前書き
はじめまして、あるいはお久しぶりです。
2017年から2019年ごろにかけてオリジナルデジモン小説を投稿していたマダラマゼラン一号というものです。
大したわけもなく失踪していましたが、このたび久しぶりにサロンに投稿をさせていただきます。
この作品は、二年前、参加しておきながら失踪してしまったへりこにあん先生のペンデュラムZ×恋愛小説企画に投稿するつもりだった小説のアイデアを、今の僕が形にしたものです。関係者のみなさま、その節はご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。
今さらこの小説を投稿することが、何かの埋め合わせになるとも思っていません。あれから二年たって、ただ書きたかったのでこの小説を書きました。
当時担当していたのは”ディープセイバーズ”。それでは、どうぞ。
--------------------------
ええい、もう、じれったいな。そんなふうに御託を並べなくたって、自分がどういう理由で出廷を命じられたのかはわかってるつもりだ。同時に“メタル・エンパイア”にこのような形で法廷が設けられるのがどれだけ異例かもね。
ぼくが漂流してきた人間だから、高度に機械化された帝国の兵士や臣民と違って、破壊してデータを回収すれば必要な情報を抜き出せるというわけじゃないから。だからこうしてリアル・ワールドの形式を真似てくれたんだろう? 実際有難いと思ってるよ。あんた達にそのつもりはないんだろうけど、こちらの世界にやってきて五年、漂流前の知識と技術のすべてを帝国のために使ってきたぼくへの配慮すら感じた。
でもだからと言って、ぼくがあんたたちの聞きたいことをすらすら喋れるわけじゃない。ぼくは“ノーチラス”の現在の居場所をまったく知らないし、帝国が目下捜索しているナノモン個体についても同様だ。彼らがどのようにして帝国と“ディープ・セイバーズ”の捜索網を逃れているかも。毎日十七時からの“定期配信”をどのような方法で行っているかも。帝国のお偉方の興味のあることは、ぼくは何も知らない。
それでも最初から? わかったよ。ぼくとしても処罰を先延ばしにできるのはありがたい。
……オーケイ、それなら順を追って話をしよう。でもその前に二点。ぼくの話についてのきみたちの理解を確実なものにするために前置きしておかなければならないことがある。
まず一点目。この物語を語る中で、ぼくは機械人形であるきみたちの持ち合わせていない、極めて人間的、動物的な感情に言及することになる。具体的にいうならば“恋”だ。
プテラノモン部隊に“雲”を調べさせるまでもないよ。『特定のものにつよくひかれ、切ないまでに深く思いを寄せる』感情のことだ。外部記憶にも頼らずこうして引けるのは、以前“彼”に同じように定義を訪ねれられたからさ。
そして二点目。この世界に来てからこっち、ぼくは個体をあえて名前で識別せずに種族名で呼び続けるこの世界のやり方にまるで馴染めなかった。ぼくが無二の友人として接していたナノモンは彼ただ一人だし、ぼくが語るべき言葉を持つ唯一のナノモンも彼だ。彼はぼくが自分を手製の愛称で呼ぶのを許してくれたし。ぼくはそれにすっかり甘え切ってしまった。この陳述の中でもぼくは彼を呼ぶときはその愛称で通そうと思う。理解してくれるとありがたいね。
ぼくは彼を“ネモ”と呼んだ。
これは、彼への弁護だ。
--------------------------
ぼくが帝国の“ディープ・セイバーズ氷床基地”に派遣されたのは二年前のこと。帝国があの基地を作って少ししてのことだ。
当時帝国とは蜜月関係にあった“セイバーズ”の、わざわざ不毛な寒冷地域に基地を建設した理由については、いくつかぱっとしない研究目標が示されたばかりでほんとうのところは伏せられていたはずだけれど、最初の探査船に乗って基地に赴くことになったチームの中に、それを知らないものはぼくを含め誰もいなかった。
当時こそ“セイバーズ”は帝国の技術供与に最大限の好意を返してくれていた。でもそれはあくまで彼らがホスト・コンピュータの都合を押し付けてくる“ウィルス・バスターズ”に対しての一種の抑止力を、帝国の技術を利用したサイボーグ化に見出していたからだ。
彼らが程度の生産・改造を自領土内で行うことのできるシステムを完成させ、“バスターズ”も迂闊に手出しできない規模にまで勢力を広げた時点で、“帝国”への協力を見直そうとする動きは“セイバーズ”内で確実に広がっていた。技術供与の見返りとして“帝国”が彼らに求めた研究協力はかなり広範囲にわたるものだったし、その条約の一節が、それがどんなに廃オイル製の帝国流オブラートに包まれていたとしても、実験のための検体提供を求めていたことは事実だった。
要するに彼らは知恵と力をつけて、足元を見られるのに飽きたんだね。条約締結時の“セイバーズ”側の実質的な盟主で、自身にも機械化を施すほどの親帝国派だった将軍・メタルシードラモンへの支持も揺らいでいるという話だった。
そんな彼の代わりに力をつけていたのが氷床地域の領主にして筋金入りの反“帝国”主義者・ヴァイクモンだった。メタルシードラモンとの政争に敗れ、僻地の領主にとどまってこそいるが、“セイバーズ”内で持つ発言力は頭一つ抜けている。既にひろく機械化を受け入れた“セイバーズ”が、彼の一声でまた石器時代に逆戻りするとは思えなかったが、少なくとも、彼の発言の重みが増すことが“帝国”にとって大きな損失になることは間違いなかった。
そしてぼくたちが送られた氷床基地はそんなヴァイクモンの納める地域のど真ん中。つまりは“セイバーズ”内の反“帝国”派への監視とけん制こそが“帝国”の目的だった。その予想と措置は完璧で、ぼくらはそのことを毎日のように軍の放送で聞かされている。
……話がそれたね。
とにかく、そんなわけもあってできたての氷床基地にやってきた第一回調査隊の士気は著しく低かった。もちろん機械の人員たちは違うよ、ぼくたち人間の話。もともとわけも分からずこの世界にやってきて、たまたま落ちてきたその場を統治していた君たち“帝国”に拾われて拒否権も何もなく使われている身だ。極寒の不毛の地に放り出されて、しかもそこがいつ敵地のど真ん中になってもおかしくない場所となれば腐ってしまうのも無理はない。彼らは毎晩のように漂流者同士で集まっては、“帝国”が人間用に用意してくれた唯一の嗜好品である泥水のようなコーヒーを片手に、現状への悲観的な意見を交換し合っていた。
ぼくもそんな荒れている人員の中の一人だったけれど、他の連中とは荒れている理由が少し違っていた。当時の僕の仕事は、厚い氷床に覆われたこの地域で地面がむき出しになった露岩域を探すこと。さらにその中で気温、湿度が異星に近い環境を見つけることだった。長く帝国の悩みの種だった“エリア51”からの侵入者への対策として発案された計画で、彼らの住環境に近い環境での実験が今後の作戦立案や効果的な兵器開発を後押しする見込みになっていた。
その計画の調査員として基地に出向いたぼくだったけれど、“帝国”のサポートはあまりにおざなりだった。調査に護衛のデジタル・モンスターがつくのはぼくとしてももろ手を挙げて賛成だったけれど、それがフロゾモンではせっかくの調査地をひどく傷つけてしまうことにもなりかねない。せめて二足歩行をするモンスターをと頼めば、ガードロモンやアンドロモンでは旧式のパーツが極限の環境に耐えられないと帰ってくる。もっと新型の連中もいるだろうといえば、彼らの数には限りがあり、どれも既にほかの任務に就いている、ときた。
「それなら自分で隊員たちに直接頼むといい。皆他に仕事があるだろうが、一年先の本国からの追加派遣を待つよりもマシだろう。君が調査に行くに十分だと考える人員が揃うまで、君のことは適当な技術者のアシスタント業務に回す」
頑として首を縦に振らないぼくに、調査隊長のハイアンドロモンはため息をつき、そう告げた。
そんなわけで、それから一か月もの期間、ぼくは酷いにおいの廃オイルの処理作業と、どこから湧いてきたのかもわからないヌメモンの駆除作業に費やし、そして一日の最後にはさっきまで見ていた廃オイルとまるで区別のつかないコーヒーをすすりながら、仕事への愚痴を他の漂流者に吐く羽目になっていたのだ。
結局のところ、ネモにとってはぼくは不気味な黒い液体でくだをまく異種族の一人でしかなかった。彼がぼくを選んだのは、ただ単に僕が人より退屈してみえたからだろう。
「ついてこい、何やら君の仕事に興味のある教授がいるらしい」
そんな声がかけられたのは、直談判もむなしく調査に同行してくれるものは現れず、追加の調査員を乗せた船が来る一年後までこのような生活が続くのかと諦めていた矢先のことだった。
上官がぼくを連れて行ったのは基地の一角にある小さなラボだった。上官を置いて自動扉を一人でくぐる。その音に呼応するように、足の踏み場もない散らかった部屋の真ん中で、無人に思えた椅子がくるりと回った。椅子の背もたれよりも小さなカプセル状の体についた目が私を見つめた。
そのナノモンを見て、ぼくは少し憂鬱な気分になった。デジタル・モンスターを種族で区別しないということを信条にしているぼくだけれど、ナノモンという種族はあまり好きになれなかった。その脳がほとんどを占める小さな体と、こちらを見下し値踏みするように見据えるぎょろりとした神経質な目は、昔大学の研究室にいた嫌味な助教授を思い出すのだ
けれど、彼の目は神経質というよりはどんよりと曇っていて、それはどちらかというとぼくに、酒におぼれていた冴えない父親の方を思い出させた。小型のダウンに似たもこもこの保温素材でその小さなカプセル状の体をくるんで、それをベルトで縛っている姿はさながらコンパクトにまとめられた人間用の寝袋のようで、どこか滑稽さすらあった。
「そこに落ちているチップを取ってくれないかね」
ナノモンの第一声はそんなだった。ぼくは面食らいながらも頷きそれを拾い上げる。上官が彼を“教授”と呼んだことからして、彼はなにかしらの要職についているはずだ。うまく彼に取り入れば露岩域の調査に特別に人員を回してもらえるかもしれない。
金属パーツの散らばる危険極まりない床に注意深く歩を進めそのチップを手渡せば、彼は不器用にぺこりと頭を下げた。
「すまないね。最近あまり休息をとっていないものだから。それで、君を呼んだ用件なんだが……」
いえ、とか、とんでもない、というようなことをもごもごと返すぼくの眼をその濁った眼でまっすぐに見て、彼は言った。
「きみ、音楽は好きかね?」
「はい?」
「音楽だ。好きかい。知識はあるかな」
ぼくはきっとひどく笑える顔をしていただろう。許してほしい。“帝国”の領土に落ちてきてこっち、音楽なんて言葉は聞いたこともなかったのだ。こちらの世界にはミック・ジャガーはいないのだ。誰も悪魔を憐れみはしないし、漂流者たちの孤独のメッセージは無数のボトルに詰めて流されるばかりで、それを代わりに歌い上げるスティングもいない。
「まあ、それなりには。理論や楽典はさっぱりですが」
「長距離を歩くことは?」
「好きですが、体力は人並みだ」
「徒労は?」
「好きな人はいないでしょう。でも、ここの機械達ほどには憎んでいない」
「ふむ、まあいいだろう」
そういって彼はぼくに背を向け、先ほど手渡されたチップを机の上に置かれた機器に差し込んだ。その手のひら大の銀色の機器は、半分以上が細かな穴のあけられたスピーカーになっているようだ。その横にはいくつかのスイッチがついている他に、大きなダイヤルがついていて、上部には銀色のアンテナらしきパーツがつけられている。
ナノモンがゆっくりとそのダイヤルを回す、スピーカーから耳障りなノイズが部屋に響く。彼がどれだけ細かくダイヤルを動かしても、その向こうから何かが聞こえることはなく、やがて彼はその機器をぼくのいる方の床に放り出してしまった。
「む、やはりだめか」
多分に落胆を含んだ彼のその言葉を聞きながら、ぼくは足元に転がった銀色の機器を拾い上げる。先ほど遠目に見てうすうす勘付いてはいたが、これはやはり──。
「ラジオですか?」
「まあ、原理と見た目はそうだ」つまらない質問をするなとでも言いたげに彼は濁った眼をこちらに向ける。
「きみが例の人間で間違いないね?同道者の性能を理由に外部での調査任務を拒否しているとハイアンドロモンが言っていた」
「決してそういうわけでは……」
突然の言われようにぼくが抗議をしようと口を開くのを彼は遮る。
「私が同道しよう」
彼があっさりそういったものだから、ぼくはしばらく声が出なかった。
「え、その……あなたが?」
「ああ、そうだ」
「でも、仕事は多いはずだ」
「興味のある仕事は目下一つもない。興味のない仕事はすべて自動で進むようにプログラムを昨晩組んだ。成果に個性も独創性も期待はできないが、独創性を期待してナノモン種に仕事を振るやつもいないからな」
「ぼくの仕事があなたの興味を引いたのですか? なぜ? 露岩域をひたすら歩きまわって、そこにある砂粒から手元の見本表とデータ組成の同じものを探す。研究は研究ですけど、どちらかといえば作業に近い。実験場所が見つかってから首を突っ込むならまだしも……」
「それだ」
「え?」
「この地域をかなり広く調査するのだろう? 移動にフロゾモンを利用するのも途中までで、ある地点からは南十キロという距離を全て徒歩で移動する。言ってしまえばかなり自由に外を歩き回るわけだ。極限の環境と“セイバーズ”内の過激派からの攻撃の恐れから、多くの人員が基地を中心とした半径100メートルから出ることも許されていない。そんな中でだよ」
そんな言い方をされれば、ぼくだってピンとくる。
「外に出てやりたいことがあるような言い方ですね」
「そうだ」彼は頷く。
「君には調査時間の一部を私に割いて欲しい。それが条件だ」
明確な条件だった。ぼくの方は調査に出られず毎日をヌメモンの相手に費やしているのだから断る理由なんてない。それでも疑問は抱いた。
「あなたの地位があれば、研究や開発のための調査には許可が出るはずだ。他に仕事があるにしたって──」
「ないんだよ。きみ」
「……」
「仕事としての正当性はない。許可が出る見込みもない」
それで話は終わりだといわんばかりに彼は再び机に向かう。ぼくがそれ以上何かを訪ねたり意見をすることは許されないとでもいうような……。
いや、単純に何も聞かれたくない、ダウンでもこもこの小さな背中はまるで駄々っ子のようにそう語っていた。
--------------------------
それから、ぼくたちはほとんど毎日のように連れ立って基地外の調査をおこなっていた。前日の夜に“セイバーズ”から提供された地図(お世辞にも、大した製図技術とは言えなかった)とにらめっこしながら調査地を決め。その付近までフロゾモンで移動する。それからは完全に徒歩だ。二人で荷物を背負い、荒涼とした氷の大地に、赤茶けた地面を探す。適宜試料採取を挟みながら一日に大体十キロから十五キロ移動する。
そうして一通りの調査行動が終わると、フロゾモンへの命令をネモが代わる。彼がいくのは基地から比較的近くにあるの見える地点だ。そこまでたどり着くと、彼は僕と最初に会った時に持っていたあのラジオに似た機器のダイヤルに手を伸ばす。それを注意深く回し、一つ一つのノイズに耳を澄まし、やがてため息をついていうのだ。
「今日はもう十分だ。帰ろう」
そんなだったから、ぼくは彼からその行動の意味を聞くことに関しては半ば諦めていた。下手にそこに踏み込んでへそを曲げられてぼくの調査の方がおじゃんになってしまうのが怖いのもあったが、それよりなにより、ぼくはこの小さなカプセル状のモンスターに対して非常な好感を抱いていたのだ。
彼は多くのナノモン種がそうであるように理知的で寡黙だったが、同時に見た目の印象よりもずっと暖かみのある性格をしているようだった。聞き上手で、ぼくの調査の話にも真剣に耳を傾け、専門が違うからとつつましい前置きをしたうえで鋭く的確な意見を述べてくれた。
そして彼の方から尋ねるのは、多くが音楽のことだった。ぼくは彼にビル・エヴァンスやブルー・ミッチェルの話をして、彼はいつもなんだかわかったような分からないような相槌を打つ。それが案外と心地よかった。
その頃既にぼくは彼をネモと呼ぶようになっていたし、彼も僕に親しみを持って接してくれていた。無粋なことを訪ねて、果ての無いようにも見える氷の大地での心地よい時間をこわすのは嫌だったのだ。
そんなわけで、ネモが自分の目的について明確な言葉で語ってくれたのは調査を始めてから三か月ほどが経ったある日のことだった。
いつも通り、私の方の調査を終えてフロゾモンに乗り込み、例の地点に向かう。昼日中で太陽は高く昇っているのに、空気は良く研いだ刃物のようにきりりと冷えていて、一つ息を吸うごとに肺が凍り付くような感覚に襲われる。降り積もった真白い雪が太陽光を強烈に照り返すせいで、防寒着につつまれていない私の顔は小麦色に焼けてしまっている。
そんなすべてがもうすっかり習慣になっていて、私もフロゾモンの鉄の体にくたくたに疲れた背中を預け、いつも通りの雑音に傾けるネモの方を見ようともしなかった。
〈ここはくらい いつもどおり ここはつめたい いつもどおり〉
だから、ノイズの中にいつもと違う音が聞こえた時、ぼくは思わず飛び起きて、氷の大地に思いきりつんのめって転んでしまった。
汚い言葉を吐きながら起き上がりネモの方を見れば、彼も必死で例のラジオにかじりついて、その音をほんの一節たりとものがすまいとしている。
「やっと捕まえた。この周波数だ」
〈わたしはきょうもひとり でもかなしくなんてないの〉
音楽が好きかというネモの問いに「それなり」と答えたぼくの言葉に偽りはない。聞くには聞くが、良し悪しは分からない。その程度の趣味だ。どこにいても耳に飛び込んでくるものの良し悪しをいちいち気にしていられないし、ましてそれに関する嗜好を自分を定義する一要素として数えるなんて、酷く愚かしく思える。
でも、そんな僕をして、その歌は、とても美しかった。
〈ここにはおはようはない ありがとうも さようならも〉
そうだ、たしかにそこから流れていたのは旋律で、誰かの紡ぐ歌だった。今まで聞いたどのメロディよりも静かで、それでいてつつましさの欠片もない。まだ恋をしたことのない少女が歌う恋の歌のように、それは野放図な力強さでぼくたちの白い息から無理やり言葉という記号を奪ってしまった。
〈ああ こんなわたしもいつかこいをするのかしら〉
「こりゃすごいや」
三分だったろうか、或いは三時間だったろうか、断続的に続いたその歌が止んだ時になって、ぼくは思わず真白い大地に座り込んで、やっとのことでそんな言葉をひねり出した。そんなぼくの言葉で感想としては十分だとでもいうように、ぼくの隣でネモは頷く。
「この基地が建設されるよりも前に一度、立地の確認のためにここを通ったことがあってね。その際にフロゾモンに積まれた通信機器が旋律に似た音声を受信したんだよ。他のものは気に留めてもいないようだったが、私は……」
そうして彼はその眼を海の方へと向けた。光の加減のせいだろうか、その眼はいつになく澄んで見えた。
--------------------------
それからネモのラジオのダイヤルはもうずれないようにテープでぎっちりと留められ、そのアンテナは凍てつく氷床の上で一週間に一回程度のペースでその歌を受信するようになった。
そこから聞こえるのはいつも歌であり、言葉だっだ。そのラジオの向こうのシンガーはいつも滅茶苦茶で美しい節に乗せて、ひどく稚拙な言葉を歌うのだ。
例えば、
〈きょうはさかながきたの とってもながくて きれい〉
だとか
〈きょうはちょっとあたたかい けど あたたかいのは べつにすきじゃない〉
といった感じ。
「きみ、詩は好きかね?」
ある日、彼がそう問いかけてきた。ぼくは肩をすくめてフロゾモンに寄り掛かり、水筒から注いだぬるいコーヒーをすすり、エネルギーバーを齧る。雨に濡れた新聞紙とそれを絞った水を飲んでいるような気分だった。
「嫌いだけど、あなたよりは詳しいよ、ネモ。それにこれは詩じゃない。幼い言葉による事実の羅列って感じだ」
「ふむ……とすると、彼女の歌っているのは全て事実だと?」
「“彼女”?」
「実際に暗く、魚がいるところにいるというわけだな」
「“彼女”だって?」
「この未知の歌い手に対する印象から来る仮の呼称だ。不満かね? きみだって私をネモと呼ぶ」
「不満はないよ。でもあなたがそうするのはなんというか、意外で」
「そうか?」彼はぼくから目をそらし、海を見つめた。肌を刺すほどに澄んだ空気の層は、それがあまりに透明であるがゆえにかえって無視できない存在感でそこにあり、その向こうで水平線は、それが不確かで不定形な二つの青の境界だとは思えないほどにまっすぐだった。
「ネモ、あなたは目的通り目当ての歌姫を見つけた。声だけだけど」
「“歌姫”?」
「あなたの表現に合わせたんだ。聞いてよ。これからどうするんだ? 毎日この海岸線にきてノイズ交じりの歌に耳を澄ませるだけ? それをずっと続けるの?」
ぼくの言葉にも彼は濁った眼でずっとまっすぐな海岸線を見つめるだけだった。
「私は彼女の歌が気に入ったんだ。それ以上を望む必要があるかね」
「どんな子が歌ってるか知りたくはないの? もっとそばで聞きたいとか」
「彼女のことばをきみも聞いていただろう。暗く、冷たく、魚がいる環境、ネットの海の深海域だ。“セイバーズ”の連中ですら把握しきれていない地域に調査許可が下りるわけがないし、第一装備も……」
「そんな言い訳しないですっぱり“興味ない”って言っていれば、ぼくだってこんな話しない」
「興味がない」
「ナノモン種史上最悪の嘘だね」
「きみは何の話がしたいのだ」
「あなたのそれが“恋”だという話だ。プロフェッサー」
「彼女の歌にも出てきていたが、私はその言葉の定義を知らない」
「それなら帰って辞書でも引きなよ」彼の強情さにぼくはすっかり頭に来ていて、その小さなカプセル状の体を無理やり抱え上げると、フロゾモンの上に放り投げた。そのあと自分でも飛び乗れば、万事を心得たとでも言いたげにフロゾモンがそのエンジンをふかす。その轟音の中で、ネモがぽつりとつぶやく。
「彼女は、私のことを知らない。なにも」
「ぼくのこともさ。でも、ぼくはそのことで傷つきはしない。いまのあなたのようには」
ぼくの答えに彼はもこもこの体ごとふいとそっぽを向き、再び水平線に目をむけた。
それから一週間ほどして。彼は深海に潜るための舟の開発を始めた。
--------------------------
「開発の調子はどう?」
ある日、すっかり日常となった氷の大地でのリサイタルのまえに、ぼくはネモにそう尋ねた。深海へのダイブは当然重大な違反行為だ。“エンパイア”と“セイバーズ”のどちらに見つかってもマズいどころか、両者の関係に決定的にヒビを入れることになりかねない。それに深海の環境では当然命の保証もない。
そんな危険行為を犯そうとしているにもかかわらず、彼はこれまでのいつよりも生き生きとしていた。
「順調だ。水圧に耐える機体の開発に関しては容易いし、海底に到達してからの探査設備もなんとか型落ちのジャンク品の中から足のつかないものを調達できた。できることならソナーや海のモンスターたちの目をかいくぐるステルス機能も欲しいところだな」
そういって、彼はごくひかえめにぼくの方を見上げた。
「きみも来るか?」
「ぼくが行ってどうするんだ、ネモだけでいいよ」
「む、そうだな」
まだ設計図も完成していないというのに妙にそわそわして海を見つめる彼にぼくは苦笑し、その手元のラジオを指さした。
「そら、今日もはじまるよ」
ぼくもネモも、すっかり彼女が歌いだす時間を心得ていた。彼がラジオのスイッチを入れれば、スピーカーが幾分かのノイズと共に、気まぐれで美しい旋律を響かせる。
〈ここはくらい いつもどおり ここはつめたい いつもどおり〉
その一続きの言葉に連なる旋律は、ここ数か月で彼女のお気に入りのレパートリーになったらしい。そこから音程も拍子も滅茶苦茶な節に乗せて、気まぐれにその日にあったことを歌うのだ。
〈きょうはゆきがふったの これゆきっていうのよね〉
「雪?」ネモが目を丸くしてぼくの方を見た。「彼女がいるのは海底だろう?」
「そのはずだね」
「私の推測は間違っていただろうか。潜水艇では彼女に会いに行けないのか?」
「落ち着けよ」彼が目に見えて動揺するものだから僕は呆れて思い付きを口にした。
「そうだな。元の世界でマリンスノウってのを聞いたことがある。生物の遺体の破片や微生物の死骸とかの有機物が白い粒子になって、雪みたいにして海底に降るんだよ。それかも」
「いや、それは妙だよ、きみ。我々デジタル・モンスターが死んだらどうなるか、きみも知っているだろう」
「粒子になって空に昇る。海底に降ることはない、か」
「高容量の完全体や究極体であればその重さから沈降することはあるだろうが、雪のように見えるほどの数、そのランクのモンスターが死ぬことなど……」
ネモはぶつぶつとつぶやき、首をひねっていた。
だけど基地に戻ったぼくたちはすぐに、それだけの大容量の死体が生まれた理由を知ることになった。“帝国”の輸送船が、海上で“セイバーズ”からの襲撃を受けたのだ。
正確な日時は軍の方に記録されているはずだ。その時始まった戦いは、今もまだ終わっていないわけだから。
--------------------------
それからぼくもネモも、基地から自由に出ることはできなくなった。外に出ればすべてが敵地なのだから当然の措置で、ぼくたちもあえて逆らおうとは思わなかった。
ネモの潜水艇計画もひとまず取りやめになった。“セイバーズ”のヴァイクモン一派による襲撃はかなり入念に計画されたもので、この基地は完全に補給線を絶たれ孤立させられてしまった。 “帝国”から援軍が基地に到達するまでこの離れ小島のような基地で持ちこたえなければいけなくなり、基地内の物資は廃材を含め厳重に統制されるようになった。これではこっそり潜水艦など作れるわけもない。
それでもネモはそこまで気落ちしているようには見えなかった。戦いに際して山のように増えた仕事の合間で、彼は今度はあのラジオが電波を拾うことのできる範囲を広げようと画策していた。ぼくも時々話し相手として彼のラボに呼ばれるおかげで、他の人間たちよりも休息をとることができていた。
「基地内の噂を聞いたかい? ネモ。君の繋いだ秘密回線で“帝国”本土と連絡が取れたらしい。今日援軍が来る。“セイバーズ”が基地の通信を完全に遮断していると思っている間に外と基地両面からの攻撃を行って、包囲網を突破、この基地への補給路を確保する算段らしい」
ぼくのそんな言葉にも彼は濁った瞳を向けるばかりだった。
「ああ、そんなものもつくったような気がするね。だが、どうなろうと外に出られないのでは同じだ。彼女の歌をもう何か月聞いてない?」
「二週間だよ。ネモ」
「まだそれしか経っていないのか。実に空虚な気分にさせられるね。だが、それも今日までだ」
そう言って彼はその長いアームを伸ばし、例のラジオをぼくに見せた。
「調整、終わったのかい?」
「ああ、おそらくはね」
そう言って彼が、いつものあの注意深い指先のしぐさでダイヤルを回せば、懐かしいノイズが部屋に響き渡る。
〈ここはくらい いつもどおり ここはつめたい いつもどおり〉
「少し雑音が多いな。そこは調整が必要だが、とにかく成功だ。聞こえたぞ」
ネモが歓喜の声をあげた。あの美しい歌は、ごちゃごちゃと散らかったラボで聞いても美しいものだった。
〈きょうはゆきがふってる なんだかゆきばっかり〉
「ふむ、やはり雪とは戦死したモンスターたちの粒子らしいな」
〈あら みんながとおっていく うみのみんな〉
「珍しいね」
「ふむ、記録しておこう。彼女の描写からデジモンの種別を特定し、その生息域を調べることで、彼女の場所の手がかりになるかもしれない」
〈どうしたのかしら あら あかるい〉
「“明るい”なんて聞くのは初めてだ。深海の発光生物だろうか」
〈それにあたたかいわ わたしきらいなのに これが おひさまかしら〉
「太陽? 海底内を移動するうちに有光域にまで登ってきたのか?」
〈ああ ああ これは〉
「それにしてもノイズが酷いな」
〈──────────〉
「ウーッ、今の雑音は特に酷いな。やはり基地からの受信だと電波が──」
〈あつい いたい〉
「……」
〈わたしのうで あし なんでめのまえにあるのかしら〉
〈あつい いたい みんな うごかないのは なぜ〉
〈わたsiがまだ うtaえるのは なぜ〉
〈i以わ u田えru奈羅 宇taうno〉
〈鬲�○縺ヲ谺イ縺励>縲∝、「縺ョ邯壹″縺セ縺ァ荳也阜窶輔�貅コ後※縺溘�縲∵オキ繧医j繧よキア縺�縺ッ縺倥a縺セ縺励※ス縺�°代※謗エ繧薙□縺ョ縺ッ谿矩�縺ェ莠碁イ豕�遘√�豁ゥ縺上o髯阪j縺�縺励◆髮ィ繧医繧�∪縺ェ縺�〒諱九@縺ヲ縺溘s縺�貎ー繧後◆螢ー譫ッ繧峨@縺ヲ諢帙@縺ヲ縺セ縺吶→縲蜿ォ繧薙□繧薙□諠ウ縺医�繧ゅ≧縲√☆繧碁&縺」縺ヲ縺�◆縺ョ荳也阜窶輔�謐サ縺俶峇縺後▲縺ヲ縺�◆縲∽コ句ョ溘b蠢�b蝪励j縺、縺カ縺励※縺�辟。逅�□縺ィ蛻�°縺」縺ヲ縺ヲ繧ゅ辟。逅�@縺ヲ隨代▲縺ヲ逍オ縺、縺�※縺励∪縺����莨昴o繧峨↑縺�樟螳溘↓縲縺溘□蟷ク縺帙□縺」縺ヲ蠑キ縺後▲縺�豸呎ュ「縺セ繧峨↑縺��縺ッ閧「縺檎李縺�李縺�○縺�↑繧薙□關ス縺ィ縺励◆繝翫う繝�遘√↓縺ッ繧ゅ≧謗エ繧√↑縺�縺薙s縺ェ邨先忰縺�▲縺�〉
ぼくが大きな声を出した時にはもうおそくて、ネモはラボを飛び出していた。
電子音交じりの何を言っているのか分からない叫びをあげながら、彼は基地の外に飛び出し、駐車していたフロゾモンにとびついた。周囲から静止するような怒号が上がる。
警告の言葉、発砲音、周囲のデジモンたちに取り押さえられ見えなくなるネモの姿。そんなすべてがぼくには遠くの世界のことに思えた。
ふと、ぼくの手の中のラジオが震えて、ぼくは自分が咄嗟にそれをひっつかんできていたことにきづいた。
〈ああ こんなわたしもいつか────〉
それが、そのラジオが届けた、現時点で最後の歌だ。
--------------------------
それからはあっけないものだった。ぼくは上官に呼び出され、ネモの行動に関して詰問された。知らぬ存ぜぬで通したぼくにあきれ顔の上官が聞かせてくれたところによれば、ネモは謹慎処分で済んだらしい。なににせよ“セイバーズ”への奇襲作戦で大きな損害を与えることができたのは彼のおかげなのだから、と彼はいった
それから当分彼には会えず、一週間がたったころの、深夜のことだった。返しそびれたあのラジオが残酷なノイズを垂れ流し続けるのを部屋で聞いていたぼくの通信機器に、ネモから連絡が入った。
『いつもの場所に来てくれ』
警備のギロモンの目をかいくぐり、いつものフロゾモンにのりこむことで、簡潔で理不尽なそのオーダーを、ぼくはなんとかしてこなすことができた。
満月の夜だった。透明な空気を通した月の明かりを真白の大地が跳ね返し、あたりは思った以上に明るかった。
夜のこの地域の寒さは殺人的なものになる。フロゾモンの排熱部にぴたりとくっついてその地点──いつもの海岸までついたぼくは“それ”をみることになった。
それは遠目には巨大な魚のようにしか見えなかった。けれど、すぐに頭上の月がその全身を照らし出す。
一角獣の角。
古代魚の顔。
海竜の胴体。
海豚の鰭。
半魚人と甲殻類が半分ずつの腕。
吹き抜けるつめたい夜風が、つぎはぎの化け物としか言いようがないそれが纏う生臭い屍臭をぼくのもとに運んできて、ぼくは思わず嘔吐した。
「すまないね、こんなところまで来てもらって」
酸っぱい味の残る口を拭い、ぼくは微動だにしないその化け物の前に立っている友人に声をかける。
「ネモ、あなたはなにを……」
「コネを使ってね」あくまで静かに、穏やかに彼は言う。
「“帝国”軍があの戦闘で回収した死んだデジモンの残存データを見せてもらったんだよ。ちぎれた体のパーツたち、裂け目からは徐々に粒子が漏れ出ていたっけ。ルカモンにイッカクモン、シードラモン、グソクモン、エビドラモン……」
かれはぶつぶつと種族名を列挙し、最後に澄み切った眼でぼくを見た。
「……どれが彼女なのか、私にはわからなかった」
「当然だよ」
「そうはおもいたくなかった。だからこうしたんだ」
「石の中の玉を見つけられないからって、全部をつなげたのかい。それじゃあまるで……」
「無意味で狂っている、わかる」彼の言葉には一切のよどみがない。
「でも、こうしないといけなかったんだ。こうするしかないと、そうおもったんだ」
「……」
「でもまだだ。まだ彼女は歌わない」
「これは彼女じゃないだろう」
「でも、彼女を含んだものだ。私もそうなろうと思う。」
そこで気づいた。ネモの背後の怪物が、その甲殻類の腕を彼の小さな体に伸ばしている。ぼくが声をあげても、全てを承知しているかのように彼は微笑むばかりだ。
甲殻類の腕で彼を挟むと同時に、怪物はもう一方の半魚のたくましい腕を、自身の胴、一角獣と海竜の継ぎ目に突っ込む。みちみちと嫌な音がして、無理やりに広げられた肉と肉の裂け目に、ネモが運ばれていく。
「やめるんだ!」
「あのラジオはきみが持っていてくれ。友人との別れに大したものを残せなくてすまない」
きわめて穏やかに、そんな言葉を残して、ネモの小さな体は肉に飲み込まれた。やがて目の前の怪物の死んだような目に光が宿り、やがてそれは生き生きとした動きで、尾びれを翻して海へと戻っていった。
とぷん、そんな水音だけが、ぼくの耳に残っていた。
--------------------------
と、まあ、これがことの顛末だ。
それから少しして、氷床基地の全ての音響設備が一日に一回、歌にも似た奇妙なノイズを受信するようになった。実害はないが一日きっかり同じ時間に歌を届けるその通信は、基地内の漂流者を中心に“ステイション・ノーチラス”と呼ばれるようになった。その現象が一年近く続き、兵士たちの士気への影響も無視できなくなったきみ達は調査を始めた。そして、ノーチラスの歌が観測され始めた時期がナノモン個体“ネモ”の失踪時期と重なることに気づき、参考人としてぼくを呼びつけたというわけだ。
まって、その武器をしまいなよ。ぼくがいくつもの違反行為を告白したのは確かだけれど、裁判の形をとると決めたのはきみ達だ。ぼくが証人にせよ、被告にせよ、法廷内で殺されるなんてことがあっちゃいけない。そうだろ?
それに、この話にはもう少しだけ続きがあるんだ。
一月前、ぼくが“帝国”首都への出頭を命じられ、身支度をしていた晩のことだった。月明りの眩しい夜で、窓の外は濃い霧が立ち込めていた。そんなのはあの基地ですごしていて初めてのことだったよ。
手荷物の整理を終えたぼくが最後にラジオ──さっきの話で何度も話してたラジオだよ。ネモがぼくにくれたっていっただろう?──に手を伸ばしたときにそれは起こった。
電源もついていないラジオのスピーカーが急に震えて、そして──懐かしい声を流し始めたのさ。
--------------------------
親愛なるきみへ。
まず、あんなかたちで別れることになってしまってすまなかった。
あの夜、あの場所で、きみがわたしを止めてくれたことを、友人としてなにより嬉しく思う。君の言い分は百パーセント正しかった。私は確かに狂っていた。
賢く勇気ある友は、今でも何より私の誇りだ。だから、私は全てを君に委ねることにした。これから私が話すことを信じようが、狂人のたわごとと思おうが、それを受けて何をしようが、きみの賢明さと勇敢さが一つも揺らぐことはない。
結論から言おう。私は彼女に会うことができた。ひとつになることではじめて、お互いに存在を認識して話すことができた。
あの死体の中にいたグソクモン、それが彼女だった。いつも一人で深海をゆっくりと回遊しては、その日のことをことばにして、歌っていたそうだ。何故歌うのかと聞いたら、彼女は「ただわすれてしまうよりずっといいから」と、そう答えていたよ。まったく、素晴らしいとはおもわないかね?
私がその歌を聞いていたといったら、彼女はひどく驚いていたよ。恥ずかしがってもいたようだったが、私はもう自分の中の親愛と恋慕の情を伝えることに一切の躊躇がなかった。
聞いてくれよ、友人。彼女は私を受け入れてくれた。そして、多分それがきっかけだったんだろう。進化の光が我々を包んだのは。
我々はいま、一頭の美しい首長竜だ。
かつてのように海底深くに忍び続けることこそできないが、ふかい霧が我々を守ってくれる。我々はとても美しく歌う。我々の歌は、人々をひどく物悲しい気持ちにさせる。
それでも、我々は時折深海へと潜る。戦火の明かりは太陽よりもまっすぐ海の底まで届き、今日もあの場所には雪が降っている。
さて、時に友人。君に頼みがあるんだが──。
--------------------------
あら かれのおともだち?
ふふ ねえ きいて
わたし いま こいをしているの
--------------------------
その首長竜に至る進化の系統樹に本来混ざるはずのないマシーン型のデジモンが混ざったせいか、その歌は周辺の機器に影響を与える。“ステイション・ノーチラス”の正体は一頭の首長竜だった、というわけだ。
そしてその通信と一緒に、ネモはぼくにある特定の周波数を教えてくれた。
話によれば、一月後──つまりは今日、彼は、彼の中にいる皆と共に、その周波数に乗せて歌うらしい。とびきり大きな声で、とびきり美しく。歌い終わったら消えてしまうかもしれないが、それでもいいと彼らは言う。
その声は“帝国”が行っている戦いの戦地全域に届く。そしてこの首都にもね。
一年も“ノーチラス”の噂を放っておいたのがきみ達の戦略的失敗だ。節のついたただの音の連なりが、戦地でどれだけ皆の心を救うかを理解しなかったのが、きみ達の歴史的失敗だ。
ぼくの言葉に、多くのものが賛同してくれた。人間も、デジタル・モンスターも。
彼らはこの一月で国中に散らばって、主要な機器がその周波数を受信するようにしてくれた。もうすぐ──。
おっと、法廷で武器を出すのはダメだといっただろ。ぼくの方だって穏やかならざる逃げなくちゃいけなくなるんだ……こうやってね。
紹介しよう。今壁をぶち破ってぼくを助けたのが、ぼくたちの理解者にして古い友人、フロゾモンのアーサーだ。
さあ、みんな聞こえるかな。こちら“ステイション・ノーチラス”! 今日はきみ達にとびきりの一曲をお届けしよう。
これはポジティブな歌じゃない。悲しく憂いに満ちた、でもそれでも恋の歌だ。
この曲は何かを変えるためにあるんじゃない。きっと明日も戦いは続くんだろう。
でも、これだけは言っておくよ。これからきみ達が流す涙は、決してぼくらが強要したものじゃない。きみ達の心がの奥底が流した、ほんものだ。
ねえ、それだけわすれないでくれよ。
タイトルは“Sorrow Blue”だ。“ノーチラス”から、愛を込めて。
--------------------------
プレシオモン
レベル:究極体
タイプ:首長竜型
属性:データ
必殺技:ソロウブルー。甲高く透き通るような声で鳴き、聞くものを悲しみで包み込み戦意を喪失させる。
--------------------------
これは革命じゃない。テロでもない。明日も世界は変わらない。
でも、今夜は、今夜だけは。
ステイション・ノーチラスに雪は降らない。
(2022/12/25 madaramazeran)
おお、最後の一文まで完璧! 他の皆様に遅ればせながら夏P(ナッピー)です。
割と淡々と語られる世界観の中で紡がれる“ぼく”とナノモン“ネモ”の物語。“ぼく”が結構な毒舌家なのか状況や相手に対して忌憚ない意見を述べてくれるのでテンポ良く読める一方、どこか情動的で感情的な面も伺えるのが最後まで続いている。というか、飽く迄もフレーバーとして味付け程度に触れられる感じでしたがディープ・セイバーズとメタルエンパイアだけでなくウィルスバスターズも絡む世界はなかなかに興味深く、これはまた違った視点でもこの世界のお話を読みたいと感じさせました。
先にフレーバーと申し上げましたが、戦争もテロも奇襲も描かれはするものの関係なく、本質的に一本通して描かれていたのは一体の“こい”の物語でしたね。マリンキメラモンの作成+吸引のシーンはアカン狂気やと戦慄しましたが、これもまた美しい〆に向かう為のピースだったか……ナノモン種のイメージに反する情熱的な行動もまた心を打つ。元ネタはバイタルブレスかと思いましたが、もしかしたら時期的にペンデュラムZの方だったかしら。
デジモンは進化により全く違う姿にも変わることが特徴でもあるので、上記の通り狂気すら孕んでいたマリンキメラモンからソローブルー、つまりプレシオモンへ繋がる流れはそれだけで世界が華やいで感じられるのはお見事。プレシオモンの設定すら話の中で活かされておりイイ! 実にイイ!
先にも書かせて頂きましたが最後の一文まで無駄なく完璧でした。良いものを読ませて頂きました。クリスマスに感想書くべきだった……。
それではこの辺で感想とさせて頂きます。