
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そして、世界には今日も雨が降る。
*The End of Prayers*
第三十二話
「雨に唄えば」
◆ ◆ ◆
それは、夏の夕立のような大きな雨粒。
空を覆う暗雲から、一斉に降り注いでいく。
大地に丸く花を描いて、広がって、埋め尽くして。
目の前の水晶の壁には、そんな地上の姿が映し出されていた。
雨音はノイズのようにザアザアと鳴いていた。
まるで、雨の幕でぼやける風景を窓越しに眺めるような……そんな感覚が、ほんの一瞬の錯覚が、不思議と彼らの心を過ったのだ。
だが────めくるめく、映っては消える映像の中。
とある場所の姿が映し出されると、花那が悲鳴にも似た叫び声を上げた。
彼女はそこに、廃工場都市のシェルター地区を見た。聖要塞都市の広場を見た。名前も知らない、けれど見覚えのあるデジタルワールドのどこかを見たのだ。
映るのはほんの一瞬で、雨が降っている事しか判らない。そこにいるであろうデジモン達の安否は不明なまま、映像は次の場面へと移り変わる。
思わず駆け寄ろうとするも、電脳化した子供達には何も出来ない。そんな事をしたところで意味も無い。画面越しに見ていた柚子達も、息を呑み声を詰まらせていた。
どうして。
世界中に、雨が降っているのだろう。
「あれは、何だ」
言葉を失くすフレアモン達に、ベルゼブモンが目線を向ける。
「俺には、わからない」
「…………お前の中にある、毒と……同じものが、降ってるんだよ」
フレアモンの声は震えていた。ベルゼブモンは数度、咳込むと──自身の掌に零れた黒い血と、水晶に映る雨を見比べた。
「なら────あれは、俺がやったのか?」
「違う。……お前だって毒の被害者だ。何も悪くない」
「……。…………毒の俺が……喰い続けて、これから喰っていく事も……お前はそう思うのか」
「……毒があっても無くても……生きる為に命を食べる事は、そもそも俺達の在り方だ。ベルゼブモン、そこに善悪は無いんだよ。──でもこれは違う。この雨は……こんなもの、ただの虐殺だ……!」
クレニアムモンを野放しにすれば起こるであろう事態。
こうなる確証があったわけではなかった。取り返しのつかない事になるだろうという漠然とした予感だけ。──それが、こんな最悪の結果となろうとは。
かつてロイヤルナイツが築いた結界。天上の毒の泉を堰き止めていた、ダムの役割をしていた筈のもの。それが、破壊された。
結界の礎であった仲間の亡骸に────クレニアムモンは一体、何をしたのだろう。
「……そうか。だからさっきの防衛機は、あいつの仲間の形を……」
ワーガルルモンは項垂れ、顔を覆いながら膝を着く。
果たして、この雨はいつから降り始めていたのだろうか。
塔に侵入してからしばらく、クレニアムモンは姿を現さなかった。──きっと、この為の「用事」を済ませていたからだ。雨は自分達が第一階層にいる間、もしくはそのすぐ後から──今まで、ずっと降り続けているのだろう。
きっと、恐ろしい程の被害が出ているに違いない。
自分達を見送ったデジモン達の顔が浮かぶ。出会ってきた同胞達の顔が、浮かぶ。
「僕達は──……また、間に合わなかった……」
自分達は、また。────救えない。
『……、……ッ……皆様……まだ、作戦は続いています。こうしている間にも時間は過ぎていく』
ワイズモンが声を絞り出した。
『早く、移動を。此処で嘆いていたって、何も解決しないのだから』
「…………そう言えるのは……ワイズモンのこきょうが、ここじゃないから……!」
『でしょうね。ウィッチェルニーも時間の問題だとは思いますが』
こんな事、言いたくはない。毒で故郷を失った仲間に、今まさに失おうとしている仲間に、言いたいわけがない。──けれど、
『こうしてる間にも……戦ってくれている仲間が、いるのですよ。ライラモンだって探索を続けてくれている。貴方はそれを無駄にすると言うの?』
「……だめだよ、もう、まにあわない。こんなに毒がふったら、天使様の結界だってふせげない。天使様がふせげないのに、デジタルワールドがだいじょうぶなわけない……!」
「────なら、お前はここにいればいい」
ベルゼブモンが掌で氷壁を叩く。びくりと顔を上げたメガシードラモンの目の前に、黒い手形が擦れて跡を残した。
「結局、アイツを殺せばいいんだろう」
そう、短絡的に結論付ける。そもそもベルゼブモンがフレアモン達を待っていたのは、現状と進路が分からなかったからだ。デジタルワールドがどれだけ毒に飲まれようと、彼が立ち止まる理由にはならない。
ある意味──この状況を悲しまない者が一人でもいたのは、一行にとって幸運だったのかもしれない。
「…………たおしたって、もどらないよ……」
「殺さないなら、食われるだけだ。俺は俺の世界を取り戻す。……奴は何処だ」
『……彼が現在、塔の上空にいるのか、最上層にいるのか……いずれにしても、各層間との接続可能エリアまでは向かわねばなりません』
「そこまで、案内しろ」
『もちろんです。使い魔が示す方へ────』
時間は無く、此処に留まる訳にはいかない。
答えを得たベルゼブモンは、ひとり先に進もうとする。それを見た蒼太達が慌てて声を上げた。
『お、俺たちも行こう! クレニアムモンを止めなきゃ!』
『結界だって、まだ全部は壊れてないかもしれないよ! 早くしないと本当に皆、死んじゃうよ……!』
悲痛な声で訴える。────ワイズモンの言う通りだ。時間は刻々を過ぎていく。いずれは、この子達だって危険に晒される。
ワーガルルモンは顔を上げた。泣き腫らしたメガシードラモンと、目が合った。
「…………メガシードラモン、誠司。……僕達は上に行くよ。でも二人は、無理しなくていいんだ。故郷が……やられるのは、本当に、……苦しいから」
「──が、るるもん……」
「ここにいていい。ワイズモン達の亜空間に行ったっていい。大丈夫、僕達は迎え来るよ。…………だから、どうか無事でいてくれ」
氷壁から、メガシードラモンから、離れていく。
「……あ……」
仲間達は水晶の迷宮へを身を隠す。メガシードラモンは、その後ろ姿を眺める事しか出来なかった。
◆ ◆ ◆
電子の海を渡る。
水晶の迷宮を駆ける。
既に下界の映像は見えなくなった。だが、雨音のノイズは止まない。
『────反応を確認。数は二つ、防衛機です!』
ワイズモンの通信も、耳を澄まさなければ掻き消えてしまう程。
うるさくて、煩わしくて────耳を塞いでしまいたいと、何度思っただろう。
『十秒後に一機目とエンカウント! 距離は──……』
だが、思うだけだ。
耳を塞ぐことはしない。目を閉ざすこともしない。
時間が無いのだ。前に進まなければ。悲しみに暮れる事も、失意に項垂れる事も、自分達には許されはしない。
「……前にも後ろにもいない!? どこに……」
『フレアモン、壁だ! 突っ込んでくる!!』
「! ────紅蓮獣王波!」
防衛機が壁を突き破ると同時に、フレアモンの拳から炎の獅子が放たれた。
炎が巻き上がり、水晶が砕け散る、毒の焦げる臭いが通路に立ち込めていく。
『あいつ……さっき下で倒したはずなのに!』
「別個体だ! 同じ見た目でも……毒で勝手に、ロイヤルナイツに姿を変えられてるだけ! クレニアムモン、何を考えて……」
「フレアモン! 応戦がいるか!?」
「いや、こっちは俺が押さえる! ワーガルルモン達は次の奴を頼む!」
『────二機目、来ます! 二時方向!』
「フォックスファイアー!」
「クイックショット!!」
確かな手応え。しかし一撃では到底、破壊には至らない。
だが、構わない。一機ごとに破壊する時間は無い。
第二階層での戦闘から、ワイズモンが防衛機の構造を解析。毒で変異しているものの、熱源探知センサーと視覚ユニットを破壊すればしばらく足止め出来る────筈だ。
「紅・獅子之舞!!」
毒の剣で身を裂かれながら、フレアモンは機体の一点に拳を叩き付けていく。
それを繰り返し────騎士が一時的にフレアモンを視認できなくなった。そして時を同じくして、ワーガルルモン達も二機目の「目くらまし」に成功する。
『皆、こっちに続いて!』
黒猫が先導し、三人は壁の崩落部から飛び出した。防衛機の機能が再起動するまで、少なくとも数分は時間を稼げるだろう。
「俺に掴まれベルゼブモン! 奴らを振り切る!」
『走って、走ってワーガルルモン! あんなのいっぱい相手にしてたら時間なくなっちゃう!』
『……そうだ、時間……! なあ、あとどれくらいなんだ!?』
『残りあと五十七分! もう一時間きってるよ!』
そう告げた柚子の声に、一行は動揺が隠せなかった。体感時間と現実はあまりに乖離していて、焦燥感が彼らの鼓動を一気に早めた。
第二階層へ到着した時は二時間半近くも残っていたのに────だが、こうなった原因は明確だ。地上の様子に足を止めていた時間もそうだが、何より戦闘に時間をかけすぎた。
そうは言っても、決して短縮できるようなものではない。防衛機からの離脱だって、彼らにとっては精一杯の状況で行われている。
「……マグナモンの仲間が他の防衛機を壊してなかったら……僕らはどれだけの数を相手にすることになったんだ……!?」
考えるだけでもおぞましい。そして────たった数体としか交戦していないにも関わらず、これだけ時間を消耗した自分達が情けなくてたまらない。
『ねえ、その仲間のデジモンって今どこにいるの? 近くにいるなら一緒に戦ってもらおうよ!』
『そうだよ! きっと防衛機だってすぐ倒せる……俺たちもすぐクレニアムモンの所に行ける!』
『……、……どこにいるかは、私たちにもわからないんだよ。でも──』
二人は来ないだろう。姿を見せることは、ないだろう。
フレアモンとワーガルルモンが、「コロナモンとガルルモン」で在る限りは。
「……くそ……俺達にもっと、そのデジモン達ぐらい力があれば……!」
フレアモン達にとってはまだ見ぬデジモン。名も知らぬ彼ら。
一体どんなデジモンなのだろう。マグナモンの仲間なら、クレニアムモンの仲間でもあるのだろうか。それでも協力し、塔の防御機構を破壊してきてくれた。
一体どんな事情があって、彼らは。
“──まあ、アレらの願いはそもそも、そこにいる『二人の再生』だ。”
「────ッ」
ああ。また、頭痛だ。
雨の音がうるさい。
何かを思い出そうとする、頭の中に、ひどくノイズがかかって。
「……どうした。さっきより遅い」
「! ご、ごめん、スピード落としてる場合じゃないのに……!」
早く、もっと早く。
駆けて、翔けて、この階層を突破しなければ。
クレニアムモンに会わなければ。クレニアムモンを止めなければ。
「おい、まだ着かないのか」
『まだです……! そこから無理に接続しても不安定な空間に出るだけ!』
『ね、ねえ。クレニアムモンがやってたみたいに、私たちも壁ごと壊しちゃえば……!?』
『通路ならともかく、階層壁の破壊は不可能でしょう。残念ながら皆様では火力が足らなすぎる! 試してみても──』
ワイズモンの声を銃声が掻き消す。弾丸は水晶の通路を貫通し、その先へ────だが、空間の果てと思われる壁に跳弾し、落下した。
なるほど、確かに。ベルゼブモンは舌打ちをした。クレニアムモンの鎧にさえ傷をつけた弾丸だが、空間を破壊する程の威力は持っていないようだ。
やはり自力で、移送機の設置エリアまで向かうしかない。
もし空間ごと破壊されることがあれば、それは────全てを終えたクレニアムモンが戻って来たということ。
『────ワイズモン、また防衛機の反応!』
『距離と方角は?』
『五百……来た方向から追って来てる! さっきの奴のひとつ!』
『ならば迎撃は時間の無駄です! そのまま前進!』
瞬時に逃避を選択する。防衛機は残していても構わない。みちるとワトソン────ミネルヴァモン達と邂逅しない範囲まで突き放せば、いずれ彼らが撃破してくれるだろう。
だから、もっと距離を。
遠くまで、もっと高く、もっと上へ────!
『……ッ』
唇を、噛み締める。
事前にマグナモンから提供された塔の構造と、変貌した現在の内部構造。その大まかな位置関係が一致しているなら、この先の上部空間には管制室と動力部が存在している筈だ。
『……管制室を利用すれば、子供達全員の位置関係が把握……、……いいえ、まともに稼働している保証がない。でも天の座を崩落させたくないなら、いずれも最低限の機能は残してるだろうから……』
思考が口からこぼれていく。いっそ破壊してしまえば防衛機も止まるだろうか? ──などと一瞬だけ考えてはみたが、恐らく塔自体が稼働不能となり墜落する。
よって動力部共々、損傷も破壊もさせてはならない。汚染された防衛機が誤射をする可能性も否定できない以上、付近での戦闘そのものを避ける事が望ましい。。
ならば。──管制室と動力部に接触しないルートを再検索。
数秒後、検索を完了。使い魔で仲間達を誘導する。……終ぞ、ここまで子供達が収容されている空間を見つける事はできなかった。
────すると。
『……あれ、熱源が……』
管制室が存在するであろう位置に、柚子は防衛機ではない二つの反応を感知する。
『わ、ワイズモ……』
『────こちらへ。急いで!』
それを、勘付かれてしまわないように。ワイズモンは仲間達を導いた。
◆ ◆ ◆
来たか32話! 待っていたぞ! そんなわけで夏P(ナッピー)です。
防衛機のイラストかっけえ! でも相手したくねえ! なんか触ったらドロドロしてそう!
オイまた当然のように翼と足が飛んだぞ(一人一回は手足千切られるのノルマなの!?)。完全体になればこの息苦しい状況も好転するううううと思っていたら、後半まで完全体進化が為されない上、割と速攻でロイヤルナイツ級と対峙する決戦に突入してしまい、幼い少年少女もいるのに常に即死の危機に晒されてる。作者がどういう御方なのか改めて実感させられるッッッ。
フレアモンとワーガルルモンが「生きる為に命を食うのは俺達の在り方」とEAT KILL ALL理論を提唱してくれたので、吹っ飛ばされた羽と足はベルゼブモンが体力の回復を図るため食ったんかな……。
クレニアムモンの思いも行動もロイヤルナイツとして正しい在り方なのかもしれないが違うんだ、それでも違うんだ。先にある世界が今より良くなるとしても、今この場で懸命に生きている皆の命を否定していいはずがねえんだ。
というわけで待っていたぜ、この展開!! 命懸けで皆を守らんとする三大天使の末裔、構築してきた死亡フラグをここで使うかと思いきや死ななかったエンジェモン! そうだお前究極体だしミネルヴァと同じオリンポスだったなネプトゥーンモン! この今まで子供達が出会ってきた者達もまた決戦の場にいずとも物語にかかせない存在だったと認識させられるこの展開! 蝶・燃ゑる!
では次回もお待ちしています。
作者あとがき&イラスト
どうもこんにちは作者です。くみです。
第32話、お読みいただきありがとうございました!
(実は今回はルビを振っている箇所がいくつかあるのですが、残念ながらサロンでは反映ができない為、どこに何のルビか気になる方はお手数ですが個人ページへお越しいただければと思います……。
※スマホやタブレット端末の方はブラウザ設定を「PC版を表示」でお読み下さい。)
さて、前回のラストに引き続き、今回は雨模様なお話。
リアルワールドでは梅雨も終わって夏真っ盛りですが。
ほぼ最終決戦なので戦闘多めです。
空でも大地でも海でも、皆がんばって戦っております。レオモンまだ生きてます。やったねメガシードラモン!
そしてやっぱり究極体は強いのです!
イグドラシルの防衛機については今話で旧みちるちゃんが軽く言及しましたが、
強さとしては正常個体>>汚染個体となっております。これはクレニアムモンの独り善がりが逆に功を成しましたね。
次回は最終決戦その2……といきたいところですが、その前に。
第33話はみちるちゃんの回想ストーリーとなります。過去の厄災で彼女やネプトゥーンモン達に何が起きたのかが明らかになります。どうぞお楽しみいただければ幸いです。
それでは、最後にちょっとしたイラストを添えて後書きを終えたいと思います!(31話で一緒に投稿できなかったやつ)
ありがとうございました!!
イグドラシルの防衛機(汚染個体)
元は純白の美しい機体であったが、
クレニアムモンによって強制的に「盟友達」のような姿へと変形させられた。
機械なので元より意思は無い。汚染によりその機能は低下している。
(正常個体のモデルはイグドラシル7D6です)
◆ ◆ ◆
進む。進む。
背後から追ってくる機体を突き放す。
壁を壊し、壁を作り、僅かでも時間を稼ぎながら。
上る。上る。
水晶で構成された空間はどこを向いても同じ景色。
水中に沈むように。霧の中を進むように。夜の空を浮かぶように。
何度も平衡感覚を失いそうになりながら、影絵の猫が示す方角だけを信じて進む。
階層間ゲートの接続可能圏内へと入れば、最上層へも天上の結界へも移動可能となる。──彼が天上にいてくれたら幸いなのだが。
と、言うのも。イグドラシルが手元にいない状態での、最上層への突入は望ましくなかった。神がいなければ座に行ったところで意味が無い。むしろ戦闘によって、座が破損してしまうリスクだってある。
そして当のイグドラシルだが────ライラモンからの連絡はまだ無いようだ。防衛機からはうまく逃げられているらしい。
今のうちに彼女が、神と少女を発見する事ができたなら……非常に理想的ではあった。クレニアムモンと邂逅するより先に、彼女らを連れて天の座へ────そうすれば作戦完了。毒の雨も止み、世界の崩壊が食い止められる。
「……毒のにおいが濃くなってる。防衛機……じゃない。空の毒か……!?」
『わ、私にもわかるよ……! ひどい、嫌なにおい……でも、これって外に近付いてるってこと……!?』
────しかし何事も。そう、都合良くはいかないものだ。
『目標エリアに異常値……! 外部からゲートが……、……熱源反応、ロイヤルナイツです!!』
「戻ってきたか……! 俺達をそっちには行かせてくれないわけだ!」
「ギリギリまで進もう! 少しでも近付くぞ!」
そして。
彼らが向かう先の空間が歪む。
まだ遠くに位置するであろうゲートからの転移。クレニアムモンは、再びその姿を現した。
周囲の水晶に反射する黒紫色。
騎士は静かに佇んでいた。第二階層で出会った時と、特別変わった様子は見られない。
「……これは何の音だ?」
すると突然、クレニアムモンはそんな事を一行に問う。
「ずっと鳴っていたか? お前達と下で会った時は気付かなかったが。……天の座があまりに静かだったから、余計に気になるのだろうか」
その言葉に、フレアモンとワーガルルモンの中に湧き出るような怒りが湧いた。
何を────こいつは、何を言っている。
「お前が、降らせたんだろう」
この雨を。この世界に。
クレニアムモンはきょとんとした顔でフレアモンを見ると、すぐに「ああ」と納得した。
「そうか。こんなに強く降っていたのか」
「────ッ! ……お前のせいで……! お前が結界を壊したせいで! 今! 大勢のデジモン達が死んでるんだぞ!!」
「いずれは死んだとも。彼らも、お前達も、私も」
「イグドラシルが生まれ変わるからか!? だからってこんな事する必要があったのか!?」
「それにあの結界は……お前とマグナモンの仲間達が命を懸けて作ったんだろう!? ……その犠牲を、お前は無駄にしたんだぞ……!」
二人の糾弾に、クレニアムモンは顔色ひとつ変える事はなかった。
「最後だからこそ、最期だからこそ、盟友達を在るべき場所で休ませてやるのだ。安息なりし天の座に、我らがイグドラシルの円卓に。
それを邪魔はさせまいよ。私はこの場で終わっても良いが、彼らの終末は穏やかでなくては」
なんて身勝手な理由だろうか。憤り溢れる彼らの眼差しに、けれど騎士はどこか懐かしそうに目を細めて──
「だが、そうか。お前達は“またしても”、そうして私を責めるのだな」
やはり変わらないな。そう言って小さく笑った。
「「────!!」」
「おい。俺達がやるのは……奴を殺す、それだけだ。話す必要はない」
「そうだな。私は責められるべきだろう。私は殺されるべきなのだ。しかし私は騎士である。ロイヤルナイツが一人である。主と盟友達の名に懸け、世界が生まれ変わる瞬間まで────私は、我が忠義と正義を貫き通す」
そして────空間が、震えた。
クレニアムモンは身を屈め、水晶壁を蹴って勢い良く跳躍する。
槍を構えた黒紫の砲弾。一行は即座に散開────直撃を逃れるも、衝撃波が二秒後には襲い掛かる。
ワーガルルモンが即座に氷壁を張り巡らせた。が、耐え切れない。氷と水晶の破片は煌めきながら、彼らの皮膚を引き裂いていく。
「紅蓮獣王波!!」
フレアモンが高度を取り、炎の獅子を放った。クレニアムモンは槍の一振りでそれを切り裂く。その衝撃はそのままフレアモンをも吹き飛ばした。
しかし、槍を掲げた事で生まれた小さな隙──それを狙ったベルゼブモンが、騎士の胴体に向け銃を放つ。
「ダブルインパクト!!」
クレニアムモンは身を翻す。弾丸は鎧を削るように掠めると、その先の水晶壁を砕け散らせた。
男はトリガーを引き続ける。しかし射撃間隔の僅かなタイムラグが、騎士の回避を許してしまう。────それならば、
「────オーロサルモン……!」
ショットガンを銀の男の機関銃へと変形させ、騎士に向けて乱射した。
「ヘルファイア!!」
機関銃から放たれる弾丸の雨。クレニアムモンは魔盾を生み出し構え、正面から迎撃する。
「ゴッドブレス!!」
約三秒、全ての攻撃を無効化する魔盾アヴァロン。それが役目を全うする────直前、クレニアムモンは魔槍を高速回転させ、残りの銃弾も弾き飛ばしていった。
『ワーガルルモンしっかり……! あの槍、止めるよ!』
「ああ!」
追うように、背後からワーガルルモンが斬りかかる。機関銃の弾丸に巻き込まれる事も厭わずに。
クレニアムモンはもう一方の手でワーガルルモンを殴り払った。──僅かに騎士のバランスが崩れ、槍の回転が揺らぐ。その瞬間、クレニアムモンの脇腹に鉄の雨が降り注いだ。
宙に舞うブラックデジゾイドの破片。初めて見せる、鮮血の飛沫。
「……不完全とは言え、流石は究極体か」
感心したように、一言。クレニアムモンはやはり顔色を変えなかった。
そして砕けた鎧に手を当て、クレニアムモンは自身のデータにアクセスする。
────損傷箇所が復元される。強制的な自己修復。
『……は!? そんなのってありかよ!?』
自己修復能力があるなら、地道に鎧を砕いたところで意味が無い。一気にデジコアを破壊できるレベルまで攻撃しないと────
『フレアモンとワーガルルモンはクレニアムモンの動きを押さえて! 我々はベルゼブモンへの弾丸補充を!』
「……ッ……蒼太ごめん。今から無理させる!」
「柚子! 僕らの治癒を繰り返して! でも花那と蒼太のデータが壊れないように……!」
『わかってる! 中の二人が危なかったら、無理にでも止めるから!』
最早、捨て身の覚悟と言っても過言ではなかった。
あの鎧を砕く手段が限られているなら、自分達はこうするしかないのだ。
ワーガルルモンが拳を構え、クレニアムモンの脇腹めがけて飛び掛かる。
「それは──何度やっても変わらぬだろうに」
「グレイシャルブラスト!」
振り払おうとする腕に向け、ワーガルルモンは氷の爆風を放つ。冷気で鎧の表面を凍結し、騎士と自身の肉体とを固定させた。
続けて上空からフレアモンが急降下。クレニアムモンの槍ごと、もう一方の腕にしがみつく。
「清々之咆哮!」
咆哮と火炎の衝撃が、クレニアムモンの顔面に直撃する。
巻き上がる煙。白い視界の先を見透かすかのように、ベルゼブモンは装甲の薄い腹部に照準を合わせていた。
トリガーに指をかける。──だが、煙の向こうの影が大きく揺れた事に気付き、ベルゼブモンは咄嗟に動きを止めた。
「────ッ!」
直後、煙の中から突進してくる騎士。しがみついたフレアモン達を、まるで盾のように構えながら。
ベルゼブモンは地面を蹴った。──彼の背後にあった水晶壁にクレニアムモンが激突する。硬い物が圧し潰されたような、嫌な音が響いた。
壁は砕け、崩れていく。二人をエアバッグ代わりにしたクレニアムモンは当然ながら無傷だ。
騎士の背に向け、ベルゼブモンはすぐさま銃弾を撃ち込む。数発は鎧を抉ったが──
「ぐっ……!」
「……! ッ……!」
もう数発は、しがみついていた仲間達へ。
だが、彼らも銃創を瞬時に修復。クレニアムモンを押さえこむ事を諦めなかった。槍で切りつけられても、決して手を離さなかった。
全てはクレニアムモンを止める為に。
彼さえ止められれば、イグドラシルを、この雨を、世界を。
「──やはり、やはり、力が足りなさすぎる。これではしつこいだけの雑魚ではないか」
落胆したような声が漏れた。クレニアムモンは二人を振り解くと、上空へと投げ飛ばす。
槍を振るう。その衝撃波は真空の刃となり、身動きの取れない二人へ──
「こんな有様では取り戻せんよ。お前達は」
フレアモンの鋼翼が、ワーガルルモンの足が、切断された。
「あ」
「──、──……」
続けて騎士は、自身の足元に向けて衝撃波を放った。
衝撃波はそのまま遥か下方へ。空間ごと砕き切り裂き、下層への道を繋ぐ。
「墜ちて行け。人間共々生まれ変われば……案外、“元の姿”になっているかもしれないぞ?」
全身にのしかかる重力。腹の中を蠢く浮遊感。
飛び上がれない。着地できない。受け身も取れない。パートナーによる修復が間に合わない。
上空からは銃声が聞こえてくる。金属を弾く音が聞こえてくる。
元の姿? 生まれ変われば?
思わず笑いそうになる。ここでやり直せば「雑魚」から抜け出せるのか? クレニアムモンを今度こそ止められるのか? そんな訳がないだろう!
『フレアモン……!!』
『ワーガルルモン!!』
頭の中で響く、パートナー達の呼び声。
────ああ。
自分達は、あと何度────やり直せば、
『────メガシードラモン!! そーちゃんたちを受け止めて!!』
その時だった。周囲のノイズに混じり、そんな声が聞こえてきた。
直後、あたたかな何かが────フレアモンとワーガルルモンを掬い上げる。
彼らの目に映り込む、真っ赤な鱗。
置いてきたはずの仲間の姿が、そこには在った。
『……せ、誠司……』
『うわ! めちゃくちゃ怪我してんじゃん! 大丈夫!?』
『海棠くん……メガシードラモンもどうして……!』
『そ、そうだ聞いてよ! あの後すごい事が分かって……! なあ、まだ生きてるんだ! 皆、生きてるんだよ……!』
「天使様も、みんなも……生きてるデジモンはたくさんいて……! もう全部、だめだって思ってた、でも……! ちがったんだ、そうじゃなかった!!
……ごめんね、あの時オレ、あんなこと言って……! オレだけ逃げて、ほんとうにごめん……!」
フレアモンとワーガルルモンは顔を見合わせる。────思わず、涙が滲んだ。
まだ、生きているデジモンがいる。地上で戦っている仲間がいる。
生きてくれている。手遅れじゃなかった。まだ、間に合うのだ。
「いいや……いいや、ありがとう……! それを教えてくれて……僕達を、助けてくれて……!!」
その事実は────彼らの心に、どれだけ希望をもたらした事だろう。
メガシードラモン達はあの後、ワイズモンの使い魔が共有した進行経路を辿り、無理矢理に追いついて来たという。壁を突き破り、防衛機に見つかってもなんとか離脱し──その肌には、修復されきっていない痕がいくつも見られた。
『ていうか、さっき凄い攻撃が降ってきたけど何!? 怪我もひどいし、もしかしてヤバい状況……!?』
『もうクレニアムモンがいるんだよ! 今ベルゼブモンがひとりで戦ってる!』
『え!? め、メガシードラモン急いで! 流石にひとりは死んじゃう!』
「──しっかりつかまってて!」
メガシードラモンは声と共に急上昇した。クレニアムモンまでの僅か数秒の間に、フレアモン達も精一杯の修復を試みる。
そして、
「メイルシュトローム!!」
吹き上げる雹の嵐。雷の竜巻。
彼らの真上にいた、クレニアムモンを包み込む。
けれど暴風に巻き込まれて尚、クレニアムモンは冷静に槍を構えていた。こんな攻撃は物ともしないとでも言うかのように。
「……あのデジモン……生きていたのか。……残りの一体は? あれは死んだのか?」
だが、メガシードラモンにとってはそれで十分だった。もとより自身の力で、あの騎士を倒せるとは思っていないのだ。
僅かでもいい。仲間達が体勢を立て直す為の時間が稼げるのなら。
あのデジモンを止めて世界を守り抜く為なら、的になる事さえ惜しくはない!
騎士が嵐を槍で掻き消すまでの間に、瓦礫にまみれたベルゼブモンを回収する。防御創だろうか、両腕には一直線を描くように深い裂傷が付けられていた。
パートナーが側にいない彼には回復の手段が無い。一度は治したマグナモンも此処にはいない。
ワイズモンは即座に、自身の使い魔を男に捕食させる判断を下す。……柚子と一体化していない事が幸いした。可能な限りデータを与えたとしても、他の子らより影響は少ないだろう。
『……これで……少なくとも片腕は修復できた筈……! 今のうちに移動を!』
『ヤバい来てる! 逃げろメガシードラモン! 行け行け行け!!』
「────クラウ・ソラス」
凪いだ空間に腕を掲げ、両刃の槍を構える。
投擲する。それは尾を描く流星のように獲物を追い、空へと逃げるメガシードラモンの尾を切り裂いた。
「ぐっ……ううっ」
だが、血を零しながらもメガシードラモンは止まらない。
痛くとも、苦しくとも、こんな所では止まらない。こんな所では終われない。
あと少しなんだ。もう少しで辿り着ける。
頭の刃がこぼれても、外殻がひび割れても、構わない。仲間達を背に乗せて、水晶の壁を砕いて、進んで、進んで。
諦めない。
絶対に諦めない!
「っ……あぁああああッ!!」
自分達は────デジタルワールドに残った、最後の希望だ!!
『────接続エリア、入ったよ!!』
数が半分になった使い魔から、柚子の歓喜の声が溢れた。
『これで最上階に行ける!!』
見れば、周囲には移送機と思われる機体がいくつも浮遊している。
既に機能は停止状態。他階層どころか同一空間内の移動さえできないガラクタ。それでも今の彼らにとっては、ようやく辿り着いたゴールテープだ。
だが、一行が安堵したのも束の間。迫り来る騎士の気迫が押し寄せる。
クレニアムモンは決して許さないだろう。彼らが神の座に立ち入る事を。
けれどこれ以上は逃げられない。今はまだ最上層に移動する事も、ましてや下に落ちていく事など当然、選択肢としては存在しない。
ただ、ただ、この場に留まりながら騎士を押さえるだけ。
残された僅かな時間に用意された、華々しさの欠片も無い遅滞戦闘。
号令も無く、喝采も無く、激しい雨音だけが響く中────黒紫の槍先が振るわれると共に、幕を開ける。
その時だった。
『────!! ライラモンより通信!!
やりました! イグドラシルを発見、回収に成功!! これより合流します!!』
第三十二話 終
◆ ◆ ◆
────そして、現在に至る。
◆ ◆ ◆
ザアザアと、ザアザアと。
雨音のノイズだけがうるさく響く。
自分が生まれ育った世界が毒で満たされていく光景。
水晶壁に映ったそれは周囲の氷壁に反射して、鮮やかなモノクロームを描いていく。
それが、悲しくて。
怖くて、辛くて、悔しくて────あまりに寂しい。
ああ、もしも自分が、同じ水棲デジモンのネプトゥーンモンのように究極体であったなら。
あの時、第二階層で彼を止められたのかもしれない。そのまま天まで上って、雨を止められたのかもしれない。
そんな事を思ったところで。たらればの想像を抱いたところで。
自分という存在の弱さが、変わるわけがないのだが。
「────せいじ」
『……なあに、ユキアグモン』
パートナーの名を、誠司は敢えてそう呼んだ。動けなくなった彼を、責める事も急かす事もしなかった。
『ごめんね。今は触れないから。お前の目を塞いであげられないんだ』
誠司はメガシードラモンの中で、彼を抱きしめようとした。抱きしめてあげたかった。
「天使様が、レオモンが、みんなが」
『うん』
「オレの……帰る、場所だったのに……」
『……うん』
電脳化した誠司は、涙を流すことが出来なかった。
その分も、メガシードラモンは泣いているのだろう。
「…………オレは……まにあわ、なくて……。……オレが、よわかったから」
『それは、違うよ。……絶対に、そうじゃないんだ』
雨が降る。
ザアザアと、ザアザアと。
『…………でも、……悔しい、よなあ』
雨が降る。
ほんの数時間前、自分達を見送ってくれた皆の姿を、思い出す。
『ごめんなぁ、皆……。……ッ……ごめん……、ごめんなさい……っ』
二人分の涙が、水溜りを作っていく。
ぽたり、ぽたり、大きな水溜りを。
『……。…………水、たまり……』
────ふと、
『……、……あ、れ……?』
氷壁と涙で滲む、雨の景色。
誠司は、僅かな違和感を覚えた。
『…………そういえば、何で……』
「……せい、じ?」
『メガシードラモン……、……な、なあ、この氷……どかせられる……?』
「え……」
『お、オレ……うまく言えないけど、ちゃんと、見たいんだ。だから……。……ごめん、お前は見たくないって、わかってるけど……』
誠司の言葉にメガシードラモンは狼狽えた。視界と映像とを遮る氷の壁は、彼が心を壊す前に咄嗟に働いた防衛機制そのものだったからだ。────それでも、
「……──わかったよ、せいじ……」
パートナーの言葉に、何か感じるものがあったのだろう。メガシードラモンは頷き、目の前の氷壁を恐る恐る消滅させた。
『────ッ』
鮮明になる世界の惨状。
胸が、張り裂けそうになる。それでも誠司は目を凝らし、違和感の正体を探ろうとした。
雨が降る世界。
毒に侵されていく世界。
大地が、建物が、溶かされている場所もあった。目を背けたくなるような状態の場所だって、全てではないが見受けられた。
────だが、
『……誰も、いない……?』
一瞬、けれど繰り返し映る、聖要塞都市の市街地。
誠司はそこに、民衆の姿を見つけられなかったのだ。
溶けて死んだにしては不自然な程。何より──土砂降りの筈の地面に、水溜りが一つも作られていない。冠水していたっておかしくないのに、水が跳ねる様子さえ見られない。
『どうして……』
それはおかしいと、誠司にだって理解できる。
まるで都市全体が、巨大な屋根に守られているかのような────
『────あ……。……あ……!!』
少年は大きく声を上げた。
悲しみではなく、驚愕に満ちた声を。
『ゆ、ユキアグモン……!! あれ見て、ねえ!!』
その感情が回路を通じてメガシードラモンにも流れていく。パートナーの言葉のままに、メガシードラモンは顔を上げた。────目を、見開く。
水晶壁に映し出された故郷の一角。
彼がその瞳に捉えたものは────。
「────祖よ! 大英雄セラフィモンよ!!」
激しい雨音の中、高らかに声が上がる。
「我らに光を! 我らの世界を守り抜く力を!」
仮初の陽光は暗雲に飲まれた。
聖なる都市を襲う豪雨。命を溶かす毒の雨。
しかし────輝く光が都市を包み、壁となって守っていた。
大聖堂の屋根の上。二人の天使が、空に向けて光を放つ。
「エンジェモン! 地下シェルターの状況は!? 天使達の伝令はあるか?!」
「浸水報告はありません! ですが南端第二〇六エリア上空の結界が破損! シェルター設置外区域です!」
「その区画は捨てる! シェルターがある区域の結界だけ固めろ!
天使達は絶対に地上へ出るな! シェルター内から少しでも結界を張り続ろ!!」
都市を覆う結界。これまで天使達が築いてきた程度のものでは、一秒だってこの雨を防ぐ事はできない。
長い間空に停滞していた毒は、その濃さを増して一斉に注ぐ。それを防ぐ結界となれば────
「兄上! やはりこの身を、我がデータをロードして下さい! 分散したセラフィモンのデータが集約すればきっと……! このままでは兄上の身体が分解する!!」
──結界の要であるホーリーエンジェモンは、自らのデータを振り絞って結界を維持し続ける。マグナモンが復元した彼の四肢も、翼も、再びその形を失おうとしていた。
だが、それでもホーリーエンジェモンは認めない。エンジェモンのデータをロードし、再びセラフィモンの後身して君臨する事を受け入れない。
「そうなれば結界も都市も持ちません! どうか!」
「私は! ……誰一人として死なせない! この都市のデジモンを、お前を死なせはしない!!」
光を! もっと光を!
仲間も守れずに何が英雄か!!
「────待てエンジェモン。何を……!?」
それなのに。そうしなくてはいけないのに。
何故、隣のエンジェモンは自らにロッドを突き付けている?
「兄上にはもう時間がない。貴方が望まなくとも……このデジコアをお返しします」
「いいからロッドを下げろ! 早く結界の再構成を! エンジェモン!!」
「……貴方は……大いなる熾天使と成りて、我らの祖国を────どうか、お守り下さい」
エンジェモンは両手でロッドを掲げる。
ホーリーエンジェモンが叫ぶ。手を伸ばすことはできなかった。
そしてエンジェモンは、黄金のロッドで自らの胸を────
「────……!!」
その時だった。
ほんの一瞬。この聖地で感じる筈のない“何か”に気付いて────エンジェモンは反射的に自らの手を止めた。
何だ? ──顔を上げる。彼を止めようとしたホーリーエンジェモンも、同じく空を見上げていた。
彼らが抱いた違和感は二つ。
ひとつは、自身らの結界に掛かる負荷が急激に軽減された事。都市を覆う結界の上、更に別の結界が張られたような感覚を抱いた。
もうひとつは────
「兄上、これは……、……潮のにおい……? しかし近辺には海など……」
「……! まさか!!」
ホーリーエンジェモンの声が震えた。そんな声を聞いたのは初めてだった。
エンジェモンは彼に目を向ける。その顔は、困惑と驚愕、そして歓喜に満ちていたのだ。
「我らを、世界を……お守り下さるのか……! ────遠き海の英雄……!!」
「────我が海原より天に昇るは加護の水。満たせ、満たせ、祈りの雨よ」
光の届かない黒い海。
荒れ狂う海上に、ひとり。ネプトゥーンモンは暗雲に向け槍を掲げる。
海面を蒸発させる事で創り上げた水の結界が、風に乗り、雲と成り、雨と成り、世界へと広がっていく。
黒い雨粒は結界に触れると蒸発し、大地に花を描くことはなかった。
水を司る海の神。彼もまたホーリーエンジェモンと同様、自身のデータを少しずつ分解し────海原へ溶け込ませ、この広大な結界を生み出していたのである。
「……世界はまだ壊させない。私の家族が遺した世界を壊させはしない! “あの子”は世界に戻って来た!!」
全てを失い、自分ひとりだけになってしまったと知った時から、決して出る事のなかった深い海域を飛び出した。
今こそ戦わなければならないと。このデジタルワールドを、守らなければならないと。
「……ミネルヴァモン……!!」
あの子がまた、帰って来られるように。
「お前は……! ……嘘が、下手だな……」
……気付いていた。
最初は分からなかったけれど、途中から気付いていた。選ばれし子供達がやって来る前、あの日────深海神殿に、ミネルヴァモンはどういう訳か人間の姿で現れたのだ。
自分達がかつて出会った、人間のパートナーとよく似た姿で。
彼女達に何があったのか、事情は分からない。
これから先、知ることはできないかもしれない。
それでもいい。自分は戦い抜くだけだ。毒の雨が降り止む、その時まで。
「ああ、けれど」
ひとつだけ。もし出会えたら言ってやらなくては。
──なあ、ミネルヴァ。
だめじゃないか。せっかく彼らにあげた加護を、ひとりじめしてしまっては。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
時は遡り、夜明け前。
天の塔のある場所へ集う、美しき純白の機体の群れ。
機体達の目線の先には、とある二体のデジモンの姿があった。
「──ストライクロール!!」
「アウルヴァンディルの矢!」
────実に、喜ばしい事だと思う。
「ちょっとヴァルキリモン、そこアタシの間合いなんですけど!」
だってこちらはアポなし訪問。手土産どころか大剣担いで殴り込み。
普通なら門前払いされるだろうに、待っていたのは熱烈な歓迎だ。
ああ、きっと神様が微笑んでくれたに違いない。日々のお祈りと善行の賜物だろう。これまで何度アリの巣の側に角砂糖を置いてあげたことか!
なんていうのはもちろん皮肉で。
「それとも一緒に薙ぎ払われたいのかい!」
「ごめんごめん。じゃあ、先に上の奴ら片付けて来るから」
「オッケーさっさと行って! ────マッドネス……メリーゴーランド!!」
そんなありがたい『歓迎』だが、かれこれ三時間近くは続いているだろうか。
おかげで一息つく暇も無い。壊しても壊しても有象無象に湧いて出る防衛機の皆様には、思わず「ご苦労様」と声をかけたくなる。
もしかして無限増殖なんてスキルを持っていらっしゃる? だとしたらこの数時間の努力が徒労に終わるので、是非ともやめていただきたいのだが。
「ミネルヴァモン、終わった?」
「見ての通りさ! もしやあっちからお越しの皆様で最後?」
「流石にまだだと思うけどなあ。でも、少なくとも第一階層には残ってないだろうね」
そう言って、相棒は真っ白な防衛機を射ち落とす。
「いやーほぼ全機アタシらに引き寄せられてるとか、まさに人生最大のモテ期ですね」
「できれば全部壊してあげたいな。これ相手するの、あの子達じゃ厳しいよ」
「いっそ毒で変わっちゃえば弱体化したりして! そーなったらアタシ触れなくなっちゃうけど!」
ちなみにクレニアムモンには侵入後早々に見つかった。バレないとも思っていなかったが。
そして、なんと癇癪を起して暴れてみせたら見逃してもらえたのである。流石の騎士様もドン引きというヤツだ。
────と、言うより。彼にとっては最早、天の御座以外のエリアなどどうでもいいのだろう。(彼としては)どうせ全て再構築されるのだから、どれだけ破壊されようが、防衛機を浪費しようが意味は無い。それよりも自分達二人の相手をして時間を浪費する方が、彼にとっては痛手だったのだ。
お友達のマグナモンはもう戻って来ないし、彼は神様の再誕への備えを一人でやらなければならない。……そもそも何をするのだろう。玉座にやわらかいクッションでも置いてあげるのかしら?
なーんて。
「そういえば塔の中、模様替えしなくなったね。壁とかさっきのままだよ」
「あ、ほんとだ。助かるわぁー。戦っててマジ酔いしそうだったから」
先程まで目まぐるしく姿を変えていた塔の内装だが、気付けばピタリと特定のデザインで固定されるようになっていた。
その理由は────まあ、あまり考えたくはない。
しかし、どこかの誰かさんと神様のせいで、塔の中はめちゃくちゃだ。第三階層はまだマシと言えるレベルだが、他がひどい。地図、もとい過去の記憶がまるで役に立たないので、思ったように進むことができなかった。
歪んで拡張した天の塔。早くこの仕事を済ませたいものだ。寄り道だってしたいのに。
「ひと段落したらアタシ、二階に戻るからね。後は頼んだ!」
「いいけど取りこぼさないでよ。ほら、もう後ろ来てるし」
「えーん、しつこいよー!」
ハグを求めてきた防衛機に、大剣を叩き込んでお応えする。
フラれてしまった彼か彼女が壁に激突したので、そのままホームランよろしく大剣を振りかぶった。
すると──なんと外壁に穴が空いてしまった。ああ大変。賃貸だったら弁償ものだ。
落下しつつも戻ってこようとする機体を見守ろうと、少しだけ穴から顔を覗かせて────
「────あらやだ。ねえ、ご覧よヴァルキリモン。今日の天気予報は大外れだ」
思わず感嘆の声を上げた。
「参ったなあ。こっちにも流れてきそう。兄さんの加護、あの子達から貰っちゃおっかな!」
「えー、可哀想に。そんなことしたらあの子たちが焼けちゃうよ」
「ウイルス種のアタシが毒かぶるよりマシでしょ。えーっと、海の加護が四体分だから……あと四時間くらいいけるか! よしよし」
眼下に広がる黒い雲海。
リアルワールドの今日の天気は晴れ時々曇りでしたが、残念。
デジタルワールドは晴れのち雨。全国的に激しい雨が降ることでしょう!
◆ ◆ ◆
────約二時間前。天上の結界にて。
空よりも遠い空。
テクスチャーさえ張られていない、青空の先の漆黒。
天の塔の上空に位置するその空間には、空の色と同じ漆黒の雲が充満している。
雲海と世界とを隔てるように、透き通る水晶の薄膜が、空の一面に張り巡らされていた。
塔と薄膜との間には、水晶の列柱が並ぶ。
柱のいくつかは既に崩壊していた。時間の経過と共に劣化し、毒の雲海を支えきれなくなっていたのだ。
柱の崩壊と連動するように、薄膜も綻び、破けていく。
そこから暗雲が漏れ出して、下界の空へと広がって、少しずつ雨を降らせる────これまでデジタルワールドに不規則に発現していた、黒い水の実態だ。
そして、今は。
「なあ、盟友達」
人為的に破壊された水晶の柱。
黒紫の騎士は────瓦礫の中からそっと、小さな光の欠片を拾い上げる。
それは、デジモンがデジモンとして存在する為の電脳核。命の結晶。
結界を築く為、水晶に眠った騎士の肉体はとうに崩壊し──もう、これだけしか残っていなかった。
「すまない。長い間、疲れただろう」
語り掛ける。それに意味が無い事は知っている。
この核に何か手を施したところで、友が蘇る訳ではない事も、知っている。
だが、それでもクレニアムモンは拾い集めた。
ひとつずつ、ひとつずつ。柱を壊し、天の結界を壊し────けれど構う事なく。
「マグナモンは、戻って来ないな」
気付けば、どこかから雨が降り始める音が、聞こえてきた。
「……あの義体達が戻って来たという事は、そういう事なのだろうが」
核さえ残らなかった友には、彼らが成していた柱の破片を。
浜辺で集めた貝殻の様に、大切に手のひらにしまい込んだ。
「……。……大丈夫だ。イグドラシルはもうじき生まれ変わる。世界も造り変わる。何もかもが変わる。私達も────」
だから、世界を綺麗にしておいて差し上げよう。この雨で全てを溶かしてしまおうか。
守る筈だったデジタルワールドが────「ああ、毒に飲まれていく」
盟友達は快く思わないかもしれない。けれど、こうすれば彼らもまた再編されるのだ。毒の事など全て忘れて、蘇る事ができるのだ。
地上のデジモン達だって、生きたまま再編を迎えてしまうより、先に眠っていた方が良いだろう。
……なんて。
ひどく偽善で白々しい言い訳だと、我ながら思う。
新たな神は、一体どんなデジタルワールドを造られるのだろう。
その世界には「クレニアムモン」もいるだろうか。きっとそれは「自分」ではないけれど。
それでも構わない。
イグドラシルに平穏を。もう、涙を流される事がないように。
それが叶うなら、騎士たる自分はどんな事でもしてみせよう。
「…………」
ふと。
塔の中に新たな侵入者が現れたと、僅かに残った防衛機から通信が入った。
てっきり、あの少女のパートナーが乗り込んできたのだと思った。よくもこんな空の上まで来れたものだと、感心さえした。
だが、そうではないらしい。確かに彼もいるのだが────やって来たのは、なんと人間の子供達とパートナーデジモンだと言う。
そして、『例の二体』も共にいると。
選ばれし子供達。絆を結んだパートナーデジモン達。
囚われの子供達を救う為に。毒から世界を救う為に、立ち向かう英雄達。
デジタルワールドに生ける者達の、最後の抵抗。
「────いいだろう」
ならば、迎え撃とうではないか。
どんな相手だとしても邪魔はさせない。
イグドラシルの、盟友達の安息を、決して脅かさせはしない。
クレニアムモンは手のひらの欠片達を見つめる。「見届けてくれ」と言葉を投げかける。気付けば笑みを浮かべており、手の中からは黒い液体が溢れ出していた。
雨の音が、少しだけ強くなった。
◆ ◆ ◆