◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その時、ひとつの命が産まれた。
白く、白く、白く、狂おしい程に白く。
美しく透き通った、音の無い世界で。
たった一人を除いて、誰に気付かれる事も無いまま。
ただ静かに、産まれたのだ。
*The End of Prayers*
第三十四話
「光を繋いで」
◆ ◆ ◆
天の塔、第二階層。
仲間達と別れ、二人。ライラモンと手鞠は奔走していた。
イグドラシルを、その宿主を見つけ出す為に。
「────本当に、頭がおかしくなりそうだ」
進んでも進んでも、同じ景色が繰り返す。
白く塗り潰された空間は、「探索」という行為をするには都合が良いのだろう。視界は明るく、異物があればすぐに見つけられる。だが──
「ずっといたら発狂しちまうね、こんな場所。……手鞠。怖かったら無理しないで言っていいんだよ」
『ううん、平気。ライラモンが一緒だから。……でも』
不思議と恐怖は無い。それは本当だ。
だが、胸の中のざわつきが止まらないのだ。──自分達が戦線を離れた今、その分も仲間達が戦っている。
仲間の現状は把握できなかった。一方的に通信を送る事は出来るが、返ってこない。それだけワイズモンと柚子にも余裕が無いのだろう。
ナビゲートが無い分、探索に対する不安もあった。熱源が接近すれば使い魔の猫が自動で反応するだろうが、効率は非常に悪い。
早くしなければ。早くイグドラシルとその宿主を見つけて、戻らなければ仲間達が危ない。
何より──マグナモンに言われていたタイムリミットまで、もう殆ど時間がない。今この瞬間に迎えたっておかしくはない位だ。
間に合わなかったらどうしよう。自分達はどうなってしまうのだろう。
『……っ』
「焦るんじゃないよ。……ああ、悪いね。生憎とお互いの感情もリンクするみたいだから」
『……ごめん。色々、間に合わなかったらって思ったら……』
「気持ちは分かるけどさ。なるようにしかならないんだよ」
楽観でも傍観でもなく、ただの事実。先の事を悩んでいる場合ではない。
そんなライラモンの言葉に、手鞠は「そうだね」と答えようとして──
『──! ライラモン、柚子さんの猫が……!』
「聞こえたよ。……まずい、向こうからだ」
水晶の壁の影から、異音と共に姿を見せる防衛機。
それも二体。ライラモンは大きく舌打ちした。
「ロイヤルナイツの玩具野郎が……こっちはソロだってのに!」
完全体に進化したとは言え、自身の力量には然程自身が無いのが正直な所だ。
メタルティラノモンの時のように、完全体相手ならまだしも──
「二対一なんてお断りだよ!」
背中の花弁を大きく揺らし、即座に飛び立つ。逃げ行く花を水晶が追尾する。
「……! くっそ速い! 追いつかれる……!」
『ねえ、向こうのやつ……壊したら使えるかも!』
手鞠が示したのは、自分達の頭上に続くマンションの外廊下。
破壊し、その瓦礫で防衛機を止めれば時間が稼げるかもしれない。
「ナイスだ手鞠!」
『でも先回りしないと! ライラモンが潰れちゃう!』
「そりゃ勘弁! 照準合わせるからタイミング見てくれ!」
『わかった! ……もっと離れて、もっと……! ──よし、今なら……!』
「マーブルショット!!」
防衛機が追るタイミングを見計らい、外廊下にエネルギー弾を放つ。
撃ち込まれる衝撃。コンクリートに似た素材は瓦礫と化し、一気に崩落する。
崩落した瓦礫が道を阻む、その隙に一気に距離を取った。
手近な玄関扉を開けて中に入り、部屋を抜けてバルコニーへ、そしてまた外に飛び出す。
外と言っても塔の内部。別の外廊下に繋がるだけだ。ライラモンは再び適当な扉を選んで飛び込み、それを繰り返した。
何度も、何度も、巨大なマンションの迷宮をがむしゃらに巡って────
「はーっ……に、逃げ切れた……!?」
ようやく、背後からの気配を感じなくなる。
ライラモンと手鞠は胸をなで下ろした。それから閉めた扉にもたれかかると、座り込み、呼吸を整える。
「二体同時はマジで無理……タイマンでも怪しいってのに……」
『逃げられて良かったね……。……あれ?』
視界に飛び込んできた景色に、手鞠はきょとんとして声を上げた。
「どうした?」
『ここ……部屋じゃなくなってる』
「……って、どういう事?」
『だって今まではちゃんと、玄関の中は部屋だったのに』
先程まで、玄関を開ければ廊下があった。奥に進めば広いリビングがあった。そして殺風景な部屋の先は、バルコニーへと繋がっていたのだ。
相変わらず真っ白だが、マンションとしての形状はリアルワールドのそれと同じもの。
────だったのに。
目の前に広がるのは。これまでの『集合住宅の一室』ではない。
もっと広く、どこまでも続くような廊下だけが在ったのだ。
「うわあ、ウチら何処いんの今」
塔の内装が変わったのか、それとも空間自体が別の場所に変わったのか。
分からないが、とにかく進んで行くしかなかった。幸い防衛機の気配も無い。
『柚子さんたちのガイドが無いと厳しいね……地図も無いし……』
「そもそもこの塔ってロイヤルナイツのものなんだろう? 何でこんな形してんのさ」
第一階層も第二階層も、リアルワールドのものばかりで構成されている。それも、誰が見ても異常な状態で。
『……多分、だけど……確かデジタルワールドの神様って、ベルゼブモンさんのパートナーさんに入ってるんだよね? だからだと思うの』
きっと、その人の中にあるたくさんのものが形になっちゃってるんだよ。
手鞠の推測に、ライラモンは「そういうものかい」と眉をひそめる。やはりよく分からなかったようだ。
『……! ライラモン見て、あそこ……何かあるよ』
言われるがまま首を捻ると、ライラモンの視界があるものを捉えた。
白い道の上に何かが散らばっている。キラキラと光を反射させながら。
近付いて手に取った。美しく透き通る、何かの結晶のようだ。
『石……硝子? ううん、宝石みたい……綺麗だね』
「欲しいなら持って帰るかい?」
『だ、だめだよ。勝手には……』
「まあ、帰ったらマグナモンの奴にでも頼んでみな。……と、向こうにも続いてるね」
『……』
散らばり方に法則性は見られない。
けれどこれは──まるで誰かの足跡を辿るようだ。そう、直感的に手鞠は思った。
『…………ライラモン。追ってみよう』
「罠だったらどうするんだい」
『綺麗な石は、お家までの目印なの。道に迷わないようにって』
「何それ?」
『わたしたちの世界の絵本にね、そういう有名な話があるんだよ』
「……そりゃあ随分ロマンチックだね。オーケー。乗ろうじゃないか」
ライラモンは結晶の道標を辿っていく。
すると程無くして、ライラモンの影の中から黒猫が顔を出した。「にゃあ」と、普段より警戒の薄い声で鳴いた。
黒猫が示す先には──今までと少しだけ外観の異なる、マンションの玄関ドアがひとつ。
『ライラモン……』
「……ああ」
中には一本の廊下が続いていて、美しい欠片が散らばっていた。
その先にはまた、扉がひとつ。
黒猫が再び「にゃあ」と鳴いた。
「……!」
ライラモンは駆け出す。
見た目よりもずっと長い廊下を進んで、扉に手をかける。
別の扉が続いていた。ライラモンは立ち止まらなかった。
開いて、進んで、何度も進んで、扉を開けて、欠片を辿って──。
そして
「にゃあ」
最後に二人を迎えたのは、病室を思わせる白いスライドドア。
ライラモンは、勢いよく開け放った。
◆ ◆ ◆
────そこには。
荒廃したエレベーターホールが在った。
昇降機はひとつだけ。電気が落ちていて、中は暗い。
その中に、『彼女』はいた。
白い肌に、艶やかな黒い髪。セーラー服を纏った、儚げで美しい容姿の少女。
俯いて、目を閉じて、じっと座り込んでいた。その腕に何かを抱きながら。
『……──か……カノン、さん……?』
名を呼ぶと、少女は顔を上げる。
長い睫毛が揺れ、琥珀色の瞳がライラモンの姿を捉えた。
「────誰?」
薄桃色の唇から、鈴のような声が零れた。
『……! えっと、すみません。わたし……』
「ライラモンだ。アンタを迎えに来た」
花の妖精は不愛想に答える。カノンはライラモンを見上げると、納得したように「そう」と言った。
「あなたが、“正義の味方”?」
『……え?』
「何の事か知らないけど、生憎そんな大層なもんじゃないよ」
「ひとりなのに、声が二つ聞こえるのね」
「諸事情さ。手鞠はウチのパートナーだけど、今はウチの中に入ってる」
「…………そう、やっぱり……他にもいたの。デジモンと一緒にいる、人間の子」
その声はどこか寂しそうで、けれど嬉しそうだった。
「アンタも入れたら六人か。『選ばれし子供たち』だってさ、アンタやこの子らみたいな奴をそう呼ぶんだと」
『それで、他にも……ブギーモンにさらわれた子が、いっぱいいて……。その子たち、塔のどこかに閉じ込められてるんですけど……』
「マグナモンから聞いてるわ。別の部屋で眠ってるって」
『……』
少女の受け答えは淡々としていて、手鞠は思わず戸惑ってしまう。
「いいじゃないか手鞠。話が早い方が都合も良いってもんだ。
そういうワケで、早速だけど来てもらうよ。アンタの中のイグドラシルも一緒にね」
およそ正義の味方とは程遠い口調で、ライラモンはカノンを指差した。
「えーっと……とりあえずアイツらと合流すりゃいいんだろう?」
『そ、そうだね。階は飛ばせないってワイズモンも言ってたし、まず三階には行かないと』
「──上まで連れて行ってくれるの?」
カノンの言葉に、ライラモンは「当たり前じゃないか」と目を丸くさせる。
「ウチらはその為に来たんだから」
「……よかった。私もう、動けないから」
「足でも挫いたかい? まあ、そもそも人間の体じゃ厳しいだろうさ」
『大丈夫ですよ。ライラモンは空を飛べるから、カノンさんもイグドラシルもちゃんと連れて行けます!』
「そういう事だ。──ほら」
ライラモンは少女に手を伸ばした。
「平気だって、スピード出すけど落としゃしないから」
────だが、
「どうしたんだい。早く……」
「──私の中で育った、イグドラシルは」
カノンは動かなかった。
「どんどん、おかしくなってるの。私の中にいたせいで」
『……え?』
座り込んで、腕の中に抱えた何かを抱きしめたまま──動かなかった。
「このままだともう、止められなくなるわ。そのうち塔だって維持できなくなる」
『…………カノンさん。それ……』
「だから……止めたかったから。私ね、あなた達が来る前に」
『何……持ってるんですか……?』
「────私は、『この子』を」
イグドラシルをそう呼んだ少女は。
腕の中に抱える「それ」を、見せた。
『……──!!』
手鞠は小さな悲鳴を上げる。
彼女が目にしたのは、決しておぞましいものではない。それどころかあまりに美しいものだった────けれど、
『……嘘、やだ……』
「手鞠、アレが何だって──」
『ここで、何が……あったんですか!? だってそれ……!』
カノンが抱いていたのは、イリデッセンスが鮮やかに輝く水晶の球体。
デジタルノイズを纏うそれが、生命を宿すものであると──そしてその中に眠る存在こそが、世界の神たるイグドラシルなのだと──解ってしまった。
『あなたから……生まれ……、──ッ!』
小学生とはいえ、生命の誕生については既に授業で習っている。この少女の身に何が起きたのか──生理的な恐怖が手鞠を襲った。
しかしカノンは、
「悲しんでくれるのね」
当事者であるにも関わらず、落ち着いた声で手鞠を宥めるのだ。
「ありがとう。でも、いいのよ」
『よくない……!!』
「きっと私、あなたが思ってくれたほど酷い事、されてないから。だからいいのよ」
『……よくないです。そんなの絶対……あっちゃ、いけない事だって……わたしにだって分かるのに……!』
「ただ、この子が宿っただけだわ。私の中に宿って、育って、羽化しただけ」
──そう、イグドラシル既に完成を遂げた。少女の中で、子供達の回路を通じて──マグナモンが長い時をかけて作り上げた修復プログラムは、ようやく役目を果たしたのだ。
そして羽化した「神」を──カノンは、己が肉体から引き剥がした。
産声など上がらない誕生。自身に溶け込む電脳体の強制剥離。どうやったかは覚えていない。がむしゃらに、直感と本能に従って────たったひとり、人知れぬまま。
だって、そうしなければならなかった。
生まれてこなければならないから、このまま体内にいてはいけないから。
それなのに、
「……駄目だった。私の身体から出れば……この子はもう変わらないって、思ったのに」
気付いた時には既に、体内で変質が進行していた。完了するまでは時間の問題だった。
だから生み落としたのに、どういうわけかそれが止まらないのだ。
「私が側にいたらいけなかったの。近くにいるだけで、この子はどんどん変わってしまう」
デジモンとパートナーとの距離が近い程、その影響が強くなるのと同様に──電脳体の神とその母体も、近くにいるだけで干渉し合ってしまう。
つまりイグドラシルの変質を停滞させる為には、少女が自害するか、物理的に二人の距離を離す必要があった。それこそ階層間の次元を超えれば、距離という条件が満たされる可能性は高いのだ。
「ねえ、この子を連れて行ってあげて。私は置いて行っていいから」
遠く彼方、天の座へ。イグドラシルが在るべき場所へ。
辿り着くべきは少女ではない。彼女が生んだ、光だけ。
「……ちょっと。なあ、嘘でしょ? アンタまで何言ってんの?!」
けれど──少女を置いて行く事を、ライラモン達が受け入れる訳がなかった。
「アンタまでアイツと同じ事言ってんじゃないよ!!」
『カノンさんも行くんですよ! だって……だってパートナーさんが……ベルゼブモンさんが、カノンさんのこと……!』
「────」
二人の言葉に、カノンは大きな瞳を更に見開く。
その言葉が、名前が。嬉しくて、悲しくて、声を詰まらせて────飲み込んで、前を向いた。
「……お願い。この子が居なきゃいけない場所は、私の側じゃないのよ」
わかるでしょう? そう、諭すけれど。
抑えきれなかった涙が溢れていく。零れて落ちて、宝石の欠片と成っていく。
それは、ライラモン達が辿った道標。
目の前の少女の身体が、既に真っ当な人間のものでは無くなっている事を理解するには十分な光景。
そして何より──それを少女自身もまた分かっているのだと、ライラモンは気付いたのだ。
「……。…………わかった。アンタは置いてく」
『ライラモン……!』
「恨んでくれ。ウチらが強くなかったせいで、アンタを今、助けてやれないことを」
もっと力があれば、究極体ほどの力を持っていたなら。
ロイヤルナイツなんてすぐに倒して、この子だって救えたかもしれないのに。
唇を噛み締める。そんなライラモンに、カノンは「ありがとう」と言った。
「────イグドラシル」
そして、腕に抱いていた水晶の球体を差し出して──
「ごめんね。おかあさん、あなたを抱いていてあげるって、言ったのに」
波のように揺らめく光彩が、ライラモンを包み込んだ。
「──!! ッ……な……!?」
『……! デジヴァイスが……!』
気付けば少女の腕に水晶は無く、宿っていたイグドラシルは手鞠が所持するデジヴァイスへと格納される。
勿論、一時的なものである。既に完成を遂げたイグドラシルにとって、手鞠は座へ向かう為の媒介でしかない。
ライラモンは自分の中でそれが行われた事に嫌悪感を示す。同時に、そんなものを宿し続けていた少女をひどく憐れみながら──
「死ぬんじゃないよ。終わったら、あの惚気バカ連れて来てやるから」
そう言って、踵を返した。
手鞠が止めようとする。しかし彼女に肉体の支配権は無い。
『……──カノンさん!』
手鞠は声を上げた。遠くなっていく少女へ届くように。
『わたし……こんなこと言っていい程、色んなこと分かってるわけじゃないけど……! だけどカノンさんはずっと、イグドラシルを……世界を守ってくれたんだって、思うから! だから……!』
「────」
『絶対、イグドラシルを連れて行きます!!』
──ライラモンが一度だけ振り向いて、手鞠の視界に、もう小さくなってしまった少女が映る。
カノンは微笑んでいた。微笑んで、手を振って。
手鞠とライラモンを──そしてイグドラシルを、見送ってくれていた。
◆ ◆ ◆
『……、……これで……良かったのかな……』
乳白色だけが支配する視界に、ぽつりと呟く。
「さあね。……でも、あの子の姿がアンタ達の成れの果てだって言うなら……、……クレニアムモンは、許しちゃおけない」
『…………』
「それにウチらは託されたんだ。託されたなら、もう……前に進むしかないんだよ」
『……うん……』
ああ、どうかさっきの言葉が、無事に彼女へ届いていますように。
手鞠は願い、ライラモンと共に前を向いた。
◆ ◆ ◆
桃色の花が白に溶けて見えなくなると、カノンは、何も無い腕の中にぼんやりと目線を落とした。
腕の中も、身体の中も、随分と軽くなってしまった。
それが、少しだけ寂しい。そう感じた事を、我ながら不思議に思う。
──正直。これで、自らの役目は全うしたと思っている。
逆を言えば、これ以上自分にできる事もないだろう。
あとはただ、此の場所で祈るだけ。どんな形であれ、全てが終わるのを待つだけなのだ。
光を託した少女達が、無事に辿り着けますように。
励まし合った彼女が、会いたい人に会えますように。
そしていつか、晴れた空の下。
彼が、生きていく事ができますように。
願わくば、その隣で────
「──……」
熱い吐息を深く漏らす。……ひどく、寒気がする。身体中が痛くてたまらない。
今に始まった事ではないのだ。自力で立って歩くなど、とうに困難となっていた。
その何もかもが、イグドラシルという高位の電脳体を宿し、そして無理に引き剥がした代償。ここまでずっと、ずっと、我慢してきたが、
「……そうだ」
カノンは震える手をなんとか動かし、スカートのポケットから音楽プレイヤーを取り出す。
ミネルヴァモンが渡してくれた母の形見。電源を押してみると、液晶に光が灯った。本当に充電してくれていたらしい。
そして────イヤホンをそっと、耳にはめた。
「────」
聞こえてくる、懐かしくて愛おしい旋律。
少女の白い世界を、彩っていく気がした。
「……、……お母さん……」
目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶ、幼き日の情景。
イチョウ並木の下に母がいる。──今駆け寄ったら、自分を褒めてくれるだろうか。よく頑張ったと言ってくれるだろうか。
夢でも構わないから、このまま──
「…………」
あたたかな雫が零れて、光の粒となる。
目を開けた。現実の白い光が射し込んだ。
涙の雨はとめどなく散っていくけれど。
心は、満たされているような気がして、
「……ああ、でも」
これでいいと、これで良かったのだと、言い聞かせて、
「…………疲れた……」
床へと倒れる。
遠のいて行く意識。美しい旋律の中。
どこかで、鐘のような轟音が聞こえた気がした。
◆ ◆ ◆
来たか! 待ってたぜ! ……と言いつつ少し遅れてしまいましたが夏P(ナッピー)です。
そういえば前回はオリンポス回想編だったな……というわけで時間軸戻ってきたと思ったら文字通り血沸き肉躍る展開で歓喜いや戦慄(先に後書きで言われててダメだった)。いや完結までに何本腕飛んで肉が飛び散って握り千切られそうなほど絞首されるんだろうこの作品。一話の内にサクッと平成ライダー風の「伝達ミスで本来仲間になれるはずだった相手が本気で殺意を抱いて襲い掛かってくる展開」がこなされるとは流石。ベルゼブモンもクレニアムモンも同じ事象を前にして同時に別々の理由で絶望・憤怒しているのがなかなか面白い。
カノンちゃんの描写(イグドラシルが“中”にいる)の直後に、クレニアムモンがワーガルルモン達を指して「子供達が“中”にいる」と言及してきたので迂闊にもドキッとしてしまった。このイグドラシルの出産というか妊娠というかは、もしやマトリクスエボリューションと近しいものなのでは……。
前回で言及されたので恐らくは……という感じでしたが、やっと来たな究極進化! 待ってたぜ! 同じぐらいズタボロにされてるメガシードラモンとライラモンには早く手当てを。
それではこの辺りで感想とさせて頂きます。
あとがき
こんにちはこんばんは! 作者です。
エンプレ第34話、お読み下さりありがとうございました!!
前回の回想編から、現実の時間軸へと戻ってまいりました。再びのクレニアムモン戦です。
クレニアムモン氏、元々は子供達との戦闘なんて受け流し程度にしか思っておらず心にも身体にも余裕がございましたが、ライラモンの行動で一変、ブチギレ案件です。報連相がいかに大事かがよくわかりますね。
33話は割と綺麗に血も肉も飛ばない感じでしたけど今回はやっぱり駄目でした。致命傷フェス。特にフレアモンとベルゼブモンはイラストに描き起こそうものならグロさで検閲喰らうレベルですね。可哀想に。
いやでも、やっぱり窮地とかってなると……こういう感じかなって……
ところで先日サロンにてエンプレ関連イラストを投稿させていただきまして、目的としてはご新規様ウェルカムだったり「本編終わる前に挿絵いっぱい描きたいやな?」って気持ちだったりと色々込められていた他、
そういえば子供達ってこんな紋章もらってたよね! っていう復習も実は込めてた的なやつでした。
あのイラストに出ていない紋章、あとひとつありましたよね! そう言う事です!笑
そしてそして。
第1話の冒頭、夕暮れの荒野で出会ったコロナモンとガルルモンがとうとう辿り着きましたよ。
やたらと子供達を「守る」事に固執してきた二人、決戦前夜と今回の瞬間とで大きく変わりました。
いよいよ最終決戦です。彼らと仲間達の戦いを、どうか見届けてやってください。あと少しです。
ちなみに現在の投稿日時は2020年の12月31日となっております。
年の瀬! まさに書き納め!笑
皆様、本年も大変お世話になりました。
連載開始から10周年を迎える事ができましたエンプレワールド、これも読者の皆様あっての事です。ありがとうございます!
来年は恐らく完結となるでしょう本作ですが、どうぞ来年も、最後までお付き合いいただければ幸いです。
来年もよろしくお願いします!! ありがとうございました!
それではまた次回!
◆ ◆ ◆
灼けていくようだった。
フレアモンの中で。
ワーガルルモンの中で。
何かが、燃えていく。砕けていく。
散らばっていたピースが、無理矢理はめ込まれていくような激痛が。
「────!! ────!!!」
絶叫が上がった。
圧迫されていく首を内側から抉るように、けたたましく響いて上がった。
やめろ。やめろ。頭の中がうるさい。
水晶に反射して突き刺さる、聞こえない筈の音が。
自分達の慟哭が。黄金の騎士の懺悔が。黒紫の騎士の嘆きが。いつか聞いた波の音が。朗らかに笑う誰かの声が。
「ッ……が、アァ!! ────やめろ……やめろ!!!」
やめろ。やめろ。それは此処には無い。
此処には居ない。もう、いないのに。
『フレアモン!!』
『ワーガルルモン!! ──ッ!?』
『……!? 花那……!』
────ああ、愛しい声が聞こえる。ここにいる、守りたい声が。
『そ、蒼太……っ。なんで……今、凄く悲しいのが……流れてきて……! ッ……あああ!』
『……これ……まさか、二人の。────』
守りたい。
ずっと、守りたかったんだ。
仲間を。友達を。家族を。
理不尽に死んでしまう事無く、毒になんて怯えなくていいように──守ってあげたかったんだ。
けれど。
────“……嘘だ。だって、毒が……そんな理由で世界は……俺達の家族は、死んだのか。”
────“■■■は、子供達は絶対に救ってみせる! お前達と刺し違えてでも……!”
“どうか、どうか。オリンポス十二神。世界を憂う同胞よ。貴方達のデジコアを、小生らに。”
「何をしている」
────無意識の、うちに。
折れた筈のフレアモンの手が、潰れた筈のワーガルルモンの手が。
自分達の首を締め上げる、騎士の腕を掴んでいた。
「……クラウ・ソラス」
騎士の声に槍は呼応し、主の元へ。
腕を掴む二人の腕を、切り落とす。
鮮やかな赤色が咲いた。
残ったもう一本の腕が、また、騎士を掴んだ。
「────」
騎士はその様相に、かつて自身を糾弾した“彼ら”の面影を見る。
それを、懐疑した。自らの言葉が記憶を触発したのだろうが、そんなものは作り物の電脳核になど継承されない筈だ。
「……そうか。貴様らの肉体と共に、最期の記憶も水晶に溶けていたか」
騎士を掴んで離さない、獣の腕。
気付けば────“彼らではない誰か”のものに、その形状を変えていた。
ノイズがかかり、蜃気楼のように。
腕だけが、あの日の憎しみを込めて。
「幸福な記憶は失ったまま、こうも歪に成れ果てる。……ああ、所詮は紛い物だ。その肉体も過ごした時も、記憶さえ仮初めの命達。その果てがこんな形とは」
そんな“誰か”の腕を見下ろし吐き捨てる、騎士の言葉はよく分からなかった。自分達の叫び声で聞き取れなかった。
「────我が槍よ」
分からない。分かりたくない。
思い出したいのに思い出すのが怖い。
そうすればきっと、腕だけじゃない。心だって変わり果ててしまう。潰れてしまう。
哀しみ、嘆いて、憎しみに溢れて。憤怒に燃えて。
今も守ろうとしている大切な者さえ巻き込んで────きっと取り返しがつかなくなるから。
それが、あまりにも怖いんだ。
「俺、達は」
浮遊する槍先が向けられた。
変わり果てた腕を切り落とす為に。見るに耐えない顔を胴体から切り離す為に。
埋められた作り物の電脳核を────今度こそ、砕く為に。
ライラモンの声が聞こえた。身体は動かなかった。
黒猫が柚子の声色で何かを言った。頭の中がうるさくて、やはり身体は動かなかった。
クレニアムモンは。
いつか見たあの時とは違う、悲しい程に冷徹な瞳を向けながら。
槍先を、断頭刃の如く振り下ろして────
『『────させない!!』』
瞬間。
二つの肉体が、弾け跳ぶように離脱する。
「────」
それは無自覚の回避行動。自分の身体ではないような感覚が、彼らを包み込む。
魔槍は空を切った。二人の足は壁に着地していた。
二人は何かに促されるまま顔を上げる。その瞳に映る黒紫に────子供達が、声を上げた。
『死なせない……! 二人をこれ以上……お前に傷付けさせない! クレニアムモン!!』
自らの感情を、真っ直ぐに込めて。
『何が……誰が「紛い物」だって言うの!? 私たちが一緒にいた時間はそんなものじゃない! 昔の二人が何だってそれは変わらない! 馬鹿にしないで!!』
『お前になんか殺されてやるもんか! デジタルワールドだって壊させない!!
俺たちは……生きるんだ! 生きて、生きて! ……こんな思い……二人には、もう……!!』
──本当は、泣いてしまいたかった。
回路を通して押し寄せる感情が──フレアモンとワーガルルモンに宿る悲しみが、憤りが、そして後悔が。
あまりにも大きくて、今この場で泣き崩れてしまいたかった。
けれど、それ以上に
『……フレアモン、ワーガルルモン! なあ、もういいんだよ……!!』
彼らの事を────救いたいと、願う。
『もう我慢なんてしなくていい! これまでのことも、これからのことも全部……! お前たちだけで背負わなくていいんだよ!!』
『私が……私たちがいるよ! だから……!』
その願いは。思いは。互いを繋ぐ回路を通じて流れて行く。
……伝わっていく。それはやわらかな風のように、心の中へと吹き込んだ。
「──蒼太」
フレアモンは思い出す。
廃墟での夜。最初に彼に抱き上げられた時を、あの時の温もりを。
「……花那……」
ワーガルルモンは思い出す。
廃墟での夜。最初に彼女が背に触れた時を、あの時の温もりを。
ああ、なんて────あたたかくて、いとおしい。
『コロナモン。俺たちが一緒にいるよ』
『ガルルモン。絶対、大丈夫だからね』
触れる事は叶わない。……それでも。
蒼太と花那は、二人を抱き締めるように、手を伸ばして────
────頭の中で。
鎖が外れたような綺麗な音が、聞こえた気がした。
◆ ◆ ◆
そして。
二人の獣は、その身に大いなる光を宿す。
◆ ◆ ◆
あたたかな光が溢れた。
優しい光が包み込んだ。
瞳に紅い炎が宿った。
瞳に碧い炎が宿った。
それは再生ではない。
過去の再現ではない。
かつてと同じ姿だったとしても。
「────フレアモン進化!」
「ワーガルルモン進化!!」
これは新生である。
勇気を、優しさを、愛情を、友情を。
紡いで、繋いで、辿り着いた姿である。
長き旅路を往く者達を祝福し、暗き地を陽光で照らす────究極なる二柱の獣達。
その、真の名を
「────アポロモン!!」
「────メルクリモン!!」
◆ ◆ ◆
彼方の空に光を見た。
「──ねえ、ご覧よヴァルキリモン」
ずっと、ずっと、待ち焦がれた光。
手を伸ばす。此処からはあまりに遠くて、届かないけれど。
「綺麗だねえ」
それでも、ここまで降り注ぐのだ。
朽ちた天井から射し込んで、水晶の墓標達を照らして──それは、さざ波の煌めきのように。
美しい。
「ああ、そうだねミネルヴァモン。──だから」
光を仰ぐ彼女の横顔を見つめて、ヴァルキリモンは柔らかく微笑んだ。
「時間だ。このデジコアを、二人に返してあげよう」
墓標の中に浮かぶ二つの結晶。
火を灯したように、穏やかに光を抱いていた。
第三十四話 終
◆ ◆ ◆
────落ちて行く。
どこまでも、どこまでも。
男は、落ちて行く。
倒すべき騎士は既に遠く。
向けられた手は届かない。
景色も、戦いの音も、何もかもが小さくなって──。
「────カノン」
何度も、何度も。
手を伸ばして、足掻いてみせたが。
結局、求めたものを掴む事はできなかった。
遠い記憶に見る、廃棄物の山に登ったあの時と──自分は何も変わらない。
「……俺は……」
最期は独り、コールタールの海の夢に沈んで。
暗く深い穴の底で溶け、果てていく。
その結末から逃げ切る事は、出来なかったようだ。
「……、……」
意識が霞んでいく中、肉体が一瞬だけ重力に逆らうのを感じた。何かに引っ掛かったのだろうか。
「…………お、前」
視線の先──彼の影に宿っていた黒猫が、その身体を瓦礫に巻き付かせていた。
何度か食った覚えのある、よく分からない何か。恐らく先の戦闘の最中、見えない同行者が宿したのだろう。
だが、そんな黒猫も長くはもたない。
伸縮する下肢は千切れ、落下し、残った前肢でまたしがみつき、そして落下する。
緩やかな墜落。
騒がしい雨の音。
見覚えのある水晶のスクリーン。
騎士が空けた次元の大穴が、男を迎えた。
「────」
──階層間を抜ける際に落下速度が落ちたのか、それとも影絵の猫が奮闘したのか。
穴を抜けた直後、ベルゼブモンの身体は水晶へ叩き付けられたが──彼の肉体は飛び散ることなく形を保った。
「……、──ぐ、」
くぐもった声を漏らし、口から大量の血を溢す。
形を保ったとは言え、辛うじてだ。
槍が刺さった背中は深部のワイヤーフレームが露出し、黒い液体が溜まりを広げている。
既に襤褸切れのようになった、影絵の猫が男の顔を覗き込んだ。床と背中の間にするりと入り、傷口に張り付いた。
そのまま、黒に溶けていく。
「……」
辛うじて、辛うじて。
命が繋がれた。男はまた、他者の命で自らを繋ぎ止めたのだ。
溶けたデータが身体を巡り、這いつくばれる程度にはなっただろうか。「自分が食べた同行者達に礼を言うべきか」──そんな彼らしくない思考を巡らせる。
それから、男は立ち上がろうとした。けれど起き上がれなかった。足が折れているようだ。
痛みの感覚はとうに失っていた。──動く片腕で何とか上半身だけ起こし、血走った眼球を動かす。
────これでは足りない。
視界の端に食い残しを見つけた。
出会った記憶のない防衛機の残骸。
「────」
喰らう。
掴んで、噛みついて、喰いちぎる。
やはり自分には、この生き方が向いているのだろうと思いながら。
喰らう。
「────」
身体を這わせ、次の獲物を探す。
──足りない。
もっと喰わなければ。データを喰い続けなければ。何故だか空腹は感じなくとも、そうしなければ──あの騎士を殺せない。あの子を、迎えに行けない。
だから男は、周囲に広がる水晶にさえ手を伸ばした。
この水晶も元を辿ればデータの塊。そう認識した訳ではなかったが、男は喰らった。
歯を砕いてでも喰った。顎を裂いてでも喰った。
這って、手を伸ばして、喰って、不思議と足が「ぐちゃり」と再生して、膨張した下肢の肉から毒を滴し、引き摺りながら進んで、喰って────そうして見覚えのない場所を、方向感覚も忘れて動き続けていく。
自分がどのくらいの時間、這いずり回っているのか。どのくらい進んだのか。もう、分からない。
それでも喰い続けようと、目の前に散らばる美しい欠片に手を伸ばした。
──その時だった。
「……」
何かを聞いた。小さな音だ。
同行者達のものではない。騎士のものではない。防衛機のそれでもない。
「……──」
どこかから。
いつか、聞いたような。
────綺麗な旋律が
「カノン?」
聴こえた、気がした。
男は。
力を振り絞って上体を起こした。
小さな音を頼りに這って、少女の名を呼んだ。
そうして────やがて、網膜を焼く程眩しい白の世界で。
男は視界の先に、透き通る瓦礫の山を見つけた。
崩壊した昇降機。
集合住宅のそれと同じ姿さえ、とうに保てなくなった、朽ちた移送機の残骸。
音が聞こえてくる、その中に
「────ぁ、」
少女の姿を見たのだ。
まるで、無機物の山に咲く花の様に──
「──……あ……あぁ……ッ」
埋もれていた。
「ぁあああああああああああああ!!!!!」
──叫ぶ。
叫んで、瓦礫の前まで這って、手を伸ばす。
「カノン! カノン……!!」
どうして。どうして。どうしてこんな事に。
瓦礫に手をかける。水晶の瓦礫は握ると容易に手のひらを裂いた。鋭利な硝子のようであった。
一つ一つの重量はそれほどでもないのだろう。だが、少女の肌を傷付けるには充分。男は腕を突っ込んで、頭を突っ込んで、彼女を守るように覆い被さって────。
少女の白い腕を掴み、なんとか引き摺り出した。けれど、
「──……!!」
触れた場所が冷たい。
呼び掛けても、返事をしてくれない。目を覚まさない。
それでも少女は、その手に小さな機械を握り締めていた。とても、とても大事そうに。
機械が奏でる美しい旋律。イヤホンのプラグが何かの拍子で抜けたのだろう。溢れた音色が水晶に反射し、男の耳に届いたのだ。
聞き覚えのある音階。それが何なのかは分からない。
けれど────あの夜。彼女が自分に聞かせたいと言っていたものだと、理解する。
「──ッ……!!」
胸に押し寄せる後悔の念。
あと僅かでも早く、此処に辿り着いていれば。
最初からクレニアムモンを追わずに、彼女を探しに行っていれば。
────どれ程それを嘆いたところで、時間は戻りはしない。
ベルゼブモンは震える片手で少女を抱き寄せた。少女はやはり目を覚まさなかった。
それから何度も、何度も、必死に周囲を見回して、
「……──誰か、いないのか」
遠い天の空洞を見上げ、乞い願うように声を上げた。
「誰か……、……来て、くれないか」
同行者達の姿を、銀の男の姿を浮かべる。
「ここに、いるんだ。カノンがいるんだ。カノンを……、……助けてくれ……」
声は消えゆく。
此処には、誰もいないのだと知る。
目に映るモノクロームの世界。
他には誰もいない、静かな世界。
あの夜の続きを描くように──たった二人、取り残されて。
「…………」
ようやく手に掴んだ白い花の情景と共に。
朽ちていく。
「……、……嫌だ」
それはあまりに欲深く、けれど心から湧いた感情だった。
彼女を此処で眠らせたくない。
彼女と此処で果てたくはない。
────生きていたい。一緒に。
「カノン」
ああ、もしも。
ひとつだけ願えるのなら。願う事を許されるなら。
どうか彼女に光を。
ひとかけらの、奇跡を。
◆ ◆ ◆
ぽたり、と。
男の瞳から何かが零れた。
透明な何か。あたたかな何か。
ひとしずく、ひとしずく。少女の顔に落ちては、長い睫毛を僅かに濡らす。
それから頬を、首筋を伝い──ベルゼブモンは顔を寄せ、指先でなぞるように優しく拭った。
想いを溶かした涙の痕。
滲む視界で、男はまた、少女の名を呼んだ。
────その時、
『 』
旋律に混じり、誰かの声のようなものを聞いた。
そして──目を疑う。少女の白い頬に、ひとつの幾何学模様が浮かび上がっていく。
「…………!」
男は咄嗟に、彼女の頬に手のひらを当てた。
ぬくもり感じた。覚えのある温かさが、そこには確かに在ったのだ。
少女に浮かんだ幾何学模様。
それはかつて、未来へと託された祈りの結晶。
子供達に捧げられた紋章。その、最後の小片。
奇跡の紋章から溢れる光の海。
二人は、飲まれていく。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
────今。
目の前で、何が。
「え?」
誰かがそんな声を上げた。
さっきまで、そこにいた筈の仲間がいない。
彼がいた場所には黒い液体だけが、大輪の花を咲かせていた。
「「────!!!」」
少女達の叫び声が響いた。
少年達の喚く声が轟いた。
網膜に焼き付く墜落。
子供達の精神は激しく動揺し、伝播し、パートナー達の身体が強制的に硬直する。
直後、フレアモンとワーガルルモンの視界が大きく揺れた。騎士の装甲に撥ね飛ばされたのだ。
フレアモンが壁に激突した。ワーガルルモンが床に叩き付けられた。頭部に受けた衝撃で、二人の意識は白い色に塗り潰された。
その中で、
────“また、駄目なのか。”
そんな言葉が浮かぶ。繰り返し浮かんで責め立てる。
どうして手が届かなかったのだろう。
どうして間に合わなかったのだろう。
まただ。自分達は何度だって、仲間を救えない。
────ああ、頭痛がする。
『……モン! ワーガルルモン!!』
ふと、我に返る。
その瞬間、ワーガルルモンは視認するよりも先に身を跳ね反らした。彼の目前まで迫っていた槍が、頬を裂いて床を砕いた。
「──ッ!!」
『は、離れて! 跳んで逃げて……!』
声を上擦らせながら、花那は必死に平静を取り戻そうとしていた。寒くないのに全身が震えるようだった。
『どうしよう……どうしよう、どうしよう!! どうしたらいいの!? だって今、落ちて……ッ……助けなきゃ……』
『し、下まで……飛んで、行かないと……でもここからじゃ……!
……誠司……メガシードラモン! 動ける!? もしかしたらまだ間に合──……』
フレアモンは突き刺さる破片を振り払い、メガシードラモンに目を向けた。──だが
『え……、……あんなに……酷い、なんて』
未だ止まらない赤色。水晶の足場から溢れて、こぼれていく。
その深く大きな裂傷を塞ごうと、傷口には何体もの黒猫が張り付いていた。ワイズモンのデータを溶け込ませ、必死に止血を試みていた。
『メガシードラモン! メガシードラモン!! ち、血が止まらないよ……! 山吹さん、もっとオレ使って治してよ! 早くしないと死んじゃう!! メガシードラモンが死んじゃう……ッ!!』
『このスピードじゃないと海棠くんが分解しちゃうの! お願い、もう少し頑張って!!』
柚子は声を荒くする。自棄になりながら、それでも「手を動かせ」と必死に自身に言い聞かせる。
『ユズコ! ベルゼブモンの位置はそちらで見えますか!? 捕捉さえ出来ればワタクシのデータを……!』
『それは……! ……もう、だめだよ……だってもう、感知できる範囲にいないんだよ……! 付けた使い魔の接続だって切れてる! だから……っ』
『────ああ……、……そう、ですか。……っ……では、修復優先度は、変わらず……メガシードラモンに……──ッ!』
クレニアムモンが水晶の瓦礫を投げつける。ワーガルルモンの腕が、それを防ぎ切れずに潰された。
『…………ライラモン』
そんな彼らの様を、手鞠達は呆然と見つめる。
どうして────こんな事に。
『……海棠くん……、わたしの、せいで……』
「…………」
『それに……ねえ、だってわたしたち……さっき、カノンさんと』
電脳化した手で、実体の無いデジヴァイスを握り締める。その中にいるであろう「神様」は、何も言わない。
『約束……したのに……』
ライラモンは動けなかった。目を見開いたまま、手鞠の声さえ遠くに聞こえた。
心には、悲しみよりも衝撃があった。衝撃よりも絶望があった。
自分達のせいだ。分かっている。そのせいで仲間が二体、潰された。
「…………畜生」
何一つ、成し得られないのか。
自分達はこんなにも無力なのか。
こんなにも────弱いのか。
「ぁああ畜生! 畜生……!! 何なんだよもう!! 何でこんな事になったんだよ……! ……こうなったら!」
『!? 何するの!?』
「付き合え手鞠! ウチらで意地でも時間稼ぐ! ────クレニアムモン! こっち向け! おい!!」
フレアモン達を追いながら、騎士は目線だけをライラモンに向け────彼女の思惑通り動きを止めた。
ライラモンが見せた行為は、仲間達にさえ到底理解できないものであった。自らの首元に、刃を向けているのだ。食い込んだ肌からは血液が一筋、流れていた。
「──ああ、聞こえているとも。見えているとも。気でも触れたのか?」
「お前よりマシだ!! ……いいかい、今ウチの中にはアンタの大事なイグドラシルが在る! これ以上そいつら傷付けてみろ!? 神様もろとも死んでやるからね!!」
手鞠と自身とが一体化している以上、本気で自死する事は無い。冷静に考えれば分かる事だ。
しかしライラモンは、現状これが一番の時間稼ぎだと判断した。騎士ならば主君を守るのは当然だ。
『て、手鞠! 今のってどういう……』
『後で言うから……! 花那ちゃんたちは今のうちにベルゼブモンさんを……!』
それに、自分達がイグドラシルの一時的な媒介者である事に違いはない。下手に手出しなど────
「────イグドラシル?」
騎士の声が、大きく震えた。
「何故?」
アレは、今────何と言った?
見上げる。凝視する。
忌々しい侵入者の中に、確かにイグドラシルの気配を感じ取る。
「何故だ」
何故、何故。あり得ない。
イグドラシルがあんな場所にいる筈がない。
「──フレアモン、先に行け!」
「ああ、分かってる!」
『待ちなさい! 彼の反応はもう……』
「そんなの自分の目で見なきゃ分からない!!」
侵入者の声など届かない。騎士は塔のシステムへ自身を繋いだ。
『分散すれば貴方達が危険です!!』
『じゃあ諦めろって……!? まだ生きてるかもしれないのに、危ないからって見捨てろって言うのかよ!!』
『この高さから墜落して、探知可能な範囲にさえいない! 身体が形を保っていると思いますか!?』
『────ッ……! でも……でも!! ……そんな……』
「────」
嗚呼。
イグドラシル、イグドラシル。
御身は何処に。
「────これは」
どういう事だ。
何という事だ。
イグドラシルの再編プログラムが停止している。
我が君は、イグドラシルはあの娘の中で確かに「完成」されたのだ。
その証拠こそが塔内部の歪みの停止。変貌を繰り返す内装の固定。
ならば次に待つは体内での変質である。イグドラシルは娘を介して、塔に張り巡らせた人間達の回路と繋げているのだ。プログラムが停止する訳がない。
自然停止はあり得ない。つまりは、強制停止。
物理的要因、あるいは外部からの干渉による何かが──
「──まさか……いいや、アレは既に自らの命さえ絶てない……!」
あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。
「貴様……あの“器”を壊したな!? 肉体を破壊し、その汚れた手でイグドラシルを引き剥がしたな!!? 何という事を……ッ!!」
繋げなければ! 今すぐイグドラシルを人間の体内に! 回路に!!
でないと再構築が止まる! 世界が造り変えられないまま世界が終わる!!
収容した子供達の肉体を代替機とするか!? ──駄目だ、あの肉体達の回路は既に抜き取ってしまった! もう器としては使えない!
このままでは────
「マグナモン……」
世界が。
友が守った世界が。
友が遺した世界が。
殺してきた全てが。
これまでの全てが。
無駄になる。
嗚呼、愛しきイグドラシル。
「────ッ貴様らァァァァァァアアアッ!!!!」
その時、空気が震えた。
騎士が空間を蹴り上げる。槍を回収するのも忘れ、ライラモンに襲い掛かる。
逃げられる筈もない。その姿を捉えた時には既に──黒紫の拳が彼女の腹部に深くめり込んでいた。
「出せ!!」
異物を誤飲したわけでもないのに、どうやら腹を殴れば神様が排出されると思っているらしい。騎士の拳は何度も、何度も、何度も──
「がっ……、ぐ、ぅ──」
「イグドラシル! イグドラシル!! すぐに御身を取り戻そう! 回路に埋め込もう! あの娘が既に亡かったとしても!!」
「あの、子は……っぉえ、……がっ……お前の……ッせいで……!!」
「やめろおおおぉぉッ!!」
フレアモンがクレニアムモンの頭部に飛び掛かる。騎士の顔面に炎を叩き込み、視界を奪う。
「逃げろライラモン! 早く!!」
拳の矛先はフレアモンへ。
胸ぐらを掴まれたまま、顎を砕かれた。
「貴様が!! 貴様らが!!」
頬骨が、砕かれた。
「殺しておけば良かった!!」
抵抗した腕が、折られた。
クレニアムモンには最早、これまでの楽観さなど存在しない。気の余裕も存在しない。
そこには憎悪が在った。ロイヤルナイツですらない不浄の身で、イグドラシルを宿主から奪った憤りが。世界の再構築を妨害せんとする異端者への敵意が。目の前のデジモン達は────騎士にとって、完全なる排除対象となったのだ。
「あの時に殺せば! あんな盟約など交わさなければ! あの時に!!」
騎士を止めようとライラモンが切り付ける。
鎧の接合部に突き立てる花の刃。──すぐに折られた。騎士はフレアモンを鈍器のように振り回し、ライラモンを叩き落とした。
「貴様は後だ! 腹を裂いて我が主を取り出して差し上げねば!」
ワイズモンの使い魔が加勢に入ろうとした。全員、片手で握り潰された。
「お前も……! 我らが塔に群がる害虫が!!」
握り潰した使い魔から逆探知する。
そして──強制接続。亜空間のワイズモンの腕を、一瞬で焼け焦がす。
アパートの一室に悲鳴が響いた。激痛に涙が溢れた。それでもワイズモンは、最上層へのハッキングを継続する。
『宮古……! 柚子さん!! や……やめろ、やめてよ! もう皆を……!』
「止めろ? 何がだ? 止めるのは貴様らの方だろう!!」
「──フレアモン!!」
追い付いたワーガルルモンが飛び掛かる。騎士は片手に掴んだフレアモンを盾にする。
ぐしゃぐしゃにされた彼の有様を見た、ワーガルルモンの顔は悲痛に歪んだ。
「よくも……!! よくも!!」
なんて酷い。中にいる蒼太だって痛いだろうに。
メガシードラモンも辛いだろう。今もまだ痙攣している。
ライラモンも、このままでは腹を切り裂かれて死んでしまう。
ベルゼブモンは──パートナーに会えないまま、彼は。
仲間達は、
「……、……!!!」
────頭痛がする。
「ボールディブローッ!!」
振り下ろしたナックルダスターは、黒紫の鎧に傷一つ付けられなかった。
クレニアムモンはワーガルルモンを蹴り上げると、彼の首を鷲掴みにした。
「! がっ……ァ」
黒紫の指が首に食い込んでいく。
抵抗が出来ない。ワーガルルモンとフレアモンは足をぶらりと浮かせて、視界は無意識に上へと移動していく。
側で、フレアモンの何かが潰れて行く音が、聞こえた。
「あ、ああ……! 駄目だ、やめろ……! お前だって……世界を、救いたい筈……なのに……ッ」
掠れた声を絞り出す。
「──そうだとも。全ては我が君の御心のままに。主の、友の願いを遂げる為に!」
『でもイグドラシルは嫌がってない! だから今も手鞠たちといるんでしょ!? イグドラシルだってデジタルワールドを守りたかったから……!』
「黙れ! 人間風情が知ったような口を……!!」
『黙らない! 蒼太たちを離してよ……ねえ! 私たちの仲間を返してよ!!』
「何故分からぬ! 世界ごと生まれ変わらせなければ、遠い未来に再び毒が生まれかねないと! 我らがイグドラシルの涙を止められぬと! 未来を守る為……我らがどれだけの犠牲を……!」
「それでも……もう、これ以上……毒で大事な人を、死なせたくない! だから……!
フレアモンを離せ! 僕の家族だ!!」
「────黙れ、黙れ! 黙れ!! また戯れ言か!? もう聞き飽きた!!
貴様らがこんな障害になるのならばいっそ! あの時に! あの時に!! あの時に!!! 貴様らのデジコアなぞ結界に溶かしておけば良かったのだ!! 保護せずとも『あの二体』を利用する事は出来た!! とうに穢れた我が矜持など、あの時に全て捨てておけば!!」
騎士は叫ぶ。
遠い過去に情けをかけた事を悔いる。彼らを殺さなかった事を悔いる。
フレアモンと、ワーガルルモンは、
「貴様らオリンポス十二神など!!」
どくん、と、心臓が跳ねて。
自分達がそう呼ばれた事が、理解出来なくて。
けれど、
けれど。
「────俺、達……?」
頭痛が、頭が割れそうになる程の激痛が、破裂しそうになる程の胸の鼓動が。
俺達は何だ?
僕達は何だ?
何だったんだ?
教えてくれ、誰か。
「────、」
夕暮れの荒野が浮かぶ。
二人が出会った日。始めて交わす目線。
抱いた懐かしさ。自分達は、“家族”だという認識。
「あ、……あ、れ?」
此処にはきっと、その答えがあるのだと────分かっては、いたけれど。
「────」
そうか、“あの時”。
守れなかったものは。
自分達は、
「……、あ」
────“生きてくれ。どうか生きて帰ってきてくれ。あの子と一緒に、どうか。”
────“兄さん達が泣いてるのを、見るのは辛い。”
「僕と、コロナモンは」
────“ 私、■■■っていうの! ”
何かが。
頭の中で、弾けたような音が聞こえた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
『ライラモンより通信!!』
雨音が響く中、影絵の猫が耳元で声を上げる。
『やりました! イグドラシルを発見、回収に成功! これより合流します!!』
それは誰もが待ちに待っていた言葉。
ワイズモンは歓喜を露わに、選ばれし者達は、瞳に星のような光を宿した。
『あとは手鞠たちが来るまで……!』
『俺たちが持ちこたえれば!!』
「──エンド・ワルツ!!」
下方から聞こえる騎士の声。掲げる槍先から嵐が放たれた。
周囲の水晶壁を巻き込み、砕き、彼らが抱く希望の欠片ごと飲み込んで押し寄せる。
『皆オレたちに隠れて! ──メガシードラモン!』
「アイスリフレクト!!」
メガシードラモンによって幾重にも張り巡らされる氷壁。僅かでも衝撃を減らそうと、瞬きの間に破壊と再生を幾度も繰り返した。完全に突破されるまで、あと十秒は稼げるだろうか。
「ワーガルルモン跳べ! 俺達で援護する! ベルゼブモン、いけるか!?」
「……ああ」
氷壁の最後の一枚が割れる──瞬間、
「清々之咆哮!!」
「ヘルファイア!」
火炎の衝撃波と銃弾の雨。
フレアモンの清々之咆哮がクレニアムモンのエンド・ワルツに押し負けそうになる中、弾丸が嵐の目を抜け騎士に降り注ぐ。
トリガーを引く限り弾丸を射出する自動連射機能、それは機関銃ならではの特性だ。騎士はその身で受けるか、槍もしくは盾で防御する体勢を強いられる。
「ゴッドブレス!!」
魔盾による攻撃の無効化は約三秒。その隙にクレニアムモンは距離を詰める。
だが──ゴッドブレスの効果が消え、盾が弾丸を跳弾し始めた頃。騎士は僅かな違和感を抱いた。
盾の内側から周囲を見回す。──先程までそこにいた、ワーガルルモンとフレアモンの姿が無い。
「──、あそこか」
「フォックスファイアー!!」
「紅蓮獣王波!!」
挟撃は既に感知されていた。──が、騎士はそれを敢えて身に受ける。防衛対象としての優先度は、究極体の弾丸に比べれば劣るからだ。
当のフレアモン達も、この攻撃で効果が得られるとはあまり思っていなかった。目的は、別にある。
──炎がぶつかり合い、周囲に煙幕を張った。
煙幕に紛れながら二手に分かれる。
フレアモンとワーガルルモンは散開し、撹乱しつつゲート解放地点へ接近。メガシードラモンとベルゼブモンが引き続き騎士を足止めする。
『第二階層、及び最上層とのゲート……同時に接続し開放します!』
『! また盾の無効化が……それにこの反応……──気を付けて皆! あの衝撃波が来るよ!』
そして幾重にも、幾重にも。メガシードラモンは氷を生み出し、自身もろとも壁と成る。
メガシードラモンはそれを厭わなかった。仲間達を守れるなら安いものだ。それに──自分の中のパートナーが、亜空間の仲間が、自身を治してくれると信じていた。
『ワイズモン、ゲートの状態は!?』
『第二階層とは連結が完了! しかし最上部がまだ……!』
ワイズモンの声に焦りが見える。──何を手間取っているのだ。そんな自分への苛立ちを募らせていく。どういうわけか、何度試みても最上層へのアクセスが拒否されるのだ。
委譲されたマグナモンの権限が無効となった訳ではないだろう。最上層の空間外殻には明らかに上書きされた痕跡があり、こちら側の干渉を硬く拒んでいる。
マグナモンと同等、もしくはそれ以上の権限を持つ者────となれば、誰の手に由るものかは明白だった。
『……クレニアムモン……ッ!』
ああ、どこまでも──どこまでも邪魔を!
思わずデスクを殴り付けそうになる手を、ワイズモンは必死に堪えた。──ならば更に書き換えてやればいい。書き換えて繋いでやればいい!
『絶対に……!! ……ごめんなさい皆、もう少し時間を稼いで! ライラモンはそのまま待機──』
『──え? 何、ライラモン……「いいから繋げ」? どうして……』
通信機はライラモンの急かす声を大きく響かせていた。
イグドラシルを第二階層に置いておけない。変質を進めて世界ごとぶち壊すか、自分達が命を懸けるか────選べと。
『何ですって!? そんな……、──ッ!!』
イグドラシルと宿主を抱えた状態で騎士と交戦する? ──無理だ。リスクが高すぎる。隙を見せれば二人共クレニアムモンに奪われる! だからこそ、二つのゲートは同時に開放する必要があったのに──
『──、────分かりました。クレニアムモンの足止めは継続……フレアモンとワーガルルモンはライラモンの護衛を最優先!』
「「了解!!」」
苦渋の決断だった。
イグドラシルの変質を、その進行を止める。それは最優先事項だ。仮に最上層とのゲートが繋がれたとしても──その時に手遅れになっていては、意味が無いのだから。
「……何をするつもりだ?」
砕け散る氷の破片の向こう。騎士は、再び位置を変える二体の姿を見る。それから訝しげに空を見上げた。
──正直、何を企んだ所で彼らに打開策など無いだろうが。
それでもここまで足掻く様には、疎ましさと同時に感服さえ覚える。
「諦めないのは良い事だ」
皮肉ではなく、素直に。もしも彼らが志を共にする者であったなら、世界はもっと早くに“救済”されたろう。
しかし彼らは道を違えた。これまでも、これからも、誰も彼もが自分と共には歩まない。歩めない。悲しいが仕方のない事だ。
「成る程、やはりゲートの接続か。離脱か合流……、……合流だな」
推測する。現れるのは恐らく、第二階層で姿を消していた一体。
ミネルヴァモンとヴァルキリモンは盟約がある以上、安置された仲間の電脳核を危険に晒す真似は避ける筈だ。
そして────奴らの行き先は最上層、イグドラシルの天の御座。
其処へ向かおうとしている事など、今までの行動を見れば自明。
故に、最上層の空間外殻には既に多重の結界を張り巡らせている。盟友達の穏やかな終末を邪魔したくはない。
「……ふむ」
わざわざ指摘する事はしないが、概ね、当たっているだろう。
しかしどこか決定打に欠ける。ただ最上層に向かうなら、わざわざ別行動を取る理由はない。
……なら、狙いはあの少女か。
「────」
だとすればあまりに不敬。あまりに不遜。
しかし理解は出来る。だからこそ、愚かだと思う。
彼らはの本質は「正義」だ。……そう、悪ではないのだ。解っている。だからきっと彼女の事も救おうとするだろう。
しかしイグドラシルを宿している以上、あの少女がどこに居ようと──それが例え天の座だったとしても、我らが神の変質は、再誕は、約束されているというのに。
「──……人間の子供達は、いつだって我々の犠牲になるな。友よ」
矛盾する思考と言動。
己の行為に後悔は無い。全ては世界の救済の為。
それでも哀憐の情は湧くのだ。今こうして抗ってくるデジモン達も、その中にはパートナーの子供を宿している。早く帰らなければ分解してしまうというのに、それに気付く様子も無い。
そもそも────選ばれし子供などという存在自体が。
デジヴァイスも紋章も、我らが神と世界が創られた幻想。その具現でしかないというのに。
「────ああ、」
憐れなオリンポス。
お前達のパートナーは、再び“世界”に殺されるのか。
『第二、第三階層間、ゲート展開!!』
ワイズモンの声に呼応するように、朽ちた移送機の一つが光る。
騎士がその方向へ、盾から僅かに顔を出した瞬間──ベルゼブモンは機関銃を片手に持ち替えながら、自身のショットガンを構えて放った。
機関銃で牽制しつつ、急所たる頭部をショットガンで狙い続ける。それは騎士も理解しており──故に彼は、頭部と胸部を盾で守り続けた。
距離を詰めながらの攻防戦。
攻撃は無効化され、当たっても修復される。実に不毛であるが──目的は果たされていると言って良いだろう。足止めは間違いなく出来ていた。
──だが、その為に盾となったメガシードラモンはボロボロだ。衝撃波は氷壁ごと彼の身体を切り裂いていく。損傷に対し、修復が追い付いていなかった。
「……ここでオレたちが負けたら……都市の、みんなが……!!」
押し留める。耐えて、絶えるまで、絶対に押し留める。
そんなメガシードラモンの上空で──
「──ライラモン!」
ワーガルルモンの声が聞こえた。
ベルゼブモンが待ち焦がれたように顔を上げて、移送機に目をやった。
ライラモンがイグドラシルと宿主を連れて、ようやく合流を──
「待たせて悪かったね。イグドラシルは連れて来たよ。……ああクソ、あのロイヤルナイツまだピンピンしてるじゃないのさ!」
「……え? ライラモン、君……どうして」
そこにいたのは、ライラモン一人だけ。
連れて来る筈の少女は、いなかった。
◆ ◆ ◆
何故、と。
その場の誰もがそう思った。
ライラモンと手鞠は、イグドラシルと宿主を連れて来る筈だった。
そして現に、彼女は「イグドラシルを連れて来た」と言った。
だが──そこに、イグドラシルと一体化した筈の少女がいないのだ。
誰も、第二階層でライラモン達が宿主と交わした言葉を知らない。宿主たる少女の身に何が起きていたのかを知らない。
当然、仲間達は問うだろう。彼女の言動の真意を尋ねるだろう。
ライラモンはカノンと別れた事を仲間達に伝えていなかった。防衛機の追尾もあり、報告する余裕が無かったのだ。
──しかし、その結果。
「……カノン、は」
よりにもよってベルゼブモンが────困惑と狼狽に、攻撃の手を止めた。