(ようやく、見つけた)
その感情をひと言で表すならば、恋慕だった。
その感情をひと言で表すならば、独占欲だった。
(おれのものにしたい)
水の中で思いを馳せたそれは、道行く一人の女を見つめる。
女は急ぎ足でどこかへ向かっていた。
(おれのものにしたい。おれの、そばに)
渇ききった飢えにも似た感情をそれは覚えた。
こちら五十嵐電脳探偵所
第三話「クエレブレの啼き声」
その写真には男女が写っていた。
穏やかで人の良さそうな好青年と、金に染めたウェーブがかったセミロングにガーリーチックな服装の女性。
「そのご友人の方は、今も連絡が取れていない、と…?」
問いに小さく頷きが返ってきた。
ここは小さな探偵所の客室。
一人の女性と向かい合って、一人のポニーテールの女性とデジモンが座っていた。
「はい…、彼女は、その日は休日で、彼とデートに行ったと聞きました」
「その彼とは?」
「写真の隣に写っている人…奈々美の、彼氏です。鈴木、海人(かいと)といいます」
人間に似ながら獣の腕と耳、鳥の下半身を持つデジモンの問いに客人たる女性は答えた。
ポニーテールの女性はメモを取り、男女の写った写真と書類をファイルに挟む。
「奈々美さんと海人さんの身元は、こちらでも調査を行わせていただきます。進展がありましたら、逐次こちらからご連絡を差し上げますが構いませんか?」
「よろしくお願いします」
女性が探偵所を出た後、メモと書類を手にデスクにつくポニーテールの女性。
「最後に連絡を取ったのは三日前…彼氏さんも同じ日以降連絡がない、か…」
白のシュシュを解いて髪を結い直し、探偵所長である若い女性はメモを睨んだ。
そこへ、ふわりと香るコーヒーのカップ。
「デジモンの仕業の可能性かどうか、早いうちの判別は難しいな。…それにしても、美玖」
「なんですか?」
ありがとう、とカップを受け取りひと口含む女性に、デジモン…シルフィーモンは尋ねた。
「デリヘル、とはなんだい?」
「……っ!!ごほっ、ごほっ」
危うくコーヒーが気管に入りかけ、咳き込む。
「ごほっ……そ、そう、でしたね。デジモンにはその辺りの知識はありません、でしたね…けほっ」
美玖は涙目でティッシュペーパーを取り、口を押さえながら続けた。
「けほ…で、デリヘルというのは、風俗業の一種で…性交渉を目的としたお客様の自宅や待機しているホテルに専属の女性を派遣する事を指します。依頼人や行方不明になったその人は専属の女性です」
「そうなのか…人間というのは変わったものだな」
シルフィーモンはわからないながらも、頭を掻きつつ納得した。
ようやく咳が収まり、美玖はメモに目を通す。
「ひとまず、最後に奈々美さんが派遣で訪れたというラブホテルの近くで調査を行いましょう。彼氏である海人さんとのデートコースと近いという話でしたし…」
今回の依頼は、人探しだ。
依頼人の名前は森元泉。
デリヘル嬢として働く彼女は、同業者にして友人である新崎奈々美が三日も前から連絡が取れなくなった事で探偵所を頼る運びとなった。
奈々美はその日、彼氏である鈴木海人とデートの予定であった。
その日以降、連絡がないと泉の元に海人の両親からも連絡があり今回の依頼に繋がる。
「性を売る、というのは考えようがつかないんだが…普通のことなのか?」
「ある意味、普通…かもですが。けれど今の時代において職業としては一般的ではありません。警察としても、風俗業への扱いはグレーに近いのです。…犯罪の温床にもなりやすいから」
複雑げに話しながら、美玖はラブホテルの店名と住所を確かめた。
ラブホテルの名前は「Ilang-ilang」(イランイラン)。
香りにリラックス効果や催淫効果があると知られる花の名前を店名としたこの店は、A地区にある。
非常に広く、人もデジモンもよく行き交う所だ。
「ひとまず教えてもらった住所に行きましょう。目撃情報を収集しないと」
「わかった。準備ができたなら来てくれ」
コーヒーを飲み干し、シルフィーモンは先んじて外へ出た。
ーーー
空を滑空で行くシルフィーモンに掴まりながら美玖が来た場所は、やや広い範囲に渡って水路が通っている地点だった。
この水路は一部の水棲デジモンがよく通り道に使っており、幅も5mとそこそこのものである。
ラブホテル「Ilang-ilang」は、その水路に囲まれた土地の一つに建っていた。
「この近くで情報があれば良いんですが…」
言いながら、美玖はシルフィーモンの背中から離れた。
ラブホテルの外観はアジアンチックな木製建築で周辺にヤシの仲間らしき木が植えられている。
「ひとまず、…中に、入っ…」
美玖はどこかぎこちない様子でラブホテルへと歩いていく。
その後からシルフィーモンが続く。
ラブホテル内は無人式らしくモニターがある以外は何もない。
モニターを前にガチガチに固まった美玖に、シルフィーモンは後ろから肩を叩く。
「どうした?」
「そ、その………」
振り返ったその顔は赤く染まっている。
「わ、私、その…こ、こういう場所は…」
「なんだ?」
じれったくシルフィーモンが聞く。
「ラブホテルで情報収集は初めてで」
シルフィーモンは赤い顔でモニターを前に止まった美玖をしばし見ていたが、やれやれといった様子で彼女の腕を引いた。
「あっ…」
「仕方ない、ここは後だ。周囲で情報を洗うぞ」
このままではラチがあかない、と判断されたのだろう。
シルフィーモンは美玖を伴い、水路まで来た。
無人形式のラブホテルに戸惑った事もあり、美玖にとってこの対応はある意味ありがたかった。
…シルフィーモンから変な目で見られたのでは、と思わなくもなかったが。
「情報屋に向かう手もあるが、まず水路を利用しているデジモンに話を聞くとしようか」
「水路?」
「ちょうどいいところに来てる」
ぱしゃり、ぱしゃり
水面から覗く大型の刃物のような背鰭。
美玖に目配せした後、シルフィーモンが水路にそった足場へとひと跳びで降りる。
「おうい!」
シルフィーモンが背鰭を出したものに呼びかける。
長い胴体をうねらせ、それが姿を現す。
身体を包む淡い青い鱗が光を撥ね返して輝いた。
急ぎ足で足場を降りる美玖。
デジモンの姿をツールのカメラ機能でスキャンすると、情報が開示された。
『ティロモン。アーマー体、海竜型、フリー属性。“誠実のデジメンタル”のパワーによって進化したアーマー体の海竜型デジモン。その独特のフォルムから、「深海のジェット機」の異名を持ち…』
姿を見せたティロモンは、シルフィーモンを見た。
「何か用か?」
「人探しの為協力を願いたい。少し聞きたいことがあるだけだ」
シルフィーモンの言葉にティロモンは少し面倒そうな面持ちながら承諾した。
「ありがとう。三日前にこの辺りを通らなかったか?」
「三日前?」
ティロモンは首を傾げた。
「通ったかねぇ?あまり覚えてねえな」
「最近水路で危険なデジモンの噂はありますか?」
美玖の問いにティロモンはまた頭を傾げるようにしながら、思い出すように
「んなもんも特には……そういや…待てよ?ここ二日くらいから、水が妙に臭ぇんだよな」
「水が臭い?」
美玖が目を瞬かせると、ティロモンは鼻先を自分が来た方向へ向けた。
「あっちからな。ついてくるか?」
水路を遡り、やってきたのは水門に近い場所。
元々は平地だった場所がデジモンの暴走による大規模な破壊の影響で水脈に近い地層が削られ氾濫した。
それを整理する目的で作られたのが、今の水路であり水門は水路の水量を調節するために設置されている。
「この辺りなんだが…」
ティロモンの後から滑空でついてきたシルフィーモンが近くの歩道に着地する。
水門の付近は関係者以外立ち入りが禁じられているので降りられないのだ。
シルフィーモンから離れながら美玖は鼻を手で覆った。
「なにこの…生ゴミのような臭い…なぜこんな…」
「この臭いがよ、二日も前からずっとすんだよ」
シルフィーモンが再び中空へ跳ぶ。
そのまま、風の流れに乗るようにしながら、水門の周辺を見渡しはじめた。
「まさか…な。美玖、念の為連絡の準備を」
「…!そうですね」
「な、なんだ?」
やりとりに頭を傾げるティロモン。
まもなく、シルフィーモンは水門のゲート部分を不審げに見やった。
「何か引っ掛かっている…そちらから何かわからないか?」
「えあっ?じゃあ確かめに行ってくる。あの辺が一番臭いがキツいんだけどよ」
シルフィーモンの声にティロモンは潜った。
シルフィーモンの指すゲート部分に近づいていき、少し沈黙をおいて顔を出した。
「おい!人間っぽいのが見えるぞ!?」
「…まさか!」
ティロモンが見つけたもの。
それは、若い男性と思しき人間の死体だった。
ーーーー
「遺体の身元が判明した。お前達が探してる新崎奈々美の恋人、鈴木海人で間違いない。遺族であるご両親からも確認が取れた」
数日後、探偵所を訪れた阿部警部の言葉に美玖は嘆息した。
「解剖による結果だが、両方の上腕部分と一部の肋骨の骨折に内臓破裂。全身の皮膚と一部の内臓に火傷が見られた」
「火傷?」
美玖の怪訝な声に阿部警部は頷いた。
「感電死の可能性が高い。衣服に燃焼の痕跡があるが、着火にしては燃え方が変だ。強い力で上半身を締め付けられ、強い電圧を受けたか」
「…そんな事ができるのって…」
「同じ人間なら、そんな殺し方は余程の準備でもなきゃ無理だろうな…だが、"デジモンなら"?」
美玖はシルフィーモンを振り返る。
シルフィーモンはしばらく考え込んだが、やがて頷いた。
「結論だけ言うなら可能だ。電気の力を扱えるデジモンはそれなりに多い」
「遺体は水門のすぐそばで発見された。となれば、電気を操る水棲デジモンが犯人の可能性はあるが…」
「問題は…奈々美さんの身元。遺体が見つからない以上、まだ殺されていないかもしれない」
美玖の呟きに、阿部警部は尋ねた。
「そういえば、なぜ、依頼人の森元泉に鈴木海人のご両親は連絡を?」
「泉さんと奈々美さん、海人さんは元々同じ学校の同級生だったそうで、三人のご両親も関係はご存知だと伺いました」
「そうかい…」
阿部警部はうぅむ、と低く唸り、そして携帯電話を懐から出した。
「……おう、阿部だ。遺体と現場の調査だが五十嵐探偵所の者を今から同行させる。…ああ、じゃあな」
ーーーー
こいつはもう、おれのものだ
それは、歓喜に身体を震わせた。
彼女は、恐怖に身体を震わせる。
彼女は、冷えきった手で自らを抱きしめるように擦り合わす。
自身を睥睨するその目は、爛々と輝いている。
害意は見られないが、目の前で恋人を殺して自身を連れ去ったものへの恐怖からただ祈るしかない。
助けて。
ーーーー
「警部、ご苦労様です!」
キープアウトテープの向こうから鑑識が声をかけてきた。
それに手ぶりで返すと、阿部警部は美玖とシルフィーモンに後へ続くよう招きながら入っていく。
「どうだ?」
「遺体の発見された周囲に特に痕跡はありません。ですが、三日前に目撃者がいます」
「目撃者?」
阿部警部の言葉に、鑑識は手に持ったメモ帳を開く。
「三日前の午後20時過ぎ、ここより離れたラブホテルの近くで強烈な光と巨大なデジモンらしき姿を見たと住民からの目撃情報があります」
「巨大なデジモンだと?」
「その時、悲鳴が聞こえたと証言が入っています」
「…!」
美玖は、ツールを起動しながら、鑑識に尋ねた。
「遺体の近くを調査して構いませんか?」
「どうぞ、ぜひ」
「失礼します」
美玖は足場へ下りると、遺体が発見された場所に向けてライトを照射した。
そして…。
「こ、これ…!」
美玖も、いや、シルフィーモンや阿部警部、鑑識達も目を見張った。
「なんだこれ…」
「でかいぞ!」
遺体の周辺に、巨大な何かが這いずったような痕跡が映し出された。
普通ならば人目にわかる形で視認されるだろうが、デジモンの場合は視認しづらい場合が多く見逃しやすい。
そう美玖は教わっている。
更に。
「あそこ…!」
水面ギリギリの場所にライトに照らされ光るもの。
ピンセットを手に、身体を懸命に乗り上げ、どうにか取ろうと手を伸ばし…。
「待った」
見かねたシルフィーモンに背後から抱きかかえられ阻止された。
「私が取る。…これは、鱗か?」
シルフィーモンが代わりに取ったそれは、小さな鱗と思しきもの。
すぐに分析が開始された。
時間をおいて展開されたホログラムは、長大な身体を持つ一本角の蛇のようなデジモン。
「こ、これは…」
意外にも声をあげたのは阿部警部だった。
「このデジモン、こんな所にまで被害を出しやがったな!」
「何か、知ってるんですか?」
怒りに荒らげた声に只事でないと察した美玖は尋ねる。
阿部警部は、ホログラムを睨みながら答えた。
「つい数週間前、一人の女性がこいつと同じ特徴のデジモンに襲われてな。幸いその時は近くのデジモン達が追い払ったので事なきを得たんだが、再犯の可能性を考慮して調査したんだ。だが、尻尾を掴ませてくれなかった」
シルフィーモンへ視線を向ける。
「あんた、このデジモンについて何か知ってるか」
「知ってるも何も」
シルフィーモンはホログラムを見ながら続けた。
「こいつはメガシードラモン。シードラモンの上位種にあたる完全体デジモン。必殺技は超高圧の電撃『サンダージャベリン』」
「電撃…!」
美玖は阿部警部の方を見た。
「こいつはシードラモンでは持ち合わせなかった高い知性を持っていて、しかも用心深く、執念深い。水棲デジモンの中ではそれなりに強力なデジモンだ。状況次第によっては、私だけでは手に余る」
「…なるほどな…」
阿部警部はホログラムを…メガシードラモンの姿を睨みながら呟いた。
美玖はどうして良いか迷ったが、シルフィーモンが傍らで携帯電話を出したのに気づきそちらを見る。
「シルフィーモン?」
「失礼。……シルフィーモンだ、久しぶりだな。…そちらも元気そうで何よりだ」
電話をかけ、通話を始めるシルフィーモン。
阿部警部は怪訝そうに美玖と顔を見合わせる。
「…ああ、それで話があるんだが。………ああ。協力してくれるか、助かる。場所はA地区だ。今から来れるか?……わかった。午後19時にD地区の五十嵐探偵所で待ち合わせよう。……では」
通話を切り、シルフィーモンは振り返る。
「古い知人…デジモンに協力できないか声をかけた。探偵所で待ち合おう」
…………
…その夜、19時。
「よー!!ここで良いんだよな!?お邪魔するぜ!」
勢いよくドアが開かれ、入ってきたデジモンに美玖は目を丸くした。
ひと目で見た印象を一言で表すなら…「人間のような身体を持ったシュモクザメ」。
頭部の左右には、本来のシュモクザメなら持ち合わせないはずのもう一対の目がついている。
凶暴そうな外見の持ち主だが、存外に人の良さげな態度でそのデジモンはシルフィーモンに手を振った。
「おっ、ここで間違いねーな。来たぜ、シルフィーモン!なんかお困りみたいだな?」
「ありがとう、ダイブモン。あるデジモンの追跡と…場合によっては戦闘が想定されるのでその助力を頼みたかった」
「そうかそうか!」
嬉しげにシルフィーモンの背中をバンバン叩くダイブモンと呼ばれたデジモン。
力もそれなりにあるのか、シルフィーモンが少しよろけるのが見えた。
ツールによるスキャンを行った美玖は、ダイブモンの情報を見ている。
「で、お相手さんはなんだい?」
「メガシードラモンだ」
「ほうほう!あいつね!」
ダイブモンは話を聞きながら、近くのソファに腰を下ろした。
「なるほど、そいつは確かにお前の方が分の悪い相手だろーな。それで何処にいるのか見当はついてんのか?」
「A地区で目撃情報があった。痕跡はそちらの彼女が辿ってくれる。美玖、こちらはダイブモン。ディープセイバーズ所属のデジモンだ」
ディープセイバーズ。
海や水辺を住処やテリトリーとしたデジモンの多くが所属する勢力。
それゆえ水中戦のプロばかりであり、所属しているダイブモン自身も水中での戦闘力が高い事で知られたデジモンである。
「よろしく、可愛い人間の嬢ちゃん。後で一緒に水中デートしようぜ!」
「え、あ、はい」
ダイブモンの性格のノリに押され気味になる美玖。
「ダイブモン、デジタルワールドならともかくこっちの海はよせ。人間じゃ耐えきれない」
「なに?……あー…、そいつは仕方ねえなあ」
残念そうにダイブモンは言ったが、握手は忘れていない。
そのまま気分を切り替え、本題に入る。
「で、メガシードラモンを追跡すんだったな。いつ行くつもりだ?」
「今夜だ。同行するのは彼女だけでなく、E地区警察署から刑事も来る」
「ほほー」
シルフィーモンは美玖の方を向いた。
「阿部警部に連絡は取れるかい?」
「もう、取っています。Ilang-ilangの前で待ち合わせを」
「よし、行こう」
ーー
「あんたもまた、変わった知り合いが多いなシルフィーモン」
ラブホテル『Ilang-ilang』前で顔を合わせてすぐ、阿部警部はダイブモンを前に拍子抜けした声を出した。
「ダイブモンってんだ。シルフィーモンとは昔縁あってできたダチさ!よろしくなおっさん」
「誰がおっさんだ!」
「がはは!」
豪快に笑うダイブモンはおいといて、と阿部警部は美玖に聞いた。
「五十嵐、お前さん達の話だと、新崎奈々美と鈴木海人のデートコースはこの辺りを通ってたんだよな?」
「はい。元々、奈々美さんも派遣先にあのホテルを利用していたそうで」
「で、三日前の目撃情報からして鈴木海人は殺された」
阿部警部の言葉に頷きながら、美玖はツールのライト機能を起動した。
「これより痕跡を探します。…あれほど大きな這いずり跡を残していたのなら、ここにも」
痕跡が見つかるまで、さほど時間はかからなかった。
ラブホテルの周囲をぐるりと囲むように痕が見つかったのである。
そして。
「これは」
美玖がラブホテルに近い水路の脇道を照らす。
細かい鱗片が幾つも散らばりキラキラと光っている。
ピンセットで注意深く一つを採取し、ツールの機能で解析を始める。
「……遺伝子データ、一致。同個体のメガシードラモンのもので間違いありません」
「てことは、ここで奈々美さんと海人さんは遭遇したのか」
「ひとまず、奈々美さんが近くで見つからないか探しましょう。ダイブモンさんは水中の捜索をお願いします」
「おう。人間って水ん中じゃ息できないんだよな。いたらすぐ引き上げるぜ」
「……」
何か言いたげな阿部警部だったが、ダイブモンは素早く水路へ身を投げ出した。
水に潜るや、その二本の足が一つの足になったのは気のせいではない。
「ボートを近くに手配してある。二人とも乗れ」
水路に止めたボートに、彼と美玖、シルフィーモンが乗る。
夜22時半。
街灯以外に光がないため、ボートからの捜索は懐中電灯以外シルフィーモン頼りだ。
「痕跡は他のデジモンも混じっているけれど、かなり大きいから見分けが付くんですね」
「あれは水棲デジモンの中でも大型だからな」
シルフィーモンは言いながら、水中に向けて視線を走らせる。
時々、近くを泳ぐダイブモンが横切るが、それすらも邪魔にならないほどメガシードラモンの残した痕跡は大きい。
「…阿部警部。数週間前に、襲われたと言うその女性は、今どうしていますか?」
「現在は再犯防止の為外出ルートの変更だ」
深刻げな顔の美玖に気づき、阿部警部はどうした?と尋ねる。
「いえ、少し気になったのです。シルフィーモンの説明では、メガシードラモンは好戦的かつ用心深く執念深いデジモン、と。けれど」
なぜ人間を襲ったのか理由がわからない。
この水路は何処の誰のものでもない。
縄張り主張ではないはず。
「奈々美さんの無事が心配なのはもちろんですが、仮に無事だったとしたらなぜメガシードラモンは海人さんを殺害し奈々美さんを連れ去ったのか」
せめてラブホテルでの調査に慣れていれば……と、顔を真っ赤に美玖は俯く。
痕跡を追いかけて、やがて海人の遺体が発見された水門まで来た。
ばしゃりっ
ダイブモンが水面から顔を出す。
「人間みたいなのは見つからなかったぜ」
「それなら、ここから先は痕跡を辿りながらになるな。ここで痕跡はUターンして別の分岐に向かっている」
シルフィーモンの言う通り、水門から大きく軌道を変えた痕跡は別の枝分かれした水路へと続いている。
水路をライトで照らしながら、美玖はじわじわとくる不安に駆られた。
奈々美の安否のみならず、これから対峙するだろうメガシードラモンを相手にどうすれば良いのか。
そして、水路の中ほどに差し掛かった時。
「!」
シルフィーモンが何かに気づいたように美玖と阿部警部を押し倒した。
「う、わ…!?」
思わずボートに顔をぶつけそうになった二人とシルフィーモンの頭上を、とんでもない質量が猛烈な速度で横切った。
その余波にボートは大きく揺れ、波が激しく水面を波立たせる。
「ダイブモン!」
「おうよ!」
シルフィーモンの声に応じたダイブモンが飛び出す。
「『サンダージャベリン』!」
槍の如き電撃がボートに向かって奔る。
「『リップルエッジ』!」
どういう原理か、ダイブモンの飛ばす刃状の水が電撃とぶつかり、相殺された。
相殺により巻き起こったその水飛沫の中で。
美玖と阿部警部は鱗と甲殻に身を包んだ大蛇のシルエットを見た。
刃のような一本角、兜のような頭部の外殻。
「あれが…メガシードラモン!!」
メガシードラモンは残された痕跡からの想定よりも大きなデジモンだった。
体長だけでもビルを三つ巻きに出来るほどの長さがある。
それに見下ろされるだけで、美玖は手に強く汗を握った。
「おまえら…おれに何の用だ?」
メガシードラモンの声に阿部警部が警察手帳を見せた。
「E地区警察署の阿部だ!鈴木海人の殺人容疑、並びに現在捜索中の新崎奈々美という女性に関与の容疑がお前にある。速やかに投降して署までご同行願おう!」
「……なんだと?」
メガシードラモンの声に殺気が篭もる。
「数週間前A地区の別の水路で女性が襲われ、三日前にラブホテル付近でカップルが襲われ男性が殺害された。お前の仕業じゃないのか!」
阿部警部の追求に、メガシードラモンの角の周りをスパークが走る。
「阿部警部、危ない!」
美玖の言葉より早く、シルフィーモンが動いた。
ダイブモンも必殺技の予備動作に入る。
「おまえらは、おれからあいつを奪うつもりか!」
「…『トップガン』!」
「『リップルエッジ』!」
再び放たれた電撃とぶつかるエネルギー弾と水の刃。
ボートを動かし、美玖はメガシードラモンから距離を置く。
「五十嵐!」
「これ以上は危険です、阿部警部。メガシードラモンは…攻撃態勢に入っています」
「くそっ」
メガシードラモンは巨体から想像できない速さで水中を移動し始めた。
「"あいつ"?やはり奈々美さんはお前がさらったのか!」
シルフィーモンが追撃に飛ぶが、メガシードラモンは身体を大きくしならせ尾を鞭のように叩きつけてきた。
「…っ!」
わずかに掠ったが、それでもシルフィーモンの身体は大きく揺らぐ。
「あいつはおれのものだ!邪魔をするな!」
……あれがいなくなって、外が騒がしくなったことに気づくのに遅すぎた。
(誰か探してくれてるの?)
そうは思ったが、絶望感もあった。
あれは大きいだけでなく人ひとりあっけなく殺すこともできる化け物だ。
目の前で無惨に殺された恋人の、最期の顔が脳裏に未だこびりついている。
それが殊更ここから逃れにくくさせていた。
ーー
「『フィレットブレード』!」
見事なフォームで泳ぎながら身を躍らせ、ダイブモンが肉薄する。
両腕のものをメインに全身のヒレを活用した突撃が、メガシードラモンの身体に傷を負わす。
「ちょこまかと!」
メガシードラモンの身体が大きく畝る。
『メイルシュトローム』を使用する事前動作。
それに気づいたシルフィーモンが空中へと舞い上がる。
ベルトのタービンが高速回転し、シルフィーモンの全身を光が包んだ。
滑空スピードを一気に加速させつつ、シルフィーモンはメガシードラモンへと狙いを定める。
「『デュアルソニック』!」
シルフィーモンが両腕を大きく前へ突き出すと、彼の姿を模した光がメガシードラモンに向かって飛んでいく。
キーーン……
(この音…)
あの時。
ワルもんざえモンに踏みつけられながら足掻いた時に聞いた、甲高い音。
衝撃波が発生した時のもの。
光がメガシードラモンに着弾し、炸裂した。
「グウゥッ…!」
衝撃波をまともに食らったメガシードラモンが大きくよろける。
その時、美玖はメガシードラモンが塞いでいた水路の奥がトンネルになっていることに気がついた。
「……阿部警部」
「なんだ?」
「メガシードラモンの脇を抜けてください。僅かな間なら、私がメガシードラモンの動きを止められるかも」
「おいおい!」
気は確かか?
そんな顔を阿部警部が向ける。
シルフィーモンと水中戦を得意とするダイブモンを相手にしてなお、メガシードラモンのアドバンテージに衰えは見られない。
下手をすれば、ボートもろとも水中の藻屑と化す可能性はある。
「きっと、奈々美さんは、あの奥です!」
「…」
しばらくメガシードラモンを睨んでいたものの、やがてボートの操縦桿を握った阿部警部。
「クソったれ!五十嵐、いけるか?」
「はい!」
美玖の言葉にエンジンが稼働、ボートが波を裂くように猛進を始める。
「! 一体何を!?」
シルフィーモンが気づき、メガシードラモンの注意もボートへ向く。
メガシードラモンはボートへ角を向けーー指輪をこちらに向ける美玖の姿が目に入った。
「ーー麻痺光線銃(パラライザー)コマンド起動!」
指輪から迸った光がメガシードラモンに突き刺さる。
メガシードラモンの身体が大きくこわばった。
「今です!」
「この隙に飛ばすぞ!」
加速するボート。
(動きは止められたけど…長くは、もたない!)
メガシードラモンの硬直度合いからして、麻痺光線の効果が長く続く可能性は低いと美玖は見た。
ボートがトンネルへと近づくと、阿部警部はすぐに人影を見つけライトを向ける。
「おい!そこに誰かいるか!」
「…!」
ライトに照らされたのは一人の女性。
泥や埃に薄汚れてしまっているが、泉から受け取った写真の女性に間違いない。
美玖が声をかけた。
「奈々美さん!新崎奈々美さん!」
女性が動揺しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「誰…?」
「警察の者と探偵だ!新崎奈々美で間違いないな!」
「は、はい…」
その時である。
凄まじい咆哮が響く。
「ひっ…!」
「もう麻痺が解かれてる!」
「ともかく乗れ!!」
阿部警部の言葉に、おぼつかぬ足取りながら女性、新崎奈々美はボートへ乗り込んだ。
ーー
「グォォオオオオオ!!」
メガシードラモンが咆哮を上げながらボートへ肉薄する。
その目はボート上の奈々美しか見ていない。
「…っ!」
メガシードラモンの巨体と激昂した様子に奈々美はすくみあがった。
シルフィーモンとダイブモンが追いすがるが、それを振り払ってボートに猛進してくる。
「ダメだ、向こうが速い!」
ボートを加速させながらも、メガシードラモンの迫る姿に阿部警部が叫ぶ。
美玖は指輪型デバイスを見た。
デバイスの水晶部分は黄色の光が点滅している。
麻痺光線機能にはクールタイムが設定されており、撃った分だけ時間がかかる。
メガシードラモン程の完全体かつ巨体の持ち主のデジモン相手を麻痺させるだけのエネルギーを消費した結果だろう。
「このままじゃ、メガシードラモンを止める事はーー」
その時である。
「待ちなさい!!」
上空から白い羽根が降り注ぎ、周囲を凄まじい冷気が包み込んだ。
「なんだ!?」
ダイブモンが顔を上げる。
柔らかな羽毛のようにはらはらと舞い散る霜の中、一体のデジモンが新たに舞い降りた。
真っ白な羽毛を持った、白鳥のような美しいデジモンが。
「あれは…白鳥のデジモン?」
「綺麗…」
美玖と奈々美が呟く。
「……スワンモン」
メガシードラモンが名前を口にした。
白鳥のようなデジモン、スワンモンは、ボートとメガシードラモンの間に割り込むようにホバリングした。
「メガシードラモン、彼女は、シャナではありません!人間はデジモンのように新たな個体として生まれ変わらない!」
「……」
シルフィーモンがスワンモンに向けて声をかけた。
「メガシードラモンと知り合いのようだが、どういうことか説明してくれないか?」