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4-1 手馴れた探索者たち
目の前を歩くJの銀髪が揺れている。今にもスキップしだしそうな足取りで、彼女は俺を先導していた。既に鍵屋、ホームセンター、個人経営の電気屋などを巡っており、俺の手にはJの購入した幾つかの品物が提げられている。
Jに何かしらの質問をぶつけるべきだろうかと思いつつ、しかしその楽し気な表情には毒気を抜かれてしまう。定光に曰く「心酔してる」――骨抜きにされていると言えなくもない、かもしれない。美人に踊らされるなら本望だ! とかアホなことを言うつもりはないが、実際問題Jに猜疑を抱けど、どうすればその霧のベールを剥げるのかは分からない。どうしても、当たり障りないいつもの会話に終始してしまう。
「あのさ、お前これこの後設置までするつもり?」
「無論だ。そもそも君ひとりで設置できるものではないだろう。私の、そう、この私のDEX(器用さ)が必要になるというものだ」
胸を反らすJ。背骨の動きに沿ってセーラー上衣の裾が上がる。みえ……みえ……。
太いなら丸まれ細いなら反れという言葉は至言である。しょうがねえ。俺はスレンダーが好きなんだ。
「しかし思うんだが、設置した当人なら余裕で解除できるんじゃね? そこんとこお前の侵入をむしろ助長するだけなのでは???」
「……」
無言で目を逸らすな。身体は反らしていいけど目は逸らすな。
「ま、いいけどよ。もう好きにしてくれ」
「そうだツェーン、帰る前にコンビニに寄って行こう。作業の前に甘いものが欲しい」
話題を強引に変えるためか、そう言ってJは足早に俺の自宅最寄りのコンビニに入っていく。少し遅れて入店すると、入店洗脳BGMと共にスイーツコーナーを大真面目に物色しているJの姿が俺の五感を刺激した。
「奢られてばかりってのも性に合わないしな、ここは俺が支払うよ」
「何を言う、私は尽くす女なんだ。家を護るものとして、その防犯設備を整えるのは義務だよ」
「なんかこいつ勝手に家内の枠に収まってる!?」
「まあそれはそれとして是非ツェーンにこれを買ってもらおう。亭主の財布で支払ってもらうのも醍醐味だからね」
「そして地味に厚かましい!! ナンダコノヤロ~!」
「ウ゛ォ゛レ゛~! キッキックシャー」
反射的にネタを返すJからスイーツを受け取りレジに向かう。プリンパフェだ。またぷりんか。ぷりぷり。
「おねがいしまーす」
トン、とレジにプリンを置く。
「――断る」
は?
「あ゛?」
思わずメンチ切った。
「これから日も暮れるってのに制服で女と買い物ォ~~~? おいおいおいなんだこのリア充頭スイーツ(笑)かよ神罰が下るぜ神が認めても俺は許さねえ」
なんだこいつ。
「コンドームをお買い忘れではなwwいwwでwwwwつwかwwwwww? あ? 要らない? ああそうですか、生ですかそうですかおいおいそれなんてDQN? アレだろ、子供手当目当てなんだな? カーッ、地球に優しくなくて日本の未来に優しいねえ、少子化対策バッチリでーすってか」
おい胸の名札に店長って書いてあるぞ。いいのかコレで。
「いいか、俺は独身貴族だ。日本にも地球にも優しくない無慈悲な独身貴族様だ。貴族に逆らうつもりか。お前ら平民は俺に従え。売らねえよ売ってやんねーよいいか、コンビニはな、接客業じゃあーない。小売販売業だ。お客様は神様じゃねえ。っつか日の出てる内に買い物する奴は客じゃねえ。俺の勤務時間内に来る奴は客じゃねえ」
どうしよコレ。
「俺のコンビニで買い物していいのは深夜にしか出歩けないエヌイーイーティーかくたびれた残業帰りのリーマンか夜勤中の警備員だけだ殺すぞ」
えぬいーいーてぃー……あ、ニートか。
と思っているとJが三歩程前に出てきた。大きく息を吸い込んだ。おいおい喧嘩はよしてくれよ。
「すいません別の店員さんいませんか――」
「――おいばかやめろ」
バカはお前だ。
「っつか何なんですかてんちょー、俺いまバイトじゃないんだし無茶ぶりやめてさっさと帰らせてくださいよ」
実を言うとこのコンビニ、俺の時々のバイト先である。小説の資料費とか取材旅行費とかが嵩む度、財布が潤うまで働かせてもらっている。あまりよろしくない勤務形態だが、店長もご覧の通り人間としてよろしくないので問題視されたことはない。
「あー? ったくしょうがねえな……悪かった悪かった。なんか最近キモい客増えてムカついてたからよ」
そして"キモい客"という言葉にティンと来た。最早周囲に起こる微かな変化にも過敏になっているだけかも知れないが、これもまたデジタル・モンスターあるいは"旧支配者"に繋がる一手に成りうるかもしれない。
現時点で俺が知っていることは多いようで多くない。小説『デジタル・モンスター』で語られた設定は知っているが、それ以外は先の邂逅で定光とアルゴモン・ヒュプノスから聞いた内容だけだ。手に馴染むズバイガーモンのことさえ、Legend-Armsという存在であることしか知らない。
「キモい客ぅ? それってレジの前に姿見置かれたとかじゃなくてっすか」
邪神の掌で踊っているのか、それとも邪神に立ち向かっているのか。
流れる銀髪に覆われた灰色の脳細胞に悟られぬよう、できるだけ軽いノリで話の続きを求めた。
「いまなんで俺ディスられたの?」
「いいから教えてくださいよ」
「いやなんつーかマジでキモいんだよ。信じらんねーぐらい。チョベリバな感じ」
何も伝わらねえ。思わず本心からの言葉が叫び出る。
「語彙力ぅ!」
「あ? うっせーな語彙力なんかなくたって生きてけるんだよこちとら40年これでやって来てんだ」
てんちょー(笑)とガンを飛ばし会っていると、横からJが口を挟んできた。
「……店長さんとは顔見知りなの?」
「知らない子ですね」と答えておいた。
「お初にお目にかかります、十三くんとお付き合いさせていただいているレイラ・ロウと申します」
きみ話聞いてた?
「おw付wきww合wいwwwお突き合いの間違いじゃねぇーのかよwwwwっつかレイラもロウもどっちが名字でどっちが名前だかわっかんねえよwwww日本に来たら日本語名で姓・名の順に話せよ毛唐どもwwwwwうぇっwwwうぇっwwww」
セクハラはやめろください。今にも腹を抱えて顔にウザいふぐりをつけてぷぎゃー! とでも言い出しかねない様子だ。あるいはキモい踊りで左右に反復移動しながらNDK(ねぇどんな気持ち)してくる直前。
「アンタ今日絶好調っすね」
「んー、なんかね。久々に口が回った。半分ぐらいは前もって考えてた台詞なんだけどね」
腕を組んで心底不思議そうな顔で首をかしげるな。とてもうざい。
「大まじめにこんなもん用意してるとかだったらアホの極みですよ」
横目でJを見やる。しかし平然としたままで、穏やかな微笑みが能面のように張り付いている。額に青筋が浮かんでいたりすると少しは親近感が湧いたりするのだが。
「あはは……そんなことより、さっきのお話、もっと詳しくお話お聞かせ願えません?」
セクハラ下ネタ人種差別、三拍子揃ったお下劣店長を僅かも意に介さずJは続きを促した。ここだけはナイス! を贈らせて貰いたい。
●
「あしゃしゃっしたー。お次はすっぱいアメでもいかがっすかー」
「ダメなコンビニだなあ……」
「ダメなコンビニだねえ……あ、でもリア充扱いしてくれたのは嬉しかったよ?」
「うっせ」
「ガードの堅い照れ屋さんめ」
「大真面目にそんな事言ってくるのがいけない」
あと店長が悪い。
あの後、レイラ・ロウの上目遣いかなんかに気をよくした悪ノリ店長は、わりあい真っ当に口を割った。
――『なんか、アレだよ。ギョロ目? あと指のあいだに膜? 的なのがあった。んでそいつらが来た後はさ、魚臭ぇの。もーマジで勘弁だぜ。ここは仙台のメロブか! ってかんじ』
「ところでツェーン、知っているかい? 仙台で魚臭かったのはメロブもメイト両方で――」
「――メロブが逃げてメイトだけが魚臭い時期があったけど、10年ぐらいしたらメイトが逃げてメロブが出戻って来たんだろ? 知ってる知ってる一切ご承知ずくだ」
「おいやめろ、キメゼリフを汚すな」
バカやりながらも、自宅まで僅か十分弱の道で思考を巡らせる。ギョロ目、水かき(推定)、魚臭い――ゲコモンか、ハンギョモンか。かろうじてシャウジンモンやサゴモンという説もある。ウェンディモンの時のように、人間から異形へと変貌する過程であるならば、街を出歩いても今のように嫌悪される程度で済む。あるいは水怪――海の化生。ダゴンが水の神性であるならば、ダゴン秘密教団は水なり海なりと縁がある。
少々出来過ぎだが、しかし事実は小説より奇なり――どころか事実は小説だったし何ならこの現状はその続編だ。イベントフックはわかりやすくなければなるまい。
「ふぃー、着いた着いた。店長に絡まれたせいで酷い目に――」
自宅の敷地を踏み越えた途端、鼻を突く異臭に顔をしかめざるを得なかった。
「ツェーン? 急に立ち止まって、どうした?」
まるで自分が黒々として底冷えする冬の海辺に立っているかのような錯覚。嗅覚を苛んでやまない磯と潮の香り。視界を遮る、粘性さえ感じさせる白濁した霧。急速に俺の五感を奪いつつある、自然現象とは程遠い事象――間違いなく、化外の仕業だ。
一歩、歩みを進めた。薄ぼんやりと見えていたJの姿が、視覚から完全に消失する。
警戒、構え。鞄を放り捨て、亜空間で唸りをあげるLegend-Armsを抜刀し正眼に構える。時を同じくして濃霧の中に無数の瞳が浮かび上がる。結膜が黒く、虹彩が赤い、赤黒に彩られた血濡れた瞳だ。
「J、こいつらはなんだ!?」
後方のJに問いを投げるも返事はない。絶え間なく突き出される銛をいなしながら後退、先程何らかの"境界"として成立したであろう自宅の敷地から踏み出す。
「ファック、ダメか。となれば転移系――天狗か妖精かなんかか?」
暗中模索という言葉が相応しい霧の中ゆえ断言はしかねるが、元々歩いていたはずの住宅街は影も形もない。眼前で繰り出される金属の衝突音、その合間に耳を澄ませる。底冷えするような湿度の冷気と共に、増減を繰り返す波の音が聞こえる。海だ。
やはり、だ。であれば水生系。銛。コイツらはハンギョモンか。
声には出さず確信する。俺からは認識できなくとも、Jからは俺の姿を捉えられるかもしれない。
「チイッ、数が多いな」
あまりにも"出来過ぎている"――。情報の入手から、襲撃までのタイムラグが短すぎる。
「視界を切り開く! トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」
J。定光。アルゴモン・ヒュプノス。店長――は、まあいいや。誰かが明らかに"邪神側"だ。
周囲一帯の霧を吹き晴らし、後方に敵がいないことを確認。即座に撤退を開始した。
●
一つ分かったこととして、ここは明らかに元居た蛙嚙市ではない。現在地はいずこかも分からぬ港町の外れ。町人の気配はなく、一区画分しか見ていないが恐らく街ごと滅びているかのような雰囲気だった。
群がるハンギョモン(お世辞にも正気には見えない)の群れはどうやら音か振動に反応して動いているようで、廃屋の一つに隠れて以降奴らは侵入してこなかった。これで漸く一息つける。
さ、て。Jがいない以上、自分で動くしかないが、これはまた好機ともいえる。どこで見ているか知らんが折角のソロ探索だ。久しぶりに楽しむとしよう。
先ほど斬り散らした霧は依然としてそのままで、再度この区画を包む気配は見えない。手始めに今潜んでいるこの廃屋を探索するが、廃屋というよりは倉庫――せいぜいが埃っぽい棚の上に、見るも無残に欠けた香辛料の壺が見つかるだけだった。中身は舐め取られたのか、一定の方向に残滓を残してなくなっていた。
倉庫を忍び歩きで出て辺りをよく見てみると、ここは倉庫街のようだった。所有者の名を示す看板が立ててあり、風化した中でも幾らか読み取れるものもあった。「Marsh」「Marsh」「Marsh」「Marsh」……マーシュばかりの中、時たま「Hodges」「Gilman」もある。
倉庫ばかりで代わり映えのしない区画を抜けると、この街に踏み入れて未だ慣れることのない魚臭さが、一層強まったことを感じた。左手には工場地帯、右手には腐った埠頭が広がっている。その狭間の微妙にぬめるコンクリートの道を直進しややあって流れていた河、そこに渡されていたこれまた腐った木製の橋を渡り少し進んだところで、右手に携えていたLegend-armsがけたたましく震える。
バカな、周囲警戒は怠っていない筈――振り向きざまにズバイガーモンで後方を切り裂いた。何もない。杞憂かと思った矢先、凄まじい怖気を"足首に"感じ、ズバイガーモンの切っ先を足元に突き立てた。
「うぉってめ、こら、ふざけんな……ガニモン!?」
緑色の泡を吹き、俺の脚を引き千切らんと左前肢を伸ばしていた甲殻類型デジモンがいた。諦めずハサミをガチンガチンと鳴らしながら、血走った赤黒の目でこちらを睨みつけていたソイツは程なく力無く項垂れ、瞳から光を消した。
ガニモンへの対処に音を立ててしまったからか、どこにそんなに潜んでいたのか疑問になるほどのハンギョモンがこちらを確認したのが分かる。濃霧の中でも分かったのだから、爛々と輝く赤い瞳はこの薄暗い曇天の中でも十分目立ち、奴らの存在を教えてくれた。埠頭側にある大きな一軒家。その汚く曇ったガラス窓から、一匹一匹と這い出してきた。
「参ったな……工場の方からも来るだろ、これ」
倉庫街の方で撒いた群れも、この分だといずれやってくるだろう。しかたない、Jに曰く変質……正気はもう喪っているようだし、全員殲滅するか――とLegend-Armsを構えた瞬間、ハンギョモン達の意識を全て釘付けにするような轟音が鳴り響いた。俺の後方、つまりもともと進んでいた方向にあった廃屋の一つが見るも無残、木っ端微塵に砕け散り、破壊を為した張本人が姿を顕した。
平べったく泥たまりのようだったその存在は、ゴポゴポと音を立てて隆起を始め、元になったデジタル・モンスターとは似ても似つかぬ玉虫色の体色をテカらせつつ、原形質の小泡が集簇した凡そ全長10メートルの肉塊を作り出す。こちらに向けている前面でチカチカと点滅する緑色の光は、無数の瞳が出現と正体を繰り返しており、その周囲がメタルプレートで覆われていた。
「レアモンか――いける、か?」
前門のハンギョモン、後門のレアモン。玉虫色のレアモンは鈍重な動きで俺たちに向けて偽足を伸ばし、その巨体を振り下ろす直前に『ヘドロ』を放った。
「おっと、読み通りだ」
横に飛び出してヘドロを回避、群れの中にも回避できたものはいるだろうが、粘着質のヘドロに捕らわれた個体は数知れず。哀れにも玉虫色のレアモンに押し潰された。
「テケリ・リ! テケリ・リ!」
「いや喋んのかよってウェンディモンも一応喋ってたな」
でもビックリだわ。いやレアモンの鳴き声なんて知らねーけど。
ともかく、玉虫色のレアモンの存在は僥倖だ。奴は俺よりも数が多い獲物を狙い、ハンギョモンは目に見えて危険度が高いレアモンにターゲットを絞ったようだから、トレインなすり付けてやろう。
レアモンの偽足が獲物の群れから抜け出した俺を追いかけるが、軟体如きが俺の行く先を阻めるもの――
「うわ待てすげえ拒否反応!? 汚物系は嫌か? 嫌なのか!?」
――阻めるものかと啖呵を切ろうとしたが全力でズバイガーモンが抵抗し、玉虫色スレスレで回避したのでやむなく跳躍で回避、そのまま逃走した。
玉虫レアモンとハンギョモンの戦闘音を背中にし、工場地帯を抜け初めに目についた廃屋に逃げ込んだ。
その廃屋は屋と呼ぶことすらおこがましいほど崩壊が進んでいた。屋根は半分以上が崩れ、壁には穴が多い。しかし霧の中に適応して視覚を退化させたのであろうハンギョモンから隠れ潜むには十分だ。背後の奴らから視覚になるような位置を探し、細く息を吐いて座り込む。5分ぐらい目を閉じて深呼吸しただろうか。ほとんど屋外と呼ぶべきこの廃墟を散策してみた。
発見したのは、瓦礫で埋もれかけているが明らかに「地下通路です!」と言わんばかりに床から見え隠れする深淵だった。
よっしゃ行ってみよう。トゥエニストよ斬り裂け(小声)。
●
いい感じに瓦礫を切断除去すること数度、このシチュエーションにお誂え向きなまでに窮屈な地下室が広がっていた。
「うーん、いいね。俺いまめちゃくちゃ探索者してるよ。こういうのでいいんだよ、こういうので」
なんでも知ってる先導者とか容姿が破壊力ばつ牛ンだから許せるけど、探索ってのはこういうもんだろう。劇場案件は急ぎだったようだからしゃーないけど。
薄幸の美少女とか鎖で繋がれて幽閉されてそうなロケーションだが、そんなことはなさそうだ。地上の喧騒はある程度大地が吸収してくれている筈だが、それ以外の音がこの空間に存在している。俺の耳は幽かに水音……いや、波音を捉えていた。音の出所を探るためにも光源が欲しい。
「テレレテッテレ~ 文~明~の~利~器~」
最近出番がご無沙汰だったが、ズボンに吊り下げ仕込んでいたファイヤスターターとかコンパクトソーとかセットになったやつからLEDライトを起動する。あとワイヤーとかナイフとかもあるしこれがなかなか便利である。
ライトで照らすと一目瞭然、歪み切って開きそうもない扉が姿を表した。通常の探索者ならばドアを開けるのにも苦労するのだろうが、あいにく俺にはチート装備がある。マンチどころの話ではない。トゥエニストよ斬り裂け(小声)(2回目)。
扉のあった場所を潜り抜けた俺を出迎えたのは人口の灯りを必要としないぐらいの薄暗さの洞窟だった。至る所に繁殖する藻が光を放っており、足元に朽ちた小型ボート。どうやら、過去この洞窟には水が張っていたのだろう。今足場にしている小高い隆起は船着き場と言ったところか。
「うーむ、流石にここは悩むなぁ……」
ハンギョモン辺りとの戦闘は全く問題ないが、もし万が一にも水攻めを受ければ一発でアウトだ。普段の探索なら撤退するところだ。どうしたものか……。
少々逡巡したところで「でも水斬ればなんとかなるわ」とアハ体験したので容赦なく洞窟探検と洒落こむことにした。
入り組んだ洞窟の端には無数の腐った木材や、由来も分からぬ謎の骨が無造作に転がっていた。もちろんそれらも苔むしており微妙に発光している。やや草。苔だけに。
「どっかに波音の元がある筈なんだがなぁ……あ、お前邪魔」
意思疎通もできない程に変質した元ハンギョモンにかける容赦はない。Jの正体が何であろうと、劇場のデビドラビヤーキーに類する存在が人類にとって害悪であることは正鵠を射ている。奴らと同じくちょっと切っただけじゃまだ動いてたので遊び心を加えて十七分割しておいた。
「アークドライブだ―――殺す」
なんつって。
代り映えしない光景に辟易しながら歩いていると、大きく反響する音が耳を貫いた。それが銃声であると気付くまでは然程かからなかった。銃を扱えるだけの何かが同じ洞窟にいる。
ズバイガーモンを抜刀したまま銃声の下に急行すると、そこではゴツいショットガンを構えた宮里定光が「うぇははーい」とか言いながら数体のハンギョモンに散弾をぶっ放していた。崩れ落ちるハンギョモン。その傍らではアルゴモン・ヒュプノスが頭を抱えていた……哀れな。
「うぇははーいそのⅡぃ!」
加勢がてら後ろから残るハンギョモンを四分割。定光も当然眷属化したデジタル・モンスターのタフさは理解しているようで散弾のお代わりを振舞っていた。
「おっ? 十三クンじゃん。カノジョは一緒じゃねぇの?」
「言いたいことと聞きたいことは沢山あるがなんでショットガンが撃てるんだお前」
「説明書を読んだのさ」
「オーケイバカ。だがアイツら音に反応してるっぽいんだが? なぁにでけー音立ててんの? バカなの死ぬの?」
「オーライバカ。バカって言ったほうがバカなんだ。それより情報交換と行こう。安全な場所を見つけてあるから着いて来い……それとも麗しのあの娘が心配か?」
「まさか。こいつら程度ならJが後れを取ることもないだろ。さっさと案内頼むわ」
「おうともさかりえ」
先導する定光に従い洞窟を進んでいると、アルゴモン・ヒュプノスが眉間の皺を揉み解すようなモーションをしながら耳打ちしてきた。
「なぁ、私の記憶が違っていたら、現代に対する認識を是正する必要があるのだが……ニンゲンはゲラゲラ笑いながら奉仕種族を叩きのめせる存在だったか?」
んなわけねーだろ特殊例だよ。
4-2 聖剣転生
定光に連れられて地上に上がる。一応、俺が先ほどいた地下室とY軸上の位置は同じだろうそこは、どうやら礼拝堂の様な場所だった。
「これは……?」
「偶像崇拝の対象さ。父なるダゴンと、母なるハイドラだ」
黒い筋の入った灰色の巨岩を削り出して作られたそれらは、まるで祈りをささげる信徒を見下すかのように鎮座していた。
「お前が無双ゲーしてる間、俺たちはシティアドしてたのよ。その結果分かったことだけど、ここはマサチューセッツ州マニューゼット川の河口、インスマスっつー立ち入り禁止のゴーストタウンだ」
「失礼な俺だってシティアドしてたわ。手記の一つもなかったけど」
「そりゃ残念。スタート地点が悪かったか? とにかく俺らは町長の家――マーシュ家に乗り込んだ。まあ完全にとち狂った深きものしかいなかったけどな……っと、そこの段差気を付けろよ」
「おっす、どーも。マーシュの名前なら見たわ。倉庫街に無数に倉庫持ってたな。富豪かと思ったら町長だったのか」
「あ、マジ、倉庫街行ってた? マジックアイテムとかあるらしいんだけど目録とか見てない?」
「この状況で正気で言ってんのか。でも俺そんじょそこらのアーティファクトよりやべー装備持ってるしな……」
「あーそれなー、いいよなぁー。なんでも斬れんだろ? 拘置所からパクってきた俺のショットガンと交換しない?」
「するわけねーだろ。ひったぱくぞコノヤロウ。いやお前らやっぱズルいわ。情報アドバンテージ半端ねーもん」
まだ眠ったわけではないし、流石に今日のことは知らないようだが。それにしたって話してもいないことを無条件に察せられるのは些か居心地が悪い。
「その件については誠に申し訳ないと思っている。誓って悪用はしていないし、我々も必要に迫られての行いであると理解して欲しい」
「分かってる分かってる」
アルゴモン・ヒュプノスの謝罪におざなりに返しつつ階段を登り、目的地に着いた。説教台の設えられた教会のホールだ。信徒が座るであろう木の椅子にどっかと腰かけた。
「ここは、ダゴン秘密教団本部。俺たちが探ってた奴らの本拠地さ」
「ここが安全な場所か? まあ音は外に漏れなさそうだな」
「うんにゃ、全然違う」
「訴訟も辞さない」
「……あまり漫才を続けないでくれ。自分の常識を疑いたくなる」
「眉間の皺だいじょうぶ? Jのおっぱい揉む?」
「いや」
「貧乳すぎて」
「「揉むとこねーだろ!」」
「ゲーハッハッハ!」だの「ダーハッハッハ!」だのを続けながら立ち上がり、ホールの隅の階段を登っていく。繋がっていたのは廊下などではなく、何やら金属製のロッカーが並んでいる部屋だった。天井はアーチ状で、珊瑚と岩からなる建造物で構成された想像上の都市が描かれており、その光景は天井を伝い隣の部屋まで続いていた。
隣の部屋とは扉がなく、緑色のカーテンが幽世のごとく揺らめいて遮っていた。定光は容赦なくカーテンを横切り、アルゴモン・ヒュプノスもそれに続く。
「この奥だぜ。ちょいとこいつは今までの俺らの経験とも格が違う」
ロッカールームとひと繋がりになっていたこの部屋は、天井のみならず床から壁まで全てに珊瑚の都市が描かれている。遠近方の妙技や、それをも解さぬ後方のダゴンの描写は、まるで自分がこの都市の中に居るのではないかと錯覚するほど見事な絵画だった。
だが、美術感の共有は定光の目的ではないだろう。その目は未だ、にやけ面と共に細められている。ウザロン毛野郎の手が自然に伸び、手前の建物に描かれた戸口のトリックアートを暴き出した。
「一名様、海底都市イハ=ンスレイにご案内~い」
軽薄な声が、未知なる海底都市へと誘った。
●
「さて、何から話したもんかね」
「言っとくが、俺には情報はないぞ。地下洞窟で遭遇した以上、お前ら以上のことは絶対に分からんと断言できる」
トリックアートの扉からは、珊瑚の建物のいずこかへ繋がっていたらしい。開かぬようになっている窓からは深海生物じみた奇形化を遂げているがシーラモンやゲソモン、シェルモンにティロモンなどが泳ぎ回っているのが見て取れる。部屋の隅には下りへの階段があり、ここが建物の最上階にあたることも分かる。
「まず、俺たちはお前たちの反応が蛙噛市から消滅したのを見て、こいつぁいかんと追ってきたのさ。まあこんなとこまで繋がってるとは思わなかったし、転移先が別々だったのは誤算だったけどな」
前髪をかき上げながらひひひと笑う。他人のプライバシー侵害に悪びれもしないが、今さら何を言っても無駄か。
「さて、ここイハ=ンスレイはインスマスの街より数百フィートの下にある――あぁ、俺メートル換算できないけど――海底都市だ。1830年、オーベッド・マーシュっていう男がこの街でダゴン秘密教団を創設した。らしい。」
未知なる海底都市ながら空気が満ちており、いかなる手段で密閉を保ち、いかなる目的でわざわざ深海に空気を用意しているのか疑問は尽きないが、定光が古びた手記を投げて寄越したので思考を中断した。
「それがオーベッド船長の手記だ。ざっと話すが、オーベッド船長はここイハ=ンスレイに繋がるチョーやべー海底洞窟"悪魔の暗礁"にて深きものと接触した。深きものについては、ここに生き証人がいるから後で聞いてくれ。まあ聞く相手は貧乳でもいいしな」
「貧乳は呼び方固定なのね。あ、うん、続けて」
「あ、深きものっつーのはハンギョモンな。アイツらはそもそもダゴンの仔だ。もともとインスマスに住んでた人間との間にガキつくって、瞬く間にインスマスを征服した。まあオーベッドが手引きしたんだろうな。最後のマーシュ一族ことバーナバスの手記によれば、町が滅んだ時にはどーやらアメリカ軍の襲撃があったらしいんだが詳しいことは残ってない」
「ま、仮にそうだったとしても筆まめさを発揮してる場合じゃないだろうしな」
「ああ。ともあれ色々言ってっけど、重要なのは深きものがデジタル・モンスターと融合しているってことだ」
「君と二代目Jの認識に則れば、デジタル・モンスターが変質したというべきなのだろうがね。ヒュプノス側にとってはそういう認識なのさ。知らずデジタル・モンスターという型の中に捕らわれている。恐らくはそれが意思の疎通すらできなくなっている理由だろうが……」
……ん? 待て待て待て。今なにか、重要なことをサラッと言われたような……。
アルゴモン・ヒュプノスは意思の疎通と言ったな。今。
確かに、現にアルゴモンと化したヒュプノスは会話をできている……ああいや、しかし彼は地球由来の神格だ。風の神性ハスターですら意思の疎通をできなかったところを考えると、奉仕種族の仔などには猶更不可能――いや、ハスターは"そもそも意思の疎通を試みなかった"のか。激昂した神性が下等な虫けらに会話は試みるまい。
「仔らすらデジタル・モンスター化しているのだ。少なくとも直接の縁のある父なるダゴンか母なるハイドラはデジタル・モンスター化していると考えていい」
思考に埋没する暇もなく、アルゴモン・ヒュプノスのその言葉で小説『デジタル・モンスター』の一説が思い出される。世界観を広げるためのギミックかと思う程扱いは小さかったが、ディープセイバーズのエリアにあったという石碑。そこに記されていたダゴモンなる太古の完全体の情報が。
「特にルルイエに封印されているクルウルウと違い、彼らは海原のいずくかでクルウルウを讃えている筈だからな。恐らく彼らのどちらかがデジタル・モンスターとなり、深きものどもとのリンクを密接にした結果、ハスター降臨に合わせ蛙噛市に《門》を繋げたのだと推察するが」
「それなんだが、ヒュプノス。ダゴンについては心当たりがある。ダゴモンという邪神型の完全体がいた筈だ。作中で出番があったわけじゃないから、印象に残っていないかもしれないが――」
「いやいい、有羽十三」
ダゴモンに関する僅かな知識を絞り出そうとすると、アルゴモン・ヒュプノスは穏やかに俺の顔の前に手を広げて静止を要請した。視線を向ければ、定光の顔も引き攣っている。
無理もない。
「デジタル・ワールドの管理者のお出ましだ。本人から聞こう」
俺たちが摩訶不思議なゲートをくぐりやってきたこの最上階に、Jは階段を登って現れたのだから。
●
「宮里君? 私の――私の! ツェーンにいかがわしいことはしていないだろうね!?」
「開口一番にそれかお前」
いつの間にかいつもの黒衣に着替え、やけに俺の身柄の所有権を主張しつつアルゴモン・ヒュプノスにアルフォースセイバーを向けるJに、この場の誰もが動けずにいた……思わず突っ込んだけど。
自分がこの場の誰からも猜疑されていることを知ってか知らずか、Jは薄い胸を張りながら言った。
「ツェーンと途中で遭遇することを期待して悪魔の暗礁を突っ切ってきたのに、終ぞ出会えない上に来てみれば何やらアルゴモンなんて怪しいデジタル・モンスターと同級生男子と密会中。これを疑わずにどうしろと言うんだ」
「うーん一切の否定要素がない」
Jが本人の言う通りの存在――イグドラシルの代役で、旧支配者と戦うだけが目的だとしたら、J視点で確かに怪しいことこの上ない。そのムーヴに思わず毒気を抜かれかけるが、教室にて夢世界での定光たちとの作戦会議を意図的に邪魔されたというのは確信が持てている。気を引き締めなおしたところで、定光が口を開いた。
「俺らも協力させてほしいね、ダゴン討伐とやらに」
「……なんだって?」
俺に腕組みしつつ定光らから距離を取っていたJが、思いも寄らなかっただろう提案に眉を挙げた。
そもそもこの状況、まだJは水の神性クルウルウとその眷属共について俺に語っていない。だがインスマスで単独行動した以上、表立ってそれを指摘することもできるまい。ヒットだ。えらいぞ定光100万年無税。内心でほくそ笑む。
「見ての通り。俺にもパートナーデジモンがいたんでね。大親友とそのカノジョさんの身を案じて着いて来たワ・ケ。事情も大体聞いたしね」
「悪いなJ。いつもお前から聞いてばかりじゃ、男の沽券に拘るんでな。自分でも調べさせてもらったぞ」
調べたけど俺じゃなんも分からなかったけどな! 悟られないように即興連携をしつつ虚勢を張るも、続くアルゴモン・ヒュプノスは思いもよらぬ演技を為した。
「……そういうことです。聞けば、世界樹イグドラシルの端末であらせられるとのこと。御身に助力を為せる光栄、感激の至りです」
「「!?」」
あっぶね。思わず動揺を表に出すところだった。あくまでも"アルゴモン"として接するということか。彼の正体が"ヒュプノス"であり、裏世界にあるイグドラシルよりも旧支配者に関する情報アドバンテージがあるのは、確かに伏せ札として十分だ。
「……それなら否はないよ。頼りにさせてもらおうか、アルゴモン」
「微力を尽くしましょう」
「さて、実はダゴモン――ダゴン招来の術は地上で仕入れてあるんだが……ここでは如何にも分が悪い。彼らについての講義及び情報交換がてら、陸に上がろうじゃないか」
その後、階段を下りて悪魔の暗礁を突っ切ろうとしたJがダゴン秘密教団直通のゲートをくぐった後「馬鹿な、こんな裏ルートが……」とうなだれてorzしていたなどはあったが、ともあれ無事地上に出ることはできた。
●
さて、マニューゼット川の河口、大西洋沿岸部において。
「イア! ダゴン! わたくしJは、決して深きものの活動を妨害せず、また他言しないことを厳かに誓います。 イア! ダゴン!」
Jが朗々とダゴン秘密教団の第一の誓いを宣言する。カンペ見ながら。
――『ダゴンと戦うことになるとは思っていたが、こんなに早く、しかも本拠地でとはね。どう接触したものかと考えていたが、逆に僥倖だ』。
「なんと強引な手段だ……」
アルゴモン・ヒュプノスが頭を抱えている。なんかごめん、変な人間ばっかで。だが憐憫の意図とは別口で、俺もまた彼に同意する。
「イア! ダゴン! わたくしJは、求めに従い深きもののために全力を尽くし、わたくしに求められたどんなことでも行うことを厳かに誓います! イア! ダゴン!」
――『教団のイニシエーションでもある三つのダゴンの誓いを宣誓した上でそれを反故にすれば、激おこしたダゴンがやってくるだろう』。
「滅 茶 苦 茶 に も 程 が あ る」
「うーす、ハンギョモン一匹お待ちー」
定光がいい感じに気絶させた深きハンギョものを連れて来た。
「あ、宮里君それこっちに貰えるかな?」
「あいよ」
ぽいっと放り投げられて、Jの足元にべちゃりと落下。俺も細切れにしたりはしたが、些か哀れではなかろうか。
「……Warte einen Moment」
薄い唇からいきなり御国言葉が出てきた。多分ちょっと待ってね的な意味だと思う。
「はい?」
「……乙女的に三つ目の誓句は言いたくないんだよね。深きものと結婚するとか書いてあるし」
まぁいっか、と呟き、Jはアルフォースセイバーを現出させる。哀れ深きハンギョものは哀れな犠牲となった。
「話には伺っておりましたが、見事なものですな」
「手慰みだよ。ツェーンのLegend-Armsの方が余程頼りになる」
「ちょっとマジで俺のショットガン誰か交換してくんね?」
「お前は何故そんなに好戦的なんだ定光……」
軽口を交わし合いながら、視線は油断なく水平線を見張っている。誰一人として、Jの告げた通り、ダゴンが招かれ来ることを疑ってはいない。
以前切り払ったはずの霧が深まり、否応なく"何か"の出現を予感させた時、不吉なごぼごぼ言う音と共にタコに似た頭部が現れる。津波もかくやと言う程の衝撃を沖合に起こしながら、そこから生える無数の触手を四肢の様に強引に束ねあげた青色の巨体が姿を見せた。遠海に居ながら誇らしげなまでのサイズの威容で、細長い背中の翼を赤黒く輝かせながら、ひと声大きく吠える。それだけで、精神の奥底を揺さぶられそうになる。
「馬鹿な……」
傍らでアルゴモン・ヒュプノスが呟く。その言葉は、ダゴモンの姿を見て、思わず、と言った様子だ。
「これでは、まるで、夢見るクルウルウではないか――!」
「何? ――っ、来るぞ、構えたまえ!」
アルゴモン・ヒュプノスの発言に訝しんだJ。だが敵は味方同士の誰何を赦してくれそうにはない。水平線の彼方より超速で飛来する投槍が見る間に長大になり、その全貌を至近距離にして顕わにする。
三つ叉、言うなればトライデント――それも特大の。打ち払うにも、回避するにも難儀する。だが斬り散らすならば俺には可能だ。
「定光!」「悪ぃ、頼む!」
「――カレドヴールフ! ツェーン!」「な、ちょ、待て、J――!?」
アルゴモン・ヒュプノスが定光を抱え跳躍し、エグザモンのクロンデジゾイドの翼を背中に現出させたJは俺を抱える。居合の要領で振り抜いた黄金の剣は空を切った。思わず抗議。
「俺を抱えていたら戦えないだろう! 飛べるなら攻撃に専念しろ、俺は何とでもなる!」
「っ、いや、しかし君には回避手段がないし――!」
「喧嘩してんじゃねぇ、もう一発来るぞ!」
特大のトライデントが巻き上げた砂塵で姿は見えないが、その怒声で我に返る。
「幾らLegend-Armsでもこの体勢じゃ無理だ、頼むから降ろしてくれ!」
「~~~っ。分か、った……どうか、無事で」
二撃目を回避して俺を地上へ降ろし、Jは空へと舞い上がる。
互いに疑っている場合じゃない。真面目に連携しないと全滅が見える相手だ。あくまでダゴンである以上ハスターよりも格落ちするはずだが、物理的に攻撃が届かないのが痛い。
俺一人なら集中力の続く限り大丈夫、定光もヒュプノスが守っているんだから大丈夫だろう。だが有効な攻撃が出来そうなのがJ一人しかいない。ナイツの武装が使えるのだから完全体には十分という見方もあるが、歴史の生き証人が驚愕して"外宇宙ゆかりの神性"と瓜二つだと告げた以上、尋常な相手と考えるべきでもあるまい。
「――ガルルキャノン!」
こちらが三手に分かれた以上、投槍が牙を剥く頻度は三分の一になった。生み出された間隙を縫って永久凍土の砲撃が命中する。アクティブに動く山のような巨体が弾着地点から凍り付かせるも、ダゴモンは自らの触手で壊死部分を粉砕、そのまま寸刻の間に再生してしまう。
「っ、火力が足りないか」
「アンブロジウスは!? カレドヴールフがあるなら使えるだろう!」
「私が振るえるサイズにするとアヴァロンズゲートの威力が足りない!」
竜帝エグザモンの槍では、サイズが下がれば特殊弾頭の火薬が不足するか。かと言って近接は余りにも不利だ。8本どころじゃない無数の触手を前に、Jの矮躯が幾らも耐えられようもない。元よりJ本人の膂力は人間の範疇を出ないのだ。
「定光、少々本気を出す。振り落とされるなよ……!」
「よっしゃやったれ!」
今の光景を受けてか、砂煙の向こうで大地が震撼する。砂塵に影を落とす、全長50メートルにも及ぶだろう巨体。
「通過した場所を領域化して固定する、足場にしろ」
顕れたその巨体はざんぶと波をかき分け海へ踏み込み、大地と海洋を踏み荒らす傍から茨の蔦が伸びてきてフィールドを形成する。その距離おおよそ幅10メートル。ダゴモンの攻撃回避には心もとないが、攻撃を無効化するだけなら俺は可能だ。実質、俺専用の足場と言っていい。
「デジタル・モンスター、アルゴモンのワームフェイズか。恩に着るぜ」
究極体アルゴモン・ヒュプノスが引き起こす海原の大波にもびくともせぬ、頑健な足場を駆けて追従する。接近の合間にもトライデントが飛んでくるが、叩き落し、斬り払い駆け続ける。目指すは水の魔性、この海原を支配する首魁だ。
2体の大怪獣が近接圏内に入ったところで、ダゴモンはトライデントを振るう方向にシフトした。まずは巨体の旧神をターゲットに捉えたらしい。蔦で編まれ、鎧装で覆われた脚が歩みを止める。
「ぬぅん……ッ。力比べといこうか……!」
「氷結がダメならこれでどうだ、ビフロスト……ッ!」
重苦しい声色と共にトライデントが掴み取られる。得物を奪い合い、大怪獣共が物理戦闘を繰り広げるさ中、ダゴモンの背後から虹の架け橋を伴って光矢が襲い掛かった。矢傷を中心に、瞬く間に粘液質なタコ型の頭部の一角が蒸発する。総体より見れば僅かもいいところだが、再生も遅れているようだ。効果あり――熱は有効打の一つだろう。
《Cluuuuuuuuuuuuuuuuuuhuuuuuuuuuuuuuuuuuu!!!!》
「「「ッ――!」」」
ダゴモンが悲鳴を挙げる。
それはただの悲鳴と言うには余りに悍ましく、鼓膜を通り越し脳どころか精神を直接揺さぶるかのようなその"叫び"に思わず硬直した。旧神は健在のようだが、彼らに比して余りに脆弱な人間は致命的な隙を晒す羽目になった。
幾星霜ぶりに感じただろう痛苦により狂乱したダゴモンは千本にも至るだろう触手を矢鱈滅多に振り回す――否、違う。奴の顔面、そこに浮かぶ醜猥な口腔が嘲笑を露わにした。
奴の視線の先は、意識を失いカレドヴールフの自律制御だけでダゴモンと一定距離を保ち旋回するJ。間違いない、奴は狂乱のフリをしてまず一匹の羽虫を仕留めようとしている。
だがダゴモンは冷静で、俺たちにもリソースは割かれている。襲い来る触手は数本なれど対処しなければ致命傷を負う。
「クソ、間に合わない……!」
「アルゴモン、頼む!」
「承知した」
アルゴモンの片手で庇われている定光の指示で、彼は念を込め領域を意識的に拡大する。いくらカレドヴールフが竜帝の具足であると言えど、千の鞭は回避しきれない――ほどなく一本の触腕が黒衣の痩身をしたたかに打ち据え、竜帝の具足も術者の不在にその具現化を維持できず霧散する。
アルゴモンの領域化により、冬の海面に叩き落されることはないが、さて落下の衝撃とは尋常ではない。受け身も五体投地法もできぬとあれば、それは一体どれほどのダメージだろうか。
翼を喪ったJが茨の絨毯に激突し、鮮血を撒き散らしながらバウンドする。
細い体躯をしならせて転がったJを見て、俺の意識は激昂した。
「貴ッ……様ァァアアアーーーーーー!」
まだダゴモンは俺の間合いにいない。仮に届いてもガルルキャノン、ムスペルヘイムの二の舞だ。
だがそれがどうした。両手に握るLegend-Armsが震える。俺の嚇怒に呼応する。大上段に、勇ましき黄金を握る。
寄らば斬る。有形無形を問わず――否、寄らずとも斬る。
「トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」
ダゴモンをも上回るサイズに延展した刀身[Duramon]が、一刀のもとに水の神性を斬り伏せた。
「Jッ、Jッ――!」
残心の必要すらない。倒れ伏したJに駆け寄る。彼女の纏う漆黒を更に染め上げる血の香が、磯の匂いに慣れ切った鼻腔に新しい。
「――いや、まだだ。まだ終わっていない……!」
だから、旧神ヒュプノスが告げる警句への反応が遅れた。
膨れあがる邪気。ワームフェイズの足場を飲み込んで余りある大波。慌てたように俺とJを拾い上げる究極体アルゴモンの掌の中で、俺はその脅威と目を合わせてしまった。
「あ――――――――。」
一瞥の後に邪悪と解せる肉塊。百メートルにも及ぶ体躯。体表のぬらぬらとした瘤と鱗。肥満気味に膨れ上がったゼラチン質の緑色……!
デジコアごと両断した筈のダゴモンの肉を奪い降臨した旧支配者――!
《繝励Μ繝ウ縺九o縺?>繝斐ャ繝斐?貊?⊂縺?》
テレパスで強引に伝えられる、意味の分からない言葉。オーボエの如きその音色に神経を逆撫でされる。動けない。その卑俗な構造から目が離せない。恐怖への対処で、至極真っ当な生体の反応で、意識が、遠、のく――。
(邪魔だ、どけ。お前が僕を握るならば、それでもよかったが)
俄かに薄れゆく意識の水底で、俺は俺の声で話す何者かを認識した。
(お前が役に立たんとあれば、僕がJを護る」
身体が作り替わる。
――我が両腕も、我が爪牙も、我が全ては剣なり。
どこか他人事の様に感じる世界の中、俺の肉体が奪い取られる。、
完全体デジタル・モンスター、デュラモンが空を駆けた。
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