◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遠い思い出。
それは、雲一つない青空が広がる日。
太陽が眩しくて暑い、夏の日だった。
「ここの施設ともサヨナラだねぇ」
大人の事情で施設を追われ、新しい場所を探すことになったボクら。
役所と施設の大人達が話し合う中、他人事のように外へ遊びに行く。
「あーあ。ここ、そんなに嫌いじゃなかったんだけどなー」
「たらい回しも疲れるね。いっそ出ていって、自分達で稼いだ方がいいんじゃないの」
「働きたくないでござる。それにまだ義務教育のお年頃ですので」
どこかの田舎にあった施設。隔離されているわけではないのに、周りには広大な自然を除いて何もない。
もうすぐ旅立つのだから、せっかくなので付近を探検しようと彼女に言われた。こんな田舎にも何かあるのかもしれないと。
……正直に言えば、早く切り上げて涼しい場所に行きたかったのだが。
「またそうやってムスっとしてー。何か大発見するかもしれないじゃん!」
背の高い雑草が茂る草原。車の通らないトンネル。
砂利道。林の中。獣道。ここは一体どこなんだろう。
みちるは何も言わず、ただ楽しそうに前を歩く。ボクはその背中を眺めて歩く。
いつもみちるが前を歩いて、ボクはゆっくりと後を追う。昔から、ずっとそうだった。
「──あ、見て! ホントに大発見かも!」
突然みちるが足を止め、声を上げる。
「ひまわり畑だ!」
背の低い彼女の向こうに広がる、黄色い花の大地。夏の青空の下で輝いていた。
みちるがボクの手を引く。そのまま、踊るように走り出す。
「ねえ、もっと楽しそうにしたらいいのに」
弾ける笑顔は陽に照らされて眩しくて、思わず目が眩みそうになる程。
「せっかく生きてるんだから、アタシ達は」
空は碧くて綺麗だった。
太陽はあまりにも輝いていた。
草のにおいが、風に乗って頬を撫でた。
────そんな、ある夏の日。数少ない、楽しかった思い出の一つ。
ボクらは二人、命溢れる花畑で踊る。
*The End of Prayers*
第三十話
「約束」
後編 ― 静かな夜に ―
◆ ◆ ◆
薄緑色のゲートを抜ければ、そこには見慣れた部屋が広がっている。
古びたアパートの一室。小さいながらも立派な基地。
「ようこそマグナモン。ワタクシ達の亜空間へ」
亜空間の主は黄金の騎士を招き入れる。
部屋の空間を更に狭める豪華な鎧が、白熱電球の明かりを反射し壁を照らしていた。
「……立派ですね。外部と隔絶する個の空間として確立されながら、リアルワールドとデジタルワールドを中継している。……本当に、貴女達がいてくれて良かった。おかげで作戦の成功率も上がりましょう」
「お褒めに与り光栄デスわ。生憎、ゆっくりとお茶をする余裕はありまセンけれど」
時間的にも、空間的にも。
和やかな時間は終わり、あとは、最後の戦いに向けて備えるのみ。
早速取り掛かろうとするマグナモンとウィッチモンを、柚子はどこか落ち着かない様子で見つめていた。声をかけようとして、躊躇って──それに気付いたマグナモンに「どうしましたか?」と問われ、更に焦った様子を見せる。
「何か、気になる事が?」
「…………」
──せっかく二人が、真実を話してくれる気になったのに。このままでは話せないまま有耶無耶になってしまう。
けれど、マグナモンの調整を後回しにする事もできない。今から行う準備は、大事な仲間達の命に関わるものだ。自分の「知りたい」というだけの我儘で、貴重な時間を割くなんて事は──
「────ああ、そうだ。その前にちょっといいかな」
マグナモンを呼び止める青年の声。柚子は、顔を上げて振り返った。
「この子達に話しておかなきゃいけない事があって」
「…………わ、ワトソンさ……」
「ほら、約束だったし。今やらないと多分、機会無くなっちゃうから」
約束を、ちゃんと果たそうとしてくれている。
それが、少しだけ嬉しかった。──同時に、彼らに対して抱く疑念が胸に溢れて、ひどく気が重くなる。
でも、大丈夫。何を言われたとしても……多少の事ならきっと、受け入れられる。
柚子は自分に言い聞かせて、覚悟を決めた。前を向く青年の横顔を見上げた。
マグナモンは目を丸くさせていた。
それから「それは、もちろん構いませんが……」と言って、首を傾げて──
「────それより、まだ話していなかったのですか?」
少しだけ、呆れたように。青年と少女に言ったのだ。
「食堂でお会いした時の様子から、まさかとは思いましたが……」
「そのまさかですけどー? ていうか前もって話してたら、キミが出てきた時に『あ、あなたが噂の!』ってなるじゃん。……で、そういうワケなんだけどさ、時間へーき?」
「多少であれば問題ありませんよ。二人の望むようにすれば良い」
マグナモンは、まるで旧来の知人のような口ぶりだ。
どうして彼らだけで会話を進めているのだろう。おかしいな。──そんな疑問が柚子の中で渦巻いて、彼女の鼓動を早めていく。
「そうだなあ。どこから言おうか」
青年は悩む素振りを見せる。いつもと同じ、淡白な表情で、
「まあでも、今の流れで察してくれたかな。ボク達、マグナモンの関係者なんだよね」
「────」
それは────なんて、あっけないネタばらし。
「って言っても別にロイヤルナイツじゃないし。あくまで協力関係ってだけなんだけど」
そして「騙しててごめんね」と、これまたあっさりとした謝罪を付け加えて。
……呆然と口を開ける柚子に対し、ウィッチモンは表情を歪ませながらも冷静だった。
ブギーモンの件を、その真相の断片を、彼女だけは知っている。疑念はあの時から深く抱いていたのだから、反応の薄さはある意味当然だろう。
「……じゃあ……最初から、全部」
「知ってたよ。毒の事だって、デジタルワールドの事だって」
柚子は、言葉を失う。
──二人とウィッチモンとの間に、ある時から距離が出来ていたのは気付いていた。
自分の知らない所で何かがあったのだと、そして二人は何かを隠しているのだと。だから、それなりに覚悟は決めたつもりだったのに。
ウィッチモンは気付いていたのだろうか?
振り向いて、彼女の顔色を伺う。──その様子から、彼女も核心にまでは至っていなかったと察した。
ただ、自分の何倍も彼らの事を疑っていたというだけ。そうするに値する『何か』に、彼女はきっと気付いていたから。
でも、ウィッチモンは言わなかった。
当然だ。こんな狭い部屋で疑心暗鬼になれば、どんな結末を迎えるかなんて子供でも想像がつく。
だからウィッチモンは隠していたのだろうし、だからこそ、自分で気付けなければいけなかったのに。
「…………そう……です、か」
信じ切っていたわけではなかったけれど、側にいた誰かにずっと騙されていた────その事実は、まだ成熟しきっていない子供の心に深く突き刺さる。
脆い覚悟はあっという間に崩れ去って、柚子は、そう答えることしか出来なかった。
「ああ、それとね。ウィッチモンが気になってるだろうから、これも伝えておくんだけど」
そんな少女に、青年は
「ボクと、みちるは────」
言葉を続ける。
まるで、柚子を追い詰めていくかのように。
淡々と、淡々と、ただ、事実を。
「────マグナモン達が作った最初の義体。
デジコアを動力源にして生きている、肉の人形だ」
◆ ◆ ◆
「え?」
柚子の声は上擦って、静まり返る部屋に反響した。
青年が発した言葉の意味が理解できなかった。
けれど、もう一度聞き返す事もできなかった。
この人は────今、自身らの事を何と言った?
義体?
それって、マグナモンが話していた、あの、
「──稼働に問題が無いか、小生はずっと確認したかったのですが。連絡も無いまま再会する事になるとは……」
「ごめーん許して! ちなみに調子はまずまずでーす。メンテすんのサボってたし」
目の前で、彼らは何を話しているのだろう。
ああ、そうだ。二人は義体で──それで、その、原動力が────何だって?
「まあ、生きている事は把握していましたので。破損している様子も無さそうですし」
あれ?
…………あれ?
「──ユズコ。しっかり」
ウィッチモンに声を掛けられ、我に返る。
狼狽する自分とは反対に、落ち着いた様子のパートナー。彼女は、深い溜め息を吐くばかりだ。
「……ウィッチモン……」
「ワタクシが、もっと早くに気付けテいれば良かッタのデスが」
声には苛立ちの色が見えた。勿論、目の前の彼らに向けたものだ。
「……。……何度も……ワタクシは何度も貴女達を……調べたつもり、だッタのだけれど」
「前に言った通りだよ! アタシは『ちゃんと人間の体だ』って! ──ね、ちゃんとしてたでしょう?」
みちるは得意気に胸を張る。
「まあ、そこから本質まで見抜けるかは、キミ次第だったけど」
────『アタシを調べたけりゃ好きにすればいい。けれどキミは、それでも必ずアタシを見誤る』────。
あの時の言葉が、ウィッチモンの中で蘇る。
……本当にその通りだ。自分は、自分の力では、この二人を見抜く事が出来なかった。あれだけの疑念を抱いて、正体を探ろうと手を回していたにも関わらずだ。
しかも、まさか、よりにもよって。
「二人が“こちら側”の存在だッタとは」
自嘲気味に笑う。──どうりで。それならブギーモンの事も殺せた筈だ。
「見事に騙されまシタわ。……いえ、これはワタクシの未熟さ故。どれだけ調べても……二人から電脳生命体の反応など出なかッタ……!」
「そうならぬよう、小生らは作り上げたのです。決して貴女の能力が劣っていた訳ではない」
「……ッ」
……本当に何度も、使い魔を這わせて調べていたのに。
二人の体は間違いなく人間のもの。脳も、心臓も、骨も、血管も、臓器も。欠けることなく備わっていた。データではない、肉と水で構成された、紛れもない人間の肉体だったのに。
「────形だけは、バッチリ揃ってたんだけどねぇ」
みちるが、腹部を撫でる。
「こいつってば、生命維持に必要な器官はしっかり作れたのにさ、消化器官だけは甘く見積もっちゃったみたいで、ろくに動いちゃくれないのよ。
──だからアタシ達、普通のご飯は食べられないんだ」
ケラケラと笑う。マグナモンは、バツが悪そうに目を伏せた。
「────」
柚子は、ワトソンと共にレストランに行った日の事を思い出す。
彼はあの時、アイスしか食べなかった。普段だってきちんと食事を摂っていたわけではなかったのに。
思い返せば、冷蔵庫の中には最初からゼリー飲料ばかり。買ってきたチルド食品を食べていたのは自分だけ。要塞都市で豪華な食事を出された時も、二人はスープしか飲んでいない。
────そうか。
食べなかったんじゃなくて、食べられなかったんだ。
「どーせなら、全部完璧にしてくれれば良かったのにねー」
デジコアという電脳核を搭載したことで、人間に酷似した生き物に成り上がった義体は──長年の不自由を、他人事のように笑い飛ばす。
「…………どうして……」
「んー、それは、どれに対しての『どうして』?」
「そんなの……全部に、決まってるじゃないですか……!」
「そっかあ。まあ、そうだよねえ。そうなるよねえ」
口元に指を当てて、悩むフリ。それも全部、作り物。
「事情が色々と複雑でさあ、全部は話せないんだけど。でもこれだけはホントだよ!
アタシ達はアナタの味方。皆の味方。そして世界の味方だ。アタシ達の『世界』を元に戻す為なら何だってする。そう誓ったから、アタシ達はマグナモン達と手を組んだ」
────遠い日の事を、思い出す。
毒が全てを溶かしたあの日を。自分の『世界』が、目の前で崩れていった日の事を。
「マグナモンの昔話の通り、ロイヤルナイツは自分達のカミサマが毒なんて作ったもんだから、責任取って自分達で結界を作った。でもさ、そんなものがずっと続くわけないじゃん? だって根本が何も解決してないんだもん。古くなったら壊れるし、水が溜まりすぎたダムは決壊するのがお決まりさ」
だからマグナモンは未来に備えた。自分達はそれに乗っかった。互いの目的と利益が一致していた、それだけの理由だ。
「……それなら……デジタルワールドに、皆を送り込むのだって……協力、したんですよね」
「結果的にはね! だってそうしないとイグドラシル、治んないから」
「……」
「まあ、悪かったなーとは思ってるよ。直接アタシらが子供達を襲ったわけじゃないけどさ。お友達の皆が狙われたのは、間違いなく『座標』のアタシ達がいたせいだもんね」
────二つの義体。その役割は『座標』。
いつの間にか再び、子供達を求めてリアライズする──その時の目印となるように。
それは、お優しいマグナモンが、自分達による被害を広げず対象地域を限局する為。
そして、お堅いクレニアムモンが、有事の際にリアルワールドから援護をさせる為。
その為に、リアルワールドで生きてきた。大した事なんて何もしていない。
自分達は、そこに「在る」だけで良かったのだ。
「……やっぱり分かりません。だって、おかしいですよ。それなら……私たちに、矢車くんたちに協力する事自体、ルール違反だったはずじゃないですか」
イグドラシルに捧ぐ為の生贄を、取り戻さんとする子供達。それに加担する事は──確かに少女の言う通り、裏切り行為とみなされても不思議ではない。
「そこは結構、簡単な抜け道でね。ボク達はマグナモンと手を組んだけど、別に連絡とかは取ってなくて。いつ誰がリアライズするかは知らなかったんだ。……あ、念の為に言うけど、フェレスモンと面識なんて無いよ。そもそもデジタルワールドで生きてきた時代も違うし」
「そしたら見事に襲われましてね! アタシが!! ちょっと情報共有されてなさすぎじゃない? 流石のアタシもキレそうになりましたけども。
で、戦うってなると、ちょっとねー。大事な義体が傷付いちゃったら困るし、どうしよっかなーって。そしたらコロナモンとガルルモンが来てくれたんだよね! おかげで助かりました!」
だから恩返しです! ──と。
みちるは照れた素振りで、自身らの行為の動機をそう言い切った。
「で、その二人を最初に助けてくれたのは蒼太くんと花那ちゃんなワケさ! あの子達が友達を助けに行きたいって言うなら、そりゃ即答で『協力する~!』って」
「首、突っ込んだだけなんだけどね。別に頼まれたわけじゃないから」
それにたった二人を抜いた所で。もし贄が足りなければ補充すれば良いのだし。──とは、話が拗れそうなので言わなかった。
「そもそも、これはボクら……っていうかマグナモン達の所為だから。全部。巻き込んだ上に関わっちゃった以上、責任は取らないと。
あとは────キミ達についていれば、色々と見届けられると思ったから」
だって、自分達の世界だ。
そこで足掻く生命達の生き様を、世界の行末を、自分達の願いの果てを──リアルワールドでただ待つよりも、この目で、可能な限り見届けたいと思った。
それを聞いて、柚子は唇を噛み締める。
「…………。……何も知らない私たちが、これまで必死になって……毒と戦って、世界の事を知って……それを二人は、どんな気持ちで眺めてたんですか」
「流石にそれを笑う程、性格は歪んでないよ」
「……」
「むしろ、感謝してるんだ。だって……巻き込まれて、戦って、挙句には都合良く『選ばれし子供たち』なんて肩書を着せられて。いつだって帰ろうと思えば帰れたのに、キミ達は最後まで、ボクらのデジタルワールドと向き合う道を選んでくれた。
それが嬉しかった。だから────ごめん。でも、ありがとう」
柚子は泣きそうな顔を上げた。義体の青年は作り物の顔で微笑んでいた。
けれどその表情は──今までのどの瞬間よりも穏やかで、柔らかかった。
◆ ◆ ◆
夏P様
感想ありがとうございます!!!!!
1から10までネタばらし回でした30話
ちなみにまだ回想回も1つ控えてます!笑
みちワトはどちらかと言うと後者アマゾンですね(クレープ食べたらリバース)
固形物を消化できるほど立派な臓器をお持ちでないので……食事風景としてはアマゾンズで例えるならシーズン2のゾウさんペアが一番近い。
しかし現代は流動食とろみ食や某エンシ●ア的な栄養補給薬品が非常に充実しているので、そんなには苦労しなかったんじゃないですかね!(すっとぼけ)
ワトソンくんの正体は何モンにするかは10年前からめちゃくちゃ脳内会議をしていましたが
ヴァルキリモン(初期設定)→ありきたりすぎる? シルフィーモンにする? →あっウルカヌスモン発表された何このイケメン→気付けばオリンポスも揃っちゃった……→いやでもやっぱヴァルキリモンにしようかな?
などなど
結局は神話としてのミネルヴァの聖鳥がフクロウである事もあり、ベースをアウルモンとして(そのままだとマジで戦闘で役に立たなくなるから進化してもらって)→ヴァルキリモンという形に落ち着きました。
二人ともまだまだ出番ありますのでね!
正体バレした後も見守っていただければと思います。
それではまた31話も!お楽しみいただければ幸いです!
ありがとうございました!!!
板か来たか来たか30話! 待っていたぞ! というわけで夏P(ナッピー)です。
一から十までネタバラし回だったか! 明かされる真実の嵐とやることの多さにウィッチモンの胃はもうボロボロ。危なかった、柚子への額のキスが無かったら胃潰瘍になるところだった……。
人間じゃねーんだろーなと思ってたお二人、コイツら絶対デ・リーパーのような第三勢力の化け物だぜとか思ってしまっていてスマンかった。実は今までゼリー飲料とアイスしか食していなかったとは全く気付かなかった。やられたぜ! 腹に穴が空いてもハンバーガー食えば治る方なのか、それともデートでクレープ食ったらゲーゲーしてしまう方なのか。どっちにしろアマゾンッッッッ!!!
ワトソン君すげー死亡フラグ建ててる気がしますが大丈夫か……? アウルモンから一気にヴァルキリモンとは、肩に留まってる鳥が本体なノヘモンチックなことをしなさる。あとコロナモン・ガルルモンが主人公であることに必然性があったことを明かされたので、ここまで来たらみちるさんは実は(時系列はなんかどうにかして)ダルクモンなんじゃないかと思ったのは内緒だ!
ちくしょおおお喰らえディーアーク新必殺音速義体斬グアアこ、このザ・メガロと呼ばれた四天王のディーアークがこんな小僧にば、馬鹿なアアアアアア デジヴァイス「ディーアークがやられたようだな」 D-3「ククク奴は我らの中で最弱」 ディースキャナー「義体如きに負けるとは我らの面汚しよ……」
では今回はこの辺りで感想とさせて頂きます。
作者あとがき
エンプレ第30話、お読み下さりありがとうございました!
29話に引き続きましてサブタイトル「約束」の後編となります。今回は亜空間チームの決戦前夜のお話でした。
こちらはキーパーソンが凝縮されたような空間なので、前編が子供達とパートナーの絆を確かめ合って英気を養うパートだったのに対し、後編は精神的にひたすら覚悟を決めていくパートとなりました。
みちる女史とワトソンくんは流石にそんな某ソードマスターヤマトみたいな展開にはなりませんので(念の為)、彼らの今後の活躍にも乞うご期待! ください!
あと、最後の一部分だけ、こちらの投稿とホームページでの公開の文章が異なっております。(ルビの有無です)気になる方は個人ページもご覧下さいませ。
さて、コロナモンとガルルモンの秘密もようやく判明したところで、次回はいよいよ敵陣に乗り込みます! どうか第31話もお楽しみいただければ幸いです。
それではまた次回! ありがとうございました!
◆ ◆ ◆
「──良かッタ。ユズコはちゃんと眠れているようデスね」
長い調整を終えて戻ってみれば、愛しいパートナーがぐっすりと眠っている。
その姿に、安心した。出来ればこのまま全てが終わるまで、寝かせておいてあげたいとさえ思う。
「……ワタクシ達がいない間に変わった事は?」
「なんにもー? あ、仲直りできたよ! 明日は仲良し! 大丈夫だぜー」
「そうでしたか! それはそれは、本当に良かった。
では、彼女との接続テストに移行したいと思いますが……少しだけなら時間もあります。もう少し寝かせてあげますか? 貴女も調整で疲れたでしょうし」
「では少々、休息をいただきまショウか。────その前に、ミチル」
ウィッチモンは居室の外に出ると。みちるを呼び出した。
「なになにー? こっそり話したい内容?」
「ええ、一つだけ。……先程マグナモンから、デジコアへの条件付けについてを聞きまシテね」
みちるの笑顔が僅かに固まった。──かつて彼女を問い詰めた時と、よく似た表情を見せる。
「……それで、それが?」
「まあ、ブギーモンの事なのデスけど」
「あ、そっちの事?」
それが“どちらの事”かはさて置き、ウィッチモンは「ええ」と続けた。
「別に今更、真相を探るつもりでもないのデスが。ただ、貴女の意見を伺いたくて」
「意見ねえ。まあでも、確かにこっちで話した方がいいわね」
「そうデスね、念の為」
「で、そのマグナモンの条件付けと、ブギーモンの件と……キミは何を連想してるのかな?」
「ユズコの話から、彼の消え方が少し、不自然に思えたものデスから」
しかしあくまでも仮定の話だと、ウィッチモンは前置きする。
「もし彼のデジコアが……何者かの手によってプログラム改変を施されていたのだとしたら。デジコアの崩壊と引き換えとなる“条件”とは、一体、何だッタのでショウね」
亜空間から出たら生きてはいけない、その状態にまでデジコアが損傷していた彼が、その命を燃やし尽くして遂げたもの。
「ワタクシでは想像も出来まセンで……もしも仮に、貴女達なら。一体何を条件にしたのだろう、と……ちょっとした好奇心デス」
「なるほど! んー、そうさなあ、アタシなら何にするかなあ」
見下ろす義体は顎に指を当てた。そんなわざとらしいパフォーマンスを見せた後──
「きっと、『仲直りの握手』とかじゃない?」
にっこりと笑う。
だが、ウィッチモンはそれに対し憤る事も、それどころか表情を変える事さえしなかった。一度だけ目を閉じて、「そうデスか」と静かに言った。
「ありがとう。参考になりまシタ」
「聞きたい事、それだけでいいの?」
「ええ。彼の件は、これでおしまい。あの子達には自然に力尽きたとでも言ッテおきマスよ。不要なトラブルは避けたいので」
「うんうん。キミはそういう子だもんね。許す許さないじゃなくて、利益と効率。そのおかげでアタシ達もバレずにやってこれたし。その口の堅さには感謝してるよ」
「お役に立てたなら何より。……では、ワタクシは貴重な休息を取りに戻りマス」
ウィッチモンは疲弊した様子で部屋に戻る────その途中、
「ああ、そうだ。ミチル」
「んー?」
「──事情は各々、それぞれデス。我々を騙しユズコを悲しませた事は、断じテ快く思わないけれど────貴女達という個人を、ワタクシは別に憎んでいまセン」
そう言い残し、部屋に入ると仕切り戸を閉めた。
狭いキッチンスペースに残されたみちるは、閉ざされた戸を呆然と眺めると
「うん、うん。でもキミはやっぱり、どこか甘くて優しいよね」
微笑んで、小さく呟いた。
◆ ◆ ◆
────夜明け前。
子供達に先回りして、みちるとワトソンが天の塔へと出発する。
都市のベッドの上で皆はぐっすり眠っていて、二人がこうして扉の前に立っているなんて想像もしていないだろう。
二人を見送るのは、柚子とウィッチモン、そしてマグナモンの三人だけだ。
「じゃ、ちゃちゃっと片付けてきますか!」
「これでマグナモンとの契約も終了だ。リアルワールドには戻らないから、あとはよろしく頼むよ」
「まあ、何だか静かになりそうデスわね」
「お、もしやウィッちゃん寂しがってる?」
「いえ、お陰で作業に集中できそうデス」
ウィッチモンは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「柚子ちゃんには伝えたんだけど、そっち側の事後処理で多分、迷惑かけるかも。終わったら上手く話つけておいてよ」
「分かりまシタ。手間代は後で請求シテも?」
「うーん手厳しい! てか急に現金せびるようになったね!? 請求先はそこのマグナモンにお願いします!」
「小生ですか!? はい、では、出来る所までは……」
「マグナモン、そこは断ッテ良い所デスよ。
……まあ、色々とありまシタけど、お世話になりまシタ。事が済んでからは、せめて隠し事無しでお付き合いしたいものデスわね」
「え、嬉しー! これからもお友達でいてくれるのね! 感激して泣きそう!」
「わざとらしいので止めて下サイ。その前に諸々の清算が先デスよ。……ユズコ、どうしまシタ?」
「あ……えっと」
隣で口ごもる柚子に声を掛ける。
妙な胸騒ぎの中、柚子は二人に何と言うべきかを迷っていた。
「……みちるさん、……はるかさん、あの」
「あれ、ボクのことそっちで呼んでくれるの?」
「えっ。……あ、はい。……せっかくなので」
「巻き込んじゃって本当にごめんね。追加で悪いんだけど、その事、皆にも謝っておいて」
「……」
柚子の表情が、暗くなる。
「あ、そうだ思い出した! 花那ちゃんと駆けっこリベンジできないかも。それも謝っといて欲しいなー」
「……あの、やっぱり二人とも……」
「いやー後始末、押し付けまくりでホント悪いね! お願いね!」
「────」
「お二人共。長い間、本当にお疲れ様でした」
マグナモンが一歩前に出て、手を差し出す。なんとも業務的な挨拶と共に、二人と握手を交わした。
「未熟な義体しか提供できなかった事は、心残りでしたが」
「ボクらにとっては十分すぎる身体だったさ。マグナモン。キミも最後までやり遂げなよ」
「……小生は、あの時貴方達と交わした誓いを果たします。どうか二人の願いが遂げられるよう、祈っていますよ」
そして────。
古びたアパートの金属扉。マグナモンが片手を挙げると、その向こう側に白い光が溢れ出した。
向こう側に繋がっているのはリアルワールドではない。そこに広がるのは、天の塔へと続く道程だ。
「……あ……」
行ってしまう。柚子は、それでも伝えるべき言葉を見つけられない。
そんな彼女の様子を見て、みちるとワトソンは目を合わせた。そして少しだけ可笑しそうに笑って────
「ねえ、今度はアタシ達を見守ってね」
「あと少しだ。頑張って」
二人で、柚子の肩をしっかりと掴んだ。
「……! ……っ。……あの、私……ちゃんとやりますから。こっちは、任せてくれていいですから……」
「うん」
「だから二人も絶対、無理しないって……。……」
「うん」
「……今まで……ありがとう、ございました……っ!」
肩から手が離れる。二つの手はそのまま、冷たいドアノブへ。
優しい笑顔を浮かべ、義体達は扉の向こうへ旅立って行った。
遠のく背中を見送りながら、ウィッチモンは柚子の背中をそっと抱く。
「────ユズコ。そんな、永遠の別れという訳ではないのデスから」
「でも……ウィッチモン。言いたい事はね、ちゃんと言える時に、伝えておかないとダメなんだよ……」
「それは……。……ええ、そうデスね」
目線の先には、こちらを振り返る二人の姿が。
ウィッチモンは遠い目で、光に埋もれる彼らに手を振った。
◆ ◆ ◆
光が溢れる。
少し進んで、振り返る。
ウィッチモンが軽く手を振っていた。
マグナモンは真っ直ぐにこちらを見ていた。
────柚子は泣きじゃくっているようだ。
扉は閉まって、もう、後ろは見えなくなった。
◆ ◆ ◆
白い道が続いていく。
まだ義体の姿を保っているみちるとワトソンは、暢気に喋りながら進んでいた。
「この身体ともサヨナラだねぇ」
みちるはしみじみと息を吐く。
「十年近くか。長かったね」
「いやー、むしろそれで済んで良かったよ。これ以上大きくなってからキッズに声かけたら、不審者扱い即逮捕案件ですもの」
「はは。それは確かに」
緊張感など感じられない。だが、これがいつもの二人だ。最後までなるべく、“いつも通り”を演じるのだ。
「それにしても着かなくない? マグナモンの奴ゲート間違えてない??」
「仕方ないよ。亜空間からデジタルワールド経由して、それから更に空の上だ。まあ、時間かけた方がウィッチモン達も準備できるし」
「いやはや……美少女戦士みちるちゃんの変身シーンをご覧いただけないのは残念だけど、その分カッコイイとこ見せないとねー。なんつって! あ、そうだ。向こう着いたら途中で寄り道してもいい?」
「えーっ。別にいいけど、何するのさ」
「先回り第二弾でーす。できたらで良いけどー」
近所のコンビニにでも行くかのような足取りで、進んでいく。
やがて、遠くに道の終わりがが見えてきた。ようやく出口だと、青年は、少女の背の向こう側を眺める。
そんな時。
みちるが突然、その軽やかな足取りを止めた。
「どうしたの? みちる」
自分より小さな背中に向けて、義体の青年はいつもと変わらぬ表情で問いかける。
義体の少女は振り返らず、真っ直ぐ前を向いたまま──
「────はるか。これで最後だ」
それまでの、“いつも通り”に終わりを告げた。
「何か言い残す事は? 神様へのお祈りはオーケー?」
「言いたい事は包み隠さない主義だからなあ」
わざと立ち止まって、青年は悩む素振り。その間に、少女は再び歩き出した。
ひとり進んでいく背中を見つめながら──「あ、そうだ」と。何かを思い付き、そして少女の名を呼んだ。
「ボクさ、キミの隣で生きられて幸せだったよ」
すると、少女は三つ編みを揺らして振り返る。
白い光の中──真夏の向日葵のような笑顔が眩しくて、青年は思わず目を細めた。
「うん。キミはアタシにとって、最高の相棒だ」
光の道が終わりを告げる。
天の塔、その内部へと繋がるゲートが、二人を迎えた。
◆ ◆ ◆
────遠い日の事を、思い出す。
あの日、彼女は全てを失って。
あの日、彼女はそれでも取り戻そうとした。
がむしゃらに選択した道の先。それがどうか、ハッピーエンドになりますように。
ボクはただ、最後まで傍で見届けるだけだ。
◆ ◆ ◆
光の道を抜け、灰色の空を越え、挑むは美しき天の塔。
世界樹の空洞に造られた白い空間に、二つの義体が降り立った。
「久しぶりの運動だから、筋肉痛が心配だねぇ」
少女は冗談交じりに笑って、どこまでも続く吹き抜けを見上げる。
そして
<────侵入者を確認。対象の排除を開始します>
機械的な音声が響く。
清廉な壁に這う、水晶の枝が伸びる、伸びる。
青年が前に出た。作り物の身体を、鮮やかな光で包み込む。
光の中から聞こえてきたのは羽ばたく音。かつて『春風はるか』だったものは形を変え──栗色のフクロウと成り、少女の肩に乗った。
「やだアウルモン。そのまま戦うつもり?」
「まさか。もう一度だけ、キミの肩に止まりたかっただけさ」
そして再び、アウルモンは自身のデータを書き換える。
少女の肩から飛び立ち、迫り来る巨大な枝の前へ────。
直後。風を切るような音と共に、世界樹の枝が切断される。
切断部が凍結し、その機能を停止させた──それを成したのは細身の長剣だ。
剣を手に、降り立ったのは白亜の戦士。
その背に翼を抱き、再びヒトのような姿を得た。
「────ボクはアウルモン。彼女の聖なる鳥。
そして────彼女の願いを叶える者、ヴァルキリモンだ」
純白の羽が舞う。少女はそれを懐かしそうに眺めて──「確かに挨拶は大事だね」と。だって、仮にも神様の御前なのだから。
少女は笑った。自らを殺そうとする神聖な枝を受け入れるように、前を向いて両手を広げた。
────光を纏った三つ編みが解け、長く伸びた髪が揺蕩う。
キラキラと艶めいて、その色を美しいアクアブルーに染めていく。
広げた両手に装甲を纏った。
閉じた瞳から頭部をかけて光が覆う。──それは、蛇の頭を模したマスクとなった。
「やあやあ、よく聞け! イグドラシルの枝ども葉っぱども!」
長く伸びた三つ編みが揺れる。
かつて『春風みちる』だったものは、大剣を抱き、腰布を大きくなびかせて────意気揚々と名乗りを上げた。
「道を開けろ! 脇役達の大舞台だ!
アタシこそはオリンポス十二神が一人! 女神ミネルヴァの名を戴く者である!!」
第三十話 終
◆ ◆ ◆
ウィッチモン達が別室に入るのを見届けると、ワトソンは普段の調子で柚子に声を掛けた。
「それで、柚子ちゃん。どうする? もう寝る?」
「……と、とりあえず、横にはなりますけど。……寝れるかはちょっと」
「あんな話、聞いた後だもんね。仕方ないよ」
心が動揺して、全身に緊張が走っている。とても安眠などできる状況ではなかった。
「寝れないなら眠れるまでガールズトークしようぜ!」
「ほら、布団広げるからそこどいて。あと空気読んで」
「ぶー!」
みちるが調子に乗り、ワトソンが諫める。今までと変わらない、見飽きたとさえ思えるやり取り。──どうしてか、今はそれを見るのが辛かった。柚子は布団の上に座り込んで、少しだけ目を逸らした。
「……二人はどうするんですか。ウィッチモンたちを待つの?」
「ボクはどっちでもいいかな。ご希望なら川の字になって寝るけど、隣で人形が寝てるのは怖いでしょ」
「かと言って見下ろされてるのも嫌だと思うけどね!」
「……義体、だったって事は……まだ、信じられないけど、だから怖いってわけじゃないです。……平気です。ブギーモンがいたって、寝られてたんだから」
「それはウィッチモンが側に居たからだよ。信頼関係とかもあるけど、何よりパートナーは守ってくれる存在だ」
「……パートナー……。……そうですね」
そう言えば──以前ホーリーエンジェモンに『都市のデジモンとパートナーにならないか』誘われた時、二人が頑なに断っていた理由も納得できる。自分達もデジモンなのだから、同族と回路を繋ぐなど出来るわけがない。
────けれど、本当のパートナーは? 二人には、いなかったのだろうか。
過去の厄災を生きたデジモンなら、そこには前の“選ばれし子供たち”がいただろう。
でも、それを問う事は出来なかった。
もし仮にパートナーがいたとしても────マグナモンが荒野で告げた言葉の通りなら、その子達はもう、いないのだから。
「柚子ちゃん? どしたの?」
「い、いえ……。……その、二人の言ってた『世界』も……明日、戻るといいですね」
「そうだねー。ほんと、割とラストチャンスかもしれないからねえ。まさかイグドラシルの奴が、十年の間にそんなヤバくなってたなんて思わなかった」
「十年……? それって……」
「でもそっか、デジタルワールドだともっと長いのか! あ、十年ってのはアタシ達がリアルワールドにいた時間ね。いやあ、長かったような短かったような……。
お、もしや昔話をご所望かい? 昔々あるところに! ウルトラチャーミング美少女と、そこそこ顔立ちの良い男の子がいました!」
「いえ、そういう感じのやつならいいです……」
「えーっ、ここから各施設での武勇伝が始まるところなのに! 出所までのヒストリーがあるのにー!」
「ちょっと、刑務所じゃないんだから。いたのは普通の施設だよ。いやでも、子供がちゃんと保護される国で良かった」
「……」
自分の年齢と大して変わらない月日を、別の世界で生き抜いた。
それは、どんな感覚だったのだろう。人間の中で、人間でない者が生きて行くというのは。──それも、完全とは言えない肉体で。
「……その、カルチャーショックとか……凄かったでしょ」
幾つも思いを飲み込んで、他愛のない話をしようとする。
「そりゃもう最初は大変だったよー。ワトソンくんとかフクロウちゃんだから、『え、服って何?』って所からでさ、最初うっかり全裸で暮らそうと……」
「デマだよ。ちょっとやめてよ、ここに来てボクの印象を変なものにしようとしないで」
柚子は思わず小さく笑った。みちるはそれを見て満足気だ。
「ほらほら柚子ちゃんもご機嫌になってくれそうだし? おやすみまでのお供に聞かせてあげよう!」
「……色々聞きたいですけど、明日でいいですよ。私だけじゃなくて、皆にも。私たちの世界で楽しかった事とか、大変だった事とか……きっと皆も聞きたいと思うから」
「あー、その前に身バレの上手い伝え方とか考えておかなきゃー。海棠少年あたりなら笑って聞き流してくれそうなんだけどなー」
「ですね。『マジで!? すげー!』って言ってくれそう。チューモンは怒っちゃうかもしれないけど……」
「でもアタシ達、ちょっと別件あるんだよねえ。だからその辺はメッセンジャー柚子ちゃんお願いするかもしれない。
その、事後処理ってヤツ? このボロアパートも引き払って、デジタルワールドに戻っちゃうからさ」
……確かに、事が済んだら二人がリアルワールドに留まる理由も無い。
どこまで何を任されるのか不安だが、とりあえず首を縦に振った。
「あと、キミ達が戻った後の事とか色々お願いね! 多分だけど警察沙汰になります!」
「警察!?」
「そっか、皆は誘拐された事になってるからね。多分ニュースになるよ」
「えー……それは、めんどくさいです……」
「ま、その辺の事は全部ボクらのせいにしていいよ。それが一番、都合が良いだろうから」
「そう言われても……」
柚子は顔をしかめた。それはそれでどうなのだろう。
「……ちょっと、考えておきます」
「うんうん。……やっぱりキミは律儀だね」
青年は柚子の頭を撫でようとして──手を下ろす。
「……ワトソンさん?」
「……律儀で真面目で、いい子だ。ボクらはキミ達を騙していたのに、キミは、ボクらの『世界』が戻るようにとさえ言ってくれた。ウィッチモンは──本当に良いパートナーを持ったね」
「……あの、どうしたんですか。急に……」
「ワトソンくん?」
何かを察したのか、みちるが僅かに表情を歪めた。
「ねえワトソンくん、何を」
「あのね柚子ちゃん。────天の塔の上には……みちるの、家族がいるんだ」
青年は下ろした手で柚子の手を握る。
そして、その手に額が触れる寸前まで、頭を下げた。
「あの子達を、どうか塔の上まで連れて行ってくれ。みちるの『家族』を元に戻してくれ。
ボクらは彼らと出会えない。だから……どうかキミが、彼女の今までを、成した事を、彼らに──」
「────アウルモン」
その時聞いた声がみちるのものだと、柚子はすぐに気付けなかった。
彼女がここまで険しい顔で、低い声を出したのが初めてだったからだ。
「それは、最後まで隠したかった事だよ」
「うん。分かってる」
「このまま明日を迎えれば、アタシ達はただの野次馬で終われたのに」
「でもね、みちる。ボクは……キミが成そうとしてきた事を、ボクらじゃない誰かに、知っていてもらいたかったんだ」
青年は、顔を上げなかった。
「……アタシはそんな事を望んじゃいない。そんなのはお前のエゴだ」
「ボクらのやっている事が、そもそも一方的で自己満足、エゴの塊じゃないか。一度だって“彼ら”に頼まれてないのに、ボクとキミはここまで辿り着いたんだから」
柚子はそれが、何を意味しているのかは分からなくて────
「でも、もしこれがあの子達に知られたら、アタシ達の計画は台無しになるんだよ」
「言わないよ。柚子ちゃんなら、最後まで、絶対に」
けれどそれは、彼らが義体となって生き抜いてまで遂げようとした願いで。
そしてそれはどういう訳か、向こうの仲間達には言えない何かで。
本当なら────誰にも知られないまま、こっそり終わる筈の物語だったのだろう。
「……言いませんよ、みちるさん。私……この短い間に結構、嘘つくの得意になっちゃったから。
それに私、別に良い子じゃないです。だから大丈夫です。……らしくないですよ、いつもの能天気なお調子者はどこに行ったんですか。それこそ武勇伝みたいに話して下さいよ」
「……柚子ちゃん」
「つまり……明日上手く行けば、塔の上に居る仲間も元に戻る……自由になるって事ですか? そのデジモンに、『みちるさんたち頑張ってたよー』って伝える。以上! それでいいんですよね?」
深くは、聞こうとしなかった。そうすべきではないと、なんとなく、そう思ったから。
「だから明日、二人も無理しないで……その、先に私が説明しておけば、きっとその仲間とも仲直りできるだろうし」
「……、……」
「あ、でも別に喧嘩してる訳じゃないのか……えっと」
「────アタシ達の仲間は、塔の上に“居る”訳じゃない。そこに肉体は無くて……デジコアだけが、ご丁寧に保管されてるんだ」
義体の少女は、自身の物語の一部を語り出す。青年が、顔を上げた。
「イグドラシルと人間の回路を繋ぐ媒介に選ばれて、デジコアだけ引き抜かれた。アタシ達はそれを、マグナモンに『協力』する事と引き換えに、返してもらう事にしたんだ」
みちるは自身の胸に手を当てた。
「でもね、デジコアを戻す為の、肝心の肉体はとっくに無くなっちゃってた。マグナモンのチート回復術もイグドラシルの加護あってのものだし、完全に崩れた肉体は戻せなかった。
だから……その、何て言うかな、そこも色々とやってさ、『とりあえずデジコアを戻せるレベルになるまで身体を創り直そう』ってなったのね」
具体的には、分解してしまった肉体のデータを集めて、形にして、
「生命の卵、デジタマとして生まれ変わらせて……また育てる。なかなか長期スパンの育成ゲームが始まっちゃったんだよねえ」
みちるは普段の調子を取り戻してきていた。柚子は、それに少しだけ安心する。
「……なんか、気が遠くなりそうな話ですね」
「しかもさ、生まれたてのベビー達はその辺に放置されるわけですよ。リアルワールドだったらネグレクトで通報もんよ?」
彼らを守るにしても、肝心のみちるとワトソンはマグナモンとの盟約でリアルワールドに飛んでいる。生まれ変わった仲間達は、自力で成長しなければならなかった。
毒の有無以前に、生存競争の激しいデジタルワールドだ。聖要塞都市のような安定した集落にでも生まれなければ、幼年期の生存確率など非常に低いものとなる。
「生き残る可能性も低いし、生き延びても毒が解決してないし。だからマグナモンにワガママ言って、生まれ変わった仲間には人工のデジコアを仮置きしてもらったの」
仲間達が万が一、死んでしまってもいいように。
記憶を消して、生まれ直して、何度だってやり直す。その肉体が、元の姿に戻るまで。
やがて肉体が完成したら、本物のコアが待つ天の塔へ彼らを連れて行く。
その時に人工のコアと本物のコアが入れ替わるよう。マグナモンに“条件付け”をしてもらった。そうすることで肉体を失った仲間達は、真の意味で復活するのだと。
「いや、語ってみると我ながら壮大なストーリーよねコレ。柚子ちゃん理解できた?」
「ある程度は……。でも別にこれ、そこまでして皆に隠すような話じゃないって、思う……」
────何度でも、記憶を消して、生まれ直して。
なら、その『肉体』は今、どこに────?
「……ん、ですけど……」
瞬間。柚子の中で、ふと
「───記憶を、失くした……って。……あれ?」
とある二人の姿が浮かんだ。
そう言えば────確か、あの二人は。
記憶を失くしたと言っていた、自分達よりも前に、彼女達に接触していた、二人が。
「……コロナモンと、ガルルモンって…………」
──柚子は、自分の鼓動の音が大きくなるのを感じた。
二人は、彼女の言葉を否定しなかった。
「────」
もし、本当にそうだと言うなら。
彼らが、二人にとっての仲間だったと言うなら。
仲間なら、仲間だと、言えば良かったのに。
「ボク達の事、彼らに疑われる訳にはいかなかった」
そんな心の声を見透かされたように、青年は告げる。
「記憶の断片でさえ、甦れば彼らはすぐに行動を中止した。自分達を死なせてでも、人間の子供をリアルワールドに生還させる選択をしただろう。そうなれば、とてもじゃないけど天の塔には連れて行けない」
それは、今の彼らの性格からも理解できる。パートナーを失う事、傷つける事を頑なに厭い、彼らを守り抜く事を何より優先させるだろう。
────そんな彼らが過去の記憶を取り戻せば、その懸念は現実となる。青年はそう断言した。
「それにね、今の二人にアタシ達の記憶は無い。だから今、アタシにとってあの二人は別人なの」
「……だから、ここから見守るのに徹してたんですか? せっかく会えたのに」
「うん。バレたらマズいし! 必要以上のスキンシップはとりません! ……本当なら自力で塔まで行くか、アタシ達はリアルワールドに残って、最後はマグナモンにお願いするか──だったんだけどねえ。
実際、あの二人がどのくらい生きて、どの世代からどれだけ“やり直した”のは知らない。見てないし。でも会った時に『コロナモン』と『ガルルモン』だったって事は、やっぱり上手くいってなかったんだなあって」
生存競争の激しいデジタルワールド。適合者と同調し強化でもされなければ、元の体に戻るのは厳しかったのだろう。
ああ、だから────そんな仲間達を助けた蒼太と花那に、彼らと適合したあの子達に、この人達は力を貸したのだ。
「ま、ざっとこんな感じかな! 柚子ちゃんにお話できるのはここまでだ。ワトソンくんも、もう十分だろう?」
「……。……ああ、そうだね。十分だ。ごめんね、みちる」
「もういいよ。アタシ、引きずらないタイプだし。あ、この事ウィッちゃんにだけは話していいよ。二人の連携が取れなくなるのは良くないからね」
ウィッちゃんは隠し事、上手だし。みちるは締め切られた押し入れに目を向けた。
「まさか二人がリアルワールドに逃げて来たのは想定外すぎたけど……蒼太くんと花那ちゃんのおかげで、柚子ちゃんと皆のおかげでここまで来られた。アタシこんなだけどさ、本当に感謝してるんだ」
「……みちるさん」
「ようやくここまで来られた。完全体に成れていれば及第点だ。このチャンスはもう逃せない。
ねえ、柚子ちゃん。……明日、皆がコロナモンとガルルモンを、天の塔へ連れて行ってくれる。きっと一番上まで連れて行ってくれる。────アタシ達は、信じてるよ」
みちるはいつになく真剣な眼差しで、柚子の目を見た。
柚子の胸が一瞬、締め付けられるように痛む。少しだけ目を伏せて──しかし、応えるように顔を上げた。
「……約束します。私とウィッチモンは、絶対に皆を塔の上まで連れて行きます。二人の事だってちゃんと秘密にしておきます。だから……明日、絶対に無理しないで下さい。ちゃんと戻って来て。それも……約束して下さい」
みちるは一度目を大きく見開くと、照れ臭そうにくしゃりと笑った。それから両手を広げて、柚子とワトソンを勢い良く抱き寄せる。
「わっ……」
「え、ボクも?」
「うん。うん。柚子ちゃん、ありがとねえ」
「ほら、やっぱり言って良かったでしょ」
「ワトソンくんシャラップ。お前はやっぱり後でお仕置きだ。いやーほんと、柚子ちゃん迷惑かけっぱでごめんねー。こんな所まで巻き添え食らわせちゃったねえ」
「そんなの、最初からじゃないですか。それこそ今更ですよ」
「あはは、確かに! やー、一緒にやって来れたのがキミ達でよかった。アタシは幸せもんだ」
「……」
「ありがとう。明日はきっと、アタシ達の願いが叶うよ」
腕を離す。柚子は青年と少女を見上げて────その優しい顔に、また少し、胸が苦しくなった。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
マグナモンはひとり憔悴した顔で、安堵の溜息を吐く。
まさかこんな間際になって、仲違いどころかチーム解散の危機が訪れようとは思わない。“協力者”の二人が、今の今まで誰にも正体を明かしていなかったとは。
「同じ空間にいたのですから……せめて二人には事前に伝えていても良かったでしょうに」
「わかってないねー。ウィッちゃんはともかく柚子ちゃんは隠し事とか下手っぴなんだよ? それにこんな純粋無垢な良い子にさ、下手に話せるわけないいじゃん!」
「…………そういう、ものですか」
「そういうものです。そもそも急にアンタが登場したのがいけないと思います! アタシ達で責任取って皆を送ろうとしてたのに」
「報連相が壊滅的だよね。ボク達」
まあ、いずれにしてもマグナモンの助力が無ければ侵入は出来ないので、裏で交渉する予定ではあったのだが。
「と、ともかく……小生が各々方に申し上げた『ツテ』とは彼らの事です。明日は尽力してくれますので、塔内に設定されたファイアウォールの件は安心してもらえればと」
「いえーい! 期待しててね、頑張るから! 今回もこっそりフォローして皆を助けちゃうぞ!」
「…………今回“も”、デスか?」
「そうだよウィッちゃん。こう見えて裏フォロー頑張ってたんだから!
皆がダークエリアでやばそうになった時だってさ、メトロポリスに救援信号こっそり送ったの、みちるちゃん達なんだぜ?」
「────」
──ウィッチモンは僅かに目を見開き、けれど言葉を飲み込んだ。平静を装って、「そうでシタか」とだけ答える。
何故なら、それはきっと嘘ではないから。
だってそうだろう。メトロポリスと関わったと言うなら、それこそアンドロモンを問い詰めれば分かる話だ。彼はブギーモンと違ってまだ生きている。……生かされている、という表現の方が正しいのかは、分からないが。
「なら、二人には感謝しなければなりまセンね」
部屋を満たす重たい雰囲気に、マグナモンは未だ冷や汗をかいている。やはり彼は不憫だと、ウィッチモンは少しだけ申し訳ない気持になった。
しかし──これでようやく二人の正体が判った。
味方であるという主張も、彼らの目的と利益がこちらと一致していることを考えれば、何とか納得できる。
──それでも彼らがブギーモンを、彼が寿命を全うする前に死なせた。その事実は変わらない。
自分だけが知っている真実。破裂すれば多くを失うであろう爆弾。──自身らの行為が抱え得るリスクは想定していただろうに。そうまでして、向こう側の仲間に正体を悟られたくなかったのか。
「…………。いえ、でも……そうデスね。ワタクシも、割り切らねば」
二人を、あくまでも『協力者』として。
互いの目的と利益の為の協力関係。ビジネスパートナー。そう割り切れば、互いのプライベートの事情など汲み取る必要はないのだ。
それはそれで、少々、寂しいが。
最後に柚子が、子供達が、笑顔でいてくれるならそれでいい。
「…………なら、明日はお願いしマス。七割では心許ないので、セキュリティは全部壊しておいて下サイ」
「いーねーウィッちゃんその調子! もちろんさー!」
半ば無理やりに気持ちの整理を付ける。彼女達の様子から和解したと判断したのか、マグナモンの表情も晴れやかになった。──やはり、不憫だ。
「…………ん? でも、そもそも任せテ良いのデスか?」
ふと湧き出る疑問に、ウィッチモンは思わず声を出す。
「あれ、ボクらまだ疑われてる?」
「そういう意味ではないのデスが、二人の『中身』が不明なままなので」
「あ、そっか。そりゃそうだ。正体も分からないのに戦力になるかとか、判断できないもんね」
「二人はとても優秀ですよ。このポテンシャルでなければ、彼らという特殊な義体は完成できなかったのですから」
気を取り直したらしいマグナモンは、どこか誇らしげに二人の事を紹介した。
「まあ、それは楽しみデスね、ユズコ」
「う、うん……。……完全体? それとも、もっと上とか……」
「あー、ちょっと待っててね。ここに映すから」
ワトソンは柚子の側に行き、モニターに触れる。
そして、少しだけ期待を込めた眼差しの柚子の前に────
「ほら、これがボクの本当の形だよ」
────なんとも可愛らしい、栗色のフクロウが映し出された。
次いで、種族情報が表示される。
それを見た柚子は首を傾げた。ウィッチモンが再び表情を歪めた。
「こ、これッテ……まさか」
「そう。改めて自己紹介するよ。ボクはアウルモン。フリー属性のアーマー体だ」
「わあ懐かしい! 久しぶりに見たわワトソンくんのそれ! いやーこいつってば、いつもアタシの腕とか頭に掴まってきてさー」
「……アウルモンは……今のワタクシと然程、変わらない世代デスわよね?」
ウィッチモンはマグナモンを見る。彼の顔からは見事に血の気が引いていた。
「ねえ、マグナモン?」
「い、いえ、違うんですウィッチモン。待って下さい。──貴方、何故よりによって……」
「えー、だって、これがボクの基本スタイルだだよ」
「そーそー! あ、ちなみにアタシのはまだ内緒ね! お楽しみは最後まで取っておきたいタイプだから!」
「そ、そんな理由で……。勘弁して下さいよ。これ以上、彼女達との関係を拗らせるつもりですか」
「もう拗れまくりだからいいんですー」
「…………いえ、分かりまシタ。大丈夫。マグナモンの反応を信じマスから。
で、その優秀なお二人には先に塔へ向かッテもらうのでショウ? あの子達との時間差はどれ程にされるのデスか?」
「は……はい。その件ですが……こちらは、およそ二時間を想定しています」
マグナモンは彼女達の前に、再び塔の立体映像を浮かび上がらせた。
「彼らの突入後、観測を開始します。誘導は必要ありません。我々はセキュリティの損傷率だけを気にしていれば良い。
その一時間後に子供達の準備を開始し、小生が彼らを送り込みます。貴女達は作戦の経過時間を管理しつつ、彼らをオペレート、そして階層転移の際のゲート解放をお願いします」
マグナモンは塔の最下層を指し、その指先を最上部まで持って行く。
「よって──ウィッチモン。貴女が天の塔へと干渉する手段を得る為に、小生が持ち得る権限の譲渡。収容された子供達の、そちらで有しているデータとの照合。これらを今夜中に済ませます。パートナーはその間に仮眠を取っていて下さい。調整が終了したら、接続テストを行いますので」
作戦内容は今までのどれより濃密で、柚子は聞いているだけで頭が痛くなりそうだった。
……自分だけが仮眠を取る、なんて事。今までなら『自分だけ寝ていられない』と駄々をこねた所だろう。──だが、今ならそれが必要だと受け入れられる。
だってそれだけの事をするなら、ウィッチモンの調整はきっと夜通しになるだろう。だからこそ彼女と繋がる自分が、少しでも体力を回復させておかなければいけないのだ。
「……わかった。ちゃんと叩き起こしてね」
「言われなくてもそうしてあげるよ。柚子ちゃん、良い返事をするようになったね」
「…………おかげさまで」
柚子はどこか複雑な気持ちで、それでも口角を上げてみせた。
「では、早速ですが取り掛かりましょう。丁度良い事に、この部屋には別に空間があるみたいですので……」
「えーっ、押し入れの奥はアタシ達のプライベートルームなのに!」
「三畳しかないけどいいの? その鎧パージしたら?」
「そのサンジョウという換算がどういうものかは存じませんが、きっと心配には及びませんよ」
マグナモンは何食わぬ顔で押し入れの奥、別室の空間へと入っていく。
その数秒後、困惑したような声が聞こえてきて、ウィッチモンは思わず苦笑した。
「……ウィッチモン。頑張って」
「ええ。……では、ユズコ。短い時間デスが、どうか良い夢を」
パートナーの額におやすみのキスをして、ウィッチモンは別室へと姿を消した。
◆ ◆ ◆
みちるとワトソンが借りているアパートだが、この物件はそもそも複数人の居住が想定されていない。そこに三人と二体が同時に生活するのは、物理的にも精神的にも無理がある。
そこで、各々が健全な対人距離を保つ為に作られたのがこの別室。作業と就寝を兼ねる為の二人用の小部屋だった。
その部屋に、人間よりも大きなサイズの魔女が一人。
そして、豪奢な黄金の鎧を纏った騎士が一人。
「────狭いですね」
「ええ、狭いデスね」
距離が、物凄く近い。マグナモンは申し訳なさそうに虚空を仰いだ。せめて尻尾を切っておいて良かったと心から思った。
「ワタクシは気にしまセンので」
「痛み入ります……。……では、まずは貴女が塔への干渉に耐えられるようにデータをアップデートさせていきましょう。それから小生の権限を、可能な限り譲渡します」
マグナモンは片手を挙げる。「失礼」と言って、ウィッチモンの目元に当てた。
ウィッチモンの瞼の内側に二進法の文字が浮かび、彼女の視界を流れていく。
────体内に異物が流入する感覚。
自身に与えられる幾つものプログラム。全神経を研ぎ澄まして、ウィッチモンはそれらを認識する。
「────え?」
ふと。
その中に──とてもではないが、見逃す事の出来ないものが、幾つか。
「マグナモン、これは?」
目元を押さえられたまま、ウィッチモンは狼狽える。
「何故──デジモン達と子供達の分離を、子供達の……データから肉体への存在変換を、ワタクシが?」
だってそれは、自分の役目ではないだろうに。
子供達の肉体を処置してきたのは彼だ。パートナーとデジモンを統合するとして、それを行うのも彼だ。なら、その後の処理だって当然、彼が行うものだと思っていた。
「マグナモン、一度この手を離して下サイ。説明を……」
「────各々方に申し上げた通りです。小生は子供達の突入後、この作戦に参加する事ができません。ですから、どうか貴女達に託したい」
目元から手が離れた瞬間、ウィッチモンは目を見開いた。
あの時、確かに彼は「参加できない」と言ったが──まさか、本当に最後までいないつもりなのか?
「い、いくら何でも……貴方の技術を一晩でワタクシに、出来るようにしろだなんて」
「貴女達を信じています。知識と運命の紋章に選ばれた貴女達なら、きっと」
「無責任デスわ。けれど貴方が、理由も無くそんな事をする筈が無い」
こんな、責任感の塊のような貴方が。
マグナモンは口を噤む。ウィッチモンは問い詰める。──心の中の大部分を罪悪感が占めた騎士は、観念して口を開いた。
「……数時間前、小生がエンジェモンに施した事を覚えていますか」
「…………覚えていマスとも。貴方は彼に……彼の構成データに細工をして、その機能を停止させた」
「あれは、デジコアへの条件付けです。特定の条件をプログラムに書き込む干渉行為。
応用すれば、書き込んだ特定の条件を満たすまで──対象のデジコアを、全盛期と同様に活動させ続ける事が可能となります」
「……全盛期、と、言うのは」
「例え、そのデジコアが直に活動限界を迎えるとしても。デジコアに刻まれた“条件”を満たす為──心身共に衰弱する事無く活動し続けられる」
願いを叶える代償として、それが達成された瞬間にデジコアは崩壊する。尤も、その猶予期間にも限度はあるのだが。
そんなものを他者へ強制的に組み込む行為など、禁忌とも言えるだろう。だからこそ、それを使用できるデジモンはごく一部に限られる。
そして、彼はその干渉行為を────
「此の身は永きに渡り、天の塔の維持の為に捧げてきました。こうして“マグナモン”として存在してはいますが、中身は半分も残っていない。小生は最早、我が主の腕の中でしか生きられなんだ。
しかし聖域を離れ、イグドラシルの加護も既に無き今……我が電脳核は既に、その活動限界を超えている」
────自らに、科したのだ。
「故に小生は、戦力を我が塔へ送り出した後、各々方の前から姿を消します。天から地上へ降りる前に、その祈りを我が身に刻み込んだ。
……無責任なのは承知しています。それでも、貴女達に託すしかなかった。……どうか、どうか」
「────」
何て事だろう。
今まで一緒に居た二人は人間紛いの人形で、道を示した騎士は出会った時から半分、亡骸だったと言う。
……ああ、本当に、何て事。
心がはち切れそうだ。これだけの短い時間で、自分達はどれだけ多くの情報を与えられ、それを受け入れろと強いられるのか。
そっと瞼を閉じて、震わせる。──ウィッチモンは自身の下唇を噛み締め、床を睨みながら口を開いた。
「……。……いいでショウ。その役目は確かに、ワタクシ達で請け負いマス」
「……本当に、感謝します。貴女達がいてくれたから、小生は彼らにあの作戦を提案できた」
「それはユズコに伝えてあげて。彼女がワタクシの手を取ってくれたから、ワタクシ達は今ここにいるのデス。
……まったく、笑ってしまいそう。結局いつだって、ワタクシ達に選択肢など無いのだから」
「…………それは、全て」
「貴方を責めている訳ではありまセン。きっと、これが運命というものなのでショウね」
ウィッチモンは乾いた笑みを浮かべた。それは自分達を選んだ紋章のひとつと同じ名前をしていて、なんとも皮肉だと思う。
「その『運命』はなんて理不尽だ──と、思いますか」
「当然。……でも、貴方もそうではないのデスか」
「己が境遇を、そう思った事はありません。あの時、世界を……我が主を護れなかったのは、我らの力が及ばなかったが故。小生は、イグドラシルの騎士として生まれた事を悔いてはいない」
「だからこその贖罪意識デスか。よくもまあ今の今まで、心を壊さずにいられまシタね」
「果たさなければならない、願いがありますので」
「けど、その務めも今日で終わるのでショウ?」
「ええ。最後まで見届けられないのが、残念ではありますが」
「…………マグナモン。役目を終えた貴方は、その身を何処へ散らせるのデス」
「我らが還るは主の御許。砂塵に混ざり消えるわけではありません」
「……。……それは残念。いっそ、ワタクシがロードして差し上げようと思ッテいたのに」
ウィッチモンは初めてマグナモンに微笑む。マグナモンは少しだけ目を見開くと、可笑しそうに笑ってみせた。
「ロードしてしまっては勿体ない。いつかお会いできた時に、恩返しできなくなってしまいます」
「まあ、このハードワークの手当、ちゃんと付けて下さるの?」
お互いに、そんな冗談を言ってみる。
だって明日を迎えれば、二度と会う事は無いのだから。
「では────やはり、しっかりと成し遂げなければなりまセンね」
けれど『そういう事』にしておいて、ウィッチモンはマグナモンに手を差し出した。
「貴方の知識を、技術を────願いさえ、全て我らに」
「…………ウィッチモン」
「容赦はいりまセン。ワタクシは目を閉ざさずに耐え抜きマス。貴方の分まで見届けマス。デスのでワタクシというデータを貴方の手で、最大限にまで書き換えて下サイ」
「……」
マグナモンの瞳が揺れる。
深く深く頭を下げて、何度も謝罪と感謝の言葉を並べて、両手でウィッチモンの手をしっかりと握り締めた。
「……分かりました。貴女達に全てを託します。小生が無責任にも役目を全うした後の、全ても。
この身はただ、彼らを塔に送る為の媒介に過ぎない。その機能だけを残し、他は全て貴女の中へ。────どうか、お覚悟を」
マグナモンは顔を上げた。その表情からは憂いも、心咎めも無く、決意に満ちていた。
そして彼は言葉通り、自身の全てを託す為、ウィッチモンと自身を接続させていく。
「────我らが主よ、偉大なるイグドラシル」
それは、祈りの言葉と共に。
「御身の光は此処に。御身の騎士は此処に。我らが世界に輝く命へ、その恩恵を賜る事を許し給え。
根の泉より聖水を分け与え、湧き出づる知識を。此の者の命が、世界の運命を導く篝火となるように────」
神の座へ干渉する為の、禊にも似た儀式。
二人の身体が、黄金の光に包まれていった。
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