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組実(くみ)
2020年6月28日
  ·  最終更新: 2020年8月14日

*The End of Prayers* 第31話

カテゴリー: デジモン創作サロン

全話一覧


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「イグドラシルを連れて何処へ?」

 夜明け前。

 白い牢獄を彷徨う少女に、黒紫の騎士は背後から声を掛ける。

「部屋に戻りなさい。怪我でもしたら大変だ。道が変わって帰れないという事なら、私が送ろう」

 気遣いと威圧が混ざり合う声。

 カノンはゆっくりと振り返り、虚ろな表情を騎士に向けた。

「あなた、知らないのね」

「──と、言うと?」

「少しは動かないと、“この子”に良くないわ」

 そう言って、痩せた下腹部に手を当てて見せた。──クレニアムモンは思わず目を見張る。

「ほら、“この子”も散歩がしたいって」

「…………君は……自身の状態と言動を、認識できているのかね?」

 ええ、もちろん。カノンは躊躇わずに答えた。

「夢を少しだけ叶えてるの。私、おかあさんだから」

「……────」

 クレニアムモンは顔をしかめた。軟禁している間に狂ってしまったのだろうか?

 確かに、自分が彼女に為した非人道的行為を顧みれば──発狂してしまっても不思議ではないのだが。

「とは言え、変な気を起こして身投げでもされたら困るのだよ」

「その時は助けてくれるでしょう。あなたは私を死なせないわ」

 クレニアムモンは顎の下に指を添え、「ふむ」と一考する。どうやら死ぬつもりはないらしい。

 ──天の座に配置した義体の回路は、既に塔そのものへ接続している。

 イグドラシルが完成した時点で、母体を介したまま同調が開始されるのだ。少女が何処にいようと、それは変わらない。

 それに──何かを企んでいるのか、それとも本当に発狂したのかは、さて置き。

「それで君の気が済むのなら、まあ、いいだろう」

 何れにせよ、この階層から抜け出す事は出来ないのだから。

「ええ。ありがとう」

 カノンはそのまま、細い身体を引き摺るようにして歩いて行く。

 彼女の跡形を残すかのように、白い空間は形を変えて歪んでいく。

 ────程無くして。

 天の塔全体に、侵入者を知らせる警報が鳴り響いた。

*The End of Prayers*

第三十一話

「英雄譚」

◆ ◆ ◆

 ────遠足の前の日は、何回分も目覚まし時計をセットする。

 遅刻なんて絶対にできない。

 いつもだってしたらいけないのだけど、特別な日はもっとダメだ。

 今日は遠足じゃないけれど、特別な日。きっと何にも代えられない一日になる。

 ……ああ、そういえば。昨日は寝る前に、ちゃんと目覚ましをかけたんだっけ────

「────……太。蒼太」

「……ん……」

「時間だ。起きないと。花那はもう起きてるよ」

「……。……! あ、目覚まし……! ……あれ?」

「おはよう、蒼太」

「お……おはよう、コロナモン……」

 蒼太は寝ぼけ眼で周囲を見回す。

 空には昇り切った太陽の幻影。目覚まし時計の代わりに、どこかから鐘の音が聞こえてくる。生憎と効果は薄かったようだが。

 花那は洗面室にいるようだった。──昨晩、自分達がいつ頃寝たのか思い出せない。

「ガルルモンごめんな、お腹で寝ちゃって……」

「気にしないで。むしろ寝心地は良いくらいだったよ」

 ガルルモンの腹部の毛並みには、蒼太の寝跡がしっかりと残っていた。花那がいたであろう場所は既にブラッシングされていて、蒼太も慌てて手櫛で整える。

「ちょっと蒼太。早く顔、洗いなよー。時間ないよ!」

 洗面所から花那の急かす声が聞こえてくる。どうやら朝食はもう用意されているらしい。

 子供達が慌てて身支度をしていると、今度は部屋をノックする音が聞こえてきた。レオモンが迎えに来たのか──コロナモンが扉を開ける。

 すると、

「────ホーリーエンジェモン!?」

「ああ、諸君。昨夜はよく眠れただろうか」

「はい、いや、というか、まさか貴方が来るなんて……。それにその手足は……」

「天の騎士殿が復元なさったのだ。……私の行動については気にするな。リハビリとでも思ってもらって構わない」

 それは良かった、と。コロナモンは若干後退りながらも笑顔で応えた。──まさか大天使ホーリーエンジェモン自ら、しかも寄宿棟に出向くだなんて誰が思うだろう。早朝とはいえ、よく街が騒ぎにならなかったと感心さえする。

「あれ、花那。ホーリーエンジェモンさん来てるよ」

「ほんとだ! おはよーございます」

「おはよう、選ばれし子供たち。元気そうで何よりだ。朝食を済ませた後にまた会おう」

 ホーリーエンジェモンは、蒼太と花那の起床を確認するとすぐに部屋を後にする。誠司と手鞠の部屋に向かったのか、それとも既に顔を見せた後なのか────コロナモンは困惑したまま彼を見送った。

 四人が急ぎ足で食堂に向かうと、そこには既にベルゼブモンが着席していた。

 準備が早いと言うより、此処で夜を明かしたようだ。案の定、ガルルモンに「部屋で眠れば良かったのに」と言われる。

 それから少しして、手鞠とテイルモンが。最後に誠司とユキアグモンが到着した。

「海棠くん、髪の毛ボサボサ……」

「いや、ついぐっすり寝ちゃってさ」

「天使様が起ごしでくれだの」

「起きて目の前にアイツがいるとか、もしウチだったら絶叫してたね」

 決戦の朝とは思えないような和やかさで、子供達は並べられた食事──今朝のメニューは手軽に食べられそうなサンドイッチとおにぎりである──に、手を伸ばした。

 すると、

『────ザザッ。……──よし、繋がった。────おはよう皆!!』

 食堂のスピーカーから柚子の声が響く。

『早速で悪いけど、十五分以内に食べてね。三十分後には出発するよ!』

 突然のアナウンスに、戸惑いを隠せない子供達。誠司が「えー」と不服そうに声を上げた。

「よく噛んで食べたい! それに山吹さんの分、まだ用意されてない!」

『いいんだよ、私はもう食べたから』

 そう答えた柚子のデスクには、飲み干されたゼリー飲料が広げられていた。

『……』

 傍に浮かぶ空中ディスプレイには、二つのバイタルサインがモニターされている。

 夜明け前に旅立った、彼らを映す映像は無い。あったのだが、彼らが戦闘を開始してすぐに使い魔を潰され、音声も視覚情報も得られなくなってしまった。

 けれど、二人は生きている。生きて今も戦ってくれている。

 ────急がなければ。

「なんだい柚子の奴、随分と張り切ってるじゃないの。……ほら、アンタもさっさと食べな。肝心のアンタが遅れちゃパートナーに顔向けできないよ」

「……」

 テイルモンに急かされると、ベルゼブモンは目の前の食事を鷲掴み、口の中へと押し込んだ。

 無理矢理に咀嚼して飲み込む。それを見た子供達はギョッとして、思わず手を止めた。男の味覚はどうなっているのだろう。

「食った。俺は行ける」

「……そ、そうかい。そりゃ結構……」

 テイルモンは苦笑いを浮かべた。男がそのままひとりで出発しようとしたので、コロナモンが慌てて止めに走って行った。

 朝食を済ませた一行は、そのまま棟を下りていく。

 もう、部屋に戻って行う準備も無い。忘れ物だって無い。そもそも私物を持ち込んでいない。子供達は僅かな寂しさを胸に、世話になった宿舎棟に別れを告げる。

『──そうだ、テイルモン。行く前にチューモンに退化しておいてって、マグナモンが』

『パートナーとシテ回路を繋いだ時の状態の方が、都合が良いみたいデスよ』

「ああそう? まあ別にいい……、……いや嘘。全然良くないわ。コイツの側でチューモンに戻るのめちゃくちゃ怖いんだけど!?」

 別に今更ベルゼブモンを厭うつもりはないのだが、うっかり体液でも付着しようものなら汚染は必至だ。テイルモンは渋々ホーリーリングを外すと、そそくさと手鞠の服の中へと逃げて行った。

 幸い、当のベルゼブモンは気にしていない──と言うより彼女の言動が理解出来ていない──ようで、何も言わず僅かに首を傾げる。そんなやり取りを微笑ましく眺めながら、ガルルモンが「そういえば」と宙を見上げた。

「柚子。マグナモンが僕らに言った、内部セキュリティの件はどうなってる?」

『……。……“マグナモンの仲間”はもう潜入してる。でも、そっちはそっちで動くみたいだから、皆は心配しなくていいよ。

 それと……。……今は私たちも、いつもの部屋じゃなくて、専用の空間にいるから』

 専用の空間なんて、そんなものは作っていない。けれども“そういう訳”で、皆には自分とウィッチモンの声しか届かないのだと────部屋にはもう自分達二人しか残っていない現実を、事実を織り込んだ嘘で固める。

 仲間達はそれを疑わなかった。

 それでいいと、柚子は思った。

◆ ◆ ◆

 玄関ホールまで降りると、そこには一行を待つホーリーエンジェモンの姿があった。

「予定通りだな」

 振り返ると、大きな四対の翼が揺れる。明かり窓から射し込む朝陽が、金の髪に反射していた。

 そもそも何故、彼は大聖堂を離れ宿舎棟にまで来ていたのだろう。子供達は問うが──

「……外で騎士殿が待っている」

 彼は厳かに、その一言だけ。

 そして、ホールの両面扉をゆっくりと押し開けた。

 扉の隙間から光が漏れる。

 子供達の瞳に石畳の広場が、黄金の騎士が映る────その、瞬きの間

「────選ばれし子供たちに祝福あれ!!」

 聞こえてきた、エンジェモンが歓呼する声。それに続く高らかな喝采。

 そこにはレオモンがいた。ペガスモンがいた。都市のデジモン達が、戦いに赴く彼らを迎え出た。

「そして──誇り高き同胞に、心からの武運を願う!」

 民衆が彼らに──毒に侵されたベルゼブモンにさえ送る、言葉の数々。

 今までと同じようで、どこか違う。少なくとも、自身らの救済だけをひたすら願うといったものではなかった。

 それは彼らの無事を願う言葉であり、彼らのこれまでに敬意を示す言葉だった。

 彼らの心を鼓舞するに値する、初めて向けられた感情だった。

 思えば、あまりに今更な事ではあるのだが────それでも子供達は驚きと戸惑い、そして気恥ずかしさを胸に喝采を浴びる。ユキアグモンは嬉しそうに、両手を振って応えていた。

「でも皆、いづの間に集まっでくれだの?」

「ユキアグモン、天使様が夜の間にお告げを下さったんだよ!」

 ────そう、ホーリーエンジェモンは民衆に伝えていたのだ。我等の命運は明日に決まると。

 生き残るか、眠りにつくか、別の何かに生まれ変わるか。──選択権はない。自分達はその命の責任を、最後まで彼らに背負わせるのだから。

 そしてエンジェモンは民衆に説いた。「勝てば生き、負ければ死ぬ。何て事はない。デジタルモンスターとして在るべき、弱肉強食の形に戻っただけの事だ」

 ……それ故だろうか。心を決めた一部の民は集い、選ばれし者達を見送る事を望んだ。

 例えどのような結末を迎えたとしても、彼らは一行の戦いを讃えるだろう。

「……これまでの諸君の尽力に、聖要塞都市の長として深く感謝する」

 ホーリーエンジェモンは一行の前へ。地面に膝を着き──驚愕と制止の声も気に留めず、頭を下げた。

「我等は諸君の帰還を心より願っている。……だが、その場所は決してこの都市でなくても構わない。

 選ばれし子供たち。我らの同胞よ。どうか健闘と、生還を。その命を決して散らすな」

 伝えるべき事は、伝えられるうちに。

 それを、感じ取ったのだろう。子供達の表情が引き締まった。ホーリーエンジェモンは、口元に優しく笑みを浮かべた。

 そして、大天使は立ち上がり、一歩引く。

 黄金の騎士に後を託して、彼らを見送る民衆の一部と成った。

「────各々方、先日の答えを」

 まずは、子供達へ。

 生身のまま都市に残るか、データ化し自らの足で駆けるか、痛みと恐怖を覚悟し戦うか。

 子供達の答えは決まっていた。その返答は、マグナモンも想定しているものだった。

 問題はこちらだ。マグナモンはパートナーデジモン達の方を向く。

「……いずれにせよ、双方の意志が一致していなければなりませんので」

「わかってるよ。ウチは手鞠の答え通りだ」

「おでも!」

『ワタクシ達はこのまま作戦に望みマス。単純に人手が必要デスので。……こんな魔女風情が、神の領域に踏み込む代償は避けられないでショウが──』

『大丈夫。ウィッチモンにダメージがいっても、私がカバーするから』

 互いに掛かる負荷は覚悟の上だ。彼らの答えに、マグナモンは「分かりました」と頷いた。

「コロナモン、ガルルモン。貴方達は」

 選択を迫る。それから『なんて惨いのだろう』と、マグナモンはひどく自分勝手にそう思った。

 だって、自分は知っているのだ。かつて二人が守れなかった世界を。守れなかった誰かを。

 記憶を失っているとは言え、そんな彼らを────よりにもよって子供達と共に、天の塔に向かわせようとしているのだから。

 コロナモンとガルルモンは、蒼太と花那の瞳を見つめる。

「……コロナモン」

「ガルルモン、私たち……」

 蒼太と花那は、不安げに自らの紋章を握り締めていた。

「……。……蒼太、花那。君達があの時、俺とガルルモンを見つけてくれたから──……」

 コロナモンの声は震えていた。二人の掌の中で、紋章のペンダントが小さな金属音を立てた。

「────っ……」

「……だから今、僕達は此処にいる。君達と、皆でここまで来られた」

 村を失くしたあの日。

 ダルクモンを亡くしたあの日。

 思い返せば、今だって胸は苦しくて──これ以上、大切な人が傷付くのは嫌だった。

 張り裂けそうになる程の悲しみを、繰り返す事が怖かった。

「ねえ、二人とも」

 それでも、前を向かなければ。

 この子達と────未来を生きていく為に。

「……どうか、僕らの隣で、最後まで。この世界を見届けてくれ」

「俺達と来て欲しい。力を貸して欲しい。俺達は……君達と、一緒に戦いたい……!」

「「────」」

 その、言葉を────二人はどれだけ、待ち望んでいただろう。

 何も知らなかったリアルワールドでの日々から。

 ダークエリアで、フェレスモンの城で、自分達の力の無さを思い知った日から。

 人間に出来る事を必死に考え、足掻いてみせた旅の日々だって。

 手を取って、肩を並べて、共に闘う日。

 いつだって、夢に見ていた────

「……っ……そんなの、決まってる……!」

「私たちはずっと、これからだって……二人と一緒にいるんだから……!」

 ────子供達のデジヴァイスが、光を放つ。

 放たれた光は空へ昇り、オーロラとなって広がる。リアルワールドで見たものと同じ、美しくて懐かしい光の帯。

 それを画面越しに確認した、柚子はウィッチモンと目線を合わせた。彼女達のデジヴァイスが、知識と運命の紋章が輝き────“ワイズモン”は仲間達へ最後の問い掛けをする。

『では、皆様。世界を救う準備はよろしいですね?』

 勇気と優しさの紋章が輝く。蒼太はコロナモンと手を握り合う。

 友情と愛情の紋章が輝く。花那はガルルモンの鼻先を撫でた。

 誠実と希望の紋章が輝く。誠司はユキアグモンと拳を合わせた。

 純真と光の紋章が輝く。手鞠は掌のチューモンと微笑み合う。

 そしてベルゼブモンは腕のスカーフを握り締めて──空のオーロラを真っ直ぐに見据えた。

「──行こう、コロナモン!」

「ガルルモン、一緒に走るよ!」

「ユキアグモン! オレたちなら上までひとっ飛びだ!」

「チューモン、頑張ろうね……!」

『……やり遂げよう。私たち皆で!』

『────量子変換システムを起動。選ばれし子供たちの電脳化<デジタライズ>を開始します』

 子供達の体に光が灯る。目を閉じて、恐怖なく受け入れる。

 眠りにつく時のように、意識が遠のく感覚だけを抱きながら──肉体は、ヒトの形をした発光体へと変化していく。

『変換完了。パートナーデジモンとの同期を開始──』

「──ロイヤルナイツの権限より、世界樹への接続を承認。座標、第一階層、第六区画へ」

『……よし。接続オッケーだよマグナモン。展開まであと十秒!』

 デジヴァイスが一層に輝く。紋章が鮮やかに煌めく。

『────同期完了です。ユズコ!』

 子供達だったデータの粒子は、パートナーデジモン達に取り込まれて────

『デジタルゲート・オープン!』

「コロナモン進化! ファイラモン……──「「フレアモン!!」」

「ガルルモン進化! ──「「ワーガルルモン!!」」

「ユキアグモン進化! シードラモン! ……「「メガシードラモン!!」」

「チューモン進化! テイルモン! ────「「ライラモン!!」」

 響き渡る八つの声。

 空のオーロラが降り注ぎ、五つの影が光に埋もれる。

 そして──柚子とワイズモンの号令が発せられたのを最後に、彼らの存在は都市から完全に遮断された。

『『────作戦開始!!』』

◆ ◆ ◆




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組実(くみ)
2020年6月28日


◆ ◆ ◆

 ────英雄達の旅路を見送る。

 何とも言えぬ高揚感と、拭いきれない不安。そんな思いを胸に、ホーリーエンジェモンはオーロラが消えた空を見上げた。

「……兄上。作戦のタイムリミットは確か、三時間と」

「そうだ。……そんな短い時間でこの世界の命運が決まるとは。……いや、実際はもっと早いのだろうが」

 思わず苦笑する。余韻を振り切り、自らが治める都市の民の方を向いた。

「──エンジェモン。居住区の住民の避難は済んでいるな?」

「ええ。あとは、この場に集まった我々のみです」

「天使達とレオモンは民を誘導し、地下シェルターへ向かいなさい。十分以内に避難を完了させるように。……エンジェモン、お前もだ。マグナモンが我らにした話が本当なら────」

「お言葉ですが兄上。我らは共に、在りし日の英雄セラフィモンから生まれた身。彼らが……ユキアグモンが帰るこの地を守り抜く事こそ、我がデータに刻まれた責務です」

「……。……ならば共に大聖堂へ。全員、速やかに行動せよ!」

 二人の天使が踵を返す。民衆が慌ただしく避難を開始する。

 そんな中、 

「────騎士殿、どちらへ」

 エンジェモンがマグナモンを呼び止めた。

「宿舎棟に何かお忘れか? ならば案内役を待たせておきましょう」

「……いえ、必要ありません。各々方は己の為すべき事に専念なさい」

「ですが、騎士殿はシェルターの場所をご存知ない。避難が間に合わなくなります」

「構いませんよ。自分の身は自分で、何とかしますから」

 仮にも究極体ですので。そう言って微笑み、軽く手を上げる。

 困惑するエンジェモンに会釈をして────マグナモンはひとり寄宿棟に戻った。

「どうか各々方にも、武運と健闘を」

 喧騒を背に、扉を閉める。

 薄暗いホールを振り返らず進み、階段を上る。

 途中、彼らと共に過ごした食堂を、少しだけ眺めて。

「…………」

 階段を上る。

 子供達が過ごした部屋を、目を細めて見つめる。

 階段を上る。

 そして、金属扉を開けて屋上へ。

 喧騒は既に遠く、あたたかな風が頬を撫でる。マグナモンは天を仰いだ。

「────主よ」

 遠い空の先へ届くよう、祈りの言葉を紡いだ。

「愛しきイグドラシル。どうか、どうか。御身の加護を彼らに──……」

 ……もう、あの子らは塔に着いただろうか。

 先に送った二人は、今も戦っているのだろうか。

 救えなかった少女は、彼と出会えるだろうか。

 塔に残した友は、どうなるだろう。

「…………」

 残念だ。

 出来る事なら、見届けたかったのだが。

「────けれど小生は……これで、良かったのだろうな」

 手を伸ばす。

 指先は、もう見えない。

「……なあ、クレニアムモン……」

 瞳に映る空が滲んだ。

 それは不思議と、とても綺麗で────。

◆ ◆ ◆

 ────そして。

 自らに課した願いを遂げたマグナモンは、その電脳核を静かに消滅させた。

◆ ◆ ◆

 魂だけになる、というのは、こんな感覚なのだろうか。

 視界は良好。違和感も不快感も皆無。

 けれど、ジェットコースターのような速度で進んでいるのに風を感じない。肉体に触れる感覚の一切が存在しなかった。

 在るのはただ、全身を包む温もりだけ。

 自分という存在が曖昧になってしまった────そんな、僅かな恐怖が過る。

『────』

 声を出した。パートナーの名前を呼ぶ。

「────ああ、蒼太。聞こえてるよ」

 優しい声が帰ってきて、安心した。

◆ ◆ ◆

 光の道を抜け、灰色の空を越え、英雄達は足を踏み入る。

 そこは天空に聳える塔。世界樹の根。神が座す聖なる地。

 天の塔。第一階層。

 ────降り立った瞬間、押し潰されそうになる程の重圧感が彼らを襲った。

 物理的な要因からではない。デジタルワールドに生きる彼らに刻まれた、創造主への本能的な畏怖に因るものだ。

 昼光色の明かりに目を眩ませながら、各自、警戒し周囲を見回す。

 数度の瞬きの後、視界が鮮明になると────その光景に誰もが目を疑った。

『……何だ、これ……。……俺たちの住んでた場所みたいな……』

 そこには、アスファルトの道が在った。

 電柱が、道路標識が在った。区画整理された家が在った。

「…………カノン……」

 それらは歪んで、並んで、渦巻いて、重なって、交ざって、混ざって、入り組んでいた。

 見慣れた建造物で構成される怪奇の空間。天と地の概念さえ失った電子の海。

 子供達は戦慄する。ここが本当に神様のいる場所? デジタルワールドで一番神聖な場所だというのか?

「「────」」

 ……いいや、違う。

 フレアモンとワーガルルモンは漠然とそう感じていた。此処は────こんな姿ではなかった筈だ。

「……こんな場所……僕達は、知らない……」

「何言ってんのさ、当たり前じゃないの。……ウチらの神様は……相当、狂ってるよ」

 ライラモンは空から伸びるビル群を睨み付け、舌打ちした。

『────接続状態を確認。同調率、バイタル、いずれも問題ありませんね』

 デジモン達の影の中から、使い魔の黒猫が姿を見せる。

 黒猫の瞳──モニター越しに第一階層の状況を捉えると、ワイズモンは息を呑んだ。

 なんて有様だ。塔の内部構造が、事前の報告とあまりに違いすぎる。

『……イグドラシルの変質は既に始まっている、という事ですか。しかし、この短時間でここまで歪むなんて……』

『と、とにかく急ごう。皆ついてきて!』

 ワイズモンが第二階層までの最短ルートを検索。柚子が使い魔を使役して仲間達を誘導。

 上下左右、全ての方向と方角が狂ったこの空間では、彼女達のナビゲートが無ければ完全に詰む。タイムリミットを迎えた後さえ、この地で立ち往生していた事だろう。

 それを理解しているからか、ベルゼブモンを含め誰もが大人しく誘導に従っていた。どれだけ信じ難い、とんでもない方向を指示されたとしてもだ。

 ルーレットのように姿を変える標識に見送られ、点滅する信号機の街路樹を抜ける。

 交差点が織り成す螺旋道を上り、積み上げられた商店街を崩して道を作る。

 既存の道はそもそも道としての機能を放棄し──加えて浮かんだり突き刺さったりしているので、嫌でも自分達で作るしかなかった。

「あたまがおかしくなりそう」

「同感だね。いっそ目を閉じたまま進みたい気分だよ。フレアモンとガルルモンなんか真っ青じゃないか」

「だいじょうぶ? オレの背中にのってていいからね」

「……ありがとう。平気だ、俺のはただの頭痛だから。それよりこの先、壁があるけど行き止まりじゃないのか?」

『うん。行き止まりだけど、行き止まりじゃないよ。そのまま直進して』

 往く手を阻む袋小路。指示通り、その垣根を飛び越える。

 すると一行はそのまま宙を駆け渡り──どこかの学校の校庭を眼下に望んだ。

『……あれ? あの学校……』

『手鞠、知ってるの?』

『う、うん。お母さんがパンフレット持ってたの。確か女子校で……』

『パンフレット? ……そっか、受験の! でも、その学校が何でこんな所に……?』

 気付けば空にはイチョウ並木の鏡像が広がり、紅葉と落葉を繰り返す。

 閑静な住宅街は進めど進めど同じ景色。時折、モザイクが掛かっていた。

 慎重に、緊張しながら進んでいく一行であったが、途中で誰もが疑問を抱く。

 何故だろう。この狂気の街はあまりに静かだ。迎撃どころか警報ひとつ聞こえてこない。

 マグナモンの言った通り、先遣隊が塔の防御機構を潰してくれたからなのか? ……だが、仮にそうだったとしても────

「────クレニアムモンはどうして、俺達を襲って来ないんだ」

 フレアモンの直感が警告を発する。

 やはり何かが──何もかもが、どこかおかしい。

『まもなく移送機のポイントに到着します。タイムは三十二分……ペースとしては理想的ですが……』

 最後にひとつ、小さな公園を通り抜けて。

 一行が到着したのは、とある低層マンションの前だった。

 上品な外観と外構。開け放たれたオートロックの正面玄関。

 手前のエントランスには、どこからか落下したような硝子が散乱していた。

『……やはり電源は落とされていますね。ワタクシがゲートを接続しますので、屋内へ移動を』

「オレ、おおきいからドアとおれない……」

『大丈夫。此処では測度など当てになりませんよ』

 ライラモンがメガシードラモンを押し込め、マンションの中へ。全員が無事に入った事を確認すると、ワイズモンは第二階層の時空間へと接続を開始する。

 玄関ホールの中は空っぽだった。

 ガコン、と。開いたままの自動扉が音を立てた。

「────」

 ふと、ベルゼブモンが背後を振り向く。

 扉の隙間から見える、自分達が通り過ぎたエントランス。

 硝子が散乱していた場所には、無かった筈の黄色いテープが貼り巡らされていた。

 そして、その場所に

「ぐちゃり」

 黒い何かが落ちて、潰れるのを見た。

「────」

 同行者達は気付いていない。

 落下した黒い何かは、見覚えのある形状をしていた────ような気がして、ひどく嫌な予感を抱く。

 けれどすぐに勘違いだと分かり、男は人知れず安堵した。

「…………」

 ああ、なんだ。よかった。

 ただの毒の塊か。

◆ ◆ ◆