ここは、デジモンとの共存の道を拓きつつあるリアルワールド。
日本にある××県。
過去にとあるデジモンの暴走による大規模な地形崩壊を修復してできた、十字形の五つのブロックに分かれた土地。
そのうち十字の右側にあたるD地区では、今、エキゾチックな音楽を流しながら公園のど真ん中に非常に大きなテントが張られていた。
あまりの大きさに皆が振り返り、そしてそこで働く様々な鳥型デジモンを前にさらに驚くのだった。
「皆様、お初にお目にかかります。我らは名をガンダーラ舞踏団、鳥デジモンを中心に構成された舞踏団にございます」
テントの前で恭しく挨拶を述べているのは、ネイティブ・アメリカンの装飾をした鳥人型デジモン、ガルダモン。
「本日は団長のアプサラスが準備中の為、私(わたくし)、ガルダモンのジャターユが皆様方へ本舞踏団を代表しご挨拶させていただきます。開演に些か時間はかかりますれば、皆様方にお知らせいたします。我ら鳥デジモンによる舞踏の宴に危険はございません。どうぞ、開演の際には是非お越しくださいませ」
ーーー
「鳥デジモンが中心に演技をする舞踏団、か……」
チラシを見ながら、茶髪のポニーテールの女性は興味津々につぶやく。
ここは、五十嵐探偵所。
探偵の実績はまだまだ浅い女性探偵・五十嵐美玖は、今日も鳴らぬ電話を前にチラシを見ていた。
「開演は……一週間後ね。今のうちに予約したいな」
「何の話だ?」
そこへ歩いてきたのは、ゴーグルに顔半分を隠した、半人半鳥獣の異形めいた容姿のデジモン。
美玖の助手兼用心棒だ。
「シルフィーモン、これを見てください。新聞受けに入っていたものなんですが」
「どれ?………ガンダーラ舞踏団?」
チラシを渡され、シルフィーモンと呼ばれたデジモンはひと目見てすぐに返した。
「鳥デジモンだけで集められた舞踏団で、しかも団長もデジモンなんだそうですよ。それも珍しいことに、インド舞踊を演目としているんだとか」
「ふうん」
いかにも興味なさげに椅子へ腰掛けるシルフィーモン。
美玖はその様子に肩をすくめつつ、チラシを見つめた。
「………行きたいのか、君は」
「はい。…珍しくないですか?デジモンだけで、それも舞踏団なんて」
「それはそうだが…、構成員に人間が一人もいないことは怪しまないのか?」
シルフィーモンの言葉に思わず顔を上げる。
「デジモンばかり、それも人間がいない集まりなんてロクなものじゃない。それに団長が誰かも写真にないだろう?」
「普通は、そう載らないものだと思うのですが…」
「ともかく。行くにしても、何かあれば私は責任をとれない」
…要するに、行きたければ一人で行け、ということだろう。
残念に思いつつも、美玖はチケットの予約がすでに可能か見るために、パソコンのウェブサイトを開こうとした。
かたり
扉が開く気配。
女性の声が聞こえた。
「失礼致します。こちらで、探し物の請け負いをしても構いませんか?」
「え?あ、はい!どうぞ中へお入りください」
美玖の返事に応じ、中へ入ってきたのはデジモンだった。
が。
そのデジモンを見て、美玖は思わず目を瞬かせた。
それは、美玖がよく知るデジモンそのもの。
「し、シルフィーモンが、二人!?」
ーー
「これは失礼しました…!」
「いいえ、お気遣いなく」
数分後、客間の席に座りながら美玖は赤面を隠さず目の前の依頼人へ頭を下げた。
淹れたお茶を差し出しながらシルフィーモンは少し驚いたように言った。
「まさか、私以外のシルフィーモンと会うことがあろうとは…」
「それは、私も同じ考えで」
言いながらもう一体のシルフィーモンは同胞を見返した。
デジモンにも、個体数や進化までの過程によれば発見数の少ないものはいる。
シルフィーモンというデジモンは、見かけることのそうそうない部類だ。
「それでは、改めまして。……私の名前はアプサラス。今この町に開演を予定している、ガンダーラ舞踏団の団長を務めております」
「ガンダーラ舞踏団…!」
美玖が少し驚いたように目を見張る。
「実は開演を観に行こうと、先程予約をチェックしているところでした。デジモンだけのパフォーマンス団体というのはたいへん珍しかったので…」
「そのように申し上げていただけて此方も嬉しいです。是非いらして下さい。……こほん」
もう一体のシルフィーモン…女性的な声や仕草をしたアプサラスは、軽く口元に拳を当てて咳払い。
そんな仕草も女性的なお淑やかさがあり、自分の隣にいるシルフィーモンとまるで違う印象を美玖は抱いた。
シルフィーモンの方は、アプサラスと違い、声も仕草も男性的だ。
「探し物との事ですが、どんな物をお探しでしょうか?」
「今から20年以上前になるのですが、今からお話しする理由によりこの町で見失ってしまった品があります。それを、今回の開演前にどうしても見つけたい。…開演場所をこの地区に選んだ理由のひとつはそれです」
「それで何を……」
「私にとって、どうしてもなくてはならなかった物……デジヴァイスです」
アプサラスの返答に美玖はもちろんだがシルフィーモンの顔色が変わった。
「デジヴァイス!?…まさか、お前は」
「お察しの通り、私は元選ばれし子どものパートナーデジモン。パートナーでした先代団長は…すでにこの世を去りました」
ーーー
アプサラスがそのパートナー、三宅圭太郎と出会うまでかなりの時間を要した。
当時成長期だった彼女は、わずかな繋がりを頼りに必死に探し回った。
デジタルポイントを通じて、リアルワールドへ彷徨い出て、たったひとりで。
この頃はまだ人間世界でのデジモンへの認知度が低く、多くの人間の目にデジモンの姿が触れればひと騒動になりかねない有様だった。
悲鳴をあげられ、物を投げられ、野良猫や野良犬に追い回されてなおアプサラスは探し続けた。
自分にとって、かけがえのない、たった一人のパートナーの子どもを。
「圭太郎が見つからないまま、気づけば10年の月日が経ち、私はシルフィーモンに進化していました。姿が変わっても、きっと圭太郎を見つける、その一心で」
しかし、小柄だった成長期、成熟期と異なり、シルフィーモンほどのサイズとなれば身を隠す手段はかなり限定される。
彼女の姿を見るといかがわしいコスプレくらいに思う者がほとんどだったが、勘付きの良い者からはすぐ怪物扱いされた。
道中、人助けをしてなお、そのように態度による仇で返されることも少なくなかったと彼女はうつむく。
「……それは、とても辛いことだったでしょうに」
「そうでしょうね。ですが、私達選ばれし子どものパートナーデジモンにとって、パートナーと巡り会う事こそ使命。辛くなかったと言えば、嘘にはなりますが」
そしてアプサラスが運命のパートナーを見つけた時。
彼は、車椅子に乗った、何処にでもいるごく普通の青年だった。
繋がりを強く感じ、やっと見つけたと喜ぶも束の間。
圭太郎が通っていた工事現場に騒ぎがあったと思うと、彼の頭上から鉄骨が落下した。
『トップガン』を放ったのは、反射的なものだった。
「パートナーを守るために必殺技を使ったのは、後にも先にも、あの一瞬だけでした」
パートナーが無事である事を確かめた彼女を待っていたのは、自身を熱意と好奇心で見つめる彼の顔だった。
「信じられないことですが、圭太郎は私が必殺技を放つ時の仕草を、もう一度見せてほしいと言ってきたのです」
流石に何もない場所に放つわけにはいかず、そもそも場所が悪い。
彼の自宅へと同行し、そこで見せることになった。
「彼が投げた空き缶を、必殺技で撃ち落としたのです。そうしたら…」
圭太郎は、アプサラスの手を取って言ったのだ。
『今の動きのしなやかさ、優雅さ、本当に美しい…!君は僕のパートナーだと言っていたが、こんな偶然もあるのか!』
圭太郎は学生時代にダンサーを志していた。
小学の頃からすでに生まれきっての才能があり、誰もが彼の背中を押していた中で。
高校生の時に交通事故に遭い、半身不随に。
ダンサーとしての道を閉ざされる事になる。
『どうか、頼みがあるんだ。僕には夢がある。君にどうか、僕の足の代わりになってくれないだろうか?』
圭太郎は大学生になってまもなく、インドの舞踊に魅了されていた。
インド舞踊には大まかに分けて4つの種類があるのだが、そのどれもが持つ、手を使った感情表現や音楽との調和、バリエーション豊富な情感の表現…。
そういったものに圭太郎は魅せられ、インド舞踊の魅力を広めたいと思うようになった。
しかし、リハビリを重ねてなお下半身のまともに動かぬ状態、ダンサーである道を閉ざされた身。
諦めようにも諦めきれず、その思いに煩う日々を過ごしていた時に。
アプサラス、否、シルフィーモンの放つ『トップガン』の挙動に見る眼を奪われた。
「まさか、初めてでした。戦い以外の道で、パートナーの力になるなど思いもしなかったのです」
アプサラスという名は、彼がつけてくれた。
インド神話に伝わる、踊りを得意とする天女のような存在だ。
「そこから、鳥デジモン達による舞踏団を?」
「ええ。まさかとは思いましたが、彼は、人間にできてデジモンにできないことは決してないはずだ、と。それに、鳥デジモン達を見て、圭太郎はインスピレーションを膨らませたいとも言っていました」
「それで」
シルフィーモンは尋ねた。
「今回探してほしいというデジヴァイスについてだが」
「そうでしたね。出会った時に、彼に尋ねたのです。普通、選ばれし子どもならデジヴァイスを所持しているのに、なぜか彼は肌身に持っていなかったので…そうしたら…」
15年も前に両親に没収されて以来、そのまま。
そう答えられて、愕然とした。
「ご両親に…?」
「ええ、圭太郎がデジヴァイスを見つけたのは、中学校に入学したばかりの頃なのですが両親からは誰からの物ともわからない玩具を持つなと取り上げられてしまったそうで」
圭太郎の両親は厳しく、テレビゲームや友達の家へ遊びに行くことさえ禁じていた。
誕生日やクリスマスのプレゼントでさえ、幼稚園の頃から実用的な物しか貰えなかったそうだ。
そんな両親からしたら、圭太郎の手にある物がいかに彼にとって大事だろうとあってはならない物なのである。
「そうなると、捨てられた可能性もあるのでは…」
「そうでしょうね。ですが、実はまだこの身体に感じているのです。パートナーが死してなお、デジヴァイスの気配を」
それは、たった今もこのD地区にいてより強く感じている。
できることならば自身で探しに行きたいが、開演準備や最終的なショーの仕上げ、さらにはアプサラス自身によるソロダンスの練習と団長としてやるべき事が山積みだ。
「そこで、この地区に住むデジモンから、この探偵所の事を教えていただきました。どうか、私の代わりにお探し願えませんか?」
ーーーー
「アプサラスさんから教えていただいた、圭太郎さんが子どもの頃住んでいたマンションはここですね」
地図とメモを頼りに美玖達がやってきたのは、とある10階建て賃貸マンションの前。
当時は真っ白だったはずのビルも、今では黄ばんだみずぼらしいものになっている。
マンションの大家と不動産屋へ連絡をとったところ、今は別の人間が暮らしているそうだ。
「念押しで大家さんにデジヴァイスについて伺ってみたけれど、収穫はなかったようですね…」
「こうなると望みは薄そうだな」
「ですが…ダメ元でいきましょう」
インターホンを押すと出てきたのは、70歳ほどの男性。
彼に用件を説明し、デジヴァイスの写真を見せて尋ねてみた。
「どれどれ………ああ、これは、見た事ありますね」
「いつ頃に、家から見つかったのでしょうか?」
「9年前くらいに家内とここへ引っ越して、荷物の整理をしていた時でしたか。家内が押し入れの奥に何かあると騒いでみたら、小さな箱があってその中に入っていたんです」
現在の家主夫婦も、デジヴァイスというモノについて知らず、前の家主が集めていた何かの玩具の類だろうくらいにしか思わなかった。
「それで、どうしましたか?」
「処分に困っていたところ、リサイクルショップがありまして家内からの提案で売りました」
「この地区のですか?」
「ええ」
美玖はシルフィーモンと顔を見合わせた。
D地区でリサイクルショップなら一点だけ存在する。
「そこへ行こう」
D地区には今の所新しくリサイクルショップやジャンクショップといったものは建っていない。
こじんまりとしたリサイクルショップの中は所狭しと商品たる物が置かれていて、シルフィーモンくらいの大きさでは通るのもやっとだ。
店員を見つけて、早速デジヴァイスの写真を見せる。
「すみません、こちらのお店に、この写真に似た機械を扱っていますでしょうか?」
「これは………少々お待ち下さい、店長をお呼びします」
1分ほどして、白髪の男性がやってくる。
60歳ほどだろうが、若々しい印象があった。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
「お尋ねしたいことがあって…この写真のものと同じ機械を探しています。9年前ほどに、あるご夫婦がこれを売りに来られたというお話を伺って来たのですが…」
「どれどれ……」
写真を見せられた店主の顔色が変わる。
「ああ……これ、ですか。確かに、お引き取りした事がございます」
「その機械は、今もこちらにありますか?」
「ええ、……しかし、どうしてこれをお求めに?」
訝しげになる店主に、美玖は依頼の一件を明かす。
「そう、でしたか……」
店長は、しばしお待ちを、と言うと奥へ消え。
しばらくして小さな古びた紙箱を手に戻ってきた。
「河野さん、しばし留守番をお願いします」
「はい」
リサイクルショップの店長は、大事そうに紙箱を抱えながら美玖達に頭を下げた。
「そのデジモンの元へ案内していただけますかな?」
……
道中明かしてくれた話によれば、店長の孫がまさに選ばれし子どもだったそうで、デジヴァイスとパートナーデジモンを見せてもらった事があるという。
その時、孫からデジヴァイスというのはとても大事な物だと知り、そこでその事を知るより少し前に老夫婦が売ってきた玩具の事を思い出した。
「なぜ取り上げられていたのかと思えば…合点がいきます。子どもを思いすぎた親ほど、子どものことが見えなくなるのはよくある事ですから」
ガンダーラのテントまでやってくると、ジャターユと名乗ったガルダモンが他の鳥デジモンとちょうど何かの取り込みの最中。
ジャターユの言葉を受けて鳥デジモン達が早足でテントの中へ入るところを見計らい、美玖達は話しかけた。
「おや、これは、アプサラス団長からお聞きした探偵所の方々。どうされましたか?」
「初めまして。お探しになっていた例の物についてアプサラスさんにお話したい事があるのですが、お時間の方は大丈夫でしょうか?」
「少々、お待ちを」
ジャターユがテントへ入って行く。
5分ほどして、一体のピヨモンが出てきて手招いた。
「アプサラス団長がお呼びです」
テントの控え室に通されると、アプサラスはテーブルに座り待っていた。
「あなたが、デジヴァイスをお探しのデジモンですか」
リサイクルショップの店長が尋ねるとアプサラスはうなずく。
「どうぞ、おかけになってください」
「どうもすみません、多忙の時に…」
「いいえ、今ジャターユを代わりに当たらせましたのでご心配なさらず」
店長は、紙箱をそっと開けた。
「どうぞ、お確かめください」
「…………っ!」
紙箱から丁寧に取り出されたデジヴァイスを見て、アプサラスは身体を震わせた。
美玖も実物のデジヴァイスを目にするのはこれが初めてだ。
「……触れても、良いでしょうか?」
「ええ」
店長からの許可に、アプサラスはデジヴァイスを手に取った。
次の瞬間。
「あ…!」
美玖が声をあげる。
アプサラスが触れた瞬間、デジヴァイスの液晶部分がパッと光った。
「これは……」
店長が目を見張る。
引き取った時、どこをどう触れても稼働したようには思えなかったのに。
デジヴァイスから放たれた光に共鳴するように、アプサラスの全身がうっすらと光を内側から帯びる。
「シルフィーモン、これ…」
「ああ。……間違いなく、圭太郎のデジヴァイスだ」
まもなくその液晶は、光を止め、再び沈黙に返った。
遅れて、アプサラスの全身の輝きも止まった。
「消えた…?」
「おそらく、持ち主である圭太郎とのリンクが途切れたままだったからだろうな。……だから、猶予がなくなる前に、探しておきたかった」
シルフィーモンが言いながらアプサラスを見た。
アプサラスも、その言葉の意図を理解してうつむく。
「猶予って?」
「パートナーデジモンは、パートナーが死ねば緩やかに消滅する運命を辿る」
「!!」
「今回の公演が、お前にとって最後になる。そうなんだろ?」
「………はい」
ーーー
脳梗塞でした。
彼女はそう話し始めた。
「圭太郎は、長いこと、不自由な身体にありながらダンスに生涯をかけてきました」
そのため妻子はおらず、アプサラスだけがずっと圭太郎の傍らに居続けた。
炊事や洗濯、排泄に入浴…そうした下半身不随の身ではままならぬものは、なにもかもアプサラスが甲斐甲斐しく手伝い、こなした。
本来ならシルフィーモンというデジモンに備わった強靭な身体能力は圭太郎を介護するために使われた。
戦いではなく、パートナーの生活を支えるためだけのあり方。
圭太郎によるダンスのレッスンと両立した生活は、アプサラスにとっては大変なれど楽しくもあった。
そんな生活のなか、圭太郎が一度だけ、激怒したことがある。
『なぜだ、彼女の技量は認めてくれたのに…なんでだよ!!』
圭太郎はアプサラスのダンサーとしての見てもらうため、いくつもの会社へのパフォーマンスのオーディションに参加させた。
しかし。
『デジモンだから?デジモンだから駄目とはどういうことなんだ?こんなの間違ってる!デジモンならデジモンだからこそできることだってあるのに!』
『……圭太郎』
審査員達はアプサラスの技量に感服するも、デジモンであることを理由に不採用の結果を連絡してきたのだ。
デジモンが一部の職を得るにフリーランスとならざるを得ないのは、未だにデジモンという種を相手にどこまで人間と同じ枠組で扱えば良いのか迷っている業界ごとの背景ゆえだろうが。
デジモンがダンサーになるには今だに、フリーランスか団体への所属がなければ難しい。
「圭太郎は、それを受けて決意したのです。デジモンが活躍できる舞踏団を作ろうと。副団長を任せているジャターユは、その過程で私達に同意し手伝ってくださっているデジモンの一人です。彼の名前も、圭太郎が感謝の意を込めてつけたものでした」
評価を順調に得て、団員が増え、少しずつできることが増えてきた矢先だった。
圭太郎が倒れたのは。
救急車を呼ぶも、搬送された先でアプサラス達を待っていたのは不幸な知らせ。
享年31歳。
あまりにも若く、アプサラスにとっても唐突すぎたパートナーとの別れだった。
「それで、この舞踏団はデジモンだけになったんだな」
「幸い支援をしてくださる方はいましたが、肝心の団員に加わってくださる方は一人も…それで、私が団長を務め、まとめあげてきました」
けれど、それも長くは続かない。
どれだけ最期が近づいているか、この身体がわかっている。
そんなとき、彼のデジヴァイスのことを思い出した。
「私は彼のデジヴァイスを見ずに、ここまできました。ですから、消えてしまう前に彼との繋がりをもう一度感じておきたかった…」
「そうでしたか」
店長は何度もうなずき、そして空の紙箱を抱いた。
「アプサラスさん、デジヴァイスをあなたにお返しします。商品にせずに預かり続けて安心しました」
「どうもありがとうございます。圭太郎の証を守ってくださって、感謝の言葉もありません。…あなた方に依頼して本当に良かった」
それでは、とアプサラスは部屋を出た。
美玖はシルフィーモンの方を向いて小声で話す。
「アプサラスさん、良かったですね」
「そうだな。あの様子からして、猶予そのものはもうあまりない。…パートナーというのも不便なものだな」
アプサラスが戻り、報酬金の入った封筒と、数枚ほどの紙のような物を持ってきた。
「こちらは依頼の報酬金です、どうかお納め下さい」
「お受け取りしますね。……そちらは?」
「個人的な御礼ですが…」
アプサラスは言いながら、美玖に封筒とともに二枚、店長に一枚それを渡す。
「そちらのリサイクルショップの店長様にも、良ければ公演を見に来ていただけたら幸いです」
「えっ…!?」
それがチケットであると知って美玖は思わず声をあげた。
「い、良いんですか!?」
「はい。ジャターユにも話は通しておきます。こんなにも早く探していただけた恩を、こういう形でしかお返しできませんが…」
アプサラスは憑き物の取れたような晴れやかな表情で笑む。
「おかげで、圭太郎のパートナーとしても胸の張れるパフォーマンスができます。どうか、楽しみにしていて下さいね」
…………
今、思えば。
あの時からもう彼女は消えかかっていたのだと思う。
彼女がチケットを美玖に手渡した時、その指先が一瞬だけノイズがかったように見えた。
…見に行く気は、なかったんだがな…。
ーーーー
公演初日。
テントを訪れた客の数は、集客としてはまずまずといったところだろうか。
緊張と期待に胸を膨らませながら、美玖は隣のシルフィーモンを見た。
「見に行かないんじゃなかったんですか?」
「いや、同じシルフィーモンのよしみだ。それに、二人分もチケットを寄越されたらさすがに来ないわけにいかない」
団長から直接手渡されたチケットは感謝の証。
とてもではないが、気軽に他人に譲渡できるはずもない。
面倒そうなシルフィーモンのため息をよそに、美玖は受付中のピヨモン達にチケットを見せる。
「あ!団長がお招きした方々ですね!お席はすでに用意してありますので、前の方へお願いします」
チケットを見せられたピヨモンの声に、テントから現れたフクロウのような見た目のファルコモンが一体現れた。
「こちらです」
中は非常に広く、ステージを囲むように前へ行くほど狭まっていく形になっている。
その最前席に美玖達は座ることになった。
「おや…」
「リサイクルショップの店長さん!」
互いに挨拶を交わし合う。
「私もインド舞踊というものは初めてでね」
店長は恥ずかしげに頭を掻いた。
ステージを見れば、楽器が置かれ、それを何体かのピヨモン達が調整をしているのが見える。
公演の演目はオープニングセレモニーとエンディングセレモニーの他で三つ。
一つ目はマニプリと呼ばれる、本来なら複数人の女性で踊るものでゆったりとした動きが特徴の舞踊。
二つ目はカタカリと呼ばれる、本来は男性が踊る舞踊劇。台詞のない歌舞伎のようなものといえばわかりやすいか。
三つ目が、アプサラス団長によるバラタナティヤムという女性によるソロダンスで、演目名は『ヴァーユ神に捧ぐ』。
これらを、全てデジモン達が踊るのだ。
………
ーーなあ、アプサラス。
ーーなんですか?圭太郎。
ーー…ここ最近、頭に時々浮かんでしまうことがあるんだ。もし、今の僕の足が、こうじゃなかったら…
ーーこうで、なかったら?
ーーきっと君と一緒に踊る、そんな事ができたんじゃないかって。
ーーきっと、できますよ、いつか。……きっと。
………
オープニングセレモニーはクチプディと呼ばれるインドの田舎発展の古典舞踏。
踊るのはピヨモン、ホークモン、ファルコモンといった成長期の鳥型デジモン5体。
色鮮やかな衣装と鈴のついた足輪を身に着け、緩やかな曲調で奏でられ始めた音楽とともにステージに歩み出る。
成長期ということで、客席はお遊戯会を見るようなほのぼのとした雰囲気になるも束の間。
音楽、間に入る歌声、踊り手たる5体の動きとテンポにたちまち引き込まれた。
ひと通りの踊りが終わり、センターを務めるホークモンが一礼をする。
「皆さん、この度は当舞踏団へお越し下さり、誠にありがとうございます。是非とも最後までショーをお楽しみください!」
次いだ演目・マニプリでは、スワンモンとバードラモン。
鈴の音と舞うたびに、スワンモンからは白い羽毛を思わせる霜が、バードラモンからは火の粉を思わせる光が散る。
曲と伸びやかな歌声に合わせた赤と白の共演に誰もがため息をついた。
次の演目はカタカリ。
この演目ではジャターユを主演にカラス天狗を思わせる容姿のカラテンモン、一体の大きなニワトリにも似たコカトリモンが演じる。
ジャターユ達の目が充血していることに美玖は驚いた。
演目の内容は『ラーマーヤナ』より、王子一行へ一人の羅刹女がそそのかしに現れる一場面。
舞でありながら、芝居を観ているかのような心地。
羅刹女を演じるコカトリモンも主役に負けず劣らずの演技と舞を演じる。
(これは……)
迫力と雅さ、それらが同居した様にシルフィーモンは目を見張った。
(彼女のパートナーが言っていた、デジモンならではの可能性とは、これなのか)
自身が踊るという夢を閉ざされたからこそなのか。
彼らの演技力が高いがゆえなのか。
拍手に意識を引き戻された時には、ジャターユ達は舞台から戻っていた。
………
もうじきだ。
傍らに置いたデジヴァイスに、何度手を触れただろう。
脚に付けた鈴の音を鳴らしながら立ち上がる。
「…圭太郎、行きましょう」
戦うことはなかったけれど。
これといった大義を負うことはなかったけれど。
これこそが、自分の"闘い"であることを示せるのなら。
………
休憩時間の終わりと共に、ステージに軽やかな笛の音が始まりを告げた。
ステージの端から、色鮮やかな衣裳に煌びやかな装身具を身に付けてアプサラスが現れる。
足輪の鈴を数度鳴らし、力強い脚が軽やかなステップを踏む。
歌声と打楽器による囃子が入り、観客はたちまち魅入られることになった。
曲に合わせ、様々な手つきを見せつつ、時にゆったりと時に激しいステップを踏む。
本来ならば目による表現もこのインド舞踏には欠かせないものなのだが、ゴーグルで覆われているはずの向こうの目も表現を表しているかのように美玖は錯覚した。
インド舞踏の事はよくわからないながらも、アプサラスの多種多様な手の動き、柔軟な全体の動き、重さを感じさせないステップにはしなやかな美があった。
まるで人の形をした風が舞っているかのような。
(……凄い)
感想をどうにか形容しようと精一杯の言葉を探した結果の答え。
でも、それでも終わったら必ず伝えに行こう。
そう思い、終わる最後まで、美玖は一挙一動を観ていた。
脳へ叩きつけ、刻み込むために。
ーーーー
拍手喝采と共に、賑やかなボリウッドダンスが始まった。
ステージの上で踊り終えたアプサラスを囲むように、ドッと鳥型デジモン達がステージに現れたのはまさに圧巻のひと言だった。
観客達も面食らいながら、最後を締めくくるに相応しい賑やかな大団円に拍手から手拍子に変わる。
観ていて、楽しい。
そんな感想をもたらしながら、初日のインド舞踏ショーはひとまずの閉幕となった。
ーーーー
「……凄かったですね……、皆のダンス」
帰ってきて未だ興奮からの脱力が抜けず。
深く息を吐きながら言う美玖に、シルフィーモンは答えずデスクワークに移った。
「シルフィーモン?」
「私が君の分もやるから、今日は休んでいろ」
「もう、シルフィーモンもあれを観て凄かったとか、良かったとかないんですか?」
「特に、な」
「ええ……っ?」
作業に入りながら、シルフィーモンは目を閉じた。
踊っていたアプサラスの、ノイズが増えていたのを思い出しながらだ。
だからこそ。
(君の踊りは…素晴らしかったよ、同類(アプサラス))
あの踊りには全身全霊、心が込められていたのを感じた。
だからこそ、魅せられた。
ああ、けれど。
(やはり、パートナーというものを持ったデジモンというのは、面倒だな)
そう心の中で、彼はぼやいた。
ーーーーー
ショーの最終日の夜。
いつものように探偵所としてのオフィスワークを終えた先で、ドアを叩く音。
「すみません、すでに業務終了時間なのですが…」
美玖が言いながら出ると、ジャターユが立っていた。
「こんばんは、探偵所の方。…アプサラス団長が、お呼びです」
「え?」
「依頼の件ではなく…ついに、消滅を始めたのです」
「!!」
赤く目を腫らしたジャターユの全身からは強烈なスパイスの香りが漂った。
「急きょ、来ていただきたいと団長が」
「…わかりました!」
ーーーー
ジャターユに案内され、美玖とシルフィーモンが小さな下宿屋に向かう。
そこで見たアプサラスの全身は、幽霊のような半透明の状態で、ノイズが激しくかかっていた。
「ああ……っ」
「こんな時間に、すみません。よく来てくださいました」
愕然とする美玖を前に、穏やかな面持ちでアプサラスは笑んだ。
まるで、これから自分がなくなってしまう事を恐れてはいないかのように。
「初日に来ていただきありがとうございました。……いかがでしたか、私の舞は?」
「言葉でなんて表せれば良いのかわからないくらい、凄くて、綺麗でした」
大雑把、といっていいくらい拙い感想だったが、アプサラスは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとうございます。圭太郎が満足するかはわかりませんが…最後まで、踊れた事が本当に良かったです」
「あの踊りには、心がこもっていた。それに魅せられるものを覚えたよ、アプサラス」
「まあ」
シルフィーモンからの言葉にアプサラスは少し驚いたような反応。
「同族からそう言ってもらえるとはその、思わず」
「お前のパートナーも、そんな踊りを踊ったお前を誇らしく思ってるんじゃないかな」
ジジッ……ジッ……
ノイズがより強く、そしてアプサラスの身体の透明化がより著しくなっていく。
ジャターユはアプサラスの肩に手を置こうとしたが、すり抜けた。
「…ジャターユ、後をお願いしても良いですか」
「団長…」
「次期団長は、貴方に。どうか、ガンダーラ舞踏団をより良いものにしてあげて下さいな」
私と圭太郎の分も。
そう言った時、アプサラスの脚から上へとデータの分解が始まった。
デジモンの死。
それを理解した美玖の目から涙が溢れる。
「アプサラスさん…!」
「……美玖さん、並びに同じシルフィーモン。デジヴァイスを探して下さって、本当にありがとうございました。……本当に、ありがとう……」
ーーーーピキィィィーーーン……
データの粒子が上昇し、アプサラスの姿は砕け散った。
初めて目にしたデジモンの死に、美玖は泣きながら両手を合わせた。
「団長…ぐすっ…」
「アプサラス団長ー!」
ジャターユの他に、その場に居合わせていた数体の鳥デジモン達もすすり泣きながらくず折れる。
しばらく、その夜は、哀悼の泣き声に満たされた。
ーーーー
遅い就寝の夜、美玖は夢を見た。
暖かな春のような風、鼻をくすぐる花の香り。
そして、どこからか音楽が聞こえてきた。
(この、曲は…)
インド舞踏のエキゾチックな旋律に、美玖は目を開ける。
そこは、何の種かわからない、色とりどりな美しい花が咲き乱れる場所だった。
その中で。
アプサラスと、一人の男性が踊っているのが見えた。
何処にでもいるような、ごく普通の男性。
その男性の腰に付けられたデジヴァイスに見覚えがある。
(……アプサラスさんのパートナーの、圭太郎さん…!)
楽しげに、踊りを交わす一体と一人。
それを見て、もう収まったと思っていた涙がまた溢れ出す。
彼らは、再び会えて、共に踊れているのだ。
花の香りと花弁が乱舞し、その中を楽しく幸せに踊る姿に美玖は。
夢から覚めるまで、いつまでも見守ったのだった。
いつまでも、いつまでも。
……後に。
新たに団長を迎えたガンダーラ舞踏団は、着々と評価を得てやがて、人間の団員を迎えるようにもなる。
「またいずれ、この地区で演じる日が来るかもしれませぬ。その時は何卒宜しくお願いしますね」
下宿屋を去る前にそう言ったジャターユの言葉も、近いうち現実になるだろう。
その言葉にうなずき、美玖は今も、彼らのテントを待ち続けている。
また、あのひと時を体感するために。
こんにちはこんばんは。
まず、この番外編について是非とも説明させてください。
この話は、本来へりこにあんさんのお彼岸企画に投稿する第二作目の予定でした。
しかし、予想以上に長引きまくって間に合わなかったことに加え、お彼岸というよりもインド要素が強すぎてしまいへりこにあんさん的にお彼岸要素とはならないのでは…という事から断念した次第。
今ようやく、書き上げました。
さて、お彼岸要素に関して。
まず、シルフィーモンをお彼岸と結びつけることに難産しました。
そこで無理矢理見つけた要素として、インド神話にはガンダルヴァという天上の楽曲を担う種族が居りその外見特徴が上半身が人間で鳥の翼と下半身を持っています。
シルフィーモンも、このガンダルヴァとおおよそな外見特徴が似通っています。
ガンダルヴァは仏教において乾闥婆という仏法を守護する天龍八部衆の一つに数えられてもいるのです。
さらに、シルフィーモンは風の精霊、シルフを元ネタとしていますがインド神話には風の神ヴァーユがおり、このヴァーユは仏教においては方角の守護神とされています。
某FGOで聞いた方も多いと思います。
これを以って、シルフィーモンはお彼岸らしいデジモンなのです!!!
……と書きたかったのですが、こじつけもそこそこにそれでは弱いかなーというわけでガルダモンにもご登場願いました。
ガルダモンといえば元ネタはもちろんガルーダですが、ガルーダといえば仏教においては迦楼羅の事ですね。
ついで言うと、この話のガルダモンに付けられたジャターユという名前は、『ラーマーヤナ』に登場する鳥の王たる禿鷹の事で一説にはガルーダの子と言われていたりします。
とまあ、あれこれ苦心しまくり、インド舞踏の描写もさんざか苦労しまくりました。
踊りの描写はマジで死にました(マグロ目
かなり詰め込みすぎた感の強い番外編でしたが、これでようやくユキさんのデジモン化企画に手が出せるというもの。
長々とですが、失礼しましたー!!(脱兎
PS:忘れていたので追記。
この話の時間系列は第3話と第4話の間となります。