ーーー耳鳴りがする。
硬い壁の感触を背にしながら、その女性警察官は血の海の中にいた。
自動拳銃を構える手が震え、まともに照準が定まらない。
他方から同僚達がどうにか反撃のためにと駆けつけ、銃声が響くがそれを山羊のような大きなシルエットは意に介さない。
「ク、ク、クハハハハ!」
「ダメだ!効いてないっ」
「今、他の支部へ救援を要請しています!それまでなんとか…」
舌打ちする者、絶望の表情を浮かべる者。
彼らへ、謎のシルエットの持ち主であるデジモンは手をかざす。
「○○○○○○○!」
次の瞬間、周辺に新たな悲鳴と血飛沫があがった。
(私は…わたし、は…)
苦悶の表情をあげ倒れていく同僚達を前に、何もできない。
血の気の失せた唇は、叫びどころか呟きすら声を漏らすことができない。
山羊のような角を持つシルエットは、愉悦の籠った視線を彼女に投げかけた。
「良いぞ、良いぞ!もっと震えろ!目の前の死に怯え、己の無力に慄く!実に良い!」
高らかに叫ぶシルエットへ、突如大きな火花と共に重量が飛んだ。
少しばかり揺らぐ影。
「立て、五十嵐!そいつから早く離れろ!」
30代後半の、眉間に皺の寄った男の警官が構えるはロケットランチャー。
暴力団から押収したものを引っ張り出してきたのだろう。
「あ、阿部さん…!」
「ちっ」
振り向き、先ほどと同じように手をかざそうとしたシルエットへ一発二発と叩き込まれる。
「おい!こいつに腰道具はダメだ!始末書は俺が書くから、急いで火力のあるブツを担いでくるんだ!」
阿部と呼ばれた警察官の言葉に躊躇するも、数人が急ぎ違法の銃火器や弾薬が押収された倉庫へ走る。
デジモンはなおも阿部を殺害しようと手を伸ばすが、ロケットランチャーを、ホローポイント弾を装填したライフルを、ショットガンを手に警官達が反撃にかかる。
いずれも決定的なダメージを与えられないが、それでもデジモンにとっては阿部の殺害機会を逸するに十分だった。
「…潮時だ」
愉しみを削がれたとばかりにデジモンは先程よりもトーンの落ちた声でこぼし、しかし女性の警察官を…一目し嫌な笑みを向けた。
「まあ良い。…そこの女、今度会う時には徹底的に堕としてやろう。憧れたものへの恐怖に、絶望にな。ハハハハハ!!」
高笑いしたデジモンの姿がかき消える。
「くそ!」
………
女性警察官、五十嵐美玖は、デジモンの姿が消えてもなお、拳銃を握りしめた手を離さず虚空に銃口を向け続けた。
そこへ走り寄る阿部。
「五十嵐!もう手は離していい!…五十嵐!!」
ーーーー
この事件は、デジモンという存在が浸透しつつあった世界を震撼させ、そして危険性を認知させた。
この事件により、当日非番を除く警察官352人のうち200人近くがたった一体のデジモンにより無差別に殺害された。
警察署のデータに登録されたデジモンの情報に該当する存在はなく、メディアを大いに騒がせる中、生き残りの一人として素性を世間体に広められた美玖は辞職することとなる。
それから数年…。
悪夢に魘され、投薬による日々が続いた美玖に転機が訪れた。
自称探偵のデジモンとの接触。
それが美玖を、デジモンと人間双方を顧客とした探偵への道を進ませることとなった。
デジモン二次創作SS
『こちら、五十嵐電脳探偵所』
美玖は、毎夜夢を見る。
かつて警察官だった頃に起こった、デジモンによる警察官惨殺事件。
山羊のような角と目を持ったデジモンの、自分を見る嫌らしく邪悪な眼差しと笑みを前に迫られる夢。
ぐるぐるぐると無限に続く回廊を、高笑いの響く背後から逃れるため逃げ続ける。
そんな夜が続いていた。
しかし、その夜は、いつもとは違った。
彼女は、光差す教会の中に立っていた。
厳かに、穏やかに響くパイプオルガンの楽曲。
(…この教会は?)
美玖は戸惑いを隠せず、辺りを見回す。
席には何人もの人や、デジモンが座っている。
しかし、出席者の顔が、なぜか認識できない。
(どうして)
見回すうちに、美玖はある事に気づき、驚きに目を見開いた。
(!?)
自身を覆い飾る、白く煌びやかなシルク生地の輝き。
手に持つものは……花嫁の持つブーケではないか。
(こ、この格好…ウェディングドレス!?なぜ私が、これを?)
となれば、気になるは相対する花婿だ。
そこへ気配、振り返る。
そこにいたのは、間違いなく花婿だった。
白いスーツに身を包み、胸元にブルースターのコサージュ。
しかし。
(…人間、じゃない?)
人間に近い姿と顔つきではあったが、人間にしては幾分か背が高すぎる。
それだけでなく体格も人のものとは明らかに異なっていた。
なのに。
顔の輪郭以外の特徴がなぜか認識できない。
ただ、確かな事がある。
目の前の『花婿』からは、あのデジモンのような邪悪で嫌らしい、悪意に満ちた雰囲気は全く感じない。
むしろ、穏やかな微笑みを、口元に浮かべてすらいた。
(あ…)
自身の意思とは裏腹に、足が花婿へと歩んでいく。
そして、向かい合う。
声が聞こえた。
それは、新郎新婦に向けての、永遠の愛の誓いの確認。
病める時も健やかなる時も。
これに、やはり夢の中の美玖は、はっきりと答える。
「誓います」
花婿も答えたようだが、声はノイズがかかったように聞き取れない。
美玖は、心の中でただ戸惑うばかりだった。
(せめて、花婿が誰なのかわかれば…)
相手はおそらくデジモンだろう。
しかし、現在までの所、デジモンと人間の婚姻はまだ認められていない。
これは、デジモンに性別がない事も含め特殊な手続きが必要となる可能性を考慮してのものだからだろう。
(私が、そうでありたいからこの夢を?)
そう思いかけたが、やはり違う。
なのに、夢には妙な現実性が伴っている。
そこまで考えた時、美玖は指輪を嵌められた事に気づいた。
デザインはシンプルだが細やかな彫金が施された金色の指輪が、静かに光っている。
(いつの間に指輪交換!?待って、なら次は)
『では、新郎新婦共に、誓いのキスを』
(!!)
胸が激しく脈打つ。
(ま、待って!待って、これって…)
ベールが除けられる。
むき出しの両肩に花婿の手がかけられた。
毛に覆われた大きな手。
人のそれと同じ唇が美玖の唇に迫り、心臓がバクバクと高まる。
(わ、私、せ、せめてっ)
その時花婿の唇が何か囁いた。
読唇術の心得があった美玖は、自分の名前を呼ばれているのだと気づく。
『美玖…愛している』
口元から覗く牙を見ながら、意識は引き戻された。
ーーー
けたたましく鳴り響く目覚まし時計に、美玖は勢いよく跳ね起きた。
「……っ!?はあ、はあ、はあ……」
激しく早鐘を打つ胸を押さえながら、美玖は時計のスイッチを切った。
「……はあ、はあ、はあ……。わ、私が、けっ、結婚するなんて!」
夢の内容は鮮明に覚えている。
真っ赤になった顔を両手で覆った。
今のところ美玖に結婚願望はない。
子どもの頃からデジモンへの強い憧れはあるが、それと結婚願望とはどうあっても結びつかない。
なぜ、あのような夢を見たのか。
「さ、さすがに…正夢ではない、はず」
法律的に人間とデジモンの結婚は認可されていない。
なら、気にする事はないはず、なのだが。
(…なんで、こんなに、ドキドキしてるんだろう。相手の顔すらわからなかったのに)
それでも、あの悪夢とは違い、安心できるものがあった。
珍しく、朝から薬を飲む事のなかった、一日の始まりである。
ーー
「おーい、美玖ちゃんいるかー?」
探偵所のドアを開けて、顔を覗かせてきたデジモン。
「スターモンさん。こんにちは、どうかしましたか?」
デスクの作業をしながら美玖は声をかけた。
「いやあ、美玖ちゃん今日もかーわいい…ああっ、そんな事言ってる場合じゃなかった。C地区から美玖ちゃんに用があるってデジモンがいてよ」
「C地区…」
移住してきたデジモンを最も多く抱える地区。
美玖が探偵所を置くD地区とは隣同士だ。
「今、その方はどちらに?」
「おう、そうだった。…おーい、こっちだこっち」
スターモンが一度外へ出て誰かを招く。
話し声が聞こえたのち、その相手が入ってきたかドアが開いた。
「失礼。……デジモンを顧客としていると聞く探偵所は、ここで合ってるか?」
入ってきたデジモンは尋ねた。
見慣れない姿のデジモンだった。
人間に近い姿だが、これまで美玖が見てきた人間に近い容姿のデジモンの中でもひときわ異形と呼ぶべきもの。
獣の耳と、白い毛並みに覆われ翼が備わった太長く逞しい腕。
下半身は、アクィラモンという猛禽類の容姿を持つ鳥型デジモンのものに酷似していた。
唯一人間そのものである頭部には、赤いヘルメット型のヘッドマウントディスプレイとゴーグルが装着され、素顔は全く見えない。
(…この、デジモン…)
慌てて、腕に装着したツールを起動する。
「こんにちは、そのままの姿勢で居てもらって良いですか?30秒程で済みます」
「…?別に構わないよ」
ツールを起動すると、相手の全身をカメラ機能によりスキャンし解析。
まもなく、ツールは情報を美玖に開示した。
『シルフィーモン。完全体。獣人型。フリー属性。アクィラモンとテイルモンがジョグレス進化した獣人型デジモン。強靭な脚力を持ち、その跳躍力は遥か上空にまで達すると言われている。……』
(か、完全体…)
「シルフィーモンさん、と言うのですね」
「ああ」
「改めまして、私は五十嵐探偵所の所長の、五十嵐美玖と言います。デジモンのお客様からも、依頼を受け付けさせていただいております。どのような御用件で来たか、是非お聞かせいただけませんか?」
…緊張感で背筋は伸びた。
完全体といえば、デジモンのレベルの中では最上級である究極体の一歩下のランク。
美玖が探偵所を置くこのD地区は人間の方が多く住み、デジモンも成熟期よりさらに上のレベルのデジモンはいない。
(お、お客様初めての完全体デジモン…!失礼のないようにしないと…!)
それだけに、美玖は緊張していた。
ーー
「どうぞ、此方へお掛けください」
客室用のソファーへ案内し、シルフィーモンと向かい合うように座る。
手元に書類のファイルとメモ帳を置く美玖に、シルフィーモンは開口一番尋ねた。
「…つかぬ事を聞きたいのだが、まさか君一人だけでここを?」
「はい。なにぶん、開いて日の立っていない所ですので」
「…」
(…そう、なんだよね。私一人だけなのよね)
シルフィーモンの問いに答えながら、美玖は心の中で現状に対して苦笑いするしかなかった。
(師匠がいたら良かったのかもだけど…でも、この探偵所任されたからには、頑張らないと)
「…そうか。心配事は募るがーーなら、話そう。正式な依頼を君に頼みたい」
…………
所変わって、幅広い通路の通る街の中。
多くのデジモン達が闊歩する一方、人間の数は驚くほど少ない。
「ここが、C地区…」
シルフィーモンと並行しながら、美玖は光景に目を見張った。
他の都道府県、例えば東京でさえ、このような光景に出会える地区は幾つあるだろうか。
「この先を右に曲がるぞ」
シルフィーモンの案内に従いながら、美玖は昨日聞かされた依頼の内容を反芻していた。
ーー
その依頼とは、デジモン専用の両替屋を襲った犯人の追跡である。
デジタルワールドから移り住んできたデジモン達は、当然ながら人間の通貨を持っていない。
自ら持ち寄ったbitを通貨と交換する。
bitとはデジタルワールドに散らばるバグの中でも非常に小さい電子データで、青く透き通ったガラス玉のような見た目をしている。
通貨のような使われ方をしており、現実世界にも持ち込みが可能だ。
両替屋はデジモンのみならずデジモンと取引をする関係から人間が営んでいることも多い。
「襲われたのはその両替屋を務める人間だ」
シルフィーモンは言いながら新型のデジタルカメラを美玖の前に置いた。
写真が撮られており、店内と思われる建物内が写っている。
「店主は不意打ちによる昏倒で意識不明。bitや日本円の保管庫は力任せにこじ開けられている」
乱雑に開けられ、床に落とされた保管庫の収納箱。
床に散らばった日本札にbit。
店員が倒れた場所なのか、部屋の片隅に血痕がついている。
「警察に連絡はしたのですか?」
「とうにD地区の警察署に連絡は入れているが、未だに捜査が来ない。そこで警察署と連携をとっている探偵所を探していたんだ」
しかし、とシルフィーモンは美玖を見た。
「デジモンから依頼を請け負っている探偵所があると聞いて来てみれば、まさか君という人間女性一人だけとは」
「人手を募ってはいるのですが、未だに人は来なくて」
「構成員が増えることを祈るよ。…ただし、デジモンと敵対するような事があった時、人間だけで相手をするのは非常に危険だ」
「…お気遣い、感謝します」
「ここだ」
シルフィーモンが足を止めたのはそこそこに小さな規模の建物。
農家の集中する地域に見られる精米所のような場所だと美玖は思った。
引き戸式のドアは無惨にもひしゃげガラスが砕け散っている。
「店長はC地区内の病院に入院中だ。まだ目を覚まさない。私は店長の家族から依頼を受けた」
「シルフィーモンさんのお仕事の一貫でこちらに?」
「私はデジタルワールドにいた頃から…傭兵、というべきか何でも屋というべきか。ともあれそのようなものだよ。幾人かパイプに通じてるだろう人間をあたって、君にたどり着いたというわけだ。君には、私と一緒に犯人の特定と追跡をしてもらいたい」
足元のガラスに気をつけて、と一言置いてシルフィーモンは引き戸を開けた。
かなりがたついた引き戸は、人の力ではすんなり開きそうになかったようだ。
「では、失礼します」
言う通り、ガラス片の散らばる地面を避けながら、美玖は建物内へと入った。
写真に写ったままの光景が目に入る。
実際に入ってみると日本札やbitの散らばりようはかなりのもので、整理し直すのは大変そうだ。
「警察が来るまで現状維持していたのですね」
「ああ。いつ来ても良いようにな。…当然その間監視をする必要もあったが」
美玖はくまなく周囲を見回す。
そうしながら、腕に装着したモニター付属のツールを起動し、特殊なライトを点灯する。
照明がついていないため、そのまま薄暗い室内を照らした。
シルフィーモンはその様子を後ろから見ている。
室内を照らすライトは、指紋や足跡に加え、デジモンのデータの痕跡を炙り出すものだ。
デジモンも人間同様毛髪や鱗片、皮膚など無意識に残すことがあるがデータの残片そのものとなって残るため人間の目からは視認しづらい事がある。
例えば、ガルルモンのような獣型デジモンの場合は毛皮の一部がデジタルワールドではなく現実世界で落ちてもそれを見つけられる人間はほとんどいない。
「……あった!」
美玖が声をあげた。
ライトで指し示したは、収納箱付近の壁。
日本札やbitを踏まないように近寄り、カメラ機能を使って痕跡を保存する。
「何か見つかったか?」
シルフィーモンが訊ねると、美玖は腰のポーチからピンセットを出し慎重に何かを摘み取った。
「これは…」
美玖がプレパラートに乗せた物。
それは。
「…羽毛…」
「見せてくれ」
白を基調とした細かな羽毛。
それを見たシルフィーモンは、低く唸った。
「すぐにスキャンします。それで痕跡の持ち主の特定を」
「できるのか?任せよう」
プレパラートから羽毛をツールのモニターの上に載せる美玖。
羽毛をモニターがスキャンし、データを解析する。
データ解析を始めて数分。
モニターは、ホログラムによって痕跡の持ち主を立体的な形に復元した。
「このデジモンは…!」
シルフィーモンがホログラムを睨む。
半人半鳥の容姿をしたデジモンのホログラムを。
「ハーピモンか。まさかC地区で犯罪を冒す個体が出るとは」
「ハーピモン…」
ハーピモンの情報は美玖も持ち合わせている。元より、警察官時代の頃、警察署のデータを閲覧した時このデジモンの情報があった事を覚えていた。
「確か、過去にA地区で五件、E地区で一件ハーピモンによる窃盗事件があったと」
「今回もその線ということか。なら、次は実行犯の特定、という事になるな。…それも可能か?」
「この羽毛の遺伝子のデータが合致すればいけます。ただ、合致する遺伝子を持つハーピモンが、必ずもこの地区にいるとはーー」
「なら、情報屋の元に向かう。少し距離が離れているから移動に滑空しなくては。……外に出よう」
言われるままに外へ出ると、シルフィーモンは美玖の前に屈んだ。
「?」
「掴まれ」
「……」
一瞬、何を言われたのかわからず、瞬きする美玖にシルフィーモンは口を開いた。
「私に掴まれ。ここからは距離が離れているから滑空で行く。…君をここに置いていっても構わないならそうするが」
「あ、い、いえ!し、失礼します」
シルフィーモンの後ろから背負われるように抱きつく美玖。
美玖がしっかりと抱きついたのを確認して、シルフィーモンは立ち上がる。
「良いな…!そのまま掴まってろ!」
少し腰を落としたと思った瞬間。
ごうっ!という空気の唸りと上昇感。
「………わ………」
眼下に広がる街道に美玖は目を見開いた。
シルフィーモンは跳び上がると、重心を前方に傾けるよう姿勢を変えつつ両腕を開く。
両腕の翼が展開し、グライダーのように風を捉えて飛んだ。
(そ、そういえば、上空まで達するほどの脚力を持つって…)
情報を思い出して下を見ないように抱きつく腕に力を込める。
風を受けてシルフィーモンの茶髪がなびく。
風を切る音と飛ぶシルフィーモンに身を任せながら美玖は震えていた。
上空という、拠り所のない高所にいる事への怯えではない。
隠し切れない高揚感ゆえだ。
(デジモンと、同じ空を、飛んでる!)
幼少期を思い出す。
エアドラモン。
メタルグレイモン。
バードラモン。
ユニモン。
自分の頭上をよぎり、空を飛ぶデジモン達。
それに憧れ、目を輝かせながら彼らに向かって手を振っていた頃。
今は、デジモンと自分が、同じ空の高みにいる。
それが、嬉しくてたまらなかった。
さすがに、嬉しさのあまり叫ぶのだけは我慢したが。
シルフィーモンが降り立った場所は、C地区とA地区の境目。
ビル街になっており、この辺りまで来ると往来する人間の数も多い。
歩道に着地すると、シルフィーモンは屈み、降りるよう促す。
美玖がその通りにするとシルフィーモンはビルの間の狭い通路へ目を移した。
「情報屋はこの先だ」
路地裏は人一人分ほどの幅しかなく、複数人が一気に行くには狭すぎる。
人間よりやや大柄であるがシルフィーモンのように細身のデジモンでなければ通るのは苦しいだろう。
ビルの裏側にあるドアの一つを軽くノックした後、シルフィーモンはそのドアを押した。
「よう、景気はどうだ?」
軽薄な声で迎えたのは、簡易デスクに向かいながら一人ソリティアに興じている男。
脱色に近い色彩に染めた髪に、無精髭は清潔感からはやや遠い。
「現在、全地区にいるハーピモンの中で最近地区を移動した奴がいるか知りたい」
「ハーピモンか…奴さんら、何かやったんか?」
「両替屋が襲われた」
シルフィーモンの応えに男はノートパソコンを開きながらタイプする。
「両替屋っつうと保坂さんとこのか。もう犯人が特定されたということはサツが来たのか?」
「いや、特定したのはこちらの彼女だ。警察に連絡はしたのだがまだ来ていない」
情報屋はパソコンから美玖へと視線を移し、そして瞬きした。
「あんた…まさか、五十嵐美玖か!?」
「…知ってるのか?」
シルフィーモンが美玖の方を向くと、美玖はそれが気まずく俯く。
「シルフィーモン、あんた、知らなかったのか。5年前、E地区の警察署をデジモンが襲撃した事件!あの事件の生き残りだった警察官の一人だよ!」
「何?」
情報屋がノートパソコンをタイプしながら話す。
「あの事件、当時はマスコミが大騒ぎしててよく覚えてるんだよ。たった一体のデジモンによって200人近く殺害されたなんて、そりゃデジモンが移住して落ち着き始めてきた頃を考えれば大事件さ。…本当に知らなかったのか」
「……」
シルフィーモンはかぶりを振った。
「私が現実世界に来たのは一昨年だ。まさか、そんな話があったとは知らなかった」
「そうかい。……こんな時に辛い話をして悪かったな、五十嵐さん。何度もテレビで見た顔だっただけについ反応しちまった」
「…いえ、大丈夫、です」
ノートパソコンのモニターに展開された全地区を表示したマップに、幾つかの光点が見えた。
「話を戻すぜ。ひとまず、現在いるハーピモンの位置はこんな所だ。最近移動が確認されてる奴は……」
情報屋はマップのうち、B地区にある光点のひとつを指し示した。
「こいつだ。C地区から移動を確認した」
「B地区…結構離れてますね」
「もう一度滑空しよう。それでB地区に向かうぞ」
シルフィーモンは料金をデスクに置くと、美玖を伴いビルを出た。
「……五十嵐探偵所、ね。確かに警察署と連携した探偵所の一つとして登録されてるわ」
情報屋はモニターを見ながら、椅子の上で大きく伸びをした。
「E地区の心療内科クリニックに受診。現在投薬による治療を継続中。……こりゃ、とんだ厄ネタになりそうだ」
ーーー
田舎然とした町並みが特徴的なB地区。
ここは、かつてある巨大デジモンの暴走が発生した際避難した人々の一部が戻って再スタートの生活を営む場所。
その一角に降り立ったシルフィーモンから美玖は離れた。
「先程のハーピモンの情報はツールに取り込んであるんだろう?一度確認した方がいい」
シルフィーモンの言葉に頷き、美玖はツールを起動する。
モニターに、情報屋が送信したマップと光点が表示された。
「現在地はここで、ハーピモンは…」
場所を指差しで確認する。
ハーピモンの位置を示す光点は、かなりの速さで移動していた。
「ハーピモンの飛行速度は飛行能力を持つデジモンの中ではある程度高い部類だ。人間の足じゃ追いつけない」
「あなたの力を借りなければ、追いつけない…」
「そういうことだ」
シルフィーモンが頷いた。
B地区は避難民用の建物が幾つも建てられてはいるものの、その半分程はまだ人が住んでいない。
落ち着くまでと決めたものの事情が重なって避難先の住所に居ついてしまった者。
戻るに戻れなくなってしまった者。
住み慣れた家に戻るつもりでいる者。
様々な理由から戻っていない避難民は多い。
その建物が、いつしか移住したデジモン達の私物になってしまってきている事がB地区にとって問題となっている。
堂々と自分のものと主張するならともかく、"ちゃっかり"と私物にしているのであれば尚の事だ。
ーー
その建物の一つ、カーテンを閉め切った中は、bitや金目のものに埋め尽くされている。
仮面のような顔と眼差しをそれらに向けながら、一体の半人半鳥のデジモン・ハーピモンは両腕の白い翼を畳んでいた。
無機質なように見えるその眼の奥には、ギラついた感情が宿っている。
マダタリナイ
マダ、タリナイ
「モット、アツメナイト…」
「何のために?」
不意にかけられる声。
ハーピモンが反応し声の方を向いた瞬間、一条の光線がとんできた。
美玖の指輪型デバイスから放たれた麻痺光線だ。
だが、ハーピモンは素早い反応でこれを回避、カーテンの裏側へ回り込むように滑り込んで外へ逃げる。
「トップガン!」
外で待機していたシルフィーモンが追撃にかかる。
両手に集めて放たれる赤みがかったエネルギー弾をスレスレでかわし、ハーピモンは空中で態勢を整えた。
「……遺伝子データ、合致!あのハーピモンで間違いない!」
カメラ機能によるスキャンで確認をとった美玖は叫びながら中空を見上げる。
「そこのハーピモン、速やかに投降願います!」
美玖の声に翼をはためかせながら、ハーピモンはヒステリックな叫びをあげて急降下する。
速い!
「…っ!」
咄嗟に伏せる美玖の髪の一筋を猛禽類の鋭い蹴爪が切り裂く。
「トップガン!」
再度シルフィーモンが放つ必殺技に今度こそ命中、ハーピモンはよろめいた。
「お願い!投降して!」
「イヤダ!マダ、マダ、タリナイ!」
ハーピモンが叫ぶ。
背中を向けて逃げようとしない所をみるに、シルフィーモンの必殺技『トップガン』を警戒しているのだろう。
百発百中の命中率を誇るエネルギー弾による狙撃は、いかにハーピモンといえどまともにかわすには精神の集中が必要なのだ。
「嫌ならば尚の事撃ち落とす。生憎、被害者の家族から依頼を受けた身である以上温情を向ける訳にはーー」
「Why done it!?」
美玖の叫びに遮られ、シルフィーモンはハーピモンから視線を外さずとも呆気にとられた。