彼を見かけたのは、何の変哲のない三月初旬の日だった。
春の足音が近い兆しの暖かな陽気とはおよそ程遠い、哀愁を全身に表したクールホワイトの小竜に思わず……
「こんな所で会うとは奇遇だな、ジエ……ハックモン」
声をかけてしまっても仕方ないとシルフィーモンは思う。
「ああ、お前は探偵所の…確かに、奇遇だな」
二体が鉢合わせたのはC地区の商店街。
デジモンが多いこの地区では、デジタルワールドから輸入されてきた物を商品として取り扱う事が良くある。
シルフィーモンは収入に得たbitを両替に訪れていたところだ。
ハックモンの方は、なにやら大きなバックパックを背負っている。
「それにしてもそちらは任務中という様子ではないな?何をそんなに憂鬱そうにしている?」
シルフィーモンの問いに、ハックモンはしばらく黙っていたが、やがて大きなため息を吐いて切り出した。
「シルフィーモン…お前は、ホワイトデーというのを知ってるか?」
「ホワイトデー?」
首を傾げるシルフィーモン。
それを見てハックモンは沈んだ口調で続ける。
「現実世界、それもこの国独自の風習らしくてな…バレンタインにチョコレートなど貰うだろう?そのお返しをするそうなんだ」
「お返し、だと?」
「……なので、俺がお返しをしなくてはいけないんだ」
詳しく話を聞くと。
バレンタインデーの日、ハックモンはシスタモン姉妹から揃ってバレンタインのチョコを貰ったという。
その時、何やら意味深な笑みと共にノワールから直に口いっぱいに大きな大きなチョコレートをねじ込まれた。
『今度はあんたから500倍返しな♡』
「最初は何のことかわからなかったんだが、後でブランから聞いたんだ。ホワイトデーという習慣の事をな。そうなると、お返しをしなくちゃいけない。ブランはまだ良いが問題はノワールだ。あいつはちゃんと返さないと絶対に拗ねるからな…」
そうぼやきながらバックパックを背負い直す。
「そんなに律儀に返さなきゃならないのか?」
「他の奴ならともかく、ノワールとブランは俺にとっては師匠の後見人で、修行時代の頃から苦楽を共にした家族みたいなものだ。無碍にはできない」
そう話すハックモン。
そこで、シルフィーモンは思い出した。
先月の14日、そう、美玖からチョコレートを貰ったことを。
(……私も、美玖にお返しをしないといけないか?)
バレンタイン自体はデジタルワールドにも存在していた。
知らなかったわけではない。
でも、自身にはあまりにも縁がなかったのだ。
(それに…美玖との関係を周りに知られたくなかったしな…あの時は支給品を貰ってその場で消費という事で片付けてしまった)
「………よし、ハックモン。私も付き合うぞ」
「な、なに?」
「その代わり、私に付き合ってもらう。私もお返しを用意しなければいけない事を思い出したからな」
ーーー
「これよりもっとデカいチョコレートはないか?」
「ウーン、ちょっとないネー」
「これとセットはどうだ?」
「悪くないが…ちょっとあいつの趣味に合わないような…」
幾つものデパートをハシゴしながら、シルフィーモンとハックモンはホワイトデーの"お返し"を吟味した。
デジタルワールドにも様々な甘味はある。
シルフィーモンとしては、何かしらデジタルワールドからの甘味を一つ、美玖へのお返しにあげたい。
とはいえ、最高級のものはそうそう出回らないし、手持ちだけで足りそうにない。
(何か、何か良さそうなものは……)
そこで、目に映るものがあった。
「これは……」
まさに、滅多に出回るようなものではない。
生そのものではないが…贅沢品としては格安な部類だ。
(手持ちには……どうにか足りる)
なら、これにしよう。
そう思った時には、それを手に取っていた。
ーーー
安堵で緩んだ表情のハックモンと別れてから、運命の3月14日。
この日、探偵所は休日だ。
…渡すには、最高のタイミングを狙える。
「……美玖」
「なに?」
「ちょっと、こっちに来てくれないか?」
寝室に呼び出すと、シルフィーモンはそっと美玖の懐に包みを押しつけた。
「これ…?」
「……この前の、バレンタインのお返し」
そっと包みを開くと、今まで嗅いだ事のない良い香りが鼻腔をくすぐった。
「これは…ドライフルーツ?」
「カルポスヒューレのドライフルーツだ。滅多に出回るものじゃないが生の果実と同じくらい手に入って良かったよ」
「カルポスヒューレ?」
聞き慣れない名前だが果物の名前だろう。
「この間は…その、悪かった。恥ずかしくて感想が言えなかったんだよ」
バツが悪そうなシルフィーモンに、美玖はくすりと笑んで。
「ありがとうね、シルフィーモン。……その、あまり、お返しは無理しなくて良いからね」
「え?」
「ほんのちょっとのお返しでも良いの…こういうのは、気持ちも、大事だから」
一緒に食べたいから、紅茶、淹れてくるね。
そう言い、寝室を出る美玖。
シルフィーモンはしばらくベッドの上で腰掛け、考えていたが。
「……次の時は、もう少し、肩の力を抜いてみるか……」
そう思った。
*余話*
「なあ、今年のバレンタイン、珍しく姉ちゃんのチョコが来なかったよね」
「だねー、姉ちゃんのチョコレート美味しいけど、さすがにバレンタインのたびに貰うのはちょっと…って思ってた」
「でも、そうなると今年は姉ちゃん、誰にチョコレートあげたんだろう?」
「今度聞いてみる?」
そう話し合う兄弟の脇で、父・康平は……
(今年、美玖からのバレンタインチョコがないとは……もしや、美玖についに彼氏が…!!)
誰だ、一体。
今度お父さんに会わせなさいと言うべきか。
そんな父としての思念が影響したのかは知らないが、チョコを受け取った後でシルフィーモンが思わずくしゃみをしたのは事実な話。
今宵涙堪えて奏でる愛のserenadeな夏P(ナッピー)です。気付いたらホワイトデー余裕で過ぎていた。
最後の実家の家族達の描写にちょっと笑いましたが、バレンタインに続いて甘かったのでした。しかし繰り返しになりますが、その甘さすっ飛ばして以前「んほおおおおおお」まで行ってたんだよな……みたいなイメージが脳裏にこびりついているのは内緒。ミルクチョコレートな甘さを飛び越して君達既に……あとシルフィーモンしっかり次はという単語を口にしており我々歓喜。来年あるんだ……。
そして見逃せないのはジエs ハックモン。シスタモン姉妹に500倍返しを強請られてるのはヤバい。わざわざ名前言い直してる辺り、いずれ本編に出番あったりするんでしょうか。
そんなわけで、桑田佳祐ソングを流しながらの感想でした。