◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「イグドラシルを連れて何処へ?」
夜明け前。
白い牢獄を彷徨う少女に、黒紫の騎士は背後から声を掛ける。
「部屋に戻りなさい。怪我でもしたら大変だ。道が変わって帰れないという事なら、私が送ろう」
気遣いと威圧が混ざり合う声。
カノンはゆっくりと振り返り、虚ろな表情を騎士に向けた。
「あなた、知らないのね」
「──と、言うと?」
「少しは動かないと、“この子”に良くないわ」
そう言って、痩せた下腹部に手を当てて見せた。──クレニアムモンは思わず目を見張る。
「ほら、“この子”も散歩がしたいって」
「…………君は……自身の状態と言動を、認識できているのかね?」
ええ、もちろん。カノンは躊躇わずに答えた。
「夢を少しだけ叶えてるの。私、おかあさんだから」
「……────」
クレニアムモンは顔をしかめた。軟禁している間に狂ってしまったのだろうか?
確かに、自分が彼女に為した非人道的行為を顧みれば──発狂してしまっても不思議ではないのだが。
「とは言え、変な気を起こして身投げでもされたら困るのだよ」
「その時は助けてくれるでしょう。あなたは私を死なせないわ」
クレニアムモンは顎の下に指を添え、「ふむ」と一考する。どうやら死ぬつもりはないらしい。
──天の座に配置した義体の回路は、既に塔そのものへ接続している。
イグドラシルが完成した時点で、母体を介したまま同調が開始されるのだ。少女が何処にいようと、それは変わらない。
それに──何かを企んでいるのか、それとも本当に発狂したのかは、さて置き。
「それで君の気が済むのなら、まあ、いいだろう」
何れにせよ、この階層から抜け出す事は出来ないのだから。
「ええ。ありがとう」
カノンはそのまま、細い身体を引き摺るようにして歩いて行く。
彼女の跡形を残すかのように、白い空間は形を変えて歪んでいく。
────程無くして。
天の塔全体に、侵入者を知らせる警報が鳴り響いた。
*The End of Prayers*
第三十一話
「英雄譚」
◆ ◆ ◆
────遠足の前の日は、何回分も目覚まし時計をセットする。
遅刻なんて絶対にできない。
いつもだってしたらいけないのだけど、特別な日はもっとダメだ。
今日は遠足じゃないけれど、特別な日。きっと何にも代えられない一日になる。
……ああ、そういえば。昨日は寝る前に、ちゃんと目覚ましをかけたんだっけ────
「────……太。蒼太」
「……ん……」
「時間だ。起きないと。花那はもう起きてるよ」
「……。……! あ、目覚まし……! ……あれ?」
「おはよう、蒼太」
「お……おはよう、コロナモン……」
蒼太は寝ぼけ眼で周囲を見回す。
空には昇り切った太陽の幻影。目覚まし時計の代わりに、どこかから鐘の音が聞こえてくる。生憎と効果は薄かったようだが。
花那は洗面室にいるようだった。──昨晩、自分達がいつ頃寝たのか思い出せない。
「ガルルモンごめんな、お腹で寝ちゃって……」
「気にしないで。むしろ寝心地は良いくらいだったよ」
ガルルモンの腹部の毛並みには、蒼太の寝跡がしっかりと残っていた。花那がいたであろう場所は既にブラッシングされていて、蒼太も慌てて手櫛で整える。
「ちょっと蒼太。早く顔、洗いなよー。時間ないよ!」
洗面所から花那の急かす声が聞こえてくる。どうやら朝食はもう用意されているらしい。
子供達が慌てて身支度をしていると、今度は部屋をノックする音が聞こえてきた。レオモンが迎えに来たのか──コロナモンが扉を開ける。
すると、
「────ホーリーエンジェモン!?」
「ああ、諸君。昨夜はよく眠れただろうか」
「はい、いや、というか、まさか貴方が来るなんて……。それにその手足は……」
「天の騎士殿が復元なさったのだ。……私の行動については気にするな。リハビリとでも思ってもらって構わない」
それは良かった、と。コロナモンは若干後退りながらも笑顔で応えた。──まさか大天使ホーリーエンジェモン自ら、しかも寄宿棟に出向くだなんて誰が思うだろう。早朝とはいえ、よく街が騒ぎにならなかったと感心さえする。
「あれ、花那。ホーリーエンジェモンさん来てるよ」
「ほんとだ! おはよーございます」
「おはよう、選ばれし子供たち。元気そうで何よりだ。朝食を済ませた後にまた会おう」
ホーリーエンジェモンは、蒼太と花那の起床を確認するとすぐに部屋を後にする。誠司と手鞠の部屋に向かったのか、それとも既に顔を見せた後なのか────コロナモンは困惑したまま彼を見送った。
四人が急ぎ足で食堂に向かうと、そこには既にベルゼブモンが着席していた。
準備が早いと言うより、此処で夜を明かしたようだ。案の定、ガルルモンに「部屋で眠れば良かったのに」と言われる。
それから少しして、手鞠とテイルモンが。最後に誠司とユキアグモンが到着した。
「海棠くん、髪の毛ボサボサ……」
「いや、ついぐっすり寝ちゃってさ」
「天使様が起ごしでくれだの」
「起きて目の前にアイツがいるとか、もしウチだったら絶叫してたね」
決戦の朝とは思えないような和やかさで、子供達は並べられた食事──今朝のメニューは手軽に食べられそうなサンドイッチとおにぎりである──に、手を伸ばした。
すると、
『────ザザッ。……──よし、繋がった。────おはよう皆!!』
食堂のスピーカーから柚子の声が響く。
『早速で悪いけど、十五分以内に食べてね。三十分後には出発するよ!』
突然のアナウンスに、戸惑いを隠せない子供達。誠司が「えー」と不服そうに声を上げた。
「よく噛んで食べたい! それに山吹さんの分、まだ用意されてない!」
『いいんだよ、私はもう食べたから』
そう答えた柚子のデスクには、飲み干されたゼリー飲料が広げられていた。
『……』
傍に浮かぶ空中ディスプレイには、二つのバイタルサインがモニターされている。
夜明け前に旅立った、彼らを映す映像は無い。あったのだが、彼らが戦闘を開始してすぐに使い魔を潰され、音声も視覚情報も得られなくなってしまった。
けれど、二人は生きている。生きて今も戦ってくれている。
────急がなければ。
「なんだい柚子の奴、随分と張り切ってるじゃないの。……ほら、アンタもさっさと食べな。肝心のアンタが遅れちゃパートナーに顔向けできないよ」
「……」
テイルモンに急かされると、ベルゼブモンは目の前の食事を鷲掴み、口の中へと押し込んだ。
無理矢理に咀嚼して飲み込む。それを見た子供達はギョッとして、思わず手を止めた。男の味覚はどうなっているのだろう。
「食った。俺は行ける」
「……そ、そうかい。そりゃ結構……」
テイルモンは苦笑いを浮かべた。男がそのままひとりで出発しようとしたので、コロナモンが慌てて止めに走って行った。
朝食を済ませた一行は、そのまま棟を下りていく。
もう、部屋に戻って行う準備も無い。忘れ物だって無い。そもそも私物を持ち込んでいない。子供達は僅かな寂しさを胸に、世話になった宿舎棟に別れを告げる。
『──そうだ、テイルモン。行く前にチューモンに退化しておいてって、マグナモンが』
『パートナーとシテ回路を繋いだ時の状態の方が、都合が良いみたいデスよ』
「ああそう? まあ別にいい……、……いや嘘。全然良くないわ。コイツの側でチューモンに戻るのめちゃくちゃ怖いんだけど!?」
別に今更ベルゼブモンを厭うつもりはないのだが、うっかり体液でも付着しようものなら汚染は必至だ。テイルモンは渋々ホーリーリングを外すと、そそくさと手鞠の服の中へと逃げて行った。
幸い、当のベルゼブモンは気にしていない──と言うより彼女の言動が理解出来ていない──ようで、何も言わず僅かに首を傾げる。そんなやり取りを微笑ましく眺めながら、ガルルモンが「そういえば」と宙を見上げた。
「柚子。マグナモンが僕らに言った、内部セキュリティの件はどうなってる?」
『……。……“マグナモンの仲間”はもう潜入してる。でも、そっちはそっちで動くみたいだから、皆は心配しなくていいよ。
それと……。……今は私たちも、いつもの部屋じゃなくて、専用の空間にいるから』
専用の空間なんて、そんなものは作っていない。けれども“そういう訳”で、皆には自分とウィッチモンの声しか届かないのだと────部屋にはもう自分達二人しか残っていない現実を、事実を織り込んだ嘘で固める。
仲間達はそれを疑わなかった。
それでいいと、柚子は思った。
◆ ◆ ◆
玄関ホールまで降りると、そこには一行を待つホーリーエンジェモンの姿があった。
「予定通りだな」
振り返ると、大きな四対の翼が揺れる。明かり窓から射し込む朝陽が、金の髪に反射していた。
そもそも何故、彼は大聖堂を離れ宿舎棟にまで来ていたのだろう。子供達は問うが──
「……外で騎士殿が待っている」
彼は厳かに、その一言だけ。
そして、ホールの両面扉をゆっくりと押し開けた。
扉の隙間から光が漏れる。
子供達の瞳に石畳の広場が、黄金の騎士が映る────その、瞬きの間
「────選ばれし子供たちに祝福あれ!!」
聞こえてきた、エンジェモンが歓呼する声。それに続く高らかな喝采。
そこにはレオモンがいた。ペガスモンがいた。都市のデジモン達が、戦いに赴く彼らを迎え出た。
「そして──誇り高き同胞に、心からの武運を願う!」
民衆が彼らに──毒に侵されたベルゼブモンにさえ送る、言葉の数々。
今までと同じようで、どこか違う。少なくとも、自身らの救済だけをひたすら願うといったものではなかった。
それは彼らの無事を願う言葉であり、彼らのこれまでに敬意を示す言葉だった。
彼らの心を鼓舞するに値する、初めて向けられた感情だった。
思えば、あまりに今更な事ではあるのだが────それでも子供達は驚きと戸惑い、そして気恥ずかしさを胸に喝采を浴びる。ユキアグモンは嬉しそうに、両手を振って応えていた。
「でも皆、いづの間に集まっでくれだの?」
「ユキアグモン、天使様が夜の間にお告げを下さったんだよ!」
────そう、ホーリーエンジェモンは民衆に伝えていたのだ。我等の命運は明日に決まると。
生き残るか、眠りにつくか、別の何かに生まれ変わるか。──選択権はない。自分達はその命の責任を、最後まで彼らに背負わせるのだから。
そしてエンジェモンは民衆に説いた。「勝てば生き、負ければ死ぬ。何て事はない。デジタルモンスターとして在るべき、弱肉強食の形に戻っただけの事だ」
……それ故だろうか。心を決めた一部の民は集い、選ばれし者達を見送る事を望んだ。
例えどのような結末を迎えたとしても、彼らは一行の戦いを讃えるだろう。
「……これまでの諸君の尽力に、聖要塞都市の長として深く感謝する」
ホーリーエンジェモンは一行の前へ。地面に膝を着き──驚愕と制止の声も気に留めず、頭を下げた。
「我等は諸君の帰還を心より願っている。……だが、その場所は決してこの都市でなくても構わない。
選ばれし子供たち。我らの同胞よ。どうか健闘と、生還を。その命を決して散らすな」
伝えるべき事は、伝えられるうちに。
それを、感じ取ったのだろう。子供達の表情が引き締まった。ホーリーエンジェモンは、口元に優しく笑みを浮かべた。
そして、大天使は立ち上がり、一歩引く。
黄金の騎士に後を託して、彼らを見送る民衆の一部と成った。
「────各々方、先日の答えを」
まずは、子供達へ。
生身のまま都市に残るか、データ化し自らの足で駆けるか、痛みと恐怖を覚悟し戦うか。
子供達の答えは決まっていた。その返答は、マグナモンも想定しているものだった。
問題はこちらだ。マグナモンはパートナーデジモン達の方を向く。
「……いずれにせよ、双方の意志が一致していなければなりませんので」
「わかってるよ。ウチは手鞠の答え通りだ」
「おでも!」
『ワタクシ達はこのまま作戦に望みマス。単純に人手が必要デスので。……こんな魔女風情が、神の領域に踏み込む代償は避けられないでショウが──』
『大丈夫。ウィッチモンにダメージがいっても、私がカバーするから』
互いに掛かる負荷は覚悟の上だ。彼らの答えに、マグナモンは「分かりました」と頷いた。
「コロナモン、ガルルモン。貴方達は」
選択を迫る。それから『なんて惨いのだろう』と、マグナモンはひどく自分勝手にそう思った。
だって、自分は知っているのだ。かつて二人が守れなかった世界を。守れなかった誰かを。
記憶を失っているとは言え、そんな彼らを────よりにもよって子供達と共に、天の塔に向かわせようとしているのだから。
コロナモンとガルルモンは、蒼太と花那の瞳を見つめる。
「……コロナモン」
「ガルルモン、私たち……」
蒼太と花那は、不安げに自らの紋章を握り締めていた。
「……。……蒼太、花那。君達があの時、俺とガルルモンを見つけてくれたから──……」
コロナモンの声は震えていた。二人の掌の中で、紋章のペンダントが小さな金属音を立てた。
「────っ……」
「……だから今、僕達は此処にいる。君達と、皆でここまで来られた」
村を失くしたあの日。
ダルクモンを亡くしたあの日。
思い返せば、今だって胸は苦しくて──これ以上、大切な人が傷付くのは嫌だった。
張り裂けそうになる程の悲しみを、繰り返す事が怖かった。
「ねえ、二人とも」
それでも、前を向かなければ。
この子達と────未来を生きていく為に。
「……どうか、僕らの隣で、最後まで。この世界を見届けてくれ」
「俺達と来て欲しい。力を貸して欲しい。俺達は……君達と、一緒に戦いたい……!」
「「────」」
その、言葉を────二人はどれだけ、待ち望んでいただろう。
何も知らなかったリアルワールドでの日々から。
ダークエリアで、フェレスモンの城で、自分達の力の無さを思い知った日から。
人間に出来る事を必死に考え、足掻いてみせた旅の日々だって。
手を取って、肩を並べて、共に闘う日。
いつだって、夢に見ていた────
「……っ……そんなの、決まってる……!」
「私たちはずっと、これからだって……二人と一緒にいるんだから……!」
────子供達のデジヴァイスが、光を放つ。
放たれた光は空へ昇り、オーロラとなって広がる。リアルワールドで見たものと同じ、美しくて懐かしい光の帯。
それを画面越しに確認した、柚子はウィッチモンと目線を合わせた。彼女達のデジヴァイスが、知識と運命の紋章が輝き────“ワイズモン”は仲間達へ最後の問い掛けをする。
『では、皆様。世界を救う準備はよろしいですね?』
勇気と優しさの紋章が輝く。蒼太はコロナモンと手を握り合う。
友情と愛情の紋章が輝く。花那はガルルモンの鼻先を撫でた。
誠実と希望の紋章が輝く。誠司はユキアグモンと拳を合わせた。
純真と光の紋章が輝く。手鞠は掌のチューモンと微笑み合う。
そしてベルゼブモンは腕のスカーフを握り締めて──空のオーロラを真っ直ぐに見据えた。
「──行こう、コロナモン!」
「ガルルモン、一緒に走るよ!」
「ユキアグモン! オレたちなら上までひとっ飛びだ!」
「チューモン、頑張ろうね……!」
『……やり遂げよう。私たち皆で!』
『────量子変換システムを起動。選ばれし子供たちの電脳化<デジタライズ>を開始します』
子供達の体に光が灯る。目を閉じて、恐怖なく受け入れる。
眠りにつく時のように、意識が遠のく感覚だけを抱きながら──肉体は、ヒトの形をした発光体へと変化していく。
『変換完了。パートナーデジモンとの同期を開始──』
「──ロイヤルナイツの権限より、世界樹への接続を承認。座標、第一階層、第六区画へ」
『……よし。接続オッケーだよマグナモン。展開まであと十秒!』
デジヴァイスが一層に輝く。紋章が鮮やかに煌めく。
『────同期完了です。ユズコ!』
子供達だったデータの粒子は、パートナーデジモン達に取り込まれて────
『デジタルゲート・オープン!』
「コロナモン進化! ファイラモン……──「「フレアモン!!」」
「ガルルモン進化! ──「「ワーガルルモン!!」」
「ユキアグモン進化! シードラモン! ……「「メガシードラモン!!」」
「チューモン進化! テイルモン! ────「「ライラモン!!」」
響き渡る八つの声。
空のオーロラが降り注ぎ、五つの影が光に埋もれる。
そして──柚子とワイズモンの号令が発せられたのを最後に、彼らの存在は都市から完全に遮断された。
『『────作戦開始!!』』
◆ ◆ ◆
待っていました31話! というわけで、夏P(ナッピー)です。誰がここまでやれと言った。
カノンちゃんエロさ淫靡さ嫌らしさ以上に「壊れちゃったですぅ(タラちゃん」と磯野家の孫の如く戦慄しましたが、母体と改めて言われるとやっぱりえっちだった。
エンジェモンかレオモンのどっちかは「微力ながら私も協力しyがああああああ!」と死ぬ役だと思いきやこれ生き残ったわ最後に「フッ……彼らがやってくれたようだな……」と腕組んで空を見上げるゼヴォのオメガモンデュークモンポジだわと思いきや最後の一文であ、やっぱり死んだわとなった。死亡フラグを建てたり破壊したり建て直したり忙しいなキミら。レオモンは世界を守るため「Are You Ready? できてるよ」とブリザードグリズモンとかに進化するんだ!
第一階層の光景はカノンちゃんの深層心理か何かか……? クレニアムモンとの戦闘で赤髪のシャンクス+ピッコロさんの合わせ業と化したライラモンに戦慄。ルフィの「ライラモン……腕が!!」からのクリリンの「ひええトカゲみたいだ」が来る奴(田中真弓劇場)。
割とヤバい状況なんでしょうが、明らかにロイヤルナイツがモデルだろう防衛機能と互角以上にやり合えてる皆めっちゃ強くなったな……クレニアムモン様が露骨に前振りしてくださってるので、それはそれで取り返しのつかない方向に進んでいる気がする……。
それでは次回もお待ちしております。
作者あとがき
おはようございますこんにちはこんばんは!
エンプレ31話、お読みくださりありがとうございます!!
ついに最終決戦phase1ですやっとここまで来ましたね。
意気揚々と出発からのクレニアムモン戦。流石に一筋縄ではいかないです。血沸き肉躍る。
ドロドロ防衛機が模していたナイツ達ですが、それぞれ
レイピア→ドゥフトモン、帯刃→ロードナイトモン、ランス→デュークモンがモデルです。(ご本人達とは関係ございません)地味にデュークVSベルゼブモン戦を無理矢理作り上げました。
この子らについてはそのうちイラスト描いて投稿します。(間に合わなかった)
ちなみに冒頭の会話、狂ってるのはクレニアムモンであってカノンは正常。
天の塔の内部構造は第一階層からイラスト化できたらよかったんですけど画力が風景画に対応してませんでした。
(第二階層の挿絵は弄っても良いタイプのフリー素材を頑張って加工しました)
さて、最終決戦なのでデジタルワールドにもピンチになってもらいましたが、どうなっちゃうのかは次回へのお楽しみ。
ちゃんと英雄譚が英雄譚として語り継がれる日が来ることを願って……
それではまた次回!!
ありがとうございました!!
◆ ◆ ◆
イグドラシルの内部セキュリティ。
外部のバリアを奇跡的に突破した者、若しくは内部の反逆者が出会う防衛機構。
それは純白の無機物。駆除対象と認識した者を狩るためだけに動く、意思の無い機械だ。
──────本来であれば。
クレニアムモンの背後に浮かぶ三つの防衛機。
いずれも黒い泥にまみれ、腐食していた。
『……何故……毒が、此処に』
天の塔は毒の泉だ。しかしその源たるイグドラシルは少女の中に在る。
そして──毒の雲海は塔の更に上空で、ロイヤルナイツの結界により塞き止められている筈なのだ。
ならば今、目の前にある「毒」はどこから来た?
防衛機が溶けていく。溶けて、固まって、形を変化させていく。
それを眺めながら、クレニアムモンは笑顔を浮かべていた。
「私も、貴様らも、世界も、何もかもが生まれ変わるのだ。その様を見届けるのが私だけなど……我が主が、寂しがってはいけないだろう?」
──無機物の防衛機は、騎士の様な造形へと成り果てる。
かつて天の結界を作った、クレニアムモンとマグナモンの仲間の姿に。
「……ああ、そうだ。そうだったな。いけない。イグドラシルの御座を整えて差し上げねば」
思い出したかのような独り言。クレニアムモンは、空を見上げる。
「すまない。さっきの『用事』がまだ、残っていたよ」
友ではない無機物にそう言い残すと、騎士は両手で槍を掲げた。
回転させる。その速度は見る間に増していき、やがて空を切る。
音速の衝撃波は周囲の壁を吹き飛ばして、どこまでも続く吹き抜けに「穴」を空けた。
空のテクスチャが剥がれ、空間が割れていき────続く先に垣間見える第三階層。
ゲートを繋がなければ移動できない筈の空間を、こじ開けた。階層同士の狭間そのものを破壊する事によって。
遥か上空の崩落部まで、空間を転移しながら移動する。そして潜り込むように、クレニアムモンは第三階層へと姿を消していく。
ベルゼブモンは「待て」と怒鳴り、遠く離れた騎士に向けトリガーを引いた。しかし届く筈もなく、また飛行能力を持たない彼は追う事さえ許されない。
ライラモンも同じく声を上げたかったが──内心、このまま最後までクレニアムモンが現れない事を願ってしまう。
嵐のように自分達を蹂躙して去った騎士。なんという置き土産をしてくれたのか。防衛機だった黒い何かは、その頭部らしきものをこちらに向けていた。
彼らは、ロイヤルナイツではない。
生命体でないあれらには殺意すら無い。ただ侵入者を狩るだけのプログラムだ。
『……悠長に戦う時間はありません。防戦をしつつ捜索に転換して下さい。クレニアムモンが離脱した今……このチャンスは逃せない!』
「わかった! ガルルモンとベルゼブモンは飛べないから、オレたちと離れないで──」
飛行機のエンジン音にも似た騒音がメガシードラモンの声を遮る。フレアモンが、第二階層の上空へと鋼鉄の翼を展開させていた。
「だめだよフレアモン! そんなことしたら……!」
その熱と動きに反応したのだろう。「元」防衛機──泥人形の騎士達は、照準を一斉にフレアモンへ向ける。
彼の目線の先には、クレニアムモンが空けた時空の亀裂があった。
「クレニアムモンを追う! このまま奴を放置すれば取り返しがつかない!!」
仲間達が呼び止めようとするも、既に声が届く距離ではない。ワーガルルモンは彼に続くように後を追った。
ワイズモンはフレアモン達の言動に困惑を隠せなかったが、無理矢理に気持ちを切り替える。メガシードラモンに応戦するよう指示を出し──
『ベルゼブモンはライラモンと共にパートナーを!』
「────」
「ほら行くよ! 何ボーっとしてんだ!」
「──…………俺は」
ベルゼブモンは腕のスカーフに目を向け、そして上空へと視線を移す。
泥の騎士はがむしゃらに武器を振るい、同行者達に襲い掛かる。
フレアモンは鎧で防ぐが、何故かネプトゥーンモンの加護が発動せず──滴る毒で皮膚が焼けた。
防いでは焼き、焼かれては殴り、それを繰り返す。追い付いた二人も同様に、血と泥にまみれた戦闘を開始させている。
「……。…………俺は、行けない」
「はぁ!?」
「俺は飛べない。カノンを見つけても、連れて行ってやれない」
「何言ってんの……パートナーだろ!? アンタのこと待ってるんじゃないの!? 迎えに行ってやらなくてどうすんだ!」
ライラモンはベルゼブモンの胸ぐらを掴み上げた。ベルゼブモンは、上空の戦闘から視線を逸らさなかった。
「……俺の、銃だけだ。アイツに傷をつけた。だから……カノンは、お前が」
男は相変わらず言葉足らずで、ライラモンはひどく苛立ちを覚える────が、それでも男の意図を察した。
つまるところ、この男はフレアモンの勘を信じている。そして現状、自身がチームの中で最も強いであろう事も理解している。
狂う程、しかし毒に飲まれてもなお自我を保つ程、探し求めていたパートナーが近くにいるかもしれないというのに。ベルゼブモンはパートナーの捜索をライラモンに託したのだ。
「……。……確かに、世界が変わってアンタがアンタじゃなくなったら……パートナーだって悲しむだろうさ」
「…………カノンに……会ったら、これを」
「嫌だね。その赤い布はアンタがちゃんと会えたら渡してやんな。──ワイズモン、そういう事だ!」
『貴女への使い魔に熱源探知機能を付与させました! こちらは干渉と回復で精一杯ですので……!』
「戦闘時だけフォローしてくれればいい! こっちは適当に走り回る!」
ライラモンは最も近くに位置する玄関扉に手をかけた。仲間達を残し、ひとり少女達の捜索を開始した。
◆ ◆ ◆
「────」
勢い良く音を立てて閉められた扉。
ベルゼブモンは唇を噛んだ。恨めしく、名残惜しく扉を睨み付け、自身に湧く感情を声に込めて──
「──降りてこい! 俺を、乗せろ!!」
男の声にメガシードラモンが反応した。即座に方向を転換し、落ちるように下降する。
『オレたちと戦ってくれるの!? パートナーさんは……』
誠司が言い終える前に、男はメガシードラモンの爛れた皮膚に足をかけた。
落下しない為だろう、乱暴に髪を引っ張る男に抵抗しようとするが──男の表情を見たメガシードラモンは言葉を飲んだ。
飛び上がる。自分が僅かに離脱した事で、戦況は大きく悪化していた。
泥のレイピアが、ランスが、帯刃がフレアモンとワーガルルモンを狙う。時折、本来の防衛機としての機能を思い出すのか──ひび割れた水晶片を弾丸のように放っていた。
「クイックショット!」
銃声と硝煙が上がる。水晶片が次々に砕かれ、散っていく。
「……! ……メガシードラモン、ベルゼブモン! あっちを頼む!
ワーガルルモン、一体をそっちに飛ばす! その扉を壊してくれ!」
そう叫ぶと、フレアモンは騎士の一体に飛び掛かった。背後で銃声と雷撃の音を聞きながら。
歪んだレイビアが肌を掠める。毒による激痛に顔を歪めながら、そのレイピアを素手で掴む。そのまま腕を捻って背後へと回り、動きを封じた。
──目線を通路に向ける。ワーガルルモンは言われた通りに玄関ドアを壊し、その周囲の壁を破壊した。
「いいぞ、フレアモン!」
脇に避け、合図を送る。
フレアモンは騎士を抱えたまま突進した。壁にぽっかりと空けられた穴に照準を合わせ、騎士を放るように手を離し────
「紅蓮獣王波!」
拳から放たれた炎の獅子は、背を穿ちながら騎士を穴の中へ連れて行く。
ワーガルルモンが即座に部屋の中へ飛び込んだ。床に転がる騎士に飛び掛かり、馬乗りになる。
「カイザーネイル!!」
切り裂き、殴り、切り裂き、殴り、突き刺し────けれど繰り返す度、彼の拳は確実に焼け爛れていく。
「焼けても治る! 続けろ!!」
同行者達にベルゼブモンは叫んだ。ランスの騎士と帯刃の騎士が高く上昇し、上空から男を狙った。
銃弾の雨で迎え撃つ。それを回避した一体──帯刃の騎士が男に迫る。
「サンダーブレード!」
メガシードラモンが頭部の刃で応戦した。直後、フレアモンが合流する。
「すまない遅れた! 状況は……」
「生きてる。……あのヒラヒラはお前がやれ」
フレアモンは帯刃の騎士に向かって飛翔する。同時に、二人がランスの騎士へ。
メガシードラモンが体当たりをし、騎士を宙へ押し上げた。隙だらけの腹部に銃口が向けられた──瞬間、その腹部から水晶片が発射される。
即座にメガシードラモンは旋回し、回避行動を取る。ベルゼブモンは彼の髪を掴み、浮遊しながら銃弾を放った。ランスの騎士は円盾でそれを防ごうとするが、銃弾は紛い物のそれを貫通していく。
「……遠くからだときりがないね。どうする?」
「なら、動かなくする。押さえられるか」
メガシードラモンは頷くと、ランスの騎士目掛けてスピードを上げた。
尾で騎士を壁に激突させ、機体が壁から離れる前に頭から突撃する。──騎士は音を立てて壁にめり込んだ。
毒で焼ける外殻の上をベルゼブモンが駆け渡り、騎士に飛び掛かかる。首らしき部位を掴み上げ、頭部に銃口を押し当てた。
くぐもった銃声が、数発。
騎士は機械的な痙攣を見せる。男は再度トリガーを引こうとし──あと何発で機能を停止させるか、一瞬だけ考えて──
『……え? あいつ、なんで銃しまって────』
────喉元に喰らい付いた。
毒ごと、残っているかもしれない防衛機のデータを喰らおうとする。
既に汚染されているベルゼブモンは、どれだけ毒に触れても皮膚を焼く事はない。激痛に見舞われる事もない。相手が分解するまで、捕食する事を止めない。
「なにしてるの!? おかしくなっちゃうよ!!」
止める声が届くことは無い。男はひたすらに牙を立て、飲み込んで、せり上がる嘔気に身を任せた。コンクリートの床に黒い吐瀉物が広がっていった。
──見かねたメガシードラモンが男を咥え、無理矢理に騎士から引き離す。
「アイスリフレクト!」
氷の壁を張り、それを尾で叩き割る。食い散らかされた騎士の身体に破片が降り注ぎ、突き刺さった。
『み、水! 水出してやって! ……しっかりベルゼブモン! 毒に負けるな!』
「ワイズモン、やつの状態は!?」
『……信じられませんが成功です。防衛機としての機能はほぼ全壊しています! 残った毒を焼いて下さい!』
『よし! あとはオレたちに任せて! ──メガシードラモン!!』
「サンダージャベリン!!」
雷撃が落とされる。
毒の焼ける臭いが広がる中──騎士が焦げて塵になるまで、それは撃ち続けられた。
『────防衛機、一体の機能停止を確認! 二人は……』
「オレたちはこのまま上にいく!」
『了解。空間の「穴」には結界としての機能は確認されません。そのまま突き進んで!』
『……そーちゃん、村崎……!』
『誠司! すぐ追う!!』
フレアモンは振り返らなかった。メガシードラモンも躊躇わず上空を目指した。
二人を追おうとする帯刃の騎士。その腕を掴み、フレアモンは炎の拳で殴り飛ばす。
騎士の背から伸びた、しなる帯刃がフレアモンを切り裂く。けれど彼もまた攻撃の手を休めず、拳と刃はひたすらに入り乱れていく。
『……! なあフレアモン、今……何か見えた! 胸の所だ!』
フレアモンは咄嗟に騎士の胸部へ目線を落とす。────機体を「騎士」として形作っていた毒が、焼け焦げて剥落している。僅かに残されていた本来の純白が、表面に露出していた。
すかさず胴体を掴み、騎士の胸部に顔を寄せた。水晶片が発射される寸前、口元が触れる位置までその純白を近付けて────
「────清々之咆哮!!」
至近距離から放たれた浄化の炎。
騎士の胴体に、大きな穴が空いた。
「──、──」
呻き声ひとつ上げず、痙攣する騎士。
未だ完全には停止しておらず、このままでは再び起動しかねない──そう、ワイズモンが忠告する。
だが、
「……いや、もういい。時間も無いから」
フレアモンはそう言って手を離した。
騎士は吹き抜けの奈落へ、吸い込まれるように落下していった。
『…………フレアモン、大丈夫か? 傷を……』
「大丈夫だ。……傷は、まだいい。後で治そう。大丈夫だから」
そう言って、フレアモンはワーガルルモンのもとへ向かう。裂傷から赤い血を滴らせながら。
彼が騎士と戦っていた、部屋の様子はまさに惨状だった。
「……ワーガルルモン……」
飛び散る血痕と黒い飛沫。毒の焼ける臭い。
息を荒くしながら、ワーガルルモンが振り返る。
「……それは、壊れたのか?」
「ああ。……多分」
「……傷が酷いじゃないか」
「お前こそ」
「治せば、いいのに」
「……お前こそ」
「嫌な予感がするんだ。無暗に使いたくなくて」
「……。……僕もだよ」
ワーガルルモンは、皮膚を失った掌を見つめる。
「…………“再生”、か。……」
『……ねえ、二人共……痛くない?』
「……痛いよ。すごく痛い。でも、大丈夫。僕達はまだ生きてるから」
ワーガルルモンは騎士を置いて部屋の外へ。フレアモンの肩に腕を回すと、鋼鉄の翼が二人を浮かび上がらせた。急いでメガシードラモン達の後を追う。
空にはもう、二人の姿は見えなかった。無事に第三階層へ入れたのだろう。
『海棠くんたち、大丈夫かな』
『バイタルは正常です。戦闘が行われている様子も、付近に熱源反応も無い。……ですが』
『ノイズが酷くて音が聞こえないの。視界も、メガシードラモンの氷で反射しちゃって……』
状況は把握できないが、少なくとも防衛機やクレニアムモンとは遭遇していないと分かる。安心する反面、フレアモンとワーガルルモンは焦りを抱いた。
──早くクレニアムモンに追いつかなくては。
「……っ」
フレアモンが放った「取り返しがつかない」という言葉────それが何を指していたのかは、実のところ当人達もうまく理解できていない。
ただ、無性に嫌な予感がしているだけ。言ってしまえばただの直感だ。きっと自分達が知らない──クレニアムモンが再生しようとしている「いつかの自分達」が、知っているのだろうと思う。
────そう。ここまできたら最早、疑いようがない。
ずっと探してきた、自分達という存在の正体。遠い日の記憶。
その答えが、全てが此処に在るのだろう。
クレニアムモンは知っている。自分達は知っている。
知っていたのだ。思い出せないだけで、本能はとっくに気付いている。
だから、急がなければ。全てが「また」手遅れになる前に──自分達は辿り着かなくては。
何より時間がないのだ。先程の戦闘で、作戦時間をだいぶロスしてしまったから。
破壊された空間の穴。剥落したテクスチャに近付いていく。
それに伴い感じる毒のにおい。──気付いてはいたが、先程浴びた毒は地上のそれよりもずっと濃度が高いようだ。
「そういえば……どうしてさっき、ネプトゥーンモンの結界が起動しなかったんだろう」
ふと、ワーガルルモンはそんな事を思う。……そうだ。こんな事になるなら、ベルゼブモンにも彼の加護を授けてもらえばよかった。
彼らは空間の穴へと飛び込んでいく。
薄い膜に触れたような感覚。僅かに感じた雨のにおい。それを疑問に思った時には、既に目の前の光景は全く別の物へと変わっていた。
天の塔、第三階層。
最初に視界に映ったのは、幾重にも重なる氷壁。
そして────その中で泣き叫ぶ、メガシードラモンの姿であった。
◆ ◆ ◆
辿り着いた第三階層は、天の塔としての機能と形状をそのままに保っていた。
クリスタルの群晶が浮遊し、床も壁も水晶で構成された電脳空間。
迷路のような構造ではあるが、重力の概念が再び失われ、意思のままに空間を移動できる。自由で、狂気を失った神秘的な空間だ。
そこでメガシードラモンは泣いていた。氷の壁で自身を隔離するように守りながら。
ベルゼブモンは全身から黒い液体を滴らせながら、水晶の壁の一角を、無表情のまま見つめていた。
何があった?
するとベルゼブモンが静かに、自分の目線の先を指差した。フレアモンとワーガルルモンは恐る恐る顔を向け────
「────ぁ」
クリスタルの壁に映し出された“それ”を見て、絶句する。
映っていたのはデジタルワールドだった。
遥か遠く離れた地上。見覚えがある場所も、無い場所も、様々な場所が映し出されていた。
その、全てに。
「────……なん、で」
雨が降っているのだ。
世界中に。黒い、毒の雨が。
第三十一話 終
◆ ◆ ◆
小さなベルの音が鳴り、エレベーターの扉のように空間が開いていく。
天の塔、第二階層。
第一階層のような混沌さは無くなっていたが、それでも決して真っ当とは言えない。あらゆるものが「白」で彩られたその空間は──相変わらず、リアルワールドに存在する建築物とよく似た構造をしていた。
例えるなら、吹き抜けに面する集合住宅の外廊下だ。
しかし壁に対して床がやたらと広く、奥行きは人間が居住するそれの数倍はある。その狂った遠近感に、子供達は生理的な恐怖を抱いた。
そもそも、ここは先程入った低層マンションの中ではないのだろう。それは目に見えて明らかだった。──階層数があまりに異常なのだ。
高層やタワーどころの話ではない。上にも下にも、階層が無限に続いている。空は見えず、吹き抜けを見下ろしてもコア部分は見えない。
気が触れそうになる白の塔。
マグナモンの話通りであれば、此処には────
「カノン!」
ベルゼブモンの声が、回廊に反響する。
「どこだ、カノン!」
────そう。第二階層にはイグドラシルとその母体が居る筈だ。一行は上層を目指す過程で、彼女らと出会わなけれなならない。
『少なくとも五キロ圏内にそれらしき熱源は確認できません。……そもそも空間の歪みが激しいので、単純な距離で測る事に意味があるのかも……』
なら、どうやって彼女達を探す? 反応が探知できるまで、等間隔に並ぶ扉をひとつずつ開けていくのか?
無理だ。そんな途方も無い作業、何日あっても時間が足りない。
「かべ、こわそうか」
「馬鹿だね、そんな事したら気付かれるじゃないの。……アイツみたいに大声で呼ぶのもどうかと思うけど」
『遅かれ早かれ気付かれますよ。────ただ』
────使い魔の猫が、複数の熱源を突然に感知する。
『もう、と言うべきか、ようやくと言うべきかは、分かりませんが──……!』
『ひとつ近付いて来てる! 究極体ワクチン種……! 距離は……』
『あてになりません、転移しながらの移動です。戦闘用意、即座に!』
その正体は、考えるまでもない。
全員に緊張が走る。爪を、牙を、刃を、銃を構え──それぞれが別の方向を警戒する。
神経を研ぎ澄ませる。──気配は無い。匂いも、足音も無い。扉を開く音だって。確実に近くにいるのに、その存在を捉える事ができない。
『────あ、また近付いて────』
柚子が声を上げた、直後。
「奇妙な組み合わせだな」
その声は──空に浮かぶメガシードラモンよりも遥か上空から聞こえてきた。
吹き抜けの空。何もない筈の空間。
けれど、まるでそこに大地が広がっているかの様に、“彼”は宙に立っていたのだ。
「だが、そうか。そういう事か。……友よ」
黒紫の鎧を纏い。
黒紫の槍を構え。
「────私は、騎士である」
侵入者達を見下ろす、一人の騎士。
「デジタルワールドの創造神、世界樹イグドラシルに仕えしロイヤルナイツである。正義に身を捧げ、騎士道を敬う者である。ならば侵入者相手でも名乗らねばなるまい。
────我が名は、クレニアムモン」
威厳に溢れた声で、名乗りを上げた。
マグナモンの黄金の輝きとは正反対の鈍い光。フレアモンとワーガルルモンは目を奪われ、その身が硬直していくのを感じた。
それは恐怖からだろうか? ──違う。拭いきれない既視感からだ。初めて出会う筈なのに、その色も、声も、何もかもに覚えがあるのだ。
一体、何故。けれどそんな二人を他所に、クレニアムモンは穏やかな口調で続ける。
「挑むならば応えよう。対話を望むなら語り合おう。──ああ、構わないとも。この身はイグドラシルの『完成』を待つのみだ。時間は余る程──」
「──お前が」
黒い男が声を漏らした。
震える両手で銃を握る。
心臓が大きく音を立てる。頭蓋に突き刺すような痛みが走る。
感情が────沸騰して、溢れた。
「お前が、カノンを──……!!」
────反響する銃声。
しかし直後、弾かれたような硬い金属音が響く。
「人聞きの悪い」
漂う硝煙は槍に掻き消された。
「彼女は進んで身を差し出したのだ。貴様の為に」
「────!!」
ベルゼブモンは声を荒げ、再び銃を向ける。それをつまらなそうに見下ろしながら、クレニアムモンは槍を振りかぶり──
「────ベルゼブモン!」
男の視界が横転した。
何かに蹴飛ばされた感覚。その直後、槍から放たれた衝撃波が床を打ち砕いた。
全員、即座に回避行動を取る。しかしベルゼブモンを庇ったワーガルルモンが避けきれず巻き込まれた。
「ワーガルルモン!」
『花那!!』
フレアモンは落下していく彼を抱き止め、階下へと逃げ込む。
────胴を支える手に、ぬるりと温かな感触。ワーガルルモンの脇腹が切り裂かれていた。
「……! 止血する!! 傷口を焼くぞ、堪えろ!」
『まっ……って。ッ……私が、やるから! ゆ、柚子さん……!!』
花那は苦悶しながら柚子の名を呼んだ。影絵の猫がワーガルルモンの身体に巻き付き、花那との同調が強制的に増幅されてゆく。
すると──ワーガルルモンの創部が修復し始めた。フレアモンは思わず目を見張る。
「中に人間がいるのか」
自動修復の光景はクレニアムモンにとっても想定外だったのだろう。興味深そうに目線を向けてくる。
「あの時は、ここまでの事はしなかったろうに。……いいだろう。観測はしておいてやる。いつか────」
もういない友に向け、他愛なく語りかけて
「────我らが作る新たな未来で、卿に語ろう」
騎士は目の色を変えた。
ふわりと浮き、重力に任せて急降下。そのままメガシードラモンの頭部に膝を落とす。
鈍器が地面にめり込むような音がした。メガシードラモンは呻き声すら上げられず落下し、数階下の通路に激突する。
「!? は、ちょっと────」
ライラモンと、視線が合う。
「────ッ!! マーブルショット!!」
新緑の光線は片手ではね除けられた。
直後、騎士はライラモンの目の前へ転移。ライラモンは咄嗟に距離を取ろうとする──が、腕を捕まれた。花弁の刃を突き立てても、ブラックデジゾイドで構成された鎧には傷ひとつ付けられない。
「ちっ……! 弱そうなウチを先に潰しとこうってワケ?!」
「まさか。騎士であるからには極力、一騎討ちで勝敗を決めたいというだけだ」
「アンタの騎士道なんざ知らないよ! 手を……っ離せ! おい!!」
「──そうだな。レディがそこまで言うのであれば」
離してあげよう。
クレニアムモンはライラモンの腕を掴んだまま、槍を。
「ぎゃああああああああ!!」
幅広く巨大な穂先は、細い腕を貫き切断した。腕は落下し、本体は蹴り飛ばされて壁へとめり込む。
柚子とワイズモンが即座に、手鞠との同調による修復を試みる。すぐに止血されたが、激痛が止まらなかった。
「サンダージャベリン!!」
「紅蓮獣王波!!」
雷撃と炎の獅子が吹き上がり、騎士を襲う。
だが、クレニアムモンは何もない空間から黒紫の盾を生み出し──二人の攻撃を容易く防く。
『ワーガルルモン、行ける!?』
「平気だ……それより花那は大丈夫なのか!?」
『気にしないで! ワーガルルモンより全然痛くないよ!』
「メガシードラモンが先に行く。俺達は同時にやるぞ、いいな!」
メガシードラモンはヒビが入った外殻を空に向け、雷撃を放ちながら突進する。
それを合図にフレアモンが飛翔した。ワーガルルモンは床を蹴り、手摺壁を飛び越えていく。
「サンダーブレード!!」
雷の刃と黒紫の盾がぶつかり合う。
クレニアムモンはメガシードラモンを盾で抑えたまま、彼の顔面に向け槍を投げた。
ぎゃっ、という短い悲鳴の後、盾から頭部の刃が離れる。槍が、メガシードラモンの片目に突き刺さっていた。
「おや、すまない。狙いを外した」
「──、──ッ!!」
「……このッ……カイザーネイル!!」
「紅・獅子之舞!!」
ワーガルルモンが背後から、フレアモンが上空から、騎士に飛び掛かる。
拳と蹴りが嵐のように入り乱れる中────クレニアムモンはその全てを躱しながら、さも可笑しそうに口を開いた。
「……哀しいな。もっと速く動けるだろうに、肉体が追い付いていないのか」
「うるさい! 何を、俺達を知った風に……!!」
フレアモンはワーガルルモンの足場となりながら攻撃の手を休めない。
そしてクレニアムモンも、言葉を止めなかった。
「いいや、いいや。知っているとも。貴様の炎はもっと熱く──」
「──円月蹴り!!」
「貴様の蹴りはもっと速く、深かった」
騎士は先程から何を言っているのだろう。
出会うのは、戦うのは、初めてだろうに。
「まだ“至る”為のデータが足りないか? ならばいっそ、中身の子供達を全て取り込んでしまえばいい」
「「────」」
──それは。
いけない。それだけは。
言葉の意味が理解できない、なのに知っている。デジモンが人間の子供達を食らえば、
「……っ……あ、ぁ……!!」
『フレアモン……!』
「やめろ、やめろ……違う! 俺達は……!!」
『フレアモン!! ワーガルルモンと花那が落ちる! 早く────』
「────ハートブレイクショット!!」
耳を突くような轟音に、フレアモンは我を取り戻す。
目の前の鎧には、弾丸による傷がひとつ。
そして、目線を落とす。崩れかけた床の縁で、ベルゼブモンが銃を──片手にワーガルルモンの手首を掴んだ状態で──クレニアムモンに向けていた。
男は続けて数度、銃を放つとワーガルルモンを放り上げた。ライラモンも声を上げながら応戦する。──まだ修復途中なのだろう。腕の切断面からは、新たなワイヤーフレームが再生されていた。
「すまないベルゼブモン。助けてくれて……」
「────」
「……ベルゼブモン?」
「ああもう! 手鞠が痛がってんじゃないの! どいつもこいつもふざけんな!! どうしてくれんだウチの腕……喰われたせいで全然治らない!!」
ワーガルルモンは思わず顔を上げた。ベルゼブモンの口元には、赤と黒が混ざった液体がこびりついていた。
「……ベルゼブモン、ライラモンの切られた腕を……」
「────落ちていた。だから喰った」
「だ……駄目だ。それでも駄目だ。仲間を食べたら……それに今の僕らには、この子達のデータも混ざってるんだよ。僕達は……“もう”、子供達を……!」
────もう?
もう、って、何が?
「────」
止まぬ銃声と怒声。破壊音と雷鳴の中──ワーガルルモンの耳の中では、先程のクレニアムモンの言葉がこだましていた。
自分達は、何をした?
自分達に何があった?
クレニアムモンは──
「────本当に、知っているのか。僕らを」
頭痛がする。花那の声が遠い。
『両目パッチリしたな!? 進むぞメガシードラモン!!
山吹さん、ワイズモン! オレたちのドーチョーももっと強くして!』
頭痛がする。
見上げる。メガシードラモンが騎士に食らい付いている。けれど牙が折られていく。
見上げる。ライラモンの腕が修復した。けれど槍の衝撃波で再び負傷してしまった。
見上げる。
フレアモンは頭を押さえながら炎を放っている。────フレアモン、どうして泣いているんだ。
なあ、フレアモン。
『────熱源反応を複数確認!』
それぞれの影の中からワイズモンの声が響く。こんな時に、と柚子の焦燥する声も。
『数は三つ……デジモンではない電脳体……イグドラシルの防衛機です!!』
「ああ、取り零しか。せっかく見逃してやったのに勿体無い」
『……見逃した……? 二人に会ったの!?』
「気付かぬ筈がないだろう、この私が」
『……!』
言われてみれば当然だ。先に侵入した上、防衛機構の破壊を目的としているのだから──二人の存在が気付かれない訳がない。
だが────柚子は二人のバイタルサインを確認する。二人は変わらず、未だ戦闘を続けているようだ。信じ難いが、クレニアムモンが言った通り本当に見逃されたのだろう。
しかし何故、わざわざそんな事を。問おうとした矢先、クレニアムモンが先に答えを告げた。
「おかしな事に、ただ暴れたいのだそうだ。我らの神には指一本触れないからと駄々をこねる。……どうせこの塔も再編されるのだ。最上部さえ無事なら、私は構わない」
だから遊ばせてやっている。──クレニアムモンにとっては、防衛機構が破壊される事など些末事でしかないのだ。
それを悟った柚子は、無性に悔しさを覚えた。けれど、反論したいのに言葉が出ない。──そんな彼女が震える手を握り締める様を、ワイズモンだけが目に留めていた。
「──まあ、アレらの願いはそもそも、そこにいる『二人の再生』だ」
クレニアムモンはそう言って、フレアモンとワーガルルモンを指差す。
え、と声を上げる二人。
「最後に夢を、叶えさせてやりたいじゃないか。────叶えられるなら」
空間が揺れた。
水面から、三つの影が姿を見せる。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
────英雄達の旅路を見送る。
何とも言えぬ高揚感と、拭いきれない不安。そんな思いを胸に、ホーリーエンジェモンはオーロラが消えた空を見上げた。
「……兄上。作戦のタイムリミットは確か、三時間と」
「そうだ。……そんな短い時間でこの世界の命運が決まるとは。……いや、実際はもっと早いのだろうが」
思わず苦笑する。余韻を振り切り、自らが治める都市の民の方を向いた。
「──エンジェモン。居住区の住民の避難は済んでいるな?」
「ええ。あとは、この場に集まった我々のみです」
「天使達とレオモンは民を誘導し、地下シェルターへ向かいなさい。十分以内に避難を完了させるように。……エンジェモン、お前もだ。マグナモンが我らにした話が本当なら────」
「お言葉ですが兄上。我らは共に、在りし日の英雄セラフィモンから生まれた身。彼らが……ユキアグモンが帰るこの地を守り抜く事こそ、我がデータに刻まれた責務です」
「……。……ならば共に大聖堂へ。全員、速やかに行動せよ!」
二人の天使が踵を返す。民衆が慌ただしく避難を開始する。
そんな中、
「────騎士殿、どちらへ」
エンジェモンがマグナモンを呼び止めた。
「宿舎棟に何かお忘れか? ならば案内役を待たせておきましょう」
「……いえ、必要ありません。各々方は己の為すべき事に専念なさい」
「ですが、騎士殿はシェルターの場所をご存知ない。避難が間に合わなくなります」
「構いませんよ。自分の身は自分で、何とかしますから」
仮にも究極体ですので。そう言って微笑み、軽く手を上げる。
困惑するエンジェモンに会釈をして────マグナモンはひとり寄宿棟に戻った。
「どうか各々方にも、武運と健闘を」
喧騒を背に、扉を閉める。
薄暗いホールを振り返らず進み、階段を上る。
途中、彼らと共に過ごした食堂を、少しだけ眺めて。
「…………」
階段を上る。
子供達が過ごした部屋を、目を細めて見つめる。
階段を上る。
そして、金属扉を開けて屋上へ。
喧騒は既に遠く、あたたかな風が頬を撫でる。マグナモンは天を仰いだ。
「────主よ」
遠い空の先へ届くよう、祈りの言葉を紡いだ。
「愛しきイグドラシル。どうか、どうか。御身の加護を彼らに──……」
……もう、あの子らは塔に着いただろうか。
先に送った二人は、今も戦っているのだろうか。
救えなかった少女は、彼と出会えるだろうか。
塔に残した友は、どうなるだろう。
「…………」
残念だ。
出来る事なら、見届けたかったのだが。
「────けれど小生は……これで、良かったのだろうな」
手を伸ばす。
指先は、もう見えない。
「……なあ、クレニアムモン……」
瞳に映る空が滲んだ。
それは不思議と、とても綺麗で────。
◆ ◆ ◆
────そして。
自らに課した願いを遂げたマグナモンは、その電脳核を静かに消滅させた。
◆ ◆ ◆
魂だけになる、というのは、こんな感覚なのだろうか。
視界は良好。違和感も不快感も皆無。
けれど、ジェットコースターのような速度で進んでいるのに風を感じない。肉体に触れる感覚の一切が存在しなかった。
在るのはただ、全身を包む温もりだけ。
自分という存在が曖昧になってしまった────そんな、僅かな恐怖が過る。
『────』
声を出した。パートナーの名前を呼ぶ。
「────ああ、蒼太。聞こえてるよ」
優しい声が帰ってきて、安心した。
◆ ◆ ◆
光の道を抜け、灰色の空を越え、英雄達は足を踏み入る。
そこは天空に聳える塔。世界樹の根。神が座す聖なる地。
天の塔。第一階層。
────降り立った瞬間、押し潰されそうになる程の重圧感が彼らを襲った。
物理的な要因からではない。デジタルワールドに生きる彼らに刻まれた、創造主への本能的な畏怖に因るものだ。
昼光色の明かりに目を眩ませながら、各自、警戒し周囲を見回す。
数度の瞬きの後、視界が鮮明になると────その光景に誰もが目を疑った。
『……何だ、これ……。……俺たちの住んでた場所みたいな……』
そこには、アスファルトの道が在った。
電柱が、道路標識が在った。区画整理された家が在った。
「…………カノン……」
それらは歪んで、並んで、渦巻いて、重なって、交ざって、混ざって、入り組んでいた。
見慣れた建造物で構成される怪奇の空間。天と地の概念さえ失った電子の海。
子供達は戦慄する。ここが本当に神様のいる場所? デジタルワールドで一番神聖な場所だというのか?
「「────」」
……いいや、違う。
フレアモンとワーガルルモンは漠然とそう感じていた。此処は────こんな姿ではなかった筈だ。
「……こんな場所……僕達は、知らない……」
「何言ってんのさ、当たり前じゃないの。……ウチらの神様は……相当、狂ってるよ」
ライラモンは空から伸びるビル群を睨み付け、舌打ちした。
『────接続状態を確認。同調率、バイタル、いずれも問題ありませんね』
デジモン達の影の中から、使い魔の黒猫が姿を見せる。
黒猫の瞳──モニター越しに第一階層の状況を捉えると、ワイズモンは息を呑んだ。
なんて有様だ。塔の内部構造が、事前の報告とあまりに違いすぎる。
『……イグドラシルの変質は既に始まっている、という事ですか。しかし、この短時間でここまで歪むなんて……』
『と、とにかく急ごう。皆ついてきて!』
ワイズモンが第二階層までの最短ルートを検索。柚子が使い魔を使役して仲間達を誘導。
上下左右、全ての方向と方角が狂ったこの空間では、彼女達のナビゲートが無ければ完全に詰む。タイムリミットを迎えた後さえ、この地で立ち往生していた事だろう。
それを理解しているからか、ベルゼブモンを含め誰もが大人しく誘導に従っていた。どれだけ信じ難い、とんでもない方向を指示されたとしてもだ。
ルーレットのように姿を変える標識に見送られ、点滅する信号機の街路樹を抜ける。
交差点が織り成す螺旋道を上り、積み上げられた商店街を崩して道を作る。
既存の道はそもそも道としての機能を放棄し──加えて浮かんだり突き刺さったりしているので、嫌でも自分達で作るしかなかった。
「あたまがおかしくなりそう」
「同感だね。いっそ目を閉じたまま進みたい気分だよ。フレアモンとガルルモンなんか真っ青じゃないか」
「だいじょうぶ? オレの背中にのってていいからね」
「……ありがとう。平気だ、俺のはただの頭痛だから。それよりこの先、壁があるけど行き止まりじゃないのか?」
『うん。行き止まりだけど、行き止まりじゃないよ。そのまま直進して』
往く手を阻む袋小路。指示通り、その垣根を飛び越える。
すると一行はそのまま宙を駆け渡り──どこかの学校の校庭を眼下に望んだ。
『……あれ? あの学校……』
『手鞠、知ってるの?』
『う、うん。お母さんがパンフレット持ってたの。確か女子校で……』
『パンフレット? ……そっか、受験の! でも、その学校が何でこんな所に……?』
気付けば空にはイチョウ並木の鏡像が広がり、紅葉と落葉を繰り返す。
閑静な住宅街は進めど進めど同じ景色。時折、モザイクが掛かっていた。
慎重に、緊張しながら進んでいく一行であったが、途中で誰もが疑問を抱く。
何故だろう。この狂気の街はあまりに静かだ。迎撃どころか警報ひとつ聞こえてこない。
マグナモンの言った通り、先遣隊が塔の防御機構を潰してくれたからなのか? ……だが、仮にそうだったとしても────
「────クレニアムモンはどうして、俺達を襲って来ないんだ」
フレアモンの直感が警告を発する。
やはり何かが──何もかもが、どこかおかしい。
『まもなく移送機のポイントに到着します。タイムは三十二分……ペースとしては理想的ですが……』
最後にひとつ、小さな公園を通り抜けて。
一行が到着したのは、とある低層マンションの前だった。
上品な外観と外構。開け放たれたオートロックの正面玄関。
手前のエントランスには、どこからか落下したような硝子が散乱していた。
『……やはり電源は落とされていますね。ワタクシがゲートを接続しますので、屋内へ移動を』
「オレ、おおきいからドアとおれない……」
『大丈夫。此処では測度など当てになりませんよ』
ライラモンがメガシードラモンを押し込め、マンションの中へ。全員が無事に入った事を確認すると、ワイズモンは第二階層の時空間へと接続を開始する。
玄関ホールの中は空っぽだった。
ガコン、と。開いたままの自動扉が音を立てた。
「────」
ふと、ベルゼブモンが背後を振り向く。
扉の隙間から見える、自分達が通り過ぎたエントランス。
硝子が散乱していた場所には、無かった筈の黄色いテープが貼り巡らされていた。
そして、その場所に
「ぐちゃり」
黒い何かが落ちて、潰れるのを見た。
「────」
同行者達は気付いていない。
落下した黒い何かは、見覚えのある形状をしていた────ような気がして、ひどく嫌な予感を抱く。
けれどすぐに勘違いだと分かり、男は人知れず安堵した。
「…………」
ああ、なんだ。よかった。
ただの毒の塊か。
◆ ◆ ◆