「君はアンデット型のデジモンという存在についてどう考える?」
それが、私、デジタルモンスターの研究者である四垂咲良。その師である三宅教授のお決まりの問答だった。
デジタルワールドはフォルダ大陸のナイトメアソルジャーズの支配地域に私が行けたのも三宅教授のおかげで、尊敬する師である。私がデジタルモンスターの特にアンデッドの研究者となったのも三宅教授の影響だ。
「アンデッド型のデジモンを君はどう思う。生まれながらに死んでいるとは奇異な事だと思わないか?」
そんな風に、教授とほぼ同じ言葉をその続きまでも同様に、そのデジモンは初対面の私に投げかけてきた。
2052年、この手記を書いている私から見ると八年前の話だ。
読者の皆様においては、この手記は、デジタルモンスター研究者の四垂として書く文はなく、ダークナイトモンという私の友人であり共同研究者についての、私情を込めた、公的でない主観的かつ事実確認の定かでないものである、ということをくれぐれも忘れないで頂きたい。
彼(便宜上彼とするが、正確にはデジモンは性別を有さない。ちょうどいい日本語の代名詞がなかったのでダークナイトモンに希望を聞いたところ、コイントスで答えてくれた)曰く、デジモン達は文献を保護する様なことはほぼなく、肉体さえも死ねば霧散する事を思えば人間達に語らせる方が余程その存在を長らえるだろうとのこと。
正直、私の文の稚拙さを思えば、彼の生命よりこの手記が長く世に残るとは思えない。最新の研究では数百年生きるデジモンがいることもわかっていて、彼がそうでないとは言えないのだ。
だが、せめて五十年先の未来、私が八十だとか九十だとかになって彼のそばにいられなくなったいつか、彼の傍にいる誰かの手元に届いてくれればと思う。
私はまぁたった八年の付き合いであるのでほとんど出てこないが、彼から聞いた彼の生い立ちについての話がこれのメインである。
彼は常夜の悪夢の領域、本当に昼がない訳ではないが常に暗く日も差さない、フォルダ大陸のナイトメアソルジャーズの領域の出身だった。
曰く、彼は生まれついてのアンデッドだった。実際には生まれついてではないかもしれないが、物心ついた頃には既にその身はゴースモンというアンデッドだった。
その身は青い炎の塊の様な姿を取るが、そう言い切る事さえもできない。定まった形もな色もなく、壁さえも抜けようと思えば抜けられるその身は、彼自身、確かな存在というにはあまりに欠けたものが多く感じた。
アンデッドとといえば死なないものを指すが、死なないのは、そもそも生きるに足りていないからだとさえ、当時のゴースモンだった頃の彼には思えたらしい。
大地に体を横たえればそのままどこまでも沈んでいってしまいそうで、宙に浮いていれば寝ている内に月より遠い夜の果てへと吸い込まれていきそうで、眠る事が怖かったという。
自分は不確かな存在だと自覚しながらもなんとか確かなものを探す自分のみが、彼自身も否定できない彼自身の存在証明だった。
そんな状況であるから、他者と関わらずにはいられなかった。それが確かでなくとも、自分が認識される事は彼にとって心地よかった。
ただ、彼の求める関わりと、大抵のナイトメアソルジャーズのデジモンの求める関わりとは異なるものだった。
身も蓋もない凶暴性を持つデジモンこそ少ないが、どこの領域のデジモンでもそうだが好戦的なものは多く、ナイトメアソルジャーズの領域に住むデジモンはそれに加えて残忍な特性を併せ持っているものが多かった。
透明になったり壁を抜けたり、彼は生きる為に何か生物として欠けて思える自分を使わざるを得なかった。
それでもまだ、何の関わりもないよりはマシだったのかもしれないが、どちらも辛い事には変わりなく、成長期の間は生き地獄の様な期間だったという。
しかし、彼の生にただ死を恐れる他の意味が初めて生じたのもこの成長期の時だった。
彼は十人の人間と遭遇したのだ。これは2037年の11月21日に出発したRobert Brenner教授が率いたチームである。元は十二人だったが彼と出会った11月24日には既に十人だった。詳しくは述べないが、この亡くなった二人というのは研究者達の安全確保等の目的でこのチームの中心となった国家であるアメリカから派遣された人間だった。
チームはナイトメアソルジャーズの領域での調査を中断することができなかった。当時は異世界への干渉や研究は、簡単に言えば国家間の火種と考えられていて、審査を何重にも行わないと許可が下りないものだった。
どれくらい切迫していたかといえば、既に公になった事であるが、死亡した二人は、デジモンを捕獲することに加えて研究者達は事故で亡くなったことにして殺害する密命をおっていた。当時のアメリカの軍部はそうして世論を煽ってデジタルワールドへの渡航を世界的に難しくして他国のデジモン関係の開発を妨害し自分達だけが利を得ようという腹づもりだった。
当時はそんな情勢だったのだ。結果から言えばその二人はデジモン への理解が薄く、命を落とし、密命も不意になった。
しかし、例えその二人がどんな人間であろうと死人が簡単に出てしまったことで、今後ナイトメアソルジャーズの領域に足を踏み入れることはもうできないかもしれず、チームは研究成果が出ない内の人死にはなかったものとし、帰還直前に二人は落命したという事にした。
この時のチームにはナイトメアソルジャーズの領域における生態系の研究で名が知られると共に、先日デジタルワールドから持ち帰った資料の一部を違法に所持していた事で捕まった黒木南天教授がいた。研究としてはデジタマから成熟期へ至るまでの詳細な記録は素晴らしいものだったが、方法としてはとても褒められたものではない。
彼女は功績はともかくとして人間性に関しては問題ある狂人だが、彼にとって彼女の存在は救いとなった。
狂人の性と当時三十代前半という若さ故に、研究者の中で誰よりも彼に遠慮も慎重さもなく近づき、誰よりも熱心に話に耳を傾けたのだ。一見すると燃えているかのように見える彼の手も躊躇いなく握る。
それは彼の望んでいた関わり方の様に見えるものではあって、彼は今でもその時に初めて他者の温もりを覚えたと言う。
黒木教授は彼にとって初恋だったのだと私は思う。
性別を有さないデジモンに、初恋という表現を使うことに人によっては違和感を覚えるだろう。学者としての私もなんの検証も挟まずに使うことに抵抗を持たない訳ではない。しかし、友としての私は、彼の感情を彼自身がヒトと同じものであって欲しいと願っているのと同じ様に私もそう願っている。故にあえてありきたりで不適当かもしれない表現として恋という言葉を使わせて頂く。
彼は研究者達がナイトメアソルジャーズの領域にいる間のサポートをすることになった。これも単に黒木教授のそばにいたいが為、独りになりたくないが為のまので、黒木教授はその好意を躊躇なく利用した。既に亡くなったメンバーがあくまで役割としては護衛役だった事も一因だろう。
しかし、それでも彼にとってはよかった。デジモンに怯えたところがある研究者達の態度よりも、自分の目的の為とはいえ一緒に旅をする事を容認し頼ってくれる。レポートとして彼の存在を残してもくれる。
利用されているとしても、研究対象へ向けた興味関心でしかなくとも、彼にとっては無関心や敵意に比べればよほど好意的で心地よかったのだ。
その時のチームの一人によると、彼は何度も黒木教授を庇って死にかけたという。彼にとって、目の前の死よりも黒木教授の方が重かったのだろう。
毎日の様に研究チームは危険な目にあった。人間は大抵のデジモンに比べて力が弱いし足は遅い、その上大人数でまとまっていて見つかりやすくもある。
人間を珍しい獲物と捉えるデジモン、人間を食べると異世界の力を身につけられるという根拠のない噂に釣られるデジモンなど、わざわざ狙ってくるデジモンとも彼は戦わなければならなかった。
彼が研究チームと出会って十七日目、事件が起きた。
彼がバケモンという、ゴースモンと同様に幽霊の様なデジモンへと進化したのだ。
それを彼自身は喜んだし、黒木教授も喜んだ。しかし、彼の進化を機にBrenner教授はチームの帰還を決定した。
それは全く理解できない訳ではない。人同士でさえ行動を制御するというのは難しい事である。ゴースモンだからまだ脅威になっても対処できると、バケモンになられては対応できなくなるかもしれない。そう考えたBrenner教授は責められない。これ以上の死者を出すわけには行かなかったのだ。
黒木教授は、自分が調査を指揮できる立場になってまた来ると彼に約束した。後にその約束自体は果たされるが、それは私も調査に加わる十五年後の事。
十五年の間、ナイトメアソルジャーズの領域へと公的に足を踏み入れる人間はなかった。
ナイトメアソルジャーズ領域での調査と同時に行われたネイチャースピリッツの領域での調査では死人が出ず、デジタルワールドへ行くならば、ネイチャースピリッツの領域だろうと。そうなったのだ。
もちろん、ネイチャースピリッツ領域での調査隊にもアメリカ軍の息がかかった研究者がいて妨害する筈だったそうだが、その研究者は軍部に取り入ってでもデジタルワールドへ行きたいという考えであって元より妨害するつもつもりはなかった。同行したロシア軍人に助けを求めてデジタルワールドからの帰還後すぐに亡命し、十年後になって初めてアメリカの行いを非難する文を公表した。
もう一度人がナイトメアソルジャーズ領域に行くには、その文が公表されて当時のナイトメアソルジャーズ領域に行ったチームメンバーが二人の軍人に関わる記録を偽造したことを認め、世論が色々落ち着くまでの時が必要だった。
しかし、そんな事情を知る由もなく、彼は孤独を味わった。
彼は元々人間と出会う前から死んだように生きていたが、ただ死んだように生きているよりも、一度他者に認められる喜びを覚えてからの方がより寂しく感じたらしい。
進化しても変わらず彼がアンデッドであったことも追い打ちをかけた。自らに温かい血が一向に通わないことが、研究者達との、黒木教授おの超えられない隔たりを象徴している様に感じたのだ。
そうして、黒木教授が戻ると言った場所に数年も留まっていると彼は少し落ち着いてきた。
といってもそれは決していいことではなかったという。己の身体の有り様に感じる悲しみも、孤独の恐怖も、黒木教授はもう戻ってこないのではないかという疑心もなくなったわけではなく、そうした事に激しく反応できるだけの力を失い、諦めながらも他に生きる理由もなく待つ以外の事を始められるだけの力もなかったのだ。
たった数年でと思うかもしれないが、成熟期の彼は例えるならば小型の肉食獣の様な、狩る立場でもあるが狩られる立場でもあるデジモンだった。
安全圏にある人間にとっては、明日というのは大抵の場合在るもので、不意に死ぬ時に初めて必ずしも明日が来るわけでないのだと悟るものである。
しかし、彼にとって、明日というのはいつ来なくなってもおかしくないと常に感じているものなのだ。
こちらで感想と言う形でははじめましてとなります、快晴です。自作には2度も感想をいただいているのに非常に申し訳ない&ありがとうございます……。
恋の物語が手記という形で始まるとは思ってもみなかったので、読み始めた途端からびっくりしました。
形式が形式であるだけに淡々と第3者の視点で語られる、ゴースモンを取り巻く環境の変化と成長には毎回一抹の寂しさがセットになっていて、彼の存在証明について考えれば考える程、傍で応援してあげたくなるような感覚が湧いて来るようでした。この文書を記している四垂咲良さんの視点を覗き見しているようでほっこりしていたのですが、しかしそれも「もう1つの視点」を体験してしまうと一気にもどかしくなってしまうという。なんて可愛くていじらしいダークナイトモンなんだ……。
それらも踏まえると、この『ダークナイトモン』という進化先が、愛する人を守るために成ったのが『騎士』というのが、本当に素敵だと思いました。自分こういう進化ルートが大好きなもので。
それから物語の中に登場する国際情勢や各々の思惑、エリアの描写等にものすごくリアリティがあって、それが話の流れを遮る事無く本当にデジモンの存在を前提とした世界が作り出されていて、読んでいてとてもワクワクしました。pixivの企画の方でもへりこにあん様の設定や世界観の詰め方には毎回脱帽するばかりです。
コイントスで「彼」になった(ここの描写、なんだかすごく好きです)ダークナイトモンと、アンデッド型に恋い焦がれる、恋を知らない四垂さんの物語がこの先もあたたかなものである事を夢見つつ、拙い物ではありますが、こちらを私の感想とさせていただきます。素敵な作品を、そして企画をありがとうございました。
手記という形式で第三者の主観から描かれる恋模様というのが流石主催者というか、手札とテーマを理解したうえでさらにオチで仕込んでいるというまさに匠の技と感心させられました。
黒木南天への思い、ウィッチモンへの思い、そして四垂咲良への思い。ダークナイトモンから伸びる矢印が咲良とダークナイトモンそれぞれの認識でずれているからこそ面白く、せつない。
それはそれとして、微妙にずれている自分の恋心の解釈に悶々とするダークナイトモンが見れるのはこの作品くらいなんじゃないかと思えるインパクトでした。
さて、感想はこのあたりで。……こっちの進捗は完全に死んでいますが、なんとか期間内には上げようと思います。
「私はどこからこの手記に赤ペンを走らせればいい?」
私は目の前の彼女、四垂 咲良にそう問いかけた。三十代も半ばになった彼女は未だに若手研究者ではあるが、落ち着きのなさは最初にあった頃と対して変わらない。
「そんなにひどい?」
「ひどいさ。私は確かに黒木への気持ちは恋の様なものだったと言ったからまだいいとして、ウィッチモンの事は大切に思っているがアレも恋なのか?」
「私はそう思った」
まったく、嫌になる。こちらが人間の作った概念に疎いのをいいことにやりたい放題だ。
「……まぁ、それもならばこの際いいとして、君と私の話が短すぎやしないか」
「いや、だってさ。これの目的は君のことを伝えることとウィッチモンを探すことにあるんだからさ……君と私に関してはなんか優しいやつっぽいエピソードぐらいでよくない?」
呆れる、最早どうしたらいいものかわからない。流石私が庇って進化したことにもすぐ気づかずに偶然だと思い込んでいた人間である。三宅教授はよく咲良をそれなりの論文を書けるまでに育てたものだ。
「……なら、イギリスでのエピソードぐらい載せたらどうだ。私の力と君の機転で一都市の平穏を守った」
「載せられる訳ないでしょ、君が人間界に非公式に渡っていたのがバレたらまず問題だし、黒木教授がイギリスの支援を受けてデジタマを複数持ち帰っていたのも問題だし、違法行為のミックスジュースみたいなもんだもの」
「エンシェントスフィンクモンに認められる為に君と試練を乗り越えたのはどうだ。君が謎を解いたやつだ」
「レポートは三宅教授に送ったけれど、一般には人よりも高い知性を持つデジモンの存在は伏せられているし、エンシェントスフィンクモンが許可出さないでしょ」
「三宅教授の許可は取ったのか」
「珍しく取った。どうせ私が許可しなくとも勝手に書くだろうからと諦め混じりの返事をもらいました」
得意げに咲良はそう告げた。
私は咲良を庇う為に進化した。娘か妹の様に思うウィッチモンに見つけてもらえなくなるとしても、彼女を庇う方がその時の私に取っては大切な事だった。
本来、他個体と社会を形成する類の種では私はない。良心とか道徳とか本能によって人を庇う、ほんなことはほぼない。もしもあの場でグランクワガーモンが殺す候補が咲良ではなかったら、庇わなかったと断言できる。
「トーストにバターを塗る話も、君がバター猫のパラドックスの話をしたからだ。あの時の私は本気でバターを塗ったトーストを猫の背中にくくりつけて落としたら空中で高速回転を始めて地面につかないものだと思っていた」
「そうだっけ?」
「全く、いい加減なものだ」
私は手記を適当に机の上に放ると咲良の頭をポンポンと撫でた。ありがとーと間延びした返事をしながら揺れる細い髪が手のひらを撫でる。
ダークナイトモンとなっても私は、アンデッドから完全には脱却できなかった。
確かな体は得たが、この身は冷たく熱も通わない。トカゲとかもそうだと咲良は言うが、私の欲しい生とは生命活動という意味のそれではない。
君から熱を与えられる様に君に熱を与えられる肉体が欲しいのだ。今、がらんどうの鎧に紐付けられた魂でいたくないのは君のせいであることを君は知らない。
元はあんなに嫌いだった体も、ゴースモンだったウィッチモンと過ごす内に悪いものじゃないと思えた。だから、ウィッチモンを待つ為という理由があれば虚な体を捨てるチャンスを先送りにすることもできたのだ。
「……そうだ、聞いていいか?」
「なに?」
「咲良、君は何故こんなものを書こうと思ったんだい?」
「んー? ウィッチモンに会いたいかと思ってさ。研究者として私情を挟むのはどうかと思ったから……個人として呼びかけてやろうと」
彼女は私を焼き続ける熱を知らない。言葉にしてもきっと彼女はこう言うのだ、それは君が恋というものをよくわかっていないからさと。
しかし、本当にわかっていないのは私だろうか。彼女は人は恋をする生き物だから自分もわかるものだと思っているが、私にはそうは思えない。
「私の恋にお節介を焼きたい咲良の初恋は?」
「……まぁまだ無いけど、恋愛物は見るよね」
咲良はキョトンとした顔をした。やはり、彼女は恋を知らない。そして私はそんな彼女で恋を知った。
熱に浮かされるというのはよく言ったものだ。あの日、手を握られたあの時から私は彼女の熱を求めてやまない。
「あ、強いていうならアンデッドデジモンかな。子供の頃にその存在を知ってからこんなところまで行き着いてるからね、君達に恋い焦がれていると言っていいと思う!」
「……だとするならば、私はアンデッドで心底よかったよ。君に会えた」
「わぁ、珍しいデレだ。私も君に会えて幸せだよ。ダークナイトモン」
咲良が拳を掲げた。私も拳を作ってこつんとぶつけた。ただ、私の身を焼くこの熱が伝わるにはあまりに短すぎた。
あとがき
どうも、お久しぶりの方はお久しぶりです。はじめましての方ははじめまして。へりこにあんです。
ペンデュラムZの発売が決まり、Twitterの方でパラレルさん、マダラマゼランさん、羽化石さん、快晴さん、ユキサーンさんと、ペンデュラムの六つの領域でお祝い小説をそれも恋愛物で(恋愛ものなのは私の趣味ですが)書いたら楽しいよね、みたいな話をした流れでこの作品は投稿されています。
ペンデュラムZの発送されるらしい十一月中には皆さん投稿される事でしょう。一応、ペンデュラムシリーズに出ているデジモンをメインキャラに据えるみたいな制限はありますが……人によっては私が趣味でねじ込んだ恋愛要素に苦戦してるようでごめんなさいって感じです。
さて、この話ですが……最初はダークナイトモンを究極体として描く予定でしたので、グランクワガーモンは消耗を嫌って去る感じでした。公式がクロウォに世代をつけたのでネイチャースピリッツからヘラクルカブテリモン君に出張ってもらった感じです。まぁ、結果的にはペンデュラム20thリスペクトみたいなところも出てくるからいいのかなとは思っています。
中身については、今回デジモンウェブがかなり研究者目線らしい話をファンコンテンツに載せているので、研究者が一個人として主観を交えながら話している、みたいな形を書きたかったところがあります。裏にきな臭いのが色々出てもそんなことよりと片付ける癖に、論文の紹介はする様なのが咲良という人なのだと、書いてる誰かの顔を思い浮かべながら読んでいてもらえたらなと。
では、またいずれ。
なんの連絡もない中で待ち続けるという事の精神的な苦しみに加え、特定の箇所に留まっている彼は、より高みを目指さんとする同格や同格より少し上ぐらいのデジモン達にとって都合のいい獲物でもあった。
それでも彼は生き残り続けた。苦しみが終わる日を夢見ながら延々と、逃げ惑い、戦い、生き残りまた会う為に殺したデジモンを喰らって力を付けていった。
十年目に差し掛かった頃、彼の生活に一つの変化が訪れた。
「あなたはどうしてここに留まっているの?」
そう尋ねて来たのは一体のゴースモンだったという。かつての彼と同じ種でありながら、一目見て彼には自分と違うとわかったという。
目は好奇心できらきらと輝いて、揺らめく火の如き体はいつまでも燃え続けるだろうと思わせた。
彼はアンデッドである自身を、そもそも生きるに足りぬから死ぬ事ができないのだと形容していたが、そのゴースモンに関しては、強い生命の輝きが死を遠ざけている様だったと言った。
「……約束をしたからだ。私はここにもう一度来る人間を待っている」
「その人間は大切な相手なの?」
そのゴースモンは無邪気故なのか無遠慮にそう彼に尋ねた。
彼は返答に困ったという。大切な相手だと思っていないわけではなかったが、一方通行に思えてならなかった。当初は黒木教授に利用されるにしても、貴重な存在と思われているつもりだったが、その思いも連絡のないこの数年で打ち砕かれていた。
「……約束は、守りたい」
直接問いに答える事をしなかった。
「そうなんだ、私も一緒に待ってもいい?」
「別に構わない」
彼はもう成熟期で、成長期であるゴースモンにそう簡単に脅かされる事もない。そこにいることを許可したのは、最初は断った方が面倒なことになりそうだ、という消極的な理由だった。
しかし、すぐにそれを後悔することになった。
「その人間はどんな人間なの?」
「そもそも人間ってどんななの?」
「研究ってなんの研究をしていたの?」
「なんでその人間達は研究していたの?」
そのゴースモンの知識欲は留まることがなく、質問に答えても答えなくとも矢継ぎ早に次の質問が飛んできた。
最初は人間についての質問がほとんどだった。その内に彼自身についてのことや目の前の植物のこと、通りがかったデジモンのことに、ナイトメアソルジャーズにそびえる城のこと、深い森の奥のこと、空はなぜ暗いのか。
彼に聞くその在り方は、とりわけ怯えを知らないところは黒木教授の様でもあった。とは言ってもその聞き方自体は幼子のそれで実際の振る舞いは似ても似つかないが。
黒木教授といた時、彼は自分も調べたいとか、自分も知りたいとは思っても行動に移さなかった。
それは詮索する事で黒木教授に嫌われたくなかったからであったが、そのゴースモン相手にはそんな気遣いをする理由はなかった。その上、それはただ待ち続けるよりも余程楽しいことでもあったのだ。
一つ二つ、新しい事を知っていく。ただ渡り歩くだけでは知り得なかった事、何度も通った場所であってもそのゴースモンといると新しい発見があった。
他のデジモンとの会話というのも、幾分できるようになった。
ナイトメアソルジャーズは確かに気性の荒いデジモンが多くを占める、しかしながら、気性が穏やかなデジモンが全くいないでもない。
そんな事は彼自身の存在が証拠で、側からみれば当たり前の事であったが、彼にとってはそのゴースモンと知り合い、色々と知ろうとしたり会話をしようとして初めて知った事だった。
人間と共にある時も様々な場所に出向いたが、気性が穏やかなデジモン達は争いを避ける為に他者へ干渉する事は好まず、人間の集団なんて得体の知れないものは尚更の事だった。ゴースモンだった時の彼も全く試みなかったわけでもないが、常にそれは命がけで消耗もするので数回で諦めてしまっていた。
例えば、ナイトメアソルジャーズの領域にそびえる城の門を守る三首の魔犬、ケルベロモンが彼の話せるデジモンだった。
この城は、王が住み君主として民をまとめる、といったことは確認されていない。他のデジモンから身を守る為のものと考えるには無駄の多い謎だらけの建造物である。
「あなたはどうしてここにいるの?」
そのゴースモンの問いに、ケルベロモンは淡々と答えた。
「秩序を守る為だ。あまりに粗暴な個体があれば声をかけにいき、城に呼び込む。他の粗暴な個体と殺し合わせて数を減らし、秩序を維持する。我が使命はこの城の外に粗暴なデジモンを出さないこと」
その話をしている時、城の尖塔から飛び立とうとする一匹の悪魔がいたそうだが、門を越えようかというところで城内から絶え間ない銃声が轟いて塵と化したという。
「我は門を守るもの、粗暴な個体達の結託を防ぎ、処分を円滑に進めることを任とするものもいる。ナイトメアソルジャーズの真の支配者達は影に潜むものだ。城に入りたければ通すが、地下へ行ってはならない」
それ以上をそのゴースモンが尋ねようとするのを彼は止めた。会話ができて攻撃的でないことは、自分達を襲わない事と同じことではない。
そんな風に時に危ない橋を渡りながらも、彼はゴースモンを連れてナイトメアソルジャーズの至る所を巡った。
七日に一度、約束の場所に必ず顔を出してもいたが、もうそこに長く留まることはなくなった。
彼は明確に変わりつつあった。そのゴースモンと共にいることそのものにも、楽しみを見出し心地よく思うようになった。
黒木教授達と共にいた時、彼にとって世界は特に魅力的なものではなかった。灰色の世界に黒木教授の周りだけ色が差したような状態だった。しかし、その時の彼の場合はまた違っていて、そのゴースモンと共にいることで周りの世界にも色づき始めたというのだ。
私がそれこそ恋のようなものだったのではと聞いた時、彼はそうかもしれないと答えた。
彼は黒木教授に恋したようにそのゴースモンにも恋をした。しかし、黒木教授にした恋とそのゴースモンにした恋は異なるものだった。
楽しい毎日だったそうだ。戦いの全てを避けられたわけでなくとも、知ろうとしてもわからないことがあろうとも、そのゴースモンと共にいて何かをする。その度に何かを一つずつ重ねていく。
ただ、今の彼はそのゴースモンと共にはいない。
それは彼にとって心残りではあるが、私の場合はそのおかげで彼と会えたのだから複雑なものである。
そのゴースモンがウィッチモンという私達で言うところの魔女の様な姿の成熟期のデジモンに進化したのがきっかけだった。
もちろん彼は人間ではないのでそれそのものを理由に別れたのではない。当時の彼は進化したての成熟期に遅れを取るほど弱くなく、むしろ完全体でも相手にできるほどに強く、進化しないのが不自然なほどであったという。
ただ、そのゴースモンがウィッチモンになった。成熟したということは前よりも自由になったという事なのだ。
デジタルワールドでは、ある程度のレベルまでは戦いの強さが自由に直結する。
完全体に至ると周囲に与える影響の大きさから逆に自由でなくなってくるが、それはまた別の話。ただどうしても知りたい人は、私と同じく三宅教授に師事していた五島君の『ネイチャースピリッツ領域における行動範囲と世代の関係性について』という論文を読むことを勧める。
そのゴースモンは、ウィッチモンになった事で彼と共にいなくとも見知らぬ地へと出ていくことができる様になった。
彼は基本的に、黒木教授達を待つ為に必ず約束の場所に毎週戻る習慣があった。
そんな彼と共にいてもナイトメアソルジャーズの領域の外は調べられない。時間が足りないのだ。
彼はそのウィッチモンと一緒なら覚めない悪夢も苦ではなかったが、そのウィッチモンは彼と一緒にいられなくても悪夢から覚めてみたかったのだ。
最初、彼はそれを止めた。黒木教授の時には止めるなどということは嫌われるのを恐れてできなかったが、そのウィッチモンには嫌われてでもより安全な道を選んで欲しかった。
外の世界はナイトメアソルジャーズの領域に比べれば温厚なデジモンが多い事を知っている我々から見れば、とても安全な道を選んで欲しい様には思えない。しかし、当時の彼はそんなこと知らなかった。協力し合える上によく知った土地、その利点を思えば、独りで見知らぬ土地へ行くことの方が危険に思えたのだ。
「どうしても行きたいならば私も行こう」
何度も彼はそう言った。黒木教授との約束を忘れたわけではない。しかし、一週間で戻らずとも二週間ならば、もっと時間がいるならば三週間でもいい、妥協できる点はいくらでもあった。
「来なくていい、大切な約束があるんでしょ?」
そのウィッチモンの返答もいつも同じだった。彼はそのウィッチモンの返答がどうしてもわからなかったそうだが、私は、そのウィッチモンが彼の妙に義理堅いところが好きでありながらも、黒木教授に嫉妬していたのではないかと思う。
彼は妥協はしても約束を捨てることはしなかった。それが、そのウィッチモンを頑なにさせてしまったのじゃないかと、私はそう思うのだ。
そうした何度目かの言い合いの中で、彼はそのウィッチモンの二の腕を掴んだ。
「冷たっ」
その言葉に彼はそのウィッチモンを離した。そして、それが彼とそのウィッチモンの最後の会話になった。
彼はアンデッドだ。そのウィッチモンもゴースモンだったのだからアンデッドだった。
でも、ウィッチモンになったその時点でもうアンデッドではない。温かい血が流れている、生を羨むのでなく謳歌することができる、確かな生がそこにある。
自分とは異なる世界に生きるべきだと彼は感じてしまったのだ。
それからしばらくの彼の生活は黒木教授達が去った後と変わらない。死んだ様にその場所で待ち続けていた。黒木教授を、そのウィッチモンを。
私が彼に会ったのは黒木教授含む研究チーム十二人の一人として訪れた時の事。
彼と会うまでに既に犠牲者が一人出ていて、長居できないことは明らかだった。
黒木教授という人は研究の虫であり、富や名声に頓着しないが、研究できなくなる事に関しては敏感だった。当初の予定では以前調査したポイントの調査をしてから新しいポイントを調べるという話だったが、黒木教授は成果を求めて、二班に分かれて当初の計画の半分の期間で予定をこなすことを提案した。
私と彼は新しいポイントを選べる班に回された。チーム内では若手で体力があったし、私が直接師事した教授がアンデッドデジモンの専門家であった事も影響した。
私の研究テーマは霊的なデジモンではなく、いわゆるゾンビやヴァンパイアの様な肉体を持つ類。バケモンやゴースモンを対象とするよりも、レアモンとメタルグレイモンを比較するといった方法を取る。しかし、アンデッドデジモンの研究者である事は間違いない。
黒木教授はいつも自身が知りたい事に熱心で、彼に何か聞かれても応えるというよりもあしらうという態度だった。
それでか、彼が私に向けて最初に話したのは挨拶でもなんでもなくて疑問だった。
「アンデッド型のデジモンを君はどう思う。生まれながらに死んでいるとは奇異な事だと思わないか?」
これに対しての回答は、幾つもある。幾つもあるが、これを書いている今でさえ、我々研究者は明確な答えに辿り着いていない。
「興味深いとは思っています。でも、死んで見えるとか死んでいたが蘇生したならば、今は生きているということ。奇異に思うならばそれは今ある生死の定義が間違っているということです」
「君はこの熱を持たぬ身の私を生きていると断言できると?」
「断言はできません。生きているということの定義が間違っているとしたならば、新たな定義を呈示しなければいけない。それができないから断言はできません」
私がそう言った時、布の奥で彼の瞳が残念そうに揺れて見えた。
「ただ、私はあなたが生きていると感じましたし、あなたは生きていると信じています」
そう続けると、彼は突然に私の左手を掴んだ。その手は青くひんやりとしていたが、それは気温相応の温度でしかない。私は左手を掴む彼の右手ごと右手で覆う様に掴んだ。
「こうするだけであなたの体も熱を持つ」
ナイトメアソルジャーズの領域は昼であろうと直接日が射すことはない。だから彼の手は常に冷たいまま、ただそれだけのことが彼にとっては思いつきさえしない事だった。
日が射さないから彼は日に照らされて熱くなる地面も知らなければ、日光浴する爬虫類も知らなかった。日のよく当たる森ならば葉も灰色がかってなどおらずもっと青々としていることも知らなかったのだ。
彼は道中、私に様々なことを尋ねた。時には黒木教授の言葉をさえぎってまで、私達にとっては何でもない、どうしてトーストは両面を焼くのにバターを塗るのは片面なのかなんてことを尋ねた。
そして、私の問いにも彼は熱心に答えてくれた。彼の過去についてやウィッチモンの事について最初に知ったのはこの頃で、そうした話を聞いている内に私は彼の何気ない仕草も読み解けるようになっていった。
そうなると、調査は面白いように順調になっていった。
彼自身さえ危険だと確信を持てない違和感、そんなこちらに言うべきか微妙なラインに私が気づくことで、デジモンに襲われる機会が格段に減ったのだ。
私はそれがとても嬉しかった。師でありアンデッドデジモン研究の第一人者でもある三宅教授は、体力面からデジタルワールドんに来られなかった。私は代理として参加している立場であったし、代理としての仕事さえ私には重荷だった自覚があった。彼とチームを結ぶ役目は私が初めて満足にチームに貢献できるものだったのだ。
ただ、後から思えばこれが黒木教授の暴走を後押ししたのかもしれない。
調査班は森の奥地も調べる事になった。基本的に私達は複数のエリアを跨いでの移動をする時は開けたエリアを使うが、そのナイトメアソルジャーズの森の奥地というのはネイチャースピリッツの森とも繋がっていると考えられていて、単にナイトメアソルジャーズの領域や単にネイチャースピリッツの領域よりも複雑な生態系が築かれていると考えられていた。
別に無理をする必要はなく、通常の領域ならまだ安全が確保できる体制でも安全を確保できないというのも、また一つのデータではある。いつ引き返してもいいはずだった。
しかし黒木教授は欲張った。たった一度ではあるが、彼が引き返した方がいい気がすると言ったのを制して、調査を進める事を選んでしまった。
この時に私が彼から聞いたケルベロモンの言葉、ナイトメアソルジャーズの真の支配者達は陰に潜むという言葉を覚えていたならば変わったかもしれない。
ナイトメアソルジャーズとネイチャースピリッツ、両陣営の境はある程度曖昧ではあった。しかし複雑な生態系などというものは作られようがなかった。
黄金と漆黒の巨大な昆虫同士のぶつかり合いがそこで行われていた。
黄金の虫はヘラクルカブテリモン、漆黒の昆虫はグランクワガーモン。究極に至った二体が力を拮抗させた一瞬だけ私達はその姿を確認できたが、後の時間は互いに組み合いながらネズミ花火の様に木々をなぎ倒しながら跳ね回っていた。
時折二体が距離を取ったかと思えば、二体の間で閃光が飛び交い地面がえぐられ土が雨のように降り注ぐ。
もちろん今の人類にはこれを超える威力を出すことはできる。しかし、後の研究でこれは生死のかかった争いではなく、互いに餌場を求めて威嚇し合う程度のものだっただろうと結論が出されている。
焦って逃げようとした若手研究者が一人足をくじき、彼がその体を支えて何とかその場を離れた。
数分もすると二体の究極体の戦う音は聞こえなくなった。そのことに私達は安堵したものの、すぐ様それが間違いであったと知った。
既に見慣れた地点まで戻った私達の前にグランクワガーモンが現れたのだ。
「命を捧げよ。此れは通達であり、慈悲である」
そう告げた。まず、一人の研究者がパニックになって逃げようとしたが、私達はおろか彼も一切動けぬうちに、左前肢の爪をふとももに突き刺された。
「抵抗しなければ苦痛は与えない」
爪を引き抜かれると、鼓動に呼応して傷口から血が噴いた。その出血量から、もう助からないことは明白だった。
「待ってくれ、此処で誰も帰さなければ、きっと我々は繰り返す。調査の為、亡骸の回収の為等々の理由でこの森に立ち入る事を繰り返すだろう」
黒木教授は冷静だった。誰も動けなかった中で最初に口を開いた。
「それを私は望まない。奴は侵入者に対応する隙をついて襲来す。でなければ汝等を殺す理由もない。我が森の恵みは豊富、その血がこの地に染み込むことさえ受け入れ難い」
グランクワガーモンはそう言って、さらに続けた。
「半分を生かそう、しかし、半分は殺そう。選ぶがいい」
私達は十二人でデジタルワールドに来ていた。六人ずつの班に分かれていたので、彼を含めても半数と言えば三人か四人、一人が既に助からないので最低あと二人の生贄を求められていた。
研究者としての立場を考えるならば、私は一番下っ端で、生贄になることが決まりきっていた。
私自身仕方ないと思ってはいた。遺書もデジタルワールドに来る前に残してあったし、残念であるが当然だと。私は個人であると共に研究者である、成果の為に命を犠牲にする方法は本来倫理的に採用しがたいが、限りなく苦痛や犠牲を減らすのは研究者として当然の考え方でもあった。
しかし、彼は私を庇った。黒木教授は非道の人であったので、彼が私を庇うならばと別の研究員達の方を見た。そうすると、その場は地獄絵図になりかけた。
ある者はナイフを握りしめ、ある者はそれまで距離をとっていた彼に縋り付こうとし、人間同士の醜い殺し合いが起きるのは目に見えていた。
「私はあなたに抵抗する。奴がそれを隙と捉えるだけの抵抗を私はできる、見逃してくれれば私も余計な抵抗をする事はない。速やかに出て行こう」
そう彼は告げ、グランクワガーモンは返答として彼に爪を振るった。
しかし、その爪は彼を引き裂く事はなく、宙を掻いて地面をえぐるのみだった。ゴースモンの頃から実体を一時的になくしてすり抜けるのは彼自身の嫌っている得意技だった。
もう一度爪を振るってグランクワガーモンもこれでは当たらないと学習したのか、その大あごを広げた。
私達はその場から動けなかった。既に事切れてはいたが刺された研究員の遺体もあったし、なによりも今動いたならば、グランクワガーモンは抵抗したとみなして攻撃してきた事だろう。歯痒さを感じながら見ているしかなかったのだ。
「避けて……」
そんな私のつぶやきを聞いて彼はグランクワガーモンの大あごをただすり抜けるのではなく避けた。大あごが通った場所は明らかに異常な様相で、デジタルワールドに来る時に通ったゲートにも似たひずみに見えるものが宙に現れた。
後の研究から、それが空間を切り裂くと伝わるグランクワガーモンの能力であり、バケモンという種のすり抜ける能力さえも関係なく彼を殺し得るものだっただろうと予想された。当時の私はもちろんそんなことは知らず、何とか傷つかないで済んで欲しいという思いをふと漏らしただけだったのだが、奇跡的にうまく転んていた。
グランクワガーモンは一度間を置いた。
「確かに。一体でいたならば容易くは始末できぬ」
されど、と続けた。
「選ぶがいい。人が死ぬか、虚ろなる身を盾にするか」
その時、グランクワガーモンの赤い瞳が私を見据えた。彼が避ければ私が死ぬし、彼が受け止めれば彼が死ぬ。どちらが死のうがグランクワガーモンはこれを繰り返せばいい。
私は恐怖に身がすくんだが、抵抗はしなかった。彼が庇ってくれた直前に戻ったようなものだとその時は思ったのだ。目を閉じ、きゅっと首をすくめた。
しかしいつまでたっても痛みが来ないので不思議に思ってうっすらと目を開けると目の前で黒いマントがたなびいていた。
彼がダークナイトモンという黒い鎧に身を包んだデジモンになった瞬間だった。しかし、その全身を覆う黒い鎧を持ってしてもグランクワガーモンの爪は重く鋭く、受け止めた腕部はひしゃげて穴も空く。
二度目はないと見ればわかった。
でも、グランクワガーモンはふと森の奥の方を睨むとすぐに飛び立った。
それはグランクワガーモンがより優先するべき相手を感じ取ったからで、すぐに森の奥から空に向けて飛ぶヘラクルカブテリモンらしい影が見えた。グランクワガーモンらしい影と空中で数度ぶつかった後、また森の中へとその影は消えていった。
「今の内に逃げますよ」
黒木教授の決して大きくはないが強い言葉に我に返ると、私達は即座にベースキャンプに戻り、そして別働隊と合流するとそのまま人間界へと帰還した。
グランクワガーモンに追われる可能性を考えればそれしかなかったが、しかし彼を連れてくることはできなかった。
この話の中心は彼であるので、黒木教授の報告への非難や、私達にも降りかかった中傷、複数国の研究者によるチームだったこともあって死者の出た国と出なかった国でもいざこざがあったがそれには触れない。
彼が私を庇おうとしたタイミングで進化できたことに関して私は偶然に感謝していたのだが、この話を師である三宅教授に詳しくしたところやんわりと窘められた。
「デジモンの進化のメカニズムには謎が多い。しかし、エネルギーが十分で有れば基本的には進化するものと考えられている。であれば、君を庇うその行動をした時に進化した、これに関しての解釈は二種類しかない」
「一つは、その時に彼に何か特別にエネルギーが加わった。もう一つは……既に参加できるに足るエネルギーはあったが別の理由で進化しないでいた」
その二種類の解釈に行きついて私は彼に成熟期でいることを捨てさせてしまったのだと気づいた。
進化をできる状態だった。しかし、彼は進化することを望んでいなかった。
彼曰く、進化は望まなければすることがないのだという。生き延びる為に力を求めてでもなんでも、漠然とでも大抵のデジモン達は進化を望む。故に何もなければ自然と進化する。
彼は、その姿でしか彼を知らないウィッチモンの為に成熟期のままでいたかったのだろうと、私は思う。これは研究者にあるまじき根拠のない推論で、彼に直接聞いてもはぐらかされてしまった。
私が次に彼と会うのは、もう少し人間の安全が確保できる様になってからのこと。そして、今の彼は私お共に、ナイトメアソルジャーズの領域城の一角に城主のエンシェントスフィンクモンの好意で間借りさせてもらって研究をしている。
さて、現在は人間界にも幾らかデジモンは現れている。
未だ成熟期以上のデジモンは人間界に現れていないが、もしウィッチモンに心当たりがあるデジモンと知り合いの人がいれば、東日本科学大学の電子生命生態学科の三宅教授に連絡を取って欲しい。
私の連絡先を書いても、完全体以上で人に友好的で研究協力までしてくれるデジモンは彼ともう一体しかこれを書いている現在はいない為、各地を転々とすることは間違いない。三宅教授のお手を煩わせてしまう事は罪悪感を覚えるがその方が確実である。
最後に、デジモンの擬人化という観点で問題だらけのこの手記であるから、開き直って彼と生活してここに書かなかった様な明確な違いも見てきた私の所感を述べたい。
ヒトとデジモンは明確に異なるが、人でありヒトと寄り添う事のできるデジモンはいる。