「#おまラス」参加作品です。前編【https://www.digimonsalon.com/top/totupupezi/ren-jian-xiu-liao-qian】の後にお読みください。
「あれは……グレイモン、成熟期。あの個体の出身世界はテスタメント……あ、ウィッチェルニーにはデジモン識別魔法みたいなものがあって、各世界でウィッチェルニー出身者達が初めて見たデジモンのデータをウィッチェルニー世界にあるサーバみたいなところに転送して、それをひきだすから直接私が特徴を知ってるわけじゃないんだけど。あと、出身世界の同定は身体に残っているゲート移動の術式の痕跡を目視で……」
視線が逸れた恐竜を見ながらトモネが話し出す。
やっぱり解説キャラじゃんと思いながらスズナはカバンの中を漁る。入っているもので使えそうなものは特にない。デジモンと共に住んでいるというだけで目をつけられるし不審物を持って来てると噂も経ちやすいからそも持ち込まない。火のないところに煙が立っても煙だけなら火を押さえはできないのだ。
図書室は学校の二階にある。スズナ達には頭しか見えていないが、多分高さは四、五メートルはあるだろう。
スズナは自分が仕留めるには体重か武器が足りないと考える。ちょうどいい高さに顔があるから、槍でも有れば目から突いて脳まで通すことはなんとかできるとも思うのだけれど。
「……ナズナに家から武器持ってきてもらうかな」
サジタリモンの訓練の時にはスズナは重りを仕込んだ木製の得物を使っているが、家には明らかに銃刀法違反の槍や剣、矢がある。クラスのみんなと警察関係者には内緒の代物だが、使えない様にはなってない。
「え、黒木さん?あれと戦うつもり……?なんで……?戦わなきゃいけない理由今のところなくない」
「え?家でゴキブリ見かけたらとりあえず退治しない?」
「私は校舎の二階サイズの恐竜はご家庭ではなくて自衛隊が出る話だと思う、百歩譲って猟友会。流石自分の彫った像と結婚する事を神に許される世界観で生きているやつは違うぜ……」
デジモンって多分野生動物の区分ではないし、国が責任持つべきな害獣でもない気がする。そうなったら自己防衛が基本だろうに。スズナは呆れた様に深く息を吐いた。
「……トモネさん、ストーカーまがいの行為とか急にぐいぐい来る距離感とか、もう少し一般常識を勉強した方がいいと思う」
何を言ってるんだこのバーサーカーはと目を見開くトモネをスズナは一瞥する。
とりあえずトモネは逃がした方がいいんだろうか。校舎の中を通って、恐竜から離れた場所に向かえばいい筈だなんてスズナは考えたが、とうのトモネはそうは考えていなかった。
「えー……まぁ、いいかとりあえずスズナさんは戦うんでしょ?だったら武器と空中での移動手段ぐらいは用意できるよ。アクエリー族は水と風の魔法使いだから、半端な私でも水場があればそれなりに」
一応ナズナには槍と弓矢を持ってくるようにメールして、行くよとトモネさんを引っ張って四階だての校舎の一番屋上に近い水場まで登った。
「いつ暴れだすかわからないし、とりあえず、柄の長さ二mぐらいで刃先は三十センチぐらいで返しがついていて、柄の先にひもを括りつけられればいいから」
「えー……もう殺し方考えついてる時の注文じゃん……イリアスの半デジモンは化け物か……?」
そう言いながらも、トモネは注文通りに氷でできた銛の様な武器を作り、それを受け取るとスズナは引き千切ってきたカーテンを幾らか持ち手に巻いた後、柄の先に長いロープみたいに繋げたカーテンを結び付けた。
「じゃあ、これから頭の上に飛び乗って、眼から頭に向けて刺してくる。深く刺さり切らなかったらそのカーテンを屋上の柵に結び付けて、そうすればとりあえず痛みで学校からは離れられないだろうし」
二人が屋上への階段を銛を持って上がり、施錠されていた屋上のドアを破壊して外に出ると、屋上には全身に翼の様な意匠を付け、顔の上半分まで覆う白い帽子の女性の天使みたいなデジモンがいた。
げぇとトモネさんが声をあげると、天使はこっちを向いて、画面の下から見える口元をにっこりとほほ笑んで話しかけてきた。
「そんな装備であの竜を殺そうというのですか? 改宗すると約束するならば私が代わりにやってあげましょう」
「うわぁ……聖ゲオルギウス流交渉術やってくるタイプのテスタメント出身者のエンジェウーモンだ……スズナさん、どうしようやべぇやつだよ」
「話が通じて攻撃してこなさそうならいいじゃん」
スズナがそう返してすぐ、校庭の方で何か爆発音がした。
その音に下を覗き込むと、グレイモンの顔の辺りからたなびく煙、校庭を囲っていた金網フェンスにできた大きな凹み、凹みに近いところで燃える木、そして、フェンスの先に人間がいるのが見えた。
「……すぐに噛み付きにいかないからエサだと思ってるのとは違うんだろうけれど、好奇心旺盛もこうでかいと人間には毒だよね。トモネさん、早く空中での移動手段だとかいうのやってもらっていい?」
こっちもやべぇやつだったとか呟いて何故か半泣きになっているトモネはスズナの背中の辺りでおもむろにペットボトルに汲んでいた水を撒いた。すると、水が背中で氷って翼みたいな形になった。
「……滑空しろってこと?面積足りなくない?」
「いや、大丈夫、大丈夫だから。私、アクエリー族のあれだから水の方が得意なだけで、風の魔術の扱いもちゃんと心得てるから。飛べこそしないけれど、空中を蹴る感じで移動できるから」
「……ちょっとよくわからないんだけど。落下しにくくなるならいいか」
槍も翼も氷でできている。時間を説明の為に使わない事をスズナは選択し、屋上からグレイモンに向けて飛び降りた。
氷の翼が風を切る音でグレイモンが顔を上げてしまう、巨体が動けば当然相応の風が起こる。スズナの身体は風に煽られてズレていく。
蹴る感じだとトモネは言っていた。ならばと、スズナは行きたい方向と逆斜め下に向けて空中を蹴る。空にいる筈なのに感じる確かな手応えと共に、身体は跳び上がりグレイモンの頭上に舞い戻ってくる。
そのままこげ茶色の角の根元に手をかけ、頭によじ登る。スズナはすばやく左手で右目の近くの甲殻のようなものに覆われていない肉を掴み、側頭の角を脚で挟むようにして体勢を安定させた。
それに対して一度二度三度とグレイモンは勢いよく頭を振り、手で払おうとして来たが、目元の肉を引っ張って掴んでいるせいでよく見えてないのだろう。足でしっかりと角を抱え込んでしまえば、振り払おうとして来る手をスズナは銛で突き刺し事もできた。
返しのついた銛が、グレイモンの掌を突き抜け、脚をかけて引き抜けば、肉を引き裂きながら手元に戻って来る。堅さは十分そうだとスズナは飛んで頬についた血を舐めながら笑った。
痛みに鼓膜が破裂しそうなほどグレイモンが絶叫し、頭を振る動きが一瞬収まったのを見てスズナは一瞬角から片足を離して構え直すと、深々と目に銛を突き刺した。
しかし、スズナの手に脳まで届いた手ごたえはない。このまま一度降りてしまおうかと屋上を見上げると、トモネのその手から落ちて来たカーテンの切れ端と拝む様に謝るトモネの姿が目に入った。
このままだと痛みに悶えてグレイモンがどこへ行くかわからない。仕方ないと呟いてスズナは銛の柄を折ってもう一度目に突き刺した。今のスズナにはこれを押し込めるだけの力がない、体重とか体格とかが足りてない。それはヒトという種の限界だ。
あとは、とりついている間にどれだけこれを押し込めるか。ハンマーでもあればよかったけれど、ないので無理やり氷を握って手で押し込む。押し込もうと強く握れば握る程圧と熱で氷は溶けて脆くなり折れてしまう。
一分二分でもうこれ以上押し込むのは無理な状態になってしまい、スズナは肘まで真っ赤に染まった自分の手を見て覚悟する。こうなってはもう、これ以上この傷口から抉る方法はほぼない。トモネにまた武器をリクエストしたとして、ちゃんと受け取るには土台が揺れ過ぎているが、スズナがその身一つで戦うには相手は大きすぎる。
「スズナ!」
ふと、聞き覚えのある羽音にスズナが顔を上げると、何があったんだこれという顔をしたナズナがいた。
「ナズナ!」
スズナがナズナに声をかけると、ヒモが結ばれたナイフが落とされた。ナズナの考えを悟って一つ頷いて、スズナはナイフをグレイモンの目玉に刺し、ひもを一回ぐるりと角にかけて外れない様にしてからその端を持つと、グレイモンの頭の上に上った。
グレイモンの頭の上から伸ばした手をナズナが掴んでスズナ持ち上げる。血に濡れてこそいたが、スズナはすぐにそのお腹にしがみついて、ひもの端をナズナに渡す。
ズキン、と頭が痛んでスズナはひもを一回渡し損ねたが、ナズナがすぐに掴んだ。
「さぁ、いくよ……ミョルニルサンダー!」
ナズナの一対の冠羽から電気が迸り、紐を伝ってグレイモンに流れ込む。ボンッという音がしてほんの一呼吸遅れてグレイモンの体は地面に倒れ伏し、その手足はピクピクと痙攣し始めた。
多分死んだなと確認しがてらスズナはナズナと一緒に地面に降りた。
スズナが屋上を見上げてもトモネさんの姿が見えない。上にいても校舎がグレイモンにぶつかって壊れたりしたらどうなるかわからないのだから、多分降りてくるだろうし今は待っておくかな、と校庭にいると、ふと屋上で何かがきらりと光った。
天使の事もナズナに伝えなくちゃと、振り返るとそのナズナの片翼を矢が貫き、バリッという音と共に傷口からは煙が上がっていて、スズナが空を見上げればさっきの天使が弓を構えて次の矢を射たんとしているところだった。
なんで突然とスズナは思ったが、それより先にナズナの安全を確保しないとと思考を切り替える。
校庭は整備されていて手近な石もなければ遮蔽物もない。
矢から逃げ切るのも難しく、隠れるのも難しく、次の矢が放たれるのを止めるのもまた難しい。
「……一撃受ける覚悟はしなきゃね」
ナズナの手元からグレイモンの方へ繋がっている紐を引っ張ってまだ熱を持ったナイフを手繰り寄せる。これを既に構えられた弓を射るよりも素早く投げる事はスズナにはできない。でも、スズナが行動不能になるよりは投げる方が早く、それには意味がある。
視界の端で天使の持つ弓矢がナズナからスズナへと標的を変えたのが見えた。
頭や胴に刺さらないように天使に向けて左半身になりながら、勢いよくステップ。
そもそも石ならともかく投げ慣れないナイフを投擲して十数メートル上空にいるあの天使にダメージが与えられるのか。そんな疑問が一瞬スズナの頭に浮かんだが、すぐに振り払って勢いをつけて槍投げの要領で構えた。
それから投げ終わるまでの間に、天使は弓を引き絞り、スズナへと。
その筈だったが、それは思いがけず中断させられた。天使へと、横から黒い球状の何かがぶつけられたのだ。
スズナはナイフを投げてすぐにその行方を見ずにナズナの方を見て、地面に手をついて起き上がろうとしていたので手を貸した。そして、校庭から離れるべく校舎の中へ窓ガラスを割りながら飛び込み、ナズナも通れるように窓を開けた。
「ナズナ!」
「公共物の破壊は躊躇うモラルを持って!」
「今言うことじゃないでしょ?」
飛び込んだ理科室から居場所を晦ますためにスズナ達がひとまず廊下に出ると、上階で先生達がまた黒木だ、どうせ黒木だ、やっぱり黒木だと騒いでいる声が聞こえて来た。
そして、スズナは納得がいった。サジタリモンの言っていた人間界にいられなくなる予言の日はやはり今日のことだ。
イリアスはミネルヴァモンが、おそらくは普通の人間達の社会に秘密裏に紛れ込ませた半デジモンで半神がトラブルを起こす。まともな学校生活を送れなくなるには十分だし、もう人間界から出て行けとなるにも十分だろうとも思う。ただ、天使を殺せば、というのがまた気になった。天使は確かにいるが殺さなければまだ引き返せるとでも言うのだろうか。
グレイモンを殺そうとしたのは妥当だとスズナは思う、人を襲う様な事はしていたし、死人が出てたっておかしくはないはずで、だから、今ならまだ人を守る為に仕方なかったとなるのだろうか。
スズナ達は一階の別の教室にひとまず逃げ込んで、カーテンの隙間から外を覗いてみた。
空中ではさっきの天使と、傘を持ったこてこての山羊頭の悪魔が戦っている。空中に魔法陣を描いて何かもよくわからない黒い球体を山羊頭は放ち、天使は雷を纏った矢を射る。バリバリドンドン、なかなかの騒音に、遠くの空にはマスコミかなにかのヘリコプターも見えた。
ひとまず天使は自分達達への興味は失ったのだろう。今ならトモネさんを回収すれば帰ることもできるかもしれない。スズナは少し安堵した。
予言は成就するから予言なのだ。スズナが天使を殺せば必ず人間界にいられなくなるし、スズナが天使を殺さなければヒトとして絶対に生を全うできる。
「スズナ、帰ろう。今なら帰れる、このままだとスズナ、人間界に居られなくなるかもしれない」
「……ケンタルモンの予言、ナズナも聞いたんだ」
ナズナの言葉にもスズナが感じたのと同じように安堵が見えたが、スズナの返す言葉には、後悔が滲んでいた。
「シグレも聞いてたよ。あんまり見せられた顔はしてなかったね、魂が抜けたようないまさらと呆れたような……」
「シグレも見て見ぬふりしておきたかったところだったのかな」
見て見ぬふりなんてもうできなかったんだ、そんな状態じゃなかったんだ。そうと産まれてしまったから、いずれは向き合う運命だった。自分が立ち止まっていても、運命の方は止まってくれない。
スズナは目に涙が溜まってくるのを感じたが、それをナズナが近くにいるせいと思う事にした。
避けなきゃよかった。もっと話し合う時間を用意すればよかった。もっと二人と一緒に過ごそうとすればよかった。マスクしてゴーグルでもなんでもかけて、今まで通りであることよりも二人といる事を選べばよかった。
天使を殺さなければそれでいい、しかし、天使を殺せば私はヒトとして生きられない。
今、引き返せばスズナはヒトとして生きられる。そうわかっているしナズナもそう勧めている。だというのに、即断してはいけない気がした。
「気高き王の子よ、ここはこのサタナキアに任せて離脱なさいませ! 我は蝿の王の忠臣、テスタメントにおられるもう一人の父上の部下にございます!」
外で悪魔がそう大きな声を上げた。誰に向けて言っているか想像するのはスズナにも難しい事じゃない。父は別のデジタルワールドでは悪魔の王のベルゼブブである、そうサジタリモンも言っていたから。
そして、スズナは逃げられなくなった。
「……戦わなきゃ。今帰ったらあのどっちかが家までやってくる」
テスタメントにおける悪魔と天使は敵対関係、それぐらいはスズナにだって予想できる。
悪魔にとってスズナが重要な存在ならば、天使にとっては敵対する理由になる。もしも天使が家まで来たら、魔王に身を捧げ、悪魔の子を産み下ろした母はどうされるか。想像したくもなかった。
スズナは知らない事だが、テスタメントはキリスト教的な世界観であり、且つそれは限りなく時代錯誤でひどく過激なものであった。隣人愛を掲げているが、善き異教徒は隣人でも単なる異教徒は異教徒であって隣人ではない。
悪魔の母はテスタメントのデジモンから見た時、人ではないだろう存在だった。当然、スズナにとっての近隣の人達は基本的には日本人で宗教観は他宗教的でガッタガタのルービックキューブ状態。白と黒の二色しか許さないテスタメントから見ればほぼ異教徒と言って差し支えない。
数十人ぐらいの規模の被害をもたらすのはあの天使と悪魔ならば容易にできるだろう。被害を拡大させる事を重視すればさらにそれは多くもなり得る。
「……わかった、付き合うよ。どうせ人間界にいられなくなったら僕も一緒に行くしさ」
ナズナはそう言って笑った。スズナは目に溜まった涙を拭った、今泣いて水を差したくなかった。
「持ってきた武器って何がある?」
「槍と、ナイフ……は置いてきちゃったね。弓矢は嵩張るから持って来なかった。ロープも落としちゃったし……」
「じゃあ槍だけね」
槍の長さは一メートル半と少し、普段から使っているのでスズナも間合いはばっちりだけども、投げるにはやや長く投げずに突くには短すぎる。一回限りではあるけれど殺傷力を持って十分届くが、そう都合いい棒が学校にあった覚えが二人にはなかった。
「……あ、トモネさん。トモネさんが生きていればとりあえず攻撃手段は手に入る」
氷で投槍器と槍を作れば何回でも投槍でき、鋭さが足りなくても重さがあればダメージにはなる。
「誰それ」
「ウィッチェルニーとかいうデジタルワールドのデジモンとのハーフ」
その人本当に味方なのとか言うナズナをなだめながら屋上に急いだ。
その途中、邪魔だなこれとナズナが翼に刺さった矢を抜いた。翼に刺さりはしたが、羽根に穴が開いただけで肉には刺さっていなかったらしい。しかし飛べるかといえば片翼の筋肉が痙攣していて当分飛べそうになかった。
スズナが階段を登っていると、一瞬額に痛みを感じたが触っても血も出ていなかったので、きっとアレルギーのせいと無視をした。
屋上に向かう階段に二人が着くと、そこには点々と血が垂れていた。血の量は少なく、よくよく見れば破壊した屋上の扉の破片に引っ掛けたらしい血の跡があった。
トモネは襲われる直前にどこかに避難した、しかし焦っていた為に扉で手を切ってしまったのだ。そう考えるべきだとスズナは考えた。天使から見た時、ただの人に見えるトモネはおそらく後回しにされたのだ。
実際それは間違っていなかった。天使が反応したのはミョルニルサンダーという、技の名前。ケルトの雷神に由来するその技名を聞いて、敵対世界の存在であり布教対象ではなく布教における競合相手だと認識したのが天使からの攻撃の真相だった。
今からトモネさんを探して見つかるか。スズナが迷ってると、ナズナはその肩を叩いて首を横に振った。
「僕がいれば攻撃はできるよ。痙攣が治れば近づいていって地面に引き倒すこともできるかもしれない。そうしたらあとはスズナに任せるから」
でもそれじゃナズナの負担が大き過ぎるとスズナが渋っていると、額が急にズキズキと痛くなり、目には涙が滲み鼻水も出てくると共に、頭の中に響く様に声が聞こえてきた。
『スズナ、私の子よ、荒ぶる雷の如き子よ』
「お父、さん……?」
『その体に眠る力を目覚めさせよう……』
「ちょっ……待って、説明をして……」
スズナの制止も虚しく声は勝手に消えた。額の痛みも鼻水も涙も何もなかったかのように声と一緒に消え、代わりにスズナは額に第三の目が開くのを感じた。
そして、その力は元から自分のものだったものなのだとも理解した。
「……ナズナ、行こう。今なら戦える」
屋上に出るとまず、スズナは槍を持った右手を天に掲げた。
手の中で槍が全く別の赤い棒状の謎の武器に姿を変えていく。それはバアルモンという種の肉体に備わった武器であり、雷そのものでもある。
「カミウチ!」
スズナの声に呼応して青い空に黒雲が渦巻き、直下の天使へと雷が落ちる。
天使の身体は雷を受けて痙攣し、身動きが取れないままに悪魔の追撃に打たれる。
さらにもう一度雷鳴が轟くと、天使は何の言葉も発さず翼を動かすこともなく、ただ重力に引かれて墜落した。
最後の雷撃を放ったのはナズナだった。スズナが構えた棒を手で押し下げて、必死の形相だった。
簡単な話だ、ナズナもいくら受け入れる様に口では言っていても、本心で受け入れるにはまだ遠く、スズナが天使を殺そうとしたとしても自分が手を下したならばまた変わるのではないか。そんな望みが捨てきれなかった。
ナズナの手を掴んで剥がし、スズナは柵から間を乗り出して校庭を覗き込んだ。もう、天使に追い討ちの必要はない。天使は死んだ。
「おお、気高き王の子よ。このサタナキア感服致しました。なんと素早い覚醒であられるのか。見たところまだ未成熟な身体ながら、天の裁きの如き一撃。やはり貴女こそベルゼブモン様の後を継ぐべきお方」
傘を広げながら悪魔は屋上に着地すると、すぐに跪きスズナに対して頭を垂れた。
「私は、イリアスのバアルモンの子。悪魔にはならない」
スズナは赤い棒を持つ手に力を込めた。お前がただ黙っていれば、こんな事にはならなかったかもしれないと、そう口に出す事はしなかった。
口に出したからってスズナの為を思ってナズナが殺意を持って攻撃をした事実も、額に第三の目が開いてしまったのも変わらない。当然、予言の内容も変わらない。
その代わりにスズナは下唇を噛んだ。
「……んー、それは困りますねぇ」
悪魔は困った様に言って、首だけ上げた。
「ベルゼブモン様は今危篤状態。アーサー世界のアヌビモンがクラブミュージックに目覚めてしまったばかりに我々は今組織として瀕死なのですが……経緯はどうでもいいですね。ともかく、地獄の三大支配者の一角が落ちようとしているのです。イリアスではオリンポス十二神にも数えられないお父上の扱いを思えば、これは破格の申し出だと思うのですが。なにせテスタメントにおける主を除いてデジモンとしてその姿があるものの中では上位六位、いえ、サタンたるデーモンも同格で七位ですね。七番目までには入る位なのですよ?」
「だったら、どうしたの」
悪魔の顔は骨であったが、それでもその表情はにやけて見えて、スズナは叩き割りたくて仕方がなかった。
「この私、サタナキアも、地獄では十本の指に入る存在であるので貴女と比べれば今はまだ格上なのだと申し上げているのです。そんな私が、あえて下手に出て穏便に事を運ぼうとしている事をどうぞご理解頂きたく……」
いつでも手に持った棒で殴りつけられる様に三つの目でしっかりと悪魔を睨みつけ、距離を測った。外す距離じゃない、殴りかかるまで一息、座り込んだままの悪魔が立ち上がったとて避け切れはしないだろう。
「……スズナ、本当だとしたら相当やばいよ。無理しないほうがいいかも」
ナズナに止められた隙に悪魔はスズナを見たまますーっと浮くみたいに立ち上がり、ばっと傘を開いた。
あとほんの一呼吸で戦いが始まる。というところで、屋上のドアが勢いよく開かれた。
「スズナさん! そいつクソペテン野郎だよ私にはわかる! そいつの種族はメフィスモンだからそいつの正体はサタナキアじゃなくてメフィストフェレス! 名前の由来が嘘を意味する言葉だとか、光を愛さざる者の意だとか言われてる小賢し小物系の大悪魔! でもサタナキアに比べれば小物もいいところ!」
そう叫んだトモネさんの手には園芸用のホースが繋がれていて、制服の袖や足元を水浸しにしていた。
「小物系の大悪魔ってどっち……」
少しだけスズナの表情が緩んだ。視線はメフィスモンから外れず手に篭った力も抜けはしない、しかしそれまでより目の前がよく見えた。
「……愉快なお嬢さんがいらっしゃいましたね。たかが人間のお嬢さんになぜそれがわかるのです?」
「追い詰められた犯人のテンプレみたいな事言ってるけど、私はスズナさんに信じてもらえるとわかってるから言ってる。その根拠を明かす理由がある?」
なるほど、とメフィスモンは言って、それから額に手を当てるとげらげらと下品に笑った。世界の全てがおかしいとでもいう様に、身をグロテスクに捩りながら顎を外れんばかりに開いて嗤い続けた。
そして、一通り笑い終えるとすんとまたすまして話し出した。
「えぇ、私は確かにメフィストフェレスなりし悪魔にございます。身分の詐称は些か失礼、しかし悪魔というのは今更の話、そも私は魔王の座に興味はございませんかとお誘いしている事には嘘はないのですから。しかし、自らを大きく見せて脅す事はできませんね。困りました……困り過ぎて奥の手を出さねばいけなそうです」
そう言って腹をさすると、その腹がぼこぼこと沸騰したかの様に泡立ち、そこから突然人のものに見える手が現れた。
「どうですか、この奥の手。地獄の炎と幻を操るという伝承の私ですが、そうしたものが得意というだけの話、自身の体内に圧縮空間を作り人質を取るなんて、隠し芸の一つ二つも修めております」
その伸びた手は少年の手で、とても美しく、スズナとナズナがある人物を想像するのには十分だった。
その顔を見て、メフィスモンは笑みを深めながら顔をお見せしましょうと自分の腹部に手を突っ込んで掻き回し、ある人の顔を引っ張り出してきた。
「えぇ、きっと予想されていた事でしょう。貴女の事を思ってくれる優しい幼馴染、シグレ君です。彼は貴女からのメッセージにそちらの小鳥ちゃんが武器を持って飛び出した折、一緒にいたにも関わらず行けば足手纏いにしかなれないと拳を握りしめ無力に打ちひしがれておりました。彼はちょっと親戚の功によるものか美神の恩寵を受けているようですが、基本は無力なただのヒト。私が代わりに助けましょうと、ほんの少し提案するのみで簡単に私に身をゆだねてしまいました」
造詣が美しいのがいいですね、とメフィスモンは言って上機嫌に傘をくるくると回した。
「……『悪』とはてめー自身の為だけに弱者を利用し踏みつけるやつだった偉い人が言ってた」
「んんんー……気高き方の娘さんのご学友のお嬢さん。そう突然お褒め頂いても困りますねぇ。おだてられても何も出ませんよ? ましてお腹から彼が出るなんて事はありません。ちなみにその偉い人とやらを伺っても?」
「……空条さんっていう海洋学者だけどそれがどうしたこのやろう! アレだぞ! 私達ウィッチェルニーの民はいろんな世界に肩入れする分その最初に味方すると信じた世界は裏切らないんだからな! 手ぶらでお帰りいただく為のゲートならいつ開いてやってもいいんだからな!」
トモネがぎゃんぎゃんと吠えたてているが、スズナは内心焦っていた。カミウチもミョルニルサンダーも雷。メフィスモンの頭だけを吹き飛ばす様な事はできない、もししようとすれば感電して先にシグレが死んでしまう。
では一気に殴りかかればどうか。体の内に収めているというそれの理屈がわからない以上は下手に手を出せない。体のどこからでも自由に引き出せるとなれば、殴った場所にシグレの体がとなる可能性もある。メスィスモンに確実に勝る力、速さ、体格が要る。
シグレを殺せばメフィスモンは打てる手が無い。だからシグレが殺される事はない、しかし、殺さない以外の手は幾らでも打てる。
「まぁまぁ、彼の気持ちに免じて来ていただけませんか、我々の世界へ。彼が私に何を願ったと思います? あなたと共にいたいですよ。健気ですねぇ、可愛いですねぇ。貴女が我々の世界へと来てくださればよいのですよ。私はこれでも約束は守るタイプの悪魔ですからねぇ、貴女さえ素直に来てくだされば、我々の世界での彼の生活は私が保証しましょう」
メフィストフェレスについてスズナは詳しく知らないけれど、きっとこの発言は嘘ではないだろうとは思った。
信仰を得ると強くなるシステムもよくはわかっていなかったが、ベルゼブモンという有力な魔王に集まるそれをスズナに集めてしまおうと考えているのだとしたら、スズナは近く力を増す事になる。メフィスモンより強くなったスズナをコントロールするための手段として、シグレの身柄を押さえたままにしておくのはあり得ると考えた。
スズナにはシグレがどういう気持ちで自分といたいと願ったか、当然わからない。そこにある気持ちが友情なのかもわからない、この世界で一緒にいたいなのか、それともメフィスモンが言う形ではなくとも別の世界であってもいいから一緒にいたいなのか。
確実な事はスズナには何もわからない。
しかし、スズナにとって確実なのは、シグレは私がなんでもない日常を望んでいた事を知っているということであり、シグレはスズナとナズナと一緒に何気ない日を過ごすのが好きだということだ。だから、ナズナとのちょっとした喧嘩もいっそ思いっきり喧嘩しようとしていたスズナを止めて大事にならない様にとしてくれた。
「悪いけれどそのやり方じゃ、あなたは対価の代わりに願いを叶える悪魔の本分も果たせないんじゃない?」
メフィスモンを倒す手に関して、スズナは一つだけ思いついた事があった。今ある手ではなく今はまだ持っていない手。しかしそれを踏まえてもワンアクション足りなかった。
ナズナにできる限り近づく様に動きながら、スズナはメフィスモンに話して隙を窺う事にした。
「えぇ、確かに。彼の本心からの願いではないでしょうね。しかしながら、契約は契約。私はその時交わされた言葉を解釈するのみですからねぇ……彼の魂は私のものです」
スズナがふと、ナズナの手を掴んだ。ナズナは何やってんのと一瞬払おうとしたが、それでもスズナが掴み続けていると理由があると察して振り払うのをやめた。
あとは、シグレを少しでも引き剥がせればいい。スズナは額がズキズキと痛み始め涙も溜まりだしたが、それでもメフィスモンから目を逸さなかった。
一体何を見せてくれるのだろうかと興味津々にスズナを見るメフィスモンに、トモネは自分が意識から外れたと見て氷の球の様なものを投げつけた。
メフィスモンは着弾する前にそれに気づいたが、女子中学生の腕力で投げられたたかが氷の塊と、それを避けもしなかった。その氷の球はメフィスモンの立派な角に当たって破裂し、体中や腹部に浮き出ているままのシグレの顔に中の赤紫色の液体をぶち撒けた。
「これは……なんだッ!? 何をした!」
メフィスモンは不意に襲いかかってきた痛みに身を捩らせた、その体からは炎の様なものが上がり、翼は溶けて髪は抜け落ち皮膚は爛れていく。
「例え私にキリスト教の信仰が無くとも、神の血そのものである聖別後の葡萄酒なら話は別でしょ?」
トモネの作った隙に、スズナはナズナの体に思いっきり自分の顔を埋めた。
第三の目が開いた時、つまりはスズナがデジモンとしての能力が目覚める時の感覚は、ナズナの匂いを嗅いでいた時のアレルギー症状と同じに思えたのだ。
頭痛、鼻水、涙。アレルギー症状に思えたものが実は別の意味があるもの、つまりはスズナのデジモンとしての力の覚醒に伴う成長痛の様なものだとしたら。
ナズナはミネルヴァモンがスズナのそばに置いた眷族の様なもので、それは神が何かを英雄達に与える神話の定番そのもの。
父であるバアルモンが呼び水になって目覚めた様に、身体が成長してきてナズナとこれ以上触れ合えば目覚めるに足る状況になっていたから、スズナの身にアレルギーの様な症状が出たのではないか。
今はまだヒトの形を保っているスズナも、その進化をしたらもうヒトの姿でいられなくなるかもしれない。
それでもいいとスズナは思った。ヒトの世界に居られなくとも、ヒトでさえなくなっても、そんな事は今失うかもしれないものに比べれば些末なものだった。
スズナの仮説はその身を持って証明された。
ナズナの身体は瞬く間に金色の光る粒子となって渦を巻き、スズナの体に纏わりつくとその体を進化させながら硬化した。
気がつけば全身金色の金属で覆われた、鳥人とでもいうべき姿のデジモン、クロスモンになっており、力の抜けたナズナは元のスズナの膝ぐらい程度のフクロウのデジモン、アウルモンになっていた。
クロスモンの姿にヒトの面影は手足の数ぐらいしかなく、黒い仮面で顔も覆われてまるで機械の様ですらあった。
スズナが距離を詰めようと一跳びすると、勢い余ってメフィスモンの体が柵に押し付けられ、柵は勢いに負けて曲がりその体を維持できなくなった。
「がッ」
肺から空気を押し出されている様なメフィスモンの首をスズナは左手で掴み、右手を腹の中に突き刺してシグレを無理やり引き摺り出した。引き摺り出したシグレを遅れて側に飛んで来たナズナに引き渡し、スズナは右手で拳を握った。
両の手で、手に持った傘で、それでもダメなら何らかの魔術の様なもので、メフィスモンは抵抗したがスズナにはそのどれもが通じなかった。体格が、力が、打たれ強さが、種としての壁はあまりにも高く立ち塞がっていた。
スズナは一度首を掴んでぐるりと腰を回して頭から屋上へ叩きつけると、抵抗が弱々しくなったその体を空へと放り投げた。
次の瞬間、屋上にいるスズナの口からから空へと真っ白な一条の線が引かれた。その只中にいたメフィスモンは断末魔を残すことさえできずに灰になり、風に吹かれて霧散した。
少しすると、スズナはまたクロスモンではなくなったが、額の第三の目は消えず、黒かった髪も半分金になってただの人とはもう誤魔化し切れない状態だった。
一月後、スズナは人間界を強制退去させられる事となった。
そして二度と、人間界の土を踏むことはなかった。
後書き
NEXTではお世話になってました。へりこにあんです。ここもまた移動するだろうということで、ここに私が上げるのは最初で最後なのではとちょっと思ったりしています。
ひとまず読んで頂きありがとうございました。人間としての生活の最後、家族の絆と幼馴染との絆みたいな感じでね。まぁ本家のラスエボは観てないんでこんな感じに。
キャラの名前は大根だらけです。トモネとか読み方変えた大根なので、スズシロ トモネはダイコン ダイコンみたいなもんです。紅時雨とかも大根です。七草にしたかったのに何でこうなったのでしょう。
ちなみに予言の件ですが、この後スズナさんはなんやかんやでミネルヴァモンに一回会わなきゃなんねーべとイリアスに行き、そしてなんやかんや人間界には帰って来れない事になって一生を終えます。シグレは二十年ぐらい人間界で待つけれど最終的にデジタルワールドまで追いかけに行きます、青春ですね。スズナさんはその頃にはバツイチです。政略結婚しようとしたけれど失敗する感じです。
