
Episode.11 "other side"
「すまない。地下の生産工場(プラント)へ潜入作戦は失敗だ」
「止めてください。助けられた側の俺達には何の権利もありませんよ」
帰還してすぐに渡がしたのは、床に膝を着こうとした巽恭介の上体を持ち上げることだった。まとめ役がノータイムでメンバーの前で土下座しようとする姿は、未来の死地に引き摺られていた渡達の思考など現代の洋菓子店へと力づくで引き戻すには十分だった。
霞上響花とナーダ、響花の愛が産んだグランドラクモンという化け物との戦闘。黒木場秋人とクロムの介入。度重なる危機の中で生き延びられたのは恭介とその契約相手たるマメゴンの存在があってこそ。助けられたことに対する恩はあれど、失態を糾弾するような恩知らずはこの場には存在しない。
「……何があったんですか?」
それでも事実だけは問わねばならない。ただの失敗であれば恭介も特異点Fでの頼もしさを維持したまま謝罪と説明をこなしたはず。それすら出来ない程に厄介なことが立ちはだかり、究極体への進化という事象によって辛くも逃げ延びた。まだこの店に残っている調査班の顔がそう語っていた。
デクスを生み出す地下生産工場(プラント)の調査。その直近の最重要タスクを霞上響花の一件と並行で行う方針にできたのはそこに割ける人員に余裕があったから。あくまで本質は潜入調査。工場内に生産に関わる人間が居ることが分かっている以上は雁首揃えて乗り込むのは早計だ。相手の総数がある程度分かっていれば他の方針も考えられただろうが、まずはある程度小回りの利く人数で潜り込んで規模を把握するのが先決。
小規模で動くのなら発見の翌日にでも動くべきだという意見や慎重になりすぎているという意見もあった。そしてその発言者のうち独断で調査に赴いた二人は、その日以来コミュニティでも特異点Fでも姿を見かけなくなった。その事実は調査班の候補の間に緊張感を高まらせ、恭介に自ら調査班を率いることを選ばせた。
他のメンバーは鶴見将吾と真壁悠介と天宮(アマミヤ)悠翔(ハルト)の高校生三人に、大学生の雑﨑(サイザキ)、草介(ソウスケ)、そして中年神父の天城晴彦。六名の男所帯で潜入班として潜り込み、一定時間経っても戻ってこなければ待機している面々で顛末の確認と可能な限りの救出を行う予定だ。
調査の開始は一時間ほど前。探索目標から三百メートル程の座標に転移した六人はまず各々の契約相手を廃墟の物陰に隠しながら、大回りするような迂回経路で基地へと向かう。幸い周辺には産まれたてほやほやのデクスの群れが盛っているということもなく、草の少ない砂煙舞う荒地に廃墟が連なる見慣れた殺風景に安心感すら覚えることになった。
「黒羽が戻ってきました。地上に敵影はありません」
「シドの方も終わりました。透明化ほどではないですけど存在感は薄くなった筈です」
「数が数だし仕方ないだろ。月丹はそういう器用なのは出来ないから助かる」
「うちのゾーンも同じだ。ザッソーらしく茂みに潜むなんてことも出来なさそうだからなお悪いかも」
「戦闘面で仕事をすればいいと言いたいところだが、そういう仕事は起こらない方がいい」
「そうならないように努力しろってことだろ、天城さん」
アウルモンの黒羽による偵察にソウルモンのシドによる隠匿の魔術。この場面では使えないだけで草介のゾーンにもザッソーモンの特性を生かした特技や強みがあるのは経験に裏打ちされた自信から分かる。ただ希望者が頭数を揃えた訳ではない。割り振られた役割以上のことをこなせる仲間が居ることを再確認して将吾は気を引き締める。
「準備は整ったね。行こう」
静かに素早く足を動かすこと三分。辿りついた廃墟の床には目印をつけたタイルがある。それをずらして露わになるのは地下数メートルまで伸びる大きめのマンホール程の半径の穴。人間達が梯子伝いに慎重に降りた後、器用に手足を動かして同じように降りるのはゾーンとマメゴンだけで、他の面々はそれを嘲笑うように優雅に舞い降りた。
「……開きはしたよ」
「どうかしました、巽さん?」
「いや、とんとん拍子に行き過ぎな気がしてね。今さら不安になってきたよ」
前回見つけた時の裏口が今回も使えることは確認済み。扉を開けるための認証コードも事前に得ていた情報からの変更はない。周囲にデクスが一体も居ないことや随分なセキュリティの甘さでスムーズに事が進むのはいっそ気味の悪さすら覚える。
「慎重になり過ぎかと。若人も私達以上に肝が据わってますよ」
「神父さんが精神論でごり押すのかよ。まあ、ここまで来て退くのはなしだろ」
「そうだね。確かに肝は据わっているようだ」
この奥に居る相手の目的どころか素性すら分からないのだから不安も当然のこと。だが、それを少しでも晴らすためには進むしかない。常に即時撤退を脳裏にちらつかせながら、覚悟を決めて謎の眠る蔵へと一同は足を踏み入れる。
「ここが……地下生産工場(プラント)」
踏みしめた床の材質も壁や天井を構成する素材も、急ごしらえというには素人目に見てもしっかりしている。明かりは灯っては居るが視野全体を照らすには足りず、天井を這う金属管や錆びついた金属の階段には哀愁のようなものすら感じられる。だがこの一本道の通路で得られる情報は表皮と呼ぶにも烏滸がましい程度のもの。この場で行われていることを知るにはその先へと進まなければならない。
「偵察班散開。物陰に隠れるように」
黒羽を先頭に月丹、シド、晴彦が聖女と呼ぶダルクモンが順に静かに空中を翔ける。できるだけ壁や天井の金属管に身を潜めて進めるクリアリングは扉を開けるときと同じくらい拍子抜ける程に順調に進んだ。
曲がり角から工場の全容を覗いてまず抱いた印象は異様の一言だった。高さ二メートル近い様々な設備は計画的に等間隔に配置されており、その合間を縫うように自動制御の車や運搬用のエレベーターが床上や天井を忙しなく動く。階段や簡易エレベーターが交差する立体迷路のような構造はここが地下であることを忘れさせる。生き物の体内のように熱気すら感じるその空間は現代の工場からさして離れたものではない。だが、一点だけフィクションでしかそうそう見ない類のものがあった。
それは中心近辺に碁盤の目のように並べられた多数の高さ二・五メートル程のカプセル。一辺が九だから単純計算で数は八十一。そのすべてが培養液のようなもので満たされ、成熟期相当のデクスが胎児のように丸まって浮いていた。
「あれ、全部死んでるってことはないか」
「全員産まれる前でしょうね」
生産工場とは聞いていたが実際に現実を目の当たりにすると目を背けたくなる。それが許されない以上は唾を呑み込んで静かに呼吸を整えて見据えるしかない。何故こんなところでデクスが作られているのか。そもそもここは何なのか。黒木場秋人らとは何の関係があるのか。その一端を探らずして帰る訳にはいかない。
「黒羽から信号あり。やはり無人ではないようです」
「数は分かるかな?」
「二人。おそらく二十代の男性と……中学生くらいの少女です」
これも事前に聞いていた情報ではあるが、事実確認が取れる場に居合わせると言葉の重みが変わる。ここに人が居ること自体は意外なことではないが、そこに中学生くらいの少女という存在を当てはめるのは妙に違和感があった。トラベラーにも大野寧子という存在が居る以上はあり得ないことではないと割り切れる筈なのに、虫の知らせに似た嫌な粘っこい感覚がどうしても付き纏う。
「寧ろ都合がいいのでは。平和的に話でもするのはどうだろうか」
「神父ジョークとしては趣味が悪いですよ。初手から俺達はどう見ても不審者なんで」
「いっそ殴り込むか。あの数なら寧ろ話すよりシメた方が早いだろ」
「あそこのが全部出されたらやってられないから。まだバレない方がいいって」
晴彦と将吾の半分冗談じみた言葉で悪寒を振り払って意識を切り替える。あくまで冗談は半分。最悪直接やり取りする可能性を考慮に入れながら、この場をやり過ごす道筋を考える。シドの魔術が働いている間に二人の認識の外で移動すれば問題ないはず。
「――本当ジョークがきついわ」
その判断が既に手遅れであると告げる声。垢ぬけていない筈なのに妙に貫禄を感じる不思議な声音の主は分からずとも、それがどんな人間かは全員が理解した。それは粘っこい違和感の原因にしては瑞々しく鮮烈な声だった。
「そう言うな、リタ。今日の芝居はこれで終わりだ」
諫める声の正体を勘繰る必要もない。最初から自分達は一手遅れていたのだ。黒羽が二人の姿を捉えた段階で、自分達は彼女らの掌の上に乗っていた。
「だそうよ。聞こえてるんでしょ」
「ッ、月丹!」
反射的に叫んだ将吾の目の前で月丹が落ちる。床で頭を打つより先に受け身を取ったその身体には幸い傷はなく、敵の一撃を受け流したであろう鎧には見覚えのある天使の羽が乗っていた。
「――君の言った通り、速攻でシメた方が早いと思ったんだが。我が聖女の剣を弾くとはなかなかやる」
証拠から推測するより犯人が自ら名乗りを上げる。振り返って見たその表情にも殺意を隠しもしない声音に大した変化が無いのが寧ろ怖い。いつから寝首を掻こうと狙っていたのか。聖職者を名乗るのが烏滸がましい程に穏やかな振る舞いの中にどす黒い刃を隠し持っていた。
「どういうつもりなんだ。天城くん」
「もちろん、こういうことですよ。巽さん」
通路に突風が走る。思わず諸手で顔を伏せた間に目の前から天城晴彦の姿は消えていた。逃げたのかという疑念は反対側の壁に突き刺さった剣が否定する。その一投が自分達の退路も否定するものだと理解した時、自分達が想像以上に悪い状況に置かれていることを思い知った。
「隠れてないでお話しでもしましょう。何故裏切ったのかとか気になりません?」
ホームに招いたタイミングで裏切った以上はダルクモン以外の手があちらにあるのは明白で、その可能性の一つには容易に検討がついてしまう。増援が来る回収予定時間には遠く、長話などの時間稼ぎは相手の望む話題でなければ成立しない。腹は立つが裏切り者の言う通り、彼らの事情を直接聞けることはメリットではある。結局のところ、まんまと誘われ裏切られた段階で彼らが望まない選択肢は消滅した。
「いきなり攻撃を仕掛けない辺り本当に話をする気はあるようだね」
「ええ。そのために我が聖女には剣を捨てて貰ったのです」
月丹と黒羽を手元に戻したうえで観念したように通路を抜けて姿を晒しても宣言通り攻撃はしてこない。アーチ状の鉄橋から見下ろす晴彦達を睨み返しても彼らはこの状況に落ち着くことを知っていたかのように眉一つ動かさなかった。
「へえ、こいつらが。神父さんの性格の悪さには同情するよ」
「心にもないことをよく言うわ、アル」
晴彦の隣に佇む二人組は概ね悠翔の報告や声から得た印象通り。
アルと呼ばれた男性の方は浅黒い肌と頭頂部で束ねたドレッドヘアが特徴的で、ガムでも口にしているのか話していない時も忙しなく口元が動いている。これ見よがしに抱えている狙撃銃がこけおどしにならない油断のなさが遠目でも感じ取れた。そのせいか茶色のミリタリージャケットの上から小麦色のマントを羽織るその姿も妙に様になっている。
少女――リタの方は確かに寧子と同年代と思しき体格をしているがその目や振る舞いは同年代のそれよりも荒々しく気高く見えた。天然物のアッシュブロンドの髪や色素の薄い肌も相まってまるで若い狼のよう。左手に持つナイフや右手に持つ拳銃もお飾りの玩具でない程度に使い慣れているのが見て取れた。アルと似た装いも背伸びに感じない程には様になっている。
「ずっと前から君は彼らの仲間だったんだね」
「ええ。救うべき同胞ですとも」
「黒木場秋人もかい?」
「同じ目的の元行動してますよ。心底不服なことですが」
芝居がかった言い回しはともかく晴彦は質問に答える気はあるらしい。裏切られたことを抜きにしても振る舞いの一つ一つが癪に触る。それでも気持ちよく話してくれるというのなら晴彦のペースにあえて乗った方がいい。
「君達の目的? トラベラーとしての願いではなく?」
「ええ。そもそも正体を晒した以上、私はもうトラベラーと名乗るつもりはありませんよ」
今までそう偽るのが苦痛だったかのように歪めた晴彦の表情は今まで見てきた彼のどの表情よりも真に迫っていた。隠す必要が無いから晒したその素顔が自分達に対する意図的な侮辱であることを認めることで、恭介達は晴彦達との断絶を真に理解する。
「――レジスタンス。私は彼らレジスタンスに与する者です。トラベラーなどという我欲に塗れた者と一緒にしないで頂きたい」
それがトラベラー達の前に立ちはだかる組織的な障害の本当の名。群れることなく互いを食らう野生のモンスター達とは根本的に異なる、デクスやモンスターを道具として目的のために進む集団。もし仮に今日地下生産工場(プラント)に誘われなくとも、いずれトラベラーとぶつかり裏切り者が牙を剥くのは必然だっただろう。そして裏切り者はどのタイミングで正体を現すことになろうと躊躇は欠片も見せなかっただろう。トラベラーそのものに対する嫌悪と侮蔑を今日この日まで隠し続けていたのだから。
「言ってくれるな天城さんよ。あんたそれどういう意味だ」
「文字通りの意味だとも。……確か、君の望みは死んだ恋人を蘇らせることだったな」
「それが、どうした」
「視野が狭いな」
だからこそ彼は将吾の悲願は下らないことだと高みから見下ろすことができる。その振る舞いに対する当然の怒りも意に介さずに言葉を続けることが出来る。
「目の前で飛び降り自殺した後輩を助けたいという輩も居たか。ああ、弟が植物状態になった事故を無くしたいという輩も居たな。いや、両足を失ったのだったか。まあどちらでもいいだろう。どいつもこいつも総じて我欲に満ちた愚か者だ」
悠翔を一瞥して鼻を鳴らし、悠介に冷めた視線を向け、草介を嘲笑する。かつて彼らが信頼から話した願いを穏やかに聞いていた面影などどこにもない。自ら仮面を脱ぎ捨てた晴彦にとって、トラベラーの願いのすべては実現する価値のない妄想話でしかないようだった。
「ここが未来だと知って嬉しかったか。報酬で望みが叶う期待度も上がれば、より熱心に入れ込むようになるのも当然か。――確かに報酬が任意の過去へのタイムトラベルであるなら叶えられるだろうな」
心底腹が立つことに晴彦が後に口にした言葉は確かに自分達が特異点Fの探索を進める中で抱いたものと相違なかった。将吾自身、ここが未来であると身を持って理解した段階で、タイムトラベルが報酬として与えられる「現在の科学では成しえないある奇跡」としては妥当なものだと推測していた。そして同じように推測を立てた連中もすぐ近くに居る。
彼らにも自覚はあった。何かを望むトラベラーは大概過去に失った何かを求めているのだと。
「だが貴様らはその代償を知らない。貴様らが追うXの存在価値を理解していない。歪んだ望みに縛られたまま、穢れた手で奇跡を掴もうとしている。無知な罪人は恥を知って悔い改めろ」
X-Passのチュートリアルで与えられ、そのあまりに大雑把な目的に対して自分の足で調べてきたトラベラー達はその範囲のことしか知る筈もない。逆を言えば、レジスタンスに与する者はその外側を知ったからこそ、トラベラーであることを嫌い、捨てた。
――そもそもこいつらは人類の敵だろ。トラベラーはそれを自分の目的のために使ってるクズだ
渡との二度目の戦いにおいてそんな言葉を吐き捨てた黒木場秋人も同じようなものなのだろうか。奴らと自分たちの知識の差は立場を揺るがす程に決定的なものなのか。――もし、それを自分達が知ったらどうなるのだろうか。
「だから次は正しく選ぶがいい。真実を知った上での選択肢は一つだろうがな」
気づけば全員が言葉を失っていた。無意識に膝が震えていた。これ以上知ればもう戻れない分岐点に立っているのだと直感が警鐘を鳴らす。必ず大事なものを一つは切り捨てなければいけない予感に怯え、ここに居たらそれを選ぶ権利すら与えられないことに逃げたくなる。
「巽さん、特にあなたには賢明なことを期待しますよ」
これが天城晴彦の真の狙い。巽恭介というまとめ役をこの場に引き摺り出し、彼を取り込むか始末したうえでコミュニティに属するトラベラーの大半に選択を強制する。この日の計画はすべて最終段階に移行した……筈だった。
「……いいところだったんだが」
「知らないわよ、そんなこと。……こちら、リタ」
リタの胸元から不意に鳴り響く電子音。取り出した発信源は二つ折りの携帯電話に酷似した端末で、耳元まで持ってきて通話する様はゼロ年代後半の中学生とさして変わらないように見えた。
「なになに、吸血姫のが究極体(アルティメット)に進化? あんまり一方的になら秋人を呼んで。あくまで究極体(アルティメット)の回収優先で、弟切渡を殺すのはその次よ。あと小川真魚だけ残せば後は好きにしていいって」
ただし、それは会話内容さえ無視できればの話だが。
「邪魔が入ってしまったが、話の続きをしようか」
「その前に一つ。今のは、何だい?」
何事もなかったかのように話を戻そうとする晴彦を恭介の声が遮る。けして怒鳴るような声量ではないが、迂闊な言葉を口にするのが憚られる威圧感があった。頼もしくはあるが穏やかな立ち回りをしていた彼らしからぬドスの利き方。それでも晴彦は驚きはしたものの怯んだ様子は見せず、ただ恭介の質問に対する回答を至ってフラットに告げる。
「ただの業務連絡ですよ。潰し合いが想像以上に白熱しているのか予定を前倒させたようですね」
「『紫髪の吸血姫』と私達の仲間がぶつかるよう仕向けたとでも?」
「そんな目で見ないでくださいよ。我々は彼女に襲われていた男を助けてあなた方に託しただけです」
「餌を押し付けたの間違いだろう」
「餌とはこれまた酷い表現をしますね。彼も可哀そうに」
コミュニティの戦力を一部切り離して『紫髪の吸血姫』と潰し合わせるのを目的に晴彦の仲間が仕組んだ罠。それが昨日渡達が遭遇した相良啓太に与えられた彼自身知らない役割だった。コミュニティに属していた人間であろうとトラベラーは殺していい相手と見切りをつけて、トラベラーの企みに巻き込まれた被害者ももっと大きな企みの歯車として使い潰す。それがコミュニティに与することを正義とする天城晴彦という人間の本性だった。
「騙して、潰し合わせて、今も必要であれば殺そうとしている。……君は私達を何だと思っていたんだ」
「夢見がちな愚か者の集まり。何も知らずに願いを語る姿には反吐が出ますね」
腹の内を見せずに潜り込んでいたコミュニティとは何だったのか。その答えを聞いた時に恭介の深いところにあるスイッチからパチンと音がなる。我慢の限界だった。五十四年生きてきても堪えられないものがある。歳月を重ねたからこそ凝り固まった価値観で受け入れられないものがある。積み重ねた経験から見抜けてしまうことがある。……あの男はきっと自分の正義とやらのために、どれだけ他人が犠牲になろうと構いやしないのだろう。
「みんな、帰還の準備を。アルくんとリタちゃんとやらも、もう少し離れていた方がいいと思うよ」
恭介のその言葉には彼らの拒絶を許さない威圧感が宿る。断れば邪魔になることより先に巻き添えを食うことを将吾達が連想したのは、その威圧感の中に確かに自分達を思う感情が隠れていたから。
「何のつもりですか?」
「今日の問答はここまでだ」
「それは困ります。真実を語るのは今からだというのに」
恭介がマメゴンとともに前に出る。アルがライフルを構えても怯みはしない。防護膜のことは知ってなお構えることの意味は理解している。それでも歩みを止めるつもりはない。リタが生産工場(プラント)内のカプセルに繋がっているであろう制御機器の元に向かっても構いやしない。――この場に来た段階で天城晴彦は一点だけ計算を誤っていたのだから。
「今の君の話はもう聞いていられないと言っているんだ、天城晴彦!!」
恭介が翳す左腕のX-Passに輝く七つ星。そのうち五つがビックバンのように一瞬だけ光を強めて消えると同時にマメゴンの身体から異様な熱気が溢れる。その体躯は一秒ごとに一回り大きくなっていくのを熱気で歪んだ錯覚だと想えたのは一瞬だけ。肥大化する身体から漏れる光は間違いなく次の段階へ至るためのものであり、コミュニティの中でも早期に完全体(パーフェクト)へ至ったマメゴンはさらなる高みへと既に片足を入れていた。あとは強く背中を押すだけ。小さな体に押し込められていた経験値。それが今爆発的な肥大化というかたちで昇華されようとしている。
「虎の尾を踏んだ……いや、逆鱗に触れたか」
「どっちでもいいわよ! これ本当にアタシら死ぬって!」
「リタ! ここのデクス全部出せ。壁にする。晴彦、お前の聖女様にも身体を張ってもらうぞ」
「流石に今回の責は私にもある。結局あの人も愚か者の頭らしい脳筋だと見抜けなかったからな」
増大する質量。膨張する体積。急激に変化するマメゴンの身体は恭介達と晴彦達の間を壁のように分断し、彼らを取り巻く環境そのものを文字通り壊していく。黒鉄の装甲が壁を砕き、勢いよく伸びる首が天井をぶち抜く。四つ足で踏みしめる床は整えられていた原型を放棄し、斧のような尾が地下生産工場(プラント)という窮屈な檻を破壊する。
瓦礫と蒸気に紛れて姿を現すのは全身を鎧で覆い、内部に抱えた莫大なエネルギーでブースターを噴かせなければ移動すらままならない機械巨竜。アルティメットブラキモン――首長竜を彷彿させるその名がマメゴンが至った文字通り規格外の究極体(アルティメット)だ。
「私の仲間を殺す気ですか」
「本当に生きていて幸いだったよ」
「時間稼ぎにしてももっと穏やかな手を選んで欲しいものですね」
壊滅状態の生産工場(プラント)で陽の光を浴びる晴彦らの三人に目立った重症はない。それが奇跡だと思える程の破壊だった。階段や橋は折れて機器の悉くが火花と煙を上げて使い物にならなくなっている。並んでいたカプセルはすべて割れて吐き出された内用液がぬらぬらと光る。その中で眠っていたデクスは晴彦達三人の前で亡骸の壁を積み上げていた。
「……満足ですか。この工場を潰して、我が聖女もこんな痛ましい姿に変えて」
「悪いと思っているよ」
右の翼と腕をもがれた聖女は肩で息をしながらも最後の壁として晴彦達の前で杖を構えている。形勢は無茶苦茶なかたちで逆転した。後は尾を一振りでもすれば、この場に残る生者は恭介とマメゴンだけになるだろう。
「残念だけど君達に割ける時間は今ないんだ。契約相手が気になるなら君も現代にでも戻って癒すといい」
それをする意味もないと恭介は帰還の手続きを進める。それを邪魔する者も術も存在しない。晴彦に裏切られたことへの私怨はあれど、今それよりも優先すべきことが恭介にはあった。
裏切りの被害者を助ける。それがコミュニティに属してくれた者に対して取るべき責任であり、恭介にとって今何より大切な軸だった。
「天城さんが裏切って、レジスタンスとやらについていた」
「で、奴らの策で私達はキョウカと潰し合わせられていたって訳ですね」
これが霞上響花との戦いの裏で行われていた事の顛末。今思えば彼女も晴彦の裏切りと彼らの仕込みの上で踊らされていただけに過ぎないのだろう。黒木場秋人の介入も偶然ではなく目的のために計画的に仕組まれたこと。コミュニティという集まりとそれに属さない存在を潰し合うように仕向ける以上、彼らが与するレジスタンスとやらはトラベラーと明確に敵対する姿勢のようだ。
「すまない。獅子身中の虫をもっと早く見抜けていればこんなことにはならなかった」
問題はその敵意が自分達の内側に潜り込んで瓦解させようとしていたこと。それが恭介にとっては到底許しがたいことだった。何より裏切りを見抜けなかった自分自身に腹が立ってどうしようもなかった。
「巽さんが悪い訳じゃない。やめてくださいよ」
「いや、私の失態だ。この場所が大事だったのに、それを穢す存在に気が付かなかった。気づこうともしなかった」
「気づかなかったのは私達も同罪でしょう」
「まとめ役の真似事をやっておいてそれは認められないよ。立場というものがある」
また頭を下げようとする恭介を正道が羽交い絞めにする勢いで抑えながら真魚が必死に宥める。コミュニティの中では古参である二人が狼狽する程に珍しい状況。まとめ役という立場が嘘偽りでない程度には動揺が広がり、収束に向かうには時間が掛りそうに見えた。
「立場というのなら、俺達は巽さんに助けられました。そんな立場で感謝以外に言えることなんてありませんよ」
「かん……しゃ?」
戸惑いと混乱の中で、渡の言葉が耳朶を叩く。言ってしまえば微妙にずれた言葉。その意図を咀嚼するのに時間が少し掛かったのが功を奏したのだろうか。誰かの口からふっと笑いが漏れ、それが妙に張り詰めた空気を僅かに緩めた。
「そもそもこんな寄合に年功序列の責任があるなんて思ってなかったんですけど。子供に宥められるようなまとめ役じゃ締りませんって。……あ、元々そんなにかっちり締ってなかったですね」
その隙を突くような真魚の追撃は恭介以外の全員が思っていた本音の代弁に等しく、場の空気をもっと暖かいものへと変える。その雰囲気こそが恭介が大事に思うものであることは彼の気恥ずかしそうな表情を見れば一目瞭然だった。
「これじゃ確かに締らないね。……恥ずかしいところを見せてばかりだ」
正道が離れても膝を地に着けたりはしない。背筋を伸ばした恭介の目にはいつもの穏やかな光が宿る。ただ違うのは今後それが曇ることになろうとも受け入れる覚悟が決まっていること。
「あくまで互助関係。それくらいゆるいものだったのを忘れていたよ。……だからこそ護りたかったんだろうね」
見えなかったものがある。見なかったものがある。それを真正面から受け止めなければならないという自覚がコミュニティに属するトラベラー全員の中に芽生えている。それは間違いなく今日の戦いで誇れる成果だ。
>> 夏P 様
毎度の感想ありがとうございます。前回分と併せての返信になってしまいすみません。
「長い出番より一瞬の輝きを。ただし後に尾を引く存在感を」というのが響花とナーダのコンセプトの一つでした。だから初究極体というインパクトをかましはしても長生きはできない定めだったのです。異界()が舞台でわりと好き放題やる奴が居て、そいつの暴走と相対するというのは描くべきですが、渡達の目的からすればあくまで主軸ではない寄り道だというメタ的な理由に殺されたとも言えますが。自分の好みを突っ込んだだけあっていいコンビでもったいないとは正直思ってます。悲しい。
今回は、回想は死亡フラグではありませんでした。セーフセーフ。ビリーは正道との出会いの段階から、銃火器でドンパチするルートだと決めていました。単純な射撃の腕は正道の方があるのでその面で師弟のような立ち位置という裏設定も在ったりなかったり。
アルティメットブラキモンというか恭介はコミュニティのまとめ役というだけあって、シンプルに一番強いです。コミュニティの初究極体が彼なのも必然的なので窮地を救う一手となってもらいました。なお次の話で初手土下座をかまそうとする模様。
お察しの通り、この戦いに正義というよりかは純粋な願いの戦いです。そもそもブログで予告めいたもの書いた時も「――この戦いに正義はない。」で締めていました。
一方で晴彦自身は彼なりの正義感で動いています。信仰レベルでそう思っています。信仰心が高いので寧ろ東條の方が近いかも。
紫髪の吸血姫のインパクトはいろんな意味であったことはよかったです。自由に立ち回る狂犬じみた彼女らをも駒として動かせる者が別に居たとしてもそれだけは薄れなくてセーフ。
アル、リタは一応五体満足で生きてます。ただしデクスは全滅しました。悲しいね。
恭介は自他ともにまとめ役やっているだけあって人一倍思い入れがあるので、最後にあんな感じでまとめられたら何も言えなくなります。イイナカマガイッパイデヨカッタナー。
>> 快晴 様
感想ありがとうございます。そちらの話も読んで感想書かねば。
「いっしょにいたい」――それだけが響花とナーダの共通の願いでした。言ってしまえば窮地に陥った際の響花の決断も必然で、グランドラクモンはその願いの末路としてそして初究極体としてなんとか暴れさせたくて苦心しました。かすかな希望のつもりのアサルトモンの健闘は想定以上でしたし、後からアルティメットブラキモンとグランクワガーモンが乱入してき訳ですが。秋人の締めの台詞は自分もお気に入りの台詞です。
プラントへの潜入も、響花らとの戦いも、敵意を向ける誰かの掌の上となれば土下座もしたくなる程度には恭介はコミュニティに思い入れと責任感があったわけです。まああくまで最後に真魚が言った通り、ゆるい互助関係が本質だった訳ですが。
聖職者が信用ならないのはだいたい型月のせい。というかマジカル八極拳使ったりロケラン担いで時速90kmで走る神父のせいです。……いや晴彦にはそんな身体能力ないですけど。
レジスタンス側の信念はそのうち……明かされる頃には物語全体が次のフェーズに移る……はずです。
マメティラモン→アルティメットブラキモンのルートはペンデュラムXのVer.2で存在していたものですので、センスいいのはその時期の開発陣ということで。派手にぶっ壊して巨大化するのは絵的にも展開的にも脳内再生が余裕で、よくレジスタンスの二人が生きてたなと我ながら思います。
恭介とマメゴンはコミュニティにて最強。年長者としてまとめ役としての責任感と信頼で動いている頼れる大人として描けているようでよかったです。位置的にはサブのキャラがきれいに立ち回る程影が薄くなる者もいる訳で……将吾と寧子、君らはもう少し待って。ちゃんとバチバチの出番やるから。
コミュニティはそれぞれが願いや思いを抱えるが故のゆるい互助関係ではあるけれど確かに信頼はある。そしてそれぞれがこの先真実を受け入れる覚悟はある。分岐点を迎えた時に彼らがどう動くのか。なんとか上手く描きたいものです。
こんにちは、いつもお世話になっております。快晴です。
『X-Traveler Episode.11 "other side"』、拝読いたしましたので、つたないものではありますが、感想を書きに参じました。
響花さんとナーダさんの「いっしょにいたい」がひとつになったグランドラクモン戦の裏で、こんな出来事が起きていたとは……。
こちらはTwitterで呟いた感想の繰り返しになってしまいますが、グランドラクモン戦での、常に一番強い暴力が対峙者の暴力を制するという緊迫した展開の連続、見ていてハラハラドキドキさせられました。
絶望感も逆転時のカタルシスも息を吐く暇も無くやって来た悲壮感とそれすらも塗り潰す敵陣営の底知れ無さも。全ては圧倒的な描写力があってこそ。毎度感嘆しております。
最後の秋人さんの「そいつはよかったな」の冷めた感じが、あのお話の引きとしてとても際立っていました。
そして、そんな前回の活躍が記憶に刻まれている恭介さんが開幕土下座をしようとしているものだから、読者としての視点ではありますが、渡さんと一緒にびっくりさせてもらいました。
その理由として語られる地下生産工場(プラント)への潜入作戦。
潜入がスムーズに進行していく不気味な静寂が逆に一筋縄ではいかない予感を感じさせててはいましたが、裏切り者と来ましたか。やはり聖職者ってヤツは信用ならない……。
とはいえ晴彦さん達レジスタンスにも譲れない信念がある様子。その全貌が明るみにはならなかったもどかしさはありますが、恭介さんとマメゴンによる生産工場蹂躙にはむしろ「やったれ」という気持ちの方が強かったですね。
というか、進化のシーンが入る事で改めて思いましたが、マメティラモン→アルティメットブラキモン、無茶苦茶いいですね。サイズ的に小さかったデジモンが巨大なデジモンになって周囲を破壊するというシチュエーション、ホントに大好きです。
グランドラクモンの時同様圧倒的な力を披露するマメゴンですが、前話で迎えた展開通り、恭介さんが優先したのはコミュニティの仲間の安否。まとめ役としての責任感と罪悪感が同居した身内への感情は、年長者キャラとしてただただかっこいいな、と。純粋にそう思います。
今回は恭介さんが中心でしたが、毎回登場するキャラクターそれぞれに見せ場があって、これだけの数の登場時をしっかりと書き込む事が出来るパラレル様の技量には尊敬の念を抱くばかりです。
彼らが得られた戦果は、締めの文通り素晴らしいものなのでしょう。今後戦いは一層激化していくと思わずにはいられませんが、それでもどこかひとつの起点となっているような爽やかさも感じられて、あらゆる意味で「未来」を感じさせるお話でありました。
以上を此度の感想とさせていただきます。
長文、失礼いたしました。
オイこれ絶対派手に死ぬだろ……と思ったら最後は素敵な仲間ENDだった、そんなわけで夏P(ナッピー)です。
ギルガメッシュと香川教授を合わせたようなこと言うなぁ晴彦氏は……これは最後は「この戦いに正義はない、あるのは純粋な願いだけである、その是非を問える者は──」が来るな! というか、サラッと明かされましたがどこぞのキョーカさんとの戦いも全部掌の上だったんか!? なんてことだ。余談ながら吸血姫という表現がカッコいい。
ぬあああああああ生産工場でアルティメットブラキモンに進化したら皆瓦礫の下ああああああああああ! 今回は完全に恭介さんが主人公。最後の言葉に全てが現れてるというか、それぞれ利己的でギスギスした関係だと思っていたコミュニティーもいつの間にか互いにあんなことを言い合える関係になっていたと実感できたのは確かに成果かもしれない……。
そんなところで、今回は感想を〆させて頂きます。