タイトルのイメージ

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また、相変わらずだ。俺は地下室のベッドの上で寝転がっていた。悪夢を擁する繭の中ではいつも同じ場所にいる。薄暗く、殺風景な部屋。目で見るだけでは何もないようにさえ見える部屋だ。冷たく、古ぼけたそこにあるモノといえば。本棚の中には埃を被った本と、一つの硝子瓶しかない。傷一つない真新しいソレに、ラベルなど貼られてはいない。俺はキャニスターにもよく似た硝子瓶の中にある紅眼を見つめていた。まるで慈しむかのように瓶を見遣ると、中にある潰れた目玉が少しだけ嬉しそうに見つめ返してくれる。言葉の無い部屋には沈黙が続いているが、それでいい。
薄暗く、広いだけの燈台に来てからどれくらい経っただろうか。少女の傷は一向に癒える気配がなく、それどころか自ずから傷を増やしているようにさえ見える。白いアザラシのぬいぐるみを弱々しくか細い手で抱きしめ、腕には点滴の針が通されていた。胃腸が弱っているのもあるのだろう、たまに俺が用意した粥やすりおろした林檎を食べる時もあるが、彼女自身は目が殆ど見えないということもあり、俺の介助を受けない限りは食べることさえままならない。それでも、自殺を試みることはなくなったし、逃げ出す頻度もずっと少なくなった。このまま平穏な日々がずっと続けば良いのだが。幼く傷だらけの彼女の叫びを受け止めてやること、ソレが今の俺に出来るだろう唯一のことだった。
昇降機(エレベーター)の扉が開き、俺はその中に入る。まるでフェンスのようにも見えるそれは、ところどころ錆びついて螺子が緩んでいる箇所さえあった。ともすれば、使い古されたパイプ椅子のように、事故が起こりかねない。ソレでさえマシな方ではあるのだろうが。床も木で出来ているせいか、コイツはいつ床が抜けてもおかしくないのだ。向かう先は三階。つまりは最上階である。少しずつ上へ上へと引っ張られていき、俺は目的の階へ赴いた。冷たくも薄暗く、頼りない緑色の光が足元を照らしている。不思議と不気味さは感じないが、安らぎを感じるという訳ではない。辺りにある物々しい機械の数々は、此処が只の燈台ではないことを示していた。試験管のようなチューブだかポッドには、昔誰かが入っていた形跡があり、今は只ラバランプのように柔らかく朧な光を出しつつ、液体の中に細い管が揺蕩っているだけだ。用途は少しだけ想像がつくものの、コレはこの繭の主に必要なモノなのだろうか、と俺は首を傾げた。もしかしたら、この液体の中身は薬液で、このポッドは彼女の傷を癒す為に作られたのかもしれないからだ。もう随分と放置されているソレは、変わらずに緑色の光を発し続けていた。
硝子越しに見た自分の見た自分の顔はなんと酷いものだろうか。別に、片腕に抱えている女物のワンピースとリボンはまだいい。これは彼女へのプレゼントだから。それよりも問題なのは自分の顔、就中眼の辺りが酷いと感じた。紅い眼はまるで、身を切った時の鮮血のようで、美しさよりも不気味さの方が優っている。これから見舞いに行く少女の眼には、不気味さの中に愛らしさや妖しさがあったというのに。白き死神と呼ばれることには納得出来るし、俺自身ソレを受け入れている。慣れていた筈なのに、自分の顔を鏡で長いこと見ていなかったツケだろうか。紅い眼は年端もいかない少女にさえ恐怖を与えるには充分過ぎたのだ。
彼女、アマリリスの白く美しい肌は、数十箇所にも亘る刺し傷のせいでボロボロになってしまった。それも木乃伊のように見えるくらいに酷く、ついこの間までは痛みの余り起き上がることさえままならなかったのだ。今でもゆっくり歩くのがやっとで、その度に肩で息をしている。俺はもう何回も世話や見舞い、治療の為に彼女のもとへ赴いているが、怪我をしているという事実は変わることがない。腕の中にある、畳まれた服を見遣りながら、俺は薄暗い病室に向かった。
「もう少し、か……」
木組みの燈台らしく、小窓が開いた一枚の木製のドアの前に辿り着いた。ノックもせずにドアノブを回そうとすれば、鍵が開いているせいか簡単に開いてしまう。つまり、この先に当人がいない可能性もあることが理解できてしまった。六畳くらいの狭い病室を見回し、誰もいないことを確認する。無理矢理点滴を外し、少し前に贈った二つのぬいぐるみはベッドの上に置かれたままだ。アザラシのぬいぐるみには撫でられた跡が少しだけ見受けられ、恐竜のぬいぐるみは強い力で握られたのか、おなかの辺りが少し凹んでいる。序でに薄い毛布と掛け布団はめくれていて、シーツに触れるとほんの少し温かかった。この部屋にも、仕組みから用途まで何も分からない機械が沢山ある。ベッド自体は普通の、どの家庭にもありそうなパイプベッドだが、柵などは付いておらず、万が一寝返りを打とうものなら転落することもあるような代物だ。怪我人に相応しいものではない。
「また逃げたのか……」
到底動けそうもない躰で、彼女は俺を嫌い、逃げ続けている。何の為に身を隠そうとしているのかは分からない。何も言わない日も少なくないから、彼女のことは分からないことばかりだ。見えない方の眼から流れる涙は、時に血のようにさえ見えた。傷口が何度開き、出口がないであろう暗闇の中に閉じ込められたのだとしても、俺が少女を逃すことはない。
彼女がいる部屋を見つけるのに、然程時間は掛からなかった。なんて事はない、廊下の奥の突き当たりの部屋にいたのだ。二階の数部屋ある中から虱潰しに探すつもりだったが、こんなに呆気なく見つかるとは。燈台のドアは普段からきちんと閉めてあるのもあって、逆にこうした時にすぐ分かってしまう。彼女からすれば迷惑な話だろうが。ドアを開けると、少女はカウチの上で震えながら横たわっていた。肘掛けが一つしかなく、背凭れも斜めになっている。色は青で、高級そうな革か何かで出来ていた。変わらず包帯に包まれているだけで、他のものは何も身につけてはいない。美しい水色の髪も、ベージュの毛布のせいで殆ど見えなくなっている。何故だか木のチェストの上には小さなランプが置かれ、そこだけが明るくなっていた。白熱電球だろうか、温かみのある山吹色の光を放っている。他に燭台もシャンデリアも見えない。この部屋唯一の光源だ。
ふと壁を見ると、壊れた幼い少女の人形が錆びた釘で打ち付けられている。ソレも全身全てではなく、脚だけ、胴体だけ、頭だけという時もあり、全てが全てマトモに服を着せられていない。革靴だけが履かされている小さな両足が、チェストの隙間から出ていると知った時は、危うく踏みそうになってしまった。床には裸の人形数体が無造作に捨てられ、中には手足が捥げていたり頭が外れかけているものもあった。ランプの光のせいで分かりにくいが、人形の眼は蒼灰色か灰緑に限られ、髪の色は茶色の系統か見事なまでの金だけだった。髪の長さや髪型はまちまちだが、少なくとも坊主頭にされた奴はいないようだった。壁と床だけでなく、天井からも壊れた人形が吊るされていた。二、三体、もしくはそれ以上か。無茶苦茶なポーズのまま裸で吊るされているモノが殆どだが、その姿は官能的にさえ見える。澄んだ硝子の目玉はまるで、眼前の少女を責め、嗤うようにして見つめていた。俺には虚な硝子玉がこちらを見つめているようにしか見えないが。彼女が怯えている理由は未だに分からない。部屋の奥にあるベッドには、沢山の壊れた人形が並んでいる。中には丸坊主にされている人形がいたり、髪や首にリボンを巻いただけの人形もある。皆、『ありふれた』少女の外見を模していているだけだった。そのうち一体だけはシーツの上に横たわっていて、麦の穂を思わせる金の髪は短く切り揃えられ、蒼灰色の眼でこちらを見つめていた。この部屋にある他の人形達の例に漏れず、裸で、関節が剥き出しになっているとはいえ、小さいながらも胸がある。触れようとも思わないが。首には紅い縄がかけられ、腹や臍の辺りまでソレが伸びていた。年齢は見たところ五、六歳くらいだろうか。まだまだ幼く、性差を感じにくい躰は、赤ん坊だった頃の名残を残すかのようにぷっくりとしている。人間とは思えないくらいに、恐ろしささえ感じる程美しいところは、カウチに横たわっている彼女によく似ていて、もしかしたらこの人形はあの少女の本来生まれてくる筈の姿だったのではないだろうか。しかし、枕も布団も何もないベッドの上で横たわるソレは、何かを訴えているようで、その実何も問いかけては来ない。撫でる気にも愛でる気にもならないその躰の中には、何処までも虚無が広がっている。だからこそ怖くはない。
逃げ場さえ奪えば、きっと彼女は生きてくれるだろうと俺は考えていた。結果としてその通りにはなったが、彼女は拒み、また逃げるだけで、その場凌ぎが精々だった。袋小路に追い詰めたところで彼女はまた「殺して」と呟くだけだろう。その果てが『人形になる』こと、或いは『人形である』と思い込むことなのだとすれば。彼女はこの繭の中で幸せな夢を見続けたいのだろうか。首を縄で縛られ、天井を虚な眼で見つめ続ける幼子の人形のように。ソレは、自分の不幸に酔いしれているだけではないのか。なら、その歪んだ夢に終止符(ピリオド)を打ってやるのも俺の役目ではないのか。
俺は持ってきた服をベッドの端に置き、懐から鉄鞭を取り出すと、そのまま人形に叩きつけた。陶器か何かだろうか。割れた箇所を覗くと厚みがあることが分かる。四肢、顔、胴体、と何回も叩きつけてやり、部屋の中には乾いた音だけが響く。金の髪は全て毟り取り、あれ程美しく愛らしかった幼子はすっかり醜いだけのモノに成り果てていた。
「虚なまま愛されるとでも思っていたのか?」
人形は哀しそうな顔をしながらこちらを見つめるだけだ。何をするでもないし、呪詛を紡ぐ訳でもない。硝子の目玉にはどんどん罅が入っていき、手足も胴体も潰れて使い物にならなくなっている。
「潰れろ、潰れろ、潰れてしまえ‼︎お前なんか、潰れろォ!」最後に鉄鞭を振り上げた時、ソレは、
「ママ……」とか細い声で哭いた。
いつの間にか俺の眼からは涙が溢れている。目の前の人形は形さえ残さずに、残骸となった破片を散らしていた。何故だろうか、俺自身の呼吸が荒くなっている。涙が止まらない。耳を塞ぎながらカウチの上で横たわっていた少女が、泣きながら問うてくる。
「どうして、壊したの……?せめて、幸せな夢くらい、見せて……」
「中身のない幸せを得ることが、お前の幸せだったのか?違うと、言ってくれ……」
「私の理想……、憧れを返して……。生まれてくる筈だった私の姿を……」
気づいた時にはお互いに泣き崩れていた。俺は、彼女の髪を撫で、優しく抱き寄せる。彼女の紅い眼は、今やどの人形の虚な眼よりも輝いていて美しい。俺の心の内は、ドス黒く濁っているから、彼女の、水晶のように美しい心とは違うのだ。だから、冷たい言葉で己の心を守ろうとする。弱り切った少女の心に、その真意は届かない。
「仕舞いにしよう、アマリリス」
俺はベッドの端に追いやっていた、水色のフリルのワンピースを少女に着せてやる。黒いボタンを三つ外し、袖を通してやったら完成、という訳でもない。繻子のような薄水色の髪の先を梳かした後、紺色のリボンで結んでやり、彼女を金縁の姿見の前まで連れて行く。鏡の中には御伽噺の世界の少女(アリス)のようにも、荊の城で眠る姫君のようにも見える美しい少女がいる。
「……見えるか?」
「ううん……。分からない、あなたは何がしたいの?」
「……俺は、この一時を大切にしたいだけだ」
俺と少女はカウチに座り、そのうち彼女は俺の躰に凭れかかるようにして眠ってしまった。二人を優しく電球の光が照らし出し、動物の尻尾か何かのようにして、リボンで結ばれた髪がほんの少し揺れた。元々治りつつあるが深い怪我ばかりをしていて、やっとのことでこの部屋まで辿り着いたのだろう。左眼の包帯はそのままに、無邪気な右眼を閉じた彼女は、優しく俺の大きな手を握っていた。
「……して」
「どうした?」
「……赦して」
「誰も、お前を罰することはない。俺が、いるから」
薄紅色の唇に接吻キスを贈り、こちら側に抱き寄せてやる。髪を撫でれば僅かに口元が緩み、穏やかな寝顔を見せてくれる。冷たく虚な人形達とはまた違う、優しい顔。
「アマリリス……、俺の可愛いお人形さん(マイ・ドール)……」
#バアルモン
なんかアブノーマルなキャラがやたらと増えてきたような気がするッスね
曲イメージの都合上仕方ないッスけど、東方の曲が多いッス
ちなみに結構な頻度で「ライジング・サン!」みたいなノリで書いてるッス
あと2話で序章はおしまいッス
寄り道と戦力補強の潮凪編もよろしくッス