注:当作品は、デジモン創作サロンに投稿済みの「少女は廃墟で夢を見る」を、ノベコンへの応募にあたって大幅に加筆・修正したものとなります。
基本的な流れは同様ですが、諸要素から一応別物、ということで投稿させて頂きます。
投稿済み作品を既にお読みの方もそうでない方も、上記御承知おきの上、お読みいただけたら幸いです。
朽ちた壁の間から、夜明けの光が差し込むホールのような建物の中。柔らかな光に照らされながら、少女が一人、やはり朽ちかけたピアノに凭れ掛かり、微睡む。
透き通るような白皙の肌に、光に照らされ透明な輝きを放つプラチナブロンド。ジーンズにノースリーブというシンプルな出で立ちながら、どこか気品すら感じられる不思議な存在感。まるで人形のような少女が廃墟で眠るその姿は、さながら御伽噺の一頁のようだ。
そんな少女の閉じられた目から、一筋の涙が零れ落ちる。
時に夢見るのは、過去の記憶であるという。
些細なこと、印象的なこと、忘れたいこと、忘れられないこと。そんな過去を、人は夢に見るのだ。
――だからこれは、微睡む少女が見る夢の物語。
懐かしくて、大切で、輝かしくて、そして。
もう二度と取り戻すことのできない、過去の物語。
そして――
●
「ん……ここは……?」
ふと、少女は目を覚ます。
いつものスプリングが効いていないベッドとは違う感覚に違和感を覚えながら体を起こすと、そこは森の中だった。柔らかな光が差し込み、風にそよぐ木々の音が静かに響く様は、まるで御伽噺のようですらある。
そんなことを、霞がかかったようにぼうっとした頭で考えたところで、彼女ははたと違和感に気がついた。
「あれ……? 私、病院に居たはずじゃ……って、何このカッコ!?」
改めて自分の格好を見て、思わずぎょっとしてしまう。先程まで着ていたのは地味なジャージの筈だった。それなのに、今はシンプルながらも洒落た意匠の白いノースリーブにタイトなデニム、それにカジュアルながら動きやすそうなサンダルという、似ても似つかないものを身に纏っている。
「……あ、でもこの服、って」
だが、少しだけ落ち着いてよく見てみれば、見覚えがあった。
なぜならそれは、いつも、彼女がファッション誌やネットなどを見ながら憧れていた格好だった。普段は、そんな格好などできない、否、してはいけない身だからこそ、いつも羨ましく思い、憧れていた、そんな装い。
なぜ憧れた装いに身を包んで、こんな森の中にいるのか。場違いなほど爽やかな風に靡くプラチナブロンドの髪を軽く抑えながら、必死に最後の記憶を辿る。
「えっと……そう。明日ようやく帰れるから、姉さんたちに電話かけようと思ってスマホ見てて、それで」
最近はあまりしていなかった、検査入院。幼い頃から何度もしていることではあったし、慣れていることは慣れている。とはいえやはり退屈で、そろそろ仕事が終わったであろう姉に電話を掛けようとしたのだ。そこまでは覚えている。
アプリを立ち上げて、姉の名前をタップして、そして――。
「……ダメ。思い出せない」
そこから先のことが、どうしても思い出せない。まるでそこだけ、霞がかかったかのように記憶がぼやけてしまう。電話をしたはずなのに、その記憶はまるでなかった。
着ている服にこの場所、そして欠けた記憶。何もかも分からないことだらけだ。
けれど。
「ま、このままここにいても始まらない、か」
自分に言い聞かせるようにそう言って、彼女は立ち上がる。
とりあえずは、ここが何処なのかをはっきりさせなくてはいけない。色々考えるのはその後でいい。元々、今を無駄にしないためにも即断即決を是としている彼女は、そう決めると、木漏れ日の中、歩を進めていった。
爽やかな風を浴びて歩きながら、彼女は気持ち良さげに目を細め、大きく一つ伸びをしてひとりごちる。
「……気持ちいい。本当に、体が軽いわ。それにしても、こんなカッコで外歩いたの、いつ振りかしらね。ひょっとしたら、初めてかも」
彼女は生まれつきの病で、あまり晴天の下を歩くことができない体だった。透き通るような白い肌も、日本人には少ないプラチナブロンドの髪も、切れ長の目から覗く青みがかった灰色の瞳も、それによるものだ。
普通ならば、絶対にこんな風に外は歩けない。だから本当は、用心しなければいけないところだ。だが何も分からない状況なのに、なぜか「大丈夫」なのだと、そんな不思議な確信だけは胸にあった。
だからこそ得難い機会と、ある意味能天気な思いもあって歩いていたのだが。
「え、何、コレ」
彼女の足が、思わず止まる。
歩みを進めていった先、突如として視界が開けたかと思うと、目の前に大きな学校のような建物が現れたのだ。それだけでも、足を止めるには十分すぎる出来事だろう。だが、その周囲の状況が、輪をかけて異様だった。
それまで深い緑を湛えていた周囲の木々、苔や草が豊かに生えていた地面、そして目の前の謎の建物。それが、山火事でも起きたかのように黒く焦げていたのだ。草木はそのまま炭化して、音を立てながら燻っている。まるでその一帯にだけ、局所的に高熱が発生したようにすら見える、不思議な状況だった。
そもそも突然知らない場所に放り出されているという異常な状況ではあったが、今も目の前に広がる状況が更に異常なのは明らかだった。あとずさり、やはり元の場所に戻ろうか、などということが頭を過りかけた、その時。
焼け焦げた一帯の中央、燃えた跡が残る建物の壁に凭れ掛かるようにして、それはいた。
ピンク色の体に赤い嘴を持った、まるで鳥を思わせるシルエット――それが小さな子供ほどの大きさでなければ、だが。
既存の生き物には見えない、未知の生き物としか言えない不思議な存在。
「これは……そんな、酷い……!」
だがそんな未知の存在への恐怖や周囲の異様な状況なんてどうでもよくなるくらいに、その存在は傷だらけだった。彼女が思わず駆けよると、その鳥のような何かが薄く眼を開ける。
「貴女は……もしかして、ニンゲン?」
「しゃ、喋った!?」
「ああ……そんな、ニンゲンが。ああ、それなら、貴女が……!」
「え、えっと……」
たとえ異形であってもはっきり無理をしているとわかる様子で身を起こし、彼女に縋るように眼を向ける。
彼女は咄嗟に異形の鳥の身を支え、その瞳を見る。異常な状況に、異形の存在。普通ならば、恐怖だって感じていい筈の状況だ。
だが、何故だろう。微塵も恐怖なんて感じない。そればかりか、どうしても必死な色を湛えるその瞳から、目が離せなかった。
「お願いです、ニンゲンの少女よ。どうか名前を聞かせて下さい」
震える声でそう言う異形に、彼女は。
「わ、私の名前は……美咲神無。カンナ、でいいわ」
そう言って、自らの名前を告げた。
○
それが、私の運命との出会い。
あの日、病院から、この世界に迷い込んで。
全てはきっと、この日に決まったんだと思う。
……ううん、ひょっとしたら、もっと前から。
○
その後、しばらくして。辺りは焼け焦げて酷い有様だったが、それでもまだマシだろうと、彼女達は所々焦げた建物の中へと移動していた。
ホールのような場所の隅に置いてあったピアノの椅子へと鳥型の異形を座らせて、彼女は壁に寄りかかるようにし、一人と一体は相対していた。
一通り話を終えたところで、ふぅん、と神無は相槌を打つ。
「そっか。アナタはピヨモンって言うのね」
「はい。当面は、そうお呼びいただければ」
鳥型の異形――ピヨモンと名乗る存在は、こくりと頷く。明確に知性を感じさせるその仕草に、少々たじろぐ。
だがそれでも、彼女がパニックを起こさなかったのには、理由があった。
「それにしても驚きました。カンナがまさか我々デジモンを、ひいてはデジタルワールドをご存知だとは」
ホールへと移動し、ピヨモンから聞いた、自分達と、世界の話。
だが神無は、その話を聞いたことがあったのだ。異形の存在、『デジモン』と呼ばれる生き物と、異世界たる『デジタルワールド』のことを。
「ええ。私の姉さんから聞いてたのよ。でも、ずっと子供の頃に聞いた話だったから、病気がちで家にいる時間の長い私の為に作ってくれた、物語か何かだと思ってたけれど」
かつて姉から聞いた、『デジタルワールド』と『デジモン』、そしてそれを巡る、仲間たちとの大冒険の物語。当然のことながら、姉が彼女のために用意してくれた、ファンタジーだと思っていたのだ。
けれど今、その『デジモン』が、目の前に本当にいるなんて。
「……って言っても。まぁ流石に、魂だけこの世界に来てるみたいなモノで、体は現実で寝たままとか、驚いてはいるかしら」
その事実も、ピヨモンが語ってくれた内容だった。どうやら今の彼女は精神データ、いわば魂に近いモノだけがデジタルワールドへと訪れている状態らしい。だからこそ、潜在的に憧れていた服が形を成しているのではないか、とも。
そういうこともあるのか、と自分の格好を今一度眺めるようにしてから、神無は肩をすくめて小さく笑う。そんな彼女に対し、ピヨモンはどこか不安げであった。
「やはり……信じられませんか」
「いいえ、信じるわ」
だがそんなピヨモンに対し、彼女はキッパリと首を振る。
「私ね、本当は外に長く出歩くことなんてできないの。それに何より、普通ならこんな日差しの下じゃ、眩しくて仕方ない筈。なのにそうならないもの。だからきっと、普通の状況じゃないんだろうなってね」
そう言って再び、だが今度は自虐的に笑う。物心ついた時からずっと、自らを悩ませていた病。それがこの状況を信じる理由になったのだから、皮肉以外のなにものでもなかった。
だがそれだけではなく、もう一つ信じる理由はあった。
「それにね、父さんから聞いてたの。姉さんも昔、意識不明になってたことがあるって。私の姉さんだし、やっぱ病気がちなのかって思ってたけど……自分がこうなると、きっとそういうことなのかな、ってね」
「なるほど、道理で」
「でも……ふふ、姉さんのお話、じゃないわね、言っていた通りね。デジモンには、神様みたいのもいれば、ぬいぐるみみたいに可愛い子もいるって」
ね、と神無が小さくウィンクしてそういうと、ピヨモンは苦笑した――顔の造作は人間大分違うのに、苦笑したのだと、不思議とわかった。
「そう言ってもらえて、悪い気はしませんが……残念ながら、私の本来の姿は可愛らしさとは程遠いものですよ?」
「あら、そうなの?」
「はい。そしておそらくそれが、カンナがこの世界に招かれた理由にも繋がっているのです」
スッと、可愛らしいピヨモンの眼が細められる。それまでの可愛らしい印象が一転し、鋭く、老獪な雰囲気すら感じられるものに変わった。
背筋に寒気すら感じさせられるその様子に、きっとこの子は尋常な存在ではないのだと、そう思い知らされる。
「私は《天樹》――イグドラシルより特別な十二のデジコアを授かり、守護を任じられていました。ですがそれを、『闇』としか形容できない存在に奪われたのです」
「それで、こんなにも傷だらけに? 辺りも、凄い有様だし」
「……はい。不意を突かれ、力及ばずこの姿に」
悔しそうに、辛そうに。ピヨモンは一瞬だけぎゅっと目を瞑る。尋常な存在ではない、そう思っても、今の様子は本当に辛そうで、彼女は思わずピヨモンの翼に手を添える。
「ピヨモン……」
「……ありがとうございます。ですが、私はなんとか生き残ることができました。なれば、デジコアを取り戻すことこそ、我が使命。何があろうとも、必ず」
ピヨモンは絞り出すように、しかし苛烈なまでの決意を籠めるようにしてそう言うと、翼のような手を、ぎゅっと握りしめる。傷だらけな姿がなお痛ましく感じられるように、強く、震えながら。
「デジコア……」
「はい。この世界の南方守護を任じられた私に授けられた、十二のデジコア。いずれもが強大な力を持っています。捨て置くことなど、できません」
それこそまるでファンタジー小説のような壮大な話に、神無は二の句が告げない。だがそれでもはっきりとわかったことがある。ピヨモンが真剣であること、そして何故だかそれを、無条件に信じている自分がいるということだ。
「デジコアを『闇』に奪われ、《天樹》はこれを世界の危機と判断した。だからこそ、貴女が招かれたのです」
「私が? でも私は何もできなくて、そもそも病気で、皆に迷惑かけてばっかりで……」
咄嗟に脳裏を過ぎるのは、病室から、教室から、家の窓から、外を眺めるだけだった自分の姿。何もできない、させてもらえない、してはいけない。何かをすれば、迷惑をかけてしまうから。常に神無の心を縛り続けていたそんな思いが、溢れかける。
だがピヨモンはそんな彼女に対し、即座に、そして力強く首を振る。
「いいえ、いいえ! そんなことは関係ありません。イグドラシルは他の誰でもない、カンナを招いたのですとも。デジモンの――私の、パートナーとして」
ピヨモンのその言葉を聞いた瞬間。
どくん、と心臓が鳴り、何かが体を駆け巡る。
事情は、正直さっぱりわからない。けれどピヨモンの発した『パートナー』という言葉に、体が熱くなる。
そう、確かにピヨモンはパートナーなのだ。
誰に言われるまでもなく、誰に否定されようとも。
そんな想いが、胸に刻み込まれた瞬間のことだった。
「……ッ!? 何、これッ……!」
突如として胸に炎が灯ったかの如く熱くなる。心臓が脈打つごとに、体を炎が駆け巡る。そんな感覚を覚えた。
呻くようにして体を折ったのを心配するように、彼女の名を呼ぶピヨモンにチラリと目を向ける。すると一層強く、心臓が脈打って全身を灼くかの如き熱さが走った。
『何か』が、ピヨモンと繋がる『何か』がここにある。そんな直感に、思わず胸に手を添える。するとその瞬間に、不思議と胸の内を――魂を焦がすような熱は収まった。
だがその代わり、胸に添えた手に握られていたのは。
「何、コレ。スマホ……にしては小さいけど」
手に握られていたのは、スマホより一回り小さい、機械らしき長方形の物体。炎のように紅いフレームに覆われて、小さな液晶画面が付いているのが特徴的だった。
何だろう、と覗き込んでいると、ふとその画面が点る。そしてそこに表示されたのは。
「コレ、ひょっとして……ピヨモン?」
デフォルメされた、ピンク色の小さな鳥のようなアイコンが、そこにあった。
彼女の呟きに、はい、とピヨモンが頷く。どこか、感極まったような様子で。
「それの名前はデジヴァイス。私と貴女を、《天樹》が結びつけたその証です。やはり、やはり貴女が……」
「デジ、ヴァイス……ああ、コレが、そうなんだ」
かつて、姉から聞いた『物語』の中に出てきた言葉。デジモンと人間の絆の証だという、不思議な機械。
手にしたその小さな機械が、ピヨモンと自分を繋げているのだということは、すぐにわかった。まるで見えない血管が通っているかのように、脈打つ何かが、デジヴァイスを通じて流れていたから。
不思議な感覚に瞠目していると、ピヨモンが静かにこちらを見つめながら声をかけてきた。
「突然のことで、きっと戸惑っていることでしょう。けれど……けれど、カンナ。貴女にお願いがあるのです」
「お願い?」
真剣な、そして焦燥を滲ませるピヨモンの言葉に、彼女は居住いを正す。
「かつての貴女の姉のように、この世界を正すため、力を貸してはくれませんか」
「世界、って」
飛び出たスケールの大きな言葉に、二の句が継げなかった。けれどピヨモンは、そんな神無を見ながらも、必死に言葉を続ける。
「悔しいですが、『闇』による侵攻を止めるには、私の力だけでは足りない。十二のデジコアを取り戻し、『闇』に対抗するには、共に歩んでくれる者が必要なのです。デジヴァイスを発現し、私と繋がった、カンナの力が。身勝手なことは承知しています。それでも、お願いします」
差し出された、手のような翼。鳥にしては大きいけれど、今は不思議と小さく見える、傷だらけの翼。
異世界だとか、異形の生き物だとか。一体自分は何に巻き込まれているのだろう。そんな想いは確かにあった。
何故自分なのかとか、元の世界に帰る方法はあるのかとか。聞くべきことも沢山あった。
だがそれでも、神無は。
「ええ分かったわ、ピヨモン――いいえ、私のパートナー。共に行きましょう?」
そうして、ピヨモンが差し出した傷だらけの翼を、優しく握り込んだ。
○
そうして私とピヨモンは、『世界』を救う旅に出た。
現実では病弱で、近頃は満足に外も歩けないような身体で、家族に迷惑をかけ続けていた。
その私が、小さな頃に憧れた姉の『物語』と同じような道を歩めるのだという。
そんな状況に、どうしようもないくらいに胸が躍った。
ピヨモンとの不思議な絆が、私を駆り立てたのも、本当だ。
けれど、本当に本当のところは。
これが夢でもいい。虚構だろうとかまわない。
今はただ、自由でいたい……そんな思いが胸の真ん中にあったのだ。
最初はきっと、それだけだったのかもしれない。
そう、最初は。
○
旅立ちから、しばらくの後。
彼女は巨大な、そして燃えるような紅い鳥の背に掴まって、空を猛スピードで駆けていた。
凄まじい風圧が襲う中、後ろを振り向いて、向かってくる何かを確かめる。
そして。
「ミサイル来てる! 避けてバードラモン!」
「はい!」
背に乗った神無が風圧に負けないよう叫ぶのに従い、ピヨモンが進化した姿――バードラモンは、後ろから飛んでくる生体ミサイルをギリギリまで引き付けると。
「……行きますッ!」
合図の一声とともに急速旋回し、躱す。もちろん、背に乗せた彼女を落とさないように気を使いながら。
さながらマニューバ機動のように旋回した先、バードラモンと彼女へ向かってくるのは紫黒の機械竜、ギガドラモン。金属をこすり合わせたような不快な咆哮を上げながら、彼女達へと猛進してくる。
そう。神無たちは今まさに、空中でギガドラモンとドッグファイトを繰り広げているのだ。
急速に近づいていく彼我の距離。だがバードラモンはその距離を冷静に見極める。そしてギガドラモンの両腕の機械がバードラモンへと触れようとする刹那、大きく羽搏いて急速に上昇してみせた。
急制動をかけたギガドラモンが振り返りながらバードラモン達を仰ぎ見て――不快そうに軋むような声を上げて目を細める。
高度はバードラモンが上。そしてその背には太陽があった。
その僅かな隙を、神無は見逃さない。
「! バードラモン、今!」
「はい、掴まって下さい――『メテオウィング』!」
高度を一気に上げたバードラモンが翼を大きく広げ、炎を纏った羽根をギガドラモンめがけて流星の如く降らせる。だがそれを読んでいたのだろう、眩しそうにしながらも相手も生体ミサイルで炎の羽根を相殺しつつ攻撃しようと両腕を構えようとした。
しかし突如、地上から蒼い光が閃く。
それは、放たれた一条の氷の矢。氷矢は目にも止まらぬ速さで飛来し、ギガドラモンへと突き刺さり、反撃を封じる。機械竜は苦鳴を上げ、矢を放った地上の存在へと怒りの篭った眼差しを向けた。
しかしそれこそが狙いであり、致命的な隙。炎の羽根が、相殺も防御もないままギガドラモンへと降り注ぐ。碌な防御もないままに受けた攻撃に、機械翼が砕けて折れる。それで飛行能力を失ったのか、ギガドラモンは墜落していった。
しかしそれでも、機械竜の眼は死んでいない。墜落する最中、ミサイルを放とうと再び腕を向ける。
「させません! 『ファイヤーフラップ』!」
墜ちるギガドラモンを猛追し、炎を纏った翼で更に叩き落す機械竜が苦鳴を上げながら、今度こそ地上へと墜落していった。
そして墜落していく先に、待っていたのは。
「『ムーンナイトキック』!」
すらりとした兎のような獣人――レキスモンが飛び上がって放つ、強烈な蹴撃だった。墜落してくるギガドラモンの頭を正確に蹴りぬくその一撃で、今度こそ機械竜は意識を刈り取られる。そしてそのまま、地面へ轟音を立てて激突した。衝撃音は凄まじく、機械竜の沈黙は明らかだった。
そのことを確認したのだろうレキスモンが、ゆったりと空を舞うバードラモンと、その背に乗る彼女へ向けて、軽く手を振る。バードラモンも、それに応えるようにレキスモンの下へと舞い降りた。そして、彼女がその背から降りようとすると。
「さぁお嬢様。お手をどうぞ」
「あら、ありがとう、レキスモン」
スマートに、そして自然に伸ばしてきたレキスモンの手を借りて、神無はバードラモンの背から降りる。そしてポン、と自らを載せてくれたパートナーの体を軽く叩いた。
「よいしょ、と。バードラモン、お疲れ様」
「こちらこそ。私の背に乗りながらの後方警戒、大変助かりました」
「あら。これこそパートナーの役目、ってね。レキスモンも、援護ありがとう。相変わらずさすがの蹴りね」
「何、キミとバードラモンの一撃があってこそさ。でも……フフ。お褒めに預かり恐悦至極、ってね」
そう言って、芝居がかった仕草で一礼をしてみせるレキスモン。その様子は、かつて母にねだって連れて行ってもらった、有名な歌劇団のようだと、神無は感心してしまう。
「本当にカッコいいわね。私も格闘術、教えてもらおうかしら。元の世界じゃできなかったし」
「キミがお望みとあればいつなりと。但し、ボクの指導は厳しいよ?」
「あら、望むところよ……と、そういえばシュウはどこ?」
ふと思い出したように、彼女は周囲を見渡す。バードラモンに彼女がいるように、レキスモンにもパートナーがいるのだが、その姿が見えないことに今更ながら気づいた。
「ああ、シュウジなら」
「ここです、ここ!」
声がするほうに顔を向けてみれば、そこにいたのは、神無とそう変わらない年の頃、高校生くらいの、線の細く優しげな眼鏡をかけた少年だった。墜落し気絶したギガドラモンのすぐそばで、彼が招くように手を振っている。
彼は相山修司。彼女と同じく、デジタルワールドへと『招かれた』少年だった。デジコアを探す旅の最中に出会って以来旅路を共にし、そして共に戦ってくれている。
最初はデジモンに近づくのも怖がっていたのに、と少し前のことを思い出してくすりと笑いながら、彼女は修司の方へと向かう。
「シュウ、何か見つけたの?」
「何か、じゃないですよもう……元々コレの為に戦ってたんじゃなかったんですか?」
少々呆れ顔の彼が指さすモノは、メガドラモンの背、折れた翼の根元あたりに埋め込まれていた。まるで焔の如く紅い輝きを宿すモノ。宝玉のようでいて生物のように脈打つ、不思議な何か。
これこそまさしく、彼女達が探していたデジコアだった。
「流石ね、シュウ……ちなみに忘れてないわよ?」
「いや忘れてたでしょ絶対」
「ま、細かいことはいいじゃない。バードラモン!」
いや細かくないでしょ……などと言い募る修司の頭を軽く引っ叩きつつ、彼女はパートナーの名を呼ぶ。バードラモンはそれに応え、彼女の方へと歩み寄っていった。
「これで、いいのよね?」
「はい。これぞ二つめのデジコアに相違ありません」
どこかほっとしているように見えるのは、きっと彼女の見間違いではないだろう。最初のデジコアを見つけて取り戻した時、涙を流しているパートナーの姿を見ているから。
どこか微笑ましい気持ちでパートナーを見守る横で、うーん、と修司が唸る。
「ギガドラモンにこうしてデジコアを埋めたのが、『闇』という存在なんですか?」
「ええ。このデジモンは、恐らく眷属。我が同胞、東方守護の領域を侵さんとしていたことからも、まず間違いないでしょう」
東方守護。遠目から少しだけ見た、巨大な青き龍。その同胞で、南方守護と言うのなら、自分のパートナーは、もしかして。
病床で読み漁った小説の知識から、想像を膨らませる神無には気づかず、バードラモンは続ける。
「デジコアは強大な力の塊ではあるものの、『闇』――いえ、ミレニアモン、でしたね。あの者とは相反する性質ゆえに、奪いはしたものの、自らの力にはできず、また破壊もできなかったのでしょう」
『闇』と呼称していたミレニアモン、そしてデジタルワールドの調和を守る南方守護。内包する力は、いわば正反対のものなのだと、道中でバードラモンから聞かされていた。
「ですが、奪ったものを放置することもできない。恐らくは、奪ったデジコアの奪還阻止も兼ね、配下のデジモンの強化に用いたのでしょう……そのようなことに、守護の力を用いるとは」
苦々しげにそういうバードラモンの言葉に、なるほど、と頷いた上で、修司は疑問顔のまま言葉を続けた。
「あの、少し聞きたいんですけど。結局そのミレニアモン、でしたっけ? そいつは何を目的にしているんでしょう?」
修司の疑問に、そういえば、と神無もバードラモンの方を見やる。彼女のパートナーが必死な様子だったから、疑問もなく手を貸すことを決めたが、具体的に敵の目的を聞いたことはあまりなかった。
修司の疑問と彼女の視線に、そうですね、とバードラモンが頷きながら言葉を続ける。
「デジコアを奪ったのは、私が任じられていた南方守護を崩し、世界の調和を崩すため。そしておそらくは、最終的にイグドラシルを打倒するためでしょう」
「《天樹》イグドラシル……神、みたいなものなのよね?」
「ええ。あの者からは、強く昏い、憎悪のような何かを感じました。ですがそれは、私相手ではない、とも。にも拘らず私を襲って目指すものがあるとすれば、世界、ひいてはイグドラシルという存在ではないかと。こうしてパートナーが喚ばれるくらいですからね」
そういって、バードラモンは嘴で彼女の腰を指し示す。そこにあるのは、腰から提げるようにしていた、紅いフレームに覆われた液晶板――デジヴァイス。修司もそれを見て、蒼と白のフレームを有した自らのデジヴァイスを手にする。
「なるほど。このデジヴァイスこそ神サマの意思、ってトコかしら」
二人とも、いつの間にか手にしていたこの小さな機械こそ、イグドラシルの意思なのだという。
ならばさながら、自分たちは病原体の侵入に、神によって呼び出された白血球みたいなものか、とそんなことを考えて。
「あは。酷い皮肉、ね」
彼女が病気なのは生まれてすぐ分かったという。ゆえに神などいなくても、神に頼らなくても、強く元気に生きて欲しいと両親が贈ってくれた、神無という名前。
名前に相応しくあろうと努力し、時に我慢しながら過ごし、斯くあらんと振る舞ってきた『神無』が、神に喚ばれるなんてどんな皮肉だろうと、ふと思わずにはいられなかった。
「どうかしました? カンナさん」
遣り場の無い思いに少しばかり陰鬱となりかけたのに気づいたのか、修司がこちらを覗き込む。気遣うようなその視線に、少しだけ心が温まる。本当に優しい人だと、彼女は思う。
けれどそれを素直に言うの恥ずかして、何でもない、と小さく首を振りながら彼の髪を少し乱暴にかき混ぜて、話題を変える。
「それにしてもミレニアモンってヤツは、どこに行ったのかしらね? アナタを襲って以降、手下しか寄越さないなんて」
今回も、一つめのデジコアの時も、現れたのは手下のみ。ミレニアモンという存在そのもの影は、まるで見えなかった。彼女の言葉に修司とレキスモンも確かに、と頷いている。
だがその反応に、バードラモンは、いえ、と小さく首を振って続ける。
「あの時、確かにしてやられこそしましたが、これでも南方守護を任じられた者。ミレニアモンには手痛い一撃は与えてやりました。それゆえ回復に努め、手下を遣わしているのでしょう」
「ふぅん、なるほどね。流石は私のパートナー、やるじゃない?」
確かに一矢は報いたのかもしれない。けれど、デジコアを守るという役目は果たせなかった。それにバードラモンが忸怩たる思いを抱いていることはよくわかっていた。
だからこそ、あえておどけるようにして、肘でつつきながら神無が褒めるように言うと、バードラモンも少し笑って、まるで紳士が礼をするように片方の翼を広げる。
「これはこれは。お褒めに預かり恐悦至極、というやつでしょうか」
「おや、ボクの真似かい? なかなかどうして、様になってるじゃないか」
「うん、本当に。バードラモンも決まってるね」
レキスモンも、修司もなんとなくそんな空気を察したのだろう。乗っかるように続けてくれた。本当にいいパートナー達に会えたなと、今更ながらに神無は実感する。
「フフ、ありがとうございます……と、さぁ。早いところ回収を済ませてしまいましょうか」
そういうと同時、バードラモンは大きく翼を広げた。すると、ギガドラモンの背中に埋め込まれていた筈の宝玉――デジコアはひとりでにギガドラモンの体から抜け落ち、ふわりと宙に浮かんだと思うと。
「……へぇ」
「え、消えた?」
レキスモンと修司が驚きの声も無理はない。浮かんだデジコアは、前触れもなく突然に、赤い光の粒子と化し、バードラモンの体に宿って消えたのだから。
それと同じ光景をかつて見ていた彼女は、予想通りの反応に少し微笑む。
「ふふ、二人とも見るのは初めてよね」
「ええ。最初の一つも、どこに持ってるのかとは思ってましたけど……」
「世界を司るデジコア、か。いやはや、なんとも不可思議なものだね」
「ふふ、確かに。私も初めて見た時は驚いたもの。ましてあの時は、いきなりバードラモンに進化するんだもの。ねぇ?」
ぽんぽんと、体を軽く叩きながら言う神無に、バードラモンは苦笑を漏らす。その瞳は、以前より――突然進化した時よりも、僅かに緋いようにも見えた。
「その節は驚かせて申し訳ありませんでした。ですが……これでようやく、二つ。貴方達のおかげです、シュウジ、そしてレキスモン」
改めて頭を下げるバードラモンに、修司とレキスモンは一瞬顔を見合わせたあと、揃って首を振る。
「何、礼には及ばないさ。世界を救うなんてとても胸が躍ることだからね。それに何より、ボクもこうして、パートナーと出会えたのだから。ねぇ、シュウジ?」
「うん。レキスモンと出会えて、僕も変われるんだって思えたから……だから、手伝わせてください。レキスモンはともかく、僕に出来ることなんて、たかが知れているけれど」
最初に神無と邂逅したときは、異世界に怯え、ただ家族の下に帰りたいと、泣き叫ぶだけの少年だった修司。それがレキスモンと出会い、変わっていった。
ミレニアモンの手下に里を襲われ、一人抗っていたレキスモンを目の当たりにして。その有様に胸を打たれたんだと、そう言っていた。自分もそうなりたい、なれるだろうか、と。
そんな彼が、今や、震えを抑えるようにぎゅっと手を握りしめながらも、元の世界へと帰るために彼女とバードラモンに協力してくれている。
それがなんだか、彼女には嬉しく思えてならなかった。
「……姉さんは、こんな気分だったのかしら」
「え?」
「いえ、なんでもないわ。さ、バードラモン、他のデジコアの場所はわかるかしら」
「ええ。二つのデジコアのお陰で、引かれあう力が強まっているようです」
そうしてバードラモンとレキスモン、そして修司がどうするべきか話を始めた。
そんな様子を少し離れ、彼女は眺める。
元の世界に、家族の下に帰りたい。その思いは確かにある。だが。
「……こんな時間がいつまでも続けばいいのに、ね」
そう、ぽつりと呟いた。
○
それは、何物にも代え難い時間だった。
大切な相棒と、掛け替えのない仲間と共に、未知の世界を旅する。
まるで映画や小説の世界に入りこんだそんな体験は、私を夢中にさせた。
ミレニアモンという敵の手下達を退けながら、時にデジモン達からも感謝され。
彼女にとってはまるで夢のように、心躍る時間だったのだ。
けれどここは、異世界だけれど確かに現実で。
私が目を反らしていた現実を、突き付けられることもあった。
……嫌というほど、徹底的に。
○
細く冷たい雨が、静かに激しく降り続ける夜だった。そしてそんな雨でも消せない炎があちこちで上がり、破壊の跡があちこちにある街の姿を照らし出す。
街は、まさしく混乱の坩堝だった。突然の混乱に泣き叫ぶ者がいた。争い合う者がいた。何が起こったかわからず立ち竦む者がいた。
そして血を流し、倒れ伏す者の姿も、大量に。幼年期が、成長期が、成熟期が完全体が。様々な姿形のデジモン達の亡骸が、そこかしこに転がっている。
彼女はそんなデジモン達の亡骸を前に、崩れ落ちたようにして座り込み動けずにいた。服は濡れ、豪奢な白金髪も水を吸って顔や体に張り付いている。そんなことすらお構いなしに――いや、まるで気づいてすらいないかのように。
「あぁ、こちらでしたか。『選ばれし子供』の方!」
そんな彼女に、駆け寄る姿があった。紫色の鎧に真っ黒な翼を生やした鳥人、カラテンモン。彼もいたるところに傷は見られたが、それでもこの街の中ではマシな方だった。
「パートナーのバードラモン殿達が、あちらのほうでお待ちです。なんでもお探しのものが、」
「――やめて」
悄然とした様子の彼女からは信じられないほど鋭く、まるで撥ねつけるような言葉。
「は?」
「やめて。その名前で、呼ばないで」
「で、ですが……アナタ方は我々のために立ち上がってくれた。神に、イグドラシルに選ばれて――」
「お願いだから! お願い、だから……そんな風に、呼ばないで。私にそんな資格なんて、ないから。神は私に力なんて貸さない……ただの、『神無』なんだから」
怒りと悲しみ、そして無力感。そんなものが綯交ぜになったような彼女の声色に何も言うことが出来ず、カラテンモンは静かに去っていった。
それと入れ替わりのようにオレンジ色の巨影が彼女に近づき、その頭上を自らの翼でさっと覆う。その時初めて、彼女は視線を上に……彼女のパートナーへと向けた。
「……バードラモン」
「このままでは、風邪を引いてしまいますよ、カンナ」
「魂だけ……精神データだけでも、風邪ってひくのかしらね」
自虐的にそう言って、ふいと目を背ける彼女に、パートナーは何か言葉を返そうとして、けれど結局何も言わなかった。彼女がこの状況を、どれだけ後悔しているのか。それがよく伝わってしまっているのだろうことは、想像がついた。
「……それで、あった?」
「ええ。あのキメラモンに、ゲートの核として埋め込まれていました。七つ目のデジコアが」
炎に照らされるバードラモンの瞳は、以前よりも更に緋い。それで、言葉通り回収がうまく行ったのだと知れた。そのことをちらりと確認して、しかし彼女は唇を噛む。
「……何が『選ばれし子供』って話よね。こんなの勝ったなんて言えない。調子に乗ってただいたずらに、皆を殺してしまったようなものじゃない……!」
地面に叩きつけようとして振り上げた拳は雨に打たれた、ただ静かに地面へと落ちる。
『選ばれし子供』――それは神無たちのことを指す呼び名として、いつからか広まっていたものだった。
十二のデジコアを求め、旅を続けていた神無達。だが旅と並行するように、ダークエリアからだと判明したミレニアモンの侵攻は急速に拡大し、被害も目立つようになっていた。
最初は偶然から、次第に手の届く限り、ミレニアモンの侵攻に苦しむデジモン達を助けるようになっていった。
そうした内に、いつしか呼ばれていたのだ。世界を救う『選ばれし子供』と。
デジモン達に求められ、彼女達自身もデジモン達を助けたくて。積極的にミレニアモンの軍勢と戦うようになっていった。
そして今日。初めて、ミレニアモンの軍勢が通るゲートの一つを破壊するという名目を掲げ、多くのデジモンに協力を求めて討って出た。
だが、その結果が目の前の惨状だった。
溢れ出る激情に、雨ではない雫が彼女の頬を伝う。
目の前で失われる命を、彼女はどうすることもできなかった。彼女達を守ってくれたデジモンがいた。彼女の言葉を信じ、先陣を務めてくれたデジモンがいた。
そんなデジモン達が無残に命を散らしていくのを、己がパートナーに守られ、見ていることしかできなかった。
そして、それが故に思い知らされた。どこかこの旅を、『物語』のように見ていたことを。
『命』が掛かっていることなのだと、どこか実感が欠けていた。彼女は命の儚さと重さを、よく理解できている筈なのに――いや、だからこそかもしれないと、今の神無は思う。
「ただ普通に動けることが楽しくて、アナタ達との旅が輝いていて、他のデジモン達に頼られるのが嬉しくて……ただそれだけの、私が……」
心に溜まったものを吐き出すように、震える声で懺悔する彼女と、それを守るように翼を掲げるバードラモンへ静かに歩み寄る影があった。その影は神無の隣にしゃがみ込むと、泥にまみれた彼女の手を優しく握る。
「たとえ、そうだとしても。デジモン達の助けになりたかったのは、本当でしょう?」
「……シュウ」
そこにいたのは、彼女と同じくずぶ濡れになっている修司だった。少し離れたところに、レキスモンの姿も見える。離れていても、心配そうにこちらを見ていることは、すぐ分かった。
「僕は、一緒に旅をする中で見てきましたから。デジモン達が、ダークエリアの軍勢に傷つけられているのを見て、心から哀しみ憤っていた貴女を」
「それは……」
優しい修司に、彼女は言葉を返せない。確かにあの時感じた悲しみや憤り、それは間違いなく本物だったから。言葉に詰まった彼女を横目に、修司は言葉を続ける。
「そんな人が真摯に語り掛けたからこそ、皆協力してくれたんです。貴女の光に惹かれて。最初から『選ばれし子供』だったんじゃない。そんな貴女だから、『選ばれし子供』と呼ばれたんです」
「……でも私のせいで、大勢が死んだわ」
たとえ修司が言ったことが事実だとしても、それだけは動かしがたい事実だ。実際、彼女に恨み言を吐いたデジモンだって、確かにいるのだから。
それは修司も知っている。だが彼女の言葉に首肯したうえで、それでも言葉を続けた。
「確かに、この戦いで多くのデジモン達を喪いました。僕たちのせいっていうのも、きっと否定できません。だから――強くなりましょう」
え、と彼女は思わず顔を上げる。
その言葉。その力強さ。それは今までの修司からは、考えられないようなものだったから。顔を向けた先、修司は神無と同じように涙を目の端に溜めながらも、しかし瞳には確かな光を宿していた。
「実際、僕たちが出来ることなんてたかが知れてます。デジモン達のように戦えるわけでもない。けど大切なパートナー達と一緒にいて、そのパートナーと、デジモン達の為に出来ることがあるなら……出来る限りのことを、したいんです」
「シュウ……」
「元の世界に帰りたい。生きていたい。けど……苦しんでるデジモン達を見て見ぬふりなんてできない。知ってしまったから、もう後には戻れない。でしょう?」
「……うん」
確かに、現実を見ていなかったのかもしれない。
けれどデジモン達を助けたいとそう思ったのは……それは、紛れもなく本当のことだった。たとえ『物語』でも、それに心を痛めたことは事実だ。その思いを背負うのには、自覚も覚悟も、足りてはいなかったけれど。
「だから、強くなりましょう。体はデジモン達に勝てなくても、心だけでも。デジモン達の想いを、背負って戦えるように」
そう言って、修司は手を差し出す。よく見てみれば、彼の目じりにも涙がたまっているのが見て取れる。それでも修司は、そうやって手を差し出していた。
そんな姿が嬉しくて……少し、眩しい。
「……シュウみたいな人を、強いって言うのね」
そう小さく呟いて、顔に張り付く濡れた髪を掻き上げるようにして払いのけると、修司の手を取った。
「ええ……シュウのいう通り。私達のことを『選ばれし子供たち』と呼んでくれるデジモンがいるのなら。それを背負って、応えられるように……強く在りたい。それで、その……」
「?」
「きっと、もっと大変になっていくけれど……シュウも、一緒に居てくれる? バードラモンは勿論、貴方と、そしてレキスモンと一緒なら、きっとそうなれると思うから」
「――はい、勿論!」
まるで花が咲くような笑顔で彼がそう言った、その刹那のことだった。
「何これ、熱ッ……!?」
「光が、急にっ……!」
二人が腰につけたデジヴァイスが、急に熱と光を放つ。
慌てて二人がデジヴァイスを手に取ってみれば、いつもはパートナーのデフォルメ姿が表示されている液晶に、何かの紋様が表示され、光を放っていたのだ。
「何だろこれ、太陽、かな……?」
修司のデジヴァイスには、力強く橙色に輝く太陽のような紋様が。
「私のも太陽みたく見えるけど……下に、何か」
そして神無のデジヴァイスには、太陽のようなモノを支えるように土台がついた、金色に輝く紋様――まるで、闇を照らす灯台のような。
「ねぇバードラモン、レキスモン、これって」
神無が、修司と共にデジヴァイスをパートナー達に見せた、否、見せようとしたその時。
どくんと体が脈打ったかと思うと、デジヴァイスを介した目に見えない繋がりから、紋様の力がバードラモンへと流れ込んでいくのを感じた。修司も同じだったようで、え、と小さく驚きの声を漏らしていた。
一体これは、と思ったその瞬間、パートナー達にも、劇的な変化が訪れる。
「これは……!?」
「ボクの中、いや、シュウジから、力が……!」
彼らを羽で守っていたバードラモン。そして遠くからそれを優しく見守っていたレキスモンが、声をあげる。彼らの姿が突然光り輝き、まるで溶けて崩れたかのように見えた。
だが、それも一瞬のこと。すぐさま溶けた姿は再構成され、光の中から現れたのは。
「バードラモン、よね?」
バードラモンの時と同じく、彼らを翼で守っていたのは、赤き偉丈夫の鳥人。
そして。
「レキスモン、いや、違う?」
兎の意匠は継ぎながらも、両手に武器を手にし、装甲を鎧い、レキスモンよりも武人然とした印象を漂わせる獣人。
そんな、二体のデジモンだった。
「……あぁ、そっか。進化、したのね」
神無は、デジモンが一瞬で姿を変えるその現象に見覚えがあった。だがその時と状況が違いすぎて、困惑が隠せない。
「でもデジコアを手に入れた直後でもないのに、なんで」
「この『私』の名はガルダモン。デジモン達の『希望』として燦然と輝かんとする貴女の心が、私に進化を」
「レキスモンも、なんだよね」
「ああ。でも、『ボク』の名はクレシェモン。震えながらも進もうとするシュウの『勇気』が、ボクを進化させてくれたのさ。きっとキミたちのデジヴァイスの紋様、いや、『紋章』は、そんな心の証さ」
『希望』、それに『勇気』。
勿論聞いたことがある単語だが、どこか不思議なモノを感じる言い回しに二人は困惑を見せる。そんな様子を見て、ガルダモンは膝をついて二人に優しく語りかけた。
「我々はパートナー。貴方達の力であると同時に、貴方達に力を貰う存在でもあるのです。デジコアの力だけではない。貴方達がこの状況に負けず、前に進もうと決意してくれたことが、我々に力を齎してくれたのです」
「そう。キミ達が強い心で共に居てくれるだけで、ボク達の力になってくれるんだ。キミ達にできることがたかが知れてる、なんてことはないのさ」
ね? と呼びかけるクレシェモンに、ガルダモンはこくりと頷く。
「この事態は、偏に私の不徳の致すところ。本来ならば、貴方達はこの世界に来ることすらなかったかもしれないのです。でも……それでも叶うのなら、共に戦ってくれますか。私達の、パートナーとして」
その言葉に、彼女と修司は一瞬だけ顔を見合わせて、そして己がパートナー達の方を振り向く。
その顔に悔恨の影は残れども、迷いはない。
「ええもちろん、ガルダモン」
「一緒に行こう、クレシェモン」
そう力強く答え、繋いだ手を強く握りなおす彼女らの頭上。
いつの間にか雨は止み、静かに月光が降り注いでいた。
○
そうして私達は、本当の意味で闘い始めた。
ダークエリアからの侵攻を防ぎ、デジモン達を守るため。
最初はただ、パートナーの手を取ったことで始まった旅。
デジコアを取り戻し、現実世界へ戻ることが旅の目的だった……あるいは、旅そのものが。
だけどそうしてデジタルワールドを知って、デジモン達を助けたい、守りたいと思った。
その闘いは、決して楽しいだけのものではなかった。
けどそれでも、色褪せない、輝いた時間だった。
大切なパートナーと、大切な人が、隣にいてくれたから。
○
「ようやく、ここまで来たんですね……」
朝日に照らされながら、目の前に広がる現実ならばあり得ない雄大な光景を眺めて、修司が呟く。
ここはデジタルワールドの中心と呼ばれる場所。《天樹》イグドラシルの根本だった。まさしく天を衝かんばかりの高さ、そして現実では見たこともないくらいの太い幹。その圧倒的なスケール感は、《天樹》と言う異名が相応しいと、彼女は思う。
「ええ。ダークエリアの連中と闘って、行き着く先がここだなんて思いもしなかったわ」
「ここに、中心部へと繋がるゲートがあるんですね。デジタルワールドの管理者で、神のような存在……そこがダークエリアに繋がってるなんて」
「あのコも、それは知らなかったみたい。なんでもゲートに関わることは、三大天使の領分なんだそうよ?」
「だからオファニモンは、ここのことを知っていたんですね」
「そういうコト」
ダークエリアにて傷を癒し、そして更なる力を蓄えたミレニアモンは、デジタルワールドへの侵攻、いや最早『侵蝕』の速度を早めていた。
《天樹》イグドラシルによるデジタルワールド管理へのカウンター、あるいはバグとして産まれてしまった存在だと、三大天使が語ったミレニアモン。そんな存在が願うのは、ただ破滅なのだという。
その願いの下、ミレニアモンは物理的破壊のみならず、各地を文字通り崩壊させ、ダークエリアへと『堕として』いったのだ。
そんな侵蝕の中、彼女達は様々なデジモン達の助力を得ながら、必死に抗った。時間にすれば、一年にも満たない、決して長くはない時間だった。けれど、神無と修司には、何よりも濃く、密な時間だった。
そんな、二人と二体で駆け抜けた時間が思い出されて、二人の口から自然と思い出を語る言葉が溢れ出る。
「あのコが真の姿に進化した時、ちょっとビックリしたわよね」
「えぇ。でもなんだか、不思議と納得した気はしましたけど。東方守護が、竜でしたから」
「ふふ。ファンタジーの定番だものね」
――ミレニアモンの軍勢からデジコアを全て取り戻し、南方守護を復活させた。
「堕天させられたオファニモン……元に戻すことができて、本当に良かったですよね」
「手強かったけど……涙を流しながら闘う慈愛の天使なんて、見てられなかったものね」
――堕天した三大天使の一角を激戦の末に打倒し、真の姿を取り戻した。
「『はじまりの街』の幼年期のコたちを守るために、ミレニアモンの軍勢とたった二体で闘って……守れて良かったけど、キツかったわ」
「オファニモンが授けてくれたくれた秘法があったから、乗り切れたのかもしれませんね」
「えぇ、本当に」
――ミレニアモンが生み出したダークエリアの大軍勢と、幼年期たちを守るために、二人と二体でボロボロになりながら闘った。
そんな闘いを繰り返した果てに、たどり着いた。ミレニアモンの本体が潜むというダークエリアの中心部、そこに繋がるというゲートの下へと。
修司が、イグドラシルを仰ぎ見ながら、微かな緊張を滲ませて言う。
「……これで、終わるんでしょうか」
「ええ、きっと」
「そうしたら僕達は、元の世界に戻れるんですよね……皆と別れるのは、寂しいけど」
「あのコとオファニモンは、そう約束してくれた。だから、私は信じるわ」
「そうやって闘って、勝てて、現実世界に戻ったとして……」
修司の語尾が、弱々しく消える。その『勇気』で、優しさはそのままに逞しく成長していった彼には、今や珍しいその様子。だが彼女には、そんな彼の気持ちが手に取るようにわかった。
「今は考えることはやめましょう? でも、約束……いえ、誓うわ」
「誓う、ですか?」
「ええ。絶対に生きて戻って……そうしたら、私から会いに行くから。ちょっと時間はかかるかもしれないけど、ね」
「……っ。はい!」
そうして、どちらからともなく手を繋いだその時だった。二人の目の前へ、どこか月を思わせる、優美な白い影が飛び降りて来た。その白い影は彼女達の様子を見て、おや、と面白そうに声を漏らす。
「これはこれは、ボクとしたことが。大切な時間を邪魔してしまったかな?」
「ちょ、ディアナモン……!」
音を立てずに静かに降り立った月を思わせる白き影。それはクレシェモンが更なる進化を遂げた姿、ディアナモン。修司の『勇気』と共に歩み続け、辿り着いた姿だった。
そんなパートナーの揶揄うような視線に、彼は手を離そうとする。しかし神無はそれを許さず、更に指を絡ませ合い、しっかりと握りこむ。まるで、見せつけるように。
「あらいいじゃない。今更でしょう? 恥ずかしがってるの?」
「勘弁して下さいよ……!」
「ふふ。最後の闘いの間際でも、貴女らしい。とても頼もしいことです」
その声は、彼らの頭上から降ってきた。先ほどまでは輝いていた太陽がふと陰る。彼らが頭上を見上げてみれば、そこにいたのは燃え盛る焔を思わせる緋き巨鳥。
これまで取り戻したデジコアを身に纏うように浮かべる、威厳あるその姿こそ。
「スーツェーモン! お帰りなさい!」
「はい、只今戻りました」
デジタルワールドの摂理を司る四聖獣が一角、南方守護のスーツェーモン。
それこそが神無と共に在った闘いの中で取り戻した、そして何より彼女の『希望』を拡げるために、二人で辿り着いた姿だった。
修司とディアナモンと、同じように。
「……ふふ」
そんな感慨と共にパートナーを見つめていた彼女だったが、ふと笑みが漏れる。
「おや、どうしたのですか?」
「ううん。最初にアナタと会った時のことを思い出して。私の本当の姿は可愛いものじゃない、って言ってたじゃない?」
「ああ……そうでしたね、懐かしい」
「確かにピヨモンみたいな可愛い姿ではないけれど……でも私は、今のアナタが好きよ、スーツェーモン。デジタルワールドの守護者……カッコいいじゃない?」
軽くウィンクをしてそういうと、軽く頭を下げるようなしぐさを見せる。感情が現れにくい姿ではあったが、照れていることが彼女にははっきりと分かった。
そんなやり取りの後。さて、と仕切りなおすようにスーツェーモンが切り出す。
「上空から見た限り、敵影はなし。予定通り、カラテンモン達が他のゲートは抑えてくれています。行くなら今の内です」
その言葉に、全員が顔を見合わせて頷いた。事ここに至って、もう言葉はいらない。ここまで共に、歩んできたのだから。何をするべきかは、はっきりとわかっていた。
そして神無と修司は視線を合わせることなく、けれど一度だけ強く手を握りあってから、その手を解く。そしてそのまま、互いのパートナーへと触れた。
「それじゃあ行こうか、ディアナモン」
「最後の戦い……よろしく、スーツェーモン」
そしてパートナーから手を離すと、二人ともデジヴァイスをパートナーへと掲げる。液晶画面に、互いの心を象徴する『紋章』、『希望』と『勇気』の紋章が光り輝いたかと思うと、次に表示されたのは、緑色の短い同じ文字列。
MATRIX_EVOLUTION/.
その言葉を高らかに、そして決意を込めて二人が読み上げたその直後。
二人の姿が光に包まれ――解ける。
彼女は輝く金色の、修司は太陽を思わせる橙色の光の帯となり、互いのパートナーへと吸い込まれて、そして消えた。
光を吸収したスーツェーモンとディアナモンの姿が、これと言って変わったわけではない。
だが。
『……どう? スーツェーモン?』
「ええ、我が内に貴女をしっかりと感じます」
『ディアナモンも、大丈夫だよね』
「ああ、勿論さ。しかし人間とデジモンの一時的な融合進化……三大天使は底が知れないねぇ」
それは、三大天使に授けられた力。『紋章』を発現するほど強い心を持つ人間とパートナーを一体化させ力を増す、マトリックスエボリューションという名の秘法。完全体のデジモンとパートナーが用いれば、一時的に究極体へ進化させることすら可能だという。彼女達のパートナーは旅の中で既に究極体へと至っていたが、それでも秘法を用いれば発揮できる力は段違いに上昇した。
そんな、強力な力。もはや打倒は困難な程に力を得てしまったミレニアモンを、この力を以って封じてほしいと、三大天使に託されたのだった。
マトリックスエボリューションに問題がないことを確認した後、スーツェーモンとディアナモンが頷き合う。そしてスーツェーモンが翼を広げて一つ啼くと、イグドラシルの根元を飲み込むようにして、漆黒のゲートが広がった。
決戦の地へと続く、昏き門が。
そして二体は――二人と二体は、それぞれの覚悟を胸に、ゲートへと飛び込んでいった。
○
ミレニアモンとの決戦は、困難を極めた。
圧倒的な巨大さ、見るだけで狂いそうになる瘴気。
現実世界では見たこともなかったようなその存在は、まさしく『闇』の体現だった。
恐怖を抱かなかったといったら嘘になる。
死を覚悟した局面だって何度もあった。
時空間ごと圧縮するなんていう強大な存在に勝てるのかと、何度も自問自答した。
でも、それでも闘った。デジモン達の為にもこの存在を放ってはおけないから。
そして何よりパートナーが……そして大切な人が、共に在ったから。
○
闇に満たされた空間を、時空間ごと揺るがす咆哮が響く。
思わず耳を塞ぎたくなるような衝動を必死で堪え、スーツェーモンと神無は飛び続ける。不定形のオーロラのような影を纏ったミレニアモンが、背中の巨砲から破壊の奔流をスーツェーモン目掛けて放つ。触れれば即ち死を意味するその一撃。それをバレルロールで躱しつつ背後へと回る。
攻撃は、相変わらずの危険性だ。だがこの段に至って、もはやミレニアモンの行動は最後の悪あがきに過ぎない。スーツェーモンと彼女が、幾度もデジコアの力を篭めて放った炎が楔となり、ミレニアモンを縛り付けており、もはや動きもままならない状態なのだから。
だがそれにも拘わらず、楔の隙間から破壊の奔流を吹き出し、彼女たちを滅しようと攻撃を仕掛けてくる。尋常じゃないという言葉が、まさしく相応しい有様だった。
そして今再び、炎の楔の僅かな隙を逃すことなく、背中の砲より時空間ごと存在を圧壊させる砲撃を放とうと、狙いを定める。
だが。
『させません!』
「行け――『アロー・オブ・アルテミス』!」
ディアナモン達は当然、それを許さない。背中から引き抜いた氷の矢を続けざまに放ち、砲撃が放たれる寸前に命中させて狙いを外させる。その攻撃に、苛立たしげな呻き声を上げ、敵意をディアナモン達の方へと向けるミレニアモン。
視線だけで、相手を殺しかねないほどの視線。だが炎の楔越しに向けられる殺意に、ディアナモン達は動じない。
『ディアナモン!』
「ああ、スーツェーモン達に手出しはさせないさ! 『グッドナイト・ムーン』!」
謳うようなディナモンの宣言と同時に、三日月を象った足が、ミレニアモンへと冷たい月光を放つ。本来ならば、敵を深い眠りに落とす技だ。当然、ミレニアモンのような強力な存在が眠りに落ちるわけもない。せいぜい、攻撃の手が止まる程度だ。
だが最終局面たるこの状況で、それは致命的な隙となる。ミレニアモンが眠気を厭うように不快な咆哮を上げる中、その背後でスーツェーモンが大きく翼を広げる。
『行けるわよね、スーツェーモン』
「ええ。これで封印は成る……終わりです、『紅焔』!」
他の四聖獣からもデジコアの力を借りた、封印の一撃。スーツェーモンが放つ、太陽にも斉しい輝きの焔が、溢れ出る闇を灼き尽くし、封印の楔の中へと押し込んでいく。
その様子を、彼女たちは固唾を呑んで見守った。楔を砕こうと暴れ、咆哮をまき散らす。だが、ここまで幾度も焔を放ち、仕上げとばかりに全ての力を込めて最後の一撃を加えてスーツェーモンが作り出した封印の楔は強固だった。再度砕くことは叶わず、暴れることすらままならないよう、楔に縛り付けられていく。
その様子を見ながら、しばらくは誰も言葉を発することができずにいた。
一体そうして、どれだけの間焔の封印を見ていただろう。誰かが何か言葉を発するよりも先に、二体の融合が解ける。再び光の帯が現れて、二人の人間の姿を編み上げていった。
「……終わった、んですよね?」
光の中から現れた修司が、静寂のなかで確かめるようにぽつりと言う。信じられない。そんな思いを、言葉の端に滲ませながら。応えるディアナモンは、疲労ゆえか軽く膝をついていた。それでもその口調は、どこか力が抜けたように聞こえる。
「ああ……そのはずさ。スーツェーモン?」
「確かに、同胞の力と共に楔を打ち込みました。これで、これでようやく……」
感極まったような、スーツェーモンの声。その声を聴いて、ふと彼女はそこに出会った頃のピヨモンの姿を見た気がした。傷だらけになりながらも、取り戻さなくてはならないものがあると必死になっていた、あの頃の姿を。
それがなんだか、嬉しいような、懐かしいような。なんだか不思議な感慨に襲われて、自らのパートナーへと飛びつこうと走り出した、その刹那のことだった。
「……?」
その違和感に気付いたのは、彼女だけだった。
ミレニアモンを他の空間から隔絶し、ダークエリアへと縛り付ける焔の楔。それが機能しているのだろうことは、パートナーと繋がっている彼女にも感じ取れた。
実際今も、ミレニアモンの巨体を封じ、闇を灼き続けている。だがそこから、何かが零れ落ちる音を聞いた気がしたのだ。
「あれ、は……」
澄んだ音を立てて封印から零れ落ちたのは、闇色で染め上げられた、ダークエリアよりもなお昏い手のひら大の闇色の水晶。その水晶の中に蠢く何かを見た時、背筋に寒気が走るのを止められなかった。蠢いていたのは、まるでミレニアモンが纏ったオーロラの形を模したような、闇色の影だったのだから。
彼女が声を出す暇もなく、水晶が自立して音もなくふわりと浮き上がったかと思うと。
「……まさ、か」
ソレは、彼女のことになど目もくれず、スーツェーモン目掛けて飛んでいく。
「ダメ!」
それは、ただの直感だった。この『ナニカ』がスーツェーモンに当たってしまえば、何か取り返しのつかないことになると、そう感じたのだ。考えるまでもなく体が動き、水晶の射線上に割って入る。
彼女の叫び声を聞いて全員が振りむいた時には、既に手遅れだった。『ナニカ』は割って入った彼女の胸へ、その勢いとは裏腹に音もなく吸い込まれる。
まるで糸の切れた人形のようにぱたりと彼女は倒れて、そして。
「―――――――――!!」
彼女の口から、形容し難い絶叫が、迸る。
○
あの時の苦しみは、本当に耐え難いものだった。
生まれつき抱えた病気、発症した合併症、エトセトラ。
そのせいで、痛みや苦しみには、慣れていたつもりだった。
それでも気が狂うかと思うほどの、痛み、苦しみ。
気が狂いそうなのに、周囲の会話や状況がはっきり掴めるほど感覚が鋭敏になって、それだけに苦しみも増幅される。
そんな、最悪の循環だった。
○
その声に全員がハッとなった瞬間には、既に事は手遅れだった。
「スーツェーモン!」
「封印は確かに……! ですが、今のは一体……!」
何が起こったのかわからず混乱するパートナー達。だが修司は恐慌に陥ることなく、素早く彼女の下へと駆け付けてきた。
「なんだ……これ」
絶叫し、もがき苦しむ彼女のことを必死に抑えようとしながらも、修司の口から、困惑の声が漏れる。
神無の憧れだったノースリーブから覗く白皙の胸元に、何かの影が蠢く闇色の水晶が巣喰っていた。鼓動のように脈打ち、植物の根のような管を張りながら。
「シュウジ、それには触らないでください」
遅れて駆け寄ってきたスーツェーモンが、鋭く警告の声を発する。焔色の二対の瞳が、その闇色の水晶を凝視していた。
「スーツェーモン、これは何なんですか?」
「それに彼女の苦しみ方、尋常じゃないよ。まさかコレ……」
「ええ。恐らくはミレニアモンの精神体……オファニモンの言っていた、ムーン=ミレニアモンという存在でしょう。封印が完成する間際、分離し逃がしていたとは……なんたる不覚……ッ!」
悔しげに声を漏らすスーツェーモンを、誰も責めることはできなかった。ディアナモンも何も言わず、膝をついてよく神無の胸元を観察する。
「……明らかに根を張ってるいるね。これは……かなりマズそうだけれど」
「彼女の体を――魂そのものともいえる精神データを侵蝕しているのです。人間があの闇に耐えられるわけもない。このままでは精神が崩壊するか、最悪、新たなミレニアモンとなってしまう可能性も……」
辛そうな、悔やむような、けれど守護者らしく厳しさを帯びた声に、修司がそんな、と悲鳴を上げる。
「やっと終わったと思ったのに……なんで……なんで、そんなことに!」
「……私の責任です。私の油断が、彼女をこんな目に……」
察して余りあるほどの悲痛な思いが漏れるスーツェーモンの声に、修司も二の句が継げなかった。彼と同じくらい……あるいはそれ以上に、今の状況を悔いていることはすぐにわかった。
そんなスーツェーモンの体を、ディアナモンが軽く叩く。
「後悔は後でも遅くない。今は彼女をどうすれば助けられるのかが重要さ、そうだろう?」
「……はい。そうですね」
「それで、手は?」
「侵蝕されてしまった以上、破壊は危険です。彼女の精神が壊れてしまう危険性がある」
「なら……どうすれば」
修司の問いに、返ってきたのは、重苦しい沈黙。だが、打つ手が皆無だから故ではない。答えを躊躇っているからだと、修司にはすぐにわかったのだろう、スーツェーモンへと、彼にしては珍しく静かに、けれど力強く問う。
「スーツェーモン」
問いかけるような修司の声音に、僅かに悩むような様子を見せた後。スーツェーモンは重々しく口を開いた。
「……私が抑え込みます。三大天使の秘法を利用して」
「三大天使の……どういうことだい?」
マトリックスエボリューションは、一時的な人間とデジモンの融合のことだ。それを利用するとはどういうことなのか。理解が及ばなかったのだろう、修司とディアナモンは、顔に困惑を浮かべている。
「普通は、彼女が私に融合します。それを、デジヴァイスから逆流させ……私が、彼女に融合します」
「そうすれば、助かるんですか」
「私のデジコアの力で、ムーン=ミレニアモンを封じられるでしょう。ですが……」
言い淀むスーツェーモンに、修司は無言で先を促す。いずれにせよ猶予はないのは、火を見るより明らかだった。スーツェーモンも、あきらめたように口を開いた。
「ですが……恐らく彼女の精神データは、人間ともデジモンともつかないものに変質してしまうでしょう。現実世界への帰還は……」
それがどれだけ重大なことかは言うまでもない。現実世界へ戻ること。それが彼らの目的の一つでもあったのだから。
「そん、な」
重い事実に、修司は言葉が出ない。決して、デジタルワールドという世界から一刻も早く去りたいとか、そういうことではないだろう。むしろ、旅を経た今、デジタルワールドに愛着を抱いているのは、神無も同様だし、修司もその様子だった。
だが、家族に二度と会えない。友人にも会えない。あの世界に、帰ることはできない。それがあまりに重い宣告なのは、間違いなかった。
「それしか選択肢はないのかい?」
「今すぐに取れるのは……思いつくのは、これしか」
「でも……でも帰れないなんて、そんな――」
あんまりだ、と言おうとした修司の手。それを弱々しく、けれど必死に、掴む。
「シュ、ウ。私は、大、丈夫、だから……!」
「カンナさん!?」
○
『勇気』を宿していても優しい修司には、きっと決断できない。
そう思うと、苦しみの中でも不思議と手が動いた。
修司に決断させて、苦しめたくなかったから。
『選ばれし子供』として、責任を果たしたかったから。
……それに、何より。
修司の前では、カッコいい私で、いたかったから。
○
あつい、いたい。くるしい、つらい。そんな言葉ばかりが、彼女の脳裏を巡り続ける。筆舌に尽くし難い辛さが、神無の内を蝕んでいた。
だがそれでも、再び漏れそうになる絶叫を必死に抑え込む。そして、片手で胸の水晶を掻きむしるようにしながら、反対の手で修司の手を掴む。
脂汗を浮かべ、苦しげに息を吐きながら……それでも、目には確かで強い意志の光を宿して。
その視線を、二の句が継げない様子の修司から、スーツェーモンへと移す。
「ねぇ、スー、ツェーモン。私は、デジモンたち、の。『希望』に、なれてた、かしら?」
「……カンナ」
「どう?」
「勿論」
短く、しかし力強く。スーツェーモンは頷いてみせる。ディアナモンも、それに続くように頷いた。
「あぁ、カンナ。キミは我々の『希望』だったよ。間違いなく、ね」
「そ。ありが、とう、ね、ディアナ、モン」
体を侵すものを必死に抑え込みながら微笑んで、再び神無は修司へと視線を向ける。
「……ねぇ、シュウ?」
神無が何を言おうとしているのか、それがわかってしまったのだろう。修司はその問いかけに、涙ながらに首を振る。
「ふふ……アナタの、涙。久々に見た、かな」
「だって……だってカンナさん!」
「ね。約束、守れそうに、無くて、ゴメン、ね?」
私から会いに行く。その約束のことを指しているのだと、修司にもすぐに伝わったのだろう。泣きじゃくりながらも、ふるふると、弱々しく首を振る。
「私は、さ。現実では、何も、できなかった。何かしたかった、けど。迷惑を、かけて、ばっかりだった」
「……っ」
「そんな私が、さ。『希望』って言って、もらえた。私にもできることが、あった。皆にさ、託されて、いたの。世界を、未来を……!」
修司と共に強く在ろうと決めたあの夜以降。神無は、『選ばれし子供』と呼ばれるたびに感じることがあった。
ただ彼女を、もてはやしているわけじゃない。『選ばれし子供』が救ってくれると、無邪気に祈っているわけでもない。
皆、『選ばれし子供』と彼女たちを呼ぶたび、託しているのだと。
未来を頼む、世界を頼む――と。
だから、と、神無はぎゅっと修司の腕を握り、弱々しくも確かに叫ぶ。
「私が、新たなミレニアモンになる、なんて、絶対にイヤ……!」
痛み、苦しみに頭の中をぐちゃぐちゃにされ、パニックになっている時でも、周囲の声は聞こえていた。
自分自身がミレニアモンになる。そんなことは絶対に受け入れられなかった。そんなの未来を託してくれた皆への裏切りだから。
「私は、私を『希望』なんだ、って、言ってくれた皆に、想いを返したい……! 私に託してくれて、ありがとう。必ず、アナタたちの、『希望』に、なってみせるから、って……!」
それこそが、彼女が託してくれた皆に返せる全てだと、この世界で見つけた役目だと、そう信じているから。
必死の彼女の叫びに、応える声はなかった。
神無の喘鳴以外は誰も何も発せず、場を僅かな沈黙が包み……そして。
「カンナ。それにシュウジ、ディアナモン。いいですね」
スーツェーモンが静かにそう言った。感情を殺している事が、ありありと分かる様子で。
その言葉に、ディアナモンは、静かに頷いた。
「あぁ。カンナの決意、無駄にすることなんて、できないよ」
その言葉に続くように、修司は涙を拭いて、スーツェーモンに問う。今にも泣き出しそうに、けれど必死に涙を堪えて。
「……これでカンナさんは、生きていられるんですよね」
「南方守護の力にかけて、必ずや」
「なら、やってください。カンナさんに生きていてほしいし……何より想いを、絶対に無駄にしちゃいけないと思うから」
決然とそういう修司に、神無は微笑む。
ああやっぱり、彼の心の芯の部分は『勇気』で満ちている。そう思った。
「アリガトね、シュウ。悪いけど、姉さんに、伝えて」
「え?」
「帰れなくて、ゴメン。それだけで、きっと分かる気がするから。姉さんなら、ね」
「……分かりました。必ず伝えますだから、安心してください」
「うん、助かる。それと、ホントにゴメンね」
その言葉に、泣き笑いのような表情で、修司は首を振る。
「僕はそういうカンナさんだから、きっと好きになったんだと、思うから」
その言葉に、思わず神無も笑みが漏れた。この時だけは、侵蝕の苦しみを忘れて。
「私もそう言ってくれるシュウが、好きだったわ。だからこれから、幸せに、暮らしてね」
「……はい」
言葉と共に、どちらからとも無く手を絡めあい、ぎゅっと強く握りしめて。
そしてその手を、どちらからとも無く離す。
もう、言葉は必要なかった。
その様子を見て、スーツェーモンが一歩前に出る。
「それでは、始めます。いいですね、カンナ?」
「ええ、やって……ゴメンね、スーツェーモン」
「何を。謝るようなことではありませんとも」
微笑みながらそう言って、スーツェーモンは嘴を彼女の額へと触れさせる。
すると、神無のデジヴァイスに文字が点る。
表示されたのはMATRIX_EVOLUTION/.の文字列。ただし緑ではなく、赤で。
それと同時、首や尾に纏ったデジコアが、紅い光の粒子と化し、彼女の体に吸い込まれていく。そして次第に、スーツェーモンの巨体も紅い光の帯へと分解されていった。マトリックスエボリューションの時の神無や修司と、同じように。
だがその時、スーツェーモン達を、固唾を呑んで見守っていたディアナモンが、はたと顔を上げる。
「待つんだスーツェーモン。彼女の侵蝕をこれから先も封じるというのなら、まさかキミは――」
ディアナモンのその問いに、スーツェーモンは微かに笑ったように、神無には見えた。
「一度は使命を果たせず、失ったも同然だった命。ですが《天樹》の導きで、カンナと会って、旅をして……これ以上ない幸せをもらいました。なれば今度は、私が返す番。彼女に要らぬ重荷を背負わせてしまうかもしれませんが……それでも、生きていて欲しいのです」
スーツェーモンの言葉に、修司達は何も返せない様子だった。パートナーとの絆がどれだけ深いか、それはよくわかっていたからこそ、ということだろう。
そうしている間にも、スーツェーモンの体はどんどんと紅い光の帯へと分解されてゆく。
「貴女との旅路は、私の永き生の中でも輝きに満ちたものでした。ありがとう、愛する我がパートナー、カンナよ」
彼女の名を、愛おしそうに呟くと、完全に光の帯となった後、スーツェーモンは彼女の体へと吸い込まれていった。
そして一瞬の静寂の後。
彼女の体から、焔が噴き上がって。
その傍で、デジヴァイスが光を失い、液晶画面が、音を立ててひび割れた。
●
「ん……少し寝すぎたかしら」
朝日が昇りきったころ、廃墟でピアノに凭れ掛かりながら眠っていた少女――神無は目を覚ます。彼女は立ち上がると一つ伸びをして、長く豪奢なプラチナブロンドを軽く搔き上げた。
整った顔立ちに、勝気な印象を漂わせる切れ長な眼、美しい白金髪。そしてすらりとした立ち姿は、衆目があったなら人目を惹くことは間違いないだろう。
だがその瞳だけは、異様だった。普通ならばあり得ないほどの緋に染まっているのだ――まるで、焔のような。
「ふふ、あの頃のことなんて……また懐かしい夢を見たものね」
そう呟いて、白金髪の下、耳につけたイヤリングに触れる。そこには両耳とも同じデザインで、ルビーとは似て非なる赤い宝玉が一つずつあしらわれている。そして同じ宝玉が両手のブレスレット、両足のアンクレットにも一つずつ。そしてネックレスには六つ――計、十二。
そのそれぞれを愛おしそうに、大事そうに、そっと撫でる。
「懐かしい場所で寝ていたのもどうだけど……やっぱり、あの子たちの話を聞いたからかしら」
今、デジタルワールドには何らかの危機が迫っていた。かつて封じた筈のミレニアモンか、はたまた別の何かか。とにかく何らかの存在が、各地のデジモン達を暴走させているというのだ。
だがそれを助けながら、各地を旅する一団がいるという。人間とパートナー達が共に歩む、『選ばれし子供たち』が。
そして近い内に、彼女の下を彼らが訪れるだろうと、東方守護から聞いていたのだ。
「さて、今代の『選ばれし子供たち』は、どんな子なのかしらね……と、噂をすれば、かしら」
人を超えた聴覚を有す彼女は、こちらへと歩んでくる足音と会話の声をとらえていた。声と足音は四種類。デジモンとパートナーが一緒であることを考えると、恐らくは二組のパートナーなのだろうと察しがついた。
「……今代はもっと数が多いと聞いていたのだけれど」
まぁそれも聞けばわかるかしら、と呟いて、ピアノの陰に身を隠すようにして待つこと数分。
――そして彼女は、今再び運命と巡り合う。
「ここ……か?」
「話によると、そうみたいだけど。何、シュンってば怖いの?」
「馬鹿なこと言ってんじゃないぞ、ユリ」
「冗談、冗談。それにしても本当にこんなところに、四聖獣なんているのかしらね。森の中にあるのはちょっとヘンだけど、普通の廃墟じゃない。なんか妙に焼け焦げてるけど」
そんな会話をしながら、警戒するように中へと入ってきたのは、背の高い少年と少女の二人組だった。
少年の方は、周囲の者を寄せ付けないような鋭い雰囲気を纏っている。理知的に見えるがそれだけではなく、足運びや体格から、何か鍛えているのだろうことは見て取れた。
少女の方は、しなやかな細身に凛とした立ち姿が特徴的だ。背も高いが、それ以上に目を惹くのは腰にも届くかという長い髪だろう。それを一つに纏め、デニムのロングスカートと共に揺らしている。
一体、自分のような存在を見たら彼らはどう思うだろうか。そんな思いで少しワクワクしつつ、ピアノの陰から彼らの前へと姿を現す。
「ようこそ、『選ばれし子供たち』のお二人さん。お望みの四聖獣、なら……――」
かつて共に旅した、白き月を思わせるデジモンを真似て、芝居がかった仕草で二人の前に姿を現して、その顔を改めて間近で見て。
思わず、彼女は言葉を失った。
突然のことに、少年少女は驚いたような様子を見せる一方、少年の方は素早く少女のことをかばうように前に出ていた。
物音で何事かをパートナー達が察したのだろう、外から二体のデジモンが駆け寄ってくるのが見える。雄々しき体躯の古代獣と、黄金鳥を伴った戦士が。
だが、彼女にとって、今はそれすらもどうでもよいことだった。驚きのあまり声が震える。
「姉さん……それに、そんな、シュウ? なんで、なんでこんなところに……?」
もう会えないと思っていた、最愛の家族と、大切なヒト。その二人が、在りし日の姿のままで、目の前に現れたかと思ったのだから。
そんな彼女の言葉に、少年少女、そしてデジモン達は明らかな困惑を浮かべている。
「一体何を……?」
「それに貴女は誰? 貴女も、ここに招かれた人間なの?」
その言葉に、彼女ははっとさせられた。確かに、顔の造作は見紛うほどによく似ている。だが、ここにいるのが彼女の知る家族と、大切な存在であるはずがないのだ。ましてや在りし日のままの姿でなど。
もうあれから、随分と年月が経ったのだから。
自分の勘違いを悟り、少しだけ寂しさを感じたものの、それでも興味は尽きなかった。たとえ別人なのだとしてもこれほどまでに似ているのだから。
「ごめんなさい、少し混乱しただけよ。貴方達、名前は?」
彼女の問いに、警戒心を滲ませながらも、二人は応える。
「……俺は相山俊司。パートナーは、このサーベルレオモンだ」
「私は高品百合華。パートナーは、こっちのヴァルキリモンよ」
鋭い少年と雄々しき古代獣デジモン、そして凛とした少女に精強なる戦士型デジモン。不思議と絵になるパートナー達だと、自分達の時のことを思い出して少しだけ懐かしい思いにかられた。
そしてなにより名乗ったその名前に――特に少年の名前に、やはり、という思いがした。想像通りであれば、二人が見覚えのある人と似た姿をしているのも、わからなくはない。驚きでもあり、寂しくもあったが。
答えを聞きたいような、聞きたくないような。そんな思いを胸に、再び彼らの問いを投げかける。
「ふぅん、シュンジにユリカね……ところでお二人とも、『相山修司』と、『美咲華凛』という名前に、聞き覚えはないかしら?」
その言葉に、少年と少女の顔色が変わる。驚きと警戒心と、そんなものが綯交ぜになった表情に。
困惑と驚きのせいだろう沈黙の後、少年の方が応える。
「アンタが何故その名前を知っているのか知らないが。相山修司は、俺の父親だ」
「そして美咲華凛……高品華凛は、私の母よ。それがどうしたの?」
その答えに、あぁ、と嘆息せずにはいられなかったのか。懐かしさ、後悔、寂しさ、喜び。色んなものが、一気に胸へと去来した。思わず、焔色の瞳から涙が零れる。
「そう、そう……アナタたちは、シュウの、それに姉さんの子供なのね。ああ……本当に、なんて因果なのかしら」
その言葉に、彼らはパートナー共々再び顔を見合わせる。意味が分からない、と思っているのは、言葉にしなくても明らかだった。
そんな彼に、神無は問う。問わずには、いられなかった。
「ねぇシュン、でいいかしら。シュウは――修司は元気? 今、幸せ?」
「……なんでアンタが、そんなこと」
「いいから」
強くはないが、縋るような口調だったことに、彼女自身、少し驚く。俊司もそんな彼女の様子に何かを感じたのか、渋々ではあるものの、口を開いた。
「幸せ……だと、思う。父さんには、感謝してるよ、いつも」
「そう……そっか。それなら、うん。良かったわ」
現実世界に戻り、幸せに暮らし、伴侶を見つけて。そして、立派な子供を持っている。
それは、きっと別れ際に願ったように、幸せなことなのだろう。
そう、きっと。
僅かに走る胸の奥の鈍痛には気付かないフリをして、今度は百合華の方へと視線を向ける。
「ユリ。姉さ……ううん、華凛さんは、どう?」
「色々大変なこともあるけど……幸せに暮らしてる、と思うけど」
「そっ、かぁ。うん、それが聞けて、本当に良かったわ」
この体になってから、ずっと気がかりだったこと。家族は、修司はどうしているのだろうか。幸せに、暮らしているのだろうか。
その答えを、不思議な巡り合わせの末に聞けて、ましてや子供たちを見ることが出来るなんて。なんて僥倖だろう。そう思わずには、いられなかった。
だがそんな神無を余所に、俊司は険しい表情で一歩前に出る。
「それで……なんで父さんやユリの小母さんを知ってるのか知らないが。アンタは一体何者なんだ。俺たちは南方守護、四聖獣のスーツェーモンがここにいると聞いて来たんだが」
「……ふふ。そういう物言いは、シュウとは似ても似つかないのね」
修司によく似た顔で、けれど彼ならば口にしないような強い疑念と敵愾心を滲ませる彼に少しだけ笑みを浮かべ、目の端から零れる涙を拭う。
そう、血と縁に纏わる話は後でも出来る。今は求められるのならば、『四聖獣』の役目を果たさねばならない。
そう決めて頷くと、神無は、ねぇ、と改めて二人へと問いかけた。
「アナタ達、デジヴァイスは持ってる?」
「えぇ。これでしょ」
百合華がそう言うのと同時、二人とも、自らの腰に下げていた端末を神無の方へと掲げる。
俊司のデジヴァイスには、サーベルレオモンのアイコンと、十字を模した紋章が。
百合華のデジヴァイスには、ヴァルキリモンのアイコンと、ハートを模した紋章が。
それぞれ、液晶画面に表示されていた。
「へぇ? その『紋章』が、アナタたちの心の形なのね」
「これがどうしたんだ。というか、なんでそんなことまで知っている」
俊司の疑問も尤もだろう。神無はそんな彼に応えるために、自らも腰に手を回し、臀部の方に提げていたものを手に取り、そして彼らの方へと掲げた。
一瞬不審げに目を細めた俊司と百合華、そしてパートナーたちが、それが何であるかを理解して目を見開いた。。
「デジ、ヴァイス」
「でも、どうしてひび割れて……」
そう、神無が掲げて見せたモノ。
それは、かつて彼女が常に携えて闘いをくぐり抜け、その果てにひび割れ光を失った、彼女自身のデジヴァイスだった。
「そう、これは私のデジヴァイス。今はもう、抜け殻だけどね」
かつての旅路に、仲間に、パートナーに。もう随分と昔の、けれど忘れられない過去に想いを馳せながら、手のひら大の機械を愛おしげに撫でる。今やあのころのことを思い出させる、唯一のモノとなってしまった機械を。
そんな神無に驚き言葉もない俊司と百合華に一つ微笑んで、彼女は名と正体を告げる。
もう随分と以前、今と同じ場所でパートナーに名を告げた時とは違い、力強く、凛と。
自らが背負った、そしてパートナーが背負っていた役割に、恥じぬよう。
「私の名前は美咲神無。かつて『選ばれし子供』と呼ばれ、今は四聖獣の南方守護、スーツェーモンを宿す者。そして何より――アナタたちと、縁ある元人間、よ」
そう言うと、豪奢な白金髪を搔き上げて、焔の色に染まった瞳で『選ばれし子供たち』を射貫くように見やって。
彼女は、再び巡り来る自らの運命と、対峙した。
●
これは、かつてデジタルワールドを駆け抜けた少女の物語。
懐かしくて、大切で、輝かしくて、そして。
もう二度と取り戻すことのできない、過去の物語。
――そして彼女達を巡る、世代を超えた、運命の物語。
あとがき。
湯浅桐華と申します。この度はノベコン、お疲れさまでした。
冒頭にも書きました通り、当作品は投稿済作品の加筆修正となります。
元の物語にはあった別の物語との繋がりを削除し、いくつかの要素をつけくわえ、時代を現代に寄せたものとなっております。
選ばれし子供のたどった道を、ロードムービー的に表現出来たら。そんな意図のもとに生まれた短編でした。
より王道に近くなるよう、いくつか足したり、あるいは引いたりしたわけですが、それはそれで、と思う一方、要素を詰め込みすぎたりしたことなどで、元作品にはあったテンポが損なわれてしまったかな、という思いもあり。
無論後悔はありますが、せっかく書いたもの、ぜひ皆様にご一読いただければ、と公開した次第です。
既に投稿作品をお読みいただいている方は、大筋は変わらないものの、どこが変わったかお楽しみいただくのも一興かと思います。
それでは、これにて。
湯浅桐華でした。
ノベコンお疲れさまでした!
感想を配信で喋らせていただきましたので、リンクを下に貼っておきます!
https://youtube.com/live/6Z-0_qmTn6M
(54:03~感想になります)
ノベコンお疲れ様でした。夏P(ナッピー)です。
折角だから俺の嫁その2もとい神無さんの為、オリジナルの方から読み返してきました。こういうものはやはり改訂版はどこが追記や改訂されてるかを読み比べて確認するのもまた華。
オリジナルにあった他作との繋がり(いや原典という意味でこっちが飽く迄も外伝なのかもですが)を廃し、単品で一つの話として完結し得るように再構築したといった感じでしょうか。なんだとぉ俺の嫁その1が名前変わっとるやんけと戦慄しましたが、これは飽く迄も血縁関係と現実世界の時間経過を明確にする為の改変と見た。もう感想で「だから美咲の『血』って何だよ!?」と書く準備を進めていましたが、改編により飽く迄も神無さんの胸中の中で言及されるに留まった。何故だ!!
改めてオリジナル含めて読み返させて頂きましたが、ピヨモンは最終的にスーツェーモンに“なった”のではなく、元からスーツェーモンだったのに“戻った”というのが正確でしたか。そしてダイジェスト風味ながらガルダモンまでしか描写されていないので、ホウオウモン辺りを挟んで朱雀に到達したというより純粋に究極体としてスーツェーモンに進化した感じでしょうか。星宿に関してはこれ間違いなく作者様の趣味やなとニヤニヤしつつ、しかし街の破壊シーンで現れるカラテンモンは追加シーンだと思いますが、後のヴァルキリモンも含めて美咲の『血』は鳥型デジモンに縁があるらしい。というか、後に美咲の『血』を継ぐ者が同様に崩壊する街でトラウマ刻むことになるし……。
名前が最初から明示されたのも印象的でしたが、神無さんの身体的特徴はアニメ的なキャラ付けもしくはデジタルワールドにおける異質さ現す為のものだと思っていたら、しっかり理由付けがされていたのは15年ぶりにハッとさせられる気分。やはりタイヨウのうた……性格的に神無さん絶対Y〇Iじゃなくて「別に」の方だと思うが……。
そういえば『選ばれし子供』の伝説はあって、また姉さんが妹に語れる程度には冒険譚が以前もあって、そして追加シーンでやたらスーツェーモンが『南方』を強調していたので、つまり他の方角に存在する三体も何らかの形で語られる程度の伝説として存在していたんでしょうか。
元を知っているので、どうしてもSalusありきで語ってしまいますが、これシュウ君がコーキMk-Ⅱの親ってことは、コーキMk-ⅡとサヤMk-Ⅱがオリジナル同士で従姉弟だと考えると、シュウ君これ美咲の『血』に取り込まれたってこと……?
内へ内へと向かう右代宮……もとい美咲の遺伝子……。ラストシーンの神無さん、肺から喉元辺りまで「NTRやんけ~!」が上がってきてそう。というか読んでるこっち側が脳破壊された。最終決戦前の語らいが如何にもな死亡フラグだったとしても、オリジナルの方では「あ、シュウ君これ操立てて一生一人で生きていきそう……神無さんいつか必ず現実世界に戻ろうぜ彼の為にも」と思える結末だったのに……。
追記シーンの六割ぐらいが、意識消失から覚醒したら薄着に着替えさせられているシーンと、最後の苦痛に喘ぐシーンというコンボで驚愕にて戦慄。いや後者は名シーンですし前者はデジアド02オマージュなのはわかるので単に私が助平なだけですが、今までずっと神無さんって己の肉体を儚んで半ばやけっぱちで日頃より派手なタンクトップとデニムでいるキャラなんだーと思っていたので、その薄着はデジタルワールドによって強制的に着させられていた(※意味不明)というのは結構な15年おきのカルチャーショック。入院中とはいえまさかの人間界では芋ジャージ常用、ぼっちちゃんだったの!?
真の助平は『天樹(イグドラシル)』だったのかもしれない……。
それでは改めましてノベコンお疲れ様でした。
この辺りで感想とさせて頂きます。