
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
燃え盛る生命の灯。迸る生命の血潮。
色を失くした彼らが、求めて止まない清らかな輝き。
ああ、けれど、そんなものより。
男には、欲しい者が在ったのだ。
*The End of Prayers*
第二十七話
「光を灯して」
◆ ◆ ◆
勢いと共に飛び散る赤色が、灰色の地面を鮮やかに彩った。
鮮やかに、華やかに。────そんな感想を抱いたのは、赤い絵の具を撒き散らしている張本人だ。突如として引き離された神経が、数秒の長い時間を経てようやく事態を自覚する。
決して鋭利ではない歯が、自身の肉を容赦無く裂いていく。
足が────喰われている。
「────が、ぁあ゛ああああああッツ! あああああああ!!」
荒野中に絶叫が上がった。子供達の悲鳴が響いた。
ガルルモンは必死に抵抗する。激痛とショックに苦悶の叫びを上げながら、男の顔面に炎を吐き続けた。
けれど必死の抵抗も虚しく、彼の前肢は確実に質量を失っていく。
ガルルモンに何が起きたのか──仲間達にとって、それは遠目からでも明らかだった。何よりガルルモンの絶叫が全てを物語っていた。
誰より大きな声で、ファイラモンが友の名を叫ぶ。救いに駆け付けようとする。──しかし背後でメタルティラノモンが唸り、彼がガルルモンのもとへ駆け付けるのを許さない。
堪えかねた蒼太と花那が走り出した。それを柚子が止めようとした。……だが、止まるわけがない。感情のまま泣き喚くように声を上げ、ガルルモンのもとまで走って行こうとする。
「────……」
その姿を見たベルゼブモンは、白銀の肢から口を離す。
顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。血に濡れた顔は子供達に向けられていた。
それに気付いたガルルモンが、行かせまいと男の足に噛みついた。けれど男の視線は、変わらず子供達に向いたまま。
「────返せ」
重くのしかかるような声が、小さく零れた。
「人間を、返せ」
そして、自分を見上げる獣の顎を蹴り飛ばす。子供達がいる方向へ、ゆっくりと足を進める。
子供達の姿が鮮明に見えてくる頃、男は手を伸ばした。そっと、彼らに向けて────
『あ……アクエリープレッシャー!!』
男の行く手を阻もうと、柚子の使い魔が立ち向かう。
『逃げて! 早く!!』
「────」
『あっち行け! 皆に近付くな!!』
正面から何度も、あらゆるコマンドを使い黒猫に攻撃させていく。しかし男は表情を一切変えず、そして動きを止めることもない。
どう転んでも不利な状況。ウィッチモンは子供達だけでも緊急転移させる必要があると判断し、大声で仲間達に呼びかけた。
『誰か……! 一体でいい、そこから離脱シテ! 子供達を連れてホーリーリングを────ッぎゃあっ!!』
『!? ウィッチモ……』
ウィッチモンが悲鳴を上げて腹部を押さえる。亜空間のスピーカーから、咀嚼音のような酷いノイズが響き出した。
使い魔が喰われたのだ。
男に攻撃し続けていた黒い猫。掴まれて、頭部を喰われた。
『……ッひ……ぐ、ぅう……ぁッ!』
そして次に胴体。遠く伸びた下半身まで、捕食されていく。
いくら使い魔とはいえ自身の一部。ただ攻撃を受ける事と、根元から捕食される事とでは、ダメージの度合いが違いすぎる。
『ウィッチモン……ウィッチモン!!』
『……フーッ、ぅ、──っぐ……』
『は、早く手当てしないと……!』
『……な、……んで……こんな……』
激痛に歪んだ顔からは、大量の脂汗が滲み出ていた。なんとか残った使い魔の音声機能を奮い立たせ──交戦する仲間達に、絞り出すように伝える。
『み、皆サン……! あれ、は……毒に、汚染されテる……! ……データ、ベース……照合エラー……しかし、完全体以上、である、ことは……』
「……。……、……どうして」
意識を朦朧とさせながら、ガルルモンが虚空に問う。
「……毒……。……毒なら……どうして……」
名も知らぬ黒いデジモンは、確かに言葉を発していた。
意志と意味を持った言葉を。はっきりと、『人間を返せ』──と。
「……子供たちを……。……花那、蒼太……」
滲む視界。男の背が遠のいていく。
遠くで仲間達の声が聞こえる。メタルティラノモンの雄叫びに混ざって。
『……誰か……誰も、動けない、デスか……誰か……』
『どうしよう、どうしよう……! 治し方なんて分からない! ウィッチモン……!』
柚子は気を動転させて取り乱し、ウィッチモンは痙攣している。もう一体の使い魔は完全に動作を停止させていた。
『────だから言ったのに。すぐ逃げないからだよ。ほら、しっかり』
そんな二人の肩を、ワトソンが後ろから抱き寄せる。
『わ、ワトソンさ……』
『ゆっくり深呼吸して。二人ともだ。
それとウィッチモン。もう一匹は食われないようにね。皆をモニタリングできなくなるから』
『……、……』
『落ち着くまで代わるよ。大丈夫。柚子ちゃん、彼女をしっかり抱いてあげてて』
『既にヤバすぎ案件だけど、逃げるの第一弾は失敗しちゃったし? ギリギリ頑張ってみよ! ここで死なれちゃ困るからさ!』
みちるはウィッチモンの背を優しく撫でると、デスクに乗り出す。すると──モニターの向こう側、襤褸切れのように痩せた使い魔が現れた。
それは猛スピードで男をすり抜け、ガルルモンの側へ。動きを止めていた使い魔も再起動し、ファイラモンとシードラモンのもとへ向かった。
『皆ー! 慌てず焦らず周り見てー! 落ち着かないと死ぬからねー!』
張り上げられる声に、テイルモンが表情を歪めた。
「こんな状況で落ち着けって言うの!?」
『いえす! まずはそこから離脱だ!
シードラモン、距離を取って氷柱をたっぷりお見舞いしてやって。顔面ね! それ以外は撃たなくていいからねー。
ファイラモンは背後に回って。そしたらテイルモンはそこから飛び降りてね。このままじゃ首を取る前にナイフが鈍になっちゃうぜ?
それからは交互に位置を撹乱させて……あ、攻撃モーション見逃さないでね! その隙にテイルモンを馬車まで送ってあげるの。テイルモンは皆とゴーホームよ!』
『ガルルモンくん、動ける? 動けるよね? いや、位置は移動しなくていい。撃たれるから。そこでシードラモンくんをフォローして』
────負傷したウィッチモンの代打とはいえ、二人は非常に手際よく指示を出していく。柚子はただ目を丸くさせ、口を出すことができなかった。
『ほらほらシャキシャキ動いて! ──ファイラモン!!』
「でも、ガルルモンが……!」
「ぎぃ……! ファイラモン……おれたちが生きなぎゃ、ガルルモンも助げられない!」
「……ッ……!」
ファイラモンはよろめきながら飛び上がる。シードラモンはありったけの力を込めて、メタルティラノモンの足元から壊れた馬車までを氷付けにした。
「……ファイラボム……ッ!」
「アイスアロー!!」
メタルティラノモンの顔面に放つ。ファイラモンも火炎弾を撃ちながら背後に回る。
「テイルモン……飛び降りろ!」
「────くそっ……くそ! ふざけないでよ! ここまでやったのに!!」
「早く!!」
ファイラモンが叫んだ。テイルモンは悔しさに歯を食いしばり、今ここでナイフを止めることを躊躇った。ファイラモンは彼女のすぐ側まで飛び上がると、返り血で染まった小さな身体を強制的に離脱させた。
「あとちょっとだったんだ! そうしたらアイツを倒せたのに! 皆で助かった筈なのに……!!」
「ごめん、ごめんな! でも今は……!」
「分かってる!! ……行くなら急がないと、ウチらまとめて焼かれるよ! どうやってあそこまで行くつもり!?」
「俺たちで注意を引く! メタルティラノモンも、あのデジモンも……」
「……それじゃアンタたちが……」
「あの子たちを頼む。お願いだ。都市まで逃がしてあげてくれ。────シードラモン!」
「コールドブレス!!」
「……アイス……ウォール……!」
ガルルモンとシードラモンが氷の壁を乱立させる。テイルモンの移動を目視させない為だ。シードラモンが次いで氷の舟を創り上げ、飛んできたファイラモンがテイルモンを押し込める。────そして、シードラモンは傷だらけの尾を振るい、舟を弾いた。
アイスホッケーのように、テイルモンは氷の道を滑走していく。その軌跡を悟られないよう、ガルルモンが更に氷壁を張り巡らせる。
『……よし、良い感じだ。でもすぐには着かないから、それまでは……』
『頑張って逃げまくろー! 解散!!』
ファイラモンが男の元まで翔ける。その姿を横目で見送り、シードラモンはメタルティラノモンと対峙する。
「…………ぎい。……せーじ……」
思わず、パートナーの名前が零れた。
身体は既にボロボロだ。そもそも、まともに戦って勝てるわけがない。けれど状況を遅滞させられるか否か──今の自分に出来ることはそれだけだ。
『シードラモンくん、無理はしなくていいよ。だけど皆が逃げるまでは耐えて』
「うん。時間、稼ぐよ。みんな逃げられだら……その時は、教えでね」
シードラモンの声は、少しだけ震えていた。ワトソンは僅かな沈黙の後、『約束するよ』とだけ答えた。
◆ ◆ ◆
蒼太と花那は、目の前に聳える氷の壁を、力が抜けた顔で見上げる。
花那は放心しながら膝を着いた。蒼太もまた、起こった現実を受け入れられないでいた。
ガルルモンが撃たれた。……喰われた。
使い魔もやられてしまって、柚子達の声が聞こえない。痛そうに声を上げていたウィッチモンは大丈夫だろうか。──遠くで皆が何かを叫んでいたが、うまく聞き取れなかった。
助けに行けなかった。このままではガルルモンが食べられてしまう。見えない壁の向こうで何が起きているのか、恐ろしくて想像もできない。────どうして、こんなことに。
「……」
でも、と。蒼太は思う。
この壁が作り上げられた。そして今、別の場所にも作られている。
それはガルルモンが生きている証拠だ。彼はまだ食べられていないのだ。……きっと。
「────か、花那……」
「……やめて……」
「花那……しっかり……」
「ガルルモンのこと、食べないで……」
「っ……まだ生きてるよ……! だから、ほら!」
花那の手を引いて、馬車まで連れて行こうとする。花那はそれを拒み、手を振り解いて壁の向こうへ走ろうとした。
「行っちゃだめだ! 今は……」
「何で!? ガルルモンが食べられちゃうのに!?」
「いいから……!」
説得など出来ぬまま、それでもなんとか馬車へと戻る。壊された荷台の下で、誠司が必死に手鞠の看病をしていた。
「──そーちゃん……村崎……。……ガルルモンは……?」
「…………まだ……生きてるって、ことしか」
「そんな……! やばいじゃん、このままじゃ──」
「誠司。……俺、思ったんだ。あいつの狙い……多分、俺たちだ」
「…………は?」
壁の先から銃声が響く。次いで叫び声が聞こえた。──ファイラモンの声だった。
蒼太は唇を噛み締める。花那の顔からは更に血の気が引き、両目から大粒の涙を溢れさせていた。
手鞠は恐怖に身体を震わせていた。もう役に立たない後輪の破片を、呆然と見つめるしかなかった。
「……わたしたちのこと、狙ったから……だから馬車、壊したの……?」
一歩違えば、砕けていたのは荷台ではなく自分達だったのかもしれない。
蒼太は「うん、でも」と、肯定とも否定とも取れる返事をした。
「殺すつもりだったかは分からない。ただ、俺と花那のこと見て……ガルルモン食べるの止めて、こっち来ようとしたんだ。全員殺すつもりなら、ガルルモンを……食べた後だって良かったのに」
「……じゃあ、何の為にオレらを? フェレスモンさんの時みたいにするのか?」
「そんなの俺が知るわけないよ。だけど、もし捕まえるのが目的なら────」
蒼太は深呼吸をした。深く、深く。そして──
「────バラバラになろう。此処から離れて、バラバラになって逃げるんだ。そうすればアイツは……きっと、俺たちを追ってくる」
囮になって、気を引いて、ひとりでも多く逃げられるように。
それは──下手をすれば、巻き込まれて死ぬかもしれない。そんな無謀な作戦だった。けれど、少年にはそれしか浮かばなかったのだ。
「……なあ、マジで言ってんのかよ」
「……冗談なわけないだろ」
「無茶だろそんなの! み、宮古さんは……走るどころか逃げられないよ、こんな足で!」
「お、俺だけでもいい! 俺だけでアイツを……」
「それじゃそーちゃんが危ないだろ!」
「か、海棠くん……!」
手鞠が遮るように声を上げた。
「心配してくれて、ありがとう。でも……わたし、大丈夫。平気だよ。遅くても歩ける……」
「で、でもさ……!」
「それに……わたしだけ、ここで何もしないで待つのだけは嫌。チューモンたちが食べられちゃうところなんて見たくない……!」
挫いた片足を庇いながら、散らばった擲弾を探そうとする。
それを花那が止めた。無理に動いてはいけないと制止する。──手鞠は、自分だけ怪我をした事で力になれないのだと思い、悔しさで泣きそうになった。
「……ちゃんと、歩けるから……」
「もっと酷くなっちゃう。ねえ、手鞠はここにいて」
「そんなこと、言わないで。わたしだって……」
「違うの。……手鞠。私ね、蒼太の案に乗るよ。でも……全員が絶対、ここから動かなきゃいけないわけじゃないんでしょ?」
花那の視線に、蒼太は頷いた。
「……うん。それに、俺が勝手に言ってるだけだ。さっき言ったけど、俺だけでもいいんだ。だってこんなの、絶対に危ないから……だから花那も」
「友達がそんなことするのに私がやらないわけないじゃん!
早くしないとガルルモンも、ファイラモンも、皆だって死んじゃうんだよ……!」
花那は、散らばった武器をありったけ集めてきた。
そして「どれを使うつもりなのか」と。蒼太の目を見て、真っ直ぐに問う。
「……使えるなら、全部。きっとアイツらの注意を引ける。動きだって止められるかもしれない」
「じゃあ、それが成功したら?」
「もし上手くいったら……近くにいるデジモンと合流する。誰でもいい。そのまま遠くまで逃げて、またどこかで集まって……そうすれば、都市まで逃げられるんじゃないかと思う」
「……よかった、そーちゃん。流石に逃げるつもりはあるんだね」
誠司は冗談交じりに言ってみせたが、その顔は引きつっていた。「死にたいわけないだろ」と、蒼太も頬の筋肉を無理矢理に上げて答える。
「そこでさ。……花那。もしやってくれるなら……アイツらからなるべく離れた所まで走って、信号弾を使って欲しいんだ。それから宮古がここで信号弾を撃つ。アイツに、俺たちがどこにいるのか混乱させるんだよ」
撹乱目的の信号弾であれば、わざわざ男に接近する必要も無い。距離を取って、まだ安全に使うことが出来る。だが、それを放つピストルは二丁しか存在しない。二人で定員だ。
「俺は……少しでもあいつらの近くで、こっちの爆弾を投げる。近い方が効果あるだろ」
少しだけ数が減った、聖なる手榴弾に目を向ける。
距離が近ければ近い程、その効果はより強く得られるだろう。しかし同時に男に捕まる、もしくは巨体の攻撃に巻き込まれる可能性も高くなる。──それは、分かっているつもりだ。
「でも……やっぱり、怖いからさ……。……たくさん持って行かせてよ。悪いけど……」
「────何言ってんだよ。半分こだろ。オレもやるんだから」
「……誠司……」
「ていうか、なんでオレだけ作戦から抜こうとしてるの。ひどいじゃんか」
誠司は声と歯を震わせながら、持てる限りの擲弾を腕に抱えようとする。
蒼太は滲む涙を必死に堪えて、「それじゃ投げれないだろ」と言って笑った。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
────そして。
選ばれし子供たちは、氷の壁に向かい立ち上がる。
轟音と銃声と叫び声、血のにおいに満ちた向こう側へ。
先頭を行くのは花那だ。
「……」
胸が高鳴る。緊張が渦巻く。
──屈む。信号拳銃を片手に、溶けた氷で濡れた地面に手をついて、クラウチングスタートの体勢を構える。
「……よーい……」
ドン。自身の掛け声と共に走り出した。
壁を抜ける。男と真正面から当たらないように、懸命に周囲を確認しながら。
「────ッ!!」
視界の中、毛並みを赤く染めたガルルモンが立っているのを見た。
ガルルモンは花那を呼び止めた。それでも、走り続けた。
走り抜けていく少女に、男は一瞬だけ目を見開く。銃を下ろし、追おうとする。
続けて蒼太が、そして誠司が走り出す。
『────げ、ちょっとあの子達ウソでしょ!? 何してんのー!?』
想定外にも程がある子供達の行動。みちるは驚愕の声を上げた。しかし悲しいかな、離れた使い魔からの音声では子供達に届かない。
少年達は息を切らせて走っていく。鉄くさい空気が肺に入り込んで気持ち悪い。
土煙の中、誠司は必死にパートナーの姿を探した。
「! し、シードラモンが……! ティラノに捕まってる!」
「誠司! 一発目だ!!」
二人同時に擲弾の栓を抜き、ありったけの力を込めて投げる。
飛散した粉のいくらかは風に流されていってしまった。──それでも、ほんの数秒。まさに今、シードラモンを喰おうとしていた巨体の動きを止めたのだ。
シードラモンはその隙に氷矢で身を包む。自身を掴む掌との間に、僅かな空間をこじ開けた。
ずるりと地面に落下し、どうにか命を取り留める。しかし喜ぶ様子はなく、少年達に向かって何かを必死に叫んでいた。だが、メタルティラノモンの呻吟する声に掻き消される。
「やった! ……けどダメだそーちゃん! 男の方に効いてない!」
「そんな……どうして……!」
粉は男の方向にも、少なからず流れて行った筈。だが、男が苦しむ様子は一切見られない。
どういう事か困惑する。蒼太は、あの黒い男は毒に侵されていると思い込んでいた。男の立ち振る舞いは、幾度も目にしてきた汚染デジモンとよく似ていたからだ。
ウィッチモンと柚子なら知っているだろうか。しかし使い魔は目の前で喰われ、もう一匹もどこにいるのか分からない。孤立した子供達には、情報を得る術が無かった。
──その時だ。先頭を走る花那が信号弾を放った。
火薬が詰まった星弾は煙を吐いて空に昇り、破裂する。
周囲を照らす鮮やかな光。メタルティラノモンは────それを、じっと見上げた。
「────、ぁ────」
両手を伸ばす。
瞬間、シードラモンが背後に回った。抉れた頚部に氷柱を突き刺していく。
響く叫び声。メタルティラノモンの両手から、エネルギー弾とミサイルが発射される。
それらはいずれも空に放たれ、何処に墜落するかが予想できない。
──無差別に着弾すれば、飛び出した子供達が巻き込まれる。ファイラモンとシードラモンが慌てて迎撃しようとして────
「────」
ベルゼブモンが銃を構えた。
乾いた二発の銃声が響く。
放たれた銀の弾丸が、メタルティラノモンの左手首とミサイルを一瞬で吹き飛ばした。
「…………何あれ。マジで?」
氷上を滑走するテイルモンは、その光景を見て吐きそうになる。あんな奴に勝てるわけないだろう。
それから間もなく。テイルモンは無事に馬車へと到着した。
子供達が取った決死の行動は、確かに男とメタルティラノモンの注意を引き、パートナー達を守ったのだ。
「…………ちょっと」
しかしテイルモンはその事を知らない。
後輪を失った荷台。散らばる木材。自らのパートナーが負傷した姿と、他の子供達がいなくなっている光景に──彼女は眩暈を起こしそうになった。
「! て、テイルモン……!!」
「……ちょっと待って……何で手鞠しかいないの。何であいつらどっか行ってんの!? 何であんたは怪我してるの!!? 何で!!!?」
テイルモンの感情が爆発する。
「あんたとウチだけで帰れって!? そんな馬鹿な話ある!? 皆を頼むって、ウチはあいつらに!!」
「ごめんなさい! でもこうするしかなかったの……!」
もうこれ以上、皆に傷ついて欲しくなかった。──そう泣いて詫びながら、手鞠は空に向けて信号弾を放った。
それを見て、花那がもう一度打ち上げる。蒼太と誠司が続けて投擲する。
────ああ、メタルティラノモンは確かに動きを止めるのだ。光が空に浮かぶ度、見上げて見惚れて、手を伸ばそうとする。
きっと相手が彼だけであれば、このまま逃げ切れたのだろう。……だが、男は止まらない。相変わらず効いている様子がない。
蒼太の中で焦燥感が募っていく。どうして効かないのだろう。やはり風向きが悪いのか? それともあのデジモンは本当に、毒に侵されていない普通のデジモンなのだろうか?
光の粉が煌めく中、少年は男に目をやり──。
「ぎっ……ああっ……ッ!!」
……いいや、違う。
あれは毒だ。そう確信した。だって、
「────ファイラモン……!」
ガルルモンを食らい、そして今────ファイラモンの翼を引き千切って喰っている奴が、まともなデジモンなわけがない!!
『いよいよまずいね。皆もバラバラになっちゃったし。みちる、作戦変える?』
『でもさー、そしたらもう──……しかないじゃん?』
花那が再び信号弾を放つ。放って、走って、また放つ。それに呼応するように、手鞠も馬車から信号弾を放った。
メタルティラノモンが空の光に見惚れている間、誠司はシードラモンのもとへ走って行く。そんな誠司を巻き込まぬよう、シードラモンは周囲に氷壁を張り──そして、合流した。
「シードラモン! 大丈夫!?」
「……せーじ……どうして……!」
「いいから逃げよう! あいつはオレたちで止めるから!
そーちゃん、こっちはオッケーだ! このまま村崎さんを迎えに行くよ! 多分そっちのが早い!」
「よし、頼む! ……花那ーっ!」
蒼太は大きく手を振り、呼びかけた。花那はそれに気付いて足を止める。
そして息を整えながら、誠司がシードラモンと合流したことを目視した。
「……はぁ、はぁっ……!」
──あとは自分達とパートナー達が逃げ切れれば、そうすればこちらの勝ちだ。
ファイラモンとガルルモン、どちらも男との距離は近い。しかし男は──こちらを向いているように見える。
「……シードラモン……」
シードラモン達もこちらに向かっている。その理由を花那は理解した。……確かに、自分が走ってガルルモン達の所へ戻るよりは、速くて安全だろう。
だが────花那は悩んだ。いっそ自分だけで、もっと遠くまで逃げるべきか? そうすれば男も自分を追いかけて、蒼太とファイラモン、ガルルモンが逃げられるだろうか。
「…………ううん」
無事に逃げて欲しい。けど、自分に何かあれば彼らは悲しむだろう。
それは嫌だった。特にガルルモンとファイラモンにはもう、仲間がいなくなってしまう気持ちを味わって欲しくなかった。
だって、それがどれだけ彼らを悲しませ、悩ませていたか────自分達は知っている。
それにガルルモンは酷く傷を負っている。自分が遠くに離れてしまう程、デジヴァイスを介していても回路の繋がりは薄れるだろう。彼の怪我を少しでも和らげたいなら、駆け寄って、ちゃんと触れてあげなければ。
「……戻ろう。ガルルモンの所まで」
もし男が来たら、信号弾で追い払ってみせる。今度は自分が、大事な友達を守るのだ。
「……大丈夫。……私は速いんだ。クラスでも、学年でも……だから、絶対に……あいつを巻いて、皆で、逃げ切れる……」
自分を鼓舞して、方向転換し──花那は再び走り出す。時折、地面に残った氷で転びそうになりながら。
「……待ってて、ガルルモン……!」
◆ ◆ ◆
「花那……」
駆け出した花那を見て、蒼太は察した。彼女が、ガルルモンのもとへ向かおうとしているのだと。
「────」
誠司とシードラモンが花那を追っている。メタルティラノモンは行動と停止を繰り返している。
ガルルモンは────地面に倒れてしまっていた。
「…………ガルルモン」
そして、
「……ファイラモン……」
片翼のファイラモン。もう、空を飛んで逃げることはできないだろう。動く足を必死に動かして、なんとか男と距離を保っている状態だった。
距離を取った所で、銃を持った男を相手に意味はない。子供ながらにそう思う。きっと男がその気になれば、飛べないファイラモンはすぐに撃たれて、喰われてしまうのだ。
「────」
────ふと、思い出してしまう。
フェレスモンの城で、串刺しにされたコロナモンの姿を。
血溜まりの中、動かなくなってしまった──小さな身体を。
「……あ、……」
そのイメージは今、考えてはいけないものだ。だから必死に振り切ろうとする。
けれどあの時の気持ちが蘇ってしまい、胸が苦しくなった。とてもとても怖くなった。
「────ッ!」
……そして、気付けば自分も駆け出していた。
ファイラモンのもとではなく、あの黒い男に向かって走り出していた。
ああ、だってそうだろう。
男の狙いが人間なら、向かってくる自分を無視するわけがない。
きっと止められる。止めてやる。だから────
「俺が……アイツの所まで……!」
男は蒼太に気が付いた。
少女を追っていた矢先、自らに向かってくる子供の存在を認識する。当然ながら、男の意識はそちらに向いた。
誠司と手鞠の声が聞こえる。聞き取れないが、そっちへ行くなと言っているのだろう。
花那が走りながら、目線を何度かこちらに向けた。けれど止めはしなかった。蒼太のことも、自らのことも。
少女は走り抜けていく。ガルルモンとの距離はまだ遠い。花那は男に向けて信号弾を撃っていた。少しでも男の目を晦ませて、逃げきろうと必死だった。
けれど、男の意識は既に少年に向けられていた。
破裂する光に動じることもなく、また反撃することもない。自分に駆けてくる少年を瞳に映して、真っ直ぐに歩み寄ってくる。
黒い手は少年に差し伸べるかのように、だらりと上げられている。ファイラモンか、ガルルモンか、どちらかの血で赤く濡れていた。
もしかしたら自分も、その手に掴まれたら喰われるのかもしれない。
あの黒い手が、自分の血で更に赤く染まるのかもしれない。
怖い。怖い。それはブギーモン達に立ち向かったあの時よりずっと。
「……ファイラモン……っ」
ああ、それでも。
走れ。走れ。もっと足を動かして。
「……コロナモン……!!」
────走馬灯のように、彼らとの出会いを思い出しながら──少年は考える。
人間は、何の為にいるのだろう。
パートナーは何の為にいるのだろう。
ただデジモンを強くする為の道具? デジヴァイスも、心の在り方を記した紋章も、その為の道具?
人間は戦えない。デジモンとは違う。
逃げて隠れて守られて、ただ見ているだけでいい。あとはデジヴァイスが回路を繋げてくれる。
「……違う!!」
それが嫌だったから────今までずっと、がむしゃらになってきたんじゃないか。
「俺たちは────……」
ただ見てるだけじゃない。
ただ祈るだけじゃない。
力が無くても、足りなくても。それでも彼らと生き抜くと決めた。
共に戦うと、心に決めた────
「────選ばれし子供たちだ!!」
栓を抜いた。
手榴弾を投げた。
少年の手から離れた瞬間、膨張する。銀の弾丸がそれを撃ち抜く。
光が溢れた。
◆ ◆ ◆
灰色の大地に光が灯る。
それは、聖なる粒子だけに依るものではなかった。
灰色の空に光が灯る。