12月24日、朝の4時。
気温はマイナス10℃を下回って防寒アイテムが手放せない。
そして、起床したばかりともなれば、どうあろうと布団と生涯を共にしたい寒さだ。
そんな朝だろうと出勤しなければならないのは、社会人の一生の悩みだろう。
ーー阿部警部も、ご多分に漏れずそうした悩みを抱えながら起きた一人である。
「ふぁ〜……寒ぃ……」
妻と"息子"が寝ている脇から身を起こし、トイレへ行き、コーヒーのための湯を沸かすのに並列して朝食を摂る。
これが彼のほぼ毎日の日課の始まりなのだが、この日は違った。
こんこん
「ん?」
微かだが力強い、窓を叩く気配。
訝しげに首を傾げ、音が聞こえたリビングルームへ向かった先には。
「お前、なんで来てるんだよシルフィーモン!?まだ午前4時だぞ!」
ーー
「……で、何の相談だ?」
二人分淹れたコーヒーの片方をシルフィーモンへ寄越しながら、阿部警部はキッチンに立った。
自分用の弁当を作るために冷凍庫から冷凍食品を幾つか取り出している。
シルフィーモンはコーヒーを受け取ると、そんな阿部警部の背中を見ながら切り出した。
「……阿部警部」
「うん?」
「今日は、クリスマスイヴ、という日なんだよな」
「まあ、そうだな。だから、こっちも警備とかそういうのが忙しくなる」
で?と阿部警部は続きを促す。
「……クリスマスイヴとクリスマスになると、人間は他の相手にプレゼントを送るんだったな?」
「おう、そうでない人間もいるし、クリスマスの日だけって訳じゃない。贈られたら嬉しい奴はい……まさか」
阿部警部は思い当たるふしあって、シルフィーモンの方を向く。
シルフィーモンはといえば、全身から汗が噴き出さんばかりに重い空気を纏っていた。
「すまない、阿部警部。私は一応、クリスマスというものに関してはある程度知識はある。だが、知識はあっても、私自身には関わりのないものだと思ってたんだ。だから……」
ばんっ!!とテーブルに両手を叩きつける。
「阿部警部!美玖はどんな物をあげれば喜ぶんだ?教えてくれ!!」
………
一週間前に遡る。
友人達と女子会をしているうちに話題がクリスマスの事となったが。
たちまち友人達が戸惑いの表情を向ける。
「美玖、あなた…」
「まさか、今年もクリスマスプレゼント贈りたいような素敵な人いないってんじゃ」
一斉に集まる視線に居た堪れず、美玖は顔を伏せた。
「ねえ、美玖!あなたこないだまで、合コンに通いまくってた事あったよね?!」
「うん」
「もう行かなくなってたから彼氏できたのかと思ったけど違ったんだ!?」
「……うん」
「なんでさ!!」
宮子が頭を抱えて突っ伏した。
「美玖、昔っからあなた、浮いた話がないとは思ってたけどさあ!」
「そうなんですか?」
こう横から尋ねたのは夏実。
「そーなのよー…美玖ってば、学生の時からバレンタインのチョコ、誰にあげてたと思う?自分のお父さんと弟君達になのよ!」
「え…つまり、娘チョコで、姉チョコってこと?」
呆気にとられた顔で朝菜が美玖を見た。
…事実、美玖はバレンタインの時には毎年手作りのチョコレートを、父親と弟達にあげていた。
父親はともかくとして、弟達からしたら母チョコ並みに複雑な心境なのは間違いない。
「昔うちの学年にめちゃくちゃカッコよくて人気だった男子いたんだけど、その子にあげてみたらって言ったわけ。で…」
結局あげなかった。
周りの女子の取り巻きもあったが、美玖自身が気が引け、あげず仕舞いになってしまったのである。
「なんであの時渡しに行きなって言ったのに、そうしなかったのよ!?」
「だって…優斗君、好きだって人は多かったし良いかなって」
「バレンタインがどういう日かくらいわかってたよね?!」
宮子に言われ、ますます美玖はうつむいてしまった。
そこで夏実が聞く。
「シルフィーモンさんや、探偵所のデジモンさん達へは?」
「あげる、予定…」
「よぅし!なら美玖!!」
ずびし!!と宮子が美玖の鼻先に食い込まんばかりに人差し指を向けた。
「来年からシルフィーモンさんにバレンタインチョコも渡しなさい!」
「え、ええっ?」
「ええっ?じゃなーい!弟君達だって一番下の健人君とかもうじき高校生でしょ?流石にそんな歳になって姉チョコ貰い続けてるとか、オトコノコからしたら恥ずかしいでしょうが!!」
それに、と宮子は言う。
「デジモンにバレンタインチョコをあげちゃいけないなんて、そんな決まり事もないんだから」
「う……うん」
かくして。
悲喜交々の時間のまま、クリスマスイヴは幕を開けた。
ーーー
「それにしても…」
いつものようにデスクに向かいながら、美玖は顔を上げた。
朝からシルフィーモンの姿がない。
「…シルフィーモン、どこへ行ったんだろう」
グルルモンの話によると、デジタルワールドへ一度戻ると言っていたそうで。
「ドコヘ、ナドトアイツハ一切喋ラナカッタ。何カ探シモノガアルヨウダガナ」
朝早く、一度いなくなっては六時程にこちらへ戻ってきた後、いそいそと支度をしてデジタルワールドに向かったらしい。
とはいえ、デジタルワールドは広大な世界。
いつ戻ってくるか、などわからない。
「…一応、ケーキの受け取りは行けるから良いけど」
家からクリスマス用のチキンが丸々三羽分も届いているため、明日でも構わないのだが…。
ちなみに一羽分は、丸ごとグルルモン用とは母の葉子の弁である。
つけたテレビからはひっきりなしにクリスマスソングが、華やかにライトアップされた名所を歩く人々の映像が流れる。
この日は多数ものメールや電話応対が相次いだが、未だにシルフィーモンが戻らないまま時間が過ぎていった。
そして、終業時間を迎えて三十分経った時。
玄関が開く音と共に、ラブラモンの迎える声が聞こえた。
「しるふぃーもん、おかえりなさい!」
美玖が向かうと、シルフィーモンが帰ってきていた。
「一体、デジタルワールドの、どこへ……」
言いかけて、美玖は気がつく。
シルフィーモンの身体には戦いによるものと思しき傷が幾つも見受けられることに。
「どうしたの、その傷…」
「今から君を連れて行きたい場所がある。ラブラモン、私達が帰ってくる前に食事の支度を頼めるか?」
「うん、いいよ」
「…すまない」
美玖の手を引き、外へ行こうとするシルフィーモン。
「ちょ、ま、待って!」
慌てて引き留め、ソファーの上に置いていた包みを取り、コートを羽織る。
それから改めて、一人と一体揃って、外へ出た。
「掴まってくれ」
「どこに行くの?」
「ここから少し飛んでいきたい場所がある。そこで、君に渡したいものがあるんだ」
背中にしがみついている間、目を閉じていてくれ。
シルフィーモンのその頼みに、美玖は従った。
……風の音。
……頬が痺れるほど冷たい空気。
不思議と暖かな背中に抱きつきながら、30分ほどそうしていた。
やがて、風の流れから、シルフィーモンが減速するのを感じる。
ひゅうっ、という落下感の後、どしりっと彼の足が地に着く感覚が身体に響く。
「美玖、目を開けてくれ」
シルフィーモンの声に、目を開いた。
そこで目に飛び込んできた風景に、美玖は思わず声をあげた。
「綺麗…」
光の中、色鮮やかに垂れ下がるそれは花のカーテン。
幻想的な光とのコラボを生み出しているのは、樹齢150年の大藤棚だ。
「ここって…」
「…一応、内緒にはしておいてくれ」
「えっ?」
目を瞬かせる美玖の目前に、シルフィーモンはある物を差し出した。
「これを、君に渡したかった。デジタルワールドからの物だが、こちらへ持ってきても大丈夫だ」
「これ……」
それは、一見花の形をした宝石のように見えたが、実際はその逆だ。
まさに、宝石のような花なのだ。
見た目はシャコバサボテン、別名をクリスマスカクタスと呼ばれる種類のそれによく似ている。
紅の花弁は仄かに色づきながらも、鮮やかで美しい。
「…デジタルワールドのある場所にしか咲かない花でな。縄張り意識の強いデジモン達も多い難所だ。採るのに、時間がかかってしまったよ」
そう言いながら、シルフィーモンは苦笑いを浮かべる。
そっと美玖が受け取ると、花は光の中できらきらとその花弁を輝かせた。
「気に入ってくれた、だろうか?今まで誰かに贈り物をしたことが…なくて。その花は、一度咲けば燃える事も凍える事もなく、長い年月を咲き続けるんだ。君がこういう物を喜んでくれるといいのだが……」
紡がれる言葉は辿々しく。
普段の彼がここまで自分の発言を選ぶように口にしている姿は新鮮だと美玖は思った。
「…普通じゃない花は、好きじゃなかったかい?」
「普通でもそうじゃなくても、花は好きよ」
言いながら、美玖は花を大事に胸元に抱えた。
先程の説明と身体の傷からして、シルフィーモンは何度も交戦しながらこの花を目指したのだろう。
「ありがとう、シルフィーモン。大事にするわね」
「……良かった」
気が抜けたように、その場で膝をつくシルフィーモン。
まるで、教師や親から大事な話をされた緊張感から解き放たれた子どものように。
そんな彼の目前に、美玖は自身が持ってきた包みを差し出した。
「?」
「私からも。…メリークリスマス、シルフィーモン」
「……ああ!」
一瞬、気が抜けたようになっていた所で、パッと表情が輝くようなものに変わる。
「私も、デジモンにプレゼントをするのって初めてだから…何を贈っていいかわからなかったのだけど」
「開けてもいいかい?」
嬉しげなシルフィーモンの声に、うなずいた。
包みを開ければ、中に入っていたはマフラー。
「いつも、首元寒そうだなって思ってたから…」
「早速着けていい!?」
「う、うん」
明るく弾むような問いに応えると、シルフィーモンは早速そのマフラーを首に巻いた。
ワインレッドの落ち着いた色にイエローの菱形模様が洒落ている。
「どう…かな?」
「……うん、似合ってる」
微笑み返し、互いに抱き合った。
……周りには伏せている、お互いの関係。
周りからすれば認められて良いのだろうが、決して今の法ではまだ認められない関係。
だから。
(…今のままは、まだ、こうして密かに向かい合うことしかできない)
けれど。
きっと、互いの繋がりはとても深いところで繋がっている。
それを感じながら、唇が重なった。
「…メリークリスマス」
その言葉と共にしばらく、幻想的な藤棚のカーテンの下で時を過ごす。
……夕飯とラブラモン達へのプレゼントを思い出したのは、それから二時間ほどのことだったが。
了
というわけで、皆様こんばんはと共にメリークリスマス。
今作を以て、今年の投稿はこれを最後とさせていただきます。
第13話共々、こちら、五十嵐電脳探偵所…略してこち五十(いが)のクリスマスSSを、投稿する腹積りでした。
クリスマスSSの内容は、すでにネタバレのようなものですが、これまでの番外編からして今更すぎましたね(遠い目
これからの布石のようなものもありますので、本連載を楽しみにしていただいてる人達には是非ともよろしくお願い申し上げます。
皆様、よいお年を!!
PS.シルフィーモンが連れてきた場所、実在するテーマパークです。
本来は料金払って入る場所のため、焦ったあまり払い忘れてど真ん中に降りちまったシルフィーモンのうっかりという事にしてください。
更に追記)料金はプレゼント渡した後払いに行ったのでことなきを得ました