◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私は。
あなたの笑顔を知らない。あなたの声色を知らない。
それでも心からの忠誠を、この名と鎧に懸けて誓う。
あなたの世界をずっと、何としても繋げて行くから。
どうか泣かないで欲しい。哀しまないで欲しかった。
主よ。
あなたが創る世界ならば。あなたが愛す世界ならば。
遍く命は救われるのだ。その過程が如何であっても。
この道こそが、あなたを救済するのだと信じている。
*The End of Prayers*
第三十六話
「ラストワルツ」
◆ ◆ ◆
──何かが、
砕ける音を聞く。
これまで数え切れないほど耳にしてきた。
たくさんの何かの、誰かの、砕ける音が。
「──サウザンドフィスト!!」
「──フォイボス・ブロウ!!」
腹部から全身へ伝わる衝撃。露出した胴体に叩き付けられた、二つの拳。
刹那、騎士は思う。この身を守る筈の鎧は、主より賜った黒紫の鎧は、何処へ行ってしまったのだろう。
……そうか。あの、オリンポスの影か。
この地に辿り着くより前に果てた、名も知らぬオリンポスの子ら──その影が既に、彼らと共に。
「────は、」
そんな声が面頬から漏れた。別に何も、可笑しい事など無かったのだが。
腕を振り上げる。
抉られた肩の断面から生えた──槍を、棘を成す有刺鉄線の両腕。
それは敬意と憐憫、そしてほんの僅かな慈愛を以て、目の前の二柱を抱き締める。
アポロモンとメルクリモンの背中は、文字通り串刺しとなった。
肉を裂き、骨を断ち、彼らがようやく取り戻した電脳核は砕かれた──。
──筈だった。
『ッ……! 二人とも……!』
『負けるな!! 頑張れ!!』
電子の海で、蒼太と花那はデジヴァイスを掲げていた。輝く紋章の光は、騎士の切っ先が電脳核へ到達する前に二柱の身体を修復させていく。
故に、アポロモンとメルクリモンは止まらなかった。ひたすらに、がむしゃらに突き進んだ。ただ騎士を見据え、真っ直ぐに。攻撃の手を決して止めない。
ならば、と。クレニアムモンは腕に力を込める。──だが、肉に突き刺さった腕が動かない。言う事を聞かないのだ。
気付けば腕が、錆びたようにボロボロと自壊を始めている。
崩れていく。──アポロモンの矢を、そして月女神の影の矢を受け、破裂した部位から広がるように。
腕から解放された反動。二柱が一歩、大きく足を踏み込んだ。
「──再構築を──!」
崩れたなら生み出せばいい。壊れたなら造り直せばいい。
この命が燃える限り、ブラックデジゾイドは何度でも、
「────」
顔を上げた。
瞬間──水晶の反照が、彼の視界で弾ける様に輝いて────
「「ああああぁあ!!!!」」
轟く咆哮と共に、何かが砕ける音を聞く。
紅と碧の炎を抱いた二つの拳が、騎士の身体を穿つ音だった。
──軋み、砕けていく。
腹から脇へ、脇から背へ、────全身へ。
──割れて、散っていく。
鈍く光る黒紫の破片。飛沫を上げた鮮やかな赤。
胴体を貫かれた、騎士の目が大きく見開かれる。
自身の電脳核が撃ち壊される感覚。視界が一度だけ暗転して、次いで光が雪崩れ込んだ。
「──、──」
──目の前には、自分を討ち取った二柱の獣。
悲願だったろうに。ようやく仇を取れただろうに。何故かちっとも嬉しそうでない。
今にも泣き出しそうな顔で、こちらを見上げていた。
「……哀れ、だな。……オリンポス……」
腹の中から拳が抜かれた。
体内のデータが一斉に零れて、流れ出ていく。
──そのせいだろう。クレニアムモンの全身から、みるみるうちに力が抜ける。毒で作った仲間の人形共々、崩れ落ちるようにして倒れた。
「……──赦してくれ、ロイヤルナイツ」
近い筈の声が、遠い。
「貴方を止めてでも──僕らは、僕らの世界を守りたかったんだ」
──ああ。
そんな事は、知っていたとも。
「……」
身体を這わせる。
腕は無いから、脚に、無理矢理にでも力を込めて。
「……、……わが……きみ……」
焼け落ちた天蓋のベール。煤汚れた祭壇。宝石の欠片が小さく煌めいていた。
綺麗に並べた筈の結晶は、すっかり散らばってしまっていて。
集めようとするが、腕が無い。
「────」
見上げる。
水晶の座には輝く光。
かつてと変わらず其処に在る、美しい光。
「……、イグ、ドラシル」
下半身の感覚が消失する。
しかし苦痛より、喪失感より、後悔の念が押し寄せるのだ。
騎士としての責務を果たせなかった。
救って差し上げる事ができなかった。永久の安寧を、差し上げる事ができなかった。
あと少しだったのにと、惨めに思う。
そんな、意味のない思考を繰り返す。
「……」
────だが、せめて。
遂げられぬなら。叶わぬのなら。
いずれまた、主が涙される未来を憂いながら──それでも祈ろう。
我らのデジタルワールドに、どうか祝福があらんことを。
◆ ◆ ◆
大きな金属音を立て、騎士の身体が床に叩き付けられた。
肉体の粒子化が始まる。鈍い黒紫ではない、美しいたくさんの光が舞う。
アポロモンとメルクリモンは、その様をただ見守った。言葉を手向ける事も無く、静かに。
「「……」」
──遠い日に守れなかった少女を想えば、悲しみが増すばかり。
彼らの記憶に触れながら、心に触れながら、蒼太と花那もまた口を閉ざしていた。
きっとこれで、ようやく全てが終わったのに──どうしてこんなに虚しいのだろう。
それが、不思議でならなかった。
『……。……あ……』
花那が声を零した。二人の間を抜けていくように、何かが過った事に気付く。
それは光だった。
水晶の座から、光が枝の様に広がって、伸びていた。
光の枝は、床に転がる騎士の側へ。
胸から下を失った彼の────頬に、触れた。
「────」
黒紫の眼窩に微かな深紅が灯る。
何かが触れた。そう、錯覚した。
けれど温もりは虚無であり、瞳に映る姿は虚像である。
自分が奪ってきた、多くの命とよく似た容。母体の器と良く似た貌。
けれど当人ではない。この「何か」は、彼らの中の誰でもないのだ。
何より──
《────『クレニアムモン』》
聞こえた声は肉声ではなかった。
かと言って機械音でもない。ただ言葉を織り成すだけの音の羅列。
側にいるのは、あまりにも曖昧な存在だ。
だが──クレニアムモンは直ぐに確信を抱く。
だからこそ、わからなかった。
「……」
──何故。
胸に込み上げた言葉は、もう声にはならない。
──どうして私なんかに。
言葉の代わりに、どういうわけか涙が零れた。
慈しむように向けられた瞳。
遠く愛してやまなかった、それはそれは美しい宝石の虹彩が──彼を見つめて。
《『────ありがとう。もう、充分です』》
──光が舞う。
クレニアムモンというデジモンを構成していた、全てのデータが飛散する。
優しい光に溶けるように、イグドラシルの中へ還っていった。
◆ ◆ ◆
天の塔から全ての騎士がいなくなる。
遠い過去に自らを捧げ、礎となり。
黄金は自らに科した役目を終えて。
黒紫は自らの忠義の果てに倒れた。
長く、永く。けれど消えていく時は泡沫の様。
……だが、それは誰もが同じ。ロイヤルナイツもオリンポスも、生き抜いて、散って逝く儚さは変わらない。
皆、等しく。
イグドラシルの世界に生きた、電脳生命体の子らである。
《『────』》
瓦礫に成り果てた祭壇で、イグドラシルはひとり佇む。
空っぽになった円卓を、空っぽになった世界を、見下ろしている。
自身を見つめるオリンポスの子らに、人間の子供達に、言葉を紡ぎはしなかった。
「……」
何を、思っているのだろうか。
本来ならば実体を、固定の姿を持たない筈の創造主。その姿がとても悲しそうに見えたのは──きっと、ヒトと良く似た姿を象っていたせいだろう。
「…………俺達は」
言いかけて、アポロモンは口を噤んだ。──何を、伝えるべきか。
責めるべきだろうか。マグナモンに真実を聞かされた時のように。
怒るべきだろうか。遠い昔、パートナーを奪われた時のように。
慰めるべきだろうか。悪意の無いまま、望まぬ殺戮を繰り返した事を。
……いいや、どれも違う。
そんな事を言いたい訳じゃない。
たくさんの大切なものを失った。毒を憎悪し、毒に悲哀した。もう取り返しはつかないし、何も戻って来てくれない。
今だって胸が張り裂けそうだ。今だからこそ泣き出しそうだ。
それでも、思うのは──
「……──俺達は……生きていくよ。あなたの創った世界を、これからも」
命が果てる最後まで。
──すると、イグドラシルの瞳がオリンポスの子らを捉える。
水晶の瞳に浮かぶイリデッセンスが、心を描くよう儚げに揺れた。
しかし神はやはり黙したまま、何も言わない。何かを言いたそうでは、あったけれど。
瞳は伏せられ、イグドラシルの輪郭がぼやけていく。──ただの光に戻っていく。
その光も、やがて見えなくなってしまった。
「「……」」
誰もいない水晶の座。
祭壇に散らばっていた結晶も、いつの間に無くなっていた。
『……いなくなっちゃったの?』
「……ちゃんといるよ。僕らには、見えないだけだ」
少女の中で完成したイグドラシルは、座に戻った事で正常に起動した。
たとえ見えなくとも、風のように──そこに在る。
それはきっと、イグドラシルの本来の在り方なのかもしれない。そうメルクリモンは思った。
気付けばクレニアムモンだけではなく、毒の騎士らも姿を消していた。彼等がいた筈の場所には、黒い水溜りの跡だけが残っている。
その上を光の枝が這った。──毒が、吸いこまれていく。
かつて神が流した、たくさんの涙が。
自身の光によって浄化されていくのだろう。少しずつ、少しずつ。
『これで、もう……全部、終わったんだよね? 毒も無くなるんだよね……?』
『……そうだといいな。……間に合って良かったよ。俺たちがあげた加護、もう切れちゃってるもんな』
蒼太に言われ、気付く。いつからだったのか、太陽の加護はその効力を失っていた。
昔はもっと長く使えたのにと、アポロモンは苦笑する。
「俺達、また修行し直しだ」
「……ああ、そうだね」
メルクリモンも口角を上げた。どこか、寂しそうに。
「──下に戻ろう。ライラモンとメガシードラモンが心配だ。ワイズモン達にも、俺達が無事だって……──終わったって、伝えないと」
アポロモンはそう言って身を動かす──騎士に空けられた穴から、ボタボタと血が零れ落ちた。
自分でも驚いて、思わずメルクリモンと目を合わせる。緊張で自身の状態にも気付かなかったのか、メルクリモンも太腿や膝に大きな穴が空いていた。
「……」
「……」
お互い、この状態でよく持ち堪えたものだと感心する。
メルクリモンはアポロモンに手を貸そうとしたが、身体を動かせば血溜まりが増えるだけ。──緊張が解けるにつれて、みるみる痛みも増してきた。
『二人ともそれ、大丈夫か……!? すぐ治すから……!』
「いや……だめだ。これ以上二人に負担をかけたくない。とりあえず俺は傷を焼けるし、飛べば大丈夫だから……」
『……わかった。……それなら、皆の所には俺たちで行ってくるよ。花那とメルクリモンは休んでて』
『……うん、ありがと。少ししたらすぐ追いかけるね』
メルクリモンはその場に座り、腰布を破いて傷を圧迫した。布はすぐに真っ赤に染まり、周囲にじわじわと赤い水溜りが出来上がる。──思わず、苦笑した。
アポロモンは傷口を焼くと、浮遊しながら自分達が来たゲートに向かう。
すっかり瓦礫で埋まっているが、退ければ使えそうだ。屈んで瓦礫を退けていると────その下に、何かが埋まっている事に気が付いた。
「……ん?」
上から崩れたもの、というより、戦闘によって抉れた床下から出てきたものだろう。
白い何かだ。まるで──そう、
マネキン人形のパーツのような
『……!? な──』
『! 蒼太? どうしたの?!』
『いや、これ、……嘘だろ……!?』
「────」
アポロモンは膝を着いて、剥がすように床を砕く。
「……アポロ。そこに、何があるんだ」
床下には人形が埋まっていた。いくつも、埋まっていた。
その何体かは、電脳核らしきものの残骸と共に。
「──ただの人形だ、兄さん。……作り物だ。“あの子達”じゃない」
それはマグナモンとクレニアムモンが作り上げた、ヒトの形を模した義体達。
テクスチャを張っただけの顔は、眠るような表情のまま動きはしない。動くようには作られていない。
かつての「選ばれし子供たち」から、そしてこれまで連れ去った子供達から──摘出した回路を埋め込んだ、ただの容れ物だ。
『に、人形って……え……?』
「花那は多分、見ない方がいいよ。だから、そこにいて」
『で、でも……』
──アポロモン達の、知り及ばない事ではあるが。
クレニアムモンは一人になった後、この義体達を天の座へと埋めていた。
本来なら義体達は、英雄達のデジコアを介してイグドラシルと繋がれる筈だった。……だが、適合者たるカノンが現れた事でクレニアムモンは計画を変更する。
回路と電脳核を埋めて礎とした祭壇に、母体を──変質を遂げ切り羽化した神を、身籠った状態のまま座して接続。体内で再誕させ世界を飲み込む。……その時には既に、母体は形を成していなかっただろうが。
ともあれ、そうしてデジタルワールドは救済される算段だったのだ。
けれどクレニアムモン亡き今、埋められた人形達はその役目を終えている。
過去の厄災で散った同胞達の核も、また。
『……、……アポロモンの記憶にいた、あの女の子は……』
「……わからない」
──回路を抜かれた子供達。生きているのは、誠司や手鞠達と共に、あのオーロラの日に連れ去られた子だけらしい。
だから、もしこの中に未春がいたとしても。──それは、ただ似せて作られただけの人形だ。
「でも、あの子は……ミハルだけは、いない気がするんだ」
不思議と、そう思う。
ただの勘ではない。過去と現在の記憶が統合されたからこそ、彼女は此処にはいないと思えたのだ。それは、メルクリモンも同様であった。
「……お前と蒼太が戻った後、一緒に人形達を燃やそう。せめてもの弔いに」
「……うん」
「それと、ワイズモンと連絡が取れたら、あの子達に────みちる達に繋いでもらってくれ。話したい事があるんだ」
神妙な面持ちで言う彼に──アポロモンは、小さく頷く。
「……ああ、俺も思ってたよ。だってさ、あの子の顔は────」
◆ ◆ ◆
ギエー何だこの凶悪なサブタイトルは。そんなわけで夏P(ナッピー)です。「草加散華」とか「ギャレン消滅」とかその辺に匹敵する凶悪なサブタイに戦慄。
ミネルヴァルキリ組は「死んだ!? 生きててまだ頑張ってる! 今度こそ死んだ!?」を繰り返していましたが今度こそお疲れ様なのかワトソン……エピローグで「あの人達はデジタルワールドの風になったの」「オーイ」と復帰してきたら笑ってやる。みちる氏の過去モノローグは最初から読み返せってことやな!?
クレニアムモンもまた散々戦ってきた敵側であるはずなのに何故かお疲れ様でしたと言ってあげたくなる最期を迎えてしまいましたね。それはそうと定期的かつ執拗に主人公組が全身穴だらけという描写が捻じ込まれてきて震える。ワイズモンもサクッと腕飛ばしてんぞ!? 胃痛枠どころか裏方しながら欠損枠とは。
ダルクモンきっと最終決戦の場に何らかの形で関わって来てくれると思ってましたが、待ち望み過ぎて33話辺りから「……本当に来るよな?」と不安になってきましたが遂に来た! 待ってたぜ!!
べ、ベルゼブモンが回復役やってる……ちゃんと奪ったものは返せる辺り遠野秋葉様より器用だ……カノンちゃんと再び巡り合えて良かったね! でも彼女これ「あれは! あれは! あれは!」と大事なこと引っ張りまくって言わない奴ではと思ったら後書きでサクッと言及されて吾輩悶絶。マジかよ!
血沸き肉躍る(※文字通り)戦いも終わりか……残りはエピローグでしょうか。次回もお待ちしております。
あとがき
皆様こんにちは作者です!
エンプレ第36話、お読みいただきありがとうございました!!
おまけイラストは1年くらい前に描いたイグドラシル-1FA(当作名称)ちゃんくん。(過去に掲載してたらすみません)
やっと戦いが!終わった!
お疲れ様でした…………
エンプレにおける戦闘は今話をもって終了です。
全身ハチの巣になってた皆もなんとか助かって結果オーライ。もう血も肉も飛びません。
各々がそれぞれの願いを遂げ、あるいは叶わず、生還し、あるいは散り、世界は平和になりました。長い雨の後には青空が待ってるって相場は決まってます。
もっとも、まだ全てが終わったわけではありません。蒼太くんと花那ちゃんが電脳化したままです。何とかしないと。
というわけで次回からエピローグのパートです! あと2話くらいの予感……よろしくお願いします!!
ちなみに夏場なので(?)ちょっぴりホラーな要素も入れました。
床に人形埋まってるの想像すると怖いですね。見つけたのが蒼太じゃなくて花那ちゃんだったら一生のトラウマになりました。
あと誠司と手鞠が収容室に行ってなかったら、子供達はあのまま根に飲まれてたのかと思うとゾッとします。バッドエンド回避できた。
そして今話に限ったものではございませんが、所々過去のお話とのオマージュやリンクがあったりするエンプレワールド。
今回は第1話のパート②、25話④などなど。向日葵畑は30話①より。あとみちるの回想は第6話パート③と繋がっています。その他もろもろ。
気付いたあなたはエンプレマスターだ! デジモンゲットだぜ!
さて、リアルタイムで約10年の歳月をかけ、ようやくコロナモンとガルルモンの戦いが終わりを迎えました。
戦いを終えた彼らに何が待っているのか、あともう少しだけお付き合いいただければ幸いです。
それではまた次回!
ありがとうございました!!
◆ ◆ ◆
──焔が燃える。
紅い焔が、碧い焔が。哀しき人形達を包み込んでいく。
水晶の床は、自分達が手を出すまでもなく光の枝が破壊し尽くした。おかげで「彼ら」の焼却に時間は要さなかった。
「────」
焔の中、光の枝は成長を続けていく。天に枝を、地に根を広げるように。
その過程で──床だけではない。壁も、天井も、何もかもが破壊されていった。
崩落した天井の先、弔いの煙は穏やかに昇っていく。
鮮やかな、青色の中へ。
「──空だ」
アポロモンは晴れ渡る空を見上げた。
要塞都市の、作り物のそれとは違う──本物の青空。
差し込む光芒が眩しくて、思わず涙が出そうになる。
腕の中で眠る“妹”に、この空を見せてあげたかった。やっと取り戻したと伝えたかった。
毒の浄化に成功しても尚、ミネルヴァモンは目を覚まさない。
「……」
だが────生きてさえ、いてくれれば。
今は、それだけで。
「……帰ろう」
メルクリモンが短剣を掲げた。
「今度は、一緒に」
陽光に照らされた切っ先が、自分達が辿った次元の穴へ突き刺さる。──空間が裂け、光の道が現れた。
少しばかりくすんだ光。どこか物悲しい帰り道。
数歩だけ進んでから──少年と少女は振り返る。
『『……』』
神の座は静かに照らされている。
瓦礫に埋まり、けれど美しく。
『……イグドラシル……』
そう呟いた、少年の声は風に消えた。
『……』
ふと、瓦礫の中に蜃気楼を見る。
美しい水晶の球体。美しい水晶の人形。形のない誰か。
『……もう、泣かなくていいんだよ』
波のように光が揺らめく。
風に、瓦礫に掻き消えて。
最後に。
ごめんなさい。
ありがとう 。
────そんな、音にならない声が聴こえた気がした。
◆ ◆ ◆
第三階層の凄惨な状況に、四人は思わず言葉を失った。
光の根は既に下層へと侵食。外壁は崩落し、標高の高さ故か突風が吹き込んでいた。
崩れた瓦礫は風に飲まれ、軽々と吹き飛ばされていく。直撃すれば只では済まない。
──そんな状況で、足場になりそうな場所など残されている筈もない。
ゲートを抜けた途端、メルクリモンは何もない空間に足を踏み入れた。アポロモンが咄嗟に片手を伸ばし、腕を掴む。
ぶらりと宙に浮く身体。
二人の傷から零れた赤いものが、底の見えない水晶の奈落へ吸い込まれていった。
「……!」
「ライラモン! メガシードラモン!!」
メルクリモンの呼び声が水晶に反響する。──返事はない。
「ワイズモン!! ……誰も……いないのか!?」
風のせいでにおいが追えない。いつ二人がいなくなったのかも分からない。
最悪のケースが脳裏を過る。
血の気が引いて、全身から汗が滲み出た。
しかし、直後。
彼等の呼び声に応えるかのように、何処からか乾いた発砲音が聞こえてきた。──次いで、風に紛れた硝煙のにおい。
そのどちらにも覚えがあった。二柱は「まさか」と顔を見合わせる。アポロモンはメルクリモンの腕を肩に回すと、二人を抱えて瓦礫の雨を進んだ。
そして──
「「──……!!」」
音と硝煙の先に、男の姿を見る。
腕の中の少女を瓦礫から守るように──黒い翼を大きく広げていた。
どうして、と。蒼太が呟く。
だが、その声は届く前に銃声で掻き消された。──背後で、瓦礫が砕ける音を聞いた。
「遅い」
ベルゼブモンの、再会の第一声はそれだけだった。
「あ……、その、ごめん……」
やや不満気な男に、アポロモンは咄嗟に謝る。
驚愕と困惑で、まだ状況の整理がつけられない。
「な、なあ。皆を──」
「あいつらは」
血が滲むような赤色から、ホリーグリーンの色へと変わった男の瞳。アポロモンのエメラルドグリーンの瞳と、目が合った。
「ここには、もういない」
男はそこまで言ってから、少しばかり思考するように目線をずらして──
「生きている」
と、続けた。
『……よ、よかったあ……!』
『そっか、誠司と宮古のこと迎えに行ったんだ!』
仲間の無事に、久しぶりの笑顔が戻る。安堵に胸を撫で下ろした。それだけ動けるのなら、きっと問題ないだろう。
「それで、君は……僕達を待っていてくれたのか」
「……」
「ありがとう。……生きていて良かった。君も、君のパートナーも」
男に救い出されたであろう少女も、擦り傷や切り傷はあるものの、大きな怪我はしていない様子だ。
緊張しているのか、それとも警戒しているのか、端正な顔を曇らせている。──眠るミネルヴァモンの姿を、じっと見つめながら。
だが、喜ぶのも束の間。降り注ぐ瓦礫の轟音が、彼らを現実へと引き戻していく。
『……アポロモン、あと少しだけ踏ん張れる?!』
「平気だ蒼太。瓦礫を撃ち落とすくらいなら何てことない。
それと……ベルゼブモン、ワイズモン達から何か預かってないか? 伝言でも、何でもいいんだ」
「……、……これか?」
と、見せられたのは黒い襤褸切れ。変わり果てていたが、確かにワイズモンの使い魔だった。
既に通信が再開されていたのか、黒猫は必死に何か訴えかけている。──が、ノイズが酷くて何も聞き取れない。こちらの声が届いているのかすらも。
しかし使い魔は仲間達を見回すと、突然飛び上がる。それから円を描くように回転を始めた。
そのまま、自身の形状を変化させていく。
「「──……!!」」
見覚えのある形だ。ブギーモン達の腕輪とよく似ている。
だから、すぐに察しがついた。使い魔が、ワイズモン達が何をしようとしているのか──。
◆ ◆ ◆
「──生体反応の詳細を再確認」
使い魔の視界は奪われ、通信もノイズに潰された。
「実体が二つ、テマリとセイジ。合成体、母体の少女」
けれど、肌で感じた幾つもの熱源は──彼らが無事に合流できた事の証明となる。
「電脳生命体、六つ。ライラモン、メガシードラモン、ベルゼブモン。アポロモン、メルクリモン────ミネルヴァモン」
そこに、あの青年の熱はなかった。
「各ポイントの座標は捕捉済み。……ユズコ、」
……彼と仲間達が出会い、別れた事は知っている。
こちらの声も向こうの音も、ノイズに消されてしまったけれど。
「いいですね?」
「──っ、……」
ワイズモンの言葉に、柚子は声を詰まらせながら頷いた。
「──“腕輪”を起動。収容室の構造解析記録からゲート内部に被膜を構築。次元移送に伴う肉体負荷は軽減されます。第二、第三階層より外部空間へゲート接続──」
それは今、確認できた大切な生命達を迎える為の門。崩れゆく天の塔からの脱出路。
「転送先設定────聖要塞都市、大聖堂! デジタルゲート・オープン!!」
◆ ◆ ◆
黒い腕輪が光を放ち、上空にデジタルゲートが開かれる。
だが──塔の空間自体が歪んでいるせいだろう。開かれたゲートも酷く不安定なものとなった。
暴風が更に激しさを増す。アポロモンとベルゼブモンは、腕に抱いた少女達を守ろうと身を屈ませた。
「……君達から先に!」
アポロモンは声を上げ、炎の矢で瓦礫を砕きながら退路を作る。ベルゼブモンがカノンと共にゲートへ飛んだ。
『よし、俺たちも行こう!』
妹を抱き、兄を担ぎ、アポロモンは飛び上がる。
水晶の破片が当たって痛い。そもそも身体の傷が塞がっていない。ミネルヴァモンの右半身に自分の血がべっとりと付着して、腕から滑り落ちそうで怖かった。
暴風と瓦礫でバランスを崩しながら、なんとかゲートまで辿り着く。すると、
「早くしろ」
顔を出したベルゼブモンが──手を伸ばし、メルクリモンの手首を掴んだ。
「!? え、待っ……」
驚愕するメルクリモンを他所に、そのまま引っ張る。
アポロモンとミネルヴァモンも芋づる式に、ゲートの中と勢い良く放り投げられた。
『わあっ! ……た、助かった……!?』
『花那、帰るまでが作戦! モタモタしてたらゲート消えちゃうかも!』
背後の暴風が信じられないほど、ゲートの中は凪いでいる。
しかし空間内もやはり不安定で、此処で留まる訳にはいかない。子供達の焦燥感に背中を押されながら、彼らは足早に道を進んだ。
「──なあベルゼブモン。さっき僕の手を」
崩落の音が小さくなってきた頃。メルクリモンは、無視できない疑問を男に投げ掛ける。
「君、毒はどうしたんだ」
風のせいかと思っていたが──今この瞬間でも、毒のにおいを彼から感じない。
「……、──俺には、わからない。ただ……」
「ただ?」
「今、腹は減ってない」
「……そうか」
──ミネルヴァモンに起きたような奇跡が、ベルゼブモンにもあったのだろうか。
このパートナーの少女が、それを成したのかは分からない。
彼女は、イグドラシルを埋め込まれたのだとマグナモンから聞いた。……その影響なのだろうか。それとも再起動したイグドラシルが彼の毒を消したのか。
いずれにしても、だ。──メルクリモン達は、これ以上深く尋ねる事を避けた。彼女が自ら口を開かない以上、きっと追究するべきではないのだろう。
「そうだ」
アポロモンはふと思い出す。
「あの時……クレニアムモンを撃ったの、君なんだろう?」
「……、……ああ」
だが、殺しきれなかった。本当は殺したかったのだと──静かに溢れた男の声からは、不満が滲み出ていた。
「ごめん」
再び謝る。横取りしたつもりはない。ベルゼブモンも同じく、そうとは思っていないのだが。
「でも、おかげで俺達助かった。ありがとう」
それと、初めまして。ベルゼブモンのパートナー。
飛びながら声を掛ける。カノンは驚いたように目を丸くさせ──それから、何故か哀しげに目を伏せた。
「……──あなたの……中にいる、その子達は」
「俺達のパートナーなんだ。後でちゃんと紹介するよ」
「…………いいえ。きっとそれは、もう──」
「……え?」
『──見えた! ゴール!!』
花那が指を差す。
天の塔の空間を抜け、空を越えて。
雨が止んだ大地へ続く、長い道の先。
鮮やかな七色の光の海へ。
三体のデジモン達は、愛しいパートナーと共に飛び込んだ。
──作戦開始から五時間二十分。
あまりに長く、けれど短い戦いを終えて────英雄達は天の塔を脱出した。
◆ ◆ ◆
「──デジタルゲート、全ての生体反応の通過を確認。天の塔への接続、解除します。
……──作戦終了です」
ワイズモンがその言葉を発した瞬間、柚子の全身から緊張の糸が切れる。
そして、堰を切ったように涙が溢れた。両手で顔を覆うが、指の隙間から溢れていく。
「ユズコ……」
「……──ッ……お、終わったぁ……」
──やっと、終わった。
放課後にオーロラを見たあの日から続いた戦いが、ようやく幕を閉じたのだ。
「……ッ」
止めどなく流れる涙を、柚子は何度も腕で拭う。
生き残れて良かったと思った。自分達が、仲間達が。
だが──生き残れなかった者達が、帰ってこない仲間達がいる。それはマグナモンであり、ブギーモンであり、──ヴァルキリモンだった。
「……ぅ、うう……」
……本当はみちるもワトソンも、最初から帰るつもりなんて無かったのだろう。
ミネルヴァモンが戻ってきた事自体、彼らの予定に無かった幸運なのだ。
「……ユズコ、……」
泣きじゃくる柚子を、ワイズモンはそっと胸に抱き寄せる。
静かになった部屋の中。
パートナーの泣き声と、古い冷蔵庫が放つコンプレッサーの音だけが聞こえてくる。
「……。……本当、嘘つきですね。貴方達は」
──目を閉じて呟く。それから、ワイズモンは自身を「ウィッチモン」へ退化させた。
天の塔との接続を断った今、完全体である必要もない。……何より、少し疲れた。
「手は、……やはり駄目デスか」
退化してみたものの、両手は相変わらず使い物にならなそうだ。思わず溢しそうになる溜め息を堪え──ウィッチモンは立ち上がる。
「……ウィッチモン……」
柚子は眼鏡を取って涙を拭いた。拭いても再び溢れてくるので、あまり意味は無かったのだが。
「さあ、ユズコ」
パートナーを立ち上がらせ、狭くて短い廊下に出る。
玄関ドアの向こうに、光が溢れていた。
「──行きまショウ。仲間のもとへ」
◆ ◆ ◆
「……──か、帰ってきた……!!」
天の塔よりずっと狭い木造の空間。誠司の声が大きく反響する。
声を出した反動で咳き込みながら、周囲を見回した。──自分達は何処に送られたのだろう。
周囲には衣服や何かの器具が置かれていて、何やら体育館倉庫を思い出すような場所だ。
光りまみれのゲートと、薄暗い屋内との明暗差で目が眩む。
「びっくりした……急にゲート開くんだもんな……。……そうだ、全員いる!? 誰か点呼!!」
「は、はい! こっち、手鞠います!」
薄闇の中、手鞠が泣き腫らした顔で挙手をした。
「大丈夫だよ。ちゃんと、いるから……!」
「……! ッ……うん……!」
「そ、それと、ライラ……あれ、チューモン!? 戻ったの?」
「おでもいる!」
一緒にゲートを越えた仲間達の声が響く。完全体だったパートナー達は、成長期に戻っていた。
誠司と手鞠は胸を撫で下ろした──が、他の友人達の姿が見えない。
「まさか、オレたちだけ……!?」
「……いや、単にウチらが変な場所へ飛ばされただけだろうね」
「ほかにも音、きごえるよ。みんなちゃんど戻ってきでる!」
デジモン達には別室の物音が聞こえていたようで、特に心配する様子は見せなかった。
「よかった……そーちゃんたち、ちゃんと生きてるんだ……。……帰って来てくれた……」
誠司はよろよろと歩くと、布がかかったままの椅子に座り込む。
痺れる左腕を撫でながら、深く息を吸い──声と共に思い切り吐き出した。
「……疲れた……」
第三十六話 終
◆ ◆ ◆
最上層で発生した光の根は急速に成長し、瞬く間に第三階層を崩壊させる。
程無くして、その影響は第二階層にも及び始めた。
それは収容室とて例外ではない。
──ただ、子供達の安置を想定し堅固な構造になっていたのは幸いした。壁と床を大きな音を立て振動するが、自壊しない程度に収まっている。
それでも十分、命の危機は感じるのだが。
手鞠と誠司はベッドの下に潜り、身を震わせていた。とにかく必死で、学校の避難訓練を思い出そうとしていた。
「……そ、そういえば……オレ、ずっと……思ってたんだけど」
誠司の笑顔は酷く引き攣っている。
「な、何……?」
「防災頭巾ってさ……あれ、意味あるのかな……」
上擦った声で、そんな事を言ってみせた。
「……し、知らない……でも、ヘルメット、がいい……」
そういえば教室の隅には先生用のヘルメットがあった気がする。──などと考え気を紛らわそうとするが、恐怖は増すばかりだ。
直後。そう遠くない場所から、何かが崩れるような轟音が聞こえてきた。二人は叫び声を上げる。
「崩れた!? どっか崩れたよね!? 怖い怖い怖い!! オレ今あんま動けないのに!」
「ど、どうしよう……! 待ってた方がいいのかな、逃げた方がいいのかな!?」
「逃げるってもゲートないじゃん! や、山吹さーん!!」
部屋の外どころかベッドからも出られない。デジヴァイスも通信障害なのか、ノイズばかり叫んでいて連絡が取れない。
あまりの絶望的状況が恐怖を増幅させる。二人は堪らず号泣し始めて──
「────くそ! ドア引っ掛かって開かないじゃないの!」
「せいじ! てまり! 離れてて!!」
その時だった。
扉が大きな音を立て、大破する。──メガシードラモンの頭部が、屋内へ思い切り突っ込んだ。
「「……!!」」
「ちょっとやりすぎだよ! 二人が怪我したらどうすんのさ!」
「ご、ごめん……。……あれ? 二人ともどこに……」
「メガシードラモン!!」
「ライラモン……ッ!!」
ベッドの下から抜け出し、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら駆けて行く。傷だらけのパートナー達に、力一杯抱きついた。
その身体には、別れた時には無かった多数の傷痕。服に、頬に、残った血が擦れて付いた。
──離れていた時間は決して長くない。けれどその間に、どれだけの激しい戦いがあったのか。二人には想像もつかなかった。
だが、心配したのだ。本当に死んでしまうのではと思っていた。
とにかく二人が無事だった事と、そしてこの状況で助けが来た事の安堵。他にもたくさんの感情が入り混じって──その全てが嗚咽となり、二人の口から漏れて響いた。
「……ごめんな二人とも。怖い思いさせて」
ライラモンは黒ずんだ両手を二人の頭に置く。メガシードラモンも、彼らの涙を拭うように頬をすり寄せた。
動く度、まだ身体はズキズキと痛むけれど──今はそれが生きている証だと実感できる。
生きてこの子達を、迎えに来られて良かったと、心から思った。
「──まずはここから出るよ。天井、やられたら面倒だからね」
「オレが上を飛ぶから、ライラモンはふたりをおねがい。……せいじ、具合どう?」
「う……うん、咳はマシになったけど……左手あんま力はいんないから、掴まるのとかは……」
「安心しな。ウチの横っ腹に吐きさえしなきゃ落とさないよ」
ライラモンはニヤリと笑い、冗談交じりに誠司を脅かした。それから両脇に二人を抱え、蔓で自身と固定する。
メガシードラモンは部屋の中から頭を抜くと、周囲の様子を確認する。少しでも瓦礫の落下が少ない場所を探していた。
「ね、ねえ、花那ちゃんたちは……?」
「それも大丈夫。……絶対、後で会える」
メガシードラモンの合図に合わせ、ライラモン達は収容室を脱出した。
併泳するコバンザメの如く、彼の真下に付くよう飛んていく。不意の瓦礫から二人を守る為だ。
「「……」」
収容室の外は、見覚えのある白い集合住宅の内観。
光の根により破壊され、廃墟のような様相に変わり果てていた。
ライラモンに抱かれながら、手鞠はふと振り返る。視界の先、自分達がいた場所があっという間に小さくなっていく。
そして、数秒後
「──あ」
光の根が収容室の天井を貫いた。
そのまま、崩れていってしまった。
◆ ◆ ◆
「──あの二人がここにいるって!?」
一時的な避難場所を探す最中。手鞠と誠司はどうしても、管制室にいるかもしれないみちる達の事が気掛かりだった。
しかし話を聞いたライラモンは、当然ではあるが「そんな馬鹿な」と訝しむ。
何故なら二人は亜空間にいる筈で──何か任されていたとしても、人間が此処に来るなんて危険な真似をウィッチモンがさせる訳がない。
「やっぱ考えらんないね。あのウヨウヨいる防衛機に会ったら即死だってのに」
「ほ、ほんとだよ! オレたち聞いたんだ! 山吹さんだって、二人が言ったなら大丈夫って……」
「ねえ、迎えに行こうよ! 周りが崩れて出られなくなっちゃってるかも……!」
二人の事はワイズモン達から何も聞いていない。──が、この子達が嘘を吐く理由もない。
もしかするとその「管制室」とやらは安全なのだろうか? 判断に迷い、ライラモンは表情を渋らせる。
「……でも、そういえば……ワイズモンとゆずこからの通信、静かだったよね」
思い出す違和感。
戦闘中は必死で気に留まらなかったが──普段であれば聞こえてきたであろう野次、もとい応援の声が、この作戦中はちっとも聞こえてこなかった。
「いってみよう。ここが崩れても、オレたちは飛べるからなんとかなるよ」
「……そういう意味じゃ確かに、逃げ遅れるとかは無いだろうけどさ……そのカンセーシツって何処にあるの? ウチらも今、ワイズモン達と連絡取れないんだよ」
使い魔は連れて来たが、何やらずっとノイズを叫んでいる。空間が歪んでいる所為なのか、それとも自分達がロードし使い潰した所為かは分からないが──とにかくまともに機能しない。辛うじてGPS代わりになる程度だ。
──とは言え、その唯一の機能が一番重要ではあるのだが。こんな迷宮でワイズモン達に見失われたら、それこそ帰還できなくなる。
しかしナビゲートが無いとなると、手当たり次第に探すしかないだろう。
自分達はそれでも構わない。どれだけ時間をかけたっていい。だが、時間をかける程に崩壊は進む。──自分達と違って彼等は飛べないのだ。崩れれば、落ちていく、
「……ああ、いっそ探し損になれば最高だ。もし本当に来てたとしてもさ、先に亜空間に戻ってくれてるなら……」
「だいじな場所なら、きっと下の階にはないと思う。このまま上に進んでくよ。……ねえ、みちるとわとそん、なにかヒント言ってなかった?」
そう言われても、と誠司は頭を抱える。急に連絡が来て、曖昧な用件を伝えられたら勝手に切れたのだ。思い当たる節など何も無い。
「……ねえ、さっきの通信、海棠くんのデジヴァイスに来てたよね? もう一度使ってみようよ!」
別の次元である亜空間と異なり、同じ塔の内部なら繋がるかもしれない。
手鞠の提案に、誠司は「それだ!」と指を鳴らした。デジヴァイスを取り出し、握った右手を高く掲げる。
「頼む頼む……デバイスってよく分かんないけど頑張ってくれ……電波とか受け取ってくれー!」
「ちょっと、そんな事して落としても拾ってやらないよ!」
ブツブツと呟きながら腕を振り回していると──デジヴァイスの液晶ディスプレイが突如、光り出した。
「! お、来た!?」
<──“……を確認。通信記録──、……同デバイスと認識。──”>
聞こえてきた機械音声。
だが、ノイズ混じりで不鮮明だ。加えて周囲の轟音が喧しく、上手く聞き取れない。
<──“……室、──再接続、──ま──?”>
「何!? 聞こえない! えっと……とりあえずカンセーシツまで連れてって! 道案内! マップ! ルート!」
半ば自棄になりつつ叫ぶ。
<──“音声、よる……──、──コマンドを実行します。”>
驚くべき事に、なんと成功したらしい。
液晶ディスプレイから放たれた光は、細い帯を描きながら上空へ伸びていく。
まさか本当に成功するとは。四人は唖然と光の帯を見上げていた。そのまま五秒ほど経過し──
「というかあの方向……また第三階層かい?!」
「オレたちが通った穴がある。そこからいこう」
メガシードラモンはライラモン達をヒレで押さえ、腹部に固定する。
身体を大きく蛇行させると、光が示す方向へ勢い良く上昇した。
◆ ◆ ◆
光を辿り、進む。再び第三階層へ。
「……──」
メガシードラモンは注意深く周囲を見回した。
自身が泣き崩れた水晶の間はもう、都市の様子を投影していない。
そのまま、最初に通って来た道とは外れていき──未知のコースへ。
未知と言っても、どこも同じような水晶の迷宮だ。今となっては殆どが侵食により崩壊しているのだが。
降り注ぐ瓦礫を、頭部の外殻とブレードで破壊していく。子を守る親のように、三人をしっかり腹部に抱えながら。
やがて──
「ね、ねえ! あれじゃないかな……!」
手鞠が指を差す。
その先に見えたのは、同じような水晶で出来た──けれど他とは明らかに外観の異なる建築物。根が迫っているが、崩壊は免れていた。
光もそこで行き止まり。メガシードラモンは躊躇わずに向かい、侵入を試みる。
──防衛機が出てくる気配は無い。ロイヤルナイツのサイズに合わせている為か、今度はメガシードラモンも中へ入る事が出来た。
「わあ。中、広いんだなー」
「か、海棠くん……静かに……!」
「ご、ごめん」
施設の中はひどく薄暗かった。
光源は殆ど無く、非常灯のようなものが足元を僅かに照らすだけ。機械系統が停止しているのは元々か、それとも根によるものかは分からない。
「「……」」
──瓦礫の音以外は何も聞こえない。
あの賑やかな声と、淡白な声は聞こえてこない。
誰もいないのだろうか。
仮に、二人が本当に居たとして──けれど先に戻ったのではないか?
誰もがそう思った。
その、矢先だった。
「……まって。だれかいる」
メガシードラモンの言葉に全員が警戒する。デジモン達は万が一に備え、即座に臨戦態勢を取った。
「……手鞠、誠司。絶対に離れるんじゃないよ」
足元の非常灯が、廊下に残る血痕を照らしていた。
それは道標のように、奥の部屋へと続いていく。
終着点は、とある開け放たれた扉の先。
ひどく薄暗い室内。ブラックアウトしたモニターの群れ。
その下に──自分達の知らない、誰かが居た。
「────やあ、どうも」
床に倒れたそのデジモンは、どこか聞き覚えのある声で言う。
「……え、何で……デジモン……? おにーさんたちは?」
赤い海に浮かぶ白亜の戦士。
既に、分解が始まっていた。
「「……」」
何故、彼がその声をしているのか。こんな状況になっているのか。
その疑問を、ライラモンとメガシードラモンは言葉にしなかった。
──察したわけではない。気付いたわけではない。
ただ、目の前の炎が消えるまでの残された時間を──それに割いてしまうのは惜しいと思っただけ。
「あ、足……無くなって……このままじゃ死んじゃう……!」
「すぐ連れて帰ろう! あんなに酷くても、マグナモンさんなら治せるかもしんないよ!」
手鞠は狼狽えた。誠司が急かすように促した。
メガシードラモンは少しだけ首を伸ばして──ヴァルキリモンの顔を覗き込む。
「……きみが、『マグナモンの仲間』?」
「……──ボクらは……そんな素敵な関係じゃ、なかったよ」
乾いた笑いが漏れた。
「……こんなになるまで、たたかってくれたんだね」
何故だかメガシードラモンは、彼の身体を掬い上げようとはしない。ライラモンは、何も言わなかった。
「全部、自分の為だ。ボクがしてきた事なんて」
「それでも……きみが、きみたちが、イグドラシルの機械をこわしてくれなかったら……オレたちはここまで来れなかった」
ヴァルキリモンは「そうか」と顔を上げ、「役に立てたなら、よかったよ」
子供達は焦りを増す。どうしてパートナー達は、彼を連れて行こうとしないのか。
そんな二人の肩に、ライラモンはそっと手を置いた。
「────なあ、アンタ。見送るかい?」
それは──彼がもう助からない事を、連れて行く事が出来ない事を。
もう間に合わない事を、示唆する言葉だった。
「いいや。……ボクは、ひとりでいい。ひとりがいい」
提案を拒む掠れた声。
「……でも……そうだな。ひとつだけ……」
やはり聞き覚えのある淡白な声色は、最後に乞う。
「キミ……花、出せる?」
「……花?」
「一輪だけ、欲しいんだ。……できれば、向日葵がいいな。ちょっとだけ……良い思い出が、あるから」
ライラモンは思わず困惑の色を浮かべる。
けれど理由は聞かず、望み通り──花弁の手を掲げ、一輪。鮮やかな黄色い花を生み出した。
「……これでいいかい」
小さな向日葵を、白亜の手に握らせる。
彼の血で、汚れてしまわないように。
ヴァルキリモンは嬉しそうに口角を上げた。……ライラモンとメガシードラモンは、それを見て胸が苦しくなった。
そのまま彼に別れを告げる。泣きながら立ち止まろうとするパートナーの背を、押して進んでいく。
──ああ、許してくれ。
目の前の命を救うには、自分達の命を使いきっても足りないのだ。
──どうか許してくれ。
名も知らぬ協力者よ。自分達が生きる為に、此処で見殺しにする事を。
心の中で何度も謝りながら──けれどそんな二人の感情とは裏腹に、彼らの背に向けヴァルキリモンは言った。
「ありがとう。キミ達は本当に、よく頑張ったね」
◆ ◆ ◆
──再び、管制室は驚く程に静まり返る。
ヴァルキリモンの全身から力が抜けていく。
大きな吐息となって、それは流れ出た。
身体の分解が一気に進む。
「……」
痛みは無い。
だから最期まで、ゆっくりと思考することができるのだ。
彼女の願いは遂げられた。
自分の作戦も成功したし。
世界もちゃんと救われて。
巻き込んでしまったあの子達も、どうやら無事に帰れそうだ。
何だかんだ、全てが上手くいったのだ。凄いぞ。これほど贅沢な事はない。
これほど──幸せな事はない。
「ああ、よかったなあ」
満足げに微笑みながら。
最後のわがままで手向けてもらった黄色い花を、胸に抱いた。
「……」
遠い日。夏の匂い。
いつか彼女が見つけた、向日葵畑を思い浮かべる。
過ごした日々を、いつだって隣で眺めていた笑顔を──想い浮かべる。
「……。……──みちる」
────どうか、どうか。
彼女がちゃんと笑える日が、今度こそ訪れますように。
心から、彼は願った。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
──水晶の群が軋む。
割れて、崩れていく。
耳を突くような轟音。喧しくてうるさい筈なのに、ベルゼブモンには周囲がとても静かに思えた。
戻って来るまでの間、此処で何があったのかは知らない。──自分はただ、憎悪すべき黒紫を狙って撃っただけ。それが運良く同行者達を巻き込まなかっただけの事。
だから、そこまで礼を言われる事もないのだが──と、思う。
上空を仰ぐ。見当たらないあの二体は、どうやら戻って来るらしい。
此処が崩れて無くなるのと、どちらが先か。いずれにせよ、自分がそれまで留まる事に異論はなかった。
「……」
大切なものは、既に腕の中に在る。
離れてしまわないよう抱き締める。
仮に足場が崩れても大丈夫だ。今の自分には、彼女が授けた翼があるのだから。
深い穴の底から、どこまでも飛んで行けるのだから。
「……──」
成長を続ける光の根。壁は次々と崩落し、視界に空が広がっていく。
すると、男は自らの視覚情報に違和感を覚えた。
どこまでも果ての無い空。
灰色にしか映らない筈の空。先程までは確かにそう見えていた筈の空。
何故だかそれが、いつもと違う色に見えて────
「────ベルゼブモン?」
声を聞いた。
鈴を転がした様な、綺麗な声が。
「────」
仰いだまま、ベルゼブモンは目を見開く。
唇を震わせ、腕の中へ目線を落として──
「……──、──カノン……」
名前を呼んだ。
何度呼んでも届かなかった、少女の名前。掠れた声で、けれどはっきりと口にした。
「……」
少女の瞼は薄く開かれている。
美しい琥珀色の瞳は濡れ、長い睫毛の先に雫が結ぶ。そのまま、涙となって零れていく。
それを、男はそっと指で拭った。──触れた頬に一瞬、あの幾何学模様が浮かび、消えていく。
「……どこか、痛いのか。カノン」
少女は小さく首を振る。
「怖いのか。カノン」
少女はまた、小さく首を振った。
「────あなたが、」
白く細い指が、男の首元に触れる。
「生きて……いてくれて、……嬉しいの」
恐る恐る、不安げに。
そんな少女の手を、男は強く握り締め──自身の頬に当てた。
「大丈夫だ。俺は、ここにいる」
掌から感じる温度。やわらかな温もり。
安心したように、カノンは微笑んだ。
「……ありがとう、ベルゼブ……」
水晶が軋む音がする。瓦礫が轟音となって響き渡る。
それは遠い日、白黒の廃工場都市で聞いた鐘の音の様で。
声も、何もかも、掻き消してしまいそうなそれを聞きながら────二人は互いの鼓動を、確かに感じていた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
────時を遡り、第三階層。
黒紫の騎士が去った後、そこには血と肉の残骸が広がっていた。
水晶の瓦礫の上に転がる仲間達。
ブラックデジゾイドの針で身体中を貫かれた彼らへ、ワイズモンの使い魔が懸命の救護に当たっている。
『──電脳核周囲と主要器官の修復完了! 損傷率七十二、八十三……!』
『メガシードラモン! ライラモン! 頑張って!!』
早急な処置が実を結び、辛うじて一命は取り留めていた。
しかし──デジコア本体の損壊は免れたものの、傷が多すぎてデータの漏出が深刻だ。このままでは肉体が維持できなくなる。
失ったデータを補うべく、ワイズモンは亜空間から使い魔を生成・転送し続けた。それを二人の体内へ溶かしていく。
だが、使い魔はあくまでワイズモン──ウィッチモンであった彼女のデータから派生するものだ。独立した存在ではない。
量産するほど彼女のデータが擦り減り、擦り切れ、使い魔の質は低下する。柚子が同時進行でパートナーのデータを補完するものの、ワイズモンの消費速度はそれを上回っていた。
『……生成が追い付かない……ッ──水晶を糸に変換し、物理的縫合を……!』
『で、でも、誰が縫うの!? そんなこと出来る使い魔もう残ってないよ!?』
『通信用個体を分離させます!』
今送り込んでいる使い魔には、もう視力どころか聴力も通信機能も備わっていない。ただの餌にしかならないデータの塊。
……アポロモン達と共に送るつもりだった個体は貴重な一体だったが──空間を超える前に消し飛ばされてしまった。完全体程度では、天の座をその目で見る事さえ許されなかったのだ。
故に今、天の座で何が起きているのかは分からない。
当然ながら探知も不可能だ。……どうかに上手くやってくれている事を、願うしかなかった。
「……──ら、……いら、も……」
赤い海にだらりと打ち上げられた、メガシードラモンは虚空を見つめている。
「……どこ、に……」
身体は動かせない。けれど必死に仲間の姿を探そうとしていた。
遠く視界の端でぼやける、人影のような何かが、倒れて動かない何かが──仲間でない事をひたすらに願いながら。
『ッ……縫合箇所からデータが漏れ出してる……! 三十番までの個体は分散なさい!』
『……!? ま……待って、ワイズモン……』
『穿孔部の閉鎖を最優先! ……使い魔をもっと送らないと……!』
『ワイズモン!! ……腕、なくなって──』
いつの間にか、ワイズモンの深紅の袖から腕が消えていた。
──間接的とは言え、自身のデータをロードさせているのだ。当然、その代償は避けられない。
『ワタクシの事はいい! ホーリーエンジェモンだって、都市を守る為に四肢を捧げたのだから!』
『でもこのままじゃワイズモンが……ウィッチモンが……!』
死んでしまう。
献身に耐え切れず、彼女まで。
『──そ、』
それは、駄目だ。
パートナーが死ぬなんて駄目だ。でも仲間が死ぬのだって駄目だ。もう誰一人、欠けてなんてたまるもんか。
心臓の音がバクバクと高鳴る。柚子の呼吸が荒く、浅くなっていく。
冷静になれと言い聞かせる。ワイズモンの消耗を補おうと、デジヴァイスを握る手が震えていた。
『……ワイズモンが、死んじゃったら……帰り道はどうやって開くの!? 此処からじゃなきゃ……此処だから繋げられるんでしょ……!?』
『────』
『それに矢車くんと村崎さんは!? マグナモンはもういないのに、ワイズモンまで死んだら二人とも戻れなくなるんだよ!?』
ワイズモンは下唇を噛み締める。──柚子の言う事は、尤もなのだ。
『私を取り込んで。今からでも……! その方がもっと速くワイズモンをカバーできる!』
『──ですが、ユズコ。それをしたら……それでワタクシが、この身をロードさせ続けたら──貴女、ワタクシの中で分解……』
『やってみなきゃわからない! 死んじゃってからじゃ遅いんだから!』
『────っ……!!』
「……、……せいじ」
水晶に身体の熱を奪われながら、メガシードラモンはパートナーを想う。
見送ってくれた仲間達を、雨が降る故郷を思う。
視界には誰もいない。
「……」
──皆に、会いたい。
「……、……しにたくない……」
『ワイズモン!!』
『……、──ッ……、……わかりました、パートナー……!
──使い魔による修復機構、設定可能限度四十秒まで全自動化。選ばれし子の量子変換────』
その時。
亜空間のモニターが、熱源反応を観測した音を立てる。
『『────!!』』
観測されたのはひとつの電脳体。
そして、それに近い何かが。
下方から真っ直ぐに上昇してくる。──仲間達の場所を、目指すように。
『……これは……』
自動解析されたデータのひとつが、既存の記録と八割一致した。
ワイズモンは目を疑った。それが観測された事も、その反応から──毒の反応が、無くなっていた事にも。
『……──そうでしたか。先程のは、貴方が──……』
──やがて聞こえて来る翼の羽音。
メガシードラモンの聴覚が、ぴくりと反応した。
誰かが来る。警戒しなくては。立ち向かわなければ。──そう思ったが、身体を動かせない。
「……、……」
霞む視界の中。黒い何かが風に乗り、舞っていく。
メガシードラモンはそれが羽根だと気付いた。こんなもの、自分は知らない──
「……あ、……」
眼球が人影を捉える。
そこには、────墜ちて逝った筈の黒い男が。
見覚えのない翼を背に、見知らぬ誰かを胸に抱いて、立っていた。
びちゃり、と。赤い水溜りを踏む音がする。
男は────ベルゼブモンは、無残に変わり果てた二体の姿をじっと見下ろしながら、
「──」
右腕を掲げた。
装着したブラスターが外れ、光の粒子へと分解する。
穏やかに漂いながら──二人の、身体の中へと。
「……!」
メガシードラモンは驚愕に目を見開いた。
男が生きていた事に、その行動に──そして、流れて来るデータから、毒の激痛を感じなかった事に。
すると──
「……返して、いるだけだ」
男は、静かに口を開いた。
「お前達から、喰った分を」
抱いた疑問に対する、些か見当違いな答え。
メガシードラモンは目を細めた。その拍子に、涙が溢れ零れていく。
彼に何があったのか、どうして来てくれたのか。全然、分からないけれど。
今は、何もかもどうでもいい。ただ──
「あ、りがとう」
自分達は生きられる。
生きて、また皆に会える。
それが嬉しくて、たまらなかった。
『……──わ、ワイズモン。私の……』
『いいえ。……もう、必要がなくなりました』
修復の為のリソースが確保された。漏出した分のデータも補う事が出来た。
残された使い魔による縫合も進み──モニターに示された二人の損傷率が、低下していく。
『……、……──良かった……』
数値の遷移を確認しながら、ワイズモンは深く息を吐く。自身の力不足を呪いながら、それ以上に安堵していた。
まさに奇跡だと、そう思いながら。
────微睡みの中、ライラモンは目を覚ます。
全身が穴だらけになった筈なのに、不思議と痛みを感じない。死んだのか、それとも神経データがバグを起こしたか、どちらかだろう。
薄目から差し込む光と、全身を襲う倦怠感に、前者の可能性を否定する。まだ、生きているようだ。
「……メガシードラモン、は」
声を出すと、喉に溜まった血がゴポゴポと音を立てた。
顔を横に向け、吐き出す。首から下は痛くて動かせない。
なんとか眼球を動かして、自分と同じく串刺しにされた仲間の姿を探した。
──すると、
「……は?」
酷く痛々しいが、幸いにも無事そうな仲間の姿。
そして──その側に、とっくに死んだであろう奴の姿があったのだ。
意味がわからなかった。
ひどく頭痛がするので、深く考えるのを止めた。
だが──ひとつだけ、分かったことがある。
「……ああ、……なんだ、会えたんじゃないか」
視界は未だ霞んでいて、それがあの少女かは分からなかったけれど。
男がとても大事そうに抱いているから、きっとそうなのだろうと──そうだったら良いと、ライラモンは思った。
◆ ◆ ◆
「「せーーのっ!!」」
清潔感漂う白い部屋に、二つの掛け声がこだまする。
白い床に転がる、白いシーツに巻かれた繭のような子供達。そんな彼らを、手鞠と誠司はひとりずつゲートの中へと押し込んでいた。
子供達は目覚めなかったのだ。二人が何度も身体を揺すって声をかけても、静かに呼吸するだけ。起きる気配さえない。このままでは埒が明かないと──悩んだ末に、二人はある作戦を思い付いた。
空いているベッドからマットレスを剥がし、床へ敷く。子供の身体をシーツで包み、ベッドからマットレスへ引き摺り下ろした。そのままゲートまで手鞠が引っ張り、誠司が押していくのだ。
それを、ひとりずつ繰り返していく。
幸いゲートは柚子が開放したまま、既定人数が収容されるまでは固定されている。焦る必要は無い。
「はぁ、はっ……、か、海棠くん、次の子……!」
──とは言え、自分達と同等の体格の子供達を運ぶのはかなりの重労働だった。
手鞠の腕力は人並み以下であるし、誠司に至っては左半身がうまく動かせない。
「……くっそー、体に力はいんねー!!」
「だ、台車、ほしい……」
全身の筋肉が痙攣して痛い。こんなことなら普段から運動しておけばよかった。
デジモン達であれば、簡単に彼らを運んであげられるのだろうか。そんな思いが一瞬、過って──
「……っ、わたしたちだけでも、やれるんだから……!」
自分を鼓舞し、ありったけの力を振り絞る。
長いこと時間をかけて──ようやく、最後の一人をゲートの中へと押し込んだ。
「よっしゃ全員終わったー! ……寝たままだけどいいんだよな?」
「う、うん! そのはず!」
目覚めるか否か、以前に。寝たきりだった子供達が、自分の足でゲートを超えるのは困難だとワイズモンも想定していた。
故に、ゲートはエレベーターのような開閉式。かつて地下牢で開いたものと同様──閉じて開けば、目の前にはリアルワールドが広がっている。
「……病院の前とかに、繋がってるといいんだけと……。でも、とにかくこれで──」
光の道で転がる子供達。
報告した分の人数が収容されると、ゲートは大きく輝いた。
「今度こそちゃんと、皆が帰れる……!」
少しずつ、リアライズゲートの入り口は小さくなっていく。
子供達を包んで、デジタルワールドから消えていく。
──どこか、懐かしさを覚える光景。
「「……」」
いつか、遠いお城の地下室で。
囚われた子供達が帰るのを見送った。自分達は残ると自分で決めたのに、閉じていくゲートを見て泣いた。
けれど──
「……これを通るのは……もう少しだけ先だからな」
今はもう、泣かない。
友が全てを終えて、戻ってくると信じているから。一緒に帰れると信じているから。
真っ直ぐに、しっかりと。二人は見送り──そして、見届けた。
ゲートが消滅し、彼らの前には再び殺風景な収容室が広がる。
誰もいないベッドの群れ。そのひとつに、誠司は腰をかけた。
咳込む彼の背を、心配そうに手鞠がさする。
「ありがとう。張り切りすぎちゃったな。……でも、オレの事より……」
「……うん」
友は、パートナー達は無事だろうか。
無事でいて欲しい。せめて生きてさえくれていれば。
不安を胸に、誠司はデジヴァイスを取り出す。柚子に連絡を取ろうと──
「──!! うわぁっ! 何だ!」
「じ、地震……!?」
突然、収容室の床が跳ねるように大きく揺れた。
◆ ◆ ◆
塔全体を揺らすかのような異常な振動は、間も無くして亜空間でも計測される。
『最上層に高エネルギー反応! 下層に干渉してる……!?』
「……上って……アイツらは!?」
まだ全身に残る痛みに顔を歪めながら、ライラモンとメガシードラモンは身を起こした。
「……今のウチら程度で、加勢になるか分からないけど……今ならコイツだって──」
言いかけて、再び大きな振動に身体をよろけさせる。
思わず上を見上げると、そこには────目を疑うような光景が広がっていた。
ワイズモンのデジタルゲート、そしてクレニアムモンが抉じ開けた穴──最上層と繋いだ空間から、巨大な光の根が突き出していたのだ。
それが、伸びていく。水晶の壁を破壊しながら。
「……何さ、あれ……」
『不明です! 敵性反応はありませんが、それよりも第三階層の物理的破損が……!』
先程の衝撃の原因は、間違いなくアレだと誰もが気付く。
破壊されていく第三階層。崩れて散っていく水晶の瓦礫。──何が、起きているのか。
空間の破壊の影響か、亜空間と天の塔との通信も不安定になり始めた。
最悪、遮断さえされなければ──仲間達の座標さえ捕捉できていれば、問題は無いのだが──
「……。……おい」
突然、ベルゼブモンがメガシードラモンのヒレを掴む。
驚いて振り向くと──ベルゼブモンは、根により崩落した壁を指差していた。
「あれは、お前が」
「……え?」
「下で……見ていたやつだろう」
「……────ぁ」
メガシードラモンは目を見開く。
崩落した壁。露出した外の空間。
天の塔に停滞していた毒の暗雲が──飛び出した光の根に、吸収されていく様を。
──もしもこれが、クレニアムモンが望んだ未来の形だったなら。
こんな事にはなっていない。世界が創り変えられる過程で、こんな回りくどい手段は取られない。自分達も世界も、とっくに毒もろとも消滅している筈だ。
「……じゃあ、アイツら……本当に……」
残された雨水は透き通り、砕けた水晶の破片と共に光を反射する。
その様に、水のにおいに、メガシードラモンは気が付いた。
降り注ぐ雨の中────もう、毒は溶けていない。
「──あ……ああぁ……!!」
仲間達がやり遂げた。
生き抜いたのだ。
長かった雨が────ようやく降り終わる。
「皆……!! ──ッ! ありがとう……ありがとう……っ!!」
メガシードラモンは泣き崩れた。身体を震えさせ、声を上げて泣いた。
都市に注いだ毒も消えていくだろう。これ以上、誰かが毒で死ぬ事は無いのだ。
泣きじゃくる彼の背を、ライラモンが少しだけ乱暴に叩いた。泣くのはまだ早いと言わんばかりに。
「なあ、ワイズ──」
『テマリとセイジは無事です。セイジも、状態の悪化は見られない』
「……話が早くて助かるよ」
毒を吸い上げる光の根は、相変わらず塔の破壊を続けている。
此処もいずれは危ないだろう。このまま仲間達の帰りを待ちたかったが、根が第二階層に侵食すればパートナー達に危険が及ぶ。
『ゲートは収容室……メガシードラモンは入れないので、付近に直接繋ぎます。そこの使い魔を一体連れて行って下さい。ワタクシ達はその間に脱出経路の確保を』
「ほら立ちな。こんな場所さっさとおさらばだ」
「うん……」
崩れ落ちた移送機の残骸が光り、ゲートが開かれる。この先で、パートナー達が待っている。
ふたりはどうするの? と、立ち止まったままの男にメガシードラモンは尋ねた。崩落が進行する第三階層より、第二階層の方が安全な可能性はある。
「……俺達は……。……俺は、カノンとここにいる」
あまり彼女を動かしたくないのだと、表情で訴えた。
「わかった。……うん。きみがいるから、その子も安心だね」
「……」
「それじゃあ……また、あとでね」
「……、……ああ」
男の返答に、メガシードラモンは満足げに微笑んだ。
「ワイズモン、ゆずこ。二人も、オレたちを助けてくれてありがとう」
『……』
──こちらこそ。生きていてくれてありがとう。
ワイズモンは小さく呟く。しかしノイズが邪魔をして、声は仲間達に届かなかった。
「────」
ベルゼブモンは少しだけ二人を見送ると、再び少女の寝顔に目線を落とす。
その傍らで、最後の一体となった使い魔が心配そうに彼らを見守っていた。
男がずっと探していたパートナーの少女。……目覚める様子はない。
モニターで彼女のバイタルを確認する。生きては、いる様だが。
『……あ、あの、……』
柚子が、気まずそうに声を掛けた。
『その人、……もう、──』
とっくに、人間の反応ではなくなっている。
バイタルも酷く不安定だ。何か処置を、した方がいいのではないか。
そう伝えようとして、言い澱む。──すると、
「わかってる」
遮るように男は言った。──言い切った。
柚子は言葉を失った。咄嗟にパートナーの顔を見ると、ワイズモンは静かに首を横に振る。
『……上に進んだ仲間達が、……絶対、戻って来ます。その子と迎えてあげてくれませんか』
「……」
『合流次第ゲートを開きます。全員で脱出して下さい。それと……こちらとしては、生体反応さえ確認できれば十分ですから。この個体に関しては一度、通信を切っておきますので』
「……。……ああ」
『……それと、貴方も……ありがとうございました』
男は黙したまま。そして使い魔もまた、それだけを言い残し沈黙した。
いいの? と言いたげな柚子に、ワイズモンは「ええ」と短く答える。
──彼と彼女の間に在った物語を、ワイズモンは知らない。
けれど今は、二人にさせてあげたいと思ったのだ。きっと、何よりも待ち望んだ再会なのだから。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
────空を昇る。
大剣を握り締め、杖のように床に突き刺して、杭のように壁に突き刺しながら。
昇っていく。
「──……兄さん」
身体の痛みも、錘を括り付けられたような重さも、今は感じない。
「……にい、さん」
ヴァルキリモンがくれた羽の温もりも、背中を押してくれる追い風のような錯覚も、もうわからない。
それでも進む。
酷く欲張りな、一縷の願いを胸に抱いて。
「……」
あと少し。
……なのだろうか。そうだといいけれど。
間に合うといいな。
入れ違うかもしれない。そうしたら、もう仕方ないか。
滲んだ視界に映る、移送機の残骸は星の様。なんだかとても綺麗に思えた。
揺らめく星の海に大剣を突き立てて、最上層への道を繋いでいく。
邪魔をする結界はもう無い。
アタシを阻む者はもういない。
キラキラと、キラキラと。広がっていく天の川。
さあ、行こう。
「一緒に。……──ミハル」
◆ ◆ ◆
────そしてアタシは、光の中に愛おしい姿を見る。
二人は目を丸くさせてこちらを見ていた。
当然だろう。いきなりこんな美少女が現れたのだから。
……それが、アタシがアタシだから驚いてるのか、それとも見知らぬデジモンが現れたから驚いてるのか。
彼らは兄なのか、まだそうではないのか。──分からないけれど。
とにかく今、此の場所にいるのが彼らだけという事は──イグドラシルに関しては上手くいったのだろう。
熾烈な戦いが繰り広げられられたのか、二人とも想像以上にボロボロだった。
さて、何を言ってあげようか。
おつかれ? おかえり? はじめまして?
何でもいい。アタシは頑張って、血が溜まった喉から声を絞り出そうとして──
「──あ、」
そんな、呆けた声を出した。
ああ、だって、
『……ねえ今、何か変な音した……』
メルクリモン、貴方の上に。
ひび割れた白の天井の上に、何かいる。
マグナモンのような形の、黒い何かが、残っているの。
「──!! メルクリモン! 花那!! 離れ──」
ぱりん。
──そんな小さな音を立てて、天井の一部が剥がれ落ちた。
それを合図とするかのように、
水晶のステンドグラスが、一斉に弾け飛んで──
「────マッドネス!!」
気付けば駆け出していた。
不思議と足が動いていた。
床を蹴り、突き進む。鉛のように重たい身体が、こんなにも言う事を聞いてくれるなんて。
「メリー、ゴーランド──!!!」
大きな音が聞こえた。
ガラスの割れる音。誰かの叫び声。
全部、全部、アタシの剣が吹き飛ばしていく。何がなんだかわからなくなる。
見上げればキラキラの欠片。ドロドロの何か。
混ざり合って、焼けるように熱くて、
視界が、真っ暗に、
「「────ミネルヴァ!!」」
名前を呼ばれた。
……よかった。
◆ ◆ ◆
──今、思えば。
あの日──リアルワールドの空にオーロラが、たくさんのゲートが輝いたあの日。
アタシはどうして、部屋の外に出てしまったのだろう。
知っていたんだ。二人がリアルワールドに来ていた事。
気付かない訳がない。アタシ達は繋がってるんだから。
でも、彼等の擬似核と繋がっているからこそ。出会う事で記憶を刺激したらいけないから。
本人達とは会わないように、ワトソンくんと決めていた。遠巻きに、あの子供達から様子を聞く程度にしようって決めていたのに。
『────君! 怪我はない!?』
心配になってしまったんだ。
襲来したデジモンに、兄達が殺されるんじゃないかと思って。また命を繰り返すんじゃないかと思って。
『もう大丈夫。ブギーモン……君を襲った赤い奴は、俺たちがやっつけたよ』
家にいれば良かったのに、様子を見に来たりなんかしたから。
そんなアタシの浅はかな行動で、アタシ達は出会ってしまった。
『……あ、その、俺たちにも驚いたと思うけど……』
『コロナモン、この子を一人で置いてくのは心配だ。……また、あのゲートからデジモンが出てくるかもしれない。蒼太と花那と安全な所へ──』
どんな因果かは知らないけれど。
運命なのかは分からないけれど。
それでも本当に、遠くから眺めるだけで終わろうと思っていたんだよ。
『──大丈夫? やっぱりどこか痛むの?』
それなのに、「どうして?」
『だって君、涙が』
────ああ。
これは、
「違うよ」
なんて様だろう。これじゃ女優失格じゃないか。
「──うん、そう。違うんだ。目に煤が入っただけ」
『俺のやつだ! 火傷してない!?』
別に、なるつもりもないけれど。
とにかくアタシ達は、傍観者じゃなきゃいけない。表舞台に立っちゃいけない。
そうしないとアタシはまた、取り返しのつかない事をしてしまう。きっと誰かを死なせてしまうから。
だから、
「へーきへーき!!」
嘘を吐け。塗り固めろ。
「平気だよ、大丈夫。アタシには、“家族”がいるからね」
今度こそ、二人を連れて行く為に。
「────みちる! みちる!!」
そして金属バットを手に、遅れて登場した脇役セカンド。
二人を見て青ざめる彼へ、アタシは満面の笑みを振りまいてあげた。
「ワトソンくん! もー、遅いよー!」
「……みちる、その二人……」
「そんなわけで、アタシはもう大丈夫です! そっちも急いでるんでしょ? 引き止めちゃってごめんねー」
『よかった、家族が来たなら安心だ。……僕らは友達を探しに行くよ。さっきみたいな奴が、まだ他にもいるかもしれない』
『危ないから、二人もすぐに帰った方がいい。わかったね?』
そう言い残して────去っていく。
愛しい背中が、いなくなってしまう。
「じゃあね! 助けてくれてありがとー!!」
気が狂いそうになる。
「……みちる、平気?」
けれど、そう一言。
アタシのメンタルを心配する、その言葉に少しだけ救われた。ひとりぼっちにならなくて良かったと、心底思う。
「……あの侵略者を、キミは目が合った時点で殺しておくべきだった。ボクが此処に来るまで三匹そうしたように」
「……だから金属バット? ……たらればの話はしないでよ。起きちゃったものはしょうがないんだから」
「ああ。でも──これでもう、キミはこの事件の関係者だ。これ以上お互いの電脳核の影響は無視できない。……やり方、変えないとね」
相棒はいつだって冷静だ。時たま、憎らしくなる程度に。
その言動と表情は、噛み合っていなかったけど。
「──ミネルヴァ」
「違う。……それは今、アタシじゃない」
「…………」
「……馬鹿だねぇ。お前がそんな顔してどうするの」
アタシは、“みちる”。
デジモンじゃない。ただのか弱い女の子。
かつて出会った一人の少女と、同じ容をしているだけの。
だから、アタシはまだ──それを演じていなければ。
廃墟の前で体育座り。美しくて憎らしい空を眺める。
それにしても、あの赤い奴。よくも台無しにしてくれかけたな。絶対に許さない。
──まあ、それはさておき。
「……、──はぁ」
先程の数分間なんて無かったかのように、アタシは心を切り替えるのだった!
「あーあ。──正直、死ぬかと思った」
なーんて。
◆ ◆ ◆
風が吹く。
何もかも吹き飛ばしてしまえと、ありったけの力を込めて。
それは最後の毒の騎士を切り刻み、白い壁に黒い花を咲かせていった。
「ミネルヴァ……ミネルヴァモン!!」
目の前で崩れ落ちる小さな身体。
メルクリモンは手を伸ばして、毒にまみれた細い腕を掴もうと──
「待てメルクリモン!!! ──毒を焼け俺の炎! 早く……ッ!!」
アポロモンが転がるように駆け戻る。白い床を真っ赤に濡らしながら。
メルクリモンとミネルヴァモンの間に割って入ると、彼女の身体を毒ごと炎で包み込んだ。
『アポロモン!? そんなことしたら焼け死ぬ!』
「毒で変わる前に!! この子はウイルス種だ!!」
『……──!!』
太陽の炎が毒を焼き祓っていく。──しかし毒は既に内部へと浸透し、ウイルス種の身体を蝕み始めていた。
「ああああ……駄目だ入るな! やめてくれ! こんな……!!」
「身体に入った毒も焼け! 僕とミネルヴァのデータを置き換えるから!!」
侵された内部のデータを焼き、損傷分をアポロモンとメルクリモンのデータで補う。もう、そうするしか手がない。
──その行為が過ぎれば、二人がどうなるか。
理解している。そして、それを、
『──続けてアポロモン! 私たちがカバーする!』
『もう毒なんかで死なせない! 絶対に……!!』
蒼太と花那は止めなかった。
このデジモンと会ったのは初めてだけれど──でも、知っている。二人の記憶の中で彼女は笑っていた。
その笑顔は、かつての二人のパートナーとよく似ていて。
その声は、──さっきの声を、自分達は知っているのだ。
『──何でだよ、みちるさん……!!』
焔が燃えていく。
二つ分のデータが、小さな身体に流れ込んでいく。
肉体は既に毒に由る変異を開始していた。
歪に形状を変化させた肉体。その部位を焼き、失ったデータは自分達のそれをロードさせる。
繰り返す。繰り返していく。
体表のテクスチャは焼け焦げた。もうきっと毒は残っていない。
だが、問題は内部だ。侵食スピードが速く、アポロモンの浄化が追い付かないのだ。
侵食が進む。かといって全てを燃やそうとすれば──焼失分のデータを補うのが遅れれば、内臓が焼けて死ぬ。
救い出せなければ、死なせるか、自分達が焼き殺すか、いずれかの結末を迎える事になる。
『い……イグドラシルは!? 助けてくれないの!?』
花那の声が、水晶の間に虚しく響いた。
『ここにも毒があるの! これも消してよ! 全部消してよ、ねえ!!』
『そうだ、人形……! 回路繋いだらベルゼブモンみたいに平気になるかもしれない!』
「俺達は生きた肉体同士じゃなきゃ回路を繋げられない! イグドラシルだから人形に繋げられるんだ! ……こんなに、こんなに回路があるのに……ッ!!」
「……助けてくれ。誰でもいいんだ、お願いだから! 僕らの妹を殺さないでくれ!! もう……奪わないでくれ……」
浄化によって焼け爛れてしまった手を、二人は強く握り締めた。
頭を深く垂れ、懇願の声を必死にかけ続ける。
──こんな結末があってたまるか。
また、自分達のせいで死なせてたまるか。
どうか助けてくれ。彼女の中の毒を消してくれ。
ここまで来たんだ。ようやく全部が終わったのに、こんな──。
『──!! 花那! メルクリモンが……!』
周囲に漂い始めた小さな光。
夏の川を浮遊する蛍のように。そんな見覚えのある光の粒子を見て──子供達は息を飲んだ。
もう、限界が近い。
『そ、蒼太も……アポロモンもだよ!』
ミネルヴァモンにデータを与え続けた結果だろうか。──ああ、確かに究極体の肉体を補填するには、膨大な量のデータが必要となる。それは蒼太と花那にも理解できる事だ。
だからこそ恐怖した。助けられないまま、自分達の分解が始まってしまった──
「────違う」
だが──アポロモンは否定した。ひどく声を、震わせながら。
「これは……このデータは、俺達のじゃ……」
アポロモンは、メルクリモンは──ミネルヴァモンへと流れ込むデータの中に、自分達のものではない何かを見る。
漂う光が形を成していく。
「「────」」
それは──黄金の輝きを抱く、小さな羽根。
遠い日、自分達を毒から救う為に、与えられた光。
──ずっと、自分達の中に在った光。
「……──ダルクモン?」
メルクリモンの瞳に映る、彼女は。
記憶の中と同じ笑顔で、手を──
「……ダルク……!!」
羽根が舞う。
紛れるように消えていく、玉響の夢。
────そして。
兄達から妹へ。ダルクモンの、かつての座天使オファニモンの神聖は受け継がれた。
──毒の侵食が止まる。光は太陽の焔に溶け、毒を祓っていく。
ミネルヴァモンから聞こえる呼吸の音が、少しだけ、穏やかなものに変わった。
◆ ◆ ◆