◇
強くなりたかった。
憧れの男の子と女の子みたいに、カッコ良く生きてみたかった。
困っている誰かを助けられる力があって、そんな誰かに手を貸すことを厭わない。先生に怒られるとか、自分達も痛い目を見るかもとか、そんな理由で二人の正義感を止めることはできなくて、彼らはそうしたいからそうしているんだと思えば、そんな二人の生き方が私にはとても眩しく見えて。
誰に教えられたわけでもなく、自然とそう在る彼らに、私はずっと憧れてたんだ。
男の子は私の大好きな人。ちょっと口下手だけど優しくて、私のことなんかもいつも気に掛けてくれる。女の子にからかわれて涙ぐみそうになる私を困った顔で慰めてくれる彼のことが好き。誰にも泣いて欲しくないんだって、不器用に頑張り続けるあなたが好き。
女の子は私の理想の人。勉強とか成績とかそんなことどうでもいいんだって、ただ自分が楽しいと思う日々を送り、正しいと思える生き方を貫けるのはカッコいいと思う。ちょっと口が悪くて乱暴なところもあって、私は時々泣かされそうになるけど、根っこの部分で男の子と同じように優しいことは知っている。彼女みたいな生き方をできたらどんないいかって思う。曲がったことが大嫌いな彼女は、まるで子供の頃に見た正義の味方みたいで。
二人とも間違いなく私の大切な人で、私にとって憧れの人。だから私も彼らみたいに頑張って生きてみようって思ったんだ。
でもできなくて、私にはとても無理な生き方で。
『いい子ちゃんぶるなよなー! 泣き虫の癖に-!』
たった一人できた親友を助けることもできず、そんな親友にさえ最後には裏切られて。
『……さよなら、香坂さん』
何も信じられなくなって、他の誰の手を取ることもできなくて。
『ダメだ! 君はそんなところにいちゃいけない!』
最後に聞こえたその言葉を振り払って、私は一人、闇の中に沈んでいく。
「んっ……」
目を開くと漆黒の闇の中。
自分の手足すらハッキリ見えない闇の中に在って、そもそも私は目を開いているのかさえ確かじゃない。
「……目が覚めましたか?」
なのに、何故だろう。
私を抱き上げるその姿だけは、ぼうっとその輪郭を浮かび上がらせるように明確に認識することができた。
「アヌビ……モン」
旨い闇の中、私はその穏やかな声音の主を呼ぶ。
初めて出会ったはずなのに、自然とその名前が口から漏れた。遠い昔に一度だけ出会った友人──勿論私に全く覚えはないのだけれど──と久し振りに再会して名前を思い出した、そんな感じだった。
名を呼ばれた狗神は、薄く微笑んだようだった。出会えて良かった、その微笑はそう言っているように私には思えた。
「痛っ……」
ズキリと側頭部に鋭い痛みが走る。そういえば私、なんでこんなところに?
何も思い出せなかった。自分が誰なのか、どんな人間だったかは思い出せるのに、今ここに至るまでの経緯が全く思い出せない。私はいつも通り小学校に行って、六限目の授業を終えて帰ってきて、それから神社の前で 君と──
…… 君? 誰だっけ、それ。
そんな自分が信じられなかった。一気に体温が数度下がった感じ。
「──────!」
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
忘れるわけない、思い出せないわけがない、初めて会った時から大切だった人、あの時から大好きだった男の子のことを。私を気遣ってくれるはにかんだ笑顔、 ちゃんと一緒に卑怯なことは許せないと毅然と立ち向かう瞳、そして誰に笑われようと真っ直ぐ夢に向かって走り続ける姿。全部が全部大切で、そんな世界で一番頑張っている不器用なあなたが、私は大好きだったのに。
だった? 過去形……? なんで……?
「どうかしましたか?」
アヌビモンは微笑んだまま。そんなはずないのに、その貼り付いたような微笑は邪悪めいたものに見えて。
「思い出せないの……!」
それでも自分の手足すら覚束無い闇の中、唯一ハッキリと認識できるアヌビモンに私は縋り付くように。
「大好きだったのに! 大切だったのに! 私、彼のことが思い出せないの! 何度も優しくしてくれた! 泣いてる私を慰めてくれた! 誰が笑ったって、何を言ったって、私にとってヒーローだった彼のこと、思い出せないの……!」
力無く狗神の胸を叩く私。それでも記憶の欠落は止まらない。
だって彼のことだけじゃない。周囲の闇に食われていくかのように、全てが私の頭の中から消えていく。彼と一緒にいた ちゃんのことも、初めて自分から頑張って友達になった ちゃんのことも、思い出したくもないけれどイジメっ子達も含めて12年程度の人生の中で出会ってきた子達の顔、それどころか優しいお父さんとお母さんのことさえも。自分が歩んできた人生の中に間違いなくその人達はいたはずなのに、まるでアルバムに纏めた写真の顔の部分だけをマジックで塗り潰されたかのように、私の記憶から彼らが誰だったのか、どんな存在だったのかが抜け落ちていく。
怖かった。自分が闇に溶けてなくなっていく感覚。
そんな私に、アヌビモンは一言だけ。
「琥珀」
目を細めてそう言った。戸惑い、思わず顔を上げた私にアヌビモンはもう一言。
「怖がらなくていいのですよ、琥珀」
それはまるで母が娘を窘めるような声音。だから私は、自分が名前を呼ばれているのだと気付くまでに数秒の時間を要した。
香坂琥珀(こうさか こはく)、美しく育って欲しいと願いを込めてお母さん──顔は今ちょっと思い出せないけれど──が夕焼けの空の色から取って付けてくれた名前。私自身が忘れていたことにさえ気付かなかった大切な名前。
「アヌビモン、どうして……」
「ふふ、内緒です」
私の長い髪を愛おしそうに撫でながら笑うアヌビモン。
その手付きは少しだらしない私の世話をいつも焼いてくれるお母さんを思い出させて、不思議な心地良さと安心感がある。まるで何年も前からこうして世話をしてもらっているような感覚に私は自然と身を委ねてしまった。
ジャラリという乾いた音がして、自分の胸元を見やると、綺麗な水晶の付いたネックレスが私の首から掛けられていた。
「これは……?」
「幸運のお守りです。……これは、琥珀が持っているべきものだ」
一切の悪意は無いように見えた。その水晶と私、交互に見つめる彼女の瞳は、とても優しそうな光を湛えているように思えたから。
だから小さく頷きを返した。それにアヌビモンもまた満足そうに頷いた。
そうしてしばらくの沈黙の時。アヌビモンの腕の中、抱えられるようにして闇の中を私は揺蕩う。この闇の世界では自分達以外に何もなく、方向感覚すら覚束無い。時間の流れすら明確に認識はできなくて、お守りを受け取ったのが数秒前なのか、それとも既に数時間が経っているのか、私には想像が付かなかった。
「……五年だけ」
「え?」
「五年だけ、待てますか?」
不意にポツリと、アヌビモンが呟いた。
腕の中から見上げた彼女の横顔は、文字通り虚無の闇を見据えていて、私を見返してはくれなかった。これまで慈愛の塊としか思えなかった彼女のその表情は、私に見せた初めての後ろめたさに近いもので、なんとなく私は一抹の寂しさを覚えた。
「2008年のクリスマス、ちょうど琥珀が17歳になる頃ですね」
ああ、今は2003年なんだと漠然と思った。そんなことも忘れている私がおかしかった。不思議と先程までの喪失感や不安感はなく、ただ淡々と自分の記憶の欠落を受け入れている私がそこにはいた。
狗神の胸元に頭を預ける。五年か……長いなぁ。そう思いつつも、この時間の感覚さえ定かじゃない闇の中なら五年なんてあっという間かもしれない。そんな風に楽観的に考えている私がいた。
「琥珀が大好きな彼とも、その頃にはきっと会えます」
「ホント!?」
「私は嘘はつきません……少なくともあなたには」
その言葉はアヌビモン自身、そう在れと自らに言い聞かせているように私には思えた。
「辛いこと、悲しいこと、琥珀を泣かせる全てはそれで終わりです」
「……どこかで聞いたような台詞だね」
そう、だってそれは他でもない 君の夢だったから。
彼の名前は忘れても、彼の夢だけは絶対忘れない。
誰も泣かない、誰も傷付かない世界が欲しいって言い続けていた彼。誰よりも強い ちゃんと一緒なら、ううん、誰よりもカッコいい 君なら一人でだってその夢を成し遂げるって信じてる。誰が笑ったって、何を言ったって、世界中で私だけはあなたを信じてる。
私は泣かないから、頑張るから、あなたの名前だって絶対に思い出してみせるから。
だから助けてね。
いつか私をここから連れ出して。
約束だよ?
私のずっと大好きな 君。
THIS IS ONLY THE BEGINNING...
◇
これで、これでやっと夏Pさんに感想をお送りする事でデジモン小説界のぴっぷりの均衡を保つ事ができる……!
という訳で、いつもユーモア溢れるご感想をくださる夏Pさんに、今日は逆に感想をお届けしに参りました羽化石です。前述の通り、いつもご感想を頂いているにも関わらずこちらはWith~を拝読できていなかった事が心残りでしたので、リブートを機にこうして感想をお伝えできる事を嬉しく思います。
という訳で感想本編です。
僕は琥珀さんの名前を知っている……。具体的に言うとぴっぷり戦争勃発地域(と書いてTwitterと読む)でわりと不穏な話題の時に見たような……。
大切な記憶が全て欠落している状態で、どうしてそうなったのか琥珀さんも読者も分からなくて(少なくとも化石は初見なので分からない)不安な時に優しく語りかけてくる謎のアヌビモン……怖いよ~~~!!!!
今じゃなくて5年後に迎えに来るというのがますます不可解で何が起こるんでしょうね、ワクワクしますね(何かこの先に待ち受けているものを知っているかのような口調ですが、ガチな初見です)
琥珀さんの思い出の中の憧れの人とは誰なのか、そして物語はここからどう動き始めるのか楽しみにお待ちしています!
P.S.ラッパーアヌビモン書いてる時に「角煮さんごめんなさい。ENNEさんごめんなさい。シリアスなアヌビモンを書いている全てのみなさんごめんなさい」と思いながら書いていましたが、どうやら夏Pさんにも謝らなければいけないようですね……
というわけで、感想以外でこちらに自作を投稿させて頂くのは初めてになります。夏P(ナッピー)です。
本作「With the HERO」は前身であるNEXTどころかその更に前身であるデジウェブ時代から執筆しており、絶賛停滞中であった作品ではありますが、一身上の都合もある程度片付いたので、このタイミングを逃さず再始動(リブート)しようという考えの下、新たに投稿し直すことにした所存でございます。十年前に自分が執筆していた文章なので、ここから続きを書こうにも文体や表現力が今と違い過ぎて読み返して噴飯しかけたというのもあり、実質的なリメイクとなります。
とはいえ、今回は十年前の時点であった話ではなく前奏曲(プレリュード)ということもあり、プロローグの更に前を意図して新たに書き上げました。次回が改めてのプロローグ、その次にようやく本編開始と相成ります。
最後の一文は言うまでもなく作者が大好きな某機動戦士の名文ですからね!
一週間に一度は投稿できるようにしていきたいと思いますので、何卒宜しくお願い致します。