◆ ◆ ◆ ◆ ◆
────声が聞こえる。
それは、ようやく訪れた雨止みに歓喜する声。
それは、甚大な被害を受けた故郷に悲哀する声。
それは、仲間の生死を知る為に名を呼び合う声。
たくさんの声が混ざり合い、晴れ渡る空へと消えて行く。
*The End of Prayers*
第三十七話
「帰還」
◆ ◆ ◆
────聖堂内深部、大礼拝堂。
自然光が照らす堂内は薄暗く、やたら湿度の高い空気に満たされていた。
ステンドグラス越しに民衆の声が聞こえてくる。けれどそれは遠く小さく、背景音楽にさえ成れない環境音。響くより先に静寂へ吸い込まれ、消えて行く。
そこには誰もいなかった。神官も信徒も子羊も、誰もいない空っぽの礼拝堂。
そこに光が現れた。誰が祈ったわけでもないのに、突然。その光は現れたのだ。
光の中から現れたのは、いずれ第三者から「英雄」と称されるデジモン達。
誰に迎えられる事も無く、彼らは拠点としていた都市へと帰還した。
「────」
光が消えると同時に、静けさの中にいくつかの溜息が漏れた。
誰もが疲れ切った様子で堂内を眺める。
側廊には物言わぬ天使の彫像。大理石の身廊。列を成す木製の長椅子。そうして、自分達以外は此処に居ない事を認識する。
連れて帰った“妹”は、未だ兄の腕で眠ったままだ。
「──さっき、言えなかったの」
そう、最初に口を開いたのはカノンだった。
主祭壇の前で、内陣に佇むアポロモンとメルクリモンを見上げて。
「ありがとう。あの子の事、助けてくれて」
アポロモンとメルクリモンは思わず苦い顔をする。それはカノンの琥珀色の瞳に、水晶のイリデッセンスが浮かぶのを見たから──という理由だけではない。
……この少女は、あの存在を「あの子」と呼ぶのか。
「……どういたしまして、とは……言えないよ。俺達は、結果的にそうなっただけで」
「ええ、それでも」
バラ窓とクリアストリーから差し込む光が、少女と祭壇を美しく照らしている。
その様は、最後に見たイグドラシルの姿とよく似ていて──現実から酷く浮いているように思えた。
『……あの、……カノンさん。身体……』
その異質さを、アポロモン達の中の子供達も感じ取っている。花那の語尾を小さくさせながら、「大丈夫なんですか?」と少女に尋ねた。
「いいえ。……こんなに成っても生きてるの、不思議よね」
カノンは少しだけ、寂しそうに笑った。
「「……」」
────彼女は、成れの果てだ。
この電脳世界の影響を受けすぎた、人間の成れの果て。
身体は肉体ではなくなり、けれど完全に電脳化したわけでもない。酷く曖昧で儚い存在。
それはかつて、未春や子供達が辿ろうとしていた運命の先でもある。
あの子は、そうなる前に力尽きてしまったけれど。
「だけど、あなた達だって」
そして今────蒼太と花那も、カノンと同じ道を辿ろうとしていた。
電脳化した状態で究極体へ至り、擬似核と電脳核の転移にも巻き込まれた。その負荷による影響は、もう無視できない程膨れ上がっている。
カノンのように成るか、未春のように果てるかは、分からないが。
『……わかってます。私も、……蒼太も、多分』
『……』
『不思議なんです。触れない筈なのに私、メルクリモンのこと触れるんです。でも動くと、一緒になることもあって……』
「……お化けになったみたい?」
『……怖いのは苦手です。まぁここじゃ、オバケもデジモンなんですけど』
なんとか笑ってみせたが、誰も自分の顔を見られないと気付く。
──大事な友達の中にいるのに、何故かとても寂しくなった。
「無理したのね。無理して、こんなになるまで頑張ったのね」
『……俺たちが、自分で決めたんです』
だから後悔は無いのだと、二人は胸を張って言い切れる。嘘でも、見栄でもない。
──とは言え、恐怖はあった。
元に戻れなくなるかもしれない、帰れなくなるかもしれない不安。
この声さえ、いつか誰にも届かなくなるかもしれない恐怖。それは拭えない。
彼らと一緒にいたいのは事実だ。一緒に生きていたいのは本音だ。
けれどそれは、二人の隣に立って、背に乗って世界を駆け回って──そういう事なのだ。一体化したまま彼らの中へ溶けていく事ではない。
当人達も少女も、それは理解している。
『やれるだけ、やってみます』
蒼太は言った。一握の可能性を信じて。
『だから……──そんな顔しないでよ。ウィッチモン』
彼の言葉に、アポロモンとメルクリモンが驚いて顔を上げる。
身廊の端、薄暗い影の中──赤いドレスの彼女が、悲痛な顔のまま佇んでいた。
『こっち来なよ。そんな暗い所にいないでさ』
『ねえ、ウィッチモン……手、どうしちゃったの……』
彼女の腕から先はほぼ崩れていた。──が、本人はそれを気に留める様子もない。
ただ、俯きながら身廊を進む。自責の念に全身を潰されそうになる。
そして──画面越しではない、オリンポスの二柱を目の前に、
「──荘厳ですね」
息を呑む。思わずそんな言葉が出た。
リアルワールドで出会った、あのコロナモンとガルルモンが──こんなにも立派な姿になるなんて。
「……。……そうだろう?」
メルクリモンはわざとらしく、おどけたように言ってみせた。
「皆のおかげで、僕達はこの姿になれたんだ。……凄く、誇らしいよ」
ウィッチモンは堪らず目を伏せた。
──目線を落とせば、そこにはアポロモンの腕の中。今朝見送った仲間が眠っている。
蛇の頭部を模した兜。透き通る蛇の瞳が、自分を見つめているような気がした。
「……そうだ、紹介しないとね。この子は俺達の──」
「知っていマス」
全て終わった。各々の役目も、願いも、戦いも果たされた。
だから────彼らに全てを隠し続ける必要は、もう無い。
「ワタクシとユズコは、……ヴァルキリモンの事だって」
それに、彼らが記憶を取り戻したかどうかなんて。
ミネルヴァモンを大切に抱く姿を見れば、聞かずとも分かる。
「……だから……もっと上手く、できたかもしれないと……ワタクシは」
アポロモンとメルクリモンは──「ああ、そうか」と、目を閉じた。
未春と同じ顔の少女が、ミネルヴァモンだったなら。
彼女にずっと寄り添っていた、彼はやはり──
「──……。俺達は……多分、遅かれ早かれこうなった。でもきっと、これが最善だったんだって、思うよ」
「ありがとう。ミネルヴァと、ヴァルキリモンと、一緒に居てくれて」
「──……ッ」
ウィッチモンの肩が震える。両目から、涙が溢れた。
「──ウィッチモン! 連れて来たよ!」
その時。柚子の声と共に、扉口が勢い良く開かれる。
彼女のすぐ後ろには、再会を待ち望んだ仲間達の姿があった。そして──
「なあ見てよ! ホーリーエンジェモンさんたち来てくれたんだ! オレのこと治してくれたんだよ!」
「花那ちゃんと矢車くんが戻るの、手伝ってくれるって! 遅くなっちゃってごめんね……!」
駆け付けたのは、ホーリーエンジェモンを含む三体の天使達。
──帰還したアポロモン達の姿に、大天使は目を見張った。
「……──英雄達……。貴殿方は、……オリンポスの」
言葉を失う彼の側で、手鞠と誠司は笑顔を浮かべている。
友人達が無事に戻って来た──それをわかっていても、再会できた事があまりに嬉しい。
「チューモンたちが言ってた通りだ……カノンさんもちゃんと戻れてる! ねえチューモン、良かったね!」
「──……ああ、そうだね」
だが、チューモンとユキアグモンの表情はひどく曇っていた。……先にウィッチモンが合流していたにも関わらず、仲間達がまだ分離されていない。
隣でホーリーエンジェモンが青ざめているのも、目の前に究極体がいるからなんて理由ではないだろう。
「──ペガスモン、大聖堂の周囲全て封鎖するよう天使達に伝えよ。民の誰一人として此処に入れるな」
「……畏まりました。大天使様」
「エンジェモン、この場で彼らの処置を行う。聖水を出来る限り汲んで来なさい。私の手持ちでは恐らく足りない」
「承知した兄上。──選らばれし子らと我らが英雄に、どうか加護あらんことを」
忙しなく動き出す天使達。気付けば身廊を駆け出していた柚子。……そんな彼らの姿に、誠司と手鞠は困惑する。
「え……そーちゃんたち、洗礼室って所に連れてくんじゃ……」
「彼等をこれ以上動かすのは危険だ。──先ずは手当てをしなければ……」
白いローブが揺れる。柚子の後を追うように、足早に祭壇へ向かった。
「……みちるさん……みちるさん!!」
柚子は息を切らせながら、アポロモンの前で膝を付く。
記憶の中の溌剌とした笑顔とは程遠い──壊れてしまいそうな儚い寝顔。掴んだ手は、驚く程に軽かった。
「亜空間の魔女よ、彼らの損壊状況は?」
「──損傷率はアポロモン五十九、メルクリモン六十二、ミネルヴァモンが八十三パーセント。いずれも電脳核の欠損は見られまセン」
「分離する二名は三十パーセントまで下げよう」
ホーリーエンジェモンはその手に聖剣を取る。
自らをロードさせる気だと──察したメルクリモンが慌てて制止した。
「やめてくれ。貴方の犠牲を僕らは望まない」
「それは無論、私にもまだ都市を守る責務がある。……しかしこの身は貴方達の遠き同胞、熾天使が後身。ならば少しでも役に立てる筈だ」
彼はそう言って、刃に自身の掌を押し付ける。
裂けた皮膚から溢れていくデータの光。それを三本の小瓶に凝縮させた。
「一本ずつ飲まれよ。残りはオリンポスの蛇姫へ」
『待って、ウィッチモンにもあげて! 腕、こんなになってるの……』
「いいえ。……ワタクシの事など……貴女達に、比べたら」
どうという事はないのだと、ウィッチモンは頑なに受け取ろうとしなかった。
「……柚子。──俺達の妹を頼む」
「……!! うん……ッ」
ミネルヴァモンがそっと、兄の腕から長椅子に寝かせられる。
柚子は彼女の上半身を起こし、僅かに開いた口へ瓶の中身を流し込んだ。
──それを見ていた、誠司と手鞠は
「……なあ、宮古さん。……山吹さん、さっき……何て言った?」
彼女が発した一言が、胸に引っ掛かって離れない。
「どういう事だよ……なんで、おねーさん……。……いやでも、あれ普通にデジモン……」
「……わ、わかんないよ。……まさか、みちるさんがデジモンだったって……」
「そんな訳……」
────嫌な、予感がした。
「……じゃあ、じゃあさ。もし本当に……そこにいるのが、おねーさんなら……──管制室にいたのって」
誠司の口の中がみるみる乾いていく。
管制室で救えなかった、あの白いデジモンの姿を、声を思い出して────暑い筈なのに、寒気と震えが止まらなくなった。
「な……何だ、よぅ……」
隣にいるパートナーも、誰も、どうして否定してくれないのだろう。
「……何か言ってよ、なぁ……山吹さん!」
礼拝堂に声が響く。
柚子はただ目を伏せ、「ごめんね」と言った。
「何で謝るんだよ……何で、おにーさんとおねーさん、ここにいないんだよ!」
「ぜーじ。……ぎぃ、落ち着いで……」
「だってユキアグモン! ──なぁ、ユキアグモンとチューモンは、いつから気付いて……」
「……おでたちも……ちゃんとは、わがらなかっだよ」
「……あの白い奴は、何となくだ。何となくそう感じただけ。声とか、喋り方とかさ」
「────ッ」
白亜の彼は戻らない。
自分達は皆、全員が無事に戻って来たと思っていたのに、そう思いたかったのに。
「……こんなのって無いよ。……これで、そーちゃんと村崎まで戻らなかったら……もうどうしたらいいか分かんねーよぉ……ッ!!」
隣では手鞠が、真っ青な顔で立ち尽くしている。ユキアグモンは黙って、二人の手をそっと握った。
「──アポロモンとメルクリモンの損傷率、三十一パーセントまで低下しまシタ」
「及第点だ。選ばれし子供たちの分離を執り行う」
ホーリーエンジェモンは白いローブから硝子瓶を取り出した。
それを、二柱に渡す。──先程のより細やかな装飾で、どこか古めかしい材質の小瓶。浅瀬の水面の様に透き通る液体が入っていた。
「そちらの少年の応急処置にも使った聖水だ。子供達の“実体”としての輪郭が、僅かだが明晰になるだろう。──我が祖セラフィモンらが、未来に遺したものだ」
「……。……これを……あの時、連れて来た子供達にも?」
アポロモンの問いに、ホーリーエンジェモンは静かに頷く。
「祖が残した記憶通りなら」
一秒でも長く、子供達をデジタルワールドに留める為。
三大天使達は研鑽し作り上げ、自身らのパートナーに飲ませていたという。
「それでも……護れなかったが」
「……パートナーの記憶はあるのか?」
「いいや。……名前も顔も、少女だったのか、少年だったのかさえ。私への記録としては残されていない。……セラフィモンは何故、その記憶を遺さなかったのだろうな。大切なものだった筈なのに」
「……」
彼らは、子供達を連れ去ったのがロイヤルナイツであった事を知らない。
死に追いやったのが騎士達だと知らない。あの日、天の塔で倒れていた子供達の姿を知らない。
──子供達の肉体を限界まで使い潰したのが、自分達を含む全員である事も、きっと。
「……。……貰うよ、ありがとう」
アポロモンはそう言って、躊躇わずに聖水を飲み干した。メルクリモンも続く。
「君も飲みなさい。美しいヒトの子」
ホーリーエンジェモンはカノンにも瓶を渡そうとしたが、ベルゼブモンが奪い取ってしまった。得体の知れないものを飲ませたくないようだ。
カノンは「いいのよ」とベルゼブモンを宥めるものの、瓶を受け取ろうとはしない。
「この子達にあげて。私は後でいいから」
「しかし……」
「だって私、それだけの量じゃきっと変わらない。だから後でいいわ」
「……──そうか。……君は後程、しっかりと治療をしよう」
ベルゼブモンは半ば押し付けるように瓶を渡す。アポロモンとメルクリモンは苦笑しながら、半分ずつ飲んだ。
「分離処置に移りマス。……お二方、ワタクシの腕を掴んで下サイ」
ウィッチモンは半壊した腕を差し出す。
力を込めれば、それだけで肩まで砕けてしまいそうな腕。アポロモンとメルクリモンは、恐る恐る触れ、優しく握った。
「──走査開始。ソウタとカナの状態を確認」
二柱の中へ干渉を始める。
すると手鞠と誠司が駆け寄って来て、必死の様相でウィッチモンの裾を掴んだ。
「お願いウィッチモン! 花那ちゃんたち大丈夫だよね……!? ちゃんと戻るよね!?」
「だって、だってさ! 時間オーバーしたって……そんな長くなかったじゃんか……!」
「離れな二人共! そんな事して失敗させたらどうすんだい!」
二人を慌てて追いかけ、チューモンとユキアグモンが引き離す。
ああ、気持ちは痛い程わかるとも。ウィッチモンが頼みの綱なら、自分達だって縋りたい。
ウィッチモンは何も言わなかった。仲間達の声は聞こえていたが、意識は既に二柱の内へ向けられていた。
「────」
アポロモンとメルクリモン。電脳生命体の中に、蒼太と花那の存在を確認する。
まだパートナーの中に“溶けて”はいないようだ。聖水の影響か、実体としての輪郭もきちんと捉えられる。
……ここまでは順調だ。
後は──手鞠と誠司をそうしたように、一体化した子供達の意識体を、パートナーという電子の海から引き揚げればいい。そのまま実体化が出来れば、蒼太と花那は人間として生還できる。
「……──」
──だが。
ウィッチモンはそこで手を止めた。そして腕を下ろしたのだ。
すぐに不穏さを感じ取った、ホーリーエンジェモンが自身の胸に手を当てた。
「足りなければ我が翼を、四肢を捧げよう。彼らの身を聖水に浸す事だって」
「いいえ。……もう、その段階ではありまセン」
二柱との接続が、切られた。
「──分離は、出来まショウ。けれど実体化ができない。今剥がせば、ソウタとカナはデータのまま霧散します」
蒼太と花那は既に──自身の存在を実体として保つことができない、電脳体からの実体化に耐えられない状態だった。
パートナーと引き剥がした時点で、データの塵となって消えていく。──かつて未春が、ミネルヴァモンの腕の中で散ったように。
『……、……そ、っか』
花那の声は震えていた。
『でも……まだ、全部ダメって訳じゃないし……ねえ?』
自身に言い聞かせるように、仲間達へ同意を求めた。
「「────」」
アポロモンとメルクリモンは言葉を失う。
……どこかでそんな予感を、抱いていなかったと言えば嘘だ。
二人共、自分達のパートナーが特別な人間だと思っていない。どこにでもいる平凡な、けれどとてもやさしい子たち。だからこそ耐え切れなかったのだろう。
しかしいざ現実を突きつけられると──簡単に受け入れる事など到底、出来なかった。
「……。……僕達は……また──」
パートナーを守れない。
今度こそ一緒に生きて、笑って、帰してあげたかったのに。
ごめんねと抱き締めたくても、大切な彼らは自分達の中。
自分からは触れる事すらできなかった。
「──何諦めようとしてんのさ。死ぬってんなら、意地でも他の方法考えるしかないだろ!」
チューモンはアポロモンの肩に飛び乗ると、金色の鬣を思い切り引っ張った。
「……チューモン、痛いよ……」
「何だいこの程度で情けない。──ウチは嫌だよ。蒼太も、花那も、アンタ達も。このまま終わるなんて最悪だ!」
チューモンは憤る。誰かに対してではない。ただ、この理不尽な状況に。
仲間達はこんなにも頑張った。世界だって救ってみせたのだ。──せめて終わりくらい、笑顔で迎えて何が悪いと言うのか。
「ねえ天使様。何か方法、見づがるまで……たくさんお水のめば、そーだとがな大丈夫?」
「……ああ。少なくともしばらくは、彼らの中で分解はするまい」
「なら……おでたち一緒に、いっぱい考えるから」
ユキアグモンはメルクリモンを見上げ、両手を伸ばす。
「みんな、一緒にいるがらね」
「──ッ……、……ありがとう……」
メルクリモンは膝を着く。ユキアグモンは彼の膝によじ登ると、震える大きな肩にそっと、抱き着いた。
◆ ◆ ◆
次回いよいよ最終話か……どうも、夏P(ナッピー)です。
二人が最初に廃ビルに忍び込んだシーンもあり、いやマジで遠くに来たな(物語的にもリアルな年月的にも)と感慨深くなりましたが、あの義体を散々描写してきたのはこのエンディングの為だったとは唸らされました。しかし文字通り血沸き肉躍る戦いは終わり、大団円のエピローグかと思いきやなんでこんなハラハラさせられるんだ。ウィッチモンは胃痛に加えてよく脳味噌まで焼き切れなかったなというぐらいの功労者でしたが、子供達全員の力が無ければここまで来れなかったし、最後も皆の思いが無ければ蒼太と花那は帰ってこれなかった。あと天使の皆さんは当たり前のように羽と四肢を捧げようとするのやめて。
ネプトゥーンモン様、アイツは一人生き残ってしまった存在でしたがようやく救いが……これはズルい。ミネルヴァモンもそうですが、主役二匹がオリンポスであったことの意義はここだけでもあったと言える。
レオモン生きてた!!
それでは最終話、お待ちしております。
作者あとがき
皆様こんにちはこんばんは! エンプレ第37話、お読み下さりありがとうございました! 天の塔での戦いが終わり、無事に帰還した一行に待っていた現実……今回はそんなお話でした。 起承転結なら結の、所謂エピローグと呼ばれるパートです。このエンプレもついにそこまでやってきましたね。 血も肉も飛ばないけれど(多少の流血はノーカンです!)、これも1つの戦いでした。作戦が長引いた代償は思ったより大きかった。 柚子とウィッチモンがめちゃくちゃ隠してしたブギーモンの事もやっと言えましたね。とは言えやっぱり全部を正直には言えない。仲間の為の嘘は難しい。 今回のサブタイトルは、蒼太と花那、コロナモンとガルルモン、それぞれの帰還を指しています。 蒼太と花那に関してはどちらかというと死からの再生に近いのですが(木箱は棺、聖水は海と羊水)。なんとか復活。とりあえずちゃんと固形物が食べられる身体にはなってる筈です。 そしてようやく旅をして、コロナモンとガルルモンはミネルヴァモンを連れてネプトゥーンモンのもとへ。 ネプトゥーンモンにとっては完全に二人は死んだと思っていたし、ミネルヴァモンも自分の所には戻らないと思っていたのでサプライズもいいところ。 ちなみにエンプレのオリンポス十二神の家族図としては ネプトゥーンモン>マルスモン>メルクリモン>アポロモン=ディアナモン(双子)>ミネルヴァモン といった感じです。ミネルヴァは末っ子。ネプトゥーンモンは長男ポジション。お兄ちゃん寂しかった!
そんなエピローグ、今回はその1です。 次回はエピローグその2。予定では次回が最終話となります!! 子供達とデジモン達の旅の終わりを、どうぞあと少し、見届けていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 それではまた次回! ありがとうございました!
◆ ◆ ◆
──荒野を駆ける。
大切な人達と共に、晴れ渡るデジタルワールドを駆け抜ける。
「揺れ、大丈夫?」
ガルルモンが問うと、彼が引く幌馬車から「平気だよ」と声が聞こえた。振り向けば三人の──蒼太と花那と、そしてコロナモンの笑顔がある。
それを見てガルルモンは、安心したように前を向いた。
──クッションが敷かれた床板には、ミネルヴァモンが眠っている。ホーリーエンジェモンのデータを分けてもらったが、未だ目覚める様子は無い。
もう蒼太ひとりでも運べる程、彼女の身体は軽くなってしまっていた。コロナモンが時折、頬を撫でて──生きている事を確かめる。
「少し、暑いね」
花那が幌から顔を覗かせた。
照りつける眩しい日射に目を細める。──デジタルワールドも、本当なら夏だったのだろうか。
広く、広く、続いていく赤土の荒野。雄大な景色の中に生命の気配は無い。
まだ残る透明な雨の雫が、散らばる宝石のように光っていて綺麗だった。
温く湿った風が、心地良く頬を撫でていく。
「……」
毒が無くなった世界で、パートナーと旅をする────それは、蒼太と花那が夢にまで見た時間。ずっと、こうしたいと願っていた。
旅とは言っても、放浪のそれではない。彼らの行き先は決まっている。
だからこれは、そこに辿り着くまでの僅かな夢。嬉しさと物悲しさを含んだ、夢の旅だ。
けれど──
「「……」」
──雨が上がったデジタルワールドには今、どれだけの命が生きているだろう。どれだけの命が消えていったのだろう。
考えたくない、それでも考えなくてはいけない。幌の外にはそんな現実が広がっていた。
透明な水溜まりの中、黒く染み付いた毒の跡が混ざっているのを──無視する事は出来なかった。
「……アンドロモンさんたち、大丈夫かなあ」
蒼太がぽつりと呟く。
彼らが今、この青空を眺めている事を心から願って。
「ガルルモン」
荒野の先に大きな川を見つけた頃。
コロナモンは馬車から出ると、ガルルモンの背に飛び移った。
「これを越えたら、もうすぐだ」
「……そうだね」
──やり残した事があった。
それを遂げる為に、四人は都市を発ったのだ。仲間達に感謝を伝えて直ぐ、必ず戻るからと言い残して。
メルクリモンならすぐに着いたのだろうが、究極体になるまでは力が戻らなかった。
しかし幸い、各地に設置したワープポイントがまだ機能していた。おかげで目的地までの時間はかなり短縮できている。──天使達に任された浄化活動が、こんな所で実を結んだのは意外だった。
「……間に合いそう?」
不安げに尋ねる花那に、コロナモンは「多分」と振り返る。
「予感ってわけじゃ、ないんだけど」
そう言って指差した先──段々と幅を広げていく川の下流は穏やかだった。澄んだ川面が、風に波立ちながら輝いている。
デジタルワールドを満たす水は、まだこんなにも美しい。
だからきっと間に合うと、コロナモンとガルルモンは前を向いた。──川の先に広がる、海を目指して。
◆ ◆ ◆
──白い砂に飾られた海岸線。
風が鳴る波打ち際に、多くの海洋性デジモン達が集まっている。
彼らの中心にはネプトゥーンモンがいた。まるで、打ち上げられた魚の様に倒れていた。
崩れた鱗鎧の深い青は砂と混ざり、シーグラスのように煌めく。周囲のデジモン達が、泣きながらそれをかき集めている。
──毒の雨が降り続けた中。彼は結界を張り巡らせ、毒から世界を護り続けた。
それは一時的なものであったし、何より世界中全てに手が届いたわけではない。それでも──ネプトゥーンモンに課せられた代償は、大きかった。
生命は維持しているが、もう自力では動けない。顔の向きを変えるだけで精一杯だ。
海洋性デジモン達は懸命に自らのデータを捧げたり、力を合わせて彼を海へ連れて行こうとした。集めた鎧の欠片を、必死に彼へ戻そうとしていた。
「……無理しなくていい。それで皆が死んだら元も子もないんだ」
「ネプトゥーンモン様……。皆、貴方に救われました。貴方が護って下さったから……今、この命と世界がある」
「せめて、せめて貴方の海へ。海の底の神殿へ。ネプトゥーンモン様の安らげる場所まで──」
「……そのうち自分で戻るさ。それに──」
ネプトゥーンモンは、遠く晴れ渡る空を見上げた。
「こうして世界を眺めるのも、悪くない」
陽光に照らされた浜辺。輝く海面。
毒で失った──いや、深海に籠り自ら遠ざけていた風景。目にしたのはいつぶりだろう。
懐かしくて泣きそうになる。
──見せてあげたかった。もう遠く離れてしまった、大切な皆に。
「……! ネプトゥーンモン様、誰かこちらに……」
同胞達がどよめく中、砂を踏む音が聞こえてくる。
かつてのパートナーを思い出すような、小さな足が砂を踏む音だ。
警戒する群れを牽制する。ネプトゥーンモンは静かに海を見つめながら、その「誰か」が来るのを待った。
「……ネプトゥーンモンさん!」
覚えのある少年の声。
ネプトゥーンモンは僅かに顔を振り向かせた。──そこにいたのは、深海神殿で出会った子供達。
驚いた、と口を開く。
「まさか、君達が来るとは」
わざわざこんな場所まで、遠かっただろうに。
「……友達はどうした?」
ふと、二人しかいない事に疑問を抱いた。
「ここには……私たちだけ来ました」
そう答えた少女の表情は、彼らの仲間も無事である事を物語っていた。どうやら杞憂だったらしい。
──この子供達は、ちゃんとリアルワールドに帰れそうだ。そう思うと、嬉しかった。
「見てくれ」
ネプトゥーンモンにつられ、蒼太と花那は振り向く。
「空が青い。私の海と同じ色だ」
視界が一面の青色に染まる。
とても美しい、空を映す大海原。
「私の結界だけでは、時間の問題だった。きっと取り戻せなかった。
だからこれは、君達のおかげだ。──と、思っているが」
「……俺たちだけの、力じゃないです」
「まあ、それはな」
細かく言えばそうなのだろう。
それでも、せっかくなのだから胸を張ればいいのに。
「良ければ聞かせてくれないか? 君達が、どんな戦いをしてきたのか」
「それは……もちろです。でも、俺たちからじゃない方がいいかも……」
「?」
ネプトゥーンモンは首を傾げる。
蒼太が理由を言いあぐねていると、花那が突然「あ!」と声を上げた。
「ねえ、待っててネプトゥーンモンさん。すぐ戻るから!」
そのまま砂浜を駆け戻っていく。
ネプトゥーンモンはまた、何事かと驚いた。──けれど思わず笑みが溢れる。子供達が元気そうで、何よりだ。
「こっち! 早く早く!」
少女の声より先、遠くからガタガタと音が聞こえてくる。……木製の車輪だろうか。砂にはまったのか、途中で止まった。
それに気付いて少年も駆け出した。──視界から見えなくなる。それから何かを話す声が聞こえてきて、砂を踏む足音が入れ替わった。
数は同じく二つ。──ああ、これは
「……やっぱり、君達か」
程無くして──コロナモンとガルルモンが、ネプトゥーンモンの前に現れた。
「あの子達を見ていて、そうだろうとは思っていたが……無事で良かった」
すると、二人は黙ってネプトゥーンモンの側に座った。……ネプトゥーンモンは不思議に思う。この子らはどうして、今にも泣き出しそうな顔をしているのだろう。
「──そうか、疲れたんだな。少し休むといい。……なあ、私の海は綺麗だろう?」
コロナモンが小さく頷いた。ガルルモンは何かを堪えるように、じっと海を見つめている。
「──」
──穏やかな潮騒。湿った海風。
気付けば自分達だけになっていた。海のデジモン達は幌馬車を見て、桴を作る事を思い付いたらしい。ネプトゥーンモンを運ぶ為にと散開し、海岸沿いの木を探しに向かっていた。
「「……」」
デジモン達が木を伐る音がする。子供達と会話を交わす声が聞こえる。
それでも、自分達の周りは静かだった。──そう感じた。
「……。……あの」
「ん?」
「……その傷……」
コロナモンがようやく口を開く。
声を詰まらせる彼に、ネプトゥーンモンは「気にしないでくれ」と手を伸ばそうとするが──腕に力が入らなかった。
「……年甲斐もなく無理をしたらこの様だ。だが……究極体というのは存外、しぶといものだな」
冗談混じりに言ってみせるが、コロナモンとガルルモンは笑わなかった。いっそ笑い飛ばして欲しかったのだがと、ネプトゥーンモンは苦笑する。
あの子供達は幌馬車に戻ったまま。
どうやら、此の場所に来ているのは彼らだけらしい。
「……」
────“ ちゃんと伝えたかったの。お別れ。”
海の底で言われた、「妹」の言葉を思い出す。
何を期待したのだろう。自分が恥ずかしくて堪らなくなった。
世界が元に戻っても、自分の現実は変わってくれない。起きてしまった事実は変わらない。
それを自覚して──ただただ、空しくなった。
「ああ。また……私だけ、生き残ってしまったなあ」
「────違うよ」
その時。
側にいた白銀の仔が、振り向いて。
「僕達がいるよ。──兄さん」
もう二度と、呼ばれる筈のない言葉を口にした。
「…………今……、何て……」
赤橙の仔が手に触れる。白銀の仔と二人、ネプトゥーンモンにデータを施して傷を癒す。
かつて自分が、弟妹達にしていたのと同じように。
懐かしくて遠い、あの日々のように。
「……──お前達は、──」
あの子供達が戻ってくる。
少年が背に担ぐ、ひどく見覚えのある誰かの姿。
アクアブルーの三つ編みが、風に揺れて──
「遅くなってごめんね」
「ただいま」
────腕を伸ばした。
入らない筈の力を、思い切り振り絞って。
────抱き寄せた。
コロナモンを、ガルルモンを。
必死に抱き留めて、必死に抱き締めて。もう二度と離すまいと誓うように。
大きな声を上げて、大粒の涙を零して泣いた。
第三十七話 終
◆ ◆ ◆
──天使達が大聖堂を封鎖してから、どれだけの時間が経っただろう。
英雄達を出迎えようと集まっていた民衆は、いつしか歓喜の声を上げなくなった。
雨が止んだ。それは選ばれし子供たちとパートナー達が、天での戦いを制した証。世界が救われた証。
なのに、誰も戻って来ないのだ。慌ただしく中へと入った、ホーリーエンジェモン達も出てこない。封鎖する天使達も何も言わない。
何が起きたのだろう。民衆に不安の色が見え始めた頃──そのうちの一人が声を上げた。
「──!! 大天使様が出てこられた!」
「天使様! 天使様!!」
「子供達は無事なのでしょうか! 同胞達は!?」
「彼らに会わせて! お礼を伝えたいのです!」
聖堂前の広場は一瞬にして大騒ぎとなる。
そんな民衆達を見渡しながら、ホーリーエンジェモンは顔を歪めた。
「……。……数が、減ったな」
「ええ、兄上。……けれど二割の犠牲で済んだ。八割が、救われました」
毒に溶けた都市にはもう、昨日までの輝きは無い。
海の結界が空を覆うまでの間に、自分達が失ったものは少なくなかった。
守れなかった区域があった。守れなかった民がいた。自分にもっと力があればと、どれだけ悔いて詫びても足りない。
──目の前に集まる民衆の中には、生き延びたものの毒に焼かれた者もいる。なのに自身を差し置いて、英雄達に会おうと待ち続けているのだ。
このままではいけない。ホーリーエンジェモンは、白いローブを揺らして前に出る。
「──我が愛しき民よ。毒の雨を生き抜いた同胞達よ。
デジタルワールドを救済された、我ら英雄達は無事に帰還した。我らの都市に戻って来た」
その言葉に、再びの歓声が沸き上がった。しかしホーリーエンジェモンは彼等を制するよう、片手を上げ──
「けれど英雄達の傷は深く、今は療養が必要である。彼らを迎える場は後日改めて設けよう。──それまでは傷付いた都市を、そうて自身を癒す事だ」
輝く翼をはためかせ、天使は説く。
純粋無垢な民衆は、その神々しさに目を輝かせた。──雨から都市を護ったホーリーエンジェモン達もまた、彼らにとっては救世主。その言葉に耳を傾けない者はいない。
「各々、胸の内にて英雄達を讃えよ。毒で失った遍く命に祈りを捧げよ。それこそが今、救われた我らに許された行いである」
「──動ける者は速やかに復旧作業に戻れ! 怪我をした者は留まらず、各地の教会に向かい治療を受けよ! 救われた命を決して無駄にするな!」
エンジェモンの号令と共に、天使達が広場へと集まった。そのまま民衆を解散させ、誘導していく。
やるべき事は山積みだ。都市の損害をそのままにはしておけない。この都市は今後、毒ではなく──外敵から民を守る為の要塞たり得なければならないのだから。
「天使達には外門付近と宿舎棟周囲のみ、警備に当たらせます」
「ああ。──できる事なら私も、宴と共に彼らの偉業を讃えたい所であったが」
「同感です。……しかし彼らも我らも、この状態では暫く難しいでしょう。
私も、先ずは各協会へ赴き、怪我人らの治癒に当たります」
「頼んだぞ。私は引き続き英雄達の治療を行う。……今度こそ……子供達を、リアルワールドへ帰してあげなければ」
遠い目をして呟く。ようやく取り戻した、本物の空を見上げて。
「……──兄上」
「何だ?」
「兄上の中のセラフィモンは、何か仰っていますか?」
「私が我が祖の言葉を聞いた事など、一度も無いよ」
「……。……私は彼の記録も、尊き意志も、何一つ受け継がれませんでした。……それでも……彼と、かつての英雄達の願いが、これでようやく遂げられたと思っています」
ホーリーエンジェモンは「ああ」と小さく微笑む。
「そうだな。……きっと」
セラフィモンは、オファニモンは、笑ってくれるだろうか。世界が救われた事に。美しく広がる青空に。名も知らぬ過去の子供達は、喜んでくれるだろうか。
死者の声は聞こえない。思いは汲み取れず、天啓のように降り注ぐ事もない。
だからこれは、生き残った者達のエゴでしかないのだ。一方的に、自分勝手に「そうあればいい」と思いたいだけ。
──だが、彼らはどうだろう。
あの日々から今日までを生き抜いた英雄達。彼らは何を感じ、何を思うのか。
当人達に尋ねるつもりはない。その資格が自分にあるとも思えない。
けれど──どうか彼らが、彼らこそが。
願いを果たして報われるように。彼らの世界が今度こそ救済されるように。
ホーリーエンジェモンは、静かに祈った。
◆ ◆ ◆
ペガスモンに連れられ、一行は身を隠すように聖堂から移動する。
天使達なりの配慮だった。外に出ればきっと、民衆から溢れんばかりの拍手喝采を浴びるだろう。それは確かに嬉しいのだが──生憎と全員、心身共に疲弊しきっている。
実際問題、都市も民もお祭り騒ぎが出来るような状態ではないのだ。諸々の事は、ある程度落ち着いてからの方が良いだろう。
今朝ぶりの宿舎棟は、毒で屋根が溶け落ちていた。
……他の建物も、こうなっているのだろうか。
「ウィッチモンとパートナーは後程、祭室までお越し下さい。腕を治療しますので」
ペガスモンは英雄達に深く頭を下げると、「では、自分はこれで」と踵を返した。
「ちょっと待ちな。ウチ腹減ったんだけど、食堂勝手に漁ってもいい?」
「ああ、それでしたら────」
「────ユキアグモン!!」
その時。叫ぶ声と共に、棟の玄関が勢い良く開けられる。
そこには民衆と同様、彼らの帰りを待ち望んでいた──ひとりのデジモンの姿があった。
「……! レオモン!!」
ユキアグモンが駆け出す。両手を広げて、レオモンの胸の中へと飛び込んだ。
「……ああ、ああ……! 帰って来てくれた……生きていてくれた……!」
「レオモンも……! 雨、いっぱい降っだのに……ちゃんと生ぎでる!!」
「大天使様らが守ってくださったのだ。私や皆はシェルターに隠れていた。……それでも雨が続けば全員、生き残れなかっただろうが……君達が、毒を終わらせてくれたから──」
ありがとう。そう言ってレオモンは顔を上げる。
子供達に、同胞達に、改めて感謝を伝えようとして──
「……ユキアグモン。……この子達しかいないのか?」
「え?」
──五人いた筈の子供達が、三人しかいない。
パートナーも同様だ。どこにも見当たらなかった。
まさか、と。レオモンの表情が一気に青ざめる。──が、手鞠とユキアグモンが慌てて彼の誤解を解いた。
「ぢがうのレオモン。いぎでる!」
「花那ちゃんたちも皆、ちゃんと無事です! ただ、えっと……まだ、やる事があるみたいで」
四人は、此処には戻らずに行ってしまったのだと言う。
「大丈夫なのか? あの子達だって怪我をしただろうに。癒してからでも……」
「はい。でも……きっと凄く、大切なことなんです」
引き留めたくなかった。事情は分からないし、友人達の身体は心配だけれど──それでも後悔させるより、何もかもやりきって欲しいと思ったのだ。
だから、背中を押した。
「それに今度は、ちゃんと戻って来てくれるって……オレたち信じてるから」
「レオモンさん。わたしたち、それまでここで待ってていいですか?」
子供達の顔付きは、この数時間で見違える程に変わっていた。
空の上で何があったのか。何を見たのか──地上にいた自分には想像もつかない。レオモンは、喉の奥が熱くなるのをぐっと堪えた。
「……もちろんだとも。……そうだ、新しい部屋を用意したんだ。案内しよう。いつもの部屋は毒にやられてしまって……」
「食堂は無事かい? 漁ろうと思ってたんだけど」
「幸い無事だったよ。君が漁らなくても、すぐ調理するから待っていてくれ。
────そうだ。あの黒い彼と、黄金の騎士殿は何処へ?」
彼らの分も用意しないと。
そう言ったレオモンに、ペガスモンは首を傾げた。
「ウイルス種の彼なら、パートナーの少女と既に祭室へ向かいましたよ。後程合流するでしょう。……あの騎士殿は見ていませんね。彼らの出立の後まではいらっしゃいましたが」
「……あれ? ウィッチモンと連絡取ってたんじゃないの? マグナモンさんから何かもらったって言ってたじゃん」
マグナモンさんはどこに行っちゃったんですか?
ブギーモンの分のご飯、持って帰ってあげないと。
何も知らない、知らせていない仲間達。
無垢な顔で見上げてくる彼らに、ウィッチモンは表情を変えなかった。
ただ、少しだけ黙って──それから大きく息を吸う。
「────二人は、」
「マグナモンさんは」
柚子が、言葉をかぶせた。
声を震わせないように、強く拳を握りながら。
「……何処に行ったか、分からないけど……。ブギーモンはお別れになっちゃったんだ。ごめんね、作戦のすぐ前で言えなかったの」
──違う。マグナモンはもういない。ブギーモンはとっくの前からもういない。
なのにスラスラと言葉が出てくるものだから、自分で自分に驚いた。
「でも私、あいつと仲直りできたんだよ」
並べていく嘘の中に、少しだけ本当を織り交ぜて。
唖然とする仲間達の顔を、これ以上曇らせないように。柚子はありったけの笑みを浮かべて見せた。
「あんな奴でも寂しいけど、ブギーモン最期、笑ってたからさ。良かったなーって!」
──とびきりの作り笑顔。
鏡で見たらきっと、酷く見覚えのある出来になっているのだろう。そう、柚子は思った。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
再び礼拝堂に戻ったエンジェモンは、がらりと変わった堂内の空気に目を丸くさせた。
あの亜空間の魔女も、目に力が戻っている。多少は事態が好転したのだろう。
「エンジェモン、丁度良い所に。──今、彼が持って来た分で足りるか?」
「ええ、それだけあれば十分かと。……この聖水があって良かッタ。分離後の飛散防止になりマスから」
祭壇の前には二つの木箱が用意されていた。
子供達の背丈よりも少し大きな直方体。聖具室から運ばれたそれらには、既に半分ほど聖水が溜まっていた。
ホーリーエンジェモンは、その上から更に水を注いでいく。やがて聖水で木箱が満たされると、ウィッチモンは子供達に顔を向けた。
「ユズコ、テマリ、セイジ。皆さんにお願いが」
「! 何でも言って! オレたちにできること、あるなら全部やるから!」
「補正用の生体因子が必要デス。……あなた達の皮膚か爪、もしくは血液を──彼等に提供して頂きたい」
マグナモンの最高傑作でさえ、消化器官の機能は不完全だった。
これは推測だが。当時の子供達は体内まで電脳化が進行し、情報を読み取る最中にエラーが生じたのだろう。
逆を言えば──電脳化が軽度な人間が一人でもいれば、それだけでエラー箇所を補正できる事になる。
幸い、亜空間で過ごしていた柚子がそれに該当した。肉体ベースを彼女の因子から、性別に由来する構造の違いを手鞠と誠司の因子から、それぞれ補正すれば問題ない筈だ。
「……わたし、花那ちゃんと血液型いっしょだよ! A型!」
「私も! それに爪だって皮膚だって、二人にあげるから!」
「お、オレだけO型……だけど、何とかなるよな!? ……そうだ髪の毛は!? 使えるなら全部持ってったって良い!」
必死の様相で自身の髪の毛を抜こうとする。蒼太が慌てて止めるが、誠司は本気だった。
「絶対に皆で、そーちゃんと村崎を元に戻すんだ! 死なせるもんか!!」
『……誠司……』
「採取した組織はこれに。零して無駄にしては大変だ」
と、ホーリーエンジェモンが用意したのは、二つの小さな黄金の杯。
そして彼の指示の元、エンジェモンが短剣を取り出した。──採取の為だ。痛みも少ない筈と分かっていても、子供達の顔には緊張が走る。
「待ちな。……この子達はウチらのパートナーだ。だからせめて、ウチがやる」
それにナイフの使い方なら、この中で自分が一番慣れているのだから。──そうして短剣はチューモンの手に渡った。自分の手で仲間を傷付けるとは思わなかったが、他の奴にされるよりはマシだった。
三人はまず、自身の髪を数本、毛根ごと引き抜く。チューモンが彼らの爪の先を少しだけ切り落とし──それから指先に、針で刺した程度の小さな傷をつけた。
丁寧に採取した血液が、そして肉体の情報達が、黄金の杯に納められる。
「少年の杯をアポロモンに、少女達の杯をメルクリモンに。オリンポス十二神の二柱へ捧ぐ」
ホーリーエンジェモンは杯に亜麻布をそっと被せ、手渡した。
「「……」」
杯を見つめながら、アポロモンとメルクリモンは思う。──ミネルヴァモンの義体にも、こうして未春の身体の一部が使われたのだろうか。
「……せめて……痛い思い、だけでも……してなかったら、いいんだけど」
メルクリモンは呟く。『そうだね』と、花那が答えた。
木箱を満たす聖水の水面は、光を反射し揺らめいている。
アポロモンとメルクリモンはそれぞれ側に膝を付き、覗き込んだ。──水鏡に映る自身の顔を見る。
遠き日と寸分違わない、けれど酷く疲れ切った顔。こんな顔を仲間達に見せていたのかと思うと、少しだけ恥ずかしい。
蒼太と花那は、この水の中で実体化されるのか。溺れてしまわないか心配になる。……いや、それよりも────これではまるで、棺のようじゃないか。
「──まずは基盤の造形を」
水面が波立ち、何も見えなくなった。義体の製造が開始される。
──第一段階だ。ウィッチモンは水瓶の材質を素に、二つの人形を構築した。
まだ雌雄さえ分かれていない、球体関節のビスクドール。
聖水の中に生まれ、音もなく沈んでいく。
無機質の人形に中身は無い。関節を繋ぐ紐さえ存在しない。
そんな空っぽのビスクドールに、「みちる」と「はるか」の情報を転写していく。何も無い中身に、人体の構成情報を埋め込んでいく。……あの二人の義体が、それぞれ男女の体で作られていたのは幸いした。
「三人の肉体情報で補正しマス。──杯を中へ」
アポロモンとメルクリモンは、黄金の杯を聖水の中へと沈める。
選ばれし子供たちの命の欠片が、人形へと溶けていった。
「生体因子、及び有機素材より生体適合性高分子を造形。──付加製造開始」
テクスチャではない皮膚を。ワイヤーフレームではない骨と神経を。
ボリュームメッシュではない肉と内臓を。光の粒子ではない血液を。
「──組織の構築……──接合、足場との接着……」
一層ずつ重ねるように、人形へ組み込んでいく。
「各臓器、生理機能を代替。自己修復機能の補助を──」
礼拝堂の空気は酷く張り詰めていた。経過していく時間の中で、仲間達はひたすらに成功を祈り続けた。
祭壇の少女は見守っている。仲間達の為に、必死に祈る彼らを見守っている。
「……いい子達ね」
無垢で素直で、優しくて。なんて素敵な子達だろう。
こんな彼らだから、想いの強い彼らだから、世界だって救えたのかもしれない。
「ねえベルゼブモン。あなた、いい子達に会えたわね」
「……。……」
男は少女を見つめたまま、何も言わない。
けれど少し遅れて────「そうだな」と、小さく頷いた。
「──、……──内部の構築が完了しまシタ。起動テストはできまセンが、理論上は起動する筈……」
こうして二つの人形は、子供達の肉体を維持するに値する「義体」に昇華した。
しかし外見上はまだ、ビスクドールと変わらない。蒼太と花那という半実体、半電脳体の移植がされる事が、義体起動のトリガーとなる。
「では────お二方。『二人』の手を」
「「……」」
アポロモンとメルクリモンは、水に沈む人形の手を握る。
……冷たくて硬い感触に、少しだけ不安になった。
接触による物理的接続が開始される。
触れた肌に感じる、静電気が走ったような小さな痛み。──どこか懐かしい痛み。
木箱の中に、光の繭が形成されていく。誠司と手鞠を分離した時と同様のものだ。
繭はそのまま義体達をを包み込んだ。パートナーと繋いだ手も、包帯の様に覆われた。
蒼太と花那にはまだ意識がある。
……緊張と不安、そして恐怖が、胸の中で混ざり合っていた。
「義体と回路の結合、異常なし。電脳体分離システムを起動──」
だが──それも、間もなくして
「──電脳体から実体への再変換。義体への同期を開始しマス!」
感情が輪郭を失い出した。蒼太と花那は、何か温かなものに包まれるような感覚を抱く。
自分達が、パートナーの中から離れていく。
『『────』』
ああ、どうか上手くいきますように。
どうかもう一度だけ────二人と一緒に、デジタルワールドを
『が、ガルルモン……』
名前を呼んだ。
「……花那……」
『手……離さないで……』
「……もちろんだ。絶対に、離さない」
義体の手を、ぎゅっと握り締める。
『……コロナモン』
「蒼太」
──少しだけ、眠たくなった。
「……──大丈夫だよ」
ぼやけていく意識の中で、アポロモンの優しい声を聞く。
身を任せるように、目を閉じた。
◆ ◆ ◆
────けたたましい、蝉の合唱が聞こえてくる。
瞼を開けると、夕陽の光が差し込んで目が眩んだ。
空は濁った橙赤色。果ては夜の色に染まりかけている。
“ああ、これは夢だ。”と、蒼太は思った。
だって雨上がりの空は美しい青色で、そもそもデジタルワールドに蝉の声が聞こえる筈もない。
だから──きっと、これは夢なのだろう。
「──蒼太」
呼ばれて振り向くと、隣には花那が立っていた。
自分の夢が作り上げた存在か、それとも自分と同様、夢に迷った本人なのかは分からない。
「ねえ、あれ見て」
花那は指を差す。その先には、見覚えのある古びた雑居ビル。
鉄骨造りの四階建て。テナントは全て撤収し、今はもう使われていない。なのに取り壊されないまま放置され、すっかり廃墟と化してしまった。
──どうして、こんな所にいるのだろう。
「……──そうだ。……宮古の、ランドセル……」
此処には、それを探しに来たんだった。
しかしどうしたものか。花那は怖がりだから、このお化け屋敷とは非常に相性が悪い。
でも、これは夢だから。
ランドセルを探さなくても、覚めればきっと元通り。そもそも中には無いかもしれない。
ああ、これは夢だから。
家に帰ってみても良いだろう。花那と一緒に、夢の中でだけでも家に帰って──きっと家族が、夕食を作って待っているから。
こんな時間までどこに行っていたのと、怒られて。
心配かけてごめんなさいと、謝って。
もしかしたら、もしかしたら、それが最後の会話になるかもしれないなら────いっそのこと。
「……」
──けれど。
やっぱり、中に入らなければ、いけないような気がして。
「行こう」
先にそう言ったのは花那だった。
蒼太は目を丸くする。目の前に差し出された手を、気付けば取って握っていた。
正面玄関は封鎖されているから、裏口へ回る。
途中、四階の右端の部屋を見上げてみた。──何も光ってはいなかった。
◆ ◆
一階のロビーはやたらと広くて、思ったよりも薄暗い。
動かないエレベーター。色褪せた窓。破かれたテナント募集の貼り紙。
歩く度に埃が舞って咽そうになる。薄暗くて視界も悪い。
早くしなければ。夜が来たら真っ暗になってしまう。
「──あ、……ごめん花那。懐中電灯、持ってない」
暗いまま進むなんて、花那を余計に怖がらせてしまう。申し訳ない気持ちになった。
だが──花那は何故だか、きょとんと目と瞬かせて、
「でも道、覚えてるでしょ?」
そんな事を言ってきた。
蒼太はまた、驚いた。──どうやら、彼女は夢ではないらしい。
◆ ◆
熱がこもったコンクリートの階段を、手を取りながら上がっていく。
いつか救えなかったツカイモンの──毒の染み痕を横目に見ながら。
中は静かだ。自分達の足音と、蝉の声しか聞こえてこない。
「懐かしいね」
お互いにそう言い合いながら、真っ直ぐに四階へ向かう。
階段を最後まで上がると、屋上への階段が目に入った。相変わらず鎖で閉鎖されていた。
階には一部屋。出入口もひとつだけ。そんな変な間取りだから、テナント達も去ってしまったのだろう。
奥に位置する硝子扉には、白い紙がびっしりと貼られている。──中は、見えない。
「──ここに」
あの日、この扉の向こうに。
「ここに、いたんだ。二人とも」
「……そうだね」
「…………ちょっと怖くなってきた。花那、これ一緒に開けない?」
「あれ、蒼太のが先に怖がるなんて珍しいねえ」
「……笑うなよー。それにホラーだから怖いんじゃねーし」
「ごめんごめん。分かってるよ」
「……。……それじゃ、開けるか」
「うん。会いに行こう、二人に」
取っ手にかけられる二つの手。蝶番が軋む音。
蝉の喝采を浴びながら、旅の始まりの扉を開ける。
────暗い廊下に、薄明かりが差し込んだ。
◆ ◆ ◆
────声を聞く。
「花那ちゃん! 矢車くん! がんばれ!!」
「元に戻れーっ!!」
「……お願い成功して。もうこれしか手がないの……!」
友人達の、声を。
「しっかり二人共! 絶対帰ってこい!!」
「おで、待っでるよ! だがら……!」
仲間達の、声を。
「「────蒼太! 花那!!」」
パートナーの、声を聞いた。
木箱を包む、光の亜麻布が弾け飛ぶ。
そして──大きく水が跳ねる音と共に、
「──ごほっ、ごほっ!!」
「っ……ハ──、はぁっ──、──ッ!!」
水の中から──蒼太と花那が飛び起きた。
鼻と口から入り込んだ水で思い切り咽る。気管に誤嚥した水を必死に吐き出した。
しかしそれは、二人が正常に生体反射を起こした証であり───
「────せ、……成功、……しまシタ。バイタルも異常ありまセン……!!」
義体が人間として機能している事を、示していた。
「そーちゃん!!」
ずぶ濡れの蒼太に誠司が抱き着く。蒼太も花那も、まだ意識がはっきりせず困惑していた。
……水で張り付いた服が冷たい。五感は触覚から取り戻したらしい。他はまだ、曖昧だ。
ぼやけた視界には、大泣きする誠司と手鞠がいた。安堵から腰を抜かす柚子がいた。チューモンとユキアグモンが、喜びながらウィッチモンに飛びついていた。
「ああウィッチモン! アンタ本当によくやったよ! ったくどいつもこいつも心配かけさせて……!」
「ぎぃー! そうだ、誰かタオルぢょうだい! 二人が風邪ひいぢゃう!」
「すぐに聖具室から持って来よう。エンジェモンはペガスモンに伝達を!」
心地良い賑やかな喧騒の中。段々と意識が輪郭を取り戻し──蒼太と花那はハッとする。
視界の中に二人がいない。大切なパートナーがいない。
物質化したばかりの心臓が、どくんと大きく音を立てた。
「な、なあ! 二人は──」
「────おかえり」
──その声は、自分の目線よりもずっと下から聞こえてきた。
「花那、蒼太」
その声は──自分の目線より、ずっと後ろから聞こえてきた。
手を握る赤橙色。頬を撫でる白銀色。
あたたかくて懐かしい、パートナーの──
「────コロナモン!! ガルルモン!!」
「私たち……──また、二人に……会いに来たよ……!」
手を伸ばして、抱き寄せた。
その温もりを肌で感じながら。回路が繋がる痛みを慈しみながら。
蒼太と花那は、コロナモンとガルルモンと出会う。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
程無くして、エンジェモンが水瓶を抱えながら礼拝堂に戻って来た。
礼拝堂内の暗鬱とした空気に言葉を失う。それからすぐに、想定されていた「儀式」が失敗したのだと察した。
何てことだ、と。心の中で口にする。
聖堂の外は今や歓喜に満ち、民衆は英雄達が姿を見せるのを待ち詫びている。
毒による被害は確かに甚大で、彼らを讃える余裕など本来は無い。けれど、それでも民衆は聖堂前に集まっていた。
──救われた側の者達は、あんなにも笑顔を浮かべているのに。
肝心の彼らが、救った者達が、この有様だなんて。
「エンジェモン、聖水をこちらへ。……君達も飲みなさい。多少なり電脳化の影響が残っているだろう。地下の洗礼室にはまだ多く貯蔵されているから」
「わたし、いらない……二人に全部あげてください! お願いだから皆を……助けて下さい……!」
泣き腫らした二人の子供達。暗く沈む二柱と亜空間の魔女。それを慰める仲間達も──あまりに痛々しくて、エンジェモンは見ていられなかった。
「……貴様は何も言わないのか、毒の。仲間達が悲しみに暮れているというのに」
「……。……俺が何か言えば、こいつらは戻るのか?」
黒い男は無表情のまま、目線を向ける事もなく答えた。
エンジェモンは思わず舌打ちしそうになったが、冷静さを取り戻して止める。
そのまま踵を返した。洗礼室へ聖水を汲みに戻る為だ。──去り際、俯くウィッチモンの肩に軽く手を置いて、
「──過ぎたる自責は傲慢になる。貴女はきっと全てを尽くしたのだから、せめて顔は上げると良い」
ウィッチモンは唇を噛んで、目を閉じた。
柚子はそんなパートナーの横顔を見つめ、名前を呼ぶ。……それ以外は、何と言ってあげるべきか分からなかった。
──もしあの時、タイマーが壊されていなかったとして。
それでもきっと蒼太と花那は、アポロモンとメルクリモンと戦う道を選んだのだと思う。
だが、やはり考えずにはいられないのだ。
一体どうすれば良かったのだろうと。どんな道を選べば、大事な人達がこんな悲しい思いをしなくて済んだのだろうと。
すると──
「その子、まだ起きないのね」
すぐ近くで声を聞き、柚子は驚いて顔を上げた。
「カノン、さん……」
「ちゃんと、逢えたかしら。……もう一度、会いたい人がいるって言ってたから」
「────」
……深くは聞いていなかったが、みちるは彼女の事を知っていたらしい。
しかしカノンの言葉は「みちる」ではなく、目の前の「ミネルヴァモン」を指している。柚子はボタンの掛け違いのような違和感を覚えた。
「……分かりません。……そうだといいな、とは……思いますけど。……どこかで、ミネルヴァモンと会ったんですか?」
「二回、会ったわ。学校の帰りに公園で。……それと、あの場所で」
カノンは、ポケットの中の音楽プレイヤーをスカート越しに触れる。
「中にいるあの子達も、この子みたいになれたらいいのにね」
柚子は目を丸くした。──なるほど。作戦中のいつかは分からないが──自分達の知らない所で、彼女達だけのやりとりがあったようだ。
ミネルヴァモンの事だ。きっと満面の笑顔で、おどけながらネタばらししたに違いない。
「……そうですね。……でも、きっと難しいです。だってみちるさんとワトソンさんは、マグナモンの義体があったから──」
それも特別な義体だから、リアルワールドでも分解せずに生きられたのだ。
──そう言おうとして、気付く。
「────義体……」
蒼太と花那も、そしてカノンも。
既に“まとも”でなくなった彼らは今──人間よりずっと、電脳生命体に近い状態に在る。
「……そうだよ。デジモンが義体を使って、リアルワールドで生きられたなら……──ねえウィッチモン! もしかしたら皆、戻れるかもしれないよ!」
柚子の言葉に皆、顔を上げた。
以前、マグナモンの贖罪で聞いた存在だ。蒼太とアポロモンが見た人形達──。
一方で天使達は首を傾げていた。エンジェモンは当然、ホーリーエンジェモンも、セラフィモンから受け継いだ記録にそんな単語は残っていない。
「──説明を頼めるか?」
「…………ただの人形デス。ロイヤルナイツが作り出した、……人間に擬態して、リアルワールドで暮らす為の」
回路を収集する為の隠れ蓑。──あくまで数あるうちの二体に限っては。
本来はただの器だ。奪った回路の移植先。イグドラシルと繋ぐ為の媒介。
だが──そこまでは彼に言うまい。きっと知らない方が良いだろうから。
『……あそこに埋まってたマネキン、確かに顔はリアルだったけど……』
『!? 私たちマネキンになっちゃうの!? でも、みちるさんたちは全然、マネキンじゃなかったよ……!?』
『……きっと作りが違うのかもしれない。俺たちが見たのと二人とじゃ……』
みちるも、はるかも、誰がどう見ても人間そのもの。人形らしさの欠片も無い。
だからこそ誰も気付かなかった。彼らが人間でないと見抜けなかった。
「──義体がどうやって作られたのか、俺達は知らない。それでもミネルヴァモンの義体は……あの顔は『ミハル』のだった。……あの子が成長したら、きっと『みちる』みたいになってたんだ」
埋まっていた人形達は皆、眠っていたけれど。
あの子は違う。見届ける事の叶わなかった未来の姿で、ちゃんと生きていた。
ヴァルキリモンだってそうだ。もし彼の姿も、かつての子供達のうち誰かがベースとなっていたなら──二人は義体のまま、幼い姿から青年中期まで成長した事になる。
「……僕は、可能性があるならそれに賭けたい。この子達がリアルワールドで、生きていける可能性を……」
勿論、二人の身体の事だ。義体を使うかどうかは本人達が決めるべきだろう。
蒼太と花那は戸惑う。……が、正直他に方法があるとは考えられない。時間が解決してくれるとも思わない。実際に「みちる」と「はるか」という成功例が存在する以上、メルクリモン言うように可能性はあるのだ。
ならば、と。二人が拒む理由は無かった。しかし──
「──手段そのものには賛成デス。媒介を用いた電脳体から物質体への強制変換……物理的な器に入れてしまえば霧散する事も無い」
それも今回はヒトからヒトへの回帰。デジモンが人間擬きに成るより、成功する可能性は高いだろう。
だが、それには人形ではなく、「完全な義体」の造形が不可欠となる。
彼らは成長し、年齢を重ねて年老いる。生殖をする可能だって。
故に。血も肉も神経も内臓も──消化器官や生殖器も。義体に搭載された全てが機能しなければならない。蒼太と花那が「人間」として生きられなければ、それは成功とは呼べないのだ。
──問題はそこだ。そもそもウィッチモンはマグナモンから、「二つの義体」の製造方法を継承していない。
一晩のうち、それも数時間という限られた時間の中。
騎士は自身の持つあらゆる知恵をウィッチモンに授けたとは言え、内訳には優先順位が存在する。当然、作戦に直結する内容が大半を占めていた。
「……ソウタ達が見たという義体……そのレベルのものであれば、ワタクシでも作り出せまショウ」
子供達の電脳化、実体への再変換。パートナーとの一体化と分離。
騎士から授かった技術を応用すれば、恐らく製造可能だ。──人間の容姿を貼り付け、肉の模倣物を埋め込んだだけの人形なら。
「しかしリアルワールドで生存し、成長する程の精度となると話は別デス。……現状、材料も製造工程も不明なまま……この状態ではとても作れない。
──デスので……時間が許すなら、義体に関する情報が残っていないか探して来マス」
「いや、探すってアンタ……あの塔にかい!? とっくに崩れてるのにどうやって……」
「記録自体が抹消されていなければ、瓦礫中にデータの残滓があるかもしれない。……幸い外部の結界も崩壊していマス。マグナモンの権限を使えば、ワタクシだけで侵入も──」
「────マグナモンの?」
その時。
呼ばれた騎士の名に、カノンが顔を上げた。
「貴女、マグナモンの力が使えるの?」
「……え、ええ。ほんの一部を譲り受けただけデスが……」
「じゃあ、きっとあの子と話せるわ。それでマグナモンの記録も見つけられる」
「……!? それはどういう……」
「だってイグドラシルは忘れない。あの子と子供達がやった事を、ひとつだって」
塔も騎士も、全てはイグドラシルが生み出したもの。イグドラシルへと還ったもの。
ならば騎士達が重ねた罪もまた、イグドラシルに保有されている筈だ。
少女の言葉は、つまりそういう事だった。ウィッチモンは愕然とする。
「……イグドラシルの中を覗き見ろと?」
「瓦礫の中を探すより、ずっと早いでしょう?」
「ロイヤルナイツでさえ、かの主への謁見には許可が必要と聞きマス。ワタクシでは最上層にさえ至れない」
「別に、行かなくたっていいの」
そう言うと、カノンは再び祭壇の前へ。
「……何をなさるつもり?」
「何もしない。私にはもう何もできない。けど────私を使って、何かする事なら」
「……! カノン──」
「大丈夫よベルゼブモン。いなくなったりしないから。……この人達に、助けてもらったお礼がしたいの」
差し込む光が、祭壇と少女を照らす。美しく照らしている。
「だから、貴女」
虹彩に浮かぶイリデッセンス。
差し伸べられた白い腕が、細い指が、ウィッチモンを手招いた。
「……!! ……──」
──その瞳に吸い込まれるように。
ワイズモンは祭壇へ導かれ、少女の前へ。
気付けば膝を着いていた。……授かったマグナモンの一部がそうさせているのだろうか。微量と言えど、ロイヤルナイツのデータは自分には身に余るものだったらしい。
言葉は出せず、無意識のうちに頭を垂れる。
赤い帽子が床に落ちて、露わになる額。
──そっと、母体の手の甲に触れた。
「────……ッ!?」
瞳の奥で火花が散る感覚。
意識が遠のき、けれど糸を手繰るように駆け抜けて──ウィッチモンはカノンを媒介に、イグドラシルと接続した。
「────あ、」
視界は既に切り替わっている。
画面越しに見ていた、水晶の群れとよく似た光景。光が数多に反射する海の中。
そこは高位の空間。最上層と同様、究極体レベルでなければ干渉できない場所。
にも関わらず成熟期の身で接続できたのは、目の前の「媒介」のお陰だろう。
この少女は一体、いつからこんなものに成り果てていたのか。。
『──嗚呼、クレニアムモン。貴殿は、我らは、何という事を』
自分のものではない、けれど覚えのある誰かの声。
溢れんばかりの懺悔。赦しを乞わず、けれど贖罪を望む声。
そして、その先に
《『────』》
身に覚えのない、声の様な音を聞いた。
直後。ウィッチモンの意識の中に、莫大な量の情報が流れ込む。
イグドラシルが保有する記録に触れたのだろう。──処理が追い付かず、頭が焼き切れそうになる。
「……ウィッチモン!」
無意識化で絶叫するウィッチモンに、柚子が駆け寄った。
蹲る彼女の背を抱いて、知識と運命の紋章を握り締める。
──紋章が輝き、光が彼女を包む。脳を抉る濁流が少しだけ穏やかになった。
「ウィッチモン、しっかり!」
「────、……──あ、……あぁ」
だが、止まらない。イグドラシルが抱え込む、沢山のおぞましい記憶と記録。
藻掻いて、進んで、やがてウィッチモンは辿り着いた。マグナモンの罪の証へ。
「──、──これ、は」
そこには、生きた人間から回路を抜き出す方法が在った。
デジモンから電脳核を抜き出す方法が、抜き取った回路を保存する方法が在った。
そして──
『────』
マグナモンの声色で語られる。
情報としての記録が淡々と。ページを捲りながら、読み聞かせるかのように。
『デジタルワールドに点在した子供達を回収。回路摘出後はリアルワールドへ送還予定』
『──全個体、回路の摘出に伴う負荷に耐え切れず機能停止』
『摘出回路、最上部への接続に耐え切れず焼失』
『接続媒介と保護殻が必要である。結界へ運用予定であった電脳核を媒介として転用』
『保護殻と並行し、現実世界における回路収集を目的とした外装の作成を検討』
『回収した個体のうち、外傷が最も少ない二名を素体として選出。
オリンポス十二神に託された少女。三大天使が匿った少年』
『半物質化、有機義体の製造を開始。──肉体の構成情報を走査し、立像化。生体因子にて補正後、個体間の体格差より肉体の経年変化を試算』
『二名の究極体デジモンが協力者として確定』
『義体への電脳体移植を完了。拒絶反応見られず』
『リアライズゲート越えによる電脳核負荷、実測値問題なし』
『現実世界における稼働を確認。以降、義体の状態に関しては定期的な経過観察を──』
『──現実時間、稼働半年。異常なし。二体の現在の構成状態を記録』
『──現実時間、稼働六年。身体の成長レベルは計算通り。異常なし』
『──現実時間、稼働八年。連絡が断たれたが、生体反応は確認──』
「……ッ────!!」
これは、あくまで記録だ。
手記でさえない、事実と情報だけが織り成す羅列。
そこに騎士の感情は欠片も無い。それでも──吐き気を催しそうになった。
ああ、本当に嫌になる。こんな事が行われていたなんて。
「大丈夫?」
──少女の声がした途端、ウィッチモンの意識は勢い良く引き戻される。
全身から汗が噴き出す。震える膝が崩れ、柚子が慌てて彼女の腰を支えた。
「……」
白昼夢のようだった。
あれだけの情報を見せられていたのに、恐らく時間はそう経っていない。──顔を上げると、琥珀色の瞳が心配そうにこちらを覗いていた。
「具合、悪そうだわ」
「……──ええ、最悪デス。でも──」
────これで、道は開かれた。
人間の肉体を利用した義体の製造工程。その核心に至るまで詳細に、ウィッチモンの脳内に「情報」として焼き付いて、こびりついた。
ああ、十分だ。ウィッチモンは立ち上がる。
呼吸は浅く、顔色は最悪。けれど瞳には、瞬く星の様な強い光が込められていた。
「……ありがとう。これよりソウタとカナの分離処置を再開しマス。
そして人形ではない、完全なる義体の生成を。……ちょうど二人分、男女の義体のデータを発見しまシタから──」
散って逝った全ての子供達へ、仲間達へ。
その犠牲を救済に。決して無駄になどするものか。
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