帰国してから二日目。
穏やかで暖かい朝日が窓から照らす。
湯気立つ匙の中の離乳食をふうふうと冷まして、白いまんじゅうのような身体についた口元へそれを持っていった。
「はい、あーん」
「きゅ〜ん!」
匙を大きく口でぱっくりと食らいつく。
噛まないよう匙を抜くと、それは美味しそうに咀嚼。
「美味しい?」
「もぐもぐ…きゅ〜」
嬉しそうに口の中を空っぽに次を催促する幼年期デジモン・パオモンに、美玖は微笑む。
「良かった。ちょっと待っててね……はい」
「きゅー」
人間用の離乳食を温めたものを匙で掬い、息で冷ましてから再びパオモンの口元へ。
パオモンも気に入ってすぐぱくり。
そこへ、朝刊を取りに行ったシルフィーモンが戻ってきた。
「食べてるかい?」
「はい。気に入ってるみたい、良かった」
「それでなくても固形物は十分いけるとは思うが…食べてくれるのなら安心か」
シルフィーモンが言いながら美玖の隣の椅子へ腰をかける。
「でも、こうしてみると赤ちゃんなのね」
美玖はそう言いながら、パオモンに食べさせる。
「不思議、だと言うのか?」
「不思議…というよりは、人間みたいなものでしょうか。今はこんなに可愛くても、立派になったりそうにならなかったり…。デジモンでも、そういう所は人間と変わらないのではないでしょうか」
「そうくるのか…」
苦笑いしながら、シルフィーモンは朝刊を開く。
お腹いっぱいになったのか、パオモンの食べるペースが遅くなり、うとうととし始める。
「なんだか、本当に赤ちゃんのお世話をしているみたいになるんですよね。可愛い…」
食器を下げ、美玖はパオモンを自分の膝の上に抱っこした。
優しく撫で始める。
パオモンもお腹いっぱいになったのに加えて、暖かい日差しの中撫でてもらえて気持ちよさそうに目を閉じる。
子犬のような赤くくるんと巻いた尻尾が左右に揺れた。
「ふふっ、ねぼすけさん…」
笑顔で撫でている美玖の傍ら、朝刊を読んでいたシルフィーモンの表情に軽い驚きが浮かぶ。
「何…!?」
朝刊の記事、小さなスペースに書いてあるもの。
それは、エジプトへ行った先で逮捕したあの白人男性の……
ーーー
「脱走だと?」
アランが眉根を寄せながら電話先のカイロ警察署の署員に声を荒らげた。
『は、はい…深夜に突如爆発があって、来た時には居室そのものが破壊されていました』
状況を詳しく尋ねれば、その際署にいた何人かが殺された状態で発見されたという。
それも…人間の手でやったとはとても思えない惨状だと。
「まさかデジモンか?しかしそんな奴が…」
言いかけ、アランがあっと声を出した。
「あいつか!逃げたとかいう…フェレスモンというデジモン!!」
ーーー
その一方。
デジタルワールド、データの粒子煌めく"玄関"の前で、三つの影が向かい合っていた。
そのうち、二つは人間の男女。
一つは黒い騎士のような容姿のデジモンだ。
「……では、件のデジタマから孵ったそのデジモンは、日本に」
「此度に関しては、五十嵐探偵所に属するシルフィーモンというデジモンからの意見に従いました」
初老の女性は答えながら、デジモンの方を毅然とした面持ちで見つめる。
「五十嵐探偵所の所長、五十嵐美玖さん。彼女は5年前の事件で精神的なトラウマを負っているにも関わらず、少しばかりデジモンに対し心を許しすぎるきらいはありますが預け先としては適任と判断した次第。昨日彼女からエジプトで一連の事件についての報告書と幼年期デジモンの観察レポートが届いていますので、ご覧なさいませ」
「そうさせてもらおう」
「右に同じく私も」
デジモンと男は、彼女が電子データの形にした"書類"を受け取る。
そしてデジモンは男の方を向いた。
「次にそちらについてだが、ガルフモンの顕現を企む人間がいた件についてだ。拘留中との事だが詳しい話を…」
「それについてですが、先程エージェントから連絡が入りました。……その男が脱走したと」
「なんと」
女性の表情にも強張りが見られた。
「……詳しい話をお聞かせ願えますか、毛利さん」
「昨日にカイロ警察署に現れて数人の署員を殺害したデジモンと共に脱走した模様。おそらく、儀式までの間関与と存在が確認されたフェレスモンというデジモンの仕業ではないかと見られています」
「……そう。厄介ですわね」
「こちらから捜査に一騎送ろう」
デジモンは頷き、片手を頭上に掲げた。
モニターのようなものが展開され、そこに白い騎士が映り込む。
「何事だ?」
「例のガルフモンのリアルワールドへの顕現を企んだ人間の件だが、たった今拘留中に脱走したという情報が入った。ジエスモンから得た話からして、動きを続行しないとも限らない。一騎、送れるか?」
「可能でしたら、隠密のできる方の派遣をお願いいたします」
と女性。
「5年前に日本で起きた事件のような惨状を起こす引き金にならないとも限りません。貴方方ロイヤルナイツにその器用さがあるならば、何も言う事はありませんが」
「これは手厳しい事を仰る、三澤女史」
デジモンが振り返る。
「…と言う事だが、どうしたものか」
「引き続きジエスモンを派遣させる。あれがことのほか適任だろう。エジプトでの件も含めて、な」
白い騎士の碧い目が瞬いた。
「それならば、私からも一つ頼まれて貰おうか、三澤よ」
「どうぞ、オメガモン」
「エジプトにてクレニアムモンが捕らえた人間の属する組織についてだ。その調査を」
女性…三澤が頷く。
「幾度となくデジタルワールドへの不法侵入が確認されている組織。こちらも五十嵐探偵所所長からの報告書にありました。発見したのは四人の東洋人…おそらく其方で身柄を確保されたのはその一人でしょう。これまでの件と同様、中国人の可能性が高い。ならどう組織そのものの場所を炙り出すかこちらも本格的に腰を入れる頃かと」
「私個々としても、あなたの能力を大いに買っている。こちらもジエスモンにはくれぐれもと忠告はしておくとしよう」
「助かりますわ。然るべき時にその人物の身柄を引き取りに参ります」
……
デジタルワールドより先、人間世界の向こう側へと帰る二人の姿を見届け、黒い鎧の騎士は踵を返す。
(…デジタマから孵った幼年期デジモンは日本へ。とならば、ジエスモンには日本に向かってもらう方が良い)
電子の海が見えるフィールドを、黒い騎士は振り返る。
あらゆるデータの残滓とバグが揺蕩う、文字通りの海。
鮮やかかつ眩い色彩を帯びたそれをロイヤルナイツの一騎、騎士にして策士たるドゥフトモンは眺めた。
「…五十嵐、美玖。5年前のメフィスモンによる警察官大量惨殺事件の生き残りの一人。ガルフモンの復活の呼び水たるレンズを破壊したという人間。クレニアムモンとデュナスモンの証言が気になる。彼女についても此方で調べるとしよう」
ーーーー
「デート中に爆発…?」
信じがたい表情で、美玖は思わず尋ねた。
「ほ、本当です…!」
「二人、ベンチで過ごしていたら突然、叫び声と共に後ろから凄い爆発を起こされて」
今回の依頼人は、若い男女のカップルだ。
二人揃って顔面蒼白に、美玖に訴える。
「場所と時刻は覚えてますか?」
場所はD地区内の公園で、午後20時頃にやられたという。
「同様の被害に遭ったという方の噂を聞いたことは?」
「いえ、少なくとも職場でもそんな話は聞いたことがないと言われました」
「でもその後、同じ公園で違う時刻にデートした時にまた同じことがあって…なんとか調べていただけませんか」
「なるほど、わかりました。継続して起きる事項となれば、警察にも掛け合いましょう」
美玖はため息をつきながらメモに書き込む。
確かに、同じ事が頻発しようものなら、当人達だけでなく公園の近隣にも迷惑だ。
「どうかお願いします!」
ーー
「……というわけで、D地区内の公園で似た事が起きていないか?」
「あんたらも大変だな」
C地区。
ハーピモン追跡の際世話になった情報屋だ。
煙草を咥えながら、ノートパソコンのキーボードをタイプする。
「しかし、随分と探偵業が板に入ってきたなシルフィーモン。話には聞いてたが、本当に探偵の助手になったとは驚いた」
「なぜだ?」
「デジモンにしちゃ人間に興味ない部類だろ、あんた。探偵ってのは人間を相手にする仕事だ。俺の情報屋も似たようなもんさ」
シルフィーモンはかぶりを振る。
「私は彼女の用心棒がメインだ。それ以上の仕事はデスクワークと痕跡調べの手伝い以外やらない」
「そうかぁ?あんた…ああだこうだ言って、結構世話焼くタイプだって言われた事ないのか。ともあれ……大型掲示板での書き込みのスレッドに…お、該当しそうなやつがあった」
スレッドにカーソルを当てる。
『某県D地区のリア充がリアル爆発してる件について』
「スレッドが立てられたのは五日前。わりと最近だな」
スレッドの内容を見れば、依頼人カップルから聞いた場所と同一と見て間違いなかった。
近くで爆発が起きて驚いたと書く者。
リア充爆発万歳!と喝采と歓迎を込めてレスを書き込む者。
全く関係のないものや一言のみのもの。
「ひとまず、ここにあるものだけならば、どうやらカップルの近くだと起こるって話らしい」
「どういうことだ?」
シルフィーモンが尋ねる。
今、美玖は一緒に来ていない。
パオモンを預けるため、阿部警部の家に行っている。
「さあてね。まあ、人間じゃこういうのは珍しくないよ。世の中、自分が幸せじゃない分、幸せな奴が不幸のドン底になるのが楽しくて仕方のない奴らが多いからね」
「……」
ーーーー
「……ん?」
探偵所に戻ると、手前に一台の車が停まっている。
ぺったりとしたグリーン色の軽自動車だ。
中で誰かがいる。
シルフィーモンが近寄ると、声が聞こえた。
「ほら、あれ、彼じゃない?デート頑張りなさい!」
「そ、そんな事言われても…恥ずかしいですって」
「…?」
少しして後部座席側のドアが開き、中から出てきたのは美玖だ。
しかし。
「…なぜ行った時と格好が違ってるんだ?」
シルフィーモンが呆気に取られた表情。
ベージュの透かし編みとパッチワークデザインが特徴のカーディガンに、ネイビーブルーのワンピース。
パオモンを送りに行った時はスーツ姿だったはずだ。
美玖が降りると、運転席から肩まで切り揃えたショートカットの女が顔を出した。
「今日はその公園、屋台が来てるそうだし、囮は囮でも楽しんでらっしゃいよ!終わったら連絡ちょうだい。パオモンちゃんと待ってるから」
「え、まっ…」
美玖がワンピースの裾を押さえながらあたふたしている間に車は出た。
すれ違い、女がシルフィーモンの方へウインク。
すぐ横を車が過ぎ去っていく。
車を追おうとしてシルフィーモンに気づくと、美玖は顔を真っ赤にして俯いた。
「今のといい、その格好は一体なんだ?」
状況を把握しかねてシルフィーモンが訊ねると、湯気が出そうなほど茹で蛸になった美玖が叫んだ。
「今から囮捜査で公園行くから!一緒に来て下さい!」
ーーー
D地区、現場となる公園内は、所狭しと屋台が構えていた。
休日という事もあり、子供連れやカップルでそこそこに賑わい、辺りを焼きそばやお好み焼きのいい匂いが漂った。
「そ、その…パオモンのおみやげに、何かあったら、買って…いきましょぅ……」
顔を真っ赤に、美玖が口を開く。
偽装(クローク)コマンドで見せかけを人間に変えたシルフィーモンの腕に、自身の腕を絡めている姿はいかにもカップルという風情。
事情を聞いたシルフィーモンは、普段と変わりなく、美玖に腕を絡められたままに任せて歩いた。
……
今回の囮捜査を発案したのは美玖ではない。
阿部警部の妻の典子だ。
典子は合気道の達人であり、師範代としてスクールを構え子どもや女性を中心に教えている。
その彼女から、事情を話した事でデートによる囮捜査案が出された。
『そのシルフィーモン、だっけ?前にヒロちゃんから写真見せてもらったんだけど、結構美形なデジモンなのよね。あんなイケメンがいるんなら一緒に囮捜査ついでデート行きなよ!勿体ない!』
『で、ででで、デート!?』
恋人が居らず仕事一筋だった美玖にデート経験などあるわけもなく、いつしか典子のペースに引っ張られてコーディネートからメイクまでバッチリとデート仕様にされてしまった。というわけである。
いつもはポニーテールを白のシュシュで束ねていた髪も、小さく編んだおさげがポイントのハーフアップだ。
可愛くも上品で清楚、といった雰囲気に仕上がっている。
「しかし、君の格好が変わった時は何事かと思った」
「そ、そんなこと言わないで下さい…」
「ひとまず私から離れないでいろ。いつ何があっても良いようにしているから」
いつもと大して変わらないシルフィーモンのリアクションに内心拗ねた。
恥ずかしい思いとはいえ、実は期待はしていたのである。
(やっぱり…同じデジモンでもスターモンさんとかなら言ってくれるんだろうけど…ちょっとは褒めてくれても良いのに…)
女性として見てもらえないにしても、認識がこうも食い違うと複雑だ。
そんな感情が板挟みになり、美玖は少し顔を下げた。
そこへ、景気のある声がかかる。
「よう、そこの兄さん!可愛い彼女にいいとこ見せてやりたくないか!?」
シルフィーモンがそちらを向くと、どうやら射的のようだ。
首にタオルをかけた男性が店番をしている。
「どうだい?」
「美玖、どうする」
「…じゃあ、一回」
BB弾をこめたライフル型のモデルガンが手渡される。
「どれか好きなのを撃って当てれば景品獲得だ!」
「…どれが良い?」
シルフィーモンがちらりと美玖を見やる。
ざっと景品を見て、大きめなクマのぬいぐるみを美玖は指差した。
銃口を向ける位置を調整したのち、シルフィーモンが引き金を引くと……
がたんっ
少しぐらついてから、クマのぬいぐるみは大きく後ろへと倒れ込んだ。
「おおっ!おめでとう!」
店番はシルフィーモンからモデルガンを返してもらうと、クマのぬいぐるみを手渡した。
「美玖」
「ありがとう」
クマのぬいぐるみを抱えて、美玖から先に射的を後にする。
「パオモンの友達にちょうど良いか」
もこもことしたクマのぬいぐるみをひと目見てシルフィーモンが呟く。
美玖は頷き、大きめのバッグにクマのぬいぐるみをそっと入れた。
「次はどこにするんだ?」
「うーんと…あ、りんご飴」
はたはたとワンピースの裾をなびかせて美玖は屋台の一つに向かった。
「へい!」
「りんご飴二つ!」
シルフィーモンが遠巻きに見ていると、三人の男が美玖を見るや近づいてきた。
「そこの姉ちゃん可愛いねぇ、一人?」
「い、いえ…」
「俺達今からそこで遊ぶんだけど一緒にどう?絶対楽しいから!」
「失礼しま…」
美玖はりんご飴二本を両手に脇を抜けようとするが、男達はしつこい。
「いいじゃん、付き合おうぜ」
一番背の高くがっしりとした体育会系が美玖の前を阻むのを見てシルフィーモンが近寄る。
「女の子がいてくれた方が彩りあるし楽しいんだよ」
「断る人を無理やり誘うような人はダメです」
「だからさぁ…」
粘る男の肩をシルフィーモンの手が掴む。
「あっ?」
シルフィーモンに気づいて色めく男たち。
「んだぁ、お前?」
隙を縫って、美玖がシルフィーモンの傍らへ走った。
それを後ろ手に庇いつつ、シルフィーモンが口を開いた。
「お前達がしつこく迫っているこの人の彼氏、だ。これ以上彼女に関わるなら警察を呼ばれても文句はないな?」
「……ちっ」
片手にちらつかせた携帯電話のダイヤル画面とそこに打ち込まれている110番に舌打ちが返ってくる。
去っていった男達に美玖は安堵した。
「ありがとう」
「今のは運が良かっただけだ。だから私から離れるなと…」
呆れた口ぶりのシルフィーモンだったが、目の前に突如丸い赤いものを突き出されて戸惑う。
「はい」
「なんだ、これは」
「りんご飴です」
もう一本、同じものを口に頬張る美玖。
「食べ物、なのか?」
「食べてみて下さい」
渋々受け取りながら、それをかじるシルフィーモン。
美玖はそれを見ていた。
「どうですか?」
「…………甘いな。これは…果物か」
「お祭りの定番のお菓子です。子どもの頃から、好きなんです」
「ふぅん…」
二口かじり、咀嚼する。
「美味しいですか?」
「ああ…美味しい」
「良かった」
美玖は胸を撫で下ろした。
それにしても。
(……今は屋台があるからあまり気にならないけれど、こうしてる間も何処かで爆発が起きてるのかしら?)
時刻は18時以降に発生頻度が多いという情報。
現在時計はまだ15時だ。
まだ早そうである。
「もう少し回りたいな…シルフィーモン、良い?」
「構わないよ」
その頃。
カーテンが締めきられた個室の中で、企みを交わし合う声があった。
「よーく聞けー。お前たちのおかげで公園に来るリア充どもへの爆撃は順風満帆。俺達は全世界の同胞達のヒーローに一歩近づいた!」
「へっへ〜、おジャマにいたずら、イジワルはどんどん任せてよー」
「そのうちしみったれた公園だけじゃなく、地区中でリア充どもに天誅を」
「その『てんちゅう』っての、ワタシてきにはもうちょっとちがうのお願いー。なんか、天使デジモンっぽくてやだー」
「やだー!」
「おっと、そうはいきたくてもこのマイソウル的にはだな」
一人の男を取り囲むは、小さな影。
…いずれも、デジモン達だ。
「いいか!今日もやる事は変わらない。ましてや今日は縁日だ」
「えんにち?あの、おまつりでしょ?」
「そう!リア充どもにとっちゃまさにたむろ場、バレンタインやクリスマスほどとは言わんが、俺たち非リアにとっちゃまさに苦痛と悪夢のサラダボウル以外のなんっっにものでもないのよ!なので本腰入れてくぞ!」
「「「あいあいさー!!」」」
ーーー
くじやゲーム、公園の広場で始まるショーを楽しんで。
いつしか夕日のオレンジが空を染めていた。
「…なんだか、懐かしい気持ちになってきました…はぁあ…」
紅潮した頬を緩ませて美玖の足は少しふらついた。
手元には枝豆とビールの紙コップ。
まだ完全に屋台が撤収したわけではないが、客足は控えめになってきている。
「休むか?」
「はい…」
ビールの最後の残りをグイッと干す。
「…飲んだくれだな」
シルフィーモンがその様子を見てぼそり。
ここまで来ると囮捜査どころかデートもへったくれもないのだが、当の美玖には聞こえていない。
公園の静かな人気のない場所へ移動し、ベンチへと腰掛け休ませる事にした。
(仕方ない、ここで仕掛けてくるのを待つか)
時計を見ればすでに18時半。
犯行が開始される時間帯だ。
話し声に振り向けば、別の男女二人が談笑しながら美玖とシルフィーモンの前を通過していく。
「シルフィーモン、屋台、どうだった?」
「悪くなかったよ。色々なものが見れたしな」
「そっかあ」
「………」
シルフィーモンが美玖の隣に座る。
「…いいか?美玖」
「なぁに?」
酒が入るとここまでタメになるかと思いつつ、シルフィーモンが続ける。
「前に言った事を覚えてるか?今が、その時かと、思ってな」
「うーん…少し」
なにが少しなものか。
「……私は、元々ここへ、人間の世界に来るつもりはなかった。色々とあっただけでな」
「ふーん」
「デジタルワールドにいた頃の私は傭兵のような稼業をしていた。前に協力してもらったダイブモンの所属しているディープセイバーズなどの勢力の雇われとして。ある時、とあるデジモンの護衛をして人間の世界まで行った。までは良かったんだが…トラブルがあってな」
シルフィーモンは肩をすくめた。
「そのデジモンがよりによって不正な方法で人間世界の進入をした事が発覚した。そのとばっちりで強制解雇となってしまって…路頭で迷う羽目になったんだ」
今思い出してもバカバカしい話だ。
「デジタルワールドと違い、人間の世界で滅多に戦いは起こらない。そこで何でも屋のようなものをやっていた」
日本という、世界的に見てもおおっぴらな生命のやりとりがほとんどない場所で。
シルフィーモンは何でも屋という形で人間を相手に走り回るのが常となっていった。
「変なものだなとも思ったよ。人間からの依頼にも色々あるが、なんでそんなものを頼むんだと思ってしまうものまであった」
「ふぅ〜ん…」
「君と会った事については…説明はいらないな」
生返事が返ってくることに関しては、敢えて黙っておく。
どのみち、真剣に聴いてもらうには値しない話だ。
「君と出会った時はな、正直に思ったよ。こいつはデジタルワールドに放り込まれたら絶対に死ぬな、とね」
「し、しぬ?」
「ハーピモンを前に私を後ろから麻痺らせたことを忘れたか?」
美玖からすれば、説得するのに必要な事だったかもしれない。
が。
「ハーピモンは本来、狡猾なデジモンだ。反撃か逃亡の好機とこちらを襲う事だってあり得たんだぞ。私が動けないところで、君を殺すことなんか簡単だった。とどのつまり、人間で弱い癖に、馬鹿だ。君は」
本音が出たが構うものか。
「デジタルワールドは弱肉強食の世界だ。行きたいから行ったで、無事で済む世界なんかじゃない。君が行ったら…最悪半日も生きてなかったかもなーー」
その時。
「「リア充ばくはつしろーー!!!」」
合唱のような叫びと共に、近くで爆音とそれに遅れて悲鳴が聞こえた。
「!」
シルフィーモンが頭上を見ると、複数の小さい影。
夕闇に溶け込む体色か姿を視認しづらい。
「こっちにもいたよ!てりゃー!」
「ふんじんばくはつ、とうかー!!」
言葉と共に降りかかってきたのは白い粉。
美玖は何の事かとぼんやり眺めている。
「美玖!呆けてる場合か!!こんな時に!」
美玖を抱え上げてその場を走り出す。
直後、爆発が連鎖し巻き起こった。
「…あいつらは」
シルフィーモンが振り向きざま、中空をパタパタと舞うもの達に目を向ける。
「くすくすくすくすくすくす…」
「見て見てー!逃げてる、なさけなーい!」
「ねえ、あっちにもいたよー、ボスのためにどんどんやっちまおー!」
パタパタと頭の翼をはためかせながら、紫色のハムスターに似たそれらは小麦粉の袋を前足にほくそ笑み…。
真下から秒速で迫る白い拳から逃れるには遅かった。
「ぴ、ぴぃーっ!?」
あっという間に吹っ飛ばされた仲間に他のもの達は逃げ惑ったが。
がしっと白い毛に包まれた手に頭を鷲掴みにされたのが二匹。
「あわわわわわ……」
「な、なんで、完全体デジモンがここにいるのー!?」
「聞いてないよー!!」
偽装を解いたシルフィーモンの急襲に、そのデジモン達…ツカイモン達は逃げ出した。
シルフィーモンに頭を掴まれた二匹のツカイモンが、涙目で逃げる仲間に訴える。
「待って、待ってよー!置いてかないでよー!!」
「……おふざけはそこまでか?」
シルフィーモンの低い声に二匹のツカイモンの全身からぶわっと汗が吹き出た。
「お前達の仕業だったとは、ツカイモンども。随分と派手にやりやがったな」
「ち、ちがうよー!」
「や、やったのはワタシ達だけど、ボスのかんがえてることが楽しそうだったからきょーりょくしただけなの!」
ツカイモンは成長期デジモン。
逃げ惑う前の彼らをざっと見た限りでは十匹ほどはいたが、数だけでどうにかできるほどシルフィーモンは愚かでもなければ弱くもない。
「ボス?」
より一層声を低くしながら、シルフィーモンは手に力を込めた。
「い、痛い痛い!」
「話すから!話すから離してよー!うわーん!!」
ツカイモンは意地っ張りで弱い者いじめの好きなデジモンだが相手が悪すぎる。
ましてや、今のシルフィーモンは虫の居所が最悪だった。
「…どうしたんだあいつら?」
草やぶに身を隠しながら、一人の男が双眼鏡で必死にツカイモン達を探していた。
さっきまであれ程盛況にやっていたのが、なぜか蜘蛛の子を散らすかのようにツカイモン達が逃げていくのが見えたのである。
「おーい!お前達急にどうしっ…」
声を張り上げたところ、背後から突然蹴倒された。
「うわっ、ぶっ」
倒れ込み、更に後ろから力強く背中を踏まれた。
「う、ぐっ!だ、誰だよくそっ」
頭をどうにか後ろへ巡らせ…固まる。
目の前にいたのは、一体の人型のデジモン。
人の上半身に猛禽の下半身。
その顔は上半分をゴーグルで覆われ、表情がわからない。
両手には気絶した二匹のツカイモン。
「ひっ…!」
男は理解した。
ツカイモン達が逃げた原因は目の前のデジモンだ。
しかも、いかにも強そうなそいつが、殺気すら孕んだ様子で自分を見下ろしている。
「お前が『ボス』だな?」
「ひ、は、はいっ!」
デジモンの中性的かつ端正な顔つきは、男にとっては抹殺したいタイプだが恐怖が上回った。
低い声でそのデジモンが続ける。
死刑を宣告するかのように。
「安心しろ。すでに通報しておいた。警察による説教タイムがお前を待ってる。喜べよ」
「ぎゃー!!!」
ーーー
「ほら、早く乗れ!」
「はいぃぃいい……」
警察が到着したとき、男は幼児退行しかねない有様だった。
ツカイモン達も全てシルフィーモンによって捕まり、意気消沈しながら男とパトカーに同乗した。
「…何してたんだろう…私」
酔いの覚めた美玖は頭を抱えた。
事態が起こったにも関わらず、自分はただ酔っ払ってただけだったのだ。
別の意味で頭が痛い。
「もう済んだ事だ…あの話もな」
シルフィーモンは言いながら、パトカーが走るのを見送った。
「もうこれで解決だ。依頼人に連絡できるようにしておくぞ」
「ま、待って。の、典子さんに電話を……」
携帯電話を取り出し、美玖が電話をかける。
迎えに来てくれるという旨の返事をもらい、通話を切った。
「典子さんが来てくれます」
「そうか」
「………」
「………」
沈黙。
気まずい空気が流れて。
「……私」
ぎゅっとワンピースを握りしめて。
「こんなんで、探偵として一人前じゃないよね。ほんとは私が、やらなきゃいけないのに」
うつむきながら、吐きだす。
「久々にお祭りの気分味わってて、浮かれてて、仕事忘れてたとか」
「……」
「ダメな人間なのにさ、なんで仕事やろうって思ったんだろ。私。ただ、デジモンが好きだって気持ちだけで突っ走ってただけじゃん。……なん…で……」
ぼろぼろと地面に落ちる涙に、シルフィーモンは焦りを覚えた。
しまった、と。
「いや、確かに先程の君はあれだけ前後不覚だったが元々君の仕事だし、解決しただろう?言ったじゃないか、私の仕事はあくまでーー」
「そうだけど!」
美玖はぶんぶんと頭を振って否定した。
「こんなの、こんなの、私は自分がやったなんて認められない!もっと出来ること、あったかもしれないのに!」
「……」
しばらくして、典子の車がやってきた。
「ごめーん、ヒロちゃんがね……どうしたの!?」
大泣きの美玖となだめようとするシルフィーモン。
「さっきヒロちゃんから犯人を確保したって知らせのメール受け取ったから、そろそろ連絡来るかなと思ってたけど…何があったの?」
「その…だな…」
典子からの視線が痛く、シルフィーモンが目をそらす。
助手席からパオモンが顔を出した。
「きゅー!」
「ちょっと待っててね、パオモンちゃん。…シルフィーモンさん」
「……」
典子の表情が変わる。
「ケンカしたんなら、後でちゃんと話し合って謝る時間は作りな。でないと、そのうち後悔しなきゃいけないことになるから」
「そういうことでは…」
「美玖ちゃん、囮捜査は捜査でも、初めてのデートだったんだ。たとえデジモンでも、そこはちょっと汲んで欲しいと思うの」
典子の言葉にシルフィーモンはうなだれる。
「美玖ちゃんはね、デジモンのため人のためならなんだってやれる子なんだよ。警察にいた時から、頑張り屋さんでさ。ヒロちゃんと付き合ってた頃から何度も会ってた仲だからねあたし。…5年前の事件があってから、人が変わっちゃって、心配だったんだ」
「………」
隣で美玖も泣きじゃくっている。
返す言葉のないシルフィーモンに典子は話を続けた。
「最近、ほんっっと最近、あの子らしく戻ったなと思ったの。探偵始めるまでは引きこもってばっかりで、以前まで住んでたアパートの部屋もゴミだらけだし虫が湧いてたりしでひどい有様でさ。それが探偵始めるようになってからの美玖は、以前のあの子をもう一度見てるようよ」
典子は、パオモンが運転席まで超えてきたのに気づき、心配げなその表情に身体を撫でてやった。
「きゅーん……」
「エジプト行ったって話もヒロちゃんから聞いた。三澤さんって人の依頼で。あの人、警察のトップですっごい厳しいって評判なのよね。5年前の事件以来、デジモンを強く危険視してるから、前はともかく今の美玖ちゃんが可哀想で…」
「…それ、は」
エジプトへ行く前日を思い出す。
美玖の辛そうな表情に声をかけたが、なぜそんな表情をしていたのかについてはぐらかされた。
今、思えば。
「良かったらさ。教えて。美玖ちゃんが誰かのために頑張れてるかどうかシルフィーモンさんから見てさ」
「…彼女は…」
美玖を見下ろす。
メガシードラモンでの一件、エジプトでの一連での一件を思い出す。
「……美玖は、やれてるさ。頑張れている」
「…っ」
美玖がびくり、と反応した。
「エジプトでの彼女を、君に見せてやりたいくらいには頑張ってるよ。敵を前に私を庇って啖呵を切るなんて真似もしたしな」
「あーらまっ!」
「シっ…」
聞いて思わずにやける典子。
慌てたように泣き腫らした顔を上げる美玖。
シルフィーモンはそんな美玖に手を差し伸べた。
「さっきは本音とはいえ、あんな事を言って悪かったな。酒に酔って覚えてないと思ったこちらの迂闊だった」
「え…それって、どういう…」
「…ともかく。美玖はどうあっても頑張れたと振る舞っていい。その方が良い」
言いながら笑うのを見て、典子も少しほっとした様子になった。
「仲直りできるんならそれに越した事はないさ。…さ、パオモンちゃん、ごめんね待たせて」
「きゅー!」
運転席のドアを開けると、パオモンは飛び出し美玖の方へと跳ねていった。
そして、美玖に飛びつくと涙の流れる頬をぺろぺろ舐める。
「…!ごめんね、パオモン、遅くなっちゃって。…ほら!わたあめにクマさん!お土産あるからね」
「きゅーん!」
大きめのバッグを少し開けて見せれば、嬉しそうに尻尾を振るパオモン。
「じゃあ、私はこの辺で!帰りは気をつけてね」
「すみません、典子さん。後……この、服…」
「持っていきなさい」
典子は笑いながらドアを閉めた。
「今度またデートする時にいるでしょ?でも新しいバリエーション欲しかったら、電話してね!一緒に服選びに行きましょ」
「は、はい!」
走り去る車を見送り、シルフィーモンと美玖はパオモンを連れて帰路につく。
一緒に歩きながら、しばらく無言だったが。
「……シルフィーモン」
「なんだい?」
「……私、弱いし、馬鹿だけど、その……」
少しばかり、言い淀み。
「デジモンの事が好きだって気持ちは捨てたくないし、諦めたくない夢も沢山あるの。……探偵始めたばかりのひよっこだけど、…あなたが嫌じゃなければ。これから、も…」
「ああ、よろしく」
口元に笑みを浮かべて、シルフィーモンは優しく美玖の背中に手を回した。
今思えば、こんなことをしてやるのは初めてかもしれない。
そんな事を自分に言い聞かせる。
「…少しは私も気をつけないとだな。言いすぎた」
……デジタルワールドは弱肉強食の世界。
生存競争の中で成長し、進化する。
それが、人間、もとい選ばれし子どもに頼らないデジモン達の在り方。
シルフィーモンも例外ではなく、その中に揉まれて激戦を潜り抜けてきた。
ーーいつ死んでもおかしくない事ばかりだった。
ーーだから、他者はおろか、自分の事もどうでもよかった。
ーー誰も、自分の死など顧みることはないから…。
けれど、今は。
隣の、か弱い人間を見る。
(今は、彼女のそばにいる。私が傷つき、死んだ時それを顧み、悲しんでくれるだろう初めての存在が。それを護る事が、今の私の仕事だ)
今回は本音が出過ぎてしまって彼女を傷つけたけど、今度から優しくする努力をしてみよう。
そう思いながら、シルフィーモンは空を見上げた。
デジタルワールドとは全く違う夜空。
今日は快晴だった事もあり、満点の星空だ。
「…そうだな」
「え?」
「この世界に来て、良かったと思う事がたった今できた」
共に歩きながら、シルフィーモンは美玖の背中を抱く手にささやかな程度の力をこめた。
これが、今生きていて見上げる世界の空なのだと。
昨日に続いて一気に#5まで読ませて頂きました。夏P(ナッピー)です。
デート回じゃないか! いや想定するようなロマンチックさがあったかはともかく! というわけで、リア充爆発事件としてはサクッと解決して今回はメイン二人の心情とか進展の問題で……うん? 脱走した白人の話は今回進展なしだったか。でもロイヤルナイツと老婦人関係あったのか……。
ちっこい奴らが起こしてるっぽい爆発事件というからにはマメモン族かなと思ったがツカイモンでしたね。ちょっとシルフィーモン氏は相手が酔っ払ってるからって語り過ぎでは? と思いましたがしっかり聞かれててダメだった。そっからはぎゃああああこっぱずかしい会話ああああああああああ!!
では次回以降もお待ちしております。