※こちらは2010/8/1~2022/1/22に「オリジナルデジモンストーリー掲示板NEXT」、
「デジモン創作サロン」で連載した完結作品のリマインド投稿です。どうぞお楽しみ下さい。

──ここは、どこだろう。
気付けばそこは、果てしなく続く黄昏の荒野。
夕陽をぼんやりと眺めながら「どうしてこんな場所にいるんだろう」と考える。
ふと、隣を見る。そこには、自分よりもずっと大きな誰かが眠っていた。
白銀の毛並み。四つ足の大きな獣。……何故だろう。初めて見た筈なのに、どこか懐かしい感じがする。
やがて、銀の獣が目を覚ました。眠たそうに半分開かれた目と、彼を見つめていた自分の目が合った。
──君は、誰だ。
獣に尋ねられ、答える。自分の名前をすぐに言えたことに驚いた。そこでようやく、今までの記憶がほとんど抜け落ちていることに気付く。
それは銀の獣も同じだった。彼もまた、自分の名前以外を失っていたのだ。
何もない場所で目を覚ました、何もない自分達。行く当てなどあるはずもない。
一緒に行こう。──そう言い出したのはどちらだったか。いつの間にか二人で、一緒に荒野を進んでいた。
この先にどんな運命を背負うことになるのかなど、知る由もなく。
小さな影と大きな影を伸ばしながら、ただ、歩き続けて行く。

*The End of Prayers*
第一話
◆ ◆ ◆
産まれた時からずっと、里の皆に言われ続けていることがあります。
それはわたしが、世界を救った英雄の生まれ変わりなのだということ。
そしてその英雄と同様、わたしはいずれ、里を災厄から守る救世主になるのだということ。
何度も何度も、まるで念を押すように、わたしに言い続けるのでした。
そんな里の皆は、わたしを敬い、慕い、特別な名前でわたしを呼びます。
だからわたしは、一度も本当の名で呼ばれたことがありません。
そうして育ってきたけれど、そのことを苦痛に感じたことはありませんでした。むしろ誇りにさえ思っています。
何故なら、わたしにとって里がわたしの世界であり、愛しい里の皆が、わたしの全てだからです。
◆ ◆ ◆
うっすらとした霧がかかる早朝。
里の門番が、とある岩穴を訪れた。
「おーい、コロナモン。ガルルモン。いるか?」
「……いる。あと、起きてる」
返事と共に、大きな白銀の狼──の姿をした成熟期デジモン、ガルルモンが姿を現す。
「おう、相変わらず早起きだな。ガルルモン」
「そう言う君は珍しいじゃないか、ゴブリモン。いつもは昼まで寝ているくせに。コロナモンならまだ寝てるけど、何かあった?」
欠伸を噛み殺しながら、ガルルモンは岩穴の奥に目をやる。彼よりもずっと小さなデジモンが、静かに寝息を立てていた
名前はコロナモン。獅子の子を思わせるような風貌と、赤い毛並みを持つ成長期デジモンである。
「あー、起こしてくれ。天使様がな、お前たちを聖堂へ呼ぶようにって」
「ダルクモンが? わかった。すぐに行くよ」
「おう。そうしてくれ。じゃあ、俺は門に戻るからな」
背を向けて手を振りながら、ゴブリモンは去って行く。しかし途中、思い出したように立ち止まった。
「お前たち、そろそろさ。天使様のことはちゃんと『天使様』って呼べよ。皆そうしてるんだから」
そう言い残したゴブリモンの後ろ姿を見つめて、ガルルモンはため息をついた。
──天使様とは、この里に暮らすデジモンの一人だ。本来の名はダルクモンだが、里の者は彼女を「天使様」と呼んでいる。
天使型デジモンなので、呼称自体は間違っていない。それでも違和感を抱いてしまうのは、その呼称に固執する周囲の態度が原因だろう。自分達が彼女の名を口にする度、彼らは口を揃えて訂正を求めてきた。
反発心、というわけではない。里に溶け込むためには必要な事だと、ガルルモンもコロナモンも理解している。……それでも、未だに彼女をそう呼ぶ気にはなれなかった。
そんな二人がこの里にやって来たのは、つい最近の事である。
長い旅の末に辿り着いた里。敷地面積は広く、森や池など自然も豊かで、食糧にも恵まれていた。住民達も皆、穏やかで優しい。
そんな平和な環境は疲れ切った二人を癒し、受け入れ──気付けば二人は、この地に定住するようになっていた。
土地の名前は「天使の里」。至る場所に天使のレリーフが見られ、中央の高台には美しい聖堂が建てられている。
その聖堂に暮らし、里を治める長こそが、里の者達に心酔するほど慕われている天使──ダルクモンだった。
「ねえ、ダルクモンが用事って、何だろうね」
コロナモンはガルルモンの背で、眠たそうに目を細める
「あのゴブリモンがわざわざ朝早く来たってことは、結構大事なことなのかもしれない」
「大事なことって?」
「それは着いてからのお楽しみだ。……コロナモン?」
「……うん。おき、てる」
眉間に皺を寄せながら、コロナモンはカクカクと頭を揺らしている。眠るまいとしているが、明らかに眠気の方が優勢だ。
「……」
ガルルモンはにやりと笑って、歩くスピードを一気に上げる。いきなり振り落とされそうになったコロナモンは、慌ててガルルモンにしがみついた。
「なっ、なんだよ急に!」
「ちゃんと起きるんだ。そんな様子じゃダルクモンの話、聞けないぞ」
「起きたよ! 速いよ! もう!」
「待たせたらダルクモンに悪い。ほら、しっかり掴まって!」
「お、俺だって、そのうち進化してガルルモンよりも速くなるし、というかガルルモンは早くダルクモンに会いたいだけ……うわわわわっ」
ガルルモンはスピードを落とさず、真っ直ぐに聖堂を目指す。
きちんと真っ直ぐ向かっていたのだが──背後から「正直に言えばいいのにー」という声が聞こえた気がして、わざと険しい道を通って行くことにした
◆ ◆ ◆
聖堂前の広場で、辺りを見回しているデジモンを見つける。
「ダルクモン! こっちだ!」
ガルルモンはいつもより明るい声で呼びかけた。
すると、輝く二対の翼を抱いたデジモンが、声に気付き手を振ってくる。
顔の上半分に黄金の仮面を纏った、人間の女性のような姿のデジモン。まだ成熟期だが、その身に秘めた力は計り知れない神聖なものだと、住民達は彼女を崇拝している。
「ごめんなさい。こんな早くに呼び出してしまって」
そう言って、ダルクモンは嬉しそうに微笑んだ。
「あら、コロナモン。顔色が良くないですね」
「……うん。乗り物酔い。ガルルモンが走るから……」
「まあ、ガルルモン、走って来てくれたの?」
「あ、いや……その、大事な用事があるのかと思って」
思わず目線を逸らしたガルルモンを、コロナモンはニヤリと眺める。
「……何だよコロナモン」
「なんでもない!」
二人のやりとりを、ダルクモンは小さく笑いながら見つめていた。それに気付き、ガルルモンは恥ずかしさで逃げ出したい気持ちになった
コロナモン曰く、「あれは間違いなく一目惚れ」
里の者達がダルクモンに抱くものとは、明らかに違う感情。それを真っ先に見抜いたのはコロナモンだった。
本人は必死にそれを隠しているようで、当たり前だが、言うと怒る。
コロナモン自身、大好きな相棒が好意の対象を持った事は嬉しく感じていた。周りに言いふらそうだなんて思わない。
──むしろ、言ってしまっては問題なのだ。
里の民にとってダルクモンは崇拝の対象であり、神聖な存在。ただでさえダルクモンを『天使様』とは呼ばない一人が、その天使に対しに好意を抱いているなんて知れたらどうなることか。
そして当の本人であるダルクモンだが──なんと、気付いている様子だった。
しかし何も言わない。それどころか「里の皆には、『ガルルモンは特にわたしを信仰してくれている』と伝えているから大丈夫ですよ」だなんて言っている。
里の長ではあるが、里の民とは異なる考えを持っているのか────二人がダルクモンを名前で呼んでも、彼女は怒るどころか笑顔を見せた。どこか、嬉しそうに。
◆ ◆ ◆
「どうぞ、中へ」
里のシンボルとも言える小さな聖堂。
白い壁に青い屋根。鐘楼塔にかかる鐘は金色。美しい外観だが、その入り口だけは分厚い鉄で出来ている。鉄扉の鍵はダルクモン自身であり、彼女が触れないと開かない仕組みになっていた。
また、この聖堂は里で唯一の「施錠できる建物」でもあった。
この里は、侵入者に対する警戒心が非常に薄い。里の出入口には門番が置かれているが、あくまで形だけのもの。どの家屋も無防備な造りで、コロナモン達に至っては岩穴で暮らすほどである。
別に不満はないし、それでも里は平和だ。けれど今までの旅の生活を思い返すと、その無防備さが少々心配になってしまう。
そんな守りの要たる聖堂だが、里の民が立ち入られるのは礼拝堂までとなっている。それが里の決まりだった。
──しかし三人は今、その先に続く廊下を歩いている。ダルクモン自ら、二人を奥へ招き入れたのだ。
廊下の壁に窓は無い。天井に飾られたステンドグラスが、陽光を鮮やかに取り入れている。
初めて見る内部に、コロナモンは少々はしゃいでいた。それを止めるガルルモンもまた、好奇心を隠せずにいる。
二人とは反対に、ダルクモンはとても落ち着いた様子だった。
「あちらです。──祭壇の間。里の者を入れるのは初めてなので、皆には内密に」
「それは……もちろんだけど、俺たちが入っていいの?」
「ええ。きちんと説明するには、あの部屋が最適ですから」
廊下の先に見える二つの扉。一方には紋章のようなレリーフが刻まれていた。
レリーフの扉をダルクモンが開けると、これまでの落ち着いた内装とは似つかない、石煉瓦の部屋が姿を現した。
真っ直ぐに伸びる身廊。祭壇。そして──微笑みを浮かべる天使の彫像。
その顔は、ダルクモンが笑った時の顔と、よく似ていた。
◆ ◆ ◆
「──それは、『毒の大雨』。あるいは『毒の厄災』と呼ばれています」
祭壇を背に、ダルクモンは二人へ語り始める。
「ガルルモン。聞いたことはありますか?」
「……少しだけなら」
「どんな話だっけ? 俺、あまり覚えてないや」
「昔、毒が世界中に溢れたって話。西の港街で聞いたろう?あまり詳しい事は言ってなかったけど……」
「それ、俺たちが生まれるよりずっと前のこと?」
「ええ。今この地に生きているデジモンの殆どは、この災厄についてを知りません。知っていても物語程度にしか」
生まれる前と言っても、大昔というわけではないらしい。
あまりに多くの命が失われ、それ故に語り継ぐ者も僅かだった。だから現在も知る者が限られるのだとダルクモンは言う。
──情報をまともに残せない程の災害だったのだろうかと、コロナモンは眉をひそめた。
「毒は『黒い水』と呼ばれていました。水よりは泥や油に近かったようですが。……黒い球体が突然現れ、そこから毒が雨のように降り注ぐのだそうです」
「……じゃあ、今のデジタルワールドは、その災害から生き残ったデジモンたちで成り立った世界なんだね」
「ええ、ガルルモン。毒より生き延びたデジモンは決して多くはなかったけれど、少なくもなかった。毒は致死性のものですが、一部のデジモンには毒性が低かったとされています。
具体的には、ほとんどの究極体……そして、ある程度力を持った完全体……彼らには毒に対する耐性が、ある程度はあったようです。今の世界は、そんな彼らによって造り直されたのでしょうね」
ダルクモンの言葉に、二人は「究極体!?」と目を丸くさせた。
デジモンの進化世代の最終形である究極体、それこそ物語でしか聞いた事のない存在だ。それが実在していたなんて──
「昔のデジタルワールドには、そこまで進化できたデジモンがいたんだなぁ。俺なんか成熟期にもなれないのに」
「まあ、コロナモンもそのうちなれるさ。大丈夫」
「ガルルモンはいいよな。最初から成熟期なんだもん。ちょっと分けてほしいよ」
「コロナモン、何を分けるんだい? ……と、ごめんダルクモン。話の腰を折っちゃって」
「いいえ、いいえ。わたし、二人のやり取りを見るの、とっても楽しいんです。とっても微笑ましくて、本当に兄弟みたいなんだもの」
ダルクモンの微笑みに、ガルルモンは照れくさそうに目線を逸らす。
「それは……僕らをそう言ってもらえるのは、嬉しいよ。……僕は君と同じ成熟期で、里ではきっと強い方だろうけど……その毒には、やっぱり負けちゃうのかな」
「……毒は、成熟期以下のデジモンにとっては致死的とされています。また、ウイルス種のデジモンに至っては、全ての進化の段階で耐性が皆無なのだそうです」
「僕らが成熟期がダメなのは、未熟だからって理由で納得できるけど……ウイルス種はどうして? 完全体や究極体でもダメなんて、変な話じゃないか」
「この毒はウィルス種と性質が似ているのか、彼らと親和性が高いようで……彼らに対しては『致死』以外の影響を及ぼすと伝えられています」
それが、毒がもたらすもう一つの恩恵、『凶暴化』であると言う。
更に具体的に言えば『理性と自我の喪失』、『他者への襲撃と捕食衝動』。それらに支配され、誰のものか分からない本能のまま暴れるそうだ。
「黒い水を浴び、毒に侵されたウイルス種のデジモンは……もう元の彼らとは違う。汚染により歪んでしまった別の存在と成り果てるのです。中には凶暴化の際、歪に進化を遂げる者もいたと聞きます」
「ま……待って、待ってダルクモン。ガルルモンも。その……毒が怖いことはわかったけどさ、それを今いきなり話す理由がわからないよ。どうしてこんな突然なの?」
コロナモンは状況が理解できず狼狽した。対して、ガルルモンは表情を曇らせていた。
旅の最中で聞いた話では、毒に関して詳しく語られていなかったが──確か、毒に耐性を持つ種族もいた筈なのだ。確かそれは────
「そうですね。突然で驚いたでしょう。本当はもう少し後に、ゆっくり話すつもりだったのだけど。
……ところで、どうしてわたしが里で『天使様』と呼ばれているか、知っていますか? わたしが天使型のデジモンであるから、という理由だけではないのですよ」
ダルクモンは天使の彫像を見上げ、目を細めた。
「遠い昔に起こった災厄。それを鎮め、世界を救ったのは……幾体かの究極体デジモン。種族名が明らかになっていない者が殆どですが……英雄たちの故郷には、その伝説が語り継がれていくのだと。語り継がねばならないのだと、そういう教えがあるのです。
──英雄の中には、大天使型のデジモンが三体いました。その一体である『彼女』は聖なる力で毒を浄化し、多くの命を救った」
「……この彫像は、そのデジモンがモデルになってるの?」
「いいえ、コロナモン。これは彼女の姿そのものです。彼女は自らが纏う聖鎧を砕き、里を癒す礎とした。……だから彫像の彼女は兜を纏っていません。残りのデータは、民の治癒と『後身』の継代に充てられました。──わたしは彼女の粒子が形を成して、デジタマとなって、生まれたデジモンがまた命を繋いで出来た天使。わたしたちは『私』から、あらゆるデータを引き継いできたのです。
……わたしはね、もうすぐ訪れる災厄の再来から……里を守る、皆にとっての『天使様』になるのよ」
「天使型と、聖なる力を宿したデジモンには、僅かですが毒を癒す力があります」
自らを礎に、毒から土地と民を救った大天使。その記録と責務を受け継いだ後身。
ダルクモンの告白に、コロナモンとガルルモンは言葉が出なかった。里の皆は、いざとなったら彼女が犠牲になるかもしれないと──知っていたのか。
「その聖なる力が最も強くなるのは満月の夜。……予知の能力を持つデジモン達から、『半年後に災厄の再来がある』と先日連絡がありました。なので急ぎ、一週間後の満月の夜に『洗礼』の儀式を行います。聖なる英雄の力を宿したデータを皆に分け与える事で、民には多少なり毒への耐性が出来るでしょう。
……里の皆は黒い水の話も、そして私の役割も、ずっと前から聞いて知っている。でも二人はそうではないから、きちんと話しておこうと思ったんです。……色々と受け入れるにも時間がかかると思ったから。けれどもっと早くに伝えるべきでしたね。ごめんなさい。二人がそんなにショックを受けるなんて、思わなくて……」
「ダルクモン。……門番のゴブリモンは、ウイルス種だよ」
コロナモンは心配そうに、ダルクモンを見上げる。
「門は一番危ない場所だ。あそこにいるべきじゃない。……何かあった時、最初に俺たちが守るべきなのは……幼年期とウイルス種の仲間たちだ」
「その通りです。ええ、安心して。彼には本日をもって門番の職を降りてもらう事になっています。代わりはベアモンが引き継いでくれるわ。……ねえ、わたしがこの事を話したのはね、二人を不安にさせたかったわけじゃない。逆に『ここは安全なんだ』って、皆のように安心して欲しかったから……」
「それは……君が天使だからか。皆は、君が皆を守ってくれるから、だから……そうか。だから皆は、君のことをずっと『天使様』って……」
「……。ガルルモン、そんな顔しないで下さい。これはわたしにしかできない事。わたしの役目であり、運命なのですよ」
「でも君はそれでいいの? 君の出生どうこうの話じゃない。里は、皆は……初めから君じゃなくて、君の中にある過去のデータを崇めてるって事じゃないか。そんなの……」
「わたしはそれを誇りに思っています。だから、いいんです。……里の皆が、嫌いになりましたか?」
「違うよ。俺たちは皆が大好きだよ。この里も好きなんだ。でも……」
「ありがとう。……よかった。あなたたちは、とても優しいのですね。わたしも皆が大好きなんです」
そう言って柔らかく微笑むダルクモンの顔は、哀しいほどに彫像とよく似ていた。
「……だけど、せめてあなたたちだけは……これからもわたしを、わたしの名前で呼んでいて」
◆ ◆ ◆
陽はすっかり昇りきり、日差しは穏やかに空気を暖めていた。
そんな中、二人は暗い顔をしながら帰路につく。
途中、友人らに「遊ばないか」と声をかけられたが、そんな気分にはなれなかった。
「──ひとつ、思い出したことがあるんだ」
ガルルモンは、背中のコロナモンに語りかけた。
「前に別の場所で聞いた、毒の話だ。……あるデジモンが自分を犠牲にして、皆を守ったって。あれは……ダルクモンと同じ立場のデジモンの事だったんだな」
「……そんな話だったね。でもダルクモンは犠牲になるわけじゃないんでしょ? ダルクモンの前のデジモンだって、鎧や兜だけ使ったなら……大丈夫、きっとダルクモンは犠牲になんてならないよ」
「それでもやっぱり、ダルクモンに全てを委ねる形は嫌なんだ。自分のデータをあげるなんて、成熟期の彼女が無理にやっていい事じゃない。……僕にも、彼女にできる事があればいいのに」
「……それは、俺も思うよ。俺だって……ガルルモンと同じ成熟期なら、もっとできることもあるのにって思う。何かあっても、ガルルモンとダルクモンとで、皆を守れるんじゃないかって。
ふと、改めて思う。毒の脅威が語り継がれていたにも関わらず、里の出身で成熟期なのはダルクモンただ一人。有事の際に備えた訓練も無く、幼年期や成長期達が修行する姿も見た事がない。
コロナモンは旅をしていても成長期のままなので、あまり他者の事は言えないのだが────それでも里の平穏さに対する違和感は拭えなかった。
「ダルクモンがいるから……安心しきって、強くなろうとしなかったんだろう。……でも、いざ毒が出てパニックになった時……外のデジモンが襲ってくるかもわからない。僕は、正直不安だよ」
「……なあガルルモン。ダルクモンは本当に、あれで良いのかな」
「わからない。……彼女はとても優しいから、だからきっと、受け入れる事に抵抗はなかったんだと思う」
コロナモンは、聖堂のある方角に目をやった。
「でも俺、ダルクモンは寂しかったんじゃないかなって思うんだ」
「……」
里の長。里を守る為の存在。遠い過去の大英雄。
住民はそういう認識でダルクモンを崇めている。それは良くも悪くも、彼らと彼女が対等ではないという事を明確にしている。
皆がいるのに、ひとりぼっち。……それはどんなに寂しい事だろう。
始めから「二人」だったコロナモンとガルルモンには、ひとりきりである事の寂しさがわからない。
ガルルモンは、悔しそうに歯を食いしばった。
◆ ◆ ◆
聖堂の間で、一人。
天使は祈りを捧げていた。
未だに成熟期である自分。
かつての自分には到底至らない、その未熟さに。不安にならない筈がなかった。
──こんなわたしに、世界を救えというの。
デジタルワールドを救うなど、今の自分には途方も無い話。
ならばせめて、この小さな「世界」だけでも──同胞だけは、何としてでも守らなければ。
悲しみも寂しさも不安も、皆の希望である自分は抱くべきではない。わかっている。
それでもダルクモンは、唯一の心のよりどころである──母に、『私』に、ただ頭を垂れて願い続けた。
◆ ◆ ◆
音を立てる事もなく、世界が揺らぐ。
数日後。
薄暗い空に太陽が昇る。
ゆっくりと、ゆっくりと。世界に光を注いでいく。
──それはまるで、血を零したような暁だった。
◆ ◆ ◆
「おかしいなぁ……」
聖堂の中の一室。
首を傾げながら、ダルクモンが電話機をじっと見つめていた。今朝からどうにも、里の外部と連絡を取ることが出来ないのだ。
彼女は外部の聖獣型デジモンに、今夜の洗礼の手伝いを頼んでいた。集合時刻になっても来ないので連絡しようと思ったのだが……何度かけても通じない。
「留守……それとも故障?」
ダルクモンは頭を抱える。今日の今日で急に留守にする筈も無いから、恐らく後者だろう。
そうなると、大変だ。急いで電話機を直さなくては。……この里に修理が出来るデジモンなんていたかしら。考えてみるが思い当たる節がなかった。
洗礼を行うにあたり、民への加護を強固にする為にも神聖デジモンの協力は必要不可欠なのだ。
幼年期達も、ウイルス種の民さえ守れる程の力を。加護を。皆を守り切る儀式にしなければ意味がない。同胞の為にも妥協する事は許されない。
「……そうだわ」
なら、直接迎えに行けばいいじゃないか。
ああ、それならガルルモンに乗せていってもらおう。足の速い彼ならば、きっとすぐに辿り着ける。
◆ ◆ ◆
「ダルクモンと里の外へ?」
「コロナモン、だから、天使様だってば」
ガルルモンは広場に寄り、野球をして遊ぶコロナモンに外出する旨を伝えた。
「やったじゃん、ガルルモン」
「茶化すなコロナモン。そうじゃなくて、訪ねたいデジモンがいるんだって」
「ガルルモーン、いいなあ。天使様とお散歩だー」
「洗礼までには帰ってくるでしょー?」
「いってらっしゃーい!」
寄って来る幼年期たちに、そしてコロナモンに「行ってきます」と言って、ガルルモンは駆けて行った。
「あれ、ガルルモンどこ行くんだろう。門ってあっちの方向じゃないよね?」
「コロナモン知らなかったっけ? あっちにも門があるんだよ。聖堂と同じで、天使様しか開けられないけど」
「そうなんだ。じゃあ、門番とかもいらないんだね」
「そのとーり! それに、こっちはベアモンがいるから大丈夫だねー」
「ねー」
「……」
黒い水の災厄が近づいているという話が、公にされてしばらく経つ。
しかし里の危機感の無さは相変わらずだった。コロナモンは少しだけ、心配になる。
すると──
「ねえ、あそこにいるのベアモンじゃない? どうしたんだろう」
一人が声を上げ、指差した。
門番を任されていた筈のベアモンが、お腹を押さえながらやって来る。
「ベアモーン! どーしたのー?」
「お、お腹、痛くなっちゃってー……!」
仲間の呼びかけに、ベアモンは青い顔で手を振った。
「大丈夫―?」
「うん……多分。お家帰って休んでくるね……。門番はゴブリモンに代ってもらってるから、大丈夫……」
苦笑しながら、そう言ってベアモンはトボトボと歩いていった。
「……。……本当に大丈夫かな。俺が門番した方が……」
「平気だって。それにコロナモンはゴブリモンより小さいから、敵が来たらやられちゃうよー」
「それに今日は天使様の洗礼もあるし、ベアモンもきっとすぐ良くなるよ! ほらコロナモン。ボール投げるぞー」
コロナモンは慌てて木の棒を握った。放物線を描くボールに狙いを定め、勢いよく腕を振る。
カキーン、と清々しい音を立て、ボールは遠くまで飛んで行ってしまった。
「あー! ばかコロナモンお前……森の方まで行っちゃったじゃないかー!」
「ご、ごめん!」
ボールが飛んで行ったのは、広場から離れた森の中。足場が悪く、普段はほとんど誰も寄りつかない場所だ。
「俺、取りに行ってくるから! 皆は続けててー! まだボールあるよね?」
「えーっ、ひとりで平気!?」
「これでも探検は慣れてるからー!」
大声で返事をしつつ、コロナモンは自信ありげに森へと走って行った。
──が、森は予想以上に広かった。
「……見つからない……」
大分時間をかけて探したが、見つからない。
ボールを探すついでにゴブリモンの様子も見に行こうと思っていたのだが……気付けば来た道もわからなくなって、それどころではなくなっていた。
「……帰れない……」
このままでは日が暮れてしまう。どうしたものかと、コロナモンは悩んだ。
ガルルモン達は夜までに必ず戻って来る。自分がここにいる事は皆が知っている筈だから、きっと探しに来てくれるだろう。……すぐに見つけてくれる筈だ。ガルルモンは、とても鼻が利くのだから。
それまでになんとか、とりあえずボールだけでも見つけよう。コロナモンは、更に森の奥へと歩いて行った。
──その頃、里で一体何が起こっていたかなど。
後に偶然抜け道を見つけ、森から出さえしなければ────知ってしまう事などなかったのに。
◆ ◆ ◆
「ガルルモンは、人間の世界に興味がありますか?」
里から離れた場所へ駆けて行く。
途中、背に乗ったダルクモンが突然そんな事を言い出した。
「人間の?」
「ええ。リアルワールドに」
「……そうだね。知らない場所に行くのは好きだから」
「今から行く所は聖獣型の子がいる集落なのですが……彼らは今回の厄災に備えて、人間の世界に逃げ込む事にしたんですって」
「へえ、そんな手段もあるなんて驚きだ」
「黒い水は次元を超えられないようなんです。だから確かに、リアルワールドに行くのは安心できる手段なのだけど……次元を越える時、体に大きな負担がかかってしまうとも聞きます。理想的ですが、里の皆が耐えられるかどうか……」
「それじゃあ最終手段だ。せっかく逃げても、向こうで死んだら意味がない」
「ええ、まったくその通りです」
「……毒の事とか関係なく、考えていいって言われたら……ダルクモンは、人間の世界に行ってみたいかい? この里を、抜け出して」
「──……」
ダルクモンは、気まずそうな顔をした。
「……正直に言うと、少しだけ」
「うん」
「広い世界に、冒険に出てみたいって……思った事がないとは、言えなくて。里の皆には絶対、言えませんけど……」
「……いつもそうやって、もっと正直になってくれていいのに」
自分の事は棚に上げて何を言うんだ、と。コロナモンがいたら言われそうだ。
「いつか……毒の件が終わって、次元も安全に越えられるようになったら、一緒に人間の世界に行ってみよう」
「……え?」
「コロナモンも連れて、三人で。少しくらい大丈夫さ。里の皆もきっとわかってくれるよ。……リアルワールドが難しければ、デジタルワールドだっていい。この世界にだってまだ、知らない場所がたくさん広がってるんだから」
「……そうですね。ええ、一緒に行きましょう。きっととても楽しいわ……」
嬉しそうに微笑むダルクモンに、ガルルモンははにかんだ。
「……ダルクモン。僕は……──その」
「あ、見えてきましたよ!」
ガルルモンの声を偶然遮ってしまった事にも、彼の苦い顔にも気付くことなく、ダルクモンは進行方向を指差した。
「……何だ、これは……!?」
辿り着いたのは、黄土色の石で造られた集落。
聖獣型デジモンが仲間達と穏やかに暮らす、静かで小さな村。
────の、筈だった。
崩れ落ちた家屋のようなもの。
砕け散った櫓のようなもの。
辺りに点々と咲く、血液のデータ跡。
「ど、どうして……昨夜まで連絡、取れてたのに……」
「外部のデジモンに襲撃されたのかもしれない。この壊れ方は普通じゃない……!」
「……二手に分かれましょう! 誰か生き残っていないか探さなくては……!」
ダルクモンは慌てて飛び降り、駆け出そうとして──集落内の異常に気付く。
瓦礫のあちこちに付着している汚泥。
まだ、現れるには早すぎる筈の何か。
そして────遠くの空に
黒い、球体のようなものが
「────ガルルモン!」
ダルクモンが叫んだ。
「此処はダメです!! ──里に戻ります! 今すぐ!!」
「……人間界への扉は、聖なる力を持つデジモンなら……必要なものが揃えば開くことが出来る。だから、あの子はそれをしようとして……」
駆ける、駆ける。
同じ道を、来た時よりもずっと速く駆け戻る。
「それはわたしにも言えること。もう、一人ずつ洗礼をする時間はありません。身体への負担も……もはや天秤にかけられない! 里に毒が広がる前に、人間界へ全員を離脱させます!」
◆ ◆ ◆
お腹が痛い、と言って、後任の門番が代わりを頼みにやって来た。
解任された自分がやっても良いのだろうか。そうは思ったが、他の所へ頼みに行く余裕もなさそうなので、仕方ない。
……あー、でも。
いつも思うけど、暇なんだよな、これ。
門に寄り掛かり、日光浴気分。太陽が温かくて心地良い。
いつの間にか眠気が襲ってきて、おれは戦うことなくそいつに負けた。
────どれくらい、眠ってしまっていたのだろうか。
ガリガリと、何かをひっかくような音で目を覚ます。
「なんだあ? 誰かいるのか?」
音は、門の外側から聞こえて来たようだった。
よいしょ、と門を開ける。
見知らぬデジモンが立っていた。門にしがみ付きながら、苦しそうな声をあげている。
何かあったのか? ひどく具合が悪そうだ。……そうだ、天使様ならこいつを助けられかもしれない。
天使様は凄いんだ。里の者も外の者も皆、天使様が守ってくれる。だから、
「大丈夫か? 今、里の中に────」
手を伸ばす。
手を噛まれる。
何するんだ、こいつ。突き飛ばして、急いで門を閉じた。流石に、危ない奴を中に入れるわけにはいかない。
「……」
……なんだろう、酷く頭が痛む。後で天使様に診てもらおう。
悪寒がする。身体も痛い。風邪でも引いたのだろうか。後で天使様に、
あとで、天使様に、
天使様に、天使様に
天使様に天使様に天使様に天使様に天使様に天使様に天使様に天使様に天使様に天使様に天使様にてててててててて天使様ままままにににににに?
────あ、
あれ?
な、んか、腹が、────減っタ、ナぁ────あ、
あ、ぁ────ぁぁぁぁぁぁああああああアあアァアあアあああぁぁあああぁァ
ぁああ
◆ ◆ ◆
悲鳴を押し殺しながら、コロナモンは森の中を走っていた
抜け道のようなものを見つけ、森から抜け出したコロナモンが目にしたもの。
──それは空中に浮かぶ黒い球体。そして所々に転がっている黒い“何か”だった。
その“何か”は不規則に転がっている。不均等な大きさのゲル状の塊だ。原型はわからない。けれどどこか、その形には見覚えがあったのだ。
何故なら“何か”の近くには────見覚えのある野球用のグローブが、泥まみれになって落ちていたからだ。
なかなか戻らないコロナモンを心配し、森の近くで彼を待っていた成長期デジモン達。
散らばる黒い塊の正体が「彼ら」だと気付いた瞬間、コロナモンは全速力で森へと引き返していた。森の方が安全だと、本能が叫んでいる。
遠くから聞こえてくる悲鳴。聞き覚えのある声。聞こえないふりをして、走り続ける。擦りむいた手足の痛みなど気にならない程、必死に。
──どうして。
何が起こったのかがわからない。どうしていいのかわからない。どこへ逃げたら助かるのかも、わからない。
ガサガサと近くの木が揺れる。風で揺れているわけではない。──もう、こんな場所まで追いつかれたというのか。
「だ……誰! 誰だ!」
たまらずに声を上げる。すると
「……──あ、」
木の陰から出て来たのは、ゴブリモンだった。
黒い泥にまみれた彼は、首を傾け笑っている。
「……ゴブリモン……」
返事の代わりに、ゴブリモンの口から黒い液体が溢れ出る。
「……どうして……」
変わり果てた仲間の姿に愕然とした。もう逃げ出す力さえ無い程、コロナモンの精神は疲弊していたのだ。
ゴブリモンは何かを呟きながら、ゆっくりとコロナモンのもとへと歩み寄って来る。そして、

「────フォックスファイアーッ!!」
森に響き渡る遠吠え。
目の前のゴブリモンが、青い炎に包まれた。
「コロナモン!!」
炎を纏ったゴブリモンが倒れてくる寸前、ガルルモンがコロナモンを咥えて走り出す。
コロナモンはダルクモンの手に掴まり、ガルルモンの背に飛び移った。
「……ガルルモン……っガルルモン!!」
「よかった! 本当に間に合ってよかった……!!」
ガルルモンはそう言いながら、目尻に涙を浮かべていた。
──ガルルモンとダルクモンが戻った時、里には既に毒が蔓延し出していた。
ゴブリモンをはじめとするするウイルス種は欲望のままに暴れ、同胞達を喰らっていた。
食われずに済んだデジモン達も黒い水を浴びて、その殆どが溶けるように命を落とした。
元々、成熟期までのデジモンしか里には存在していない。加えて里の無防備な造りが災いした。家屋や洞窟に逃げたところで、毒や汚染されたデジモンからは逃げられない。
里の中でも唯一、施錠する事で籠城できたかもしれない聖堂も──ダルクモンがいなければ開けられなかった。
ダルクモン達は此処に来るまで、生き残りを拾っていこうと決めていたが、現状はあまりに絶望的。
里の様子を隈なく見回ったものの────生き残りを見つけたのは、コロナモンで最初だったと言う。
「コロナモン……! 生きていてくれてありがとう……!」
ダルクモンの顔は涙で濡れていた。
同胞を心から愛していた彼女にとって、今の里の光景は、どんな地獄よりもその心を苦しめた事だろう。
「……ダルクモン。皆は……ゴブリモンはどうして……」
「……ごめんなさいコロナモン。わたしが、ずっと里にいれば、こんな事には」
「ねえ、ねえダルクモン……これが毒なの? だって毒は、もっと先だって……洗礼も今日やるんだって、言ってたのに」
「……コロナモン。ダルクモンを責めないで」
「違う! 責めたいんじゃない。そうじゃない! でも……! ……俺たち、さっきまで……普通に、遊んで……」
現実を、受け入れる事ができなかった。 けれどそれは、目の前の二人も同じだ。決して受け入れられない。受け入れたくもない。どうして、こんな事に。
「……これからどうする? ダルクモン」
ガルルモンは、冷静さを保とうと必死だった。
「……──わたしは」
絶望と悲しみに満ちた顔で、口にする。
「聖堂に、向かいます」
──それは、人間界への逃亡を決行するという意思。目の前の仲間を確実に生かすべく、他の生き残りの捜索をこれ以上継続しないという決定。
ダルクモンとしてではなく、里の長として。何よりも辛い決断だった。
◆ ◆ ◆
里の外では、黒い水が浅い海を作っていた。
空には黒い球状の塊が浮かび、破裂し──流れ出た黒い水は、天使の里の中を沈めようとする。
高台の聖堂に三人は逃げ込んだ。聖堂の周りにも、既にいくつも黒い球が浮かんでいた。
「────僕らがコロナモンを見つける前のことだ。ひとつ、あの毒でわかったことがある」
「……わかったこと?」
「あの黒い水、僕の炎で攻撃したら……少しだけ動きが止まったんだ。それで何度も助かって……」
「……じゃあ、もし水に襲われたら、俺たちの炎で止められるってこと?」
「多分、そうなる。だから考えがあるんだ」
「……何をするつもりですか、ガルルモン」
「祭壇の間にまで黒い水が来たらいけない。ゲートが開いても、出られなくちゃ意味がない。だから、もし黒い水が来るようなら……扉の前で少しでも動きを」
「それではあなたが危険です!」
「……お……俺も、やるよ……!」
「コロナモン! あなたまで……!」
「俺だって、ガルルモンと一緒で炎が使えるんだ。まだ成長期だけど、それでも……俺だって、ガルルモンと戦える!
……ダルクモンの言ってた通りだ。あの黒い水……水よりも、泥みたいだった。だからきっと、俺たちの炎で焼き焦がせるよ」
コロナモンは、真っ直ぐにダルクモンを見つめる。
「それに……命を助けてくれた親友が、家族が……命をかけて戦おうとしているのに。何もしないなんてできない」
「……コロナモン……。……」
ダルクモンは、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。今すぐゲートの準備に取り掛かります。急ぐから……お願い。どうか死なないで。ゲートが開いたら、絶対にすぐ切り上げて戻ると約束して下さい」
ダルクモンは祭壇の前に立つと、一冊の書物を取り出す。先代から受け継いだものの一つだ。
「────わたしが『私』から受け継いだ、リアライズゲートへの鍵……」
書物を開く。書き込まれた呪文を唱える。そして最後のページに、聖なる力を宿したダルクモンの血液を垂らす。
すると書物は光を放つ。段々と、その姿を変形させていった。
──その時、背後から大きな音がした。ダルクモンしか開けれられない聖堂の扉を、黒い水が水圧で押し破ったのだ。
「……っ、もう来たのか……!」
「コロナモン! 僕が先にアイスウォールで壁を作る。君の炎で一緒に攻撃してくれ!」
二人は祭壇の間を出た。礼拝堂前の廊下へ向かい、そのまま攻撃態勢に入る。
祭壇の間では、光り出した書物が白い球体へと変化を遂げていた。
ダルクモンは恐る恐る触れる。指先から、光の内部構造が頭の中に流れ込む。──この光に彼女の力を注ぐで、正式なゲートに変化するようだ。
……だとすれば少し、時間がかかるかもしれない。焦りと不安に、ダルクモンは下唇を噛んだ。
「もう少しだけ時間がかかります! 大丈夫!?」
「今は、まだ平気だ! ──アイスウォール!!」
「コロナフレイム!!」
礼拝堂から漏れ出した黒い水を止めるべく、コロナモンとガルルモンが技を放っていた。氷の壁が黒い水の侵入を阻み、亀裂から溢れた毒をコロナモンが焼き払う。
「……早く……わたし、早く……!」
────まだだ。まだ変化が起きない。
早くしなければ。二人は命をかけて、戦ってくれているというのに。
同胞を守れなかった悲しみが、悔しさが、自責の念が渦を巻く。けれどそれらを振り切って、今はただ目の前の事──このゲートを開いて、二人を人間の世界に逃がすことだけを考えなければ。
結局、自分の「世界」すら守れなかった。今のダルクモンにとって、生き残った二人が希望そのものだった。
自分にとっての希望。かけがえのない救い。……今になってようやく、同胞達が抱いていた気持ちを、知る事が出来た気がする。
光の球体が更に形状を変化させる。白い光を包むように、翡翠色の光の帯がその姿を現した。────ゲートが開く合図である。
「ゲートが開きます!! 二人とも戻って!!」
ダルクモンが、戦っている二人に叫んだ。
「コロナモン先に行け! ギリギリまで僕が食い止める!」
「でも、ガルルモン……!」
「早く! 大丈夫、僕のが足は速いんだ!」
「……わかった!」
「コロナモンこちらへ! 急いで!」
一体どこから湧いてくるのか、聖堂を囲んで浮かぶ球体は次々に破裂し、中へと押し寄せてくる。
とうとう白い外壁さえも覆い、まるで聖堂そのものを、押し潰さんとする勢いであった。
「……っ!!」
──この境地さえ、乗り切ることが出来たなら。自分達は逃げられる。
ダルクモンは気を焦らせ、走って来るコロナモンを待つ。ゲートが安定するまで、自分が離れるわけにはいかない──
「────え?」
その時。
空に雲がかかったのか。ふと、ステンドグラスから廊下に差し込む光が消えた。
徐々に薄暗くなる廊下。
ステンドグラスの外側に付着している────黒い、何かが
「コロナモン!!!」
ガルルモンの叫び声に、硝子が軋む音が混ざる。
ひび割れたステンドグラスは、コロナモンの真上で煌めいていた。
「コロナモン走って! 走って!!」
「あ……あ、あぁ……っ」
コロナモンの足はすくんでしまって動かない。ダルクモンはコロナモンのもとへ走り出す。
ガルルモンも走り出した。コロナモンを咥えて走り抜けようとしたが、
「……! しまった……!」
氷の壁を割って流れ込んだ黒い水が足に付着し、皮膚が焼かれた。皮膚を床に残して、それでもガルルモンは駆けていく。
──その瞬間、
「────あ────」
ぱりん。
小さな音を立てて、ガラスの一部が割れ落ちた。
そして、
「ああ……ああぁぁぁああぁぁああッツ!!!!」
それを合図とするかのように、ステンドグラスが一斉に弾け飛んだ。
◆ ◆ ◆
足が言うことを聞かない。
動いてくれない。
身体が、動いてくれない。
突然大きな音がした。
ガラスの割れる音。誰かの叫ぶ声と、自分の叫び声。沢山音が重なって、何が何だかわからない。
ステンドグラスの七色の破片が、キラキラと美しく光る。キラキラとドロドロが一緒になって降り注いでくる。
けれど身体を動かすことが出来ない。身を庇う体勢すら取れず、目を閉じることさえ出来なかった。
その時だ。ふと、視界が急に暗くなった。
何が起こったのか、わからない。
ただ、何かが自分の上に覆いかぶさったということだけしか。
見覚えのある白銀の身体が黒く染まってゆく様子を、呆然と眺める。
────誰かの叫ぶ声が、聞こえた気がした。
◆ ◆ ◆
天使の里を静寂が包む。
沢山の死体が溶ける大地を、美しい満月が見つめている。
◆ ◆ ◆
黒い水に呑まれた聖堂は、その至る所が黒く変色した。
美しい白色を保っているのは、祭壇の間で微笑む天使像。そしてその傍に浮かぶ、リアライズゲートだけ。
祭壇の間と礼拝堂とを繋ぐ長い廊下。凍りついた黒い水。焼け焦げた黒い毒。
先程の喧騒は嘘のように静まり返った、月明かり差し込む廊下。
その途中。自分のすぐ目の前で、「彼ら」が倒れている。
黒い水とガラスの破片を全身に浴びたガルルモン。
毒を浴びる事は免れたものの、床に広がるそれに触れ意識を奪われたコロナモン。
「……」
ダルクモンは虚ろな瞳で二人を見下ろしていた。
廊下をよろめきながら歩く。膝をついて座りこむ。どうやらそこには黒い水が垂れていたらしい。触れた部分の皮膚が焼ける。けれど、そんなことはどうでもよかった。
──どうして。
どうして、こんなことになってしまっているの。
────わたしは
「……どうして……」
全てを捧げた。生まれてからずっと、今日までずっと、愛する者達の為に。
少しのエゴだって無い。本当に、純粋な気持ちで。
それなのに。
「……何が、いけなかったって、いうの」
願いの果てに、絶望しか残らない。────なんて、残酷な仕打ち。
「────ダ、ルク……」
その時、声が聞こえた。ガルルモンが薄く眼を開け、必死に自分を探そうとしている。
「……! ガルルモン……生きていたの……!」
「……こ……コロナモン、は……」
そう言われて、ハッとする。これ程の怪我を負ったガルルモンが生きているということは──コロナモンもまだ生きているのではないか?
ダルクモンは急いで二人の側へ寄り、彼の胸の下に倒れたコロナモンを抱き上げた。
──温かかった。息も、微かだが感じられた。
「……大丈夫! コロナモンも大丈夫……! 毒にも、少しだけしか触れてないから、まだ助けられます……!」
「……良かった」
ガルルモンは、本当に安心したように、微笑む。
「黒い、水が……次元を……越えられない、なら、──まだ、間に合う……」
「ええ、行きましょう! 今すぐに、あなたも一緒に……!」
「……、……──僕、は……いかな、いよ……」
「────え?」
「わかって、いるから。もう……もたない、から。だから──」
その言葉に、ダルクモンの両の目から涙が溢れる。溢れて、零れて、止まらない。
「そんな事ない!! きっと大丈夫だから……! だって、一緒に行こうって……あなたは言ったもの……!」
けれど、現実。
傷口から直接、黒い水が体内に入り込んでしまっては──もう助からない。今こうして話せている事が奇跡なのだ。
それをガルルモンは知っている。気付いている。……ダルクモンも、どこかで理解していた。
ガルルモンは助からない。
そして──このまま次元を越えたとして、衰弱したコロナモンが助かる保証も無い。
「────」
ならば、どうする?
見捨てていくというのか。
見殺しにしろというのか。
里の皆、同胞達のように。
助けを請うように祭壇見上げる。
天使の像は微笑んだまま、何も言わない。
……しかし、天使の像を見つめているうちに──ダルクモンは一つの考えを抱く。
「……そうだ。洗礼……」
二人だけなら、そう時間もかからない筈だ。
データの一部を分け与え、毒への耐性を生んで────どれほどデータを与えれば、二人はちゃんと助かるだろうか?
考える。
……──いや。
考えるまでも、ない事だ。
ダルクモンは腰に差した二本の剣を取り外した。そのうち一本を粒子化させ、コロナモンに与える。
僅かに呼吸が整ったコロナモンを、ガルルモンの側へと寝かせた。
そして
「……私、────わたしは」
もう一つの剣を、鞘から抜き出し
「わたしの世界を守るから。だから────」
そのまま、自らの身体を貫いた。
◆ ◆ ◆
身体を覆う温かさに、目を覚ます。
まだ僕は、生きているようだ。────自分のしぶとさに、我ながら驚いた。
目の前にはダルクモンがいた。やわらかな笑みを浮かべながら、僕の頭をずっと撫でている。
恥ずかしいなぁと思いつつも、嬉しかった。
傍らに、あたたかいものを感じる。目だけを動かすと、そこにはコロナモンがいた。きちんと呼吸をしている。……良かった。僕は、相棒を守り抜くことが出来たんだ。
ダルクモンにお礼を言おうとして、顔をあげる。
さっきまで息をするのも苦しかったのに、簡単に頭を動かせたのは何故だろう。気付けば、身体の痛みも大分消えている。
これはどういうことだろう。ダルクモンの顔を見る。彼女は嬉しそうに、ずっと僕を見つめている。
よく見ると、ダルクモンの周りには、金色に輝く光がたくさん、漂っていた。
────そこでようやく、僕は笑顔の意味に気付く。
「ダルクモン……──まさか、君は」
「……ごめんなさい。でも、これしかなかったから」
ダルクモンの身体が、足の先から、粒子になって消えていく。
「どこまで浄化出来るか、わからないけど……あなたたちの中に、直接送り込んでいるから、きっと大丈夫……」
「……どうして……。……どうして……!! やめてくれ、君が犠牲になる理由なんて、どこにも……!」
ダルクモンは真っ直ぐにガルルモンを見て、言った。
「それは……わたしが、私だからよ」
周りから言われたのではない、ダルクモンが本心から口にした言葉だった。
「私が、天使になるからよ……」
だから、ガルルモンは何も言えない。
彼が最も望まなかったことだとしても────悩み、葛藤した末の彼女の決断を、否定することなど出来ない。
……けれど、ただ、悔しくて。ガルルモンは涙を流すしかなかった。
「────ガルルモン」
泣かないで。
そう言ってガルルモンを、そっと、包み込むように抱きしめる。
「……ありがとう。あなたはとても優しくて……わたしは……あなたのことが、大好きだった…………」
そして、最期にもう一つ。心に抱いていた想いを口にして。
──本当に嬉しそうに、微笑みながら。
ダルクモンは眠りにつくように、ゆっくりとその目を閉じた。

◆ ◆ ◆
煌々とした月明かりが、砕けたステンドグラスから差し込む。
照らされた壁は白く、そのどこにも黒い液体は付着していない。
粒子化したダルクモンのデータは里を包み込み、黒い水のほとんどを浄化した。皮肉にもこの時になって、秘めていた英雄の力が発揮されたのである。
ゲル状になっていた民の死体も浄化され、データの粒子となって散って行った。
今────この里には、異郷から来た二体のデジモンしかいない。
「……コロナモン」
祭壇の間。天使の彫像が、ガルルモンに微笑みかけている。
「……この悪夢が終わって、記憶を取り戻して……全てを終わらせたら、またここに戻ってこよう」
「……。……違うよ、ガルルモン。帰って来るんだ。ここには……」
コロナモンはガルルモンの背中を抱きしめる。決してはぐれてしまわないよう、しっかりとしがみ付いている。
「……そうだな。……その通りだ」
光の中へ、足を踏み入れた。
リアライズゲートが二人を迎える。あたたかな光で空間ごと包み込み────そして、消えた。
◆ ◆ ◆
町はずれの廃墟の前に、二人の子供が立っている。
「……ねえ蒼太、私、やっぱり入りたくない……」
同じ程の背丈の少年と少女。少女は少年の後ろに隠れ、恐怖に身を震わせていた。
「………なら、花那。俺だけで行ってこようか?」
「だ、だめ、だめ。頼んだのは私だもん。ちゃんと行く。こんな場所で待つのも嫌だし……」
「なら行こう。早くしないと夜になっちゃうよ。真っ暗になったら危ないし、もっと怖いだろ」
「あああ待って! やっぱり怖い……って、ギャーッ!!」
廃墟を見上げた少女が叫んだ。
「ば、ばか! いきなりでかい声出すなよ! どうしたのさ?」
「そそっ……蒼太、あれ! おばけ……!」
背中にしがみ付く少女に呆れながら、少年は少女の指す方を見た。
廃墟の四階。右奥に位置する部屋が、電気をつけたように明るく光っている。
……うん、待てよ?
電気なんか通ってない筈なのに、なんで明るいんだ、あそこ。
第一話 終
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登場人物イラスト&あとがき
3年ぶりのリマインド投稿です!!!
しつこいと言われてもめげない。
自分の作品をいつまでも大切に宣伝していくスタイル。
組実と申します。お世話になっております。
ただ本作の始まりを思い出していただく(コピペ投稿)のみでは忍びないので、
挿絵を増やしました。
夕焼け空はAIにお金払って描いてもらいました。いつもありがとう。
ゴブリモンごめんて。
そして同じ1話でも3年前の再投稿の後から更なる校正を経てちょっと読みやすくなっている……と思います。
さて、今年の5月に書籍版を頒布開始しました本作。同年9月に第2巻を、そして翌5月には3巻と4巻を同時頒布、最終巻を翌9月に発行予定です。
それまで生きていたい。どうぞよろしくお願いします。
また12月現在、大変ありがたい事に第1巻が品切れ中、現在2巻のみ通販しておりますが、再販して5月のデジコレには1~4巻耳を揃えてお持ち致します。是非遊びに来てください!もちろんこちらも通販も致します!
書籍版は書き下ろしの扉絵とか挿絵とかキャラの立絵が載っている&巻によって特典も付きますよ!(必死)
それではまたいつかお会いしましょう。
ありがとうございました!!!