それは昼下がりのこと。
シルフィーモンの反射神経が加速する。
「はああっ!」
裂帛の気合いと共に彼に向けて繰り出された蹴り。
咄嗟に腕をクロスさせガードの態勢を取る。
速く、鋭く、重く、蹴りの衝撃が腕を通して全身に伝った。
(この一撃は…!)
次に来る蹴りを予測し、シルフィーモンは素早くこちらも蹴りで払うように対応した。
ガッ!
払った脚を素早く戻し、距離を取る。
ーーシルフィーモンというデジモンは対空戦に特化した能力を持っている。
ゴーグルによる動体視力向上の補助を受けて放つ百発百中の『トップガン』、飛行中に多用する事が多い衝撃波『デュアルソニック』。
対して陸上、特に近接戦においては、拳や平手を用いた殴打、高い脚力を活かしたキックが主流となる。
ただ、それゆえに。
相手によっては劣勢に陥れられることも多いのも事実である。
シルフィーモンの完全体としてのスペックは決して弱くはないが、非常に強力なデジモンというわけでもない。
特に近接戦での接戦ならば、身体能力だけを頼りにしているのが災いして、洗練された武術(マーシャルアーツ)の遣い手が相手であれば不利に追い詰められること必至だ。
今相手にしているデジモンは、まさにそのような手合いだった。
楽しげに相手の口角が吊り上がる。
「まだお相手できるかい?」
「そうだな」
応えながらシルフィーモンは構え直す。
距離としては5mほど。
十分に近い位置だ。
相手方の足が探偵所のフロアの床を蹴る。
シルフィーモンの足も同一のタイミングで踏み込みーーー
ガチャッ!
「しるふぃーもん、ただいまー!」
「良いジャガイモと人参あったから、今日の晩御飯はカレーよ!……っ!?」
激しくぶつかり合うシルフィーモンと見知らぬデジモン。
帰宅してきた一人と一体がそこで固まった。
「シルフィーモン!?」
探偵所内、受付前でシルフィーモンとせめぎ合うデジモンを見る。
相手のデジモンの身長は3mほど。
シルフィーモンを若干上回る人型と思しき体型だ。
雷と東洋の意匠が見られる装束と手足首に巻かれたバンテージ、両手には指抜きのグローブを装着している。
美玖は、シルフィーモンの援護のためそのデジモンへ指輪型デバイスを向けた。
「待て!」
シルフィーモンが止める。
「美玖!彼は依頼人だ!」
「……え?」
こちら、五十嵐電脳探偵所 #9 まっくら火急大急ぎ
『バウトモン。完全体、獣人型、ワクチン種。空手などの格闘競技のデータから進化したデジモン。あらゆる格闘技のルールがラーニングされており、相手が望む試合形式で戦うことを重んじる礼儀正しいスポーツマンだ。……』
場所は移って客室。
デバイスによる解説に目を通し、美玖は目前の客に尋ねた。
「いちからお尋ねさせていただいても良いですか」
「おう、センセイ」
「なぜ、先程シルフィーモンと戦っていたんです?」
美玖の問いに目の前のデジモン・バウトモンは返答に困ったように苦笑い。
「あれはだな…」
「美玖達が買い物に行ってあまり経ってないうちに彼がやって来てな。帰ってくるまでの時間潰しをしていた」
「時間」
「つぶし?」
美玖とラブラモンが同時に口を開いた。
「センセイが戻ってくるまでしばらく待つって事でよ。そこの助手さんが中々腕が立つってことで組み手の相手をしてもらってたってわけだ」
バウトモンは言いながらシルフィーモンの肩に手を置いた。
「アンタ、良い腕だったぜ!また今度付き合ってくれな」
ひとまず話を戻して。
依頼は人探し、のようなものである。
「ようなもの?」
「場所は知ってるんだが、リアルワールド(ここ)へ来てから連絡が全然取れなくてよ。人間の知り合いもいねえし、どうしたもんかなと思ったらデジモンの悩みを解決してくれるかもというこの探偵所を紹介してもらったんだぜ」
バウトモンが訪ねようとしていた相手の名前はトゥルイエモン。
まだ未完成の域だがオリジナルの武術を持つデジモンで、バウトモンとは格闘技愛好の繋がりから友好を深めていた仲だという。
そのトゥルイエモンは現在、リアルワールドへ渡って東京まで移住しており、バウトモンも、それを追ってデジタルワールドからやってきたが…。
「やってきてから連絡したんだが、全然出ないんだ。回線はちゃんとリアルワールドに対応するよう設定もしてあるはずなのにな」
「今も連絡は取れない状態なんですよね?」
「ああ、掛けてみるぜ」
バウトモンが端末を取り出し、番号を入力。
端末が通信中になり、受信音が鳴り響く。
…5分後。
「……通信中のまま、ですね……」
「何か心当たりはないのか?」
「俺もよくわからない。少なくとも、あいつにリアルワールド(ここ)へ行くと伝えた時にはちゃんと話もできた」
美玖が自身の携帯電話を取り出した。
「念のため、私の携帯からも掛けさせてもらって構いませんか?」
「すまんな」
バウトモンからトゥルイエモンの端末の番号を教えてもらい、美玖が携帯電話から端末に向けて掛けてみる。
PRRRRRR………
PRRRRRRRRRRRRR……
5分後…
「……出る気配がない、ですね」
端末の画面に連絡相手の通知が出るため、他の誰かがかけてきたなら気づくはず。
「何か事態に巻き込まれた…?」
美玖が怪訝な面持ちで考え込む。
「東京、と言っていましたね。詳しく、どこにご在住かわかりませんか?」
「確か……リョウゴク?とかいう場所の地下鉄にいるって話だったぜ」
バウトモンの答えに美玖とシルフィーモンは顔を見合わす。
「リョウゴク?」
「…多分、両国だわ。相撲とか国技館で有名な場所よ」
バウトモンは身を乗り出した。
シルフィーモンと比べてもわかるほど隆々たる体が前のめりになる。
「探偵のセンセイ。どうか、アンタを頼らせてほしい」
「わかりました」
一人と一体は頷いた。
しかし。
(東京、か…田舎者かって、言われないかしら…?)
そう、別のベクトルで不安になる美玖だった。
ーーーその翌日の昼。
高速道路を走り抜け、白い獣の影はデジモン用の国道へと出ていった。
人間が騎乗した場合に限り、四つ足歩行のデジモンや一部の乗り物系デジモンは軽自動車と同じように扱われる。
また、選ばれし子どもに限られるが、審査を経て通学・通勤にパートナーデジモンにのみ騎乗や運送が許されている。
なお、緊急時を除き、一般人が移動を目的で乗り物系ではないデジモンに騎乗する場合には免許が必要だ。
運転免許証取得の際希望があれば、その場でも後でも審査を経ての取得が可能である。
美玖も、グルルモンを迎えた関係で、市への申請と共に免許を取得している。
「…今、埼玉の上辺り…緊張する…」
グルルモンの背の上で現在位置を確認しながら、美玖は早る胸を抑えきれずにいた。
なにせ、彼女にとってこれが初めての東京である。
「大丈夫か、探偵のセンセイ?めちゃくちゃ心臓が動いてんぞ?」
「ハッ!?い、いえ、大丈夫です!なぜドキドキしてるのがわかったのかと思いますが…!!」
一番手前でグルルモンにまたがっているバウトモンに聞かれ、美玖はつい口早で答えた。
「ああ、俺のような運動系データ由来のデジモンはどういうわけか、人間の心臓とか脈拍とかに敏感なんだよ。全部がってわけじゃないが」
「せんせい、しんぞうばっくんばっくん!」
「ちょ、ラブラモンまで…」
ぎゅっと背中に耳を押し付けるラブラモンに美玖が困っていると。
「ハシャグノハ構ワナイガ、落チルナヨ」
走りながらグルルモンがため息まじりに言った。
「ねー、ねー、せんせい」
「ん?」
「いまね、とおりすぎてったあのたてものみたいなのはなーにー?」
ラブラモンが前脚で指すものはすぐ遠ざかる。
指差していたものはガソリンスタンドだ。
バウトモンもチラリとそちらを見ていた。
「確か、人間の乗り物の燃料を補給する場所じゃなかったか?」
「ガソリンスタンドですね。人間が乗る自動車用の燃料を補給するためのお店です」
「なんで、がそりんっていうの?」
ラブラモンが目をぱちぱちさせる。
「ガソリンっていうのが車に使われている燃料の名前なの。他にも種類があるんだけどね」
「へー」
「とても火に燃えやすいから、もし触る機会がある時は絶対にガソリンの近くだけでも火を近づけちゃダメよ。火が近いと、爆発してとっても危ないものだからね」
「はーい!」
それに吹き出すバウトモン。
「アンタ、随分知りたがりだな。でも悪くないぜ」
えへへ、とラブラモンは得意げに舌をペロリと出す。
「せんせいからいろいろおそわってるんだ!せんせい、しるふぃーもんとおなじくらいなんでもしってるから!」
「そんな事ないわよ」
苦笑いしながら、美玖は後で何か好きなの買ってあげようと模索するのだった。
ーー
かなりの距離を走りこそしたが、デジモンのスタミナは相当のもの。
途中のパーキングエリアでの10分休憩を除けば、グルルモンは移動の殆どの時間を走り抜けていた。
隅田川の流れを横目にジャンクションを通過、それからグルルモンは上空を飛ぶシルフィーモンに目配せした。
「高い建物ばっかり…!」
街並みを目にして、思わず口からそう出てしまった。
A地区、C地区、E地区にも高い建物はそれなりにはあったが、デジモンの姿がほとんど見当たらない事もあって美玖は唖然としていた。
通りすがるとほとんどの人が、グルルモンを見てかなり驚いたような顔をする。
「……この辺りの人たちもデジモンをあまり見ないのね…」
都市だからどう、という違いではない。
実際、以前に依頼で行った呪われた洋館のあった地区は、美玖達の住むD地区とあまり変わり映えのしない街並みだった。
それにも関わらずデジモンがいなかったのだから、尚の事彼女は困惑するしかない。
(私の暮らしていた町がそういう場所だったから…)
グルルモンが足を止めたのは、両国の交番。
その背を降りると、地上へ降りて来たシルフィーモンと合流した。
「まずは、ここでトゥルイエモンさんについて何かないか聞きましょう」
「そうだな」
美玖とシルフィーモン、バウトモンが交番へ入ると中にいた巡査と思しき若い男性警察官がぎょっとした表情を見せた。
その隣では、より歳のいった男性警察官が何やら険しい顔で電話を受けている。
「こんにちは。御勤め、ご苦労様です」
「あ、はい…なんでしょうか?」
美玖からの一礼に反射的に返す若い警察官。
美玖が名刺を出し、若い警察官に渡す。
「私はこちらの探偵所の所長です。こちらの依頼人の方に関わりのあるデジモンの所在を探しておりまして…」
「これはどうも。五十嵐、探偵所、ですか。で…こちらの、デジモン、の…」
バウトモンを見上げながら若い警察官は目を瞬かせた。
一般的な身長の男性からしても、バウトモンの背丈はかなりの差がある。
ただ見下ろされているだけで威圧感を覚えるのは致し方ないか。
「俺の同志で、トゥルイエモンというデジモンがいるんですがこちらの地下鉄にいるはずなんだ。それが、何日か前から連絡が取れない。何か知りませんか」
「地下鉄…?」
若い警察官がどう応えたものかと迷っている所で、歳上の警察官の通話が終わった。
「ふう、参ったな…ん、すみません。何か御用ですか?」
「神田巡査部長、彼らが、その…」
「お取り込み中のところ、失礼します。私達は……」
若い警察官と美玖が伝えると、その警察官…神田巡査部長と呼ばれた50代の男は眉根を寄せた。
「もしや、両国地下鉄の?」
「はい」
バウトモンが答えると、神田巡査部長は剣呑な様子で手元のメモを開いた。
「先程、両国駅から通報があってね。臨時ホームを見回っていた駅員が血まみれになったと」
「臨時ホーム?」
「夕刊輸送と臨時列車用のホームだ。昔は長距離列車用のホームだったんですがね」
あまり使われていないが、稼働そのものは今も行われている。
「以前からそこに、デジモンや十数人くらいホームレスがたむろってて注意するよう度々駅の方には言ってたんですが…まさかと思いますが」
神田巡査部長は深く息を吐く。
「万が一デジモンによる傷害事件ならば尚の事検閲しなくては」
「では、これから話を?」
美玖が尋ねると、神田巡査部長は若い警察官の方を向いた。
「両国駅で詳しく事情を聞きに行く。渡部巡査、君も来なさい」
「は、はい」
「…その件で、君達にも同行してもらいたいが良いですか?」
神田巡査部長の言葉に、一人と二体はうなずいた。
そして、交番前に出ると。
「うわっ!?」
「イキナリナンダ、オ前ハ…」
「おまわりさん、おっきなこえださないで!びっくりしたよ」
待っていたラブラモンとグルルモンまで渡部と呼ばれた巡査にビビられた。
どうやら、デジモンに見慣れない上にビビり屋のようだ。
「お前よう、いい加減デジモンの一体や二体くらい馴れろ!」
「す、すみません…」
…少なくとも、ただバウトモンとの体格差だけが原因ではなかった様子。
神田巡査部長は半ば呆れたような顔をしながら、シルフィーモンとバウトモンを向いた。
「うちの若いのがすみませんね。今年の三月に入った新人なんですがね、いかんせん対人はおろかデジモンにさえご覧の通りで申し訳ない。早く治せと本人には言っとるんですが」
「いや、お構いなく」
「俺も同じく、だ」
美玖が尋ねる。
「神田巡査部長は、デジモンに何度かお会いしたことは…」
「ああ、異動前の派出所でね。しかし…五十嵐、…まさか」
顔色が変わり、美玖を神妙な目で見る神田巡査部長。
「もしや君は、五十嵐美玖さんか。特殊犯捜さ…」
「神田巡査部長!早く行きましょう!」
渡部巡査の声にやれやれと顔を向ける神田巡査部長。
美玖は、静かに言った。
「……今は、私の経歴については、あまりお口にしないでください。できれば思い出したくなくて……お願いします」
「それもそうか。すまんな」
「………」
ーーー
両国駅に着いたのは午後17時過ぎ。
彼らを見た駅員が驚く。
「こんにちは、神田巡査部長。あの…こちらの方々は?随分とデジモンが多いようなのですが…」
駅員が困惑するのも無理はない。
都市部において一度に五体以上ものデジモンを見るのは稀だ。
「彼らは探偵所とそこへ頼ってきた依頼人だ。それで、先程電話で言っていた駅員さんはどちらに?」
「藤原さんですね。今、お呼びします!」
ーーー
応接室で、呼び出された藤原という名の男性駅員と神田巡査部長と渡部巡査の他は、美玖とシルフィーモン、バウトモンのみ入った。
臨時ホームで血まみれになったという藤原は、着替えを済ませてきたようでさっぱりした身なりだ。
「それで、詳しい話を聞かせてくれませんかね。一体何があったんです?」
神田巡査部長の問いに藤原は頷いた。
「先程神田さんへお電話で申し上げた通り、午後16時に臨時ホームの点検へ向かいました。いつもなら、そこにホームレスの方やデジモンがいたんですが、なぜかどこにもいなかったんですよ。それに、変な臭いもしました。なんでしょう、こう…鼻にくる臭いが」
「臭い?」
「…数種類くらい色んなものが混ざった感じの臭いです。なんだか気味が悪くなって、急いで切り上げようと思っていたら何かを踏んで転んでしまって」
そこで、駅員の顔から血の気が引いた。
「うつ伏せに転んだら、手と顔にべちゃって何かが付いたんです。手を見たら、真っ赤に、真っ赤に手が濡れていて…目の前に何か横たわってて……」
ガタガタと手が震え出す。
バウトモンが穏やかに声をかける。
「ゆっくりで良いぜ駅員さん、あまり無理はしないでくれ」
「すみません…それで、僕、その、怖くなって。大声をあげて逃げ出して。構内へ戻った時、血まみれになった僕を見て皆さんが凄い悲鳴をあげまして。…僕からは以上です。詳しく話せなくて、その…」
「神田巡査部長」
美玖が神田を振り向く。
神田がうなずくと、美玖はバウトモンへ目配せ。
バウトモンもうなずくと、藤原に尋ねた。
「俺はバウトモンというんだが駅員さん、トゥルイエモンってデジモンを知らないか?ここの地下鉄に住んでるって聞いた。俺の同志なんだが、ここ数日連絡が取れない」
「トゥルイエモン…ああ!」
藤原の顔がパッと明るくなった。
「道着を着た、ウサギみたいな方ですよね?エセ中国語?で話すウサギさん!います!確かにそのデジモンさんはここにいました」
「そうだ、紫色のウサギみたいな奴。そいつと連絡が中々取れなかったんで、こちらの探偵のセンセイを頼った」
バウトモンが美玖へ振り返ると、美玖もうなずき駅員に尋ねた。
「失礼ですが、臨時ホームの点検というのは、どれくらいの周期に行うのでしょうか?」
「そうですね。イベント以外であまり使われないホームでして、臨時列車や終着駅としての利用を考慮すると頻度は決して多くはないです」
数週間に一度くらいの頻度か。
「……ていうことは」
「トゥルイエモンと連絡が取れなくなる状況は、早くともバウトモンがリアルワールド(ここ)へ来る直前で起こったと考えた方が良いか」
「私からも良いですか?」
渡部巡査が藤原に尋ねる。
「先程あなたは、何かを踏んで転んだと言ってましたが何かまではわかりませんか?」
「あの時は……、気持ちが急いていましたのと、倒れた直後に付いた血に気が動転して、そこまでは見る余裕もありませんでした」
藤原は必死に思い出そうとしながらも、申し訳なさそうに頭を下げた。
となれば、直に確かめに行くしかないだろう。
神田巡査部長は藤原に言った。
「これから臨時ホームを見に行きます。何かあれば必ず報告しますので」
「どうか、お気をつけて…」
神田巡査部長を先頭に、人間三名とデジモン四体が目指して歩くは「幻のホーム」と呼ばれるコンコースで閉鎖された扉の向こう。
このホームは通常は閉鎖されており、イベントによる特別車両の乗り入れや展示でもなければ一般人が中に入ることは不可能だ。
ーーならなぜ、ホームレス達が侵入できたのか。
答えは、デジモン達の移動経路にある。
デジモン達のリアルワールドでの移動方法にはいくつかあるが、走りや飛行による手段を除けばネット空間からの移動が最も使われる。
この方法はパソコンや携帯電話などの機器を通じてネットワークを移動する事で、ある程度目標地点に近く、速く着けるメリットがある。
両国駅の臨時ホームへの侵入は、偶然からの発見であり、そこからデジモン達はデジタルポイントと呼ばれる一種の通路を繋ぐ事で誰でも侵入できるようにしてしまったのだ。
ホームレス達が入れたのは、雨風を凌げない事の多い彼らへの一部のデジモン達の"善意"によるものである。
デジタルポイントへはデジタルワールドからの行き来も可能であるため、イグドラシルから制限を食らわなければいかなるデジモンもそこから行き来できてしまうのが問題だ。
これを閉め出すには相当な力を持つデジモンでなければできない上、それらのほとんどが究極体。
違法として扱うにもグレーな位置のため、警察もデジタルポイント周りの取り締まりには大いに困っていたのだった。
コンコースの通路には赤い絨毯が敷かれ、広々とした中を歩くことができる。
「いずれはこうなるかと思ってたんだ」
懐中電灯を握りしめながら神田巡査部長はぼやいた。
「渡部巡査、周囲に警戒を。それと五十嵐さんは、自衛に何かお持ちですか?」
「麻痺光線銃(パラライザー)機能の指輪型デバイスが」
「ほう」
神田巡査部長は頷き、腰のホルスターに軽く触れた。
「腰道具はデジモンには通じないからな。同じデジモンに戦いを任せなくてはいけないのが歯痒いが…」
「少なくとも」
とシルフィーモン。
「相手がデジモンとは限らない。…デジタルワールドには、デジモンと同等に危険な存在はいる。彼らの可能性も否定できないし、用心した方がいい」
実際、デジタルワールドにはデジモンと認知されていないながら、何種類もの生命体が存在している。
美玖もまだ見たことがないが、危険性や生息数は未知数のものばかりだ。
「ともかく、藤原さんが血まみれになったという地点を探そう」
「それでしたら、…グルルモン、ラブラモン、お願い」
「うん!」
「ワカッタ」
グルルモンとラブラモンが二手に分かれて鼻を動かしだす。
事前に藤原の匂いを覚えさせておいたのである。
「えーっとね…こっち!」
ラブラモンが一向を呼びながら進む。
カーペットの向こうへと進むと、パチリと肌を走る感覚。
0と1の数字と緑色の光が周囲を覆い尽くし、独特の空間がそこにあった。
この空間が、デジタルポイントだ。
「ダイブ血ノ臭イガ強マッテキタ。ソレト……」
グルルモンが鼻を蠢かし、低く唸る。
「デジモント人間ノ臭イモスルガ、妙ナ臭イガ混ジッテル」
シルフィーモンとバウトモンが先行し、神田巡査部長と頼りないながら警棒を握りしめた渡部巡査が歩く。
一方、美玖はツールを起動し画面を展開させていた。
ホールの構造の上に、三つの灰色の光点と、赤三つと紫一つそれぞれの光点が映し出される。
デジタルワールドやデジタルポイント内でのみ機能するよう作られた、モーショントラッカーだ。
属性によって色分けされる。
赤はワクチン
緑はデータ
青はウイルス
紫はフリー
…といった具合だ。
人間は灰色で色分けされている。
今までデジタルポイントに入る機会さえなかったが、遂に日の目を見ることとなった。
「……今のところ周囲には私達だけのようですが……ラブラモン、グルルモン。血の匂いは後どれくらい近い?」
「かなり近いよ。……あ、あれ!」
「コチラモ血溜マリガ見エタ。…一人死ンデイル」
「!!」
足早に駆けつけると、そこには確かに一人の男が倒れていた。
着ている服はかなりくたびれ、汚れていていつ洗濯したかもわからない程に臭う。
ホームレスの一人に間違いない。
その背中に二発ほど弾痕が穿たれ、身体の下からかなりの量の血液が流れ出ていた。
「……」
「発見時刻は19時12分。死因は…失血死と思われる」
神田巡査部長が膝をつく。
渡部巡査と美玖がその両隣にかがみ込む。
一同黙祷し、調べ始めた。
「至近距離から背中に二発。どちらも心臓と肺を後ろから貫いてるが、弾そのものが中に留まってる」
「顔の確認をしますね」
姿勢を低く、遺体の顔を見る。
歳は40代ほどで髪も髭も伸ばし放題だ。
「この人は…」
「確か、以前からそれなりに長くいた一人だ。武藤さんとかいったか」
美玖は周辺を見渡す。
そして、お目当ての物を彼女は見つけた。
懐中電灯の光にキラリと反応する物を。
「神田巡査部長!」
「む」
ポケットから出した手袋を素早くはめ、美玖はそのうちの一つをつまみあげた。
「これ……」
「空薬莢か」
自動拳銃や自動小銃を撃つ時に出る、弾丸の薬莢だ。
藤原はこれを踏んで転んだと見て間違いない。
「弾の種類は?」
片手間にツールを起動して弾の大きさを測定。
「……25ACP弾と思われます」
「すると凶器は25口径拳銃か。それを正確に局所に当てるとは…」
「少なくともこれは、デジモンがやったとは考えにくいでしょう。…デジモンが人間の仕業に見せかけてやる理由が浮かばない」
弾頭重量と火薬量が少ないために威力は低いものの、その分だけ反動も小さく簡単に扱えるのが特徴の弾丸だ。
この弾を使う拳銃は護衛用に使用されるものだが、少なくとも銃規制の厳しい日本ではあまり出回らない。
これで急所を的確に命中させ、標的を絶命させたのなら相当のプロだろう。
「だが、誰がこんな事を…」
「デジモンではなく人間の仕業…であるにしても、なぜデジモン達の姿が…」
そうだ。
美玖は疑問に感じた。
なぜ、トゥルイエモンもそうだが、ホーム内にいるというデジモン達の姿がどこにもない?
モーショントラッカーを確認しようとしたその時だった。
BLAM!
BLAM!
BLAM!
ホームの向こう、美玖達がまだ目指す先から聞こえるそれはまさしく銃声だった。
全員に緊張が走る。
「…!」
モーショントラッカーが激しく反応する。
その方向から灰色の光点が複数確認されたのだ。
せわしなく動き回り、その都度銃声も聞こえている。
「ーーこっちに近づいてきています!」
美玖が顔を上げると、渡部巡査が救いを求めるように神田巡査部長を振り向いた。
「どうします、巡査部長!」
「……」
美玖は指輪型デバイスを見やる。
この大所帯では、偽装(クローク)コマンドによるステルスは意味がないレベルにまで精度が下がる。
すぐに見つかってしまうだろう。
「そこら辺にある物の影に身を隠すしかない。グルルモンは美玖の携帯に入るか、ホログラム化するんだ」
シルフィーモンの言葉に、グルルモンの姿が0と1の数字と青の光を放ち、透明化していく。
ホログラム化は維持に制限時間こそあるものの、デジモンが咄嗟に人間の目から逃れるためよくやってきた方法だ。
そうして、散り散りバラバラではあるが、全員は以前のイベントの時のものだろうオブジェに身を隠した。
懐中電灯の光を消せば、後は何も見えない。
暗闇の中で響く銃声。
美玖は看板と思しきものに身を隠しながら、モーショントラッカーを確認した。
灰色の光点に追われるように、緑色の光点が一つ、こちらへ向かっている。
それは、かなりの速さで他の者たちが隠れたオブジェを横切り、美玖の脇へと来た。
「ハイヤーっ!」
軽々とした動きでオブジェを飛び越えた直後で、ぎょっとしたような声をそのデジモンは張り上げた。
「アナタ、一体そこで何してるアルか!?ここは危険アル、早くデジタルポイントから出た方が良いアルよ!」
どうやら美玖がいることに気づいたらしい。
暗闇で相手の顔は見えないがシルエットならかろうじて見える。
美玖が見上げると、そこにいたのは長い耳を垂らしたウサギらしきデジモンだった。
着ている格闘着のような服装に、ふと思い当たる。
「まさか、あなたがトゥルイエモンさん?」
「アイエッ?なぜワタシのことを知ってるアルか?」
「バウトモンさんから依頼を受けた者です。一体何があったのか詳しく…」
美玖が言い終えるよりも前に、トゥルイエモンが来た方向から男の声が聞こえた。
日本語ではない。
美玖のうなじに冷たいものが走った。
奇しくも、エジプトで遭遇した四人組が使用したものと同じ、広東語だったからだ。
「貴様、何者だ!そこから出てこい」
美玖の隠れたオブジェへ一斉に集まるセンサーの光。
トゥルイエモンがハッと振り返るが、彼が制止するより先に美玖が出て行く。
彼女の口からも広東語が飛び出した。
「……あなた達こそ誰!?私は探偵よ!こちらには警察もいる。大人しく投降しなさい!」
指輪型デバイスを構え、前方を睨み据えた。
「ーーー探偵だと?まあいい、動くな」
暗闇の向こうからやってくる複数の人影。
彼らは美玖と遅れて出てきたトゥルイエモンへ銃口を向けた。
その人数は五人。
いずれもプロテクターと思しき防具を身につけ、腰にはナイフと拳銃、警棒のようなものを携行している。
頭部は顔を覆うバイザーがあり、ご丁寧にもナイトビジョン付きのようだ。
彼らはシルフィーモンや神田巡査部長らが隠れているオブジェに気づかず通り過ぎていく。
「…おい!探偵のセンセイ、マズイんじゃないか!?」
声を低くしながらバウトモンがシルフィーモンの方を向いた。
「ああ。不意打ちといくか」
「人間とはいえあんな武装集団をです!?」
渡部巡査が慌てたように二体の会話に加わる。
「神田巡査部長、この場合デジモンの人間への攻撃って正当なものに当たります!?」
「"その"場合による。だが……」
険しい表情で神田巡査部長はホルスターに手をやった。
「相手は殺人をとうに行なっているうえ銃器を携行している。拳銃のみならず自動小銃も所持しているとは…」
神田巡査部長は頭を巡らせる。
彼らの携行している拳銃(サイドアーム)はやはり、25口径拳銃。おそらくコルト社製。
数人が美玖に向けた自動小銃は世界的にも運用の多いAK-47をベースに製作されたもの。
中国語と思しき言語といい、厄介な連中と判断した。
「いいから逃げるアル!」
トゥルイエモンが美玖に叫ぶ。
「アイツらに何人か人間がやられた上に、ここのホームにいたデジモンの中にアイツらに捕まったやつもいる!一人じゃ敵わないアルよ!」
「私一人だけではありません、大丈夫です」
美玖は答えながら、オブジェから覗き込んでいたシルフィーモンに目配せ(アイコンタクト)。
そして、前へ出る。
「あなた達!もう一度警告します!こちらには警察もいる…今すぐ武器を捨てて投降なさい!」
「ーーうるさい女だ!」
一人が拳銃を発砲。
弾が美玖の頬を擦り、一筋血が流れ落ちていく。
…これだけでも美玖にはわかる。
相手はわざと射線を外している。
相手の攻撃には強い殺意がある、エジプトの時の謎の男達と同じだと。
「……っ」
「今すぐ膝を付け。さもなければ殺す!」
アイコンタクトを受けたシルフィーモンが一言。
「美玖からの救援要請だ、やるぞ」
「まじですか…」
「私とバウトモンが先制する。巡査部長と巡査二人は私とバウトモンの援護(フォロー)を」
「わたしは?」
ラブラモンが物陰から尋ねる。
「お前はそこで待機だ。私が呼ぶまで絶対に物陰から動くな」
「……わかった」
「グルルモンは好きに行動してくれ。お前はその方が動きやすい」
「良イダロウ」
グルルモンの声が聞こえた。
ラブラモンのすぐ隣からだ。
「渡部巡査、良いか」
「まってください…!」
心の準備が、と渡部巡査がもたつくのを待たず先んじてバウトモンが飛び出した。
本来なら不意打ちは彼のスポーツマンシップに反するところだが、そんな事を言っているわけにもいかない事態を理解している。
飛び出し、距離を詰めて彼は、初めてそこで自分が探していた相手の姿を見つけた。
「トゥルイエモン!」
「あ、バウトモン!?」
「それと探偵のセンセイ、助太刀するぜ!できる限り加減はするけどよ…!うおおぉっ!!」
バウトモンが迫るは自動小銃を持った一人。
反応するより早く、その腹部に強烈な回し蹴りが叩き込まれる。
相手は10m先まで吹き飛ばされ、男達はどよめく。
「誰だ貴様!」
一人が叫ぶが、日本語ではなく広東語。
広東語を理解できるのは美玖だけだ。
遅れてシルフィーモンが飛び出す。
「ぐうっ!」
シルフィーモンの脚が跳ね上がり、もう一人の腹へ叩き込まれる。
その時、妙な違和感があった。
(なんだ、この硬さは…!?)
人体とは思えぬ手応えだ。
まるで金属製の何かを蹴ったような感触が足に伝わる。
それを裏付けるかのように、バウトモンに蹴り飛ばされたはずの一人がよろめき立ちあがろうとしていた。
「どういうこと!?」
美玖は薄寒さを感じた。
加減したとはいえバウトモンは完全体。
完全体デジモンの攻撃はたとえ技でない打撃であっても生身の人間には十分な痛手だ。
普通ならすぐには立ち上がれぬはずだが、目の前の男はちょっと跳ね飛ばされただけと言わんばかりの様子だ。
普通ならありえない。
少なくとも…
(…エジプトで遭遇した、あの人達はそうではなかった)
BLAM!
BLAM!
闇の先、銃口が火を吹くのが見える。
神田巡査部長の射撃だ。
しかし、その弾はどうしたわけか命中した男の膝から脛へ火花を散らせただけで何もない。
「か、神田巡査部長!?まるで効いてないようです」
渡部巡査の顔から血の気が引く。
シルフィーモンも疑念を口にした。
「何かがおかしい。私が攻撃した一人も軽傷と言わんばかりに立ち直りが早い…!」
見ればシルフィーモンが攻撃した一人もよろめきながら立ち上がっている。
トゥルイエモンが叫んだ。
「そこのデジモン、どこの誰か知らないアルがダメアル!ソイツら、必殺技でもないと傷付けられないアルよ。着てるものが相当強靭なのかわからないけど、ワタシの兎牙拳でもノックアウトするのがやっとアルよ!」
「……つまり」
殺傷に持ち込むなら必殺技の一つは当てなければダメということか。
シルフィーモンは神田巡査部長の方を窺い見る。
どのみち時間はなさそうだ。
「……すでに相手側から発砲している。許可しよう…!」
複雑な面持ちで神田巡査部長は返す。
ここまで厄介な連中が来るとは思わなかった。
男達が動きを見せたのはその直後だった。
数人が武器を持ち替え、警棒のようなものを取り出す。
かちり、という音と共にうっすらと電流を帯びる。
「あれは…!」
美玖が思い出すはエジプトで自身に向けて突きつけられたものを、シルフィーモンが代わりに受けた時。
彼もそれに気づいたようだ
「気をつけろ、あれはまずい」
「…スタンガン内蔵式の強化警棒(タクティカルバトン)か」
だがなぜそんなものを、と神田巡査部長は眉根を寄せる。
そんななかで男達より先に動く紫色の影。
「『忍迅拳(にんじんけん)』!アチョーッ!!」
目にも止まらぬ速さで接近すると、両手に装備した刃物のような兎角鉄爪と蹴りを叩き込む。
それを受けた一人が激しく床へ叩きつけられ、立ちあがろうとしたところにトドメとばかりの手刀を受けて倒れた。
それに合わせるようにバウトモンも動く。
狙うは先程彼が一度蹴り飛ばした一人。
「『迅雷廻天戟(じんらいかいてんげき)』!」
「!?」
手加減こそあれ手心なく。
小銃を構えるより蹴りが早い。
蹴りや拳を連続で叩き込むその動きに一切の無駄は無し。
そして今度は立ち上がることなく、バウトモンの前でがくりと倒れ伏した。
「他にはーー」
呟き、美玖がモーショントラッカーを確認しようとしたその時。
銃声。
彼女の胸を襲う熱と衝撃。
スーツの胸元から血が噴き出す。
「ーーっ」
意識はたちまち刈り取られ、どさりと冷たい床に倒れ伏した。
「美玖!!」
カッと熱くなる胸。
シルフィーモンを真っ先に動かしたのは感情だ。
両掌にエネルギーを溜め、技の名を叫ぶ声は怒りに掠れた。
「『トップガン』!!」
放った先にいたのは25口径拳銃を持った新手の一人。
美玖を撃った相手だ。
エネルギー弾が直撃し、相手が倒れ伏す。
「誰か…いや、お二人のうちのどちらか、美玖を頼む!」
「渡部!」
「は、はい!」
銃弾をくぐり抜け、渡部巡査は美玖の元へ走り寄る。
彼女を引きずるように物陰へ身を隠し、手当てにかかるが…。
「……くそっ、出血が止まらない!」
「おまわりさん!わたしがてつだう」
物陰の合間を縫って走ってきたラブラモンが小声をかけた。
「頼むよ…」
祈るような渡部巡査の声に、ラブラモンは美玖の胸に前足を乗せた。
「『キュアーリキュール』!」
美玖の傷の損壊を妨げるべく彼女の体をデータそのものに還元し、修復を始める。
だが、回復を始めてすぐ、ラブラモンの表情に焦りが出た。
「……せんせいのからだのなかに、なにかはいってる。これがせんせいのなかにあるからちがとまらない…!とりのぞきたいけど、しゅじゅつしなきゃとりだせないよ!」
「まさか…弾丸か!?」
銃撃の威力は弾丸によって左右される。
そして、致命傷に陥るような傷でも、弾丸が身体を貫通し体外から出ていれば問題のない事が多いという。
厄介なのはほんの一欠片でも弾丸が体内に残った場合だ。
先程の武藤というホームレスの遺体に残された銃痕も、弾が身体を貫通していなかった。
「ひとまず、出血を抑えられないか!?」
「いまの"わたし"じゃむずかしいけどやってみる!」
一方、残った三人へトゥルイエモン、バウトモン、シルフィーモンが迫る。
三人のうち二人が武器を警棒へと持ち替えている。
残る一人が自動小銃を撃ち放った。
BRATATATATATATATATATA!!
シルフィーモンの反応が加速する。
美玖を撃たれた怒りに触発され本能により能力が向上されたか。
放たれた乱射をかわしきった。
一方、警棒を持つ一人へバウトモンが技を放とうとした直前。
警棒からパチリと不快な音が聞こえた。
咄嗟に腕で受けようとするバウトモン。
「防いじゃダメアル、バウトモン!!」
トゥルイエモンが叫ぶもむなしく、防御のため交差した腕に警棒が触れるや全身を強烈な痺れと虚脱感が襲った。
「しまっ………く、っは…」
「バウトモン!」
両膝から崩れ落ち、両手をつく。
全身から筋肉を奪われたかのように身体が動かない。
警棒をバウトモンに振るった一人が、腰部のポーチから何かを取り出そうとした時。
BLAM!
「…っ!?」
その胸に大きな風穴が空いた。
コツコツ、と高いヒールの足音。
ハスキーながらよく耳に通る女の声が響いた。
「よそ見は禁物だねぇ」
「なっ…」
ただの銃撃だけで相手を沈めた新たな顔に、美玖と彼女を手当て中の渡部巡査とラブラモン、姿を消したままのグルルモンを除く全員の目が集中した。
硝煙薫る風になびく、臀部まで届く長さのブロンド。
豊かなバストにくびれたウエストと抜群のプロポーションを誇る身体を包む黒のレザースーツ。
そのレザースーツも、バストの下半分から下を惜しげもなく露出させ煽情的だ。
そして、カラスを思わせる形状のマスクの下から覗く目は、狡猾で冷酷な捕食者の色を隠さない。
黒いマフラーをなびかせ、両手の二丁拳銃を無造作に提げながら歩く女性型デジモンの後ろから新たに声がする。
「待って…待ってよ、もう!」
女性型デジモンの後ろからやってきたのは、これもデジモンだ。
…一見すれば、修道女キャラのコスプレをした二人の少女のようにも見えるが。
「ああっ、姉さん…!」
黒と白。
それぞれ異なった色の修道服を纏ううち白の少女型デジモンが、倒れた美玖を見つけ息を呑む。
「そんな…っ!」
「それより下がってな」
「お前は…」
シルフィーモンが言い切るよりも早く、警棒を持ったもう一人を女性型デジモンの持つ拳銃から撃ち放たれた弾が穿つ。
「噂に聞いた、ベルゼブモンレディ…!」
「その名はよしな!…別にイヤって訳じゃないけどさ、むず痒いんだよ!」
呼ばれた女性型デジモンはシルフィーモンを軽く睨んだ。
「ナルホドナ」
ーー『キラーバイト』
ぐしゃり、とひしゃげるような音がシルフィーモンの脇、先程まで自動小銃を構えていた男の方からした。
見れば大きなホログラムの獣が後ろから男の上半身を咥え、噛み潰すところだった。
グルルモンだ。
「確カニ余所見厳禁、ダ」
どさり、と骸が落ちた。
ホログラム化を解き、グルルモンが姿を現す。
「ハッ、随分豪快な食いっぷりだね!」
それを見たベルゼブモンレディ…否、本名、ベルスターモンはからからと笑った。
息絶え絶えに走り寄る修道服姿の少女デジモン二体を振り向き、
「あっという間に終わっちまったからアタシは物足りないけどねぇ」
それより、とベルスターモンは振り返る。
「そこで倒れてる人間の女、ほっといて良いのかい?」
「美玖!!」
シルフィーモンが駆け寄ると、ラブラモンは泣きそうに振り向く。
「しるふぃーもん、ちがとまらない!せんせいが、せんせいがしんじゃう!」
傍らへ白の修道服の少女が寄り添った。
続いて、黒の修道服を纏う少女も。
「私達が手伝うわ!ラブラモン(その子)の回復力だけじゃ追いつかないでしょうし…まったくハックモンってば、こんな時に何してるんだかもう…!」
ガサゴソと黒の修道服を纏う少女が懐から出したのは、何かのカプセル錠。
それを、美玖の口に含ませる。
「"師匠"から万が一にって渡された回復ナノマシンよ。本来はデジモン用だけどこれなら…!」
飲ませてまもなく、出血量が抑えられてきたのか、徐々に『キュアーリキュール』による回復量が多くなってきた。
変わらず、美玖は意識を失ったままだが。
「こんな時にすまない、感謝する!それより君達は?」
神田巡査部長が尋ねると、白い修道服を纏った少女のデジモンが応えた。
「こちらこそ申し遅れました。私はシスタモン・ブラン、こちらは姉のシスタモン・ノワールです。それと…」
「条件付きでこの子らのタダ乗りにデジタルワールドから来たベルスターモンさ」
ベルスターモンは肩をすくめながら、ふとホームの向こうを向いた。
「いつまで隠れてるんだい?パーティーは終わった、とっとと出てきな」
それに応じるように気配が近づく。
姿を現したのは、緑色のナメクジのような外見をしたヌメモン達だった。
「ト、トゥルイエモン…」
「もう大丈夫…アルよ」
バウトモンを支え起こしながらトゥルイエモンは答えた。
バウトモンの方はスタンバトンによる痺れでまだ動けそうにない。
「それより、他のホームレスさんはどうしてるアルか?」
「痛がってる…早く、人間の病院に連れて行かないと」
「そうアルな…」
見れば、ヌメモン達の後ろにさめざめと泣く数人の人影がある。
「あいつらにやられたのか?」
シルフィーモンが尋ねた。
ヌメモン達は恐々とうなずく。
「うん」
「いつから?」
「つい、おとといくらいだよ。何の前触れもなくいきなりやってきて、何匹か仲間が捕まってホームレスの皆も何人かがあいつらに殺されて…」
シルフィーモンは美玖を抱きかかえる。
出血はぴたりとはいわないものの、ある程度は止まりかけている。
「助けてくれた礼は美玖が無事に癒えてからだ。一刻も早く病院へ連れて行かないと」
「それじゃ全員ひとまずデジタルポイント(ここ)を出て行くんだね」
ベルスターモンは退屈げにあくびをした。
「アタシはそこの姉妹からリアルワールドでの羽伸ばしの条件という事で頼まれてんだよ。デジタルポイントを閉じてほしいってさ。……ま、人間にはお気の毒だけど、ちゃんと雨風に困らず生きていけるよう頑張りな」
そうホームレス達に向けて言い捨てると、手をひらひらと振るようにベルスターモンは歩き出した。
デジタルポイントを閉じるために。
「後で落ち合おうじゃないか。ノワール、済ました後に何処行きゃ良いか連絡はおくれよ!」
「わかったわ」
ーー
シルフィーモン達、シスタモン姉妹、神田巡査部長らにヌメモン達は揃って通路を渡り、駅員の元へと戻ってきた。
「なんか増えてる!?いえ、その、大丈夫ですか?探偵さんにホームレスの皆さん、ひどい怪我してるじゃないですか!」
血に濡れた美玖やホームレス達を見て駅員一同、顔から血の気が引く。
神田巡査部長が叱咤した。
「狼狽えるんじゃない!彼女には救急車を!それと、ホームレス達は別途で乗り物デジモンに頼って病院へ送り届ける!」
「は、はい!!」
ーー
救急車が到着してすぐに美玖は中へ載せられる。
関係者としての立場と事情説明のため、シルフィーモンが同乗することになった。
「私がいない間すまないが、お前達だけで話を聞いておいてくれ。戻るとなれば、多分今日の夜になる」
「アア」
「わかった…」
走り出す救急車。
それを見送りながら、ノワールがため息をついた。
「まさかこんな事になるなんて思わなかったな…」
ーー
救急車が搬送の準備と美玖への看護を始めたのに前後して、パトカーが数台ほど駆けつけてきた。
両国を含め、墨田区南部を担当する本所警察署からのものだ。
複数人の警官が駆けつけ、神田巡査部長と渡部巡査は一礼して迎える。
「御勤めご苦労様です!」
「三番ホームの様子は?」
「現在、ベルスターモンなるデジモンがデジタルポイントを閉じる為に中に残っています」
「了解。全員、三番ホーム内に一旦入り、デジタルポイントが閉じられたか確認を行う」
「はい!」
警察官達は一糸乱れぬ動きで駅の構内へと入っていく。
「あの不気味な連中について何かわかれば良いが…」
それを見送るシスタモン・ノワールの端末が受信音を鳴らす。
「はいはーい、ノワールよ。……そう、早く片付いたのね。今、人間の警察が調査にそっちへ来てる。……うん、こっち戻ってきてくれると助かるわ。じゃ」
連絡を終えてノワールは残されたラブラモンとグルルモンへ向き直った。
「探偵所のメンバーは、彼女とあのシルフィーモンを除けばあなた達だけよね?」
「うん」
「ソウダ」
「本当なら彼女に直接話したかったんだけど、予定が狂っちゃったのは仕方ないわ。吉報を待つしかない…」
神田巡査部長に向けて声をかける。
「ベルスターモンが戻ってきたら、話したい事が」
「良いが、君達はあの連中について何か知っているかい?」
「さる筋からのものでしたら、一部あります」
とブラン。
「最近、デジタルワールドに頻繁にやってきてはデジモンを捕獲して連れて行ってる連中。以前から、現れては消えを繰り返しててイグドラシルが珍しく手を焼いてるわ」
「なんだと?」
「だから、ここ数日の間に、イグドラシルが直接、このリアルワールドへ干渉して今いる全デジモンへの指令が下される事が決まってるわ」
「!?」
ノワールの言葉にグルルモンの顔色が変わった。
「イグドラシルガ…?今マデコノ現実世界ニ不干渉ダッタトイウノニカ!?」
…デジタルワールドにおいて神、あるいは最高クラスの支配者というべきホストコンピュータ。
イグドラシルはこれまで、人間の世界に対して不干渉を貫いてきた。
人間世界への干渉やそのトップ達との対話はもっぱらロイヤルナイツに任せているだけである。
それが、イグドラシル自らの干渉。
前代未聞の事態だ。
「私達は彼らが世界を転々としデジモンを捕縛して回る活動を抑えるために、デジタルポイントを閉じてまわるお手伝いをしているんです」
「デジタルポイントを?」
「はい。彼らの移動手段でもある事がすでに判明していますので」
ブランは言いながらノワールを振り向く。
ノワールは背後の足音に頷いた。
「残りはあいつらに全部任せといたよ。ぶっちゃけ面倒だから助かるわ」
ベルスターモンが悠然とした歩みで近寄りながら、ブランの頭に肘を置く。
身長差のある彼女に体重を乗せられた事でブランはよろめいた。
「ともかく突っ込んだ話は交番でしましょ。…ひとまずブランを離してよ」
「悪いねぇ」
ニッカリと牙を剥いて笑い、ベルスターモンがブランを開放した。
「もう…っ。ひとまず、交番へ行きましょう、巡査部長さん」
「そうだな。戻るぞ、渡部巡査」
「は、はい」
交番へ戻るすれ違いに、太いうどんを思わせる独特の毛並みをした巨大犬のような姿のデジモンが横切った。
頭にメットをかぶり、背中に人を載せられるカゴを付けている。
乗り物デジモンのコモンドモンだ。
駅員達が呼びつけたのである。
普段はデジモン用のタクシーとして呼びつかっており、滅多に人間用に借用されることはなかったのだが今回数人ものホームレス達を乗せる上では適任だろう。
ホームレス達もコモンドモンの背中の乗り場へおっかなびっくり上がっていく。
「………どうしたものアルか、バウトモン?」
その様子を見届けながら、トゥルイエモンは同志に訊ねる。
「色々と申し訳ないアル。両国に来たら、案内したい場所がいっぱいあったアルのに…」
「こればっかりはしょうがねえ、それより」
バウトモンは拳を強く握りしめた。
「行くぞ、俺達も」
………
両国交番へ戻って、ラブラモンは自分達の後をついてきたトゥルイエモンとバウトモンに目を瞬かせた。
「ふたりとも、ついてきてどうしたの?」
「乗りかかった船…とも違うアルね。でもワタシは少なくとも無関係ではないはずアル」
トゥルイエモンが言いながら同志を振り向く。
応、とバウトモンは自らの拳を打ち合わせた。
「探偵のセンセイを危険な目に遭わせちまったからな。確かに俺からあんたらへの依頼は完了だが、人間にも危険な連中がいるとあっちゃ見過ごす訳にもいかん。必要とあれば手伝うぜ」
「ええと…その…」
ブランが歯切れ悪く口を開く。
だが、それに、とトゥルイエモンの言葉がさえぎった。
「両国だけアルが、デジタルポイントの場所は把握してるアル。大半は一時的な用事のために繋いで、後はほったらかしの状態なのが」
「! ちょっと、それ聞き捨てならないじゃないの!」
ノワールがトゥルイエモンに詰め寄った。
「ここへ来てヌメモン達から教わったのでアルよ」
トゥルイエモンは言いながら懐から紙を出す。
手書きの地図のようだ。
「デジタルポイントの場所を記憶するために使ってた地図アル。この中に、両国駅のものもあったアルけど…」
「アタシが閉じたからね。バツ印でもつけとくかい?」
覗き込みながらベルスターモンが聞く。
「そうアルね」
両国駅にポイントされたマル印に、マッキーでバツが引かれる。
「ソレデ、話ヲ戻スガ」
とグルルモン。
「アノ人間共ハ一体何者ダ?ホームニ入ル前、俺ハ言ッタナ?変ナ臭イガ混ザッテイル、ト。ソノ臭イノ発生源ガアイツラダッタ」
「あー、多分だけど」
ベルスターモンが手をあご下に添えた。
「あれは、多分ヤクさ」
「ヤク?」
「薬かなんかで自分らを強化してるみたいさね。だから、人間相手になら幾ら殴られようが平然としてられるってワケさ。アタシらデジモンの攻撃にも、無傷じゃないが耐えられるくらいにはね」
「薬物だと?」
神田巡査部長が眉根を寄せる。
デジモンの攻撃にもある程度耐えられる効果を持つ肉体強化をもたらす薬品。
そんなもの聞いたことがない。
「アンタが嗅いだ妙な臭いってものの正体はおそらくそれさ。アタシがアイツらの死体に近づいたら、結構嫌な臭いをプンプンさせてたからね」
鼻がひん曲がりそうだったさとおどけたように言う。
それにノワールが続いた。
「あいつらが何度もデジタルポイントを通してデジタルワールドに侵入を繰り返していたから、わかっている事もあるの」
一つ、彼らはほぼ全て中国人で残りの一割ほどは日本人であること。
一つ、彼らの装備にはデジタルワールド由来の素材が使われていること。
一つ、彼らにはデジモンを捕縛する道具があること。
「それって、コイツかい?」
ゴトリという音と共にベルスターモンが机に置いたものを見てブランが驚く。
「持ってきちゃったんですか!?」
「一つくらいはこっちで確保しとかないと調査が進まないとか抜かしたのはアンタじゃないか」
「そうですけど…!」
「ふむ」
神田巡査部長が興味深げに見る。
それは、テニスボールほどの大きさの球状の機械だった。
青緑色の透明な中にはDNAの螺旋がホログラムとして渦巻いている。
「これアル!あいつらはこれを使ってデジモンを捕まえて…」
トゥルイエモンが言うと、ノワールはその機械を手に取った。
「私達も実物を間近で見るのは初めてよ。…中にデジモンが入ってるわ」
「なんでわかるんだ?」
「この中に螺旋状になったホログラムあるでしょ。これが目印よ」
確か、ここをこうしてとノワールが球状の機械の一部から突出したボタンを押す。
カチリという音と共に、光が機械から飛び出してデジモンとしての形を作った。
一体のヌメモンが、パチクリと目を瞬かせていた。
「…あれ?ここ、は?」
「人間達の交番よ。あなたは捕まってたけど助かったの」
ノワールがヌメモンに答える。
それを聞いたヌメモンがブルブル震えながら、涙を流す。
「怖かったよおおお!!」
「おいおい…」
バウトモンになだめられるヌメモンを見て、ブランはラブラモンとグルルモンに聞いた。
「実は、探偵所の所長である美玖さんが、彼らについて情報を持っているというお話も伺っていたんです」
「それで、ハックモンへの通達の伝言も兼ねて、お邪魔したんだけどタイミング悪い事に留守だったんだよね」
「とうきょうに、いってたから…」
「だから、私達は居所を辿ってネット空間から来たのよ。……本当にタイミングが悪かったわ」
ノワールはため息をついて足をかがめた。
螺旋状のホログラムが消えた機械を手に。
「一体、ドコカラソンナ話ガ出テキタ?」
「彼女と助手のシルフィーモンが、デジタマと失踪した発見者の捜索依頼の為にエジプト行って、そこで遭遇したって件よ。そのうち指導者だって奴は、ロイヤルナイツの方で確保されてこないだ日本の警察のトップへ引き渡されてったけどね」
へえ、と渡部巡査が目を瞬かせる。
「そんな話があったんですね」
「当たり前でしょ、警察側からしたらシークレットな情報よ一応。まだ本拠地とかさえ判明してないしね」
ぼーーーん……
ぼーーーーん………
壁に掛けられた時計が時刻を伝えた。
神田巡査部長が始末書を書く手を休める。
「お、もうこんな時間か。渡部巡査、ひとまずあがれ。私は始末書を仕上げないといけないからな」
「はい、巡査部長!お疲れ様です」
「……君達はどうする?」
神田巡査部長はデジモン達へ目線を向けた。
「バウトモンは今日ワタシと行動するからここで失礼するアル」
「わたしたち、どこかへとまるってよていがなくって…」
「ソノ気ニナレバ外デ寝ルガナ」
「流石にそれはやめなさい。……渡部巡査」
「はい?」
出ようと扉に手がかかっていた渡部巡査がきょとんと振り向く。
「君、今日は彼らを家に泊めてやってくれんか?この辺りにはデジモンが泊まれるようなホテルがない。それに君んとこは庭付き一軒家だったろう」
「は、はい」
「だいじょうぶかな」
渡部巡査はラブラモン達と神田巡査部長を何度も交互に見やった後。
「…泊まってくかい?」
「いいかな?」
「シルフィーモンといったか、彼にはこちらから連絡したい。端末の番号はわかるかね?」
「んっとねー」
ラブラモンが神田巡査部長に出してもらったメモを書いていると、話しかけるブラン。
「……あ、あのー……」
「どうしたかね?」
「私達も、実は泊まる予定の場所がなくてですね……」
ーーーー
その夜。
墨田区にある渡部巡査の家は、彼の人生の中でもとても騒がしい事になった。
彼女もまだいない独り身には少しばかり広い家だが、時々友人を呼び込んでいたよりも大所帯である。
「……っかーっ!これが人間の飲む酒かい!中々オツなものだねぇ!」
「は、はあ…」
缶ビールを丸々カラにしたベルスターモンを前に、渡部巡査はぽかんとした。
急な客でもあるため頼んだ出前のピザも、かなりの早さでなくなっていく。
独身貴族でないとはいえ、まだ余裕はある方なのだが不安になる。
唯一、沢山食べそうだったグルルモンだけが庭で早くも寝についていたのは救いのように思えた。
「おまわりさん、これおいしい!」
「そ、そうかい、ははは…」
ミックスチーズのピザをはぐはぐ食べながらしゃべるラブラモンに乾いた笑いを返し、渡部巡査はその毛並みを撫でた。
「…こうして触ってると、実家のタロウを思い出すなあ」
「たろう?」
「ああ、うん。飼ってた犬だよ」
「ふうん」
ラブラモンは犬にかなり近い容姿をしたデジモンであるため、渡部巡査には余計犬との区別がつかなくなってきている様子。
その後ろからベルスターモンが、今夜四本目の缶ビールを手に絡んできた。
「結構良いねェ!アイツらへの土産に何本かお持ち帰りしたいけど良いかい?」
「ちょっと困るよ…」
「ベルスターモン、早々に酔っ払ってない?」
呆れた口調でノワールとブランがベルスターモンを引き離す。
渡部巡査は思わずホッとした。
馬鹿力でないが、人型デジモンの力は見た目より強いことが多いので加減なしに絡まれると痛い目を見る。
ましてや、渡部巡査は知るよしもないが相手は究極体だ。
究極体デジモンが本気を出せば人間の家屋の一つや二つ、風穴がいつ空いてもおかしくないだろう。
「しかし………あああ…今度飲む分が、もうなくなって…」
冷蔵庫の中のビールの残り本数に沈んだ声と面持ち。
そこへ鳴るインターホン。
ブランが出ると、すぐにがちゃりとドアを開けた。
「しるふぃーもん!」
「すまない、遅くなった」
尻尾を振って迎えるラブラモン。
ますます犬のようだと思いながらも、思考の切り替えの為にも渡部巡査はシルフィーモンに聞いた。
「その…彼女、大丈夫でしたか?」
「緊急手術で弾丸の除去と輸血をした。医師から的確な措置がなければ間に合わなかっただろう、と言われたよ。…輸血に必要な血液があったことも幸いだとさ」
「良かった…」
いや、とシルフィーモンは首を横に振る。
命こそ取り留めたものの、美玖は現在意識不明の状態だ。
いつ目を覚ますか、その見当はつかない。
「そうでしたか…」
「美玖の両親と、彼女の元同僚だった刑事の夫妻が駆けつけてきた。彼らに仔細を伝えたところで端末に知らせを受け取ってこっちに来たよ」
ところで、とシルフィーモンはシスタモン達姉妹を振り向く。
気づけばノワールまで飲んでおり、ブランは収拾に手間取っている。
「これは一体どういう騒ぎだ?」
「ええと…あそこのベルスターモンさんてデジモンが僕の冷蔵庫から出したビール飲み始めまして…」
やれやれ、とシルフィーモンは外へ向かう。
「あれ、どっかいくの?」
「コンビニだ。何かいるか?」
「うーん…あ、おかし!」
「なんでもかい?…少し待っててくれ」
ーーー
馬鹿騒ぎが落ち着いたのは22時を過ぎてやっと。
気づけばベルスターモンもノワールも大の字に伸びていた。
シルフィーモンとブランは半ば呆れた顔をしながら、彼女達を隅へ転がしておいた。
シルフィーモンが気遣いに買ってくれた追加の缶ビールの一本で一服し、安堵する渡部巡査。
「すみません、我が家ながら世話をかけさせてしまって」
「いえ、こちらこそ急に押しかけてしまって本当にすみませんでした。姉さん達ってばだらしない…」
そう返し、ため息をつくブラン。
腰を落ち着け、シルフィーモンは改めてブランの方を向いた。
「それでだが、私と美玖に話したい事があると言っていたな」
「はい。私達は今日遭遇した人間達と同じ人間に、以前もあなたと彼女が遭遇していると聞いてやってきたのです」
「エジプトの件か」
「師匠からハックモンへの知らせついでに聞いてきて欲しいと」
「師匠……ああ、ガンクゥモンの事か」
ガンクゥモン。
ロイヤルナイツの一人であり、最も新たに加わったロイヤルナイツの一人ジエスモンとは師弟関係にある。
他のロイヤルナイツと異なり、他のデジモンとも柔軟に対応・連携を取るという方針と主義を持っておりこれは弟子のジエスモンにも受け継がれている。
初めてジエスモン、…それが退化(スケールダウン)したハックモンに遭遇するまで、シルフィーモンはその情報に半信半疑だった。
「するとお前達はガンクゥモンの関係者か」
「関係者であり、彼は私と姉さんの恩人です。…そのおかげで色々と大変だった事もありましたが」
こほん、と咳払いしてブランは話を戻す。
「それでですが、エジプトであなたと彼女が遭遇した人間について詳しく話してもらっても良いですか?」
「それは構わないが、美玖でなければ詳しく話せない情報もあるぞ」
「あなたから、詳しく話せるものであれば」
「……そうか」
エジプトで遭遇した時の出来事を、シルフィーモンは話した。
ーーー
「…というわけだ。スカルバルキモンにやられた後の車にソウルモンが殺到したその後からは、残念だが私達は知らなかった」
「なるほど…ロイヤルナイツが確保したのは一人だけでしたので、彼の証言とも合致しますね」
シルフィーモンから聞いた話にブランは納得したようにうなずいた。
「しかし、中国語の一つとは…私達は人間達の言語を多くは理解していなくて…」
「私も。できるのはいくらかの英語のみ。…今のところ、身近な人間であの言葉がわかるのは美玖だけだ」
「弱りましたね…」
渡部巡査は脇で眠りに入ったラブラモンを撫でながら、ビールを一口。
「広東語ですか…私もそれどころか中国語はさっぱり」
「少なくとも、今回でのあのやりとりからしてやはり大元は友好的な相手の集まりではないようだな」
「これまで襲撃されたケースでも、無言で攻撃を仕掛けてくることが多かったそうです」
シルフィーモンは美玖を射撃してきた男達の言動を思い出した。
あの雰囲気や装備は、そこらのヤクザとは明らかに違う。
軍事ほどとは言わないが、明らかに妙でもあった。
「美玖の様子はまた明日確認するとして、今日の駅での調査の話を聞きに本所警察署へ行く」
「でしたら、私達も行きますよ。イグドラシルの件はなるべく多くの人間達に通達した方が良いと師匠も言っていました」
「なら、それで」
話を切り上げ、その夜は全員寝に入った。
………
「………んん………ん?」
夜が明け、渡部巡査が目を覚ますと何やら匂いがする。
誰かが朝食を作っているようだが…。
「ふぁ……」
「あ、おはよう、おまわりさん」
「おはっ…… !?」
渡部巡査は驚き、目をこする。
ラブラモンが台所に、椅子を台にして立っていた。
探偵所では見慣れたものだが、渡部巡査からすればデジモンが食事を作る光景は初めてだ。
「おまわりさん、かってにれいぞうこのなかつかっちゃったけどごはんつくったよ!すくらんぶるえっぐとさらだ!」
「す、すごいね…」
犬のような見た目ながら、包丁も危なげなく使える事に二度見してしまう。
「こ、こういうのもやってるのかい?」
「うん!せんせいと、しるふぃーもんにおそわっててつだってるの」
「偉いなぁ」
「えっへん」
他のデジモン達はまだ目を覚ましていない。
渡部巡査がハッとして時計を見る。
時刻は朝の8時。
「そういえば今日は燃えるゴミの日だ…急いで出しに行かないと」
「わたしもいっしょにいってもいい?」
ラブラモンが前足を拭きながら椅子から降りた。
「良いのかい?ちょっとゴミが多いから人手…デジモン手というのかな。助かるよ」
少しして、二袋分のゴミ袋を一袋ずつ持った一人と一体が外へ出た。
だが、この時は渡部巡査もラブラモンも尾行の気配に気づくことはなかった。
ーー
「よっ、せ…」
「うんしょ、と…」
ゴミ捨て場は少し離れた場所にある。
カラス避けのネットをかき分けてゴミ袋を置き終えた。
それじゃ戻ろう、と渡部巡査がラブラモンを振り返りかけた時。
パチッ
不穏な物音と、ラブラモンが叫ぶ。
「おまわりさん、うしろ!」
渡部巡査がそれに反応するより早く、彼の背中に電撃が突き刺さった。
「が、ああ…っ!」
「おまわりさん!」
倒れる渡部巡査の後ろから現れたのは、数人の男達。
いずれもパーカーのフードを目深にかぶり、手には警棒のようなものを手にしている。
…間違いない。
「……っ!」
渡部巡査が心配だが、彼らの狙いは自分だ。
とっさに走り出したラブラモンに、男達が声をあげ追いかけてきた。
途中、犬を散歩中の年配の女性が通ったが、ラブラモンと後を追いかける数人の男を見て不思議そうに首を傾げた。
どうやら、ラブラモンを本物の犬と見間違え、散歩中に犬が逃げたと思ったようす。
ラブラモンにしても、助けを求めようにも男数人に対して小型犬を連れた女性一人では危ない。
後を追いかける男達が何かやりとりを交わすのが聞こえる。
だがそれに構う余裕もない。
「…っ!!」
ラブラモンの足が止まる。
目の前に行き止まりの壁。
背後から迫る複数の足音。
振り向くと、電流の走る警棒を握りしめた男達が道を塞ぐ。
ぐっと四つ足を踏ん張ると、ラブラモンは吠えた。
「『レトリバーク』!」
「っ!」
吠え声による超振動が一人二人を吹き飛ばす。
成長期といえどデジモンの力は侮れない。
だが。
昨日の男達同様に、彼らもタフだ。
「ーー!」
構わず立ち上がった者も含め、男達は一斉にラブラモンへ殺到した。
複数の手がラブラモンの毛を掴み、地面に引き倒す。
「はなせ!はなせーっ!!」
暴れるラブラモンの耳元に、バチバチという音が聞こえる。
警棒が首元に押しつけられた瞬間。
強い衝撃が電脳核(デジコア)を襲い、意識が遠のいた。
ラブラモンが気を失うのを確認すると、男の一人が何かを取り出す。
ベルスターモンが持ち帰ってきたものと同じ球状の機械だ。
突出したボタンをラブラモンの体に押し付けると、青い光がラブラモンを包み込む。
ラブラモンの身体が光に包まれ、ボタンから機械の中に吸い込まれると、機械の透明な部分にDNAの螺旋のホログラムが生まれた。
実体化したデジモンの身体をデータに、その体重をデジモン各個のデータ量に還元し、収納するシステム。
デジモンの身体がデータで構成されている事を利用した、質量保存の法則をクリアした代物だ。
ラブラモンをその機械に収納した男達が立ち去ろうとした時。
「ホアアチョオオオオー!!」
一人がどこからともなく飛んできた紫色の影に蹴り倒される。
トゥルイエモンだ。
「その機械に今入れたデジモンを放してもらおうか!ーー『雷撃踵(しょう)』!」
続いて高速で回転しながら飛び出し、もう一人へ踵落としを浴びせたのはバウトモンだ。
だが彼らだけではない。
彼らが現れた後ろから声がした。
「頼む!あの子をあいつらの手に渡してはいかん!」
そこにいたのは黄色い身体をした恐竜の子どものような見た目のデジモン。
アグモンと呼ばれる成長期デジモンだが、ハンチング帽にコートとステレオタイプの探偵のような格好をしていた。
「わかってるが、あいつら逃げ足が速いぞ!」
一人を倒したバウトモンが舌打ちしながら振り返る。
男達は、ラブラモンを閉じ込めた機械を持った一人を守ろうと、積極的にトゥルイエモンやバウトモンへ向かってくる。
肉壁になるつもりのようだ。
どこからともなく車が走り、男達の前へ止まる。
「こいつ、また邪魔するアルか!」
肉壁に押されてトゥルイエモンがうんざりと叫ぶ。
その間にラブラモンの入った機械を持っている男が車に乗り込んだ。
ギュリィィィイイイイイイイ!!!
タイヤがアスファルトを荒々しく擦る。
バウトモンとトゥルイエモンを蹴散らす勢いで、車はどこかへ走り去った。
男達も、打ちのめされた仲間を抱え逃走する。
「くそっ!」
「焦るな」
「でもよ!」
バウトモンが歯軋りしながらアグモンの方を向き直る。
アグモンはハンチング帽を軽く爪の先で持ち上げ、去っていく車を見た。
「バックナンバーはすでに確保しておる。ともかく、先程の彼を起こして戻るぞ」
「………わかりましたアル」
ーーーー
一時間後。
…渡部巡査の家の中は重い空気に包まれていた。
当の家主でさえ、未だかつて勤務中にあって味わったことのないものだ。
ラブラモンがさらわれた。
不覚にも、自分は注意を払えず、守れなかった。
「……それで」
口を開いたのはシルフィーモン。
「彼らの居場所について足掛かりは?」
「先程、奴らが乗った車のナンバープレートは押さえた。むろん、これだけでは場所の特定には行きつかぬ。そこで…」
シルフィーモンの問いに答えながら、探偵の姿をしたそのアグモンは、シルフィーモンやグルルモンにはあまりにも見慣れた道具を付けた片腕を示した。
「ウイルスの一種を車に仕込んだ」
「それは…美玖が着けているものと…」
「うむ。わしが着けているこれはプロトタイプだが、あの子に与えたものはデバイスも含めこれがなければアップロードがままならんでな」
渡部巡査を拾って家へ駆け込み、事態を話す傍らでこのアグモンは自らを探偵であり美玖の師と名乗った。
どこで聞いたか美玖の現状を知って、トゥルイエモンとバウトモンにコンタクトを取り合流。
そこで美玖の探偵所の関係者たる三体に会おうと向かった先で、ラブラモンがさらわれたところに居合わせたわけである。
「あの子がまさか奴らと接触してしまうとは、そのうえ撃たれるなどと…」
探偵アグモンはしかめ面で顔に手を当て、嘆息した。
「だが、まずはさらわれたラブラモンを救わねば。良いか、車にウイルスを打ち込んでおいた。それをこのツールで探知する。奴らは極力人目を避けるだろうが、ラブラモンの匂いを知っとるならそこの彼に追跡を任せられるはずだ」
「ソレハ構ワナイガ…」
探偵アグモンに目を向けられたグルルモンはシルフィーモンと顔を見合わせる。
「俺ダケデ行クベキカ?」
「うむ。大人数で追えば却って追跡を気づかれよう。なにより、主らの顔は向こうへとうに割れておるゆえ素で行くのも勧められん。ワシと主だけで行けば偽装コマンドによるカバーはできるはずだ。やれるか?」
「………アア」
グルルモンが立ち上がると、探偵アグモンはその背中にひらりと乗った。
かなりの差であるに関わらず随分と身軽である。
「では、ワシはこのグルルモンと追跡に出るゆえしばし待て!」
「そ、そんな急に………行っちゃった…」
一飛びで庭を飛び越えるグルルモンに、ノワールは呼び止められず。
ブランがシルフィーモンに尋ねる。
「あのアグモンさんが、美玖さんのお師匠様なんですか」
「彼が着けているあの道具で疑う余地はない。あれと同じものを美玖も着けているし、彼女から以前に話は聞いていた」
「……にしてもねぇ」
ベルスターモンはあぐらの姿勢をとりながら考え事をしていた。
「ありゃ、多分だがそれなりに名のあるデジモンなんじゃないか」
「え?」
「あそこまで雰囲気の違うアグモンなんざ見たことないし、纏ってる雰囲気が成長期やそこら辺の成熟期とは段違いなんだよ」
そう言うベルスターモンにノワールは目を瞬かせる。
「じゃあ、あのアグモンって」
「アタシの見立てじゃありゃおそらく完全体…それも相当に長く生きてる奴か究極体が退化(スケールダウン)したものだろうね」
「………退化、か」
シルフィーモンはハックモンもといジエスモンのことを思い出した。
究極体デジモンがおいそれと人間の世界に来れないのは、イグドラシルと人間の契約ゆえ。
完全体デジモンまでをギリギリのラインとして、イグドラシルは人間の世界へ入る事を許した。
究極体デジモンはデジタルワールドに強い影響を及ぼす者が多い。
それが人間世界に飛びだせば、いずれは強い悪影響を人間世界を通じてこちらに及ぼしかねない危険がある。
イグドラシルはそう判断した。
そのような判断から、デジタルワールドから究極体デジモンが人間世界に入ることも、人間がデジタルワールドへ入る事もイグドラシルは厳重に規制した。
……依然、デジタルワールドに人間が迷い込む事があるにも関わらず。
一方で、イグドラシルが例外として人間世界への進入を許している者達もいる。
その例外の一部が、イグドラシルの傘下に入るロイヤルナイツ達。
デジタルワールドの秩序を護るため彼らは滅多に自らの意志で人間世界に足を踏み入る事はない。
ならジエスモンが何の意図で、自身ら探偵所の者と接触を図ったのか。
「それに、あのラブラモン、あれ元があのアヌビモンだろ?」
「え?」
「は??」
バウトモンとトゥルイエモンが唖然とする。
「お、おい、アヌビモンって…」
「デジマアルか!?さっきのよりも衝撃的アルよ!?」
「…………すまない」
シルフィーモンが真顔で言う。
「事実、なんだ。私と美玖が前にエジプトで行方を絶ったとの事で探すようにと依頼されていたデジタマが、ある理由からアヌビモンが自身の力を使ってなったものでな。ラブラモンは、そのデジタマから孵ったものなんだ」
「なんと!?」
「あ、あの…」
渡部巡査が割って入る。
「そ、そのアヌビモンっていうのは凄いデジモンなんですか?」
「ああ、デジモン知らない奴(クチ)かいアンタ。まあ、一言で言えばそうさね…こっちで言うところの閻魔大王とかいうのみたいなものさ」
「え、閻魔大王…」
「デジモン達が死んだ後に行くダークエリアという世界の管理人でもある」
ベルスターモンとシルフィーモンが言うと、渡部巡査は何やら混乱した様子。
「ぼ、僕らはそんなデジモンに朝ごはん作ってもらったり、ゴミ出しに手伝ってもらったりしてたのか…!」
「……そう考えるとすげぇな…」
バウトモンがぼやいた。
ダークエリアの管理者にして裁判官がそれをやるギャップ。
だが今はそれよりも。
「美玖には今、阿部警部の奥さんがついている。何かあれば連絡をくれるよう頼んでいるので私達は一度待機。アグモン達が戻ってきたら本所警察署へ行くことを提案しよう」
シルフィーモンは全員の顔を見ながら言った。
…………
目を覚まし、一番最初に感じたのは冷たく固い床。
空気を鼻から吸い込めば、鉄錆と薬品が混ざったような嫌な臭い。
「……っ……うう…」
まだ力が入らない体を無理矢理起こし、ラブラモンは自分が今いる場所を見回した。
そこは、暗い部屋の中だった。
あまり大きな部屋ではなく、鉄の格子が付いているのを見るあたり独房のようだ。
所々にデジモンのものらしき毛や髪が散らばり、壁や床には引っ掻き痕が残されている。
ここへ閉じ込められたままでは、いずれロクな事にならないだろう。
「……」
格子に耳を押し付け、わずかでも音声を拾おうと努める。
まもなく、二人分の足音が近づいてきた。
話し声も聞こえる…が。
「……………」
「………、………。………」
やはり中国語っぽい言葉…美玖が言っていた『広東語』なのだろう、会話が全くわからない。
やがて足音はラブラモンが入れられた部屋に近づいてきた。
すぐ横になってまだ気を失っているふりをする。
(いま、わたしがおきてるってわかったらだめ…!)
人の気配がすぐ近くに来るのを感じる。
薄目を開けてちらりと見やると、痩せ型の男と豊満なバストをした黒髪ショートヘアの女がいる。
二人ともに白衣を纏い、薬品の臭いを漂わせていた。
「………、…………」
「…?………、……………」
「…」
二人は話しながらラブラモンを見やる。
(だいじょうぶ…きづいてない…)
しかし。
ラブラモンは不吉なものを覚えていた。
二人連れのうち、女の方にである。
女はぱっと見で年齢30代ほど、濃い紫のアイラインが目立つ派手めな化粧をしている。
だが、ケバケバしさは感じず、むしろ匂いたつような色気を帯びていた。
(このけはい…どこかで…)
まもなく、男からの言葉に女が応じて、それをきっかけに二人は部屋から去った。
と、その時。
女がラブラモンの方を振り向く。
そして、唇が紡いだのは、ラブラモンにも馴染みのある言葉。
「そうよ…あなたのことはたっぷりともてなさなくちゃね、アヌビモン……ふふふ」
(……!?)
意味深く含み笑いを浮かべながら、女は背を向けた。
二人が立ち去ると、ラブラモンはのそりと起き上がった。
女の正体が気になるが、それよりまずはここを抜け出し、情報を引き出さないと。
(ええと…あ、とられてない!よかった!)
耳の裏に仕込まれた小型の機械に爪で触れると、がしゃりと変形してバッグのような形態になった。
物をデータ化して持ち歩くバックパックのようなツールだ。
ジャンク屋で買い取った物を、シルフィーモンのコネで修理し美玖がラブラモンにプレゼントしたのだ。
中は大体、あって困らないようなものを美玖が選んで入れている。
「このへんに……あった!てるみっとできるやつ!」
耳からツールを外してぽちぽちと押すと、丈夫に梱包されたポチ袋とチャッカマンが出てきた。
このポチ袋の中には、事前に混ぜ合わせておいた酸化鉄の粉とアルミ粉末が入っている。
「せんせいがおしえてくれたほーほーで…しんちょうに…」
包みを少し開けて格子を中心に粉を撒いていく。
粉を撒いた後は、かなり後ろまで下がりながらチャッカマンの火を着け、粉を撒いた部分に近づけた。
……まもなくして、粉を撒いた部分から凄まじい熱と光が起き始めた。
テルミット反応は酸化鉄とアルミ粉末に火を近づけることで起きる化学反応のひとつ。
本来は専門家の指示を受けながらやるべきものだ。
美玖がラブラモンにこのテルミット反応の利用法を教えたのにはむろん訳がある。
ひとつは、成長期デジモンとしての非力さをカバーするためのもの。
もうひとつは、このような囚われの状況等に陥った時のもしもの対処法としてのものだ。
「……おりが、とけてく!」
熱されて真っ赤に格子が溶け落ちる。
格子から3000度レベルの高熱が引くまで時間を待つ必要こそあったものの、誰も来なかったのが幸いした。
「……えいっ!」
格子に体当たりすると、高熱から冷えた格子は大きくひしゃげる。
廊下へ出ると、ラブラモンは物陰に隠れながらそっと空間の把握のために周辺を見回した。
廊下は乱雑に段ボールが置いてある以外はごく普通の廊下だ。
ドアが幾つもあり、ラブラモンだけでは調べるのに時間がかかるかもわからない。
(……わたしだってたんていじょのひとりだ。せんせいのためにも、がんばらなきゃ!)
…………
探偵アグモンの連絡があったのは、待機してから30分弱。
指定された場所へ渡部巡査以外の全員で向かうことにした。
「本所警察署に連絡して貰って良いだろうか?実際に被害を受けたわけだし、昨日から早々に発見があったと言う事は他の場所でも目撃証言はあると思う」
「わかりました」
シルフィーモンの言葉にうなずく渡部巡査。
神田巡査部長の耳にも入れておきますと告げる彼とその家を後にしたデジモン達一同が向かった先は、隣の台東区、上野公園の噴水前。
「おう、ここだ」
探偵アグモンがグルルモンのそばで手を振った。
合流すると、彼は早速探索の結果を話した。
「場所の特定は完了した。場所は吉原の一角だ」
「吉原?」
「人間達の娯楽の街…で良いかね。そこの廃ビルを連中は拠点にしてるようだ」
言葉をだいぶ濁しているが、無理もない。
濁された言葉の意味がわかったのはシルフィーモン一人だけだった。
「車をその駐車スペースに入れて奴らは中に入ったのを見届けた」
「俺達ニ気ヅクコトナク、ナ」
「すると問題はその侵入方法だな。廃ビルということなら、我々揃って一斉に入るか?」
「でもラブラモンだけじゃなく他にもデジモン達が捕まってるのよ。人質にとられるような事態は避けたいわ」
「……ふむ」
やりとりを眺めながら、探偵アグモンは考え込んだ。
「なら、少数でいくというのはどうでしょう」
「でも顔が割れてるって話なら、不意打ちされるかもだろう?あいつらには、こっちの動きを奪える手段があるんだぞ」
そこで、探偵アグモンが片手を上げた。
「ふむ、ならシスタモンブランの言うように始めから少数で行くのはどうだ。…むろん、そのまま、ではない」
「どう行くつもりだい?」
探偵アグモンはツールをなでさするようにした。
「…シルフィーモンよ、お主が美玖と共にいたのなら、あの子の持つデバイスの機能のうち偽装コマンドについて知っとると思うがどうかね?」
「何度かあれには世話になったが…そうか、そういうこと…」
「何がよ?」
ノワールが聞くと、探偵アグモンは説明を始めた。
偽装コマンドを使い、人間の姿になりきる。
二体までとし、他のデジモン達は携帯や端末からネット空間に待機。
先んじて廃ビルに侵入し、中を探索。
ある程度中を調べてラブラモンや他のデジモン達の居場所を把握し確保したか、あるいは…。
「我々と知られて交戦状態になった時は飛び出してくれ」
「悪クナイ案ダトハ思ウガ、ソレハ誰ガ行クンダ?」
「それは、ワシが今決めた。彼と行こう」
探偵アグモンが言いながらシルフィーモンの肩を叩いた。
何度か経験がある者なら、柔軟な対応が可能なはずだ。
……なにより。
「あの子の助手として助けになったというその手腕、頼りにさせてもらおう」
ーーーー
ラブラモンは廊下を注意深く歩きながら、扉の一つをそっと開ける。
中はこれまた薬品の臭いが充満しており、思わず尻込みした。
薄暗いが、中には実験器具が所狭しと置かれている。
そろりそろりと中に入った時、テーブルの上から物音と声がした。
「おい、誰かいるのか!?」
「!」
びっくりして見上げると、テーブルの上に水槽が置かれその中に一匹のネズミのようなものが閉じ込められている。
「ここだ、ここ!早く出してくれ。ちくしょう、あいつら、オイラをその辺のネズミみたいに扱いやがってー!オイラだってれっきとしたデジモンだってのによお!!」
泣きわめきながらそのネズミ…のようなデジモンはケースを叩いていた。
「まってて!いま、たすけるから」
「ありがてえ!」
ラブラモンが近くにあった椅子を引いて踏み台にし、ケースの蓋を外す。
ネズミのようなその小柄なデジモンは、ケースから飛びだすと大喜びで跳ねた。
「ありがとうよ!同じ成長期デジモン同士のよしみだ、一緒にここから出ようぜ!」
そのデジモン、チューモンは言いながら、ラブラモンの頭の上に乗った。
チューモンというデジモンは非力だがズル賢く、危険が迫ると逃げてしまうせこさを持っている。
「まって、わたしもつかまったしここからにげたいんだけど、まずやりたいことがあるの!」
「はああ!?」
「だから、さきにきみだけにげて!」
信じられないといった顔でチューモンが頭を抱える。
それでもラブラモンの気が変わらないのを見ると、意を決したように身を乗り出す。
「一体何をしたいんだ?」
「わたし、たんていじょにいるでじもんなの。ここのにんげんがでじもんをつかまえる、わるいにんげんらしくて…ちょうさちゅうに、つかまっちゃった」
「なーるほど?」
「そのにんげんたちに、せんせいがうたれたの。やさしくて、わたしたちでじもんのことがだいすきな、いいせんせい(人間)。せんせいのためにも、ここのにんげんたちのじょうほうがほしい」
「また命知らずなマネするなあ!……探偵ねえ。無理に命張るまでもないと思うけどなあ」
うーん、と唸るチューモン。
「……しかし、そうだな。最近、人間の中に、オイラ達デジモンを捕まえて何か企んでる連中がいるって噂がホントだったってのは皆に伝えないとな」
「うん、ありがとう。……もしものときがあったら、きみだけでもにげてね」
「良い子ちゃんすぎるぜお前…でもありがとよ」
………
ラブラモンが目を覚ます一時間前に遡ろう。
ソープランドが立ち並ぶ吉原の一角。
呼び込みの女性が歩く二人組の男を見てネズミ鳴きをした。
それをちらりと流し見し、黙殺して去る二人。
一人は色黒の壮年で、190cm超えの身長に精悍な体つきだ。
バサついたダークグレーの短髪に、ステテコとタンクトップという吉原には似つかわしい組み合わせの格好である。
もう一人は後ろへおろしたロングヘアの茶髪に、中性的で整った顔立ち。
連れと比べてかなり年若い。
長身痩躯でその足取りはかなり軽い。
鮮やかなライトブルーの目は注意深く周囲を窺うように煌めくが、それが男女問わず彼にひと目惹かれる要素ともなっていた。
言わずもがな。
この二人は、探偵アグモンとシルフィーモンだ。
探偵アグモンの持つツールに搭載された偽装コマンドで、人間の姿に擬態しているのである。
連れ立ちながら、探偵アグモンーー壮年の男の方ーーが、若い中性的な男…シルフィーモンに言った。
「連中がいる廃ビルは信号を二つ過ぎた先だ。侵入経路だが、裏口から入る。そこを入ってすぐ連中がいる可能性は高い」
「侵入して誰かいた場合は気絶を狙った方が良いか?」
「そうだな。あの子が言うその広東語という言葉が我々には使えない以上、多少の強硬手段はやむを得まい。一人だけなら我々でもどうにかできるが、それ以上人数がいるようならその時点で待機した皆を呼ぶとしよう」
「場合によっては私が陽動する」
そう話し合いながら、二人はまもなくその廃ビルの近くへとたどり着いた。
廃ビルは見た目だけなら誰も住んでいる気配も様相もない。
何食わぬ顔で二人は廃ビルより手前の通路へ曲がり、先程まで歩いた街並みの向こう側へ移動する。
廃ビルの裏手口はそこから侵入ができるはずだと探偵アグモンは言った。
裏手口まで着くと、緑色の古びたスチール製のドアが一つ。
探偵アグモンがシルフィーモンに目配せ。
シルフィーモンがうなずくと、先んじてノブに手を掛けて開けた。
…建物内は薄暗く、人の気配はあまり感じられない。
探偵アグモンが壁にある案内を見つけて見上げた。
「最上三階、地下一階…」
シルフィーモンも案内を見ると、元はソープランドを経営していた会社だったのか社名と見取り図が書かれていた。
「ラブラモンが閉じ込められているとしたら、地下か二階辺りだろうか?」
「二手に分かれて探すのは悪手だ、手がかり探しも兼ねて一階を固く探すか」
…………
廊下はとても暗い。
ラブラモンの頭の上からきょろきょろと見回しつつ、チューモンは尋ねた。
「手がかりってたけど捕まってる皆がどこにいるのかわかるか?」
「ううん」
「それを先に探そうぜ」
「うん。そういえばちゅーもんはどうしてつかまったの?」
「オイラ?…しくじったんだよ、ダチ助けようとした先でさ」
チューモンは自身の友達と言ってはばからない相手であるスカモンが捕まったのを、助けるために乗り込んだのである。
しかし、ドジを踏んで見つかり、そのまま捕まってしまったのだ。
「あいつら、オイラをモルモットみたいに扱うつもりだったらしくてよ。色んな薬揃えてやがったんだ。ひでぇ臭いだったぜ」
チューモンは言いながら鼻をむず痒そうにした。
「おいといて、ひとまず人間の匂いはまだしないみたいだ。今のうちに探せるところを探そうぜ」
ひとまず目についた先の扉へと入ってみる。
そこは資料室だろう、本棚と机、デスクトップパソコンが置いてある。
パソコンは起ち上がっていない状態だ。
「ぱそこん…!」
「やったぜ!逃げ道はひとまず見つかったな」
ひらりと机の上に飛び乗ると、チューモンはパソコンの電源を起ちあげた。
画面はすぐについたが、それを見ていた彼は舌打ちした。
「くっそ、ご丁寧にパスワード付けてやがる!」
「ぱすわーど?」
「このままじゃネット空間に入れない」
パソコンへのログインができなければ、ネット回線に繋げられずデジモンもネット空間に入ることが叶わない。
とはいえ、パソコンを常々使っているのなら、パスワードを見えやすいところに貼る人間もそうそういないだろう。
「ぱすわーど、さがさなきゃ」
「やっぱりそうだよな…くっそー!」
近くにあったマウスを蹴飛ばしかけ、チューモンの耳がピンっとまっすぐ立った。
たちまちその表情に焦りが浮かぶ。
「おい、誰か来るぞ。隠れろ」
「!」
一人分の足音。
チューモンが何かを見つけて指差す方を見れば、部屋のドア近くに逆さに置かれた段ボール箱が目に入った。
咄嗟に下へ潜り込む。
間一髪、白衣を着た一人の男が中へ入ってきた。
先程、女と一緒にいた痩せぎすの男だ。
男は段ボールに隠れたラブラモンとチューモンに気づかず通り過ぎ、パソコンの前まで来た。