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第25話:それが最善だとしても
朝のHR前の教室。
どうやら、自分の親友である男はまだ来ていないようだ。まあ、アイツは中学の頃から始業ベルが鳴る直前で教室に飛び込んでくるような奴だから、別段遅刻の心配は要るまい。体育の授業でこそ然程目立つ生徒ではないが、足の速さと持久力なら学年でもトップクラスに位置すると、靖史は見ている。
何気なく窓際を見やると、女子グループが談笑していた。
『あっ、園田君。おはよう』
『お、オッス』
平静を装いながらも、どうも声が上擦ってしまう。上手く言えないのだが、やはり女の子は苦手だ。
そんなわけで、軽く挨拶を返しながら靖史は自分の席、つまるところ稲葉瑞希の隣の席へと座り込む。当然、そこの席ではすぐ隣で雑談を交わしている女子達の声が丸聞こえというわけで、知らず知らずの内に靖史は彼女達の会話へと耳を傾けていた。
神経を研ぎ澄ませ、彼女達の会話を聞き取らんとする。
どうやら話を聞く限りでは彼女達はクラスメイトの男子を話題にしているらしい。例えば三上君ってスポーツが得意で格好良いよねとか、鈴野君って成績良いのに大学に行く気が無いなんて勿体無いよねとか、そんな勝手な話題ばかりだったが、不意に彼の親友の話題が出てきたので、思わず彼女達の方を見やった。
その輪の中心にいるのは、やはり稲葉瑞希だった。
『そういえばさ、渡会君の夢って知ってる?』
『え~、そんなの知るわけないじゃん』
八雲の夢だと? そんなもの、靖史も聞いたことが無いのだが。
『なら、園田君は聞いたことある? 渡会君の夢』
『……へっ、俺?』
何の前触れも無く、仄かに憧れている女生徒に視線を向けられて、靖史の胸は高鳴る。
稲葉瑞希。靖史達のクラスの学級委員長で、明るく優しく気立ての良い三拍子揃った少女。文武両道で清廉潔白と、このご時勢には天然記念物並に珍しい気質を持つ同級生だった。風の噂では町外れのバイク屋の娘らしいが、そんなことはどうでも良かった。彼女はとにかく可愛いのだ。後から思えば、運命のあの日に八雲が連れてきた長内朱実という少女も十分可愛いと言えるけれど、正直言って朱実は靖史のタイプではない。
その分、稲葉瑞希は彼のストライクゾーンど真ん中なのである。
『……いや、俺も無い。それで、アイツは何だって?』
『そっか。園田君も知らないんだ、……それは少し意外かも』
『……ちょっと、じゃあ何で瑞希が知ってんのよ?』
まあ、そんな理由はわかりきっているから聞いてやるな。
稲葉瑞希は特定の男の子に興味を抱くようなタイプではない。彼女は単にクラスに溶け込めていない生徒がいるのが気に食わないのだろう。まあ、確かに八雲と瑞希は見た目だけならお似合いのカップルだと言えようが、本人達が異性に何ら興味を持っていないのが問題である。特に八雲はその傾向が強い感がある。
そう、八雲はとにかく自分を卑下するのだ。自分は大した奴じゃないと、自分はどこにでもいる凡人にすぎないと、そう言って他人にとっての一番になることを強く拒絶するのだ。成績は上の中くらいで運動神経は抜群、女子からの人気も上々。それなのに、八雲は己を高みに置くことをしない。彼を大の親友と疑わぬ自分でさえ、渡会八雲のその性癖にだけは許容し難いものを感じている。
だから八雲は自分などよりずっと大人で、もっと賢い人間と付き合わなければならないと思う。彼が自分の親友でいてくれることは確かに嬉しいが、本音はそこだ。彼と付き合う度に、自分と彼との格差に靖史は辟易させられる。そして、それを口に出さないのは靖史の優しさであり、それでも良好な関係を保っていられるのは八雲の優しさである。
小さく『別にそんなんじゃないよ』と苦笑する瑞希に、靖史は聞き直していた。
『それで、アイツの夢って?』
『うん。……渡会君ったらね――』
稲葉瑞希は躊躇い無く渡会八雲の、その荒唐無稽なる夢を語った。
その夢の無謀さ、果てしなさを嘲笑いながらも、心のどこかに『凄いな、あいつは』と彼を賞賛している自分がいることも、靖史はまた否定できずにいた。
八雲と靖史の視線が自然と重なる。
自然と笑顔になる二人の表情。五年前に出会って以来、何事にも共に在り続けてきた親友。その二人が融合後の世界で偶然再会できたともなれば、そうもなろう。それぐらい、二人の間にある絆は自然なものだった。
だから朱実とは違った意味で、園田靖史は八雲にとって唯一無二の存在。彼がいなければ、現在の渡会八雲は存在しないだろう。
「……ていうか、何でこんな奴に苦戦してんだ、八雲」
「いや、冗談抜きで強いぞ、そこにいる奴は」
そんな八雲の言葉をどう思ったのか、靖史は僅かにため息を吐いて左の袖を捲り上げる。
そこに見えたのは、確かD-CASと呼ばれるはずの手甲。八雲や環菜の腕にも装着されているものと全くの同型だ。違っている部分といえば、無色透明の八雲や環菜のものに対して、靖史の手甲は毒々しい黒に覆われているところだろうか。
そうしてヴリトラモンを見据え、靖史は再び嘆息する。
「なら後は俺に任せな。……行け、デビドラモン!」
「了解だぁ! ひゃはははは、ぶった切ってやんぜぇ!」
契約者が猛り狂う。それは狂気に満ちた声。
デビドラモンと呼ばれた漆黒の竜は、そんな笑い声を上げながらヴリトラモンに突進する。対する炎の闘士は先程の一撃で何か決定的なダメージを受けたのか、まるで呆けたように動かない。奴はただ、迫るデビドラモンを虚ろな瞳で見つめているだけだ。
瞳には先程のような野獣の本能は感じられない。奴は呆然とした瞳で一言。
「靖史……そ、園田靖史……なのか」
そう呟いて、甘んじてデビドラモンのサンドバックになった。
反撃するどころか、奴は怒涛のように振り下ろされるデビドラモンの爪を防御しようともしない。戦意の欠片も感じられない、戦うに値しない相手。先程までの圧倒的な威圧感は既に鳴りを潜め、炎の闘士は一方的に攻撃を受け続ける。
魔爪で怯まされ、翼で打たれ、足蹴にされる。奴は恐ろしいほどに無抵抗だった。
「弱ぇ弱ぇ弱ぇ弱ぇ弱ぇ! この程度で俺様に勝てるわけがねぇだろぉ!」
「何でだ……?」
デビドラモンの罵倒にもヴリトラモンは無言、そして無抵抗。
その様が、八雲には何よりも理解不能だった。環菜を目にした直後にヴリトラモンは暴走を始めた。だがウィザーモン達三体を相手にして全く怯まなかった奴が、デビドラモン一体に対して何ら反撃することもできずに甚振られ続けている。それは、単純にデビドラモンが強いというだけではないだろう。奴は園田靖史の姿を見て、何かを感じたのだ。
その正体が如何なるものなのかは気になるが、今の八雲に理解できるはずもない。
そして、その思いはグラウモンとて同じだった。遠き日に出会い、契約を交わした伝説の存在。彼はそんな男と契約できた自分を誇りに思っていたし、また炎の闘士自体を何よりも誇りにしていた。だが今の彼は、何もできずにやられ続ける彼は、そんな憧れの中の存在ではなかった。
吹き飛ばされたヴリトラモンは、一瞬にして進化が解けてしまう。よく見ればジャンヌのものにも似ている奇妙なローブを身に纏った、赤髪の剣士。彼自身も人間離れした戦闘力を持っているとはいえ、ヴリトラモンに比べればその差は歴然としているわけで。
つまり、それで決着が付いたわけだ。
「……ちぇっ、つまんないな。戻れ、デビドラモン」
「かはは、了解。次はもっと強い相手を頼むぜ、靖史よぉ」
ご期待に副えるかどうかはわかんないけどなとだけ呟き、靖史が左腕を掲げると、デビドラモンの体が一瞬にして掻き消えた。どうやら、靖史のD-CASに吸い込まれたらしい。自分や環菜もそんなことはできないのだが、確かジャンヌも同じように契約者のブイドラモンを掻き消したということを思い出す八雲である。
炎の闘士、クラウドは顔を顰め、傷付いた体を庇いながらも立ち上がる。
「俺の負けだな。……殺せ」
「ん~、殺しなんかしねえよ。アンタ、人間みたいだしな」
「そうか。……相変わらずだな、園田靖史」
靖史の姿を見据え、奴は普段通りの不敵な笑みを取り戻した。
そして、そんな奴の言葉に目を丸くするのもまた、園田靖史の役目である。まるで自分のことを知っているかのような口ぶりを前にすれば、確かにそうせざるを得ないだろう。目の前の男のような者には会ったことも無いのだから。
「……なんだよ。俺のこと、知ってんのか」
「無論だ。園田靖史、皆本環菜、そして渡会八雲……お前達のことはよく知っている」
皆本環菜。聞き慣れないその名前に、靖史は八雲の隣にいる少女の姿を見やる。そして彼女が自分のタイプだった所為か、途端に表情を崩すわけだが、当の環菜は彼に対して何の興味も示さずに、小さく舌を鳴らして顔を逸らした。興味が無いというわけではないだろう。これが単に彼女の現時点での意思表現ということか。
だが八雲は炎の闘士の言葉から注意を逸らせない。
「やっぱりお前、俺達のことを知っているみたいだけど。……俺を殺そうとしているのと、それは何か関係があるのか?」
「言うまでも無いことだ。……だがお前がその二人と共に在る限り、俺も下手に手出しはできぬのでな。今日のところは退いておく。……来い、グラウモン」
「おっ、おう!」
不意を突かれたように素っ頓狂な声を上げるグラウモンだったが、すぐに我を取り戻してクラウドの後を追うように走り出す。ほんの一時の出来事とはいえ、曲がりなりにも協力した炎の闘士の契約者。出会ってから日が浅いとはいえ、彼もまた決して悪い奴ではないのだろう。何故かそう感じ取ることができた。
去り際にグラウモンもまた、小さく振り返って一言。
「じゃあな。……案外楽しめたぜ、野蛮人」
「ああ。でも次に会う時は容赦無しなんだろ?」
「あ、当たり前だ……! それが俺の役目なんだから……!」
その声に僅かながらも迷いや躊躇いが混じっているように思えたのは、決して勘違いではないと思いたい。
静かに去り行く炎の闘士とその契約者。その様を八雲はただ見つめるしかない。炎の闘士、その名をクラウド。奴は環菜と靖史を前にして、明らかに動揺していた。それこそ奴が彼らのことを知っているという何よりも明らかな証明。奴が環菜を目にした時に見せた驚愕の表情、そして靖史を前にして見せた狼狽の仕草は、紛れも無く本物だった。
だから口から出るのは疑問が一つ。
「アイツは……何者なんだ……?」
その答えが出るのは、もう少し先のこと。
従姉妹であり現在の身元引受人である長内歩夢と一緒に何度も買い物に来たことがある所為か、あの渡会八雲とは違って長内朱実は意外にも東京には詳しい。いい加減で適当なその性格に反して意外にも朱実はミーハーなこともあってか、何度か洋服やバッグなどを買いに来たこともある。地元の二宮市は駅前を見てもブティックなどはあまり発展しているとは言えず、所謂ブランド物を買いたければ東京まで出た方が遥かにいいと言われていた。
そんなわけで、こちらは相変わらず東京の街を徘徊する朱実とナイトモンである。
既に丸二日近く東京から出られずにいる。出たいのだが、出られないのである。野性のモンスターが襲ってくるというのも確かに理由の一つだろうが、最大の問題は別の場所にあった。つまり、彼らは幾度と無く同じ場所を歩いているのである。現在彼女達が歩いているのは北区の赤羽駅周辺。普段通りに電車が動いていれば勝手知ったる東京という奴なのだが、生憎と今は動いていないので全くわからない状態である。
そんな駅前商店街の中、少なくとも五回は通った場所を見て、ナイトモンは呟く。
「朱実殿……」
「……何か気付いたの?」
「よもやとは思いますが、朱実殿は方向音痴なのですか?」
答えは返ってこない。それが何よりも肯定の意思を示していた。
そんな主の姿にナイトモンは大きなため息を吐く。しかし落胆のため息ではなく、むしろ安心したという意味合いの方が大きい。何しろ、ナイトモンは今まで長内朱実という少女に散々驚かされてきた。自分に生身で立ち向かい、あの魔王にすら生身で一撃を浴びせ掛けた。それは彼女が単なる人間である以上、有り得ない光景。だが間違い無く彼女は人間で、それ以上でも以下でもない。
だからこそ、こうした欠点をあからさまに見せられると安心するのである。やはり彼女も完全無欠の存在ではないのだと。
「ま、まあ二宮市に着けばいいんよ。少しずつ行こうじゃない?」
「……はあ、了解です。ひとまず北に行けば良いのですね?」
「うん、そうと決まれば話は早いね。北というと……寒い方でいいんだよね」
徐に舌を舐めて「寒い方」を確かめている彼女の姿には、二の句が告げない。
本格的な方向音痴というものを、ナイトモンは初めて見た気がする。だが文句は言えない。自分は彼女に忠誠を誓った身。朱実自身にそんな自覚は無いのだろうが、彼女が自決しろと言うのなら、それに答えるだけの覚悟が、今の自分にはある。けれど、この姿はあまりにも間抜けすぎる。
どうしたものか、とナイトモンが思案したその時。
「へえ、やっぱり故郷に戻りたいのね。……アンタみたいな人殺しでも」
不意に響く幼い声。それは少女特有の柔らかな声色だった。
「……誰だ」
「全然気付かなかったみたいね。それで武人を名乗るなんて笑っちゃうわ」
そう、それが問題だった。響いた嘲りの声に、朱実は身構える。
グロットモンやアルボルモンの尾行を見破った時のように、朱実は周囲に迫る敵意や殺気に対しては過剰なほどの感覚を持っている。視覚で確認などせずとも、それだけでわかるのだ。だが今は状況が全く違う。人並み外れて鋭敏な感覚を持つはずの自分が看破できなかった。
それが何よりも朱実のプライドを傷付けた。
そうして路地裏から静かに朱実とナイトモンの前に姿を見せたのは、10歳前後の一人の少女。その頭髪は黄金のショートカット。マントのようにも見える漆黒のローブを風に靡かせながら、彼女は悠然とした笑みを湛えて朱実の前に現れた。彼女の黄金の髪には染められた気配など微塵も感じさせないというのに、少女は明らかに東洋系の顔立ちを持つ。
その時点で少女は矛盾。本来なら有り得ないはずの事象。
「幼女……だと?」
「失礼しちゃうわね。……私はアンタより遥かに長い年月を生きているつもりだけど?」
少女が浮かべた嘲笑うような笑みは、年齢に似合わぬ淫靡さを感じさせる。
女としての魅力で考えるなら、その時点で朱実は彼女に負けていた。だが彼女はそのことに悔しさを覚えたりはしない。ただ、現れた少女が纏う非人間的な空気に呑まれそうになる自分の体を、必死で支えるだけで精一杯だった。
「……ぬぅ。この異質な気配……アンタ、普通の人間ではないね?」
「大正解、意外と鋭いみたいね。……ええ、確かに我が身はこの世の光であれと生み出されたものよ。その入れ物としての名前で言うのなら、一応ジャンヌって呼ばれてるわ」
オルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルク。
彼女の名は間違い無く、そんなフランス史上に残る英雄から取られたものだった。神の啓示を受け、祖国を救わんと立ち上がったフランス勝利の立役者。異端者として扱われ、火刑という形で最期を遂げるも、死後の復権裁判を経て英雄として崇め上げられた少女。そんな英雄の名を、彼女は与えられたのだ。
故に彼女は光の闘士。単なる人間では敵わぬほどの力を持つ存在。
「アンタがいくら強いといっても、それは普通の人間レベルでの話にすぎないわ。結局、私達十闘士に勝てるわけがないのよ。……覚悟しなさい、長内朱実。歪んだアンタの存在が許されるのも今日までなんだから」
「な、何を言っている……?」
「理解が及ぶ必要は無いわ。……アンタは今、この場で死ぬのだから」
少女の全身が激しく発光する。その光が彼女の両腕に装着されている手甲から発せられているということに朱実が気付いた時には、既に視界の中から少女の姿は消滅していた。光の中で静かに形作られていくのは一体の銀狼。かつて水の闘士を滅ぼした獣型の闘士。
「――――――!」
そうして、ガルムモンが牙を剥く。
五日ぶりに訪れた我が家は、やはり落ち着くものだ。
昨夜、環菜との戦いの中で犠牲にした上着の代わりにと、義母に買ってもらったばかりのジャンバーを上から羽織りながら、八雲はそんなことを思う。当然、そこは最初にクラウドと出会う前以来に戻ることになった渡会家。
居間には靖史と環菜を待たせてあるので、急いで戻ることにする。
「………………」
一瞬、窓の外に変な黒い影が見えたが、気にしない。
居間に戻ると、中心に置かれた炬燵で対極の位置に腰掛けている靖史と環菜が目に飛び込んできた。靖史が環菜に対して興味津々な視線を送っているのだが、一方の環菜はどこから持ってきたのか、妙に高級そうな湯飲みで上品そうにお茶を啜りながらも、靖史のことなど気にも留めていない様子である。それはそれで哀れな気がする。
頑張れよ、靖史君。そう一言だけ心の中で呟いた。ちなみに、ウィザーモンとブラックガルゴモンは部屋の片隅で体育座りをしている。多分この空間を覆う異質な雰囲気に居た堪れなくなったのだろう。正直に言って、八雲とて同じ気分だ。何よりも落ち着かないし、窓の外を見る度に冷や汗が出てくる。
懐かしの我が家だというのに、やっとの場所で辿り着いた安息の場だというのに。
「………………」
窓の外にはデビドラモンの複眼がハッキリと見えるのだから。
「………………」
いや、忘れよう。奴のことを気にしていたら、気が滅入る。
何気なくウィザーモンの方を見やると、彼もまた同じような気分だったのか、乾いた声でははははと狂ったように笑い出す。掛けてやるべき言葉も無く、彼は隣のブラックガルゴモンと顔を見合わせて、膝を抱える腕の力を強めた。
そんなわけで八雲も炬燵に入る。靖史と環菜から同時に視線を向けられたので、躊躇いながらも二人の中心に入ることにした。
話すことは山ほどあるだろう。環菜とは昨夜から今朝に掛けて散々話し込んだつもりだが、靖史から聞けるだろう話を加えれば、更に見解が深まるかもしれない。それに、あの炎の闘士に何らかの興味を覚え始めていることも間違いの無い事実なのだ。
「それで靖史」
「この可愛い女の子は誰なんだ?」
「お前な……いきなりそれかよ」
大きくため息を吐くが、やはり靖史が自分の良く知る彼だったことには安心できた。
あのヴリトラモンと対峙した時の靖史は、彼の契約者の性格もあってか、まるで別人のような冷たい目をしていたような気がしたのだ。言うなれば、それは八雲が朱実と初めて遭遇したあの十闘士、闇のダスクモンのような冷酷さと残虐さを秘めた目だった。靖史が矛を収めたのも、単に炎の闘士が人間の姿に戻ったからという理由でしかないのだ。もしも奴の進化があのまま解けなかったとしたら、靖史は容赦無くデビドラモンに奴の命を奪うことを命じていただろう。
だが思い過ごしだったのかもしれない。やはり靖史は園田靖史でしかなかったようだ。
「可愛いって言われて悪い気はしないけど……いきなり指を差すのは無いんじゃない?」
「ご、ごめんね。じゃあ改めて。僕は園田靖史だけど、君は?」
一人称が変わっていることには突っ込むべきだろうか。……迷う所だ。
「……皆本環菜よ。よろしくね、園田君」
「う、うん。こちらこそ!」
その声が上擦った様子からして、靖史は環菜に一目惚れしたらしい。
しかし、この状況は正直言って理解し難いものがある。確かに皆本環菜は可愛い。一目惚れするのも無理は無いと言えよう。だが確か靖史は、クラスメイトの稲葉瑞希に片思いだったと記憶している。そんな状態で他の女に恋心を抱くなんてと嘲り半分、呆れ半分で八雲は思う。この辺りが、渡会八雲が堅物だと言われる所以であろう。このご時世に一夫一妻制など、今更だというのに。
やがて、三人は各々が今まで辿ってきた経緯を話し始める。その経緯は三人が三人とも、殆ど変化の無いものだった。全身から力が抜けるような感覚を散々味わった後、己が契約者と出会ってD-CASを得た。それだけのことだ。
三人とも二宮市の出身であるわけだが、二宮市に残された八雲を除けば環菜は群馬辺りに、そして靖史は東京に飛ばされたというのだから驚きだ。
「……てことは、朱実もどっかに飛ばされてるってことなのか……」
「げっ。あの女も残ってんのかよ」
露骨に嫌そうな顔をする靖史の姿に、朱実を殺すのが目的と語ったジャンヌの姿が重なり、八雲は少し腹が立った。
「……あのな、朱実はそんなに悪い奴じゃ」
「何はどうあれ、今は彼女と合流することを考えた方が得策よね」
何気なく紡がれた環菜の言葉に、八雲はハッとする。
昨夜に交わした長話の内容からして、この皆本環菜という少女は少なからず、渡会八雲と長内朱実に対して良い感情を抱いていないはずなのに。それなのに、敢えて靖史の言葉を遮るように言い放たれたその台詞からは朱実に対する何らかの思いを感じ取れた。
思わず八雲が彼女の顔を見ると、環菜は顔を逸らしながら。
「……勘違いしないで。こういう場合は猫の手でも借りたいって、そう言いたかっただけよ」
「まあ、環菜ちゃんがそう言うなら……」
困ったような顔で靖史も呟く。
とりあえず、今の時点で自分達が為すべきは世界を元に戻すことだろう。理由など無いが、何故か今の世界が続いては、良くないことが起こるだろうと直感できる。グラウモンが言っていた言葉が気にならないと言えば嘘になるが、それでも今の世界が続くよりはマシだ。
だから今は世界を元に戻さなければならない。それが八雲の結論だった。
「ははは! それに関してはな、俺はトップシークレットを握っているのだ!」
「……靖史、何でお前がそんなことを」
聞き返すと彼は「うっ」と呻いて黙り込む。その姿も何故か普段の靖史とは違って見える。ハッキリとした理由はわからないが、何故だか今の彼はどこか空回りしているような気がするのだ。無理をしているとでも言い換えれば、わかりやすいだろうか。
以前の彼を知らない環菜とて、靖史に違和感を覚えたのか。
「どこで手に入れたのかは知らないけど、信用できるの? その情報は」
「問題無い! これは絶対に確実と言える方法だ!」
「……言ってみろよ」
促すように八雲は言ってやる。
大して期待はしていないが、聞かないよりは幾分かマシだろう。その時の彼の考えは所詮、その程度のものでしかなかった。だから次に靖史が放つ言葉が如何なるものだろうと、そんな態度が変わるはずもなかった。
だというのに、そんな渡会八雲の親友であるはずの男は飽く迄も笑顔で。
「いやね、今の世界を司ってるのは十闘士って連中らしいって聞いたんだ。その内の一人が何らかの方法で世界を融合させたって話らしいんだけど……つまりさ、早い話が連中を全員殺せば世界は元に戻るんじゃねぇの?」
十闘士を全員殺す。園田靖史は躊躇い無く、その方法を告げるのだった。
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第26話:蠢く『闇』、迫る『鋼』
実力差はそれほどではないと見た。
しかし奴の敵意と殺意は圧倒的に朱実とナイトモンのそれを上回っていた。何しろ、奴は獣なのだ。野獣に理性や落ち着きを期待したところで無駄。今の奴は長内朱実とナイトモンを壊すことしか考えていないのだろう。
そして、だからこそ強い。
「スピードスター!」
「くっ……ベルセルクソード!」
ブレードを閃かせて突進してくるガルムモンを、ナイトモンが自慢の剣で辛うじて防ぐ。
あの幼女が変身した姿とは思えないほどの、圧倒的な威圧感。猛り狂うかのような唸り声は大気をも震動させ、その強靭な四肢で踏み締められた大地は少なからず陥没しているようだ。ベルゼブモンが言っていた伝説の十闘士という名を思い出す。今になって思えば、その名は初めて出会った闇の闘士、ダスクモンが語った名前ではなかったか。
そして同じくグロットモン、アルボルモンもその一人なのだろう。
しかし眼前に迫る光の闘士、奴の殺意は全くの別物だ。確かにグロットモンやアルボルモンも自分達を狙ってきた。だが目の前の銀狼が放ってくる是が非でも長内朱実を殺そうというその強き意志には、むしろ切羽詰まった感じさえ見受けられるのだ。ある意味での必死さが感じられるとでも言い換えれば少しはわかりやすいだろうか。
何よりも朱実を躊躇わせている理由として、その相手、ガルムモンが狂気の唸り声を上げる以外は終始無言だということが挙げられよう。朱実は喧嘩という限定がありながらも、確かに誰かと戦うことが好きだ。だがそれは戦闘自体を好んでいるわけではなく、むしろ彼女は互いに高め合うための修練の場としての戦闘、または巧妙な掛け合いを楽しむための場としての戦闘が好きなだけだ。決して相手と傷付け合うという意味での戦い自体が好きなわけではなかったのだ。
だから、体はともかく心が萎縮してしまう。世界一強くなりたいと願った彼女は、いつの日か猛獣にさえも勝ちたいと願ってはいたが、それとこれとは全くの別問題。戦っていても楽しくないし、こんな戦いは彼女が求める戦いですらないのだ。
何故あの幼女が自分を殺そうとするのか、そして彼女は自分と何の関係があるのか。それすら朱実はわからない。
「アンタは、何者なんよ……!」
「………………」
その問いに当然、ガルムモンは答えない。
それこそがジャンヌの考えだった。人間同士が交わす言葉という事象は、最後の最後で余計な感情を覚えさせ得る。長内朱実とナイトモン程度なら、ヴォルフモンの姿でも十分に打倒できるだろう。だが余計な感傷を断ち切るため、彼女は敢えて獣型のガルムモンへと進化を遂げた。聞こえてくる全ての声を遮断すべく、また自分が標的として狙う女に一切の慈悲を与えぬために。
ナイトモンを弾き飛ばしたガルムモンが、文字通り閃光のスピードで迫る。
閃いたブレードは容赦無く朱実を切り裂かんとする。素早く横っ飛びして事無きを得るも、奴のスピードは留まるところを知らぬ。脚部に装備されたローラーがその敏捷性の源なのか、ガルムモンは驚くほどの速さで方向を変え、再び朱実とナイトモンに襲い掛かってくる。あのギガスモンですら方向転換には多少の手間を取っていたというのに、ガルムモンにはその隙が全く無い。そこを突かせてさえくれないというのか。
このままではジリ貧だ。奴は体力も底知らず。次第に体力の低下からこちらが追い込まれるのは目に見えている。なれば、勝機があるのならそれは短期決戦。
「でも……」
腰に携えたベレンヘーナを一瞥する。ベルゼブモンはそれを上手く使って生き残れと朱実に告げた。だが躊躇いが無いわけではない。拳銃はヌンチャクや竹刀とは違うのだ。それは相手に勝つための武器ではなく、紛れも無く誰かの命を奪うための武器。自分は自分のために誰かを殺せるのか、単なる野獣だからといって己が道を阻む敵として奴の命を奪えるのか。
そんな思案の果てに、朱実はフッと吐息を漏らした。何を今更、この手は遥か昔から血で汚れているというのに。
再び迫るガルムモンを、ナイトモンが迎え撃つ姿勢。
やがて激突するガルムモンのブレードとナイトモンの大剣。奴らが鍔迫り合いを見せている場所だけ大地が陥没を始める。しかし、ナイトモンもガルムモンも全く以って恐ろしいほどのパワーだ。それを背後から見やった朱実は。
「……アタシが叫んだら右に避けな、ナイトモン」
「あ、朱実殿?」
「この銃で奴の眉間を貫く。……情けない話だけど、今はそれに賭ける他ないしね」
鍔迫り合うナイトモンはパワーの違いからガルムモンに押し込まれ始める。
狙いは一瞬、チャンスも一瞬。ナイトモンが僅かに身を逸らした瞬間、朱実はベレンヘーナの弾丸をガルムモンの眉間に叩き込む。口で言うだけなら簡単なことだが、それは想像を絶する緊張感を朱実の胸に齎す。自分が照準を外しても、またナイトモンの回避が一瞬遅れても、その時点で自分達を待つのは避け様の無い死だ。震えないと言ったら嘘になるだろう。
だが、それを武者震いだと勝手に断じて、朱実は腰からベレンヘーナを引き抜く。
「ナイトモン、今っ!」
「はっ、はい!」
その声と共にナイトモンが身を屈め、右肩による当て身を浴びせつつも素早く鍔迫り合いの状態から離脱する。当然、相手を失ったガルムモンはショルダータックルの衝撃もあり、大きく態勢を崩した。絶好の機会。自分が望んでいた以上のことを、ナイトモンはしてくれた。
そうして朱実はベレンヘーナの引き金に指を掛け。
「――――――!」
瞬間、大爆発がガルムモンの体を包み込んでいた。
「やったか!?」
爆煙が晴れた時、既にそこに光の闘士の姿は無かった。
倒したはずは無いだろう。奴はあの程度で死ぬほど脆弱な存在ではない。逃げたのか、それとも態勢を立て直すために身を隠したのか、そのどちらかだろう。しかし、とりあえず朱実とナイトモンが難を逃れられたことだけは確かなようだ。
肩を竦めながらも呟くナイトモン。
「流石は魔王の武器……といったところですか。凄まじい威力です」
「……本当にそう思う?」
「え?」
朱実の言葉に疑問の声を上げるナイトモンだったが、振り返った先にある、トリガーに掛けられた彼女の手は微かに震えていた。
そう、彼女は最後の最後で引き金を引くことができなかったのだ。情けないと思うし、ナイトモンに罵倒されても仕方ないとも思う。だがベルゼブモンに撃った時とは違う。相手を殺すために殺すための武器を撃つことなどできない。それは長内朱実が長内朱実で在り続けるための必然だ。そもそも、このベレンヘーナは魔王の武装でありながらも別段際立った力を持つわけではない。如何に直撃したとて、あのような爆発が起こり得るはずもないのだ。
そのことが示す事実は、つまり。
「アタシ達は今、誰かに助けられた……」
要するに、それが答えだった。
決して屈辱ではなかった。彼女とて自分達の力は弁えているつもりだ。如何にベレンヘーナの力添えがあったとしても、自分達の力だけでは光の闘士を退けることはできなかっただろうことも、何の援護も無かったならば今頃自分とナイトモンはあのガルムモンの前に引き裂かれていただろうことも。
そう、理解はしている。けれど認めたくない気持ちは否定できない。
「朱実殿?」
「あれ……何者よ?」
怪訝そうな表情を浮かべ、朱実は背後を振り仰ぐ。
そこに立つ存在の姿を、彼女はハッキリと視認していた。趣味がテレビゲームということもあって、八雲に比して視力には昔から自信の無い彼女だったが、その時の朱実には両腕に鏡を備えた闘士の姿が細部まで見通せていた。
そこは朱実やナイトモンの背後に聳えるビルの屋上。
「どうやら、私もまだまだ甘いようだ。……とうに捨て置いたつもりだったのだがな」
突き出された右腕、またその腕に装着されたイロニーの盾を見やり、鋼の闘士は自嘲する。
見ていられなかったというのが正直なところであった。彼の援護が一瞬でも遅れていたら、長内朱実はガルムモンの牙の錆と消えていただろう。それが耐えられなかった。だからこそ、メルキューレモンは彼女を己が倒すべき敵だと認識しながらも手助けせずにはいられなかったのだ。愚かだと思う。十闘士である自分が、人間の小娘一人に愛情にも似た思いを抱くなど。
その答えは理解している。そう、ジャンヌと会った時からわかっていたのだ。長内朱実が倒されるのであれば、それは自分か渡会八雲でなければならないのだと。
自分を見つめている少女の真っ直ぐな視線。それをハッキリと見返して。
「だが私がそうであるのなら、お前もまた同じように甘いということか。……やはり決着は私の手で付けねばならんようだな、長内朱実……そして……」
まるで立派に育った娘を見守るような声で、鋼の闘士は呟く。
「……渡会、八雲……!」
その瞬間、存在しないはずの鋼の闘士の瞳から、涙が流れたようにも見えた。
あの靖史の発言以来、渡会家は静寂に包まれていた。
環菜が自宅の鍵を持っていないという理由から、八雲は靖史を含めて彼らを自宅に泊めさせてやっていたが、そこに義理以上の感情は無かった。元より無口な環菜はともかく、靖史に対しては必要以上に萎縮してしまっていた。それは紛れも無く、あの発言の所為だろう。
十闘士を全て殺せば世界は元に戻る。
それは清々しいほどに単純な方法だ。現にその一人であるラーナモンがあっさりと消えていく様を、八雲は既に目にしている。如何に伝説上の存在とはいえ、連中もまた他のモンスターと同じ、データが形を成した存在にすぎない。しかし、だからといって殺すことを容認できるわけではない。そもそも、八雲は如何なる命とて理不尽に奪われるべきではないと信じているのだから。
グラウモンに倒された鎧竜、ガルムモンに殺されたシードラモンとカルマーラモン。彼らの断末魔の叫び声は今でも耳に残って離れない。
「……ウィザーモン、お前はどう思う?」
「わかりませんね。……本来なら私も殺し合い、殺され合う者ですから」
それを好まないからこそ自分は知を求める者になったのだ、とウィザーモンは語る。
最初からわかっている。人間界に溢れ出た異形のモンスター達。彼らに須らく宿るのは強い闘争本能だけだ。目の前に現れる者を迷い無く敵と判断し、その命を奪うためだけに戦い続ける者。文字通り、弱肉強食と呼ばれる世界がそこにはある。
はぐれ者同士だな、俺達って。相変わらず人気の無い街中を歩きながら、八雲はそう呟く。
この二日の間、八雲とウィザーモン、環菜とブラックガルゴモン、靖史とデビドラモンはそれぞれに別れて十闘士の足取りを追っていた。靖史の考えに賛同したわけではないけれど、それ以外に心当たりがあるわけでもないし、また親友が嬉々として発案した考えを跳ね除けられるほど大人でもなかった。それに、ジャンヌとのことから考えても、十闘士と対面することには少なからず良いことも齎すのではないかという淡い期待もあった。
無論、迷いはある。この先、もしも自分の目の前にあの金色の少女が現れたのなら、果たして自分は彼女を殺すために龍斬丸を抜けるのかという迷いが。
そんなことを考えている最中、環菜とブラックガルゴモンが並んで前方から歩いてくる姿が見えた。相変わらずの仏頂面に、どうも勿体無いと思ってしまう。普段からあんな表情で街中を歩いているのだとしたら、ナンパしようなどと考える不届き者はいないだろう。
何故かこの二日間、街では殆どモンスターと遭遇しなくなっていた。元々モンスターが少なかったのは、二宮市が融合世界の基点だからだとブラックガルゴモンが言っていた。だが今はその時よりも更にモンスターが減っている気がする。……誰かに倒されたのだろうか?
そんな思いを押し殺しながら、聞き返す。
「……何か手掛かりはあったか?」
「無いわね。そもそも、私は十闘士っていうのがどんな連中なのか知らないんだけど?」
「言われてみれば、そうだったな」
思い出すのは環菜を見て驚愕した炎の闘士の姿。……まさかとは思うが、靖史と同じように一目惚れしたとかではなかろうな。
いつの間にか二人は並んで歩く形になっている。前方に見えるのは、偶然にも二人が通った小学校。何故かその校舎を見つめた瞬間だけ、環菜の無機質な双眸に僅かながらも光が宿ったような、そんな気がしたが、恐らく見間違いだろう。
環菜は唐突に、やはり先程と変わらない仏頂面で呟いた。
「……あそこも普段なら、子供達の声で賑わってるんでしょうね」
「かもしれないな」
「戻してあげたいって、そう思わない?」
その声に含まれていたのは、ひょっとして感傷だろうか。
何気なく八雲は環菜の横顔を眺め見る。その表情に少しでも悲しげな色が宿っていたなら、皆本環菜という少女に対する認識を改め直さねばならなかったのかもしれないが、残念ながら彼女の表情に変化は微塵も見られなかった。相変わらずの能面のような表情だが無表情でこの可愛さなのだから、笑顔がどれほど可愛いのか想像もできない。下手したら稲葉瑞希を軽く抜いて、八雲の人生でNo.1の美少女になるかもしれないというのに。
大きくため息を吐く。出会ってから三日、未だに八雲は彼女の笑顔も泣き顔も怒った顔も、何も見ていない。いつか見られるのだろうかと思うが、難しい気もする。
そんなことを考えていると、上空をデビドラモンが通過した。その黒い魔竜は静かに小学校の校庭に着地する。どうやら靖史がそこにいるらしい。特に成果があるわけでもないのだが、ひとまず合流しておいた方が得策だろう。
校庭の真ん中に立っているのが靖史だ。だが、その隣に積み上げられた山は――?
「おう、来たか八雲。それに環菜ちゃんも」
「靖史……これ」
「コイツら? ああ、生意気にもこんなところで群れを作ってやがったからな。死んでもらったわけ」
そう言って、彼は山のように積み上げられたモンスターの遺体を、顎で杓った。
何故だろう。そんな彼の姿は驚くほど、朱実と再会した日に遭遇した闇の闘士の姿に似ていた。
隣の環菜は無表情。ウィザーモンは少なからず嫌悪感に顔を顰めていたものの、ブラックガルゴモンはむしろ満足とでも言いたげな表情を浮かべていた。そう、彼らがモンスターである以上、それは当然のことなのだろう。弱肉強食のこの世界は、要するに殺し合いの拡大版。傷付け合い傷付けられ合い、殺し合い殺され合うことこそが世界の本質なのだから。
だからそれを否定する八雲やウィザーモンの方が、この世界には異分子なのだ。
「……靖史」
それでも、そうだとしても。
「お前、何でこんな無意味なことを……!」
「無意味?」
その言葉が心底不思議だ、とでも言わんばかりに園田靖史は普段、学校で見る彼と何ら変わりの無い表情で八雲のことを見返した。
そんな彼の心の内を示すかのように、積み上げられたモンスター達の遺体が静かに粒子化していく。何の感慨も無い、ただ静かなる消滅。データの塵となって消えていく彼らには、何の慈悲も与えられることは無いだろう。彼らを待つのは完全なる消滅なのだから。
そして、それを行ったのは紛れも無く園田靖史その人なのだ。
「……無意味じゃねえよ。今はとりあえず騒ぎを起こすことが目的だからな」
「騒ぎだって?」
「ああ。……こうして騒ぎを起こしていれば、少なくとも目は引くわけだ。そうすれば、いつか連中が現れるかもしれないだろ」
彼にモンスターの生命を奪ったという後悔は無かった。更にハッキリと口には出さないが、園田靖史は告白した。この街のモンスターを次々と消していたのは紛れも無く自分とデビドラモンなのだと。それも、ただ騒ぎを起こして十闘士を誘い出すためだけに。普段通りの皮肉そうな笑みを浮かべた彼の表情が、それを何よりも雄弁に語っていた。
感覚が麻痺している。思わず靖史の胸倉を掴んでいた。
「靖史、お前……!」
「あのなあ、文句は言えないはずだぜ。……お前も同じことをしたんだからさ」
その言葉に戸惑う。自分が靖史と同じことをした――?
「あの夜、お前とあの女はグロットモンとアルボルモンに襲われた。その前日にダスクモンと遭遇しているお前らがだ。……これが偶然だと思うか?」
「それは――」
「……答えは簡単だ。それはお前と長内朱実が強かったからだよ。奴らはダスクモンを相手に回しても殺されなかったお前らに脅威を感じて、その存在を消し去るために現れたんだ。……ほら見ろ、奴らは強い者のところに現れる。それが今の俺と何が違う?」
全く以って違う。自分と朱実は誰も殺さず、誰も無益に傷付けてなどいない。
「お前、本気で……本気で連中を殺すつもりなのか……」
「……そんなもの、考えるまでも無いことだろ。連中のご大層な目的のために、俺らが死んでやる義理は無いんだし」
「それは……確かにそうだけど」
「元々、連中の勝手な行為の巻き添えを喰って俺らはこんな厄介事に巻き込まれることになったんだ。……だから死んで償ってもらうぐらい、当然のことなんじゃねぇの?」
その目には何の感情も無い。
園田靖史は皆本環菜以上に無表情な瞳で、五年来の親友のはずの自分の顔を見つめていた。十闘士を殺すという名目を得た今の彼に、最早迷いや躊躇いは微塵も無い。決して揺るがぬ心力を得た靖史なら容易くそれを成し遂げるだろう。そして彼が狙う者達の中には、数日前に自分を守ってくれたあの黄金の少女もいる――。
十闘士を倒す。彼らの命を奪う。彼はその意味をわかった上で言っているのか。
「お前、自分の言ったことの意味がわかってるのか……!?」
「……当然だろ。あの時は酔狂で逃がしちまったけど、あの炎の闘士とかいう奴も次に会ったら逃がすつもりはねえ。俺がきっちり倒し切ってやるよ」
そうして、彼は告げる。自分は十闘士を、人間と同じ姿形を持つ者を殺すことすら躊躇わないのだと。
「靖史……!」
「おっと、お話はここまでだ。……来たぜ、八雲」
「……なんだと?」
「お前にとっては倒した敵、俺にとっては憎らしい木偶の坊が……だ」
八雲の手を振り払い、靖史は背後を振り返る。
そこには這うように歩いてくる大木と共に接近してくる一体の異形の姿。始まりのあの日、長内朱実と共に逃げ、そして戦った間抜けな姿の木偶の坊の姿が、そこにはある。放たれる殺気はあの日の比ではない。人間は融合世界で体力が著しく低下するということを、八雲は身を以って知っている。つまり、あの時の奴はその逆の状態だったわけで、現在は万全の状態というわけだ。契約者を従えているのが何よりの証拠だろう。
生身の人間では太刀打ちできない絶対的な殺気を以って、木の闘士がその姿を見せた。
「ようやく会えたな……殺してやるよ、木偶の坊」
その殺気を前にして、八雲の親友であるはずの男はそんな言葉を呟いていた。
【後書き】
基本的に綺麗事や青臭い理想論が大好きな作者ですが、流石に干支一週前の自分の文章の青臭さを読み返すのは拷問に等しいと言える。それは大人になったということなのか、それとも……。
デビドラモンは作者にとって大好きなデジモンである故、とにかく贔屓を凄まじくしております。しかし現時点で集まったメイン三人のパートナー(契約者)がウィザーモン・ブラックガルゴモン・デビドラモンなのは些か渋すぎるという自覚はあるのです。
42話で第一部・完結ですので週一、ノンストップで行く所存ですが、次回でようやく! ようやくアイツが!!
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