
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
────別に、ご立派な大義名分なんて無いんだ。
それを頼まれた訳でもないし、成し遂げたからって感謝される訳でもない。
余計なお節介だって、否定される事さえあるだろう。
詰まる所はただのエゴ。
一方通行な気持ちの押し付けだ。
──ああ、分かっているとも。
「それでも約束したんだ」
勝手に交わした願い事。
果たす為にここまで生きて、そして今、此処に在る。
*The End of Prayers*
第二十九話
「約束」
前編 ― 星に願いを ―
◆ ◆ ◆
宿舎棟の二階。食堂として使われていた大広間。
いつも出迎えてくれる温かな食事達は無く、今はテーブルクロスさえ片付けられている。
子供達は緊張した面持ちで着席した。──宿舎に戻ってきた理由は、休息ではなく作戦会議だ。マグナモンが遅れて戻ってくるまでの時間も、どこかソワソワして休む事などできなかった。
「……ホーリーエンジェモンさんたちは?」
蒼太が尋ねる。
「都市の皆は来ないの?」
棟の出入口にはレオモンが待機しているが、天使達の姿は無い。通信も柚子達としか繋げていない。此処にいるのは自分達だけだ。
「彼らには、彼らのやるべき事がありますので」
「……そっか」
「……先程の騒動を気に病んでいるのかもしれませんが……元を言えば小生が原因だ。各々方が負い目を感じる必要はありません」
あらゆる責任の所在は自分達なのだと、マグナモンは頑なに主張する。──そう言われたからといって、早々に切り替えられるものでもない。気を落として俯くユキアグモンに、誠司は「終わったら一緒に謝りに行こう」と、そっと声を掛けた。
「────では、各々方。こちらをご覧下さい」
円を描くようにテーブルをなぞる。指で辿った跡が発光し、回転する。──その空間に、とある立体映像が投影された。
映っているのは白い塔だ。リアルワールドにおける創世記に登場するものと、よく似ている。
その外壁は巨大な水晶の樹によって覆われていた。最上部では、透き通る枝葉が空に向けて広がり伸びて──何も知らずに見れば、ただただ美しい建築物だ。
「これが、天の塔。我らの創造主イグドラシルが座し、デジタルワールドを運営する管理塔です」
だが、この場所こそが毒の泉であり、リアルワールドから誘拐された子供達の監獄。あらゆる諸悪の根源に他ならない。
「各々方には、第二層に御座します我が主を、最上部の座までお連れいただきたい」
塔の内部は大きく四つの層で構成されている。
創造主が本来在るべき最上部、天の座。そして第一層から三層。
イグドラシルを宿したカノンという少女は第二層に、一方、未帰還の子供達は第三層に収容されているとマグナモンは言う。
「各層同士は直接繋がっておりません。今目の前に居る各々方とワイズモン達とのように、空間そのものが異なっている」
つまり、単純に天井を突き破っても最上部には進めないという事だ。
普段であれば、各層を往来する際には専用の移送機を用いるらしい。カノンが騎士らと乗ったエレベーターらしき機械がそれだ。
『移送機が破壊された場合の対処は?』
「別途デジタルゲートを開く必要がありますが、貴女が付いていれば問題無いでしょう」
──と、なれば。一行が取るべき作戦は単純明解だ。
マグナモンが一行を天の塔へ送り届けた後。自分達を迎撃するであろう、クレニアムモンなるデジモンを撃破。
並行してカノンとイグドラシルを捜索し、共に最上階の天の座へ。
作戦が完了したら、カノンと第三層に収容された子供達を連れて地上へ帰還する。
「ああ、ウチみたいな馬鹿にも分かりやすくて結構だ」
明るく言いながらも、テイルモンは苦い顔を浮かべていた。
「でも驚くほど上手くいく気がしない。簡単に言うなって逆ギレしそうな位だよ」
『不本意ながら尤もですわ。そもそも塔の周囲一帯には、外部侵入を防ぐ為のファイアウォールが設定されている筈。……これ、生半可な物ではないですわよね?』
いわば、フェレスモン城の結界の上位互換だ。そのまま突っ込めば全員が即死、良くて致命傷。どちらにしても最悪な結果となる。
「仰る通りですが、各々方には事前にライトオーラバリアを施しますので」
──そう。いくら強固な結界とは言え、不可侵の障壁を纏っているなら話は別だ。しかも塔のデジモンが作り上げる物となれば、突入時の安全性はほぼ約束されると思って良い。
『それは、侵入後も? 貴方の障壁を纏ったままでは、戦闘どころか物質に触れる事さえ出来ないでしょう』
「ええ。ですので侵入後、小生の障壁は解かれるものと思って下さい」
『分かりました。では内部のファイアウォールに関しては、今回は貴方の権限で全て停止する、という認識で間違いないですね?』
すると、それまで事務手続きのように淡々と進められてきた会話が止まる。
僅かな沈黙の後。マグナモンは若干、目を逸らしながら──小さな声で「いいえ」と答えた。
「……突入後は、内部の防御機構が作動し……各々方を排除にかかるかと」
『────は?』
ワイズモンは思わず声を上げた。
『は??』
もう一度、声を上げた。
『作動するのですか?』
「ええ、作動します」
『排除にかかるのですか?』
「ええ、かかります」
『貴方、塔の管理者なのでしょう?』
「……セキュリティ解除の権限は我が主のみに……ですがイグドラシルには最早、塔を管理できる力は残されていないので……」
『……ちなみに、内部セキュリティとはどのようなものなのですか』
「外部バリアのようなエネルギー体ではなく、複数の形状と質量を持った物体が直接排除にかかります。ただ、これまで作動させた実績がない為、どのようになるかまでは……」
『…………』
ワイズモンは言葉を失った。……そりゃあ、侵入者がいたって塔に入る前に消されるのだから、内部セキュリティなど余程でなければ作動しないだろう。侵入者が内部に到達する事自体、想定されていないのだ。
と、いう事は。
彼らが侵入を遂げた瞬間、防御機構がフル稼働。それと同時にクレニアムモンも仲良く襲い掛かってくる。──なんとも素晴らしい、涙が出そうになるほど手厚い歓迎だ。
『…………あの、我々にどうしろと仰るの? 死ねと?』
『で、でもさ……! マグナモンも一緒に行ってくれるんだし、そこで皆を守ってくれれば問題ないよね? 襲って来るセキュリティだけでも、バリアで包んでくれればいいんだもん』
『……確かに、そうですわね。貴方が彼らの守護に努めてくれるなら……』
「……。……いいえ、残念ですが……小生は各々方に、同行する事ができません」
「コイツ今すぐぶっ飛ばしていい?」
テイルモンがナイフを掲げる。それを手鞠が慌てて制止した。
「ご、ご安心下さい。防御機構に関しては、各々方の突入前にある程度、破壊しておきます。……それは、ツテがありますので。恐らく大丈夫です」
「ぎー……。命懸けなのは今に越しだこどじゃないけど、不安がすごい」
「アンタ、何かあったら騎士らしく腹を切りなよ。介錯はしてあげるから」
それは騎士でなく侍だ。──漂う気まずさの中、子供達は心の中でこっそりと口を挟んだ。
◆ ◆ ◆
美しい白い塔、外壁を這う水晶の枝と根。
映像として見ているだけで、コロナモンとガルルモンは胸騒ぎを覚える。
「────仮に、君が言う“ツテ”で、塔の防御機構を壊してもらえるとして」
どこか嫌悪感にも近いそれを噛み締めて、ガルルモンが口を開いた。
「それより厄介な問題が残ったままだ。……そもそも、僕らはどう頑張っても完全体までにしかなれないのに、君は勝算があると思ってる」
「……ええ。成功の可能性は、高いと思っています。各々方のそれは正当な進化であり、かつパートナーとの回路によって強化されていますので……」
「そうは言っても、君の仲間は究極体だろう? こっちの戦力は完全体が四体と……彼は、少し微妙な立ち位置だけど……」
「……データ上、ベルゼブモンという種族は究極体に属しますが、彼は毒に依る変異のせいで不完全な状態です。本来の力は、出し切れないかと」
よって戦力としては、完全体が四体、“半”究極体が一体、という事になる。
仮に総力戦をしたところで、真っ当な究極体を相手に倒せる確証はない。足止めが精一杯だとして──果たして、どれだけ時間を稼げるか。
『……それ以前に、クレニアムモン相手に全員では戦えません。イグドラシルを見つけなければならない以上、誰かは探索に回さなければ』
ワイズモンは頭を抱えた。──前途多難にも程がある。下手をすれば、メタルティラノモン戦の二の舞どころでは済まないだろう。マグナモンが言う『ツテ』だって、本当に頼って良いのか分からない状況だ。
「……──別に。全部、殺せばいいだけの話だろう」
その時だった。隅に立ったままのベルゼブモンが、吐き捨てるように呟いた。
単純な話なのに、何をブツブツ話し合う必要がある? とでも言いたそうな顔で。
「殺して喰う。それだけだ。お前達が怖いなら、俺だけでそいつを殺す。好きに上まで登ればいい」
『……貴方、塔に侵入したら真っ先にパートナーの探索に向かうと思っていましたが……よろしいのですか?』
「ああ」
ベルゼブモンは躊躇わずに答えた。
「カノンを見つけるのに、そいつが邪魔だ」
到底、許せない相手というのもある。だが、殺さずに残しておいて、カノンがまた巻き込まれたらたまらない。だから先に消しておこうと言うのだ。
男の思考はあまりに単純。清々しい程、自分の欲望に忠実だ。故に不安要素といったものに縛られる事もなく、憂う必要も無い。……ワイズモンには、それがどこか羨ましく思えてしまった。
『……では、彼を含めた四体を戦闘に。探索には一体を回しましょう』
「あーあ、こいつだけでクレニアムモンとかいう奴、倒せたら楽なのにさ」
「うん、気持ちはすごぐ分がる」
『子供達も、同行する場合は探索に回ってもらいますので……彼らを抱えて退避する可能性も考えれば……体格が大きく飛行能力もある、フレアモンが適任かと思うのですが。──マグナモン、これに対する貴方の見解は?』
ワイズモンはマグナモンに意見を乞う。クレニアムモンの事を、誰よりも知っているのは彼だ。
────すると、
「概ね、賛成です。しかし盟友との戦闘に関しては、ひとつ小生から提案があるのですが────」
◆ ◆ ◆
マグナモンが彼らに切り出した提案。
それは、あまりに耳を疑う内容であった。
『────貴方、今……何と仰ったの?』
「ですから、デジタル化です。選ばれし子供たちの」
遺伝子と細胞で構成された人間を、デジタル生命体として変換する。
今までマグナモンが、多くの子供達に対し施してきた行為そのもの。
「それを今回、選ばれし子供たちに応用したいと考えています」
そもそもそんな事が可能な事自体、彼らにとっては初耳だ。中身が中身だけに、到底すぐには納得できない。
『…………理解しかねますわ。それは彼らの存在を歪める行為に他ならない。そんな危険な事をする理由がどこに?』
「理由は二つ。ひとつは──今回の作戦では恐らく、子供達の肉体に掛かる負荷があまりに大きい」
天の塔は神の御座。デジタルワールドにおいても極めて特殊な空間だ。
何も施さないまま上層階、それも最上部まで挑めば──肉体への甚大な負荷により、人間としての存在そのものが変質しかねない。その負荷量は、生身のまま回路の摘出処置を受ける以上だ。
「収容している子供達に関しては、空間を遮蔽した場に安置しているので問題ありません。ですがこの子達はそうはいかない。変質すれば、元の体のままリアルワールドに帰還する事が困難となる」
かつてカノンに説明した時と同じ。一時的にデジタル化してしまった方が、総合的な負荷量は少なく済むのだ。──確かに理には適っていると、ワイズモンは渋々ながら受け入れる。
「二つ目の理由は戦力の強化です。
パートナーとの同調によるデジモンの強化は、肌や義体といった物質を介する接触が一番、効率が良い。なので、これも応用となるのですが……君達をデジタル化し、一時的にパートナーの内部へと統合させれば────」
「合体!? オレたちが!?」
デジモン達は目を丸くさせ、子供達は顔を見合わせる。子供達の中では、特撮ドラマのロボットの合体シーンが再生されていた。
「──ええ。子供達がパートナーの第二の核、コアと成るのです。同調している者同士であれば、パートナーデジモン達の更なる強化が期待できましょう」
とは言え、あくまでも提案だ。
いずれも自分の身に関わる事だ。選択権はそれぞれに在り、強制はされない。
「ですが、もし肉体のデジタル化を希望されないなら……」
『……天の塔には、行かない方がいいと』
「この子らの、安全を考えるのであれば」
当然、デジタル化に伴うリスクが無いわけではない。
一体化することによってダメージも少なからず伝播する。何より前提として、人間がデジタル化できる時間だって限られているのだ。それを超過すれば、データ化された肉体の復元が困難になる。
しかし逆を言えば、その間であれば問題ない、という事でもある。
マグナモンは、それまで多くの子供達を“施術”してきた手で──選ばれし子供たちに向け、指を三本立てて見せた。
「三時間。──小生が、子供達から回路を摘出するのに要した平均時間です。少なくともこの時間内であれば、君達という存在は保証される。
……デジタル化は作戦実行直前に行いますので。決定は急がれず、その時までに」
デジタル化せず、此処に残って帰りを待つか。
デジタル化して、塔の中を探索し駆け巡るか。
それとも、パートナーと一体となり戦闘に参加するか。
与えられた選択に困惑する子供達と、リスクを危惧するパートナー達。そしてマグナモンはパートナーデジモン達に対し、“万が一”の際の対応についてを提案した。
「もしも作戦の継続が困難と判断された場合──もしくは、各々方が戦闘不能となった場合。その際は緊急避難プログラムを起動して離脱して下さい」
作戦の失敗は、デジタルワールド救済の失敗と同義だ。
だが、それでも。例え世界を救えなくとも────そうすれば、子供達だけは生きて帰してあげられる。
「だから安心して、戦いに臨んで下さい」
マグナモンは言い切った。
それを聞いたコロナモンとガルルモンは顔を歪めた。一瞬、頭の中を焼き付くような痛みが走り抜けた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
作戦会議の終了後、マグナモンは宿舎棟を後にした。
残された一行の面持ちは様々だ。
テイルモンは話の難易度についていけず呆然とし、ユキアグモンは故郷への罪悪感で気を落としたまま。
一方、誠司は合体する事にどこかワクワクした様子だ。手鞠は探索と戦闘、どちらの方が役立てるか悩んでいるようで────蒼太と花那は、様子がおかしいパートナー達を心配そうに見つめていた。
「……なあ、コロナモ──」
「そういえば、柚子達はこっちに来られるの?」
蒼太の声を遮り、コロナモンは亜空間に語り掛ける。
「マグナモンとワイズモンで、色々やる事があるって聞いたから」
『夕飯はそっちで食べるよ。マグナモンはその後ここに来るんだって』
「なら良かった。せっかくだから全員で食べたかったんだ」
──自分達の異変は、自覚している。それに蒼太と花那が気付いている事も。
それを隠し切れない自らの不甲斐なさが嫌になる。だが、それでも「大丈夫だよ」と言って笑うしかないのだ。何がどうなっているのか、自分にだって分からないのだから。
────けれど。
痛みが走る、一瞬。そこに知らない誰かの姿が浮かぶ。
それが、誰なのかは分からない。思い出せない。これは自分だけに起きているのか、それともガルルモンにも起きているのか。──確認したくても、今は出来なかった。
『てゆーかさー!』
みちるの声に驚き、ハッと顔を上げる。
いつもの大きな声が、今だけは澱む気持ちを押し流してくれた気がした。
『こんな狭いワンルームにあんなゴテゴテの奴きたら、マジで満員電車になるんですけど』
「なら、オレらのとこ来ればいいじゃないスか。こっち広いんだし」
『確かにー! ていうか今って自由時間? ご飯いつ?』
「……おで、レオモンに聞いてぐる」
ユキアグモンが静かに椅子から降りる。「ご飯いつ?」なんて気軽に聞ける状態ではないくらい、誰の目にも明らかだった。
「そんな顔で平気? ウチが代わりに行こうか?」
「ううん。おでが行く。皆はここに居ていいよ」
そう言って去って行くユキアグモンに、手鞠と花那が心配そうに顔を見合わせる。
とぼとぼ小さくなっていく白い背中を、誠司が慌てて追いかけて行った。
◆ ◆ ◆
回廊階段を下りていくと、勝手口の側で座り込んでいるユキアグモンを見つける。
ここまで来たものの、扉を開けてレオモンに話しかける勇気が出ない様子だ。
「ユキアグモーン。どーしたの」
理解しつつも、誠司はいつも通りのテンションで声をかけた。
「外、出ないの?」
「……。……ねえ。ぜーじ」
「ん?」
「ぜーじは『ごめんね』ってすれば仲直りでぎるって、言っだけど」
「うん。大体はそれで仲直りできるからな!」
「……でも、おで……レオモンにも、街の皆にも、怖い思いさせちゃっだ。仲直りでぎるか、不安なんだ」
「そりゃあ確かに、皆めちゃくちゃ怖がっちゃったけど……。ベルゼブモンだって仲間になったんだから、別行動させちゃ可哀想だよ」
「うん。それは、分かっでるんだけど……」
ユキアグモンだって、決して差別意識を持っている訳ではない。──が、都市の民であるユキアグモンにとっては、民衆も同じく大切な仲間だ。だからこそ気まずいのだろう。
まあ、そうだよなー、なんて思いつつ。誠司は項垂れるユキアグモンの肩に腕を回した。
「でもさユキアグモン。とりあえず進んでみようせ。オレも一緒にいるから」
そもそも、聖地に毒を持ち込み、混乱を招いた──その責任があるとすれば、それはマグナモンだけではない。自分達全員だ。
誠司はドアノブを掴んだ。慌てるユキアグモンに歯を見せて微笑み、扉を開けた。
扉の開く音がして。夕焼け空が二人を迎える。
そして────
「レオモンさん」
レオモンが振り返る。その顔はどこか切なそうで、怒りの感情は見受けられなかった。
「…………ああ。君か。……君達だけか?」
それは、毒のデジモンも同行しているのか否かを問うものだった。誠司は「オレたちだけだよ」と首を横に振る。
「ほら、オレの後ろに隠れちゃダメだって」
「…………ぎぃ」
「ちゃんと前に出て、な?」
誠司に背中を押され、ユキアグモンはよろめきながら前に出た。
「……。……ユキアグモン……」
「レオモン。……ごめんね」
もじもじと俯いて、それでも声を絞り出した。
「……おで、皆が怖がるの、わがっでだ。天使様の街に、毒は絶対に入れちゃいげないって……わがっでだ。それなのに……。
ベルゼブモンと一緒に、都市に戻ろうっで……最初に言ったの、おでなんだ。操られでるんじゃなくで、自分達でそう決めたんだよ。だがら……」
「ユキアグモン」
かぶせるように名前を呼ぶ。ユキアグモンが顔を上げると、レオモンは優しい顔で手招きをしていた。
「君もだ。二人とも、こっちにおいで」
顔を見合わせながら、傍まで行く。するとレオモンは、ユキアグモンの胴を持って抱き上げた。
「わ、わ。……れ、レオモン?」
「なあ。……確かに驚いたし、恐怖もあった。都市がパニックになったのも事実だ。
でも都市は無事なまま、君達にも危害はない。天使様もお許しになられた。──だから、それが全てだ。
ユキアグモン、私は怒っていないよ。謝らなくていい。それより、怪我はしていないか?」
「…………」
ユキアグモンの瞳が涙で揺れる。地面に下ろされると両手を大きく挙げて、元気な素振りを見せた。レオモンは笑いながら二人の頭を撫でた。
「……ん? 指、治ったのか? 前は欠けてたじゃないか」
「えっ。……本当だ。治っでる」
「気付かなかった! 完全体になった時かな。それともマグナモンに治してもらった時? よかったなーユキアグモン」
さりげない誠司の一言に、それまで笑顔だったレオモンの表情が固まる。
「……今、“完全体”、と?」
「ぎ?」
「……完全体に……なったのか? お前が!?」
「うん。ぜーじが、強くしでくれだんだよ」
「へへっ」
レオモンは口をあんぐり開けていた。それじゃあ自分どころかエンジェモンよりも格上──何よりホーリーエンジェモンと同等ではないか。
ちなみに、こういう時の子供の前向きさは時に残酷だ。誠司はデジヴァイスを高々と掲げ、ユキアグモンも「ユキアグモン進化!」と言いながらジャンプしてみせた。
赤い夕焼け空に、赤い蛇竜が舞う。
誠司はメガシードラモンの頭部に乗ると、レオモンに手を差し伸べた。
「レオモンさんも一緒に乗ろうよ!」
──その姿の、なんて眩しい事。
「────」
嬉しくて、どこか胸が切なくて、それでいて誇らしい。
ああ、まさに“英雄”と呼ぶに相応しい姿だ。
レオモンは目を細めて、誠司に手を伸ばそうとする。
「……はっ、いや待て。戻りなさいユキアグモン。今の状態の君が空を散歩なんてしたら、別の意味で都市が騒ぎになってしまう」
「えー」
「ぎー」
「ただ、気持ちは嬉しい。……本当に、立派になったな」
レオモンは両手を差し伸べた。メガシードラモンは、ユキアグモンの時と同じように──その両手に鼻先の外殻を当てる。撫でられて、嬉しそうに目を閉じた。
「大丈夫。きっとお前は、君達はやり遂げられるさ。私はそう信じている。
……明日が終わったら、その時に……私や皆を乗せて、本物の空を泳いでくれないか」
きっと世界は平和になる。そう信じて、約束を交わした。
「だから────どうか、無事に帰ってきてくれ。私たちも、生き残ってみせるから」
◆ ◆ ◆
「あ! ねえテイルモン、二人とも戻ってきたよ!」
誠司達が棟に戻ると、回廊階段で手鞠とテイルモンが待っていた。
「なかなか帰ってこないから、どうしたのかなって……」
「なんだユキアグモン。随分と上機嫌じゃないの」
「うん。レオモンと仲直りできだんだ」
「えっ! わ、わたしも仲直りしに行きたかったのに……」
「……手鞠、まさか本当に飯の時間を聞きに行ってるだけだと思ってたの?」
ユキアグモンは浮かれ気味に、それもちゃんと聞いて来たと胸を張った。
「ご飯、もう少ししたら持って来でくれるっで。皆にも伝えてぐるね!」
軽い足取りで階段を駆け上がっていく。ぴょんぴょん跳ねる小さな背中を、誠司は安心したように見送った。
「よーし、じゃあご飯まで皆でトランプしようぜ」
「作戦とか考えなくていいの……?」
「マグナモン戻ってきてからでいいと思うんだ。多分!」
「……アンタたち、気楽だねえ」
「悩んでも仕方ないしさ! それにレオモンさんと仲直りできたからね。街の皆には全部終わったら、オレたち皆で謝ろう」
踵を返す。──石壁に空けられた窓の外、鮮やかな黄昏の空が目に映った。
星が少しずつ姿を見せていて、美しい。手鞠も誠司も感嘆の声を上げ、窓の面格子に顔を寄せる。
「すっげー。こんな綺麗な空、ここでも初めて見たよ」
「……あの空も、ホーリーエンジェモンさんが作ったのかな」
「本物みたいだもんなぁ。お台場に似たような店があるって母ちゃんから聞いたことあるけど、絶対こっちのが凄いよな」
「…………」
鉄柵越しに空を眺める手鞠と誠司。──そんな二人の姿に、テイルモンはどこか感慨深いものを感じる。
「……なんか、アンタたちが牢屋にいた時の事を思い出すよ」
縁起でもない悲惨な思い出だ。けれど、とても懐かしい。
痩せて汚れて怯えていた二人が、今はこんなにも────
「逞しくなったね。手鞠も、誠司も」
「え? そ、そうかなあ……」
手鞠は照れくさそうに頬を掻いた。
「チューモンも逞しくなったよな! あ、今はテイルモンか。……デジモンって何で進化すると名前変わるの?」
「海棠くん、今更……?」
「ウチが知るかそんなの。そういう風になってるの。なんなら、明日会いに行くイグドラシルとやらにでも聞いてみたらいいさ。神様なんでしょ?」
たしかに、と。二人はやや上空に目線を向けて頷いた。
「……神様かあ。どんなデジモンなんだろ。ホーリーエンジェモンさんを髭もじゃもじゃにした感じかな」
「どうだろうね。怖くないといいんだけど……」
ファミリーレストランに飾られた西洋画を思い浮かべながら、神様とやらの外見を想像してみる。──まさか自分達の人生で、そんな壮大なイベントが発生するだなんて思わなかった。話が大きくなりすぎて、マグナモンの説明を受けてもいまいち実感が湧かない。
「でも、とりあえずクリアできたら一件落着なんだよな?」
「そうだと思う……。多分、新しい毒はもう出てこないから、あとは壊れちゃった街とかを直していくんだよね。それも大変だとは思うけど……。そこも手伝えるなら、手伝いたいな」
「どうせならスッキリ安心した状態で帰りたいもんな! そういやさ、もし全部終わって平和になったら、テイルモンどうすんの? ユキアグモンは元々ここに住んでたし、コロナモンとガルルモンは……また二人で旅とか、するのかもしれないけど」
「ウチは手鞠の所に行くつもりだよ」
テイルモンは然も当然、と言わんばかりのすまし顔で答えた。
「手鞠にもウィッチモンの奴にも、散々リアルワールドの美しさとやらをプレゼンされたんだ。元々、フェレスモンの城から逃げたら向こうに行くつもりだったんだよ」
「わたし、チューモンと一緒に色んな所おでかけしたいなぁ。ここじゃ食べられないお菓子だって、いっぱいあるし!」
「えーっ、ずるい。オレらと暮らせるなら、オレだってユキアグモンと一緒に暮らしたい!」
「それなら今のウチに話しておきな。……まあ、アイツなら喜んでついていくと思うけど」
誠司は笑顔で頷くと、元気よく階段を駆け上がって行った。「行っちゃったねえ」と言って、手鞠はくすりと笑う。
そのまま、また空を眺める。
二人の間を、心地良い沈黙が流れていく。
テイルモンは尾のホーリーリングを外し、チューモンへと戻った。久しぶりに手鞠の肩へ飛び乗る。
「わっ。……チューモンに戻って大丈夫なの?」
「平気さ。ここにはウチらしかいないんだ。
あー、こっちのが目線が高くなって、色々よく見えるや」
そして、再び穏やかな時間が流れる。
風になびく少女の髪を手で避けながら、チューモンは「手鞠はさ」と静寂を破った。
「なあに?」
「明日、どうするつもり?」
「マグナモンさんが言ってた事? ……どっちがいいかなあって、ちょっと悩んでるの」
「……ここに残ったっていいんだよ。誰も咎めないし、何より怖くない」
「そうだね。でもわたし、それだけは選ばないって……チューモンだったら分かるでしょ?」
「分かってるさ。一応、聞いてみただけだよ」
「……どうしようかなあ。皆を探す人手も多い方がいいかなって思うし……けど、わたしたちを守るならフレアモンも大変になっちゃうだろうし……やっぱりチューモンを少しでも強くできるなら、とも思うし……」
「バカだね」
チューモンは手鞠の耳たぶを少しだけ引っ張った。
「アンタのやりたいようにすればいいんだよ。手鞠」
他の奴の事は気にしなくていい。考えなくていい。そう言い切った。
すると、手鞠は困ったように笑ってみせて────
「────うん、決めた」
決意を込めた瞳で、藍色に染まっていく空を見上げた。
チューモンも同じ方向を眺めて、少女の決意に最後の忠告をする。
「多分めちゃくちゃ怖いよ。いいの?」
「チューモンと、皆と一緒だから……わたしは平気だよ」
「……そうかい。じゃあ、気張っていこうじゃないの」
チューモンはそう言って、小さな手のひらを少女に向けた。
手鞠は一瞬きょとんとして、それから懐かしそうに目を細める。チューモンの手のひらに、自身の小指をそっと当てた。
「明日もよろしくね、チューモン」
「ああ、よろしく頼むよ。アタシのパートナー」
そしてチューモンは、優しい手つきでパートナーの小指を握り締めた。
◆ ◆ ◆