尾池礼奈の朝は早い。
「じゃあ、行くよ七美」
そう言って、尾池は自室の水槽にビニール袋を沈める。水槽には高さ長さ共に三十センチ近くある七色の体色をした熱帯魚、七美がいる。
沈めたビニール袋は到底七美が入るとは思えないサイズであったが、ビニール袋に入ろうとするに従って七美の体は比率そのままに縮小していき、かなり余裕を持って収まるに至った。
尾池は慣れた手つきで素早く袋の口を結ぶと、袋に入った七美をそのまま小さめのクーラーボックスに入れ、教科書や弁当の上からリュックサックに詰め込み、早歩きで部屋を後にする。
そのまま実家から普通に走れば自転車で二十分かかる道を、全力で走って十五分ですませて高校に到着すると、自転車を急いで駐輪場に止めた。
それでも尾池はまだ止まらない、玄関に入って靴を履き替えるとすぐに階段を駆け上がり職員室へ。
「失礼します! 二見先生いらっしゃいまびゅッ、かッ!?」
尾池が、噛みながらもそう一気に捲し立てると、今来たばかりなのか赤いコートを着た黒髪の女性教師が職員室の中から出てくる。
「はいはい、いつもの理科室の鍵ね。口の中大丈夫?」
ありがとうございます大丈夫ですと言ってる様にも聞こえる鳴き声をあげながら一礼し、さらに尾池は走る。
理科室の扉を開け、窓際に置かれた空っぽの水槽の前に辿り着くと、リュックをそっと下ろしてクーラーボックスを取り出し、ビニール袋の中にいる七美を水槽の中に解き放った。
「はぁ……」
水槽の中に無事解き放たれた七美を見て、やっと尾池は止まった。
幽谷の連れている火夜と同じく、先日に遭遇した炎人と同じく、七美もまた人の常識では測れない生き物なのだ。
体のサイズが変わる魚といえばフグなんかが想像されるが、フグはあくまで浮き袋を膨らませているだけ、折りたたまれていた皮が伸びたりはするが鱗やヒレ、目玉のサイズなんかが変わることはない。一方の七美はといえば、体全体が膨らむし縮む。パソコンの画面上で拡大したら縮小しているかの如く変ずる。
とはいえ、七美にとって基本となる大きさというものもあるらしい。
それで尾池は急いでいたのだ。魚の表情というのは存在するかも定かでないが、あったとして人の目にはあまりよくわからない。サイズを変えるという行動がどれくらいの負担なのかは計り知れない。
なら連れて来なければいいと言いたいところではあるのだが、尾池の場合それもうまくいかないのだ。
尾池が七美になる卵を拾ったのは高校入学する前、春休み中のこと。七美が今の姿になってから一度七美を置いて学校に行ったら部屋は荒れ果て水浸しに。七美は水量が半分ぐらいになった水槽の中に横になって浮かんでいた。
それから可能な限り尾池は七美から離れないことに決めた。
入学前に科学部に顔を出して水槽を確保、入学したら他の生物への餌やりを理由に誰より早く理科室に行き七美を水槽に移し、帰りはギリギリまで残って七美を回収する。休み時間も大体見にくる。
そして入学からおよそ一月、尾池はクラスで孤立するに至ったのである。
「どうしてこうなったかなぁ……七美ぃ……」
水槽にもたれかかりながら話しかける尾池に七美は言葉を返さない。尾池が指をくるりと回せばくるりと回る程度のコミニュケーションは取れるが、言うことを理解しているのか単に追いかけているだけなのかさえも尾池にはわからない。
それでも、七美に話しかけるのは、話しかける友達がいないからだ。
高校生は基本的に休み時間にコミニュケーションを取る。休み時間を七美と共に過ごす尾池が孤立するのは自然な事だった。
「朝から楽しそうだな、尾池」
ぐっとかけられた声の方に尾池が顔を向けると、さらりと伸びた赤い髪に長い下まつげ、端的に言って美人の先輩がいた。
「……おはようございます」
尾池が挨拶をすると、んと一言返し椅子を持ってくると、スカートも気にせずに足を開いて座った。
「はしたないですよ」
「いいんだよ、俺は男だし」
ならなんでスカートを履いているんだかと思いながらも、尾池は水槽にもたれかかるのをやめた。
硯石 天悟(スズリイシ テンゴ)は尾池から見れば先輩、幽谷から見れば後輩、科学部唯一の二年生で副部長の男子生徒である。
「……見てるこっちは落ち着かないです」
「まぁ、その内慣れるさ。諦めてくれ」
硯石はそう言って髪をかき上げた。
「で、今日はなんで早いんですか?」
「んー……部長から、三日前にアレと戦ったって聞いたからさ。尾池は記録係に過ぎなかったとは聞いたけれど、大丈夫だったか確認しておきたくてな」
三日前、炎人を確認しに行ったのは木曜日、葬式なんかで金曜日も学校に来れなかった硯石と会うのは、アレから初のことだった。
「はぁ……」
「level4相当ならいつもは火夜と重忠の二体がかりだったからな。火夜がダメージを受けにくいだろう相手であると見当はついていたらしいが……一体で行くにはちょっとな。部長のスリングショットなんて効くやつの方が珍しい」
重忠は硯石のところにいる火夜や七美の様な存在だが、学校にはついて来れないということで尾池はまだ一度も会ったことがなかった。
「え、と……それって、結構危ない橋を渡ってました……?」
「渡ってたな。新聞部のやつもいたんだろ? 部長はアレで結構ドライだから……弾避けか囮ぐらいのつもりだったかもな」
ワンテンポ遅れて冗談だという硯石と裏腹に、尾池は先日部長に唆されて炎人に追われていたのを思い出した。
「あ、そういえばなんですけれど……今言ってた、level4ってなんですか」
「ん? あぁ、そういえば言ってなかったか……まぁ昨日が戦うの初めてだったわけだし、基本内緒の話だからな」
こくこくと頷く尾池に、じゃあ説明しようと硯石は話し始めた。
「あいつらは、卵から産まれる。この時をレベル1として、一回……進化、姿を変えることだな。これをするとlevel2、次はlevel3、今の七美がこの段階だな。そこからさらに姿を変えるとlevel4だ」
七美もまた姿が変わるんだろうか。そうしたら、炎人や昨日の火夜みたいにでっかくなるんだろうか。そう思うと少し尾池は複雑な気がした。
ついでに言えば、姿を変えることを変態ではなく進化と言うのも少し気になったが、とりあえず今は我慢した。
「……アイツらと向き合う時は気をつけろよ」
どことなくもやついた表情の尾池に、硯石はそう言いながら、小さなピンク色の巾着袋にストラップが付いたものを手渡そうとする。
「なんですか、これ……」
「お守り」
「はぁ……」
お守りの中には小さな塊が入っているらしい。気休めにしかならなそうだなと思いながらも、とりあえず後でスマホに透けておきますと言って尾池は受け取った。
「まぁ、昨日の今日でlevel4と遭遇することは……多分、ないから安心しろ。いや、もしかしたらまたあるかもしれないが、俺や部長がいるから大丈夫だ」
「部長達っていつも二人でああ言うのと戦ってたんですか?」
「いや、去年の夏頃まではほとんどlevel1か2だったし人数もいたからな……捕獲するのも余裕があった。その後だから駆除したのは十回にも満たない。徐々にlevelは上がってきているけどな」
その捕獲した子達はどうなったのか。人数がいたと言っているのに今はほとんど人を見ないのはなんでなのか。尾池はそれを直接聞いたらいけないような気がした。
他に質問はと硯石が聞いたので、尾池は少しぼかして聞くことにした。
「あ、そういえばなんですけれど、なんでうちの部って放課後ほとんど人いないんですか?入部して一ヶ月ぐらい経ちますけれど、部長と副部長しか見たことない……」
「まぁ、それは……他の部員がいないからだな」
「部長のセクハラのせいですか? 膝の上に座らせたりとか」
アレに襲われたせいでは、とは言えなかった。なんとなく気が引けた。
「そういうのはお前しかやられない。むしろ人恋しくてセクハラしてる感じだ」
めんどくさい人なんだと微笑みながら硯石は返す。その姿は男子だと自称しているにも関わらず、美少女にしか見えない。
それにしても部長がめんどくさい人なのは尾池も知っている。ほんの一ヶ月も経たないのに十分にそのめんどくささはわかっていて、硯石が聞いてくれるからか尾池は調子良くされたセクハラやドッキリについての愚痴を話した。
そんな話をしていると、廊下の方からどたどたと足音が聞こえ出した。
なんだろうと思って見ていると、金髪碧眼の女子生徒がばーんと横開きの扉を開けて入ってきた。
「静かに開けましょうよ、一年が怖がっている」
音にビクッと肩をすくませる尾池を尻目に硯石がそう言うと、その人は一回頭は下げた。
「ごめんね! 雅火いる!?」
「ご覧の通りです」
大きな声にもう一度ビクッと身を震わせる尾池を庇う様に、硯石は立ち上がってその女子生徒の方に向かいながらそう答えた。
「……そっか、残念。頼みたいことあったのだケド」
まぁ、授業前ぎりぎりまで待つかなんて言いながら椅子を持ってきてどかっと座る。
この人結局誰なんだろう、早く帰ってくれないかな。そう思っている尾池と裏腹に、その女子は尾池の方をじろじろと見た。
「あ……そっか君が尾池ちゃん! いやぁ、雅火から聞いてるヨ? 押しに弱くてチョロそうでおしり触ってもおっぱい揉んでも許してくれそうってネ」
ぐへへと言いながらその人が手をわきわきと動かし尾池に近づこうとすると、頭にそこそこ鈍い音を立てて硯石の手刀が落とされた。
「お触りはNGですよ、黒松先輩。自己紹介もしないで初対面の相手にそんなことしていいと思ってるんですか?」
「ワタシ、黒松 細工(クロマツ サイク)。三年生で社会文化民俗等研究部の部長、雅火の幼馴染、そんなところでよろしいかナ? マネージャーくん」
「まぁ、自己紹介したとしてもセクハラNGは変わりませんよね。常識的に」
どうあってもセクハラさせない気ではと黒松は首を傾げたが、尾池はそれって当然なんじゃないかと思った。
「……結局、なんなんだろうこの人って思ってるだろ」
「あ、はい」
「そう思うのも仕方ない、黒松さんは部長の幼馴染なだけあってやばい人だ。部長がスリングショット持ち歩いてるだろ、先生に見つかって怒られそうになったことがある。その時にこの人は割って入り、社民研と科学部合同の活動に必要なものだ、と説明し、実際に文化祭でポスター発表したタイプの人だ」
「えぇ……」
「あれは楽しかったヨ! 石膏だか何かで作った骨にラップ巻いて、その上に生肉巻いて、合皮を巻いて……ブーメランを投げつけたり、スリングショットで撃ったり、槍投げしたり、シンプルに殴打したりして骨の砕け方とかを見てネ! 石膏だったのが残念なところではあったけれど……合皮や肉に残る跡とかもやっぱり武器ごとに違うんだよネ! おしむらくは刃物を使った実験の許可が出なかったことと、死んでるし血抜きされている肉だから、血管の様子とかがわからなかったんだヨ! ほら、青あざとか殴ったらできるじゃない? そういうのもねやっぱ武器の種類によって差は出ると思うしさ!」
興奮して喋っていた黒松は、ふと尾池の背後にいる七美をじっと見て黙りこくった。
「……銛、釣り、罠、網、うん。今年のテーマはそういうアレかな。網の結び方ってわりと民族独自なところがあって文化の一部なところがあるから、いろいろ強度とか調べて地域差と使用用途から考察してみたりなんかするのはいいネ」
尾池がどうすればいいのかわからなくておろおろしていると、硯石は大丈夫だというように手を尾池の方に出して一つ頷いた。
「部長はいちいち水差すタイプだけれど、この人もそういう、放っておくと無限に脱線する人だ」
「むむむ、それは失礼ぶっこき過ぎじゃないかネ」
「で、部長に頼みたかったこととは?」
「ん? あぁそうそう。君達口裂け女って知ってるよ、ネ?」
「なんか、怪談ですよね」
尾池がそう返すと、そうそうと黒松は頷いた。
「ふむ、尾池君は口裂け女を詳しくは知らないのか」
そう言いながら唐突に現れて理科室に入ってくると、幽谷はその話を語りだした。
「まず、口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に 「私、綺麗?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、という話。「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺されるとも言われているね。1979年に岐阜県を中心に広がったものだな。メディアに最初に登場したのは岐阜の地方新聞で、それが子供達の口コミを以て広がり、本当に包丁やハサミをむき身で持って口裂け女の格好をした変質者も現れて警察沙汰になって逮捕者が出たこともある非常に有名で影響力を持った都市伝説だ」
口調の明るさゆえにそれは恐ろしさとは無縁であったが、それでも逮捕者が出たとか生々しい話に、尾池は十分嫌な気持ちになった。
「部長、それ全部覚えているんですか?」
「大体の事情はね。後でシャミ研の部室に置いてある私のファイルを取って来よう。派生した形や容姿のバリエーション、発祥の方さえ諸説ありまくりなんだ。少なくとも整形外科医のアレコレやべっこう飴にポマードの話は第二次ブームの時だから作話だろうと思うが、岐阜の農民一揆を発端とする音量伝説に端を発するという話や、滋賀と岐阜の両方に伝わる女の一人歩きは危険なので口に人参を咥えて化け物の様に見せかけたという話、精神病棟からの脱走者の話だとかもあったかな」
硯石が少し呆れたように聞くと、幽谷はいきいきと答えた。
「……で、それがどうかしたのかな?」
そう問われると、黒松はでは本題に入ろうとと大げさにうなずいた。
「うちの部の後輩から昨日電話がかかってきたのヨ。曰く、旧校舎に口裂け女が住み着いていると。殺されかけた人がいるとかでネ」
「詳しい状況、わかる?」
「わかんないネ。でも、聞いている感じだと、結構ちゃんと目撃しているみたいなのヨ。実害も出ているしいかにもヤバそうじゃない?」
「実害っていうのは殺されかけた人のこと?」
「そうそう、まぁ、正直ワタシとしては懐疑的なんだけどネ」
「まったく、君は本当、人間にしか興味ないんだね」
「そだネ、怪異の正体みたいなのはあんまりネ。急に現れたってなるとさ、あんまり土地に密着したものでもなさそうだし……ワタシより雅火のがこういうの好きでショ? こういう、ポッと出系のヤツ」
「うんうん、大好き大好き。とりあえずその後輩さんを紹介してもらっていい?」
「いいともいいとも、よっぽど怖い思いをしたらしくて泣きつかれたんだけど、私は食指動かないしネ」
「ふむ、では遠慮なく聞かせてもらおうかな。放課後にここに来てもらえないか聞いてくれるかな? 流石に、HR前に聞くにはちょっと時間が足りなさそうだからね」
わいわいと二人だけで盛り上がっていたが、幽谷が時計を指差すと話は終わった。もうHRまであと幾ばくか、そろそろ教室にいるべきだろうという時刻になっていた。
じゃあと、全員が荷物を持って理科室を後にする。尾池だけは教室に寄る前に職員室へと鍵を返しに行くのも忘れない。
そうして授業も半分を終えて昼休みになり、尾池が七美の前で食事を取ろうと理科室に急ぐと、既にそこには幽谷と硯石、黒松に加えてさらに二人の生徒がいた。一人は屈強な体格をした男子生徒で、もう一人は小柄な女子生徒だった
「これで揃ったね。尾池君、こちら被害者の上尾(カミオ)くんと、その知り合いのシャミ研部員の赤頭(アカガシラ)くんだ」
科学部の尾池です、よろしくと一つお辞儀して尾池は硯石の隣に座り、その袖を引いた。
「話聞くまでが早すぎませんか……?聞いてなかったんですけれど……」
「どうせ理科室来るからな」
尾池が幽谷の方を見ると、幽谷は首を横に振って硯石を指さし、硯石はその通りと言う様に頷いた。
「俺が連絡しようとした部長を止めた。知ってたら来なさそうだし」
げぇと嫌そうな声を尾池が漏らすと、硯石はくくくと笑った。
「あの、もう話してもいいですか……?」
上尾と呼ばれていた男子がそう小さく手を挙げて聞く。赤頭が代わりに喋ろうかと隣から提案もしたが、上尾は首を横に振った。
「安心して喋ってくれたまえ。私達科学部が調べて、場合によっては警察沙汰にする際の窓口役も承るよ」
尾池がそんなことまでと硯石に小声で聞くと、部長には懇意にしてる警察官がいるんだと返された。
「でも、シャミ研に持ち込んだということは、ただ不審者がいたって話ではないんだろう?」
「そうです。アレは一昨日、園芸部で、動物か何かに畑を荒らされた件とかフォークが定位置から動かされていたりした件について調べたらしていた時でした……」
それは大体、炎人のせいだったやつだなと尾池は思ったが口には出さなかった。無駄に口を出す部長が黙っているのは、探られたくないからだろうと思ったのだ。
「二見先生が、暗くなってくるとまだ少し寒いだろうから、畑が見える教室から見るのがいいんじゃないかって。旧校舎の一階端の技術室の鍵を貸してくれて……そこで張り込んでいたんです」
二見先生はそういう事言うよなと尾池は今朝のことを思い出す。コートも脱いでなかったのにこっちに先に対応してくれた、優しい先生だ。
「時間帯は?」
幽谷が聞くと上尾は少し思い出すような素振りをした。
「16時頃から最終下校時刻の19時30ぐらいまでいるつもりで……口裂け女を見た時には、既に日はほとんど落ちてたと思います」
「ふむ、わかった。続けて」
「口裂け女を見たのは、張り込みの途中で外のコンビニ行って帰ってきた時でした」
「ふむ、ちなみにその時買ったものは何?」
「え? えと、棒つきキャンディとホットスナックのチキンとカフェオレでした」
「ふむふむ。続けて」
「旧校舎の一階の廊下に、赤いコートを着た黒髪の女性がいたんです。その女性の顔は、廊下が暗かったのでよくわからなかったんですけれど……先生の誰かかなと思って近づくと、口が大きく裂けていて、腕を振り上げる様にしたので、僕は走って逃げました」
「走って逃げ切ったのかな? それとも、どこかに隠れてやり過ごした?」
「がむしゃらに走って逃げ切りました」
「その時、荷物はどうしてた? 買った荷物」
幽谷の質問は上尾からすると思ってもないものだったらしくて、今までは先にまとめていたのかすらすらと話せていたのが急に滞った。
「そういえば……どこか落としたかもしれません。チキン食べた記憶が無いので、多分。いつ落としたかはわからないので、この時じゃないかもですけれど……」
「ふむふむ、棒付きの飴の形は球体のやつだっけ?」
「あ、それは平たいやつです。安っぽい味が好きで」
「オッケー、続きをお願い」
「それで……と言っても、もうほとんどなくて。新校舎の方の職員室に駆け込んだんです。そしたら二見先生はもう帰っていて、代わりに体育の高村先生が話は聞いてるよって出てきてくれて、今言ったことを聞いたら不審者かもしれないからって他の先生と一緒に僕の荷物を取りに行ってくれて……鍵を返してそのまま帰りました」
「帰り道では襲われたりとかは?」
「してないです」
なるほどなるほど、大体聞くべきことは聞いた気がするねと幽谷は言った。
やっと終わったかと、話をしている最中、終始弁当を食べていた黒松も顔を上げた。
「とりあえず、ポイントはコンビニ袋かな。わざわざ寄り道をする理由はないから、先生達と上尾君は同じ道を通った筈。それならばコンビニの袋は回収されていて然るべきだ。帰り道までは持っていたという可能性もまぁなくはないが……」
幽谷が硯石に視線を向けると、硯石ははぁと一つため息を吐いて続きを引き取った。
「口裂け女にはべっこう飴で撃退できるという噂がある。苦手だからというパターンもあるが好物だからというパターンもある。本物か口裂け女のコスプレをした不審者かはともかく、他の買い物ごと飴を回収していったと考えれば……べっこう飴で撃退されるというルールの元動いていると推測できる」
「でも、上尾の好きな飴はべっこう飴じゃないけど」
赤頭がちょっと控えめに言うと、硯石は無言でスマホを弄ってべっこう飴の検索画像を出した。
「黄色かオレンジ系で透明ならべっこう飴と十分に勘違いする可能性はある。暗がりだから色がよくわからなかったって事もあるかもしれない。まぁ、不審者ならば、そもそも脅かすのが目的で逃げ出した時点で目的を果たしてたって事もあり得るだろうな」
確かにと頷く上尾と赤頭を横目に見ながら、黒松はつまんない事件と呟いたが、すぐに幽谷のチョップが頭に落とされた。
「まぁ、本物かどうか調べるのは難しいけれど、不審者ならばわざわざ靴を脱がず土足だった可能性もある。今日辺り私達で調べておくよ。もう掃除された跡かもしれないが、土足だった跡が見つかれば先生達に相談もできるからね」
「ありがとうございます。お願いします」
赤頭が先にそう言い、急かされる形で上尾も幽谷達に向けて頭を下げる。
黒松は付き添いでいただけらしく、じゃあそろそろ教室戻ろうかと二人と一緒に理科室を出ていった。
あとがき
第一話に引き続きお付き合い頂きありがとうございます。へりこにあんです。
実際に、作中人物達の髪は本当に緑とか赤とか頓智来なカラーリングしてるんだぞというぐらいですね。全員地毛です。といっても、文字情報だとあんまり説明する機会もありませんでせめて科学部の子達だけでもと紹介用イラストを用意しました。立ち位置があれですが主人公は一応尾池ちゃんです。一応。
では、また次回もお付き合いしていただけましたら幸いです。
三人が理科室からいなくなったのを確認して、幽谷達は弁当を広げながら話しやすいように向かい合った。
「で、アレの関係だと仮定した場合どう思う?」
幽谷が言うと、硯石がまず最初に口火を切った。
「人の姿をしていた、というのが危ないですね。人にそもそも似た姿なのか、それとも人に化けたのか。後者だとするとかなり判断力があることになる」
「あとは、鼻が利く生き物だと思います」
尾池が言うと、幽谷と硯石はわからない顔をした。
「口裂け女という形はともかく、口が裂けているとわかったのは口が開いてたからだと思うんです……鼻の中に匂いを感じる機関がある訳ですけど、口と鼻は繋がっているので、匂いをよく嗅ぐ為に口からも息を吸う生き物がいるんです。猫や犬のフレーメン反応とかがそういう目的だと言われてます。なので、これもそうかなって」
あ、もちろん本当にそうかはわかりませんけれど。と尾池は少し自信なさげに付け足した。
「コンビニのホットスナックのチキンはにおうからな。その匂いにつられていたと考えれば遭遇したのも必然になるし、俺はかなりアリだと思う。部長はどう思います?」
「確かに、私もアリかなと思う。犬猫の口は前に出ているから暗さと角度次第では裂けたように見える可能性は十分にある」
某妖怪漫画では口裂け女を動物霊に憑かれて口元が犬とかのようになっていた人が正体としていた事もあるしね、と付け加えながら幽谷はサンドイッチを口に運んだ。
だとすると、と今度は硯石から話を始めた。
「人に化けたのが、人の様な姿を取ったのではなくなんらかの形でコートを入手して着ていただけって可能性が出てからかもしれない。だとすると、行動範囲は結構広い想定になる、簡単には会えないかもしれない」
「確かに、そもそもつい先日までこの辺りは『焼却炉の幽霊』の行動範囲だったですよね。別の場所を主な行動範囲にしていたけれど、匂いが消えたからこっちまで足を伸ばした、ということもあり得るかも……」
「ふーむ……その場合は、違うかな。むしろ逆だと思う。『焼却炉の幽霊』がいるとわかったから匂いをたどってこっちに来たの方が多分ある。倒してからまだ雨も降ってないしね」
なんでそう言えるのかと尾池は首を傾げたが、幽谷は当たり前と思っているのか説明をせず、代わりに硯石が話し始めた。
「アイツらはどういう意味があるかわからないが、他の獲物たり得る生き物とかよりも、別種のそういう存在を優先して食べようとする傾向がある。火夜や重忠、七美は戦わなくとも食事ができる状況にあるから、それ以前の話みたいで喧嘩しないで済むみたいだけどな」
七美の方を見ながら、尾池は、少し炎人や炎人に襲いかかった時の火夜を思い出してああなるのは少し嫌だなと思った。
「とりあえず、調べる必要はある。というのはみんな一致しているでいいね?」
「あ、はい。ただの不審者だったら、飴を持っていくにしても飴だけ持っていくでしょうし」
「そもそもからして、人を脅かすのが目的ならば旧校舎ではなく新校舎に現れるでしょう。人が多いところは避けているならば、侵入せずにそこらの路上でいい。まぁ、合理的な方法を選ぶ人ばかりではないとして、調べないでおくには不自然です」
うんうんと幽谷は頷くと、じゃあ次だと言った。
「仮に遭遇した場合、駆除することになるとは思うんだけど、どうやって駆除するか。火夜か重忠か」
幽谷が言うと、硯石はまぁ重忠でしょうねと返した。
「火夜よりも格闘戦なら重忠の方が得意ですし、刃物とか牙を突き立ててくる攻撃が予想される訳ですから、重忠がメインで火夜がサポート。可能ならば外で戦いたいです」
「そうだね、火夜は距離を取っても戦えるしそれで行こう。毛皮があるとスリングショットの効きは弱くなるしね、その上から服を着られていたら嫌がらせもできない」
二人の会話にとりあえずわかった様な顔で尾池も頷いておいた。
「とりあえず、放課後なら姉も大学の講義終わってると思うので、連絡して裏門の方に重忠連れて、あとコンビニでチキン買って来てきてもらいます」
「OK、匂いで釣り出すわけだね。私はちょっと新聞部に例のアレのレポートを持っていくから、お姉さんが来るまでに現場を見てきなよ。足跡とか糞の有無から何かわかるかもしれない。副部長は動物系弱いから、尾池ちゃん付いて行ってあげて。多分うちだと君が一番だから」
口裂け女が不審者だったらという恐怖と、未知の動物の痕跡を調べたいという欲求の狭間で一瞬反応を躊躇したが、欲求に屈して尾池は頷いた。
昼食を終え、午後の授業も終えると、硯石と尾池は理科室で待ち合わせて旧校舎へと向かった。
尾池の通う高校の旧校舎は、古いといっても流石に木造だったりはしない。だけど新校舎と違って掃除も行き届いていないし、土足で入る事が許されている。
「結構靴の跡が目立っていて、動物の足跡みたいなのはわからないですね」
「確かにな、でも必ずしも役に立たないわけじゃない。大体の生徒や教員の足跡はローファーやスニーカーだからな、そうじゃない足跡を探すだけでも意味がある。例えばヒールとかだな、口裂け女を演じている不審者ならばそういう靴を選んでもおかしくない。あとは、見た目だけ化けてる場合、靴の裏までは化けられていない場合は肉球みたいな靴跡になってるかもしれないぞ」
なるほどと尾池も頷いて、注意深く痕跡を探しながら廊下を歩いていると、ふとあるものが目に留まった。
「副部長、赤い毛が……」
「確か、赤いコートを着ていたんだったか。ファーみたいな感じの毛か?」
「いや、結構太い毛です」
ファーに使われる毛は柔らかく細い毛であるが、尾池が手に取った毛はしっかりと太い毛だった。博物館が何かで見た熊の毛がこんな感じだった様に尾池は思ったが、確証がないので口には出さなかった。
「赤いコートを着ている様に見えたのが体毛だったとしたら、説明つくか。長さは?」
「そんなに……それに、数も少な過ぎると思います。長毛になればある程度他の毛と絡まりますから、他に毛束ぐらい落ちててもおかしくないと思います」
パッと尾池が見る限りは、他に毛は落ちていない。
「となると、既に掃除がされた後なのか……」
硯石がそう言いかけると、ふとこつこつと硬いものが床を叩く音が聞こえた。
二人がそちらの方を向くと、赤いコートを着た黒髪の女性が廊下の先から歩いて近づいて来た。
その姿に尾池は一瞬身構えたが、それが見慣れた二見先生の姿であることに気づくと、気を緩めた。
「……尾池、ゆっくり背中を向けずにここから立ち去って、裏門行って姉さんから重忠引き取って戻って来い」
しかし、硯石は険しい顔をしてそんな尾池を手で制した。
「え? あの私、副部長のお姉さん会ったことないですけれど……」
「俺と同じ赤い髪で原付で来てる筈だからすぐわかる」
「というかなんで……」
「まだ下校時刻にも程遠い、二見先生が旧校舎でやる事があったならコートを着て帰る準備をしているのはおかしい。それに上尾が言ってたろ。あの日、二見先生は上尾が職員室に助けを求めたときには既に帰っていたと……二見先生があの日も赤いコートを着ていて、こいつがそれを模倣した。そう考えれば辻褄が合う」
「……じゃあ、今そこにいるのは」
尾池が硯石の言いたいことを察して後退を始める。
「多分、そういうことだ。なにより理科室開ける為に尾池が早く来るから朝練もないのに早朝に来てくれる二見先生が、目も合っているのに無言で歩み寄ってくるのがおかしい」
自分もじりじりと下がりながら、硯石が上着を脱いで尾池に渡そうとする。それを見て尾池はこんなの一枚あっても気休めなんじゃないかと思ったが、受け取るとその重さに驚いた。
「副部長、これ思いんですけれど……」
「背中の裏地に薄いけど鉄板仕込んでるからな。鉄板入ってないとこも気休め程度には補強してあるから頭に被れば防災頭巾の代わりぐらいにはなる」
「副部長はさっきここ残るって……」
ならば硯石が持っていた方がいいのではと尾池は思ったが、大丈夫だと硯石は力強く返した。
「お前と違ってそこそここういうのと出会ってるからな」
何も喋らず、二人が後退した分だけゆっくりと距離を詰めてくる二見の姿をしたそれから目を離さず硯石はそう言った。
尾池は信じて少しずつ後ろに下がって行ったが、硯石は掃除用具入れの前まで来ると立ち止まり、視線を固定したまま扉を開けて中から箒を一本取り出して構えた。
硯石が立ち止まると、二見の姿をしたそれも立ち止まり、狙う機会を伺っているかのように前傾姿勢へと変わっていく。
早く玄関まで辿り着けと念じながら後退する尾池の視線の先で、二見の姿をしていたそれの顔は粘土でもこねているように変わっていく。目は吊り上がり、口元は鼻と共に前に出て、少し開いた口元からは肉食獣特有の鋭い歯列が覗く。
さらに、気づけばその手元も変わっていた。指がどうなっているかまでは尾池の元からは見えなかったが、三本の紫色の爪が小さなナイフぐらいの長さにまで伸びていた。
玄関にやっと辿り着いて、靴箱の影に隠れようとしたその時。尾池は小さな段差に躓いて転び、小さく悲鳴を上げた。
硯石が振り返ったのが尾池には見えた。次いで、さっきまでは人の形を保っていた何かが赤い毛皮の狼のような姿を取って硯石に襲いかかったのも。
「走れッ!」
そう言われた事だけ尾池は理解して、がむしゃらに起き上がって走った。最早襲い掛かられた硯石がどうなったかはわからなかったが、今は考えない方がいいことだと割り切って走った。
旧校舎を出て裏口まで、尾池は自分でもどれくらい走ったかわからなかったが、そこにいた赤い髪の女性が硯石の姉なのは一目でわかった。
受け取りに来ましたと言いたいらしい鳴き声を尾池が発すると、彼女は拳大の袋をその手に渡した。
「もしかして、既に何か起きた?」
「おぎでまず、ばやぐぶぐぶぢょ……だずげにッ、げほっ、うぇ、はぁ……行かないと……」
「そっか、なら、旧校舎の手前まで行ったらその袋投げちゃっていいよ。重忠なら勝手に出るから」
はい、と言ってまた尾池は旧校舎に向かって走った。
悲しいかな、尾池はインドア派だった。生き物好きの分類でこそあったが野山を走りて虫を捕らえる類ではなく、水族館や動物園に入り浸って観察をしているタイプだった。長距離歩くのはある程度慣れていたがダッシュが苦手だったのである。
なので、尾池は旧校舎の玄関前で完全に息切れを起こし、校舎に入ろうとして段差に躓いて転んだ。
そして落とした袋からは、石を複数個繋ぎ合わせて人の様な形を作った生き物が転がり出た。その生き物はみるみる内に人間の子供サイズまで大きくなると、尾池の方を一瞬見た後、体を発光させて姿を人より二回り大きいぐらいに変えた。
その姿は頭や手足、尻尾の先が岩で覆われた逞しい猿の様だった。
尾池は少しの好奇心と、使命感と罪悪感と発光現象に対する条件反射からその岩猿と化した重忠を見上げるも、あっという間に重忠は旧校舎の中へと入っていった。
なんとか尾池も呼吸を整えて、歩いて旧校舎へと入っていくと、柄が七割ほどになった箒を持ったまま外へ向かおうとする硯石とばったり鉢合わせた。
「……お前、頭とか打ってないよな」
「打ってないですけっ、どっ、副部長こそ、げぇ……ふぅ……大丈夫だったんですか!?」
大丈夫だって言ったろと笑いながらスカートのポケットから絆創膏を取り出す硯石は、二度転んで擦り傷も何箇所かできた尾池と違って無傷に見えた。
「さて、あとは重忠が戦うのを見届けないとな」
「……見届けないとダメですか?」
「被害の程度を確認して言い訳考えないとだしな」
渋々ついて行った尾池が見た戦いはひどく一方的なものだった。
重忠は細身の赤狼の首をむんずと掴み、その長い顔を岩で覆われた拳で殴打していた。
鋭い爪を牙を突き立てようともがくが、赤狼は逃れる事はできず、厚い毛皮や体を覆う岩の上でその先端を滑らせる事しかできない。
「重忠はうまく周りに被害出ない様に抑えてるみたいだな」
ぼとっ、と音がして赤狼の歯が床に落ちて転がり、血で弧を描く。
尾池はそれを見て、なんで姿形を変えて拘束から逃れないのだろうと思ったが、赤狼にはその余裕がなかった。
変身できるというのは、人の身からすれば超常のこととはいえ、赤狼からすればあくまで身体機能の一つ。首が握られて呼吸は浅く、抵抗しても手応えもない、地面に足もついていないで半ばパニックにある状態では普段なら当たり前にできることもできなくて当たり前。
とはいえ、繰り返されれば多少なり落ち着いてもくる。呼吸は浅く、この状態が続けば近く意識を失うだろうことも確かではあったが、ほんの数秒赤狼には変身を可能とするタイミングが存在した。
ただ、その際に赤狼が選択したのは変身ではなく、より基本的な身体サイズの操作。先程袋に入れられて運ばれていた重忠や七美に火夜、他のそういった存在達皆が可能なものである。
小さくなった赤狼の体は重忠の手からするりと逃れ、そして地面に辿り着くとほぼ同時に重忠に踏み潰された。
密度は変わらないがサイズを変え得るという超常、故に小さくなったら皮も脂肪も薄くなって大きかった時よりも脆くなる。それは、鈍器と変わらない硬さと重さの拳での殴打に何度も耐えられていた頭蓋が一瞬で潰れてしまう程に。
赤狼の身体がキラキラと光の粒となって宙に消えてゆく。地面に転がっていた牙も血も、何もなかったかの様に消えてゆく。まるでこれは夢だったのだとでも言う様に、何事もない廊下が戻ってくる。
「……パッと見の被害は箒の柄の先端だけだな」
廊下の隅に二つに分かれて転がっていた柄の先端を拾って硯石が手に持った箒の柄と繋げようとするも、牙の刺さった様な跡があまりにも不自然に残ってしまう。
「えと、どうするんですか……?」
尾池は少し萎縮しながら硯石にそう聞いた。
箒に残った跡は明らかに牙のもの、おそらくは自分が転んだ時に赤狼が噛み付いて来たのをそれで止めたのだろうと察しはついたし、だとすればそれに関して学校に言い訳しなきゃいけないのは自分の責任だと思ったのだ。
「そうだな、尾池が転んで折った事にするか。まぁ色々やってくれたところもあるが、重忠連れて来てくれてありがとな」
尾池の頭をぽんぽんと撫でて硯石はそう言って笑いった後、岩猿の姿から石でできた子供のような姿になった重忠と拳を突き合わせてお疲れと言った。
「で、これからだがとりあえず部長にボンドとテープ持って来てもらって、傷口をちょっといじりながら補修。そのまま部長には姉さんのところまで重忠を連れて行ってもらって……俺達は職員室に謝りに行く」
膝の傷はとりあえずそのままな、職員室に行った時にちょっと痛々しいぐらいだとわりと許してくれたりするからな。と硯石が悪い顔をしたのに釣られて尾池も少し悪い顔をした。
二人で謝りに行くと、硯石の言った通りに箒を壊したことはあまり怒られなかった。
ただ、口裂け女の事について検証している最中、なんでもない物音にびびって慌てて転んだ事にしたせいで、怖がる後輩を無理に連れて行ったと硯石は怒られた。尾池はそんなことはなかったと庇い、硯石は無理に連れて行ったと真摯に頭を下げたので説教はさほど長引かなかった。
その後、幽谷の提案で上尾達には二見先生が口裂け女の格好だったことを伝え、『おそらく帰りに上尾の様子を見に旧校舎に行った二見先生の顔が光の反射か何かで歪んで見えたのだろう』というところで誤魔化した。事故みたいなものだし、二見先生の名誉に関わるから内緒にしようとさらに口止めをした。
こうして、口裂け女の噂は広まる事なく終わった。