Episode.12 "ポイント・オブ・ノーリターン"
「今日の真魚くんの予定を知らないかい?」
そんな恭介からの電話に対して「は?」の一文字が口を突かなくてよかったと渡は心から思った。「バイトでもないなら女子高生のプライベートですよ」なんて冗談は論外だろう。そう断言出来るほどに彼が焦っているのが声音だけで分かる。
「多分特異点F(あっち)かと。キョウカとの戦いで消費した分のエネルギーを補給するって」
何より自分が持ち得る答えが恭介の疑念を悪い方向に強めるものであることに渡は薄々感づいていた。
「それは一人でかい?」
「いえ……ついでに誰かと話をするとか……すみません。誰かまでは」
「いや、いいよ」
電話口から聞こえる深い溜息はこちらが持つ少ない情報だけで最悪の確信を抱いた証。彼の脳内ではその確信までの筋道がきれいに整っているのだろう。何せ渡自身も口を開く度に抱きたくもなかった猜疑心が燻るのを自覚するレベルなのだ。
「何か、あるんですか」
「いるんだよ。もう一人裏切り者が」
その名前を告げられてから数秒立たないうちに渡は電話を切った。いつもの集合場所(パトリモワーヌ)に合流する手間すら惜しい。手近な場所から特異点F(あちら)に行かなければ取り返しのつかないことになる。持ち得る情報が違っても、その確信だけは恭介とまったく同じだった。
砂交じりの風に何度かせき込みながら真魚は契約相手が元気そうに跳ね回る姿を眺める。砂地が苦手そうな見た目に反してアキが元気な理由はその口元から零れる砂状の物質。既に彼女の満足のいく食事は済んでいる以上、探索目標もなければ次への準備と割り切って帰っても何ら問題はない。それでも手持無沙汰に契約相手の姿を眺めているのはまだやるべきことが残っているから。そしてそれは叶うのなら可能な限り後回しにしたい類のものだった。
「――用は済みましたか?」
「あ……いや、これから」
もう一組の同行者の催促に真魚は重い腰を上げる。覚悟は決めていた筈だ。ここまでの行動もこれから自分がすることも自分が動くべきだと思ったが故のもの。嫌というほど節穴だと分かった筈の自分の目でもピントが合うことがあるのか。それを確かめるためにここに一対一の場を設けたのだと自分を奮い立たせる。
「私らあの面子の中では仲いい方だよね」
「急に何ですか? まあ、同年代ですし、バイト先も同じですから」
「それは照れ隠し? まあいいわ。私らの仲に免じてちゃんと答えて」
独特な口調も要領を得ない会話も今は頭に入らない。表面上は今までと同じ態度の筈なのに決定的に何かが違う。その違和感はきっとお互い様で、それぞれ抱えている思惑が双方から漏れ出しているだけのこと。互いに上手く取り繕える程大人でもないから居心地の悪い雰囲気の中でじわりじわりと退路を塞ぐ形になる。それでもいずれは決定的な隔絶に行きつくことに変わりはない。
「キョウカとの戦いの間、どこで何をしていたの――椎奈?」
意を決した問いに対する綿貫椎奈の一挙手一投足が真魚にはすべて胡散臭く見えていた。右手で隠した口元はどんなかたちに歪んでいるのか。眼球の揺れが小さいのは動揺するに値しないことだからか。今彼女が浮かべている表情に本心はどれだけ滲み出ているのか。
「巽さん達と合流しようとしたんですよ」
「でも実際はしてない」
「少々トラブルがありまして」
「随分長引いたのね」
「ええ、大変でした」
「よほど大事な用事だったのね」
「そうですね。本当に大事な用事でした」
あまりに空虚な言葉の応酬。表面上は問答が成り立っているように見えても、最初から答えが分かっているのならその行動に意味などない。だがこうして無駄に時間を潰さなければ、ここまで口にしていなかった疑念がすぐに確信へと変わってしまう。そのためにここに来たはずなのに、欠片でも臆病さが残っていることを自覚して真魚は自分が嫌になった。
「それが聞きたくてわざわざ呼びだしたんですか?」
結局痺れを切らしたのは椎奈の方。だが彼女もその言葉を口にする頃には顔を伏せ、真魚の回答が返ってくるまで地面に落とした視線を戻そうとはしなかった。
「天城さんの件があるから本当のことを知りたいの。力づくでも構わないから」
表情を伏せているのは後ろめたいことがあるから。それを暴くために自分はここに居る。結論が見えた以上、真実に怯える意味もない。
真正面から叩きつける真魚の言葉は今度こそ紛れもない本気のもの。アキの目はピーコロさんの姿を捉え、口はすぐに声を出せる準備を整えている。それはさながら必殺の脅しの銃口。望む答えが得られなければ、契約相手に自死させることすら厭わない覚悟そのものだ。
「そうですか。本気なんですね」
椎奈の言葉に真魚の覚悟への称賛は存在しない。漏れる溜息は嘲笑にも似て、伏せた顔を隠すように持ちあがった左手は握りつぶすように前髪を掴む。失望と怒り。椎奈が顔を上げるまで、彼女のその類の感情を向ける様を真魚は一度も見たことはなかった。
「……はぁ、ここまで馬鹿だとは思わなかった。ああ、見抜けなかった間抜けは私か」
そして、椎奈は仮面を脱ぎ捨てた。乱暴に掴んで掻き上げた赤みがかった長髪は隔世遺伝の天然ものでささやかな誇りだったはず。そのことを二人だけの秘密だと気恥ずかしそうに話してくれた彼女は今、羽音が耳障りな蚊でも見るような目で真魚を睨みつけていた。今までの丁寧な言葉遣いを捨てた乱暴な口調には端々に漏れていただけの辛辣さを隠す気もない。
真魚も椎奈の仮面には薄々気づきながらも個性として受け止めていた。ただその奥にあるものの刺々しさは予想を超えていた。
「ちょっと待って……それが椎奈の素ってわけ?」
「何か悪い? こっちは無駄話する時間ないんだけど」
ギャップに困惑している猶予などない。それが真魚に椎奈が与える最後の忠告。本性を出した瞬間から、椎奈にとってもう真魚は仲間ではなく標的となった。その意味を真魚はまだ正確に理解できていなかった。
「なら本題に」
「話す時間はないって言ったんだけど。――もういい。さっさと始めて」
一方的な宣戦布告。素直に質問に答える気がない以上、力づくで椎奈に問いただすしかない。椎奈が戦端を切るのと同時に真魚はアキに発声許可を出していた。響く音色は対象の自由を奪う第一曲(ポリフォニー)。ただ一体に捧ぐための歌は対象を絞っている分その効力も強くなる。同じ進化段階が相手ならば聴き入ったその瞬間に詰みだ。――観客が席に座っていればの話だが。
「一対一なら能力で人質に取れると? 自惚れ過ぎ」
アキの口から声が出るコンマ二秒前にピーコロさんの姿は消失していた。真魚もピッコロモンという種が持つ瞬間移動の能力を失念していた訳ではない。歌い始めてからアキは裏を取られないように絶えず移動しつつ、声音を変えて効果範囲を拡大し反撃に備える。だが反撃が来ることも観客が現れることもない。ピーコロさんの瞬間移動の範囲を真魚は正確には知らないが、結局は戦場から離れたかどうかのニ択。ピーコロさんが次に仕掛けるタイミングが分からない以上、アキは常に歌声を響かせなければいけない。
「もしかしてアキの喉が枯れるまで時間稼ぎするつもり?」
「は? だから時間ないって言ってんでしょ。心配しないでもそいつはすぐに真っ二つになるから」
「爆破するの間違いでしょ」
そもそも椎奈が口火を切った段階で、先に銃口を突きつけられていても先手は椎奈の側にあった。言ってしまえば状況以前の話で、それを組み立てるまでの精神的な面で椎奈は一歩先を行っている。真魚は仲間に問いただすためにこの場に降り立ったのに対し、椎奈は標的を仕留めるためにこの場に居るのだから。
「間違ってるのはそっちの前提だっての」
椎奈がそう吐き捨てた三秒後、真魚の目前で爆弾が爆ぜる。攻撃手段を考えれば歌の効果範囲外である頭上から爆弾(ビットボム)を投下するのは真っ先に考えられる一手。だが想定していたのはアキの頭上からの攻撃であって、自分には仕掛けられないと真魚は考えていた。そもそもX-Passのバリアで護られている自分にモンスターの攻撃は通らない。つまりこの爆弾の目的は攻撃ではなく目くらましと爆音による歌の妨害。一発限りではなく断続的に投下される以上この爆弾が本命でないことは間違いない。爆発に紛れて距離を詰めて本命で叩く手筈。分かりやすい程の一転攻勢だ。ここに来て馬鹿みたいな力押しに出るのなら選曲を変えるまで。
椎奈の目前まで距離を詰めて歌うのは第三曲(カノン)。歌声が変化した物理的な音波弾は椎奈を守るバリアに悉く弾れてアキの周囲を不自然な軌道で飛び回る。
命中すれば別の敵にも必ず命中する。音符弾のこの特性により、一見やけくそに思える音符弾の無駄撃ちも全方位に対する防御陣と化す。――それを理解したうえで、椎奈はアキの奮闘を鼻で笑った。
「――え?」
何かが爆煙の中に飛び込んだ。真魚が視認できた事実はそれだけで、後に何が起こるかもそれに対してどう対処するかべきかも分かりはしなかった。
アキに指示を飛ばすより先に爆煙は晴れ、アキ自身が展開した跳弾の防御陣は既に役割を終えたのか見る影もない。真魚が確認できたのはグランクワガーモンのクロム――秋人の契約相手の両顎に捕らえられている自分の契約相手の姿だけだった。
「悪いな、嬢ちゃん。最初っからタイマンじゃねえんだ」
「くろ、きば」
クロムとその上で笑う秋人こそが真魚が間違えていた前提。本性を晒すことを決めた以上、椎奈は標的を仕留めるために手段を選びはしない。晴彦の裏切りが明らかになった翌日には自分の素性が暴かれるのを考慮して本当の仲間と話をつけていた。この場に立った段階で、準備も覚悟も真魚は椎奈に何手も遅れていたのだ。それが一番の敗因。それを取り返す機会を与える程、この世界もそこで戦う者も甘くはない。
「相方の死に目くらい見てやんな」
「待って、やめ」
閉じる黒のギロチン。胴から分かたれた上半身は軽く跳ねた後にクロムの頭上で現れたピーコロさんが杖で串刺しにして回収し、残った下半身は体を逸らしたクロム自身の口の中に収まる。
「なん、え、うそ……」
呆気ない最後に真魚はただ地面にへたり込み、言葉にならない声を零す。契約相手を失ったことはどう足掻いても否定しようがない。X-Passからは契約時から輝いていた色が抜け、自分の中の軸が一つ消えたような虚脱感が身体を覆っている。最早彼女には新たな契約相手を探す気もこの場から逃げ出す力も残ってはいなかった。
「――想定より時間が掛かりましたね」
「誰の尻拭いだと思ってんの?」
無気力なまま見上げる空には成熟期(アダルト)相当のデクスが四体。日頃見る荒々しさからは遠い落ち着いた所作の理由はその背から降りた四人が飼い慣らしているからだろう。
「そう言うな。上手くいったならそれでいいだろ」
「アルがそう言うなら、まあ」
「あれ、機嫌直った?」
「リタうっさい」
裏切り者第一号の晴彦を除いて、二人は恭介から報告を受けたアルという男とリタという少女で間違いない。
「で、真魚で合ってた?」
「――ああ、確認した。椎奈、申し分ない働きだ」
「それはよかった。神父さん残念。減らず口には乗らないって」
「最初から私は異を唱えるつもりはないが」
「顔真っ赤で言っても説得力ないから」
残り一人は空軍パイロットに似た装いの上に分厚いマントを羽織った男性。そのシルエットと僅かに覗く肌から、アルよりは年上の日系であると見当はつく。だがゴーグルで覆った目元のせいで顔立ちや表情までは読めない。分かるのは椎奈達から本当の仲間意識と敬意を持たれるリーダー的存在であることだけ。ただ、真魚の虚ろな目は彼に妙な既視感を覚えて視線を逸らせなかった。
「そこらへんにしておけ。遥か遠方からの客人だ」
真魚を取り囲む裏切り者とその一派はリーダーの言葉で口を閉ざして彼と同じ方向をまっすぐ見据える。釣られるように真魚が視線を向けた先には契約相手(モンスター)を駆るコミュニティの仲間達がこちらへと向かっていた。力が抜けて声が出ないのが今の彼女にとって唯一の救いだろう。この状況で一番会いたくない存在に何を言ってしまうのか分からないから。
「アキは……お前ら、真魚に何をした!?」
中でも一番聞きたくない怒りの声が耳朶を叩く。どうせ感情を露わにして怒るのなら、奴には自分自身への理不尽に怒ってほしかった。
手遅れだった。ただそれを当然と思う自分も居た。そんな自分を渡は初めて嫌いになった。
仲間に呼びかけた恭介よりも先に飛びこんだ筈なのに見当はつかず、結局は爆発音を聞いた誰かの報告に慌てて便乗して合流する形になった。
他人にもう少し関心を持てばよかったと今日ばかりは思わずにはいられなかった。予定を掘り下げて手がかりを掴んでおけば、一人で飛び出すような真似はさせずに済んだかもしれない。だがそんなものは前提から無理な話。自分との貸し借りという一方的な軸を優先して他人を見ていた自分には、他人が別の他人と向き合う前の機微など分かる筈もなかった。
「アキは……お前ら、真魚に何をした!?」
それでも叫ばずにはいられなかった。自分を気遣ってくれた女の、危険を覚悟で掲げた希望を踏みにじられて黙っていられるほど渡は情がない訳ではない。借りを感じている相手が苦しんでいる。それだけで敵に報いを受けさせる理由には十分だ。
「見れば分かるだろ。耄碌するには早すぎるぞ」
感情のままに怒号をぶつけた者は渡以外にも多くいた。だが、空軍パイロット風の男は渡の方を見てその怒りを嘲笑ったように見えた。敵意に鋭敏な割には自意識過剰だと欠片でも思える程に冷静ではない。互いに敵意を向けていることが分かった以上、迷う要素は何もない。
「殺す」
恭介の緊急招集に集まったのは渡と恭介を含めて計十二名。数の差は大きい。モチベーションは言うまでもなく、大半が自分と同じだけの怒りを契約相手に注ぎ込んでいる。一人残らず消せ。目の前の敵は存在しなくていいものばかりだ。弱肉強食の世界の理を蹂躙という形で思い知らせてやる。
「止めなさい」
穏やかだが厳格な声が全会一致の突撃姿勢を遮る。自分達を呼び寄せた当人が何を言うのか。沸騰した熱意は予想外の言葉で虚を突かれためか一気に萎えて、目線と注意は真意を問いただすべく発言者へと一斉に向かう。注目を一点に浴びる恭介は発言の意図を口にする代わりに顎を上げて自分と同じ方を見るように誘導する。その先で囚われている仲間を見て、ようやく全員が自分の立ち位置を理解した。
「仕掛けてこないのか。お前らの覚悟とやらはその程度か」
「無防備な仲間を巻き込みたくはないよ」
「他の連中はそうでもなかったようだが」
真魚を腕の中に捕らえた空軍パイロット風の男の言葉がいやに突き刺さる。言葉に込められた棘以上に苛立ちが頭に巣食って脳に食い込む。平静を装って話している恭介も手元に戻せば衝動を抑えるように爪が食い込むまで拳を握っていた。人質の存在が無ければ彼も考え無しに戦端を切っていただろう。
「別に恥じる必要はない。俺を殺せと『それ』が五月蠅いんだろう。『ルート』もケツに火が点いたらしい」
男が指差すのは恭介の左手、その手首に嵌められたトラベラーの証(X-Pass)。釣られるように手元に視線を移した瞬間、男の言葉の意味とこの機械の存在理由をその身でようやく理解した。
「――あ」
――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。そいつを殺せば模造品は消える。そいつを消せば脅威はなくなる。人類種の消えた先で我らは安寧を得る。
「聴いたみたいだな」
原理は分からずとも脳裏に響くその声は確かにX-Passから届いているのは分かった。これを与えた者――男の言葉を借りるのならルート――が自分達に課した命令は「X」なる人物を探すこと。その後に下される命令を考えなかったわけではない。契約相手を鍛えることが自衛のためでないのなら、Xを探させた何者かがその力を振るわせたい先はただ一人。
「トラベラーの目的として探させていた『X』――そいつは俺だ。俺を殺すためにお前らは連れてこられたんだよ」
自分こそがトラベラーの敵だ。改めて宣言した男を考え無しに攻撃する者は居なかった。自分の思考に介入しようとする思念も存在を自覚をすれば抑えられる。務めて冷静に敵達を見据えれば今まで見なかった者も見えるようになる。
「君は……君達は何だ」
「そんなことお前らももう分かっているだろう」
秋人や裏切り者の椎奈と晴彦を除く三人の腕にはX-Passはない。トラベラーではないとするなら彼らは何者か。そもそもあのコスプレじみた装いは何だ。その答えには既に辿り着いていた。――ずっと前に気づいていたのに見ないふりをしていた。
「俺達はこのクソッたれの未来を託された生き残りだ。で、デクスを造れる俺はそのまとめ役をやっている。――自分で言うのもなんだが、俺は人類の希望って奴らしい」
トラベラーとして過去から来たわけでもないのなら、最初から未来(ここ)で生きていた人類という可能性こそ一番筋が通る。モンスターが跋扈する世界を生き抜くために地下で生産したデクスを操って地表の脅威に対抗していた未来の人類。それがレジスタンスと名乗った彼らの正体。ならばそのまとめ役を殺せと唆す声は何だ。願いのために彼らに武器を向けている自分達は何だ。
「信じられないだろうが、ここも八年前までは人間様が騒ぐ繁華街だった。そいつがほんの数日で全部無くなった。何故か分かるか」
目に見えて戦意が失意に変わっていったところで、男――Xは過ぎ去った栄華とその崩壊に思いを馳せるように語る。
「どこぞの馬鹿が怪物に身体を与える魔法を全世界にばら撒いたんだ。そいつに土も空も覆われる頃には人類の大半は壊滅。可能なだけ備えていた俺達は絶滅を待つ生き残りとして懸命に生きているって訳だ」
たった八年前のこと。口にした言葉が真ならばすべてが壊れる瞬間の光景は一際強い記憶として刻まれているだろう。それはきっとアルやリタ、そして彼ら以外に生き残っている人類すべてが同じ筈。彼らにとって豊かな過去から自分達の希望を殺すために呼ばれたトラベラーはさぞ許し難い存在だっただろう。
何せ今聞かされたトラベラー達自身が酷い自己嫌悪に苛まれている。執拗に攻撃を仕掛けていた秋人や自分達が裏切り者と罵った晴彦と椎奈の考えも今なら分かる。彼らは自分達より早い段階でその真実を知り、自分達の願いを捨てて未来の人類のために戦うことを選んだのだろう。
「それを話したうえで私達に何を望む? そこのお三方のように協力しろと」
突き付けられた現実を誰もが咀嚼し切れていない中、鈴音はごく冷静に話を次の段階に進めるよう促す。ここまでは地下工場で明かされるはずだった過去。それを理解させた上で取らせたい道が奴らにはあるはず。そのために先走った真魚を餌に自分達を釣り出すつもりだったのだろう。今の状況はそれが少し早まっただけに過ぎない。
「お前が逢坂鈴音か。……なるほど、本当に変わった女だ」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
「そうするといい。さて、お前達にはそちらを選ぶ権利もあるが、もう一つ選択肢を用意してやる」
不意にXは真魚を抱くようにしていた右手で彼女の右腕を掴み、そこに固定されたX-Passを全員に見せるように持ち上げた。真魚に抵抗する気力がないことを確認したうえで、もう片方の手で懐から取り出したゼロ年代の折り畳み式携帯電話に似たガジェットのキーを親指一本で叩く。一通り操作を終えたところでガジェットを真上に翳した直後、彼の頭上で命令を待つデクスのうち一体の身体が末端から粒子に変わってこの場から消え失せた。その現象の理由と意味に対する問いの答えをXはトラベラー達に与える選択肢として示す。
Xが持つガジェットからケーブルが伸びる。意思持つ蛇のように伸びるその先端は真魚のX-Passに突き刺さり、内部のシステムへの介入を開始する。青一色に染まる小さな画面に流れる白色の文字列。人が造った異分子に侵された端末は即座に降伏し、敵である者からの恵みを無警戒に受け入れる。真魚のX-Passが得た結果は灯る筈のない七つ星の内一つの点灯。それが意味することをトラベラー達はすぐにその目で見届けることとなる。
「――あ。これって……」
灯った光が弱まるのと同時に真魚の姿が、その存在が薄れていく。その変化は何度も見た様相。だが今の真魚にはあり得ない現象。だが現実として、契約相手を失った筈の彼女は現代へと戻ろうとしていた。
「さようなら。二度とここに来ることもないだろう」
Xのその言葉を最後に真魚はこの時代から完全に消失する。彼の言葉と自分達の目を信じるならば彼女は現代に戻ったのだろう。そのすべてが嘘をついていないということだけは揺らぐ心の中で確信を持てた。
「これで小川真魚は上がり(リタイア)だ。あちらに戻る頃には縛り付けていた玩具は砂にでもなっているだろうな」
「それはよかった。デクス一体を潰せば人一人安全に返すことが出来るという訳だね」
「無論トラベラーを辞めてもらうことにはなるが」
未来の人類のために戦う正義の味方に人質はもう要らない。トラベラーこそが未来の人類の敵であることを理解した今、善良な人間にXが与えるニ択はその力を放棄するか未来のために使うかのどちらかだ。それでも自分の願いを優先する者が居るとすれば、それは余程の死にたがりかどうしようもないエゴイスト。そんな人間を殺すことに彼らは躊躇しないだろう。
「契約相手を差し出せばこの戦いから解放してやる。まだ戦いたい物好きは俺達に手を貸せ。例外は殺す」
Xが告げる最後通告。受け止めるべき現実と決めるべき道を提示したうえで彼は問う。お前達はここに至っても自分達の敵でいるつもりかと
「なんだよ、それ」
「……もういい。いい加減疲れた」
「許せない……呼び寄せた奴も、今までの自分も」
「けど……それでも……クソ」
願いを捨てることを前提とする選択肢に対する反応は様々。咀嚼が終わらず決断を下せない者。戦いそのものに嫌気が刺してこの瞬間を絶好のチャンスとして捉える者。義憤に燃えて自分にとっての敵味方を再定義する者。事ここに至っても自分の願いを諦めきれない者。
「カインを……裏切れって言うのか」
その中で渡はただ契約相手を捨てる要求に対する嫌悪感を口にしていた。自分が掲げる願いや巻き込まれた不条理ではない、モンスターとの契約関係という副次的な軸に基づく言葉。的外れとも言えるその言葉を聞いた大半が目を丸くした。
例外は二人。それぞれ笑ってはいるがその種類は全く異なるものだ。鈴音が口元に浮かべるのは親しみと愉快さで柔らかい笑み。Xが声を上げてぶつけるのは失望と諦観からなる嘲笑。
「心配しなくてもお前にだけはそのバケモノを裏切らなくていい道を用意してある」
ひとしきり笑った後でXは渡に語り掛ける。不気味なほどに親し気な口調。芝居がかったというには演技は大根役者過ぎて一個人に対する敵意と殺意が隠しきれてはいない。
「今ここで死ね」
Xがそう言った直後、カインの頭上に一つの爆弾が投下される。渡がそれに気づく頃には既に手遅れ。出来ることは耐久面に割り振りなおすことだけ。
「邪魔すんな、陰湿眼鏡」
「眼鏡以外は君ほどじゃないさ、綿貫椎奈」
だがそれはほとんど無意味になる。何故なら爆発圏内にカインが入るより早く爆弾そのものがあらぬ方向に飛ばされたから。
「それにしても例外がまさかこういう意味だとはね。驚いたよ、誰か(X)さん」
「こっちは気にかける奴が居ることに驚いている。男を見る目が無いな」
「どうかな。そういう対象として見たことは今のところないけど」
契約相手(アハト)に狙撃を命じた鈴音は渡に向けたのと同種の笑みをXに向ける。ここに至って彼女は依然ニュートラル。いっそ不気味な振る舞いがXには契約相手の力量以上に厄介に見えた。
「貴様、何故Xの邪魔をした!? どの立場で物を言っている!!」
「私はずっと自分の興味の味方だよ」
「ふざけるな! 善悪の区別もつかん下賤な女め!」
Xはまとめ役としての視点が残っているから彼女をそう評価したが、レジスタンスとして自然な反応は寧ろ声を荒げる天城晴彦のものだろう。
本性が血気盛んな彼の声とともに聖女ダルクモンがデクスを伴って飛び出す。向かう先はアハト。乱射するエネルギー弾を弾きながら一気に距離を詰める。その速度と執拗さは契約相手譲りと言ったところか。
射程圏内に捉えて剣を振りかぶる。その目の前で突然巻き上がる大量の砂。高高度まで持ち上げる程の衝撃を出せるモンスターはこの場に一体しかいない。
「烏合の衆のまとめ役が何のつもりだ、巽恭介」
Xは僅かな期待を籠めて問い掛ける。巽恭介は集団の精神的支柱であると同時に契約相手の力量もずば抜けている男だ。彼一人が靡いてくれれば事は単純かつ平穏に終わるだろうと考えていた。彼の立場でも無益な争いを避けてまとめ役として仲間を安全圏に置こうとするのならばレジスタンスの手を借りるのが正解のはず。その道を捨ててまでこの男は何をしたいのか。
「率直に言おうか。――一旦保留にさせてほしい」
意味のない時間稼ぎ。束ねる規模は違えど自分と似たような立場の男が口にした提案にXは失望の視線を向ける。だが彼と真正面から目を合わせた瞬間、それが過小評価であるとすぐに訂正した。
「私だけじゃない。この場全員が答えを出す時間が欲しい。もちろんそこの二人も例外ではないよ」
「随分と気に入っているみたいだな」
「機会は平等に与えられるべきだと思っただけさ」
心中で訂正した評価は年齢不相応の馬鹿者。不要な少数を切り捨てることのできない甘ちゃん。生きてきた時代と積み重ねた個人の価値観の違いでまとめ役としての在り方も異なる。それを互いに認識したところで、Xは恭介が致命的な勘違いをしていると思い至った。
「その男にそんなものを与える価値などない」
「彼が八年前にやらかした馬鹿だからかい」
その驕りこそがそちらの勘違いだと恭介は唾を吐く。看破した真実に鈴音を除くトラベラー達は一斉に渡に視線を向ける。珍しく動揺を露わにした彼の表情からその行動が意味を為さないと分かっていてもすぐには逸らすことはできなかった。
未来を変えた危険因子(キーパーソン)。それがずっと近いところに居たことに受けた衝撃は大きい。だが一方でその告発に不思議と納得している部分もあった。
「俺が、そうなのか」
「いい顔だ。やはりさっき死んでおくべきだっただろう」
渡の声音が震えるのも泣きそうな顔を浮かべるのを見るのもこの場の誰もが初めてだった。良くも悪くも芯が通って意固地な面があり、自分や他人が齎す結果に対してはドライなまでに躊躇なく行動する。迷う素振りを見せなかったそんな男が自分がいずれ大罪を犯すという事実を前に揺れている。
「なんでそうなる……俺はそこまで……」
「知るか。頭のおかしい奴の考えることなど理解もしたくない」
何がいずれ自分をそうさせたのか。その真実は過去の当人にしか分からない。
「……駄目だ。ここまで言われても、まだ死ねないって思う。まだ誰にも何も返せていないから」
「そうだな。そんなお前だからすべて台無しにするだろうことはよく分かった」
ただその芽があることだけは自他ともに認めるしかない渡の本質。どこで道を誤まるのか。そもそも今の道の先がどん詰まりなのかは分からない。ならばいっそ可能性そのものを潰すのは他のトラベラー達の未来を思えば確実性のある選択肢ではある。
「で、あんたは察していてなお庇ったのか。いずれやらかすのなら今消しておいた方が都合がいいだろうに」
「そうだとしてもまだ何もしていない仲間を捨てたくはないんだ。それに彼を消したところでこの未来が変わる保証もないし、私達の未来が必ずここに繋がるとは限らないじゃないか」
「自分達が立っている分岐点を分かった上でそれを言うのか。聞いていた通り、本当に甘い男だ」
「私がまとめ役らしく振舞えるのもきっと最後だ。今日くらいは今までの仲間の前でそう振舞わせてくれ」
若者の未来を信じる男がまとめ役だったのがXにとっての一番の誤算だった。契約相手の力と図体だけで充分厄介なのに、まとめ役という仮初めの立場の有効期限が分かる程度には状況が見えている。何より自分がこの場で一番強い自覚を持っている。
「いいだろう。あんたの口車に乗ってやる」
Xの言葉で秋人を除くレジスタンスの面々は警戒態勢を解いて空のデクスを呼び寄せる。まとめ役が下した結論にも彼が口元に浮かべた恭介への最終評価にも異論はない。Xに対する信頼と自分達の信念に対する自信。自分達がこの世界で生きる人類の味方である確信でレジスタンスは最初から何歩も優位に立っていた。
「俺達の敵でない者は明日同じ時間にここに来い。リタイアでもコンティニューでもその聡明な判断を讃えよう。――それ以外は全員見つけ次第ルートの使者と見做して殺す」
その言葉を最後にXは降下してきたクロムに乗って飛び去る。デクスに乗るレジスタンスもすぐに後に続き、猶予を与えられた罪人(トラベラー)達だけが残された。
見えなかったものも見なかったもの真正面から受け止めた。ならば出来ることはこれからの道を選ぶことだけ。
願いを捨てて日常に戻るか。それともこの未来のために戦い続けるのか。はたまた、罪人(トラベラー)のままで居続けるのか。
抱いた答えはその人だけのもので、そのベクトルが一方向でないのなら集団(コミュニティ)が保てなくなるのも必然だ。そもそもいつからひびが入っていたのかも今となっては分からないが。
>> 夏P 様
毎度の感想ありがとうございます。
アキの死と真魚の脱落からトラベラー達の足元を崩すまでが第一部で、想定では三部くらいになるのかなと思ているので終わりまでにはまだ掛かりそうです。……終わりまで書きたいですけど。
レジスタンス側からまっすぐに正当性を主張されてリタイアの道も提示された今、トラベラー達は三つの選択肢という形で振るいに掛けられたわけで、前回コミュニティが一致団結したところを書きながら内心ヤベーなあと思っていました。
感想が遅くなりましたがそんなわけで夏P(ナッピー)です。
脱落者と明かされる裏側が怒涛の如く押し寄せて、龍騎SPのコアミラー破壊のように明確な選択肢(ゴール)が示された感じ。というかアキあっさり真っ二つに! 気づけば一気に話が動いたというか終幕に向かっている感!
というか物騒なセリフが多すぎて震えるぜ! そっか、まだキョーカさん散ってから二話か三話しか経ってないのか……まだまだ先は長いと思ったのにまさかこんなことに。割と今まで読んできたデジモン小説の中でも特異な集団(コミュニティ)というものに重きを置いている作品でそこが興味深いポイントでもあったので、それが崩壊の一途を辿るとなれば果たしてどうなるのか。
では次回もお待ちしております。