※本作は既存作である『砕壊ゴグマゴグ』を改稿し、新しいシーンを付け加えたものになります。
既に『ゴグマゴグ』を読んでいただいた方にこそ読んでいただきたい作品となっておりますので、お楽しみいただければ幸いです。
「それ」は深い暗闇の中で目覚めた。見ていた夢は霞と消えて、手の中にあった筈の温もりの在処は、終ぞ分かりはしなかった。
◇
「それ」が目を覚ました時、「それ」は相も変わらず光も届かぬ洞窟の奥底にいた。
地鳴りのような唸り声を上げて「それ」は動き出す。「それ」の動きに合わせてぽろぽろと零れ落ちたものは、「それ」の身体の一部だった、小さな小さな小石だ。
「それ」は、岩石と宝石からなる肉体を持つ、デジタルモンスターである。自他共にそう理解していた。
デジモンたるもの、「それ」にも幼年期や成長期だった時代があったのだろうが、「それ」には幼き時分の記憶は残っていなかった。
「それ」の最古の記憶は、今朝のように真っ暗な洞窟で目覚める場面から始まっている。眠りに就く前に何を見ていたのか、「ある一点」を除けば何も思い出せなかった。
雨にも打たれず風にも削られさえしなければ、悠久の時の中にただ在り続けるのが岩というものである。
きっと自分は、記憶が磨耗するほどの永い時を過ごしたデジモンなのだろう。と、「それ」は「それ」から逃げ惑う、小さなドラコモン達の姿を見て理解していた。
かつての自分は足元でうろちょろしているゴツモンのように、矮小な岩のデジモンだったに違いない。などと呑気に考え事をしながら、混迷極まるデジモンの群とすれ違っていく。
やがて視界の端にちらりと光が見えてくる。
ヒカリゴケやツキヨタケのぼんやりとした光ではない。もっと強くて、はっきりとした輝き――太陽の光だ。
これこそが「それ」の目的。「それ」は光をもたらす場所、すなわち洞窟の出口から飛び出し、太陽の光をこれでもかと浴びた。
体中の透き通った宝石を通して日光を取り込み「それ」は生きている。
洞窟に住むデジモン達と岩石を取り合う必要も無ければ、彼らを捕食する必要もない。
それでも「それ」は、洞窟とその周辺に住むデジモン達に恐れられていた。暴力を振るった覚えなどないのだが、「それ」は「長命故に強大な力を蓄えていると思われているのだろう」と納得していたので、気に病みはしなかった。
「それ」は太陽が好きだ。太陽は暖かいし、太陽の光は美味しい。だが、それだけじゃない。
暗闇の記憶の中で唯一光り輝く記憶、誰かの笑顔の記憶を思い出させてくれるから好きなのだ。
今となっては笑顔の持ち主が誰なのか、「それ」に確かめる術は無い。「彼女」がデジモンかどうかすら、定かではない。少なくとも、この山には同じシルエットの持ち主はいない。
何も覚えていやしないというのに、太陽よりも眩しい笑顔が愛しくて仕方がなかった。どうして愛しいのかも分からないのに。彼女の事は顔以外、何一つとして知らないのに。
この胸に溢れる感情だけは失ってはならないと、「それ」は心の底から信じていた。
会いたい。会いたい。会いたい。
だから、会いに行った。
いつだって良かったのだ。「彼女」の記憶が磨耗する前ならば、いつ出発したって良かったのだ。それがたまたま今日だっただけの話だ。
洞窟の出口からたった三歩先までしか知らない「それ」は、愛しさの正体を探して駆け出した。
◇
「……見つけた」
いつでも良かったのだ。彼ほどの執念の持ち主ならば、「それ」がいつ住処を発っても「それ」を見つけられただろうから。
朝露煌めく新緑の森から荒野めがけて、玉虫色の槍が行く。
◇
きらきら、きらきら、光っている。
「それ」はそのような光り方をする物体を知らなかった。
精錬された金属は勿論、金属光沢に似た輝きを持つ甲虫の翅など、荒野にある洞窟の中にいた「それ」には知る由も無かった。
緑色にぴかぴか光る鎧は、いくつもいくつもの色を持っているその石は、なんていう宝石なんだい?
「それ」は訊ねてみたかったが、「それ」はあまり賢くないので言葉をよく知らなかった。
言葉選びに手間取る「それ」の代わりに、ぴかぴか光る鎧の持ち主が言葉を発した。
「こちらジュエルビーモン! 報告します、例の巨人の破片を発見!場所はポイントA108、ゴグマモン種の形態へと変化しています、討伐許可を要請します!」
「それ」はここで初めて、己が「ゴグマモン」という既知の存在にカテゴライズされている事を理解した。
岩石で作られた巨大な体。体表を突き破るように生えている水晶。ボサボサな橙色の髪。
これらの特徴を持つ仲間がいたのだ。もしかすると、「彼女」も自分と同じゴグマモンだったりして。
そう思うと、「それ」から「ゴグマモン」になったものの心は軽くなった気がした。
ゴグマモンは自分が知らない自分の事をもっと知りたかったが、とても質問できそうな雰囲気ではなかった。
ジュエルビーモンを名乗った彼は、どうやらゴグマモンに敵意を抱いているようなのだ。
「貴様の討伐許可が下りました。さあ、今度こそ一片の欠片も残さず破壊します」
煌めく鎧のジュエルビーモンは、一切の混じりけのない殺意を以て、緋色の穂先の狙いを定めた。
ゴグマモンの理解は未だに追いつかない。元々頭の回転は早い方ではないが、それを抜きにしたって意味が分からないにもほどがある。
自分は「彼女」を探しに行きたかっただけなのに、どうして見ず知らずのデジモンから因縁をふっかけられないといけないのだ。
洞窟に住むデジモンならば、知らない内に住処を崩してしまったり、踏み潰してしまった事もあるかもしれない。だが、ジュエルビーモンは洞窟の外のデジモンだ。洞窟の出入り口から三歩先のデジモンには、誓って手を出していない。
とりあえず「戦う意志は無い」と示すべく、ゴグマモンは両手を上げて手のひらを見せた。
「おや。では、我々に投降しますか?」
不戦の意志は伝わったものの、どうも曲解されてしまったらしい。ゴグマモンは首を横に振った。
「ではなんです?あれだけの事をしでかしておきながら、この私に見逃せと言うのですか?」
ジュエルビーモンは敬語こそ崩していないが、その言葉には一朝一夕ではとても生み出せないような深い憎しみが込められていた。初対面のゴグマモンでさえ分かってしまうほどに。
「おれ、なに、した」
身に覚えの無い憎悪に晒されたゴグマモンは、数少ない語彙を集めて訊ねる。
意味のある言葉を発したのは、前はいつだったか思い出せないほど久々だった。声を発して初めてその事実を思い出したほどに。
「やはり貴様も覚えていないか……!」
ジュエルビーモンがゴグマモンを軽蔑するように睨みつける。
ゴグマモンは恐れられるのには慣れていたが、蔑まれるのには慣れていなかったので嫌な気分になった。
「まあ、それが当然の事なのですがね」
急にジュエルビーモンの口角がつり上がる。浮かべているのはただの笑みではなく、嘲笑だ。
「貴様は文字通りの欠片、怪物の残滓でしかなく、本体の記憶など持ち合わせている筈がない」
ゴグマモンのあまりよくない頭では、ジュエルビーモンの話を理解できなかった。
自分と、自分以外の誰かの話をしている事だけは辛うじて分かった。
「欠片の一部からデジモンが再生してしまうほどの生命力は、流石はパートナー持ちといったところですが……貴様は違う。貴様は所詮、奴の残りカスでしかなく、我々の敵ではありません。しかし、元々奴の一部だった以上は塵も残さず排除します。以上が貴様と戦う理
由です。他に質問は…………?」
ジュエルビーモンは怪訝な表情を浮かべた。
「貴様、何を泣いているのです?」
ゴグマモンはぼろぼろと涙を流していた。乾き切った筈の身体から、涙が湧き水のようにこんこんと溢れて流れ落ちていた。
ここまではっきりと言われてしまえば、ゴグマモンにも理解できる。
ゴグマモンには「本体」と呼べる大元のデジモンが存在していたのだ。
ゴグマモンが毎朝体を起こす度に、体が僅かに欠けて落ちる小石。ゴグマモンとは正にそういう存在だった。その小石が生意気にも自我を持ってしまった、それが今のゴグマモン。
暗闇で目覚めるより前の記憶などある筈がなかった。その頃の自分は生き物ですらなく、別の知らないデジモンの体内に収まっていたのだから。
太陽のようなあの子の記憶はきっと自分の記憶ではなく、本体がうっかり落とした一葉のぼやけた写真のようなもの。ただの残りカス。
あの子の笑顔も、あの子を大切に思うこの気持ちも、自分ではない誰かのもので、自分はずっと思い違い、思い上がっていたのだ。
それに気付いてしまったゴグマモンの涙はもう止まらなかった。
「あ……、あの子、は、」
止まらなくても、確かめなければいけない事があった。
「あの子……?まさか、奴のパートナーの事を言ってるんじゃないでしょうね」
ますます表情が険しくなったジュエルビーモンに向かって、こくりと頷いてみせる。
「何故それを貴様が気にするのかはどうでもいいとして、奴がどうなってるかなんてこちらが知りたいですよ。今、血眼になって探している所なんですから。さあ、他に質問は?無いなら――殺します」
ジュエルビーモンは目にも留まらぬ速さでゴグマモンに肉薄、槍より鋭い殺意をゴグマモンに突き立てる。
「あ、あの子、あの子、」
ジュエルビーモンにとって、ゴグマモンの本体だったデジモンは敵らしい。そのデジモンから受け継いだものは殆ど無いゴグマモンさえ許せないほどに、憎らしい相手らしい。
「あの子、に、」
ゴグマモンはデジモンでありながら戦った事がない。すれ違ったデジモンを突き飛ばし、戦闘不能にしてしまった事は何度かあったが、このように向かい合って戦闘を行った経験など皆無だ。
ましてや、己とはほぼ無関係の敵意に立ち向かった事など。
「に、に、さ……」
だが、もしもそれを理由にジュエルビーモンをここから通してしまったら。
今、自分を貫いた殺意はあの子を突き刺すのだろう。
「さ わ る な!」
ゴグマモンの棍棒のような腕が、ジュエルビーモンを殴り飛ばした。
もんどり打って地面に転がり落ちるジュエルビーモン。よく磨かれていた碧の鎧は砂で汚れ、ヒビまで入っている。
槍を杖代わりに立ち上がったジュエルビーモンは、怒りで肩を震わせていた。
しかし、ジュエルビーモンを震わせる怒りの源泉は、たかが鎧を破られた程度で到達するような浅い場所にはない。
「本体のみならず、残滓までもが我が“女王”の覇道を阻むとは……。そんな事は許されない! 我らが女王の名の下に、その叛意、砕いて差し上げよう!」
鎧のヒビが広がるのも構わず、背中の翅を広げて宙を舞う。
輝く上翅の下から現れた、もう一対の翅。水晶よりも透明で、削った雲母より薄い翅。
初めて見るそれに目を奪われたその瞬間、ジュエルビーモンの達人の蹴りが顔面に入った。
◇
ゴグマモンは苦戦していた。理由は単純、ジュエルビーモンは飛べるから。当たれば致命傷の拳も、届かなければ意味が無い。
一方、ジュエルビーモンの方も決定打は与えられていないものの、ゴグマモンほど焦りはしていなかった。
ジュエルビーモン種は格闘の名手である。戦い慣れておらず、腕を振り回すだけのゴグマモンの攻撃を見切る事など容易い。ただし、ゴグマモンにダメージを与えるには岩の継ぎ目や柔らかい眼球を狙う必要があるため、決定打を与えるのに苦慮しているというのが現状だ。
「戦い方は本体の面影こそありますが、あそこまで洗練されてはいませんね」
ゴグマモンの拳とジュエルビーモンの槍が一瞬だけ触れ合った。細い槍に負荷がかからぬように、ジュエルビーモンは槍に込める力を弱めて向きを変え、ゴグマモンの有り余る腕力を受け流す。
「女王、て、だれだ」
互いに喋る余裕がある内に、ゴグマモンは疑問を解消しておくことにした。
きっとこの戦いは、どちらかが死ぬまで決して終わらない。そんな予感がしたからだ。
「女王は我らネイチャースピリッツのデジモンを始め、デジタルワールドの生きとし生ける者全てを統べる女王だ!デジモンを従える者、“テイマー”を名乗る資格を持つ唯一のお方、その力は、その力は、あのような小娘が持っていていいものでは決してない!」
突如として激昂するジュエルビーモン。しかし、その怒りはゴグマモンが付け入る隙を与えてしまった。
怒りに任せた槍の連続突きは単調な動きにしかならず、ゴグマモンにも必死になればなんとか躱す事ができた。
その後、ゴグマモンはジュエルビーモンの腕を掴むのに成功し、彼が槍を突く勢いを利用して肩の間接を逆に捻り上げた。
「ぎぃやあああああ!!」
ジュエルビーモンの肩から鳴った音は、彼自身の悲鳴によってかき消される。
負傷した肩を無事な方の腕で押さえている内に、ゴグマモンは勝負を仕掛けた。両手を祈るように二つ揃えて真上から振りかぶる。
「貴様が、貴様がこうやって大将の肩をヤっちまったから進軍が遅れたんじゃねえかああああああああ!」
激昂するジュエルビーモン。敬語が剥がれた素の口調は乱暴なものであった事にゴグマモンは驚いた。
次に隙を与えてしまったのはゴグマモンの方だった。
両腕を攻撃に使えば防御はがら空き。ジュエルビーモンは光が如き速さでゴグマモンの懐に、それも真正面から潜り込む事に成功する。
再び突き出された槍の穂先は、物の見事に胸元の岩の継ぎ目に侵入。ゴグマモンは痛みに悶えた。
「かつて、我らが将軍はあの悪魔を粉々に砕いたのですよ! 決して砕けぬ金剛石と呼ばれた奴を砕いた我らが、貴様ごときに苦戦するものかあ!」
一度は崩れたジュエルビーモンの口調だが、ゴグマモンへ一撃を加えて精神的な余裕を取り戻したのか今は元に戻っている。
デジコアへの直撃こそ免れたものの、胸の刺し傷は無視できるものではない。確実にゴグマモンの体力は削られていった。
◇
「早く、早く跪け! もはや立つのもやっとなら、その力は女王への敬意を示すためだけに使い切れ!」
立つのもやっとなのはジュエルビーモンも同じだった。彼は長引く戦闘の中でダメージを受けすぎた。
元来のフィジカルの差でゴグマモンより早く砕けそうな体を、忠誠心のみで支えている。
「あの美しい花畑も、希少な宝石も、あの空だって、貴様自身でさえ!全部全部全部彼女の物だったんだ!それなのに、それなのに貴様等はどうして!」
気がつけば、ジュエルビーモンも泣いていた。
その泣き方がさっきまでの自分にあまりにもそっくりで、ゴグマモンはいたたまれない気持ちになった。
もしも勝ちを譲ってやる気が無いのなら、ここで介錯してやった方が彼は楽になれるのではないか。ゴグマモンに憐憫の心が芽生えた。
「きっ、貴様、何をする気だ!」
ゴグマモンはがばりと口を開いた。
途端に上昇する熱量。常に彼らの頭上に煌々と君臨していた太陽の光がゴグマモンの体表に生える宝石に浸透し、乱反射し、増幅され、集積され、ゴグマモンの口腔内に充填されつつある。
「まさかその技は巨人の……! やっ、やめろ、やめてくれ……!」
ジュエルビーモンの脳裏に、かつて自分が所属していた基地が仲間ごと蒸発し、壊滅した記憶が蘇る。
彼の体は本能のままに待避行動を取る。しかし、もう遅い。
小さく「キュイン……」と音がしたかと思えば、豪雷の如くに放たれる『カース・リフレクション』。
ジュエルビーモンは、射線に入った物全てが砕け散るほどの巨大熱量を一身に浴びる。余波で折れた木や抉れた地面が大気を揺るがす爆音を響かせる中で、ジュエルビーモンの体は音も無く燃え尽きた。
◇
「分かった。全部持ってけばいいんだね」
蒼く、美しい蝶の翅を持ったデジモンを前にして、ゴグマモンはこくりと頷く。
君が背負っているそれ、サファイアみたいでとってもきれいだね。
たったこれだけの褒め言葉を伝える余裕さえ、ゴグマモンには残されていなかった。
「おれ、きおく、だけ、でも」
「大丈夫。分かってる。分かってるよ」
フーディエモンと名乗ったそのデジモンは、臆する事なくゴグマモンに優しく触れてくれた。痛みで顔をしかめていたゴグマモンの表情が和らいでいく。
「そ、れ」
ゴグマモンはフーディエモンの背後にあるものを指さした。
フーディエモンの背丈の半分ほどはある、大きさな青いカプセルだ。
それは一つだけではなくいくつも連なっていて、中に白く、ぼんやりとしたもやが浮かんでいる。
「そっか。あれが誰の記憶か分かっちゃったんだね。でも、ごめんね。この記憶を担当したのは前の担当者だから、私には見せる権限も見る権限も無いの……」
フーディエモンは申し訳なさそうに目を伏せると、自身の足元に控えているデジモンに向き直る。
「分かった?モルフォモン。記憶は厳重に扱わなければいけないもの。だから、例えどんなに親しい間柄だろうと閲覧するのもさせるのも、記憶の元の持ち主と預かった担当者しかできないんだよ。今私がこの人から預かる記憶も、モルフォモンは勝手に見たりあげたりしちゃ駄目なの。あ、勿論お届け先の人だったら話は別だよ」
「あい! わかったですのん!」
モルフォモンと呼ばれたデジモンが、元気に手を挙げて返事をした。
マシュマロのような体で背負う、フーディエモンに似た翅が揺れていた。
「そう。あなたには他の記憶は見せられない。例え同じデジモンから分かたれた欠片だったとしても……この記憶は、あなた達ひとりひとりが、ひとりのデジモンとして生きた証だから。あなたの記憶も、あの子以外には誰にも見せない」
分かっている。と、ありがとう。二つの気持ちを込めてゴグマモンは深々と頷いた。
フーディエモンは分かってくれたようで、ふっと微笑んだ。
それから再び表情を曇らせて、別の話題を切り出す。
「それからジュエルビーモンの事も、許さなくていいから理解はしてあげてほしい。あいつらの女王様、テイマーの女の子。二年くらい前……あなたはもう産まれたかな。病気で死んじゃったんだ。もうちょっと頑張れば、天下統一できそうって所で……」
ゴグマモンはジュエルビーモンの涙を思い出していた。
いかにもテイマーがいるような口振りで、自分と同じ顔で泣いていた意味がやっと分かった気がした。
「あなたの“親”、ブラストモンって言うんだけどね。もしもブラストモンの邪魔が入らなかったら、デジタルワールドを支配できてたって。あいつらは本気で思ってるんだ。昆虫や妖精が天下を取る時代が来てた筈だって。フォルダ大陸を飛び出して派手に侵略活動をしてたから、ブラストモンが立ち上がらなくたって他の誰かが止めに入ってただろうけどね。それこそ、ロイヤルナイツとか」
ゴグマモンは、住処の洞窟が「フォルダ大陸」にある事も、自分が「ネイチャースピリッツ」と呼ばれる生態系に属している事も知らない。もちろん、ロイヤルナイツが何なのかも分かっていない。
天魔の類が支配するデジタルワールドを、ネイチャースピリッツから生まれた虫が支配するというのはどれほどの偉業であるのかも。
どうも自分の“親”は大それた事をしでかして、ジュエルビーモン達を悲しませたらしいというのは辛うじて理解できた。
理解できたところで、ゴグマモンにできる事は、消えていったジュエルビーモンに「ごめんね」と唱える事だけなのだけれど。
「じゃあ私達、もう行くね」
「おたっしゃでしゅのん!」
フーディエモンとモルフォモンは、数多の記憶カプセルと共にふわりと浮かび上がる。
どんどん空に昇っていく彼女達を、ゴグマモンは手を振って見送った。
蒼い翅が青空に溶けて見えなくなるまで見送った。
彼女達が完全に見えなくなったので腕を下ろすと、その腕は肩ごと地面にごとんと落ちた。
このような状態になっても、ゴグマモンは自分が死ぬとは思っていなかった。
ゴグマモンをただの岩から命に至らしめたその全ては、旅が終わるまで死なない。
◇
風に乗って聞こえてくる。
記憶の蝶のささやきが。……いや、ささやきと呼ぶには少々騒がしすぎるかもしれない。
「モルフォモン! 今、一番後ろの記憶がぶつかりそうだったよ! ちゃんと見てて!」
「ぎええ先輩、なんでそこまで見えてるんですのん? 目がたくさんついてるんですのん?」
「え、複眼だからそりゃ、沢山あるけど」
「言い方が悪かったですのん。背中にも目がついてますのん? 成長期一人じゃこんな量、面倒見切れないですのん」
「私も昔先輩に同じ事言った。先輩には訓練すればできるって言われた。実際できたから、モルフォモンにも同じ事を言うね」
「す、スパルタですのん!」
文句は言いつつも仕事はこなそうとするモルフォモン。
フーディエモンが先導する記憶カプセル同士がぶつからないように、また、離れすぎないように必死で整えていく。
「そもそもですのん? フーディエモンには記憶をバックアップする力がある筈ですのん! こんな物理的に持ち歩かなくたって、先輩の力で保存しておけば楽ちんですのん!」
声高に主張する後輩を背にして、フーディエモンは「やれやれ」と首を振った。
「それをやっちゃあ駄目なんだよ、モルフォモン。私達がやろうとしてるのは、“生きた想い”を届ける事。バックアップを取るのとは訳が違うの。生きたまま届けなきゃ。私の中に保存するんじゃあ、駄目なんだよ」
「その理論でいくと、一度先輩の中に保存された記憶は“死んだ想い”になってしまいますのん? 復元したデータには意味が無いですのん? そんな筈はないですのん」
「む、確かに」
フーディエモンは急に空中で立ち止まる。ホバリングではなく不思議な力で浮かんでいるのは流石デジモンといったところか。
「うわあ! 記憶は急に止まれないのん!」
慣性の法則で前に進み続ける記憶カプセルを、モルフォモンが慌てて引き戻した。
「ごめん。確かに想いが生きるか死ぬかで表したのはよくなかった。厳密に言えば“彼らの記憶に限っては”私の中に保存したら死ぬ、が正解だね」
「その心は?」
「だって、巨大なデジモンの欠片から自我に目覚めたのが彼らなんだよ? もう一度私の中で一つにまとめるのは、彼らの生き様を冒涜してしまうような気がして……要は気持ちの問題だよ」
「気持ち、ですのん?」
「私達デジモンは、自他の感情で“かたち”が決まる生き物だよ。気持ち、大事」
フーディエモンは再び前進し始める。
気持ちは大事にしたいけど、先輩の気持ちに振り回されるのは大変だ。と、モルフォモンは心の中でこっそり毒づいた。
「もひとつ質問ですのん、そのテイマーの女の子って本当にデジタルワールドに残ってるんですのん? リアルワールドに帰っちゃってたりとか、しないんですのん?」
「だって帰った記録が無いんだもん。確実に帰ったって証拠が見つかるまではこっちを探すしかないよ」
「アテはありますのん?」
「ないよ」
モルフォモンは途方に暮れた。ジュエルビーモン達が血眼になってもみつけられない相手を、どうやって探し出せというのだ。
それはそれとして怒られたくないので、文句を言わずに記憶の列を整え続ける。
「待ってて、ゴグマゴグのみんな。あなたたちのカケラ、残さず全部あの子に届けるから」
「ところで、貨物列車型トレイルモンを雇う予定とか、ないですのん?」
「ないよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「すごいねぇ。よく私を見つけられたね」
フォルダ大陸から遠く離れた別の大陸、だだっ広い草原が広がる以外は何もない場所。沈みゆく太陽を背にして、「彼女」はフーディエモンの到来を迎え入れた。
見つけられたとは言うものの、寧ろ「彼女」は見つけられたがっていたのではないかと、フーディエモンは思った。
風そよぎ、にわかに揺れる草の上、旅の終点にふわりと降り立つ。
落陽が染める地平で向き合う二人。先に終わりを切り出したのは、フーディエモンだった。
「すっごく大変だったんですのよん!? さあ、観念してお届け物を受け取るですのん。ハンコを押すですのん」
フーディエモンは、先輩のそのまた先輩から引き継いだ記憶カプセルの数々を、「彼女」に向かってずいと突き出す。
その数は百を超えていた。
「わわっ! こんなに? よく集めてくれたね、お疲れ様です」
かつてのパートナーの破片が百個も散らばっていたのは「彼女」も流石に予想外だったらしい。目を丸くして驚いている。
朗らかな口調とは裏腹に、「彼女」は重々しく深々と頭を下げた。
「まーじで大変でしたのん。チップを弾んでくれても構いませんのよん?」
本当に、本当に長い時間が経ってしまったと、フーディエモンは嘆息する。
やっと見つけだした「彼女」は長い年月の中で成長していて、とても「小娘」と呼べる外見ではなくなっていた。おまけに服も顔も何もかもがくたびれているせいで、実年齢よりもずっと老けて見える。
かつて真っ白なワンピースだったと思しき衣類は灰色のボロ布に。顔も皺なんて無い筈なのに、苦労を重ねて隠せなくなった疲労が皺の存在を錯覚させる。
髪の手入れさえまともにできない生活をしていたらしく、髪はすっかり延び放題でバサバサ。髪色も本来は明るい橙色だったのだろうが、埃で薄汚れてしまっている。手入れをしていたならば今頃、斜陽の色と美しく溶け合っていたであろうに。
ゴグマモンもそっくりな髪色と髪質だったなと、フーディエモンはぼんやり思い出していた。
老いた象に似た瞳がこちらを見ている事に気づいて、我に返る。
デジモンよりも先にリアルワールドの動物が思い浮かんだのは、人間を調べる内に感性まで似てきてしまったという事だろうか。
「いや、やっぱりチップは要らないですのん。一刻も早くこれを受け取ってさえくれれば……。早く自由になりたいですのん……」
フーディエモンは敢えて「彼女」をすげなく突き放す。
フーディエモンが「彼女」を見つけて今この場所に辿り着くまでに、途方も無い時間と苦労を要した。
フーディエモンの本分は記録であって調査ではない。膨大な記録の中から「彼女」の痕跡を探した苦労を思えば、砂漠でスナリザモンを探す方がよっぽど楽だ。
しかもこれを、次から次へと増える記憶カプセルの管理と平行して行ったのだから、我ながら正気の沙汰ではない。
ゴグマモン以降も、ブラストモンの欠片から生まれたデジモンと出会う機会があった。彼らがゴグマモンと同じように「彼女」に記憶を届けたいと言い出すのは分かりきっていた。
だが、その数が百人を超えるのはいくらなんでも想定外だ。破片から自我を持つデジモンが百体も生まれるなんて、「彼女」もできないのなら誰が予想できるのか。
悪魔を通り越して、もはや魔王レベルの生命力だ。或いは執念か。
そもそもなぜ「記録屋」のフーディエモンが「運び屋」を始めたのか?
答えは単純。先々代のフーディエモンが、かつてブラストモンと「彼女」に助けられたから。
ネイチャースピリッツの「女王」に嫌われ、森を追われそうになったところで偶然二人が助太刀に入ってくれたのだ。
かつての恩人二人を再び引き合わせようという、単純明快な恩返しだ。
これを先々代から直接聞いていた先代は使命感に満ちていた。しかし、又聞きしただけの当代には情熱もやる気も欠けていた。
それでも次代のフーディエモンに投げてしまおうと思わなかったのは、自分も無意識下で思うところがあったのだろうと自己分析している。
こんな長ったらしい恨み言を口にしないためにこそ、選ぶ言葉は短く、ドライに。
そもそも「彼女」が姿をくらましたしたのは、「女王」の追っ手から逃げるため。
リアルワールドに帰れなかったのか、或いは帰らなかったのか、そこまではフーディエモンには分からなかった。
パートナーを失った人間が、たった一人デジタルワールドで、それも「女王」が死んでも止まぬ追跡から身を隠しながら生きるにはあまりにも厳しく――その結果が現在のみすぼらしい姿なのだろう。
つまりはフーディエモンも「彼女」も並々ならぬ苦労を重ねてきた訳だが、そんなものはお互い分かっている。
これ以上の苦労の共有は無意味だ。
「では、いただいていきますねぇ」
「彼女」は記憶の列に歩み寄る。
列の先頭のカプセルの前に立つも、すぐには記憶に手を伸ばさない。フーディエモンが怪訝な視線を向けると、「彼女」はぽつりぽつりと口を開いた。
「……彼は私の目の前で、砕け散って死にました。ザミエールモンが間際に放った矢の一撃(ザ・ワールドショット)は世代差、種族差を凌駕し、見事巨人を討ち倒しました。これは愛(きずな)に確約された力に胡座をかいて、彼らの忠誠心(きずな)を侮った私の過ちです」
その口調はひどく淡々としていて、それなのに深い悔恨が含まれていると分かる、不思議
な口調だった。
虫の王国と宝石の巨人が、如何なる終焉を迎えたのか。ここに来て当事者の口から聞く事になるとは。フーディエモンは驚いた。
「私は彼が戻って来たなんて、少しも思っていません。百人の巨人が、百人それぞれの想いを送って寄越したのだと、そう思っています。例え彼の欠片から生まれたのだとしても、彼らはひとりひとりが自分自身の生を生き抜きました。彼とはもう違う存在です。この記憶全てを束ねても、彼は決して生き返りません」
結局のところ、ゴグマモンの感情はブラストモンの残留思念だったのか、ゴグマモンの自由意志だったのか。はじめから誰にも分からない。
分からないが、ゴグマモンも「彼女」も同じ事を思ったのなら、そこにブラストモンはいないのだろう。
全部先輩の言った通りだ。先輩は「彼女」が何を思うか分かっていたし、「彼女」の思い一つでゴグマモンは生きてブラストモンは死んだ。
「それでも、そうだとしても」
淡々としていた声に急に力が入る。
フーディエモンははっとして「彼女」の顔を見た。いつの間にか頬は紅潮して、目の縁に水が溜まり、徐々に声が震えていく。
「例え始まりは他人の記憶でも、それを見た彼らが、自ら、私に、会いたいと思ってくれたのなら……!」
溢れそうな涙ごと言葉を堰き止めて、「彼女」は一思いに記憶カプセルを抱き締めた。
ひとつひとつ、ひとりひとり、大事に、しっかりと。
それはさながら、喪った夫との間に生まれた子を抱き締めるように。
カプセルの中では、記憶が走馬燈のようにくるくる回っている。ただの記録映像に向かって「彼女」は、時に頷き、時に相づちを打つ。
記憶の持ち主が今そこにいて、旅の土産話を聞いている。そんな素振りで。
何時間経とうとも、日が沈んだ後も、百の記憶との対話が終わるまでずっと。
欠片達は皆一様に、彼女の笑顔を「太陽のようだ」と称した。
だが、フーディエモンはとても太陽のイメージを感じ取る事はできなかった。くたびれた女が力無く笑っているようにしか見えなかった。
せいぜい、綿毛が出てくる前の萎びたたんぽぽが関の山だ。
それでもあれを見て「太陽」と思える事こそが、人とデジモンの、パートナー同士の、それ以上の絆(あい)
なのではないか?
ネイチャースピリッツの「女王」と虫達を結ぶ忠誠心(あい)だって、本質は同じじゃないか?
人とデジモンがパートナーになれるのだって、デジモンがパートナーの感情に呼応するのだって、「記憶」を保存できるフーディエモン種が生まれたのだって、ゴグマモンが自我に目覚めたのだって――
「これらは全部、バックアップを取ってありますのん」
フーディエモンは役目を終えたカプセルの封を解く。
覆うもののなくなった記憶達は、たんぽぽの綿毛のようにふわりふわりと散っていく。
空に消えていく綿毛を見送りながら、「ああ、この風景もバックアップ取っとかないと」と、綿毛よりもぼんやりと考えた。
ノベコンお疲れさまでした!
感想を配信で喋らせていただきましたので、リンクを下に貼っておきます!
https://youtube.com/live/6Fsl_3c8wyU
(4:36~感想になります)
☆あとがき☆
本作を読んでくださった読者の皆様、ありがとうございます。
以前投稿したサロン版と併せて読んでくださった方は更に更にありがとうございます。
皆様にすてきなことが起こりますように。
さて、本作をノベコンに投稿するにあたって元作品から改稿した箇所は以下の通りです。
・全体的な文章の加筆
・モルフォモン(フーディエモン)の口調変更
・ラストシーンの追加
モルフォモンの口調に関しては、当時自分で読み返して「あ!これ意識してなかったけどハカメモのエリカとワームモンだ!」と気付いてしまい、ノベコンに投稿するのにこのままではまずいだろうと改変しました。
ラストシーン、フーディエモンが「あの子」を発見してゴグマモンたちの記憶を受け渡すシーンですが……このシーンは当時から投稿すべきシーンとして構想があったシーンです。
タイトルの「砕壊」は「さいかい」と読みますが、これは「ゴグマモンが再会を願う気持ち」と掛けてつけた題です。
そして本物の「再会」を描く事でやっと完成する作品でした。数年越しにやっと明らかになりましたね!
元々は別作品(『ゴグマゴグ』の続編的立ち位置)として投稿する予定でしたが、今回ノベコンという機会を得て新生・ゴグマゴグとして公開する事ができました。
ノベコンが無ければこのラストの公開はもう数年先になっていたでしょう。ノベコン、ありがとう!!!
本作が落選した理由、一番は「他の作品が最高すぎたから」だと思いますが、なんでしょうねえ〜。
デジタル要素極小のファンタジー寄りに書きすぎたとか、読み手に委ねる作風なのをちょっと委ねすぎてしまったとか?
しょーがない! 元々羽化石の作品を読んでくださった方が何かを察して「にこ……」ってなってるのを見て私も「にこ……」ってなるための作品ですからね!
がーっはっはっは!がおがおがお!!
ツイッターでは全然虎(※山月記)じゃないと言っていましたが、作品に改めて向き合ってたらちょっと虎ってきたかも。まあいいんだそんな事は。
羽化石がブラストモンを作中に出した時、80%の確率で風峰風香が絡んでいます。「ブラストモンがパートナーデジモンの女の子」なんて言った日には99.9999%風香です。覚えてね。
とにもかくにも、ノベコン受賞者の皆様は誠におめでとうございます!
惜しくも入賞を逃してしまった皆様、ノベコン2があれば絶対入賞するはずです。そのくらい皆様の作品は素晴らしいです。ダメだったら責任を取って代わりに虎になります。
もうとにかくノベコンに関わる全ての皆様、私の作品を読んでくださった皆様、本当に本当に本当にありがとうございます!!