前回のお話https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/puroziekuto-torihune-9-yuan-uxing-nomagia
◇
「お待ちしておりました、羽衣香殿」
すっかり日が落ちた街を駆け抜けた先。
いつもの展望台に、羽衣香達はいた。
「『羽衣、二つ星を連れ立つ。魔の星と鬼門をくぐるを共にす』、と星が申しておりました。まさに、その運びでございます」
紫の狐面の女が錫杖を手に、空を見上げる。
デジモンだ。
「ポコモンちゃん!」
「お久しゅうございます羽衣香殿。ワタクシ改めましてクズハモンと申しまする」
「ヒヒ、大した星読みだねェ。人を食ったのかい」
「ンン、そこは秘匿事項にございまする。今は関係の無いことでしょう、魔女殿」
「そうだねェ。……鬼門が完全に閉まる前にアタシとお前さんの力で鬼門をこじ開けてダークエリアへの道を拓く」
星が瞬く空を見る。
いつもここから見る景色は美しいが、肌にちりちりとした妙な感覚が走り、落ち着かない。
違和感によく目をこらせば、星空の一部に異変が起きていた。
まるでパソコンやテレビがバグを起こしたかのような原色のノイズが小さく浮かんでいる。
その中に、星が輝いている。
丁度、東の方角。羽衣香もよく知る星だ。
「金星……?おかしいよ、この時間には金星は見えないよ?」
「さすが羽衣香殿。そう、あそこに輝くは金星。ただの金星ではございませぬ。ド金星……ンン、というのは冗談で。あれは鬼門の先に輝くものです」
「ダークエリアにあっても、その輝きを失っておらんというわけさ。ほれとっととやるぞ陰陽師。きばりな」
「期待以上をお見せしましょうぞ」
アステリアーモンが羽衣香の手を引き、後ろに下がる。
星から視線をずらすと、クズハモンの後ろで、フツコが落ち着かなさそうにその様子を見守っていた。
あの事件以降、またなかなか会う機会もなく、様子を聞くに聞けることがなかった。思わず名を呼ぶと、声に気づいたフツコは軽く手を振り返す。
すこし、ぎこちない。
「行くぞ狐ェ!」
「お任せあれェ!」
2体が裂帛の声を上げると同時に、錫杖から高い金属音が鳴り響く。
激しく巻き起こる風から羽衣香を守るために、身を抱き寄せるアステリアーモンにしがみつき、ノイズの向こうの金星を見つめる。
「三叉に交わる路を今開かんッ!
"トリオディティス・ゲート"!!!!」
その一声の直後。
一瞬膨張し、直ぐに縮小したノイズが弾けた。
「"金剛界曼荼羅・界"!」
すかさず錫杖を掲げ、強く地を打ち据えると、円形に開いた空間が金の曼荼羅模様に固定され、光が複雑な模様を描きながら真っ直ぐに足元まで橋を架けた。
夜空よりも深く暗い闇の向こう、金色に輝く回廊の先で金星が輝いている。
「……やるじゃないのさ、陰陽師。人を食っただけあるね、ヒヒ」
「ンンフフ、言われなさる。……さて、ここからはワタクシ達の戦いです」
クズハモンの視線に応えるように、アステリアーモンが頷いた。
「羽衣香ちゃん、本当に行くの」
深刻な声音で問われ、羽衣香は躊躇うことなく頷く。
輝く金星を見つめ、左腕のデジヴァイスを触り、流れるようにミサンガを撫でた。
「行く。ミカモンが待ってる。羽衣香はミカモンの忘れ物を届けに行かなきゃいけないから」
胸に手を当て、ミサンガに祈りを込める。
ミカモンの首につけた、お揃いのミサンガに込めた願いを強く強く思い浮かべて。
デジヴァイスは未だに微かなバイタルを受け取っているのだから、希望はある。
「……羽衣香や」
ヘカテモンがふわりと目の前に降り立ち、6本の腕を差し出し、胸に当てた小さな手と羽衣香自体を包み込む。
驚く羽衣香の目の前、ヘカテモンの掌から輝くキューブが出現した。
「きれい……。これ……」
「お前さんにこれを返す時が来た。……これはお前さんの、ハヅチが乗っていたロケット"イワクス"のデータさ」
「パパのロケット?」
「アタシはハヅチを殺した犯人からこれをずっと守っていたのさ。唯一の遺品だからね。羽衣香、これはきっと今から闇へと向かうお前さんの助けになってくれる。なんたってハヅチの生んだデータだから」
小さな手にデータを渡し、そのまま包み込む柔らかさで握り締める。
データは光となって指の隙間をすり抜けるように、そのままデジヴァイスへと溶け込んでいった。
「イワクス、と言うのは神の名でございます。鳥之石楠船神。または、天鳥船神とも申します」
クズハモンが羽衣香の肩に優しく手を置き、語る。
「雷の神を乗せて地上へと赴いた空飛ぶ船の神。貴方の名前の鳥船と、その神話を元にお父様は名前をつけられたのでしょう。……きっと金星まで、貴方を届けてくださるでしょう」
クズハモンの優しい語り口に、アステリアーモンも少し涙ぐみながら力強く頷く。
あの日の展望台、プラネタリウムの思い出、父と母の仕事場に遊びに行ったこと、今までの記憶が鮮明に輝き始め、羽衣香は目頭が熱くなる。
父の思いの籠ったデータの柔らかな光を胸に抱き、羽衣香は力強く前を向く。
光の道へ、1歩を踏み出す。
何があるか分からない先だ。
震える羽衣香の手を、アステリアーモンとヘカテモンが握るより先に、後ろからついてきたフツコがそっとすくい上げた。
「大丈夫だ。私がいる。羽衣香ちゃん、行こう」
力強いフツコの言葉に、羽衣香は顔を上げ、力強く頷く。
フツコのその様子に、アステリアーモンが思わず手を伸ばすが、思い詰めたかのような顔をして、手を引っ込めた。
「あなたも行くの?……あなた、でも」
アステリアーモンの不安そうな言葉に、フツコは振り返らない。
「羽衣香ちゃんを守ると決めた。どこに行こうが、私は私の使命を果たす」
片手を強く握り締め、闇の先の金星を蛍光を帯びた黄緑の目で睨みつける。
不安な色を滲ませるアステリアーモンに、ヘカテモンは首を振って諦めを促せば、申し訳無さそうに俯いたまま、2体は1体と1人の背を追いかける。
「皆々様!無事を祈りまする!」
クズハモンの叫んだ言葉に、振り返った羽衣香は笑顔を見せて、すぐに向き直って走り出して行った。
◇
「やれやれ、厄介なことになったね」
足元に昏く澱む漆黒を覗きながら、堕天使は呟く。
漆黒の正体は水だ。
いや、水に近いなにか。
自身の縄張りに突如現れた黒い海は、ただそこに静かに凪いでいた。
中にデジモンの気配をヒシヒシと感じるが、普段ダークエリアにいない深海に棲うものの気配に近い。
別に自分程のデジモンであれば、多少潜っても影響はない。濡れるから入るつもりは毛頭ないが、現に様子を見に行った嫉妬の獣が途中まで無事だったからである。
問題はこの海の主。
流石に深く潜っていった先で強烈な何者かの攻撃を受け、獣は慌てて陸へと上がってきたのだ。
水底にいる……主は自身に近い"それ"であると、堕天使は確信していた。
「これどうすんだよ」
「どうするったってね。水底がぼく達を拒んでいるんだもの。どうしようもない」
「チッ」
黒い翼を羽ばたかせ隣に滞空する悪魔と共に、黒い水面を見つめる。
水底に沈む星が、自分達を睨みつけているような鋭い殺気を感じながら。
「……?」
白い羽を震わせ、おもむろに堕天使は澱む空を見上げた。
「どうした?」
「……フフ、」
「……?……あ"?」
空に走るノイズ。
ダークエリアでは絶対に拝めない、輝く光。
赤い瞳が光を見つめる。
「星……?」
それが見えてすぐ。凪の海がざわつき始めると、あっという間に海面は嵐が来たかのような荒れ模様となっていった。
「フフ、どうやらこの海はあの星を待っていたみたいだね」
「……なるほどな。同族ってワケだな」
2体は空を見上げ、徐々に近づく輝きに目を細める。
「水底に沈む金星と、空から舞い降りる金星、か」
自身を構成するものが、水底の激昂と空の輝きに呼応する。艶やかな紫をひいた唇が、緩く三日月を描いた。