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マダラマゼラン一号
2019年10月30日
  ·  最終更新: 2019年11月29日

木乃伊は甘い珈琲がお好き 第二話

カテゴリー: デジモン創作サロン

#鰆町奇譚 #CoffeeTownTrilogy



 

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2-1 小さな背の少女/初めての依頼/革の肩掛け鞄のこと



 一九三〇年、ダシール・ハメットが『マルタの鷹』を著し、ハードボイルド・ミステリという推理小説の新たな道を切り開いた。私立探偵サム・スペードが相棒の死をきっかけに中世の宝をめぐる悪党どもの抗争に巻き込まれていく物語。それはシャーロック・ホームズ、エルキュール・ポワロと言った伝統的な名探偵の形にともすれば唾を吐きかけるようなものだった。トリックとも言えないようなトリック、そして謎の多くが拳と睡眠薬の飛び交う中で雑に処理されるそのストーリーには、かの江戸川乱歩翁も難色を示したという。

 ハードボイルド・ミステリが既存の探偵小説よりも前進した点の一つに、警察の無能さというものがある。コナン・ドイル以来、探偵小説の警察には碌なのがいないが、ハードボイルド・ミステリにおける彼らは、それよりももっとひどい。横暴で、深夜三時に無断の家捜しをして探偵の見つけた証拠をかっさらい、無実の容疑者を撃ち殺すものと決まっている。

 遠野古書店での事件の夜、行き慣れない警察署に向かいながら、僕は恐怖に慄いていた。警官達はパトカーが駆けつける前に事件の現場にいたというだけで僕のことを三日は拘留するだろう。負けてなるものか。不当な扱いをしてくる警官どもに、僕はフィリップ・マーロウを引用してやるつもりだった。「法律書を読んでる奴は、本の中に書いてある事が法律だと思ってるんだ」と。

 そんなわけで、警察署での金沢警部と伊藤巡査の対応がとても丁寧だったことは、僕をかえって拍子抜けさせた。金沢警部は高校生の僕に対しても礼儀正しかったし、若い伊藤巡査は寡黙で実直な人物だった。もちろんお役所的な手続きは面倒の一言に尽きたが、現代日本の警察はそれなりにまともな所らしい。

 しかしそれでも、うっかりしてデスメラモンの事を話してしまわないように気をぬくことはできなかった。犯人らしき人物を目撃していないという嘘は吐き通さなければいけない。ありがたい事に、金沢警部ももうその事に拘ってはいないようだった。

 はっきりとはしないものの、現在判明している中では僕が事件の前に遠野老人と言葉を交わした最後の人物であるという事になり、金沢警部は正確にその時の会話を繰り返すよう僕に三度求めた。これには流石に辟易したものの、僕は聞かれるたびに大人しくそれに答えた。ついでにその時の僕の所感、老人にいつもの元気さがなく顔色も悪いようだったこと、それは事件が起こった今だからそう思うのではなく、事件の前から喫茶店のマスターにその話をしていたことなどを話した。

 警部がもっとも興味を示したのは坂本についての話だった。当然と言えば当然だろう。ガラの悪い店員を首にした翌日に、その店主が頭をかち割られたのだ。関連を疑わない方がおかしいというものだ。

 坂本についての僕の証言が終わると、金沢警部は満足そうに唸った。このままでは警察は坂本を逮捕してしまうだろう。もっとも、彼等の無能を責めることはできない。デスメラモンの事を知っているのは、僕とマミーモンだけなのだから。


     *****


 結局、僕はその夜を、マミーモンと二人で住んでいる学生向けアパートのベッドで過ごす事ができた。


──それで? これからどうするんだ?


 ベッドに仰向けに寝転がりながら「愛書家の死」を読み始めた僕に、マミーモンが話しかけた。彼とデスメラモンの戦いの話の大まかなところは聞いている。マミーモンのやつ、妙に気が立っていたようだったが、何かあったのだろうか。

「どうするって?」


──あの爺さんがぶん殴られたことさ。警察に説明して、それで終わりか?


「まさか」僕は気のない調子で呟いた。


──おい、しっかりしてくれ。探偵さんの出番じゃねえか。お前が動かないと……


「分かってるよ」僕は少し強い口調でマミーモンを遮った。

「今回の事件で、ちゃんと何があったのかを把握できる立場にいるのは僕達だけだ。警察がどれだけ優秀だったとしても、デジタル・モンスターのことは分からない。僕たちがなんとかしなきゃ、遠野さんを殺そうとしたやつは永遠に野放しで、多分坂本のやつが捕まる」


──それだけじゃねえ。俺はお前に着いていけば“欲しいもの”が手に入ると思って、こうしてここにいるんだ。やっと面白そうな事件が起こったっていうのに、お前に尻込みされちゃたまったもんじゃねえ。


「ああ。でも……」

 それはあまりに唐突だった。夢見ていた状況が、目の前にある。自分が探偵で、事件を解決するという使命を背負った状況。突如与えられた目の前の使命に、僕は困惑を隠せなかった。

「とりあえず、今日は眠ろう。頭を落ち着けたい」僕は本を放り出し、電気を消した。暗闇の中で、マミーモンに話しかける。

「なあ、マミーモン」


──どうした?


 僕の不安げな声に、マミーモンは怪訝な様子だ。

「捜査しなくちゃいけないし、明日は学校休んでいいかな……?」


──行けよ。


 はぁい、と声をあげ、僕は目を閉じた。


     *****


 学校では、昨日の事件のことは殆ど話題になっていなかった。聞いた話では夕方の地域のニュースでは取り上げられたらしいが、あのボロボロの古書店に通っている高校生が何人もいるわけでなし、仕方のないことなのかもしれない。

 滅多にないことに(自分でも驚いたのだけれど)、その日の僕は全七コマの一日の授業の中で一睡もしなかった。もっとも、真面目に授業を受けていたわけではなく、マミーモンと筆談で事件の捜査方法について話し合っていたのだ。


──それで? 手始めに何から始めるんだ?


 背後から問いかけてくる声への返答を、僕はノートの端に書き付ける。

『我々には、特別な力がある』


──特別な力? ああ、“死霊使い”の事か。


 僕はかすかに首を縦に振る。マミーモンからもらったこの力があれば、本来取り憑かれた“狐憑き”本人にしか視認できない霊体の時のデジタル・モンスターを見る事ができる。

 これは大きなアドバンテージになり得る。僕達以外誰も、この力の存在を知らないのだから。“狐憑き”の誰もが──おそらくデスメラモンの依代である人間も──霊体にさえなっていればパートナーのモンスターを隠す事が出来ると思い込んで、いつも自分の側に置いている。


──なるほどな、意外と頭いいじゃねえか。


 マミーモンの賞賛に、今度は周りの目も気にせず大きく頷き、再びシャープ・ペンシルを走らせる。

『犯人はそう遠い所に住む人物とは思えない。おそらく市内の、もっと言えば鰆町商店街の近隣の人間だ。我々はあの近辺をひたすら歩き回って、デスメラモンを頭の上に浮かべた人間を探せばいいのだよ。 簡単なことだよ、ワトソン君』


──おお! さすがは探偵というだけあるぜ。


『でも、それじゃあんまりハードボイルドじゃない』


──は、はぁ?


『やっぱり、聞き込みとかそういう事をしなければいけない気がする』


──いや、何言ってんだ。


『とりあえず放課後になったら、〈ダネイ・アンド・リー〉で聞き込み計画を立てよう』


──いや、待てって。さっきのやり方で良いじゃねえか。おい、早苗! 聞いてんのか!


 会話を一方的に打ち切ると、僕は黒板に目を向けた。勢いで引用してしまったが、結局のところ僕はシャーロック・ホームズ型の探偵ではないのだ。


      *****


 放課後、その日の僕は珍しく図書室には立ち寄らなかった。すぐに〈ダネイ・アンド・リー〉に向かわなくてはいけない。

「あ、早苗くん」

 下駄箱に立った僕に、珍しく話しかける影があった。ギターケースを背負ったその少女に、僕は目を向けた。

「……奈由さん」

「ちょっといい?」

 快活な笑顔を向けてくる初瀬奈由(ハツセ・ナユ)の言葉に、僕は下を向きながら頷いた。夏の間は見慣れたポニー・テールだった筈だが、いつの間に切ったのだろう、ショート・ヘアが廊下に差し込む西日の光に揺れていた。

「どうしたの?」

 僕はうつむきがちに口を開く。顔を上げれば他人の目をまっすぐ見つめる彼女の瞳に捉えられてしまうからだ。 高校一年生で同じクラスだった時から、僕は彼女の真っ黒な目が苦手だった。しかもその目を携えて、教室の端っこの僕の小さなテリトリーに気軽に入ってくるのだからたまらない。


──なんというか、俺は、この女と話してる時の早苗が一番好きだよ。素直で。


 何処からか茶々が入った気がしたが、僕は無視を決め込む。奈由は、珍しくおずおずとした動作でポケットから封筒を出した。

「今週末、軽音部で組んでるバンドで、ライブをやるんだ。来ない? 大通りのライブハウス」

 僕は思わず彼女の背中のギターケースに目を向けた。ああ、なるほど、そういうことね。

「チケット代とか、いくら?」

「高校生向けだから、五百円」

 それくらいなら払ってもいいかなと思った矢先、彼女が俯いて、小さく素早く言った。

「……プラス、入場の時のドリンク代が五百円で、千円」

「ドリンクって、それ、強制?」

「……うん」

 おお、キビシイ。俯く彼女の手の封筒に目を向ける。ライブハウスの人の筆跡だろうか、結構な金額の数字がそこに走り書きされていた。ライブハウスのノルマは厳しいと聞く。

「他に誰か誘う人とかいなかったの? 一年で同じクラスだった人とか」


──お前、惚れた女と話してる時にちょっとでも他人の話出すかよ。そういうとこだぞ、そういうとこ。


 マミーモンが背後で喚く。失敬な。彼女に惚れてるなんて、一度も口に出しては言ってない。

 奈由は僕の問いにますます項垂れた。封筒の中身には、まだずっしりと重みと厚みがあるようだ。今日は木曜日、ライブのある土曜は明後日。同性、異性問わず友人のほとんどに断られ、僕のところにやってくるほどに困窮しているらしい。

「女の子にはだいたい当たってみたんだけど、ダメ。男子は……」彼女は思案するように目を上に向ける。

「昴くんが、買ってくれたっけ」

 僕は心の中で舌打ちをした。富田昴(トミタ・スバル)、彼も高校一年生の頃同じクラスだった。誰からも好かれる爽やかな男前に、市議会議員の息子だという噂もある上品な所作の為に、彼は学年中の女子の憧れの的だ。先月、部活にも所属せず昔からやっていたという合気道で全国大会に出場したことで、後輩にもファンが増えたということだった。彼の事を話す時の奈由がどんな顔をしているか、みるのも嫌だ。


──だから他所の男の話なんかするんじゃねえって行ったじゃねえか。いいから買えよ、ここで良い印象を売るんだ。どうせ珈琲に消える金だろ。


 初心な相棒を使って遊ぶ気満々のミイラは気に入らなかったが、僕は彼の言葉に従うことにした。羽織ったウインド・ブレーカーのポケットから五百円玉を取り出し、指で弾いて奈由に渡してやると彼女は目を輝かせてこちらを見上げてきた。慌てて目をそらし、チケットを受け取る。自分のバンド名だと言って彼女が指し示した記号とアルファベットの羅列に、思わずこれはなんと読むのだと言いかけ、慌ててその問いを飲み込む。

「本当にありがとう!」

「行けるかどうかは分かんないよ。それじゃ、頑張って」

 ぱたぱたと部室に向けて駆け出す奈由を見送る。その小柄な体は、ギターケースに隠れてほとんど見えなかった。


──いいのか? ライブなんて、今週は捜査で忙しいんだろ。


 彼女が去ると、背後のミイラが再び話しかけてきた。

「チケットだけ買って、行かなきゃいいのさ。酒を飲むわけじゃなし、流石にドリンクに五百円はね」


──なるほど、じゃあお前は、あの女の笑顔が見たいが為だけに五百円を払ったというわけだ。


「しつこいぞ」僕はそう吐き捨てて、昇降口に乱暴に転がした靴に足を差し入れる。


──念のため言っとくが、もしお前が将来あの女なり、他の女なりに呼び出されて、泣きながら壺とか英会話教材とか買わされそうになっても……。


 僕はマミーモンによく聞こえるように舌打ちをすると、秋風の吹く昇降口に飛び出した。このミイラの一番気に入らないのは、妙にこの世界の事情に詳しいことだ。


      *****


「おお、来たか。探偵クン」

 〈ダネイ・アンド・リー〉に入った僕を、髪の毛をオールバックにした髭面のマスターが出迎えた。

「こんにちは、今日はご老人方はいないんですか?」店内を見回し、僕は首をかしげる。

「今日は君と話したいことが沢山あるからね。店は臨時休業だ。closedって札を出しといたはずだけど」

「ほんとですか、全然気づかなかった」

「……全然気づかないで、ずかずか入ってきたのかい」

 いつもの席に座る僕にマスターは呆れたような目を向けたが、その目はすぐに深刻になった。

「先程市警の金沢警部から電話があってね、遠野さん、搬送先の病院で亡くなったそうだ」

 僕は言葉を失った。

「だって、救急車で運ばれる時もあんなに元気そうに……」

「ああ、私も驚いた」

「やっぱり頭を殴られたのが原因なんですか?」

「検死結果で別の結果が出ない限りはその仮定のもとに捜査すると警部は言っていたよ」

「そうですか」

 僕はそれだけ言って、椅子に深くかけ直す。頭を殴られて倒れているのに居合わせたとはいえ、あの赤ら顔の遠野古書店の主が死んだという事実は容易には受け入れ難かった。マスターはそんな僕をしばらく見つめ、そして口火を切った。

「探偵クンは、今回のことを捜査するのかい?」

「え?」

「殺人事件だ。探偵の出番のように思えるけどね」

 なんと答えればいいのか、分からなかった。捜査をすると決めてはいたものの、不謹慎だ、ごっこ遊びではないんだと叱りつけられる気もした。

「……やります」

 マスターはううむと唸った。

「本気で言っているのか? これは現実だ。推理小説とは違う。推理小説はあくまで知的な遊びだというのは、誰の言葉だったかな」

「……綾辻行人の『十角館の殺人』の一節です。多分彼の言うことは正しいんだと思います」

 それでも。

「やります。警察じゃダメだ。多分、僕にしか出来ません」

「……あの怪物のことを言っているのか」

「はい、彼は今もここにいます」


──そうとも、俺はいつでもいるぜ。


 店内に一陣の風が吹き、気がつくと隣の席に背の高いミイラが座っていた。彼を実体化させるコツはよく分からないが、今の所はうまくいっているようだ。

 マスターは彼のことをしばし眺め、それから大きく息を吐いた。

「最初から、説明してくれ」


     *****


「成る程ね……」

 僕がデジタル・モンスターについて、遠野老人がデスメラモンに殴られたこと、その背後には人間がいることなどを語り終えると、マスターは一つため息をついた。僕は彼の目を見据え、決意を込めて語る。

「ご存知の通り、僕は探偵に憧れています。でも、今回の件はそれとは関係ない。僕達にしか、犯人を捕まえることはできないんです」

 マミーモンも頷く。

「そういうことだ。俺たちのことは、黙っててくれるよな?」

「……少し待っていてくれ」

 マスターはしばらく唇を噛みながら黙っていたが、やがてそれだけ言って店の奥に消えた。それからどれだけ経っても出てこないので、隣でマミーモンが不安げな顔を向けてくる。

「おい、大丈夫だよな、あのおっさん、警察に通報したりしてないよな」

「た、多分大丈夫だよ。もし万が一警察が来ても、お前は霊体に戻ればいい」

「そ、そうだな」

「おい、二人とも」

 そんな話をしていた矢先、再びマスターが出て来たので僕たち二人は椅子の上で飛び上がった。

「何驚いてるんだ。ほら、これ」

 彼は、僕に小さな茶色の革の肩掛け鞄を手渡して来た。かなりの年代物だが、長いこと使われていないらしい。

「何ですか? これ」

「中を見てみろ」

 僕は金具を外し、鞄の中を覗いてみた。一番大きなポケットは空だったが、小物入れには様々なものが入っている。

「これは……」

 一つ一つ取り出して見てみる。レンズの周りが銀色に縁取られた小さな虫眼鏡、柄に貝殻があしらわれたよく手入れされた折りたたみナイフにペンライト。小さな革の手帳をめくると、最初の数ページに細かい字でオーソドックスな暗号の解読法がいくつか書きつけられていた。その他にも雑多な、古いがよく手入れされた品物が詰め込まれている。

「その鞄の中には、探偵稼業に必要なものが一式詰まっている」

 マスターはそう言って、真剣な顔で僕達二人を交互に見た。

「遠野古書店は私にとっても思い出深い店だ。店主の遠野老人もね。それに、私の店に来るご老人達は、皆あの人の古い友人だ。彼が殺されたことに、みんな悲しみを感じている。私もみんなも、この事件の解決を望んでいるんだ。だから、仮に君達の捜査とやらが遊び半分でも、私は君達に協力をするよ。でも……」

 彼は、僕の持つ鞄を指さす。

「君達に覚悟があろうと無かろうと、君は沢山の人の思いを背負って走ることになる。それは時々、とても辛いことだ。小説の探偵がそうするように、自分とは無関係な深い悲しみの中に飛び込んで足掻かなくてはいけないんだ。もし君にそれを背負って真摯に事件に向き合う覚悟があるなら、春川早苗くん、その鞄を背負いたまえ」

 僕はしばらく、自分の持つ革の鞄を見つめていた。そして黙って頷くと、それを肩にかける。大して重いものは入っていないはずなのに、その鞄はずっしりと重かった。不意にマミーモンが、僕の肩を叩く。

「おっさん、こいつは昨日にも一度、腹括ってるんだ。今更迷うこたねえよ。それに、もしこいつが逃げ出しそうになったら、俺が縛り付けてでも引き摺っていく。こいつには、俺の為にたっぷり働いてもらわないといけないんでね」

 マスターは強く頷いた。

「うん、いい友人を持ったみたいだ。そんな君にもプレゼントがある」

 マスターはそう言うと、また店の奥に引っ込み、今度は大きな服を取り出して来た。フィリップ・マーロウものの映画の中でハンフリー・ボガートが着ていたようなトレンチコートと帽子だ。

「マミーモン、と言ったかな? 霊体になれるとは言ったけど、やはりその体の方が色々と便利なこともあるだろう。君はちょうど私と同じくらいの背格好だ。これがよく似合うんじゃないかな」

「いや、俺は別に、ちょっと、おい、早苗、助けろ!」

 僕が呆気にとられている間に、マスターはマミーモンにあっという間にコートを着せてしまった。

「うん、思った通りだ。包帯を巻いた顔だと、ウェルズの透明人間を思い出すけどね」上機嫌でマスターが言う。

「……早苗、なんとか言ってやれ」

「マミーモンの方が探偵っぽくてずるい」

「そういう問題じゃねえよ!」

「だって」

 トレンチコートに帽子で渋く決めたマミーモンと比べて、学生服にウインド・ブレーカーを羽織り、その上で肩掛け鞄を下げた僕はどう見ても探偵には見えない。良くて ベイカー街不正規連隊 ベイカーストリート・ボーイズ、場合によっては何処からか「ぼっぼっぼくらは少年探偵団!」という歌が聞こえて来そうだ。

「ところで」顔を上げてマスターを見る。

「これ、マスターの名前ですか?」

 僕は鞄を持ち上げ、その下に筆記体で書かれた名前を指し示す。

「そうだとも。それはどれも私の少年時代の品さ。……探偵クン、君にそんな目を向けられる筋合いはないぞ」

 照れたようにしどろもどろで言った彼を見て、僕とマミーモンは顔を見合わせる。

「やっぱり厨二病同士気が合ったんじゃないか?」

「……否定できないのが悔しいね」

「そ、そんなことはどうでもいいだろう」

 心なしか顔を赤くしながら、マスターが取り繕うように言う。

「よし、二人とも」

「何もよしじゃないです」

「私としても君達に探偵なんて危険な真似はさせたくない」

「全く説得力がねえな」

 半ばやけになったのか、マスターは声を張り上げた。

「だがしかし、君達に事件に挑む覚悟と身を守る力があるとわかった今、こちらからお願いしよう。遠野さんを殺害した犯人を見つけ出してくれ」

 マスターの言葉に、僕はマミーモンの方を向く。

「マミーモン、初依頼だ。頼んだよ」

「おう」

 付き合わせた拳は、ミイラの割には重くて暖かかった。

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マダラマゼラン一号
2019年10月30日

2-2 皴のある救命士/ぼろ家/落ちこぼれの漂流者のこと



 夕方五時の街を満たす空気は冷え切っていて、この時間でも辺りが薄明かりに包まれていることが、辛うじて死にゆく夏の面影を感じさせてくれた。

「これからどうするんだ?」

 隣を歩くマミーモンが尋ねてくる。コートを纏い、実体化した相棒が隣を歩いているのは変な気分だ。

「事件現場に行って、できれば警察の誰かに話を聞こう。その後は、坂本の家だ」

 僕はもっともらしく言った。

「それで何も分からなかったら?」

「坂本や遠野老人の関係者の家を片っ端から訪ねていく。そうすると、闇に葬られた過去の事件とこの殺人に繋がりがあることが分かってくる」

「分かってくるのか」

「少なくとも、小説では」

「もしも、もしもだ、そんな風に聞き込みをしても何も見えてこなかったら?」

「さらにしつこく聞き込みをする。すると、何処かの段階で来客用のコーヒーに眠り薬を盛られるか、どこかのチンピラにぶん殴られて気を失う。そうすると僕は自動的に事件の首謀者のところまで連れていかれる」

「……つまり?」

「誰かに殴られるかクスリを盛られるまで、ひたすら関係者の周りをうろちょろするんだ」

 少なくとも、フィル・マーロウはそうしていた、と自信たっぷりに言った僕の後頭部が、ミイラの拳で小突かれた。

「ほら、殴られた。いくぞ」

「……実体化、やめたほうがいいんじゃないかな。人目を引くし、殴られると痛いし」

 マスターの洒落た衣類一式、ハットにコートにツイードのズボンはマミーモンの異様な姿を隠すことには成功していたが、スクリーンの中にバーボンと拳銃を置き忘れたまま探偵映画から飛び出してきたような格好の長身の男は、やはり周囲の目を引いたようだった。道行く人々が、目の端で彼を追う。

「それに、流石に暑くない?」

「暑いし、重いな」

 彼は辺りを見回すと、誰も彼を見ていない一瞬の隙をついて、ふわりと浮いた。


──これでどうだ?


 僕は目を見開く。彼の身に纏う衣類も、彼と共に霊体となって浮いていた。どういう理屈か尋ねようとして、その行為の無意味さに気づき、口を止めた。なんと言っても、相手は“デジタル・モンスター”なのだ。

「便利なんだな、その体」


──そうだな。でも、それが欲しくてこの世界まで来たんじゃないぜ。ほら、あの警察官に話を聞くんだろ?


 僕は前に目を向けた。遠野古書店の周囲には黄色い立ち入り禁止のテープが張られ、まだ青い服の警官がうろうろしている。その中に金沢の姿を認め、話しかけようとした僕の前に、横から割り込む影があった。

「どうも。昨日、ここにいた人だよね」

「あなたは……」

 しばし逡巡したあとで、ようやく彼の顔を思い出した。

「昨日の救急隊員の人?」

 僕の言葉に彼はにこりと笑った。歳は三十に入るか入らないかと言ったところだろうか、目尻には僅かに皺が刻まれていたが、それがこの男をかえって若く見せているような感じだった。

「まさか覚えてくれてるとはね」

 男は白井と名乗り、僕に右手を伸ばしてきた。僕は彼と握手を交わし、何故ここにいるかを尋ねた。

「一応、被害者に最も近づいた人間の一人だからね。警部曰く、この場で被害者の言動を整理するみたいだ」

「遠野さんは、搬送先の病院で亡くなったんですよね」

 僕の問いに、白井は顔を暗くした。

「それはそうなんだけどね。救急車が病院に着いた頃には、すでに意識を失っていた」

 僕は眉をひそめる。

「搬送される時は平気そうだったのに」

「頭を殴られていたわけだからね。何が起きてもおかしくはなかった。……これは言い訳だな。ぼくの無力さにも、責任の一端はあるわけだから」

 そんなことないですよとか、そういったことをごにょごにょと呟きながら、僕は聞き込みを続ける。警部はもう店の奥に入って見えなくなってしまったが、遠野老人の最期を目にした一人である救急隊員と言葉を交わせるのは有難かった。

「救急車の中での遠野さんに、おかしなところとかなかったですか?」

「おかしなといってもね。ああいう状態にある患者さんがいつも通りということはあり得ないよ。でも……」

「でも?」

「いや、変な行動や言動は無かったよ。従順そのものだった。でも、それはそれで、おかしな話じゃないか? 運び込まれる前までは、あんなに抵抗していたのに」

 担架の上で、私は平気だと叫ぶ昨日の遠野老人の姿が目に浮かんだ。

「ええ、でも最後には大人しく……」僕の言葉が止まる。

「うん、あの人は大人しくぼく達に協力してくれた。伊藤刑事の説得のおかげでね」

 まぶたの裏に、昨日の一幕が繰り返される。必死で搬送を拒否していた遠野老人が、伊藤刑事の説得に驚くほど素直に、大人しくなったことを思い出した。

「爺さん」

「え?」

「伊藤刑事は、遠野さんのことをそう呼んでました。妙に馴れ馴れしい気もしますし、知り合いなのかもしれませんね。それで、説得に応じてくれたのかも」

 白井は納得したように何度も頷く。

「成る程、そうか。君、すごいね。ぼくの顔を覚えていたことといい、探偵みたいだ」

 白井の世辞に気をよくする余裕はなかった。背後でマミーモンが囁きかける。


──おい、早苗……。


 かすかに頷く。あの伊藤という刑事が、もし単なる話術や、老人との間にあった信頼関係によってあの説得を達成したということもあり得る。しかし、救急車の中でも老人は大人しくしていたというのだ。

『大丈夫だ。爺さん、大丈夫』

 彼が言ったのはそれだけ。これだけの説得がそれほどの効果を発揮することがあり得るだろうか。

 なんらかの力が使われた可能性がある。薬や催眠術の類ではない。伊藤刑事は老人に触れてもいないし、何かをするだけの時間はなかった。でも、デジタル・モンスターの力なら。

──敵を麻痺させたり眠らせたりする力を持ったデジモンは多い。もしかしたらそれは、単に爺さんを大人しくさせるだけじゃなかったかもしれねえな。身体の動きを鈍くして……心臓の動きを止めたかもしれない。

 白井に礼を言うのもそこそこに、僕は古本屋に向けて早足で歩き出した、店の奥から金沢警部が出てくる。

「金沢警部!」

「おお、春川くんか。昨日は協力ありがとう」メモ帳を見ながら難しい顔をしていた警部は僕の声に顔を上げた。

「今日はどうしたんだね?」

「いえ、塾帰りです。金沢警部が出てくるのが見えたので、その、お礼が言いたくて。昨日はショックを受けてたところに、優しくしていただいたので」


──おお、なかなかもっともらしい嘘をつくじゃねえか。


 マミーモンのお墨付きの僕の言葉が効いたのか、金沢警部も頷いた。

「無理もないさ。この店の常連だったんだろう? 捜査は順調に進んでいる。遠野さんにあんなことをした犯人は我々が捕まえるよ」

 自信たっぷりな口調の金沢警部に僕は、真実を知る者として内心ため息をついた。

「それで、伊藤さんは? あの人にも良くしていただいたので」

「あいつもこの事件の担当だが、今日は別のところに聞き込みに行っている。その結果次第では、犯人は今夜にでも逮捕できるよ」

 背中が逆立つのを感じた。


──なあ、おい、それって……


 もっとも犯人らしい人物、警察が最も疑っているであろう人物、金沢警部が言っているのはおそらく坂本のことだろう。そこに伊藤刑事が行っている。たった今彼には、遠野老人をデジタル・モンスターの力で殺したという疑いが生じたばかりだ。

──坂本を殺して、あいつに罪をなすりつける気かもしれねえ。死人に口なしとはよく言ったもんだ。

 重ねて礼を言い、慌てて立ち去ろうとする僕に金沢警部が言った。

「君の言葉は有り難いけどね、警察に感謝する必要はないよ」

「……それが、仕事だからですか?」

「そうじゃない。我々はいつだって全ての市民に平等でなくてはならない。我々はいつか君に対して不躾な質問や行動に及ぶかもしれない、ということだ。その時に、君はかつての感謝と信頼を後悔することになるだろう。私の考えだが、警察は悪役でいいんだ」

 僕は頷いた。後悔する機会は思ったより早く訪れそうだ。

    *****

 点り始めた街灯に、それが最後の道標とばかりに死にかけの秋の虫たちが集まる。その下を、僕の影法師が駆け抜けた。と、その影法師が止まり、背を丸めてぜえぜえと荒い息を吐く。もっと体力をつけておくべきだった。この程度で息切れするのではとてもタフな探偵にはなれない。

 僕が走っているのは商店街を脇に逸れた道にある飲み屋街で、少なくとも半世紀以上前から存在しているであろうスナックが建ち並んでいる。時間がまだ早いのか通行人の影は無かったが、いくつかのスナックからは楽しげなカラオケの声が聞こえてきた。

──なあ、勢いで走り出したけど、坂本の家、分かんのか?

 僕は肩で息をしながらマミーモンの言葉に頷き、マスターから貰った肩掛け鞄から小さな紙を取り出す。走り書きされた住所と大雑把な地図は、走り出す前に頭に叩き込んでいた。

「マスターが調べて、教えてくれてた」

──おお、流石は元探偵志望だけあるな。さあ、進めよ。早くしないと坂本が危ないぜ。

 僕は無言のまま頷いて立ち上がる。淡い光を放ちながら浮かぶ月を見上げると、役立たずの心臓を鞭打って走り出した。


     *****


 坂本の家の前に出る角を曲がろうとした僕を、男と女の言い争う声が止めた。慌てて塀に背中をつける。声をひそめようとするのに口からは荒い息が漏れ、耳を澄ませようとするのに耳元ではどくどくと流れる血の音だけが聞こえていた。しかし声の主は周りが目に入らないほど気が立っていて僕には気がつかず、有り難いことによく聞こえる大声を張り上げていた。

「なんども言ってるでしょ! トキオは家にいないわ! 本当よ」

「家に上げてもらって、確認させてもらうことはできないかい?」

「バカ言わないでよ! あんたなんかを家に入れる義理なんか、一つもないわ!」

 なだめすかすような男の声は、伊藤だった。


──女の方は誰だ?


「分からない」僕は荒い息の中で囁く。

「なあヤヨイ、そんな風に言うことないだろ。他人じゃないじゃないか。学生の頃、坂本と俺とあんたで……」

「言っておきますけど、私も今は坂本ですからね。あんたと仲良くしてたのは昔の話よ。警官なんかになって、馬鹿馬鹿しい」

──とすると、このヤヨイって女は坂本の妻ってことか。そんで、坂本夫妻と伊藤は古い馴染みってわけだな。『トキオ』ってのは大方、坂本の名前だろ。

 まだ酸素を求めて息をしている僕の代わりにマミーモンが思考を言葉で整理してくれる。持つべきものはデジタル・モンスターの相棒だ。

 伊藤とヤヨイと呼ばれた女は、なおも言い争っているようだった。

「なあ、俺はトキオの為にも言ってるんだ。それにヤヨイも、居場所を知ってて隠してるのはちゃんと罪になるんだよ」

「なにそれ、脅し? じゃあ伊藤君は、坂本君があのおじいちゃんを殺したと本気で思ってるのね」

「俺だって信じたくないよ。でもあいつに聞かないことには……」

「本当に知らないのよ! トキオがどこに行ったのか、私が知りたいわ!」

「ヤヨイ……」

「もし用があるなら、他の人を寄越すことね。伊藤君の顔は見たくもないわ!」

 伊藤の呼び止める声の後に、ドアの閉まる音が続いた。ため息をつきながら伊藤がこちらに向かってくる。

「やばい、マミーモン!」

 そう囁きかけると、学生服の襟が上に持ち上げられ、あっという間に僕の体は塀の内側に放り投げられた。しりもちをつき痛みに声を上げる僕の口をミイラの手が抑える。塀の外側を伊藤が歩いていく足音がした。

「声出すんじゃねえ」

「だったらもっと優しくなぁ……」

「我慢しろ」

「……伊藤のやつ、デジタル・モンスターを連れてなかったな」

「分からないさ。何処かに待たせておけばいい話だからな。俺も、お前の聞き込みの間は外で待ってた方が良さそうだ。怪しまれるだろうからな。上手くやれよ」

 再び体が乱暴に塀の外へと放り出された。悪態を吐くと、僕は家に向けて歩き出した。

 玄関のベルを押しても、しばらくは応答がなかったが、三回目でドアの向こうから声がした。

「伊藤君、帰ってくれる? 警察呼ぶわよ」

「伊藤さんじゃありません」伊藤自身が警察官だろうと心の中で思いながら僕は声を張り上げて返事をした。

「他の警察の人? どっちにしろ、帰ってもらえるかしら?」先程の勢いには、伊藤が知り合いだからということも大きく関係していたらしい。相手が別の人物と分かった時の坂本ヤヨイの声は妙におどおどしていた。

「僕は警察じゃありません」

「うそつき!」

「ドアを開けてもらえれば、嘘じゃないことがわかってもらえると思います」

 しばしの逡巡をドアの向こうから感じたかと思うと、ドアがゆっくりと開き、女の顔が小さく覗いた。伊藤と古馴染みらしいから、二十代の後半くらいの歳だろうか。それにしては、彼女はやけに老けて見えた。ここ数日で一気に歳をとったような老け込み方だった。服の方も御同様で、灰のネルシャツと黒いロング・スカートはどちらもくたびれていた。

「なんだ、子どもじゃない、どうしたの」

 そう言うと女は無防備にドアを大きく開けた。男子高校生となれば大人ができる大抵の悪さはできるだろうに、僕が侮られているということだろうか。少し自尊心を傷つけられたが、今回の場合は好都合だと思い直して真摯な表情を顔に貼り付けた。

「僕はある人の使いで来ました」

 若干の屈辱感はあったが、信頼を得る為にここは架空の大人を引き合いに出すことにした。

「ある人?」

「坂本のトキオさんの無実を確信している、ある人です」

 女の顔が明るくなった。あまりにも思慮に欠けるようにも思えるが、味方に見えれば見ず知らずのガキにも縋り付いてしまうほどに追い詰められているのかもしれない。

「トキオの味方? 弁護士の方かしら?」

「そのようなものです」僅かな嘘に心がちくりと疼く。

「そう、入っていただける?」

 玄関の靴置きにざっと目を通したが、色褪せた女の靴が一つ置いてあるだけだった。この女と、不在の坂本の二人住まいらしい。

 しかし、通された家には若い夫婦の二人住まいの明るい空気を感じられるものは何処にもなかった。床は歩く度に甲高い悲鳴をあげて軋み、家の裏からは先程より大分興が乗ったカラオケの声が聞こえる。部屋にも小さなブラウン管のテレビがあるばかりで、質素と言うよりは貧相という言葉が似合いそうだった。僕の視線に気づいたのか、女は恥ずかしげに俯く。

「すいませんね、ボロ屋で。トキオの親の家なんですけど、二人とももう亡くなっちゃったから一時的に住ませてもらってるの。いずれはもっと小綺麗なところに引っ越そうってトキオと話してるのよ」

 女の言葉には新鮮な希望は無く、長い間毎日のように同じことを話し続けているということがわかった。その「いずれ」は少なくとも五年以上引き伸ばされているらしい。

「お茶でもお出しします?」

「いいえ。それよりも、お話を伺いたいですね。僕は春川早苗と言います」

「あら、私自己紹介もしてなかったわね。坂本弥生というの。よろしく、早苗くん」

 幾らか落ち着きを取り戻したのか、女は手を差し出してかすかに微笑した。綺麗な人だ、この時初めてそう思った。椅子を勧める所作に落ちぶれたかつての貴族というような雰囲気が滲み出ている。この女性があのチンピラ丸出しの坂本の奥さんなんてちょっと考えられない話だが、世の中にはそういう話が沢山あるのだろう。

「それでは、いくつか質問をしますね。無理に答えていただかなくても結構です」

 女が頷き、僕の向かいの席に座る。

 再び口を開いた僕の言葉を、大きな発砲音が遮った。坂本弥生が驚いたように外を見て、目をきょろきょろと動かす。

「今の、何?」

「車のバックファイアでしょう。大丈夫ですよ」

 僕は落ち着き払って言った。生憎、僕は銃声も車のバックファイアの音も聞いたことがない。しかし、小説の中には銃声がバックファイアの音に間違えられるシーンが星の数ほどあるのだ。きっとこれで誤魔化せるに違いない。

 泰然とした僕の態度に安心したのか、坂本弥生も息をついて居ずまいを正した。女の目を逃れ外をちらりと見る。

 おい、マミーモン、何があった?


      *****


 銃口から立ち上る煙は、夜の闇の中ではあまりにも白かった。マミーモンはその煙を息で吹き飛ばし、目を凝らす。弾丸が命中したという手応えはあった。しかし、銃弾の一発や二発で相手が死ぬとは思っていない。目の前にいるのは確かにデジタル・モンスターなのだから。

「一応言っておくけど」彼は声を張り上げる。

「その窓から見える男は坂本じゃねえぞ。坂本の奥さんに話を聞きにきた。しがない探偵サンだ」

 唸り声が上がり、夜の闇に青い光が瞬く。と、それが突如こちらに迫ってきた。マミーモンは喫茶店のマスターから貰ったハットが落ちないように抑えながら飛び上がり、空中で一回りすると敵の背後に着地する。体に纏ったトレンチ・コートが音を立ててはためいた。

「芸がねえなあ。けど──」彼は自分のいた場所に目を向ける。彼の背後にあった塀に、大きな爪痕がついていた。明日の朝になったら、家主は困惑することだろう。

「〈イレイズ・クロー〉、サイバードラモンか。宿敵たるウィルス種に会えて、さぞかし嬉しいだろうな」

 哀れな奴め、彼は呟く。プログラム単位でマミーモン達ウィルス種に対する敵意を刷り込まれているサイバードラモンは、当初の目的など忘れてしまったらしい。その目は真っ直ぐにマミーモンに注がれていた。

「そっちがその気なら話は早い。けど、その前に場所を変えようぜ」道路の真ん中では好きに銃を撃てないし、まだ夜の七時過ぎだ。人が通るかもしれない。この世界ではサイバードラモンの〈イレイズ・クロー〉は、空間そのものを切り裂くという特殊性を失っているらしかったが、それでも威力は凄まじいものがあった。加減していては勝てない。

 マミーモンは前に飛び出す。サイバードラモンのすぐ脇を挑発的な笑みを浮かべて駆け抜けると、彼の背後の塀を蹴って空に飛び上がった。それを、咆哮と羽ばたきの音が追いかける。

 夜にぼんやりと浮かぶ月を遮るものがなくなる高さまで来たところで、マミーモンは振り返りマシンガンを乱射した。数発は急所に命中したという手応えがあったが、龍の爪は勢いを少しも失わないまま迫ってくる。龍の体を覆うゴム質の装甲は、見た目以上に頑丈らしい。

「効果無しかよ。傷つくなあ」マミーモンは呟き、マシンガンを空に放り投げると、その鉤爪に紫の稲妻を走らせた。その爪で捉えた獲物を悪夢に引き込み、狂気に導く技。

「〈ネクロフォビア〉!」

 紫電を纏った手でサイバードラモンの腕を掴む。青い光に包まれた龍の鋭い爪が、マミーモンの目の前で止まった。間一髪と言ったところか。そう安堵する隙もなく、サイバードラモンが彼の腹を蹴りつける。空に跳ね飛ばされながら、マミーモンは怒鳴った。

「おい、貰ったばかりのコートだ! 汚すんじゃねえ!」

 龍は聞く耳を持たず、再び彼に迫ってくる。そのウィルスに対する闘争本能の前では〈死霊使い〉の見せる悪夢など無意味らしい。

 けど、それにしては。マミーモンは呟く。

「動きがガキ丸出しなんだよ」

 龍の動きは単調で、プログラムが導き出すウィルス消去までの最適ルートとはかけ離れているように見えた。突進を軽く避け、赤く塗られた民家の屋根に着地すると、マミーモンは頭上に向けてその手から包帯を伸ばす。

「〈スネーク・バンテージ〉」

  包帯に幾重にも絡め取られた龍を引き寄せ、屋根にたたき伏せる。空から降ってくるマシンガンをキャッチすると、その銃身で唸り声を上げる龍の顔を激しく殴打する。

「勝負ありだ。いい加減目ェ覚ませ」

 装甲に覆われていない喉元に銃口を突きつけると、彼は顔を龍の耳と思しき場所に寄せた。

「洗いざらい喋ってもらうぜ。口封じのために坂本を殺しにきたんだろ? 誰の命令だ?」

 本能のままに暴れる龍の唸り声は、今や全く聞こえなくなった。代わりに、諦念のこもった穏やかな声がマスクの下から聞こえてくる。

「あーあ、またダメだったか」

「は? 何言ってやがる」

 眉間にしわを寄せるマミーモンに、龍は喉を鳴らして語りかける。

「キミ、マミーモンだっけか。強いね、とっても強い。ボクも、久し振りにやれば上手くいくかと思ったけど、そう甘くなかったみたいだ」

「お褒めいただき光栄だね。残念ながら、お前が弱すぎるだけだ」マミーモンは龍の喉元の銃口をぐりぐりと動かしたが、それにも構わず穏やかな声は話を続けた。

「ボクはね。なかなか周りのサイバードラモンのようになれなかった。みんな簡単なことだって言う。ウィルス種を見かけたら、頭を空っぽにして、語りかけてくる声に従えばいいんだって。でも、なんでかぼくにはそれができなかった」

 先ほどサイバードラモンが見せた、プログラムに制御されたとは思えない稚拙な動きをマミーモンは思い出した。

「ボクは落ちこぼれだった。みんなが苦もなく手に入れて満足してるもの、強さと単純な満足を、手にいれることができなかった。それに、欲しいとも思わなかったしね。だからこの世界に来たんだ。この世界にくるデジモンは、みんなそうさ。向こうの世界で満足に生きるには、決定的に何かが欠けてる。だから、逃げてくるんだ」

 マスクに覆われた顔の内側から、龍の目が自分を射抜くようにマミーモンには感じられた。

「でも、キミは違う。十分過ぎるほど強くて、身のこなしも自信たっぷりだ。向こうの世界にいたままでも、人間の力を借りなくても、望んだものを手に入れられるように思える」

 ねえ、教えてよ。

「マミーモン、キミは何が足りないの?」

 銃声が、夜空に響いた。


     *****


 一つ質問を飛ばすたびにマミーモンのことが頭をちらついたが、僕はなんとかスマートに坂本弥生へのインタビューを終わらせることができた。言い換えれば、神経を使うほどの事は彼女は何も知らなかったとも言える。洞察力には自信がないが、坂本弥生が何かを隠しているようには思えなかった。彼女は本当に坂本トキオの居場所を知らないのだ。

 有用な情報の代わりに彼女の口から飛び出して来たのは、坂本トキオへの恨み節だった。伊藤に見せていた貞淑な妻の姿は仮面に過ぎなかったらしい。

「トキオは仕事のことすら殆ど私に教えてくれませんでした。将来性もあってすぐに儲かる仕事ということだけ。その儲けも、酒とパチンコに消えていったわ」

 商店街の古本屋の店員が、将来性もあってすぐに儲かる仕事だとは思えない。この哀れな女性に坂本は嘘をついたのだ。そして、彼の嘘はもう一つ。

「最後の日も、仕事場に行くって言って、あの人は戻ってこなかった」目に涙を溜めながら女は言った。

 坂本トキオは事件の日には既に店をクビにされていた。妻を貧相な家に置いたまま、自分はどこかに逃げ出したのだ。

 でもなぜ? その時点で彼は自分に遠野老人殺しの容疑がかかると知っていたとでもいうのだろうか。突如鉄仮面を被ったデジタル・モンスターが現れ、老人を撲殺すると知っていたとでも?

 坂本トキオがデスメラモンに憑かれた“狐憑き”ならば、その行動に一応の説明がつく。しかし、そこには納得のいく理由がない。果たして、自分が疑われるようなタイミングで相棒に人殺しをさせる必要があるだろうか。

 結局、インタビューを通して謎は深まっただけな気がする。しかしどの小説でも最初の聞き込みというのはそういうもの。リュウ・アーチャーよろしく酒飲みの亭主に叩きだされるということが無かっただけマシというものだ。もっとも、僕はこれからその酒飲みの亭主の居場所を見つけ出さなければいけないのだが。

 礼を言って家を出ようとした時、坂本弥生が縋り付くように僕の手を掴んだ。

「私、トキオについて悪いこと、沢山言ったかもしれないわね。それでも誤解しないで、あの人は人殺しなんてしないわ」

「ええ、分かっています」僕は頷いた。そう、彼が犯人でない事は分かっている。それはそこまで喜ばしいことではなかった。坂本トキオは知れば知るほど積極的に弁護したくなるような男ではないし、彼が無実であるという事実以外僕は何も知らないのだ。

 僕の言葉に再び安心したのか、女は立ち上がる。

「警察も、そう思っていただければいいんですけど」

「捜査の担当は、金沢警部と伊藤巡査でしたね」

 さりげない僕の言葉に、女の目がきつくなった。

「伊藤くんのこと、知ってるのね。あの人は薄情者よ。自分が刑事になった途端に、それを私やトキオに振りかざしてくるんだもの」

「知り合いなんですか?」

「昔はね。親友だったわ。私とトキオと伊藤くんで、仲良し三人組だった」

 そう話す彼女の目はどこか遠くを見ているようだった。僕の見えないどこか遠くにある、なにか楽しく美しいものを。

「三人でよく、あの商店街で遊んだわ。遠野さんが、よく絵本とお菓子をくれたっけ」

「遠野さん?」

 僕が眉を上げて尋ねたことで、女は過去から現在に引き戻されたらしかった。怪訝そうに眉をひそめ、やがて自分の言葉の重要さに気づいたらしい。手を振りながら訴えかけてくる。

「そうなんです。私たち三人は、遠野さんにとても良くしてもらってたんです。だから、トキオがあの人を殺すなんてこと、あるはずがありません」

 昨日遠野老人は、坂本のことを「昔のよしみで雇っていた」と言っていた。それが何かは、これで分かったことになる。もう一つ、遠野老人のことを伊藤が馴れ馴れしく「爺さん」と呼んだ理由もはっきりした。

「つまり、その事は伊藤巡査も知ってるんですよね」

「当然ね。それなのにあの人はトキオを疑ってるんだわ。子どもの頃の友情って、儚いものね」

 そう言いつつ、彼女はまた過去の回想に戻ったらしかった。軽く礼を言って、家を出る。彼女は多分、これからも過去に縛られ続けるのだろう。そこでは坂本はいつまでも彼女のそばにいて、伊藤は決して彼等に手錠を振りかざしたりしないのだ。


     *****


 ウィンド・ブレーカーのポケットに手を突っ込みながら裏路地を抜け、大通りに出る。すると隣に突然トレンチコートにハットのすらりとした大男がにじり寄って来たものだから、僕はすっかり縮み上がってしまった。

「マミーモンかよ、驚かすなよな」

「早いとこ慣れてくれ。いや、慣れなくてもいいな。その反応、面白い」

 勘弁してくれと言いながら、僕はマミーモンを睨みつける。

「火薬くさいぞ。どこほっつき歩いてたんだ」

「別に、坂本の家の周りをうろうろしてるデジモンがいたから、始末しただけだ」

 僕は首をかしげる。「殺しにきたのかな」

「だろうな。お前、坂本に間違われて殺されるとこだったんだぞ」

 背筋にぞわりと悪寒が走ったが、それよりもその状況でマミーモンが自分を守ってくれたという安堵の方が先に来た。

「そいつからなんか聞けた?」

「いいや、戦いに無駄話をする隙は無いからな。さっさと殺しちまったよ。俺に言わせりゃ、ありゃ単なる下っ端のサイバードラモンだね」

 マミーモンが早口でそう言った。ハットから覗くその目がどこか遠くを見ているようで、僕は眉をひそめる。と、あることに気づいた。

「マミーモン、今お前サイバードラモンって言ったか?」

「ん? ああ」

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