※本作は『馬鹿と重力と〜』の後編です。勿論前編から読むことを推奨しておりますが、こちらから読んでも無問題です。
※後編の前半が急、後半がシンですが別所に投稿する際の分け方ですので特に深い意味はございません。

グラビモンは工場の玄関口に立ち、カードキー認証装置に触手を伸ばす。それと同時に、手の中の睦月を天井近くのダクト口に滑り込ませた。
すると瞬く間に警報装置が起動し、現れたデジモン達がグラビモンを取り囲んだ。警備デジモンの構成は十数体のデビモンと1体のマタドゥルモン。当然だが闇の属性のデジモン達だ。
「なんだ、また吸血武闘家デジモンか」
「動くな、手を上げなさい! 貴方の動向はずっと監視していました、それとまたとは何ですかまたとは!」
恐らくリーダー格と思われるマタドゥルモンが、グラビモンに向かってありきたりな警告を突き付ける。
「一緒にいた子どもはパートナーですか。ならば、彼の安全と引き換えに投降を——何だァ!?」
マタドゥルモンは視界の隅で、デビモンのうち1体が入り口のドアに向かって吸い込まれるように飛んで行き、ドアごと工場内に突撃するのを見てしまった。
それを見ていた者も見ていなかった者も、激しく割れるガラスの音を聞きつけ、注意が一斉にそちらへ向かう。
「吹き飛ばされた……?」
飛ばされた個体とは別のデビモンが、仲間の惨状を見てぽつりと呟いた。
工場の玄関口では、ガラス片まみれのデビモンが壊れたドアを下敷きにして倒れ伏している。
「私が吹き飛ばしたのではない。奴が“落ちて行った”んだ。私は奴に掛かる重力が地面ではなくドアに向かって働くように変化させただけだ」
囁くような疑問の声にもグラビモンは律儀に答えた。警備員達の視線が再び一斉にグラビモンへ注がれる。
無意味ににょろにょろと蠢く触手が、いやに存在感を発揮していた。
「今はもう向きを戻してやったぞ。向きはな」
ドアと大激突したデビモンは、未だに立ち上がれずにいた。一見打撲によるダメージのせいに見えるが、そうではない。倍に増えた自重に筋力が追いついていないのだ。
「デビモンは伸びる腕といい魔眼といい、成熟期の割に面倒だ」
グラビモンが独り言ちたその瞬間、デビモン達は自身の両腕と翼「だけ」が圧倒的な重圧に襲われたのを感じ取った。
「いだいいだい! ちぎっ、ちぎれる!」
「た、立てぬ……」
「ううううう腕、腕、折れっ」
ある者は翼に引っ張られる皮膚の痛みに喘ぎ、またある者は上体を無理矢理反らされ腰と背骨が歪み、ある者は『デスクロウ』で腕を伸ばそうとしたのが仇となり、更に増えた腕の重さに肩が耐えられずに脱臼した。
マタドゥルモンもグラビモンの魔手から逃れる事は出来ず、袖の中に忍ばせた無数のレイピアを放棄せざるを得なかった。
「貴方は一体何者ですか……」
マタドゥルモンは使う得物を己が肉体のみに絞る。
彼は表情の無い瞳でグラビモンを睨みつけ、その正体を問う。
「なんだ、私を知らないのか貴様! ふむ、我らの資料が魔王軍に出回る前の離反者か。だとすれば長きに渡る研究もそろそろ煮詰まり、人体実験する段階に入った……といった所か」
グラビモンはたった今手に入った情報と既存の情報を組み合わせ、彼なりの推理をして一人で勝手に納得した。
マタドゥルモンには答え合わせをする義理は無く、無言で足技『蝶絶喇叭蹴』をグラビモンに叩き込もうとする。
「貴様ら雑兵に興味は無い」
これだけマタドゥルモン達が感じる重力を滅茶苦茶にしておきながら、グラビモンが彼らに掛けた言葉はこれだった。
「私は、魔王復活などと大それた野望を持った大馬鹿者に用がある」
マタドゥルモンの蹴りがグラビモンに届き切る前に、8本の触手が蜘蛛の巣のようにマタドゥルモンを絡め取る。
「最近、体が鈍っているからボウリングでもするか。お前ボールな」
何を言っているんだこいつ。マタドゥルモンがそう思った瞬間、彼の視界を白い布のようなものが覆った。
グラビモンの巨大な両手で、マタドゥルモンとデビモン達が一箇所にかき集められていく。それから何をするかと思えば、なんとグラビモンは彼らを握り飯でも握るかのように、手の中で一纏めにしてしまった。
「うーむ。完全な球体には程遠いが、潰さずにくっつけただけならこんなものか」
「こんな、強者と戦うためだけに生きている私によくもこんな辱めを! まともに戦わせてももらえないのなら、殺してくれた方が余程マシです!」
「それは無理な相談だ。殺さずに後悔させろと言われて来ているんでな。貴様らはどうせ、殺されても後悔まではしないだろう? 私が本気を出せばもっと惨たらしく死ぬ羽目になるんだ、この程度で済んで有り難いと思え」
こだわりと妥協の兼ね合いの末、十数体のデビモンと1体のマタドゥルモンで構成されたガタガタのボールがここに完成した。
彼らは先のデビドラモンのように潰れた肉団子にされた訳ではなく、生きて形状を保ったままぎゅうぎゅうに密着させられている。故に原型こそ留めているが、強者を求める吸血武闘家としての尊厳は見る影も無かった。
形成にも重力操作を利用しているのだろうか。出鱈目な方向に重力が掛かり、平衡感覚に異変が生じて目眩を起こしたデビモン達が「気持ち悪い」と訴えている。
「そらっ」
殘念ながら、グラビモンは彼らの訴えに耳を貸すほど殊勝なデジモンではない。完成直後のお手製のボールを工場の壁めがけて容赦無く転がした。重力操作による進行方向へのブースト付きで。
ボールは見事に壁に命中、ただでさえ壊れている扉の周りの壁も粉砕し、グラビモンが通れるだけの穴を開けた。
「ストライクだな」
自分用の入り口が開けてグラビモンはご満悦だ。
1体だけ建物の中に取り残されていたデビモンが、見るも無惨な仲間の姿を何事かと凝視している。
「さて、行くか」
一球投げて満足したのだろう。グラビモンはボウリングへの熱もすっかり冷めて冷静に呟いた。
ボールのままの警備デジモン達を無慈悲に置き去りにして、グラビモンは工場の奥へ奥へと進んで行った。
「グラビモンって一人だとああいう風に遊ぶんだねぇ」
「俺たちに思いっきり見えてたけどいいのかなァ」
◆◆◆
50歳前後の人間の男性——この工場の本来の工場長は、カプセル型のマシンの中で涙を流していた。
幼い頃に大好きな祖母を亡くした時。
大好きな給食が出る日に風邪で休んでしまった時。
初恋が実らなかった時。
一人息子の熱が下がらず妻と懸命に看病した日々。
不況のために工場の存続が危ぶまれた日々。
大小様々な悲しみの記憶が、より肥大化した悪夢となって工場長を蝕んでいる。
睦月は狭く暗いダクトの中を匍匐前進で進んでいく。時々パソコンの画面を確認しながら進むため、その度に画面の光が睦月の顔をぼんやりと照らしていた。
作戦開始前にグラビモンから睦月に告げられた言葉はこれだ。
『私がデジモンどもを引き付けている間、貴様は人質を救助しろ。私が行っても余計な不安を煽るだけだからな』
グラビモンの睦月に対する散々な評価を思えば、睦月に単独行動をさせるのは危険に思えるかもしれない。
それでも土神将軍は睦月に重力操作を施し、身軽にさせてまで重要な役目を託した。
睦月本人がその意味を分かっているのか、常人の我々からは計り知れない。
「この辺かな?」
睦月はある部屋の真上で停止した。その部屋は斬が用意した地図上では、人質の居場所を示す印がついている。
「ここまでノー戦闘で来れるなんて。自分の天才具合が怖いね!」
睦月は自分の功績に感嘆し、うんうんと一人で頷いている。
実際は、現役忍者の的確なルート設定とグラビモンの陽動作戦の賜物である。グラビモンがここにいれば「いいから黙って先を急げ!」と怒っているところだが、残念ながらここにいるのは睦月一人だ。
「よーし、天才的救出劇の始まりだ!」
睦月はそう言って、ダクトの出口である換気扇に手を掛けた。しかし外れない。押しても引いても無駄だった。
「あれー? おかしいな。グラビモンに軽くしてもらってたから?」
根本的な原因は睦月の筋力不足以外の何物でもないのだが、グラビモンの重力操作が影響した可能性も否めない。
「えいえい! このやろ!」
睦月は天才らしく、暴力に訴える事にした。姿勢を変えて何回も踵落としを食らわせた末に、全身の体重をかけたタックルを食らわせる。すると、遂に強敵換気扇は音を上げた。
「やったあ外れた!」
がしゃりと音を立てて枠から外れ、下の部屋に落下していく換気扇。ただし、落下したのは換気扇だけではなかった。
換気扇が外れた今、勢いがついた睦月の体を支えてくれるものは何もない。タックルした勢いのまま、睦月も一緒になって落下する。
「いててて。土神だけにドシーンっていっちゃった! ……天才のボケには天才のツッコミがないと締まらないなあ」
睦月は全身を強かに打ち付けてしまったが、この通り軽口を叩ける程度には軽症で済んだ。
「よし、今度こそ天才的救出劇を始めるぞ!」
そう言って睦月は部屋の探索を開始した。
とは言え、室内の全容は至って分かりやすい。カプセルのような形状の機械が部屋中に規則正しく並べられていて、天井から吊り下げられたコンセントと繋がっている。それ以外の余計なものは一切存在しない。たったこれだけで言い表せるのがこの部屋だ。
そしてカプセルの中身というのが、人質にされた人間だ。カプセルの蓋はプラスチックに似た透明の素材で作られていて、中で人質が深い眠りにつかされているのが確認できる。
眠っているのはおよそ30数名、殆どが壮年の成人男性だ。この町工場が乗っ取られた際に働いていた従業員が、そっくりそのまま捕らえられているのだろう。
「……ほんとにおじさん達しかいないの?」
睦月の言う通り、何かがおかしい。
空調配管の中ならいざ知らず。人質を収容しているこの部屋には、見張りや別室で監視しているデジモンもいて然るべきだ。
それにも関わらず、睦月という侵入者を誰一人として止めに現れない。
「変なの。天才のボクに恐れをなしたから?」
流石の睦月もこの状況を訝しんでいた。しかし、いつまでも怪しんではいられない。
睦月は次の行動に打って出た。
「まずは偉いおじさんからお助けしよっと」
睦月は再びパソコンの画面を開く。
斬が用意したデータの中には、人質に関するデータもしっかりと含まれていた。氏名、役職、ご丁寧に顔写真まで添付されている。情報の出所が明らかに社外秘の資料なのはご愛敬。
画面上の顔とカプセルの中の顔を一人一人見比べ、人質が全員いるのを確認しつつ、初めに救出すべき人物を探していく。
「うん! このおじさんっぽいね!」
睦月は目的の人物を無事に捜し当てた。睦月が覗き込んでもその人物――工場長の男性は、顔を苦しそうに歪めるだけで目を覚ます気配を見せない。
「うーん、コンセントはガチガチのキツキツで引っ張っても取れない。びくともしないや!」
念のため物理的手段でカプセルを開けないか試してみたが、カプセル自体は蹴っても叩いてもびくともしない。電源コードを引っ張ってもみたが、不慮の事故が起こらないよう電源周りはしっかりと守られていた。
「しょうがない。天才らしくパスワードで開けますか!」
カプセル外部には空調調節用の機材と、操作用のタッチパネルが備え付けられている。睦月がパネルに手を伸ばすと、操作者の気配を感じ取ったパネルは独りでに起動した。
「えーと、なになに? カプセルのフタを開けるモードはこうこうこうして? パスワード入力画面がふむふむそれで? パスワードがこれこれこうで?」
斬が残した操作マニュアルを参照しつつ、カプセルの操作を進めていく。多少は迷う瞬間があっても良さそうなものだが、睦月は一切手を休めることなく、解錠パスワードの入力まで済ませてしまう。
プシュー、と中の気体が漏れる音がして、カプセルの蓋が開いていく。
「おはよう工場長のおじさん!」
目覚めを妨げるものは無くなり、徐々に覚醒しつつある工場長に向かって呑気に挨拶をする睦月。
睦月の無駄に明るく高い声は、工場長の目を一気に目覚めさせた。
「ううん、お、おはよう。……いや待て化け物共はどうなった!?」
工場長は最初の内は寝ぼけていたが、眠る直前の状況——謎の化け物に捕らえられてしまった事を思い出し、急に狼狽し始める。
周りを見渡し、部下達が未だカプセルに囚われているのを確認すると、やはり夢ではなかったのだと心因性のめまいさえ起こした。
「デジモン、じゃなくて化け物の事は心配しなくて大丈夫だよ! 天才少年であるボクが助けに来たからね!」
そんな工場長を案じてか、あるいはいつもの自己顕示発言なのか、睦月は悲壮感の一切含まれていない言葉で工場長を鼓舞する。
だからもう安心さ! 目の前の少年によるスーパーヒーロー然とした台詞に、工場長は思わず目を見開いた。
チェックシャツに眼鏡のいかにもインドア志向に見える少年が、自分たちの救世主とはにわかに信じがたい。化け物とグルと言われた方がまだ分かる。
そもそもこんな所に子供がいる事自体が信じられないが、化け物の存在の方が余程有り得ないため置いておく。
「き、君は一体」
「ボク? ボクは忍者だよ! 天才のね!」
睦月は何の臆面も無く真っ赤な嘘をついた。
嘘であるのは工場長から見ても明らかだったが、この少年が魔物の蔓延る工場に無傷で侵入し、自分達を救助しに来たという事実は、少年が忍者だった事にでもしないと説明がつかなかった。
「に、忍者が助けに来たなら納得か。いや納得していいのかな? とにかくありがとう」
「どういたしまして!」
工場長を任されるだけあり、元々人当たりの良い性格なのだろう。信じている・いないに関わらず素直に礼を言ったところから工場長の人柄が伺える。
睦月の方は、このやり取りの最中も開いたカプセルの蓋をパカパカ動かして遊んでいたが。
「あの、何してるのかな?」
「うん! このフタ、持って帰りたいなって思って見てた!」
「あっ、持って帰るんだ。何に使うんだい?」
「工作! ボクも近未来感溢れるベッドで寝たいなって思って!」
「そうなの……」
あっ。構造を分析して何かに利用しようとかじゃなくて、ただ気になってただけなんだ。今この時の状況で意味がある行動ではないんだ。しかもこれ自分が悪夢見せられてたカプセルなんだけど、羨ましいんだ。
いやこいつ絶対忍者じゃないだろ。少なくとも天才な訳はないだろう。
工場長の中で、化け物に襲われる不安以上に、この子どもが余計な事をして窮地に陥る不安の方が大きくなりつつあった。
「おじさん、ボクがフタ取ったらそのまま帰っちゃわないか心配してるんだね!」
睦月は蓋とカプセル本体を繋いでいるネジを見つけて、それを凝視しながら言った。
工場長は図星を突かれ、なんだか申し訳ない気持ちになった。悪いのは不安にさせた睦月であるにも関わらず。
「大丈夫! 他のおじさん達も助けるからさ!」
そう言って睦月は、隣のカプセルの制御パネルに手を伸ばした。画面を起動させたところで再び睦月の手がぴたっと止まる。
「ねえおじさん! 工具持ってない?」
「工具はあるけど蓋は後でにしよう? ね?」
「うん!」
ちっとも分からないし今にも何かやらかしそうで怖いけど、こうして素直に話を聞いてくれるのが救いか。と工場長は前向きに考えた。さっきまで見ていた悪夢の内容に比べれば、この子の相手をしている方が随分とマシだ。
「こっちのおじさんのパスワードは何かなー?」
おじさんの、ではなくおじさんが入っているカプセルの、だ。どうやらカプセルのパスワードは一つ一つに異なるものが設定されているようで、斬はそれについてもしっかりと調べていた。
睦月はそれを見てパスワードを入れているだけなので、睦月は天才忍者の技量を用いていると書けばあながち間違いではない。
頼れる者が睦月しかいない状況で、少しでも彼に貢献しようという意識が働いたのだろうか。「ここで俺が頑張らないと命が無い」と予感がしたのか、能天気にパソコンをいじっている睦月に代わり工場長が周囲を警戒している。
「……なあ少年、なんか床が揺れてないかい?」
「えー? ちょっと分かんな……うわぁ!」
工場長が感じた微細な揺れは、やがて巨大な揺れとなって建物全体に襲いかかる。
自然現象としての地震ではなく、例えるならば工場のどこかで爆発が起こったかのような、突発的で巨大な衝撃が発生したかのような揺れだ。
「大丈夫か君!」
「ボクは平気だよ!おじさんは大丈……あ、壁が大丈夫じゃない!」
「うわああああ俺の工場がああああ! ……あ」
工場長は睦月の指さす先を見て息を飲んだ。
初めは、壁に入った大きな亀裂を見てショックを受けた。
次に、その亀裂の向こうで無数の目が爛々と光っているのを見て息を飲んだ。
「あいつだ、工場を乗っ取った、あの化け物だ!」
徐々に亀裂は大きくなり、やがて壁が崩れて向こう側にいた存在が全容を現す。
「人間の見る悪夢は我々の計画において重要なファクターなんだ。悪いが、逃がした人間は君もろとも再び収容させてもらうよ」
いかにも知的な雰囲気を纏って現れたデジモンは、有り体に言えば鶏卵をモチーフに考案されたモンスターと呼べる姿をしていた。
こう書けば可愛げのある存在に思えるが、実際にそこにいるのはおぞましい怪物である。
真っ黒な殻を破って飛び出している恐竜のような手足はまだマシな部位。最も恐るべきは、瞳が無数に埋め込まれている巨大な大顎だ。
卵の中で育った悪魔が、孵化を待たずに殻を食い破って出てきてこの世に生まれ出てしまったかのような、存在自体が悪夢のようなデジモンが目の前にいる。
「黒タマゴが喋った!」
「デジモンを見かけで判断するのは良くないぞ。私はデビタマモン。こう見えて高等プログラム言語の扱いを得意としている」
「温泉で売ってるやつ!」
「人間界の温泉は地獄の釜とでも繋がっているのかね?」
パートナーを一反木綿呼ばわりする高地睦月だ。デビタマモンのビジュアルも当然愚弄の対象範囲内だ。
「あれを温泉黒玉子呼ばわりかあ。やるなあ君」
工場長は睦月の不遜な態度に思わず感心してしまう。デビタマモンに良いようにされていた身として、内心「もっと言え」とさえ思っている。
工場長の緊張が解かれたと思いきや、再び建物が揺れた。ヒビが入った壁を、何者かが蹴破って現れたのが原因だ。
現れたのは熊の毛皮で顔を覆い、青いスーツを着用している人型のデジモン、アスタモンと呼ばれる種だ。
「デビタマモン様。周辺の捜索を行いましたが、奴の姿はありませんでした。やはり自爆したようです」
アスタモンはどうやらデビタマモンの部下らしい。デビタマモンの側に侍り、この場所へ辿り着くまでの子細を報告する。
「ねえねえ! 奴って誰?」
睦月は報告の中身を耳ざとく聞きつけ、疑問を投げかけた。
アスタモンは会話を聞かれ、嫌そうに顔をしかめているが、デビタマモンはそうでもないらしい。
「彼にとっても大事な事なのだから、伝えなければ」
アスタモンを諫め、デビタマモンは睦月に真実を告げる。
彼にとって、最大最悪の残酷な真実を。
「君のパートナーデジモンだが……残念ながら、自爆したよ。文字通りの意味でね」
流石の睦月も驚愕のあまり顔から笑みが消えた。
しかし、絶望まではしていない。寧ろ信じてすらいないようで、すぐに普段通りの挑発的なまでに軽いノリに戻り、デビタマモンの言葉を否定する。
「うっそだあ! だってグラビモンは自爆で星壊せるって自称してたのに? 星壊せるんだよ星?」
「それが本当だとしたら、尚更君や人質を守るために気を揉んだのだろう。その結果、彼は決死の攻撃でありながら手加減をしてしまい、こうして私達は生きている」
◆◆◆
グラビモンは目についたデジモン全てを重力操作で程良く戦闘不能にしながら、堂々と廊下を歩いていた。
警備員の巡回ルートを通りすがってみたり、研究室に顔を出してみたりなど、敢えて挑発的なルート選択と進行を繰り返す。そうして工場内のデジモンを次々呼び寄せては切って捨てていく。
向こうとしても、これが陽動作戦である事は火を見るより明らかであったが、誰も現れなければ貴重な機材を破壊しにかかるので捨て置く訳にもいかない。
こうして、グラビモンの被害者は警備員・研究員問わずみるみる内に膨れ上っていった。
「もう管制室は目の前か。研究員上がりの連中ばかりで、最初のマタドゥルモン以上に骨のある戦闘員はいなかったな」
工場の中心部である管制室はもう目と鼻の先。グラビモンは、人間サイズのドアノブに巨大な手で触れようとする。
その時だ。突如として銃の弾丸が飛来し、ドアノブを弾き飛ばした。
「……いや、まだいたようだな」
グラビモンは弾丸が飛んできた方向を睨んだ。
視線の先では獣面人身の魔人型デジモン、アスタモンが愛銃「オーロサルモン」を構えてグラビモンを狙っている。
「流石にここを通してしまえば用心棒失格なんでね。悪いが、死ぬか投降するか選んでもらうぜ」
「貴様がどう評価されようと私の知った事ではない」
グラビモンは脅されても顔色一つ変えなかった。アスタモンの言葉を無視し、ドアと天井の間の隙間に指を差し入れる。薄っぺらの指に力を込めると、鉄の扉がミシミシと音を立てて潰れ始めた。ドアが平らな鉄の塊になるのも時間の問題だ。
「一人でここまで来ただけあって、流石に余裕だな。世代は究極体か?」
「貴様がそう思うんならそうなんだろうな」
「参ったな……。“究極体をも凌ぐ”って触れ込みで生きてるけど、あんたみたいな得体の知れない奴が相手じゃ、万が一って事もあるしなァ」
「万が一? 随分と自身を過大評価しているな。貴様が勝つ可能性の方が万が一にも無いだろう」
格下とは言え、邪魔者は先に排除した方が楽と考えたのだろうか。
アスタモンを放置していたグラビモンだが、一変して交戦の姿勢に入る。8本の触手の先端が一斉にアスタモンの方を向いた。
しかし、ここでアスタモンを始末して終わり、とはならなかった。
「アスタモンの言う通りだ。だから、究極体が相手の場合は私も共に戦う事にしている」
突如として現れた第三者の気配。
グラビモンは警戒心を高めて、触手の半分を声のする方向へ向ける。
「はっ、親玉直々のご登場か。元・ベルフェモン軍所属第三等研究員、デビタマモンよ」
現れたのは悪魔のようで卵のようでもあるデジタルモンスター、デビタマモン。
睦月の前に現れた個体は、こうしてグラビモンの前にも姿を現していた。
「人やデジモンに悪夢を見せて発生した負の感情をエネルギーに変換し、素体となるデジモンに注ぎ込んで故ベルフェモンの魂の器とする。全く、二流研究者の分際で大それた計画を立てたものだ。忠誠心もそこまでいけば宗教の域だな。だが、宗教指導者の死と再生の逸話による信仰の強化は、人間どもが二千年も昔から繰り返し行っている。目新しさは皆無だな」
それは斬が収集した情報の中で最も重要なもの。
デビタマモン達が軍規を破り、人間を手に掛ける凶行に至った目的と、実際に彼らが用いた手段だ。
斬は工場内のデジモン達の会話からこの事実を見出し、グラビモン達に伝えていた。
「なるほど。我々の計画はもう知られてしまっていたか。君という個体はおろか種族自体が初対面だが、その言い回しといい、知力に秀でた種族のようだ」
「デジタルワールドでも最高水準の知能と自負している」
タイプ:種族不明の土神将軍は、無事な指で自分の頭をトントンとつつきながら笑った。
「逆に貴様らは物知らずだな。どうせ、私がここに来るよりずっと前に侵入者がいた事にも気付いとらんだろう」
「なるほど、進入がスムーズだったのは別に諜報員がいたからか。それは気がつかなかった。だが、君のパートナーたる少年がここに進入しているのは知っている」
グラビモンは短く「ほう」とだけ言った。
「デビタマモン様、こいつ全く動揺していません」
「作戦がバレるのもまた、想定内という事か」
「あいつ、正面から堂々と鍵開けてたからな。まあ、バレているだろうなとは思ったぞ」
グラビモンはあっけらかんとして言った。この開き直る時の堂々たる態度だけは睦月とどっこいである。
「だが、所詮はその気になれば生かすも殺すも自由な人間。私という危険分子への対処を優先するために、奴の捕獲にまでは手を回せなかったのだろう? 愚かだな。パートナーの人間を殺せばデジモンも死ぬ。常識ではないか」
「確かに君の言う通りだが、人間は貴重な研究材料であっても敵ではない。不必要な殺生は望むところではないよ。君はどうせ、魔王軍の誰かの手先なのだろうからどの道、我々の敵だ。君を殺せば済むのであれば、それに越した事はない」
デビタマモンはあくまでも睦月を傷つけるつもりはないと主張するが、グラビモンはそれを鼻で笑った。
「そんなもの欺瞞だ。“不必要な”とわざわざ頭につけたせいで、必要に駆られれば殺すつもりなのがバレバレだぞ? 大体な、人間は睡眠の質さえ生死に直結する程に脆い生物だ。薬か何かで睡眠を永続させ、精神に有害な悪夢を延々と見せるのが貴重な研究材料の扱い方か? 万が一本心からそう思っているならば、人間の耐久性の無さを舐めているとしか言いようがない。たった一人見逃したところで、結局いつかは人殺しの汚名を被るぞ」
グラビモンは早口かつ嘲笑混じりの口調でまくし立てた。本体の感情が昂ぶるのに合わせて触手もぐねぐね動く。
「私としてはだね、パートナーの人間を利用するなどという、突飛で危険な思想の持ち主が現存していた事の方がおかしくて仕方がないよ。デジタルワールド創世記からタイムスリップでもしてきたのかね? 人間の脆さを軽視しているのは君の方だ。真に人間の弱さを理解しているならば、よりによって正真正銘の心臓(パートナー)を戦場に引きずり出すのは正気の沙汰ではないとも理解できる筈だ! 相手が私でなければ、今頃少年は殺され君も消滅している」
デビタマモンも負けじと毅然とした態度でグラビモンを煽る。
「正気の沙汰だと? 策略は狂気にまみれていてこそ面白いのだ! 今は魔王も天使も『選ばれし子ども計画』、即ちパートナーを利用した兵力増強を有難がっている時代だぞ? 貴様ら相当流行遅れと見える」
「君の言う事が本当であれば、魔王様方は余程切羽詰まっているのだろう。ベルフェモン様がお戻りになられ、魔王軍が力を取り戻せばそのような不確実な方法を取らずに済む」
「その魔王に軍規違反で迷惑を掛けまくっている馬鹿はどこのどいつだ?」
「ところで、さっきから舌戦で時間稼ぎをしているのは、少年が人質を逃がすまでの時間稼ぎのためかな?」
「だったらどうした。分かっているなら、そこのアスタモンを向かわせたらどうだ」
「気軽に言ってくれるね。重圧を背負わせる力を使って、この場から逃さない気だろう?」
「当たり前だ。どうせ貴様らは私が死なん限り、睦月には手も足も出せないんだ。人質が逃げ終わるのを待っていないで、とっとと投降した方が時間を無駄にせずに済むぞ?」
「おや。私達は少年を殺さないとは言ったが、手を“出せない”とは言ってない」
止まる事の無いように思えたグラビモンの口が、半開きのままで固まった。ほんの僅かな間だけの静寂が訪れた。
「工場にいたのは成人男性ばかりで、実験用のサンプルとしては偏っている。ここらで子供を使って実験をしたいんだ。……私には、工場全体を通る通風管を通じて、この場で君を相手にしながら少年を捕らえる手段がある。聡明な君なら、この言葉の意味が分かるだろう?」
「『ブラックデスクラウド』を管の中に吐き出すつもりか」
ブラックデスクラウドとは、端的に言えばデビタマモンが用いる毒ガスだ。視界と精神を蝕み、肉体を分解する文字通りの必殺技だ。
「なんだ貴様ら、結局のところ睦月を人質にして私から逃げおおせるつもりか! 下らん。軍師としてもデジモンとしても非常につまらん相手だな貴様ら」
「それで、取引には応じてくれるのかな?」
グラビモンは再び口を閉じた。顎に手を当て、一考する。
「ブラックデスクラウドはいくら威力を弱めたとしても洒落にならん。あいつは並の人間よりひ弱だからな。自称不殺主義者にうっかり加減を間違えられた日には、奴が一番最初の死者になってしまう」
グラビモンの触手がしゅるしゅると短くなっていく。縦横無尽に伸びていた触手は完全に肩へ収納された。
「依頼主からは貴様らを殺すなと言われている以上、私にはブラックデスクラウドを完全に防ぐ手段は無い。せいぜい気体の比重を変化させて分布を偏らせるのが関の山だ。……とっとと蹴りをつけなかった私の判断ミスだ。ここは引いてやろうじゃないか」
なんと、驚くべき事に軍師は投了を宣言した。プライドが天より高いグラビモンが、負けを認めたのだ。
未だに警戒しているアスタモンを後目にとっとと踵を返して立ち去ろうとする。
「奴を回収しに行かなければ。ああ面倒くさい事この上ない」
ぼやきつつも律儀に睦月を迎えに行こうとするグラビモン。だが——
「随分と彼を大事にしているようだ。自分の命を守るためかな? それとも、彼自身のことが——」
デビタマモンの何の気もないこの一言が、このたった一言だけが、グラビモンの逆鱗に触れてしまった。
「黙れ下等な知性体が!」
グラビモンは激昂した。日常会話の中でも度々怒る彼ではあるが、此度の怒りはその比ではない。
アスタモンはグラビモンの気迫だけで全身の毛が逆立つのを感じた。
「この私が、いつ貴様に我が感情を推量する許可を出した!」
怒りに任せて何の捻りもない重圧をデビタマモンとアスタモンの二体に食らわせる。
一度は飲み込んだ約束を反故にしてしまう。
重圧にアスタモンが苦しみ、グラビモンが激情を露わにする一方で、デビタマモンはあくまで冷静を保って会話を続ける。
「唯一無二の片割れと行動を共にしたのであれば、情の一つも生まれるだろうと思って言っただけなのだが……もしかして君は、見下されたと思ったのかな? 人間如きに絆された情けないデジモンだと。とんでもない。異なる種族間で生まれた友情だなんて、ロマンチックじゃないか」
「貴様、まさか私の言葉を理解できていないのか? 私は私の感情を勝手に推し量るなと言ったんだ。貴様の下らん予想、否! 理想なんぞ否定も肯定もしていないし、する価値も無い! 予測でしかないものを事実であるものと思い込むのは愚か者のする事だ」
次から次へと重なる失言はグラビモンの神経を逆撫でし、その罰としてデビタマモンが背負う重力を更に強めた。
留まる事なく増していくデビタマモンの重さに耐えきれず、床に大きなヒビが入った。
「君は優れた知能の持ち主だが、激情家でもあるようだ。私は君からすれば愚か者かもしれないが、感情に振り回されてしまった君も間違いなく愚かだよ」
じわり、じわりとデビタマモンの殻から黒い霧が漏れ出てくる。怒りに震えるグラビモンは、それに気付くのが僅かに遅れてしまった。
慌てて回避行動を取るも、判断が遅くなった分だけほんの僅かに霧と肉体が触れ合った。
「ちぃっ。ここまでか」
精神をも蝕む黒い霧が、グラビモンの白い体をじわじわと黒く浸食していく。さながら、布を墨に浸したように。
致命的な接触を経て、グラビモンは却って冷静さを取り戻した。自分の体が崩壊し始めたのを、まるで他人事のように眺めている。
「君はいずれ、肉体が腐り果てて死ぬだろう。或いは、およそ知的生物が感じられるありとあらゆる悪感情の重みに耐えられなくなり死に絶える」
デビタマモンは残酷な死の訪れを告げた。
しかし、グラビモンはそれさえも一笑に付す。
「死など、私にとっては大した重みにもならん」
狂気の軍師はデビタマモンの霧に蝕まれながらも堂々と啖呵を切った。
「私が嫌いなものは二つだ。まず一つは貴様らのような馬鹿共の存在そのもの。そして二つ目は、我が脳髄の内に秘めたる崇高な知性の活動に邪魔が入る事だ! 感情も我が頭脳の働きによって生み出されたものだ。精神を蝕む霧だと? 貴様ごときが私の感情に触れられると思うな、下らん輩に下らん感情をねじ込まれるくらいなら死んだ方がマシだ!」
どんな演説よりも堂々と。
彼は残された時間で死に抗うのではなく、死よりも忌むべきものがあると仇敵に宣言する事を選んだ。
「睦月(バカ)を起点に発生した感情なんぞ、触れられたくないものの筆頭だ! 貴様が触れていいものではない! こいつだけは我がデジコアに秘めて墓まで持っていく!」
一瞬、グラビモンの周辺が真っ暗になる。次の瞬間に閃光と暴風を伴う衝撃波が発生、周囲の物体という物体を巻き込んだ爆発が起こった。
グラビモンを中心に光を飲み込むほどの重力が発生し、それによって生じたエネルギーを炸裂させたのだ。
風が止む頃には、傷ついた2体のデジモンだけが残されていた。
「まさか、自爆したのか? それこそ高度な知性の持ち主がするような真似ではないだろうに」
デビタマモンは驚愕を隠せないまま、よろよろと立ち上がる。爆発で傷つきながらも身軽になった己の身が、グラビモンの死を実感させた。
「……行くぞアスタモン。あの少年を捕えるんだ」
◆◆◆
「グラビモン……。そんな恋する乙女みたいなセリフ言えたんだ……」
「そこ?」
「デビタマモン様、そいつ多分話が通じない類の生き物です」
デビタマモンやグラビモンと違い、知的な会話を重んじている訳ではないアスタモンは早々に睦月を見限った。
睦月が予想とは違う部分で謎の感傷を覚えてしまったので、デビタマモンは無理矢理望む方向へ会話を進ませる。
「恐らく君の活路を開くため、ただでは死なずに少しでも我々にダメージを与えようとしたんだろう。だが、私は防御に優れたデジタマモン族。爆発程度では死にはしない」
殻から飛び出た本体はそこそこに傷を負っているが、殻自体はヒビすら入っていない事から、デビタマモンの主張する防御力の高さは事実だと伺える。
それは裏を返せば、グラビモンの自爆は目的を果たせなかったとする発言も事実であるという事だ。
「でもさ、グラビモンは結局ボクのために死んだなんて一言も言ってないじゃん」
「そうか……。この年頃の人間はというか君は、言葉の裏を読むにはまだ感性が幼すぎたようだ」
デビタマモンは複数ある目を伏せ、グラビモンを哀れんだ。
「パートナーデジモンが死んでも人間は死なない。所詮はデジモンからの一方通行な献身か」
パートナーと共に戦うという選択肢を選んでしまった事。そのパートナーは信頼に報いてくれる存在ではなかった事。
ありとあらゆる事実を哀れむ事で、丁寧に丁寧にグラビモンという存在を否定していく。
この時のデビタマモンは、憐憫の皮を被った邪悪そのものであった。
「しかも壁に穴を開けてくれたおかげで、こうして君の元へとすぐに駆けつけられ」
「天才のボクはもうわかったから、もう言わなくていいよ!」
デビタマモンの言葉を遮るようにして睦月が叫んだ。
悪気なく他人の話の腰を折る睦月だが、能動的に話すのを止めさせようとするのは滅多にない事だ。
「ズバリ言い当ててみせよう! キミは、グラビモンが裏目ったって言いたいんだよね!」
睦月は無遠慮に、否、敢えてそう印象付けるために、デビタマモンを人差し指でびしりと指さした。
口角は上がっているもののどこか不機嫌そうで、怒りを隠し切れていない。
「やっと分かってくれたか。パートナーが馬鹿にされたらちゃんと怒れる子で良かった良かった。いや、別に良くはない」
「ボク別に怒ってないよ! 予測でしかないものを事実であるものと思い込むのは愚か者のする事だよ!」
グラビモンの台詞を引用して叫ぶ睦月を無視し、デビタマモンはアスタモンに何かを合図する。
それを受けてアスタモンは睦月に向かってマシンガンを構えた。
「おい! この子は撃つな! 撃つなら俺を撃て!」
「おじさん危ないよ!」
「人間は撃たないさ」
睦月と工場長が互いを守ろうとわたわたしている間に、魔弾は容赦無く放たれる。
アスタモンの言う通り、彼は睦月も工場長も撃たなかった。魔弾は睦月に向かって飛来し、睦月が反射的に盾のようにして掲げたノートパソコンを貫通して床に突き刺さった。
「うわあ! せっかく羅々ちゃんにもらったパソコンなのにー!」
睦月はパソコンの遺骸を抱えて悲痛な叫びを上げる。
画面の中心に穴を空けられたパソコンは、二度と動くことはなかった。
斬もグラビモンもバックアップを取っていない筈がないため、データの閲覧は後から出来ようが、少なくとも今ここにいる間は斬から受け取った情報を見返すことはできない。
「その睡眠装置は全て異なるパスワードで制御しているし、人間の力では破壊出来ないよう設計してある。パソコンもパートナーデジモンも失った君は、一体どうやって30種を超えるパスワードをそれぞれ入力し、人質を全員救い出すのかな?」
悪魔の数多の瞳の全てが弧を描いた。
デビタマモンと、アスタモン。二体の強力なデジモンが、丸腰の睦月ににじり寄る。
ただ走って逃げるには室内に連なるカプセルが邪魔な上に、そもそも睦月は足が遅い。
「なあ少年、もしかしてピンチかい?」
工場長は年長者として平静を装いながら、しかし恐怖を隠しきれない声音で睦月に尋ねる。
「うん、ピンチかもね!」
工場長がこれほど怯えているというのに、睦月はけらけら笑って答えた。
工場長はいよいよ睦月の正気を疑った。絶望でタガが外れて見ていた夢がフラッシュバックし、震えが止まらない。
「でも大丈夫! ボクは天才だから、この程度の窮地は窮地じゃないのさ!」
眩いばかりの笑顔とサムズアップ。
後に工場長は、この時の睦月の顔が一番印象に残っていると語った。
「てりゃー!」
遂に睦月はアクションを起こす。比較的ダメージが通りやすそうなアスタモンに向かって壊れたパソコンをぶん投げた。
「はいはい、無駄な抵抗」
アスタモンはパソコンを難なくはたき落とす。しかし、その後睦月が放った単純な一言が、危機的状況を変える一手となった。
「あ、それグラビモンが作ったデジモンに有害なウィルス入ってるから触ると危ないよ!」
「は?」
とんでもない発言を聞いてしまったアスタモンの手が止まる。それと同時に、デビタマモンがとっさの判断力で呪文を紡ぎ、水属性の魔術――近いものではウィッチモンの『アクエリプレッシャー』がある――でウィルスごとパソコンを押し流そうとする。
本来「破壊」のために用いられる呪法は威力過剰であり、高圧水流は激流の川となってカプセルの間を走り、穴だらけの壁に向かって流れ行く。
「解毒を……って何も起こってないじゃないか!」
デビタマモンはアスタモンに手をかざして「異変が起こっていないという異変」に気がついた。悪性のウィルスの存在は少なくとも目視では確認できない。
その隙を見逃す天才少年ではない。
「うっそぴょーん!」
睦月は身長とほぼ同じ大きさの何かを振りかぶり、デビタマモンに向かってそれを振り下ろした。
その「何か」はドーム状となっていて、デビタマモンに覆い被さるようにして叩きつけられる。
更に睦月は、デビタマモンが「何か」の中で驚いている内に彼の上へよじ登り、すぐ近くで垂れ下がっている電源ケーブルへ手を伸ばした。
一体どこからこんなものが出てきたのかと、デビタマモン達は目を凝らしたが、その正体はすぐに判明した。
(これは……カプセルの蓋か!? いつの間に解体していたんだ!)
デビタマモンが思った通り。睦月が用意したそれの正体は、元々工場長が眠っていたカプセルの蓋だ。
それは人間の力では破壊出来ない代物かもしれない。だが、然るべき手段で解体出来ないとは言っていない。
「マタドゥルモンの奴、人質から道具没収するの忘れてやがったな」
アスタモンはここにいない同僚に向かって毒づいた。
蓋が外されたカプセルの付近には睦月が使ったと思しき工具が転がっていて、更には工場長のポケットタイプの工具袋の蓋が空いているのが見える。
睦月は工場長から工具を借り、蓋が開いて内部が露呈したカプセルのネジを外して蓋だけ分捕ったのだ。
「ぐぎぎぎぎ……」
睦月は電源ケーブルを伝って、必死の形相で天井までよじ登る。
登った先には何があるか? 睦月がこの部屋に侵入する際に通った換気口だ。床からであれば睦月の体力では到底登りきれない高さだが、デビタマモンを踏み台にして高さを稼いでギリギリの、本当にギリギリの所で換気口に到達した。
「コンセント抜けたらどうすんだガキ! ……いってぇ!」
妙にズレた観点から怒るアスタモンが、睦月を妨害せんと足を掴みにかかる。
しかし、換気口によじ登ろうとしてばたつく足がアスタモンの手にクリーンヒット。アスタモンが思わず手を引っ込めた隙に睦月は何とか登り切り、天井裏に姿を消した。
「あー、古典的な手に引っ掛かっちまった……」
アスタモンは天井に空いた穴を悔しそうに見つめていた。それから壁の側まで歩いて行き、失態を演じた苛立ちをぶつけるように足技『マーヴェリック』で壁を蹴り飛ばす。
ただでさえ度重なるダメージでボロボロの壁はこの攻撃で完全に瓦解し、隣の部屋とこの部屋を隔てる物は無くなった。
「あー、次はいかがいたしましょう。……デビタマモン様? まさか、マジでやる気なんです?」
デビタマモンの様子を見たアスタモンは、思わず引きつった半笑いを浮かべてしまった。
デビタマモンは換気口に向かって大口を開いており、喉の奥からはじわりじわりと腐食性の黒い霧が漏れ出始めていた。グラビモンに脅しとして言った「ブラックデスクラウドを通気管に流し込む」を今まさに実行しようとしている。
「いや、やめよう。いくら加減をするとは言っても館内全体に あくまで脅しの文句に留めておかなければ……」
怒りでぎょろりと目を剥いていたデビタマモンだが、アスタモンに声を掛けられて正気に戻る。黒い霧もすぐに霧散した。
「彼は文字通り袋の鼠だ。行き先も初めから決まっているようなもの」
被せられたカプセルを払い除けながらデビタマモンが言う。アスタモンに、そして自分に言い聞かせるように、少なくとも表面上は落ち着き払っている。
「管制室だ。管制室へ急ごう。仮に他へ逃げていたとしても、我々があそこに居さえすればどうとでも出来る」
デビタマモンはアスタモンを連れ、再び管制室へと向かう。
「俺は一体、どうなるんだ……?」
一人取り残された工場長は茫然と立ち尽くすしか出来なかった。
◆◆◆
バタンと大きな音を立てて管制室の戸が開かれる。音の大きさからは、デビタマモンの隠しきれない苛立ちが滲み出ていた。
「……やはりここにいたか」
頭が悪そうなツンツン頭に憎たらしいニヤニヤ顔のグラビモンのパートナーは、管制室のメイン端末の前に座り込んでいた。
「やあ、遅かったね! 黒タマゴくん達がこの部屋に来るまで5分もかかりました」
袋の鼠の分際で、緑の瞳を持つ少年はデビタマモン達を待っていたかのように振る舞っている。しかも暗に「遅かったね」とさえ言っている。
アスタモンは「もうこいつ撃ってしまおうか」と思い、オーロサルモンを構えたが、未だ人間の不殺に拘るデビタマモンはそれを踏みとどまらせた。
「さて、管制室にわざわざ来たという事は、ここで何かしようと企んでいたからだろう。次は、どんな手段で我々を欺き、何を仕出かすつもりだったのかな?」
今度は同じ手は使わせないし、通用もしない。
そう告げてデビタマモンは睦月にずいと顔を寄せた。デビタマモンの黄色の瞳は一つ残らず憎悪と苛立ちに濁っており、冷静さの殻など今にも砕け散って邪悪が漏れ出て来るだろうと予感させる。
常人であれば裸足で逃げ出す恐ろしさも睦月には通用しなかった。通用するような人種であれば、これから苦しめられずに済んだかもな。と、デビタマモンの半歩後ろでアスタモンは思う。
「あっ。それね、とっくの昔にもう終わったよ! 5分もボクをほっとくからだよ、もー」
睦月は呆れたようにため息をついた。
パートナーと負けず劣らずの上から目線はデビタマモン達を余計に苛立たせる。
「ほら、見てよ!」
睦月は逃避行動をもはや行う素振りを見せず、代わりにメイン端末のキーボードに触れた。
ブツン、と音がしてメイン端末のモニターに映像が映し出される。それは各部屋の監視カメラの映像だった。
睦月が端末の操作方法を知っている事自体、驚くべき事ではあったが、カメラに映っていたのは「そんなもの些細な事だ」と思わせるほどの衝撃的な内容だった。
「ひっ、人質が、人質が何故!?」
怒りに震えるデビタマモンの瞳孔が、一瞬にして驚愕のために震え始めた。
アスタモンは驚きを通り越して呆れるあまり、最早銃を持つ手に力が入らない。
『よかった、夢だった、全部夢だった……』
『化け物はいないんですよね、大丈夫なんですよね工場長!』
『大丈夫だ。自称天才の男の子が何とかしてくれるよ』
工場長以外の人質は、デビタマモン達が部屋にいた5分前までは確実にカプセルに閉じ込められていた筈だった。
しかし、今はどうだ。全てのカプセルは開け放たれ、人質は助け合いながら身を起こして励まし合っている。
悪夢の供給が立たれた事を示すアラームが鳴り響く。赤色光が点滅する中で、デビタマモンはやっとの事で陳腐な質問を捻り出す。
「一体お前は、何をしたんだ!」
「何って……。カプセルの遠隔操作モードを起動して、パスワードを入れただけだが? なんちて」
睦月は如何にも漫画のキャラクターが喋りそうな説明台詞を真顔で言ってのけ、言い終えるといつも通りギザギザの歯を見せて笑った。
「だが、君達が調べたであろうパスワードはパソコンが壊れ……しまったアナログのメモを忍ばせていたのか。これみよがしのパソコンは罠だったという訳か」
「あ、その手があったか! 天才のボクが思いつかない手段を思いつくなんて、さては君も天才だね!」
デビタマモンは閉口した。この状況で「メモなんて無い」と嘯くメリットは無いためメモを持ってないのは真実なのだろう。メモが一切無い状態でパスワードを入力したという事は、パスワードの全てを間違いなく暗記していたという事になる。
30個を超える、ランダムな文字列のパスワードを?
最低15文字の半角全角英数字入り乱れているものを?
「たった30個くらいだよ? 天才のボクの頭脳なら朝飯、いや、前の日の晩飯前さ!」
とても人間の少年が、それもこの馬鹿丸出しのガキの所業にはとても思えないが、百歩譲って暗記が出来たとしよう。
5分間よりも短い時間で、端末の操作方法を把握し――いや、この調子だと操作方法も事前に暗記していた可能性もある。「間違い無くカプセルの遠隔操作モードを起動して、それぞれのカプセルに対応するパスワードを思い出して入力する」。
文字に起こせば単純な事に思えても、焦りがミスを誘発しかねない状況下で年端も行かぬ人間の子どもが実行したとなればやはり非現実的だ。
紙のメモの存在を失念していた自分達のミスであった方がまだ納得できる。
(まあ別に、人質は捕らえ直せば済む話だからな)
リカバリーはこれからいくらでも可能。こちらが有利であるのは依然として変わらず。
デビタマモンは開き直る事で自らの心の平穏を保とうとした。
「流石は知識人のパートナーだけの事はある」
そして、相手を褒める事で自身の余裕と立場が上である事を確認し、再び冷静さを取り戻そうとした。
『当然だ。この程度も出来ない奴をこの私が使う訳がないだろ、たわけが』
この程度、だと? 知力の高いデジモンが実行したならばいざ知らず、人間の子どもにやらせておいて「この程度」とは謙遜が過ぎる。過度な謙遜はただの煽りだ。
一瞬の内に怒りで体中が沸騰する。だが、この返事は本来返ってくる筈の無いものだと気がついた瞬間にデビタマモンの心中は忽ち冷え込み背筋が凍りついた。
『大体貴様ら、さっきから言わせておけばだな! 私の行動の意味を頓珍漢な考察ばかりしおってからに。私が睦月を気遣うだと? 馬鹿を言え! 私が私の策以外のもののために体を張る事なんぞあり得んわ!』
こんな声でこんな事を喋る生き物は彼しかいない。だが、彼はついさっき、自分達の目の前で自爆した筈なのだ。
死んでいる筈と信じ込もうとしていても、思わず目で探してしまう。
「余所見してたら危ないよ!」
睦月の声が、デビタマモン達の注目を再び睦月自身に向かわせる。
睦月の忠告は正しかった。網膜が睦月の姿を捉えたかどうかの瀬戸際で、睦月の背後より見覚えのある紐状の物体がぎゅるんと飛来する。
「うぐっ!」
アスタモンから呻き声が上がる。アスタモンの首にはケーブルに似た真っ赤な触手がぐるぐると巻き付いていた。
真っ先にアスタモンを助けるべきと分かっていても、デビタマモンの目は触手がどこに繋がっているか、目で追ってしまう。
なんと触手は、睦月の背中から直接生えていた。
『貴様らも闇の眷属なら、殺しても死なない連中なんざいくらでも知っているだろう。私がそれと疑いもしなかった貴様らの落ち度だ』
触手は触手とは思えないほど強い力でアスタモンを持ち上げ、床に向かってアスタモンを投げ捨てた。
アスタモンは気道が開放され咳き込んでいるが、もはやデビタマモンはアスタモンに構っていられない。アスタモンもまた、デビタマモンに構われている暇など無い。
二人は信じられないものを見ていた。
睦月の小さな背中から、計8本の触手がずるずると生えている。続いて広い肩が、揺らめく頭髪が、目を覆った顔が、白い細い胴体が、薄っぺらいが巨大な手が、最後に、長い足が。
虫が蛹から羽化するように。或いは、寄生虫が宿主から這い出るように。
「いひひ、びっくりした? びっくりしたでしょ!」
それらと違うのは、抜け殻に相当する睦月が平然と聴衆の反応を伺っている点だ。
「でもボク言ったよ! グラビモンがボクのために“死んだ”なんて一言も言ってないって!」
「私も“予測でしかないものを事実であるものと思い込むのは愚か者のする事だ”と言ったぞ? 馬鹿め」
再び二人揃った土神将軍とそのパートナーは、示し合わせていたかのように息の合ったタイミングで、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「…………一体、どんな手品を」
常識外れの出来事を続け様に見せられ、もはやデビタマモンに冷静に行動する余地は残されていない。
一刻も早く疑問を解消して、楽になりたがっていた。
「気になるか。睦月、見せてやれ」
「じゃっじゃじゃーん!」

グラビモンに命じられて睦月は着ている服をがばりとたくし上げる。
デビタマモン達は再び目を疑った。睦月の胸のちょうど心臓がある辺りで、どくん、どくんと何かが拍動している。なんと、睦月の瞳と同じ緑色の球体が、睦月の胸の肉に埋もれているではないか。
神経、あるいは血管のようなものが睦月の皮膚の下を這っているのも確認でき、球体は文字通り根付いているのが分かる。
「な、なんだそれは……」
「さあね! なんだろうね?」
睦月は自分の胸がともすればグロテスクにも思える状態であるにも関わらず、いたずらっぽく笑ってみせた。
睦月が服を元通りに着ると、胸の秘密は外から伺えなくなり普通の少年にしか見えなくなった。しかし、一度あれを見てしまえば睦月をただの人間として見るのは難しい。睦月本人に対する警戒心も急激に高まっていく。
「手の内を明かすのは下策だが、勝手に考察されるのはもっと癪だから特別に答え合わせをしてやろう」
グラビモンは突然、自分自身の指を食いちぎった。ほんの指先とは言え、人差し指の先がしっかりと欠けている。
「端的に言えば、私は再生能力が非常に高いので電脳核さえ残っていればまず死なない」
言うが早いか、指先はみるみる内に再生していく。言い終わる頃には、どこからちぎれたのかも分からないほど綺麗に元通りになった。
アンデッドかよ。これを見たアスタモンはぼそりと呟く。
「残念ながらアンデッドではない。それでだ、うっかり毒を食らったため欠片も残さず自爆し肉体を放棄した私はデジコアを中心に再生を始め、今やっと再生を終えて出てきた、という訳だ」
このデジモンの話を真実とするならば、本来デジモンの体内にある筈のデジコアの在り処とは、どこで肉体の再生が行われていたのか。
デビタマモンの頭脳は、たった今見せられた光景とグラビモンの供述からそれらを容易く導き出した。自ら見出した真実にデビタマモンは困惑を隠せない。
「再生力だけならまだしも、デジコアが体外にあるどころか、他人に埋め込むなんて例は聞いた事が無いぞ」
「四聖獣だってデジコアは体外にあるだろう」
「例外中の例外を出すな!」
四聖獣のような特別なデジモンと肩を並べられるような特性の持ち主を、今日まで知らなかったとは。
曲がりなりにも研究者のデビタマモンは悔しさのあまり歯噛みする。
「おっと、悔しがるのはまだ早い」
グラビモンはデビタマモンの心中を一切慮る事なく自分の話を続けた。
「デジコアの場所は貴様らの予想通りの場所にあるし、肉体が消失した時点で私の意識は完全にコアへ移った。……だから貴様らのくっっっっだらない話も全て聞こえていたぞ! 誰が裏目に出ただ、馬鹿たれ! あまりに自分に都合良く考えすぎで逆に驚いたわ!」
「ボクとしても、ホントはグラビモンが自爆したのも最初から気付いてたよ。騙してごめんね!」
おかしくて仕方ないとばかりに嘲笑混じりの語りを続けるグラビモンの横で、睦月も軽薄にケラケラと笑う。謝る気は少しも感じられない。
デビタマモンは睦月に「グラビモンは死んだ」と告げてもめぼしい反応を得られなかった事を思い出してますます悔しくなった。このガキは、パートナーが自分の体内で生きているのを知っていて自分の話に乗ったのだ。
「おっと。これだけは勘違いしてほしくないが、私が今の今まで手出し出来なかったのは本当だぞ。私が自爆してからというもの、貴様らを翻弄していたのは睦月一人だ」
睦月一人だ、を強調するように、グラビモンは指で睦月を指さした。睦月も両手でピースサインを作ってアピールする。
「このクソガキは天才を自称しているが、その実、学校のお勉強の類は全っ然出来ない馬鹿だ。人の話は聞かん、興味が無ければ覚えようともせん、仮にやる気を出しても性格がもう馬鹿なのでやる事為す事全部馬鹿だ! 馬鹿の癖に自分は天才と思って行動するから始末に負えん! 前世は馬鹿の星の馬鹿チャンピオンか、馬と鹿のハーフのどちらかなのだろうよ」
話の流れでパートナーを人格レベルで否定し出す状況は中々に異様であった。
当の睦月はへらへら笑って一切堪えていないが。
「だがな、こいつは知性(ソフト)のお粗末さに反して『自身が興味を持てる事に限れば』優れた記憶力と技術力を発揮する。一人の知的生命体としては最底辺のクソバカで宝の持ち腐れの極みだが、類稀なる知能を備えた私(ソフト)ならばこいつ(ハード)本来の性能を発揮できる!」
「人質を華麗に救い出すボクを想像したら超カッコよかったので、頑張って色々覚えて来ました!」
睦月とグラビモンの発言は微妙に噛み合っていないが、そんな事は関係無い。
デビタマモンに向かって如何にこちらが上手であったかアピールする事こそが重要なのだから。
「流石に自爆は予定外だったが、私がおらずとも睦月が一人で貴様らを攻略するのは初めから想定の内だ。そうとも知らず、睦月ごときに良い様に踊らされている貴様らの姿は見ものだったぞ! フハハハハハハ!!」
もはや我慢の限界とばかりにグラビモンと睦月は呵々大笑する。怒りのあまり言葉を失って久しいデビタマモンとは対照的な二人。
モニターの光に照らされた二人と、二人の影がかかるデビタマモンの構図は二者の立場の違いを嫌というほど的確に表している。
「どうだった? ボクの作戦と、それを可能にした演技力!」
「はっ! 私がデジモンにとって有害なウィルスとやらを開発していてもおかしくない程の天才だったおかげで幼稚な嘘が通用したんだろうが!」
睦月は目をキラキラさせて評価を求めるが、グラビモンは睦月を見向きもせずに一蹴した。
しかし言葉には続きがあるようだ。睦月にそっぽを向いたままでぼそりと呟く。
「だが、私の肉体が再生するまでの間、一人で持ち堪えた事自体は褒めてやる」
グラビモンにしては珍しい、素直な称賛の言葉だった。
グラビモンとしてはいつものように、「グラビモンが睦月を褒めた事実を茶化す睦月」の構図になる事を期待していたのだが、当の睦月はというと。
「うん! ボクは天才のキミの天才的パートナーだからね!」
両手を空に掲げて満面の笑みでVサイン。睦月もまた、素直に称賛の言葉を受け取った。
「……フン」
あまりに照れくさい台詞であったが、睦月の台詞で照れたなどと口にするのは己のプライドが許さず、かと言って自分から褒めた以上は睦月の言葉も否定できず。
土神将軍は沈黙してこの場を凌ぐ事を選んだ。
「色々ごちゃごちゃ言ってるけど、つまり結局のところは坊主を殺さないとアンタも死なないんだろ?」
優越に浸る二人と侮辱に苛立つ一人の間で、アスタモンは一人戦意と殺意を取り戻していた。
主人たるデビタマモンがこれでも人間を殺したくないと思っているかは知らないが、今こいつを殺らねば死ぬのは主人と自分。人間のガキなど一人殺したところで替えが効く。
用心棒の仕事は主人の命を守る事。死んでも譲れぬものがあるなら、初めから用心棒など呼ぶなという話だ。
「デビタマモン様が下手打ったらベルフェモン様復活が遠のくんです。意地でも逃げ延びてもらいますよ。……『ヘルファイア!!』」
ただの乱射ではなく、れっきとした「技」として、アスタモンの魔銃が火を吹いた。
敵をどこまでも追尾する、意志持つ弾丸が睦月に迫る。
「おい、本音が漏れてたぞ。貴様も貴様でお喋りが好きだな。相手に時間を与えた方が負けだと睦月が教えたばかりだろ」
どこからどう見てもグラビモンの方が長く喋っていたが、そこを棚に上げてこそ挑発だ。
グラビモンの触手の先が怪しく光る。アスタモンは重力が操作されたと直感したが、それでも弾は飛び続けると信じていた。
仮に弾を重くさせられようと逆に軽くさせられようと、重力の向きを変えられようと、最悪アスタモンとオーロサルモンが重圧でぺちゃんこにされても弾だけは睦月を狙い続ける。そういう因果に従って飛ぶ弾だ。
弾丸はアスタモンの期待通りに睦月を狙い続けていた。だが、それでも尚アスタモンを驚愕させる出来事が起こった。否、豊富な戦闘経験を持っているからこそおかしな事が起こっていると気が付いた。
(弾丸は確実にガキを狙っている。だが……明らかに弾速が遅くなっている!)
止まって見えるほど遅くなっているとか、目に見えて大きな変化が起こっている訳ではない。だが、何百何千と射撃を繰り返してきたアスタモンは確かな変化が起こっていると断言できる。
「私は単純な腕っぷしは強い方ではないが……この程度なら私にも止められるな」
グラビモンは何時になく早口で言いながら、弾丸を巨大な手で素早く受け止めた。その瞬間にぐしゃりと弾丸を握り潰し、粉々の鉛に作り変えた。
ここまでのやり取りは人間である睦月にとっては一瞬の出来事だ。
高位のデジタルモンスター同士だからこそ可能な、高速の攻防である。
「もう隠す手の内も無いのでな。睦月(デジコア)への手出しは全力で妨害させてもらう」
手についた弾丸の破片を払い落としながら、グラビモンは不敵に笑う。
それを見たアスタモンは深く深くため息をついた。オーロサルモンを地面に置き、両手を上げて掌を相手に向ける。降参の合図だ。
「降参降参。時間操作? か何かまで出来るんじゃ、勝ち目なんてねえよ」
アスタモンはベルフェモン復活計画を進めてくれる主人を守るため、得体の知れない侵入者との交戦を繰り返した。だが、謎のデジモンにも変なガキにもコケにされ続けて勝ちの目は見えず、挙げ句主人のデビタマモンも口だけが達者で全然役に立ってくれない。
ベルフェモン復活を目論んでいそうな科学者は他にもいるだろうし、デビタマモンを守り通して共倒れするよりとっとと降参して軍に戻った方がベルフェモン様のためにもなるんじゃないかな、とまで思い始めた。
要は、疲れてしまったのだ。さっき用心棒としての心構えを語った気がするけど、やる気が無い奴を守ってたまるかってんだ。後は頼んだぜマタドゥルモン。お前もお前で今何やってんだか知らねえけど。
「逆にもう、あんたの手品が楽しみになってきたわ。これからは隣で解説を聴く役に回るぜ、先生」
「む。貴様、良い判断だな。見所があるぞ。貴様への罰は程々にするよう頼んでおいてやろう」
投降どころかこちら側に寝返ったとも取れる発言まで飛び出した。華麗なる転身ぶりだ。
グラビモンはグラビモンで急に上機嫌になり、先程までは下等な知性と馬鹿にしていたアスタモンの評価を上方修正した。
普段のグラビモンならば、そろそろ「裏切る奴はまた裏切る」などと言いながら上げて落としてぺちゃんこにしているところなのだが、いつまで経っても上機嫌のままの彼を見て睦月は訝しむ。
「グラビモンって自分の話聞いてくれる人が好きすぎて時々変になるよね」
「お前が一切人の話を聴かないから、その反動だな」
元凶は睦月だった。
「さて、アスタモンは自身の実力が私の知性には遠く及ばない無力な存在であると思い知り、大人しく私に跪いたが……」
「そこまでは言ってないんですけど」
「貴様も見習ったらどうだ? さっきから鬼の形相で私を睨んでいるデビタマモンよ」
デビタマモンは負け惜しみを呟いていた訳でも、ショックでうわ言を繰り返していた訳でもなかった。
グラビモンの注意がアスタモンに引かれている間も、アスタモンが完封され、更には裏切られたのを見ても尚、憎悪の火は失われなどしなかった。
「愚かな貴様を哀れんで特別に塩を送るが、『ウィッチェルニー』の高級プログラム言語のような四大元素に関わる魔法は止めたほうが吉だぞ。これらの元になる自然は地球上において全て重力下――即ち、我が支配下にあるものだ。私には通用しない」
グラビモンはデビタマモンにずいと顔を近付けた。不意のブラックデスクラウドにしてやられたにも関わらずこの余裕、「お前の講じた策など全て潰してくれる」という意志の表れなのだろう。
「魔法だけに限らんぞ。貴様の周辺に物質が存在している限り、それら全てが我が策の手札となる。その程度は軽ーく出来てしまうものだから、人間界で重力を操る時はいつも気を使っているんだぞ? 範囲を極力狭い範囲に限定したりな」
「ええー? ほんとかなあ?」
茶々を入れられたグラビモンは触手を一本だけ睦月に伸ばして、彼を小突いた。
グラビモンの半分自慢の脅しになど、デビタマモンは決して屈しない。理論武装で負ける筋合いは無いと、グラビモンの言い分を粛々と否定する。
「強力な能力なのは確かだが、地球への影響を考慮すればおいそれと全力は振るえない筈だ。“何でもあり”なデジモンの存在を前提として創られたデジタルワールドとは違い、リアルワールドには世界の恒常性を保証する存在(ホメオスタシス)はいないんだ」
「はっ。貴様など全力どころか半力、いや微力でも余裕で倒せるわ!」
売り言葉に買い言葉。グラビモンは更に強い言葉を選んで吠える。
そして、犬歯を剥き出しにして肉食動物の威嚇にも似た残忍な笑みを浮かべ、大袈裟に両手を広げて勝利宣言を叩きつけた。
「それどころか私は、半力どころか微々たる力で貴様の目的をおじゃんにする手を既に打ってある! そろそろ効果が表れる頃だ。指を咥えて見ているがいい」
「言葉通りに黙って見ていると――」
根拠も無いのに勝ち誇るグラビモンに向かって反撃しようとしたデビタマモンだが、その時、戦闘種族としての勘が危険を予知して動きを鈍らせる。
次の瞬間にはカツン! と、硬いもの同士がぶつかり合う音がデビタマモンのすぐ側で聞こえた。恐る恐る足元を見ると、見覚えのあるナイフが足すれすれで床に刺さっている。
「大人しく手品を見せてもらいましょうよ、デビタマモン様」
「アスタモン、貴様……」
アスタモンは笑っていた。先程までの献身的な姿とはまるで別人のようで、元主人に威嚇のナイフ投げさえ行うアスタモンはグラビモン同様デビタマモンの憎悪の対象となる。
「そんなに沢山の目で睨まれると怖いからやめてくださいよ。俺は、ベルフェモン様復活を目指す同志に自分を大切にしてほしいだけですよ」
「言い方を工夫すれば裏切りを正当化していいと思――」
ERROR! ERROR! ERROR!
アスタモンにかかずらっている間に異変は起きた。
ただでさえ人質の逃亡を知らせるサイレンが鳴り響いている中で、メイン端末のコンピュータ自体もが悲鳴を上げている。
ERROR! ERROR! ERROR! ERROR!
悲鳴は収まらないばかりか数が増え、新たなエラーが生まれる感覚もどんどん短くなっていく。
「いつの間にハッキングか何かしてたのか?」
とアスタモンが疑問を口にする。しかし、グラビモンからははっきりとした返事はまだ返ってこない。
「ハッキングなぞ、するまでもない。……しないぞハッキングは! しないったらしないぞハリネズミ小僧!」
別に睦月は何も言っていないのだが、グラビモンは先んじたつもりになって一人で怒っている。睦月としては「なんのこっちゃ」である。
ゴホン、と咳払いをして一度クールダウンを挟み、それからつらつらと手品の種について語り出した。
「さて、リアルワールドには相対性理論というものがある」
「アインシュタイン!」
「睦月の癖に正解だな……。まあいい」
エラーの表示は止まらない。寧ろ時間を追うごとにエラーの種類や回数が増えている。
「馬鹿にも分かるように平たく掻い摘んで言えば、重力が強いとその分周りの空間も歪んで時間も遅くなるというのを示した理論だ」
「なるほど! さっき俺が撃った弾は重くさせられただけじゃなくて、流れる時間まで遅くされてたのか」
「ははーん。お前想像以上に飲み込みが早いな? ちなみに、あの時は私の周辺の重力も操作して逆に速く動けるようにも仕向けていた。生み出せる変化は日常生活では誤差レベルのほんの微々たる差であるが……撃つか撃たれるかの瀬戸際では十分だっただろう?」
グラビモンの説明を聞いて、先程自分の身に起こった現象に合点がいったアスタモンはぽんと手を打った。
物分かりの良い生徒を相手に授業の易しさを再調整すべきか迷いながら、グラビモンは続けた。
「重力というのは場所が違えば大きさが異なってくるものだ。だから、高度な計算の際には重力差による時間差等も考慮しなければならない場合もある。有名な例を挙げるとすれば、GPSというやつだな。まあそれは置いといてだ」
グラビモンはエラー画面のまま固まって久しいメイン端末に触れた。熱を帯びた金属の機体は人間が触れると火傷してしまいそうだ。長話に飽き始めた睦月に手を添えてさり気なく機械から遠ざかるよう促す。
「こいつはデジタルワールドの理論をリアルワールドで適用させるために、あらゆる数値の計算と挙動の調整を繰り返しているんだろう? しかも、デジタルワールドからの干渉を妨害する装置までこれで動かしているらしいじゃないか。異なる空間に関与するとなれば、とびきり精密な計測と計算が必要になるだろう。……さて、聡明を気取る貴様なら、この言葉の意味が分かるだろう? さあ、私が何をしたか言ってみろ!」
グラビモンがデビタマモンに迫る。
敢えて答えを言わせる事で、如何に自分は致命的な一手を打たれたのか、或いは、失敗を犯してしまったのか認識させる。
デビタマモンがグラビモンを相手に用いた手口の意趣返しだ。
「計器の周辺だけ重力を変化させて、機械の計算を狂わせたか」
「正解だ! それも細かく、ひっきりなしにな」
グラビモンは触手をぐねぐねと動かして「ひっきり無し」を表すジェスチャーをした。
これが意趣返しであると理解できているデビタマモンは、悔しさで顔を歪ませながら声を絞り出す。悔しさのあまり握り締めた拳の皮膚を爪が破る。機械を駄目にされた事よりも遥か屈辱的な行為であると感じてさえいた。
屈辱に戦慄くデビタマモンを見たグラビモンの心は、他者より優れた自分を実感した時に生まれる喜びで満ち足りた。
「重力にしろ時間にしろ、計器がデタラメな数値を寄越してきたとなればまともに計算できる訳が無かろうなあ。機械は再度計算と出力を繰り返すも正しい値が得られないのだから修正出来る筈も無く、まともに動く機能もエラー修正にリソースを割かれてしまい――最終的にはこの通り、ポンコツと化した訳だ」
機械はいよいよ煙を上げ始め、システムだけなく機体そのものも限界を迎えようとしている。
もはやこの場ですぐに修復する事は不可能だ。
「電子の世界で生きるデジタルモンスターは計算の狂いから逃れられない! 貴様の一夜城は我が策の前に崩れ落ちた、私の心情を考察した報いだ! さあ無様に負けを認め頭を垂れるがいい!」
魔王軍の裏切り者に引導を渡す者として、悪の軍団の軍師として、今度こそ勝利宣言を突きつける。デビタマモンの心を徹底的に折るために、「ルーチェモンに頼まれたから」ではなく「自分に楯突いた事」を後悔させる。
デビタマモンは一度俯く。再び顔を上げた時には物理法則に敗北した科学者ではなく、最後まで足掻こうとするデジタルモンスターとしてのデビタマモンがそこにいた。
「――君が如何に重力操作で私を打ちのめすか考えていたのと同じように、私も重力の影響から逃れる手段はないかずっと考えていたよ。蟒サ繧碁橿縺ョ譛磯≡縺ョ螟ェ髯ス……」
古代高等プログラム言語を解する者しか理解出来ない呪文の詠唱が始まった。
薄暗い部屋が一層暗くなり、デビタマモンの足元を中心に円形の魔法陣が展開される。魔法陣は室内の端から端まで届き、円の縁からは「闇で構成された手」としか言い表し様のない暗黒エネルギーの塊が出現する。
「なるほど概念としての闇属性できたか! 呪的な概念であれば重力は関係無いだろうからなあ!」
グラビモンは歯を剥き出しにして笑う。重力操作対策を打たれた事は、寧ろ彼にとっては喜ばしい事。それほど彼は手応えのある敵に飢えていた。
ただし、実際に攻略できるかは別の話だ。
「うわっ。なんだこの魔法初めて見たわ」
アスタモンは確かにそこにあるのに実体の無い闇の手を見て、衝撃を受けた。
アスタモンとデビタマモンがどれほど長く付き合っているのかは不明だが、少なくともデビタマモンか普段使う魔法とは一線を画す魔法のようだ。
手が伸びる。暗黒の闇に塗れた手が伸びる。触れたものを呪う手が伸びて伸びて、魔法陣の中心にある恨みの原因に伸びて伸びて伸びて届きかけて――
バキッ。メキャ、メキ、ゴキッ。
物理的な破壊の音が鳴り響く。
闇の手がグラビモンを浸食するより早く、デビタマモンが自らも毒霧を噴霧するより早く、グラビモン本人が知覚するよりも早く、土神将軍の両掌がデビタマモンを押し潰した。
術者が気を失ったため闇の手も魔法陣も消え、呪文を唱える前の状態に戻る。
「流石デビタマモン様、ここまで勢い良く潰されても原型残るんだな」
グラビモンの手の中を覗き込んだアスタモンが呟いた。
デジモンは死ねば光の粒子となって消えるが、デビタマモンは消えていないので生きてはいる。アスタモンは(元)主人の頑健さに改めて感心した。
「あの、先生? なんでそんな顔してるんだ?」
続いてグラビモンの顔を見たアスタモンが怪訝そうに訊ねる。
グラビモンは自分の手の中で痙攣するデビタマモンを驚きの表情で見つめていた。まるでこの状況が、グラビモンの本意ではないかのように――
「……ごめんグラビモン」
離れた場所にいる睦月が何故か申し訳無さそうに謝罪したので、アスタモンは思わずそちらを向た。
睦月を象徴する軽く楽観的なノリは鳴りを潜めて、怒られて泣きそうな子どものように縮こまっている。
「ピンチだと思って、つい……やっちゃった」
普段の睦月ならまず見せない態度と表情で、僅か数十分の付き合いしかないアスタモンも思わず驚くほどにしおらしい。
睦月の両手はこれまた何故か組まれていて、彼は恐る恐る手を解いた。
「……もう一瞬遅ければ、私も同じ判断を下していただろうというのが腹立つな」
グラビモンも睦月と同じタイミングでデビタマモンを圧縮していた手を解く。デビタマモンはボトリと力無く床に落ちた。
彼は怒りとも違う何とも言えない苦々しげな表情を浮かべている。
「どういう事だ? それじゃあまるで、坊やが先生の体を動かしたみたいじゃないか」
二人の発言を聞いてますます疑問が深まっていくアスタモン。
彼の問いに答えるように、グラビモンは自分の頭を指差して言った。
「私“達”の脳は優秀過ぎてな、時々こういう間違いが起こる」
◆◆◆
「さて、こいつをどう料理してくれようか」
「タマゴにはやっぱり塩だよね!」
「マヨネーズも捨てがたいっすよね」
「睦月はともかくお前は何なんだアスタモン」
しっかり気絶しているデビタマモンを囲んで三人は好き勝手喋っていた。デビタマモン本人が聞いていたらブラックデスクラウド発動待った無しだ。
「縛って外の連中に引き渡すか――」
「デビタマモン様ーーー!!」
グラビモンの思考を何者かの声が邪魔をする。
何事かと思っていると、踊り子のように派手な衣装の吸血鬼が部屋に転がり込んだ。
「デビタマモン様! どうかお目覚めください!」
「そういやいたなこんな奴。無意識の間にこいつの重力操作も解いてたか」
現れたのはマタドゥルモンだった。そう、最初の方でグラビモンにボウリングの球にされた彼だ。
マタドゥルモンは袖でデビタマモンの頬を叩いて気付けを試みる。舞うようなビンタはそれはそれは優雅かつ無駄が無く、おかげでデビタマモンはハッと目を覚ました。
「マタドゥルモン、来てくれたのか」
「逃げましょうデビタマモン様。貴方さえ生きていれば、研究はどこでも出来ます」
「悔しいが……君の言う通りだ」
マタドゥルモンはデビタマモンを助け起こす。次に、グラビモンと睦月はいないものとして、同僚(とまだマタドゥルモンは思っている)アスタモンにも語りかけた。
「アスタモン、お前も……」
「俺は殿を務める。お前は早くデビタマモン様を連れて逃げるんだ」
マタドゥルモンは分かったと言って、何か言いたそうなデビタマモンを連れて部屋を後にする。
息をするように嘘をついたアスタモンを自称天才達は信じられないものを見るような目で見ていた。
「追いますか」
「追いますかじゃないわお前なんなんだほんと。それはそれとして、追う必要は無い。元より『逃げた先でもまた絶望』をコンセプトに作戦を練っていた、ここは敢えて逃がそう」
「コンセプト、なんか余裕たっぷりな響きっすね」
今頃、デビタマモンとマタドゥルモンは他の仲間と合流しながら出口に向かって逃げている頃だろう。
「ハッ。せいぜい怯え、逃げ惑うがいい」
グラビモンも睦月も、去る者は追わず。ただただ非情に彼らを見送るだけだった。
投稿日確認してもう二ヶ月……だと? となった夏P(ナッピー)でした。
デビタマ虐。「これ以上やったら死ぬぞ」ってこれ以下でも普通死ぬわというぐらい被弾させられてる。如何にもな「今回の強敵は私です」ヅラして現れたのにここまで酷い目に遭うとは。というかブラストモン本物の若本じゃねーか!
華麗なる転身で痛い目見なかったアスタモンの勇姿。マタドゥルモンとアスタモンの役割が当初は逆だったとのことでまさに納得。この作者なら間違いなくそうするみたいなのを外してこないのはむしろ安心まである。いやでもキミちょいちょい「こうなったら人間を殺してでも──」ぐらいのノリで銃口睦月の方に向けてたな? 素足でブラストモンの顔踏んで足の裏超痛いぐらいの痛い目は見とくべきでは。
グラビモンがツンデレというか天才的なノリでちょいちょい自爆するので「自爆しやがった!」「僕達これで終わりか!?」と選ばれし子供になりましたがTwitterでチラっと見かけた挿絵ここかぁー!
サッカーじゃない「〇〇しようぜ! お前ボールな!」初めて見たかもしれんマタドゥルボーリング。
それではこの辺で感想とさせて頂きます。
傷ついた体を引きずり、這々の体で逃げ出したデビタマモン達を待ち受けていたのは、一人の少女とデジモンの生首だった。 「ここから先は通さないよぉ」 ベタな台詞を吐いて仁王立ちする少女。魔性の逃亡者を阻む門番としては些か頼りない。故に、デビタマモン達の視線は彼女の足下の生首に注がれていた。 月光と工場周りの屋外照明の光を浴びて、生首から生えた宝石がギラギラと輝いている。 「ぶ、ブラストモンか。だが本体でないならば……」 「もう遅いよぉ」 ミシリ、ミシリ、どこからともなく何かが軋む音がする。風香の背後の空間が徐々にひび割れていく。 突然、木の板が割れるような大きな音を立てて亀裂が広がった。生じた穴からは鋼の鎧に包まれた4本の指が、1本の長さが風香の身長程もある巨大な指が飛び出て、穴の縁を掴む。 巨大な手の主はその怪力を以て穴を更に押し広げた。穴の向こうの暗い空間からは、赤い瞳がぎょろりと覗いている。逆に、こちら側にいる生首は既に瞳の光を失っていた。 そして、一気に—— 「ブルァアアアアアアアアアアアア!!!」 空間同士を隔てる壁が体当たりにより粉砕されて巨体が躍り出る。町中を震わす雄叫びでデビタマモンの背骨に悪寒が走る。 水晶の鎧を身に纏う怪物が現世に殴り込むように出現した。 「グルルル……」 低音の唸り声を上げながら、ぎょろりと怪物――ブラストモンの目が動く。巌しい眼光は、足元で蟻のように蠢くデジモン達を射竦めた。 「ひぃっ! こ、こんな怪物まで相手にしてられっか!」 電子の怪物たるデジモンにさえも「怪物」と称される巨躯を前に、下っ端のデジモンはたちまちパニックを起こして蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。 デジモンにとって世代差≒実力差。それに加えてブラストモンは純粋に戦闘能力が高い種だ。成熟期達は瞬く間に戦意喪失し、上司の事など忘れて飛んででも逃げようとする。 しかし、ブラストモンの動きは彼らの飛行速度に対応出来ないほど遅くはなかった。 「おい、嘘、ギャッ!」 一番近くにいたデビモンの全身を怪物の手が鷲掴みにする。デビモンは反射的にじたばたと暴れるも、ブラストモンの手はびくともしなかった。 ブラストモン本人には力を込めているつもりなど無かろうが、デビモンは万力で締められている心地であった。 「助けてください! 助け助け助けギィヤアアア!」 水晶の怪物に慈悲などない。命乞いには聞く耳持たず、ブラストモンは掴んだデビモンを容赦なく地面に叩きつけた。 デビモンは亀裂の入った地面の上でピクピクと痙攣したまま、指一本動かせないでいる。 「いいよブーちゃん! その調子だよぉ」 パートナーの暴れっぷりを見て風香はたちまちご機嫌になる。昂ぶるままに走り出すが、その行き先はなんと、ブラストモンの足下。危険地帯真っ只中だ。 素人は物真似厳禁の行為だが、風香とブラストモンのコンビにとっては慣れたもの。 ブラストモンは理性の有無も疑わしいほどに暴れ狂っていたが、オレンジ色の頭を視界に捉えた瞬間にぴたりと暴れるのを止めた。 自分の足元まで辿り着いた風香を優しく掬い上げて、顔の近くに生えている宝石の棘まで持っていく。 「よいしょお! ……えへ、今日もよろしくねぇ、ブーちゃん」 「おうよ、ふーちゃん」 風香は一度ブラストモンに目配せをしてから棘へ飛び乗り、彼女のために用意された特等席に収まった。 ブラストモンと同じ目線の高さ、即ち他のデジモンを見下ろせる高さから、少女の明るく冷たい有罪判決が告げられる。 「こんばんは! ルーチェモン様に頼まれて皆さんを後悔させに来ましたぁ。……デジタルワールド最大級の暴力で、死ぬほど後悔させてあげるよぉ」 風香は口では笑っているが、目は笑っていなかった。 それからは暴力の嵐である。 どんな種族のデジモンもブラストモンの前には皆平等。道端の小石が如く、軽々と暴力的に弄ばれてしまう。 水晶弾は流星の如き煌めきとミサイルの如き破壊力を伴い降り注ぐ。拳を振るう様はまるで隕石が落ちてくるよう。デジモンと戦っているのではなく、災害に立ち向かわされていると錯覚するほどの無慈悲な暴力で蹂躙されていく。 あるデビモンは適当な民家に向かって投げつけられて瓦礫の下敷きになり、別の個体は巨体を支える強靭な足に踏みつけられて戦闘不能になった。 ブギーモンは自慢の呪文を唱える前にゴミ捨て場へダーツのように突き刺さり、影に潜んでやり過ごそうとしたアイズモン・シェイドモンは影がかかっていた地面ごと水晶弾を打ち込まれた。 まるで「生きてさえいれば、いくらでもダメージを与えて良い」と言わんばかりの仕打ちはデジモン達の戦意を喪失させていく。しかし、質量伴う金剛石の嵐の前には逃げる者も立ち向かう者も等しく無事を許されない。 建物への配慮も皆無。町を壊すのを恐れて攻撃の手を緩めるかもしれない、という希望さえ粉々に打ち砕く。既にブラストモンの周囲の家屋は瓦礫の山と化している。 「やれー! ブーちゃん!」 「グオオオオ!」 風香が絶叫する度に被害者が一人、また一人と増えていく。取るに足りない少女の叫び声は、デビモン達にとってはブラストモンの雄叫びと等しく恐怖の象徴となりつつある。 見た目のあどけない印象とは裏腹に、風香はブラストモンの大暴れを許容するどころか寧ろ完全に同調していた。 ブラストモンの方も、昼間見せていたとぼけた様子は影を潜めて荒ぶる暴力装置として猛威を振るっている。 風香の表情に笑みは無い。暴虐を楽しんでいるのではなく、本能のままに衝動に駆り立てられるが如く。「破壊しなければ気が済まない」と言わんばかりに少女は絶叫した。 「があああああああ!!」 「オオオオオオオオ!!」 風香が狂ったように声を上げれば、ブラストモンはそれに呼応して怪物の叫び声で応える。両者の表情はシンクロして鬼の如き形相と化していた。 「待ってブーちゃん。先に一番厄介なのを片付けちゃおうよぉ」 「応ともさァ!」 理性無き怪物のように暴れるブラストモンだが、風香の声にだけは忠実に従う。 目をつけられた“厄介なの”とは、主犯のデビタマモンその人だ。凡百のデジモンであれば泣いて逃げる所だろうが、デビタマモンは災害の化身に立ち向かった。 「デジモンの戦闘が、ただの殴り合いで済むと思うな」 グラビモンの陰湿な口撃にも心折れなかった彼は、ブラストモン相手でも戦意が漲っている。 デビタマモンの戦闘手段は破壊的な魔法の詠唱、そして敵の心身全てを蝕む暗黒ガス。ひたすら物理攻撃を繰り返すブラストモンとは真逆のものだ。 「ブラックデスクラウド!」 デビタマモンは黒い霧を吐き出し、続け様に呪文を詠唱して追撃した。 視界を奪い、精神を蝕む霧がブラストモンと風香を襲う。じわじわ染み込む霧の前には超硬度の鎧も無意味。 しかし、風香は至って冷静である。 「それが何?」 「グオオオオオオオ!!!」 ブラストモンの雄叫びは古代プログラム言語を掻き消し、呪文は不発となった、更に、拳が生み出す風圧は毒霧を霧散させた。 「はあ?」 科学者として、そして魔術師として生きてきたデビタマモンが個人的に最も見たくないもの、即ち暴力が全てを薙ぎ払う様を見せつけられて目が点になる。風圧でブラックデスクラウドが霧散するってなんだよ。 理性的に振る舞う事を心掛けるデビタマモンだが、必殺技が一切通用しないのを見て流石に舌打ちをした。 「流石の攻撃力の高ムグゥ!?」 デビタマモンの数多の目が驚愕のあまり見開かれた。 ブラストモンの右手が、デビタマモンの真っ直ぐ長く伸びている口を塞ぐようにがっしり掴んでいる。これでは喋ることも霧を吐く事もできない。ブラストモンがデビタマモンを遥かに超える体躯を持つが故に可能な攻撃的防御法だ。 デビタマモンはこの後起こる事を想像した。きっと自分はガンガンと地面に叩きつけられる。 大正解だ。ブラストモンはデビタマモンを掴んだまま持ち上げ、叩きつける姿勢を取った。 デビタマモンはこのまま地面とキスさせられるはずだったが、何故か風香がブラストモンを制止した。 「卵って横から割ると割れやすいみたいだよぉ。逆に縦方向の力には強いんだって」 「へえ?。今度試してみよ」 今度とは言うがたった今がそのチャンスだ。 デビタマモンからすれば余計なアドバイスに基づき、ブラストモンはデビタマモンの側面を地面に何度も叩きつけた。 上下運動、激突、衝撃に次ぐ衝撃! 再び上昇再び激突! アスファルトの道路はひび割れ、近くの塀や電柱が崩れ、それと同じ衝撃がデビタマモンにも襲いかかる。振り回されて殻の中もぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。 口を塞がれ攻撃手段を奪われくぐもった呻き声しか出せないデビタマモンは痛みを享受する事しか出来ない。グラビモンの攻撃にさえ耐える殻が仇となった。無駄に耐久力が高い故に地獄は長く続く。 「やれ! やれ! やれええええ!!」 「ガアアアアアアア!!!!」 デビタマモンが反撃する様子を見せなくなっても、しばらくの間激しいシェイクは続いた。 最終的にデビタマモンの殻は無残にひび割れ、デジモンの血液に相当するデータの粒子が漏れ出ていく。最早技を使う体力は残されていない。 魔王軍で重用されており、離反後は逆に魔王軍を手こずらせた優秀な研究者は、単純な暴虐を前にあっさりと敗北した。 この間も逃げ惑う雑兵達を水晶弾で撃墜するのを忘れない。町の被害も更に広がったが、怪物の中に遠慮の二文字などない。 「そいつはほんの数ヶ月前まで山奥で理性無く暴れ回っていた正真正銘の怪獣だ! ボール扱いで済ませてやった私の慈悲を身を以て知れ! ……いや、いくらなんでも怪獣すぎやしないか」 遅れてグラビモンと睦月、それからアスタモンも工場から出てきた。 一応、作業員達も連れては来ているのだが、敢えて玄関に待機させている。暴力を見せられないのもそうだが、街そのものが、とても地元民には見せられない大惨事になっているからだ。 「あの、外で一体何が」 「なんにも起こってないよ!」 「なんか凄い音が」 「何も起こっていないぞ」 工場長が不安そうに訊ねてくるが、睦月とグラビモンはしれっと嘘をついた。何にも起こっていない筈がないのだが、真実を知るのも怖くてそれ以上は聞けなかった。 「とっとと投降して本当に良かったぜ。一撃たりとも食らいたくねーもん、あんなの」 仲間だった者達の惨状を見たアスタモンは心から安堵した。デビタマモンでさえグチャグチャにされてしまうような相手なのに、自分が原型を保っていられる自信は無い。 「あいつを仲間にするなんて、あんたらやっぱぶっ飛んでるっすね。ありゃ絶望するしかないわ」 「いや、確かに仲間だし痛めつけろと奴に指示をしたのは私なのだが、その、もう少しスマートに痛めつけてもらう筈だったというか」 話している間に、ブラストモンはデビタマモンを再び掴み上げる。そして、100メートル単位の距離の遥か向こうにぶん投げた。 想定を遥かに超える暴力を前に、グラビモンでさえ少し引いた。 「半径3キロの封鎖じゃ足りなかったなこれ」 1キロ先の建物が水晶弾の流れ弾で破壊されたのを見てグラビモンが呟く。 逃げる者を追っているので、ブラストモン本人も徐々に移動しつつある。街が被害を被る範囲も広がっていく。このままでは封鎖域外の人間の間でパニックが起こるのも時間の問題である。知らないだけで報道ヘリがこちらへ向かう途中であってもおかしくない。SNSはお祭り騒ぎになっているに違いない。 「これほどの強者ならば……相手にとって不足無し!」 集団の中で最も強いデビタマモンが為す術も無く凌辱されても尚、戦意を失わないどころか寧ろ戦いへの欲求をより強める者がいた。マタドゥルモンだ。 本能的に強者へと立ち向かうマタドゥルモンは、勇猛果敢にブラストモンの前に立ち塞がった。 「は? マタドゥルモン?」 ブラストモンと風香の動きがぴたりと止まる。 暴れたいから暴れていた風香の瞳に、はっきりと「憎悪」の火が灯る。二人はギギギと音が立ちそうな動作で顔をマタドゥルモンへ向けた。 マタドゥルモンは戦闘の始まりを予感して身構える。 次の瞬間、類を見ないほど強力な拳撃がマタドゥルモンの細身に直撃した。 「うぐぅ!!」 マタドゥルモンの体はたちまち吹き飛ばされる。 しかし、流石は格闘技主体のアンデッド。もんどり打って倒れるも、立ち上がる余力をまだ残していた。よせば良いのに再びファイティングポーズを取って、二撃目に備える。 まだまだ元気なマタドゥルモンを見て、風香は舌打ちした。よほどマタドゥルモンが気に入らないらしい。 この少女は何故マタドゥルモン種に憎悪を燃やしているのだろう。マタドゥルモンはそう思ったが、答えはすぐに明かされた。 「ごめんね、ちょっと身内の身内にクソゲロアンポンタンなマタドゥルモンがいて……」 「クソゲロアンポンタン!?」 風香はそれはそれは冷たい目で言い放つ。少女の口から似つかわしくない暴言が出てきてマタドゥルモンは度肝を抜かれてしまった。 「つ、つかぬことをお聞きしますが、もしかして私は別個体のマタドゥルモンのせいで八つ当たりされているのですか?」 「そうだよ?」 「お義兄さんとはまだ呼べませエエエエん!!」 ブラストモンの全く以て意味不明な発言と共に巨大な拳が飛んできた。 八つ当たりの攻撃は今までのどの攻撃よりも激しく、パンチ、キック、尻尾による打撃、チョップに体当たりとブラストモン種が使える技という技がマタドゥルモン一体に集中して叩き込まれた。 これで太陽光レーザーが使えないだけまだマシなのだから驚きだ。 「ねえ、あれ死ぬんじゃない?」 「そろそろ止めないと本当に死ぬな……」 マタドゥルモンが元気だったのは二撃目を食らうまで、ブラストモンの感情が乗った連撃はマタドゥルモンの身に耐えられるものではなかった。 それこそ、グラビモンと睦月からの同情が寄せられるほどの残酷な戦力差が壁のように聳え立っている。 しかし風香は同情しない。自慢の衣装が擦り切れボロ雑巾のようになったマタドゥルモンにも、恨み辛みをぶつける事を止めようとはしない。 氷のように冷たい瞳は、本当に他者を凍らせてしまいそうで、太陽のような笑みを浮かべる少女の面影はもはやそこに無い。 「マタドゥルモンは強者の血を吸いたくて戦うけど……あなたは、血も涙もない相手の血をどうやって吸うというの?」 「ブルアアアアアアアアア!!!!」 ブラストモンはマタドゥルモンの脚を掴み上げて、アスファルトの下の土が露出した地面にこれでもかと叩きつけた。 デビタマモンの殻さえ耐えられなかった衝撃が、二度、三度四度とマタドゥルモンの肉の体に何度も何度も叩き込まれていく。 顔の横の突起はひしゃげ、髪は乱れて手足の関節は絶対曲がらない方向に曲がり、翼はちぎれて流血する。レイピアは一つ残らず折れるか曲がるかして使い物にならない。生きている方が苦しいほどのダメージだ。 マタドゥルモンはとっくに意識を失っているが、それでもブラストモンは止まらない。 「加減というものがあるだろ加減というものが……。おい! マタドゥルモンはそこまでボコボコにしなくていいというかどうでもいい! デビタマモンの奴をやれデビタマモンを!」 「それこそデビタマモン様死ぬと思うんすけど」 宝石の怪物の暴動は、グラビモンが無理矢理重力操作で止めるまで続いた。正確に言えば、無理矢理止めようとしないと止められず、それでもしばらく止まらず続いた。 「もっといけー!! ブーちゃん!!」 「やめろと言った直後にもっと行けとか言うな!」 誰にとっても長い長い夜だった。 ◆◆◆ ブラストモンが破壊の限りを尽くしてから数週間後。 「買収完了ですわー! おーっほっほっほ!」 かつて惨劇があったあの町で、八武羅々は華々しく高笑いする。 金、泉が湧くが如し。とまで称された八武財閥の底無しのマネーパワーにより、町は瞬く間に復興を終えた。半壊状態だった地域を綺麗さっぱり復元し、住民も寧ろにっこり笑顔になる程の補償金を支払ったため、もはや地域ごと買収したと言っても差し支えない。 「すごーい! 金ぴかじゃん!」 「もう何でもありだな」 八武マネーが流入し、財力を誇示する金色があちらこちらに散りばめられた町を見た天才コンビはそう言った。 信楽焼のたぬきが如く軒先に置かれている黄金の羅々様像や、八武系列企業のイメージキャラクターが描かれたラッピングバスなど、町中に散りばめられた八武要素を数えていては切りがないため割愛する。 「オレーグモンの方がよほど上品に金色を使ってるぞ」 「あん? なんか言ったかグラビモン」 ドスの利いた男性の声でグラビモンを威圧したのは勿論、羅々ではない。おフランスより帰国し、本日は羅々の保護者として付き添っている木精将軍ザミエールモンだ。 小鳥ほどの大きさしかないこのデジモンは、羅々の肩に腰掛けながらグラビモンを睨み付けていた。 「私の肩で喧嘩するのはやめて、針槐」 羅々は指でザミエールモンの頭を弾いた。顔の横で喚かれて鬱陶しかったのだろう。 「わーったよ、姫様。いててて……」 ザミエールモンは痛む頭を尻尾の手でさすりながら、羅々に大人しく従った。 その背後で「やーいやーい」と煽る土神将軍がいたのはここだけの話。 「さてと。視察はこれくらいにして、そろそろ次に行きますわよ!」 「これ自慢じゃなくて視察だったのか」 「なんか言ったかグラビモン」 「しつこい!」 一行は八武家のリムジン――セレブが搭乗するあの長い車体のリムジンだ。グラビモンも横になれば余裕で乗れる。――に乗せられ、次の目的地へ向かう。 着いた場所はデビタマモンに乗っ取られていたあの工場だ。 「皆様が力を合わせて戦ってくれたおかげで、工場も会社ごと買収に成功しましたわ!」 件の工場は斬が言っていた通り、八武によって正式に買収された。 デビタマモンに改造された建物の修理費はおろか、従業員の救出まで八武が尽力した(ことになっている)のだ。八武は会社に恩を売った形になり、こうして買収もスムーズに完了したという訳である。 「金ぴかになってないね!」 「今の所は安心だな」 工場の外観を見た睦月とグラビモンは、羅々に聞こえぬようこそこそと内緒話をし始める。 危うく外壁を金ぴかに塗り替えられそうになっていたのを、それでは工場長が可哀そうだと思った睦月とグラビモンが口添えて阻止したのはここだけの話。 「捕えられていた従業員の皆さまには改めてデジモンの事をお伝えしましたわ。人々をデジモンの脅威から守るだけでなく、デジモンの正しい知識を伝えて共存を促す。これもまたノブレスオブリージュ。八武一族のお役目ですことよ」 デジモンを目撃してしまった一般人に対して取る対応は、デジモンについて教授するか記憶を消してしまうかの二択。今回は前者の方法が採択された。 未知の化け物に襲われた経験は、工場の従業員の心に深い影を落とした。しかし、八武の高水準のカウンセリングとデジモンに関する授業によって、デジモンという存在がトラウマになってしまう事だけは阻止された。 勿論、工場長も今ではすっかり心の平穏を取り戻している。睦月と再会した時には、睦月と互いに礼を言い合っただけでなく、睦月のパートナーであり自爆したと聞かされていたグラビモンの無事も喜んでくれた。 「これからは彼らも“八武”という巣を構成する働き蜂の一員……。つまり! 彼らのパートナーデジモンの管理がしやすくなったという事! 私達が扱いやすいデジモンが増えたという事なのよ! さあまだ見ぬパートナーデジモン達、デジタルワールド中から探し集めて八武ファミリーに加えて差し上げますわーっ! お〜っほっほっほ!!」 「木精軍団も安泰だぜ! ギャハハハハハ!!」 羅々はお嬢様らしく、ザミエールモンは悪役らしくギャハハと仲良く揃って声高らかに笑い声を上げた。 生まれついての王者の理屈は庶民からは往々にして理解ができないものなのだ。従業員と一切交わずに生きてきたパートナーデジモン達にとって、今回の件は寝耳に水の筈だが、羅々達の中では既に仲間入りが決定していた。木精軍団入りを勝手に決められたデジモン達の明日はどっちだ。 ちゃっかり全部自分の利益にしている二人を見てグラビモンは少しげんなりとしつつ、笑い声にあえて割り込みザミエールモンに訊ねる。 「ところで、頼み事はしっかりこなしてくれたんだろうな」 「おう。『101号室』にお連れしてじっくりと再教育して差し上げたぜ」 ザミエールモンはニイと口角を上げて不気味に微笑んだ。常に顔に掛かっている影がより濃くなったように見える。 「魔王軍について知ってる事は洗い浚い吐かせた。軍師様のお眼鏡に適いそうな情報がたんまり手に入ったぜ」 「それは助かる。流石の拷問技術だな」 「拷問とは人聞きの悪い、再教育だっつってんだろ」 ザミエールモンはグラビモンの言葉選びに訂正を入れつつ、褒められて満更でもなさそうにはにかんだ。 「まあ、こっちとしても若い連中の良い練習になったぜ。あんがとな。流石に拷問の練習台は身内じゃ代用できねえからな。やらかした奴も大方“使っちまって”、中々手前じゃ見繕えなくてよ」 「やっぱり拷問じゃないか。ところで、逆にこちらの情報は一切喋らないように躾けろとも頼んだ筈だが……」 「あー、それも一応やったんだがよ」 ザミエールモンはバツが悪そうに視線を横に泳がせながらこう続けた。 「俺らで引き受けた時点でまともじゃなかったっつうか……。ブラストモンを仕向けたのは流石にやり過ぎじゃねえの?」 ◆◆◆ 所変わってダークエリアはルーチェモン城の応接間。 傲慢の魔王は南国の海のように煌めく青い瞳(※自称)をより輝かせて、自分への貢ぎ物に大喜びしている。 「すごいじゃないか! こんなに早くやり遂げてくれるだなんて、びっくりだよ! バルバモンから聞いてた評判よりもずっとすごい!」 「えっへん!」 貢ぎ物を用意した風香とブラストモンは自慢気に胸を張った。 ただし、貢ぎ物というのはお尋ね者のデビタマモン一味の事を指す。一味は仲良く並んで縄に繋がれ、ルーチェモンの前で床に正座させられている。 風香のあどけない笑顔とのミスマッチ具合からは一種の狂気さえ感じられる。 「うんうん、みんなトラウマで震えているね」 濡れたプロットモンのように弱々しく震える集団を前に笑顔で言い放つ姿はまさに魔王。ルーチェモンがわざと靴音を立てて近づくと彼らはびくりと肩を震わせた。 特にデビタマモンは、知性を武器にグラビモンを相手に立ち回っていた姿は見る影も無い。まともに喋る事も出来ないほどに憔悴しており、喋る言葉は全てうわ言。他のデジモン達が多少の理性は保っている中、一人だけ確実に正気ではない。 肉体的にはより重症だが、強者と戦えた喜びが精神的支柱となっているマタドゥルモンと比べてもその差は歴然だ。尤も、マタドゥルモンはマタドゥルモンで木精軍団の「再教育」によって元の性格は死んでいるも同然だが。 「後悔させてくれとは頼んだけど、まさかこんなになるまで叩きのめしてくれるなんて。一体どんな手を使ったんだい?」 「特別な事はしてないですよぉ。ただ全力でぶん殴っただけですよぉ」 「ンギャアアアアアアア!!!!!」 風香が喋った瞬間、デビタマモンは凄まじい大声で叫んだ。壊れたラジオもかくやの狂った叫びを上げ続けて止まらない。 あまりの五月蝿さにルーチェモンは形の整った眉をしかめた。 「うわっ、うるさっ。ちょっと静かにしたまえ、君。僕の美しい鼓膜を労っておくれ」 敬愛するベルフェモンの仲間であるルーチェモンに注意されても、デビタマモンは叫び続けた。 人間のトラウマを増幅させて利用していた者が、決して消えないトラウマを植え付けられて終わる、悪因悪果の結末である。 「まさかこの僕の注意を聞かないほどだなんて……。ちなみに何だけど、この中にアスタモンいなかった? そいつも一応指名手配してるんだけど」 「ごめんなさいだよぉ。敵は一人残らずボコボコにしたつもりだけど、アスタモンは見てないよぉ」 「ギャアアアアアア!!!!」 「そっかあ、それはしょうがないねえ」 「ギエエエアアアアアアア!!!!!」 それもその筈。アスタモンはブラストモンの折檻を受ける事なく、とっとと投降していたのだから。 ◆◆◆ 更に更に所変わって、ここは月光将軍ネオヴァンデモンの城。ダークエリアではないが、闇の眷属のデジモンが多く住まう地域にその城はある。 時刻は夜10時を回ったが、城の住民の夜は始まったばかり。 今宵は、夜空と同じ色の鎧で身を固めた吸血鬼と白色のエイリアンの茶会が開かれていた。隣にちょこんと土色のハリネズミ小僧も添えて。 「彼はあれからというもの、よく働いて我が軍に貢献してくれているぞ。彼のように優秀な人材を私に譲ってくれた君に感謝を。そして、瞬く星々よりも多くのデジモンの中から彼を見つけ出した君の慧眼に乾杯を」 吸血鬼――月光将軍ネオヴァンデモンは、ティーカップに注がれた血液を真っ青な唇で呷る。 棺桶の中ではなく温室のティーセットの前で、吸血鬼は友に感謝の言葉を伝えた。 「探し出したというか向こうから衝突してきたというか、まあ、お前が喜んでいるならいいか……。いや、いいのか?」 グラビモンはティーカップを摘むように持ち上げて、血のように真っ赤な紅茶を啜る。 感謝されたはいいものの、自分の行いにどこか納得がいっていないようで、所々でもごもごと言い淀んでいる。 「もぐもぐ、デジモンが星ならアスタモンはなんだろうね? 降ってきたから流れ星かな? むぐむぐ」 睦月は苺ジャム付きクッキーを頬張りつつ会話に混ざる。 ビッグデスターズ達の巨体に合わせて作られたクッキーは、人間の睦月にとっては一枚で顔を覆えるほどビッグな欲張りサイズだ。夜中にこれを食べるのを躊躇してしまう人間もいるだろうが、「夜中にポテトチップスとコーラを食らうのが趣味」と豪語する睦月は何の気後れもせずにもりもりと食べている。 「そうか、彼は流星だったか。夜に生きる彼を表す言葉としても、彼の使う銃を示す比喩としてもいい響きだ」 「別にあいつはそこまで綺麗なものじゃないと思うぞ」 「ネオヴァンデモン、これおかわりある?」 ネオヴァンデモンがパチンと指を鳴らすと、部下のヴァンデモンがやってきて、パーティーやバイキングで使うような大皿に乗った大量のクッキーを置いて行った。 あの後、地味にグラビモンを困らせたのがアスタモンの処遇だった。 『俺、この後どうすればいいと思います?』 『知るかアホ! 自分から寝返ったんだから身の振り方くらい考えておけ!』 『でも、降参した時点で俺の扱いって捕虜っすよね。捕虜の扱いは普通そっちで決めるもんでは?』 『それは、そうだが……』 ふざけた事を抜かすアスタモンを一旦突き放してはみたものの、グラビモンは何だかんだ言って面倒を見てしまう。 グラビモンの情報を持たせたまま野に放つ訳にもいかず、かと言って拷問したりブラストモンに殴らせたりするのは捕虜の扱いとして問題がある。という事で最初は自軍に入れる事も考えたが、聖なる獣で構成された土神軍団にアスタモンは馴染まない。 すったもんだの末に、最終的に「同じ闇の眷属だからまあ馴染むだろう」という理由でネオヴァンデモンの月光軍団に放り込んで終わりにした。 『周りがアンデッドでいっぱいで、ここならベルフェモン様が不死の肉体を得て復活するヒントが見つかるかもしれねえ!』 「この通り、彼もやりがいを感じてくれているようだ」 「何度も同じ事を聞いて悪いが、お前もアスタモンも本当にそれでいいのか?」 やりがいとは、敵とは、味方とは。堂々とベルフェモン信者ですと公言している奴も、受け入れてる連中もお互いどうかと思う。月光軍団でベルフェモンを復活させたところでお互いどうするつもりなんだ。 「ベルフェモンの復活、か……。もしも彼らがそれを叶えられる望みがあったなら、ルーチェモンは彼らを放っておかなかっただろうに。彼らは結局のところ、軍に戻った所で何も成し得なかっただろうからこそ見せしめに使われたんだ。星を掴める者もまた星であり、彼はまだ星を追う者という事だな」 「あのまま無害なベルフェモン信者でいてくれればいいんだがな。いや待て、やはりベルフェモン信者が混ざっている時点で何かおかしくないか……?」 「ネオヴァンデモン、ジャムの二度漬けって許される?」 ネオヴァンデモンがパチンと指を鳴らすと、部下のスカルサタモンがやってきて、睦月のクッキーにジャムを山のように塗ってくれた。 ネオヴァンデモン本人はカタンとカップを置き、カップの中の水面に映るグラビモンをじっと見つめる。 「夢追い人特有の強い思い込みと言ってしまえばそれまでだが……死してなお生きる存在は彼が追い求める星と重なるように見えたのだろう。君も、私も。彼が星を追う限り、彼との蜜月の日々はそう終わらないさ」 「我々とあいつの関係は別にそこまで綺麗なものではないと思うぞ」 「ネオヴァンデモン、紅茶に入れるお砂糖切れちゃった」 ネオヴァンデモンが指をパチンと鳴らすと、部下のマタドゥルモン――勿論、デビタマモンの部下ともクソゲロアンポンタンとも別個体だ――が袋ごと角砂糖を持ってきて砂糖壺にドバドバと入れた。 ふと、ネオヴァンデモンは何かを思い出したような素振りを見せて話題を変えた。 「ところで次の会議は順番的に私が当番だな」 「あ、すまん。お前が寝ている間に『この集まりの悪さでは一人で真面目に準備した奴が馬鹿を見るだけだから当番制はやめよう』という話になったのを伝え忘れていた」 「えっ」 自分が寝ている間に重要な事が決められていた事と、それを誰からも教えてもらっていなかった事に軽くショックを受けたネオヴァンデモンだが、「冷酷にして紳士」を標榜する者としてそんな素振りは決して見せない。 隠してもバレバレだとしてもだ。 「そうか。次の会議は夜中の1時からにしようと提案するつもりだったのだが……。月の囁きが心地良い時間だ。冷静に話し合うにはうってつけと思わないか」 「もう6時間は早くしないと次の会議の出席者はお前だけになると思うぞ」 ネオヴァンデモンのただでさえ蒼白の顔面がより青くなる。本人はナイスアイデアと思っていたアイデアがこうもあっさり否定されては、冷酷であれ紳士であれ、ショックを受けるのも仕方のない事だ。 「そんな……今日だってお前と話すために頑張って早起きしてきたのに……」 「ナマケモンだってもっと長い間起きてるぞ」 「ごちそうさまでしたあ! ネオヴァンデモン、このお菓子作ってくれたの誰? すんごく美味しかった!」 ネオヴァンデモンが指をパチンと鳴らすと、今回の茶会に関わった部下一同が現れ、カーテンコールの如くに手を繋いで並んだ。 部下一同が一斉にお辞儀をすると、主に1名の観客から拍手や口笛が乱れ飛んだ。 ◆◆◆ 日付が変わる頃に、グラビモンは睦月を連れて彼自身の根城に戻った。派手好きな同僚の住まいとは逆に、現代建築のシンプルな基地が土神将軍の住まいだ。 「お帰りなさいませ。グラビモン様、睦月お坊ちゃま」 入り口の両脇に狛犬のように配置された2体のネフェルティモンが二人を出迎える。 「ああ」 「たっだいま!」 グラビモンはぶっきらぼうに、睦月は愛想良く挨拶を返した。そのまま長い廊下をツカツカと真っ直ぐ突き進んで行く。 「ふひー、疲れたぁ」 グラビモンの書斎兼寝室兼研究室、要は彼が必要だと思ったものを全部突っ込んだ自室に着くや否や、睦月はベッドに転がり込んだ。 先程のクッキー同様、グラビモンのサイズに合わせて作られたベッドは睦月にとっては贅沢なビッグサイズのため、ベッドに飛び込むだけで大はしゃぎだ。 「朝からこんな時間になるまで連れ回したから当然だろうな。もうとっとと寝ろ、明日昼まで起きられなくなるぞ。私はそれでもいいがな。五月蠅くなくていい」 グラビモンは睦月がいるベッドに向かわず、沢山の兵法書が積まれた机と向き合う。 更にパソコン端末の電源も入れ、ここから作業を始める構えを見せる。 「ねえグラビモン、明日起きられなくなってもいいからゲームしていい?」 「疲れたんじゃなかったのか……? お前どうせ五月蝿いシューティングゲームするつもりだろ、駄目だ駄目だ! これでも読んでろ!」 グラビモンはベッドの上でごろごろと転がる睦月に向かって、兵法書ではない書物を一冊投げつけた。 睦月は顔に当たるギリギリのところでキャッチに成功。表紙を見てみると、登場人物らしきコミカルなキャラクター達がディフォルメの利いたタッチで描かれていた。 「わあ、マンガだ! グラビモンこういうのも持ってたんだね!」 「これ読んで黙ってろ。私は考え事をするから話しかけるなよ」 謎の理屈で睦月を言いくるめ、やっとグラビモンは思考に没頭できるようになった。 「私自身がデビタマモン一味と戦って得た情報、ザミエールモンやネオヴァンデモンから聞き取った情報、中々のデータが集まった」 グラビモンは本をやデバイスの中に記録されたデータを次々と広げ、それらを元に思索を蜘蛛の巣を編むように巡らせていく。 「デビタマモン一味との戦いは、確かにデモンストレーションとしては役に立った。だが、連中とは違い魔王軍は私を知っている。重力操作の対策をしてくる事だろう。今回ほど易しい相手ではない筈だ。それを如何に私の策で凌駕するか……ああ、今から楽しみだ! やはり戦場は手強ければ手強いほど楽し」 「キャハハハハハハ!」 「しまった、ギャグ漫画を与えたのは間違いだった」 漫画を読み始めてから数ページ目で大爆笑している睦月のせいで、グラビモンの思考は中断させられた。 興が削がれたグラビモンは情報をまとめる作業をも中断して、ベッドのそばにやってくる。そして、漫画に夢中な睦月の顔を指で挟むように摘み上げた。 「うへえ、あにふんのは(何すんのさ)」 睦月の頬が「むにゅ」と変形する。睦月はグラビモンの手から逃れようとするが、痛みを感じないギリギリの強さで挟まれているので中々外れない。 「お前も他人事ではないぞ。私が戦場に出る時は、当然お前も連れ回すからな」 グラビモンは睦月の抗議を無視して、頬を掴んだままこねくり回す。自分で潰したほっぺたを見て「アホ面……」とほくそ笑んでみたりもした。 「今回の件で得られた情報を元に、私はより過激な策を生み出す。今まで通りの戦場と思ってそのアホ面を晒していると――死ぬかもしれんぞ」 「でも、グラビモンはまた助けてくれるんでしょ?」 グラビモンは睦月の顔からぱっと手を放す。 睦月は散々こね回された顔の形を整えるつもりで、自分の顔をこねている。 「甘えた事を抜かすな。そりゃあ貴様が死ねば私も死ぬんだから命だけは守ってやるがな、そのためだけに手間を割けないと言っているんだ」 グラビモンは睦月を突き放すつもりでそう言ったが、睦月はニヤニヤしながらグラビモンに追い打ちをかけた。 「ツンデレさんだなあ、そんな事言っちゃってぇ。ボクが黒タマゴくんから逃げる時、自爆しても何しても、ボクの重力だけはずっと軽くしててくれた癖にぃ。天才的逃避行が成功したのはグラビモンのおかげだよ! さんきゅ!」 パァン!! 「うわあ!」 突然、部屋中に破裂音が鳴り響く。驚いた睦月は思わず目を閉じた。 目を開けるとそこにグラビモンの姿は無く、彼がいた場所には破片と思しき白い布上の物体が散らばっている。 「自爆しちゃった! 最近のグラビモン、ツンとデレの差デカくない? 照れ隠しに自爆する人なんて、この天才でさえ初めて見たよ?」 そもそも睦月はグラビモン以外が自爆する姿を見たことがない。 睦月は襟元から自分の胸を覗き込んだ。相変わらず緑色の球体が、ドクンドクンと脈打っている。 「おーい、グラビモーン。ごめんってー。おーい」 胸の球体は脈打つだけで睦月の呼びかけには答えない。何度か呼びかけを繰り返してみても、結果は同じだった。 「……ボクももう寝よ」 今のやり取りで興が削がれたのか、漫画を読む気が失せてしまった睦月は本を机の上に戻し、布団の下に潜った。 「色々ダダ漏れな癖に自爆の感覚はボクに伝わんないようにしてくれてるから、やっぱりツンデレだよね」 『うるさい! 寝ると言ったら寝ろ!』 「今寝ようとしてたのにうるさいなあ! もう!」 体内から脳に直接、正確には体中に張り巡らされた神経を通じて語りかけてくる同居人に向かって睦月は珍しく声を荒げた。 グラビモンが再び黙ったので目を閉じ、眠りに落ちながら明日の自分を想像する。 「明日は“選ばれし子ども”にちょっかいかけに行こっかな」 『監視だけでは飽きたか。私もそろそろこちらから干渉すべきかと考えていたところだ』 「天使側にしよっかな……。風香ちゃん怒らせたら嫌だし……」 『それが賢明だろうな』 「……おやすみ」 ■■■■■■■■■■ 「うっぎゃあああああ!!!!! バレましたわああああああ!!!!」 「落ち着いてください、お嬢様」 「あのストーカー女やりやがってくれましたわね! キエエエエエエ」 高級シルクのドレスを纏った令嬢は、装いに全く似つかわしくない汚い声で絶叫した。 錯乱して、隣に控えている忍者をぽかぽか殴っている。 「天使と魔王、双方の選ばれし子どもが交渉を試みるのは想定の範囲内だが、まさかこんな形で手紙への工作がバレようとはな……。このタイミングじゃ、印象最悪だぞ。わざわざ干渉する手間が省けたと見るべきか、いや流石に誤算だな」 令嬢率いる一行、否、デジタルワールドきっての参謀は送られてきた映像を見て苦い顔をした。 「所詮は色恋沙汰、って舐めてかかるとこうなるってお手本ね」 「お前が言うと説得力があるんだか無いんだか……」 花の妖精は参謀を慰めるつもりでポンと肩に――は体の大きさが違いすぎて届かなかったため背中に手を置いた。 そんな二人の横で、モニターの光を眼鏡に反射させながら大はしゃぎする少年がいる。 「バアルモンVSムシャモンだって! ねえ! バアルモンVSムシャモン」 「見れば分かるわ! はしゃぎ過ぎだ!」 参謀は肩から伸ばした触手で少年を小突いた。少年は意にも介さず、画面の向こう側でバトルが始まったのを見て大興奮している。 三者三様の反応を見せる彼らの中でも極めて独特の反応を見せる少女が一人。 仲間から一歩離れたところで、別のモニターが映し出す人物の動向を見守っていた。 「……冷香ちゃん」 『デジモントライアングルウォー 14話に続く』