明日死ぬならどうする? って聞くのが、今日のわたしの目標だった。
明日、「明日死ぬならどうするか」聞こうと思って眠りにつくのは、思っていた以上に怖いことだった。
だって、明日死ぬなら大好きな人は何をするかなーって思いながら、それを聞く前に本当に翌朝冷たくなっていたら馬鹿みたいだ。その場合、わたしが言うつもりだった「明日」はいつのことになるのか。「死ぬ」というその意味はどこに飛んで行ってしまうのか。そんなことを考えて背中がすうっと冷えて、やがて黙って座っていられないくらいに怖くなってしまう。
だから、少なくともそうはならなくて、わたしは安心している。わたしの心の中の「明日」も「死ぬ」も、少なくとも今日じゃない、どこかもっと有るべき場所にはまっていったような気がする。
それはめったにあることじゃない。わたしはパズルがへたくそで、わたしが選ぼうとするピースはいつも、右か左か、あるいはその両方がつっかえて、うまくはまってくれていないから。
時々、ハルキの世界にも、わたしはきっとうまくはまっていないんだなと思う。わたしが自分のことを話すと、彼はときどきなにかを一生懸命考えているような顔をする。ハルキはときどきわたしの百面相をからかうけど、自分だって相当分かりやすい表情をしていることには気付いていないらしい。
わたしがハルキの世界にぴったりはまらないことに、きっとハルキも気付いている。そして時々腕や足をむりやり広げて、自分も世界にはまっていないようなフリをしてくれる。
彼のそんなところが、わたしはとても好きだ。ハルキと2人で、世界にわたしとあなただけ、という夢を見ていると、胸の奥が熱くなって、泣きたくなるくらいに幸せだ。
でも、きっと、きっと、ずっとそうではいられないんだと思う。わたしがわたしであるせいで。
今日、どちらかが先にいなくなる、という話をしたときに、わたしと、そしてたぶんハルキも、思い浮かべたのはわたしの方だったはずだ。
それはハルキのせいじゃない。昔から、わたしと話す人達はみんな。あたまのどこかで、わたしがいなくなることを考えているように感じてきた。先生もおにいちゃんも、妹たちも。
みんながそう思うってことは、やっぱりそういう日は、きっとやって来るんだと思う。どんな形かはわからないけど、きっと神様みたいな誰かに全部つかわれちゃうんだろうって、何となくそう思う。
だから、ハルキから告白された日(きゃー!)、「どこまでも一緒に」って言葉が、すごくすごくうれしかったけど、同時に寂しくもあった。わたしと永遠を誓うのは、とっても大げさで大変なことなんだって、顔を見て分かっちゃったから。
あーあ。もっともっと簡単に、”ずっと”とか”いつまでも”とか言ってくれたら、わたしなんでも許しちゃうのにね。
・・・・・・違った違った。
とにかく。わたしたちに本当の”ずっと”はない。だから今日、「明日死ぬならどうする?」と聞こうと思ったのだ。わたしがいなくなったあと、ハルキに無理しないで生きてほしかったのだ。わたしがそう考えていると彼にやんわり伝える、わたしならではの完璧な作戦だったのだ。
結果から言えば、酷くお粗末だった。そもそも「明日死ぬならどうする?」なんてかわいく聞けなかった。「ねえ、明日死んじゃうとしたら、ハルキはどうする?」とか言っちゃった。これは細かな違いだけど重要なことで、デッカードのテストにすぐ見抜かれてしまうほどの違いだ。
そして、その後の話は、ハルキが優しいなとか、相変わらず理屈っぽくてかわいいなとか、夕陽の中で見る横顔がいつにもまして格好良いなとか、そういうことを考えていたせいで、正直よく覚えていない。
今、いつのまにか部屋に来てたあの子に「ダメじゃん」って言われた。そうなの。ダメなの。
でも、まあいいや。次に会ったときの話題は「この間どんなこと話したっけ」に決定したわけだし。
あの子に「そんなんじゃ、昨日や明日のことばかり話してるうちに、お別れになっちゃうよ」と言われました。そうだね。がんばらないと。
とにかく、話し相手も来ちゃったし、そろそろ兄さんに夜のあいさつして寝なくちゃ。今日の日記はこれでおしまい。
結局、わたしが明日死んだらハルキにしてほしいこと、何にも書かなかったな。明日でいっか。
あ、今「後回しよくない」って、ちっちゃな足にけられました。ハルキ。明日わたしが死んだら、代わりにこの子をたのむ。なんてね。
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”塔京”の中心部。昼も夜もないと言われる街の中で、その場所は他より少しだけ夜が夜らしくいられる場所だった。建物に点々と灯った明かりを別にすれば、人の気配はない。
そんな街並みの中に、一台の黒い自動車が滑りこんだ。タワーマンションの影がつくる闇に溶け込むように停車し、ドアの開け閉めの音が密やかに響く。
それからしばらくして、運転席のドアが開き、長身の男がゆったりとした動作で歩み出た。闇の中でも輝かんばかりに磨き上げられた車体に寄りかかると、やがて彼の手元でほのかな明かりが灯り、紫色の煙が立ち上った。
「やあきみ、冷える夜だね」
闇の中からそんな声がして、男ははっとしたように振り返る。ざわりとなにかがうごめく音がして、やがてマントに身を包んだ吸血鬼──ヴァンデモンが現れた。ただそこにいる人物が増えただけなのに、夜がずっと深まったように当たりが一段暗くなる。
”塔京”に現れたデジタル・モンスターの中でも指折りの実力者とされるヴァンデモン。しかし男はかえって安心したように笑みを浮かべた。
「ヴァンデモン、俺のことは”親友”と呼んでくれないんですか?」
男──才原夜鷹は、そう言いながら煙草をふかす。ヴァンデモンはそれには返事をせず、彼の口から漏れる煙に目を向けた。
「煙草かい。教団で禁止されているだろう」
「こんなに美味しいのに?」
彼は細い目に笑顔の色を浮かべ、それから唇を引き結んだ。
「ハルキさんのこと、ありがとうございました。俺たちじゃ、治療の手配まではとても」
「治療?」ヴァンデモンは三日月のような笑みを浮かべる。
「そうだな。確かに私はハルキを治療した。彼は?」
「ええ。無事に教団の所有する地方のコミューンに移ったようです。記憶の混濁が見られるそうですが、一週間も寝てたんだから無理もありません。今は妹たちが面倒を見てくれています」
「”選友会”の内部だろう。心配は無いのか?」
「彼は記録上は”才原かささぎ”だ。バレませんよ。あそこの誰も彼の顔を知らないし。今教団内で積極的に彼を殺そうとしているのは”先生”だけだ。その”先生”も今は塔京に詰めています。なにかあっても、俺の兄弟が隠してくれますし、彼にとっては最良の隠れ場所だと思いますよ」
「そして君にとっても、か?」
「ええ、まあね」
ヴァンデモンの問いかけに彼は肩をすくめる。
「これでハルキさんは”塔京”で起きる全てからリタイアしたわけです。もう傷つけられる事も無い」
「なるほどな。彼が君に同調しないなら、遠くにいてもらった方が良いと」
ヴァンデモンの言葉には柔らかな否定のニュアンスが混じっていて、夜鷹は鋭い瞳を向ける。
「あなたは不賛成ですか」
「いいや? しかしただ遠くに放り出したからって諦めるような男だったら、誰もあそこまで手を焼かなかっただろうとは思うがね」
「手を焼いた?」
今度は夜鷹が否定の意を示す番だった。
「俺とは意見が違いますね」
「”カンパニー”も”コレクティブ”も彼にしてやられたじゃないか」
「戦ったのはハルキさんじゃない。俺たちや警察のレプリカントです。そのどれも、あの人を助けるためだった。彼は状況を引っかき回しただけだ」
「それでも、ソメノ・ハルキは真実を知った。彼が知っていたところでおよそ役には立たない真実だが、我々の誰も知らないままに闇に葬られるはずだった真実だ」
夜鷹は最後に勢いよく煙を吐くと、煙草を踏み消した。
「いいのかい? ここは高級住宅だろう」
「住んでる人間は違いますよ。うちの政治家センセイだって、年が二廻りも違う愛人と会うためにここに来てるんだ」
嫌悪をにじませる彼に、ヴァンデモンも乾いた笑いを返す。
「”選友会”の、それも代議士がかい」
「別に、よくある話です。咎める気もおきませんよ。もとより教組さまだってさして厳しくもないんだ。まあ、“先生”が知ったら、半殺しでは済まないでしょうが」
その「先生」には、彼が自分の担当する政治家を指すのに使ったそれとは一線を画するほどの敬意が込められていて、ヴァンデモンは目を細める。
「君は秘書として、彼を密会に送り届け、代わりに自分もお目こぼしをもらう、というわけだ」
「少しの自由時間をね。そのおかげで”選ばれし子どもたちの会”は活動できています」
「そんなことを、“コレクティブ”の幹部に言っても良いのかい」
「あなただから話すんですよ。ルーチェモンと距離があるあなただからこそね」
夜鷹のそういった瞬間、周囲の闇全てがざわりと動いた。なんの気配もなかったはずの周囲に、無数の気配が現れる。
「ネオデ──」
とっさに端末に手を伸ばそうとして、彼はその手がぴくりとも動かないことに気付いた。
「──!」
「安心しろ。”すべて”私だ」
闇の奥、無数の気配の全てから声が響く。夜鷹の額から一筋の汗が落ちる。
「続けるといい。私とルーチェモンとの間に距離があって、そして?」
「……」
「なるほど、つまり君は”コレクティブ”と”選友会”の反抗勢力同士として、私と手を結びたい、とい
うわけだ」
「……あなただって今の扱いには不満なはずだ」
絞り出すように吐き出した彼の問いに。ヴァンデモンは肩をすくめる。
「仮にそうだとして? ルーチェモンはこの1000年で一番働いているよ。各分野から”カンパニー”を駆逐し、”コレクティブ”の支配を広げている。悪魔達と密接に結び付いた”選友会”と共に、まさにこの世の春だ。ごくわずかな勢力にすぎない君たちと手を結んでも、私に反抗の余地などこれっぽちも有りはしないさ」
あざけるように鼻で笑う吸血鬼に、夜鷹は首を振る
「そう馬鹿にしたものでもありませんよ。人々の前に”うさぎ”が姿を現し、”カンパニー”のリーダーであるナノモンが殺されてからもう2カ月。世界はずいぶん変わりました。人とデジモンで見え方が違う”うさぎ”は、2つの種族の分断の象徴になった。いま、街で起きていることを知っていますか?」
「あいにく、日の光は嫌いでね」
「うさぎのマスクを付けた若者達がデジモンへの犯行を呼び掛けてデモをしてる。デジモンに良いように支配されている司法や、”選友会”の進出が目立つ政界に対する不満が噴出してるんです」
「警察が本気になればすぐにでも潰されるだろうに」
「ええ。でも、もしその声をまとめ上げる者がいたら? 彼等一人一人が武器を取らないにしても、組織だってあなたの反抗を支持する人間達の存在は魅力的なのでは?」
「そして君はその先頭で権力を手にすると?」
「まさか」
夜鷹はそんな質問自体が驚きだとでも言いたげに、くすりと笑った。
「俺の目的は、妹を殺した教団への復讐です。それが終われば、人も力も、あなたにあげますよ」
「──ふ」
一瞬の沈黙の後、穏やかな笑みと共に暗闇を満たしていた緊張が緩んだ。瞬間、夜鷹のスーツの下から汗が噴き出し、彼は力なく膝をつく。
「・・・・・・悪い冗談ですよ。ヴァンデモン。本当に殺されるかと思いました」
「何が冗談なものか」
にこやかな声色だが、しかしヴァンデモンの声にはまだ緩みがない。
「君がそれなりに語って見せなければ、とっくに死んでいたさ。それだけの内容を語って見せたという自覚をしなければ、私がここで見逃したところで、先は長くない」
「検討していただけると言うことで、いいんでしょうか」
「面白い話だったが、それだけだ。今は自分が生きていることを幸運に思いたまえ」
「・・・・・・ヴァンデモン、チャンスを逃すべきじゃない」
「今がチャンスだと?」
「そうです。人間がデジモンに敗北してからここ10年近く、人には摩擦がなかった。多くの人ががあきらめの中で衝突を避けていた。人類は熱を失い、緩やかな滅びに向うだけの存在になった。それが”カンパニー”の思惑だったのかも知れませんが」
「その“摩擦”が戻ってきたと、君は言いたいわけだ」
「ええ。熱がある今の瞬間を、逃すべきじゃない。人間の時間は、あなたが思っているよりもずっと、早く過ぎてしまう」
彼がその言葉を闇に放ると同時に、高らかな笑い声がして、その場からヴァンデモンの気配が消える。少しの明かりが増えたわけではないのに当たりが昼日中ほどに明るくなったような感覚に襲われ、夜鷹はため息をつくと、二本目の煙草に火を付けた。
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僕は一ヶ月近く眠っていたらしい。
東京という街から来たのだと、あひるが教えてくれた。話しぶりからしてあひるも東京のことをよく知らなそうだったから、そのことを指摘したらひどく怒られてしまった。
あひるもからすも、その他の庭の僕のことを末の弟のように扱った。どう考えても僕の方が老けているという主張も通してはもらえない。ある日の朝食の席では、みんなが人気のいちじくのシロップ漬けを僕の皿に分けてくれて、僕はからすに手伝ってもらってやっとそれを平らげたのだった。
家には僕以上に年を取った人間はおらず、年長者のあひるとからすの元、皆は分担して家事や畑仕事をしていた。病人の僕は外に出してもらえず、子どもだけでは難しそうな力仕事を少し手伝ってあげることしかできなかったが、それでも皆、来たばかりだという僕をあたたかく受け入れてくれていた。。
僕たちの家はコの字型になっていて、ちょうど「コ」の囲みに入るようにして、小さな庭があった。時折雪がちらつく季節だというのに、子どもたちは隙があれば庭に出て、走り回ったり、喧嘩をしてあひるに仲裁されたりしていた。
「かささぎも、もっと暖かい季節に来てれば、外にも出られたのに」
ある日の読書の時間、図書室の窓から庭を見ながら、僕の右隣であひるがぽつりと呟いた。赤みの強い髪をおかっぱ(前に”おかっぱ”と言ったら怒られた。本当はもっと今風の名前があるらしい)にしていて、年は20を超えているはずだが幼く見える。冬特有のきつい日差しが目に差し込んだのか、いつも怒っているようなその顔はさらに険しくなっていた。
「僕は大丈夫だ。今だって出られるよ」
「ダメですよ」
今度は僕の左隣で、からすがため息を突いて首を振った。小柄な青年で、こちらも年齢より幼く見える。広い額を隠すためにもっと髪を伸ばしたいのだと常々言っているが、毎月の散髪であひるに台無しにされているらしく、いまも短く切りそろえられた髪を指先でくるくるといじっている。
「かささぎは病人なんだ。死にそうなところからやっと目覚めたばかり何だから、やすんでないと」
「そういうなら、せめて僕がどんな目に遭ったかだけでも教えてくれ」
「ダメ。お兄ちゃんから秘密にしろって言われてるんだもの」
「君たちの兄、夜鷹、だっけ?」
「かささぎの兄さんでもあるんですよ」
「それって、変じゃないか」
「なにも?」
「そう・・・・・・」
僕は息をついて、手元の本に視線を戻した。読書の時間は毎日朝と夕の二度、一時間ずつ設けられていて、おのおのの作業の進みに合わせて時間を変えることもできる。今日はストーブの整備に3人で時間を掛けてしまったため、みんなより遅れて読んでいたのだ。
図書室の本棚を満たす無数の書籍からどれか一つを手にとって漫然と読み進める。収められているのはどれも荒唐無稽な物語だった。小さな子どもが考える、身の回りの物事が脈絡泣く入り乱れる支離滅裂な話と大差が無い。違いがあるとすれば、書いた人間がどれも、自分がなにかを──それが哲学でも皮肉でも──考えていると信じ切っている偏執狂だということだけだった。
「本当に外に出ちゃいけないのか?」
僕はそう言って、手の中の『紙の動物園』をぱたりと閉じた。表題作は泣きたくなるくらいの出来だった。残りの短編も良い小説ではあるものの、冬のまぶしい日差しの下で読むにはいささか気が滅入った。なにより、僕はこの小説を、一度か二度読んだことがあった。本棚にあるたいていの本がそうだった。
「本当よ」あひるは言った。「このあたりの冬はものすごいんだから」
たしかにな。と僕は思って、自分がこの地の冬の厳しさを知っていることに気付いた。
「じゃあ、春になったら?」
「それは、お兄ちゃんが許せば出られるんじゃないかしら」
「じゃあ、スイートピーはそばで見られるな」
僕のつぶやきに、あひるとからすは目をまんまるにして顔を見合わせた。
「かささぎ、どうしてスイートピーのことを知っているんですか?」
「そうよそうよ。誰かから聞いたの」
「え、どうして・・・・・・だろう」
誰かが教えてくれたような気がする、と、自分で見たんだ、と。二つの言葉が同時にあふれ出そうとして、僕は思わず口を手で押さえた。ずきん、とこめかみの裏側に痛みが走る。
「かささぎ!」
椅子をがたん、と鳴らして頭を抑えた僕の体をあひるが支えてくれる。彼女の手の温かみを感じている内に、やがて痛みはどこかに去って行った。
「もう大丈夫。悪かったね」
「・・・・・・平気ならいいわ。もう、心配したのよ」
「なにか思い出しかけたんですか?」
「いや、そういうわけでもなさそうだ」
僕のことばに、からすはふうん、と顎に手を当てた。
「とにかく、今日はあまり無理せずに休んだ方が良いと思います。夜はひばりのためのセレモニーだけですしね」
「ひばり? セレモニー?」
首をひねる僕に、あひるが少し表情を曇らせる。
「かささぎが来る少し前にね。亡くなっちゃった兄弟がいたの。才原ひばり。もう1カ月になるから、みんなで少し思い出を話すのよ」
「それは確かに、僕は邪魔かもね」
「そういうつもりで言ったんじゃないからね」
あひるが慌てたように手を振りながら、僕の顔をのぞき込む。
「かささぎ、優しくて色んなこと知ってるって子どもたちからも好かれてるわ。仲間はずれだなんて思わなくて良いんだからね」
「大丈夫だよ。でも、ありがとう」
ほほえみを浮かべて、少し頬が引きつっている自分に気付いた。寝ている間に表情筋が固まった、というだけでは説明がつかないだろう。記憶を失う前の僕は、よっぽどほほえんでいなかったに違いない。さみしい奴がいたものだと思いながら、僕はもう一度、さみしい奴が読んでいたさみしい小説に視線を落とした。
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言い争う声がして、僕は自室で目を覚ました。相部屋が基本のこの家で、あひるとからす、そして僕だけは例外的に個室をあてがわれている。少し申し訳ない気もしたが、小さな子どもと相部屋でどう接したら良いかも分からず、好意をありがたく受け取っていた。
ベッドから身を起こすと、窓からしんと冷えた黄色をした三日月が見えた。あれをナイフにしたら、痛みを与えることなく、するりと獣の喉を切れるだろうと、僕の中の誰かが考えた。
部屋の扉をゆっくりと開け、声のする方にゆっくりと歩いて行く。
明かりがついていたのは皆で朝のあいさつなどを行う共用のホールだった。近づけば、それがあひるが子どもを怒鳴りつける甲高い声だと気付く。
「ねえみんな、これどういうこと!? 飾り付けにこんなケーキまで・・・・・・」
困惑を多分に含んだ彼女の声に、それ以上に困惑したような子どもの声が重なる。
「ぼくたちで作ったんだ。今日はお祝いだもんね? それとも、牛乳勝手に使ったのダメだった?」
「何言ってるのよ。お祝いじゃないわ。今日は、死んだ兄弟・・・・・・ひばりのことを静かに考える日なの」
自分の態度を反省したのか、あひるは言い含めるようにゆっくりと語る。しかし、帰ってきたのは子どもたちの無邪気な声だった。
「うん、分かるよ。ひばり兄さんのこと考えてたら。わたしたち楽しくなってきちゃって!」
「ぼくもはやくあんなふうになりたいよなー!」
「ひばりは”うさぎ”にじゃまされちゃったから、おれたちはみんなで“天使”になるって決めたんだ」
「そしたらうさぎがやってきても、みんなでやっつけられるもんね」
天使、という言葉に、脳の奥が今までで一番酷くいたんだ。
「ね、どうしたの、姉さん? 顔色悪いよ?」
「姉さん、”塔京”であれ見たんだろ! どんな感じだったか教えてよ!」
「みんな・・・・・・」
あひるがカップを取り落とし、ぱりんと音が鳴る。さすがに見過ごせないと思い足を踏み出そうとしたとき、誰かが僕の背中を叩いた。
「かささぎ」
「・・・・・・からす? どうして」
「あひるとみんなのことはぼくに任せたほうがいいです。かささぎが出てもややこしくなるだけだ」
「でも」
「気になるんですか? ”天使”が」
からすが僕を見る目には、これまでにはなかったこちらを試す意思が感じられて、居心地が悪くなった。
それでも、これから目をそらすな、と、誰かが叫んでいた。
「頭が痛むんだ。僕の記憶に関わることなのかも知れない。放っとけないよ」
「そうですか」
からすは少し考えた後、ポケットからじゃらりと鍵束を取り出し、僕に手渡した。古風な鍵から僕たちの部屋の鍵と似たものまで、色々な鍵が付いており、持ってみるといやに重く感じられた。
「これは・・・・・・」
「この家の部屋、全部の合い鍵です」
驚いて顔を上げる僕に、からすは肩をすくめた。
「兄さんから預かってたんだ。かささぎはどうせ、じっとしていられないだろうからって。外に出るのは相変わらず禁止だけど。これからはそれで家の中を自由に調べて良いです。でも、あひるには内緒ですよ。彼女や誰かに見つかっても僕は助けません。こっそり動いて下さい」
「この家に、何かあるの?」
「何もないよ」からすは珍しく強い口調で否定した。
「ここには、なにもない」
そう吐き捨てて、彼は何事もなかったかのように、あひると子どもたちの仲裁にむかう。
足元がぐわんぐわんと揺れているような気分だった。別の星の子どもたちの声と、別の星の重力で、僕の頭はまた、ずきり、と痛んだ。
(きゃー!)てお前過ぎて、ちょっと後のちっちゃな足を留意し逃した。夏P(ナッピー)です。
遅くなりました。なんかメチャクチャ話が動いた気がして、前回の話から読み返してきてしまいました。夜鷹氏とヴァンデモン氏の会話は今までの“塔京”で起きた出来事の総括だったのだなと……てっきり何がしかの野心や裏があるのかと思っていたのですが、夜鷹氏は私心無く純粋に人類の側や立場で現在の世界について考えているということ(……ホントぉ?)なのか。
前回の時点で語られていましたが、ルーチェモンとヴァンデモンってそういう関係なんだ。そして夜のヴァンデモン怖すぎる、夜鷹兄さんは“夜でも昼と変わらない明るさの~”な場所であったからこそ油断があったのか。というか先生アンタ何しはってん。そんな大衆、いや下衆じみたこと普通にやれてるんだ人類……文字通りの意味で上級は違うぜ!? あとヴァンデモンの三日月状の笑み想像したらちょっとオサレ。
しかし敬語の男は疑えが定石、兄さんももうちょい腹に抱えてるものがあると見えますが……?
所変わってというか舞台は戻ってあの場所へ。あ、あひる……は20歳越えなんですな。おかっぱNGワードってことはシャウジンモンか何かか、ではなくボブってこと……? からす含めて年齢の割に幼いのは、純粋に“家”から出たこと無かったからか。かささぎも加わったので、才原ファミリーが続々と増え続けている……! そして三日月をナイフにしたら獣の喉笛を軽く掻き切れると思考するのもヴァンデモンの方の三日月と並んでオサレ、ねえ僕の中の誰か。
それでは今回はこの辺りで感想とさせて頂きます。