたエネルギー量。最高速度を確信させる稲光のような軌跡。
狙いは標的の回避行動を予測したうえで一ミリもずれることはない。ならば標的の中核を射貫くのは確定された未来だ。――そこに反撃という障害物が存在しなければ。
矢を真正面から飲み込む青の奔流。アハトの主砲の火力が矢を上回っているのは実証済み。だがそれは牽制の矢の話。最高の一矢に籠められた火力の密度は比較にはならず、滝を上って竜へ至る鯉のように流れに逆らいながら力任せに駆ける。
そして矢は強烈な光を放って爆散する。視界すべてを塗りつぶす閃光が地上に降り注ぐ寸前になって晴彦はようやく違和感を覚えた。光源が着弾予測地点のずっと手前にあるという違和感に。
「きさっ」
「アナタガ、ツミ」
晴彦の言葉を遮るように遥か頭上で響く轟音。雷鳴のようなその音に反射的に見上げれば、その音圧に相応しい雷撃の如き青の光が女天使の左半身を焼いていた。
あの矢に対してアハトの主砲は本気を出していなかった。あくまで勢いを削るための僅かな時間稼ぎ。
これまでの戦闘でミサイルコンテナは撃ち尽くしてなどいなかった。僅かに残したミサイルは隙を作るための時間差の秘密兵器。
真に残弾をすべて解放した後に主砲は一時停止。矢とミサイルが接触した瞬間に再発射。主砲の一撃は瞬間的に上昇した火力を持って、既にエネルギーの大半を消費した光の矢ごと女天使に無慈悲な裁きを下した。
墜ちる女天使にはまだ意識がある。羽根を動かして体勢を整えるだけの力がある。ただそれだけ。この後に来るだろう追撃に対して反撃する力も回避する力も残ってはいない。
「――今日はここで止めにしよう」
「……は?」
来るべき追撃の代わりに放たれたのは鈴音からの屈辱極まりない言葉だった。その口調は至って平坦で、圧倒的有利な立場から見下ろす優越感も自分達を散々侮辱したことに対する怒りも何も感じられなかった。
「貴様ごときがッ、情けのつもりか!」
「冗談。このまま居座ると不利になるだけだよ」
まるで無関心。その表現は適切であり現実だった。悠々と降り立ったアハトとともに見据える鈴音の視線の先には既に晴彦はない。その後方に向けられていると分かったからこそ晴彦は振り返ることはできなかった。そんなことをした瞬間に耐えがたい一線を超えることになると分かっていたから。
「アハトにきっかけを与えてくれてありがとう。お礼に次は憎むべき相手として悪辣に殺し合おう」
その言葉を最後に逢坂鈴音は元の時間へと帰還する。何もできずに見送り終える頃にはアハトの姿も無い。後に残ったのは傷だらけの女天使と傀儡の化物(デクス)だった灰に、散々嘲笑した相手に手ひどくやられた愚者。――そして、その姿を眺める桃色の妖精(ピーコロさん)を伴う一回り以上下の同胞。
「あのー、なんというか……だっっっっさ!」
「……返す言葉もない」
綿貫椎奈という味方に観察されてようやく自分の醜態を見つめなおせた。教義的に縛られていなければすぐに女天使にこの魂を捧げたいと思う程に屈辱的な姿だった。こうなってしまえばもう先ほどまでのテンションは維持できない。
「ひとまず戻って契約相手の治療を。今日の件はあんな変人相手なら仕方ないでしょ」
「知っている口ぶりだな」
「ウチの学校で長年有名だっただけですよ。まあ私は高校から入学した身なんで詳しいことは知りませんけど」
「同じ学び舎だったとは」
地雷を踏んだ。椎奈が顔を顰めたのを見てそう判断出来るほどに冷静さは戻った。今日一日はもう下手なことは言えないと、ただただ深いため息をつく。
「学年もずれてるんで接点も何もないですよ。それに言っておきますけど、あなたも大概変人だと思ってるんで」
「本当に手厳しい」
晴彦に出来ることは連行される罪人のように重い足取りで椎奈の指示に従うことだけだった。
こんにちは、快晴です。
毎回感想をいただいているのに、こちらからは久しぶりになってしまいました……申し訳ないです。3話分の感想になってしまいますが、どうかご容赦ください。
前話の地下生産工場(プラント)編も含めて、一気に話が動き出した印象ですね。響花さん&ナーダさん戦から息を吐く間もありません。
まず、真魚さん&アキさんのリタイアはかなりショックでした。ひ、ヒロインだったじゃないですか……。主人公と(勘違いもあったとはいえ)因縁があるヒロイン……。
それに真魚さんは渡さんとのやりとりはもちろんの事、直前回でも謝る恭介さんをなだめる姿はすごく頼りになるなぁと、加えて完全体戦力のアキさんの事もあって、レジスタンス組との対峙を経て逆により結束が強固になった印象のトラベラー組の中でも、中心メンバーの1人として今後も活躍するんだろうなと……勝手に思っていたのに……どうして…………。
椎奈さんの「真っ二つになる」が伏線と言うか、色んな意味で事実になってしまったのがあんまりにもつらい……。
ゆるすまじ綿貫椎奈、ゆるすまじ黒木場秋人……と言いたいところなのですが、今明かされる衝撃の真実。
特異点FのFがFutureのFとは事前に出ていたお話ではありますが、レジスタンスが名前の通り、人類をほぼほぼ滅ぼしたデジモンに対してのレジスタンスだっただなんて……。彼らには彼らなりの目的があり、トラベラー組離反者もその正当性を主張しているとはいえ、確かにこれは事実を知ったメンバーにもキツい真実だったでしょう……なんてこと……。
しかもその中でさえカインを裏切れというのかと口にする渡さんに、明確に殺意を向けるX。さらに畳みかける驚きの真実。
デジモン達に実態を与えたのが、渡さん……?
読者も「うっそでしょ」となる展開が続く以上、今までにない動揺を見せる渡さんにこちらも辛くなる程でしたが、鈴音さんが平常運転な部分には一安心。やはり謎多きお姉さん枠は強い。改めてそう思いました。
恭介さんのお蔭で一旦仕切り直しとなった末、コミュニティに残ったメンバーは8人。
セリフにもありましたが、なんだか寂しくなってしまいましたね。
早速繰り広げられる、将吾さんと寧子さんの、同じ人を見ていた筈の者同士の対決。どうしてこの界隈は甘酸っぱい思い出を甘酸っぱいままでそっとしておいてくれないのでしょう。タマさんの姿が、それこそ無駄な物を削り落としたかのようで、どこか痛々しい。
そして引き続き頼もしい鈴音さん。行動自体は一種野暮でもあるけれど、感情の外で動ける人でなしの類は、有事の際こそありがたみがあるというか……というか、アハトさんの方がそういう意味ではよほど人間味(?)があるという。
そして鈴音さんの態度がコレであるだけに、月丹さんの進化を経ての将吾さんと寧子さんのやり取りが際立ちますね。「おぞましいと思ってもらって構わない」「浅ましいとは思いますよ」めっちゃ好きです。
でもこんなに煽っても、寧子さんが、本当に見ていたのは……。変な女には煽られた。じゃないんですよ、変な女には煽られた。じゃ(いいねの数だけうちの子紹介タグより)。
そしてこの戦闘も切り上げ化と思ったら、今度は鈴音さんと晴彦さんの、一方的なゲーム開始の通告。心を乱すアハトさんが一体どんな目に遭わされるのか……と思っていたら……「お前ボールな」じゃないんですよ「お前ボールな」じゃ。
しかし言われてみれば、晴彦さん、トラベラー組とレジスタンス組が対峙した時も、その前の話での胡散く……余裕のある態度とは打って変わって、やたら鈴音さんに対して攻撃的でしたね。正しく魔女狩りを執行する聖職者。傍から見ると異様な歪さでも、彼の正義はそこにこそあるのでしょう。
しかしやはりと言うか、何というか。圧倒的不利な状況に見えても、鈴音さんは更に上手でした。
アハトさんの人食いは、アハトさんが言葉を介する以上ずっと明示はされてはいましたが、まさか食べたのが鈴音さんのお姉さんで、彼女もトラベラーだったとは。肉親にすら疎まれるのも無理はないキャラをしている半面、マイナスの感情ではあってもある意味ずっと観月さんの中には鈴音さんが居たんだな……そして彼女を喰ったアハトさんの中にも、その生真面目さはある意味引き継がれていたのでしょうか。
それだけに際立つ日記読み上げ鈴音さんの人でなし具合。でも私は好き。
デジモンの感情が起因になっての完全体への進化……Twitterでも書きましたが、「推しを書く」時に生まれる盛り上がりは、本当に心が躍るものです。
策と火力を以っての逆転劇。情けですら無い無関心は、晴彦さんにとって一番屈辱的な仕打ちだったでしょう。……あれだけの愉悦部面とテンションを見せつけられた手前、読者的にも椎奈さんの感想とは被る面があったりなかったり、ここまで来ると若干可哀想にもなってきたり。まだガンに効かないがそのうち効くようになるじゃ無いんですよ(以下略)
がんばれ晴彦さん。負けるな晴彦さん。ヘタな事を言えないのが今日一日で済めばいいですね。
長々と書いてきましたが、明かされた謎の分、残された謎は更に深まり、同じ陣営に属していた者たちも「真っ二つ」(厳密にはリタイア組も多いでしょうが)となって、新たな局面に向かう物語を、心から楽しみにしています。
エゴと大義であっても、結局は信念のぶつかり合い。はたして何方が生存るか死滅るか。
続きを楽しみにお待ちしております。
感想ありがとうございます。
誰もが闇のオタクの素質を潜めているのです……それがぽっと顕在化しただけなのです。
アハトの抱える秘密とモンスターの食性の設定はほぼ同時でした。ディープな設定に絡むバックボーンは推しに紐づけたいオタク心。それを受け入れる鈴音は自他ともに受け入れている程度にはずれていました。姉を弔う資格がないという思いでさらにずれてる感もありますが。
執筆開始当初から粗の多い年表を作って2018年スタートにしたのですが、遅筆さの影響を受けて体感的な開きが凄くなってきました。当時の世相とかも最初からあまり描けていない気もするので、開き直っていきます。でもあまり現実とのずれは開き過ぎないようにしたいところです。……手遅れな気もしますが。
外道が意表突かれて変顔しながらボコられる姿は――まだガンには効かないがそのうち効くようになる。ただ晴彦は許せない敵に対して外道ムーブはしても同じ正義に準ずる身内には優しい筋の通った狂信者で、レジスタンス側としてもまだ使えるというかアホみたいに無駄死にされたら困るのでJKが助けに来てくれました。能力的に背後から爆殺できそうな契約相手連れてますけど。
次回は……まず今後の流れを諸々整理するところからですかね(諦観)
推しを苦しめたい気持ちは誰にでもあるからな……そんなわけで夏P(ナッピー)です。
最初からこの展開への貯めだったかアアアアア。種デスでミーアが死んだ後に勝手に准将達がミーアの日記を音読し始めた時を思い出すレベルで恐怖する日記レコーダーが始まった辺りで「ん? そういえば作中年代は何年だったか……?」となったので後書きで2018と提示して頂けたのはちょっと助かりました。
調子に乗ってた敵が戦況・メンタル共に逆転されてウダウダ喚く展開が大好物なので今回の晴彦氏は合掌、いやスズネさん(※人間の方)から「憎むべき敵として次は悪辣に殺し合おう」言われたけどいや待てこれ絶対突然背中から新たなる敵にグサッと刺されてあうんするもんだと思ったぜ! なんか死ななかったな! 女天使共々「勝利を確信」のワードが出てきた時点で凶悪な死相が見えてたのに!!
ちゃんと次に戦う機会来るよな? 武装錬金のムーンフェイスみたく気付いたら退場してたりしないよな?
では次回もお早めにお待ちしております(プレッシャー)。
どうも。推しのデジモンを危機に追い込んでおいて十か月間放置プレイをしていた異常性癖者の後書きです。本編の扱いに従うのなら、「サッカーしようぜ。お前ボールな」と言って弄んでいたことになりますか。
鈴音の姉がトラベラーでアハトの餌食になっているのは初期から考えていましたが、肝心要の姉こと逢坂観月はこの話を書くまでで設定が変わりました。元々は変人な妹をも許容するほど優しいけど気が弱いためにプレッシャーに潰れた設定でした。ただ、鈴音からの矢印を考えるにあたって、生真面目さはそのままに既にトラベラーになる前から潰れかけている前提で不仲で若干拗れた形にしました。
今さらですが、作中の現在は2018の10月頃の年代設定です。書き始めた当初(2016年)は「2年後くらいにしておいたらいい感じになるやろ」と思ってましたが、怠慢が祟って悪い感じでずれてきた気がします。そろそろ6年、4年で50話のあの頃はいずこ。
今回のアハトのように捕食による糧の蓄積だけが進化の鍵ではないので、今後その辺りも踏まえた進化とかも出していきたいところです。メタ的に言うとやはり進化に話を絡めやすくなるので。
晴彦は酔っている感じの狂信者という設定でした。だいた神父さんに対して狂信者だの黒幕だのの印象がついてしまうのは悪いなと思いつつも抗えませんでした。
とりあえず本日はこの辺りで。次回はさていつになるのやら。