「うおおお! 週休二日がせめて関の山だろぉ!」
データの屑やスクラップが砂丘のようになっているような場所で、虚しい叫び声が木霊する。そこで骸骨に悪魔のような羽を頭と背中に生やしたような生き物が喚き散らしている。宝玉を三本の突起で包んだ歪な形の杖をブゥンと振るってみても塵芥が風圧で飛ばされるだけ。跳ねた屑が顔面に直撃し、ついぞ仰け反って尻餅をついてしまう。舌打ちをすると肩を落としてため息ひとつ。虚しい声を上げた主であるスカルサタモンは、杖の代わりに穂先の揃ってない箒を持ち、散らかしたデータの屑を再度集め始める。
「あーあ、進捗悪すぎて何も言えねえー」
誰が聞いているでもなく、ヤケになる気持ちを抑えながら、スカルサタモンは思考に舵を切ることで落ち着くことにした。
ここはダークエリア。デジタルワールドと呼ばれるデジタルな生き物が住まう世界。その世界から廃棄された、隔絶された者が行き着く先。ある世界の言葉ではいわゆる『墓場』とか『地獄』と呼ばれるような場所、らしい。亡霊が出るだとか、常に悲鳴が上がっているだとか聞く話はあるが、おおよそ響きから楽しそうな雰囲気はない。その話も誰かから聞いたに過ぎないため真実の程は定かでないが。
ただし、記憶の片隅にあるデジタルワールドとは明らかに違うため、そうなのだろうと自然に認識できた。いや、せざるを得なかったというか。
まず、生き物が過ごすにしては劣悪な環境だ。常にデータの屑が土埃のように舞い上がり、息を吸うたびにむせてしまうほど。無論それだけではない。ある時は草ひとつ生えない更地に延々と冷気が流れ込み、指先から身体の芯まで凍えてしまう。またある時は窯風呂に入れられたのと同様の熱気が多方から押し寄せてくる。
極めつけは『ここ』が『廃棄される場所』ということだ。大抵はスクラップであることが多いが、時たま新たな住人や、何と判断することも困難な得体の知れないモノが空に突然現れ、そこに誰が居ようとも容赦なく降ってくる。
運が良ければ当たり所が悪かったくらいで済むが、悪ければその場で押しつぶされて終わり。ダークエリアで縄張りを張っているデジモンたちと新しい住人が出くわした時は最悪だ。洗礼とばかりに酷い目に遭う未来しかない。
そう、そのダークエリアの同居人たちも大概が困った奴らなのだ。いたずらが過ぎる者や堕天したと思われるデジモン達は、出会い頭にお互いを貶めるようなことばかり。善意をふりまくような連中は誰もいない。ここに身を落としている者自らが言うのもなんだが……。
それらを管理、統治しているのがアヌビモンという聖獣型のデジモンだ。ダークエリアに居るデジモンで唯一良心と言える存在らしいが、こちらとしては関係のない話だ。良心なんてぶっ潰してしまえ! と言いたいが、こいつが如何せん強い。同じスカルサタモンが百体集まって襲撃したとしてもかなう未来が見えない。指先で弄ばれるのが関の山だろう。
実際に戦って負けたのかって? いいや、戦ったわけではないが、自らを過信し歯向かったデジモンたちが恐ろしい目にあったという逸話ばかりが残っている。そんな化け物みたいな管理者に歯向かう意味やメリットがあるとしたら、とっくのとうに何度も挑んでいるだろう。
と、アヌビモンという単語が頭の中をよぎった途端に、嫌なはずの記憶が嬉々として蘇る。
「ま、毎日データの屑集めだとおおおお?」
金切り声とも取れるスカルサタモンの声が、小さな執務室で響き渡る。自ら放っておいて脳震盪を起こしてしまいそうな叫び声だ。しかし、その様子をものともせずに澄ました表情で見下ろしている生き物が一人、アヌビモン。エジプト神話に出てくるアヌビス神のような風貌と言えば伝わりやすいだろうか。犬を思わせる獣人に天使のような翼。二足歩行で清廉な衣類を纏い、金と赤に縁どられた腕輪と首輪が印象的だ。スカルサタモンががなり立てるのと対照的にアヌビモンは静かにそこにいる。今の声が聞こえていなかったのかと疑いたくなるほどだ。だからこそスカルサタモンの喉からは不満が溢れてくる。
「デジタルワールドからダークエリアに降り積もるデータが増えてきて、処理できないからって……おいおい、そういうのはあんたの忠実な手下とか、ほらそういうのにやらせればいいわけ――」
パンと破裂音がひとつ。アヌビモンが手を叩いてその場を制した。言葉を思わず飲み込んで、スカルサタモンはアヌビモンを睨んだまま静止する。
「……単純に人手が足りません。ほら、どこぞの世界では猫の手も借りたいとも言うでしょう」
「猫ォ? んな話知らんよ! 手が足りないなら単純にもっとマンパワーってやつが必要だろう? ほらぁ! 暇そうに飛んでるイビルモンとか、スクラップにやたら興味津々なドラクモンとかさぁ!」
アヌビモンは指を一本立てて、チッチッチと横に振ってみせる。どうやらスカルサタモンの天才的な発案はお気に召さないらしい。
「アナタ一体を呼んでいる時点で、私の意図は汲んでもらえるものと思いましたが? そこまで察しが悪いものでしょうか……」
「いや、察しが悪いって……普通無理だからな! 気づける方がおかしいからな!」
ぜぇーはぁーと息を吐きながら肉薄する。涼しい顔をしたままのアヌビモンをなんとかして説き伏せたい気持ちがこみ上げてくるが、暴力で訴えかけるにはいささか実力が伴わない。代わりに歯ぎしりをしながら反論の材料を頭の中でこねくり回す。
「第一アンデッド型の俺に任せるのはどうかしてるぜ? 気ままな死後の世界だ。サボるかもしれねえぞ? そうなったら俺に任せた場所が最高にアンタを困らせることになっちまうかもしれんよ?」
「そうかもしれませんね」
苦し紛れの提案は一蹴。この態度からすると問題にもならないらしい。アヌビモンは表情を変えずに、笑い声だけ口元から漏らしている。スカルサタモンは諦めたのか、大きなため息を吐いた。
「…………分かったよ、条件は飲む。代わりにアンタが最初に提示してきた約束もしっかり守れよ! 守らなかった時は分かってんだろうな?」
「ええ、ええ。勿論です」
勢いだけの罵声に笑みをこぼしながら応対してくれる。まるで子どものわがままを笑顔で聞いてくれる母親のようだ。その態度にまた腹が立ってきてしまうのだが。
「スカルサタモン、あなたの願いを叶えたければ務めを果たしなさい。私から伝えられることはそれだけです」
「へいへい、やればいいんでしょ、やれば!」
スカルサタモンは半ばやけくそな返答をしつつ、それ以上の言葉を聞かないようにしながら、追われるかのようにアヌビモンの執務室をあとにする。後はアヌビモンの耳が届かないところでひたすら文句をまき散らすだけだ。その姿を遠目に見ながらアヌビモンはため息交じりに笑ってみせる。
「スカルサタモンらしからぬ良い返答です。これは今後が楽しみになってきましたね」
「ああ! ああ! 思い出しただけで腹が立ってきた!」
箒をゴルフクラブのようにブゥンと振り、データの屑をまき散らす。後悔先に立たずという言葉がよぎったが、思い切り振りかぶった時の気持ちのよさと、舞い散ったデータの屑がダークエリアのくぐもった空を鮮やかに彩る様が、異様に喉につかえているものを吐き出させるような感覚になる。
ああ、そうだ。俺はスカルサタモン。大人しく聖なるデジモンの言うことを聞くようなタマではない。聖なるデジモンに立てつく術はいくらだってある。己がサボることでこのエリアはデータで溢れかえる。ゴミ溜めで住む環境としては悪化の一途を辿るだろうが、なあに別の場所に住処を移せばいい。他のデジモンたちとのいざこざが増える可能性もあるが、ここだって同じようなものだ。となると、最終的に困るのはダークエリアの住人じゃなくてアヌビモンだ。これは間違いない。ならば、いっそデータの屑をまき散らして……。
「ぐわっはっは! ゴミ集めしておいて、ゴミをまき散らしてやんの。ひーまだねぇー?」
「暇じゃないわ! これは汗水垂らして労働した結晶だっつーの!」
「それにしちゃあ、結晶を放水しているようで何よりだ。ただ、俺たちの体にぶっかけたらタダじゃ済まさねえからよ。ゴミ屑巻き上げんじゃねーぞ」
ゲラゲラと笑いながら一笑するデジモンが一体。引き裂かれたような黒い翼を携えた竜種が、舌なめずりをしながら文字通り空から見下ろしている。黒い体躯に手先から伸びる禍々しい真紅の爪。邪竜型であるデビドラモンだ。
お言葉に甘えて屑まみれにしてやりたい気持ちが湧き上がるが、成長段階がひとつ下である相手の挑発に乗るほど完全体の生き様はやわじゃない。
「へーへーデビドラモンさんは大変暇そうでようござんした。野次を飛ばすのと吠えるくらいしかやることが無いですもんね」
デビドラモンの眉間がピクついたのをスカルサタモンは見逃さなかった。売り言葉に買い言葉だ、その次には手が出てしまうのがダークエリアの住人の悪いところ、もといそこに行き着いた者の性質というかなんというか。同類の考えることなど手に取るように分かるため、特段驚くことも無く杖を構える。
「クリムゾンネイル!」
「ネイルボーン!」
デビドラモンの禍々しい爪はスカルサタモンに届くことはない。何故なら光は物理よりも早く対象に届くからだ。ネイルボーンは杖の光を浴びた者の身体にデータ異常を起こさせるもの。デビドラモンの腕が届く前に、崩壊を促すまでの過程が簡単に予測できる。
と、そういう考えをしている時点で、起きた事象が予測と異なるため、目を丸くしたまま現実を受け入れるのに時間がかかっているのだが。
ギャン! と子犬のような叫び声が聞こえたかと思うと、眼の前に巨大なデータの塊が落ちて、屑山が出来上がっていた。ダークエリアは廃棄される場所だ、例外は無い。デビドラモンは運が悪かった、それだけに過ぎない。これも日常茶飯事だ。
「く、くそう……。おぼえ……て…………おけ……よ…………」
屑山の下から恨めしそうな声がか細く聞こえ、唯一見える伸びた黒い腕が空を切るように動くが、徐々に何事も無かったかのように静かになる。大口を叩こうがあっけないもの、そこにあるのはデータの屑だけだ。増えた仕事量に大きなため息が止まらなくなってしまう。
「ゴミ屑に成り果てた奴のことなんざ、誰も覚えちゃくれないさ。……俺も含めてな」
仕切り直しとばかりにスカルサタモンは伸びをすると、手に箒を持ち仕事を再開する。デビドラモンのせいで遅れた分と増えてしまった分の時間を取り戻さなければならない。何せ猫の手も借りたいくらいの延々と終わらない作業なのだ。でなければ、果たしたい願いも遠のいてしまう。箒を握る手の力も自然と強くなる。
「……ねえ」
「ややややってますよぉ! データの屑掃除! サボってるわけないじゃないですかぁ!」
突然降ってきた可愛らしい声に驚いて背筋がシャンとなる。思わず箒を折りそうになってしまうが、慌てて手を放して持ち直す。破損していない掃除用具にほっと一息つきつつ、恐る恐る振り返るが、そこには予想した対象は居ない。四方を眺め回してもそれらしき人影も見えない。データの屑だけがうず高く積もっているだけだ。
「こ……こ……」
「ここ……って。ええ……?」
ただでさえ落ちくぼんだスカルサタモンの目の辺りが更に大きくなる。声を発しているのはデータの屑。その中でもとりわけ手のひらに収まるほど大きな単位として成り立っているデータの塊だ。周りのデータに紛れているものの、そのデータの塊は異様な光彩を放ちながら他のものと区別できるようなものであった。こんなものはダークエリア、ましてやデジタルワールドでも見たことがない。ただ、現状で予測することができるとしたら……。
「おい、まさかデビドラモン?」
「デ? わか……な……い」
発音もままならない可愛らしい声で一刀両断、否定された気がした。そうだよな、さっきのダミ声みたいなデビドラモンからこんな可愛らしい声が出てくるはずもない。とスカルサタモンは一人で納得したように頷く。よくよく考えてみれば、デビドラモンが押しつぶされた場所とは一メートル程度離れた場所だ。どちらかというと、デビドラモンを押しつぶしたデータの屑山の一角と言った方が正しいだろう。
「ってことは、デジタルワールドから降ってきたのか、デジモンとしての形も保てずに。へぇ……」
言語にならない言葉を聞きながら、スカルサタモンの声は弾んでいく。こうなると博物館や動物園で珍しいものを眺めているような気分になる。音声器官の部位だけが残って発声をしているのか。はたまた幼年期のようなデジモンがそのまま形を成さないまま堕ちてきたのか。いや、幼年期でダークエリアに堕ちるとか、どれだけの業を積めばそうなるのか。可愛らしい小悪魔型のピコデビモンでもそうはならないだろうに。異彩を放つデータの屑にスカルサタモンの心はすでに鷲掴みにされていた。空しいダークエリアに落ちてきたオアシスのような生き物だ。思わず両手ですくい上げると、スライムのようにデータの塊は揺らめき、ノイズを視覚化したかのように表面がざらついた。目のようなものも、口のようなものも無い。スカルサタモンの手にそれは収まると、鮮やかな光は他のデータの屑となんら変わらない色に落ち着いた。慌てたスカルサタモンが震える指でつつくとデータの屑は「いた……」と一言だけ放つ。どうやら生命として成り立っているし、言語から予測するに痛みも感じているようだ。
「お前、何モンだ? どうしてそんな姿に?」
「モン? わか……な……い」
カタコトの相手に期待していたわけではないが、キョトンとした声色で返されると少しばかり肩を落としてしまう。だが、ここで心が折れても仕方がない。
「俺はスカルサタモンだ。スカルサタモン、言えるか?」
「スカ……?」
「そうだ、スカルサタモン」
「スカ……モン……!」
「うっ、そうだが違う! 惜しい! そうじゃない! そいつとは一緒にするな!」
「スカ……! スカ……!」
頭を抱えながら数分問答を繰り返すが一向に何も進まないため、スカルサタモンはついに白旗を上げることにした。変な押し問答をしているうちに最初の論点からずれてしまったのがひたすら悔やまれる。
「はぁ~っ、もういいよ。なんでも」
「スカ……!」
大きく息を吐きながら胡坐をかいて座り込むスカルサタモンを見上げながら、その生き物は嬉しそうに伸び縮みをしているように見えた。
「で、えーっと、俺は『スカ』だとしてお前のことどう呼んだらいいか、だよな。なんかいい案あるか?」
「スカ……! スカ……!」
「おいおい、お前まで『スカ』になったら両方『スカ』になっちまうだろ?」
「スカ……! いい……!」
「いや、ちょっとさすがに考えさせてくれ……」
データの屑のくせに完全に愛玩動物と化している目の前の生き物に対してひたすら甘い吐息が出る。ひと時とはいえ、暗い空が晴れていくような気持ちだ。だが、ダークエリアで、悪逆非道の堕天使デジモンが得体の知れないモノを愛でていると知られたら、他のデジモンたちから嘲笑の的になるのは明らかだ。思わず周りに誰も居ないことを確認して、胸を撫でおろす。
それに、アヌビモンに知られたら己の身の保証もできないだろう。命じられたのはダークエリアに継続して落ちてくるデータの屑を集めることだ。そんな中愛玩動物のような生き物の様なデータの屑が見つかったとなれば、異質な物として処理されるに違いないのだ。なんとか保たれているダークエリアの秩序を保つためにもアヌビモンは異質な物を許してはおかないだろう。もちろん看過したとなれば同罪だ。スカルサタモンの表情を読み取ったのかは定かではないが、ふるふるとデータの愛玩動物は揺らめくと、スカルサタモンの手から勢いよく飛び降りる。地べたに落ちた瞬間、卵の黄身が潰れたようになって冷や汗をかく羽目になったが、生き物としての形を辛うじて保ったのか、その後はスライムのようにずるずると移動する。そして、時たま止まってスカルサタモンを待つようにしては移動を継続する。ここではないどこかへ向かうように。
「これは、俺についてこい。そういうことか?」
頷く所作はないが、それに準ずるような跳ねた動きから肯定と受け取る。仕方がないとばかりにスカルサタモンは付いていくことに決めた。すぐにでも崩れてしまいそうなデータの塊を追いかけると、百メートルにもならない場所に同じようにデータの屑山がいくつもできあがっている。このエリアもアヌビモンから言いつかった清掃区域だ。むしろ今日の仕事の進捗が早ければ手をつけるはずの場所。その一角である屑山にそいつは登り、ひょこひょこ上下左右に震えて合図らしき動きをしている。
「ここに何かあるってのか?」
「ここ……!」
ひょこひょこの動きが激しくなり、まるでダウジングマシンのようだ。その姿に苦笑しつつスカルサタモンは手持ちの箒で屑山を発掘作業をするかのように崩していく。案の定、そこにはそいつと同じような異彩を放ったデータの塊が埋もれていた。
「おい、これ……もしかして!」
スカルサタモンが問いかけを終える間もなく、データの塊同士はくっついて、ひとつの塊として合わさった。しばらくぐにゃぐにゃと動いた後は、綺麗な水滴のように丸くなっていた。まるで幼年期のスライム型のデジモンのようだ。それでもあくまでもデータの塊みたいなもので、普通の幼年期デジモンとは違う何か異質な物を思わせた。
「スカ……! えと、ありが……とう!」
「さっきより流暢に話すようになったじゃねえの」
「うん、うまく……はなせる。さっきの……わたしの…………いちぶ……みたい。みつかて……よかた……」
楽し気にひょこひょこと動いている様を見ていると、とてもじゃないがデータの屑とは思えない。不思議なひとつの命のように見えた。よくもまあそんな奇天烈なものがダークエリアに堕ちてきたんだ……とも言えるが。
「で、流暢に話せるようになったついでだ。お前さん何モンだ? どこから来た?」
困ったように伸縮して、崩れそうなデータの身体をよじって、それはようやく言語をひねりだす。
「ごめ、わからない…………。きおくも……みんなちらばたみたい……。なまえも、わからない。」
「名前もわかんないって、相当な重症だなぁ、おい。こんなんじゃダークエリアで生き抜いていくのは至難の業だぜ?」
「ダーク……エリア……?」
キョトンとしている様子からダークエリアという単語もわからないのだろう。スカルサタモンは、もう頭を抱えるしかなくなった。だが、半分ヤケになりつつも諦めない。自らが理解しているダークエリアの情報についてを英才教育のように叩き込む。怒涛の如く話すため、データが飽和しかけたのか表面部分が多少綻んでいたような気もするが、何とか耐えきったのか、最後にはどや顔をするかのようにぽよんと弾んだ動きを見せてくれる。その姿につられて口元がつい緩んでしまいそうになる。
「ダークエリア……わるいデジモンの、いくばしょ? でも、スカ……わるいデジモン? ちがうよね?」
「…………おまえなぁ。悪いことしたからここに堕ちたの。堕天しているの。説明してたのわかる? 俺だってそりゃあ昔は……えっと」
そこまで言いかけて、言葉に詰まって。そして困っているを見透かされたように顔前にデータの屑であるスライムがペタンとくっつく。無理やり剥がそうかとも思ったが、そういう気にもなれなくて、スカルサタモンはそのまま腕組みをして、ふてくされた。
「スカ……、おねがい。きいて?」
「なんだよ」
「スカのおかげで、わかた。……だれかさがしてる。でも……おもいだせない。スカ……いいやつ。たすけてほしい。」
「嫌だよ。誰が得体の知れない奴の言うことなんか……。お前だってダークエリアに堕ちてきた生き物なんだ。お互いに悪いことしてんのに、協力なんてするもんじゃないね。いつ寝首をかかれるか」
「でも、たすけて……くれた。たくさん、おしえて……くれた。はじめて……なのに」
「うるせえ。知ったこっちゃないね」
少しの間沈黙が続く。せめてもの拒絶の意思表示だ。その拒絶を取り払うかのように、ぺたぺたとスカルサタモンの顔にデータの屑がまとわりついてくる。だが、スカルサタモンがしばらくだんまりを決め込んでいると、するすると降りてどこかへ消えて行ってしまった。片目を薄く開けて周囲の様子を確認してから、スカルサタモンは肩を落とす。
「俺は優しくなんてねえよ。優しくなかったから、スカルサタモンなんかになっちまったんだ」
スカルサタモンは箒を再び手に取ろうとして、仕事道具が無いことに気づいた。無くても別段困るわけではないが、なんせ無いと仕事の効率が格段に下がる。しかもアヌビモンからの支給品、いうなれば借り物である。となると、このまま箒が見つからないとアヌビモンに大目玉を食らうことは間違いないのだ。額を嫌な汗が伝う。慌てて屑山を崩しながら捜索を始めるが、いかんせん代わり映えのしない景色だ。どこに置いていったのかも見当がつかない。これは、今まで歩いてきた区域の屑山を調べて回るしかない……と目線を落とすと、そいつは目の片隅に留まってしまう。箒に精一杯取り付き、慣れないながらもスカルサタモンの真似をしながら、掃き掃除をしているのだ。
「おまえ……まじかよ……。何やってんの」
「スカ……いやでも…………ついてく。スカのしごと、そうじ? てつだう。データあつめれば……いい?」
両手で頭を抱えながら空を仰ぎ見る。そのまま目を覆うようにしながらずりずりと手を下ろしつつ、腰も下ろして得体の知れない生物を間近で見つめる。つぶらな瞳もない、口もない、手や足も無い、ただのデータの屑を模した軟体生物らしきものがそこでひょこひょこ動きながら反応を待っているのみだ。目を細めながら息を吐いて、手を伸ばして生き物の感触を確かめる。表面上はデータの屑であることは間違いない、が生物としての温かみを感じずにはいられない。それは最初に触れた時よりもずっと強く感じる。
「お前、その身体で箒を持つのは効率悪すぎんだろ……」
「掃除は後だ、付いてこい。ひょこの記憶探し手伝ってやんよ。その代わりちゃんと俺の仕事手伝えよ? 分け前はねえからな?」
「ひょこ?」
身体をよじって意思や感情を表現しているようだ。この様子だと頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのだろう。続け様に、スカルサタモンは疑問に答えるかのように言い放つ。
「名前無いときっついだろ。ひょこひょこ動くから、『ひょこ』。お前も『スカ』って俺のこと呼ぶんだから、お互い様だ」
ぱあっっと、そいつの表情が明るくなったように……見えた。どちらかというと、次には上下左右に激しくひょこひょこ動き出し始めたため、感情表現が豊かになったというかなんというか。思わずスカルサタモンも口から笑い声が漏れてしまう。
「ひょこ! ひょこ!」
「ああ、ひょこだ、ひょこ。お前とは何か上手くやれそうな気がしてきたよ。こうなったら、アヌビモンを驚かせるくらい、ダークエリアを綺麗にしちまおうぜ?」
「ひょこ、がんばる!」
ダークエリアで摩訶不思議な二人組の楽し気な声が、砂の嵐の音とぶつかり合いながら響いていくのみだ。
◇◆◇◆◇
「よし、早速ひょこのお手並み拝見……と行きたかったところだが」
スカルサタモンは眉根にしわを寄せる。そしてこの世の終わりかのように諦めた声を上げながら天を仰ぐ。
「おてなみ……ひろうできない?」
「お手並み拝見ってのには、ちーっとこのエリアはなぁ……。アヌビモンぜってえわかってやってるよなぁ……。はぁ…………」
一昨日のことだ。スカルサタモンはアヌビモンからの呼び出しを食らったと言って、ひょこを出会った場所に置いて、一人で会ってきた。帰りには両手にいっぱいの掃除用具と一枚の紙きれを持って。黒い顔が青く変色しかけたように見える中、必死に口元を歪ませていたのが記憶に新しい。ひょこはスカルサタモンが手に持っている一枚の紙を覗き込む。そこには見たことのないような文字が並んでいる。いわゆるデジモンたちの言語、デジ文字というやつだ。デジ文字と言ってピンときてないのか、ひょこは不満げに表面を波立たせる。
「スカ、これのせいで……いや?」
「ああ、嫌も嫌さ。デジタルワールドいち見たくない指令書よ。『ツギノセイソウ、N三四クカク。コキュートスイリグチ、キンペンニアリ。シュウリョウホウコク、マツ』だとさ。全く嫌になっちまうぜ」
ふーんと納得したように震えると、ひょこはその紙面を身体全体で飲み込み、ぐしゃぐしゃにするとデータの屑のような形態に変化させてしまう。しまいには「まずい……おいしくない……」と言って小さなデータを地面に吐き出した。スカルサタモンも最初こそ驚いた表情で見ていたが、げぇげぇと唸っているひょこを拾い上げて、口角を緩ませる。
「気持ちはありがたく受け取っておくぜ。こうやって実際に下った指令も分解されて無くなっちまえばいいのになぁ。けど、そういうわけにもいかんのよ」
「なんで?」
「なんでって言われても…………今の俺にはそれしか選択肢が無いの。指令通りに労働せにゃならんの」
「……わかんない」
無い首を捻っているひょこを見かねて、スカルサタモンはすでにゴミ屑になってしまった紙面の内容を説明する。
「……あぶない?」
よくぞ聞いてくれました! とばかりに指を立てながらスカルサタモンは得意げに話す。
「ああ、まともな頭の奴ならまず近づきたくない! っていうのが、コキュートスっていうダークエリアの最下層さ。七代魔王とか他にもやべー奴らが縄張りを張ってるんだ。目をつけられたらアヌビモンに大目玉食らうのとは比じゃない苦しみを味わって、このダークエリアからも廃絶される、らしい」
「いたい?」
「痛いどころじゃ済まないぞ? この世から消えるのより恐ろしい目にあうって言われてる。良くてやべー奴らの駒に成り下がって、ダークエリアで肩身の狭い思いをして生きながらえるくらいさ」
ぷるぷるとゼリーのように震えながらひょこは怯えた。その姿を見てスカルサタモンは思わず吹き出しながら「悪い悪い」と言って茶化す。
「まあ、行くって言っても肝心のコキュートスの中までは降りない。そこに至る周辺の地域にちょびっとだけ足を踏み入らせてもらう。最下層に行けって言われないだけマシさ。ただ、ここよりは治安が悪いのは確実だし、ある意味コキュートスまでの道のりの清掃をするってことだから、下手すりゃ奴らに喧嘩を吹っ掛ける口実になりうるかもしれないってのが欠点な? だから周辺警戒を怠らずに、特に万が一出会った時の応対には注意だ」
そう言いながらスカルサタモンはひょこに受け口が大きめのちりとりを渡す。スカルサタモンいわく、ちりとりを持って、不純なデータを納めたら、用意してある袋に入れればいいらしい。どうやらその袋は中途半端に壊れたデータを分解し消去してくれるらしく、取り扱いには十分気をつけねばならない。下手をすると自らの身体が分解されて、ダークエリアからも抹消されてしまう。という恐ろしい代物だ。しかし、こういう物でもない限り、この有り余ったデータの整理は難しいのが現状だ。
だが、この中途半端に崩れたデータを放っておくのもダークエリアとしては良くないもので、ダークエリアに住むデジモンや環境に悪影響を与える。所謂データのエラーを起こすことに直結するらしい。ゆえに危険な仕事ではあるが、誰かしらがやらなければならない。
「いいか、箒と袋は俺が受け持つ。袋の口を開けてるから、ひょこはちりとりに集まったのをそのまま入れてくれ。理解した? あーゆーおーけー?」
「おーけー!」
「一人で勝手に出歩かない! いいな? あーゆーおーけー?」
「おーけー!」
「よーし、いい返事だ。っと、そろそろ目的地が見えてきたからな、気合い入れてくぞ」
スカルサタモンが指さした先には、青黒く渦巻く雲に空が覆われ、縦横斜めに切り込みが入った歪な形をした山々がそびえ立っている。岩壁は氷のように固く、全体が黒い宝石の方に輝いてみえた。その景色を台無しにしているのが嫌というほど見かけたデータの屑の山だ。むしろ山々の麓に砂丘が出来上がっているようで、逆に景観として秀逸なのでは? と思わずスカルサタモンは唸ってしまう。
「恐ろしい仕事量だぜ……これが綺麗さっぱりになる様が全く想像できねえな」
っしゃ、やるかー! と気合いを入れつつ、横目でひょこの姿を目視……できなかった。否、すでにそばにいなかった。慌てて目を凝らすと、砂丘を三山越えた所でひょこひょことうごめいている。この時ばかりほど己の視覚に感動したことはない。
「おいっ! 勝手に行くな! ここは危ない所だって言っただろ?」
スカルサタモンは黒い翼で滑空しつつ、あっという間に問題児のいる場所に追いつく。
「あっ、スカ? 遅いってば」
その一言でスカルサタモンは次に放つ言語が頭から抜け落ちてしまった。目の前には先ほどとは姿形さえ同じであるが、若干大きくなったスライム型の生き物。サッカーボールが一個から一・五個分になったくらいだ。加えて先ほどに比べると表面を波打っているデータの質や密度が違うことに気づく。
「ひょこなのか?」
「うん、ひょこだよ!」
ひょこは身体をくねらせてデータの山々を見上げるような動作をする。
「ここ、わたしの身体の一部がたくさんあったみたい。宝の山だよ、偶然かもしれないけど」
「記憶、もしかして取り戻したのか?」
スカルサタモンの質問には横に首を振ったような動きで、ひょこは応対する。その反応でスカルサタモンも肩を落とす。
「でも、スカと上手くお話できるようになったよ。色んな言葉も思い浮かんでくるし。多分……なんだけど、言語野的なわたしの一部がここ一帯に落ちてきてたんじゃないかって思うんだ。まだ近くにいくつかあるような……気がする。だから――」
「あーわかってるわかってる。ただし、ここら一帯は勝手にうろちょろもできねえ。俺がついてってやるから、勝手にひょこひょこ行くなよ? あと、当初の目的をお忘れなく」
ひょこの無い顔がぱあっと明るくなったように、見えた。スカルサタモンからスライム状の身体で器用にちりとりを受け取ると、自らの身体に乗せながら運搬を始める。が、身体の方が重さに耐えられなかったのか、ぐにゃりと地べたに貼りつくと、ちりとりの下でもぞもぞともがき始めた。これには耐えられずスカルサタモンも思わず吹き出してしまう。
「こりゃ掃除より先にひょこの身体探しを先にやった方が効率的だな」
ひょいとちりとりを持ち上げると、ひょこが悔し気に表面を震わせる。
「本当はちりとりくらい持てるもん! スカの事だって担げるもん!」
「へーへー、そのためにはたくさんデータ食って早く大きくならねーとなー。まったく、ひょこが大きくなったらどうなるのか怖いぜ。間違っても俺を食おうなんて思うなよ?」
「スカのいじわる! 前はそんなにいじわるじゃなかった!」
「残念、最初から俺は悪いデジモンだ。スカルサタモンになった奴は、大概悪さをしでかして堕ちた奴なのさ。いじわるじゃない奴なんているもんか」
ニヤリと悪魔のような表情で口角を上げながら、スカルサタモンはひょこを見下ろす。対してデータの塊の生き物は怒ったように体面を震わしている。
「で、言語野が回復したっつーけど、いつになったらスカルサタモン様って呼んでくれるわけ? ひょこさんよぉ?」
「スカはスカ……だもん! 上手く言えないけど……。わたしはスカ……がいいの!」
「スカ……ね。ま、いつかちゃんと呼んでくれるのを楽しみにしてるさ」
スカルサタモンはふてくされている生き物をそっと掬い上げると、次の目的地への誘導を不思議な生物に委ねた。その意図を幾分か汲めたのだろう、ひょこも早々にふてくされるのを止め、再びダウジングマシンのように動きながらデータの砂丘をスカルサタモンに抱きかかえられつつ縦横無尽に飛び回る。結果的にその判断が良かったのか、一時間もしないうちにひょこのダウジング能力は息を潜めるように静かになった。そして――。
「おまっ……こんだけ飛び回らせて、えっ? それだけ?」
スカルサタモンは肩透かしを食らったような表情で立ち尽くす。ひょこの体積はサッカーボール一・五個が二個分に増えた程度。データの密度は増えたような……気もするが、見た目は変化無く、ひょこひょことうごめく生物がそこにいるだけだ。
「ごめん……。何にも思い出せない……」
落胆させるつもりはなかったのだが、結果的にそうなってしまったこともあり、ひょこは水滴が潰れるかのようにうなだれた。
「でも、今度は役に立てるよ!」
ひょこはスカルサタモンからちりとりを奪うと自らの身体に乗せ……今度は崩れることなく、ふるふると形を保っている。これにはスカルサタモンも苦笑いをしつつ、互いを労わることにした。
「じゃ、ひょこの手伝いもとりあえず一区切りだし、次は俺の仕事の方をやってもらうからな?」
ひょこの肯定の反応を確認すると、スカルサタモンも箒を取り出しデータの屑の山へ向かおうとする。その刹那、「危ない!」という言葉と共に顔面にへばりつく重力と、ガコンと金属が地面に打ち付けられる音、もうひとつ風を切る甲高い音が聴覚器官に届く。予想だにしていなかった事態にスカルサタモンは思わず身体のバランスを崩し倒れ込んでしまう。
「ひょこ! 何すんだ!」
罵声を出したことをスカルサタモンはすぐに後悔した。思わず掲げた腕に残っていた感触、重力が明らかに今までの物と違ったのだ。思わず目線を斜め上にして確認すると、手に残っている箒は断面が綺麗に切断され、ただの棒切れになっている。加えて、転倒の要因になった生き物はスカルサタモンの頭のすぐ横でへたり込んでいる。その断面は箒までとはいかないが、刃渡り五センチメートルほどぱっくりと切り傷になっていた。慌ててひょこの容態を確認するため身体を持ち上げようとすると、自らの首筋に冷たい金属が触れる。
「さーて、スカルサタモンなんかが、この辺境の地で一体何をしでかそうとしてるんでしょうねぇ? ひひっ……」
冷たく嘲笑う声に、思わず舌打ちをしながらスカルサタモンは声の主を認識する。全身布切れをマントのように纏い浮遊する姿に、裂けたような青い瞳が覗き込む。獲物は鎖鎌といったところだ。
「ファントモン……か。何の用だ?」
「『何の用?』これはあっしの方が言うセリフなんですけどねぇ。それに」
首筋に当たる冷たいものが鋭さを増して圧迫してくる。
「立場分かってますよねぇ? あっしの気まぐれでスカルサタモンの首なんてあっという間にさくっといっちまう。旦那が持ってる棒切れのようにねぇ。後は一生地面とランデブーってとこでしょ? あっ、ダークエリアだったら完全に消えちゃいますし、そんなこともないかー。ひひっ」
「俺の首、まだ吹っ飛ばす気がないんだろ? チャンスならいくらでもあった。やるならとっくにやってるはずだ。で、要件は?」
「嫌に潔くて気持ち悪いスカルサタモンですねぇ。らしくない、らしくない……。いいっしょ、その気持ち悪さに免じて教えてあげましょ」
ファントモンは、横目にうず高く積もったデータの砂丘を見やり、目じりで訴える。
「最近ここいらにやたらゴミ屑が捨てられるようになりましてねぇ。自然現象にしちゃ今までの比ではない。廃棄場所じゃないんですよ、困るんですよ。理解できますよねぇ? 我らが閣下もだいぶお怒りだ。冥界という無秩序でいて、混沌で、それでいて神聖な場所で好き勝手されては」
「へぇ、そいつは知らなかった。ここが廃棄場所だなんて初耳だ。好き勝手? 逆に俺は掃除でもしてやろうって気合い入れてきたってのによ。こんな可哀そうな姿にさせちまって、せっかくの掃除用具を返してもらいたいところだね」
「このダークエリアにおいて、歪なものを携えて、何を嘯いているのかと思えば……。アレを見れば一目瞭然、まさか知らないとは言わせませんぜ、旦那ァ」
溜息をつきながらあざけり笑うファントモンの目線の先には、ぴくりとも動かないひょこの姿がある。スカルサタモンは思わず心の中で舌打ちをかました。
「一体あんなもん、どこから見つけてきたのか。破損してるデータにしちゃ活きが良すぎる。実に歪で興味本位をそそられますよ。どんなデータで構成されてるのか、果たして魂はあるのか、切り刻んで調べてみたいくらいですぜ」
ファントモンの鎖を持つ手が強くなり、明らかな敵意がスカルサタモンに向けられる。首をくれてやる気は毛頭無いが、いかんせんこの場を切り抜けられる明確なビジョンが見えてこない。代わりにすでに死んでいるにも関わらず、走馬灯のようにダークエリアでの毎日の肉体労働の日々が脳裏によぎる。嫌だ、こんな労働ばっかりでダークエリアでの余生が消え行くなんて――。
「ですが、そういうわけにゃいかない。我らが閣下において、ダークエリアはこう見えて結構うまいこと均衡が取れてるんですよ。それを崩すような不届き者は世界から排除しませんとねぇ。もちろん旦那も含めてね!」
ファントモンは鎌を振り上げるでもなく、純粋に鎌首を持ち上げて上下逆のギロチンと言わんばかりに、思い切り引いて首を狩ろうとする。鎌を振り上げる動作があれば、まだ逃げる手口があったものだが、そこは用意周到。状況に合わせて適切に武器を扱う様は死神の仕事を忠実に全うするものだ。要するに逃げ場など無く、このダークエリアからの消滅は間違いないということだ。
だが、『ソウルチョッパー』という活きのいい必殺技を上げる声は途中でくぐもり、代わりにカランという音とぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる声が鳴り響くだけ。首筋に当たっていた鎌はすでに地面に転がっており、持ち主の手からは離れているようだった。慌ててスカルサタモンが状況を確認しようとすると、ファントモンは目の前で頭をスライムに覆われてあたふたと喚いていたのだ。ぽかんと口を開けたままのスカルサタモンに対し、ひょこは鋭い声を上げる。
「スカ……! いまのうち!」
まるで耳元で手打ちの音で目覚ましさせられたかのように、スカルサタモンはシャンと背筋を伸ばして相棒である杖を取り出す。
「ネイルボ――」
そこまで言いかけてひとつ舌打ち。膝を思い切り曲げて地面を蹴る。その勢いのまま杖をバットのように振りかざしてファントモンの懐へ横殴りの構えをする。
「ひょこ! 離れろ!」
察しがいいデータの塊はひょいと一瞬宙を舞い、ファントモンの身体は達磨落としの下段のように勢いよく横に吹っ飛んでいく。手ごたえはあったが、ホームランの良い音が響かなかったことから、ファントモンには骨格という構造は無かったのだろう。ゴースト型故に当たり前ともいえるが……。その一瞬で空の旅を楽しんだひょこはスカルサタモンの頭に落ち着く。
「大丈夫か? 怪我は?」
「気にしないで! それよりも来るよ、構えて!」
手ごたえがあったとはいえ、やはり実体の無い相手に物理はいささか無駄だったとスカルサタモンは後悔する。ファントモンは鎌の持ち手につながっていた鎖を思い切り引くと、手元に柄を手繰り寄せる。
「よくも……あっしに地べたを這う屈辱を味わわせてくれましたねぇ……!」
血管が額に浮き出る……ということは無いが、肉薄した表情で詰め寄ってくる。ただで帰さない、というよりかは存在を抹消してやると息巻いているようにも見える。ファントモンは鎌の柄を持つと、鎖の先の分銅を振り回し、遠心力の勢いでそのまま投げつけてくる。
「知ってますかぁ! これは普通の鎌ではなく、鎖鎌っていうんですよ! 旦那ら、逃げられませんからねぇ!」
「スカ……! 杖をちりとりに持ち替えて!」
とっさの一言に思わず相槌を打ちながら、スカルサタモンは転がっていたちりとりを手に取ると眼前に突き出す。ファントモンの思惑とは裏腹に、分銅の先はスカルサタモンの体格と同等の大きなちりとりだ。その柄に鎖が絡まるとスカルサタモンはちりとりを後方に思い切り投げ捨てる。自らが勢いよく投げた錘に質量の少ないファントモンは引っ張られ、前方へとバランスを崩す。これを逃すことはスカルサタモンにはできなかった。再び杖を構えると、倒れ込んで来るファントモンのふところ真っすぐに杖の先を伸ばし――。
「ネイルボーン!」
ほぼゼロ距離での眩い光の射出。杖の先に付いた宝玉が勢いづいてファントモンをそのまま吹っ飛ばしたのかは定かではないが、体躯の中心を貫かれたファントモンは錆びついた歯車が音を立てるような奇声を上げながら消滅していった。
「はぁ……はぁ……やった? か?」
呼吸を荒げるスカルサタモンの緊張の糸をほぐしてくれるのは、頭部の上でゆさゆさと眩暈の要因を作っている生き物だ。
「スカ……! やったぁ! やったよ!」
「ナイスアシスト、ひょこ。いやー的確でほんと助かるぜ」
思わず有る手と無い手で、頭上でハイタッチという不思議な構図に思わず二人で吹き出してしまう。まるで昔からの相棒のように吹き出し方も息がぴったりで、更に声を上げて笑い出すまでに至ってしまう。
「そうだ、ひょこ。傷は? ファントモンのソウルチョッパーまともに食らってんじゃ?」
「痛かったけど、かすり傷だよ。嫌なビリビリも引いたし、大丈夫みたい? まだデータの塊みたいなものだから、形もしっかりしてないし。それが功を奏したって感じがするな」
全快!と言いたげに、ひょこは身体を伸ばして応えた。
「元気そーで何よりだ」
「スカ……は心配性だなぁ。出会った時から変わんないや」
「いや、心配もするだろ。そんな姿形でまともに身なんて守れねえんだからよ。俺が守ってやんないと……」
そこまで言いかけて二人とも押し黙ってしまう。何かの違和感に二人して気づいたようで、顔があるかもわからない状態でお互いの顔を見合わせる。
「ひょこ、もしかしてと思ったんだが。俺がダークエリアに堕ちる前、どこかで会ってる?」
「えと、わか……んない。けど、スカ……は暖かいって感じがするよ。安心する」
ひょこは困ったように体を捻って答える。
「それより仕切り直ししない? 箒もちりとりもボロボロだけど、掃除できそうだよ? 頑張らないとアヌビモンに怒られちゃうんでしょ?」
「あーうん……」
スカルサタモンは思わず目を逸らした。ファントモンの一件で実はアヌビモンから受諾した仕事はひとつも進んでいないのである。にもかかわらず、仕事道具は使い物にならなくなってしまった。ひょことスカルサタモンの認識は天と地ほどの差があるようで、思わずスカルサタモンは頭を抱えてしまった。確かにもう一度道具を借りるという手法はある。が、果たしてどこまで不手際を許してくれるかはアヌビモン次第だ。
「スカルサタモン」
耳元で囁かれる落ち着いた声色、嫌と言うほど聞いた呼び声。
「なんだよ、ひょこ。今大事な考え事して――」
「スカルサタモン、聞こえていますか? 仕事は順調ですか?」
「今アヌビモンに事の顛末をどうやって説明したらいいものか考えてるとこなの。邪魔しないで……」
「なるほどなるほど、全然進んでない作業に加えて支給品も破損。確かに、非常に度し難い状況だ。アヌビモンもきっとお怒りでしょうね……」
そこまで会話が進んだ所でスカルサタモンは顔を青くして固まった。驚嘆の声を飲み込んだ故に腹から出てきた震える声は隠しきれず、つい尻餅をつきながら仰け反ってしまう。
「な、なんでアヌビモンが……!」
「狐につままれたような表情をしていますね。ま、どちらかというと私は犬顔なのですが。」
ツンと澄ました表情で見下ろしてくるデジモンは間違いなく無理難題の過重労働を仕掛けてきたアヌビモンだ。
「いや、そういう話じゃなくて!」
半分図星ながらもついツッコミを入れたくなってしまう。そのツッコミが良くなかったのだろう、アヌビモンは目尻を吊り上げ、ひとつ咳払いをした。それを合図にバツが悪そうにスカルサタモンは縮こまる。
「随分と楽しそうに清掃活動に取り組んでいるじゃないですか。スカルサタモンというデジモン故に期待はしていませんでしたが、正直この態度には驚きましたよ。結果が伴ってはいないとはいえ、堕天したデジモンとしては及第点をあげてもいいところです。が……」
「が……?」
とぼけようとしたスカルサタモンの魂胆など最初からお見通しなのだろう、既にアヌビモンの視線の先にはひょこが縮こまって大人しくしていた。スカルサタモンはその目線を遮るように慌てて眼前に躍り出る。
「ちげーんだ! これは掃除してたら見つけたデジモンのデータでよ! もしかしたら役に立つかもしんねーし、そのうちアヌビモンに裁定してもらおーって思ってたところなんだ! けど――」
「私は監督者ですよ。そこの異型の生物、認知してないわけないでしょう。お互いに愛称をつけて呼び合っていることも知っています」
「へ?」
「きっと報告するのに相当悩んだんでしょうね。この状況、私の監督不行届ですね、謝りましょう」
面食らったようにスカルサタモンは後ずさった。開いた口が塞がらなく、思ったように言葉が出てこない。その姿を見てアヌビモンはニコリと笑う。
「言い訳は後でいくらでも聞きます。ですが、まずはこの状況を打開してからでないと。アメミット!」
アヌビモンの一声でスカルサタモンは慌てて周りを見渡す。何故こんなにたくさんの気配に気づけなかったのか。幾多ものデジモンたちが彼らを囲っていた。先日茶々を入れてきたデビドラモンの他にも悪魔の姿を模したデジモンや、肉体から骨を突出させた獅子のようなデジモン、全身が骨になった恐竜やマンモスのデジモンたちがぎゃあぎゃあと詰め寄ってくる。対してアヌビモンは手を前方に掲げると光る魔方陣を描く。その中から出づるは四足歩行の奇妙な魔獣たちだ。奴らの牙の矛先はスカルサタモンを囲う幾多ものデジモンたち。急なアヌビモンの攻撃に驚いたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げ、後退していく。
その中心でニヤリと笑いながらアヌビモンが召喚した魔獣を握りつぶしているデジモンが一体。ローブで全身を纏っているものの、他のデジモンを逸する強大な暗黒のエネルギーを纏っている。思わず視界に入れた途端、スカルサタモンの背筋は凍った。
「どうやら奴の気に障るようなことをしでかしたようですね。大手を上げての派手なお出迎え……ということは思い切り喧嘩を売ったか、配下の一人でも消去してしまったところですか?」
思わずスカルサタモンが目を逸らしたのを確認して、アヌビモンは深呼吸をした。「離れて」そう一言だけスカルサタモンの耳元で呟かれると、納得しきれないながらもスカルサタモンはひょこを隠しつつ、強大な二体のデジモンから離れるように後退する。アヌビモンはその姿を横目で確認すると、前方で腕を組みながら見下しているデジモンと睨み合う。
「おや、七代魔王であるデーモン自ら根城であるコキュートスから上層まで尖兵を連れてくるなんて、随分物々しいですね。他の七代魔王たちよりも先にデジタルワールドへカチコミでもする気ですか?」
「かっかっ、白々しい犬っころよ、面白い冗談を言う。そんな大それたこと、他の七代魔王たちが黙っているわけなかろう」
「同じセリフを幾度となく他の七代魔王から聞きましたよ。ま、ダークエリアとデジタルワールドの均衡を崩さないのであれば、いくらでも目を瞑りましょう。あくまでも私はダークエリアの守護と監督が責務であり、あなた方には不干渉の姿勢のつもりですから」
「チッ、いちいち癇に障る犬っころだ」
デーモンは指で甲高い音を鳴らすと、人差し指をスカルサタモンに向ける。敵意とも取れる威圧。距離を取ったにしても、デジコアに穴が空くのでは? という圧に思わず息ができなくなる。
「要件はひとつ、端的に伝える。我が領地に踏み入って好き勝手するようにと誰が許可した?」
「許可? コキュートスでも無いのに許可が必要ですか? ダークエリアの上層は私の管轄範囲内。デーモンは面白い冗談を言うのが好きなようですね」
「管轄範囲内というんだったら、説明責任を果たしてもらおうか。この山盛りの破損したデータの残骸と、躾の成ってない下僕のことをよ!」
ローブの下から腕が伸び、スカルサタモンの首元掛けて飛んでくる。息を飲みつつ、ひょこを抱えてスカルサタモンは丸くなる。それを地面目掛けて叩き落とすのはアヌビモンだ。
「スカルサタモンへの手出しはご法度ですが?」
「悪いな、大事な配下が一体消されてんだ。それだけで重罪よ。スカルサタモンなら我の良い血肉として十分だ。それで帳消しにしてやろうってんだ、悪い話じゃないはずだぜ? それにスカルサタモンは堕天使の部類だ、アヌビモンが世話を焼くほどの高潔なデジモンとも思えないがね」
思わずスカルサタモンは歯を食いしばる。全て図星だ、事実だ。どうせ捨て駒にすぎない堕天したデジモンだ。
「アヌビモン、俺のことはもう放っておいて――」
スカルサタモンがそこまで言いかけて、アヌビモンは首を横に振る。
「そうですね、彼はお世辞にも高潔なデジモンとは言えない。ですが、面倒な私の仕事を請け負ってくれたデジモンの一人ではあります。彼がいなくなると私は大変困るんですよ」
「アヌビモン……」
「守りたいものがあるんでしょう? スカルサタモン」
思わずひょこを抱く手の力が強くなる。潰されそうなその身体は淡く儚い命そのものだ。スカルサタモンはアヌビモンを見返しながら強く縦に首を振った。
「であれば、部下のために身体を張るのは当然です! 帰りなさいデーモン!」
「その言葉、自らがコキュートスに手を出したと受け取って相違ないな? 手を出してきたとなれば、喧嘩を買うのは道理よ!」
デーモンが腕を上げて構えると、掌からは橙色の炎が溢れてそのまま幾重にも射出される。対するアヌビモンは前面に魔方陣を展開して魔獣を召喚すると、炎をかき消させる。実力的に同格なのだろう、炎と魔獣がぶつかり合うと爆弾が暴発したかのように空気が弾け飛ぶ。その爆風のためか、周囲にうず高く積もったデータの屑山もろともオーディエンスたるデーモン配下のデジモンたちは吹き飛んでしまう。スカルサタモンはひょこを抱きかかえつつ、二人の戦闘に巻き込まれないように隠れた。
「かかか! デジモンがゴミのように舞い散る! 普段見られない荘厳な眺めよ!」
「それ、清掃するのは誰だと思ってるんですか?! 散らかしたら片付けるのが道理でしょうよ!」
溜息混じりにドスの利いた声色でアヌビモンが叱責する。
「私たちはこの地域のゴミ掃除に来たんですよ。」
「……はっ、冗談は休み休み言え。神聖なデジモンがダークエリアの掃除だと? 笑わせてくれる! きっと我々を一網打尽にする口実だ!」
「相変わらず頭が固いですね……言葉通りのゴミ掃除ですよ。デジタルワールドから日々降り積もってくる破損したデータの数々。それで潰されて消えてしまう者も居れば、データの異常を起こしてしまうダークエリアの住人達。最近の量は異常を通り越してあまりにも手に余る! いやあ、人手が足りなくて困っているんですよね! デーモンはこの一大事、手を貸してくれませんかね?」
鳴り響く轟音。喧嘩は余所でやってくれと言いたくなるほど。そんな中、硬い材質の物がガラスのようにひび割れるような音が上空から降ってくるような気がして、スカルサタモンは上空を仰ぎ見る。そこには暗い空に直線を幾重にも描いたような様相が広がっている。
「な、なんだあれ?」
スカルサタモンが声を放ったのとほぼ同時にダークエリアの空気が震え、呼応するように大地が揺らぐ。デーモンの配下であるデジモンやスカルサタモンたちも、その揺れで足元おぼつかず踊るしかない。次第にミシミシという音と共に、暗雲立ち込める空に亀裂が入る。落ちてくるのは嫌というほど見てきたデータの屑ばかりだ。それがボトボトと重い音を立てながら周囲を埋め尽くしていく。うめき声にも似た笑い声が上空を割り、巨大な腕が亀裂を更に押し広げるようにしながら……その禍々しいデジモンはダークエリアの地に落ち着いた。マントのようなものを羽織り、悪魔のような角と赤い仮面に割けたような目元と口。黒き翼を携えた悪魔のようなデジモンだ。その背中からは体躯よりも巨大な黒い瘴気とも取れる腕が二本伸びており、ダークエリアに散らばっていたデータの屑が収束して更に巨大さを増していく。おそらく二足歩行と思えるが、まともな言語を発していないこともあり、地に這いつくばる様はまるで飢えた獣のようにも見える。
さすがに喧嘩の横入りをしてくるデジモンに驚きを隠せなかったのか、アヌビモンとデーモンの取っ組み合いはすでに収束していた。
「アヌビモンよ、ダークエリアに転送されるってデジモンは大概こんな派手な登場をするものか?」
「はは、毎回こんなお出迎えをしなければならないなら、とっくにこの役目、放り出していますよ。ていうか、ゴミまき散らしていたのはあいつですか……迷惑千万」
その一言で周囲のデジモンたちは事の重大さを悟ったらしい。軽口を立てながら質問をしたデーモンでさえ苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「アヌビモンよ」
「何ですか」
「今回の件、清掃活動が追いつかない故に起きたダークエリア上層での騒動と見ていいな? であれば、七代魔王としては関与せず、コキュートスに直接の関連はないものする。貴様の監督不行き届きであれば、アヌビモンが全責任を持つべき。違いないな?」
「は? 卑劣」
真顔のまま辛辣な口調で言われたこともあり、デーモンは思わず目を背けた。
「はぁ……でもいいですよ、コキュートスに帰ってもらって。相手は恐らく新種のウィルス種の魔人や悪魔系のデジモンといったところでしょう。覇気からも脅威度と迷惑度は七大魔王級とみて間違いない。ダークエリアの住人が歯向かったところで血肉となるだけ。正直役に立ちません。デーモンも責任全てなすり付けて高みの見物とは……上司と部下は似た者同士といったところでしょうか。はぁ、さっさと自分の巣に帰れ帰れ」
アヌビモンの余計な言葉の羅列にデーモンが連れて来たデジモンたちからの反論が飛び交ったが、それも一瞬の出来事。巨大な手が伸びて彼らを鷲掴みにすると、そのまま口元まで持っていき屠ってしまった。一瞬の喚き声と静寂。それが引き金となったのだろう、デーモンが連れてきたデジモンは一様に逃げ惑う。
「コキュートスの住人は早々に下層へ戻りなさい! この場はダークエリアの守護者であるアヌビモンが預かります。邪魔をするなら一緒に消しますからね!」
アヌビモンの鶴の一声は敵の脅威度も相まって、すぐに浸透する。主であるデーモンのことなどお構いなしに、一目散に来た道を戻っていき、静けさだけが残る。否、代わりに一体腕を組んで仁王立ちを決め込んでいるフード姿のデジモンが残っているだけだ。
「ふーん、逃げないんですね」
「うるさい。これで貸し借りなしだ」
アヌビモンは満足げに唸ると、脅威となるデジモンを見つめたまま固まっているスカルサタモンへ声をかける。
「スカルサタモンもこの期に及んでは邪魔です! コキュートスの住人と一緒に下層へ下りなさい!」
「ダンデビモン……なんで……」
その言葉を聞くや否やアヌビモンの目が吊り上がる。
「『ダンデビモン』というのですね、あのデジモンは」
「ああ、確かに俺たちはあの凶悪なダンデビモンを封じたはずなんだ。犠牲だって払って、みんなで協力して、そう簡単に出てこれるはずなんてないのに。なんで、なんでまた目の前に現れるんだよ……!」
声が震えて、視界が滲んで、杖を握る力だけが強くなっていく。徐々に荒くなっていく呼吸に、自然と怒気が乗ってくる。スカルサタモンの異様な変貌にアヌビモンは思わず手を握るが、簡単に振り払われてしまう。
「落ち着きなさいスカルサタモン!」
慌ててスカルサタモンの肩を掴んで止めようとするが、完全体のどこにそこまで力が宿っていたのか、究極体のデジモンが引き留める事はかなわない。
「あいつがみんなを傷つけて、大事なもんみんな壊して、奪っていって……!」
「スカルサタモン!」
「スカ……! だめ……!」
ぴとりとスカルサタモンの顔面に貼りつく不思議生命体。前方から後方への重力移動もあってか、そのままスカルサタモンはバランスを崩して仰向けに倒れてしまう。
「ひょこ? ちょっ、何すんだ――」
「だめ……怒りに任せちゃだめだよ……。遠くに行っちゃ嫌だよ……」
ひんやりしたデータの屑の塊が物理的にオーバーヒートしかかっていた頭の回路を冷やしてくれているようだ。ひょこの体面に触れると、心なしか冷たい水のような物が伝うような気がした。スカルサタモンは思わず無い唇を噛みしめる。
「あぁ……うう……。すまねえ、どうかしちまったみたいだ、俺……」
スカルサタモンは起き上がるとアヌビモンに謝罪の一礼。次には体躯を揺らしながらダークエリアを闊歩し始めるダンデビモンを睨みつける。
「わりぃ、ダンデビモンはどうやら生前に因縁があったデジモンらしい。死んでもデジコアに記憶として刻まれてるなんて思いもしなかったぜ」
「そんなの一目瞭然です」
「だからってわけじゃねえけどさ。俺もダンデビモンに立ち向かわせて欲しい。あいつはどうしても倒さなきゃいけない、俺が始末をつけなきゃならない気がするんだ」
アヌビモンは肩をすくめつつも、反論をする気は一切ないようだった。
「私はダークエリアの守護をする者です。何者であれ均衡を崩す輩は排除します。そのために、あなたの因縁や感情を利用させてもらうのはやぶさかではない」
「へへっ、さすがダークエリアの看守長様だぜ。言うことが違うねぇ?」
「まずは首輪を付けませんとね」
澄ました顔で鼻をひとつ鳴らす。そして、スカルサタモンの頭の上に乗っている生命体を横目で見つめてから微笑む。
「その生命体が何なのかについては、事が終わった後に吟味しましょう」
思わずギクリと肩を上げたスカルサタモンを余所に、アヌビモンは地上へ魔方陣を展開する。そこから出現するのは地獄の番犬を思わせるデジモンが数体。
「悪いですが、手数が足りません。働いてもらいますよ、ケルベロモン」
「おい! 我の配下を追い返したのは貴様だろうが、アヌビモン!」
デーモンの鋭いツッコミはお構いなしに、アヌビモンとケルベロモンはダンデビモンに向かって突っ込んでいく。後に残るのは虚しいデーモンの溜息だけだ。残されたデーモンとスカルサタモンの目が自然に合う。そして、デーモンの視線は品定めするようにスカルサタモンからひょこへと移っていく。
「ふむ……なるほど。鎖か楔か……。くっくっくっ、完全体ごときが面白いデータを連れているな」
「なっ、なんだよ……! ひょこがなんだって?」
思わずスカルサタモンはひょこを隠す。悪魔の目が全てを見通しているような気がして薄気味悪く感じてしまう。
「くくく……。名づけまでしているのか、これは更に面白い」
「悪いかよ……」
「くはは、悪いものか。スカルサタモン、この戦いが終わって消滅せずに済んだのなら、我の所に赴くが良い。たっぷりと可愛がってやる! その前にまずは我も貸し借りをなしにせねばな」
今までとは比にならないくらい愉し気に笑うと、デーモンも両手に高熱の業火を湛えてダンデビモンの懐へ飛び込んでいく。思わぬ場面で呆気に取られてしまったスカルサタモンは、ひょこの声で我に返る。
「スカ……! スカ……! 聞いて? ダンデビモンの身体のどこかに、私の一部が引っ掛かってる!」
「へーそんな偶然もあるんだな……って、まじ?」
「うん!」
ひょこはいつもと同様、身体をダウジングマシンのようにひょこひょこ動かしている。その動きは普段の反応の比ではないほど激しいものだ。正確なダウジングマシンの反応ほど信頼できるものはない。目的が増えたことにより、スカルサタモンは思わずこめかみに両手拳を当てて考え込む。そんなスカルサタモンの頭上にぴょこんと重みが乗っかってくる。
「迷うことないよ! やることは最初から変わってないじゃん! 昔も今も同じ、ダンデビモンとケリつけるんでしょ? 私もついてるからさ!」
「ああ、ああ……! そうだよな!」
ひょこの言葉に不思議と胸が熱くなる。スカルサタモンは手に馴染んだ杖を右手に持つと、左の腕でひょこを抱えて地面を蹴る。その後はひたすら空の旅だ。翼で空気を掴んで、風に乗る。ダンデビモンの巨大な腕が二本向かい風になって飛んでくるが、その小さな隙間を駆け抜けていく。空から見下ろすと、ケルベロモンがダンデビモンの気を散らし、合間を縫ってアヌビモンがダンデビモンの関節を確実に狙って攻撃しているのが見える。デーモンにおいては純粋な火力による暴力だ。地獄のような業火をダンデビモンの頭上にひたすらに撃ち込んでいく。二体の強靭なるデジモンたちによって、ダンデビモンは膝をつきかけているようにも見える。が、安堵などしている暇を与えてくれる相手ではない。先程スカルサタモンを襲った巨大な腕はそのままアヌビモンとデーモンに向かっていく。二体とも挙動に気づきはしたものの、避けられる間合いでは無かったようで、地面へと叩きつけられる。しかし咄嗟に受け身を取り立ち上がった。
「ギャハハハハハハハハハ!」
笑い声にも似た咆哮。地面に転がっている虫を愉し気に潰している無邪気な子供のようにも思える。それを間一髪の間隔で避け続けるのがアヌビモンとデーモンだ。あまりにもギリギリで避けるため、ダンデビモンは自らの手で大きな地響きを立てた後に手のひらを見返して、癇癪を起こす。そして目的である究極体の二体を執拗に追いたてる。標的にこそなっていないが、スカルサタモンが狙いをつけられたら一発で沈められてしまうのは目に見える。思わず身震い通り越して、失神しかねない気分だ。
「スカ……! あそこ! ダンデビモンの首のところ!」
スカルサタモンはひょこの一声で視線を戻す。ダンデビモンの首には、鮮やかな光を放つ鎖の一部ようなものが引っ掛かっており、その色合いはスカルサタモンの記憶に新しかった。「しっかり掴まってろ」と一言呟くと、翼を力強く羽ばたかせ、確信を持って一直線に目標目掛けて空中降下する。敵意か風圧か、いや、おそらく本能だ。違和感に気づいたダンデビモンが思い切り首をぐりんと後ろ側に向けた。
ああ、目が合ってしまった……と後悔する暇などとっくにない。少し後方を巨大な物が掠めていくような気がしたが、迷うことなくスピードを上げる。そしてダンデビモンの顔に吸い込まれるように落下し、勢いに乗ったまま頸部へ杖を突きたてる。
「スカルハンマー!」
完全体のデジモンの攻撃など、究極体には蚊が刺すようなものだと思っていたが、距離と速度が助けてくれたのだろう。決定打にならないは百も承知だが、ダンデビモンは少しだけ呻いた。そして、その声をスカルサタモンが聞き逃すはずもない。
「ひょこ! 飯の時間だ、たらふく喰いな!」
「私、そんなんじゃないって!」
ぶつくさ言いながらも、ひょこはスカルサタモンの腕から飛び出し、鎖のようなデータに触れる。それは今まで回収してきたひょこの一部と同様に、ひとつの塊に収束するとぐにゃぐにゃと動いて、スライム状の塊に落ち着いた。
「これで……全部かな? なんか集まった気がする?」
「ひょこ、何か思い出したか?」
「んー! なんにも!」
間髪入れずの間抜けな即答に、スカルサタモンは開いた口が塞がらなくなるところだった。思わずツッコミを入れたくなりそうだったが、途端に二体とも宙に浮いたため阻止された。ああそうだ、まだダンデビモンの首に乗ったままだったと嫌でも現実に引き戻される。空を飛ぶことができないひょこを両手で慌てて抱えながら、スカルサタモンはすんでの所で跳んで、ダンデビモンの降ってくる腕を避ける。
「だーっ! 結局スライムのままかよ! お前いったいほんとうに何なの? いっそのことスライム型のデジモンであってくれよ、なあ!」
思わず癇癪にも似た叫び声をあげてしまう。ひょこは全く気にしてないようで。
「ひょこはひょこ! 大空を駆けるスカーレットの友人だよ!」
「はいはい、スカーレット。スカーレットね……」
そこでスカルサタモンの思考と言語機能が一時停止する。胸の内が急激に温かくなる感じと、胸の内にあるダークコアが暴れ始めるような奇妙な感覚だ。この感覚は以前にもあった?ああ、あったかもしれない。
「……スカーレット?」
恐る恐るスカルサタモンは口を開く。その呼び名には記憶がある。デジタルワールドでずっと聞いてきた慣れ親しんだ呼び名だ。ノイズでずっと聞き取れなかったが、声色にも面影がある。そして、その名を呼ぶのは、自らが知る限りではたった一人だ。どうして今まで気づくことが、思い出すことができなかったのか。窪んだ眼から大粒の涙が溢れ出して止まらない。
「ヒヨコ……お前生きてたのかよ……」
スカルサタモンの呼び声に対して、ひょこはふるふると一瞬身震いをすると、スライムの姿は膨張し、二足歩行の生き物へと変化していく。それはデジタルワールドに元来生息する生き物、デジモン……ではなく異界から現れた生き物、人間というやつだった。スカルサタモンは無い知識を掘り返しながら目の前の人物を一生懸命認識する。人間は男性と女性で分かれていて、体つきからこの人間は後者。柔らかい体躯に、細く長い腕と足がのびのびとゴツゴツしたスカルサタモンの腕の中で伸びる。その中で鳥の尾っぽのようにスラリと長く伸びた黒髪の裏で混じる赤いインナーカラーの髪は、とても美しく見えた。その容貌はおよそ十代後半か、二十代前半だろうか。子供というには成熟した身体が元気そうに跳ねる。両手で抱えていたこともあり、思わずお姫様だっこという形で見つめ合ってしまう。が、彼女は眉間にしわを寄せながら、スカルサタモンの額に向けてデコピンを放ったのだった。
「いてぇ!」
「もう! ひよこじゃなくて、ひなこだってば! ちゃんと名前で呼んでって言ったでしょ? もう、スカーレットは相変わらずなんだから……」
「悪い、悪いって」
「あと、二人してダークエリアに堕ちてる時点で死んでるようなものじゃん!」
「ははっ、違えねえや」
ひょここと雨宮陽奈子は、くすっと笑いながらスカルサタモンを見上げる。対してスカルサタモンは目じりに涙を浮かべながらも精一杯笑い返して見せる。
「相変わらず……か。姿や形はだいぶ変わっちまったけどな、真紅には程遠い真っ黒な翼に」
「いいじゃん、黒い翼だってかっこいいし。スカーレットはスカルサタモンに進化してもスカーレット、でしょ?」
「……ヒナコ」
うわずりそうな声で言葉が枯れそうになって――。
「ヴァアアアアアアアアア!」
「こいつのこと忘れてた!」
間一髪、スカルサタモンの後ろをダンデビモンの腕が掠めて行った。地響きと風圧でバランスを崩しそうになりつつも、慌てて陽奈子を抱き抱えて翼で風を掴むと、ダンデビモンの背部からの撤退を決め込む。急降下からの旋回で、ビルが地面に落下するようなダンデビモンの猛攻を弾丸のような速度で避けつつ、腕が届かない位置まで昇っていく。わぁ! とひょうきんな声を上げつつも陽奈子は暴れることなくスカルサタモンの腕の中からダークエリアの空を見渡す。危険な戦いの中であるにも関わらず、彼女は乱暴な空の旅を楽しんでいるように見えた。途中でデーモンがはた迷惑そうに怒鳴っているようにも見えたが、この際だ。気づかないふりをしてだんまりを決め込む。
「悪いが、思い出話もヒナコの事情も後だ。まずは因縁の相手に決着つけるぞ」
「わかってるって。でも……」
思わず言葉を飲み込んで、陽奈子はダンデビモンへ目を向ける。そこには今までの楽し気な雰囲気とは違って緊張した面持ちが見てとれる。スカルサタモンは何度もその表情を見て来た。自分たちよりも格上の相手と手合わせをするような時以外にも、命のやり取りをする時は決まってこうだ。
「二の轍てつはもう踏まねえ。だからヒナコももう自分を生贄にして封印なんて馬鹿な真似はよせ。てめーの自分を大事にしない姿勢だけは今でも許してねえ。次にやったら怨念になって永遠に追いかけ回すからな?」
「あーそれは嫌だなぁ」
明後日の方向を見ながら返答する陽奈子に対してスカルサタモンは思わずデコピンを返す。十分加減はしたつもりだったが、額を抑えたまま唸っている彼女にとっては加減もへったくれもない! という感じだ。ただ、図星だったのだろう。悔しそうに唇を噛みしめて黙り込む。それを見てスカルサタモンも思わずつられてうなだれる。
「悪い、俺が弱いばっかりにヒナコに余計な心配ばっかりかけちまって。嫌な選択肢ばかり選ばせちまって」
それにはきっぱりとした否定の言葉が飛んでくる。
「ごめん、少し弱気になってた。私がいなくなって辛かったのはスカーレットなのに、気を遣わせちゃって。スカルサタモンにさせちゃったの、きっと私なんでしょ?」
「ヒナコ、そいつは言いっこなしだぜ。それに黒い翼がかっこいいって、言ってくれたじゃんか。あれ、誉め言葉として受け取ってるつもりなんだけどなぁ。なんだぁ? それともガルダモンやアクィラモンの時みたいに赤い翼の方が好みか? いっそのことムーチョモンの時にまで戻るか?」
「好みで聞いちゃダメでしょ、返ってくる言葉知ってるくせに」
「はは、違いないね。スカーレットって名づけるくらいだもんな」
「遊んでいる暇があったら早く手を貸してほしいですね。ほら、避けて避けて」
スカルサタモンの横っ面めがけてにダンデビモンの巨大な腕が伸びてきていた。余計な一言で警戒心が上がったのもあり、間一髪のところで高度を下げて避ける。ほっとした二人の目の前には傷だらけになりつつも平然を装っているアヌビモンが降りて来た。
「付いてきて」と言い放つと、更に上空へ昇っていく。スカルサタモンは陽奈子をしっかり抱きかかえると、アヌビモンに並走する形で空を駆けることになる。追いついたのを確かめてからアヌビモンはよく通る声で二人に話しかける。
「あの生命体、人間……でしたか。ダークエリアに顕現できるとは何と特異な存在か。個体名……いえ、名前は?」
「……雨宮陽奈子、です」
「アメミヤさん、ですね。なるほど」
緊張した面持ちで陽奈子が答えると、アヌビモンは鼻を鳴らしながら頷いた。
「その様子だと二人ともお互いの因果についてはすでに理解しているようですね。そして迷惑千万なダンデビモンのことも知っている。違いますか?」
「ああ、デジタルワールドで戦って倒せなかった奴だ。尋常じゃない被害が出たし、たくさんデジモンが死んだ」
「三大天使たちの提案で、私が封印のための拘束具になり、ダンデビモンを抑えることになったんです。仲間とスカーレットは反対してくれたんだけど、一度回りだした歯車は止まらなくって。ダンデビモンが今の今まで眠っていたってことは、封印が成功してたってことだと思います。そこの記憶はかなり曖昧で……」
スカルサタモンは思わず顔を背ける。その表情は苦し気だ。陽奈子はそんなスカルサタモンの様子を気にしつつも話し続ける。
「ただ、封印されてたダンデビモンがダークエリアに落ちてきたことは、何か別の要因があるはず。私にはちょっと想像つかないんですけど」
「なるほど。要するに倒しきれなかったダンデビモンが何の因果か、ダークエリアに穴を開けるという形で転送されてきた。っていうのが今回の顛末ですね。状況からして鎖としての役割を持っていたアメミヤさんの力及ばず封印は解け、アメミヤさんごとダークエリアに流入してきたっていうのがひとまずの線でしょう」
「多分……うん。私もそう思います」
陽奈子は頷く。
「ふむ、因果関係は分かりました。三大天使が手を焼いた、ということは相当やっかいな相手ということです。そして、封印をしないと対処しきれない……ということはダークエリアでも処理しきれるかは正直分からないですね」
「けど、俺たちはダンデビモンを倒さなきゃならねえ。何が何でもだ」
そこまで聞いてアヌビモンはまた考え込む。
「もしかすると……発端はスカルサタモン、あなたかもしれませんね」
スカルサタモンも陽奈子もぎょっとする。目の前の監督者が何を言い出したのか理解しようとするのに数秒かかった。
「……どういうことだ?」
「人間はデジタルワールドに良くも悪くも多大な影響を与えてきましたが、ダークエリアには今まであまり縁が無かった話でした。ですが、今回人間のパートナーであるデジモンが中途半端に堕天した状態でダークエリアに落ちてきた。このデジモンはパートナーとの別れを受け入れきれなかった。たとえ堕天したとしても、死んだとしても……会いたい、救いたい存在だと」
「まさか、俺がダークエリアにヒナコを呼んだっていうのか? ダンデビモンごと?」
「あくまでも仮説の域でしかありませんよ。ですが、十分に考えられる。アメミヤさんのことを覚えていなかったとしても、ずっと求めていた。だからこそ私との雇用契約を結んででも願いを叶えたかった。ダークエリアもデジタルワールドの一部です、影響を受けたとしても否定はできません」
スカルサタモンと陽奈子は思わず顔を見合わせて、赤面してしまう。
「ばかっ、馬鹿野郎! んなわけあるか! んな単純な理由でダークエリアが壊されてたまるかってんだ! 推論だ推論!」
「そ、そうだよ! 確かにあの別れ方はなかったけど、だからって他の人たちに迷惑かけるつもりなんて!」
二人の否定も虚しく、アヌビモンは持論を推しているようで、ずっとニヤニヤと笑っている。迷惑千万と言っていたのがどの口だとついツッコみたくなってしまうくらいだ。
「これで余計にダンデビモンを倒さなければいけない理由ができてしまいましたね」
「あーわかったよ! 倒せばいいんだろ? 倒せば!」
「ちなみに、アメミヤさんに会いたいという当初の願いは叶ってしまいましたが、私との雇用契約は破棄されますか? それとも継続しますか?」
「破棄? するもんか! 報酬だけ変更しろ! ダンデビモン倒したらさっきの推論はぜってー撤回だ! いいな?」
強く放たれる言葉にくすっとひとつ笑うと、アヌビモンはスカルサタモンの提案を承諾した。
「では、散開しましょう。デジタルワールドではあと一歩届きませんでしたが、元来あなたたちには究極の力を手にするだけのポテンシャルがある。先程も言いましたが、ダークエリアもデジタルワールドの一部です。デジモンと人間が関わり合うと一体どういう風になるのか……お二人がどんな戦いを見せてくれるのか楽しみにしていますよ」
アヌビモンはそう言うと、二人のいる場所からぐんと下降し、ダンデビモンを誘うように攻撃を再開する。陽奈子はその様子を不安げに眺めてから、問うようにスカルサタモンの顔を見た。
「ヒナコぉ! 俺たちもう死んでるんだよなぁ? だったらよ、もう怖いものなんて何にもないだろ? ダンデビモンなんてデカいだけの、知能を吐き捨てたバケモンだ。ガルダモンの時でも脳みそさえ使えりゃ十分に勝てる余地はあった! 違いないな?」
「う、うん?」
「だったら、スカルサタモンでも勝てるな? ビビってんじゃねえぞ!」
一瞬ぽかんとした様子でスカルサタモンの言葉を受けつつも、陽奈子は唇を噛みしめるとひとつ頷く。
「そうだね、もう死んじゃってるもん。怖いもんなんて今更ない。だったら死に物狂いで逝っちゃったって、後悔することなんかもうなんにもないか」
陽奈子はスカルサタモンの空いている手に向けて腕を伸ばす。ふたつの握りこぶしがぶつかり合い、小気味いい音を奏でる。
「もうビビらない。スカーレットと陽奈子のタッグは最強なんだから!」
「おう、そうこなくちゃ!」
スカルサタモンは陽奈子をぐっと抱き寄せると、「しっかり掴まってろ」と言った。陽奈子が腕をがっしりと首に回す感触を確かめ、スカルサタモンは急激に高度を下げて地上すれすれの位置まで滑空し、地面を舐めるように滑っていく。ジェットコースターのような浮遊感に心臓がひっくり返りそうになりながらも、陽奈子も目をしっかり見開いて状況を確認する。ダンデビモンは自らの腕と、負のエネルギーを纏った巨大な腕の計四本を器用に扱いながら、デーモンとアヌビモンを追い詰めるのに夢中になっている。アヌビモンが呼び出したケルベロモンはその注意を少しでも逸らそうと躍起になっている様が見える。
「どうする、ヒナコ?」
「ダンデビモンは手数こそ多いけど、敵を認知できる目はふたつしかない。勝機を狙うとしたら、そこ。私たちが眼中にない今なら、意表を突いて一発大きな打撃を与えることができるかもしれない」
「けど、スカルハンマーを首に当ててもビクともしなかったぜ? 狙うとしたらどこだ?」
「生き物は大切なところを大概しっかり守ってるもの。装甲が厚い部分は間違いなく狙い目だと思う。それを破壊するためには突破するだけの破壊力が無いといけない。けど、ダンデビモンの場合は……」
ダンデビモンはほぼ裸体に等しく、装甲を身にまとっているとは言い難い風貌だ。だが、全身に甲冑のような服を纏っているようにも見える。故にどこを狙っても弾かれるというのが陽奈子の見立てだ。これにはスカルサタモンも自らの力不足を呪うしかない。
「正直デジモンの構造がどうなってるのか私には皆目見当もつかない。けど、人間なら頭と心臓が狙い目。首でもいい。デジモンならどこ?」
「……デジコアだ」
スカルサタモンは自らの身体を確かめながら、胸の辺り、暗黒のエネルギーが渦巻く場所を確かめる。
「けど、ダンデビモンのデジコアがある部分なんてわかんねぇぞ? デジモンによってそれぞれだからな」
陽奈子は困ったように首を捻る。
「ただ、経験上ヒナコが言ってた部位を吹っ飛ばした時は、大概のデジモンが吹っ飛んでた。首がダメなら残りに賭けるっきゃねえだろ!」
スカルサタモンは四つん這いになっているダンデビモンの足側から滑り込み、腹部の真下に潜る。ダンデビモンの注意を引いてくれてるデーモンとアヌビモンたちにこの時ほど感謝したことはないだろう。
「んで、腹っていうのは柔らけえんだな、これが!」
「結局そこ?」
スカルサタモンは上空に向かって杖を構えると、あらん限りの破壊の力を溜め込み、頭上へ放出する。
「ネイルボーン!」
データに異常をきたす光はダンデビモンの腹を直撃するものの、皮膚の上で弾けてしまうだけだ。打ち上げ花火よりもあっけない。
「ガアアアアアアアアアアアアアア?」
四つん這いになったまま、ダンデビモンが腹を見るように頭を下に向けると、裂けたような黄色い目とこちらの目が合って、一瞬のうちに一生分の冷や汗をかくことになった。今までデーモンやアヌビモンを追いかけていた腕のうち、ダンデビモン本体の腕が腹の下で踊るように伸びてくる。
「くそ! 完全に認識されたぞ?」
「ああん! 死んじゃう! 死んじゃうって!」
「だから死んでるんだって!」
そんなふざけた掛け合いをしていたのが祟ったのだろう。スカルサタモンはダンデビモンが一生懸命動かしていた腕に全身を打ちつけ、そのまま吹っ飛ばされる。咄嗟に陽奈子を守るように抱えるが、全身の骨が折れるような感覚と激痛でスカルサタモンは吐きそうになる。叩きつけられた先はダンデビモンが抉った大地であり、地面の一部が瓦礫のようにうず高く積もった場所だ。叩きつけられた衝撃で陽奈子はスカルサタモンの腕から転げ落ちる。それをダンデビモンが見逃すはずもなく、標的として視界に捉えるとまっすぐに二人へ向かってきた。アヌビモンやデーモンもダンデビモンの注意が逸れたのに気づいて、追撃で注意を引こうとするが、巨大な腕がアヌビモンたちを相手取るだけだ。近づくことすらできない現状に残っていたアヌビモンは舌打ちをする。
「ヒナコ……逃げろ……」
その言葉を無視して陽奈子はスカルサタモンに駆け寄る。泣きそうな顔を必死に隠して、この状況を打開しようと必死に脳みそを回転させる。
「大丈夫、大丈夫だから」
そうスカルサタモンに声をかけながら陽奈子自身に言い聞かせるようにして、小さい人間の体でスカルサタモンを何とか抱え上げようとする。だが、悠長に構えてくれる相手でもない。ダンデビモンが鎌首をもたげながら、口角が裂けるほどの笑みをたたえて静止する。その口には大量のエネルギーが充填されており、いつでも放射できるような状態だ。これはさすがにまずいと踏んだのか、陽奈子は抱えているスカルサタモンをありったけの力で投げ捨てると、両手いっぱい広げながら反対側の方へ駆けて、ダンデビモンの注意を引く。ダンデビモンもデジタルワールドでの因縁もあってか、陽奈子に対してすぐに認識をし、標的を変えた。
「馬鹿……逃げ……ろ……」
「逃げられるわけないじゃん。たった一人の大事な相棒を置いてなんてさ。消えるよりそっちの方がよっぽど怖いよ。」
「ダメだ……」
「今度は私がスカーレットのこと、守るから。だから、怖くないよ」
スカルサタモンは願った。目の前で震えながらも勇敢に立ち向かう生命体を守りたいと。その小さな体を包んで、どんな攻撃を払うことができる強靭な肉体を。
折れて伸びない手を必死に伸ばしながら力を乞う。
(失うのは二度とごめんだ……)
消え入りそうな意識を必死に引き戻しながら、空を掴む。その願いを嘲り笑うかのように、ダンデビモンの口から破壊のエネルギーが光線のように放たれる。
「アルティメットフレア!」
塵芥も残さないような爆風で、一帯が吹き飛ぶ。その様子を認識してダンデビモンはけたたましい声を上げながら喜んだ。土煙が晴れれば、そこには何も残らないだろう。その光景を楽しみにしつつ、ダンデビモンは唸る。だが、土煙が晴れるとそこにあったのは残骸でもなんでもなかった。鋭い刃を装備した巨大な赤い腕が地面の上でそこにあった。その光景に思わずダンデビモンはたじろぐ。
「ヒナコは俺が……」
炎のように熱く燃える翼が再び土煙を上げ、体躯と同じ大きさの長い尻尾がダンデビモンの足を払う。予想外の展開に驚いたダンデビモンはそのままバランスを崩して倒れこんだ。凶暴な顔つきをした赤き竜は、両腕を掲げながらダークエリアに生誕の雄たけびをあげる。
「守る!」
赤い竜は、腰を抜かして地面にへたり込んでいる陽奈子をつまむと、自らの首に乗せる。陽奈子は頭部から生えている羽のような突起物に慌ててつかまり、巨大な全身を見渡して息をつく。
「大丈夫か、ヒナコ? 怪我してねえな?」
「スカーレットなの? その姿」
「今はメギドラモンだ。悪いな、心配かけちまって」
「気にしてない、心配かけたのはこっちだし。それにしてもおっきくなったね」
「……怖いか?」
「ううん、全然。むしろかっこいい。私、惚れ直しちゃったかも」
硬質な外殻で覆われいてることもあり、はたと見た様子だと頬が赤く染まっているようには見えづらいが、どうやら照れているらしい。メギドラモンは目を背けながら唸った。そんな二人の会話を邪魔するかのようにダンデビモンの巨大な腕が目の前の地を穿つ。陽奈子にしっかり掴まっているよう促し、メギドラモンは体勢を整えながら後退する。
「ヒナコ! しっかり耳塞いでおけよ! ヘル・ハウリング!」
「アルティメットフレア!」
メギドラモンは口を大きく開けると、地獄を揺るがすほどの咆哮をあげ、それを衝撃波としてダンデビモンの顔面に向けて打ち出す。それをかき消すようにダンデビモンもエネルギー波を口から撃ち出す。威力はほぼ互角といったところか、ふたつの衝撃波は爆風と共にダークエリアの地面に巨大なクレーターを作り出す。
「まじか、互角かよ。それなら、これはどうだ? メギドフレイム!」
「マイアスピウ!」
メギドラモンが放つ灼熱の業火も、ダンデビモンの作り出す巨大な腕が盾のようになって、払ってしまう。腕は灰のように崩れ去るも、すぐに腕の形を再構築してしまう。巨大な力を得て嬉しい半面、額に汗がこぼれる。互角ということであれば、倒せないというわけではない。しかし、どちらかが意表をついて喉元に食らいつかねばならない状況でもある。ダンデビモンには完全に敵として認知され警戒されている以上、からめ手も難しい。アヌビモンやデーモンがいるからといって、ダンデビモンの手数自体が多く決定打を与えるには程遠い。拮抗できる究極体が一体増えたところで、状況が大きく好転するまでには至らない。
「やっかいなのはあの腕だよね。あれさえ封じてしまえばダンデビモンの手数は一気に減るはずなんだけど。ダンデビモンから放出されるマイナスのエネルギーの塊……。負のエネルギーだから悪影響を与えて……ん?」
ダンデビモンの攻撃を払うべくメギドラモンが炎を放っている最中に陽奈子は何かを思いついたようで、メギドラモンの頭についた羽をトントンと叩く。
「スカーレット、アヌビモンとの雇用契約まだ生きてるんだよね?」
「ん? ああ? 雇用契約?」
「スカーレットの雇用内容は? 私たちがずっとやってきたことで間違いない?」
陽奈子の意地悪そうな目元と口。その一言でメギドラモンはハッとしたように目を丸くする。何でそんな簡単なことに気づかなかったのかとメギドラモンはついつい声を上げて笑ってしまう。
「まったく、ヒナコは悪魔みたいなことを考えるねぇ。いいぜ、その案乗った! そうと決まったらアヌビモンの所に直行だ!」
メギドラモンは翼を大きくはためかせると、ダンデビモンの追撃も気にせず、消耗しているアヌビモンの所へ一目散に飛んでいく。ダンデビモンの一番の標的がいきなり飛んで来たのもあり、さすがのアヌビモン驚いていたが、提案に対して快諾すると地面に魔方陣を描く。そこから出てくるのはメギドラモンの体格に沿った大きさの箒とちりとり。そして、ゴミ袋。四次元ポケットかとツッコミを入れたくなるが、使役させている魔獣に持ってこさせたとのことで、二人共それ以上言及することはない。
「ヒナコ、前はちりとり担当だったがその身体じゃ……」
「うん、さすがに持てないかな。あと、効率悪いし、空気抵抗とかちょっと心配だけれど」
陽奈子はメギドラモンの滑らかな背中を滑り降りるようにして、腰の鎧へ着地する。そして、そこにゴミ袋を結びつける。後はメギドラモンが両手に箒とちりとりを装備するのみだ。
「完璧じゃね?」
「うん、装備はこんなもんかな。ゴミ袋の方は私がうまいことコントロールしてみる。もちろん落ちないように気をつけるよ」
アヌビモンはくすくすと笑うとメギドラモンの背中を大きく叩いた。
「くれぐれも取り扱いには注意を! 箒でダンデビモンの攻撃を防げるとは思わないように!」
「ああ、まかせとけ! ついでにゴミ屑まき散らしといてくれると助かるぜ!」
感謝ついで仕事を押し付けるとメギドラモンは仕事道具を抱えてダンデビモンの方へ飛び去って行く。
「あまりダークエリアを汚くするのも困ったものですが、まあいいでしょう。ケルベロモン、作戦変更です。本格的なゴミ掃除に取り掛かりますので、メギドラモンとアメミヤさんのサポートを」
ケルベロモンはアヌビモンの命令に頷くと、ダークエリアの地を一目散に駆けていく。ケルベロモン達の役目はダンデビモンの気を散らすことだ。それを見送りつつアヌビモンも戦場を眺めて「さて、もう一仕事ですね」と伸びをしながら呟く。その言葉に合わせてか、流れ弾のようにダンデビモンの巨腕がアヌビモンの翼を掠める。仰け反るように後退するとアヌビモンは魔方陣を展開する。
「アメミット!」
魔方陣から召喚された魔獣達は、ダンデビモンの腕を駆け上がりながら、構造の結びつきが弱い所に食らいつき、一部を削ぎ落としていく。腕を構築しているマイナスエネルギーは、当初ダークエリアに落ちてきたデータの屑と遜色ない。アヌビモンとメギドラモンはアイコンタクトをすると、すぐさま行動に出た。箒を上手いこと扱いながらデータの屑をちりとりに収めると、腰に装備したゴミ袋の口を陽奈子が広げ、中へと入れていく。後は摩訶不思議な袋がデータを分解してくれるだけだ。予想が的中し、陽奈子とメギドラモンは思わずガッツポーズをする。
「そうと決まったら、次はド派手に行くぜ。ヒナコ、準備しておけよ。メギドフレイム!」
陽奈子が頷くまでもなく、メギドラモンは大きな口を開いてあらん限りの灼熱の炎を吐き出す。すべてを灰にしてしまうような炎だ。ダンデビモンも一番犠牲にしていい場所、その巨大な腕で防御を図るしかない。狙い通り、ダンデビモンの巨大な腕は炎の勢いに耐え切れず、灰と塵に分解される。再構築される前にすかさず回収へ向かおうとするが、簡単に思惑通りにやらせてくれる相手でもない。腕一本を犠牲にしつつ、残り三本の腕で喉元に向かって掴みかかってくる。回避行動を指示する陽奈子の言葉にメギドラモンは一瞬躊躇してしまう。知性をかなぐり捨てたと言え、ダンデビモンもそこまで馬鹿ではない。本能的にこちらの作戦は見抜かれるだろう。チャンスは早々無い、だからこそ今の攻撃を活かしたいとさえ考え、判断が一瞬遅れた。回避するには距離が近くなりすぎていたのだ。間に合わずに思わず防御姿勢を取ろうとするが、間に割って入るデジモンが一人。
「おお? 七大魔王のことを無視してくれるな?」
伸びてくる腕二本を両脇に抱えて摩擦で動きを止めながら、デーモンはニヤリと笑う。そして渾身の力を込めると、デーモンは小さな体躯でダンデビモンを持ち上げて、バックドロップの要領で投げ飛ばす。背中から地面に叩きつけられたダンデビモンは思わず呻いた。
「ぼーっと突っ立ってるなよ? さっさと役目を果たせ、小童が!」
あっけに取られていたメギドラモンと陽奈子だったが、デーモンの一言ですぐに行動に出る。上空に霧散しているダンデビモンの一部をちりとりに収まらないほど集めると、ゴミ袋へと適宜廃棄する。
「あと一本!」
「腕の一本程度、我が消し炭にしてくれる! フレイムインフェルノ!」
デーモンは両手を前に突き出すと赤々と燃え滾る炎を噴出させる。混乱しているダンデビモンの不意を突いたのが功を奏したのだろう、マイナスエネルギーで形作った腕の根元を上手いこと狙い撃ち、本体と分断された腕はそのまま跡形もなく燃やされて灰と化す。それを見逃すはずもなく、陽奈子の掛け声でメギドラモンは回収を急いだ。
「もう一丁!」
迫りくるデーモンの拳での追撃に、新たな巨大な腕が形作れず、自らの腕を伸ばして拳を抑える。この時に何をされていたのかダンデビモンはようやく気づいたらしい。
「アアァ……? アアァ……!」
けたたましい怒りの咆哮をあげると、ダンデビモンは自らが崩した瓦礫を手に取り、投げるでもなく、口に頬張って飲み込む。次には消え去った腕の付け根から、うねうねと小さな腕が幾重にも伸びて絡まって、少しずつ太さを増していく。
「タリナイ……タリナイ……!」
これにはさすがのデーモンも驚いたのか、ダンデビモンから距離を取ってアヌビモンに並ぶ。
「奴め、ダークエリアに眠るマイナスエネルギーを自らの糧にするつもりか? やらせたらジリ貧だぞ?」
「ですが、簡単にやらせるわけないでしょう? 私がダンデビモンの身体を封じます。ピラミッドパワー!」
アヌビモンは手に力を込めると、上空に光る線で描きながらダンデビモンを囲って四角錐を作り上げる。通常であれば、相手を閉じ込める棺のようなものである。が、ダークエリアを監督するアヌビモンは意地が悪かった。ダンデビモンの手首や足首、翼の一部を切り取る形で四角錐を作り上げると、四角錐の内外を隔てる光の膜がダンデビモンの身体を拘束し、まるで磔のようにする。
「ガアアアアアアアアア!」
「この方法は脆い。ダンデビモンならすぐにでも割って出てこられる。ですが、その一瞬があればいいでしょう?」
アヌビモンは悪魔のような笑みを浮かべる。その後方から出づるは悪魔のような巨竜だ。
「感謝してるぜ雇い主さんよ! よし、ヒナコ! ちゃんと掴まってろよな!」
「今更!」
箒とちりとりを投げ捨てると、アヌビモンを追い越すように、メギドラモンはダンデビモン目掛けて弾丸のようにまっすぐ飛んでいく。四肢と翼の動きを抑制されたダンデビモンは慌てて拘束を解除しようと力をこめるが間に合わない。突っ込んできた巨体を抑えられるだけの余力はなく、勢いよく肩が地面に押し付けられてめり込んでいく。ボロボロの翼と肘を使って体勢を立て直そうとするが、凶悪な面をした赤き竜が許すはずもなく、両肩を腕で抑え込まれた上に、巨大な尻尾がダンデビモンの腹を締めつけて離さない。
「悪いな、俺たちはダークエリアの掃除屋だ!」
「不法投棄は許しません!」
掛け声を合わせ、メギドラモンはダンデビモンの肩から首にかけて食らいつく。その牙から逃れる術はなく、ダンデビモンは金切り声を上げる。牙の刺さったところから身体を溶かすほどの熱が噴出し、喉の奥から見える灼熱の炎が、火山口から見えるマグマを思わせる。もはや噴火の時まで時間は無い。
「アアアアアア! ヤメ……ヤメロォォォォォ!」
「行けぇ! スカーレット!」
「最後は焼却処理だ! メギドフレイム!」
火口から噴出された大量の炎はダンデビモンの断末魔をも飲み込み、デジコアごと燃やし尽くした。残るのは静寂な闇の空と疲れ切った吐息。そして、大きな手と小さな手が噛み合う小気味いいハイタッチの音だけだった。
◇◆◇◆◇
「けっ、契約内容更新だとお!」
金切り声とも取れるメギドラモンの叫び声がアヌビモンの小さい執務室を揺れ動かす。脳震盪を起こしそうな叫び声を澄ました表情で聞き流しつつ、アヌビモンは首を縦に振る。
「単純に人手が足りないのです。ダークエリアには常日頃からデジタルワールドからのデータが流入してくる。私はそのデータを吟味、精査するので忙しいのです。ただでさえガラの悪いダークエリアの住人に、我が物顔のコキュートス連中。おまけに、デジタルワールドではなく、ダークエリアに四大竜の一柱が爆誕してしまった。あーもう胃薬が手放せません。『猫の手も借りたい』、アメミヤさんの生きてきた世界ではそういう言葉があるらしいですね? 正直そんな状態なのですよ」
「だってさースカーレット? 死ぬほど恩もあるし、手伝ってあげようよ」
「なんでヒナコはそっち側なんだよ!」
くすくすと笑う小さな人間に対して、メギドラモンはキッとした目つきで睨む。対して気にしていない様子なのが、今まで培ってきた信頼関係の印でもあるのだが……。メギドラモンは大きくため息をつくと腕組みをしながらアヌビモンへと視線を移す。
「で? 契約内容は? 拒否権や譲歩する余地くらいはあるんだろ?」
「もちろん」
ニコリとアヌビモンは答えると、就業内容や規則、報酬など事細かにデジ文字の文章として渡す。陽奈子が読めるわけもなく、仕方なくメギドラモンは読み上げると予想外の声が飛んでくる。
「えっ、めっちゃホワイトじゃん」
「えっ、そうなの?」
「私が働いてた所よりよっぽどマシだよ。ちゃんと完全週休二日制あるし」
「お、おお……本当だ。完全週休二日制がある」
休みは大事だ。陽奈子から散々聞かされてきた内容である。飯食って、しっかり寝る!これが強い肉体を作る術だと。
「アメミヤさんの経歴を元に色々と検討してみました。いかがでしょう?」
アヌビモンから預かった契約書をメギドラモンはしばらく睨みつけた後に、目で陽奈子にどうするかを問う。
「いいじゃんいいじゃん。ダークエリアで意味もなくほっつき歩いてるよりよっぽど生産的だよ。私はスカーレットと一緒に冒険できるなら、ダークエリアだって構わないし」
「まあ、そうだよな。ダークエリアにいる限りは、身の振り方を考えなきゃいけないしな。よし!」
メギドラモンはアヌビモンが提示してきた契約書を再度熟読すると、つたない筆跡ながら署名をし、陽奈子にも手渡す。続いて彼女も署名をしてアヌビモンへと手渡す。満足そうにアヌビモンは頷くと、契約書を懐にしまい込んだ。メギドラモンと陽奈子はダークエリアでどういう風に過ごすか談義をしながらアヌビモンの執務室を後にしようとする。その時――。
「ああ、そうそう。ひとつ言い忘れてましたが、実は二人共デジタルワールドで死んだわけではないのですよ」
「えっ?」
「はぁ?」
二人して顔を見合わせると、次にはアヌビモンへ突っかかる。先ほどまで柔和な表情だった陽奈子も眉間にしわを寄せている。ぎゃあぎゃあと質問攻めに合いながら、さすがのアヌビモンも目を回しかけたようで、頭を抑えるしかない。分かった、説明するから。といった風に二人の猛攻を制するように手を前に出す。
「スカルサタモンはガルダモンが堕天して、そのままダークエリアに堕ちてきただけにすぎない。そして、アメミヤさんに関しては死んだ……というより一種の形質変化で、そのままダークエリアへ流入してきた。ダークエリアの住人にこそなってしまいましたが、機が熟せばデジタルワールドに茶々を入れることも可能です。もしかしたら昔のお仲間さんにも会えるかもしれません。もちろんちゃんとお仕事頑張ったらですよ?」
「おまっ、アヌビモン? 邪悪!」
「悪魔だ悪魔! 契約不履行!」
「ち、力づくはだめです! ああああっ! これだからダークエリアの住人ってやつは!」
アヌビモンの説明むなしく、犬がじゃれ合うように、ぎゃんぎゃんと吠える声が重なる。その日のアヌビモンの仕事は一日全く進まなかったそうだ
あとがきみたいな
最後まで読んでくださりありがとうございます&こちらでの投稿が初めてになります
ノベコン供養していいんだよ?という噂を聞きつけて、いきなりノベコンを残していくことをどうかお許しくださいませ……!失礼な物言いがありましたら、どうか一報いただけると幸いです。
ダークエリアを主軸にしたお話で、デジタルワールドで堕天してしまったデジモンが主人公という異色ながらも、ヒーローチックに物語を紡げたのではないかと、ストーリーとしては胸アツな物が書けたんじゃないかなーと思っています。進化ルートもかなり気に入っており、スカーレットについてはムーチョモン⇒アクィラモン⇒ガルダモン⇔スカルサタモン⇒メギドラモンという特殊進化になっています。
公式様や人様から設定違うぞおらぁ!された場合にはこの文章をダークエリアに投げ込むかもしれない?のでその時には作者と作品はきっと0と1に分解されていることでしょう。
文章力については精進いたしますので、頑張りたい……頑張りたい……
筆が乗ったら前日譚も書くか、そのうちコミカライズとかできたらいいなーとか思ったりしているくらい気にっている短編?なので、自分自身のケツを叩いていこうと思っている所存であります。
では、またどこかで会えることを願いまして、ありがとうございました。
ノベコンお疲れさまでした!
感想を配信で喋らせていただきましたので、リンクを下に貼っておきます!
https://youtube.com/live/6Fsl_3c8wyU
(1:22:30~感想になります)
ノベコンお疲れ様でした。そして初めまして、夏P(ナッピー)と申します。
ダークエリアで酷使される悲しきブラック社員のお話、でもよく考えたら最初の嘆きがそもそもの伏線というか前フリになっていたんですね。最初にひょこ、の前身にあたるデータの屑と出会った時は「アカンこれ絶対ディアボロモンとかアルカディモンとかそっち系のデジモンの残骸で、スカルサタモンが意図せずその復活に手を貸しちまう奴! やべえ……やべえよ光子郎!」と戦慄しましたが、結果はむしろその逆で美しくもちょっとほのぼのしたパートナー同士の再会と相成りました。
部下一人の命を奪われたことに憤って現れる超紳士デーモン閣下、しかし案外と物分かりが良い御方で後半はすっかりベジータ的お助けポジションに。よく考えたらファントモン死に損じゃねーかというのはともあれ、アヌビモンと七大魔王のデーモンってダークエリア最強タッグなんじゃないかとも思ったり。そこに最終的には四大竜のメギドラモンまで加わって、もうこれダークエリアの趨勢引っくり返ってしまいそう。
ダンデビモンはレイドバトルと言いますか、モンハン的な共同戦線で倒す巨大ボスとしてピッタリなチョイスですね!
ひょこがスカルサタモンをスカルサタモンと呼べなかったのは、後々の展開を思うと色々と考えてしまったり。データを取り戻す過程で段々と喋れるようになっていく表現がとても上手く、この辺りで「あっ、世界を滅ぼすデジモンの欠片とかじゃないなコレ」と思えました。
それはそうと人としての形を取り戻した後のヒヨコもとい陽菜子サンとスカルサタモン改めスカーレットの会話や描写は、ちょっぴりアブナイものを感じました。ラブラブ過ぎる。
元々のムーチョモン⇒アクィラモン⇒ガルダモンというルート、こういうのが互いの会話の中でサラッと明かされるの好きです。というか、掃除を始める前に渡されたゴミ袋を「はえー便利なアイテムがあるもんやな」ぐらいに思っていましたが、まさかそれが逆転の一手になるとはこの李白の目を以てしてもry
メギドラモンとデーモンによる地獄の炎連発、まさしくダークエリアの清掃人に相応しい決着の付け方でした。そして真の主役アヌビモンが美味しいキャラ過ぎる+美味しいところを持っていき過ぎている。スカルサタモンは嫌々やらされてましたが、アヌビモンはダークエリアの仕事これ楽しんでるだろ絶対と思えるこの感じ。強い(確信)。
最後までスカーレットと陽菜子サンは恥ずかしくなるぐらいラブラブなのでした。むしろお幸せに、ダークエリアですが。
……うん。
いきなり呼ばれてダンデビモン相手にアヌビモン・デーモン・メギドラモンの三者と並び立ち奮戦しているケルベロモン(※完全体)超強くない!?
サイヤ人やピッコロさんに交じってクリリンが一角の戦力としてカウントされているようなもの。
それでは改めましてノベコンお疲れ様でした。
この辺りで感想とさせて頂きます。