
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
燃え盛る生命の灯。迸る生命の血潮。
色を失くした彼らが、求めて止まない清らかな輝き。
ああ、けれど、そんなものより。
男には、欲しい者が在ったのだ。
*The End of Prayers*
第二十七話
「光を灯して」
◆ ◆ ◆
勢いと共に飛び散る赤色が、灰色の地面を鮮やかに彩った。
鮮やかに、華やかに。────そんな感想を抱いたのは、赤い絵の具を撒き散らしている張本人だ。突如として引き離された神経が、数秒の長い時間を経てようやく事態を自覚する。
決して鋭利ではない歯が、自身の肉を容赦無く裂いていく。
足が────喰われている。
「────が、ぁあ゛ああああああッツ! あああああああ!!」
荒野中に絶叫が上がった。子供達の悲鳴が響いた。
ガルルモンは必死に抵抗する。激痛とショックに苦悶の叫びを上げながら、男の顔面に炎を吐き続けた。
けれど必死の抵抗も虚しく、彼の前肢は確実に質量を失っていく。
ガルルモンに何が起きたのか──仲間達にとって、それは遠目からでも明らかだった。何よりガルルモンの絶叫が全てを物語っていた。
誰より大きな声で、ファイラモンが友の名を叫ぶ。救いに駆け付けようとする。──しかし背後でメタルティラノモンが唸り、彼がガルルモンのもとへ駆け付けるのを許さない。
堪えかねた蒼太と花那が走り出した。それを柚子が止めようとした。……だが、止まるわけがない。感情のまま泣き喚くように声を上げ、ガルルモンのもとまで走って行こうとする。
「────……」
その姿を見たベルゼブモンは、白銀の肢から口を離す。
顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。血に濡れた顔は子供達に向けられていた。
それに気付いたガルルモンが、行かせまいと男の足に噛みついた。けれど男の視線は、変わらず子供達に向いたまま。
「────返せ」
重くのしかかるような声が、小さく零れた。
「人間を、返せ」
そして、自分を見上げる獣の顎を蹴り飛ばす。子供達がいる方向へ、ゆっくりと足を進める。
子供達の姿が鮮明に見えてくる頃、男は手を伸ばした。そっと、彼らに向けて────
『あ……アクエリープレッシャー!!』
男の行く手を阻もうと、柚子の使い魔が立ち向かう。
『逃げて! 早く!!』
「────」
『あっち行け! 皆に近付くな!!』
正面から何度も、あらゆるコマンドを使い黒猫に攻撃させていく。しかし男は表情を一切変えず、そして動きを止めることもない。
どう転んでも不利な状況。ウィッチモンは子供達だけでも緊急転移させる必要があると判断し、大声で仲間達に呼びかけた。
『誰か……! 一体でいい、そこから離脱シテ! 子供達を連れてホーリーリングを────ッぎゃあっ!!』
『!? ウィッチモ……』
ウィッチモンが悲鳴を上げて腹部を押さえる。亜空間のスピーカーから、咀嚼音のような酷いノイズが響き出した。
使い魔が喰われたのだ。
男に攻撃し続けていた黒い猫。掴まれて、頭部を喰われた。
『……ッひ……ぐ、ぅう……ぁッ!』
そして次に胴体。遠く伸びた下半身まで、捕食されていく。
いくら使い魔とはいえ自身の一部。ただ攻撃を受ける事と、根元から捕食される事とでは、ダメージの度合いが違いすぎる。
『ウィッチモン……ウィッチモン!!』
『……フーッ、ぅ、──っぐ……』
『は、早く手当てしないと……!』
『……な、……んで……こんな……』
激痛に歪んだ顔からは、大量の脂汗が滲み出ていた。なんとか残った使い魔の音声機能を奮い立たせ──交戦する仲間達に、絞り出すように伝える。
『み、皆サン……! あれ、は……毒に、汚染されテる……! ……データ、ベース……照合エラー……しかし、完全体以上、である、ことは……』
「……。……、……どうして」
意識を朦朧とさせながら、ガルルモンが虚空に問う。
「……毒……。……毒なら……どうして……」
名も知らぬ黒いデジモンは、確かに言葉を発していた。
意志と意味を持った言葉を。はっきりと、『人間を返せ』──と。
「……子供たちを……。……花那、蒼太……」
滲む視界。男の背が遠のいていく。
遠くで仲間達の声が聞こえる。メタルティラノモンの雄叫びに混ざって。
『……誰か……誰も、動けない、デスか……誰か……』
『どうしよう、どうしよう……! 治し方なんて分からない! ウィッチモン……!』
柚子は気を動転させて取り乱し、ウィッチモンは痙攣している。もう一体の使い魔は完全に動作を停止させていた。
『────だから言ったのに。すぐ逃げないからだよ。ほら、しっかり』
そんな二人の肩を、ワトソンが後ろから抱き寄せる。
『わ、ワトソンさ……』
『ゆっくり深呼吸して。二人ともだ。
それとウィッチモン。もう一匹は食われないようにね。皆をモニタリングできなくなるから』
『……、……』
『落ち着くまで代わるよ。大丈夫。柚子ちゃん、彼女をしっかり抱いてあげてて』
『既にヤバすぎ案件だけど、逃げるの第一弾は失敗しちゃったし? ギリギリ頑張ってみよ! ここで死なれちゃ困るからさ!』
みちるはウィッチモンの背を優しく撫でると、デスクに乗り出す。すると──モニターの向こう側、襤褸切れのように痩せた使い魔が現れた。
それは猛スピードで男をすり抜け、ガルルモンの側へ。動きを止めていた使い魔も再起動し、ファイラモンとシードラモンのもとへ向かった。
『皆ー! 慌てず焦らず周り見てー! 落ち着かないと死ぬからねー!』
張り上げられる声に、テイルモンが表情を歪めた。
「こんな状況で落ち着けって言うの!?」
『いえす! まずはそこから離脱だ!
シードラモン、距離を取って氷柱をたっぷりお見舞いしてやって。顔面ね! それ以外は撃たなくていいからねー。
ファイラモンは背後に回って。そしたらテイルモンはそこから飛び降りてね。このままじゃ首を取る前にナイフが鈍になっちゃうぜ?
それからは交互に位置を撹乱させて……あ、攻撃モーション見逃さないでね! その隙にテイルモンを馬車まで送ってあげるの。テイルモンは皆とゴーホームよ!』
『ガルルモンくん、動ける? 動けるよね? いや、位置は移動しなくていい。撃たれるから。そこでシードラモンくんをフォローして』
────負傷したウィッチモンの代打とはいえ、二人は非常に手際よく指示を出していく。柚子はただ目を丸くさせ、口を出すことができなかった。
『ほらほらシャキシャキ動いて! ──ファイラモン!!』
「でも、ガルルモンが……!」
「ぎぃ……! ファイラモン……おれたちが生きなぎゃ、ガルルモンも助げられない!」
「……ッ……!」
ファイラモンはよろめきながら飛び上がる。シードラモンはありったけの力を込めて、メタルティラノモンの足元から壊れた馬車までを氷付けにした。
「……ファイラボム……ッ!」
「アイスアロー!!」
メタルティラノモンの顔面に放つ。ファイラモンも火炎弾を撃ちながら背後に回る。
「テイルモン……飛び降りろ!」
「────くそっ……くそ! ふざけないでよ! ここまでやったのに!!」
「早く!!」
ファイラモンが叫んだ。テイルモンは悔しさに歯を食いしばり、今ここでナイフを止めることを躊躇った。ファイラモンは彼女のすぐ側まで飛び上がると、返り血で染まった小さな身体を強制的に離脱させた。
「あとちょっとだったんだ! そうしたらアイツを倒せたのに! 皆で助かった筈なのに……!!」
「ごめん、ごめんな! でも今は……!」
「分かってる!! ……行くなら急がないと、ウチらまとめて焼かれるよ! どうやってあそこまで行くつもり!?」
「俺たちで注意を引く! メタルティラノモンも、あのデジモンも……」
「……それじゃアンタたちが……」
「あの子たちを頼む。お願いだ。都市まで逃がしてあげてくれ。────シードラモン!」
「コールドブレス!!」
「……アイス……ウォール……!」
ガルルモンとシードラモンが氷の壁を乱立させる。テイルモンの移動を目視させない為だ。シードラモンが次いで氷の舟を創り上げ、飛んできたファイラモンがテイルモンを押し込める。────そして、シードラモンは傷だらけの尾を振るい、舟を弾いた。
アイスホッケーのように、テイルモンは氷の道を滑走していく。その軌跡を悟られないよう、ガルルモンが更に氷壁を張り巡らせる。
『……よし、良い感じだ。でもすぐには着かないから、それまでは……』
『頑張って逃げまくろー! 解散!!』
ファイラモンが男の元まで翔ける。その姿を横目で見送り、シードラモンはメタルティラノモンと対峙する。
「…………ぎい。……せーじ……」
思わず、パートナーの名前が零れた。
身体は既にボロボロだ。そもそも、まともに戦って勝てるわけがない。けれど状況を遅滞させられるか否か──今の自分に出来ることはそれだけだ。
『シードラモンくん、無理はしなくていいよ。だけど皆が逃げるまでは耐えて』
「うん。時間、稼ぐよ。みんな逃げられだら……その時は、教えでね」
シードラモンの声は、少しだけ震えていた。ワトソンは僅かな沈黙の後、『約束するよ』とだけ答えた。
◆ ◆ ◆
蒼太と花那は、目の前に聳える氷の壁を、力が抜けた顔で見上げる。
花那は放心しながら膝を着いた。蒼太もまた、起こった現実を受け入れられないでいた。
ガルルモンが撃たれた。……喰われた。
使い魔もやられてしまって、柚子達の声が聞こえない。痛そうに声を上げていたウィッチモンは大丈夫だろうか。──遠くで皆が何かを叫んでいたが、うまく聞き取れなかった。
助けに行けなかった。このままではガルルモンが食べられてしまう。見えない壁の向こうで何が起きているのか、恐ろしくて想像もできない。────どうして、こんなことに。
「……」
でも、と。蒼太は思う。
この壁が作り上げられた。そして今、別の場所にも作られている。
それはガルルモンが生きている証拠だ。彼はまだ食べられていないのだ。……きっと。
「────か、花那……」
「……やめて……」
「花那……しっかり……」
「ガルルモンのこと、食べないで……」
「っ……まだ生きてるよ……! だから、ほら!」
花那の手を引いて、馬車まで連れて行こうとする。花那はそれを拒み、手を振り解いて壁の向こうへ走ろうとした。
「行っちゃだめだ! 今は……」
「何で!? ガルルモンが食べられちゃうのに!?」
「いいから……!」
説得など出来ぬまま、それでもなんとか馬車へと戻る。壊された荷台の下で、誠司が必死に手鞠の看病をしていた。
「──そーちゃん……村崎……。……ガルルモンは……?」
「…………まだ……生きてるって、ことしか」
「そんな……! やばいじゃん、このままじゃ──」
「誠司。……俺、思ったんだ。あいつの狙い……多分、俺たちだ」
「…………は?」
壁の先から銃声が響く。次いで叫び声が聞こえた。──ファイラモンの声だった。
蒼太は唇を噛み締める。花那の顔からは更に血の気が引き、両目から大粒の涙を溢れさせていた。
手鞠は恐怖に身体を震わせていた。もう役に立たない後輪の破片を、呆然と見つめるしかなかった。
「……わたしたちのこと、狙ったから……だから馬車、壊したの……?」
一歩違えば、砕けていたのは荷台ではなく自分達だったのかもしれない。
蒼太は「うん、でも」と、肯定とも否定とも取れる返事をした。
「殺すつもりだったかは分からない。ただ、俺と花那のこと見て……ガルルモン食べるの止めて、こっち来ようとしたんだ。全員殺すつもりなら、ガルルモンを……食べた後だって良かったのに」
「……じゃあ、何の為にオレらを? フェレスモンさんの時みたいにするのか?」
「そんなの俺が知るわけないよ。だけど、もし捕まえるのが目的なら────」
蒼太は深呼吸をした。深く、深く。そして──
「────バラバラになろう。此処から離れて、バラバラになって逃げるんだ。そうすればアイツは……きっと、俺たちを追ってくる」
囮になって、気を引いて、ひとりでも多く逃げられるように。
それは──下手をすれば、巻き込まれて死ぬかもしれない。そんな無謀な作戦だった。けれど、少年にはそれしか浮かばなかったのだ。
「……なあ、マジで言ってんのかよ」
「……冗談なわけないだろ」
「無茶だろそんなの! み、宮古さんは……走るどころか逃げられないよ、こんな足で!」
「お、俺だけでもいい! 俺だけでアイツを……」
「それじゃそーちゃんが危ないだろ!」
「か、海棠くん……!」
手鞠が遮るように声を上げた。
「心配してくれて、ありがとう。でも……わたし、大丈夫。平気だよ。遅くても歩ける……」
「で、でもさ……!」
「それに……わたしだけ、ここで何もしないで待つのだけは嫌。チューモンたちが食べられちゃうところなんて見たくない……!」
挫いた片足を庇いながら、散らばった擲弾を探そうとする。
それを花那が止めた。無理に動いてはいけないと制止する。──手鞠は、自分だけ怪我をした事で力になれないのだと思い、悔しさで泣きそうになった。
「……ちゃんと、歩けるから……」
「もっと酷くなっちゃう。ねえ、手鞠はここにいて」
「そんなこと、言わないで。わたしだって……」
「違うの。……手鞠。私ね、蒼太の案に乗るよ。でも……全員が絶対、ここから動かなきゃいけないわけじゃないんでしょ?」
花那の視線に、蒼太は頷いた。
「……うん。それに、俺が勝手に言ってるだけだ。さっき言ったけど、俺だけでもいいんだ。だってこんなの、絶対に危ないから……だから花那も」
「友達がそんなことするのに私がやらないわけないじゃん!
早くしないとガルルモンも、ファイラモンも、皆だって死んじゃうんだよ……!」
花那は、散らばった武器をありったけ集めてきた。
そして「どれを使うつもりなのか」と。蒼太の目を見て、真っ直ぐに問う。
「……使えるなら、全部。きっとアイツらの注意を引ける。動きだって止められるかもしれない」
「じゃあ、それが成功したら?」
「もし上手くいったら……近くにいるデジモンと合流する。誰でもいい。そのまま遠くまで逃げて、またどこかで集まって……そうすれば、都市まで逃げられるんじゃないかと思う」
「……よかった、そーちゃん。流石に逃げるつもりはあるんだね」
誠司は冗談交じりに言ってみせたが、その顔は引きつっていた。「死にたいわけないだろ」と、蒼太も頬の筋肉を無理矢理に上げて答える。
「そこでさ。……花那。もしやってくれるなら……アイツらからなるべく離れた所まで走って、信号弾を使って欲しいんだ。それから宮古がここで信号弾を撃つ。アイツに、俺たちがどこにいるのか混乱させるんだよ」
撹乱目的の信号弾であれば、わざわざ男に接近する必要も無い。距離を取って、まだ安全に使うことが出来る。だが、それを放つピストルは二丁しか存在しない。二人で定員だ。
「俺は……少しでもあいつらの近くで、こっちの爆弾を投げる。近い方が効果あるだろ」
少しだけ数が減った、聖なる手榴弾に目を向ける。
距離が近ければ近い程、その効果はより強く得られるだろう。しかし同時に男に捕まる、もしくは巨体の攻撃に巻き込まれる可能性も高くなる。──それは、分かっているつもりだ。
「でも……やっぱり、怖いからさ……。……たくさん持って行かせてよ。悪いけど……」
「────何言ってんだよ。半分こだろ。オレもやるんだから」
「……誠司……」
「ていうか、なんでオレだけ作戦から抜こうとしてるの。ひどいじゃんか」
誠司は声と歯を震わせながら、持てる限りの擲弾を腕に抱えようとする。
蒼太は滲む涙を必死に堪えて、「それじゃ投げれないだろ」と言って笑った。
◆ ◆ ◆
二話続けての感想となります夏P(ナッピー)です。
いや前回の続きを考えればこうなるのも必定でしたが、前足を抉られたり片羽を引き千切られたりと満身創痍ってもんじゃねーぞ!? ベルゼブモンの乱入により一気に大乱闘デジタルモンスターズと化した戦場の中、ズタボロにされていくパートナーを前に、子供達も自分らにできることを己の力の限りでやり遂げようとする様が眩しい。血生臭さは相変わらずだけれど……。
何! 四体同時超進化!? こんなメチャ燃えるシーンが普通にエンプレに来たのか!?(失礼) 進化してナイフを握らなくなるも、腕を刃として意地でもドスでの戦闘に拘るライラの姉御でダメだった。メタルティラノモンにトドメを刺す前のフレアモン(というか蒼太も近い思いだろう……)の甘さは美しいけれど、いずれ何か重大な不手際を起こすよな……と思っていたら、即刻回収されてしまった。ワーガルルモンはレオモンに近い体形なもので、下手に究極体のベルゼブモンと相対したら「アカン! 死ぬ!」と戦慄しましたが、現時点でベルゼブモンは完全体以上究極体未満程度の力だそうで。
みちる氏は思惑はどうあれマイナス方面に話を動かす天才かもしれない……。いやまあ、とはいえ確かにここでベルゼブモンと和解できてしまったら話が一気に進んでしまうキラとアスラン状態だから仕方ない。
ウィッチモンは(なかなか女性的な)ワイズモンに進化したことで胃袋は強化されたんだろうか……? ユズコちゃんは治し方わからないのは当然なのでまず胃薬を買い込んでこよう。
それでは、次回もお待ちしております。
作者あとがき&イラスト
こんにちは、くみです。
エンプレ第27話、お読み下さりありがとうございました!
昨年末に投稿した26話とほぼ2話一挙投稿となりました今回(あんまりなってない)
待ち受けていたのはメタルティラノモン戦、そしてベルゼブモンとの邂逅です。
やっと出会えたベルゼブモン。すぐ仲間になれたらよかったのに。しかし一行のデジモン達を「子供達を馬車で連れ去る悪いデジモン」→「こいつらがカノンも連れて行った」と思い込んで止まない。聞く耳も持たない。少女漫画もびっくりの最悪の出会い方です。
けど、選ばれし子供どころかパートナーの契りの存在さえ知らないベルゼブモンが、彼らが友達だなどと理解できる筈もありません。本能でも分かっていないので、アスタモンの声もアドバイスしてくれません。
片方では仲間がベルゼブモンにモグモグされ、振り向けばメタルティラノモンが暴れている。
ウィッチモンがいよいよ胃腸をやられて使い魔との交信が途絶えたので、子供達が孤立してしまいました。でも頑張りました。偉いぞ!
蒼太の作戦について。彼らが高校生あたりならもっと冷静に作戦立てられたのかもしれませんが、如何せん小学生なのでこれが限界です。
ちなみに上手くいってメタルティラノモンから逃げ切れた場合ですが、みちワト案の「一体だけ戻って子供達と離脱」の案であれば逃げられましたが(テイルモン以外は死ぬかもしれないけど)、蒼太案ではパートナー達が順番に撃たれて子供達も逃げられなくなってBADENDとなってました。紋章が光って本当に良かった。
さて、子供達の強い意志によって紋章もちゃんと反応してくれて、見事に完全体に進化!
チューモンの進化ルートには拘りました。紋章の影響を一番受けたのは彼女でしょう。チューモン→光→テイルモン→純真→ライラモン、といった形です。まあ純真なのは手鞠であってライラモンは全然純真じゃないのですが!
また、完全体に進化したことで口調も少し変化しています。
ウィッチモンことワイズモンはカタコト日本語ではなくなり、ユキアグモンことメガシードラモンも「おで」→「おれ」→「オレ」と、そして誠司を「ぜーじ」→「せいじ」と発音できるようになりました。
ところで何でメガシードラモンが飛んでるのかって? デジアド無印でメタルシードラモンが飛んでたからです!(初登場時)
【上図:ワイズモン(エンプレ版) 柚子と契約の影響で、本来のワイズモンよりも女性的。
目もパートナーの影響を受けて人型の名残を残している。】
さてさてそして、選ばれし彼らとベルゼブモンとの戦い。
成熟期の時は圧倒的に捕食され、完全体になってようやく戦える。それでも一方的にならないよう戦闘描写には気を付けました。
その結果双方そこそこボロボロになりました。まあ無傷で済むわけないですよね。
しかし進化すればご覧の通り。
不完全な究極体であるベルゼブモンVS正統進化を遂げた完全体×4。互いにボロボロになりつつも決着がつきます。
ワイズモンになって今までの胃腸へのストレスをぶちまけた元ウィッチモンが冷酷な判断を下しますが、それも仕方のないこと。下手に元気な状態にすれば返り討ちに遭ってしまうので。
そんなベルゼブモンのピンチにストップの声を掛けたのは……果たして一体誰なのでしょうか。
答えは次回、28話にて。更なる種明かしも待っています。どうぞお楽しみにしていただければ幸いです。
次回の更新は2月以内を目標に……!
それではこれにて。ありがとうございました!!
◆ ◆ ◆
────再び響く乾いた銃声。
メガシードラモンが瞬時に氷の盾を張る。砕ける音と共に弾丸が食い込んだ。──弾丸の軌道は、全て仲間達の眉間を狙ったものだった。
『…………みちる。残念だけど逆効果だ』
今までとは異なる、明確な殺意。
ベルゼブモンは、目に見えない誰かだけを生かすと決めた。
他は全員────
『そっかあ。上手くいくと思ったんだけど、やっぱあの状態じゃ話し合えないよねぇ』
『でも、あのデジモン……パートナーを探してるだけなら……!』
『そうだけど交渉決裂だ。同情で死ぬわけにはいかないから、仕方ないよ。そうだろうワイズモン』
『……ええ。残念ですが。……対象のデジコア損傷率、計測を開始します。ですので──』
せめてデジコアが壊れない程度。男の四肢を潰せば、抵抗出来なくなるだろう。
本当ならば仲間の立場だったとしても。毒に侵されこちらを殺すと言うのなら──自分達もその殺意に応えねばならないのだ。全ては、生き残る為に。
『────皆様どうぞ、反撃を』
ライラモンは両手に花の刃を。
メガシードラモンは額の刃に雷を。
ワーガルルモンは両の拳に青い炎を。
フレアモンは両の拳に炎の獅子を。
そして男は──
「…………オーロ、サルモン」
気付けばその手に、銀の男の機関銃を構えていた。
「──マーブルショット!!」
「サンダーブレード!」
「グレイシャルブラスト!」
「紅蓮獣王波!」
新緑の光線。雷の刃。
拳と共に巻き上がる吹雪。駆け抜ける炎の獅子。
その全てを浴びながら──男はマシンガンを放つ。
「ああぁぁあぁああああ!!!」
降り注ぐ鉛の雨。毒を纏った小銃弾。
メガシードラモンが一帯に氷の盾を張る。けれど雨からは逃れられない。弾丸は氷の盾に弾かれ、しかし撃ち抜いて────彼らの肉を貫通していく。
込められた火薬と毒に創部が焼かれる。激痛が走った。──だが、彼らも進むのを止めはしない。白銀の爪が黒い胸元を切り裂き、同時に炎の拳が男の胴体を殴り上げる。
「紅・獅子之舞!」
炎を纏った拳と蹴りを叩きこむ、フレアモンの乱舞。
男の骨がひしゃげる音がした。鈍い唸り声が漏れた。腕の骨が折られたにも関わらず、ベルゼブモンはフレアモンに対し確実に銃口を向ける。
無作為に撃たれる弾丸がフレアモンを襲う。咄嗟に身を庇い、鋼鉄の翼と鎧でそれらを受けた。しかし防ぎ切れず、肉体にはいくつも穴が空けられていく。
──メガシードラモンが二人の間に割り込んだ。氷を纏った尾でフレアモンを庇い、自らが盾となる。
「!? だめだ! 何を……!」
『いいえ、こちらの方が結果的な損傷が少なくて済みます。メガシードラモン、そのまま続けて!』
硝煙と土煙が混ざり合い、視界はひどく不明瞭だ。けれど亜空間のワイズモンは彼らの位置を正確に把握する。
『氷を砕いて、彼に更なる雷撃を!』
「うん! フレアモン、離れてて!」
メガシードラモンは弾丸を受けながらも接近し、長い身体で男を囲う。纏っていた氷が砕けて、男に触れては溶けていく。追い風の様に口内から吹雪を放ち────雷を落とした。
天からの鉄槌のごとく落とされた雷撃。先程より数倍も威力を増したそれは、ベルゼブモンの皮膚を焦がし、筋肉を壊死させた。
端から見れば明らかな致命傷だ。だが、それでも彼は止まらない。デジタル生命体である彼らは、デジコアさえ壊れなければ死に至らない。
死に至らないという事は、まだ戦えるという事だ。ベルゼブモンの中に溢れ出る感情は、本能は、そして毒は、機能を失った肉体を尚駆り立てる。
ああ、怒りが収まらない。憎悪が溢れて止まらない。
全てを喰わなければあの子を救えない。そう信じてやまなかった。
だからメガシードラモンの尾を掴み、喰らい付く。他者のデータを捕食し、自らの破損を修復していく。
「ぎ、ぃ……ッ」
「……! ライラックダガー!!」
咄嗟に、ライラモンが背後から切りつけた。黒い血が噴き出し、男の口がメガシードラモンから離れる。
「どきな! 完全体にもなって喰われてんじゃないよ!」
「ぎい……」
「ていうか膝! 痛いんだけど!! よくも撃ってくれたね!!?」
両手の刃を振り翳す。ベルゼブモンは機関銃を盾にそれを受けた。
花弁は銃床に深い切創をつけたが、肉体への攻撃は防がれてしまった。動揺を見せたライラモンを男が蹴り飛ばす。
「ぐっ……!」
ライラモンは受け身を取ろうとする。その隙に銃口が彼女を捉える。
しまった、と見開く瞳──映り込んだ男は直後、ワーガルルモンによって殴り倒された。
反動で引き金が引かれたが、銃弾は明後日の方向へ。ただ硝煙を撒き散らすだけとなる。
ベルゼブモンは腰を落として踏み留まった。瞬時にマシンガンからショットガンへと持ち替え、接近戦に持ち込んだワーガルルモンを狙い撃つ。
銃声。砂と混ざり合う血飛沫。白銀の脇腹が少しだけ抉れた。
ワーガルルモンはそのまま男との距離を詰める。鋭い爪で、銃を持つ腕を切り付けた。
手首までを縦に裂かれ、男の手から銃が離れる。──もう一撃。ワーガルルモンは攻撃の手を緩めない。今度は胴体を狙って、両手の爪を鋭く構えて──
「カイザーネイル!!」
「ダークネスクロウ……!!」
ベルゼブモンの暗黒の爪が迎え撃つ。それはワーガルルモンの肩を深く裂いた。しかしワーガルルモンの両の爪もまた、男の胴体へ届いていた。
三本の傷から黒い液体が勢い良く零れ、男が僅かによろめく。────ワーガルルモンが男を地面に組み伏せた。
今度こそ押さえた両手を離しはしない。男の腹部に、膝をめり込ませていく。
それでも逃れようと、ベルゼブモンは全身を打ち付けるように暴れる。しかしメガシードラモンが男の足を氷漬けにし、彼の身体の動きを完全に封じ込めた。
黒い男と白銀の獣人が、再び睨み合う。
「…………」
まじまじと見ると、男の状態のなんと酷いこと。
落雷によって焦げた皮膚。内部も自分達の攻撃によって裂かれ、更に深部のワイヤーフレームまで見えている。……この状態でよく戦っていたものだと、僅かな感心さえ抱く程だった。
こうまでして彼が戦うのは、生命を欲する毒のせいなのだろうか。それとも、存在の真偽が不明なパートナーを思ってだろうか。
どちらかは分からない。奴の事情がどうあれ────最早、問答する余地はない。
ワーガルルモンは鋭い爪に冷気を纏わせる。
そのまま、ベルゼブモンの肩に食い込ませた。
「────!!!」
肩に深く穴が空き、肉が氷で焼けていく激痛の中──それでも男は声を上げなかった。
『損傷率六十三パーセント。……しかしこの様子では、まだ立ち上がってくるでしょう』
銃を使えなくなったとしても、腕を失ったとしても。このデジモンは、きっと自分達を殺しにかかるだろう。彼の怒りが消えない限り。
毛並みを赤く染めたワーガルルモンは、少し疲れを見せた顔で「そうだな」と言った。
『治癒を見込める八十五パーセントまで攻撃を継続。それが限界ラインです。──それまで、フレアモン。貴方の炎で四肢を浄化できますか?』
「……。……ああ」
そう答えたフレアモンの中には、僅かな躊躇いがある。疑念がある。
だから、問う。
「…………なあ、どうして。……あの時、あの子達に手を伸ばしたんだ」
「……」
向けられた瞳には憎悪が込められていた。
「どうして……さっき、あのまま……話し合えなかった……」
「…………黙れ」
掠れた声には殺意が込められていた。
「答えてくれ。話してくれ。まだ、きっと間に合うから」
「…………」
フレアモンは乞う。男の中で、パートナーを想う気持ちが理性を呼び起こす事を信じたかった。
「…………、……俺が……」
「……!」
「俺が────首だけになっても。お前らを喰って、カノンを探す」
────男の表情には、決意と覚悟が込められていた。
「……そうか」
フレアモンは目を伏せる。
子供達を守る為。自分達を守る為。生きて行く為。────そんな免罪符を胸に抱いて。
その拳に、聖なる焔を宿して構えた。
「清々之────…………」
──── “ 待ってください。どうか、どうか。”
「…………え?」
頭の中で聞こえた声が、フレアモンの手を止めた。
◆ ◆ ◆
穏やかな声だった。
彼らの中に直接、語りかけるように響いていた。
その声は子供達にも、デジモン達にも、ベルゼブモンにも聞こえていた。
しかし何処にも姿が見えず、ワイズモンの熱源探知にも反応は無い。
それでも声は彼らに囁く。──── “ どうか、どうか。 ”
ああ、本当に穏やかな声だ。
フレアモンだけではない。誰もが一瞬、戦意や恐怖を失って空を見上げる程。彼らを宥め慰めるように、脳内で反響した。
そして、灰色の空に光が灯る。
それは黄金の輝き。荒野に生きる全ての命に、優しく降り注いだ。
第二十七話 終
◆ ◆ ◆
白銀の獣人──ワーガルルモンはベルゼブモンに飛び掛かる。
男のライダースジャケットの襟元を掴み、地面に叩き付けた。
二足歩行となったことで発達した拳を、ベルゼブモンの頭部に叩き込む。男は咄嗟に首を捻ったが、ナックルダスターが仮面の一部と共に頬骨を砕いた。
鈍い音の後、黒い血液が吐き出される。繰り返し振り下ろされる拳に、男は抵抗しながらもショットガンを放つ。
しかしショットガンが構えられる瞬間を、ワーガルルモンは見逃さなかった。拳を粉砕されるのを避けるべく──しかし身を翻すには間に合わず──咄嗟に掌で銃口を掴む。
放たれた弾丸は拳を貫き、肉を弾いた。だが、構わない。
「────よくも!!」
男の腕を組み伏せ、殴る。殴る。殴る──。
「あの子達を狙ったな!!」
デジモンがデジモンを襲うのは道理だ。
毒に侵されたデジモンが、侵されていないデジモンを食うのも道理だ。
暴走の果てに矛先が子供達に向くのなら、それも仕方の無いことだ。
だが、こいつは違う。
「────お前は、わざと!!」
意図的に狙ったのだ。意図的に馬車を撃ち壊し、彼らが逃走できないようにした。
それが信じられなかった。何よりも、許せない────!
『────モン……ワーガルルモン!』
頭の中でウィッチモンの声が響く。──いや、亜空間での彼女は、既に“ウィッチモン”ではなかった。
『それ以上頭部を損傷させないで。デジコアの損傷率が上がってしまう。──殺してしまえば、聞くべき事が聞けなくなります』
より一層冷静になった彼女の言葉。気付けば拳は、返り血の毒で爛れていた。
「……いいや! いいや、許さない……!」
しかし冷静どころか、進化により野性的になったワーガルルモンは、男の両腕を押さえつけ怒声を浴びせる。
「毒に汚れたならデジモンを食いたいだろう!? 僕の肉ならくれてやる!
でもファイラモンを食ったこと……あの子達を狙ったことは絶対に許さない!!」
「────れ……」
ベルゼブモンの掠れた声が、滲む血液の中に漏れた。
「黙れ! 黙れ……!!」
「──っ!」
────ああ、まただ。
意味を持った言葉。意志を持った言葉。
目の前のデジモンは汚染されているにも関わらず。個としての自我を残しているのだ。
里の仲間達も、出会ったデジモン達も……──誰も、そうは成れなかったのに。
「……どうして……」
「俺は! 毒だ!!」
「そうだ……なのに、何でお前だけ……」
「俺が俺に成った時から毒だ! 毒だ!! それでも俺が! 人間を!!」
人間を狙うという確固たる意志は、ワーガルルモンの憤怒を湧き上がらせていく。
ああ────この男もまた、世界を救うなど言葉を掲げ、子供達を利用しようとするデジモンの一人なのだ。怒りを冷気に変え、震える拳に込めて掲げる。
「……あの子達は絶対に渡さない。僕ら全員お前に喰われたって、死んでも渡さない!!」
「俺は……お前を、お前達を! 殺さなかった、のは……聞けなくなるからだ!!」
「──ッ何をだ!? 何もお前に聞かれる事はない! 何か言われる筋合いも無い!!」
「言わないなら! 今度は全部喰って! 俺の中で……!」
「うるさい! もうたくさんだ!! 皆が……誰もがあの子達を利用しようとする! あの子達に選ばせる!! これ以上誰の言葉で、どんな言葉であの子達に押し付ける気だ!!?」
「黙れ!! 喰ってやる! 全部喰ってやる!! そうしなければ生きられない! 生きなければ────お前達から取り戻せない!!」
あまりに噛み合わない口論。
互いが感情をぶつけるだけの、不毛な争いだけが広がっていた。
ベルゼブモンは腰を思い切り捻らせ、膝でワーガルルモンの脇腹を蹴る。ミシ、という音と共に、ワーガルルモンが血混じりの体液を吐いた。
ワーガルルモンの握力が弱まった一瞬、男は片腕だけを抜け出させる。そのままワーガルルモンの首を掴んだ。そして勢い良く上半身を起こし──
「返せ! 返せ!!
何処にやった! 何処に連れて行った!!?」
悲痛に満ちた、それは慟哭にも似た叫びだった。
「カノンを!! 返せ!!!」
そして────懇願だった。
「────」
ワーガルルモンは目を見開く。言葉を失う。
男の言動を何一つ、理解することができなかったからだ。
毒まみれの口から出た固有名詞。
声に込められていたのは、失った何かを探し求める者の嘆き。
どうして、どうして。──だってこいつは毒に侵されていて、理性も何もかも、溶けて消えている筈なのに。なのに言葉を叫んで、名前を呼んで。
どうして────
「…………■■■……」
記憶に無い誰かの姿が、一瞬、頭の中に浮かんだのだろう。
「────」
「あいつを、見つける……まで、俺は!」
「……今の、は……。……」
「喰い続ける……!」
ベルゼブモンが銃を手に取る。混乱したワーガルルモンは、男から両手を離してしまう。
ワーガルルモンの肩に銃口が当てられ──
「────サンダージャベリン!!」
「ワーガルルモン……!!」
滑翔するフレアモンが駆け付け、ワーガルルモンを抱えて飛び去った。直後、空から雷撃が男に降り注ぐ。
「どうしたんだ! 大丈夫か!?」
「……フレアモン……。……いや、すまない。助かった。皆は……」
「大丈夫だ。メタルティラノモンも……」
「……そうか。ありがとう」
落雷の後、焦げたにおいが周囲に広がる。ベルゼブモンは白目を剥き、顔面に熱傷の模様を浮かべていた。──しかし決して銃を手放さず、そのままゆっくりと上体を仰け反らせる。
『……対象、未だデータベースと照合されません。
しかし推定世代は完全体以上、究極体未満。毒の変異による不完全進化を遂げたと仮定します』
「……メタルティラノモンの少し上……今のオレ達なら、全員でかかれば……!」
「ウチとしては、生け捕りより死なせてやった方が優しいと思うんだけどね。フレアモンに意見を聞きたいもんだ」
「とにかくやるしかないよ。いこうライラモン……」
『────ストップ! ごめん、ちょっとだけストップしてくれないかね!』
今にも攻撃を仕掛けようとする仲間達を、みちるが止めた。
『ええ、確かに。殺してしまってはいけないですから』
『んー、それもあるんだけど』
止めた理由はただひとつ。それは、男が発した言葉に在る。
男が探し求める誰かの名前。恐らく、この争いの原因でもある人物の名前。
────聞き覚えがあった。唯一、みちるだけが。
『えーっと、確かこの辺にしまってたかしら』
『全員、距離を取って牽制を。弾丸が子供達に向かわぬように』
『……みちるさん、何してるんですか? ……音楽プレイヤー?』
たった一度だけ出会った少女。もう、場所も忘れてしまった公園で。
美しい子だった。オーロラの日の失踪者のデータの中に、確かに彼女の名前を見たのだ。
ああでも、今時は珍しい名前じゃないから──もしかしたら、人違いかもしれないけど。
『ねえワイズちゃん。猫ちゃんいないけど、こっちの音量マックスにできる?』
そして────朽ちた荒野に、美しい旋律が流れ出す。
「────」
静かで、穏やかで、そして切ない。どこかで聞いたことがあるようなクラシック音楽。
一行は困惑しながら周囲を見回す。……一体、どこから流れてきているのだろうか。それが亜空間からだと理解するには、少しばかりの時間を要した。
男は立ち上がり、呆然と空を仰ぐ。
「────……カノン……」
それは、あの夜。誰もいなくなった遊園地で。
少女の口から紡がれた音色と同じものだった。
◆ ◆ ◆
「……ねえ蒼太。あれ」
旋律が流れる中、花那がある場所を指差した。
飛び散った岩石の破片の下──何かの紙切れが挟まっている。煤けた場所にありながら、焦げずに綺麗な状態を保っていた。
「何だろう……」
「……もしかして、あいつの?」
一誰も紙なんて持って来ていない。だとすれば、男かメタルティラノモンのいずれかが持っていたのだろう。
蒼太はデジモン達の様子を伺う。──状況は膠着しているようだ。男は何やら空を見上げている。
男に気付かれないよう、蒼太は身を屈ませながら瓦礫に近付き──紙切れを手に取った。
そのまま急いで花那のもとへ戻る。二人で紙を広げてみる。
そこには、自分達が使っているものと同じ言語で──そして女性の筆跡を思わせる文字で、いくつかの文章が書いてあった。
その内容は────
「────────何だ、これ」
それは──溶けた女が残した記録を、とある少女が書き留めたもの。男がずっと持っていた、くしゃくしゃのメモ用紙。
デジモン達に捉えられた人間達がどのような目に遭っていたのか。その事実の断片を明らかにするものであった。
少年と少女の手が震える。思わず紙を手放した。それは風に乗って──突然、ノイズ混じりに消えていく。亜空間のワイズモンが回収したのだ。
『……、……そう。人体実験ですか』
内容を一読し、呟く。
『我々デジモンは、人間の子供達に……そんな事までしていたのですね』
『……こ、これ、本当だったら……フェレスモンに捕まった子たちは……』
『どうだろうね。うわ、摘出ってもしかして無理に取り出したのか。惨いことするな』
非人道的な行為を想像させる内容。フェレスモンが関与したかもしれない人体実験。人間による手記。それらの情報がワイズモンによって整理され、語られる中────ベルゼブモンは、子供達をじっと見つめていた。
何故、彼らは自分の所まで来てくれないのか。それが彼には分からなかった。
「……、……」
何故だろう。
だって自分は、人間をデジモンから救う為に。
『それにしても、人間の文字でこれかあ。……あのさ、もしアタシの考えたことがアタリなら────』
彼女を救う為に。見つける為に。
もう一度出逢う為に。
なのにどうして、何かがおかしい。
『────そいつにも、人間のパートナーがいる筈なんだよね』
音楽が止まった。
『まあ、この名探偵みちるちゃんには誰かってとこまで推理できてるんですけど! ねえワトソンくん?』
『いや、ボクは知らないけど……』
みちるの発言に、一行はただ驚愕していた。毒のデジモンがパートナーを持つなど、聞いたこともなければ想像もし難い。
けれどもし、みちるの推測通りだとするならば──そのパートナーは一体何処に?
「────そうか。いなくなったんだ」
そう口にしたのは、フレアモンだった。
「ネプトゥーンモン達の、パートナーが消えたように。……だから、探してる……」
根拠はない。納得もできない。それでもそう思った。
子供達は顔を見合わせた。……男の行為はあまりに暴力的で残酷で、受け入れ難いものだ。けれど男が本当にパートナーを持っていたのなら──通じ合える誰かが、居たというのなら。
もしかしたら、きちんと話せば分かり合えるのかもしれない。子供達はそんな希望を僅かに抱く。
「……せいじ、今のうちに皆の所へ」
「う、うん……!」
男は子供達を見つめている。寂しげに、悲しそうに。
「……」
蒼太が、一歩前に出た。
それは子供達が、男と向き合う為の一歩だった。
男はその姿を見て、何かを口にした。何と言ったのかは分からなかった。
同時に、ライラモンが再び花の香りを周囲に散らせる。激昂した男を少しでも落ち着かせる為に。
『お、いい感じ? そうそう、争いはやめましょうってね! キミの事情は分かったからさ、銃を下ろして仲直りしようぜ! そしたらキミのパートナーを一緒に……』
「────熱っ」
少女の声を遮ったのは────銃声と、ライラモンの声。
「……、……あ?」
宙を浮いていた筈なのに、何故か地面に膝を着いている。
その膝から、鮮やかな血液が流れ出ていた。
子供達が叫ぶ。フレアモンとワーガルルモンが駆け寄る。弾丸は貫通し地面を抉っていた。ワーガルルモンが、拳に巻いていたベルトでライラモンの膝を強く縛った。
「────この、においじゃない」
違う。違う。これは少女のにおいではない。
違う。違う。此処にはいない。ここにあの子はいない。あの子がいない。
けれどあの音は少女のものだ。ああ、どうして、
「どうして、カノンの歌を知っている」
あれは、あの子の音の筈なのに。
「どうしてお前が、カノンを知っている」
あの子は、自分しか知らない筈なのに。
なのに。なのに。なのになのに。
────『ああ、そうか』
「お前が────連れて行ったのか」
姿を見せない誰かがいる。
────そこにいるのか。あの子は。
だから知っているのか。あの子を。
ベルゼブモンは深く、深く、肺の中の空気を吐き出す。
頭の中で、コールタールにも似た液体が溢れ出す感覚を覚えた。
ああ────「“食え”。“喰え”。『守れ』。“喰らえ”。『取り戻せ』。『救え』。“喰い尽くせ”。」、ああ、ああ、声がうるさい。
男は再び引き金を引いた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
メタルティラノモンは空を仰いだ。
七色の光。キラキラと降り注ぐ雪。……なんて美しい。
「────ひ、か……り」
手を伸ばした。掴むことはできなかった。
照らされた巨体は、地面に大きな影を伸ばす。──ああ、自分はいつから、こんな姿になってしまったのだろう?
それが悲しくて。もう戻れない現実が、哀しくて。
溶けた右手から、千切れた左手首から──メタルティラノモンは全火力を解き放つ。
もはや形状を持たなくなったエネルギー弾が大地を抉る。照準など無いミサイルが、流星の如く落下していく。
そして周囲一帯が、煙と炎に包まれた。
焼き払われる大地。飲み込まれていく生命。これでようやく空腹が満たせると、彼の本能が僅かな安堵を覚える。
────その時だった。
煙の中から、空へ。
一体のデジモンが天に登るのを、メタルティラノモンは確かに見たのだ。
「……え?」
声を上げたのは誠司だった。
自分がシードラモンと共に、空を飛んでいたからだ。
「……シードラモン……?」
……いや、違う。肌の色が変わっている。形も少しだけ違う。
けれどそれが、紛れもなく自身のパートナーであることを──肌から伝わる、あたたかさが教えてくれた。
「……ねえ! どうして飛んでるの……?!」
「────それは……せいじが、オレを強くしてくれたから……!」
そして────メガシードラモンは、パートナーと天を泳ぐ。
◆ ◆ ◆
胸の紋章を握りしめながら、手鞠とテイルモンは空の光に目を奪われていた。
自身の紋章もまた、輝きを放っていることに気付かぬまま。
直後、そう遠くない場所にミサイルが落下する。
耳を突くような音と共に爆発した。巻き上がる煙と炎、そして衝撃波が、真っ直ぐ彼女達のもとへ走る。
手鞠は咄嗟に姿勢を低くした。避難訓練で習った体勢など、炎に飲まれてしまえば何の意味も成さないというのに。
そんな少女を守ろうと、テイルモンが両手を広げて立ちはだかる。
「手鞠!!」
「……テイルモン……!」
パートナーを呼ぶ声は轟音に掻き消される。
そして、瞬く間に火柱が襲い掛かってきた。
焼けた空気があまりに熱くて、手鞠は声を上げることさえできなかった。
息が苦しい。木材の焦げる臭いが苦しい。────けど、不思議と痛みはなかった。
やがて静かになる。
熱さもなくなり、周囲には暗灰色の煙だけが立ち込めていた。
咳込みながら、手鞠は自分が無事であることを認識する。しかし安堵以上に、恐怖と困惑が胸を押し寄せた。──テイルモンは?
「……あ……」
恐る恐る顔を上げる。
荷台は炭になっていた。けれど自分は生きている。
それは彼女が、身を呈して自分を────
「…………チューモン?」
どうしてだろう。目の前、煙の中に──大きな花が咲いているのだ。
かつての彼女の肌と同じ、桃色の花が。
「────手鞠、怪我は?」
花が動き、振り向く。
人間の大人と似た容をした──それは、花の妖精だった。
「……綺麗」
思わず出た言葉に、妖精は「え?」と声を上げる。
「……とっても、綺麗だね。チューモン……」
すると、花の精は照れ臭そうに顔をしかめた。
パートナーよりも大きくなった彼女は、両手で手鞠を抱き寄せる。
「……今のウチは、ライラモンって名前らしい」
それから、手鞠の腫れた足首をそっと撫でた。
────怖かっただろう。壊された馬車で、子供達だけで。
「……ごめん」
「どうして? わたしのこと、守ってくれたのに」
「本当に、怖い思いをさせた」
「…………」
「……なのにごめん。ウチはまた、アンタを此処に置いて行かなきゃいけない」
我ながら残酷だと思う。けれど自分は戦わなくては。この子を、生きて帰す為に。
「だけど信じて欲しい。もう怖くないんだ。ウチは今度こそ……勝って、戻ってくるから」
「…………ライラモン」
「ちっぽけなウチが、手鞠のおかげでここまで進化できた。そんなウチが戦う所、アンタに見届けて欲しいんだよ」
手鞠は少しの間、俯く。
やわらかな光を放つ紋章を、ぎゅっと握り締め──顔を上げて、しっかりと頷いた。
ライラモンは優しい笑顔で「ありがとう」と言った。立ち上がり、再び背中の花を向ける。
「……よくも手鞠を怪我させたね。……仲間達を……!」
ライラモンは怒りを込めて睨んだ。男を。メタルティラノモンを。
「許さない。絶対に切り刻んでやる!!」
◆ ◆ ◆
柚子のデジヴァイス、そして紋章から溢れるのは、藤色の光。
それはウィッチモンの全身を包み込むと、分厚い絹のベールとなって彼女の頭部を覆い始めた。
「……これは……」
身体中に温かさが広がっていく。使い魔の使役によって爛れた両手が────破壊された内蔵が、修復されていく。
肥大した手は二進法の文字列と共に変化し、人間のものより少し大きい程度の黒い手へ。纏う衣服も、鮮やかな赤からワインレッドに染まった。
自分という存在が────その種族を、進化世代を、確かに変化させていくのを感じていた。
「…………ワタクシが……」
まさか自分が。……という思いが、不思議と最初に湧いてきた。
離れた場所から援護するだけの自分が、この恩恵を受けても良いのだろうか。
「……ユズコ」
黒い手を、そっと柚子に伸ばす。新たな自分の姿を怖がられないか、僅かに不安を抱えながら。──柚子はその手を取り、指を絡めて握り締めた。
「────ワイズモン、良かった。皆ももう、痛くないんだね」
「え……?」
その言葉に、“ワイズモン”は思わずモニターに目を向ける。
画面に反射する自分の姿。そこに、自らの種族情報が表示されていた。
「……」
──映し出される視界の中に、完全体と成った仲間達の姿を見る。
パートナーと共に立ち上がり、立ち向かっていく姿が。
そんな、目映い光景。
目を釘付けにしていたのは、柚子達だけではなかった。
「みちる。何とかなって良かったじゃないか」
画面を凝望する少女に、青年は優しく声をかける。
「ああ。……綺麗だね。はるか」
そう言った、少女は目を細めていた。
◆ ◆ ◆
周囲を照らす輝きの中。
少年の前に現れたのは────大きな紅蓮の獣人だった。
轟く咆哮。
獣人はベルゼブモンの腕を鷲掴み、少年の視界から引き剥がすように放り投げた。
男の身体が宙に浮く。しかし受け身を取って着地し、瞬時に構えたショットガンの引き金を引いた。
──それを見切った獣人が身を躱す。弾丸は皮膚を掠め、鮮やかな血液がその軌跡を描いた。身体の回転と共に紅蓮の鬣が振るわれる様は、まるで舞の様であった。
獣人はそのまま大地を蹴った。走り出すと、あろうことか男に背を向けたのだ。弾丸の的になることも厭わずに。
そして──その先に立ち尽くす、少年のもとへ。
「────蒼太!!」
名を叫ぶ。少年はその声に我に返る。
伸ばされた手。優しい瞳。しかしその背後、男が銃を向け────
「! 駄目だ!! コロナモ……」
「────うおおぉおおっ!!!」
砂塵の中から飛び出す腕。
雄叫びと共に男に掴み掛かる、白銀の影。
「行け! フレアモン!!」
こちらに向けて声を上げた。聞き覚えのある声だった。
「こいつは僕が!! だから、蒼太と花那を……!」
「……頼んだ。ワーガルルモン!」
紅蓮の獣人──フレアモンは少年を抱きかかえ、鋼鉄の翼を起動し飛び立つ。
焦るように空を切る。戦闘機にでも乗ったのかと錯覚する程のスピードだった。
そして視線の先────炎と瓦礫に囲まれ、動けなくなった花那を救い出した。
「花那!!」
「……!? あっ……」
「良かった! 良かった……!」
少女を胸に、生きていることを心から喜ぶ。
花那は状況を咄嗟に飲み込めなかった。しかし頬に感じる温もりと、少し硬い毛並みの感触に──自身が生き延びた事を、そして、大切な仲間が再び立ち上がれたのだと知る。
どっと胸に押し寄せる安堵感。緊張の糸が切れ、花那は大声で泣き出した。
「わああぁん!」
「大丈夫……もう、大丈夫だよ」
「……か、花那っ……ごめん、ごめんな……!!」
煤に汚れた花那の姿に、蒼太はひどい罪悪感と恐怖を覚えた。自分の稚拙な作戦が、友人を殺しかけたと自覚したからだ。
「俺があんなこと、言ったから──……っ!」
──すると、自分を抱く腕の力が、少しだけ強くなるのを感じた。
泣きながら顔を上げる。そこには、優しい笑顔があった。
「……蒼太。……俺達の為に、ここまで……戦ってくれたんだね」
「でも……っ! 花那を、皆だって……俺のせいで、殺したかもしれなかった!」
「……誰も死んでない。生きてるよ。……蒼太、むしろ逆なんだ。君と花那が……皆がいたから、俺達は」
「……ッ……」
「だから────ありがとう」
勇気を出してくれて、立ち向かってくれて────生きていてくれて。
それは慰めではなく、心からの感謝の言葉。少年は、声を引きつらせて泣きじゃくった。
◆ ◆ ◆
花の精霊は新緑の光線を放ち、赤い蛇竜は雷撃を発する。
「ライラシャワー!!」
「サンダージャベリン!!」
光線はメタルティラノモンの装甲に穴を空け、肉を貫く。露わになった部位を雷撃が焼き焦がした。
メタルティラノモンは身悶え暴れ出す。自らのデジコアが破損していくのを自覚する。逃れるように体勢を変え、二人を薙ぎ払おうと尾を振り回した。
「────潰す気!? させないよ!」
けれどライラモンは立ち向かう。
その手にナイフは無い。しかし花弁のような手先を、鋭い刃に変えて構えた。
「ライラックダガー!!」
そして──彼女の刃は今度こそ、メタルティラノモンの肉を切り裂いた。
そのまま骨を断ち、尾が切断される。細かくなったケーブルと肉片が地面に転がった。
同時に、迸る血液が彼女へ降りかかる。ネプトゥーンモンの結界は時間切れなのか、もう彼女を守ってはくれなかった。
だが、今の彼女は完全体だ。多少その身に毒を受けても、致死的状況に陥ることはない。組織を火傷しながらも手で拭った。
前屈みになったメタルティラノモンの、溶けた腕からミサイルが発射される。
メガシードラモンはそれよりも高く泳ぎ、雷撃でミサイルを撃ち落としていく。──だが、
「! ライラモン……左腕の方が来る!」
「あんな状態でまだ使えるの!? しぶといね!」
「せいじ、たくさん動くから、絶対に落ちないで!」
「え、え!? 待っ……」
エネルギー弾に備え、二人は回避すべく距離を取った。進化により強化されたとはいえ、直撃すれば只では済まない。
そしてメタルティラノモンは左腕を掲げた。手首の内部から光を破裂させ────
「────紅蓮獣王波!!」
獅子を象った火炎により、左腕ごと消し飛ばされる。
呆気に取られる二人の後方。炎を腕に纏った、フレアモンが浮いていた。
────わざわざ語り合う必要はない。姿を変えても、それが仲間だとすぐに理解できるのだから。
「なんだ、遅かったじゃないの」
ライラモンが、口角を片方だけ上げてみせた。
「……あの子らは?」
「大丈夫、安全な場所に連れて行った。それと────あのデジモンは、ワーガルルモンが」
言いながら、灰色の大地へ目線を落とす。
そこには二体のデジモンの姿。白銀と漆黒が争う様子が遠目に見えた。
「だから俺達は、こいつを……」
メタルティラノモンは、既に存在しない左腕を掲げては、発射するような動作を取る。
もう、尾と片腕を失った事実を認識できていなかった。
────その姿の、なんと嘆かわしい事か。
「……。……ウィッチモン。聞こえる?」
フレアモンは虚空に告げる。すると
『ええ。はっきりと。……それと今は、ワイズモンと申します』
「ワイズモン。姿を見られなくて残念だ。……メタルティラノモンの状態を知りたい。彼のデジコアが今、どうなっているのか」
『解析可能です。────現在、対象のデジコア損傷率は六十八パーセント』
「ちなみに聞くけど、さっきまでのウチの努力はどのくらい成果あったの?」
『初期状態では二十パーセント程でしたわね』
「え……あんな頑張ったのに? 酷すぎない?」
『攻撃に関しては最早、ワタクシがフォローする必要も無いでしょう。このまま計測を続行します。皆様はメタルティラノモンの動きを止め、頭部を破壊することに専念して下さい』
「……わかった、ありがとうワイズモン」
フレアモンは顔を上げる。メタルティラノモンの濁った片目が、じっとこちらを見つめていた。
「────送ってあげよう。俺達で」
メタルティラノモンの視界は、ダークティラノモンであった時から酷く濁っていた。
光も色も分かるけれど、物体の輪郭は判別がつかない。自身に向かってくるデジモンなど、初めから鮮明には見えておらず──ぼやけた何かが動いてることしか分からなかった。
だが、視力の有無は関係ない。見えなくても感じるからだ。命のにおいが、気配が。
「────」
食べたい。
いくつもあるのに、なかなか食べることができない。
もどかしい、という感情は湧かないが──彼の頭の中で、早く喰らえと本能が叫ぶ。早くしなければ、溶けて消えるのだと。
駆られるまま、残された右腕からミサイルを放つ。
蝋燭の火が最後の燃え上がりを見せるように、大地を踏み荒し、がむしゃらに暴れた。
「メイルシュトローム!!」
メタルティラノモンの足元が凍り付く。直後、電気を帯びた竜巻が襲う。
動きを封じられた巨体に、臼緑色の光弾が放たれた。
「マーブルショット!」
どうしよう、肉が減っていく。身体が減っていく。
減った分を補わなければ。
食べて、食べて。元に戻さなければ。
「──────、たぃ」
食べたい。食べたい。食べたい。
食べたくて仕方がない。どうしてこんなに食べたいのか、わからなくなる程に。
「……た……べ、……」
『──右腕の動作停止を確認。損傷率七十五パーセント。
子供達の方向へ突進されないよう、ライラモン。彼の膝を落として下さい』
ああ、そうだ。
生きていたかったから。
「任せな。──ライラックダガー!」
生きて、生きて、生きて。
もう一度、美しい空を眺めたくて。
「────」
そして────四肢の自由を奪われたメタルティラノモンは、ようやく大地に膝を着く。
『損傷率、八十九パーセント。あとは──』
「ウチが首を切って仕舞いだ。今度はちゃんと切ってやるさ」
「……ライラモン! すまない、待ってくれ」
フレアモンが呼び止める。今更何を待つ理由があるのか、ライラモンは訝しげに尋ねた。
「ひとつ……頼まれてくれないか。────を……」
「……。……フレアモン。それは、情けのつもり?」
「…………ああ、そうだ」
「……そうかい。……わかったよ。仕方ないね」
「────、──」
ふと、甘い香りがした。
心地好い香り。近くでたくさん、花が咲いているような。
……そうか。
たくさん、たくさん、デジモン達を食べてきたから、治ったんだ。
だってほら。空はまだ曇っているけど、こんなに綺麗な太陽が昇ってる。
だからきっと──もうすぐ空も晴れるのだろう。
「──……、──」
────その“太陽”は、皮膚が崩れた黒い鼻先に触れた。
あたたかな手のひら。結界の加護を失った肌は、毒で焼けていく。
「どうか……君が、安らかに眠れるように」
それでも離さなかった。
濁った瞳から、一筋だけ涙が零れた。
フレアモンは溶けた鼻先に自らの額を当て、そっと、優しく撫でて────
「────清々之咆哮」
咆哮と共に放たれる火炎の衝撃。
それは聖なる焰。浄化の力を以て────メタルティラノモンの頭部を分解した。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
────そして。
選ばれし子供たちは、氷の壁に向かい立ち上がる。
轟音と銃声と叫び声、血のにおいに満ちた向こう側へ。
先頭を行くのは花那だ。
「……」
胸が高鳴る。緊張が渦巻く。
──屈む。信号拳銃を片手に、溶けた氷で濡れた地面に手をついて、クラウチングスタートの体勢を構える。
「……よーい……」
ドン。自身の掛け声と共に走り出した。
壁を抜ける。男と真正面から当たらないように、懸命に周囲を確認しながら。
「────ッ!!」
視界の中、毛並みを赤く染めたガルルモンが立っているのを見た。
ガルルモンは花那を呼び止めた。それでも、走り続けた。
走り抜けていく少女に、男は一瞬だけ目を見開く。銃を下ろし、追おうとする。
続けて蒼太が、そして誠司が走り出す。
『────げ、ちょっとあの子達ウソでしょ!? 何してんのー!?』
想定外にも程がある子供達の行動。みちるは驚愕の声を上げた。しかし悲しいかな、離れた使い魔からの音声では子供達に届かない。
少年達は息を切らせて走っていく。鉄くさい空気が肺に入り込んで気持ち悪い。
土煙の中、誠司は必死にパートナーの姿を探した。
「! し、シードラモンが……! ティラノに捕まってる!」
「誠司! 一発目だ!!」
二人同時に擲弾の栓を抜き、ありったけの力を込めて投げる。
飛散した粉のいくらかは風に流されていってしまった。──それでも、ほんの数秒。まさに今、シードラモンを喰おうとしていた巨体の動きを止めたのだ。
シードラモンはその隙に氷矢で身を包む。自身を掴む掌との間に、僅かな空間をこじ開けた。
ずるりと地面に落下し、どうにか命を取り留める。しかし喜ぶ様子はなく、少年達に向かって何かを必死に叫んでいた。だが、メタルティラノモンの呻吟する声に掻き消される。
「やった! ……けどダメだそーちゃん! 男の方に効いてない!」
「そんな……どうして……!」
粉は男の方向にも、少なからず流れて行った筈。だが、男が苦しむ様子は一切見られない。
どういう事か困惑する。蒼太は、あの黒い男は毒に侵されていると思い込んでいた。男の立ち振る舞いは、幾度も目にしてきた汚染デジモンとよく似ていたからだ。
ウィッチモンと柚子なら知っているだろうか。しかし使い魔は目の前で喰われ、もう一匹もどこにいるのか分からない。孤立した子供達には、情報を得る術が無かった。
──その時だ。先頭を走る花那が信号弾を放った。
火薬が詰まった星弾は煙を吐いて空に昇り、破裂する。
周囲を照らす鮮やかな光。メタルティラノモンは────それを、じっと見上げた。
「────、ぁ────」
両手を伸ばす。
瞬間、シードラモンが背後に回った。抉れた頚部に氷柱を突き刺していく。
響く叫び声。メタルティラノモンの両手から、エネルギー弾とミサイルが発射される。
それらはいずれも空に放たれ、何処に墜落するかが予想できない。
──無差別に着弾すれば、飛び出した子供達が巻き込まれる。ファイラモンとシードラモンが慌てて迎撃しようとして────
「────」
ベルゼブモンが銃を構えた。
乾いた二発の銃声が響く。
放たれた銀の弾丸が、メタルティラノモンの左手首とミサイルを一瞬で吹き飛ばした。
「…………何あれ。マジで?」
氷上を滑走するテイルモンは、その光景を見て吐きそうになる。あんな奴に勝てるわけないだろう。
それから間もなく。テイルモンは無事に馬車へと到着した。
子供達が取った決死の行動は、確かに男とメタルティラノモンの注意を引き、パートナー達を守ったのだ。
「…………ちょっと」
しかしテイルモンはその事を知らない。
後輪を失った荷台。散らばる木材。自らのパートナーが負傷した姿と、他の子供達がいなくなっている光景に──彼女は眩暈を起こしそうになった。
「! て、テイルモン……!!」
「……ちょっと待って……何で手鞠しかいないの。何であいつらどっか行ってんの!? 何であんたは怪我してるの!!? 何で!!!?」
テイルモンの感情が爆発する。
「あんたとウチだけで帰れって!? そんな馬鹿な話ある!? 皆を頼むって、ウチはあいつらに!!」
「ごめんなさい! でもこうするしかなかったの……!」
もうこれ以上、皆に傷ついて欲しくなかった。──そう泣いて詫びながら、手鞠は空に向けて信号弾を放った。
それを見て、花那がもう一度打ち上げる。蒼太と誠司が続けて投擲する。
────ああ、メタルティラノモンは確かに動きを止めるのだ。光が空に浮かぶ度、見上げて見惚れて、手を伸ばそうとする。
きっと相手が彼だけであれば、このまま逃げ切れたのだろう。……だが、男は止まらない。相変わらず効いている様子がない。
蒼太の中で焦燥感が募っていく。どうして効かないのだろう。やはり風向きが悪いのか? それともあのデジモンは本当に、毒に侵されていない普通のデジモンなのだろうか?
光の粉が煌めく中、少年は男に目をやり──。
「ぎっ……ああっ……ッ!!」
……いいや、違う。
あれは毒だ。そう確信した。だって、
「────ファイラモン……!」
ガルルモンを食らい、そして今────ファイラモンの翼を引き千切って喰っている奴が、まともなデジモンなわけがない!!
『いよいよまずいね。皆もバラバラになっちゃったし。みちる、作戦変える?』
『でもさー、そしたらもう──……しかないじゃん?』
花那が再び信号弾を放つ。放って、走って、また放つ。それに呼応するように、手鞠も馬車から信号弾を放った。
メタルティラノモンが空の光に見惚れている間、誠司はシードラモンのもとへ走って行く。そんな誠司を巻き込まぬよう、シードラモンは周囲に氷壁を張り──そして、合流した。
「シードラモン! 大丈夫!?」
「……せーじ……どうして……!」
「いいから逃げよう! あいつはオレたちで止めるから!
そーちゃん、こっちはオッケーだ! このまま村崎さんを迎えに行くよ! 多分そっちのが早い!」
「よし、頼む! ……花那ーっ!」
蒼太は大きく手を振り、呼びかけた。花那はそれに気付いて足を止める。
そして息を整えながら、誠司がシードラモンと合流したことを目視した。
「……はぁ、はぁっ……!」
──あとは自分達とパートナー達が逃げ切れれば、そうすればこちらの勝ちだ。
ファイラモンとガルルモン、どちらも男との距離は近い。しかし男は──こちらを向いているように見える。
「……シードラモン……」
シードラモン達もこちらに向かっている。その理由を花那は理解した。……確かに、自分が走ってガルルモン達の所へ戻るよりは、速くて安全だろう。
だが────花那は悩んだ。いっそ自分だけで、もっと遠くまで逃げるべきか? そうすれば男も自分を追いかけて、蒼太とファイラモン、ガルルモンが逃げられるだろうか。
「…………ううん」
無事に逃げて欲しい。けど、自分に何かあれば彼らは悲しむだろう。
それは嫌だった。特にガルルモンとファイラモンにはもう、仲間がいなくなってしまう気持ちを味わって欲しくなかった。
だって、それがどれだけ彼らを悲しませ、悩ませていたか────自分達は知っている。
それにガルルモンは酷く傷を負っている。自分が遠くに離れてしまう程、デジヴァイスを介していても回路の繋がりは薄れるだろう。彼の怪我を少しでも和らげたいなら、駆け寄って、ちゃんと触れてあげなければ。
「……戻ろう。ガルルモンの所まで」
もし男が来たら、信号弾で追い払ってみせる。今度は自分が、大事な友達を守るのだ。
「……大丈夫。……私は速いんだ。クラスでも、学年でも……だから、絶対に……あいつを巻いて、皆で、逃げ切れる……」
自分を鼓舞して、方向転換し──花那は再び走り出す。時折、地面に残った氷で転びそうになりながら。
「……待ってて、ガルルモン……!」
◆ ◆ ◆
「花那……」
駆け出した花那を見て、蒼太は察した。彼女が、ガルルモンのもとへ向かおうとしているのだと。
「────」
誠司とシードラモンが花那を追っている。メタルティラノモンは行動と停止を繰り返している。
ガルルモンは────地面に倒れてしまっていた。
「…………ガルルモン」
そして、
「……ファイラモン……」
片翼のファイラモン。もう、空を飛んで逃げることはできないだろう。動く足を必死に動かして、なんとか男と距離を保っている状態だった。
距離を取った所で、銃を持った男を相手に意味はない。子供ながらにそう思う。きっと男がその気になれば、飛べないファイラモンはすぐに撃たれて、喰われてしまうのだ。
「────」
────ふと、思い出してしまう。
フェレスモンの城で、串刺しにされたコロナモンの姿を。
血溜まりの中、動かなくなってしまった──小さな身体を。
「……あ、……」
そのイメージは今、考えてはいけないものだ。だから必死に振り切ろうとする。
けれどあの時の気持ちが蘇ってしまい、胸が苦しくなった。とてもとても怖くなった。
「────ッ!」
……そして、気付けば自分も駆け出していた。
ファイラモンのもとではなく、あの黒い男に向かって走り出していた。
ああ、だってそうだろう。
男の狙いが人間なら、向かってくる自分を無視するわけがない。
きっと止められる。止めてやる。だから────
「俺が……アイツの所まで……!」
男は蒼太に気が付いた。
少女を追っていた矢先、自らに向かってくる子供の存在を認識する。当然ながら、男の意識はそちらに向いた。
誠司と手鞠の声が聞こえる。聞き取れないが、そっちへ行くなと言っているのだろう。
花那が走りながら、目線を何度かこちらに向けた。けれど止めはしなかった。蒼太のことも、自らのことも。
少女は走り抜けていく。ガルルモンとの距離はまだ遠い。花那は男に向けて信号弾を撃っていた。少しでも男の目を晦ませて、逃げきろうと必死だった。
けれど、男の意識は既に少年に向けられていた。
破裂する光に動じることもなく、また反撃することもない。自分に駆けてくる少年を瞳に映して、真っ直ぐに歩み寄ってくる。
黒い手は少年に差し伸べるかのように、だらりと上げられている。ファイラモンか、ガルルモンか、どちらかの血で赤く濡れていた。
もしかしたら自分も、その手に掴まれたら喰われるのかもしれない。
あの黒い手が、自分の血で更に赤く染まるのかもしれない。
怖い。怖い。それはブギーモン達に立ち向かったあの時よりずっと。
「……ファイラモン……っ」
ああ、それでも。
走れ。走れ。もっと足を動かして。
「……コロナモン……!!」
────走馬灯のように、彼らとの出会いを思い出しながら──少年は考える。
人間は、何の為にいるのだろう。
パートナーは何の為にいるのだろう。
ただデジモンを強くする為の道具? デジヴァイスも、心の在り方を記した紋章も、その為の道具?
人間は戦えない。デジモンとは違う。
逃げて隠れて守られて、ただ見ているだけでいい。あとはデジヴァイスが回路を繋げてくれる。
「……違う!!」
それが嫌だったから────今までずっと、がむしゃらになってきたんじゃないか。
「俺たちは────……」
ただ見てるだけじゃない。
ただ祈るだけじゃない。
力が無くても、足りなくても。それでも彼らと生き抜くと決めた。
共に戦うと、心に決めた────
「────選ばれし子供たちだ!!」
栓を抜いた。
手榴弾を投げた。
少年の手から離れた瞬間、膨張する。銀の弾丸がそれを撃ち抜く。
光が溢れた。
◆ ◆ ◆
灰色の大地に光が灯る。
それは、聖なる粒子だけに依るものではなかった。
灰色の空に光が灯る。
それは、暗がりを照らす陽光のように。
頭上後方で起きた擲弾の破裂。その衝撃で蒼太は転倒し、地面にうつ伏せていた。
僅かな間だけ吹き飛んでいた意識を取り戻し、上体を起こす。
周囲に溢れる光。……信号弾のものとは違う。けれど、見覚えが確かにあった。
立ち上がり、今度は自分の身体に目線を落とす。
デジヴァイスが、そして胸元に下がる紋章が────燃えるように赤く、紅く、灯籠のような灯りを宿していた。
選ばれし子供たちの紋章は輝き、その光は次元を超え、灰色の空へ伸びていく。
天に浮かぶ七色の光帯。
二進法で表された文字列が、雪のように降り注いで────
◆ ◆ ◆