「尾池、話がある。放課後付き合ってくれ」
きさらぎ駅の調査の翌朝、理科室に現れた硯石は尾池にそう言って、さっさと教室へと行ってしまった。
尾池は、あっさりと去っていく背中を見て少しもやもやとしていた。
昨日のことを思うと、尾池も少しばかり思うところがある。知識欲は大いに満たされ掻き立てられ、満足した部分もあるはずなのに、総じてしまうと楽しい思い出とはとても言えなかった。それは幽谷の身体について考える余裕がなかったから等では当然ない。
一度は信用できないからと自分から離れることも検討してたのに。
「……黒松さん、私どうしましょう」
「雅火が家にも帰ってないって時に私にそんな考える余裕あると思う?」
早起きして部室に来る余裕はあるのにと尾池が言うと、黒松は尾池の頬を摘んで引っ張った。
「先に尾池ちゃんがデジメンタルの話教えてくれてたらすれ違わずに済んだかもしれないのにー……という気持ちが半分、昨日まで雅火の右目のことに注意がいかなかった自分の反省が半分」
まぁそれは置いといて、と黒松は尾池の頬から手を離した。
「魔王の目的がわかったことで、多少の推測は立つようになった訳よね。でも、それは魔王の配下側の見方でしかないし、人間を利用するつもりならカモフラージュかもしれない。雅火のことを考えると……できるならそこら辺の話が信用に値する話なのか聞いて欲しいわね。向こうが一方的に話を聞くだけのつもりで情報を出す気がないなら……昨日回収した人形の出番かもね」
「暗黒のデジメンタルは?」
尾池は鞄の底に眠るトロフィーの様なものを思い出しながら黒松にそう聞いた。
「やめときなさい。話を聞いた感じだと、硯石君を頼ることもできる尾池ちゃんの場合はそれを使う事と魔王側の仲間になることはイコールで繋がらないけど、そもそもそれを渡した時点で、一定の信頼を向こうは尾池ちゃんに向けている。役にこそ立たないけど、それを持っていることはある種の信頼の証として機能してる。それを硯石くん達に渡したら尾池ちゃんはどちらとも言えない第三者から魔王の敵になったと見られるかもしれない」
なるほど、と尾池は頷いた。いつもの語尾忘れてますよと一瞬言いそうにもなったが、正直ちょっと鬱陶しい語尾だったし、やっぱり余裕がないのもわかったから、言わなかった。
「同じ理由で、魔王側の目的も直接言うのはやめときなさい。私と雅火に言ってるから……あとは車を出してもらう為に説明しないといけない先生ぐらい? あくまでその時点で魔王と敵対してる訳ではない相手にだけ話す、じゃないと信頼を裏切ったと思われるかも」
黒松が指を折って行くのを見ながら、尾池はとりあえずまた頷いた。
「という感じで硯石くんに対しての対応は、魔王側の目的は言えないけども、それを推測するのには使える筈だということで人形を渡す。それならまだ、ある程度どうにかなると思うし」
確かにと頷いて、そのあと、尾池はふと昨日のことで少し気にかかっていることがあったのを思い出した。
「あ、そうだ黒松さん」
「なに?」
「部長から副部長がいたことは聞いたんですけれど、いたのって副部長と聖剣さん、だけでしたか?」
「……そう、ね。だけだったわ」
それがどうしたのと質問の意図を汲みきれない黒松に、やっぱりと尾池は返答せずにただ頷いた。
硯石とおちあったのは、駅前のカラオケボックスだった。
「尾池、魔王の目的や計画、どれぐらい把握している?」
それが硯石の第一声だった。
「えと、そのものは言えないです」
「……なぜ」
「その、メリーさん達の信頼を? 裏切る、らしいので……」
黒松さんの入れ知恵かと言ってため息を吐いて、硯石は尾池が指に巻いた包帯を見た。
「……尾池、お前も黒松さんも他人を信じるにも程々にしておけよ」
硯石はそう言って立ち上がると、尾池を壁に追い詰める様に立ち、不意に尾池のカバンに手を入れるとお守りのついたスマホを取り上げた。
「……やろうと思えば、力尽くでも話は聞ける。お前が首を突っ込んでるのはそういう場所なんだ。次は爪の一枚じゃ済まないかもしれない。専門家に任せて、尾池や黒松さんは引くべきだ」
そう言った硯石の顔は、尾池が知っている中では一番辛そうだった。
尾池が硯石に取られたスマホに手を伸ばすと、硯石はひどく悩ましそうな顔をしながら尾池の腕を掴み、ぐいと持ち上げた。
「俺は……本気で言っているんだ尾池。それとも、刃物でも突きつけた方がいいか? 脅されて仕方がなかった。そう言えば……多少はマシだろ」
尾池は自分の表情がわからなかったが、多分危機感のない顔をしていたのだろう。その言葉に、尾池はどう返していいかわからなかった。
七美もそんな尾池の気持ちを察してなのか困惑しているのか、動けずにいた。
「ふふっ……あはははははッ!」
そんな声が聞こえたのは、尾池のカバンの中からだった。
尾池が驚いて目を丸くしていると、カバンの中からずるりと一体のデジモンが現れてみるみるうちに膨らんでカラオケボックスの天井に届かんばかりの背丈になった。
「薔薇騎士の秘蔵っ子は真面目だな。真面目が過ぎると言うべきか……言葉と表情があまりにかけ離れているではないか」
そのデジモンは、顔を鋼のバイザーで覆い、黒く海藻の様な髪をなびかせるだけならまだ人間味があったが、胴や脚は異様に細く長く、その腕は長く幅広で爪がある一方で紙のように薄い。非常に奇妙なデジモンだった。
「土神将軍か……」
硯石はそう呟くと自身の鞄からずるりと明らかに鞄には入らないサイズのトゲ付きハンマーを取り出した。
「いかにも、とはいえ戦闘の意思は無いのでまずは落ち着きたまえ。私は、自身の宿主のピンチにいても立ってもいられず出てきただけ。間違っても笑いがこらえきれなかったのではないぞ」
「なんだと?」
「え、知らない……」
硯石の視線が向けられて、尾池は困惑の言葉を発した。
「ふふ、教えてないからな。カバンの中にデジモンにまつわる物品を入れすぎて、私が小さくなって忍んでいても誰も気にも留めなかった」
というかカバンの中ぐちゃぐちゃだぞ。なんて軽口を叩き、土神将軍が指をパチンと鳴らすと、硯石が掴んだままの尾池の手に緑色の透き通る球体が肉をかき分けて現れた。
不思議と尾池の身体に痛みや違和感はなかった。
「さぁて、そういう訳だから、脅す脅さないなんて物騒な話はやめにしようじゃないか。情報が欲しいなら私が答えよう、私は君の止めたいリリスモンの配下、その当人なのだから」
尤も答えられる範囲ではあるがねと付け加えて土神将軍は笑った。
「……どういうつもりだ?」
「私は計画の進行をする立場ではないからな。計画が頓挫しないに越したことはないが、私の役目は主に事態の健全化だ」
「健全化だと?」
「そうとも、信じられないかもしれんが……我々としてもイレギュラーだらけでな。予想以上に問題が大きくなっているし、危険なことになっている」
「……それで俺達を使おうと?」
「使うというのは違うな、協力しようと言っているのだよ」
土神将軍はそう言って胡散臭い笑みを浮かべた。
「そもそもがお前達の勝手でこうなっている事が、わかっているのか……?」
「ははは、勝手と来たか……聖騎士達は世界の危機とあらば消耗品感覚で人間を呼び寄せるというのに、我々はゲートを開くだけで剣や銃弾が飛んでくる。私達の勝手がこの世界で問題を起こす一因に、行き来が容易でなく事前実験を満足にできなかった事かあるのをお前は理解しているのか? なんて言いたくなってしまうな」
そう言って土神将軍は愉快そうに笑った。しかし、尾池は軽そうに見えて本気で言っているのがなんとなくわかった。
「……まぁ、そもそも論を持ち出すのはやめようじゃないか。魔王リリスモンは確かに暴虐を成した魔王ではある。しかし、魔王リリスモンが暴虐を成す魔王となったのはその肉体を悪魔デジモンと入れ替えられた際の聖騎士達の対応にある。とはいえ、悪魔デジモン達の歴史を思えば……と、どこまでも行くだけで、最早当事者とは関係なくなってしまうからな」
「……そうだな」
硯石は少し釈然としない顔ではあったがそう同意した。
「さて、ではこちらのスタンスの話だが……まず最初に、リリスモンはこの世界を脅かしたい理由はない。という話をしておこう」
「え、こんなにデジモンばら撒いてるのに?」
「そうだとも。デジモンは人為的な介入さえなければ基本的にはlevel3にいたるまでに三年から五年はかかる。この計画は最短一年、長くて三年、人と結びついたとしてもlevel3ならば大した騒ぎにはならないと踏んでいた」
これがさっき言った事前検証しなかったことによるイレギュラーの一つ、と土神将軍は言った。
「……この世界の環境か」
「そういうことだ。人間が幾ら多いとはいえ、人間の感情に伴って生じるエネルギーが作用するには指向性と変換器が必要。故に問題はないと見ていたが……噂や都市伝説の様に人の感情の対象にされる、そのほんの少しの指向性とこの世界で再定義された肉体の在り方によって、変換器を使わずとも生育に影響が出るだけの作用が生じたのだ」
「え、でも撹乱目的に大量に連れてきたって聞いたけど……」
「それは嘘ではない。聖騎士達の使っているレーダーは、世界を超える反応の数を捉えるもの。卵の状態でも実行役の水虎将軍の場所の撹乱にはなる。追ってきた聖騎士やその部下の足止め役は、知性を奪った水虎将軍も同時に送り込むことで十分な筈だったし、現状を見ると十分ではあった様だ。最初に追跡できない様時間を稼げれば……水虎将軍は追えない様潜伏できる。その後の調査まで妨害できたのは我々にとって都合がいい点であり、しかしその妨害の内容は都合が悪い」
確かに話に矛盾はない様に尾池には思えた。
「リリスモンはこの世界を脅かす意図はなく、その点はそちらと共通すると見ている。如何かな?」
「……そうだな。確かにその通りではある」
硯石は一応頷いた。
「故に私から、そちらに対処を依頼したい危険がある。そちらとしては、こちらの目的や狙いを推定するのに役立つであろうし、私としては私のみでは最早手に負えない事態であるのだから解決して欲しい。ということだ」
「内容による、必ず快諾できるわけではないが構わないな」
「もちろんだ。それでいい……私の依頼は、幽谷雅火についてだ。彼女の半身がデジモンに侵された状態にあることは知っているか?」
硯石は、思わず尾池の手を掴んでいた手を離した。
「どういうことだ」
「デジメンタルだ。我々はデジメンタルを使うと人間の肉体がデジモンへと変化していく様に改造した」
「なんだって……?」
ハンマーを少し浮かせかけた硯石に落ち着きたまえよと土神将軍は語りかけた。
「本来ならば、それは無理がない領分で進むものであり、水虎将軍の介入込みで短くて一年前後で完了する見込みで進めるものだった。もちろん同意もありでの話だ。だが、幽谷雅火は我々の監視下にない状態で二個同時に使った事で過剰反応が起きている。我々の想定していた段階も一段階は飛ばして反応している状態にあると推定される他、身体の負担もある上いつ暴走してもおかしくない状態にある」
「なんてことを……」
「私の推定では、その状態からの解決策は大雑把に三つ」
土神将軍はぺらぺらの指を三本立てた。
「一つ目は幽谷雅火を痛めつけてデジモンの部分が退化される状態まで追い込み、人間の部分が優勢な状態に戻すこと。ただし、人間の部分に負荷を与え過ぎると当然命に関わるし、人間の部分が回復するまでは完全に取り除くことも負担が大き過ぎてできない」
そう言って指を一本折った。
「二つ目は幽谷雅火にlevel6まで進化してもらうこと。デジモンの部分と人間の部分が拒否反応を起こす様な状態だから暴走する訳で、デジモンの中に人間の部分が混じっている程デジモン優勢の状態になれば安定すると考えられる。しかし、人間にはもう戻れなくなる」
さらに指を一本折った。
「三つ目は私や水虎将軍の手で調整を行うこと。けれど、これは抵抗される様な状態では当然できないし、あくまで暴走の危険を排除するに留まる」
そして最後の指を折った。
「……なるほど、俺達にさせたいのは一つ目か」
「その通り、聖剣は斬りたいものを斬れると聞いている、多少は残さないと退化という形で済まず、デジモンの細胞が入っていた部分がそのままで傷となってしまうし、下手をすると死ぬが……ロードナイトモンの技量なら必要な分だけを切除できる筈だ」
「ロードはこちらに来ていない」
硯石は即座にそう言った。用意していた回答だったのは尾池にもすぐわかった。
「私は後発組だ、お前達の動向もある程度デジタルワールドから確認してからやってきている。とはいえ、お前の裁量ではいることを明かすことさえできないというのは理解を示そう」
「……嫌なやつだな、お前」
「ふふふ、お前が真面目過ぎるのさ」
そんな二人の会話に、尾池はなんか置いて行かれているなと思いながら七美を見た。七美もなんか置いて行かれているなという顔で尾池を見た。
「……お前達の目的を明かす気は?」
「それはないが、我々と目的を別にした裏切り者の情報なら喜んでくれてやろう。お前達の立場だとこれも見過ごせない筈であるし、我々としてもそうだからな」
「裏切り者……アルゴモン達か」
「そうだ。リリスモン様はやつと、あの場で結界を張っていたドウモンにそれぞれあるアイテムを支給した。その内の一組は回収されたが……アルゴモンが持っていた方は回収されていない。加えて、アルゴモンは卵からも産まれるが植物のデジモン、自身で分裂し増えている可能性がある」
「なるほど、そういうことか」
「何かに得心がいった様子だな?」
「俺と戦ったアルゴモンはドウモンの結界の中にいた。しかし、明らかに場所や条件がアルゴモン向きではなかった。アレは、お前達からも身を潜めていたからか」
「おそらくはそうだ。そして、奴等は互いに裏切り者同士、いずれ自分も裏切られるかもしれないしそれなら先に裏切ろうと考えていたのだろう。アルゴモンは本体を囮にして分体にアイテムを、雷のスピリットを持たせて力を蓄えさせている。と考えられる」
「……スピリットを?」
硯石はそれを聞いて目を見開いた。
「そうだ、お前には思い出深いものだろうが……そこに手を加えるのはなかなか新鮮な体験だった」
「馬鹿なことを……アレはデジタルワールドの歴史を示す重要な遺物なんだぞ」
「ふふふ、私もそう思うよ。本来ならば道具としての運用は本物ではなく模造品で行うべきだ。だが、設備がなくてね。第一陣をこちらに送り込んだ後にデジメンタルの製造施設も破壊されたし、もちろんスピリットもだ。確かアレは……オメガモンだったか、かの聖騎士はロードナイトモンの対応を生温いと仰せの様だったよ」
土神将軍の言葉に、硯石はチッと舌打ちをした。それは尾池が知る限り見たことのない程苛ついた姿だった。そして、それはともかくスピリットの説明をして欲しかった。
「やはり、未だオメガモンとは確執がある様だな。まぁ仕方ないな、私が聞いてもなんてひどい話だと落涙を禁じ得ない。実の姉を、運命という水面に波紋を起すための小石として、そこに沈んだらまた新しい石を拾えばいいと……」
「言うな。尾池にあまり聞かせたくない」
それは失礼と土神将軍は笑った。
「……副部長のお姉さん。聖剣さんもやっぱりそっちに行ったことがあるんですね」
尾池がそう言うと、硯石は少し目を丸くした。
「どうしてわかった?」
「え……いや、合宿の時、副部長のお姉さんと聖剣さんが一緒に家にいる筈でしたけど、一緒にいませんでしたし、昨日は……私達が車で移動するのを尾行してたんですよね? 副部長が頼れて車運転できるのはお姉さん多分お姉さんだけ。そして、聖剣さんを黒松さんが目撃しているから……可能性は高いかなって」
それを聞いて、硯石はミスったなと呟いた。どうしてそう思ったと聞けばまだ誤魔化せたかもわからないが、どうしてわかったと聞いた時点で事実だと認めてしまっている。
観念した様に硯石は話し出した。
「……デジモン達の世界に姉さんを連れて行った聖騎士はオメガモンという名前だった」
オメガモンという名前を言う時、硯石は感情を鎮めながら喋っている様だった。
「あの世界の神は理解が及ばない程の演算能力をもっている、それこそ、デジタルワールドという一つの世界の中で起こることならば全てを計算できる程に。神の配下である聖騎士が人間を向こうに連れていく時は、現在のデジタルワールドの条件では許容できる結論を神が計算できなかった時、世界の外から物を持ち込むことで、条件を変えて結果に変化をもたらすのが目的なんだ」
硯石の語りを、尾池は静かに聞いた。グラビモンも口を挟む気はない様だった。
「事態に変化を起こすには、事態の真っ只中に投入する方が効率的だ。オメガモンは、本来その事態に関わらせるには実力不足の人間とデジモンをセットにして放り込み、大したサポートも与えない。がむしゃらに動いて事態を好転させてくれればよし、死んだとしてもまた神が改めて計算をし直し次の策が打ちやすい。役に立たず生き延びられるよりは死んでくれという方針だった」
理には適っている。でも、硯石が許容できないのも理解できた。
「ロードは、姉さんとそのパートナーのデジモンが死んだ現場にたまたま居合わせた、オメガモンの支援要員だった。しかし、その扱いに対して反対し、姉さんにパートナーの肉体を使って蘇生をした」
姉さんが聖剣の時に変なキャラになるのは、パートナーのデジモンの性格みたいなのが混じるせいだと硯石は付け加えた。
「その後戦況が悪化した事で、ロードはオメガモンにその事を責められた。神の計算を再度賜れば最善手が打てたのにと。しかしロードは譲らなかった。ただ戦場に放り込んでも力もなければ与えられる影響は軽微、オメガモンのやり方では何も未来が変わらなかった証左だと反論した。しかし、オメガモンは聖騎士の中でも力のあるデジモン、代わって新しく人間の子供を呼び寄せてロードのやり方でもって戦況を好転させることを強いられた」
それで、と尾池が硯石を見ながら呟くと、硯石もそれに頷いた。
「俺も向こうに呼ばれた。ロードの元で力をつけて戦い方を習ってから戦場に入り、色々なデジモンやロード、時にはその土地の力といった助けを借りてその戦いを終わらせた。ロードは俺達を元の世界に返せば殺さずともまた神が計算できるし、功労者を始末するのは正しいのかて他の聖騎士を説得し、俺達を帰した」
硯石の言葉は淡々としたものだった。
「オメガモンは嫌いだし、憎いが、やつの極端な行動は事態を好転させる為に大より小を切り捨てる対応でしかないのも理解している。でも、俺はそうしたくはない。理不尽に巻き込まれた人間がどう苦しむかをある程度知っているつもりだからだ」
少し声が震えた様に聞こえた。
「だから、尾池を今回の件に巻き込みたくもない。部長も黒松さんも、みんなだ。それで大して改善してなかったのもわかっているが……もう、いいんじゃないか?」
そう言われて、尾池は少し目を伏せた。気持ちは分からなくはないが、尾池は当事者でなくても観察したいし関わりたいのだ。
幽谷のことを思うと、関わる理由はさらに増える。
「とはいえ、宿主はもう当事者だと私は思うがね。こちらの用意したアイテムを複数持っているし、計画外の存在ではあるが……私の様に計画の余波や影響に対して帆走する役として、既に機能している節がある」
土神将軍の言葉に一瞬硯石は鋭い視線を向けたが、一度目を伏せゆっくりと開けた。
「……話を元に戻すか。アルゴモンの分体の居場所について心当たりは?」
「ない。というよりかは、私だからこそないというべきか。私とアルゴモン、ドウモンは後発隊……私の存在を奴等は知っている。故に私は特に警戒されていたはずだ」
「つまり、お前は場所を探る上では役立たずという訳か」
「まぁそうなるが……アルゴモンは放っておけばまた増える。協力して確実に殺したいという訳だ。協力の意思としてこれを渡そう」
そう言って土神将軍は尾池のカバンに手を入れると、女子高生が持っていた二つの人形の片割れを硯石に渡した。
「風の……ヒューマンスピリットか」
「私としても改造は心が痛んだのでね、研究員にはすぐに直せる様に改造する様指示をした。見るものが見れば余剰パーツがあることに気づく筈だ」
「……確かに」
「では、後は言う必要はあるまい」
その余剰パーツを調べればどんな意図でアイテムを調整したかがわかるのかと、尾池は思ったが、硯石がわからないとも思わなかったので何も言わなかった。
「これ以上の情報を渡す気は……お前はなさそうだな」
硯石が言うと土神将軍は頷いた。私ほとんど話してないんですけどと、尾池は特に話す内容も思いつかないものの言おうとしたが、口がぱくぱくと動くものの声は出なかった。
「……あまり尾池を巻き込んでくれるなよ」
「あぁ、その点は安心してくれたまえ」
ほらこの通りと言いながら土神将軍が尾池の指に巻いた包帯をはらりとめくり、ガーゼを剥がすと幾らか血の塊が落ちた下から、綺麗な爪が出てきた。
「これこの通り、ちょっとした怪我ぐらいならばなかったことにもできる」
土神将軍の言葉に、尾池はすごいなぁ、治るところみたいしちょっと軽く皮膚でも切ってみようかななんて思ったが、硯石がハンマーを土神将軍のこめかみまで振り上げて睨みつけたので口には出さなかった。
「治るとしても、だ。安易に尾池の身体を傷つけさせるな」
「……善処しよう」
低くドスのきいた硯石の言葉に、土神将軍は口元を緩めながらそう返したが、尾池は内心申し訳なく思った。
と、いう感じでスレD10話でした。アイズモン=隙間女は既定路線なんですが、Twitterで気まぐれに野沢さんについてフェードアウトしてもらうか苦しんでもらうかでアンケを取った為、ドウモンが復活しました。タイトルを隙間女とするにはちょっとでしゃばりすぎかもこの狐。
ちなみに、野沢さんが洗脳されていたのは最初からの既定路線です。アイズモンは能力が便利すぎるし、スピリットと合わせると対人で強過ぎるので弱体化してもらってたんですね。
このドウモンなら、本当に適当に人間選ぶ事もあり得なくはないんですが、下等な存在なのである程度上澄み選ばないと駄目だな。ぐらいの考えはしています。なので野沢さんはデバフが一個消えただけで腹腔ハンドミキサーとかし出すんですね。しれっと二回目はビーストスピリット使いこなしている辺りも強キャラなんです。
洗脳前は誰にでも優しいギャルって感じの子でした。私服と雰囲気と言葉遣いがちょっとギャルっぽいけどって子。ドウモンにも親切にしたらめっちゃ仇で返された。
野沢さんの変遷は大体こんな感じ、一番左が一番強い。
なお、岩海苔もわりとリリスモン嫌いなリリスモンの部下なんですが、この世界のグラビモンとしては非常に謙虚な個体なので、忠臣面して権力握ろうぐらいの感じです。リリスモンはそれわかってるからこそ、素で自分やその家族にズケズケ言う事に罪悪感もなかろうとお目付役に選んだ訳ですね。
メリーさんとの絡みで母の日に触れる話もするつもりだったんですが、なんか野沢さんが動かしやすくて忘れてました。文字数もだいぶ増えちゃいましたしね、今回。
じゃあいきましょうかと尾池と野沢はアイズモンを探しに行くことにした。
「なんとなくこっちっぽい……」
「距離感と方角がわかる感じなんですか?」
「そう、スピリットも使えばそもそもの感覚が鋭敏になるし、もっと良くわかるんだけど」
持ってる? と問われて尾池は持ってるスピリットをあっさりと見せた。それに野沢は多少面食らったが、それが昨日暴走していたものとわかると首を横に振った。
「……わかっても暴走してちゃ探さないからね」
野沢の案内でふらふらと歩いていると、ふと目の前にビルが現れた。
「このビルは……知ってる」
「そうなんですか?」
「うん、こっちにアイズモンの三分の一を置いて行った時、様子を見る為に何日かに一度合流してたポイントがあったの。あの時はドウモンになんとなく連れてかれてたから、近くに来てもわかんなかったけど……」
へーと言いながら尾池はビルに入って行こうとして、鍵とかあるのかなと野沢を見た。
「鍵とかはないわよ。一年前に夜逃げしたらしいのよ、ここの持ち主。下っ端だけ残してね」
そう言いながらドアを開けると、中はなんとなく生活感がなく、掃除もほとんどされてない様で埃が積もっていた。
「詳しいですね」
「これ読んだら馬鹿でもわかるわ」
野沢は受付らしい場所に山と置かれた辞職願いと書かれた封筒の中から開封済みのものを拾って投げてよこした。
「社員のですか?」
受け取ったはいいもののそれほど興味がないので尾池はそっと戻しておいた。
「そう、県内で営業していた社員ぐらいしか残ってなくてその日会議かなんかで社長と出張してた幹部も根こそぎ失踪。別に経営状態が悪かったなんて話もなかったみたいだけど……社員の知らないとこでなんかやってたのかも」
でもそんなことは今どうでもいいわ、と言って野沢はズンズンと突き進み、部屋の前にゴミが溜まっている応接室のドアを開けた。
そこは絵が飾られ、ソファに観葉植物にといった一般的にイメージする様なこじんまりとした応接室で、他の部屋に比べると明らかに埃が積もっておらず、隅に置かれたペットボトルなんかが醸し出す生活感があった。
「アイちゃん、私よ!」
そう言って野沢は部屋の奥に飾られた大きな絵の隙間を見た。
野沢に倣って尾池も覗いてみると、そこにはまるで潰した絵の様な人間の女性がいた。
全く厚みがないわけではなく、隙間にピッタリとはまる程度の厚みがあり、皮膚の質感やちらりと動く目玉、呼吸に合わせて僅かに動くくちびるといったものがそれが生き物であると知らせていた。
確かに、もし視線の先にこれを見てしまったならばトラウマ間違いなし。隙間女の話とも一致する。
「ちょっと、アイちゃんを脅かさないでよ!」
隙間からぬるりと這い出た女性は、急に膨らんで普通の女性の様になり、そのまま野沢の方に向かうとひしっと抱き着いた。
「よしよし、怖がらなくていいんだからね。プリンもあるわよ」
野沢がその頭を撫でると、女性はデジモンらしい姿へと形を変えた。
黒くひらたく、総じたシルエットは双葉の様であるが、茎にあたる部分まで扁平であり、葉に当たる部分に一つずつ目が入っていて、合流部分に小さな歯が丸くびっしりと並んでいるのもやや不気味に見えた。
「……なんか、姿違くない?」
「仕方ないの、小さいとあのかっこいいやつは保てないんだし……まだ生まれて一ヶ月ちょいなのに、level4で固定させられているのも水虎将軍曰く結構歪らしいし」
土神将軍にそうなのと尾池は聞きたかったが、鞄の方をちらっと見るだけに留めた。
「さて……じゃあ、こうしてアイちゃんも見つけたところで」
そう言って野沢はプリンをソファの上に置くと、急に天井を仰いだ。
「ドウモン! いるんでしょ! 今ならこいつ一人よ!」
野沢の声が響くと、不意にスーッと部屋の中に昨日確かに死んだ様に見えたドウモンが現れた。
「スピリットは取られたけど、代わりにデジメンタルを奪ってやったわ」
暗黒のデジメンタルを弄びながら、野沢はそうドウモンに話しかけた。
「えと、野沢さん……? それ貸しただけなんですけど」
「それはそうだけど、ここで返す先のあなたが死んだら、もらってもいいでしょ?」
あ、これやばいやつだなと尾池は鞄の中に手を入れて、お守りを握りしめた。
土神将軍は寄生こそしてるものの、別に守ってくれるなんて話はしていない。尾池は死なせて隙を突こうということだって十分にあり得るように尾池には思えた。
七美の姿がトビウオの様なそれに変わるのを見て、ドウモンは少し尾池の持っているお守りに感心した様な素振りをした。
「お前、それをどこで手に入れた?」
「……先輩にもらった」
「そんなことどうでもよくない?」
そう言って、野沢はドウモンの脇腹にトンと手を当てた。
「本当に死ぬのはお前なんだから」
野沢がそう口に出すと共に、どこかから鈍いモーター音がして、ドウモンの表情が苦悶に歪んだ。
「たかが人間が……何をした」
そう問われた野沢の左手にはもう暗黒のデジメンタルはなく、右目から右腕にかけてが黒い影で覆われた様になると共に、アイズモンと同じ赤い目がそこかしこに光っていた。
「説明がないとわからないあたり馬鹿だよな、お前。しかも自分が賢いと思ってる馬鹿」
流石に一瞬考える必要こそあったものの、尾池は何が起きているのかすぐにわかった。
デジメンタルがデジモンに対して強化する目的で使えるのだから、自分自身にも使えると野沢は考えたのだ。そして、物を具現化する能力を使ってドウモンの腹腔内にハンドミキサーの先端を具現化して内臓を掻き回したのだ。
でも、と尾池は思った。もっと辛抱して場所を胸のあたりにできれば胸腔内にできれば、既にドウモンは死んでいたかもしれない。
よくよく尾池が観察すれば、野沢の息も荒く興奮状態にある事は明らかだった。本来の使い方じゃないデジメンタルの影響とドウモンの影響が合わさって何かが起きている。それはわかってもそれ以上なんとも言えない。
「野沢さん! 落ち着いて!」
野沢は尾池の言葉に左手をちょっと挙げて応えた。しかし、尾池にはとても落ち着いている様には見えなかった。
「ドウモン、お前さ……私にかけてた術が解けたのわかってたろ。不用意に背中晒して攻撃誘って、どうせ人間の生身の攻撃なんて通じる訳ないから攻撃させてから捕まえて洗脳し直そうと思ってたろ。せめて式神を身代わりにするなりさ、何の為に大層な帽子で頭守ってんだよ馬鹿」
ドウモンは苦悶の表情を浮かべながら聞いていたが、不意にハーッと息を吐いた後、野沢の顔を思いっきり引っ叩いた。それを見て背後から体当たりに行った七美も逆の拳で退けた。
「ムカつくガキだ。殺していいならとっくにこっちはお前を殺してるんだよ! リリスモンの目があるから殺していないだけだ!」
ドウモンがそう言うと、野沢は笑った。何が面白いのか、あまりにも勢いよく笑うのでドウモンが困惑するぐらいに笑った。
「何がおかしい!」
「リリスモンはお前のの裏切りなんて織り込み済みだよ、デジメンタルも使ったからわかる、スピリットは間に合わせだ。スピリット単体で計画を進めることはきっと考えられてないし、お前達だけでは大して力を得られない様になってる」
野沢がそう言うと、ドウモンは動揺した。
「昨日のこともあるし、話聞いてりゃわかる。リリスモンの邪魔をする奴らがこっちにいる。人間が力の源になる、ぐらいのざっくばらんな知識しかない奴が裏切って出し抜こうとすればそりゃ非人道的な事になる。そして、人間と良好な関係を築く指針の両方から敵対される様な行動を取る。そうすればそこで共同戦線を組もうと言う話も出てくるし、対話できる接点ができれば互いの落とし所を擦り合わせる事もできる」
わかるか、わからないよな? と野沢は言いながら、尾池の方をちらりと見た。尾池はそれを見て鞄の中のスピリットの存在を思い出した。
「お前を送り込んだのもリリスモンだが……人間には手を出したくないと言ってるやつと、現に私の両親ぶっ殺してるし当然敵対してるバカ狐、どっちが先になるかなんて考えるまでもない。裏切ったとして無駄にはならないし、気づいて従うならそれも都合がいい」
尾池は、スピリットを野沢に使わせるか迷った。
野沢は尾池から見て大分不安定だ。この上にスピリットの影響まで重ねたら一体どうなってしまうのかわからない。そして、だとして尾池が使ったら止める人間がいなくなるのでそれも危ない。
となると、とちらりと尾池は手の中のお守りを見た。
硯石にこれがなんなのかを聞くことはできなかった。でも、硯石本人の体験を考えれば、尾池はこれがlevel4への進化が限界の道具とは思えなかった。でも、本当にその見立てでいいか不安だった。
「お前はリリスモンの手のひらの上で踊りながら、しかし自分はリリスモンを出し抜いていると思い込んでる馬鹿ってことだよ!」
野沢がドウモンにそう言い放つと、ドウモンは完全に怒り心頭の様子で、野沢に向けて腕を大きく振り上げた。
お守りを握り締めながら、尾池は幽谷がいたらと思った。
きっと的確に現状を把握して納得のいく理屈と共に判断してくれる。硯石がいたら、部長程精密な判断はできなくとも、素早く判断して行動していた事だろう。
二人がいたらきっと、もっと悩まなくて良かったし、野沢さんが身体を張る必要もなくて、もっと観察に意識も割けて。
「野沢さんを助けて、七美」
きっともっと、楽しかった。
尾池の言葉が消えるか消えないか。
ドウモンが振り返り、野沢は目を見開き、そして七美の身体は光を放ちながら凄まじい勢いで膨張を始めた。
まだ形が定まらない中でも判別できた巨大な顎はドウモンを咥えると天井を突き破って屋上まで伸びて行き、そしてそのまま応接室から出て行った。
「な、七美……他人のビルなんだけど……」
「……ドウモンが出てきた時にはもう結界の中にいたから大丈夫よ。そこは」
そう言った野沢の方を尾池が見ると、野沢の下半身が瓦礫に埋もれていた。
「え、野沢さんそれ大丈夫ですか……?」
「足とか多分潰れてる。身体再構成したいからスピリット渡して」
じゃあはいと尾池がスピリットを渡すと、野沢は瓦礫を普通に押しのけてその下から出てきて立ち上がった。よく見ると、何か瓦礫を防ぐつっかえ棒の様なものを瞬時に具現化していたらしかった。
「……暴走が怖くて渡し渋ってた割にはすぐ私すぎじゃない?」
「いや、だって死ぬと思ったので……というか無事ならやめときましょう? どうなるかわからないですし……」
「悪いけどそれは無理。ドウモンは私が殺す、絶対殺す」
スピリットエボリューションと野沢が呟いて、鳥人の姿になると、天井に空いた穴を通って屋上へと飛び出していった。
どうしようと尾池が戸惑っていると、アイズモンとふと目が合った。手を差し伸べると尻尾らしい部分を尾池に巻きつけてきたので、そのまま尾池は一瞬バケツとプリンを探したが、どうやら元の世界に置かれたままか瓦礫に潰されたらしいので、とりあえず応接室を後にした。
一旦近くの建物の上に登らなくちゃなんて考えながら尾池がビルから出て屋上を見上げると、黒い竜巻の様なものが屋上で渦巻いていた。
さらによく見れば、渦の中に黒い兜の様な頭部を持った赤く細長い身体に多くのヒレを持ったデジモンがいた。それが七美の新しい姿なのはなんとなく尾池には分かったが、最初に思ったのはヒレの詳細が知りたいだった。
背びれ胸びれ腹びれ尻びれ尾びれと魚は多数の鰭を持つ事も少なくないが、尾池から見て今の七美はかなりヒレの数が多く見えたのだ。
気になってじっと見ていると、渦の中に室外機やプランターなんかに混じってドウモンも巻き上げられているのが見えた。
そしてさらにその上には鳥人と化した野沢が渦の中を伺っていて、何しているんだろうと尾池が見ていると、野沢は不意に渦の中の室外機に向けて飛びつき、地面まで一気に叩きつけた。
コンクリの地面がぼこっと凹み、その中で真っ二つになった室外機は、尾池達が様子を見に駆け寄ると上半身と下半身が分たれたドウモンに変わった。
「……な、ぜ、わかった」
車に轢かれた動物ってこうなるよななんて思いながら尾池が内臓を少しでも見ておこうとしていると、ドウモンは息も絶え絶えにそう聞いた。
「お前は馬鹿だから昨日通用したからと同じ手を使うと思った。そしたら、空中に上げられて、お前は条件が整う前に殺されるかもしれなくなった。そしたら後は簡単だ。お前が式神で人形を出すのは予想ができる。巻き上げられているものの中でお前が化けて相応のサイズになる物を探し、その数が周囲の破壊跡と一致するかを見れば簡単に見極められるんだよ」
野沢はそう言うと、鳥人の姿から人の姿へと戻った。左手にはデジメンタルを持ち、片腕も目も単なる人のそれへと完全に戻っていた。
「バーカ! 本当に生き延びたかったらさ、バレなければ大丈夫じゃなくてバレたとしてもって手を取るんだよ。ダミーを何体も出して渦から脱出させるとかさ! 人間相手にそんなことするのは惨めだとでも思ったか? その、プライドの高さがそもそも見込みのない裏切りをさせて、今に至る原因だって気づけ馬鹿!!」
光となって消えていくドウモンを、野沢はそう言いながら踏みつけ続けた。
「……せめてもっとまともに抵抗しろよ。お前が馬鹿過ぎるせいで怒りをぶつけきる前に死んでんじゃねぇか……」
野沢がそう呟くと、ドウモンの死に伴って尾池達は元の世界へと戻った。
応接室に置きっぱなしだったプリンは、何かの拍子に中身が崩れていた。
「と、いうわけなんです二見先生」
「……うん。話は大体聞いたんだけど、どうして私にまず報告しに来るの?」
「だって……両親に岩海苔将軍に寄生されたとか言えませんし、岩海苔将軍が色々するのに足必要そうですけれど……車出してくれそうな大人他に知らないんですもん」
「まぁ、そうね。そんな岩海苔に寄生されたら女子としてはね……裸をただ見られるどころか内臓(ナカミ)までも岩海苔に好き放題されてる訳だし」
「岩海苔というのは私のことか?」
「嫌だった?」
「……まぁいい」
いいんだ、と二見は思ったがそれを顔には出さなかった。
「まぁ、とりあえずアレかな。魔王の目的がわかった事で、事態収拾の目処が見えてきた気はするかも」
「そうですか? 事態は悪化してる様な気がしますけれど……」
「それはそう。でも……魔王の目的がわからないうちは、目的が果たされないならばまた卵を送りつけてきたり追加で誰かしらを送ってくる可能性があった訳でしょ?」
「確かに……」
「聞いてる感じだと事態収束の為に満たされるべきポイントは三つ」
そう言って二見は指を三本立てた
「まず、魔王の目的が果たされるまたは再起不能なまでに壊滅する事」
尾池の頭に一瞬メリーの姿が浮かんだ。
「二つ目は、誰の管理下にもないデジモン達やデジモンになれるアイテムの駆除または回収を済ませる事」
これにはアルゴモン達も含まれると二見は言った。
「三つ目は、この学校で起きたことの真相究明」
これをしないと多分止まらない人が何人かいる。と二見は締めくくり、尾池もそれに頷いた。
しかし、土神将軍はそれに頷かなかった。
「……三つ目は必要がないことだ。当事者達だからお前達は知らないことではあるが……デジタルワールドから観測していた私は何が起きたかは大体把握している」
え、と思わず尾池は声を上げてしまった。
「じゃあそれを教えれば、部長ももしかすると……」
「いや、言わない方がいいだろう。その事件は再度起こることはない、そして、その真相を知っても幽谷雅火は幸せにはならない。仇を打つ様なこともできないし必要もない」
土神将軍
「加えて、あなたも話す気はないって感じかな?」
「そういうことだ。一つ目と二つ目をなんとかすれば三つ目は何もこれ以上起こらないことで解決する必要がなくなる」
「理屈はわからないでもないですけど、信用していいのかどうなのか……」
「ふむ、まぁ気持ちは分からんでもないが、私は情報は明かせない。情報が明かせて緊急性の高い案件を優先する方が有意義ではないかな? 例えばアルゴモン達の事例だ……詳しく調べんとわからないが、お前達が思っているよりもおそらく趣味が悪いことをしている」
「趣味が悪いこと……?」
「そう、あのスピリットを使った女だ。アレは、おそらくドウモンの術か何かで洗脳下にあるな」
「そうなの?」
「情緒が不安定だった。人間自体への価値観もややおかしい。倫理観が欠如してる割には不意打ちに怒る様な会話を重視してる節もある。暴走した時に嗜虐的が過ぎるのも変だ、そうした趣味があるならば、最初の不意打ちで頭は狙わない」
なるほど? と尾池は首を傾げながら頷いた。
「極め付けは、パートナーがアイズモンだったことだ」
「あの目玉だらけのやつ?」
「そう、アレは……別の生き物の影となり他者のデータを取り込んで再現するデジモン。つまり他者への理解や寄り添うこと、学ぶことが得意で好む、そんな人間の影響を受けたと考えられる。人間の性質がそれであるならば、言動は噛み合わないし人間の性質が違うならばアイズモンの性質が噛み合ってない」
「つまり、ドウモンがアイズモンに育つ様な性質の人間を攫った上で、運用するのに適した性格になる様に洗脳を施した。そういうことかな?」
二見の言葉に土神将軍は然りと頷いた。
「まず両親を殺したと言っていた。おそらくその時に彼女は動揺しドウモン達の思惑と合わない行動を取ろうとした。故に合う様に洗脳されたのだ。とはいえ……ドウモンの技量には限界があり、辻褄が合わなかったり思考力の程度に問題が生じるといった風になってしまった」
「……それって、かなり人の尊厳を踏み躙る様な行為じゃない?」
「そうなるな。そして、リリスモンが求めているのは元人間の奴隷ではなく、信頼し合える家族や伴侶。過程からある程度の誠実さというのは必要になってくるのだから当然そのやり方は我々としても粛清対象となる。我々の計画からいけば、メリーの変化でさえ若干人の形を失い過ぎなのではないかと憂慮するところだ」
「じゃあ部長は?」
「かなり我々の想定を超えて変貌している。調整役の接触がなく、デジメンタルの同時使用による段階を飛ばした変貌。あとは……パートナーのデジモンも影響しているだろうな」
「火夜が?」
「あの種はゴースモンと呼ばれる種だが……現実に存在しながら触れられなくなることもできる特殊な在り方をしている。故にこそ副作用の様なものが出ず、人として普通に生活を送れていたのだとは思うが……体内のデジモンの部分がゴースモンと同調した状態からオロチモンと同調した状態へと急に変化したことでバランスが崩れたのだろう」
そのゴースモンの在り方も、部長の在り方を反映しているのだろうか、尾池はふとそう思ったが、口には出さなかった。
「まぁそっちもそうだが、今後のアルゴモンの動向も注視しなければならない。やつの種の特異的な点は演算能力の高さ、設備や方法を知っていれば万事応用できる能力だが……その万事との間を繋ぐドウモンがいなくなったのだ。洗脳の類をしようとすれば当然ドウモンよりも下手になるだろう。一回の成功の為に自発的な思考ができない廃人を何人も作る。なんてことになり兼ねない」
場合によっては失踪よりも本人が残る分話題を集めてしまうかもしれないなとグラビモンはぼそりと呟いた。
「メリーも安定するまでは動けなかろうし、すぐにできることとして、隙間女の調査を私は提案する」
「……黒松さんが言ってたやつ? じゃあ、しまむらに行った時には既に岩海苔将軍いたの?」
「というか寄生したのはまさにその時だな。私は私の役目の一環としてあそこの店長の状態を確認していた」
まぁそれは置いといてと、尾池としては置いとけない話なのに勝手に置かれた。
「そもそも隙間女ってどんなだったっけ」
そう二見が尾池に尋ねると、尾池はスマホをすっすっとそうさした。
「ある日のこと、一人暮らしをしているある女学生が部屋の中でだれかの視線を感じた気がした。もちろん、部屋には彼女(彼)の他にはだれもいない。気のせいかな……そう思って彼女(彼)はそのことを忘れてしまった。ところが、その日以来彼は毎日のように部屋の中で誰かに見つめられているような感覚に襲われるようになった。部屋はアパートの3階なので外から覗かれているとは考えにくい。部屋のどこかに誰かが隠れているのではないかと思い家捜しをしても見たが、もちろんその努力はむだに終わった。自分はおかしくなってしまったのだろうか……そんなことも考え始めるようになった時、彼女(彼)はついに視線の主を発見する。彼女(彼)の部屋のタンスと壁の間にあるほんの数ミリの隙間の中に女が立っており、じっと此方を見つめ続けていたのだ……wikipediaより引用」
そう言って、尾池は締めくくった。
「まぁ、つまるところ隙間女とは、物の隙間から見てくる薄っぺらい女な訳だ」
ふむ、と尾池と二見は頷いた。
「そして、アイズモンは身体を複数に分裂させる能力があり、分裂した姿の基本的な状態は影のように薄く、分裂した一体のままで学習したものを具現化させることは難しい自分の見た目を学習したものに変えることぐらいはできる」
「情報を集めに身体を分けて放ち、その分身の一体が人に見られた瞬間に正体がバレないよう人の姿を取った。しかし、人間が入れない隙間でそうしたことをした為に、隙間女となった」
そういうことと二見が尋ねると土神将軍は然りと頷いた。
「黒松さんはあの辺りに噂があるって言ってた。一人についていたら、あの辺りで隙間女の被害に遭った人がいるらしい。とかになりそうなのに。それに……あそこは駅から結構離れていますよね……?」
「そうね。となると、さっきアルゴモンはドウモンを裏切る為に準備してたかもしれないって話だったけど、ドウモンと紫色の髪の子も裏切る為に準備をしていた……のかも?」
「そこはまだなんとも言えんな。知っての通り、あそこには既にLevel5、つまりはあと少しでリリスモンの家族として十分な力と姿を持つデジモンになるだろう人間がいる。それが結実すれば一つのタイムリミット、まだ段階が十分でない候補達もまとめてリリスモンの元へということになり兼ねないからな。それで確認していただけとも取れる」
ちなみに帰還時に集合できるよう調整するのも私の仕事だ。と土神将軍は言った。
「じゃあ、黒松さんとメリーさんに連絡して一緒に隙間女を探しに……」
「いや、それはやめて欲しい。私の存在は水虎将軍に話すべきではない。私の主な役目は二つ。事態の健全化も水虎将軍の腹を探って不正が無いかを調べる仕事だが……」
「だが?」
「リリスモンの元に候補達が着いた後。一つの家族となった後。リリスモンは家族の愛に飢えているので甘やかす気満々な訳だが、当然それではうまく回らないところもある。そんな時にそれぞれの担当をした水虎将軍はオリジナル同様入れ込みやすい質なので、おそらく叱れないだろうと考えられている。そこで、彼等の事をよく知り、間違った時にはこれを叱るリリスモン直属の存在……つまり、お目付役にもなるのだ」
「へぇー……」
尾池は人間関係とかピンと来ないので岩海苔執事という文字だけが頭の中で踊っていた。
「水虎将軍は馬鹿ではない。私がいると知れば、今の内から評価を上げ、少しでも後に自分の担当した子が有利になるようにと動くだろう。それはデジタルワールドに移動した後の話なのでお前達には関係ない話だが……強力なlevel6はこちらで言えば核兵器も同然。家族の世話役と言えば簡単だが、核兵器を保有する国家同士の話し合いの調停役であり諫める役なのだ。こいつは後々敵になるなと判断した水虎将軍は私を躊躇わず殺そうとするだろう。もしそうなれば、事態の健全化にも差し障りが出てくるし、面倒だ」
土神将軍はひどくうんざりした顔でそう言った。
「なので、メリーと行動する時は私の存在は黙っていてくれ。というか喋ろうとしたら黙らせる」
「そんなに気を使うなら、そもそも尾池ちゃんに寄生しなければよかったんじゃない? 私とか、代わりに寄生されてもいいけど」
「いや、遠慮しておこう。学生の身分は移動に都合が良いし……なにより、この尾池礼奈という人間は神がかった異常なペースでデジモンと接触している様だからな」
「異常って……」
「本人が無自覚だったり、デジモンと関わらなければ意味がないだけででそういった神に愛された様な特異な力を持つ人間自体はいると聞く。尾池礼奈と共にいれば他の行方不明の水虎将軍やばら撒かれたデジモン達、アルゴモンにアルゴモンの協力者の人間、幽谷雅火、手がかりがほとんどないこうした対象に、理由もなく遭遇できる可能性が高まる」
なるほど、とは尾池は頷けなかった。他の人も探そうとすればこれくらいのペースで会えるんじゃないかと思ったのだ。
「じゃあ、尾池ちゃん乗せて、とりあえずしまむらの近く行ってみましょっか」
そうして、尾池達は二見の車で学校を後にした。
「うげぇ」
二見がトイレに行きたくなって車を止めていたところ、尾池はつい昨日会ったばかりの紫髪の女子高生に遭遇した。
「こんにちは、水虎将軍に何もされなかったんですか?」
「……いや、色々されまくったわよ。全身隅々まで調べられたし、洗脳されているみたいですねとか言い出すし、この上で記憶飛ばしたら廃人になるかもだけどどうしようとか色々言われて、それは可哀想とか言われて、発信機みたいなのだけつけられてぽいっとされたわ」
「そうなんですね……よかったら車乗りますか?」
「なんでよ」
「だって……アイズモン探してるんじゃないんですか? あのわかめみたいなやつ」
尾池の言葉に、なんでこいつそのこと知ってるんだよと紫髪の女子高生は思ったが、逆らうとメリーが飛んでくるんじゃないかと思って大人しく乗ることにした。
それに伴って、土神将軍は引っ込んだが、尾池はまぁなんかちょっと偉そうだしいいかと気にしなかった。
「……メリーさんに状態確認する為に電話しとこ」
結局連絡行くのかよとツッコミたいのを紫髪の女子高生はなんとか抑え込んだ。
『え、尾池ちゃんも今こっちにいるの? 私、今あの、しまむらじゃないしまむらにいるの』
「じゃあ、そっち行きますね」
しかも会いに行くじゃんと紫髪の女子高生は頭を抱えたいのを我慢して済ました顔で座っていた。
「そういえば、お名前なんて言うんですか?」
「野沢 紫那乃(ノザワ シナノ)。産まれたのが長野に旅行中だったからシナノ」
まぁ別に長野に思い入れはないんだけどと、野沢は言った。
「私は尾池礼奈って言います。で、運転してるのが二見先生」
「え、学校の先生巻き込んでるの……?」
「ちなみに今年の春まで東京にいたそうです」
「いや、聞いてない聞いてない」
もしかしてこの人元々は常識人なのではと尾池が思っている内に、尾池達の乗った車は服屋に着いた。
服屋に着くと、メリーが出てくるところだった。今までのパーカーにジーンズ、ギターケースを担いだ服装ではなく、ダボっとした服の袖には縦にジッパーが着き、七分丈ぐらいのガウチョパンツから、ロングブーツが覗いていた。
「……なんか、おしゃれっぽい気がする」
尾池の言葉に、馬鹿の感想だと野沢は思ったが、メリーはえへへと嬉しそうだった。
「袖から鎌が出せる様なデザインの服を選んで……足回りもちょっと変わったから、普通に見える様にしてるの」
「両目も出したんですね」
「うん、瞳孔の形が普通になったから……隠さなくていいかなって」
へぇーと言いながらメリーの頭を掴んで顔を寄せて覗き込む姿に、野沢はやっぱこいつイカれてるなと思った。
「尾池ちゃんはいつもイカれてるわね」
二見は口に出した。野沢は教え子のことをイカれてるって言った事に戦慄した。
「それで、メリーちゃんに聞きたいんだけど」
「あ、はい、なんですか?」
「紫那乃ちゃんって元はどういう状態で今はどういう状態なの? 主に洗脳された関係で」
「えと、将くんが調べた限りの話ですけれど……まず、両親の関係で、過去の事を意識したり執着しにくくなる様にしたり、そうすると意志薄弱になるので本能に基づく部分を強めて、そしたら結局両親に関しての怒りが行動にしない程度のものからするぐらいに強くなったので、丸め込める様に複雑なことを考えられない様にして、それでも多分完全にはうまくいかなくて、ドウモンとドウモンのやることやったことに悪感情を抱かないとか、ドウモンに逆らわないという縛りを追加したっぽい。と言ってました」
「めちゃくちゃされてますね、野沢さん」
「そうね、今は最後の二つの縛りを取り払われているから、ドウモンをひき肉にしてやりたいわ」
「二つだけ?」
「将くんはそういうの全くできない訳じゃないんだけど、専門じゃないらしくて……とりあえず問題行動に繋がりそうな、ドウモンの意思通りに動く部分から取り除いたんだって。それに……本人が嫌がったって」
「野沢さん、洗脳解かれたくないんですか?」
尾池の言葉に、野沢はまぁねと苦虫を噛み潰した様な顔をした。
「ドウモンに洗脳された私がさ、きさらぎ駅っていうかドウモンの結界に連れ込みやすいのってどんな関係の人間だと思う? そりゃもちろん、ある程度親しい人よね?」
「……じゃあ、もしかして」
「今、私の通ってたクラス行方不明六人。私含めて六人の仲良しグループ。過去に拘らない様に洗脳されているらしい今でも、思い出すと少し泣きそうになる。じゃあ、洗脳が全部解けたら私どうなるのって感じじゃん?」
野沢の言葉にメリーは思わず目を伏せた。
「アイズモンは私と違ってドウモンに改造されてない。ドウモンが言うには人間の特性に影響されるから、ドウモンに都合の良い私である限りアイズモンもそういう存在になるだろうって理屈らしい。まぁ、それで……」
そう言うと、野沢はちらっと尾池の方を見た。
「私に残った唯一の繋がりが、こっちで生き残ってるかもしれないアイズモンの分身なんだよね」
まぁ本当はそうでもないんだけどと思いながら野沢は少し悲しげな声を出した。
野沢は、ドウモンが生きているのがわかっていた。ドウモンにしては諦めが早すぎたのだ。
魔王という圧倒的強者を足元から揺るがしてやろうという反骨心の持ち主にしてはあっさり過ぎたのだ。
おそらく、ドウモンは結界の中に一度逃げ込み、倒れ伏す姿を見せた後、結界自体を解いた様に見せて、結界から自分以外の存在を全て追い出したのだ。その際、式神で精巧な自分の身代わり人形も作って置いておくことで、殺された様に演出した。思考力が落とされている自分はそれを疑うこともなく、自分が信じきっている事で襲ってきた側も信じてしまう。そういう狙いだったのだろうと、そう野沢は考えていた。
「……ねぇ、メリーさん。野沢さんにデジメンタルって貸してもいい?」
「アイズモンとの繋がりを強化して見つけるの?」
「そう、多分できると思うんだけど……」
「えと、多分できるとは思うよ。まぁ私に許可取らなくてもいいとは思うけど」
「黒松さんが、そういうの託してもらえるってことは信頼されてるってことだから、大切に思うなら大事にした方がいいわよって言ったから」
尾池がそう言うと、メリーはそっかと微笑んだ。
「あ、でも……今日は私ちょっと付き合えないから、もし探しに行くなら気をつけてね」
「あれ、そうなんですか?」
「うん、ちょっとバランスが崩れてるらしくて……暴走し易い状態らしいから、調整してるの」
だから気をつけてねと、メリーはそう言った。
服屋から出て車に戻ると、尾池は鞄から暗黒のデジメンタルを取り出して助手席に座った野沢に渡した。
「……これが暗黒のデジメンタル?」
「そう。それ使うと馴化が進んでいくらしいけど、それは大丈夫?」
「まぁ、それは今更かな。別にいい事じゃないけどさ、多分もう私も後戻りできないぐらいには侵されてるだろうし」
ふと、尾池はリリスモンのそれが終わった後、こうしたデジモンと混ざった人達はどうなるんだろうと思った。硯石が面倒を見て行くのか、それとも水虎将軍が残ったりするのか。なんにしても普通の生活は送れないのではないだろうか。
それは、部長もそうなのではないだろうか。
野沢が暗黒のデジメンタルを握ると、暗黒のデジメンタルはぼうっと淡く光った。
「なんとなく、アイズモンの気配を感じる……」
そう呟いて、野沢は助手席から二見に進路を指示し始めた。
そうして車が動き始めると、ふと尾池は金縛りに襲われた。
そして、右手が勝手に動き、手のひらを耳に押し当てた。手のひらには皮膚ではないつるりとしてヒヤリとした出っ張りがあった。尾池はそれが土神将軍の核だとすぐに気がついた。
『野沢紫那乃をあまり信用し過ぎるな』
手のひらから聞こえてきた声に、なんでと尾池は小さく呟いた。
『ドウモンはやつの本能的な部分を増幅したという話だ。お前は、それがどういうものと考える』
「……思いつく範囲だと、生理的な欲求……食欲とか睡眠薬とか、単純な快と不快の指標とか」
『確かにそうだ。だが、全てではない。本能とは生まれつき持っている衝動の様なものを指す。人間は群れを作る生き物であり、社会性さえも後から獲得するものというよりも本能に根ざしている。それをドウモンは理解していなかったからそれを増幅し、野沢の家族に対しての想いも増幅された』
「つまり、野沢さんは落ち着いている様に見えても、ドウモンに対してはらわた煮え繰り返っているってこと?」
『そういうことでもあるが、お前に対しても怒りを抱いていて然るべきという事だ』
なるほどとは思ったが、回りくどいなと思った。そして、ふと部長の顔が浮かんだ。
「……岩海苔将軍、話し方下手だよね」
『急になんだ。お前だってわかるならいいだろう』
「これは部長の思い出話なんだけど」
『なぜ私にそんな話をする』
「私が科学部に入って最初に部長から言われたのは、科学とオカルトの違い。誰にでも理解できる妥当な原理があって再現もできるのが科学。一回きりの超常現象とか、妥当な理屈がつけられなくて、再現できないのがオカルト。だから、伝えられなきゃいけないって」
『私の話は無視か?』
「私は、自分が楽しければいいと思うって言ったら、図鑑は誰にでもわかる様に書いてあるし、論文もそうだって、他人に分かりやすい表現の仕方を学ぶことは、他の人の意見を読み解くのにも、他の人から意見をもらうのにも役に立つ。私は私の見方しかできないし君は君の見方しかできない、でも意見をもらえれば取り入れられれば、もっと楽しくなれることもわかるって」
『……まぁ、研究者としてあるべき姿ではあるか』
「うん、だから岩海苔将軍の話下手は直した方がいいと思う」
結局その結論かと土神将軍はうめいた。
野沢のことも尾池は部長に教えられた様に捉えたかったのだ。
自分が当事者である以上、爪を剥がれた痛さも壁越しに頭を潰されそうだったのもすぐには忘れられない。
でもその怖さは主観の最たるもの、だからそれを抜いて考えたかった。メリーの暴走が怖くてもメリー自身が怖くないと思えた様に、客観的に論理的に判断すれば怖いとしても手を取り合えるかもしれない。
尾池に部長が教えてくれたこと。そして、昨日の部長が黒松さんのことになるとできなかったこと。
大切だから、大好きだから、思い入れがあるからこそ主観を捨てられない。
七美の方をチラリと尾池は見た。全部終わった時、七美とも別れることになるのだろうか。その時、私自身は客観的でいられるのだろうか。尾池にはわからなかった。
「……ちょっと、スーパー寄っていいですか?」
「トイレ?」
「いや、ちょっとアイズモンの好きなもの買っておこうかなって……プリン」
「プリン食べるの?」
「……ドウモンは人間の栄養バランスなんて考えてくれないし、思考能力落ちてるし、とりあえず毎日カップ麺とか栄養補助食品とかゼリーばっかだったので、卵使って牛乳使って砂糖も入ってるプリンと野菜ジュースぐらいしか食事に気を使いたくてもできなかったんです」
本当あいつクソと野沢は吐き捨てた。
「あとは、アイズモンの技の練習にプリン作りがちょうどよかったんです。一リットルの牛乳を買って半分アイズモンに飲ませて、卵と砂糖入れて、パックを閉じて、パックの中に回転するハンドミキサーの刃?のところを具現化する。そうやって混ぜたら後は沸騰させた湯につけて二十分ぐらい待てばとりあえずプリンができる」
まぁ今回は三個百円のやつ買って来ますけどと、そう言う野沢の表情に、二見は少しだけ黒いものを見た気がした。
「紫那乃ちゃん。私と尾池ちゃんの分もプリン買ってきてね。お金は出すから」
そう二見が言うと、野沢は少し微笑んでゴチになりますと言った。そして戻ってきた野沢は三個百円のパックのプリンではなく、一個百五十円のちょっといいプリンを四つ買って来た。
「あ、これ私好きなやつ。だけどちょっとお高いやつじゃん、おごりとわかったからってー」
二見はスーパーの袋を覗き込んだ後、野沢の方を見てにやっと笑った。
「ところで、近いって話でしたけど、車のままでいいんですか?」
下手するとひくかもと言うと、それはちょっとなぁと野沢も同意した。
「……じゃあ、私このままここで夕飯の買い物でもしながら待ってるから、二人で行ってきたら? 紫那乃ちゃん、夕飯何がいい?」
「え?」
「両親いないんでしょ? それにアルゴモンは生きてるらしいし、一旦うちにおいで」
「先生としてそれどうなんですか……?」
「制服がうちの制服じゃないし、とりあえずセーフよ。で、夕飯何がいい? カレーライス?」
「カレーは……カップ麺とか結構あったから」
「じゃあ野菜いっぱい食べられそうなのにしよっか。一人だと自炊も手を抜きがちだし、地域の伝統野菜? とかこの辺りあるのよね? そういうの使った料理とか全然してないから、そういうのしよ」
「……今の時期だと、加賀太きゅうりとか美味しいですよ」
「え? きゅうりって夏じゃないの?」
「お母さんが言ってたんです。ハウスとかあるから結構いつでも食べられるけど、五月六月が一番美味しいって」