最終回後短編。ベルゼブモン達のお話です。
◆ ◆ ◆
──世界には色が溢れている。
空というものは青かった。
青であり、藍であり、ある時は朱く、ある時は見慣れた灰色だった。
仕組みは知らない。
ただ、今の時間は「青」らしい。
「光が散らばっているのよ」
隣で澄んだ声が言う。
「たくさんの色の光が、溢れてるの」
──正直に言えば、その「たくさんの色」は自分には眩しすぎる。
最近まで視界は褪せた白黒だったから、まだ眼球が慣れていないのだ。
だが、目が不自由だった分、代わりに聴力が長けたのか。
今でも目視より先に、物音で気付く事が多い。例えば──
「この先は海だ」
遠く聞こえる波の音。行き止まりだと分かった以上、別の道を探さなければ。
──すると、
「少し遊んで行っていい?」
そんな小さな願い事をひとつ、彼女は口にする。
自分達に目的地は無く、道を急ぐ理由も無い。肯定の意を込め頷くと、カノンは僅かに口元を緩めた。
海に出る。陽を照り返す砂浜が続いている。
その奥で、海原は銀の波を立てていた。
「綺麗ね」
カノンは少しの間、このやたらと広い景色を眺め──それから靴を脱ぎ、片手に持つ。
白い足先を浅瀬に浸す。波に驚いたのか、小さく踊るように水面を揺らしていた。
スカートは羽のように。
ひらひら、ひらひらと。
「あなたは?」
「……俺はいい」
デジモンだから、人間ほど簡単に服のパーツを外せない。それに──
「見ているだけで十分だ」
そう、と答える鈴鳴りの声。
さざめく波の音。光の海際。
その姿に、胸を締め付けられるような感覚がこみ上げた。
「──カノン。あまり離れるなよ」
思わず手を伸ばす。カノンは少しだけ、恥ずかしそうに苦笑する。
そんな彼女の腕を掴んだ。痛みを与えないよう加減して。
こうでもしないと、少女がこのまま消えてしまいそうな気がしたから。
目を離した瞬きの間に、目を閉じて眠る間に。──そんな不安が過る日は、決して少なくない。
心配性ね、と少女は笑む。
「そんな事はない」
「そんな事あるわ」
「……人の気も知らないで」
思えば、自分の言葉数は随分と増えた気がする。
身体の毒が消えたからだろうか。きっかけは、あの日取り込んだアスタモンの影響だとも思うが。
カノンは、そんな自分の変化を喜んでいるようだった。
俺が冗談じみた小言を零すようになった事も、どこか嬉しそうだった。
やわらかな笑顔。光の海際。
──また、胸が苦しくなる。
◆
それは予期せぬ偶然だった。
かつての「同行者」である二体と再会したのだ。
どうやら近くで自分達のにおいを感知したらしい。
二体は自分達に駆け寄り、「久しぶり」と笑顔を見せる。
「俺達、この先の島に行くところだったんだ。塔の瓦礫が見つかったみたいで……。君達は?」
「……行き先は、特に決めていない」
二体は相変わらず、先の件の後始末をしているようだ。他の三体もそうなのだろう。
──自分達がその面倒事を強いられていないのは、幸いだ。
「君達が元気そうで嬉しい」
白銀が目を細めて言う。
「ええ、あなた達も。──あの子は起きたの?」
「……僕らの声に反応する事はあるよ。意識はまだ戻らないけど……」
「ちゃんと目を覚ましたら、顔を見に来てあげてくれ。神殿まで案内するよ」
「ありがとう。その時はお願いするわ」
「それとウィッチモンが、『たまには健康診断に』ってさ」
そんな赤毛の言葉。カノンは珍しく、困ったように眉をひそめる。
「呼んでくれたら、俺が彼女を連れて来るよ」
「……そうね。……少し、苦手だけど……」
「? 彼女が?」
「いいえ、健診が。昔からなの」
「──それでも見てもらえ。お前の為になる」
只でさえ不安定な身体なのだ。頻繁にとは言わずとも、定期的なチェックは必要だろう。
すると、同行者らは何故だか驚いた様子を見せる。理由がわからず顔をしかめると、赤毛は目を丸くさせたまま──
「ベルゼブモン、喋るの上手になったなあ」
◆
同行者達とは途中の岬まで共にし、その後別れる事となった。
飛んで行かず、わざわざ船で海を渡るらしい。
「でも、泳げる子がいたでしょう。あの白くて小さな子」
「ユキアグモンは、チューモンと都市の建て直しをしてるんだ。まだしばらく時間がかかると思うけど……俺達とは、それが落ち着いたら合流しようって」
カノンは、小さな赤毛と波打ち際を歩いていた。
「大変なのに、手伝ってなくてごめんなさい」
「謝らないで。君達が自由でいるのは、俺達も望んでる事なんだよ。
君も──あの子達にも、どうか自由で、楽しく生きていて欲しい」
二つの背中を、少し離れた位置から白銀と眺める。
しかしふと、白銀が視線を向けてきた。──思わず目が合う。
「ん?」
「……」
いいや、別に何でも。
そう答えようとして──けれど何となく、適当な用件を浮かべてみる。
「……。……どうして今も、成長期と成熟期なんだ」
「この状態が楽で、ついね。それに究極体だと、速すぎて色々見落としちゃうんだ」
白銀は再び前を向き、「最近はどう?」と尋ねてきた。
「不便はしてない? お節介かもしれないけど、頼れるものはたくさん使っていいんだよ」
──自分達に対し、これまで同行者らが過度に干渉してくる事は無かった。
これからもきっと変わらないだろう。適度な距離感と言うべきか。
それでもカノンの身を、それなりに案じてくれているようだ。
「……カノンが、我慢していなければ……あいつ用に持っていった物資もある。今は多分、問題ない」
それでも──彼女が元いた世界よりは、何もかも足りていないのだろうが。
「君は? 君自身は、大丈夫?」
「……?」
何故、そんな事を聞いてくるのか。カノンはともかく、自分を気に掛ける必要は無いだろうに。
すると白銀は、「戦いの面では勿論、心配してないんだけど」と前置きして
「心の話さ。悩みとか、色々」
「……。……」
「もちろん無いのが一番だし、僕らに無理して話す必要も無いよ」
「……そうか。…………そうだな」
視界の端で二人が止まる。
何を話しているのだろう。──なんて、思いながら
「……──あいつを見ていると不安になる」
気付けばそう零していた。
「今になって、また、悪夢を──……」
泥の夢は終わり、今では彼女が消え往く夢を見る。
目覚める度に少女を探して、安堵して。自分はいつになれば、夜を克服できるのだろう。
一方で、アスタモンの残滓が現れる夜も稀にあるのだが。
理由は知らない。ただ悪夢よりは、あの気紛れの世間話を聞かされる方がずっとマシだ。
「……だからついでに、眠らずに済む方法も探している」
「おすすめはできないなあ。倒れたら大変だ。──彼女はそれを?」
「言っていない」
「だろうね」
「……」
「君がそうなるのも無理ないよ。……もう二度と、あんな思いをしたくないって気持ちが……きっと君を不安にさせるんだと思う。もちろん、彼女の身体の事もあるだろうけど」
「…………そうかも、しれないな」
視界の先。赤毛の声が風に乗る。
いつか奴らと共にいた、あの人間達の話をしているようだ。
「……それと……これは、毒のせいだとは思うが」
「後遺症が?」
「多分だ」
波打ち際。赤毛は未来の夢を語る。
カノンはそれを聞いている。
「……どうしようもなく、苦しくなる時が」
唇に、小さな笑みを浮かべながら。
「カノンを見ていると────」
────ああ。
きっと、きっと。毒のせいだろう。
回路という何かのせいだろう。彼女に宿った奴のせいだろう。
自分達を巻き込んだ何もかもが、今も尚蝕んでいるのだろう。
「……君、それは……──」
けれど、白銀は
「──それは本当に素敵な感情だね。どうか大切にするんだよ」
何故だか泣きそうな顔で、そんな事を言ったのだ。
◆
岬から、海原を行く影を見送る。
小さくなる二つの影。偶然や用事でも無い限り、しばらく会う事は無い。
別にそれを、何とも感じないのだが。
「あの子達、早く皆に会えるといいわね」
カノンは言う。自分の数歩先、揺らめく水面を眺めて。
──その後ろ姿に、何故だか白銀の言葉を思い出した。
奴がどういうつもりで、どんな意味で、ああ言ったのかは分からない。
あの表情の理由も、きっと知る事は無いのだろう。
「……」
湿った風が吹き、黒く細い髪が揺蕩う。
俺は一歩前に出て、遠くを臨む横顔を見つめた。
「カノン」
名前を呼ぶ。琥珀色の瞳が向く。
どうしたの、と鈴鳴りの声。
沈黙を飾る波。空を映す淡い水面。
そんな、穏やかな時。光の海際。
「……いいや、何でもない。……そろそろ行くか」
「ええ。待たせちゃったわね」
世界には色が溢れている。
それなのに、白い彼女は何よりも美しく思えて。
光の中で笑う姿が、目を焼く程に眩しく思えて。
手を伸ばして掴んでも、まだ足りないと思ってしまって──
「ありがとう、ベルゼブ」
────この胸の苦しさを、やはり、何と呼べばいいのか分からなかった。
◆ ◆ ◆
そして、誰もいなくなった浜辺。
砂に残された二つの足跡は、波に溶けて消えていく。
終
もう大丈夫だろう!?
ゆったりと読んでも大丈夫だろう!?
と石橋をたたいて渡るかの如く、おそるおそる拝見いたしました。
物語が完結しているにも関わらず、未だ疑心暗鬼になっている読者です。
誰かの部位が飛んで行ったり、もぐもぐしたりとか・・・ァー
ベルゼブモンが毒のせいだと言い張る感情、ガルルモンと同意見です。
そして爆発しておけと。
それにしてもガルルモンは達観してますね。大人!!
話が前後しますが、
「──それでも見てもらえ。お前の為になる」
このセリフは殺し文句でっせ、組実さん!!
書籍5巻頒布まで、とにかく応援しております。
それでは!!
うあああああああああ😢 というわけで遅くなりましたが夏P(ナッピー)です。
個人的にデジモン小説で毎回思う「〇〇モン呼びだとどこまでも他人行儀な感じすんだよなぁ」を吹っ飛ばして愛称で呼ぶようになっとる! 何デートしとんねん色々と。そりゃ赤毛と白銀も「大切にするんだよ」と言いたくもなる。速すぎると色々と見落としちゃう、いい台詞だ……ちらっとウィッチモンとかユキアグモンの名前も出てくるのも良い。これぞAF(アフターストーリー)!
そーいや文字通りの意味で毒気が抜けたベルゼブモン及び世界が描写されたの初めてか……そして最後まで存在感を示し続けたアスタモンに敬礼。
それでは書籍5冊刊行まで私は待つ!!
後書き
お久しぶりです。組実でございます。
これは完全に書きたくなったから衝動で書いたシリーズ。というわけでエンプレ外伝です。私にしては珍しく短編。
二人の旅のささやかな1ページ。人の少ない静かな海は良いものです。
ばったり同行者と抜け駆け再会してますが、彼らとは距離感がそんなに近くないので、同じ世界にいても会う機会は少ないのでしょう。年に1.2回くらいは健康診断があるかもしれない。
ちなみにベルゼブモンはカノン用に寝袋セットとアウトドアチェア(折り畳み式)を都市から持ってきています。詰め込んで腰あたりに提げてると思う。彼にとっては誤差レベルの軽さです。
そんなわけで、いつまでも新作を書かずエンプレに固執してる自覚はありますが。
少なくとも書籍全5巻が頒布されるまで戦いは続くんじゃ。お付き合い下さい。
また、書籍を含め作品内で使用してる写真素材はちゃんと有料&商用OKのやつなのでご安心を!
あと図々しさと傲慢MAXを承知の上で当作の二次創作その他作品は大歓迎この上ない事を宣言いたします。
それではいつかまた!
お読み下さりありがとうございました!!