◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「塔を出て行くのか。マグナモン」
────彼は問う。
「そんな身体で何処へ」
その声色には、確かに憂いが込められていた。
「何処へでも行きましょう。それが主の望みなら」
「しかし塔外に出れば、卿の身は三日と持つまい」
ええ、そうでしょうとも。──事も無げに答えると、彼は顎に手を添え、あぐねてみせた。
「世界の管理はどうするのだね」
「する必要などありませんよ。もう、殆ど何も残っていないのだから」
「義体達は、どうするのだね」
「調整は全て終わっています。あとは貴殿の自由にすればいい」
そうか。と、彼は頷く。
「卿には見届けて欲しかったのだが」
その声色には、僅かに寂寥が込められていた。
「いよいよ、私ひとりになってしまうのか」
ああ、確かに。
長い永い時間の中、たった二人で世界を維持してきた。ずっと守ってきた。
────けれど、ここまでだ。
「クレニアムモン」
感傷を振り切り顔を上げる。
深紅の瞳に映り込む、輝く黄金。
「大丈夫。また逢えますよ」
そう言って、マグナモンは穏やかに微笑んだ。
*The End of Prayers*
第二十八話
「誓いと贖罪」
◆ ◆ ◆
雲間から差し込む黄金の輝き。
血と泥にまみれたデジモン達を、砂と煤に汚れた子供達を、包むように降り注ぐ。
────“ 待って下さい。どうか、どうか。”
頭の中に響く声。
誰がいるのか。何が起きているのか。その事態の変化に誰より早く気付いたのはワーガルルモンだった。
組み伏せた男の両手首。しっかり掴んでいる筈なのに、感触が消えている。……自分の手が、完全に麻痺したかのような錯覚を覚えた。
だが、実際ワーガルルモンは触れられなくなっていたのだ。自分達を包むベールはバリアの役割があるようで、互いの接触の一切を許さなかった。
『…………不可侵の障壁……。皆様は今、それぞれが亜空間に在るのと同じ状態です。干渉できない。彼も、我々も』
──── “ええ、ええ。「そうでもしなければ。これ以上、命が消えてしまわぬように」
声は囁く。頭の中ではなく、はっきり鼓膜に響くように。
そして──それは何と、誠司と手鞠の背後から聞こえてきたのだ。咄嗟に二人が、そして仲間達が振り返る。先程まで無反応だった熱源探知に信号が感知された。
そこに居たのは、まさに“黄金”と呼ぶに相応しい誰か。
恭しく膝をつき、深く頭を垂れていた。
「我が名はマグナモン。
主の御下命を賜り、各々方をお迎えに上がりました」
◆ ◆ ◆
マグナモン。────そう名乗った“黄金”の種族情報が、ワイズモンのモニターに表示されている。
ワクチン種、聖騎士型。世代はアーマー体だが、究極体と同等の表示がされている。……今のデジタルワールドに、ネプトゥーンモン以外にも究極体レベルのデジモンが存在するなんて。ワイズモンは思わず頭を抱えた。
『うーわ、何よアレ』
モニターを覗くみちるが、珍しく不愉快そうに顔を歪める。
『みちる。そんな顔するもんじゃないよ』
『だってさぁワトソンくん、こんなのってなくない?』
『仕方ないよ。それに騒ぐとワイズモンに怒られちゃうよ』
『……。……そうですね。少し、静かに』
データ上、毒の異常を示す反応は見られない。当然だ。ワクチン種、それも究極体と同等の存在ともなれば、毒に汚染されているわけがない。目の前のデジモンは正常であり、確固たる意志と目的を以て自分達の前に姿を現したのだ。
重要なのは……このデジモンが、味方か否かという点。彼は、自分達を迎えに来たと言った。──それは果たして、アンドロモンやホーリーエンジェモン達と同様の思考なのか。もし、フェレスモン達と同様の目的だったとしたら──
「あ、あの……。……お迎えって……?」
その疑問は当然、彼を目の前にしている仲間達も抱く。
手鞠の問いに、マグナモンは垂れていた頭を上げた。
「わたしたちを?」
「ええ、その通りです。貴女を。各々方を。そして……」
そこまで言って、マグナモンは言葉を詰まらせる。
少女に向けていた優しい表情が、一瞬にして驚愕の色に染まった。
周囲に広がる荒野の惨状。
目を見張り、息を呑み、呆然と声を漏らす。
「…………なんて、事だ」
抉れた大地。
散らばる瓦礫。
怪我をした子供達。
傷だらけのデジモン達。
損傷の激しい者が一体。
────ここに来る途中、観測していたうちの一体が消滅したのは確認できていた。それが毒に汚染されていた事も知っている。
だが、状況がこれ程までとは。
「……こんな事態に……」
張り詰めた静寂の中、ひとり声を震わせた。
そして両手を上げて、自らが敵でないことを訴える。
『……我々への敵意は無いと?』
「我がライトオーラバリアは決して、各々方を傷つけはしない。ですから、どうか」
『そう仰るのなら、こちらが納得できるようご説明を。敵でないという証明を。
いくら不可侵の障壁があろうと、我々には此処から遠い地へ転移する手段がある』
ワイズモンは即座に交渉の体勢を取る。相手もまた子供達を目的とするならば、みすみす自分達を逃がすような真似はするまい。
「貴女の言う事は尤もです。そして小生にはその義務がある。
けれども、けれどもだ。その前に────」
少々、慌てたような様子を見せる。
ゆらりと立ち上がると、目の前の誠司と手鞠、そして少し離れた蒼太と花那に声を掛けた。
「子供達、ついておいでなさい。君達のパートナーのもとへ」
そして手を取り、回路を繋いで。──そう促す。
誠司は思わず、まだ足を腫れさせている手鞠の様子を伺った。
「……お、オレたちは、後から」
「その子は足を捻挫していますね。パートナーの側まで手を貸しましょう」
マグナモンは少女に手を差し出す。
「……」
「大丈夫、怖がらないで。……信じて下さい。小生はもう二度と、人間の子をパートナーと引き離したりはしない」
膝を落とし、再び少女を目線を合わせた。
手鞠は目を丸くさせる。どこか必死さが見える相手の表情に困惑しながらも
「……あ、あの……言ってること、よく分からないけど……でも、怖く、ないですよ」
そう言って、騎士の腕に手を添えた。
再び合流した子供達が目にしたのは、想像以上に深刻な状態のパートナー達の姿だった。
特に、弾丸を浴びた場所が生々しい。ワーガルルモンの手を取ろうとした花那は、掌に空けられた穴を見て吃驚の声を上げた。
──そして、彼らに深手を負わせた張本人は、誰より損傷が激しい状態で地面に転がっている。
死体だと言われれば納得できてしまいそうな程だ。何度か子供達に向けた男の腕が、力なく投げ出されていた。
自分達を襲った男。パートナー達をこんなに傷つけた男。……それでも子供達の中には、怒りや憎悪といった感情は湧かなかった。けれど男の無残な姿に、どうしようもなく悲しくなる。
そんな横たわる男を前に、マグナモンは地面に膝を崩れさせていた。
恐る恐る触れて、彼の個体情報を確認する。……そもそも彼らに障壁を纏わせた時点で、そんなもの、分かってはいたのだが。
「────君が……、……“ベルゼブモン”……」
その名を持つデジモンとの旅路を、嬉しそうに語った少女の顔を思い出す。
ああ、そんな。
彼が、これが、そうだと言うのか。こんな、襤褸切れのようになってしまった男が。
「…………デジコアの、状態は……。……」
──ああ、よかった。こんな状態でもデジコアは無事だ。
間に合った。生き残ってくれていた。溢れ出す安堵感に、思わず笑みが溢れそうになる。
すると──マグナモンの声に反応したのか、男の眼球がぐるりと動く。赤く濁った瞳が、自身を見下ろす黄金へと剥いた。
「…………呼ぶ、な」
黒い水溜まりに顔を浸けながら、吐き捨てるように声を漏らす。
「カノン……以外が、俺を……」
掠れた声。口から漏れた空気が、少しだけ泡を立てた。
「…………そうですね。……貴方の名は、彼女だけのものだ」
マグナモンは静かに目を閉じる。
そして、片手を上げた。彼の指先にぼんやりと光が浮かぶ。それに呼応するよう、彼らを包む障壁も光り出す。
『貴方、何を……!』
「……生きていてもらわねば。全員、絶対に……」
障壁の表面に浮かぶ、二進法で構成された文字列。
「────サーバー:ラタトスクに再接続。全個体の識別を完了。構成データ確認。損傷部位の復元を開始します」
マグナモンの行為に警戒したライラモンが咄嗟に構えた。だが、それをメガシードラモンが制止する。
文字は障壁から皮膚に転写され、そのまま溶けるように体内へと消えた。不思議と、異物が入り込むような違和感は感じなかった。
「どうして止めたの。攻撃かもしれないのに」
「ごめんね。でも……昔、天使様にケガを治してもらった時と似でるんだ。あたたかくて……」
『……本当に、治ってるんだよ……。だって皆のデジコアが……』
モニターの数値に柚子は目を見張った。──仲間達の肉体が少しずつ修復されている。それは数値を以てしても明らかだ。
そして黄金の治癒は、仲間達だけではなくあの男にも平等に施されている。
柚子は焦燥感を覚えた。勿論、傷ついたままでいて欲しいわけではない。しかし完治すればまた、先程のような殺し合いに発展しかねない。
懸念する少女の肩を、ワトソンが軽く叩く。
『大丈夫。治ったところで、どうせ出られやしないんだ』
小さな声で、柚子にだけ聞こえるように囁いた。
『…………ワトソンさん。……みちるさんも、さっきから……』
『それよりご覧。不思議だね。彼はデジモン以外も治せるみたいだよ』
『……!?』
──青年の言う通り。その現象は人間である筈の子供達にも起きていた。
手鞠の足首が。木片で切った誠司の傷が。爆炎で火傷した花那の腕が。転倒した際に皮膚を裂いた蒼太の膝が。データではない人間の細胞が、どうして──
「此処は、デジタルワールドですので」
それに軽傷でしたから、と。困惑する子供達にマグナモンは答える。彼らにとっては一切答えになっていないのだが────数多くの人間を“施術”してきたマグナモンにとっては自明の理だ。
「復元が終了するまで痛覚は遮断しています。違和感があるとは思いますが、完治するまで耐えてください」
「……どうして俺達に治療を? 回復させれば逃げるかもしれない。俺達も、こいつも」
「可能性は否定しません」
「貴方の目的は知らない。でも、回復を条件に交渉する事だってできた筈だ」
「ええ、ええ。けれども小生に、どうしてそんな烏滸がましい事ができましょうや」
力の差は圧倒的であろうにも関わらず、自らを謙遜する態度を崩さない。
「各々方が小生を訝しむのは当然だ。しかし先程も申し上げた通り、敵意はありません。どうか、どうか────」
そう訴えるマグナモンの背後。彼に修復され、身動きを取れるようになったベルゼブモンが体を起こした。
関節部の空気が弾けて鳴り、男の爪に黒炎が宿る。そのままマグナモンに掴み掛かろうとして──しかし、不可侵の障壁によって阻まれた。
黄金の鎧をすり抜け、よろめく。自身に掛けられた枷を剥がそうと足掻くが、その行為は全く意味を成さなかった。男は苛立ちと憤怒の眼差しをマグナモンに向ける。
「これを外せ。俺を、外に出せ」
「……出来ません」
「そいつらを喰わせろ。デジモンを喰わせろ。俺は……俺の中で、聞く事がある」
「また殺し合いになる。それをさせる訳にはいかない。貴方には、生きていてもらわねば」
「……同じなのか。お前も、こいつらと。だから奴らを庇うのか? お前も……人間を、カノンを、隠して……」
「────」
男の発言に、マグナモンは言葉を失った。
何故彼らが邂逅し、そして惨憺たる状況に陥ってしまったのか。それを自らの中で帰結する。──ああ、
「それで、殺し合っていたのですか?」
何て事だろう。
結局、何もかも自分達のせいじゃないか。
「喰ってやる。喰ってやる。それで、あいつを取り戻せるなら」
「……違う。彼らに非はない。彼らは人間を救う者だ。そうでなければ何故……彼らは今、あのデジモン達から逃げないのです。何故ああして寄り添っているのですか。……毒に汚染されているとは言え、貴方は……貴方なら、理解できる筈だ」
男は顔を上げ、視線を移す。
自分が救おうとした人間達。
自分が殺そうとしたデジモン達から逃げることなく、その身を預けている。
「どうか、彼らを殺さないで。彼らは仲間です。貴方の……貴方とカノンの、仲間となる筈だった者達です」
男には分からなかった。何故あの子達はあの場所にいるのだろう。奴らと一緒に居るのだろう。どうして。何故。分からない。だってその姿は、『まるで、君と彼女のようじゃないか』────そんな筈はない。だって奴らは人間を。
「貴方が銃口を向けるべきは小生だ……!
……彼女を導いたのは我々だ。閉ざしたのも我々だ。守りきれなかったのは小生だ。だから……どうか、各々方。お願いです。牙を剥くならば小生に。全ての責任は、我々に在るのだから」
「────何、だと?」
耳を疑った。その場に居た誰もが。
聞き間違いだろうか?
このデジモンは────今、何て言った?
「……言葉の通りです。……我々が、貴方の、カノンを」
「……、…………────!!」
その意味を、理解する。
男は咄嗟に銃を取った。マグナモンに向け引き金を引いた。
乾いた発砲音。揺れる硝煙。吐き出された弾丸は黄金の鎧をすり抜け、何処かへ消える。
それでも男は撃ち続けた。轟音と、腹の底から溢れる怒声を織り混ぜながら。
「────返せ……返せ、返せ……返せ!! 返せ!!! カノンを何処にやった! あいつに何をした!!」
やがて銃声は消え、ガチガチと金属を引く音だけが鳴り続ける。
男は空になったショットガンを投げつけると、今度は黒炎を纏う爪で切りかかった。……けれど男の爪は、ひたすらに虚空を裂き続ける。何度繰り返しても、その手はどこにも届かなかった。
すると、
「……やめてくれ」
白銀の手が男の肩に触れ、すり抜ける。
「今は……もう……」
「────ッ!!」
ベルゼブモンは反射的に振り返り、自身の爪をワーガルルモンに翳そうとして────彼の腰に隠れる、小さな人間の姿を見た。
ビクリと手を硬直させる。指先から黒炎が消え、震える腕がゆっくりと下ろされる。
「……」
人間の少女が、子供達が、自分のことを眺めている。
その中にあの子はいない。──本当に、どこに行ってしまったのだろう。
「…………、……返して、くれ」
目の前の黄金に、白銀に、同胞達に、救うべき人間達に、男は乞う。
「……返してくれ……」
掠れた声は砂塵に消えた。答えは、返ってこなかった。
男は呆然とした眼差しで、もう温かさを忘れてしまった両手を見つめていた。
◆ ◆ ◆
▼作者あとがき
作者のくみです。
エンプレ第28話、お読みいただきありがとうございました!
第24話にてカノンにのみ語られていた真実の一部ですが、今回その全貌が選ばれし子供たちに明かされました。
毒は天災のようなもの、原因も対処も分からない。そう1話時点からダルクモンに聞かされていて、今までがむしゃらに進んできたコロナモンとガルルモンにとって、これほどショックな事もないでしょう。
共に旅する一行ですが、そのメンバー内でも毒に対する認識や憎悪には偏りがあります。例えば本編内でライラモンが語ったように、デジモンが毒によって命を落とす、もしくは自身が手にかける事はあっても、自分にとって大切な誰かが命を落とすような事態には至っていません。それはユキアグモンも同様です。
しかしそれが幸いしてか、真実を告白したマグナモンに対し全員で殺しにかかるような展開は避けられました。
事情が事情だけに、敵とも言えるマグナモンに何もすることができない、コロナモンとガルルモンのなんともどかしいことでしょう。
ちなみに
マグナモンでクレニアムモン倒せないの? → 当作マグナモンでは倒せません。ライトオーラバリア中は無敵な代わりにこちらも触れる事ができない設定です。
なんでマグナモンはチート治癒能力持ってるの? → イグドラシル-1FAが譲渡したものでマグナモン本人のチートではないです。
といった設定もありありのあり。
そして遂に!
▼ ベルゼブモンが 仲間に なった!
やったね!
いえ、なかなかに展開が重たくなりがちなので、ちょっとここは明るめにいこうかと。明るく。……明るい?
彼の盛大な勘違いも無事に解け、同じ目的の為に行動を共にします。
仲直りについては友情の紋章を継いでいるガルルモンと花那のペアに先導してもらい、前向き希望持ちの誠司に後押しをしてもらいました。
ベルゼブモン自身が決してフランクな性格ではない(むしろ気難しくて根暗気味)なので、仲良しこよし手を取り合ってーという展開にはしませんでしたが! 一緒にいるけど微妙に孤立してる感じです。
さて、では準備しようぜということで都市に帰還したわけですが。まあ清潔な聖域に感染源の集合体みたいな奴が突然現れたら、そりゃパニックにもなるでしょうて。
言ってしまえばシェルターの中に仲間がゾンビを連れてきて「こいつ友達! 連れてきた!」って言ってるのと同じです。話し合いに持って行けるわけがありません。完全にただのバイオハザード。
しかし説得できるわけもないと彼らも分かっているので実力行使。と言うよりはすり抜け作戦。マグナモンも害を出したいとは思っていません。
無理矢理に大聖堂まで突撃し、ホーリーエンジェモンのもとまで帰ってきましたが、今度はホーリーエンジェモンの胃腸がストレスで死にそうですね。でも戦い合いにならなくて良かったです。あとレオモンは死なない!
前半部分から普段よりも出しゃばりをみせたワトソン&みちるに対し、柚子も若干の不信感を抱き始めました。それを隠す様子も無く、しかし語るのは今はおあずけ……ストーリー上でも次回に持ち越しとなります。
物語もいよいよ大詰めです。
それでもあと6話くらいあるんですけどね! 予定では。
どうかお付き合いいただければ幸いです。
それではまた次回、29話をお楽しみに!
予定は3月~4月を目指します。よろしくお願いいたしますー!
◆ ◆ ◆
聖要塞都市。
天使型のデジモン達が、その命を糧に守護する都市。
一切の毒を寄せ付けない、デジタルワールドの最後の砦と信じられている地だ。
選ばれし子供たちは帰還する。
黄金の騎士と────毒に飲まれた男を連れて。
ゲート解放の光が、都市の広場に輝いた。
それを目にした都市の民は、英雄達の帰還に胸を高鳴らせ、集い、出迎えるのだ。その凱旋を讃える為に。
「わあ! 選ばれし子供たちだ!」
「おかえりなさい、英雄たち!」
「ねえ、今回はどんな毒のデジモンを──……」
駆け寄ってきた幼年期達。
期待と希望に満ちた目は────彼らの背後に立つ黒い男を見た瞬間、絶望に染まる。
けたたましく響く悲鳴。広がって、折り重なって、周囲は一瞬にして恐慌状態に陥った。
当然だろう。この地に毒のデジモンが存在する事など、決してあってはならないのだから。
「毒だ! 毒がいる!! 何で!?」
「ここは天使様が守ってくれてる筈なのに!!」
「助けて! 死にたくないよ!」
「早く……誰か、天使様たちを!!」
逃げ惑うデジモン達。ベルゼブモンはその光景をただ眺めている。テイルモンは、バツが悪そうに男に目線を向けた。
「あー……その、気にすんな。ウチもウィルス種ってだけで嫌がられた。ここの奴らはそうなんだよ」
「ぎい。しかも毒まみれ」
「…………俺には、どうでもいい」
「そりゃ好都合。ならこの叫び声はBGM程度に思ってて頂戴。あとは天使の奴らに、金ピカが上手く話を──」
「────何の騒ぎだ!!」
程無くして、事態を聞きつけたレオモンが駆け付けた。
帰還した一行の姿を見て────その信じ難い光景に震慄し、瞠目する。
「……! !? な、何故……汚染された者が……!?
どういう事だユキアグモン!!? ……いいや、話など後だ。警報を発しエリア内の住民を避難させる! 天使様の到着まで我らで毒を堰き止めるぞ!」
「ま、待っでレオモン、ごれには事情が……」
「早く構えろ! もう成熟期になれるんだろう!?」
「……っ」
「ユキアグモン。……仕方ないよ。俺たちだって、こうなる事は想像がついた」
「ああ。僕らはそれだけの事をしてるんだ。レオモンの判断も、都市の皆の反応も当然だ。
……でも、頼む。もし彼が剣を抜いても撃たないでくれ。仲間なんだ」
ガルルモンはベルゼブモンに釘を刺した。デジモン達で溢れるこの地は、彼の捕食衝動を駆り立てる可能性がある。もし理性が抑えられなくなれば────。
しかし彼の懸念に反し、ベルゼブモンは静かに「大丈夫だ」と言った。
「お前達を喰った。だから、まだ平気だ」
「……そうか。……僕の肢、君に食べさせた甲斐があったよ」
「パートナーデジモン達よ……! 何故……そいつと“会話”を……!?」
『ええ、その通り。何を悠長になさってるのですか。このままではこの場所に天使が集結して、それこそ戦闘になりかねませんよ』
『も、もうパニックになってるんだし、進化して大聖堂まで行っちゃった方がいいよ……!』
「────大聖堂ですね。分かりました」
マグナモンが一歩、前に出た。
子供達を守ろうと剣を構えたレオモンは、立ちはだかる騎士の威光に思わずたじろぐ。
「突然の訪問をお詫びします。都市の長にお目通り願いたい。どうか、我らが大聖堂に向かう事をお許し下さい」
「……! な……」
「レオモンさん! オレたち、ちゃんと理由があってこいつと一緒にいるんだ! 今は仲間なんだよ……!」
「……、……っ! ……そんな、あり得ない……子供達が、そんな……何か術にかけられているのか!? 毒は全てを穢し、我らの命を奪うと言うのに!」
「此処で話し合う時間は惜しい。申し訳ありませんが、このまま向かわせていただきます」
マグナモンは、再び全員に不可侵の障壁を施す。
一歩、また一歩、進んでいく。子供達も、罪悪感に目を伏せながら続いていく。
「行っては駄目だ!」
レオモンは止めようと手を伸ばす。────だが、障壁に覆われた彼らの身に触れる事は叶わない。手は虚しくすり抜け、空を切った。
「! !? ま、待て……行くな、やめてくれ……! その子達を連れて行くな! どうか傷つけないでくれ……!」
懇願する声が背後で響く。
怯えた群衆の視線を浴びる中、ユキアグモンは何度も後ろを振り返った。
◆ ◆ ◆
大聖堂にて彼らを迎えたのは、激しい剣幕でロッドを構えるエンジェモンであった。
それもまた、当然の事だ。天使達が先程の騒動を把握していない訳がない。
だが、マグナモンは冷静そのもの。この地で彼の障壁を敗れる者はいない。道を阻む者はいない。
「ワイズモン、ホーリーエンジェモンはどの部屋に?」
『二階の礼拝堂に。翼廊の奥の扉から、階段が続いています』
「分かりました。……しかしこの状態では、扉に触れる事もできませんので。申し訳ないですがエンジェモン、扉を開けてはもらえませんか」
「我が兄への謁見であれば許可しよう。しかし、その汚染デジモンを“浄化”してからだ」
「小生らに敵意はなく、また此の聖地を侵す意思もない。力の行使は我らとて避けたい」
「どこの誰かは存じ上げないが、選ばれし子供たちの客人よ。この死にかけの世界でも、我らには……守らねばならぬ土地と民、そして矜持がある。──決して、敵わぬと分かっていても」
その戦力差は、エンジェモンとて理解していた。
それでも、毒に侵されたデジモンを、みすみす聖堂へ入れるわけにはいかないのだ。
仮に命を賭したとしても守り抜く。エンジェモンの意志に、マグナモンは敬意を表した。
「──英雄の欠片を継ぎし者。主が創造せし子らのひとり。ならば聖騎士マグナモンは、此の身を以て貴殿の意志に応えよう」
すり抜けて終えるのは非礼に値する。マグナモンは自身の障壁のみを解いた。
それを確認したエンジェモンが、輝けるロッドをマグナモンに振り翳す。
次の瞬間。
エンジェモンの視界から黄金が消える。
子供達がマグナモンを止める声を聞き、振り向く。
背後には黄金の輝き。マグナモンは片手を構え──エンジェモンの背中に突き刺した。
爪が食い込む部位から出血はなく、しかし天使のテクスチャに二進法の数字が浮かび上がる。
「……、……あ……」
「────改変。デジコアの強制一時停止」
「…………兄、上」
「条件付け、再起動を十五分後に設定。プログラム実行を開始」
「……────」
エンジェモンの肉体は音を立てて倒れた。
天使の側にユキアグモンが駆け寄ろうとする。……だが、マグナモンは先を急がせる。
「……! て、天使様に何しだんだ!」
「大丈夫、後に目覚めます。その間に我らはホーリーエンジェモンのもとへ」
マグナモンは進んでいく。ベルゼブモンも、何食わぬ様子で後に続く。
子供達は「ごめんなさい」と言いながら、倒れたエンジェモンを後にした。
美しき大聖堂。
大理石の長い身廊を、天使の彫像に見下ろされながら進んでいく。
壁のクリアストリーとバラ窓から差し込む光は、黄金の鎧に反射して堂内を鮮やかに照らし出す。
アプスの祭壇には最早、天蓋からのカーテンは垂れおらず────そこには、四肢と翼を失ったホーリーエンジェモンが、ひとり座して待っていた。
とてもとても、悲しそうに。
「────セラフィモンの後身ですね」
そんなホーリーエンジェモンに対し、マグナモンは淡々と語り掛けた。
「小生の姿を、覚えていますか」
ホーリーエンジェモンは僅かな沈黙の後、口を開き、震える声で呟いた。
「…………忘れはしない。……創造主の騎士、ロイヤルナイツ……」
かつてのセラフィモンの記憶は、今の彼には一部しか継承されていない。
それでもマグナモン達の存在は、その記憶の中に確かに残されていた。
「……これまで、長きに渡り沈黙に徹してきた騎士団が……何故、選ばれし子供たちと。
毒に対し何の措置も取らず、原因究明も行わず……ただ終焉を傍観するだけの貴方々が、今更その子らの力に縋ろう等と仰るか」
「話が早くて助かります。遠い過去の同胞よ」
「…………今になって、何故……それも、よりによって此の地に毒をもたらされた。民にとって此の地は最後の希望であったのに。いつか訪れる静寂を……眠りと共に迎える為の、安息の地であった筈なのに」
究極体にさえ成れなかった、自分では世界を救えない。
英雄達の真似事をしても、到底、救える訳がない。
断片だけの記憶でも、それが不毛である事は────理解していたのだ。その上で民に僅かでも希望を与える為、安らぎを与える為、これまで努めてきたというのに。
『……ホーリーエンジェモン、貴方は……最初からそのつもりで……?』
「私には理解しかねる。騎士自らが地に降り立ち、選ばれし子供たちを籠絡した理由は何だ? 彼らの位置情報を改竄し、我らを欺いてまで……」
『────それは、位置情報はワタクシ達の』
「聞けば彼らは、この都市の庇護下にあったと。……大英雄セラフィモンが築いた都市なら、彼らの調整を行う環境としては十分。故に彼らを帰還させた。
そして……そこのベルゼブモンは、毒に汚染されながらも自我を保つ貴重な存在です。戦力として欠くわけにはいかない。貴殿の都市に混乱を招いた事については、謝罪します」
だから彼も含め、今一度この都市での休息を与えて欲しい。
マグナモンは胸に手を添えて頭を下げる。
「……いいや、あまりに遅すぎる。遅すぎたのだ。選ばれし子供たちの尽力によって、我らは僅かだが生き永らえよう。しかしそこまでだ。いかに戦力を集めたところで最早、我らに救済の手段など残されていない。
創造主の騎士よ、何を目論む? 狙いは何だ? これ以上どう足掻けと? ……それとも再び人間達を、その行方を見失うまで利用し……我らに拭えぬ罪を重ねるおつもりか」
ホーリーエンジェモンは静かに、厳かに、しかし悲哀を以て問い質す。
黄金の騎士は顔を上げると、ガーネット色の瞳を真っ直ぐホーリーエンジェモンに向けた。────そして
「贖罪を」
はっきりと口にし、前へ。
両手を差し出す。大天使の身を、黄金のベールで包み込む。
「デジタルワールドに光を。今度こそ、英雄達は我らの世界を救済する」
────差し込む光に輝きながら、白い羽が柔らかに舞う。
ホーリーエンジェモンの純白のローブの下。失った筈の四肢と八枚の翼が、そこには在った。
◆ ◆ ◆
エンジェモンが目を覚ますと、そこには兄と慕う者の姿が在った。
英雄セラフィモンのデータから共に生まれた天使。英雄の性質のほぼ全てを受け継いだ兄。
都市を、民を、守り導く為に、その身を犠牲にし続けてきた、敬愛する大天使。
そんな兄の身体が────都市の結界と、民の洗礼に捧げた筈の四肢と翼が。
もう見る事は叶わないと思っていた、大いなる天使の姿が──今、この瞳に映っている。
「…………兄上。その、お姿は」
「創造主の権能により、再び我が身に与えられた。……これを、奇跡と呼ぶのだろうな」
「……それは──」
──思い出す。選ばれし子供たちを連れた謎のデジモンに、一切の歯が立たなかった事を。
「……申し訳ありません。私は一瞬さえ、彼を止める事が出来ませんでした。……毒を、我らの地に……」
「いいのだ。エンジェモン」
その言葉に、エンジェモンは「え?」と目を見開く。
「あの毒の者を、僅かな間この都市に置く事を容認した。ペガスモン達には、付近の住民の外出禁止を徹底させている」
「…………よろしい、のですか」
「これは賭けだ。……あの騎士から全てを聞いて、私は……彼らに賭けることにした。それが、此の世界に生きる我らに残された……唯一の足掻きなのだと」
ローブの下から伸びた手が、エンジェモンの頭にそっと触れた。
「……遠い過去の私達が、リアルワールドから子供達を連れ去った意義を。そして消息を絶った彼らと、共に戦った時間の意味を。……我らはようやく見つけ出し、辿り着けるのかもしれない」
ホーリーエンジェモンは空を仰ぐ。
自身が作った仮初の空。それが本物の青空になる夢を、少しだけ胸に抱いて。
◆ ◆ ◆
「────ひとまずホーリーエンジェモンの説得は叶いましたが、皆様の居心地は最悪でしょうね」
無事に寄宿塔へと戻った子供達を見届け、ワイズモンは深く息を吐いた。
「柚子、貴女は大丈夫?」
「……え?」
「…………楽しいものではなかったでしょう。彼の話は」
マグナモンが語った真実。それはコロナモンとガルルモンを始め、少なからず皆にショックを与えるものだ。きっと、共に世界を見てきた人間達とて例外ではない。
柚子は目を伏せ、少しの間口ごもる。
「……変な話なんだけどさ。私……あれを聞いて、少しだけスッキリしたの」
「……そうなのですか?」
「だって今まで、分からないことだらけだったんだよ。私たちも皆も、色々なことを知らされないまま、誰もちゃんと知らないまま、だけど危ない道を進むしかなくて……いつ終わるかも分からないのに。
でも今は、道が見えてる。私たち、ようやく知ることができたんだよ。……上手くやれればきっと、デジタルワールドも……ウィッチモンの世界だって、毒が行っちゃう心配、しなくていいでしょ?」
だから、あと一息。もうひと踏ん張り。
ワイズモンは柚子の言葉に目を細めた。ああ、良かった。そう笑って、親愛なるパートナーの頭を撫でる。
「でも、辛くなったら言ってくださいね。ワタクシが完全体になり続けている分、パスを繋いでいる貴女の負担も大きい筈ですから」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃったけど、そこは食べてカバーするから!」
柚子の机には大量の栄養ゼリーが積まれていた。冷蔵庫にストックされていたものを、ここぞとばかりに引っ張り出したのだ。
「柚子ちゃんったらアタシらの分まで食べようとしてる! 恐ろしい子!」
「みちるさんとワトソンさんはもっと固形物、食べた方がいいですよ。……それより」
「ん?」
「……」
みちるとワトソン、二人の顔を見つめる。
……言いたい言葉を口に出そうとすると、鼓動が少し早くなって、喉が詰まりそうになる。
ああ、けれど────聞かなければならない。この戦いが終わる前に。そんな思いが溢れて止まらない。
「……その……聞きたい、ことが。……二人に。さっきのことも、今までずっと、引っ掛かってたことも……」
勇気を出して言葉を絞り出す。
鼓動はどんどん早くなる。
ワイズモンは柚子を止めようとはしない。
みちるはきょとんとした顔で、ワトソンに顔を向けた。ワトソンは、腕を組んで考える素振りを見せて
「────そうだね。夜になったら、ゆっくり話そう」
君達、二人だけに。
彼の言葉に、柚子が「どうして」と口に出そうとした──その時。モニターの向こうから、マグナモンの呼ぶ声が聞こえた。……作戦会議の時間だ。マイクを繋いで、仲間達との通信を始めなければ。
思わず振り向くと、ワイズモンが二人を睨んでいた。二人は優しい顔でこちらを見ていた。
「……わかり、ました」
止め処なく湧き出る疑問と不安。
胸に満ちれば苦しくて、どこか怖くて切なくて。それなのに、夜が待ち遠しい自分がいた。
第二十八話 終
◆ ◆ ◆
天の塔。
それは、デジタルワールドの遥か上空に浮遊する建造物。
その役目はデジタルワールドの運営、管理。ホストコンピューターが座する世界の根幹。
セキュリティは当然、非常に堅固なものとなっている。通常のデジモンであれば接近する事さえ許されない。故に、マグナモンの存在が無ければ、塔に収容された子供達を救出することは不可能という事になる。
マグナモンが選ばれし一行に依頼することは二つ。
ひとつは、天の塔にひとり残ったクレニアムモンの破壊。
そして、少女の中で完成するであろうイグドラシルの移送。……尚、子供達の救出は、あくまでそれらに付随するものとする。
イグドラシルの現状については、彼も十分に知るところではない。少女の体内でいつ完成するのかは分からない。だが、世界崩壊までのタイムリミットを危惧したクレニアムモンが、本来の計画を逸脱して独断で動いたことを考えれば──それほど長い日数はかからないのだろう。
それに、わざわざイグドラシルの完成を待つ必要も無い。むしろ完成するより手前に、クレニアムモンを止める必要があるのだ。クレニアムモンは決して、彼らがカノンの側に行くことを許さない。
『────その“クレニアムモン”の計画が実行されるまでの間に、子供達の身に危険が及ぶ可能性は?』
「……回路を失った時点で、肉体は既にその役目を果たしている。彼がこれ以上、子供達に何かをするとは思えない。そこは、回路を移した義体達が身代わりとなってくれる筈です。
ですが……もしクレニアムモンが世界の、イグドラシルの変革を行えば……我らの全てが無から創り変えられるでしょう。天の塔も恐らく消滅します。そうすれば安置している肉体は……」
『単純に、墜落死するということですね』
「ええ、いかにも」
つまり、やはり行動は急いだ方がいい、という事だ。
『確認しますが、そのクレニアムモンは究極体なのですよね?』
「究極体のワクチン種です。……小生では、彼を止められなんだ。ですから……」
「……ウチら完全体になったばかりなんだけど。そこの黒いのにだって苦戦したのに、まともな究極体を相手に戦えって言うの?」
「それならオレ達じゃなぐて、ネプトゥーンモン様に頼んだ方がよかった筈だよ」
いくら数がいるとはいえ、自分達は完全体。戦力を集めたいなら、同じく究極体であるネプトゥーンモンに助力を求めるべきだろう。──だが、マグナモンは首を横に振った。
「彼は海を離れられない。離れてはいけない。彼が海を出れば世界中の水源は加護を失い、毒の汚染が急速に進んでしまう。イグドラシルを救済するより先に、地上に残った生命が全て飲まれてしまってはいけません。
ですが彼と、そして小生から各々方に力を分け与えます。……ネプトゥーンモンのそれは、既に得られているようですが」
「……もう消えちゃっだよ。さっきの戦いで使い切っちゃっだんだ」
「過去の厄災時の記録のままであれば……ネプトゥーンモンの加護は起動してからの持続が一時間。水源が付近に在れば半日。再起動までに六時間の間隔が必要な筈です」
『それでは最低でも、あと六時間は待機する形となりますね。……それまでの猶予はある、という認識でよろしいのですか?』
マグナモンはこくりと頷いた。
子供達は不安げに顔を見合わせる。────捕まっている子供達の居場所も判明し、フェレスモンと対峙する必要もなくなった。
だが、それより強い敵と戦えと? さっき、パートナー達はあんなに酷い怪我を負ったというのに?
「────おい」
その時、子供達の後方から低い声が響く。
「そいつが……そのデジモンが、カノンを連れて行った。……それで、間違いないんだな」
「……ええ」
「あいつを、泣かせたのは」
「……その責任は、小生にも」
「やったのはお前か、そいつか。それを俺は聞いている」
「…………彼女に、イグドラシルを埋め込み……幽閉したのは、彼で間違いありません」
「なら連れて行け。今すぐに」
男は、怒りを必死に耐えているようだった。
「俺が、俺でいられる間に。…………腹が減る前に。でないと」
成熟期、完全体、究極体相当のアーマー体。それぞれのデータを喰らったことで、ベルゼブモンの自我と理性は随分と保たれている。
そして彼は、飢餓状態のうちにマグナモンを手にかける可能性を危惧していた。そうすれば、彼女を救えなくなると理解していたからだ。
「早くしろ。カノンを……」
「…………今は、いけない。準備が必要です」
「連れて行け! ……そいつを殺せばいいんだろう!」
「……っ……調整を無しに送り込めば、各々方の命を散らせる事になってしまう。それだけは駄目だ。
小生は……世界を救い、そしてカノンを貴方に逢わせると。彼女の願いを、<彼ら>の願いを遂げると……自らに誓った。だから……時間を下さい。各々方への調整をする時間を。どうか、どうか……」
マグナモンは膝を着いて男に乞う。今にも彼に飛び掛かりそうな男の前に、メガシードラモンが胴体を割り込ませた。
「……どけ」
「落ち着いで。気持ちが焦るのは分がるけど、助けに行ぐのに死んだら意味ないよ。だがら我慢して」
「…………」
「でも準備って何したらいいのさ。短時間でウチらを究極体にでもしてくれるの? それならウチは乗るけどね」
「……ちゃんど休むなら、天使様の所に戻った方がいい。ここじゃ何もできないよ」
「お、オレも、そう思う……! 治ったって言っても皆、疲れてるだろうし……元気になってからじゃないと」
「そりゃあ一理ある。……というかメガシードラモン、アンタ完全体になったんだから天使共に“様”つけなくてもいいんじゃないの?」
「完全体でも、オレは都市のユキアグモンだがら」
「律儀だねぇ」
「……あ、あなたも……ちゃんと、休もう? ボロボロじゃきっと、パートナーさんだって悲しむよ」
手鞠が、おずおずとベルゼブモンに声を掛けた。
ボロボロ。……その言葉を聞いて、ベルゼブモンはふと自身の腕に目を向ける。
「────」
巻いている赤いスカーフ。少女から借りているそれが、少し破れて焦げてしまっていた。……思わず、胸が苦しくなる。
「フレアモンと、ワーガルルモンも……あの、……み、皆でもう、泣かなくていいように、したいから……そうなってほしいから、だから今は、辛いんだと思うけど……その」
自分では、彼らの気持ちを分かってあげられないだろう。……それでも前を向いて欲しくて、少女はたどたどしくも言葉を選ぼうとした。
フレアモンはそんな手鞠の前に屈む。目を伏せる彼女の頭を、大きな手でそっと撫でた。──けれど、微笑む事ができる程の気持ちの整理は、まだ付けられていなかった。
「……そうだね。一度、帰ろう。……なあ、ワーガルルモン。これが……最後になると、いいんだけど」
「…………、……そうだな」
「マグナモン。……ホーリーエンジェモン達には、お前から説明してくれ。それで全てが終わったら……」
「我らの罪は決して償い切れるものではありません。全てを、受け入れます」
「……。……ああ、そうしてくれ」
『────まったく。……ただでさえ我々の位置情報を偽装していると言うのに、貴方達まで連れて帰ったらどうなる事か……』
ワイズモンはキリキリ痛む鳩尾をさすりながら、転移の準備に入る。ウィッチモン時代の使い魔を生成し、瓦礫の中からホーリーリングを回収した。
「……ワーガルルモン、大丈夫……?」
花那が、心配そうにワーガルルモンを見上げる。
「…………少しだけ……しんどいな。……でも、大丈夫だよ。それより……ああ、そうだ。成熟期に戻らないと。今のまま帰ったら、きっと皆に驚かれる」
無理矢理に作られた笑顔に、花那はかえって表情を暗くした。それを見たライラモンが呆れたような顔をワーガルルモンに向け、それから花那の肩をポンポンと叩く。
「さっさと退化しちまいな。ウチはまだ、テイルモンに戻る前にやっておきたい事があるから」
「……何、するの?」
「アンタ達を怖がらせるような事じゃないよ。まあ、平和的解決ってやつさ。……ちょっとそこの黒いの!」
ライラモンは眉間に皺を寄せ、ベルゼブモンを指差す。
「一発でいい。引っ叩かせな」
それで先程の殺し合いは水に流す。──そう、言い張った。
「ぎぃー。全然ちっども平和的じゃない」
「膝めちゃくちゃ痛かったし、手鞠だってこいつのせいで怪我したんだ。それを平手打ちで済ませてやるなんて可愛いもんでしょ」
「でもオレ達だって、いっぱい撃っだんだから」
「わ、わたし……もう治してもらったし、怒ったりとかもしてないよ」
「こいつがもうオレ達のこど襲わないなら、オレも嫌わない」
「なんだい! それじゃウチだけ嫌な奴みたいじゃないのさ!」
『いいから早くして下さい。というか、また事態が拗れそうな事をしないで下さい。もう胃酸が上がってきて吐きそうです』
「…………」
叩かせろと言われ、ベルゼブモンは顔をしかめてライラモンを見る。そして少しの間、何かを考えて────
「……──お前らが、紛らわしい」
「はぁ!? アンタが勝手に勘違いしたんだろ!?」
「おさえで、おさえで」
メガシードラモンがライラモンに巻き付いた。ライラモンはバシバシとメガシードラモンの胴体を叩く。その光景を、ベルゼブモンは無表情のまま眺めていた。
そんな男の服の裾を、誰かがそっと引っ張ってきた。
男は驚いて振り向き、見下ろす。そこには子供達の姿があった。
「…………何だ」
男が声を掛けると、蒼太と花那は驚いた様子を見せた。どこか気まずさを隠しきれぬまま、それでも一生懸命に話し掛ける。
「な、なあ……あのさ」
「……仲直り……ちゃんと、しておきたくて……」
「────」
男がデジモン達と行動を共にするのは、互いに目的と利害が一致するからだ。
……尤も、ベルゼブモンにとっては世界の救済や毒の経緯などはどうでもいい。カノンを連れ去ったクレニアムモンを食い殺し、彼女を救い出す。それさえ出来れば、他はどうなろうが知った事ではないのだ。
だが、子供達にとっては違う。
「これから私たち、一緒に皆を助けに行くんだから……ちゃんと、友達になりたいよ」
──その単語は知っている。知ってはいるが、男には理解ができない。
「……。……お前達、と?」
「そ、そう。私たちと、一緒にだよ」
「もしかして準備できた後も、一人で行くつもりだったのか?」
訝しげに問われる。──やはり男には分からない。どうして彼らは、そんな言葉を自分に投げ掛けているのだろう。
すると、気付けば他の子供達も、男の所に集まって来ていた。
「あれ、そーちゃんと村崎、もう友達になったの? オレもなる!」
「こ、これからだよ。まだ仲直りしてないの」
「? そんなの、オレたちだったら『ごめんね』、『いいよ』で終わるじゃん。……いや、ケンカにしてはヤバいやつだったけどさ。みんな治ったんだし。
じゃー手っ取り早く仲直り会しようぜ。集合!」
『ですから早くゲートを……。……いえ、準備が出来たら教えて下さい』
「…………」
自分に向けて名乗っていく子供達。ベルゼブモンは、じっと見つめる。
体内の毒がどろりと巡って、一瞬、視界が白くなった。その中にカノンの幻覚を見て──そしてまた、彼の視界に子供達の姿が映る。
この中に彼女はいない。
此処にはいない。早く、見つけなければ。
「俺たち約束するよ。カノンさんのこと、助けるって」
でも────ああ、そうか。『一緒に、見つけてくれるのか』────。
「……、……ベルゼブモン」
「!」
男の視界に、白銀の手が映り込む。
あの時、自分が銃で撃ち抜いた手。それが、自分に向けて差し出されている。
「……僕が、あの時……君の話にもっと耳を傾けていれば、もっと早くに……。……だから、──すまなかった」
その掌にはもう、銃痕は残っていなかった。
「…………僕の、僕らの言葉は……お前に届くか? 毒に、侵されていても……」
男は名前を呼ばれた事を、拒絶することはしなかった。
けれど、差し出された手を握り返す事も、しなかった。
「────触るな」
「……」
「俺が、掴むのは──……」
掴みたかったのは。──もう感覚も忘れてしまった、届かなくなってしまった、白くて儚いぬくもり。
……それに、この手はデジモンを殺すものだ。喰らう為に振り翳す為だけの、毒に染まった黒い手だ。
「…………。……お前は……俺から、毒を浴びている。……もう、触れない方がいい」
「──え?」
それは遠回しでも、侵されていない彼らを気遣う言葉であった。
ワーガルルモンは目を見開く。男は、既に顔を背けていた。
「結構、気難しい奴だな」
ワーガルルモンは初めて、男に向けて冗談交じりに笑ってみせる。
「毒ならもう平気だ。でも……これは君のパートナーを見つけた後に、取っておくことにするよ」
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
そうして、たくさんの生命を犠牲にして。
結局、自分達の力だけでは解決する事もできなかった。
何て様だろう。あろうことか、後始末をも他人に擦り付けようとしている。
それでも、願えるのなら。
「────我が盟友、クレニアムモンを破壊し……我らが神を……その変質を遂げられる前に、在るべき場所へと還して欲しいのです。それで世界は────」
言い終える前に、子供達の視界からマグナモンが消えた。
直後、音を立てて地面に叩き付けられる黄金の姿を見る。
……フレアモンが拳を震わせていた。その表情は、今までにない程の憤怒で歪んでいる。
汚染されたデジモン達に慈悲を与え、ベルゼブモンにさえ致命傷を与える事を躊躇った、その彼が。
『やめなさいフレアモン! そんな事をしても……!』
「……何て、言った? 毒は……毒を、産んだ……? 作った……!? お前達の仲間が!?」
毒の発生原因は、これまで一切不明とされてきた。
ダルクモンも、天使達も、誰も知らない。皆が哀しい天災だと信じてやまなかった。そうでもなければ説明が付けられなかったからだ。──それなのに
「毒を、つ、作って……撒いたのか!? 世界中に!? 災害じゃなくて、お前達がやったのか!!?」
「…………そうです。毒は、我らが……」
「────どれだけ死んだと思ってる!!!!」
怒声が、荒野中に響き渡った。
「何で……どうしてそんなもの生まれた!? どうして生んだんだ!! どうして……っ全部、お前達のせいだって!!?
毒にやられたデジモン達がどんな姿になるか知ってるか……!? 大事な仲間が……自分を殺しに来る時の気持ちが分かるか!?」
毒に飲まれたデジモン達が、それでも生きようと他者を喰らう姿を。
毒に飲まれたデジモン達に、声を掛けて喰われていく仲間の姿を。
仲間を、同胞を、手にかけなければならない気持ちを。
ああ、分かっている。彼らだって止めようとした。悪意があってそんなものを作ったわけじゃない。今の話が、真実ならば。
それでも、その“イグドラシル”が原因で発生した被害はあまりに甚大だ。事情を理解する事が出来たとしても、決して許容など出来るものか。
────何より、毒の黒い水によって犠牲になったのは、デジモン達だけではないのだ。
「……その上、人間の子供達まで……」
ネプトゥーンモン達のパートナーも、過去の厄災で姿を消した子供達も、もういない。
今の子供達は生きているものの、体から回路を抜かれている。──男が持っていたメモの内容と同じだ。
そして何より、男のパートナーは。
その子は一体、何をされた?
「ッ……何て事を……!!」
なんて、可哀想に。
無力な人間の子供達。デジタルワールドに巻き込まれた子供達。その子達の誰も、そんな事は望んでいなかっただろうに。
怖かっただろう。痛かっただろう。帰りたかっただろう。家族の所に戻りたかっただろう。
…………でも、そうか。それが真実だったのか。
ああ、“やっと見つけた”。────どういう訳か、そんな感情が一瞬だけ胸をよぎる。
「────待って、行っちゃだめワーガルルモン!」
「!!」
子供達の声。フレアモンは振り向いて──愕然とした。
「……っ……あ……」
花那と蒼太が、怒りに飛び出さんとするワーガルルモンを止めようとしていた。
二人にしがみつかれながら、ワーガルルモンは目を真っ赤に充血させていた。
涙は出ていなかった。代わりに花那の両目から溢れ、ぼろぼろと零れている。
「ねえ! だめだよ、行っちゃだめだよ……! コロナモンも、もうそれ以上やらないで……!」
「……花那……いいや、離してくれ……あいつは……僕は、あいつを……────!!」
「そいつをやっつけたって皆は帰ってこないんだ!! 俺たちが……助けられなかった、デジモンたちだって……生き返ってくれないんだよ……! だから……っお願いだから!」
「お前達さえいなければ!! お前達が、毒なんて……ッ! 作らなければ!!
返せ!! 子供達も、そいつのパートナーも! 僕らに、皆を……僕とコロナモンの故郷を……!! ……ッ……ダルクモンを……!!」
必死に両足にしがみついて、胸が張り裂けそうになって、明かされた事実が悲しくて、大事な友達の悲痛な様子が哀しくて──蒼太と花那は泣いていた。
「…………ガルルモン」
そして黒い男は、自らのパートナーに「何かをされた」事実を受け止められず、その顔を絶望に染めている。それを心配した手鞠が思わず声を掛けたが、男は目を向ける事さえ出来なかった。
涙の様に、男の両目から溢れる黒い液体。零れて、黄金のベールに触れては消えて。
「…………ああ」
フレアモンの中の激情が、悲しみとやるせなさに塗り替えられていく。
里が毒に飲まれたあの日から、ずっと、何度も同じ事を思ってきた。「どうしてこんな事になってしまったのだろう」────その答えが見つかったのに、心の中は曇ったまま。靄は酷くなるばかり。
「いいのです。彼を、離してあげて」
あらゆる感情が向けられる中、マグナモンは一切、抵抗や自衛といった事をする素振りすら見せなかった。
「怒りも、悲しみも、当然だ。抱かない筈がない」
『……。……それが、長きに渡る毒の厄災の真相と言うなら……。……ああ、ワタクシもどうにかなってしまいそうです。だって、それじゃあただの……貴方達の創造主による自死プログラムではないですか。そんなの無理心中もいい所だ!!』
ワイズモンは思わずデスクを殴りそうになった。握り締めた拳を震わせ、歯を食い縛る。
『ッ……それでも……貴方を殺せば子供達は救えない。何も解決しない。それが、現実だなんて。……本当に気が狂いそう……!』
「────矛盾しているとは、思って、いるのですが」
大地に転がったまま、マグナモンは憔悴しきった顔で灰の空を見上げる。
殺されて然るべきだと、彼自身そう思っている。けれどそれを成してしまえば、世界は本当に救えなくなってしまうのだ。──クレニアムモンを止める為には、マグナモン自身の手で天の塔に戦力を送り込まねばならない。
すると、様子を眺めていたライラモンが、声を出しながら大きな溜息を吐いた。
「いい加減にしてよ。埒が明かない」
ボリボリと後頭部を掻き毟る。
「……はあ。不本意だけどさ、今はワイズモンの奴に賛成だ。結局こいつの言う通りにしないと捕まってる奴らは助けられないんでしょ? じゃあ殺せないじゃん。此処でどうこうしたって何にも成らないじゃないの。
でも、フレアモンとワーガルルモン……そこの黒いのが、こいつを殺してやりたい気持ちもわかるよ。────だからさ」
花弁の掌から新緑の光線が放たれた。
マグナモンの尾に穴が空く。ライラモンは無表情のまま何度も撃ち込む。────マグナモンは、自身の尾が千切れるまでそれを受け入れた。
千切れた青い尾が地面に転がる。それを、ライラモンは掴み上げた。
「……これでひとまず終いにしてよ。アンタ達」
『────貴女……』
ぶらぶらと掴んだ尾を揺らしながら、無抵抗のマグナモンを見下ろす。
「それより、究極体サマの割には随分と脆いじゃないのさ。 ……あれ、アーマー体だっけ? どっちでもいいけど」
「…………ええ。本当に、恥ずかしい程に」
「ウチは毒のせいで何か損したわけじゃないし。こいつら以外に別段、思い入れがあるわけでもない。そんで全員まだ無事だから、お前に対して特に何の感情も湧かないんだけど。
でもさ、流石に……あんまりじゃないの。とは思っちまう。もう見てられないよ」
尾の切断面から、ぼたりぼたりと血が垂れて、地面を染めた。
マグナモンの黄金の鎧が、自身の血液で赤く汚れていく。
フレアモンとワーガルルモンは目を見開いていた。メガシードラモンが、血溜まりの中のマグナモンをそっと見下ろす。
「傷、早ぐ塞がないど、死んじゃうよ」
「…………そうですね。まだ、今は……死ぬわけには」
「……」
メガシードラモンは目を伏せながら、マグナモンの傷口を凍らせ止血した。それを止める者はいなかった。
「ああ、そうだ。……アンタ、これ喰うかい」
ライラモンは千切った尾をベルゼブモンに投げつける。
「生憎ウチらはゲテモノ食いじゃないんでね。
でも喰う代わりに、絶対こいつを撃つんじゃないよ。……アンタのパートナーを見つけたいなら」
ベルゼブモンは青い尾の断片を見つめる。マグナモンはそれを受け入れるように、ベルゼブモンの障壁さえも消滅させた。
「…………────カノン」
男はそれを拾って、掴み上げ、勢い良く噛り付く。
皮膚を、肉を喰い破り、飲み込む。最後の一欠片を喰い終えるまでずっと、その目は憎しみを込めてマグナモンに向けられていた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
彼が告白した、自らの“責任”。
それがどこまでの事象を指しているのか、一行には分からない。
しかし少なくとも、男が暴走する原因となった人間を連れ去ったのが、彼であることは間違いないのだろう。
……ならば、
『他の子供達も貴方が?』
賢女は問う。
『ダークエリアのフェレスモンと共謀し……リアルワールドから子供達を連れ去った。その責任が貴方にはあると?』
仮にそうだとするなら、今まで抱いてきた疑問の幾らかには説明が付く。
フェレスモンの城に施された特殊な結界。リアライズ時に肉体の負荷が軽減される特別な腕輪。……究極体相当のデジモンがどこまでの技術を持っているかは不明だが、これまでの行為を考えれば──彼らの手に依るものと判断して良いだろう。
「……フェレスモンなる個体に干渉したのは、小生ではありません。ですが子供達という存在を求め、結果リアルワールドから奪う形で我らの塔に収容した……その主犯が我々である事は、紛れもない事実です」
つまり、フェレスモンが言っていた“同志”はマグナモンではないが、彼と同様のデジモンが別に存在する──という事だろうか。ワイズモンは続けて問おうとしたが────その前に、真っ先に確認しなければならない事がある。
『────彼らの安否は』
「全員、生きています」
マグナモンは迷いなく答える。子供達の無事に、一行はひとまず胸を撫で下ろした。
未帰還者達を救出すれば、失踪者全員がリアルワールドに帰還する事になる。オーロラ事件は晴れて解決だ。
しかし何かが明らかになる度、疑念も生まれる。
そもそもどうして突然、このデジモンは自らの罪を告白しに現れたのか?
フェレスモンは子供達を連れ去った理由を、『世界を救済する為』と言った。その為に、子供達の中に存在する特殊な回路を利用しようとした。
だが、世界にはまだ毒が溢れている。救済されてなどいない。
もし彼が、救済の為に子供達を利用した黒幕だったとして。しかしその責任を追及するのは今ではない筈だ。
世界を救えないと判断し、子供達だけでも逃がそうとしているのか? ……そうであれば、少なくとも収容している子供達はとっくに逃がしているだろう。
『……』
ワイズモンは思わず、みちるとワトソンに目を向けた。
何故か不機嫌な少女と、相変わらず無表情な青年。
『……二人とも、彼に問いたい事は?』
『ボクらが? ────いいや、何も』
青年は肩を竦めてみせた。
『キミが聞きたい事を、しっかり聞けばいいと思うよ』
彼の言葉が意味するものを、ワイズモンはそれ以上問い質そうとはしなかった。
けれどいくつもの言葉を飲み込んで──ただ、『そうですか』とだけ答えた。
────マグナモンの前に子供達が連れて来られたのは、およそ二十日ほど前の事。
数は十名。丁度、過去の選ばれし子供たちの人数と同じ。
その後、ベルゼブモンのパートナーが加わり、収容された人間は全部で十一名。
そこまで聞いて、ワイズモンは思わず眉を潜める。
データ上の未帰還者は二十名近くにも及ぶというのに、塔の内部に十一名しかいない?
『それでは、あまりに数が合わない』
「そちらのデータと差異があるとすれば、小生らのもとへ移送される以前に発生したものでしょう」
ブギーモン達がリアルワールドを襲撃した件に、マグナモンは直接関与をしていない。把握できるのは、あくまで塔に招き入れた後の話だ。
「現状、この世界で生きている人間は……塔の子らと各々方のみです。他は……」
「……アンタ、何でそう言い切れるの。本当に生きてるか死んでるかなんて……世界中、飛び回って確認でもしたワケ?」
「小生は事前に、未だ世界に残る生命の情報を確認しています。誰が何処で生きているのか。それは人間も例外ではありません」
遍く生命の情報。その管理は本来、神たるイグドラシルのみに許された行為だ。
しかし、管理サーバーへの接続権限を譲渡されたマグナモンには、その御業の模倣が可能となっている。デジタルワールド上におけるデジモンと人間、それぞれ全ての生命情報を検索し、尚且つデジモンに関しては“デジコアの状態が完全体レベル以上”である事を条件に絞り込んだ。
──それこそが、彼が選ばれし子供たち一行に辿り着いた理由である。
「……じゃあ、海の王様の……ネプトゥーンモン様の、パートナーは……」
事実を突き付けられたメガシードラモンが、声を震わせる。────マグナモンは、黙って首を横に振った。
「……そんな……」
「待ってよ、オレたち……約束したんだ。ネプトゥーンモンさんのパートナー、見つけたら絶対、連れて帰るって……」
オーロラ事件の被害者、器と成った少女、選ばれし子供たち。
デジタルワールドに生きているのは彼らだけだ。今回の失踪者でさえ何人か蒸発している。ならば、過去の厄災の子供達はとうに────
「……フレアモン? 頭、痛いのか……?」
蒼太の隣で、フレアモンが急に頭を押さえ出す。
「…………いいや、……ごめん、大丈夫だ。……続けてくれ」
酷い眩暈だ。それに視界が点滅して、眼球の裏が熱くなるのを感じる。
理由は、分からない。ネプトゥーンモンのパートナーが生きていない事がショックだったから? 数が合わない子供達の死を、かつての子供達の死を、否定できなくなってしまったから?
「────どうして……」
『マグナモン。話を続ける前に、彼らの障壁を取り払ってもらえませんか。肉体の修復は完了しているでしょう。……フレアモンとワーガルルモンの、精神データの揺らぎが大きい』
「……そうですね。子供達と触れていた方が、きっと彼らも落ち着ける」
マグナモンは再び腕を上げる。すると、ベルゼブモンを除く全員の障壁が消滅した。
子供達はすぐにパートナー達に駆け寄った。ライラモンは手鞠を抱き寄せ、誠司は悲しそうにメガシードラモンの胴にしがみついた。
花那は、穴が塞がった白銀の手をそっと握る。そして蒼太も、ファイラモンの腕に静かに手を重ねた。
マグナモンは目を伏せる。
「…………本当に……人間の子供と、デジモンは……繋がっているのですね。大切な、回路で……」
「……僕らは別に、回路があるから友達になったわけじゃない」
廃墟で出会った少年と少女。自分と花那がパートナーになったのだって、偶然、それぞれ最初に触れた相手がそうだっただけの事。逆の可能性だってあっただろう。
だから──回路なんて、本当は無くても良かったんだ。
「確かに、物理的な繋がりだってあるのかもしれない。でも……この子達が大切だから。僕らは一緒にいたし、戦ってきた。
……僕らだけじゃない。そいつも、きっとそうなんだろう。毒にやられても、あんなになっても、僕らを殺してでも……それでもパートナーを探そうとしていた。僕らの知らない絆があったんだ。……それを、お前は連れて行った」
「────」
ベルゼブモンは顔を上げた。
……先程まで喰らわんとしていた相手は、自分に向けていた筈の怒りの眼差しを──自分ではなく、目の前の黄金に向けている。
「こいつから、ネプトゥーンモン達からパートナーを奪って……子供達の回路を使って、何をするつもりだったんだ? この子達の回路も使うつもりで迎えに来たのか? ……子供達に、お前達は一体何をした」
今、この世界の何処かで生きている子らに。
もう、何処にも生きてはいないだろう子らに。
何より、自分達が大切にしているこの子達に。
──当然の詰問だと、マグナモンは思う。
語らない理由がない。彼らには、真実を知る権利があるのだから。
だが、一つだけ懸念することがある。
「────よろしいですか?」
そしてマグナモンは、虚空に語り掛けた。
「よろしいですね?」
誰に向けての言葉なのか。誰も理解できないまま────黄金の騎士は、世界の罪を懺悔する。
◆ ◆ ◆
神は世界を創り。
神は我らを創り。
そして、数え切れない光を注いだ。
遍く生命は、増えて、増えて、増えて、増えて。
「────説明を求めます。盟友デュナスモン。世界が膨張していると?」
『言葉の通りだマグナモン。各方面を管理する他のロイヤルナイツからも、同様の報告が上がっている』
そして世界も、膨らんで、膨らんで、膨らんで。
『此のエグザモンの眼にも鮮明に映りましたとも。我らが空の果てはどこまでも、どこまでも。以前より確実に広がっているのです』
<スレイプモン卿よりホットライン。コネクト、オーケー。通信を開始します>
『──異変は我が守りし遺跡にも起きている。主から分離した生命の創生プログラムにおいて、近頃エラーログの蓄積が顕著だ。恐らく、デジタル生命体の増大に依るものだろう』
「……それが世界の膨張と関連している可能性は高い、という事ですか。
分かりました、早急に対策を立てましょう。可能であれば貴殿らには直接、天の塔へと集まって頂きたい。他の騎士にも招集をかけます」
<通信終了。──クレニアムモン卿よりイントラネット着信要求。応答を開始します>
『……マグナモン』
「ああ、クレニアムモン。丁度良かった。貴殿に急ぎの話が──」
『来てくれマグナモン。イグドラシルのご様子がおかしいのだ』
増えて、膨らんで、溜まって、破裂して。
身体に満ちた涙が溢れ出すように、神は毒を産み落とされた。
そして世界を雲が覆う。生まれた毒の泥を、全ての命に等しく注ぐ為。
「──なんて事だ。我らが主から、こんなにも……おぞましい泥が……」
「狼狽えるなクレニアムモン。……だが、悠長に会議する余裕も無い。我が君を止めねば世界が滅ぶぞ。イグドラシルの緊急停止もやむを得ん」
「しかしデュークモン! そのような事は決して……我ら騎士は、イグドラシルをお護りする為に……!」
「卿が憂う必要は無い。神が愛した世界を救う名目のもと、汚れ役はこのデュークモンが請け負おう。
……嗚呼、許し給えイグドラシル。我が聖槍グラムを御身に向ける事を──」
清らかなる毒は、初めに我が子を焼き溶かした。
溶けて、溶けて、雨雲が揺らいだ。
「────そんな。デュークモンの、身体が」
「クレニアムモン、貴殿らも退避を! 無暗に接近すれば飲まれてしまう……!
小生が防御壁を張ります。最早この御殿を封鎖するしかありません!」
「けれど我が君をこのままには……、……!! 待て、ロードナイトモン!」
「何故ですかイグドラシル!! ……デュークモン……ッ! 何故、何故……! 御身から産まれた彼を喰らうだなんて、私共の事がお分かりでないのですか!?」
「いけません! 我が主に近付いてはいけない! ロードナイトモン!!」
「私です我が君! 御身が創り上げた薔薇の騎士です! この美しき鎧は御身から……イグドラシル……!」
毒はどこまでも溢れていく。
薔薇輝石の騎士を飲み込み、そしてまた雨雲が揺らいだ。
高貴なるウィルス種が溶けた雲は変貌し、溜め込まれた涙も性質を変化させた。
愛しき主への執念の様に。ウィルス種を、溶かしながら生き永らえさせる毒へと。
「……イグドラシルを止められぬ以上、毒を止めることもまた不可能だ。ならばせめて、イグドラシルに最も近い身である我らで堰き止めるしかあるまい」
「オメガモン……貴殿は、何を」
「イグドラシルから生み出される泥に、天の塔そのものが汚染されていないのであれば……それと同質の結界を張れば、せめてこの地で堰き止められるかもしれない」
「ですが、どうやってそれを……。…………まさか、」
「当然、それを成すのは我が身だとも。それ以外に無いだろう?」
「ならば小生が! 小生の防御壁と組み合わせれば、結界の力もきっと強く……!」
「そういえば。……塔のシステムに最も詳しいのは、君とクレニアムモンだったな」
「……え?」
「マグナモン。君は守護の要だ。彼と残って、イグドラシルと塔を守れ。
他の騎士は異論が無ければ……我が身が滅びし後、結界が壊れぬように力を貸して欲しい」
湧き出る毒を堰き止める為、騎士がひとり礎となった。
空に結界が張られた。雨雲が、少しだけ薄くなった気がした。
けれどそれでは足りなくて、またひとりが礎となった。
ひとり。
またひとり。
足りなくて、足りなくて、またひとり。
「────どうか、我らが築く結界が世界を守り切る姿を……見届けてくれ。友よ」
やがて二人を除いた全員が、空の上で礎と成った。
それでも天の雨雲が消えることは無い。神の衰弱も止まらない。
そして。
地上で抗う子らは、電脳世界の生みの親である“人間”に救いを求めた。
連れ去り、選定し、回路を繋ぎ、生き残る為にもがいていた。
その生き様の、なんと素晴らしい事。
人間の可能性よ、回路の可能性よ、それはまさしく希望の光。
故に。
子供達を奪い。回路を奪い。礎の騎士に接続させた。
しかし回路に火花が咲いて、このままでは使い物にならない。
接続に耐え得るであろうデジモンからコアを奪い、介することで安定させた。
回路はその後、焼失したけれども。
しかして、聖なる騎士達の礎から成る結界は完成し、世界は救済されたのだ。
めでたし、めでたし。
◆ ◆ ◆
──そんな平穏が、永続するわけもなく。
礎の騎士の崩壊と共に、結界はひび割れ朽ちて。
そしてまた、世界に雨が降り注ぐ。
新たな子供達を求めた。新たに子供達を集めた。
ああ、今度は正しく繋がなければ。
最初から安定した接続を。回路が焼き切れないように。
故に。
我らは肉体から回路を奪い。
我らは義体を創り上げる。
人間に近しい構造の人形を。それは神の真似事の様に。
それに繋ぐは騎士でなく、根源たる我らがイグドラシル。
人形と、過去に奪ったデジコアと、我らが神との接続を。
彼らがデジタル生命体に施す光を、我らが神にも与えられんことを。
────そうして世界は救済されると、今度こそ信じて、いたのだが。
「ああ、クレニアムモン。何て事を」
電脳の神は人間の肉体に宿り、完成の時を待つ。
その後も産まれ落ちる事無く、変質の時を待つ。
人形と、デジコアと、神が宿りし肉体との接続を。
世界は救われるだろう。
変質を遂げた我らが神の御手により、全てが無から創り直されるのだ。
めでたし、めでたし。
◆ ◆ ◆