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パラ峰
2019年10月27日
  ·  最終更新: 2019年11月03日

聖剣転生レジェンドアームズ1話

カテゴリー: デジモン創作サロン


 

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1-1 Jという人物


 その日のルームは、Jの一言で始まった。

「時にツェーン。Digital Monsterという新進気鋭のFolkloreを知っているかな」

 Jというのは俺のチャット仲間で、成る程一風変わったアバターで一風変わった作品を提供する、要するにここ『サロン・ド・パラディ』に相応しい人物と言えた。日本人ではないらしく、他国の単語をそのまま送信してくる癖があり、その為無駄にスペルに詳しくなってしまった。

 黒いシルクハットを被り直すJに対し、返信を打ち込む。

「知ってるもなにもデジタル・モンスターってお前、それはお前の小説のタイトルであり、出てくる架空の生命体じゃないか」

 ファンです続きお願いします。

 デジタル・モンスター。それはJのアップロードする冒険小説だ。無数の広がりを見せる怪物達の生態系、無限の可能性を秘めた進化というシステム。それだけではなく、彼ら専用の文字系統すら用意されているのだから恐ろしい。加えて何よりも人気を博している理由としては、まるで直に見てきたかのような堂に入った描写だろう。現在投稿されているのは――『魔王戦役』の章か。

「そうとも。そうとも」

 片手には羽ペン。羊皮紙には複雑な数式と魔術式が綿密に書き詰められ、机の上には胎児らしきもの。

 テキストを打ち込んでいるときのモーションだ。実に凝っている。

「俺の作中に出てくるMonster共だが、実は現実で見かけたという話が続出している。真偽の程は知らんがね。とはいえ我々はいくらか怪奇現象も知っている。世界に起こり得るということも。ならば信じ難いことではあるが、この世界に、俺の作中のDigitalなLivesが飛び出すこともないとは言い切れまい。古い民話という言葉を使いつつ、新進気鋭と言ったのはそういう訳だ。口裂け女、ターボ婆、寺生まれのTさん、メリーさん……挙げればキリはないが、いずれも俺やお前は知っているはずだ。噂話より生まれた怪異を」

 黒手袋を軽く開きながらの長口上。だが結局、実在するはずのないものがそこにいたという噂には、ある可能性がつきまとう。

「熱狂的なファンのおちゃめなんじゃねえの。お前の作品、すげー人気だし。特に制限しちゃいねえだろ」

「知ってる。知ってる。一切、ご承知ずくだ」

 Jは立ち上がる。彼の描くデジタルワールドという世界は掛け値なしにすばらしいと俺も思う。そして、そのファン活動が活発なのも頷ける。毎度お、Jの投稿した小説にはものすごい数のレスがつくものだ。

「手の込んだCostume playである可能性は否定すまい。だが、誰が好き好んでそんな噂を流す。GAGに全力をかける人種もいるだろうがね。まあ話半分に頭の中にでも置いておけ。案外おもしろいことがあるかもしれん」


●


 Jがログアウトした、深夜のサロン・ド・パラディ――そのVIPルームは閑散としていた。

「デジタル・モンスターねぇ」

 それが現実の世界に飛び出してきたという。夢のある話だ。嫌いじゃない。

「ま、わざわざ探しに行くほどじゃないがな」

 俺もルームからログアウトし、投稿されている作品を眺める。

 最新投稿作品に並んでいるのは有羽 十三[Ariba Juzo]――ハンドルネームをツェーン[Zehn]の作品。Jと並んで、創作物投稿・交流サイトサロン・ド・パラディ[Salon de Paradis]の管理人と交友のある数少ないアマチュア創作家。つまり俺だ。

 ふと、Jとの邂逅の瞬間を思い出す。未だ直に会ったことはないが、もう結構なつき合いになっているはずだ。

 

●


 精巧に作られたシルクハットに黒マント。かけたモノクルの奥では炯々と光る双黒がせわしなく動いていた。

 けれん味にあふれた人種が多いウェブだから、それだけでどうということもない。Jも他の参加者にいずれとけ込むと思っていたが、奴は弾けた。

 神出鬼没にて傲岸不遜。放たれる毒に塗れた文言は多くの利用者を陶酔させてやまず、作品もいたく面白かった。

『名が必要ならば、Jと呼べ。俺の名であり、師の名であり、皆そう呼ぶ』

 『デジタル・モンスター』を投稿してすぐ、彼はチャットルームに現れてそう言った。そして巧みな言葉遣い、面白すぎる作品に大勢のファンが付くこととなった。

 優れているのは作品だけではない。即興話もうまいのだ。そもそもJというのは彼の作中に登場するキャラクターで、主人公の師であり、その薫陶を受けた主人公は自らもJを名乗るようになっていく。そのJという名を名乗る以上、彼はなりきりと呼ばれるジャンルのロールプレイを常時行っていることになる。請われれば作中で語られぬ行間の冒険譚を即座に語ってみせる。ひょっとしたらネタのストックが著しいだけで、時間を見計らってコピペしているだけなのかもしれないが、それにしたって凄まじいものがある。

 そうしていくらかの時が過ぎ、ツェーンとJは親しくなっていった。何があったというわけでもない。気があったのだろう。どちらかというとJが衒学趣味を発揮し、俺が聞き役に回ることが多かったが、不思議と心地よさを感じる間柄だった。


●


 まあ、そんなわけで。

「やあツェーン。私が今度、日本へ赴くと言う話は、既に耳にしているかな」

 などどJが言ってきたときは、実に驚いたものだ。

「なるほど。オフ会の時がきたか。決着を着けるぞ」

 ニヤリ。

 ニヤリ。>ニヤリ。

 『こちらの服装はいつものアバターと同じだ。目立つだろうから、見間違えようもあるまい。先に店に入って待っているぞ』。

 こんなメールを寄越したJに倣い、集合地点に設定したファミレスに足を踏み入れる。

 気の抜けるようなラッシャッセーを聞き流し、「連れがいるんで」と店内を眺めて回る――いた。

 混雑時のメシ屋の中でも際だって目立つ黒ハット。入り口に背を向けるようにソファに座っており、こちらから視認できるのは優雅に組まれたスラリと細い足、それから艶やかさを感じるほどの銀髪。小説『デジタル・モンスター』の中から抜け出してきたのではないかと思うほどの容貌に、気分の高揚を禁じ得ない。

 周囲のざわつきが彼を中心にしていることを見るに、きっと相応の美形なのだろう。

 なるほど、ウェブ上で見るとおりのJの姿だ。

 ……少々、アバターから見れば髪が長いことが気になる。気になるが、まあ誤差の範囲内だろう。ひょっとしたら、作中で登場していない「J」なのかもしれない。

 そういう説も大いにあり得る。うん。

 だからそう。

 例え正面に座ろうとして視界に写った顔が傾国と称するに相応しい片眼鏡の美少女だったとしても。

 それにビビった俺が「んー? Jがいないなー……どこかなー……」といいながら席を立とうとしても。

 そんな俺の肩に手を置いて「どこへ行こうというのかね」と問うたその声が魔性のセイレーンを思わせたとしても。

「やめろーーーー! 美人局か!? ドッキリか!? おおお俺は知ってるんだ、そうやって座ってデレデレした途端、後ろから本物のJがドヤ顔で煽りにやってくるんだ!」

「私 が J だ」

 にこやかな表情とともに告げられてしまい、錯乱した俺もこの少女をJ本人だと認めざるを得なかった。


●


 それにしても――と、Jは対面に座らせた俺に告げた。

 俺は注文したアイスコーヒーを早くすすりたくて仕方がなかった。

「酷いじゃないか。日本文化の右も左も分からなかった私を捕まえて、『オフ会では美少女がどんな醜男に変貌しても当然だと思え』『自分の理想を他人に押しつけるな』と君色に染め上げたくせに、いざ自分の想像と私の素顔が違うと悲鳴をあげて逃げるのかい?」

「とりあえず『君色に染め上げた』だけ大声になるのはやめろ」

 あとオフ会の鉄則については当然のマナーだから。失敗してほしくなかっただけだから。

「っていうかだいたいお前日本文化ぐらい初っぱなから余裕で理解してたしそもそも想像に現実が下方修正を加えてくるならともかく現実に想像を凌駕されたら誰だって驚くっつーの……」

「ふふん、余りに美少女だから驚いたかい」

「ああ、驚いた驚いた」

「そうか、そうか。ツェーンは私が想像していた通りのイケメンだよ」

 不意打ちは寄せ。花のかんばせでそんな台詞を言われては動揺を抑えきれない。こちとら只でさえ現実に適応するので精一杯なのだから。

 訝し気な目で店員が置いていったアイスコーヒーを瞬く間に飲み干す。従業員の教育がなってないぜ、ファック。

「おまえね」

「いいじゃないか。私だって君に会えることを楽しみに浮かれてたんだよ」

「ああ、そう。で、聞きそびれてたけど、何しに日本へ?」

「君に会いに来た」

 うーんそっかー。

「何ぁーに言ってんだお前」

 うさん臭さをぬぐい切れない。どれほど現実に打ちのめされようとも、俺にとってJのイメージは傲岸不遜な怪しい美形なのだ。この銀髪のコスプレ美少女の影に、電脳空間で見慣れたその悪辣な表情がちらついて仕方がない。

「ちょ、ちょっとちょっと、あまりそんな目で見ないでくれ。君に嫌われたら私は生きていけない」

 よよよと袖で目元を擦るな。周囲の視線が凄い。やめろ、俺はコスプレも変装もしていないんだ。

「ふふふ、からかい過ぎたか。だが、君に会えてうれしいのは本当だ」

 そのままテーブルの上に手を差し出してくる。余りにも華奢という言葉がふさわしい細指に一瞬見惚れかけた。

「ああ、俺もだよ。これからもよろしくな、J」

「それで、この後はどうするね」

「定番だとカラオケとボウリングとゲーセンを梯子して『うぇーい俺らパリピじゃーんwwwwwwwwwwwwwwwwww』『ハァーウェイ系の奴らこんなことしてんのかよwwwww』と草を生やして遊ぶ。そのあとどっかで飯を食って解散だな。ここでも『飲み会ウェイウェイwwwww』とかする」

「ふぇぇ……パリピに対する偏見とコンプレックスが酷いよツェーン……」

「カマトトぶってんじゃねえぞ、お前だって散々毒吐いてたじゃねえか」

「いやネットの顔と素顔は別のモノでしょ……」

 なんてくだらない会話をしているだけでも楽しいものだが、Jから話題が振られた。まるでこれこそが本命だったといわんばかりの話運びだ。

「実はね。君に先日告げたデジタル・モンスターの目撃談。それがこの街に集中しているんだよ」

 マジかよ。俺一回も聞いたことないけど。

「君は世情を意図的に絶っているところがあるから。ゲハブログの残した傷跡は深いよね……」

「いやお前アレだけはこの世に生かしておいちゃいかんだろ」

「生き物じゃないでしょおじいちゃん――あ、今のは君を老害と揶揄する目的もあってね」

「いちいちかけことばの説明しなくていいから。で、もしかして日本に来たって……住んでるのこの街なの」

「……」

「何か言えよ」

「……知ってる。知ってる。一切、ご承知ずくだ」

「いやJのキメ台詞はいいから」

「いいや知っているよ。一日ならいざ知らず、銀髪美少女といつも一緒に行動しているところを知り合いに見られたらどうしようとか君が考えていることは」

「   」

「いいじゃないか。見せつけてやりたまえよ。やっかみの視線を楽しめるようになれば一流さ。創作者として有名税の経験もいいんじゃないか?」

「いや違えよ。いや違わないけど、いま黙ったのは違う理由だよ。お前、なに、この街でずっと俺と一緒に行動するつもりなの」

「そうだが」

「ダミット!」

「ゴッドをつけない辺り実に好感が持てるね。それはそれとして、まさか、ダメなのかい……?」

 潤んだ切れ長の翠瞳、縋るような視線が銀の前髪の狭間から覗く。ブラックインバネスとの対比が怪しくも艶めかしい。

「ぐぬぬ」

「君は、はるばる自分を訪ねてきた外国人の女を一人で放置するような男だったのか……勝手に作り上げていた偶像だったとはいえ、その崩壊にはそれなりにショックを受k――」

 美醜に限定したピラミッドがあれば、並ぶ者すらなかろうその容姿。それが周囲の視線さえ武器にして迫ってくる。敵わない、降参だ。

「わかった、わかったよ、協力する。デジタルモンスター探しだな。役に立つかわからんが、存分にこき使ってくれ――ただし、学校がないときだけな。これでも清貧に過ごしてるんだ」

「!」

 この世界がカートゥーンなら、きっと背景に「パ ァ ア」と擬音が表示されていることだろう。まるで画面いっぱいに華が咲き誇っているかのように、Jは喜びを露わにした。

「そうそう、その件だが――」

「なんだよ」

「――いや、やめておこう。それよりも、とっととこの街を案内してくれたまえ」

「その黒幕がやるようなこの世界の真実は全て知っているが今は教えてやらん興が乗ったら話してやろうぺらぺらぺらぺらみたいなムーブやめてもらえませんかねえ」


 未だ信じがたいことではあるが。

 Jの正体は美少女だった。



●


 その後、この街――蛙噛[Akamu]市の各所を巡ってはみたし、繁華街の路地裏まで覗いてみたりしたもののデジタル・モンスターは一体も見当たらなかった。当然だ。どこから仕入れてきたかもよくわからない話だし――尤もJの話題が突拍子もないのは昔からだが――、そうそう不思議存在と邂逅してたまるものか。そんなのは、精々都市伝説ぐらいで十分だ。


 Jと別れ、帰路についた翌日のこと。

 朝のホームルームが始まる前、自分の席で夢に現を抜かす俺を覚醒させる手が肩に置かれた。

「有羽さんよお。昨日の女の子は一体何者?」

「るっせえな、女日照りのお前の乾いた脳みそが見せた幻覚じゃねえの」

 にやけ面を隠そうともしないロン毛の男の名は宮里 定光[Miyasato Sadamitsu]。数十代続く地本の名家・宮里家の息子で、端的に言って不良。昔はいろいろあったが今では十分に友人と言える間柄だ。

 そうとも、Jに「普段は学校がある」と告げたことからも分かる通り、俺は学生だ。特に有名校というわけでもなく、何かの部活の在籍しているわけでもない。平々凡々を地で行くような人物。少し前はバカみたいに喧嘩に明け暮れたりもしたが、今では専らサロン・ド・パラディで小説を書いている文系だ。

 過去の縁で親しくなった定光はうざったいロン毛をシャランラ振りながら続ける。

「いやいやいや、幻覚ってことはねえっしょ。だって俺ちゃん、ばっちり見ちゃったし。っていうか尾行してたし」

「暇人かよ」

「暇じゃなくてもお前の面白恋愛話なら後ぐらい尾けるっつーの」

「迷惑な話だ、ストーキングは犯罪行為だからな?」

「お前一軒家なんだから、女連れ込み放題だと思うんだけどな……って、時間か。あとでじっくり聞かせてもらうからな」

 チャイムの音と共に自分の席に戻っていく。同時に、担任教師が見知った顔を連れて教室に入ってきた。

「唐突だが、今日は転校生の紹介がある」

 セーラー服に包まれたその細い体躯は黒板の前で実に教室に映えていた。

 昨日は男装だったため気にも留めていなかったが、胸板があまりにも薄いというたったひとつの欠点を除き、彼女は誰もが想像する"外国人転校生"として申し分ない姿で、再び俺の目の前に現れた。

「レイラ・ロウです! 日本語は話せるから、みんなよろしくね!」

 なんて笑いながら言う旧来の友を見て、騒乱の予感が脳裏を過ぎるのは当然だった。


●


「レイラさん? ロウさん? どっちで呼べばいい?」「どちらでも、好きな方で構わないよ」「どこから来たの?」「ドイツから。今度ジャーマン料理のお店を教えてね」「銀髪きれー」「ありがとう。ホワイトブロンドって言うんだよ」「一人暮らしなの? それともホームステイとか?」「一人暮らしさ、これでも自活できるつもりでね」「ね、ね、じゃあこの街のどこに何があるかとかはもう知ってる?」「ううん、あんまり。教えてくれると嬉しいな」「勿論! じゃあ今日の放課後にでもみんなで案内するね!」

 Jの姿からは想像もつかないコミュ力で、レイラ・ロウは瞬く間にクラスにとけ込んで見せた。というか、まさか同い年だったとは思わなかった。

 驚愕と共に熱狂するJの席の方の人混みを眺めていると、チラチラと視線を送ってきているのが分かる。すると横から小突くようなモーションと共に定光がやってきた。

「まるで三文小説みたいな展開じゃないか、ええ? 話しかけにはいかないのかよ。つか、どんな関係な訳」

「別に。ネット上の付き合いが現実に雪崩れ込んできただけさ、この二日でな」

 すると合点がいったとでも言うように手をポンと叩く動作が帰ってきた。オーバーリアクション。

「ああ、お前が熱く語ってた『デジタル・モンスター』の作者?」

「うわっ詳しいなお前、俺のストーカー? まあその通りだよ、熱く語ってたとか本人の居る空間で言うのやめろよ」

「いいじゃねえか。で、話しかけはしねえのかよ」

「はああ? ないない。俺らみたいな冴えない男が話しかけていい相手じゃないっつの」

 謎の転校生が齎す狂乱の渦はじきに収まるもので、あれよという間に放課後になった。Jとそれをとりまく陽キャ共は随分と打ち解けたようで、これから遊びに行く算段を立てていた。ま、街の案内などまともには行われないだろう。

「彼らは来てくれないのかい?」

 直帰せず管を巻いていた俺たちの方を指してひそひそと内緒話が始まった。聞こえてるんだよ、外でやれ。

「あー、その、あの二人は……」

 表立っての排斥などはないが、腫れ物を触るかのような対応を受けるのは理解している。先も言ったように俺も定光も一時期は荒れていたし、噂も尾ひれがついているものだって珍しくない。「いいから行こうよ、触れないほうがいいよ」などという言葉を最後に、彼らは校舎から出て行った。

「はー、世知辛いねえ」

「誰のせいだと思ってんだ」

「十三クン」

「俺は宮里家の息子が悪いと思ってる」

「ケッ」

「やってらんないっすわ、カーッ! ペッ!」

 適当な罵り合いを続けながら、俺たちも帰路に就いた。


●

 

 その後数日が経ち、転校生レイラ・ロウの影響も落ち着いた頃のこと。事件は帰宅した俺の家の玄関で起きた。

「お帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」

 玄関先でエプロンを纏ったJが待ち構えていやがった。

「Jにするか」

 迷わず接近、独りで静かで豊かに食事を取るために腕をキメた。

「があああ! やめたまえか弱い女子にアームロックをかけるのは!」

「不法侵入者はか弱くない。ついでに俺は男女平等論者だ」

「平等を謳うならなおさら暴力をふるっていいのか!」

「俺は犯罪者に容赦はしない。ビハインドユー」

「本当に後ろに回るやつがあるか! 悪かった、悪かったから妥協しておくれ!」

 いい加減細腕が折れてしまいそうだったのでJを開放してやった。「ビハインドユー」に続けて「断る」とまでは言えなかったよ……。

「で、何しに来た」

「君に会いに来た」

「うんそれこの前も聞いたね?」

 俺が聞いてるのはなんで家を知ってるのかとかどうやって入ったかとかだよ。

「そんなもの、ナビゲートでストーキングして鍵開けで一発だったさ」

 私を誰だと思ってる――と無い胸を張るJだったが、現実で鍵開け技能なんぞ使われたらたまったものではない。

「まあまあ、折角作ったんだ。追い出す前にせめて一緒にごはんを食べておくれよ」

「鬼どころか家主のいぬ間に料理する奴は初めてみたよ……」

 あと別に追い出しはしねえから。

 観念して荷物を置き手を洗い食卓に座ると、既に食事の用意が為されていた。

 キャベツの千切りにオリーブオイル、揚げたての鶏肉は香ばしい匂いで食欲をそそる。ひじきと人参と大豆の煮物まで並んでおり――いやこれ俺が作ったやつだわ。当然と言わんばかりに味噌汁と白米まで並んでいる。お前ホントに外人か。

「冷蔵庫の中を見たが、随分手馴れているようだったね。だが作り置きの料理が多いようだったから、出来立てを用意してあげたよ」

「余計なお世話だバカヤロウ……で、俺の舌を満足させられるかな」

 自慢じゃないが、俺は料理には自信がある。実家の方針で一軒家など与えられ一人暮らしをしている手前、まあ自炊力も上がるというものだ。

 箸を伸ばして一口目を食す。非常に認めたくはないのだが、うまい。とてもうまい。

「即落ち二コマかな?」

「ふ、ふふふやるじゃねえか括弧震え声」

「ツェーンはあれかい、鶏肉が好きなのかい」

「他のもん食う気はないな」

「ふむ、こだわりが強いのかな。これは覚えておかなくてはね」

 なんでさ。

「まあ、好みに合ったようで何よりだ。そこで、本題なんだが――」

 真剣な表情に、思わず俺も顔を引き締めた。

「なんで学校で話しかけてくれないの???????????? あんなにアピールしてるのに」

 引き締めた瞬間にあきれ返った。

「いやだってお前ハードル高いって。俺みたいな人種が話しかける相手じゃないって。っつか、チャットでは毎晩顔を突き合わせてただろ」

「それじゃ足りない。期待に胸を膨らませて――ってちょっと待てなんでそこ見た。まあいい、君の性癖は既に把握してるし」

 やめろください。まさか異性だと思ってなかったからってすげえいろいろ話した過去の俺を撲殺してやりたい。

「とにかく、めくるめく学園生活を期待していたらひたすらスルーされ続けた私は、乙女力が暴走して今日のような暴挙に出たとしてもなにもおかしくはない」

「いやその理屈はおかしい」

「でもツェーン私に付き合ってくれるって言った」

 それはすまないと思うが、短期滞在だと思っていたからあんなことを言ったのだ。まさか同い年で、わざわざ俺の学校にまで潜入してくるとは思っていなかった。

「いやいいけどさ。いいけどさあ。お前話しかけるスキないじゃん、超人気者じゃん?」

「君が話しかけてくれたら全部かなぐり捨てるよ」

 重っ。

「重っ」

 いかん、思わず声に出してしまった。

「はうあっ!」

 胸を押さえて崩れ落ちた。

「いや、いやいやいやいや君。自分に会いにはるばる独国からやってきた私に対し、それはあまりにもご無体なのではー……」

 いや重いでしょ。紛れもなく重いぞ。

「え。ってか何、冗談だと思ってたけどお前本当に俺に会うために来たの」

「そうとも」

 速攻で復活した。感情の起伏の激しい奴だ。

「まあその理由はいろいろあるんだがね。今言えるのは、私が君をとても好きだということだね」

「えー……マジ?」

「大マジ」

「それはアレ? ラブ的な意味で? 俺も"J"のことはライク的な意味で好きだけど?」

「Ich liebe dich!」

「臆面なく言うねお前……」

 嬉しくないと言えばウソだが。いくらなんでも急すぎる。現実が幻想を凌駕するのはホントやめてもらっていいですか。対処できないから。

「返事をくれとは言わないよ。まだまだ時間はあるからね。必ず君を私のモノにしてみせるぞ」

 余りに男らしい宣言だ。

 うーん、ずるいなー……と思わずにはいられない。ちゃうねん、ちゃうねんて。"J"にいっつも話してたからだろうけど、レイラ・ロウ、俺の好みにぴったり合うんやて。あかんやろ。



3件のコメント
パラ峰
2019年10月27日  ·  編集済み:2019年11月03日





1-2 心臓の凍り付いた男



 


 美少女外国人転校生の来訪、というビッグイベントの導入っぽい現象の割に、特に何か起きるということもなく昨日のJは立ち去った。まあ普通に友達だしな。

 翌朝、教室で速攻で定光に昨日の話をした。まあ、自慢したい気持ちもないではない。

「――と、いうことがあってさ」

「もげろ」

 清々しいまでのファックユーが返ってきた。

「いやさ、好意は嬉しいし見た目も言動も好みだしそもそも全然知らない相手じゃないし、正直あの、その……怪 し す ぎ る」

「分からんでもない。俺も家の件でいろいろあったしな」

「正直満更じゃないのはあるんだけど、眼がさあ……」

「眼?」

「眼が怖い。一回受け入れたら絶対逃げられなさそう」

 俺も創作上で何度か形容したことがあるが、そんな感じの本気の眼だった。

「あー……そうか。頑張れ!」

 無駄なサムズアップしやがって。親指を逆さにしたハンドサインを返してやる。そうこうしていると件のJが教室に入ってきたため、話を切り上げる。定光は自分の席に帰り際「あ、そうそう」と思い出したかのように言ってきた。

「そう言えば、まあデジタル・モンスター探しに役立つか分からんけど、最近話題の噂なら知ってるぜ」


●


 ウェンディゴ症候群。

 北米でその実在をまことしやかにささやかれている冬の精霊ウェンディゴ。ウェンディゴは旅人の背後で気配を撒き散らし、その精神を発狂に至らしめるという。

 それだけならば、さほど害のある逸話ではない。

 げに恐ろしきは、ウェンディゴは夢の中で選ばれしものの魂に憑りついてしまうのだ。ウェンディゴに見初められたものの心臓は文字通り氷と化し、その容貌は悍ましき怪物じみたものへと変貌する。

 そして、人肉嗜好を発症する。ウェンディゴ症候群を発症したものは、最悪の場合部族から処刑されるか、完全にウェンディゴ化してしまう前に自死を選択する――。


 というものが、ウェンディゴにまつわる簡単な逸話だ。

 俺も創作者として、この程度のネタは諳んじることができるが――。


 定光が言うには、この蛙噛市においても、ウェンディゴに憑りつかれたという人物がいるのだという。

 そしてそれはこの学校の人物で、つい最近引きこもり始めたらしい。


●


「なるほど、なるほど」

 放課後、その話題をJに振ってみれば、奴は神妙な面持ちで頷いて見せた。

「ウェンディゴ症候群――南カナダより北アメリカでしか発症しないと言われていた風土病で、悪魔憑きの一種とも言われ、その実態は栄養失調による精神異常とも言われるそれか。デジタル・モンスターの情報とは一切関係ないが、ひょっとすればそれより面白いかもしれないね」

 放課後とはいえ、学校でJに話しかけた時点で周囲からの視線が凄いものになった。いや、まあ、特に気にならないが。ちょっと遠巻きに眺めて様相を見守っているのがまあ腹立たしい。見せ物じゃないぞ。

「ま、趣味に合ったようで何よりだ」

「ちょうど私の方でも、引きこもりになった少年の噂は聞いていてね。曰く深夜徘徊して土を食べたりしているらしい。実際に会ってみようじゃないか」

「マジかよ。しかしどうやって」

「せっかく君から持ってきてくれた最初の話題だ。私としてはこれは是が非でも長引かせたいんだよ」

 Jの中では既にその訪問は決定事項のようで、俺を先導して職員室の前まで行き「待っていたまえ」と告げ中に入ること五分。事もなげに引きこもり少年の住所の情報を得て戻ってきた。

「なに。この容貌とわずかな演技力があれば十分さ」

「なるほど、詐欺師に鞍替えしたほうがよいのでは? ツ訝」

 ツェーンは訝しんだ。

「うるさいぞ。ほらほら、エスコートしてくれたまえよ。制服デートだぞ」

「ウェンディゴ症候群疑いの引きこもり少年に会いに行くのは果たしてデートなのか」

「いいね、次のタイトルはそれでいこう。私は君の小説をいつだって楽しみにしているんだから」


●


 インターホンを鳴らす。

 返事はすぐには返ってこなかった。家の中で一悶着あったようで、近所迷惑と言って申し分なさそうな獣のような怒声が響いてから、母親と思しき女性が顔をのぞかせた。

「……和弘の学校の人かしら」

 息を切らせて問うてくる様子を見るに、随分と息子の扱いに難渋しているらしい。俺たちのことも、歓迎しているとは言えないようだ。

「はい。お初にお目にかかります。先日蛙噛市にやって参りました、レイラ・ロウと申します。こちらは同級生の有羽十三。和弘君の話を聞き、心配になってお訪ねしました。何も知らない転校生なので、何かお話を伺えるかもしれません。失礼ですが、部屋の前まで上がらせていただいても?」

「……どうぞ。まともに会話も成立しないけど、気を付けてね。深夜に出歩いてるみたいだし」

 些かの逡巡の後に扉が開かれる。夕刻ながら家の中は電気もついておらず、その奥はアバドンの胃袋のような深淵が広がっている。

「失礼します」

「……部屋は二階の一番奥よ」

「ありがとうございます。さあ行こう」

 とうの経った木造建築なのだろう、階段に足を乗せる度に不気味な軋みが上がる。十数段の階段を登ると、二階は採光部も新聞紙や何やらで塞がれており、なお一層の暗闇が広がっていた。

 最奥の扉を四度ノックする。返事はない。

「和弘君、いるんだろう、話が聞きたい」

 返事はない。ただ、ガタンと勢いよく立ち上がったような音が聞こえた。

「……。……」

 扉ににじり寄ってくる気配がある。荒い息遣いが聞こえる。歯と歯の隙間を気流が通り抜けるような高い音。気配の移動は扉の手前でとどまった。おそらくは扉か、その付近の壁を背にしている。

 Jを自分の後ろに下がらせる。

「話したくないのか、話せないのか。どちらでも構わない」

 穏やかなJの声音が、気味の悪い静寂をより映えさせる。

「イタカ、イタクァ、イトハカ、Ithaqua、ウェンディゴ、風に乗りて歩むもの、歩む死――あるいはハスター。ハストゥール、Hastur」

 扉の向こうで、気配が一際驚いたようだ。Jは何を言っている?

「どれでもいい。心当たりがあれば一度、なければ二度扉を叩きたまえ。二度叩かれれば私たちはすぐに帰ろう」

 今度は返事があった。ノックは一回だ。


●


「ふむ」

 部屋に入ると、全くの暗闇だった。すえた臭気も漂っており、吐物の残り香が充満している。余りの不快感に顔をしかめた。

 Jを部屋に入れるか逡巡していると、勝手に俺を押しのけて入ってきた。

「構わないよ、君の方こそ転ばないように注意したまえ」

 既に目が慣れているのか。暗闇にもかかわらず、Jは一切の淀みなく歩みを進める。

「電気は点けるなよ。食人嗜好を抑えられなくなる」

「なんだって?」

 これにもノックが一回。音の元を探ってみれば、蹲り頭を抱えて和弘少年と思しき物体がそこにいた。

「私たちの姿が、彼にはこの上ないご馳走にみえるってことさ」

「それは――」

 行き過ぎた異食症。鉄分・ビタミン不足が魅せる筈のウェンディゴ症候群の症状だ。だが、まさか本当に――?

「夜な夜な外に出て、何をしているのかと言えば――」

 足元の物体がビクンと震えた。罪を糾弾されるインディアンのウェンディゴ。

「墓暴きだろう。違うか」

 余りにも短く、そして当人には長すぎる時間の後に控えめに床が一回叩かれる。和弘少年にとって、それは自ら絞首台に登っているに等しい気分だろう。

 だが、Jの声色は対照的に余りにも優しい。

「安心したまえ、君を責めるつもりはない。真っ当な食事は喉を通らず、言葉が発せなくなり苦しみも伝えられず、人肉が食べたくて食べたくて仕方がない――そんな中、骨を食べるだけで我慢するなんて、到底できることじゃない」

 突如、氷の心臓の怪物が立ち上がった。ウェンディゴがJを押し倒す。

「いい」

 咄嗟のことに対応できず、しかしすぐさま和弘少年を引き離そうとする俺に、Jはそう言い放った。

「a――なニ、w、シ、ッて……ル――ッ」

「何も」

 そして俺と同じ疑問を放った縋るような声は、優しかったJその人により奈落の底へと突き放された。

「私はね、和弘少年。日本に発生したウェンディゴ症候群を一目見に来ただけなんだよ。彼に君の姿を見せるためにね。実はゴーストハンターなわけでも、正体がエクソシストだったりもしない。ただの野次馬。まあそもそも残念だが――」

 俺も闇に眼が慣れてきたから、二人がどんな表情をしているのかが分かる。和弘少年の嘗ての容貌など残っていないだろう鬼面は更にぐしゃぐしゃに歪められ、その下のJは凍り付くほどの能面だ。どちらが氷の心臓の持ち主なのか、錯覚してしまいそうな程。

 口上の途中で、Jの顔を透明な雫が濡らした。

「――ホンモノのウェンディゴ症候群は、アルコールでも熊の脂でも治らないよ」

 精霊と合一化しかけている男は崩れ落ちた。彼が泣き止むまでJがその頭を撫でている間、俺は手持無沙汰に立っているしかできなかった。

 時折こちらに向けられる和彦少年の落ち窪んだ眼窩が、どうにも印象に残った。


●


 その後、落ち着いた和彦少年は再び引き籠もり、俺たちは和彦少年の家を後にした。

「「で、だ」」

 会話の初動が被ってしまう。すかさず手の平を向け「どうぞ」とジェスチャーする。するとJは何やら興奮した様子で――いや、一切その表情から興奮は伝わってこないのだが――ウェンディゴについての感想を求めてきた。

「いい経験になっただろう? さすがに本物のウェンディゴ症候群はそうそう湧かないからね」

 君に見せてあげられてよかったよ――なんて、清々しく言いながら笑いかけてくるものだから、毒気を抜かれる。彼女の正常ではない部分に思いを馳せながらも、今回のことが全くの善意で為されているのだろうと伝わってしまう。

「まあ、うん……得難い経験だったよ」

「だろう! よかった。もういい時間だし、それじゃ帰ろうか」

「えっお前今日も来るつもりなの」

「ダメかい?」

「いやダメでしょ。連日男の家に入り浸るとかお前どうなの」

「むむむ」

 むむむじゃありません。

「分かったよ、今日は諦める。その代り、今度はツェーン家のセキュリティ強化のために良い鍵を見繕ってあげよう。防犯グッズ物色デートだ、いいね?」

「なんだその物騒なデートは」

 ビシイ! と俺に指を突きつけてJは立ち去った。

 一応、尾行されていないか警戒して帰宅したが、一切そんな気配はなく自宅に着けた。


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 その晩。

 ウェンディゴの姿がいやに目に焼き付いていて、どうしようもなく不安感があった。いい歳こいて怪談やホラー映画を見たところで眠れなくなったりはしない。しないが――昼間の体験は、どうにも衝撃的に過ぎた。

 だから、深夜にふと目が覚めるのもおかしくはない。乾燥した喉を癒すため、水分を求めるのもまったく妥当なはずだ。

「チッ、切らしてたか……」

 冷蔵庫の中を漁れば、常備している筈のミネラルウォーターがない。倉庫の中を覗いてみても一本も残っていない。普段ならばあり得ないことだが、J来訪からの一連の騒動で忘れていたのだろう。

「完全にフラグだよな。これで外に出たら俺もウェンディゴ症候群発症したりして」

 冗談めかした独り言を言いながら、水を購入しに靴紐を結び、外に出た。

 そして目にする。

 和弘少年の姿。

「な――」

 俺の家の前を四つん這いで歩行し、その足跡は血で描かれている。その体躯は最早人間のモノとは言えないほど肥大化し、細い腰と細い足首、細い肘部とは不釣り合いなほど流々とした分厚い筋肉。腫れぼったい唇からは唾液が血液と混じり合ってどろりと零れ出る。

 唾を吐くかのような気安さで、ぷっと間抜けな音と共に吐き出されたのは、人間の、腕――。

 血に餓えた獣[wendigo]。

 瞬時に気を取り直した時には、もう遅い。唖然としていた俺の身体は、その化け物にとって紙風船よりも軽かった。

「ゴ――が、ハぁ……!?」

 瞬く間に接近され、腕の一振りで路地に投げ出された。明滅する視界。異常をきたす平衡感覚。呼吸ひとつままならない。この状況で身体を動かそうだなんて、贅沢に過ぎる。

 しかし俺の意識は、その姿を捉えて離さない。生命が脅かされる脅威から目を逸らすまいという防衛反応だけではなく、その威容から目が離せない。

 そう、見たことがあるのだ。茶褐色の体毛を。赤々と輝くその目を。

「Gあ、aア、Aaaaaa!」

 両腕を棍棒のように振り回す『クラブアーム』。その第二撃が、地に伏せる俺目掛けて振り下ろされる。

 思い出した――。

 デジタル・モンスターが一体。獣人型。成熟期。ウィルス種――。

「――ウェンディモン!」

 頭蓋を破壊せんと迫る一撃に備え、俺は思わず目を強く瞑った。


●


「世界は表裏一体で、Realの裏側にDigitalがある」 

 死をもたらすと覚悟した衝撃は、いつまで経っても襲ってこなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、剛腕が金属にぶつかって響かせる鈍い衝撃音。

「Gu、ァ……?」

 俺とウェンディモンの間に立ちふさがる、黒衣の痩身。

 デジタルハザードの刻まれた白き聖盾を左手で構え、身体を半身に構えて、俺の方を見ていた。

「大丈夫かい、ツェーン」

「お、前……なにを」

 唇から漏れ出た言葉が震えていたのは、驚きからだけではないだろう。

 いくらイージスを構えているからと言って、Jの身体がデジタル・モンスター並みの強度を持っている訳ではないようだ。その証拠に、今もウェンディモンの怪力に押し負けてしまいそうで、その冷貌が苦悶に揺れている。

 それなのに、この人物は気丈にも告げるのだ。俺を見て微笑みさえ浮かべながら。

「君を――君を、護りに来た」


●


 宵闇の中、街灯の明かりだけが照らす中、Jは細身の体躯を躍らせた。

 真正面からでは埒が明かぬと感じたのか、ウェンディモンが横薙ぎに振り払ったもう一本の腕。それを飛び上がって回避する。上空で右腕に円錐形の聖槍を現出させ、落下の勢いを利用して非力を補い、ウェンディモンの片腕を貫いた。

「Gyaaaaaaaaaアァ――――!」

 耳を劈く悲鳴。そこに和弘少年の面影は最早ない。だがその咆哮は余りにも凶悪で、周囲の生き物一切の動きを強制的に静止させた。

 ひとしきり騒ぎ終わったウェンディモンが次に狙いを定めたのは、未だ動けないままの非力な獲物――つまり、俺だ。

「ちぃっ、厄介だな」

 その赤光の瞳がこちらを向いた途端、Jは再びイージスを構えウェンディモンの前に立ちはだかった。その動作を見て、醜悪な鬼面が口唇の亀裂を深くした。知っている。俺はこの後の行動を知っている。

「『デストロイドボイス』だ! 来るぞ――!」

「っ、まずい――ゴッド・ブレス!」

 即座に漆黒の盾を展開するJだが、何を思ったかそれを自分の後ろ――俺の目の前に配置、剣の意匠の魔楯は球形の防御シールドを展開した。効果範囲に彼女自身は、入っていない。

 おかげで俺には一切ダメージは入らなかったが、代わりに岩をも粉砕する衝撃波攻撃が、俺の前にいるJを襲った。

「Jッ!」

 衝撃波は周囲のコンクリートを引き剥がし、まるで煙幕を撒かれたかのように状況が見えない。

「――大丈夫だから。君はそこで休んでいて」

 そう告げる彼女の声に安堵するも、煙が引いてその姿を視認できるようになると、気を抜くことなどできる筈もなかった。

 一撃。たった一撃で、見るも痛ましいほどにボロボロだった。左腕を庇う様にかき抱き、"J"のトレードマークたるシルクハットは跡形もなく吹き飛ばされ、黒衣は所々が破れ白磁の肌が露出し――その全てから血がしたたり落ちている。

「そんな、こと――」

 あまりにも、無残。あまりにも、勝ち目がない。あまりにも、絶望的。

 所詮人間が獣に敵うはずがないのだ。

 だが、だが――この身体は。この俺は。

 デジタル・モンスターが本当にこの世界に出てきていることよりも、その最高位、ロイヤルナイツの武装をJが自在に扱っていることよりも。

「――できるわけないだろう!」

 Jが――レイラ・ロウが傷つけられていくのを、黙って見ていることなどできそうもなかった。

「俺も戦う」

 気付けば俺の手には、一振りの黄金の剣が握られていた。

 飾り気なく、鍔も握りも柄頭も全てが金色。まるで一塊の黄金を削り出して作ったかのような剣。

 身体の痛みは残っている。だが、不思議と戦えない程じゃないとも思う。

「Legend-Arms!? ツェーン、君は――」

 一歩踏み出し、Jの隣に並び立つ。ウェンディモンに対し感じるべき恐怖心、警戒心、そして脅威。それらはもう、一切感じられない。

「事情説明はしろよ。けど――今は」

 ウェンディモンを打倒しよう。共に。

「――うん、ありがとう」

 潤んだJの翠瞳を真横に見て、交わした視線に万感の思いが交叉する。

 その感情がなんなのか、俺にはまだわからないが。

「来いよウェンディモン。この世界から叩き返してやる」

「君と私なら、絶対に負けないよ。行こう」


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「Legend-Armsは、一種のデジタル・モンスターだ」

 竜の頭部を模した柄の剣――グレイソードを振るいながら、Jは講釈を開始した。

 片腕ながら、その切っ先はウェンディモンを翻弄し、猛攻を搔い潜って着実に傷を増やしていく。

「自らを武器の姿に変え、選び出した主に力を与える。天使が持てば世界を救い、悪魔が持てば世界を滅ぼす」

 黄金の剣を携え、俺も続く。

 剣の振り方など一切経験がないが、この剣が全て教えてくれる。デジタル・モンスターだというならば納得だ。

「君のそれは、きっと……ズバモンだろう」

 ズバモン。知らない名だが、どこか懐かしい郷愁のようなものを憶える。

 繰り出された丸太のような脚のキックをステップで回避、避けざまに下手から切り上げて一閃。力はそこまで籠めていない。この剣は「どんなものでも切れる」のだと、無意識の内に悟っていた。

「Aaa――GaaAaaaAA!」

 無限に増える切創に死を見出したか、ウェンディモンは咆哮をあげる。

「二度はさせない――テンセグレートシールド!」

 いつの間にかJの右手首に嵌められていたVブレスレットが、無限に再生する非実体シールドを展開する。しかし無効化すべき衝撃波は発生しなかった。

 異次元空間を創り出したか。

 時空の裂け目の向こうに、逃走するウェンディモンの背中が見える。

 確かに『デジタル・モンスター』の中でも、ウェンディモンは特殊な種族だった。成熟期――下から数えて四番目の成長段階ながら、時空を操る力を持つ。

 究極体――こちらは下から数えて七番目、進化の終着点に達した存在だが――の中でも、そんな力をもつものは数少ない。

 だが、最早手遅れだ。

「逃がすかよ! トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」

 どんなものでも切り裂くという謳い文句は、伊達ではない。閉じられた次元の狭間。それを空間を切り裂いて無理矢理に広げる。

「Jッ!」

「任せてくれ――ガルルキャノンッ!」

 次元の向こうにいるウェンディモンの無防備な背中に、冷気凝縮弾が激突した。


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 ウェンディモンが消滅し、世界は元の穏やかさを取り戻した。

 とは言え、和弘少年と彼に荒らされた墓、食われた人間は元に戻らないだろうけれど。