斯くて因果は巡り、少年たちは運命と対峙する。
だが巡る因果の外側で、真実を求める者も在る。
彼らが関わろうと関わるまいと、因果は巡る。
だがそれでも……だからこそ。彼らは巡る因果へ踏み込み抗うのだろう。
真実を知るために、大切な者を取り戻すために。
だからこれは――。
○
中学生及び高校生の男女三名が、マンションの一室で昏睡状態となっているのを、高校生男子の家族が帰宅時に発見。発見者の情報から、高校生男子(17)及び高校生女子(18)は親戚、中学生女子(14)は共に友人関係とのこと。男女三名は病院に搬送したが現在も昏睡状態が続いている。
――そんな情報が、消防から署内の刑事課へともたらされたのは、ある日の朝のことだった。
始業前の――刑事に始業時間などほぼ無意味ではあるのだが――景気付けにとまさにコーヒーを飲もうとした鮫島は、その情報に思わず眉を顰めて愛用のカップを置く。
「……中高生男女が昏睡? それも一度に3人たぁ……」
所轄での刑事生活も20年以上を数える鮫島だったが、少年絡みの事故や少年犯罪は数あれど、中高生の男女が3人、それも一度に昏睡に陥っているところを発見、などという通報は初めて聞いた。それどころか、全国でもそうあるかどうかというところだと、直感的に思う。
それは報告を受けた係長も同様だったようで、ああ、と深刻そうな顔で頷いていた。
「ウチに……強行班係に話が回ってくるってことは強盗すか、係長」
「いや、あくまで消防署からの情報に過ぎないが、目立った外傷はないらしい」
「じゃ、詳細不明、と」
「ああ。事件か事故かも、現時点では不明だ」
それ自体に不審な点とはいえない。たとえ病気であっても、自宅での急死などであれば、消防からの情報提供の下に警察が入ることはままあることだ。そういった場合に、強行犯係が立ち会うことも珍しくはない。
だがそれは多くの場合、大人が圧倒的に多い。子供、それも3人一度になど――。
「……なんか、匂いますね」
「おっ、早速ホシ喰いザメが食いついたか。だが……」
ホシに喰らいついて放さず逮捕に持ち込む――苗字に掛けた署内では有名な揶揄いに面倒くさそうに手を振って、鮫島は素早く立ち上がる。
「わかってますよ。現時点で予断は禁物、でしょ。んで、俺はどうすりゃいいですか」
「ん。発見者ってのが市立病院に行ってるから、そっちに向かってとりあえず話を聞いてくれ。現場の方には鑑識と一緒に、外回り中だった野田とナベさんが向かってる」
「了解、じゃあ氷室を連れていきます」
「うむ、頼んだよ」
○
「倒れていたのは陰山奏14歳、高品紗綾18歳、それに海山、海山……なんて読むんだコレ」
「煌めく麒麟でコウキ、らしいですよ。その子が17歳ですね」
市立病院へと向かう車内。係長から渡された簡単な資料に目を通していた彼のぼやきに、ハンドルを握るショートボブの女刑事――相棒の氷室が苦笑混じりに応じた。
改めて資料にルビを振り、思わずため息が出てしまう。
「……訳のわからん名前だ。最近、こういうの何つうんだったか」
「DQNネーム、ですか?」
「それだそれ。名前はすぐに読めるようにつけてやれってんだ」
無論、それなりの由来や意味があるのだろうが、常日頃からオールドタイプな感性を自認する鮫島には、昨今のこうした名前は受け入れ難いものがあった。氷室もそんな彼のことは良くわかっているので、反論するようなことはせず、いなすように話題を変える。
「それにしても今回の事件、いえ、事件かもわかりませんけれど……なんか奇妙じゃありませんか?」
「……まぁ、な」
「ガス事故っていうなら、まぁありそうな話ですけど、違うみたいですし」
それは先ほど、先んじて現場検証に入った刑事から共有されてきた情報だった。未だ現場検証は続いているが、とりあえずの所はガス漏れなどの事故、そして強盗と思われる痕跡はないとのことらしい。
「うーん、でも、他に何があるんですかね? 3人いっぺんに昏倒、なんて」
「ないわけじゃないがな、可能性も」
「例えば何です?」
「クスリ、とかな」
鮫島は、それを冗談で口にしたわけではなかった。薬物対策班係の同僚から、踏み込んだ先でオーバードーズで容疑者が昏倒していた話を聞いたことがあったゆえに。
だがそんな彼の懸念を、氷室はまさか、と笑い飛ばす。
「だって高校生に中学生ですよ? さすがにそれはないんじゃないですか」
「わからんぞ。今時パソコンなり携帯なりがありゃなんでも買える。実際、そんなサイトが摘発されたなんてのは聞く話だろ」
「それはまぁ、そうですけど……」
氷室はいかにも納得行かなそうにしながらうーん、と唸る。鮫島はそんな彼女を横目に畳み掛ける。
「それにあの噂があるだろう」
「噂?」
「出所不明、成分も不詳の新薬が若い層に出回ってる、ってヤツだよ」
「あぁ、あの噂……半年かそこら前から、急に出始めましたよね」
それは少し前から警察内でまことしやかに囁かれている噂だった。
曰く、近頃謎の新薬が若者中心に出回っており、それは科捜研のみならず科警研でも分析できなかった――と。
「でも、あれってただの噂じゃ」
「まあそうかもしれんが。いずれにせよ、俺が若い頃とは時代が違う。年齢だけじゃ強ち否定できないと、俺ぁ、思うがな」
「……」
窓の外を見ながらなんてことはなさそうに言った鮫島に、氷室はうすら寒そうな表情でごくり、と喉を鳴らす。まるで鮫島の言うことが事実かもしれないと、そう思っているかのように。
そんな彼女の様子に、思わず鮫島は苦笑を漏らす。
「若いな」
「はい?」
「いずれにせよ、だ。どんな可能性もあるんだってことは忘れるな。その上で予断は禁物。とりあえず発見者の話を聞いてから――っておいそこ右だろ何してんだ!」
「え? あ、ハイ!」
「お前ウィンカー! 俺らが交通違反してどうするアホか!!」
「すっ、すいませんー!」
ガタゴトと冗談のように揺れる車内でため息をついて、窓の外を眺める。
そう、刑事に予断は禁物だ。そう言っておきながらも、どこか感じる胸騒ぎを止めずにはいられなかった。
○
それからしばらくして、鮫島達は市立病院の中にいた。予め警察から連絡を回してもらっていたお陰で、受付で警察手帳を見せるとすんなりと病室の方へと案内された。
だがその先は、ICU。病室の前まではいくことができたが、おいそれと被害者に会うことはできなかった。
だが、ガラス越しに見える三人の被害者――暫定的には、だが――に会うことが彼らの目的では無い。意識不明であることはすでに聞いていた。
ならば、目的は。
「すいません、こういうものですが」
ICUの前、目を赤く泣き腫らし立ち尽くす黒髪の女性に、氷室共々警察手帳を見せる。ゆらりとこちらをに視線を向けた女性は、悄然としていて、幽鬼のようにすら見えた。
常時であれば、整った顔立ちにいかにもキャリアウーマン然とした立ち姿と、人目を惹く人物であろうことが見て取れる。それだけに今の状況にどれだけショックを受けているのか……それが、一目でよくわかった。
「警察の方、ですか」
発されたのは、恐らく泣くだけ泣いて痛めたのだろう、掠れた声。そんな彼女の言葉に頷いて、鮫島は言葉を続ける。できる限り丁寧に続ける。
「ええ。巡査部長の鮫島と言います。こちらは氷室巡査。あちらの三人の第一発見者である、海山吹雪さんで間違いないでしょうか」
「……はい」
海山吹雪、27歳。名前と年齢の情報だけは、既に得ていた。だが他に、情報は何もない。
さぁ、ここからが仕事だ。
そんな思いを胸に……だが表情はできるだけ柔らかに。再度、鮫島は軽く頭を下げる。
「突然のことに心中お察し致しますが、少しあちらの待合室でお話を伺えないでしょうか」
「……わかりました」
○
「まずは、3人との関係をお聞かせ願えますか」
「……そんなこと、知っているんじゃないですか」
「申し訳ありません。私達の知っていることに間違いがないか、確認する必要があるので」
なんでそんなことを聞くのかと、僅かな敵意のようなものを込めて聞いてきた海山吹雪に対し、氷室が柔和な笑顔で応じる。こうした柔らかな対応や、人を安心させる笑顔は、後天的にはなかなか身につかない。これは刑事としてなかなかに得難い才能だと思っていた。氷室には、決して言わないが。
そんな氷室の笑顔のおかげか、少しの沈黙の後に海山吹雪は話し始める。
「コウ……海山煌麒は、私の弟です。高品紗綾ちゃんは従妹で、陰山奏ちゃんはコウや紗綾ちゃんと幼馴染になります。私も、子供の頃からよく知ってます」
彼女が語った情報は、事前に得ていた情報と合致する。だが友人とは聞いていたが、幼馴染というのは聞いていなかった。細かい情報だが聞き逃しがないよう、それもメモした。
「3人は幼馴染ということですが、今でも関係は続いている?」
「はい。奏ちゃんのお兄さん……龍介くんも含めて。とても、仲が良くて……」
陰山家、兄リュウスケ。メモをしながら、少しずつ今回の人々の交友関係の図を頭の中で描いていく。
「では3人がその日お宅にいらっしゃったのも、友人関係ゆえということですかね」
「多分……いつも、家を行ったり来たりしてましたから。あ、でも……」
「でも?」
「一泊二日でしたけれど……私、今朝まで海外出張だったんです。海外出張は初めてで……」
「ほう。出張はどちらへ?」
「韓国です」
海外出張というのは、重要な情報だった。氷室に軽く目配せすると、小さく頷く。あとで入国管理局を通して確認をとってくれることだろう。
「……とにかく、それでコウのことが心配だったから、世話をよろしくって、紗綾ちゃんに鍵を渡してあったんです。だから、それもあると思います」
「なるほど。そうして出張から帰宅なされたところで彼らを見つけた、と」
「……はい。鍵を開けて入ったら、靴が3つあって、学校の時間なのにおかしいと思って、それで……!」
その時のことを思い出し、感情が高ぶったのだろう。俯き、再び泣き崩れる海山吹雪。その姿に心が痛まないでもないが、これも仕事だと、心の中で彼女に頭を下げる。それにこういう状況下でのケアは、氷室の役割だ。実際氷室は彼女に寄り添い、ハンカチを渡しながらその背をさすっていた。
そんな様子を傍目に、彼女の話の様子を思い返す。今回の件に絡むのかはわからないが、気になったのは2つだ。1つは彼女の言い回し。出張で家を空ける以上、家族が心配なのはわかる。自身も、帳場が立って泊まり込む時などは似た思いをしているが故に。
だが彼女は、あくまで海山煌麒の姉のはずだ。それなのに、まるで親のような言い回しなのが気になった。その上、未だに両親が現れないのも気になる。
加えて従妹とはいえ、軽々に家の鍵を預けるだろうか。ましてや親族とはいえ、弟と歳の近い女性に。
そんな考えを巡らせ、彼女が再び落ち着いた頃合いを見計らって、失礼、と声を上げた。
「少々お伺いしたいのですが、ご両親はこちらには?」
「……両親は、既に亡くなっています。10年前の、あの飛行機事故で」
「これは、とんだ失礼を」
「いえ……もう、昔のことですから」
10年前の飛行機事故。それは未だに詳細な原因は不明とされている、太平洋上でのジャンボ機墜落事件のことだろう。それで両親を失ったのであれば、彼女の言い回しもある程度理解できるというものだった。かなり歳の離れた姉弟だ。親代わり、ということだろう。
少しまずいことを聞いてしまったか、と思いながらも質問を続ける。
「申し訳ないのですが、もう一点。高品紗綾さんに鍵を預けていた、ということですが。そうしたことはよくあったのですか?」
「……偶に、ですけれど。それが、何か」
泣きはらした目に浮かぶのは、何でそんなことを聞くのかという疑念と不信。
「失礼ですが、従妹さん、それも弟さんと同年代の方に鍵を預けるというのは、あまり一般的ではないかと思うのですが……」
「それは――」
彼女が声を上げかけた、その時。
彼らの背後。休憩室の入り口の方から、凛とした声が響いてきた。
「それは紗綾と吹雪ちゃん達が、昔は同じ家で育ったからです」
「紅葉さん……!」
決して大きくはないけれどよく通る、そんな不思議な声。そんな声にハッとなって鮫島達が振り向いたと同時、海山吹雪が立ち上がり、声の元へと駆け寄っていく。
海山吹雪の手を握り、静かに頷いたのは、落ち着いた柄の訪問着を違和感なく着こなす女性だった。見たところ40代半ば頃か。スラリとした長身にセミロングの黒髪が印象的な涼やかな美貌。その姿はどこか海山吹雪に――そして何より、硝子の向こうの、高品紗綾と似ている。
「吹雪ちゃん達は両親を亡くして以降、数年の間は我が家で紗綾と共に育ちました。それゆえ、他の親戚と比べると距離感が近いのだと思います」
「……失礼ですが、そちらは?」
その風貌、そして言葉。それらから半ば予想はついていたものの、敢えて問いかける。すると丁寧な一礼と共に返ってきたのは、やはり予想通りの言葉。
「高品紗綾の母、高品紅葉です」
「これはご丁寧に。我々は――」
「警察の方、ですね? 現場検証に立ち会った折、同僚の方から、病院の方にも警察が向かっている、と聞きましたから」
「なるほど、現場検証には貴女が」
「ええ。コウくんも息子同然ですもの。奏ちゃんだってよく知っていますから」
その落ち着き払った様子に、奇妙だ、という思いまず頭をよぎる。
海山吹雪の泣き崩れる様子はわかる。両親を亡くし家族を大切にしているのなら、取り乱すのも無理はない。
だが彼女はどうか。娘が突如昏睡状態になったというにも拘らず落ち着いている。ただ気丈だというだけではない。その眼に全く、動揺が見られない。
「刑事さん、これはあくまで吹雪ちゃんから話を聞いているだけ、そうですね?」
「……ええ」
「では、話はここまでに。吹雪ちゃんは出張帰りな上、家族や親戚、妹のように可愛がってる子が倒れてるのを目にしたんです。話があるならば後日改めて、任意の事情聴取を」
海山吹雪もこちらから視線を逸らし、高品紅葉の手を握っている。今日はこのあたりが潮時か。
氷室に目で合図をしてメモ帳を仕舞うと、目の前の2人へと頭を下げる。
「大変な時に失礼致しました。では必要な場合は、後日改めて」
そうして去ろうと踵を返した時。廊下の向こうから、こちらに目もくれずに駆けてくる影があった。
「吹雪さん! 紅葉小母さん!」
「あ、龍介君……!」
何かのスポーツで鍛えてることがうかがえる体躯に、短髪の少年。着ている制服はこの辺の高校――海山煌麒と同じ高校のもの。そして、呼ばれた名前からして。
「失礼。君、陰山龍介君かな?」
「……誰すか。アンタ」
振り向いてこちらを睨む、鋭い視線。その目には、ありありと不審が滲む。それを解くのと、次以降の繋ぎをかねて、警察手帳を見せた。
「警察だよ。妹さんやお友達のことで少々ね」
「警察? ……アンタか、吹雪さん泣かせたの」
だが彼が小声で発したのは、妹や友人のことではなく、そんな言葉。
それに少々面食らったものの、不審や怒りの奥に滲むまっすぐな光を見て、思わず口の端に笑みが上る。実に真っ直ぐなその様子が、少し微笑ましくて。
「……何だよ」
「いや。海山吹雪さんにはまた改めて謝罪を。ああそう、君にも話を聞くことになると思うから、よろしく」
そう言って、鮫島は再び踵を返す。背中に感じていた視線はわずかな間で途切れ、足音が遠ざかっていくのがわかった。
きっと彼は、今はいち早く彼女のところに駆け寄ってやりたいのだろう。
「行かせちゃってよかったんですか?」
「今はな。彼にとっても家族の大事だ。それに、まぁ……馬に蹴られたかぁないからな」
「え?」
「何でもねぇよ。さ、次は医者のとこだ。行くぞ」
「あ、はい!」
海山吹雪、高品紅葉、そして陰山龍介。期せずして、捜査対象の家族には誰かしら接触できたことになる。
今の所の感触は、高品紅葉への微かな違和感のみ。だがこの違和感こそ、ただの事故や事件ではないという胸騒ぎに直結している。鮫島にはそんな気がしてならなかった。
◯
「とりあえず事故のセンは無し、でいいんだな」
夕方。一通りの関係者への聞き込みなどを終えて署内へと戻った鮫島と氷室は、係長を交えて情報整理を兼ねた捜査会議を行なっていた。
ホワイトボードに少年ら3人の写真を貼り、氏名と年齢を書き込みながらそう言う係長。海山煌麒だけ名前がカタカナで書かれていたのに少し笑いそうになるが、それを堪えて係長に続く。
「鑑識から上がってきた情報では、ガスなど事故、それに強盗などが入った形跡もないとのことっすね」
「救急の当直医にも聞きましたが、倒れた時に打った痕跡以外は目立った外傷もないそうです」
鮫島と氷室の報告に、ふむ、と一つ頷いて、係長は腕を組む。その表情は、仏と綽名されるだけあって穏やかではあるが、ありありと疑問符が浮かんでいた。
「どうにもわからんな……他にはどうだ?」
「こちらも医者に確認しましたが、病気の兆候もないそうです。そもそも3人揃って、なんていうのは考えづらいですけれど」
氷室が言う通りだった。既往歴などはプライバシーを盾に確認が取れなかったが、少なくとも現状で問題ないのは間違いないらしい。そうすると、病気の点は考慮から外してまず間違いないだろう。
首を捻る係長を見つつ、それと、と鮫島は切り出す。
「念のために血液や毛髪を、薬物検査に回してもらいました」
「ほう?」
「『噂』のこともあるし念には念を、ってとこですね。まぁ医者の見立てじゃそういう兆候は見らないらしいので」
「あぁ、あの噂か。そういうのに手を出しそうな連中なのか、3人は。学校の方、聞き込み行って来たんだろう?」
係長の言う通り、病院へ向かった後に3人の学校へと聞き込みに向かったのだ。海山煌麒は地元の公立高校、そして高品紗綾と陰山奏は、同じ名門の中高一貫の女子校へと通っているということは、早々に確認が取れていた。
「いやこれが。皆絵に描いたような優等生、ってヤツでしてね」
顎で促すと、氷室が手帳をめくりながら続ける。
「えぇと……海山煌麒は剣道部のエース候補で成績優秀、品行方正。友人が少ないこと以外は何もなし。陰山奏は部活等に参加はしてないですが成績は優秀、少々内気なことを除けば優しい良い子だって評判です」
「ほぉ、剣道部で成績優秀、品行方正……警察に欲しいな」
「はは、確かに。でも凄いのが高品紗綾でしてね。全国模試じゃ一桁クラス、引退はしたけど元陸上部で活躍。明るくさばけた性格で友人も多く、おまけに美人。学校じゃ憧れの『お姉様』なんだとか。それに先生たちの評価も抜群と、と」
非公式のファンクラブも校内にはあるとか、ないとか。実際モデルの勧誘もあったと聞いた。ともかく、ちょっと信じられないレベルの『優等生』なことは間違いがない。
「何ともまぁ……まぁ兎に角、クスリなんかに手を出すタイプじゃない、ってことか」
「ですね。そんなタイプとは真逆って感じです」
事故や事件でもなく、病気でも薬物でもない。ならば一体、何だと言うのか。感じた違和感はある。だがそれこそ何も確証も手がかりもない。事件性も認められない以上、大規模な捜査も望めない。
沈黙の中、鮫島は天井を仰いで零すように呟く。
「……こりゃどうも手詰まり、か?」
「それが、そうでもないかもしれませんよ鮫島さん!」
だがその時、そんな言葉と共に勢いよく扉を開けて強行犯係の部屋へと入って来た人物がいた。
「野田?」
興奮冷めやらぬ様子の彼は、ベテラン刑事の渡邊と組んでいる野田。現場検証の後、現場近くの聞き込みを行なっていたはずだったが、その様子からして、何か掴んだらしい。
「何か出たのか、証言」
「いやそれがもう、意外な事実っていうかですね……!」
「少し落ち着けって言ってんだろう、阿呆」
少し遅れて部屋へと入ってきた白髪頭の刑事――渡邊は、そんな彼の頭を引っ叩くと一つため息をつく。そんな彼らのいつものやり取りに、部屋が軽い笑いに包まれる。
「まぁまぁナベさん。野田の取り柄はこの生きのいいトコなんだから。で、だ。何が出た?」
「あ、はい! 海山吹雪と煌麒。年の離れた姉弟ですが、2人じゃありません。3人です。しかもそのもう1人、現在意識不明で入院中です」
「……何だと?」
野田の言葉に、弛緩しかけた空気が一気に引き締まる。その空気に当てられたように、野田も表情を引き締めて続ける。
「もう1人弟がいることは聞き込みですぐ判明しました。名前は海山潤一、25歳。新田製薬に勤めているそうです」
「それで?」
「近所の人たちが口を揃えて言うんです、潤一君を最近見ない、と。それで不審に思って新田製薬に問い合わせたところ、半年前に会社で倒れ意識不明で入院中、と」
「理由は」
「不明です。会社じゃ今でも労災認定するかどうかで揉めてるとか……電話口の人がお喋りで助かりました」
会社ということは、衆人環視の状況で倒れたのだろう。それゆえに不審な面はないとして警察に連絡はこなかったというところか。社内で労災の疑いをかけられたとなればなおのことだ。
「ウラは?」
「それはさっき俺が確認した。なんと入院先、弟たちと同じ市立病院だよ」
渡辺の言葉に、顔を見合わせる一同。同じ場所にいたというのに、なぜそんな重要な情報が彼らの耳に入ってこなかったのか。
「ナベさん。その海山潤一が入院してるのは通常病棟か?」
「ん? ああ、そうみたいだな」
その言葉に、なるほど、と独り言ち考え込む鮫島。彼らが聞き取りを行ったのは、救急で対応を行った医師、そしてICUの看護師のみだ。それゆえ通常病棟にいる海山潤一との繋がりが浮かんでこなかったのは、まだ理解できるのだが。
「……海山吹雪は何故、何も言わなかった?」
弟が半年前に意識不明になり、そしてまた、もう1人の弟と友人が意識不明になってしまった。そのいずれもが原因不明。
これは、誰がどう考えても異常な確率だ。家族が倒れた直後で混乱しているとはいえ……いや、だからこそ、海山潤一のことが彼女の口から洩れてもおかしくないだろう。そのほうが、普通のような気すらする。
いや、あるいは。
「高品紅葉が切上げさせた、か?」
あの時、高品紅葉が来たことで話は中途半端に終わってしまった。単にタイミングの問題ともとれるが、かなり強気な態度でこちらとの会話を切上げさせたのが意図的なものだったとしたのなら。
「おお、来た来た。ホシ喰いザメの目が爛々と輝いてるねぇ」
「……っと。すんません、考え込んでました」
揶揄い半分の係長の声に頭を振ってから、膝を打って立ち上がる。
未だ事件か事故かはわからない。だが微かな違和感は、既に違和感を超えて疑念になった。ならば、やることは一つだけ。
「海山吹雪の周囲を、高品紅葉も含めて徹底的に洗う。係長、いいですね?」
「ああ、思う存分やってくれ。状況は明らかに不審だ。必要なら捜査関係事項照会書もなんとかする」
「感謝します」
そう言って強行犯係の面々と顔を見合わせ、全員で頷く。
さあ、仕事の始まりだ。
○
それから数日。強行犯係の面々は、海山吹雪とその周辺の捜査を徹底的に行った。
関係者への再度の聴取とアリバイの確認、そして周囲の聞き込みは勿論のこと、必要な情報を得るために公的機関などに対し捜査関係事項照会書を送付し、必要な情報を得ることもした――尤も、昨今の個人情報を巡る状況から、企業からは最低限の情報しか得られなかったのだが。
だがそれでも、大きく捜査が進展したことは間違いがなかった。
「よし、それじゃあ始めようか」
係長の号令に、全員が頷く。ここ数日、捜査に出ていてあまり顔を合わせることがなかった強行犯係の面々だが、この日は全員がホワイトボードの前に集っていた。適宜情報共有は行っていたが、一度今回に関する情報を整理するために。
まず、手帳を持った氷室が立ち上がる。
「とりあえず、彼らが倒れたと思われる時刻の海山吹雪のアリバイは完璧ですね。入管にも記録があるし、駅の監視カメラからもまず間違いはないです……ないんですけど、これ」
「ああ。結論から言えば海山吹雪の周辺は……こりゃ異様としか言いようがねぇな」
氷室の後を引継ぎ、苦々しい調子で言った鮫島の言葉に、誰からも返事はない。
この場にいる誰しも、鮫島と同じことを考えているがゆえに。
「まず、弟の海山潤一が半年前に意識不明。そしてその後、弟の海山煌麒、従妹の高品紗綾、友人の陰山奏が意識不明になる、と」
時系列を整理するために、彼がホワイトボードにタイムラインを描きながらそう言うと、氷室が頷きつつも暗い調子で続ける。
「この時点で十分異様ですけど……十年前、飛行機事故で亡くなったという両親、海山羅雪と華麟。この両親も、今から約30年前に同時期に意識不明に陥っている、なんて……どう考えてもおかしいですよ」
それが、今回の調査によって明らかになった事実の1つだった。
四半世紀以上前であることと、異国で起きたということ。そのため詳細な事実はわからなかった。だが彼らの高品紅葉の古くからの友人という人物が覚えていたのだ。親の仕事の都合でアメリカに居た頃、同時期に意識不明に陥っていた、と。
「その時の入院がきっかけで、ってことらしいですけど……それからして、なんか匂いますよね」
その友人が見せてくれた、2人の結婚式の記録フィルム。それに、意識不明となったこと、それがきっかけで回復後に付き合うようになったこと、そんなスピーチを行っている部分が確かに記録されていたのだった。
鮫島は野田の言葉に軽く頷きながら、ボード上のタイムラインに両親の件を書き加える。意識不明となったこと、そして10年前に死亡していること、それぞれを。
「それに加えて、海山吹雪の叔母の件、か」
渡辺が白髪頭を摩りながら、そう言って首を捻るのに、全員が頷く。それが捜査の過程で判明した、もう1つの新たな事実だった。
「海山華麟と高品紅葉の末の妹……美咲神無。19歳の時に海外での療養中に病院で死亡、ね」
詳しいことは海外でのこと故わからないが、少なくとも病院で死亡、ということ自体に不審な点はない。聞いた限り、日本では対処の難しい病気だったらしいのだから、なおのこと。
だか、不審なのは。
「亡くなる半年以上前から『意識不明』の状態が続いていた……か」
鮫島はあえて口に出しながら、タイムラインにそう書き加える。これが、高品紅葉の昔からの友人から聞くことができた情報だった。
集まった情報をホワイトボードに書き終わり、ペンを置くと、部屋はしんと静まり返る。海山吹雪の周囲に渦巻く『意識不明』の数。何か薄寒いものを感じているのは、きっと鮫島だけではないのだろう。沈黙こそが、その証拠だった。
そんな沈黙を破ったのは。
「あのー。いいですか」
「なんだ、野田」
まるで学校のように手を挙げて言ったのは、野田だった。鮫島は、どこか悩むような表情の彼を見て、顎で先を促す。
「これもう、重要参考人で海山吹雪を引っ張るしかないんじゃないですか? そりゃ何も証拠はないし、逮捕状なんか無理ですけど、どう考えても無関係じゃないでしょ」
「……重要参考人かぁ」
野田の言葉に、うぅん、と唸る係長。氷室は頷いているが、渋面の渡辺と、そして鮫島は、係長と同じ考えのようだった。
「え、ダメですかね……?」
「私も、もうそれしかないと思うんですけど……」
部屋の空気を察して僅かに狼狽える若い2人に、鮫島は向き直る。
「言いたいことはわかるけどな。でもよく考えてみろ、両親の件、彼女が生まれる前だろ」
「あっ」
タイムラインと彼女の年齢を指さしながら、鮫島は続ける。
「それに美咲神無の件も、彼女は相当幼い。叔母の死を認識してたかも怪しいと考えた方がいいんじゃねぇか」
「そっか……そうですよね」
はぁ、とため息をついて項垂れる野田。その様子に、思わず口の端に薄い笑みが上る。はやとちりで道がひらけたと思い、落ち込んで。先日の氷室といい、まるで自分の若い頃を見ているような気がしてしまう。
だが、何も野田の意見は全てが無駄というわけでもない。落ち込む野田の肩を軽く叩き、鮫島は続ける。
「だが、関係者を参考人で引っ張るのは悪くない……ただし呼ぶのは海山吹雪じゃないけどな」
その言葉に、え、と野田が顔を上げた。氷室も疑問顔だが、やはり年の功か、渡辺はすぐに得心がいったようだった。
「さすがホシ喰いザメ。確かに何か関係あるとしたら『そこ』かもしれないな」
「それはやめろって。だが渡辺もそう思うか」
「ああ」
「え、どういうことすか」
鮫島と渡辺の会話についていけず、野田は顔に疑問符を浮かべている。そんな様子を傍目に、鮫島はホワイトボードへと向かった。
「海山吹雪の周りに数多くいる意識不明者……2人を除いて、共通点がある」
「共通点……あっ、そっか!」
どうやら、氷室は気づいたらしい。目で先を促すと、彼女は頷いて立ち上がる。
「今回の陰山奏、それと海山羅雪を除いてみんな血縁……ってことですよね」
「その通り」
改めて言葉にしてみればなんてことはないことだ。だがこうして整理してみると、明らかにそのほとんどが血縁なのだ。
「海山華麟、海山潤一、海山煌麒、高品紗綾……そして、美咲神無。今回判明した7人中5人は親戚だ。海山姓が多いからややこしいが、何か関係があるとしたら」
鮫島は再び前に出て、ホワイトボード前に立つと、今あげた5人にマルをつけ、字を書き加える。
『美咲家』と。
「この5人は、全員美咲家の血縁だ。なら聞く相手は1人――」
もう、鮫島が言わずとも、皆が誰のことかわかっているようだった。それでも彼は、あえてホワイトボードに貼られた顔写真を指し示す。
涼やかな美貌をたたえる、和服姿の女性。
「高品紅葉――いや。旧姓、美咲紅葉。何か知ってるとしたら、彼女だけだ」
○
翌日。鮫島と氷室の姿は所内の取調室にあった。
他に比べ、少しだけ薄暗い部屋の中。中央に一つだけおかれた机の向こうには、名前の通り紅葉のあしらわれた着物を纏う、高品紅葉が座っていた。
鮫島は彼女の前へと座ると、軽く頭を下げて、出来る限り軽い調子で言う。
「いやはや。急なお呼び立てにも拘わらずお越しいただき、誠にありがとうございます」
「いえ。こういうこともあるかもとは、思っておりましたから」
「そうでしたか」
冷静に受け答えする彼女の表情は、こちらを真っすぐ見つめたまま露ほども変わらない。家族が意識不明のままだなど、まるで感じさせないほど冷静な表情のままだ。
これは予想以上に難敵かもしれない。そう感じながら、鮫島は切り出す。
「高品紗綾さんたちのご様子はいかがですか?」
「今は小康状態です。ICUから離れ、今は3人で同じ部屋に移りました」
「ほう、3人ですか……4人ではなく?」
鮫島の言葉に、ぴくりと、高品紅葉の眉が動く。今まで幾度か話を聞いた際にすらほとんど見えなかった感情の揺れ。
すかさず、鮫島は切り込む。
「海山潤一さん……もう1人の甥御さんも、入院されてますよね」
「……それが何か」
「失礼ですが調べさせてもらいました。潤一さん、半年前から意識不明で入院されているそうですね。それも、紗綾さんたちと同じく原因不明で」
そう言うと、僅かな沈黙の後、高品紅葉は小さく首肯した。先ほど浮かんだ僅かな揺らぎを、綺麗なまでに消し去って。
「ええ。仰る通りです」
「以前何故教えて下さらなかったのでしょうか。海山煌麒君のお兄さんが、半年という近い間に意識不明になっているのは――」
「紋切型の回答かもしれませんが、聞かれませんでしたので」
彼女はまるで刀で切るように、鮫島の言葉をさえぎってそう言う。その言葉の鋭さに、鮫島も思わず一瞬押し黙るしかなかった。感じるのは拒絶。ただそれだけだ。
掴み損ねた。そんな感覚だけが彼の中に残る。
「……聞かれなければ言うようなことではない、と?」
「刑事さん。私達だって、潤くんが倒れたショックと傷が癒えていないのです。吹雪ちゃんなら余計に。親族が今も1人意識不明で、いつ目を覚ますかわからない……そんなこと、おいそれと口に出したいことではありません」
それはもっともな言い分で、鮫島達には返す言葉もない。その様子を見て、それに、と彼女は続ける。
「半年も時間が離れて別の場所で倒れたことに関係性があるんじゃないかと、咄嗟に思い浮かびますか? 『なんでまた』……そう思うのが、精々なのでは?」
「……まぁ、我々の場合は疑うのが仕事なのでね」
不審な意識昏倒が続けば、なんらかの関係性を疑うのが当然なのでは、と言いたい気持ちもないわけではない。しかしそれは当事者と刑事の視点の違いだ、と言われればそれまでだろう。それにあくまで参考人としての聴取。あまり強引に行くのは得策ではない。
ならば、と別方向に……否、むしろ今日呼び出した本命の方へと、切り込む方向を変える。
「まぁ、娘さん達のことや海山潤一さんのことを伺いたいのも事実なのですが、実は本日は別にお伺いしたいことがありましてね、高品紅葉さん……いえ、『美咲』紅葉さん」
あえて、そう言うと。
「鮫島刑事……貴方」
初めて、高品――美咲紅葉の、仮面が剥がれ落ちる。
驚き、悲しみ、そしてそれを覆い隠し、仮面を支えていたほどの覚悟。そんな様々な感情が、彼女の表情と瞳に過ぎっていった気がした。そして、その反応だけで確信する。
やはり彼女は何かを知っている、と。
「再度になりますが、調べさせていただきました。貴女のお姉さんと妹さんのことについて」
「……そこまで、お調べになったのですね。私たちのことを」
「これこそ紋切り型の回答かもしれませんが、仕事ですので」
その言葉に、美咲紅葉は瞑目する。だがそれは一瞬のこと。
目を開いた彼女が浮かべていた表情は、哀しみだった。
「分からないんです、私には」
その表情に少し驚きながらも、鮫島は先を促す。
「分からない、とは?」
「華麟姉さんが倒れた原因も、神無が意識不明になって……死んだ原因も、です」
そう言って、首を振る。昔のことを思い出しているのだろう、どこか少し遠い眼をしていた。
「当時姉は、父親の職場を見せてもらうんだと、喜んでいました。その最中に倒れたのです」
「お父様の職場は?」
「大学の研究者です。当時最先端だった、ネットワークの研究に携わっていたと聞いた記憶があります」
「ではそうして倒れた先で、海山羅雪さんと……」
「あら、それはご存じないのですね。義兄さんも、姉と共にその場に居たんだそうです。それで一緒に倒れた、と」
「何ですって?」
思わず、驚きのあまり氷室と顔を見合わせる。
それは初めて聞いた情報だった。今回の3人と同じく、同じ場所で同時に昏睡に陥っていたと言うのか。
「待ってください、その時、貴女もその場に?」
「いえ。私は母と一緒に神無の病院へ付き添っていました。姉ほど父の職場に興味がなかったので。ですから倒れた時のことは、私もよく知りません」
「そうでしたか……では、その後は」
「特に何も……病院に運ばれても、原因は分かりませんでした。けれど、姉も義兄さんも、だいたい2ヶ月ほどで目を覚まして、あとは何事もなかったかのように回復していきました」
なるほど、とその言葉に頷く。
起きたのが異国の地ということもあり、彼女の言葉を裏付けることは難しい。だが、喋っていることが、全くの嘘とは思えなかった。どこか泣いているようにすら見えるその表情が、そう思わせてならない。
「では、妹さんの方は?」
「そちらも何も。当時、私と姉は母と共に日本に戻っていて、向こうの大学に籍を置きながら軍病院で治療を続けていた神無と、父の2人が残っていました。ある時、休暇を利用して姉と見舞いに行ったときには、もう意識を失っていて……」
「その後は……」
彼女は、目を伏せて小さく首を振る。口の端に浮かぶ笑みは、どこか寂しく、哀しい笑みに見える。
「意識を取り戻すことはなく、半年以上経ってから、そのまま……。だから、あまり実感はなくて。今でも会えるような気がしてしまうんです。私は、会える筈もないのに」
「……」
「それが切欠で両親もすれ違いが多くなって、離婚して……父は今もアメリカらしいですけど、何をしているのやら。母もそれからしばらくして亡くなって……もうこんなことはないだろうって、こないだまではそう思ってたんですけどね……」
そう言ったきり、彼女は机に目を落として黙りこくってしまう。思いを馳せているのは今も眠り続けている娘の高品紗綾と甥たちにその友人だろうか。
鮫島は、これまで嘘の異様に上手い犯罪者たちは何人も見てきた。だからこそ、捜査対象のいうことを真に受けてはいけないということは身に染みている。だがそれでも、端々から滲み出る哀しみ、そして何か堪えていたものを吐き出すかのような彼女の言葉に、嘘はないように思えてならなかった。
そうとしか思えないのだが――さて。
「……高品さん、今日は大変な中、ご足労頂いてありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、隠すような形になり申し訳ありません。あまり余人に話したいことではありませんので……」
「お察しいたします。またご協力いただくこともあるかとは思いますが……」
「承知いたしました。吹雪ちゃんにも、そう伝えておきます」
「宜しくお願いします――と、そうだ」
鮫島の言葉に、まさに去ろうとしていた高品紅葉が振り返る。目の端に、きらめく雫を浮かべながら。鮫島はそんな彼女をしかと見据えながら、なんてことはない調子で言った。
「結局、お姉さんや妹さに何が起きたのかは、ご存じないのですね?」
「分からないんです、何が起きたかは。私には分からないんですよ、刑事さん……そう、私には、どうしても」
寂しそうに、あるいは哀しそうに。
彼女は小さな苦笑を浮かべると、失礼します、という言葉と共に取調室から去っていた。
○
「高品紅葉との最後のやり取り、何だったんですか?」
刑事課の部屋への帰りの道すがら、無言で歩く鮫島に焦れたかのように、氷室がそう言う。先程のやりとりが何か引っ掛かったのだろう、その表情にはありありと疑問符が浮かんでいた。
だがそれを見て、鮫島は彼女の問いには答えずに逆に問う。
「氷室は高品紅葉の証言、どう思った?」
「え? えっと、そうですね……どのみち何の証拠もないし、あくまで心証ですけど。彼女が一連の意識不明に直接的にかかわってるってことは、おそらくないような気がします。堰を切ったような喋り方で、噓ってよりは抱えてたものを吐き出してるような感覚というか」
よく見ている。内心では感心しながらも、鮫島はそれを表情には出さずあえて更に問いを続ける。
「それだけか? 他に感じたことは」
「……いえ。関わってなくても、何かしら知っているのは確かに思えてなりません。でもなんていうか、確信を持てていないのか……あるいは、知っていてもどうしようもないのか。最後のやり取りもそんな感じが。すいません、うまく言葉にできないんですけど」
「いや。上出来だ」
考えていたよりもはるかに冷静に状況を俯瞰し、理解しようと努めている氷室に、少しばかり感心する。
刑事は人間相手の仕事だ。それのみに囚われては本末転倒だが、人の心の機微を言葉から読み取る力も、捜査能力と同じくらい重要になると、鮫島はそう考えているから。
「てワケだ。悪いが氷室、調書の清書と提出、頼んだ。ああ、あと報告書もな」
ねぎらいを篭めて――それ以上に面倒事を押し付ける意味を込めて肩を叩きながらそう言うと、氷室はげっ、と彼女らしからぬ声を上げる。
「また丸投げするつもりですか!?」
「そうとも言うな。あぁちなみに、調書の方は今日提出な」
「ちょ……! 鮫島さん、単独行動は……! ああもう、ていうか仕事、」
先ほどまでの刑事ぶりはどこへやら。泣きそうな顔で彼に追いすがろうとする氷室だったが、それを止める人影があった。
「まぁまぁ氷室くん。鮫島のことは行かせてやってくれないか」
「え、係長……」
「鮫島。何か心当たりがあるんだろう?」
仏の笑みのまま、係長はそう言う。この署に異動する前からの長い付き合いだけあって、やはり彼のことをよく理解しているらしい。心の中で頭を下げ、彼は正直に答える。
「と、いうよりは、それを探りに行く、っていう段階ですが。餅は餅屋ってことで、『魔女』のところに、少し」
その言葉に、仏の笑顔が一瞬静まり、眉が跳ね上がる。
「ほう、彼女の所に……そこまでのものが、この案件、何かあると思うか?」
「確実に。それが何かはまだわかりませんが、どう考えても尋常じゃないですから。それに……」
「それに?」
問う係長に、目と鼻の先にあった休憩スペース――そこに置いてある新聞を指さし、少し冗談めかして言う。
「少年少女3人が昏睡、なんて。キチンと調べとかなかったら、マスコミに嗅ぎ付けられたときにヤバいでしょ」
「はは、そりゃ確かにその通り……うん、それじゃあ行ってきなさい。あ、氷室くんは書類ね」
「あのー……期限が延びたりとか、そういうことは」
「ないねぇ、残念ながら」
がっくりと項垂れる氷室に心の中で謝って、鮫島は彼らに背を向ける。そして階段に差し掛かり、彼らの目が届かなくなったあたりで携帯を取り出し、電話帳からある番号を呼び出す。
耳に電話を当てれば、相手はワンコールで電話に出た。
「おう、俺だ。久しぶりだな。急で悪いが調べてほしいことがある――」
○
その日の夜遅く。
彼の姿は所轄の範囲から離れ、都内のある一角にあった。繁華街近くのその一角は、平日の夜であるにも拘わらず、観光客にビジネスマン、様々な人々の往来が絶えないにぎやかな場所だった。
そんな場所にひっそりと建つ、周囲よりも少し古いビル。そこが鮫島の目的地だった。
「……相変わらず寂れてるなぁオイ」
入っているテナント自体は、なんてことはない。今時どこにでもありふれているネットカフェ、というやつだ。個人経営なことを除けば、だが。
しかし鮫島が用があるのは、正確にはこのネットカフェそれ自体ではない。そのフロアの一番上、ここの経営者が個人的に利用しているフロアだった。
エレベーターで行けるのはカフェのフロアまで。鮫島は階段を上り、『KEEP OUT』と貼られた扉を軽く叩く。すると。
『お? お早いお着きっスね。今開けますよっと』
能天気な女の声がどこからか響いたかと思うと、かちりという音がして鍵が開く。鮫島はそれを確認してから扉を開け、部屋の中へと踏み込んだ。
鮫島としては、久々のこの場所への訪問だったのだが。
「……相変わらずきったねぇなこの部屋は」
幾つかの大きなモニターに、明らかに高性能とわかるコンピューター。そして鮫島には詳しい用途の分かり得ぬ、様々なハイテク機器が部屋を埋め尽くしているのだが……それ以上に、汚かった。ゴミはきちんと片付けられているのはせめてもの救いだが、とにかく本やら漫画やら洋服やら、モノが散乱していた。
そんな様子に思わずため息をついていると、モニターの前に座っていた女性がくるりと椅子を回してこちらを向く。そこにいたのは、長い髪を乱雑に括り、眼鏡をかけた、まさしく魔女のような陰気な若い女性。
「えー。乙女の部屋に来ておいてそりゃないんじゃないんスかー?」
「乙女扱いされたきゃらしくしろっつってんだろ、鵜沢」
魔女のような女性――鵜沢は、鮫島の言葉に不満そうに頬を膨らませて言う。
「しばらく連絡もなかったクセに随分なもの言いじゃないスか、鮫島警部補殿?」
「……お前、わざと言ってるだろ」
「ひひっ。ま、改めましてようこそ『魔女の部屋』こと公調臨時技術分室へ、警部補改め巡査部長殿?」
そう言って、いかにも仰々しく腕を広げて見せる鵜沢。彼女とは長い付き合いになる鮫島だが、未だにこういう彼女の言動にはなれることが出来なかった。
「しかし連絡もらって驚いたっスよ。公安から所轄に飛ばされて、ウチとの接触、避けてたでしょ? しかも連絡してきたのが、こんな事件か事故かも未詳の案件なんて」
「それだけ不可解なことが多いから、深い情報欲しくてな。それで?」
そう言うと、鵜沢はしばしお待ちを、と言って画面に向き直り、キーボードをたたき始めた。それまでのおちゃらけた様子はどこへやら、その眼差しは真剣そのものだった。久々に見たその様子に、思わず嘆息する。
「『公調の魔女』は健在、か」
「『公安のホシ喰いザメ』も、でしょ?」
そう言ってちらりと目を併せ、お互いに小さく笑い合う。時に敵対し、時に協力し、もちつもたれつでやっていた日々が懐かしくもある――が、今は久闊を叙すために来たのではない。
「で?」
「うい。まぁ情報はまだ掘り続けますけど……とりあえず、また厄ネタっぽいとこに首つっこみましたねぇホント」
画面に表示されたのは、事前に案件のあらましと共に伝えた関係者の顔写真と、それに関連する情報のようだった。どういうことだ、と目で問うと、にやっと陰気に笑う。
「まあ順を追って話しますんで。まず、話にあった『美咲家』については特に怪しい点は何も。目立ったのだって、この海山クンと高品チャンの祖父が、インターネット草創期にアメリカで運用に携わってた、ってことくらいで、後の人たちは基本的にはフツーっスねフツー。プラスもマイナスもナッシング」
「『基本的には』なんだな?」
言い方に引っ掛かりを覚えた鮫島が繰り返すと、鵜沢がにやりと笑う。
「そう、基本的には。ご用命の案件関係かは微妙なラインっスけど、ウチのデータベースで引っかかったのが……この人っス」
そうやって、彼女が画面上に目立つようにピックアップしたのが。
「……海山潤一?」
それは、鮫島にとって少なからず意外な名前だった。確かに、彼は弟達3人より先んじて意識不明になっている。だが何か出るとしたら高品紅葉か、あるいはその姉妹の方だと、そう踏んでいたのだが。
「彼、勤め先は新田製薬っスよね?」
「ああ」
「今、地検特捜部が新田製薬を標的に動いてるっスよ」
「なんだと?」
汚職や大規模な脱税、経済事件を担当する地検特捜部。それが海山潤一の勤め先、新田製薬を対象に動いているなど、全くの初耳だった。もちろん刑事課強行犯係と地検特捜部では扱う事件の性質は大きく異なる。その上公安と並んで保秘を徹底する特捜案件なら耳に入っていなくても不思議はない。
不思議はないのだが、鵜沢がわざわざそれを『引っかかった』というからには。
「まさか、海山潤一が特捜の動きに関係してるのか?」
「ご名答! 検察のデータベース触ってわかったんスけど、なんとこの特捜案件、海山兄クンがきっかけなんスよ」
あまりに予想外のことに、もはや言葉も出ない。一体何故、そんなことになっているというのか。
「海山兄クン、製薬部門の新人研究職なんスけど……『不審な研究と薬物の流通、それらを隠蔽するための帳簿操作が行われてる』って公益通報したみたいなんスよね、検察に直接」
「そりゃあまた……」
新人だというのに勇気があるというか、なんというか。いずれにせよ、なかなか出来ることではないないだろう。
だが。
「海山潤一が特捜案件に関わっていたのは分かったが……これが例の案件と関係ありそうなのか?」
「順を追って説明するって言ったじゃないスか。最初はこの通報、さすがに取り合ってもらえなかったみたいっス。でも、証拠がある、渡したい、ってことで検察側もとりあえずは動くことになったのが、なんと半年前のこと」
「半年前!? まさか」
「そのまさか、だと思うっスよ。ようやく検察と会うことになった矢先のこと、なんと! 哀れにも海山兄クンは意識不明の重体となってしまいましたとさ。んなもんだから特捜は大慌てで捜査に乗り出しました、というワケ。ひひっ、これ、偶然スかね?」
二の句が継げない、とはこのことだった。
これだけを見れば、単純な偶然か、新田製薬によるなんらかの犯罪か。それを疑うだろう。だが彼の弟達、そして親族のことを考えると、気持ち悪い、薄気味悪いと、刑事にしてはあるまじき非科学的な感想しか出てこなかった。
そんな思いを振り払うように、おい、と鵜沢の肩を叩く。
「念のため聞くが、とりあえずは今回倒れた3人プラス海山吹雪、新田製薬と関係あるか?」
「それは調べたんスけどナッシング。まぁ大手スからね、あそこの製品使ってるくらいはあるでしょうけど」
「そうか」
ここに来て大手の新田製薬の名前が出てきたことは、一体何を意味するのか。美咲家の一連とは完全に無関係の別の事件なのか。それとも何か繋がっているのか。あるいは逆に、新田製薬こそが何かを握っているのか。
「考えてる考えてる。そんな巡査部長殿にもう1つプレゼント」
そう言って鵜沢がキーボードを叩き、画面に出したのは、今回倒れた3人と同じ年ごろの少女2人の写真――それも双子、だろうか。少なくとも、見覚えのある顔ではない。
「彼女達は?」
「短髪で日焼けしてる方が新田水月、大人しそうな方が新田火月。新田製薬の創業者一族で、今の製薬部門のトップの娘なんスけど……彼女達、1ヶ月前から意識不明で入院中」
「……事実なんだな、それは?」
「ウチの情報収集能力疑ってます? それは心外なんスけど」
「悪ぃ。お前がこんなトコに公調の分室作れてる理由はよく知ってる。だがあまりにも……」
「言ったじゃないスか、『厄ネタ』って」
鵜沢の言に、返す言葉もない。こんなのは、厄ネタ以外の何物でもなかった。美咲家に何かあるとしか思えない『秘密』。特捜の新田製薬への捜査。海山潤一。新田水月と火月の双子。もしかしたら、海山姉弟の両親たちの飛行機事故も。それらは全てバラバラの出来事で、人物たちだ。
だがそれを、『意識不明』の4文字が、か細い糸で繋いでるように見えて仕方ない。あるいは考え込みなのかもしれないが、絶対にそれだけではないと、彼の直感が叫んでいる。
「様々な事柄が意識不明者だけで繋がる、か……本当にとんだ厄ネタだな」
天を仰いでそう呟いた彼の言葉に、鵜沢も何も答えない。ただコンピューターの駆動音だけが、静かに響いていた。
○
それから収集した情報について細かい部分を再度共有するために様々な確認などを行っていたが、ふと気づけば既に大分遅い時間となっていた。
「急に悪かったな。すまんが、引き続き頼む」
「了解っス。ただ……んー、やっぱり話しとくかなぁ」
「なんだ?」
「これはほんッとご用命の案件と繋がるか微妙なんで話すか迷ってたんスけど……聞きます?」
「いい。話してくれ」
その情報収集能力と処理能力で『魔女』の異名を取る鵜沢が引っかかったことなら、たとえ小さなことでも聞く価値があるだろう。そう判断して、去りかけていたのを彼女の方へと戻る。
「なら。今回、巡査部長殿から依頼されたんで漁ってたら気付いたんスけど、ここ半年前後で、全国的に10代を中心に原因不明の昏睡事案がちょくちょく起きてるみたいなんスよね」
「……ほぉ」
「まぁ管轄もバラバラだし、増えてるっていっても統計的には誤差の範囲だろうし、おまけに殆どは1ヶ月もしないうちに目覚めてるしでアレなんスけどね。ただ気になるのが……うーん、笑わないスか?」
「? お前が収集した情報だ、笑う筈ないだろ」
彼女らしからぬ態度に首をかしげながらもそう言うと、鵜沢はういっす、と言ってキーボードを再び叩く。そうして画面に表示されたのは、何枚かの調書のように見えるものだった。
「これは? 調書のように見えるが」
「管轄違いのとこで起きた意識不明案件で、当事者が意識回復した際に取った調書っス。一応目を通したんスけど、これがまぁ、なんというか……アレで」
「どういう意味だ」
「まぁ要約するとっスね。自分は眠っている間別の世界に居た、そこには化け物や怪獣、おまけに天使や悪魔がいるような世界だった、って内容なんスよ」
「……はぁ?」
あまりの内容に、思わず気の抜けた声が出る。
だが、鵜沢を押しのけてその調書をみてみれば、確かにそのどれもに同じようなことが書いてあった。きちんと調書として残っているあたり、恐らく発言者は本気でそう思っていたのだろう。普通なら意識不明中に見た夢か幻覚で片付けられることだろうし、恐らく実際にそう処理されたと思われる。
だが。
「……これ、管轄は全部違っているんだよな?」
「っス。まぁ首都圏が多いスけど、1つは北海道スからねぇ。念のためあたりましたけど、当事者間の関係はナッシングです」
当事者同士に関係がないのに、意識不明からの回復後、似たような話をしている。たしかに今回の件と重なるかは微妙だが、大いに気になる話ではあった。
「普通なら三途の河の景色が共通してるのと一緒で、ユング的な集合的無意識による影響とか、そういう話になるんでしょうけど。ただ、意識不明者が増え始めたのが……」
「半年前後から、か」
すなわち、海山潤一が昏睡に陥った時期と重なる。
「確かに符合するが……関係あると思うか?」
「そりゃ分からないスけど。でも、もし海山兄クンが告発しようとしてた薬物、それと関係があったとしたら、とか……さ、さすがに考えすぎっスよね」
「……そう願いたいもんだな」
だが、そういうのと反対に、鮫島の脳内にちらつくことがあった。警察内でささやかれる噂。解析できない薬物。10代を中心とした若い世代。もしその薬物が実在していて、海山潤一と関係があったなら?
決して証拠とは言えない。だが嫌な符合ばかりが、積み重なっていく。
「とはいえさすがに予断が過ぎる、か」
「え?」
「いや。他に共通点は?」
「んんー。ありふれてるから共通点って言えるかわからないスけど、皆パソコンか携帯とか、そういうのの近くで倒れてることくらいかなぁ……?」
「……いや。それ、今日イチ重要な情報かもな」
「は? え、これが?」
なんスかそれ、という鵜沢には答えず、美咲家に関わる案件を思い返す。
今回の3人の件、確か部屋にはPCがあった筈だ。そして海山潤一も、オフィスで倒れたというならPCは当然あるだろうし、携帯は持っていただろう。問題なのはその前だ。
30年近く前に倒れた海山家の両親。その時代、インターネットやPCなど、一般的ではなかった。だが美咲華麟の父はその研究者で、両親たちはそこで倒れた。分からないのは美咲神無だが、アメリカの軍病院であったなら、早期にPC等が導入されている可能性も高い。
電子機器というもう1つの共通点。それが30年前まで遡って符合する。そんなのは、もはや。
「……オカルトの領域だな」
「はい?」
「いや、なんでもない」
不審そうな鵜沢に手を振って、もう一度だけ鵜沢が出した調書に目を通す。
「『デジタルワールド』、ね」
調書によれば、昏睡していた間に行っていたという不思議な世界を、意識を取り戻した1人はそう称したという。
名称すら気味が悪いほどに符合するその言葉が、妙に頭に残った。
○
翌朝。鮫島の姿は始業より幾分か早い時間に署内にあった。ただし場所は強行犯係の部屋ではなく、警察署の屋上だったが。
「とまぁ、こんなところですかね」
「……なんといえばいいのかねぇ、これは」
昨晩、鵜沢から得た情報を纏めて係長に伝えていたのだが、話し終わった途端、係長は腕を組んで唸りながら俯いてしまった。無理からぬ話だとは、鮫島自身も思うが。
正直彼自身、こんな突飛な話を真に受けている自分にあきれている所もあるのだから。
「特捜案件、薬物、電子機器……そして、意識不明者。嫌だねぇ、実に嫌な流れだ」
仏の係長が、全面に渋面を浮かべ、頭を振る。鮫島はもう長い付き合いになるが、そんな姿は殆ど見たことが無かった。
「本当ならばそんな下らない話、と一笑に付したい。付したいんだが……」
「あまりに符合する事が多すぎる、ですね」
「そうだねぇ。少なくとも特捜が動いてることは事実なんだろう?」
「まぁ、鵜沢の情報ですから。あの魔女のことです、多分検察にバックドア仕掛けてるでしょうし、そこから抜き取った情報なんでしょう」
「検察は与太じゃあ動かない。となれば海山潤一君の件は少なくとも真実と見るべきだ。その上で昏睡状態になったこと、不審な美咲家のコトを考えると……これは、無視できないね。だがこんな曖昧な状況、どうしたものか」
そう言って顔を挙げた係長の表情は、依然として厳しいものだ。怪しいとは思うが、明らかな証拠は何もない。どう動くべきか思案していることは明らかだった。
「係長。この件、俺が専従で動いていいですか。できれば単独で」
「……いいだろう。ただし、特捜とカチ合ったりしても困る。報告は欠かさずに――」
その時、だった。
バタンと音を立てて、屋上の扉が開く。
「ようやく見つけた……! もう、係長も鮫島さんも携帯の電源くらい入れといてくださいよ!!」
息を切らし、そう言って屋上の扉を開けたのは氷室だった。息の切れ方からして、階段を駆け上がっただけではなく、署内中を走り回ったのであろうことは想像に難くない。
「どうした、そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもないですよ……! さっき、救急から連絡が入ったんです!」
救急という言葉と、氷室の焦ったような混乱したような様子。それになにか予感めいたものを感じて、鮫島と係長は軽く顔を見合わせる。
そうして氷室の方に向き、視線で先を促せば。
「陰山奏の兄、陰山龍介が、昏睡状態で発見、搬送されました――!」
而して予感は的中するも、喜びなんてものは何もなく。
ただ蜘蛛の巣に絡めとられているような、そんな薄気味悪さだけが、鮫島の胸の中にあった。
○
氷室と共に急いで病院へ向かうと、ICUの外には、ただ泣きじゃくる人影が、1つあった。どこか既視感を感じるその光景。前は彼女のことを疑っていたが、今はその姿が以前とは違って見えた。
「……海山吹雪さん」
「あ……け、刑事さん」
顔を挙げて軽く頭を下げた彼女。その目は以前にも増して赤く、泣き腫らしているその姿は痛々しいものだった。
「失礼ですが、陰山さんのご両親は」
「今、お医者様から説明を……」
そうですか、とだけ答えると、少し離れた場所に氷室と共に移動する。
「氷室、悪いがお前は医者の方に張り付いてくれるか? で、話が終わったら、即座に陰山夫妻を捕まえてくれ。通り一遍の質問でいい。時間稼ぎだ」
「それはいいですけど……鮫島さんは?」
「俺は彼女に聞きたいことがある。すまんが、頼んだぞ」
氷室は何か聞きたそうだったが、それでも疑問は飲み込んだようで、わかりました、とだけ言うと静かに歩いて行った。
物わかりのいい後輩に感謝しつつ、彼は海山吹雪の下へと戻る。
「海山さん。心中お察ししますが、2、3、質問してもよろしいですか」
「私に……ですか?」
泣き腫らした赤い目でそう問う彼女は、何故、と問うているのは明らかだ。
「ええ。1つは、海山潤一さん……弟さんのことです」
「ジュンの? やっぱり、ジュンも関係、あるんですか」
やっぱり、ということは、彼女自身も何か疑っていたことがあったのだろう。そしてその反応で、やはり彼女は何も知らないのだろう、ということを半ば確信する。
「それはまだ。ただ……これはオフレコなんですが、潤一さんは、意識不明になる直前、内部告発をしようとしていたようです。そのことは?」
「内部告発? いえ、何も……何も知りません。残業が多くて、あんまり顔も合わせられない日が続いていましたから……」
「何か預かったりとか、そういうことも?」
「え、ええ……何も、思いあたりませんけど……」
「そうでしたか」
ジュンがなんで、と俯いて呟く様子は、本当に知らないようだった。あるいは何か聞いていることが糸口になるかもしれないと思ったが、そちらは当てが外れたようだった。ならば詳しいことは、後々聞いてゆけばよい。
そうなれば、今聞くことは。
「ではもう1つ。今回の龍介君の件、何か心当たりは」
「りゅう君のこと……? なんで、私に」
「失礼ですが、もうお気づきの筈では。貴女の周囲には、意識不明になっている方が非常に多い。特に、血縁が」
その言葉に唇を噛み、海山吹雪は俯く。この事実についてはやはり認識していたようだった。だからこそ、3人の件でも取り乱していたのかもしれない。そんなことを考えながら、言葉を続ける。
「疑っているわけではありません。ですが、我々警察としては、何かご存じなのでは……と、考えざるを得ないのです」
「……やっぱり、そうですよね。私の……私の家に、何かが」
何かを噛みしめるように、怺えるように。
彼女はそうして一度静かに呟くと、それまでの悲しみに暮れる様子とは異なり、どこか吹っ切れたような様子で顔をあげた。
「刑事さん。先に謝っておきます。私は、私とりゅう君は、コウ達のこと、独自に調べていました」
まだ、目元にはきらめく雫が残っている。それまでの泣きじゃくっていた様子からは想像できないほど凛とした物言いに、少し圧倒される。だがそれでも、彼女の言は聞き逃せるものではなかった。
「……調べていたですって?」
「刑事さんが仰ったように、私の周りに意識不明の人が多いことは気になっていたんです。だから何か怪しい、何かあるんじゃないかって……いえ、本当はそうやって自分を納得させたかっただけかもしれないですけど……とにかく、調べていたんです」
それは意外だったが、聞いてみれば納得できる話だ。身内が倒れ、行き場のない心。それをどうにかして落ち着けたかったのだろう。
「りゅう君の叔父さんを頼ったりして、調べていました。でも、警察の人が積極的に動いてることくらいしかわからなくて……でもそうしたらある日、数日前から、りゅう君の様子がおかしくなったんです」
「どういうことですか?」
「何かに悩んでいるような……憔悴しているような。そんな感じでした。そうしたら昨日、彼に呼び出されて言われたんです。私のことを、何があろうと支えるって、その……真剣な眼で」
「あぁ……なるほど」
以前彼と会った時の様子を思い出し、納得する。まぁ、そういうことなのだろう。だがそんなことをわざわざ伝えたかったわけではないだろう。先を促すと、彼女も躊躇うことなく続ける。
「そしたら、りゅう君は言ったんです。何があろうと信じてくれるか、って。自分がすることは、私や、ひいてはコウ達のためだって。そうしたら……今日、こんなことになって」
「……彼は何かを掴んだのかも、と?」
警察が調べても、掴めなかったこと。それをただの高校生が掴んだなど考えにくい。だがそれでも、彼の言動が海山吹雪の言う通りなら、その可能性はあり得るのかもしれない。
だが海山吹雪は、少し悲しげな様子でふるふると首を振る。
「私には、分かりません。わかりませんけど……私宛に、りゅう君からこれが」
そうして彼女が傍らに置いたカバンから取り出したのは、一通の便箋だった。吹雪さんへ、と書かれた、意外にも丁寧な文字が目立つ。
「中を見ても?」
「どうぞ」
失礼して、と一応断ってから、便箋を開く。
それを鮫島が読むのを見ながら、海山吹雪は言葉を続ける。きっともう何度も読んだのだろう、その手紙に書かれていることを、謳うように。
「そこには、りゅう君の想いが書かれていました。私にすべてを説明できないこと、置いて行ってしまうこと、傷つけてしまうだろうことへの謝罪。でもそれでも、コウ達を取り戻すって。でも……」
確かにその通りだった。彼の想いが、本人の性格が伝わるような実直な字体で書かれている。ところどころ滲んでいるのは、彼の涙のせいだろうか。
だがそれよりも鮫島の目を惹いたのは、謝罪や決意よりも先――最後の一文だった。
そこに書かれた文字を読み上げるのに、思わず声が震える。
「……『デジタルワールド』、だと……!」
「そう。そこだけが、わからなかったんです。『デジタルワールドに行って、あいつらを取り戻す』って……これが一体、なんなのか。それが、どうしても分からないんです」
どこか悲し気な彼女の言葉は、彼にはもはや殆ど聞こえていなかった。
繋がった。繋がってしまった。
今まで荒唐無稽な、推論に推論を重ねたものでしたなかった細い関係性。それが、はっきりと繋がってしまった。
彼がこの言葉をどこで知ったのかは分からない。だがそれでも、繋がった。
何かに操られているような、蜘蛛の巣に囚われているような、そんな違和感は未だ消えない。消えないからこそ、もう後には引けない。
真実を追求しろと、警官としての……否、鮫島自身の魂が、そう叫んでいる。それを無視することは、彼にはできなかった。
一瞬瞑目してから顔を上げ、しかと彼女の目を見据える。彼女は黒幕などではない。だがそれでもきっとキーパーソンなのは間違いない。そう信じて、全てを話すことにした。
それがきっとこの件の真相に繋がると、直感したゆえに。
「海山吹雪さん、貴女にお話があります。それと貴女の叔母、高品紅葉さんにも。とても荒唐無稽で、信じられないようなお話が――」
○
斯くて彼らは、因果の外に在りながら、真実の一端に辿り着く。
彼らが関わろうと関わるまいと、因果は巡る。
だがそれでも……だからこそ。彼らは巡る因果へ踏み込み抗うのだろう。
真実を知るために、大切な者を取り戻すために。
だからこれは、因果の外に在って、巡る因果に抗う大人達の物語。
そして。
○
「ああ……そうだ。火月、水月。ありがとう。お前たちのお陰で、この研究は完成する。これが完成すれば、母さんも、きっと……!」
狂的な光を目にたたえ、複雑な機器に囲まれた中で恍惚とした声を上げる男。
その傍らにあるのは、明らかにヒトではない、黄色いトカゲのような、恐竜のような、地球上にはありえない、生物らしきナニカ。
手術台に横たわり、ぴくりとも動かないそのナニカを愛おしげに撫でて、彼は哄笑を挙げる。
「そう、もうすぐなんだ、もうすぐ……! はは、ハハハははハは……!」
○
因果を破壊せんとする者も、またここに。
あとがき
これデジモン小説なの?なんでここに投稿したの?という声が聞こえてくる気がします。
本当にね。デジモン小説なんですかねコレ。
うーん。湯浅桐華です。
『選ばれし子供』たちは運命に導かれ、パートナーと出会い、様々な事態に立ち向かうのでしょう。
冒険をして、様々な出来事を経験して、パートナーと仲を深め、時に仲間と恋をして。
そうして日常へ帰ってゆくのでしょう。
でも、残された人々は?
その時選ばれなかった人は?
一体彼らは、その時をどのように歩んでいくのだろう。
そんな思いから、生まれた読切作品になります。
かつて私は、デジタルワールドを舞台としながらも、現実世界で残された者達が、真実を求める物語を書いていていました。
現実世界に居ながらも、デジタルワールドを知っている者や、何らかの関わりを持ち利用している者。
そうした中で、現実世界で真実を求めていった先に、デジタルワールド側の話と繋がって……とまぁ、そんな話でした。
これはその時の私の心残りの一端……現実世界側の話を、少し形を変えて読切に落とし込んでみたものです。
現実世界で何も知らなければ、きっとデジタルワールド絡みの話は相当不審な筈です。それこそ、警察が捜査するくらいには。
そんな雰囲気を少しでも楽しんでいただければ幸いです
例によって説明していないこともたくさんあります。この先、『選ばれていない者達』はどう進んでいくのかも。
そこは読切ということで一つ、想像しながら楽しんでいただければ幸いです。
最後に1つ。
この作品は、しばらく前に投稿した作品、『少女は廃墟で夢を見る』 と強い関連を持っています。
勿論読切である以上、この作品のみ読んでも成立はしますが、こちらを読んでいただくと、少し面白いかもしれません。
それでは、これにて。
湯浅桐華でした。
待っていたぜェこの作品!!
俺は、俺はこれを15年間待っていたんだ! 夏P(ナッピー)です。
俺が心待ちにしていたことは……決して、無駄ではなかった……というわけで、最高のSalusの現実世界Side編(※勝手にこう呼ぶ)でございました。ひゃっほぅ待っていたぜ! ちょうど本編投稿された部分までぴったり現実世界側を描いて頂いておりました。俺の嫁二人とも死んでるか昏睡状態かなんですがどうなっとるんだ。
現実世界にいる人間達からはまるで意味不明な事件の推移と龍介の手紙に「そうだなぁお前はそうやって頑張ってたもんなぁ!」となるのが憎い。しかも今回は双子にまでしっかり言及されてる! というか、どうにも双子の親である社長ォが黒幕っぽい! アケミちゃんか? サイスルのアケミちゃん的な社長ォが黒幕なんだな!?
犠牲者ズラッと並んで姓名が羅列される中、付け足される俺の嫁(※巨乳の方)に伴って書き加えられる美咲家の文字、鮫島氏含めた警察の皆さんからはまるで意味がわかりませんがSalus読者であった俺達にはわかるというのが最高にデジタルワールド知ってる俺らと重なる感あるぜ! そういえばイケメン(※死語)には吹雪さんだけじゃなく兄貴もいたなぁと思いましたが一気に明かされてしまいました。というか作中で下世話なことを勘ぐられる前にイケメン・お姉様・優秀な可愛い子と隙の無い三人組であることが明言されてダメだった。おんどれェ完璧超人どもォ!
あと情報屋として趣味爆裂してる汚部屋の姉ちゃんが現れましたが、なんで湯浅さんの作品に登場する女性っていやでも絶対真面目にメイクしたら爽やか美人なんやろなと思えてしまうんだろうな。
関連作品のラストの描写的に、龍介は妹の方と合流できるものかと思いますが果たして。やっぱ長編で読みてえよなぁ!!
という魂の叫びを残しつつ感想を〆させて頂きます。