バイロンの詩の中には事実は小説よりも奇なりという言葉があった。
ジェール・ヴェルヌは人間が想像することは人間が必ず実現できるとも語った。
ならば、小説に描かれるのはいずれ実現できる現実と既に起きた現実の組み合わせ。だけど、事実は人々が想像していなかったことも起きてしまったら事実なのだから、バイロンの言葉はあまりにも当たり前。
あまり普段考えない人もわかったつもりにならなくては世間にまでは広まらないから、名言なんて言われている言葉は大抵当たり前のことの言い換えでしかないのかもしれない。
「……うん。その……君はなにしに科学部に来たの?」
肩に触れるか触れないか緑色の髪を揺らしながら、尾池礼奈(オチ レイナ)は困ったような顔をした。第二理科室の隅、熱帯魚らしい魚の入った水槽の脇、一年生の彼女は、いつもそこで放課後を過ごしているのがまだ一学期なのにすっかり定着しているらしかった。
「え? どうせいつもヒマしてるじゃないか、オカ研」
彼女の前に椅子を持ってきた男子生徒がそう言うと、尾池は一度目をつむって額に手を当てた。
「……一応、オカ研じゃなくて科学部、なんだけど」
「でも、部長は幽霊大好きって有名だし、幽霊がいるかどうか調べているとか聞いたけど」
「その通り!」
バコンッと音を立て、掃除用具入れが開けば、その勢いのまま中から空の様に青い髪に黒縁の眼鏡をかけた女子が飛び出してきた。
「ひぃあっ!」
「いい反応だ尾池くん。隠れていた甲斐があったな」
その女子は頭に乗ったぞうきんを雑に掃除用具入れに投げ込み、彼女が出てくる時に倒した箒を尾池が拾ってしまいに行くと、すかさず尾池の座っていた席に座った。
「さて、私が噂の幽霊大好きな科研部長の幽谷雅火(カスヤ ミヤビ)だ。君曰く暇そうな我々であるが、何用で来たのかな? 実は尾池くんと話したいだけの青春ボーイだと個人的には面白いのだけど」
箒を片付け終わった尾池が水槽の脇に立っていたのを、スカートの端を引いて自分の膝の上に座らせながらも幽谷はハキハキと喋った。
「えー……と、僕は一年の高橋優太(タカハシ ユウタ)です」
高橋と名乗った男子は、少し焦っていた。部長本人がいないと思ったからさっきの様に話を切り出していたのであって、正面切って言うには若干失礼に思えた。
「ふむ、フルネームが被る人と何度会っても驚かない様な名前だな。私服は全身ユニクロ、GU、しまむらで固めるのをお勧めする」
幽谷はどこか虚空に視線を走らせながらそんなことを呟いた。
「こっちの話聞くつもりあります?」
「えと……部長はこういう茶々を入れないと生きていけない生き物なので、そこを掘り下げると話が始まらない……」
高橋の言葉に、尾池は膝の上で死んだ様な目でそう応えた。その表情だけで普段からどんな扱いを受けているかがじゅうぶん察せられた。
「まぁそういうことだ。私は茶々を入れていくが君は気にせずに続けたまえ」
なんだこの人と、高橋は思ったが、暇そうだからただ遊びに来たわけでもなかったので一度我慢した。
「僕は新聞部でして、新聞部は二週間に一度学内新聞を出していることはご存知ですか?」
「去年の10月号はすごかったな。先生同士の熱愛が書かれていたのを見て、先生に手を出されていた女子生徒が手を出された証拠写真をチラシみたいにばら撒いていた」
そんな事件の存在は高橋も知らなかったし、少し知りたかったが、気にせずと言われたのを律儀に守って無視して続ける。
「記事を継続的に手に入れるコツを先輩に聞いたら、ネタが産まれそうな場所や、既にあるネタを別の角度から攻めるのがコツだと言われまして……」
「ふむ、うちにはいたって普通の子達しかいないから無駄足もいいところだと思うが」
あなたがいれば無駄足にはならない。と高橋は言いたくなったし、尾池も同じことを考えていたが二人ともやはり口には出さなかった。無駄だと思った。
「科学部の監修の元で、最近起きている学校の怪談を調査しようかと思っているんです」
「あー……なるほど、確かに君達の記事は怪談とかを取り扱っても、既に知られていることをまとめただけで怖いですねー、あはははみたいになりがちだものなー……」
ちょっとムッと来たのを抑えて高橋は続ける。
「今回調査するのは、七不思議でももっとも情報が多い、廃焼却炉で焼身自殺した生徒の幽霊です。園芸部でも何かあったらしいんですけれど、そっちは先輩に取られたので」
「旧制服着てる変態のおじさんが見つかるオチじゃないかな。そういうのは君達強いぞ、去年の新聞部部長は盗撮で停学食らってたしな」
「部長、黙って聞いてあげましょうよ」
「そういう風に優しくすると思春期の頭ピンクボーイ達はすぐに好きになっちゃうんだぞ?」
わざとらしく咳払いを一つして、高橋はさらに話を進める。
「で、その幽霊なんですけれど、変なノイズは入ってますけれど写真もあるんです。燃える人の姿がはっきり写ってます」
変なノイズ、と言った時、なんだか幽谷が笑ったように高橋は感じた。顔は尾池を膝に乗せているせいで見られない筈ではあるのだが、なんだかそんな感じがした。
「……ふふ、まぁどうせまともな活動はあと二週間はできない。仕方ないから手伝ってあげようではないか、なぁ尾池くん」
「えっ? 私はやりたい事あるんですけど……」
「とりあえず、写真を見せてくれるかな。紙媒体だとなおいいんだが……」
無視されて尾池を尻目に、高橋は写真を表示したスマホ画面を見せる。
暗闇の中に人の形をした炎がたちすくんでいるところを撮ったそれは、何故か画像にノイズが走っているのも実に心霊現象っぽくて高橋としてはいいと思っていた。だが、新聞部の先輩曰く、これを単に載せても今は画像加工も簡単なので誰も信じてくれないのだという。
「よし、では調査と行こうか。焼却炉の幽霊について……まず概要を把握、把握したら考察、仮設設定、仮設に基づいて観察ポイントを選定、機材の準備、そして観察。観察結果の考察、場合によっては仮説を再設定、実際場面で仮説の検証、考察。この手順で我々は焼却炉の幽霊を検証する」
「工程多いですね……」
「本来は観察も繰り返して、何度でも確認できたりしなきゃ駄目なんだから、最短でフィールドワーク二回で済ませる計画になってるだけいいと思ってくれ。科学部に頼むってそういう事だぞ、漫画じゃないんだ」
高橋の言葉に幽谷は尾池の手を後ろから操って謎の動きをさせながらそう答えた。
「じゃあとりあえず、僕の調べた限りの概要を説明しますね」
「概要の説明に関して、先にこっちから一つ注文がある。確認が取れている部分と取れていない部分は明確に分けて説明してくれ」
「と、いうと……?」
「確認が取れている点、というのは、今だとこの写真で確認が取れた、焼却炉の幽霊らしき姿が目撃されている、という点のみだ。しかし、他の怪談部分に意味が無いとは言わない、意味が無いかは考察してみなければわからないからな。それで、確認は取れていないが伝えられている点も聞く必要があるわけだ」
尾池の両手を説明に合わせて動かしながら、幽谷はそう言った。尾池もしまらない格好ではあったが、それなりに真面目な顔で頷いた。
「……確認が取れている点とかいちいち言うと話が切れるので、別にまとめますね……およそ四十年前、いじめを苦にして焼却炉の中に飛び込んだ男子生徒がいた。その男子生徒は全身を炎に焼かれながら苦しみにのたうちまわり、やがて生き絶えたと言います。その男子生徒の、火だるまになった状態の幽霊が今になって旧校舎の辺りで目撃されるようになった。というものです」
で、ここからが確認の取れた内容。と、高橋は懐からメモ帳を取り出して確認しながら話し出した。
「およそ四十年前、旧校舎で死人が出ているのは確認が取れていますが、自殺の仕方は首吊りでした。焼却炉の周りで生徒の服に引火する事故も、その前後数年の間に起きていたそうですが……死者は出ていません。当時学生だった教師や地元の人に聞き、自殺の方は図書館で新聞記事も見つけました」
「ふむ、複数人から同じ話が聞けているなら一定の信憑性はありそうだ。君はアレだな、思ったよりも有能だな。この幽霊を目撃した人の体験談とかはないのかな? あるだろう? 写真だってあるんだから」
もっと寄越せと幽谷は尾池の手を手招きする様に動かした。
「ありますよ、大抵の場合は、遠くから見かけただけです。なので、赤く光っていたとか、動いていたとかしか……」
「ふむ、動いていた速度は?」
「揺れていたという話や歩いていたという話があるので、多分あんまり速くはないかと」
「いいね、続けてくれ。特に、大抵の場合でない、近くで見た証言を聞きたい」
幽谷は、遠くから見た証言はあまり当てにならないなとその時点でやや見限っていた。
赤く光っていた、動いていた、歩いていた、それは焼却炉の幽霊に関して聞き込みをしたことで、アレはもしかしたらそうだったのかとその時になって生じたものであってもおかしくない。
「近くまで行って見かけたのは僕の知る限りは二人です。一人は用務員さん、火事だったら大変だと思って見に行ったらしいです。写真を撮ったのも用務員さんで……大体十メートルぐらい離れたところから見たそうです。一回目は怖くて逃げ出したそうですが、二回目はきっと誰かの悪戯だろうと写真を撮りながら注意しに行ったところ、近寄っても偽物に見えず、近づく程に熱さを感じたので逃げ出したそうです」
「いいよ、いいよ、とてもいい。もう一人も頼む」
「もう一人は吹奏楽部です。パート練習の為にあの部は校内に散り散りになるのですが……旧校舎一回の教室でサボっていたところ、窓の外に幽霊が現れたそうです。恐ろしさに床にしゃがみ込んで遠ざかるまで息を潜めていたそうです」
この人、と写真を高橋が見せると、同じクラスの子だけど名前出てこないなと尾池は思った。
「ふむ? しゃがみ込んでいる間は見る事はできないよね、どうやって遠かったと確認したのかな?」
あまり関係なさそうな二人が上げられて、幽谷は興奮していた。関係があれば共謀した悪戯とも取れるが、関係なければ実際にそれはあった現象かもしれない。焼却炉の幽霊についての取材として話を聞いていることを差し引いても、詳細がしっかりしている。
「……ちょっと聞いてみます。クラスLINEで連絡先知っているので」
あれ、自分はそのクラスLINE入ってないぞと尾池は思ったが、水槽の七美と名付けた魚を見て忘れる事にした。
「是非そうしてくれ、火の爆ぜる音でもしていたのか、焦げるような匂いでもしていたのか、光が教室内に灯を灯していたのか……色々なものが考えられるし、それらはすべからく検討する余地があるものだ」
「……私、要ります?」
話始めはある種通訳として必要だった気がしたが、もう自分がいなくても話ができる様になっている気がした。
「要るとも。尾池くんがいなかったら……うん、膝の上が寂しい。私は寝る時も抱き枕を愛用しているんだ」
「帰っていいですか?」
「うそだよ、君がいなかったら私が問題ある仮説を立てたとして止めてくれる人がいなくなるじゃないか。私と彼は、本当にいて欲しいという偏見を以って見ている、どうでもいいと思っている君は必要だ」
ならしょうがないですねと尾池は膝の上でため息を吐いた。
「あの、連絡取れました。窓を開けていたこともあって、熱さを感じたそうです」
高橋の言葉に、幽谷は舌なめずりをした。
「熱さか……よし、とりあえず今ある情報で仮説を立てるとしようか」
幽谷さんは尾池さんに膝の上から退くように促すと、スマホで録音しながら喋り出した。
「パッと考えられる可能性を上げていこう。まずは本当に幽霊である場合、この場合は結構なんでもありだけども……熱さを感じているから、稀にある、『冷たい炎』みたいなのではないことがわかるね。物理的にも熱を伴う発火・発光現象が起きていると考えられる。他の事はわからない。過去の話との整合性が取れないのは一見すると作り話らしく感じられるが、燃えている人影は見えていても、燃える制服を着た人影とかでは無さそうだ。写真の方も見てみたが……手元がブレていることを踏まえても、これは中に服を着た人がいるようには見えない……中に何かあったとしても、炎に溶け込む様なカラーリングをしているのではなかろうか」
「というと、人の形をした鬼火みたいな感じ、とか」
「いいことを言うね尾池君。この姿はまさにそんな感じだ。ただ、物理的な自然現象として説明をつけようとするとこの人型というのは実に難しい……セントエルモの火は尖った部分に電気が溜まって発生する発光現象であるし、普通に火が灯ったとしても自然に人型にはなかなかならないだろう……火柱や、何かを核にして球の様にならばなるかもしれないがね」
あぁ、安心してくれと幽谷は高橋の方に目配せをする。
「もちろん、霊的な何かということで解決するならばここら辺の考察に意味はない、強いて言うならば過去の事件と一致しないのだから、焼却炉の幽霊ではなくさらに過去のそれか文献に残ってない別の幽霊か、精霊とかそういった幽霊以外の超自然的存在、ということになるだろうね」
「なるほど……その超自然的な存在の例とかってパッと出ますか?」
「うーん……浮かぶ炎でいえば、不知火やらウィルオウィスプやらいくつか名前は出るけれど、その正体は霊であるとされるから幽霊と言ってるのと変わらないしね。強いていうならば狐火か狸火かな。つまり、幽霊とは別の超自然的存在が人の形の火を作っている。という形だね」
悪戯しているのは人か狐かなんてタイトル楽しそうじゃないかなんて幽谷は言う。
「さてさて、ではもう少し証明しやすそうな仮説も考えておこうか。つまり、誰かによって故意に作られたものという説だ」
「付随する怪談は捏造されたものの様ですしね」
尾池のその言葉に、幽谷は確かにと頷いた。
「怪談の捏造元を追っていけばその犯人もわかるかもしれないけれど、まぁ、それは高橋君が調べて考える事だから私達は考えない。いたずらだとした場合の手段を考える。まず、熱があったことから、布にライトを当てて炎に見せかける疑似炎ではないだろうことはわかる。では、本当に人が燃えていたのかといえばそれもないだろう。この写真を見ると、頭まで燃えている、シュノーケルのような呼吸するための管も見当たらない。これでは呼吸ができないからね」
「で、でも……短時間ならできるんじゃないですか?」
高橋の言葉に、幽谷は首を横に振った。
「確かに、全くできないとは言わないが……全身に塗れるだけの耐熱ジェルとなると、かなりの値段になるよ。500gくらいで2000円ぐらいしたかな? 一回ごとに10000円ぐらいは必要だろうし、複数回目撃もされている。用務員さんだけで二回、他にも複数名見ているし……それだけ分厚い中身があればもう少し写真によく映っているはずでもある。中身が全部オレンジ色とか赤色だと目立たなかったかもしれないが」
おそらく人は入っていないだろう。その結論に、高橋は少し納得がいかなかったがおとなしく引き下がることにした。
「ブレてしまっているのでわからないが、ワイヤーか何か……こっちには焼ききれない様に耐火ジェルを塗っていたかもしれないね、とにかく熱で焼ききれないようなもので吊った人形に火をつけているんじゃないかな」
「だけど、それだとさっきと同じ、中身が見えないのがおかしいような気が……ワイヤーに色を塗っていたとすればそれも見えにくいかもしれませんけれど。それに、写真を見ると結構炎には幅があるように見えます」
尾池はそう言って写真の腕や胴にあたるところを見せる様高橋に要求する。
「ふむ、それは……なんだろうね? 不燃性の布とかかな? ワイヤーか何かで作った骨組みに表面に蝋か油かを塗って火をつけた布を巻いておく、動かせば疑似炎みたいに、炎に照らされた布自体も炎に見えるのかもしれない」
「ところで、さっきジェル塗ったらコストがかかるとか言っていましたけれど、これも結構コストかかりますよね……?」
「いや、そこはあれだよ高橋君。どうあっても人間大の火の塊を動かそうなんてやれば、それなりのお金が飛んでいくのは間違いないのさ。比較すれば、人形の方が安かろうという話さ。中に人が入るには不燃性の布を全身に巻いて燃えないようにしつつ、同時にジェルで熱を遮断しなきゃいけない。当然その周りにロウなり油をしみこませた布なりをまく必要があるから、かなり多くのジェルと不燃性の布、そして燃料がいる。という話なんだよ」
わかるかい? と幽谷が言うとまぁたしかにと高橋も頷いた。
「さっき部長の言った擬似炎方式だと、油や蝋を塗った布がはためく必要がありますけれど、重くてうまくはためかないかも……」
「それは懸念点ではあるが、骨組みからある程度ぶら下がって揺れればなんとかなるんじゃないかな。こればっかりは実験してみなければわからないが」
一般的に擬似炎は上に向けて布をはためかせる。下向きにぶら下がっても炎に見える確証までは幽谷にはなかったし、尾池は火は上に向かうものだからならないのではないかと考えていた。
「うーん、でも、これぐらいはっきり人の形をしているとなると、要所要所、どうしても幅がいるところは単に骨を入れているのではなく、立体的に骨を組んでいるんじゃないかと……」
幽谷は頷いた。構造は複雑になり、騒ぎに対してかけたコストが大き過ぎるものになる気もするが、根気よく用意すれば少なくとも人間が中に入るよりは材料費が安く済むだろうことも間違いない。
「……ふむ。考える余地はあるかな。一応、ここ実験室なので、火を使った再現実験も全くできないわけではないし、観察の前にこの二つの仮説を再現してみて、写真や実際の観察の際に比較するっていうのもアリかなとは思う。高橋君が自腹切るなら、二見先生には話しておくし」
とりあえずの結論を出すと、幽谷は高橋にそう告げた。必要なものは幾らかあり、そしてそれはバイトもしていない高校生からするとちょっと手が届かない額になるものも多いのだ。
「あー……」
「じゃあ行った行った。次来るときはお金の算段をつけ且つ、過去の目撃者の目撃場所を教えてもらえるといいね」
仕方ないかと高橋は大人しく理科室を追い出された。
通販サイトで耐火ジェルや不燃布を調べてみると、言われた通り案外高い。実験の必要量だけ買うなんて事も、そもそもどれくらい必要なのかわからないとどうしようもない。
高橋には新聞の締め切りもある。理科室使うのに時間かかる様だと記事が間に合わないかもしれない。
値段とかはまぁ、帰りにホームセンターに寄ればもう少しなんとかなるかもしれないけれど。とりあえず相談するにも連絡先を聞いておくんだったなと、高橋はそう思った。
少し尿意を覚えたため、一度トイレに寄ってから高橋が理科室の前まで戻ると、幽谷と尾池の会話が聞こえてきた。
「彼が本当にやる気ならば予備実験の提案による時間稼ぎは三日ともたない。今日行くよ、尾池君」
「……行きますけれど、なんでこんな日に限って副部長休みなんですかね」
時間稼ぎとは何のためのものか、高橋には何もわからないままに二人は話を続けている。とりあえず、自分が入っては話を止めるかもしれないと、廊下で盗み聞きをする事にした。
「仕方ないだろ、親戚に不幸があったんだから……岩手土産に期待しようじゃないか」
「岩手って宮沢賢治以外に何かありましたっけ……?」
「源義経が死んだところではあるね。あとは遠野物語とかも有名だが……まぁ、お土産は義経の首かな」
「部長って頼朝だったんですね」
「じゃあ尾池君は木曾義仲ね」
「死んでるじゃないですか」
「今となっては全員死人だよ」
たわいもないどうでもいい話をしながら、大きな水筒とトートバッグを手に持って理科室を出ていく二人を見つからない様にやり過ごして高橋は後を尾けることにした。
声をかけてもよかったかもしれないが、もしかするとこの二人は焼却炉の幽霊の正体を知っているのではないか。そう思うと、泳がせて後をつける方がいいように感じたのだ。
校舎から出て少し離れた旧校舎の方へと二人は歩いていく。
たわいもない話をしながら、隠す様子もなく歩いていたが、ふと幽谷がしゃがみ込んで地面を指差して何か呟くと、急に歩く方向を変えた。
追って高橋もよくその場所を見てみると、まばらに生えた雑草の葉先が黒ずんで欠けていた。周りを細かく見ると、同じように葉が黒ずんで欠けた雑草が幾つかあり、地面にはその欠けたらしい真っ黒な葉先が落ちていた。それに指が触れたような痕があったので触れてみると、細かい黒い粉が手についた。
これは炭だろうか。そう思って高橋がよくよく見ると、地面に落ちた葉先の部分はまるで人の足の様な形に凹んでいる。つまり幽谷は焼却炉の幽霊の足跡を見ていたのだ。
幽霊というと足のないものだから、足跡があるなんて高橋は思ってもいなかった。もしかすると、科学部は焼却炉の幽霊が何か知っているのではないか。そんな疑念が高橋の頭を過ぎる。
そう考えれば時間稼ぎにも納得が行く。
さらに歩いて、二人は焼却炉の脇に作られた旧ゴミ捨て場に辿り着いた。学校の焼却炉を使わなくなった今、ここはゴミ捨て場ではなく、旧校舎脇に菜園がある園芸部が、肥料を作る為に作り過ぎた野菜や集めた落ち葉を集めるのに使っているのみ。
近くに寄れず高橋には聞こえなかったが、何か二人で言葉を交わした後、尾池がそこに置かれていたフォークみたいな農具を持ち上げた。
そしてさらに二言三言交わすと、尾池だけがどこかへ小走りで去っていった。
五分ぐらい幽谷はそこで準備体操なんかをしていたが、ふとその動きを止めてスマホを取ると、高橋の隠れている方へ真っ直ぐに歩き始めた。
「出てきなよ! 高橋君!」
幽谷がそう声を張り上げたので、高橋は逃げようと振り返ったが、そこにはフォークを構えた尾池が立っていた。
「あぁー……えと、悪気があったわけではなくてですね」
「言い訳を聞く気はない。というか聞いても無意味だね、私達は幽霊の正体に心当たりはある、しかし知っているわけではない。加えて、その正体は私達の推論通りであるならば、新聞に書いてもらう訳にもいかない」
冷や汗を流しながら言い訳をする高橋の前に、手を出して幽谷は言葉を止めさせた。
「君がシャイボーイで声をかけられなかったのであろうが、私達を犯人だと勘違いしたのであろうが、それとも何か別の私達の何かを探っていたのであろうが、口止めはする事になるし、口止めするならば私達と同じ事を知ってもらう事になる」
理由もなく黙っていろと言われても納得できないだろうと、幽谷は高橋に決めつける様に言った。実際そうだろうけれど、なんだかしゃくだった。
「……部長はそういう言い方する人だから、悪気とか見下しているとかじゃないから、一応。多分」
それに、要は一緒に行きましょうって話だし、と尾池はフォークを下ろしながら高橋にそう言った。
「じゃあ、今回の件について話をしよう。焼却炉の幽霊と別に、私達のところにはある相談が持ち込まれていた。園芸部の野菜盗難事件だ。守ろうとネットをかけたりしても効果がないと、なんの動物か確かめたいから、定点観察カメラとか持ってない?というものだった」
園芸部に何かあったという話は高橋も聞いていた。先輩達の取材対象になっていたからだ。
「カメラもないし、タヌキかハクビシンか何かだと思ったので、そこはそのまま話は終わった。そして、今度は君の話を聞き、存在する証拠たる写真を見た。そこで私達は焼却炉の幽霊は野菜盗難事件の犯人であるという仮説を立てた」
「……なんでその二つが繋がるんですか?」
高橋が質問すると、幽谷はこともなげに答えた。
「時期がある程度被るのと、私達がそういう生き物の存在を知っていたからだ。現時点ではUMAとでも表現するしかない生き物達だ」
「存在を知っていたって……」
「後ろを見たまえ」
高橋が振り返ると、青く燃える顔の付いた火の玉に帽子を被せたみたいなものが宙に漂っていた。
幽谷が手を掲げると、高橋の体をすり抜けて幽谷の元に行き、ハイタッチをした。
「こういうことだよ」
「幽霊じゃないんですか?」
「一般的な幽霊ではない……と考えられる。水も食事も必要とするし、排泄もする。そして何より、死人の魂ではない。目の前で卵から産まれたからな。名前は火夜(カヨ)」
幽霊の伝承がこうした存在を見て生じたことは否定できないけど、と言いながら幽谷は続ける。
「さて、話を戻そう。仮説を元に私達は現場を見ていた、そこを君はストーキングしていたわけだ」
「足がある幽霊はいないわけではない、欧米ではそっちが主流だ。それはそれとして、土の上に足跡が残るということは、重さがあったという事だ。サイズはおよそ30センチ、成人男性でも大きい方だ、流石に二メートル以内ではあるだろうが……あとは、素足、そして体重は地面への沈み具合を見ると私よりも明らかに重いのは間違いないな」
「幽谷さん、体重どれくらいですか?」
「少なくとも平均的成人男性とどっちが重いかわからない程には重くないと言っておこう」
「ともかく、その生き物はサイズに比した重さがあるという事だ。いわゆる幽霊や火夜の様に触れられないということはないだろう」
「あとはそうだな、燃えている炎は本当にそれそのものに熱もある。炎の様に見える光と熱が別である可能性もあったが……足跡の周りの葉が焦げていたし、畑の中にも焦げの混じった足跡があった。でも、炎に触れたらば全て燃やさずにいられないという訳でもないみたいだ。作物の盗まれた痕は、普通にもぎ取ったって感じだ、堆肥置き場をトイレにしているみたいだが、火事になってもいないしな」
君も見るかい? その糞を、と幽谷は高橋を誘ったが、高橋は首を横に振った。
「その、それでこれからどうするんですか?」
「駆除する。放置しておくには危険すぎるからな、人の前に姿を現しても危険じゃないことを学んだ頃だろう、アフリカでは猿を食べる文化もあるというし、人の肉を食べてから対処するんじゃ遅すぎる。それにアレは人に知られてはいけないものだ」
「対話とかって……」
高橋が聞くと、幽谷は少しだけ困った様な顔をした。
「一応試みるけど、危険性のないところから食事を与え甘やかし、ある程度の文字まで教えたこの子とは状況が異なり過ぎている。多分無理だと思ってくれるかな」
「あ、そうだ。尾池くん、それは戻しておくんだよ」
「あ、はい」
言われた尾池は、何の疑問も挟まずにフォークを園芸部の所定の位置に戻した。
「え?武器置いちゃっていいんですか?」
「いいんだよ、奪われた時が危ないものは置いてくに限る」
そういう幽谷に連れられて、三人は足跡を追って旧校舎から裏山へと入った。さらに辿っていくと、放置されたあばらやに辿り着いた。
「学校に現れた彼等が住処に選ぶ場所は幾つかある。ここに来るのは三回目だね。雨風しのげて人目につかない。先生達は存在を知らない人の方が多分多いんだろう、この裏山は学校の敷地じゃない。ここの持ち主は前は近所のおじいさんだったが、今はその息子のもの、こっちには住んでいないから管理も滞っている」
幽谷はとても手慣れていて、尾池も落ち着いていることからこれが初めてではないんだろうなと高橋は察した。
「さて、じゃあ二人とも絶対に私から離れてはいけないよ。そして、火夜がどうなっても声を出さない事だ。余計な注意を引いてしまう」
そう言うと、幽谷は手頃な石を拾って小屋へと投げつけた。
「おーい、聞こえてるー! 日本語わかるー?」
そう幽谷が声をかけると、開きっぱなしの扉からぬっと二メートル近い人の形をした炎の塊が現れた。その炎人が、青いガラスみたいな瞳を三人に向けぐっと腕を構えると、幽谷は水筒をおいて、トートバッグから刃のついた卵状の赤い物体を取り出した。
炎人が構えた腕の先端、拳が膨らんでいくのとほぼ同時に幽谷は卵状の物体を掲げた。
パッと、白い光が弾けて、眩しさに僕は目を背けた。顔を戻すと、幽谷の前に炎の様な模様をした翅を広げた毒蛾に似た、百七十センチあるかどうかの大きさの生き物が立っていた。ゆっくり羽ばたきバランスを取りながらゆらりと立っているその姿を見て、高橋はなんとなくそれが火夜なのだとわかった。
肥大した腕を炎人振るうと、その腕から人の拳大の火の玉が飛んだ。それを捌いたのか叩き落としたのか、背後からではわからなかったが、何事もなかったかの様に火夜は炎人へと跳びかかった。
「彼、おしゃべりは嫌いみたいだ」
そう言って、幽谷はトートバッグからやけにしっかりした作りのパチンコを取り出すと、腕に固定した。
「それは?」
「……スリングショットだよ。軽犯罪法に引っかかるだろう程度には充分な威力を持つパチンコさ」
次いで、水筒の蓋を開けると、中から紙を巻いた四角いものを取り出した。
「それは?」
「……氷に破いたルーズリーフを巻いたやつ。凝った弾を用意する時間がなかったのであり合わせだよ」
「石とかじゃダメなんですか?」
「ダメだからやっているのさ。というかさっき黙ってと僕は言ったのだけども……まぁいいか。ある程度温度が調節できるとしても人より体温ははるかに高いだろうから、普通に手ごろな石とか投げるより投げ返されにくいかなって感じだね」
幽谷は呆れたようにそう言うと、氷をスリングショットにセットしてゴムを力強く引いた。
「私達の想像や知識ではあり得ないことが起こせるのが彼等だ。体重が軽かろうが一撃はひどく重い。さっき火夜が防いでくれたやつだって、私達が受ければまぁやけどだけでは済めばかなり運がいい程のものだろうね。それに対して我々ができるのが、こんな嫌がらせなのは……ッ!」
幽谷が撃った氷が火夜と組み合っていた炎塊のすねに当たると、炎人は少し顔をしかめ、火夜はそのタイミングに合わせて逆の足を払った。
炎人が体勢を崩して頭が低くなると、火夜は膝でその頭を蹴り上げた。
その衝撃故か炎人はふらりと数歩後退して片膝をつく。片膝をついたところから下草に火がついて、炎はじわじわと周囲に広がっていく。
追い打ちをかけようと火夜が近づくと、立ち上がった炎人はそれを防ごうと遮二無二拳を振るったが、火夜はそれを腕で跳ね上げて逆の腕で腹を思いっきり殴った。
炎人がなんとかそこに踏みとどまると、火夜はそのままもう一発腹を殴りつけ、さらに腕を引きざま逆の腕で頭を地面に向けてたたきつけた。
火夜が一度息継ぎするように攻撃を止めると、炎人は地面を這いながら距離を取って立ち上がった。火夜が組みに行こうとしても簡単には応じず、距離を取り火夜と組みつくのを嫌がっているようだった。時折チラリと青い瞳を幽谷の方に向けスリングショットによる妨害も同時に気にしていた。
「……ふむ、消化器も持ってくるんだったかな。いや、この程度の規模ならさっきのフォークで十分かな。高橋くん、行ってくれる?」
「え? でも奪われたらって……」
「山火事になるよりマシだからね。下草が多少燃えている程度なら土で埋めれば十分消化できる」
少し渋ったが高橋は一つ頷くと、炎人の方をちらりと見た後、背を向けて走り出した。
「い゛ッ」
その行動に、尾池の口から変な声が漏れる。
クマに背中を向けて逃げちゃいけないなんて話は、そこそこ知られた話であり、大体の野生動物にそれは適用される。しかし、高橋からしたら炎人は野生動物と思うにはあまりにも奇異な存在であり、同じカテゴリにはなかった。
炎人は逃げる高橋の背中を迷わず追った。それは急に動いた姿が目に付いたからでもあったし、炎人には考えるだけの知性があった。
目の前の火夜は炎人の主な攻撃手段である炎にも強く、格闘でも火夜には敵わない。地の利に関しても周囲に山ほどいるヒトと共にいる時点で不利であると捉えていた。
この場で逃げ延びるには火夜の足を止めなくてはならない。しかし火夜は先ほども述べたように炎人より強い。他のヒトを狙おうにも一か所に固まられていると、間に割って入れば止められる。炎人には単純に正面に向けて炎を飛ばすか、それとも殴りつけるしか手がなく、一直線になるよう位置取りされたままではそれを避けて攻撃することもできない。
そこに高橋が突出したのは都合がよかった。狙う先が二択になれば、火夜に選択を迫ることができる。どちらもかばおうとすれば逃げる炎人を追いかけることはできない、しかし、炎人を倒すことを優先すればおそらくどちらかは庇い損ねる。
高橋の背中を追う炎人を、さらに追って火夜は飛ぶ。
炎人に取ってそれは予想の範囲内だったが、予想外だったのは火夜が炎人の想像よりも速かったこと。
高橋や幽谷達に向けて炎を飛ばして選択を迫る時間もなく、火夜は炎人の背中を捉えて馬乗りになった。
一発、二発と殴る度に割れた卵のような形状の火夜の拳が、衝撃を逃す場所もない状態で刺さり続ける。なんとか炎人は体の前後を入れ替え、腕でガードを試みるが、ガードの上から五発、六発と食らっている内に前腕はズタズタになり骨も折れてガードしたくともできなくなっていく。
フォークを持って高橋が戻ってくる頃には、炎人の片腕が地面に転がり、血こそ噴き出さない代わりに辺りに炎に覆われた肉片が飛び散っていた。
言葉を無くす高橋に対して、火夜は一瞬その真っ暗な瞳を向けたが、敵対する存在でないことを確認すると、炎人へと拳を振り下ろす作業に戻った。
高橋は何度かの殴打音の後に、一度だけ何かひどく水っぽい殴打音が聞いた。
そして、火夜が立ち上がると炎人の肉体だったものがステンドグラスの様な光を伴う粒になって溶けて消えていった。
「これで、おしまい。あとは残った火が延焼しないように土で埋めれば多分大丈夫だろう。水道遠いし」
ほら、フォーク貸してと言われて高橋が渡すと、幽谷は燻っている火種をほじくり返して埋め出した。
幽谷はなんでもないようにしていたが、炎人が倒れていた場所は黒く焦げついていて、まるでそこで死体を焼いたかのようだった。
「……高橋くんさ。このことを記事にしないでくれるかな?」
「え?」
「詳しくは言えないんだ。詳しくは。だけどね、このことは公にしてはいけないことなんだ」
わかってくれるね?そう言いながら、幽谷はフォークを一度持ち上げると、地面にザクっと突き立てた。そこはちょうど人の形をした焦げ跡の首の辺りで、足をかけて掘り返すと頭の辺りがボコっともち上がって転がった。
「適当な証拠はこっちで用意する。人のいたずらだったというレポートも書く。君は記事を書き、大体の人はそれを信じる。焼却炉の幽霊ももう現れないから検証の余地もない。科学は再現できないたった一度だけの事象には無力なんだ」
幽谷の影が、火夜の燃える翼の羽ばたきにつられて揺れる。幽谷の輝きのない赤い瞳がじっとりと高橋を見る。
高橋はただ頷くしかできなかった。想像することは実現する、断った時に幽谷はどうするか。その想像もまた、実現し得るのだ。
感想ありがとうございます。
確かになぜかあまりメラモンを敵にしている印象ってあんまりないですよね。あんまり生態が想像しにくいところからか、デジワーで料理人としていた利するイメージか……
ちょっと肉片肉片言われていた時期だったので肉片飛ばしてみましたが、新鮮で楽しんでいただけたならよかったです。
おっしゃる通りで、描写がくどく濃くなっていくのが書いていての悩みの種になってます。デジモンアナライザー的なそれが必要ない点はいいんですが、姦姦蛇螺回ではくどすぎるので一部挿絵を入れたりする羽目になってりもしていて、なかなか難しいです。
四話から結構わかりにくいストーリー展開も入ってきますが、どうぞよろしくお願いします。
怪異! プラス、デジモン! 私の推し要素の二つが今、究極のマリアージュをうんたら……。
という事で、最新話のタイトルに釣られてこちらを読ませていただきました。
そしてまさか……メラモン、貴様……出演ているな!
まさかこの私の推しデジにここで出会えるとは、しかも適役。
確かにアニメでは敵だったりしますが、あんまり二次創作界隈では見ない気がします。
そしてなかなかぐっちゃりやられている所も。
彼、あんまり生物感無いのでグロ描写に晒されるのも少ないと思うんですよね。
非常に新鮮で面白かったです。
デジモン名を出さないやり方、やってみると描写に凝らざるを得ないせいで回りくどく&解りにくくなってしまいがちで難しいと思ってるんですよね。
頑張ってください。
でも具体名を出さない事で所謂デジモンの説明や導入を省くことが出来ているんだなぁと、読んでいて発見しました。
他の話も気になるタイトルが多いのでちょいちょい読ませていただきたいと思います。
あとがき
へりこにあんと言います。お久しぶりの方はお久しぶりです。はじめましての方は初めまして。
今回登場のデジモンは、火夜がゴースモン→シェイドラモン。炎人はメラモンです。このまま数話ぐらいはデジモンの名前を出さずに話を進めていきたいなと思っています。
ちなみにこの作品、自ブログに三話までは一応上げていますので、三話までは近いうちに更新できるかと思います。四話からは同時に上げるつもりなので、こっちで見ていただければと思います。
では、ここまで読んで頂きましてありがとうございました。また次話でお会いしましょう。