
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
星の数ほどの命の中。出逢えたことはきっと、ひとつの奇跡なのだろう。
それが良いものであるか否か。どんな結果をもたらすか。
────そんなことは、さて置いて。
*The End of Prayers*
第二十六話
「Hello,Hello,Hello」
◆ ◆ ◆
迫り来る足音。地響き。空気を震わせる雄叫び。
ダークティラノモンと呼ばれた個体は──子供達が知るところの“恐竜”と、非常によく似た姿をしていた。
「……すっげー……そーちゃん見てよアレ! ティラノサウルスだ!」
恐竜好きの誠司は目を輝かせた。だが、蒼太は青ざめた顔で言い放つ。
「あんなティラノいてたまるかよ! っていうかデカすぎない!?」
悲しいかな、この遠目からでも分かってしまう体長の大きさ。今まで出会った生き物の中で最大だろう。
そんな黒い巨体が、発達した腕と尾を振り回しながら驀進してくるのだ。デジモン達も流石に顔を引き攣らせている。
「……ウチ、踏み潰されないかなあ」
テイルモンの心の声が漏れた。大きな溜め息を吐き、それでも気だるげにナイフを構える。
「あー、ちなみに作戦とかあんの?」
『腕と尾による攻撃は必ず回避を。あとは、これまで通りにお願いしマス』
「だってさ。じゃあユキアグモン、お先にどうぞ」
「ぐぎゃー!」
ユキアグモンは気合十分に両手を上げ、誠司と叩き合う。デジヴァイスの画面から溢れた蒲公英色の光が、小さな体を包み込んだ。
そのまま荷台を飛び降りる。光と共に着地する瞬間、ユキアグモンはシードラモンへと姿を変えていた。
「き、気を付けてね、テイルモン……!」
手鞠の声に、テイルモンはナイフを掴んだ片手を挙げて答えた。彼女もまた飛び降りて──背後に広がる氷の道を滑走する、海色の尾に飛び乗った。
「コロナモン、俺たちも!」
「ここからだけど……私たち、一緒に頑張るから……!」
「……ありがとう。行ってくる!」
蒼太がデジヴァイスを掲げると、紅色の光が放たれる。コロナモンを包み込み、そしてファイラモンとなって馬車を飛び立った。
仲間を送り出した荷馬車は速度を変え、ダークティラノモンと一定の距離を保つように移動を続ける。離れすぎてはデジヴァイスが媒介としての役割を果たさず、接近しすぎれば巻き添えを喰らうからだ。
故に、ガルルモン達は後方からの援護射撃を担う。子供達も拙いながら、与えられた武器を使用しフォローする。──しかし数に限りがある為、柚子達からの指示があるまでは使わず待機だ。子供達はデジヴァイスを握り締め、少しでもパートナーに力が及ぶよう祈った。
『対象、射程圏内に突入しマス。三、二……』
そして────ダークティラノモンは、シードラモンが張り巡らせた氷の大地に踏み入った。
摩擦を失った地面に足を滑らせ、割れた氷に足を取られ、巨体が横転する。
その瞬間、先陣を切ったシードラモンが氷柱の矢を発射させた。
「アイスアロー!!」
降り注ぐ氷柱の雨。しかし殆どが尾に振り払われ砕け散った。むなしく舞う氷片の中、今度は上空から火炎弾が抜けていく。
「ファイラボム!!」
二発の火炎弾はダークティラノモンの顔面に直撃した。皮膚が焼け、黒い煙が立ち上る。
──ひどい臭いだ。間近で吸えば嘔吐しそうな、毒の焼ける臭い。眼球に染みて涙が出そうになる。
かといって離れるわけにもいかない。煙が視界を遮る中、ファイラモンはそれでも接近し火炎弾を撃ち込んだ。……どこに命中したのかもわからない。ただ、煙幕の向こうに黒い影だけが浮かぶ。
黒い影が揺れ、大きく動く。
ファイラモンの存在を捉えると、彼の頭上めがけて腕を振り降ろした。
「! ──ッ!」
「アイスキャノン!!」
刹那──馬車の方角から、ガルルモンによる氷の砲弾が放たれた。
ダークティラノモンの肩に落下し、腕の照準が後方にずれる。ファイラモンはその隙に距離を取り回避した。
強靭な腕、巨大な尾。圧倒的な重量とスピードを以て振るわれる物理攻撃。直撃すれば、たった一撃でも致命傷になりかねない。
それは明確な脅威だった。同時に、真っ先に対処しなければならない部位でもある。
『──このままでは攻撃が深くまで入らない。やはり腕と尾から潰すしかないでショウ。
ガルルモン、彼の気をできるだけ引き付けて下サイ。その隙に……』
「俺とテイルモンで腕を!」
「おれとウィッチモンで尻尾を切る!」
氷弾が再びダークティラノモンを狙い撃つ。
鈍い音、砕ける音。不愉快そうな叫び声。ぐるぐると激しく回る眼球は、狙撃位置を懸命に探しているようにも見えた。しかしダークティラノモンの照準が固定されないよう、ガルルモンもまた馬車を移動させていく。
『シードラモン。尾の先端、五メートル部位を凍結!』
「────コールドブレス!」
使い魔の視界は、尾の一部が僅かに破損している事を見逃さなかった。
彼女はそれを、毒の腐食によるデータの欠落だと推測する。であれば、その腐食は周囲にも広がっている可能性もある。
叩くべきはそこだろう。ウィッチモンの指示のもと、シードラモンによって破損部位が凍結された。
『『バルルーナゲイル!』』
使い魔達の風の刃が巻き込み、チェーンソーのような音を立てて尾を切り刻んでいく。ダークティラノモンは抵抗してみせるが、彼の背後にぴたりとくっ付く使い魔達を振り払う事はできなかった。
やがて凍結部は見事に砕かれ、巨大な尾は本体から切り離される。地面に落下すると、打ち上げられた魚のように大きく跳ねた。
『……成功デス。次は腕を!』
ダークティラノモンはバランスを崩し、僅かに前のめりになっていた。
何かに攻撃された、その認識はある様だ。しかし尾が切り落とされたことに気付いていない。────痛覚が無い以上、見えない場所は傷ついても認知できないのだろう。
『ガルルモン、彼の気を正面に向かせ続けテ。二人は静かに移動シテ下サイ』
ファイラモンはテイルモンを乗せ、ダークティラノモンの背後へ飛び上がった。
氷の砲弾が間近で砕けていく。ダークティラノモンは二人に気付かぬまま、その意識は氷弾のみに向けられていた。相変わらず。役立たずの眼球を回転させている。
「あの様子なら行けるんじゃないの?」
「……いいや」
まだ早い、と。ファイラモンは息を潜め、彼の背後に滞空し続けた。
完全に隙が出来るまで粘る。気付かれれば、テイルモン共々薙ぎ払われて終わりだ。
ガルルモンの咆哮が上がる。三度、氷弾は連続してダークティラノモンの頭部に直撃した。ダークティラノモンもまた雄叫びを上げ、ようやく氷弾の狙撃位置を把握した。
一歩前に踏み込む────背後への警戒がゼロになった瞬間、ファイラモンとテイルモンが飛び掛かった。
「ファイラクロー!!」
炎の爪は首から肩、そして腕にかけて、汚染された肉を切り裂いていく。そのまま腕に喰らい付くと、今度は肘の部位に集中して爪と食い込ませた。
しかし腕には元々のデータ破損もなく、骨を断ち切る事までは叶わない。……せめてもう一度、同じ場所を狙わなければ。
体勢を立て直すファイラモンの下では、テイルモンがクロンデジゾイドのナイフで手首から先を切り付けていた。
ダークティラノモンの巨体に対し、テイルモンはあまりにも小さい。そんな彼女が短刀を振るったところで、その手を切り落とせるわけも無かった。
「ちっ……!」
テイルモンは舌打ちしながら着地し、黒い巨体を見上げる。ナイフを握り直し、再び狙いを定めて──
「!?」
自身がつけた傷口から、黒い血液が噴出するのを見た。
「────」
毒に汚染された血液が、雨のようにテイルモンに降り注いでくる。
ああ、この量の毒を浴びたら死ぬ。間違いなく。
頭で判断できても、回避が間に合わない。まずい。
視界が暗くなる。身体が────
「────……あれ?」
────数秒後。
彼女は、未だ意識が存在していると自覚する。
困惑しながら周囲に目をやった。自分のいる場所は確かに、黒い毒が飛散し汚染されていた。
だが、生きている。
「……」
自分だけ液体が付着していない。焼けずに、溶けずに残されていた。
それは彼女の身体が、やわらかな水のベールで覆われていたからだ。
「テイルモン!!」
駆け寄ったファイラモンが、テイルモンを咥えて退避する。
背によじ登ったテイルモンは、彼の全身も同様のベールで纏われている事に気が付いた。
そして──大地で交戦するガルルモンとシードラモンにも。
「……ちょっと。ねえ、何が……」
「……ネプトゥーンモンだ。俺たちを助けてくれた……!」
それは、ネプトゥーンモンが彼らに授けた加護。
彼らを黒い毒から守る、聖なる水の結界だった。
「……随分、便利なものをくれたもんだね」
「ああ。これなら奴の血でまみれても死なない。首にしがみついたまま戦えばきっと……!」
「馬鹿言わないで。毒は防げても攻撃は防げないんだ。無暗に近付けば潰されるよ!」
ダークティラノモンは全身を地面に打ち付け暴れていた。先程の攻撃で、どうやら尾を失ったことに気付いたようだ。
不規則に暴れる今のダークティラノモンは、振り回される巨大な鈍器そのもの。狙いを定めた攻撃をされるより厄介な状態だ。気を引くことも出来ず、接近すること自体が自殺行為となる。
かと言って、ただ呆然と見ているわけにもいかない。ウィッチモンは頭を悩ませ、他に集中して狙えそうな場所を探していく。
『どこか、他に損傷部位は……』
『……だめ。さっきの尻尾の他は、どこも壊れてないみたい……!』
『地道に潰していくにも限度がありマス。今のうちに少しでも……せめて首元か胸にダメージを……!』
「 ぐ 」
その時。
どこからか、小さな唸り声が漏れた。
「 ぇ 」
同時に、ダークティラノモンの動きが止まった。
『…………ウィッチモン。今のは?』
『────』
突然の事態に、一行は思わず目を見張る。
そのまま、黒い巨体はぴくりとも動かなくなった。隙だらけだ。しかし誰もが警戒して、手を出すことが出来なかった。
それから一分ほどが経過した後。ダークティラノモンの頭部だけが、僅かに動く。
「 ぅ、ぉ え ぇえっ 」
──聞こえてきたのは嘔吐く音。
巨大な喉元が大きく波打つ。口が開かれる。そして────鋭い牙の隙間から、大量の黒い液体が溢れ出る。
黒い吐瀉物が荒野に広がる。
周囲に、灯油を零したような臭い漂った。
────自身が撒き散らしたそれを見て、ダークティラノモンは絶望する。
「! !! !!!! !!!!!!!」
そして、絶叫した。音圧で空気が震える程だった。
叫ぶ。叫ぶ。大切なものを目の前で失くしたかのように叫ぶ。唯一まともに動かせる片腕で、吐瀉物が広がる地面を抉っていく。
けれどそんな行為が意味を成す訳もなく、ダークティラノモンもそれに気付いたのだろう。すると彼は────なんと、自らの腕に喰らい付いた。
馬車から見ていた子供達は、何が起きたのか咄嗟に理解できなかった。しかし事態を認識できた途端、花那と手鞠が悲鳴を上げる。
見るも無残な姿。これが映画であれば、確実に年齢制限が付いたことだろう。
ダークティラノモンの濁った両目が、質量を減らしていく自身の腕を映していた。
「────も、っと────」
吐き出した分を取り戻す為。
喰わなければ。
そう、喰わなければ。もっと喰わなければ。
「た 、──」
頭の中で、声が聞こえた。
「────────べ、さ セて」
そして────その言葉を最後に、ダークティラノモンは沈黙した。
◆ ◆ ◆
口から、鼻から、目元から。
耳穴から、爪と肉の間から、傷口から。
黒い液体が漏れ出していく。
溢れて、溢れて、その身を包む。
実に異様で凄惨な光景。テイルモンは事態を飲み込めずに困惑している。誠司と手鞠は生理的な恐怖感に怯えていた。フェレスモンの城の中にいた三人は、ダークティラノモンの異変が意味する事を知らなかった。
しかしその他、全員。
かつて同様の事態を目にした彼らは知っている。だからこそ、全身から血の気が引く感覚が止まらない。生きた心地さえしなくなった。ダークティラノモンの肉体は、みるみるうちに巨大な黒い塊へ変貌していく────
『アクエリープレッシャー!!』
行動を起こしたのはウィッチモンだった。
『今すぐ対象の破壊を! 急いで!!』
ウィッチモンは叫ぶ。その声が彼らの目を覚まさせ、突き動かした。
ファイラモンとシードラモンがありったけの技を撃ち込んでいく。ガルルモンも絶え間なく氷弾を放った。
溶解した皮膚が焼け落ちていく。しかしその下から、次々と粘性の液体が溢れて固まっていく。
『止めなければ……止めなければ!!』
それは、彼らが初めてデジタルワールドに──ダークエリアに降り立った日に見たものと同じ。
あの時のタスクモンと同じだ。全身に黒い毒を纏い、そして────濁った光の帯が、巨体の周囲に浮かんで覆う。
「僕のハーネスを外してくれ!」
ガルルモンが声を上げた。……此処からでは攻撃の威力が甘い。子供達から離れるのと、ダークティラノモンの進化を止めるのと────どちらが危険か。理解していた蒼太と花那が即座に馬車を降り、ガルルモンからハーネスを外していく。
「は、早く! 蒼太そっちまだ!?」
「あとこれだけ……! ────よし、外れた!」
「行ってガルルモン! あのデジモンを止めてあげて!」
「俺たちは大丈夫だから!」
「……ああ!!」
ガルルモンは全速力で駆けて行く。ありったけの青い炎を、ダークティラノモンの形をした塊に浴びせていった。
「フォックスファイアー!!」
「アイスアロー!!」
「ちょ、ちょっと何なのさ! あいつ一体……」
『説明は後デス! テイルモン、貴女はなるべく距離を取ッテ!』
「ファイラボム!! ……くそ! 足りない……ッ!!」
急げ。急げ。急げ!
早くあの巨体を砕かなければ! 自分達の手で止めなければ! あの時とは違う。此処にはラプタードラモンもピーコックモンもいないのだから────!!
煙が上がる。焼けたにおいが立ち込める。
焼け焦げた毒の塊。固まっていた表皮が、ボロボロと崩れていく。
その下に、水銀色の皮膚が見えた。
『…………ウィッチモン……』
眼球が、ぐるりと動いた。
『────』
肉は溶けて落ち、骨が露出する。その上を血管のごとくケーブルが這う。
機能を奪った筈の尾と腕は、黒い粘液を垂らしながら再生する。
変色した皮膚の上、硬化した毒がそのまま張り付き──それは強靭な装甲となった。
『────────対象の反応が、新たに観測されまシタ』
力が抜けた声で、ウィッチモンは静かに告げた。
『個体名、メタルティラノモン。……完全体……』
そして────メタルティラノモンは、灰に濁った空を仰ぐ。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
空に向け、声を上げる。
自らの渇きを満たす為、清らかな命を求めて。
「 ぁ、あ 」
硬いものが削れるような音がした。ゆっくりと、首が動いた。
虚ろな目線。その先には────シードラモンの姿が在った。
メタルティラノモンは大地を踏む。
地面が割れた。瓦礫が跳ねた。自身が標的であると理解したシードラモンは咄嗟に、残された氷上を逃げていく。
最早、氷柱で牽制する余裕など無い。がむしゃらに逃げるしかない。ガルルモンが氷の壁を生み出し、メタルティラノモンとシードラモンとを遮ろうとするが──ろくな足止めにはならなかった、
ファイラモンは息を呑む。生命への執着は恐らく、ダークティラノモンの時よりもずっと深い。認識した対象を喰らうまで追い続けるのだろう。
「────まずい、テイルモン……!」
メタルティラノモンの対象が突然、変わらないとは言い切れない。もし目を付けられたら────あの小さな身体では確実に追いつかれる。
ファイラモンは慌ててテイルモンを追いかけた。困惑する彼女を背に乗せ飛び上がる。
メタルティラノモンの眼球が片方だけ大きく回り、ファイラモン達の姿を捉えていた。
「! ちょっと、シードラモンが!」
「わかってる! ──ファイラボム!!」
ただ煙を巻き上げるだけの火炎弾。しかしメタルティラノモンは足を止めた。シードラモンが距離を取って逃げ切った。
──それを喜んだのも束の間。
「────ぬ、ぅく、り」
メタルティラノモンは左腕を高く掲げる。溶けた手のひらに光が浮かぶ。空を翔ける二人を狙って。
「!! アイスキャノン!」
「ぁ……れー、ざア」
放たれると同時に、氷弾が彼の肘に命中する。照準がずれたエネルギー弾は、空の二人を焼くことなく雲の向こうへ消えて行った。
「何さ今の! マジで死ぬとこだった!」
「……、……!」
「うっかり道連れなんて御免だね! 何の為に空に逃げたのか分からなくなるよ!」
「────ッ……たった一撃が、本当に命取りになるのか……完全体は……!」
完全体という存在。越えられない進化世代の壁を、一行は改めて思い知る。
これから再会する筈だったフェレスモンも完全体だ。しかし彼と目の前の巨体とでは、あまりに違いがありすぎる。
それはきっと理性の有無だろう。どちらがマシかはさておき──メタルティラノモンには、戦略を立てるような思考が残っていない。ただ認識した命を消す。消して喰らう。その為だけに、本能のまま巨体を動かしている。
デジモン達が固まりさえしなければ、彼の意識は対象となった一体だけに向けられる。しかし認識された一体はどこまでも追われ続ける。
だから彼が誰かに照準を向ける度、別の誰かが攻撃して気を逸らすしか手立てが無い。そうしなければ、まともに攻撃を受けてしまうからだ。
『しかし、これでは……!』
理性と思考を失っているからこそ、この戦法は意味を成す。
しかしそれは────誰かが気を逸らさねばならないといった状況は、一行がメタルティラノモンから逃走不可能である、という事実と同義でもあった。
全員が馬車に戻れば、メタルティラノモンの照準は間違いなくそちらに向く。そうなれば子供達ごと焼き払われてしまう。
かと言って誰かが残り気を引けば、その誰かは帰還できずにメタルティラノモンと対峙することになる。そうなれば、遅かれ早かれ確実に死ぬだろう。
『……ッ……! いいえ、もっと……考えテ……!』
都市へ転移する為の腕輪は二つ。一つはテイルモンの尾に、予備のものが馬車の中に。
デジモンが使用する事が発動条件である以上、子供達だけで離脱はできない。かつてのタスクモンの時の二の舞になるだけだ。
『じゃ、じゃあ、一人が馬車に戻って皆と都市に戻って……あとの三人でテイルモンのリングを使うのは……!?』
『……あの様子では、三人で固まった瞬間に撃たれマス。ワタクシ達の使い魔も、子供達が都市に転移すれば自動でそちらに行ッテしまう……援護も気を引くこともできなくなる。かと言って子供達の避難を後回しにもできない……!』
せめて、進化する前に離脱していれば。────ウィッチモンは後悔した。だが、最早そんな感情に思考を回す余裕さえ今は無い。
『ひゃー、めっちゃ強いじゃんあのジュラシック! みんな頑張れー!』
みちるの場違いな声援の中、デジモン達は絶え間なく攻撃を仕掛ける。
炎が皮膚の表面を焼く。氷柱が僅かに突き刺さり、風の刃が浅く抉る。
「ぎぎっ……骨どごろか肉にも届がない!」
再生した尾と腕が暴風雨の様に振り翳される中、大きな隙でも無ければ接近戦になど到底持ち込めない。
しかし、気を引きながらの遠隔攻撃も非効率的。それも事実だった。デジコアを損傷させるなら、せめて致命傷となり得る部位を狙わなければ────。
『……そうだ。なら……!』
柚子の使い魔が離脱し、子供達の側へ移動する。
『皆、少しでもあいつの動きを止めるよ!』
彼女の指示のもと、子供達は荷台の中に積んだありったけの武器を集めた。
聖なる光を込めた、手投げの擲弾と信号拳銃。子供達が戦う為の唯一の手段だ。
「ゆ、柚子さん、準備できてます……!」
『ありがとう手鞠ちゃん! 投げるのは──』
「オレどそーちゃんでやります! ドッジボールよく遊ぶんで!」
『じゃあ二人、合図でいくよ! ……さん、に、いち!』
「「せーのっ!」」
蒼太と誠司が栓を抜き、ありったけの力を込めて投げつける。弾は空中で破裂し、周囲に光の粉が散布された。
同時に柚子の使い魔が追い風を送り、メタルティラノモンに向けて一直線。その顔面に聖なる光を浴びせていく。
「────! ぎゃ、ぁあ、あァ────」
メタルティラノモンは誰もいない空間に吼えた。一瞬だけ、その動きが確かに止まった。
────成功だ。子供達が作ってくれたメタルティラノモンの隙を、パートナー達は逃さなかった。
「今だ……テイルモン行くよ! ナイフを!」
「言われなくてもぶった切るさ!」
ファイラモンはその額に炎を纏い、メタルティラノモン目掛けて突撃する。
そのままメタルティラノモンのこめかみに激突した。反動を受けたファイラモンに左腕が向けられるが────その腕に、ナイフを構えたテイルモンが飛び移る。
そして彼女はナイフを振り翳し、メタルティラノモンの片目を奪った。
黒い飛沫が上がり、降り注ぐ。しかしネプトゥーンモンの加護が守り抜く。
メタルティラノモンは鋭く硬化された爪でテイルモンを狙った。ガルルモンの氷の砲弾が再び肘を狙い、テイルモンに切っ先が向かうのを防いだ。テイルモンはそのまま逃げるように頭部を駆け上がる。
『今のうちに頸部を!』
ファイラモンは背後に回り、爪を立てて首に飛びついた。うなじに巻き付いたケーブルを噛み千切っていく。
程無くしてテイルモンが合流した。千切れたケーブルにしがみつき、ファイラモンに視線を送る。ファイラモンは頷くと、再びメタルティラノモンの正面に飛び出した。
そしてテイルモンは躊躇うことなく、硬いうなじナイフを突き立てる。……当然だが、一撃ではあまりに浅い。岩盤をハンマーで叩き掘るように、肉を断とうと何度も振り翳した。
自らの損傷に気付いたメタルティラノモンが、右腕からミサイルを発射した。──氷弾と氷矢が迎撃する。
巻き上がる爆炎の中、ファイラモンはメタルティラノモンを誘導するように火炎弾を浴びせていた。メタルティラノモンもまた、ファイラモンに向けエネルギー弾を放っていく。ウィッチモンの使い魔が高圧水流を放ち、その照準を無理矢理に逸らせた。
『このまま誘き寄せマス。動きが止まッタらガルルモンとシードラモンは関節を砕いて! よろしいデスね!?』
『────よし、正面に来たよ! 一気に投げて!』
馬車の直線上にメタルティラノモンが位置したと同時に、今度は四人全員で投擲する。先程の倍量の粉に、巨体は声を上げて悶えた。
「コールドブレス!」
シードラモンの吐息が、メタルティラノモンの左腕を凍結させる。
「ガルルスラスト!!」
ダークティラノモンの時と同様、凍結部位ごと関節の破壊を狙った。爪は関節に這うケーブルを砕き────だが、その奥まで破壊する事は出来なかった。
直後、大きな腕が水平に振るわれ、ガルルモンの腹部に直撃した。薙ぎ払われた胴体は後方のシードラモンと激突し、氷の大地を転がった。
「ぐ……ッ」
「ぎぃっ!」
「! ガルルモン! シードラモン!」
「────手を、休めるなファイラモン……! シードラモン、行けるか!?」
「もぢろん!」
再び駆ける。痛みの中、それでも生き残る為に。
……そう、生きる為だ。決して勝つ為の戦いではない。一時的にも行動不能にできたなら、その間に子供達を連れて逃げていける。
逃げて、都市に避難して。それで────
「────」
だが、それでいいのだろうか?
メタルティラノモンに必死に食らい付きながら、ガルルモンは頭のどこかで考える。
「ぎぃいい、ァあぁァあアア」
ここでメタルティラノモンから逃走すれば、生き残ることが出来る。
けれど────野放しにされたこいつは、再び命を求めて世界を往くだろう。
完全体となった毒のウィルス種。それが今のデジタルワールドを徘徊する。──そこにどんな悲劇が待ち受けているのか。そんなものは想像に容易い。
まず真っ先に、生き残りが密集した地域が狙われるだろう。その中にはきっと、要塞都市やメトロポリスだって──
「────ガルルモン!」
ガルルモンに振るわれた腕。そこにファイラモンが勢いをつけ体当たりする。腕はガルルモンを僅かに掠めたが、幸いそれだけに留まった。
「怪我してないか!?」
「……なあファイラ……僕は……!」
声を掛けながら、二人は黒い腕に飛び移る。ファイラモンの炎の牙が、装甲に覆われていない皮膚を食い破った。
「僕らはあの子たちを、守る為に……! でも……!」
狼の爪が、食い破られた皮膚から関節部を狙う。しがみついて肉を割いて、今度こそ片腕を奪う為に。
「守れるなら、僕らと出会ってくれたデジモン達だって……!」
必死の攻防の中、息を切らせながら告げる言葉に取り留めは無い。しかしファイラモンはしっかりとガルルモンの瞳を見て、「当り前だ!」と声を上げた。
「このままにして、みすみす皆を死なせるなんて絶対させない! その為に戦うんじゃないか!」
だから、何を今更こんな時に。ファイラモンは若干、怒りを込めて吼えた。
「意地でもここで止めないと……!」
『ファイラモン、対象の沈黙は優先事項ではありまセン! 離脱のタイミングを逃さないで! 完全体以上との戦闘は回避すると、全員で話して決めた筈デスよ!』
「でも! ここで眠らせてやらなきゃ……! それにコイツを放置すればどうなるか、分からない君じゃないだろ!?」
『────ッ……! デスが!』
ウィッチモンとて理解している。しかし死んだら意味が無い。それも分かっている。だからこそ止めるのだ。
そんな彼女の制止を振り切り、ファイラモンはガルルモンと共に腕を切り付け続けた。
「俺たちは絶対に……皆で生き残るんだ……!」
柚子の合図と共に、再び擲弾が投げられる。
メタルティラノモンの動きが鈍る瞬間、シードラモンはガルルモン達とは反対の腕に巻き付いた。
「アイスワインダー!」
締め付けなど効果がある筈もない。目的は圧迫でなく、あくまでも振り払われない為にある。彼もまた装甲の薄い関節部分を狙い、皮膚を食い破ろうとしていた。
細かい血管からどれだけ毒の血液が溢れようと、ネプトゥーンモンの結界が守ってくれる。気負うことなく噛みつきながら、口内で生成した氷柱の矢を食い込ませていく。
『限界までワタクシが気を引きマス! ……テイルモン、そちらはどう!?』
「どうって聞かれても!」
テイルモンは、デジコアにダメージが蓄積されていくことだけを願いながら──何度も何度も頸部に刃を斬り込んでいた。
肉は確かに切り裂けているのに、血が出るばかりで先が見えない。そもそもどこまで切ればいいのか、これが致命傷となり得ているかも確信が持てない。
それでもやるしかないから切っていく。黒い血を浴びて、結界が防いで、その繰り返し。──だが、
「……この結界なんか! さっきより薄くなってる気がするんだけど!?」
『何ですッテ!?』
ウィッチモンは思わず声を上げた。高圧水流を撃ちながら、慌てて自身の結界を解析する。
「回数とか時間制限とか決まってるわけ!?」
『……ッ……確定は出来まセンが恐らく後者デス!
ああ、そうデスわよね……考えてみれバ! 永久に使用できる結界なんてものが在れば、世界はとっくに救われていマスとも!』
「きーっ! なんで大事なこと言わないんだあの旦那!」
結界の効果が有限だと気付き、テイルモンは酷く焦る。
しかし努力は僅かに実を結んだようで──デジコアへのダメージを本能が感じ取り、メタルティラノモンは大きく暴れ出した。
腕にしがみついたガルルモンとファイラモンは、何としてでも片腕の機能を奪おうと足掻くが────その腕ごと、地面に叩きつけられる。
『!!』
嫌な音がした。骨が砕けそうになった。──だが、まだ立てる。戦える。
『無事デスか!? 損傷は!』
「「かすり傷!!」」
立ち上がる。再び腕に飛び掛かる。だが、メタルティラノモンは体勢を変え────二人は見事に薙ぎ払われてしまう。
そしてメタルティラノモンは、シードラモンが巻き付いたままの腕で岩山を殴りつけた。砕けた岩の破片が、シードラモンの皮膚を所々引き裂いた。
それを目にしたテイルモンは、更に焦ってナイフを突き立てていく。
「……! くそ、くそ……っ!」
早く──早く! 早くしないと仲間が死ぬ!
どうして届かない! あとどれだけ肉を裂けば致命傷になる!?
『────また反応が出てる!』
柚子の声が遠くに聞こえた。