……やあ、目が覚めたかね?
あれだけの手傷を負ったというのに、大した回復力だ。
きっと“彼女”の力が守ってくれたのだろうね。
ああ、全滅したよ、彼らは。
君の元上司はどうやらとんでもない代物を作り上げてしまったようだな。制御下に置いたD・ブリガードのデジモンと有人機の編隊で足止めをしてから、そこにあの特殊個体の一撃……。流石の彼らも手足の出しようがなかったらしい。
……安心したよ。君にもそんな顔が出来るのだな。
早まらなくていい、形成を逆転できるかどうかはさておき、仇討ちの手段は用意してあるんだ。
これを見てほしい。君が昏睡している間に無人機で戦場から回収した、彼ら十闘士の形見……スピリットの残骸だ。多くは欠片ほどしか残されなかったがね。これらを繋ぎ合わせ、一つのスピリットに仕立て上げる。理論上は可能なはずだ。
そしてベースとなるのは、唯一大部分を回収できた“彼女”のスピリットだ。そう、“彼女”の意志と魂を受け継いで、君があの施設を破壊するんだ。彼らに対する知識、そして彼らと対等に渡り合う程の技量を得たハンターの君ならば、或いは……。
とはいえ、あまり時間が無いのも事実だ。
彼らの部隊が警備のために展開しつつある。あのシステムがもう間もなく起動する可能性が高い。そうなれば、デジモン達はこの世界から一体も残らず消滅してしまうだろう。そしてそれは選ばれし子供達のデジモンをも喪失することとなる……『侵略者』達とまともに渡り合える貴重な手段である彼らを失うことの意味は、君ならば分かるはずだ。
しかし此方にはもうこれ以外、まともな方法は期待出来ないんだ。人任せの大博打であることは承知しているが――どうか、この賭けに乗ってほしい。
この戦いで散っていった彼らの為にも。
そして、彼女が夢想した人間とデジモンが共に暮らせる世界の為にも……。
〇
――全く、最悪だ。
ドーム状のキャノピーを叩き付ける滝のような豪雨を睨み上げながら、ビゴーは恨めしそうに独り言ちた。何本目なのかも数え忘れたドリンク剤を飲み干しながら、手中の操縦桿を強めに引く――『局長』が何処からか大量に仕入れてきたというメカノリモンなる機体の蛇腹状に伸びたアームユニットに掴まれ暴れていた何とかとかいうデジモンが潰れ、糸の切れた人形のように四肢をだらりと伸ばしながら消滅していく。携帯プレーヤーから流れるお気に入りのカントリーミュージックは本来ならばその陽気な音色で自身の気分を盛り上げてくれる筈だったが、本日に限ってはとことんツイていない自分を嘲笑うのようで、それがまた彼をげんなりとさせた。
『今ので全部か?』
「知ったことか」
『いつまでヘソ曲げてやがんだ。気ィ引き締めろ』
気力の無さが、仲間へ返す言葉に滲み出てしまっていたらしい。スピーカー越しの暑苦しい音声に辟易しながら、コンソールに表示されたフィールドマップを注視する。敵性反応はひとまず片付いたようだ。
だだっ広い荒野の中心を刳り貫く様に急造された花弁型の巨大な施設、『ヘブンズゲート』の警護並びに防衛――それがビゴーの仕事であり、現状に於ける怨敵でもあった。何でもこのシステムを起動させることでデジモンを始めとしたありとあらゆる地球外の生命を地上から須く放逐出来るとのことだが、それを起動させるということは無論それを阻止しようと敵が押し寄せてくる可能性があるということだ。先日強襲を仕掛けてきた十闘士なるデジモン集団とそれに付随していたという組織の離反者を始末したことで目下の最大の不安要素は排除されたという説明を受けたばかりであったのだが――ならば、娘の誕生日のために非番を決め込んでいた自分がこうして職場に駆り出されているこの現状は何だと云うのか。大きなケーキを前に満面の笑みを浮かべる娘を眺める筈が、何故こんな怪物どもと戯れあわなければならないんだ。人の邪魔ばかりする化け物どもめ、人様のご都合をこうも無視しやがって……。
ビゴーが怒り任せにキャノピーを殴ろうとした、その時だった。安っぽくて耳障りな電子音が新たな敵を感知したことを知らせる。
『新手か?』
『待て――一体だけ、』
仲間の一人の声がぱったりと途絶える。何事かとキャノピーの外側を覗こうにも相も変わらずの雨風が視界を遮るためモニターに視線を移す――味方の反応が一つ分消失していることに気付いたのは数秒後のことであった。緊張感がビゴーの意識を即座に切り替える。
「4号機がヤられたぞ!」
『散開しろ! ブリガードの連中を前に出せ!』
仲間からの指示と同時にペダルを踏み込む。機体背面のスラスターが最大出力で噴射し、機体を急速に前面へ押し出す――直後、背面を巨大な質量が過ぎっていったのを機体越しにビゴーは感じ取っていた。振り向く彼の眼に留まったのは、雨の只中で上方へと弾け飛んでいく飛沫の後――何だこれは、放水か何かか?
『野郎ッ!』
有人機であるメカノリモンや歩兵戦力であるハイコマンドラモンに加えてカーゴドラモンとタンクドラモン――空戦型、陸戦型で構成された主戦力たる混成部隊が一斉に攻撃を開始する。敢えて狙いを付けずに乱射しているのであろう弾丸とレーザーの数々が、それでも一方向へと殺到する。それが足止めとなったのか、豪雨の中で着地する小さなシルエットを何処かの機体が補足したらしい。共有通信を介し、その識別反応と共にモニターに表示される。
(ラーナモン……だって? あれが?)
ラーナモン。先の戦闘時に討伐したハズの十闘士の一人に数えられるデジモンだ。水着姿の半魚人だったように思うが、ディスプレイに映されたその姿は以前のもととは丸きり異なっていた。
水着の代わりに不揃いでアンバランスな甲冑のような装甲を全身に纏っており、元の姿と合致するのは僅かに露出した肌の緑色、そして側頭部と腰部から生えた特徴的なヒレくらいしか残されていない。何ともチグハグな姿だが、それは寧ろ戦うための最適解を選択した結果だと云わんばかりで――映像越しに冷たい双眸で見つめられ、ビゴーは己の心臓を鷲掴みにされるような錯覚に襲われた。
『来るぞ!』
掲げた右腕を、半月を描く様に振り下ろす――土砂交じりの巨大な水柱が地面から幾つも突き出、数体のハイコマンドラモンとタンクドラモンを槍のごとく貫き粉砕したのは数秒後のことだった。
「お前ら、動き回れェッ!」
背筋を伝う冷たさに耐えながら声を荒げる。機体を全力で飛翔させながら、パネルを操作してモニターの共有領域を最大限まで拡大。こちらの視界をキャノピー越しの目視とエリアマップだけに絞りながら、有人機達が捉えている敵の姿をモニターにありったけ表示させていく――幾つかの映像に捉えられていたのは、背中から翼のように水の膜を放射しながらカーゴドラモンの一体に迫ろうとする敵の姿だった。右腕を突き出すと共に周囲の雨水を巻き込みながら瞬く間に巨大な刃が生成され、迎撃しようと向けられていたブレード状のプロペラごと鋼鉄の装甲をバターの如く両断する。そのタイミングを狙ったかのように多方向から弾丸とレーザーが放たれるが、振り向く様子すら見せずに今度は左腕を構える。何をするのかと思いきや、装甲の一部が開き、そこから霧を交えて激しく噴射される水流が弾丸を弾き、レーザーを霧散させて攻撃を防ぎ切る。間髪入れず、仕返しと云わんばかりに右腕を突き出して周囲の雨水の軌道か何かを操って即席の弾幕を作り出したかと思えば、接近しつつあった数機のメカノリモンがその直撃を浴び、ものの数秒でハチの巣のスクラップへと化す。自身が倒した獲物には見向きもしないまま、稲妻のような機動を描きながら上空より迫っていたカーゴドラモンのガトリングガンによる追撃を全て避けきり豪雨の中へと消えていく――逃げ回りながら味方機の視界を介して敵の挙動を観察していたビゴーはある仮説を立てつつあった。
全て水――水を操って攻防の手段を成しているのだろう。だがそれならば以前のラーナモンだってそうだったはずだ。どこからともなく大質量の水流を呼び寄せて、それをぶつけて攻撃したりしていたのを覚えている。その規模こそ驚異的ではあったが、所詮は力任せの攻撃に過ぎなかった故に対処も容易かった。恐らく、あれは象徴的な意味で、水そのものだけを操っていたのだろう。
しかし、こいつは――
『クソ! 被弾した、被弾したあ!』
『こいつ……ぐおお!?』
マップ上では距離を置いていたはずの味方機の一つが、機体を制止したタイミングを見計らったかのように狙撃される――超高圧力下で放たれたのであろう水流の槍によって貫かれる。傍らを通りかかった機体が報復に出ようと前進するが、やはり同じように水流の一撃を喰らって撃墜される――
やはりだ、とビゴーは確信を抱いた。
このラーナモン……否、ラーナモンと化した者は水のみならず、水を操る力そのものを制御することでより多彩な能力を引き出している――水で出来ることの何たるかを知り尽くしている。そしてこの豪雨が降り注ぐという状況は、彼女に際限なく武器を供給しているようなものといっても過言ではない。極め付けとなるのはこの天候……果たして偶然なのか、それとも彼女自身が呼び起こしたものなのか。もしも後者なのだとしたら――
『要請が降りた! ブリガードラモンが出るぞお!』
「!」
興奮気味な味方からの通信と共に、後方の防衛対象であるヘブンズゲートから新たに出撃する三機のデジモンを何処かの機体が拾う。大型の飛行ユニットと重装甲、そして両腕の武装により攻撃力、防御力、機動力の全てに於いて絶大なスペックを誇るブリガードラモン――タンクドラモンやカーゴドラモンとは比較にならない戦闘能力を持つと言われる、D・ブリガードの“表向き”の切り札とも称される究極体デジモン。その姿を確認したのか、すぐさまラーナモンが行動に移った。片腕を勢いよく掲げると同時に上空で雨水を吸収しながら幾つもの水球が発生――腕を振り下ろした瞬間に無数の水球から超高圧と思しき水流が吐き出され、まさにウォーターカッターの要領で地表を切り裂きながら、地を駆けていたハイコマンドラモンの数体を構えていたシールドごと両断しつつブリガードラモン達に襲い掛かる。
「!」
紙一重のタイミングで鮮やかな回避運動を見せたブリガードラモンにビゴーは思わず舌を巻いた。その間にも先頭を翔ぶブリガードラモンがラーナモンとの距離を詰めながら、右腕のガトリングキャノンより数千発にも及ぶ榴弾を掃射――真横へ回避したラーナモンに後続の機体の左腕より放たれたミサイルが迫り、それすらも回避したところで肉薄してきた同機の今しがたミサイルを放ったばかりの左腕からクローが展開。その華奢な体躯を掴み取り、強烈に締め上げる。
『よしっ、そのままトドメを――』
その様相を見守っていた仲間の声援を、唐突に轟いた雷鳴が引き裂く。モニターが一瞬閃光に灼かれ、何が起こったのか把握できない。だが、直後に回復した画面にはクローに掴まれたラーナモンに、先頭のブリガードラモンの姿が映し出され――またしても、閃光。
先頭の機体の胴体に閃光が迸ったかと思うと、その機体が胴体から上下に分断され、そのまま呆気なく爆散した。その爆風に煽られたのか、ラーナモンを掴んでいた後続の機体が壊れた人形のように崩れ落ちる……その胴体はまるで落雷の直撃を受けたかのようにあちこちが焼け焦げ、バチバチと紫電を迸らせていた。
『な、何だよ……何しやがった!?』
『化け物が!』
危機を感じ取ったのか、残された最後のブリガードラモンが瞬間的にスラスターを吹かせて素早く後方へと飛び退く――その瞬間、またしても強烈な閃光がモニター越しに迸る。それ以上の追撃は不可能だったのか、クローの拘束から解かれたラーナモンが静かに着地――その体にもまた電光が走っており、何よりも手元には随分と場違いな武装――フォトン・ブレードが握り締められていた。青白く伸びる光の刀身に、強烈な既視感を覚える。あれは、確か――
「……っ!?」
倒された筈のラーナモン。そして目の前に現れた異形のラーナモン。倒された十闘士。雷撃、閃光、武器、そして全身の装甲――ビゴーの中で目の前のラーナモンが何者なのか、とある推測が浮かび上がる。
「なあ、お前ら」
『何だよビゴー!?』
『弱音なんぞ吐いたらぶちのめすぞ』
怒鳴りつけるような味方の反応を聞き流しながら、当時の状況を出来る限り思い出しながら問い掛ける。
「十闘士っつったか、あのデジモンども」
『それがなんだ、“アレ”で片付いた筈だろ!?』
「それだ。ぶっ倒したところを見た奴はいるか」
『分からん、誰かいるか?』
『俺は見たぞ! 新型の攻撃でスピリットってヤツが砕けて、元のデジモンに戻ったところをブリガード共の攻撃で――』
「そのスピリットだかの破片がどうなったか、誰か報告は受けてるか?」
『いや、特に……、まさか、そういうことなのか?』
『おい、何だ! 何が分かったって!?』
距離を取ろうとするブリガードラモンに対し、ラーナモンがまた腕を振るう――地表を突き割って土砂交じりの巨大な水柱がブリガードラモンの退路上に噴き上がる。驚異的な反応速度で回避を試みるブリガードラモンだったが、それを見てラーナモンが指先をクイ、と曲げる――水柱が泥状の大波となって広がり、ブリガードラモンを瞬く間に呑み込んだ。そして休む間もなくラーナモンがこぶしを握り締める――上空に新たな水球が生まれ、それが氷柱のように細長く伸びながら凍り付いていく。そしてパチンと指を鳴らすと共に氷柱が槍の如き勢いで落下し、泥に埋もれたブリガードラモンのボディを易々と串刺しにした。水の他に、土と氷をも操った結果か。
「あのラーナモンは多分、破片を繋ぎ合せて修復されたスピリットを使ってるんだ。あの恰好もその影響かも知れない」
『それは、どういう……』
「使えるんだよ。他のスピリットの能力も」
『!? おいおいおい冗談じゃねえぞ!』
『本当に化け物だってのか? どうすりゃいいんだ!』
『待て、それじゃあ、あれで進化しているのは……』
氷柱に貫かれて動かなくなったブリガードラモンを見下ろしていたラーナモンが、次の獲物を探して動き出そうとした、その時であった。
『成程な。その姿、獣と堕ちたか』
通信機に割って入ってきた、冷たく重々しい声。此方のみならずラーナモンにもその声が聞こえたのか、立ち止まりながら遠方――ヘブンズゲートの方角を鋭く睨め付ける。表情の読み取れなかった鋭い双眸に、明確な敵意が籠っているかのようだった。
『先の戦いで彼我の戦力差は明確にした心算だったが。どうやら性根の果てまで惑わされたと見える』
マップ上に出現する新たな味方機の反応。そして仲間の機体が捉えた映像の中に、施設の一角に設けられたハッチから新たに出撃する機体が映り込んでいた。
ダークドラモン。
D・ブリガードの最終決戦兵器として開発された機体。
本来ならば有り余る戦闘能力が影響して制御下におけるような代物ではなかったのだが、試作機のデータを元にメカノリモン同様の有人機として再構成することで戦闘能力はそのままに完全な制御に成功したという、この施設においての最高戦力だ。
どこか有機的で禍々しいシルエットと相反するかのように煌びやかで美しい光の翼――機体から溢れ出る“ダークマター”により形成されたエナジー・ウイングを羽ばたかせながら、その巨体がふらりと宙に浮かび上がる。
『先の戦い、貴様らとの戦闘オペレーションを経てこのダークドラモンの制御は完全なものとなった。貴様の再びの敗北を以ってデモンストレーションの終了としよう』
制御回路を埋め込まれた頭部を保護する半透明のバイザーの奥で、燃える炎のように揺らめく双眸。まるでラーナモンの姿を嘲笑っているかのようだ。或いは事実なのかもしれない。現に、前回の戦闘に於いてあの機体は無数のデジモンを一方的に殲滅し、十闘士ですらも敗北へ追い込んでいる。万が一にも負けることはないだろう――あり得ない、筈だ。
『往くぞ。裏切り者に相応の末路を贈ってやろう』
モニターに後方から援護射撃を行うよう指示が表示される。あの切り札――ダークドラモンの内部に乗り込んだ〝局長〟からのものだろう。どうやら自らが主力となってあのラーナモン――嘗ての部下であり、裏切り者でもある〝デジモンハンター″の彼女を始末するつもりのようだ。今までの戦闘で碌な足止めが出来なかった以上、正確な判断に思える……だというのに、この拭いきれない違和感は一体何なのだろうか。
何だ?
自分は何を見落としている?
これに気付かなければ、何か、取り返しのつかないことが起きるのでは――
『ボサッとするなビゴー、巻き込まれてえのか!』
「っ、冗談!」
仲間の叱咤で我に返りながら、スラスターを吹かす。ラーナモンから離れるよう意識しながら、目指すポイントはヘブンズゲートの目前――ダークドラモンの援護を行いつつ、ヘブンズゲートの正門を固めることで即席の防壁とする狙いだろう。大丈夫だ、あの機体ならばあの化け物とだってやり合える筈だ。
未だにカントリーミュージックの陽気な音色が流れたままのコックピットの中、ビゴーは只管に娘の笑顔を想いながら両者の戦いに注視する――彼らの遥か上空に途方もない質量が生まれつつあることなど、気付く由もなかった。
○
改めて、圧倒的と言わざるを得ない性能であった。
左腕の巨槍、ギガスティックランスや背面の対の光翼から放射される無数の光弾がそれぞれ意志を持つかのように曲がりくねって戦場を跋扈し、その合間を縫うようにD・ブリガードのデジモン達やメカノリモン達の放つ弾丸やレーザーが遠方よりラーナモンを狙う――幾千幾万の軍勢をも薙ぎ払えるほどの理不尽な火力が、たった一体を仕留めるためだけに多方向から殺到する。それでもラーナモンは臆した様子を見せることなく、抵抗――水の翼で避け、水の盾で防ぎ、水の刃で切り捨て、水の弾で打ち消し、ありとあらゆる手段を躊躇いなく行使して抗い続ける。そして己が死の綱渡りの只中にあっても尚、僅かな隙を見出してはダークドラモンへの反撃を試みる――その大半が圧倒的な機動力によって回避され、仮に直撃しそうになってもダークドラモンに触れる直前に掻き消されてしまう。その巨体を覆うように展開された防護フィールドによるものだった。
ダークマター。
ダークドラモンの圧倒的な戦闘能力、その根幹を成す超高エネルギー体であり、ダークドラモンを最強たらしめるモノ。攻撃力や機動力もそうだが、何よりも強力なのが本体を覆うように展開される防護フィールドの存在だった。ダークマターにより形成されたこの強固な守りを突破出来なければ、彼女もまた以前の十闘士達と同様に為す術のないまま一方的な蹂躙を受けることとなるだろう。
それでも彼女は攻撃の手を緩めない。水流、水刃、水弾、土砂、氷刃、雷撃――これまでに見せた手品のごとき手数の全てをぶつける。ぶつけ続ける。
動揺をいざなうためなのか、ダークドラモンはもはや回避すら行わない。それらの一切合切を受けても尚、最強の盾は揺らぐことすら、無い。まるで全てが無意味だと云わんばかりに。
『解せんな。何が貴様をそこまで変えた』
攻撃の手を緩めることなく、局長が尋ねる。冷たい声色だが、そこには哀憫の情が込められていた。
『あの魔物どもは貴様の怨敵だろう。家族の仇討が、今となっては奴らを弔っての特攻か』
ラーナモンは答えない。反応する素振りすら見せない。只管に駆けて、飛んで、避けて、防いで、受け流して、弾いて――攻撃が掠る。傷口からデータと血が飛沫く。
デジモンは血を流さない。人間もまたデータの身体は持たない。彼女は人間か。それともデジモンか。或いは双方か。もしかしたらどちらでもないのか――
『果てには、その姿。あろうことか、魔物を憎んでいた貴様自身が魔物と化すとはな』
ほんの僅かだが、ラーナモンの動きに鈍りが見え始めてきた。先の一撃が齎した苦痛が切っ掛けだろう。一度崩れた均衡は、少しずつ、それでも確実に一方へと傾いていく。須く凌げていたハズの攻撃の一部が、彼女の身体を次々と掠め始めていく――そこから先はそう長くはなく、そして呆気ないものだった。
『せめてもの情けだ。憎しみを共にした仲間として、そして貴様の義父として、貴様は私が手ずから葬ってやる』
その動きは最早攻撃を凌ぐためではなく、辛うじて致命傷をやり過ごすためだといっても過言ではない――掠め、焼かれ、切り裂かれ、貫かれ。手傷を追う度にその動きは鈍り、その鈍りが隙となって新たな傷を負う。そんな負の連鎖が容赦なくラーナモンを追い詰めていく。そして至近に着弾したダークマターの光弾による爆風と衝撃に煽られる形で吹き飛ばされ、ついにラーナモンの身体が地べたに這いつくばった。自らが流す血と地べたの泥水に塗れて、もはや満身創痍の様相を晒している。それでも立ち上がろうとするが、上手く力が入らなかったのか、前のめりに倒れ――丁度目の前に出来上がっていたクレーターの中へと顔面から突っ込み転がり落ちていく。死角となってクレーター内部の様相は分からないが、マップに表示された光点が留まり続けていることから、最早身動きすらも出来ないのだろう。
攻撃の雨が止み、同じくして雨水もまた、その勢いが弱まっていく。それはまるで水の使い手である彼女の生命と同調するかのようだった。
『よくも粘った。随分と手間を取らせてくれたな』
静かに呟きながら、終始無傷であったダークドラモンがゆっくりと近付きながら、左腕のギガスティックランスを振り上げる。このままトドメを指すつもりか、それとも嘗ての好で救済の機会を与えるつもりか……或いは、ダークドラモンに抗い続けられたその力に可能性を見出したか。
何にせよ、これで終わりだ――援護射撃を続けながら戦いの行く末を見守っていたビゴーは内心の緊張を吐き出すかのように大きく深呼吸をした。一時はどうなる事かと思ったが、ここから戦況が覆るとは思えない。それなりの犠牲は出たが、我々は守り抜いたのだ。
あのヘブンズゲートを――
「……?」
再び胸騒ぎが起こる。ラーナモンとダークドラモン、近付きつつある双方の姿を眺めながら、ビゴーはこれまでの経緯を振り返る。
豪雨の中、突如として襲撃してきたラーナモン。翻弄され、蹂躙される警護部隊。出撃したダークドラモン。形勢は逆転し、彼女は追い詰められて……。
待て……何故ラーナモンはわざわざ足を止めてまで我々を相手にする必要があったのだ? あれほどの能力者であれば強行突破して施設に入り込むことも出来たハズだ。ダークドラモンの脅威を事前に目の当たりにしているならば、それが出てくる前に制圧することも考えたのではないか……?
何故わざわざダークドラモンを引っ張り出させた? 勝てる算段があったとでも云うのか? だが現状はこうして為す術もなく圧倒された。この状況は彼女にとって計算外のものか? それとも、この状況こそが彼女の狙いなのでは――
胸の中で広がり続ける疑念に眩暈を覚え、ビゴーは思わず空を仰いだ。豪雨はすっかりと止んでおり、灰色の雲の切れ間からは青空が――
「……ッ!?」
ビゴーは思わず己が目を疑った。体の芯が冷えていく感覚に震えながら機内のコンソールを操作し、カメラを切り替えて上空を確認する。雲の切れ間に映り込んだ、圧倒的な怪奇。映像を拡大していくと……そこには何とも奇妙な光景が広がっていた。
「お前ら、上だ! 上を見ろッ!!」
それが何であるかを確認する前に、思わずマイクめがけて声を荒げる。周囲に待機していた同僚達がカメラ越しに上空を見やり、動揺する姿をキャノピー越しに視認出来た。そしてその様相は、今まさにクレーター内部まで下降してラーナモンに掴み掛かろうとしていたダークドラモン――そのコックピット内部にも伝搬する。
『何……?』
局長の声が上擦っている。流石の彼にも理解し切れない状況のようだ。眼下の彼女のこと等忘れてしまったかのように機体越しに呆然と上空を見上げる。
水の星――そうとしか形容の出来ない巨大な水球が、遥か上空に浮かび上がっていた。そしてその水球が眼下に広がる重苦しい灰色の雨雲を、その中に溜め込まれた雨水を――吸い込み、呑み込み、取り込んでいる。雨雲を吸収し、荒れ狂う水の激流を内包しながらも静かに鎮座するその威容は、どこか神秘的ですらあった。
あまりにも非現実的な光景に誰もが目を奪われる中、当初からこの状況に疑いを抱いていたビゴーだけがこの状況を比較的冷静に見分出来ていた。
ああ、やはりだ。今に至るまでの行動、その全てが囮だったのだ。全てはアレを――広大な施設を一撃で跡形もなく粉砕せしめる大質量を作り出すための時間稼ぎに過ぎなかったのだ。恐らくは此方側に悟られないよう戦闘エリア外の雨雲から取り込み始め、このエリアの身となったところでタイミングよくダークドラモンが出てきてからは追い詰められる格好を見せることで更に注意を引いて……。
そして、それを行いながらもあれほどの戦闘能力を発揮したということは、つまり――
『ッ、ぐ……!?』
突如として局長の声が響く。動揺している隙を突かれたのであろう、ダークドラモンの足元から土砂交じりの雨水が噴き出したかと思えば、獲物に絡みつく蛇の如くその巨体をあっという間にそれ以上に大きな水球で包み込んでしまう。膝を突きながらも立ち上がりかけたラーナモンが、開いた片手をゆっくりと、そして力強く握り締めていく――水球の中でダークドラモンが突然おかしな挙動を見せると共に紫電を発し始め、両腕や巨槍、装甲の彼方此方が拉げて砕け始めた――水圧だ。あの機体は今、自らを包み込んだ水球によって全方位から圧し潰されようとしているのだ。
何ということだ、とビゴーは戦慄せずにはいられなかった。あれ程の戦いぶりであったにも関わらず、まだ全力ではなかったとは……!
『このような結果……、認められるか!』
苦し紛れにダークマターを制御して防護フィールドを展開し直そうとするが、最早機体そのものが水に包まれている状況では十全な効力を発揮しない。だがそれを狙っていたと云わんばかりにラーナモンは水球ごとダークドラモンをヘブンズゲートの方角へと向けさせたところで水球をもう一度操る――全身を包んでいた泥水が地面と接触しながら下半身に集中したかと思うと、瞬く間に凍り付いて下半身が完全に地面に縫い止められた。そして動くことの出来ない機体の背後に回り込んだかと思うと、その巨体を盾にするかのように密着する――これまでの流れからその意味を察したビゴーは機体を操作しながらまたも叫んだ。
「全機退避だ、上へ退避しろッ! 巻き込まれるぞ!」
『おい、上ってなんだ!? 何が始まるんだ!?』
「今に分かる! 急げぇッ!」
ペダルを限界まで踏み込むと同時に、ビゴー機を先頭に残存するメカノリモン達が次々と勢いよく上昇し、制御下に置かれたD・ブリガードのデジモン達も飛行能力を持つカーゴドラモンが味方デジモン達をその機体内に限界まで収容、あるいは胴体下部のワイヤーで牽引して上昇していく――その先、遥か上空で静止していた巨大な水球にも動きがあった。ボコボコと急激な勢いで泡立ちながらじりじり縮まっていく――否、原理は先と同じか。アレは限界まで圧力を加えているのだ。そしてあれほどの水量が一度に放たれれば、その結果は――
「レインストリーム」
――彼女の冷たい声色が、あらゆる騒音の合間をすり抜けてビゴーの耳に届く。それと同時に上空の水球が爆ぜ、極大の水の奔流が真下のヘブンズゲートに向けて放たれた。直撃と同時に衝撃波を伴った数十メートルの巨大波が内側から施設を木っ端微塵に粉砕していく。あの様子では跡形も残るまい。
モニターに映し出される地表の地獄絵図を、ビゴーは上空からどこか他人事のように眺めていた。これも全て、あのラーナモンの力だと云うのか。だとしたら、何がそんなにも彼女に力を与えたのだろうか。何がそんなにも彼女を突き動かす原動力となったのだろう……。
周囲を見渡す。ヘブンズゲートから広がり始めた巨大波が、撃破されたメカノリモンやD・ブリガードのデジモン達の残骸を巻き込みながら荒野そのものを飲み込むかのように広がり続け――その中に、見つけた。
未だにその場に縫い留められ、苦し紛れに発動したダークマターの防護フィールドごと巨大波を凌ぐ堤防代わりに使われているダークドラモンを。そして、眼前の機体で全てを呑み込まんとする濁流を凌ぎながら、眼前の獲物にトドメを刺さんとゆっくりと光剣を手にするラーナモンの姿を――
〇
『何故だ』
警告灯が赤く明滅し、やかましくアラームが鳴り響くダークドラモンのコックピット内。先のダメージに加えて不完全な防護フィールドで無理やり奔流を受け流していることも影響し、機体は最早限界に近付いていた。その中に佇む局長が、怒りを堪えた静かな声色で機体の背後に張り付いているのであろう彼女に問い掛ける。
『何故貴様はそうも変わったのだ。これを失うことの意味が分からん貴様では――』
局長の言葉は、最後まで続かなかった。機体の装甲越しにコックピットの背面部から突き出た光剣が、局長の身体を貫き、一撃で絶命させていた。パイロットを失い、制御系統を喪失したダークドラモンがゆっくりと機能を停止していく。それまで辛うじて流れを受け止めていた防護フィールドも機体の沈黙に伴って消失し、壊れかけていた機体が一気に濁流の中に飲み込まれていく――流れに押し負けて機体が自壊するのも時間の問題だろう。
光剣を引き抜き、沈黙したダークドラモンの頭頂部に昇りながら、ラーナモンはそっと目を閉じる。
――デジモンを含む化け物達を全て葬り、人間を救済するためのシステムでもあったヘブンズゲート。これが破壊されたことで、きっとこの世界に住まう多くのデジモンが救われたことだろう。だがそれは同時に、他の化け物達に怯えていた人間達の希望をへし折ったことになるといっても過言ではない。もしかしたら、この喪失が後の人類にとっての致命傷となってしまう恐れだってあるのだ。
それでも――
――私、信じてるよ。いつか本当の意味で、デジモンと人間は友達になれるんだ、って。
「そうだな」
独り言ちながら、背中に意識を集中させる――大きな水球が背中に張り付くように生成され、瞬く間に翼のように広がる。足元のダークドラモンの機体がぐらりと傾く。
「その日が来るまで、私も戦い続けるよ」
脳裏に浮かんだ〝彼女〟の笑みに応えながら、勢いよく飛翔――戦場から離脱する。その直後、流れてきたヘブンズゲートの残骸の一部に巻き込まれながら、ダークドラモンもまた水の奔流に流されていく。
やがて、水流が収まった頃。
荒野の空には、大きな虹が掛かっていた。
-完-
ノベコンお疲れさまでした!
感想を配信で喋らせていただきましたので、リンクを下に貼っておきます!
https://youtube.com/live/bA-nVFgxuo8
(1:20:43~感想になります)
これを普通のラーナモンということにして応募したアホがいるらしいな!
そう、何を隠そうこのヤギのことであるッ!
ということでお久しぶりですヤギです。
先ずは受賞された方々、本当におめでとうございます。
そして参加された皆様方におかれましても大変お疲れさまでした。
さて、今回の応募作品についてですが、ラーナモンFC等で御高名であろう有斗さん企画の合同誌『ラーナモンの読書日和』に寄贈させて頂きました拙作『亡霊と雨水と鋼鉄と』のリメイクとなっております。半分オリジナルなラーナモンの時点で多分確実に1アウトなのですが、原作だとDブリガード勢力のところが全部ギズモンでダークドラモンのところがオーバーロード・ガイア(デジモンワールド2のラスボス)という3アウト必至の構成だったので大分マシになったのではないでしょうか。どのみちアウトには変わんねえか。
こうなったのには一応ワケがありまして、締め切り直前に休憩がてらお花を摘みに行っている最中に発生したゲリラ豪雨からの落雷で作業用PCがクラッシュして執筆中の作品データが全部吹っ飛ぶ→締め切り当日に偶然当作品の原稿データを発掘したので夜勤をサボってネカフェに籠って数時間で何とかでっち上げるという実にトンチキな経緯でこのような作品を投稿する流れとなりました。もう笑ってごまかすしかないね。笑えよベジータ。因みに応募用に書いていたのは『ズィードミレニアモンを連れた少年探偵が都市伝説のくねくねを始末する』『巫女サクヤモンが闇落ちしてオグドモンになる』という感じの2作品でした。データも残ってないので焚き上げすらしてやれないのですが、いつか機会があればまた最初から書き直してやりたいところですね。
ということで一先ず〆にさせて頂きたく思います。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。