(カッと空間の中央に据え置かれた椅子を照らすスポットライト)
(カツ…カツ…と足音が響き、全身に不気味な刺青の赤い悪魔が影から現れる)
(悪魔は悠然と椅子へ歩み寄り、椅子へ腰掛ける)
(咳払い)
こほん。
諸君、ご機嫌よう。
さて、諸君はエンディングでお好みなものは何かあるかね?
愛し合う者同士が艱難辛苦を乗り越え結ばれる?
正義の志を抱いたヒーローによる痛快な事件解決?
はたまた周囲の温かさに触れながら成長していく若者のハートフルストーリー?
成程、成程。
結構、結構。
実にわかるよ、ハッピーエンドとは満たされた者には甘いものだ。
…だがね、諸君。
満たされない者にとってはハッピーエンドよりもっと甘く痛快な終わりがある。
そう、バッドエンドだ。
先程のハッピーエンドを逆に置き換えるならば。
愛し合っていたはずの想いはたちまち冷め、二人の人生は破滅に繋がり。
あるいは、愛した者が第三者に身も心も穢され、生涯に癒えぬ傷を残すも一興。
ヒーローの正義とは時に悪にもなる。
善かれと思ったその行いが相手の人生を狂わせる劇毒だとしたら?
もしかしたら悪こそが真っ当な"正義"だと、そう主張する終わりもあるだろう。
人間とは常に偽善の仮面をかぶっているものだ。
君が今日まで良い人と信じていたその人間の本性が、真逆のものだとしたら。
明日にはきっと、君にとって全ての人間が嘘つきに見えるだろう。
成長ではなく、ただの思い込み(プラシーボ効果)だったとはお笑い種ではないかね。
そうだ、バッドエンドとは報われた物語に飽き、共感など1ミリも湧かぬ人間には何よりの栄養剤であり麻薬だ。
他人の不幸は蜜の味、とはよく言うものだな。
どんな善人、聖人だろうとどこかで、中指差しで呪われるものだ。
地獄に堕ちればいいのに、と。
では、本題に入るとしよう。
諸君らは美女と野獣という物語をご存知かね?
その傲慢さから魔女に呪われ、愛されなければ死ぬまで醜い野獣の姿であり続ける事を運命付けられた一人の王子と、一人の心優しく聡明な美女の、愛に目覚め結ばれるまでの過程を描いた物語だ。
人間ならば、知らぬ者はないと聞く。
まず、ここで、問わなくてはならないだろう。
この物語の本質は、『姿に拘ることなくその者を愛せるか』にある。
しかし、物語の読者のなかにはこう言う者もいる。
「なんで人間に戻ってしまうんだ?野獣のままが良いじゃないか」
……どうかね、諸君の中にも、そう思う人間はいるのではないかな?
皮肉な事に読者の半分ほどは姿に拘るがあまり、ハッピーエンドであるはずの終わりを自身の中で"バッドエンドに結びつけている"とは。
いやはや、なんとも興味深く、滑稽なことだ。
さて。
美女と野獣にもしバッドエンドが用意されているのなら、諸君はどんなエンドをお考えかね?
愛されぬまま野獣のままか、一度は愛を得ても美女か王子どちらかの愛が冷めて心変わりしてしまうか。
…ふうむ。
諸君がどのようなエンドをご所望かはともあれ、今回は不幸な不幸な二人を実験台にしてみるとしよう。
なに、ある意味でいえば、此度の犠牲者とは本質的にも種族としても違う者同士。
如何なる末路を辿るのか…
それでは、早速その二人をここへ招待し、諸君らに見ていただくとしよう。
彼らに訪れるのは救いか。
はたまた惨い終わりか、を。
こちら、五十嵐電脳探偵所 第13話 Beauty and The BeastMan
その依頼が五十嵐探偵所に持ち込まれたのは、閉業時間まで残るところ30分ほどのことだった。
依頼人の男はホテルのオーナーと名乗った。
小綺麗に整えられた髪と服装は、オーナーの人となりを表しているかのようである。
「ーーそれで」
美玖は尋ねた。
「ホテルでは不可解な現象が今も絶えず起きている、と」
「はい。始めは騒がしい…ラップ音とかいいましたか。あのような音が聞こえる程度で」
しかし、やがて顧客から苦情が増えるようになった。
夜中に子どもが駆け回るような、ばたばたという足音のようなもの。
大勢の人たちが囁き合うような声が、そのままボリュームを上げたかのような音声。
やがては、幽霊らしきものが歩くのを見たという苦情まで。
「このままでは経営もままなりません」
「そうですね…」
「ある時に、このような封筒が郵便受けに入っていたのです」
言いながら依頼人が差し出したのは、赤い封蝋が押された一通の封筒。
宛先は『五十嵐探偵所様』と書かれ、差出人の名前はない。
「これは」
「実はこの探偵所を訪ねたのは、この封筒があるからです」
「中を開けても?」
封を開けると中からは血のように赤い便箋。
そこには、次のような文章が書いてあった。
『五十嵐美玖様ならびにシルフィーモン様
お二人方のご活躍は此方の耳にしかと届いております。
明日、ホテル○×で宴会を行いますので必ずお二人のみ揃っておいでください』
「……これって……」
ホテル○×は依頼人が経営している場所だ。
依頼人に確認をしたが、そのような催しの予定に心当たりはないと返ってきた。
「しかし、なぜこの手紙の差出人は私と美玖を指定してきた?」
「…ホテルで起きているという怪現象の仕掛け人かもしれない」
訝しげに言い、シルフィーモンと美玖は見合わせる。
そこで、嫌な予感がよぎった。
「まさか、メフィスモンか?」
あの洋館での一件以来、メフィスモンに関係する話を聞かない。
ハックモンと僅かな時間の間のやりとりでも、彼が何がしかの有用な手がかりを得られた事はなかったと話している。
「差出人の名前もなし、なのにこちらを指名というのは…」
明らかにこちらを誘っている。
そう断じたシルフィーモンは、端末を取り出した。
「失礼…」
シルフィーモンがソファーを立ち、美玖は依頼人と話を続ける。
「封筒には、開催時間が書かれていませんが、明日午前9時頃にそちらへお伺いしても構いませんか?」
「構いませんよ」
依頼人はうなずいた。
少しして、端末での音声通話を終えたシルフィーモンが戻ってきた。
「担当に連絡をとって明日の出撃予定を別日に変えてもらってきた」
「わかったわ。明日の朝9時、○×ホテル前で」
ーー
依頼人が帰ると、シルフィーモンは美玖の方を見た。
「……思えば、久々に君との依頼になったな、美玖」
「そうね」
ここ二ヶ月近く。
進展がなければ攻撃を開始するというイグドラシルの宣告からしばらくの間、シルフィーモンはまともに探偵業務の方へ出向けなかった。
その間を埋めて探偵アグモンが残ってくれていたが、それでもシルフィーモンがいない時間の多さを考えればどことなく不安を美玖は覚えている。
その不安を、美玖が誰かにこぼす事はなかった。
「久方ぶりの"本業"だ。気合いを入れていくとするか」
シルフィーモンは言いながらキッチンへ向かう。
…この時ばかりは、一人と一体ともに、思わなかったのだ。
罠である事はわかっていたが、待ち構えているものに翻弄される事を、知るはずもなかった。
ーーー
翌朝、9時。
隣県のやや人里から離れた地域に、○×ホテルはあった。
「ここか」
上空から目的の場所を見つけたシルフィーモンが、足から下へと落ちる。
首元に巻き付かれた腕の力がきゅっと強くなるのを感じながら、地面へと着地した。
そのまま膝をついた姿勢で、彼は背中にしがみついた美玖を見る。
美玖も、ゆっくりと足を地面に付けるように立ちながら、シルフィーモンの背中から身体を離した。
「大丈夫か?」
「う、うん…」
思えば久々のシルフィーモンの背中である。
グルルモンの背に乗るようになってから、シルフィーモンも身が軽いのが良いだろうとご無沙汰だった。
「時間だ、入ろう」
ホテルへと入っていく美玖とシルフィーモン。
その後ろ姿を、木々の合間から見ているフレイアの姿があった。
「湯田さん、五十嵐です」
「はい、今参ります」
ホテルの受付カウンターの前で、依頼人の湯田は一人と一体を出迎えた。
「ここがホテルの中か…今のところ、宴会などの催しはやっていなさそうだな」
言いながらシルフィーモンはホテルの内装を見回した。
小洒落ているが、飾り気のない、ある意味ではごく普通の雰囲気のホテルだ。
「もし良ければ、探偵さん、ホテルの中を見て回られます?」
「はい、お部屋の構図なども把握しておきたくーーあ、怪異がよく起きる場所も知りたいですね」
「私もこの階は一通り部屋を散策して来ようか。ところで、本日の宿泊客は…」
「いえ、最近は本当に怪異のおかげで閑古鳥が鳴いておりまして…」
言いながら、湯田はシルフィーモンから離れてロビーへと向かう美玖の後をついて行った。
同行するにしては、静かに気配を殺した足運び。
美玖が部屋を開けた時。
湯田はその後ろから襲いかかってきた。
「!?」
片手で美玖の口を塞ぎ、ドアを閉めてから組み付きにかかる。
口と鼻にヒンヤリと濡れた布の感触。
「んんっ!!」
何をさせられようとしているのか理解した美玖が素早く身をよじり、湯田の脇腹に肘鉄を当てる。
「ぐっ!」
痛みに湯田が怯んだ。
美玖が部屋を飛び出そうとした時、部屋の外で派手な倒壊音が聞こえた。
「シルフィーモンーーっ!」
「大人しくしてもらおうか!」
「っぐう!んんうーっ!」
………
「ほう、多少はかわせるか」
「…っ!」
ほんの一瞬だった。
だが、その一瞬が致命的な一撃への連鎖に繋がる事を予測し損ねれば命がなかった。
破壊された壁、砂塵吹き荒れる向こうでそいつはシルフィーモンに向かいせせら笑った。
全面的に黒い装甲やサイバネ部位、そして毛並み。
それは、一般的にはマッハガオガモンと呼ばれる狼か犬のような獣人のサイボーグ型デジモンに酷似した姿。
「…ブラックマッハガオガモンか!」
シルフィーモンは左肩をさする。
先程壁を破壊し突っ込んできた拳をもし避け損ねていたら、一撃で持っていかれかねない衝撃。
そこで、シルフィーモンは後ろに聞こえるよう声を張り上げた。
「美玖!デジモンの襲撃だ!依頼人の避難を…」
「その必要はない」
ブラックマッハガオガモンの口角が吊り上がる。
「お前達は袋の鼠だ」
「なにっ…!?」
そこで気づく。
後ろを振り向くと、意識を失った美玖を抱えた湯田がいた。
「まさか、依頼人といったのは嘘だったのか…!」
「そいつはフェレスモンの旦那と契約した"信者"でな。随分と役に立ってくれる」
ブラックマッハガオガモンが言う間に、湯田はそれに一礼した後美玖を抱えて廊下の向こうへ駆け出していく。
「待ーー」
「よっ…と!」
後を追おうとしたシルフィーモン。
その後頭部へ強烈な一撃が叩き込まれた。
瞬時に距離を詰めたブラックマッハガオガモンの拳だ。
どさり…
力なく倒れる身体が半機械化された脚で蹴転がされる。
「こりゃ旦那の見立て通りだな…それなりのやり手ではあるが、あの人間の女がそんなに大事か」
倒れ伏すシルフィーモンを前に、ブラックマッハガオガモンは凶暴な笑みを浮かべた。
そこで通知音が鳴り響きだす。
ブラックマッハガオガモンは腰の端末を取り出し、通信用のスイッチをオンにした。
「おう」
『首尾はどうだ』
「湯田が例の女をそっちへ連れて行っている。こちらも今から連行するところだ」
『ふむ、例のコードは忘れておるまいな?』
「09666508だろ?」
『結構。では連れて行くといい』
フェレスモンとの通信を終え、ブラックマッハガオガモンはこちらも意識を失って昏倒したシルフィーモンを肩に担ぎ上げた。
「さて、俺個人としちゃどちらにも恨みはないがよ、フェレスモンの旦那の悪趣味を愉しませて貰うぜ…?」
……………
目を覚まし、最初に肌に感じたのは、冷たい空気。
次に感じたは、身体に加えられた強い圧迫感。
「………」
目を開けた美玖。
座った状態で椅子に縛られた状態だ。
「…ここは…」
「お目覚めかね、五十嵐美玖。…選ばれざる子どもよ」
「あなたは!」
暗い部屋の中、悠然とした足取りで近寄るは。
「フェレスモン…!」
「ご機嫌よう、エジプト以来だな」
貴族然とした赤い悪魔は笑みを崩さず、彼女のすぐそばへとやってきた。
そして、手を伸ばし美玖のあごを下から覆うように掴んだ。
「……っ」
「どうした、メフィスモンを捕らえた時のような鋭気ぶりが嘘のようだな」
あごを掴みながら目線を合わせてフェレスモンは言う。
ねっとりとした視線に、否応なく鳥肌が立つのを覚えた。
「こうして見れば、お前もただの子犬同然か」
「シルフィーモンは…彼は!?」
「ククク…この状況で助手の身を案ずるか。似たもの同士だな。心配せずとも奴は始末しておらんよ。ーーー用意しているショーにはお前と奴が必要なのでな」
「なんですって…?」
「そのためにまずお前から奪っておかなくてはならない。お前から、一切の記憶をな……」
美玖のあごに触れていた指先からぼうっと怪しげな光が灯った。
何が起こったのか。
それすらわからないまま、美玖の意識は闇へ落ちていった。
…………
冷たく固い土の感触。
シルフィーモンが目を覚ますと、そこはホテルの中ではなく薄暗い森の中だった。
ブラックマッハガオガモンの拳を直撃された後頭部が未だ痛みを伝えてくる。
「……ここは……」
森の中は霧が濃く、どこからか不気味にもカラスの鳴き声が響く。
立ち上がると、注意深く周囲を見まわした。
ゴーグルとHMDの機能に問題なし。
近くにある草木に触れ、作り物ではないその感触から今いる場所がデジタルワールドでない事を確かめる。
「…美玖は、フェレスモンの元で…!」
まさか人間を自身の傘下に加えていたとは、思いもよらなかった。
おそらく人間を使い、自身らを警戒させる事なく誘き寄せるためだったのだろう。
そうなると憂うべきは美玖の安否である。
フェレスモンはメフィスモンと何らかの形で同盟を組んでいる。
メフィスモンからの言質ではあるが、どのみち身の安全の保証は怪しむべきだ。
「急がないと」
そう呟いた時、獣の遠吠えが聞こえた。
……野良犬?
その時、視界を何かが横切った。
HMDがその姿を明確に捉える。
それは人間だった。
フードをかぶっているが、どうやら女性のようだ。
そして。
「!」
200mほど後方から数体もの獣が女性を追ってきている。
ただの獣ではない。
真っ赤な毛並みにギラギラ光る黄色い目。
痩せこけた身体に殺意を纏わせた狼のような姿。
「あれは……ファングモン!」
ファングモンは狡賢く攻撃的なデジモンだ。
それが数体も一人の人間を襲うなどデジタルワールドならともかく現実世界でとは尋常ではない。
シルフィーモンは脚に力を込め、飛び上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ…!」
上がる息、跳ねる心音。
女は木々の間を走る。
悪い足場、足先がもつれて倒れる。
「ああっ…!」
その周りをあっという間にファングモンが取り囲んだ。
耳元まで裂けた口には鋭利な大牙がずらり。
生臭く温かい息がすぐそばから顔にかかった。
「ひっ……来ないで!」
女の悲鳴を飢えた獣が聞く道理もなく。
うち一匹が女のコートに食らいつく。
さらにもう一匹が女の首を狙ってその裂けた口を開いた時。
「『トップガン』!!」
上空から飛んできたエネルギー弾に跳ね飛ばされ、そのままデータの残滓として四散した。
他のファングモン、そして女が上空にいるシルフィーモンの姿を見上げる。
そのままシルフィーモンは両腕を広げ、加速と共に急降下。
彼の腰に装着されたベルトのタービンが高速回転。
赤とピンクの光に包まれた状態で、シルフィーモンは狙いを定めた。
「『デュアルソニック』!」
キーン…!と飛んだ衝撃波は、さらに数匹のファングモンを蹴散らす。
これに生き残りはたちまち女を諦め、散り散りに逃げていった。
「大丈夫か!」
着地してすぐ、シルフィーモンは女へと駆けつけた。
女は慌てて立ち上がると、シルフィーモンに背を向け逃げようとする。
「待ってくれ!私はーー」
「嫌あっ!来ないで!!」
怯えた声と共に振り向かれたその顔に、シルフィーモンは硬直した。
別人と認めるには、あまりにも似すぎた顔。
「美玖!?」
思わず、足が止まる。
それに何一つ思うところもないのか、美玖によく似たフードの女は逃げ去ってしまった。
「………美玖……」
止めようと伸ばした腕はそのままに、立ち尽くした。
…あんな顔は初めて見た。
あれほどデジモンのそばに寄る事が生きがいのような彼女が、デジモンに怯え逃げるなど。
だが、あれは。
(あれは、美玖だ)
別人と疑おうにも、疑えなかった。
一体彼女に何が起きたのか。
地面にわずかに残された足跡を辿る、それしかシルフィーモンにはできそうになかった。
「……後を、追おう」
…………
息せきながら走った女が入った場所は、日本とは到底思えない場所だった。
一言で言えば、ヨーロッパの古き美しい町。
郊外に農場や牧草地帯が広がり、町中に玉石敷きの通りや古風な尖り屋根の家々が立ち並ぶ。
美玖によく似た女がその通りを歩くと、家の一つから顔を出したふくよかな女性が声をかけた。
「こんにちは、セイラ。朝から森に出かけてたのかい?」
「こんにちは、おばさま。ええ、今日はキノコ採りに出かけていたわ。恐ろしい狼に襲われそうになったのだけど…」
「まあ!」
女性の顔が青ざめる。
「よく無事だったわね!いえ、お前が出かけたのに皆が気づく前に、町に御触書が出て…」
「御触書?」
「そう、最近この辺りで、鳥の脚をした二本足の人間によく似た恐ろしい化け物が出たんですって。空を飛ぶことができて、人を襲うから気をつけろって書いてあったわ」
「…それ、きっと私は会ったわ。おばさま」
「まあ!!」
さらに顔が青ざめる女性にセイラと呼ばれた女は森での出来事を話す。
「狼を吹き飛ばしたりして、とっても恐ろしかった」
「本当、よくお前は無事だったわね…あ、そうだ。わたしはそろそろお父さんの畑を見に行くわね。お前が言っていたこと、皆にも知らせておかなくちゃ」
「わかったわ、おばさまも気をつけて」
別れると、セイラはキノコでいっぱいのカゴを抱えて家へ向かった。
………
「……あそこか……」
町を少し離れた場所、高い木の上からシルフィーモンはその姿を見ていた。
一体ここがどこなのかわからないが、少なくともシルフィーモンには確かなものが見えている。
「デジタルワールドでもないのに、あれだけのデジモンがいるとは…」
セイラ……美玖によく似た女性が話していた相手は、マッシュモンというキノコのようなデジモン。
セイラと話していたマッシュモンだけではない。
町の至る所にいるのは全てデジモンだ。
事実、シルフィーモンは間違っていなかった。
言うまでもなく、セイラは美玖その人である。
フェレスモンに記憶を消され、シルフィーモン以外のデジモンが人間に見えるように催眠をかけられていたのだ。
おそらくデジモン全てがフェレスモンの協力者だろう。
そして、自身が今町へ入れば、町にいる全てのデジモンが敵対して向かってくるだろうことも、シルフィーモンは予知していた。
「どうにかして彼女にもう一度接触しなければ。美玖かどうか、確かめる必要がある…」
その時、視界を金色がよぎった。
軽やかに羽ばたきながらシルフィーモンを更に高みから見やるその姿に、彼は見覚えがあった。
「お前は確か、フレイアとかいう鳥…」
ピイッ
美しい羽を羽ばたかせながら、フレイアはシルフィーモンの頭上を旋回。
そして、そのまま町の方へと飛んでいった。
「…なるほど」
デジモンではないフレイアなら、デジモン達から敵対されることはない。
少なくとも、非デジモン的存在を使役するデジモンはいれど、フレイアのような全くの生物を使役するデジモンはそういないのだ。
警戒されることはないだろう。
………
家に帰り着いたセイラは、カゴの中のキノコをテーブルの上で選り分けていた。
キノコは乾燥させて日持ちを良くさせる。
暖炉の火がパチパチと燃え、部屋を温かい空気で満たした。
脱いだコートを壁に掛けた時、窓の方から鳥の羽ばたきの音が聞こえた。
「…あら?」
セイラが振り向くと、そこには見たこともない美しい金色の鳥がいる。
思わず見惚れていると鳥は入ってきた。
ピイッ
金色の鳥はテーブルの上に降り立つ。
キノコには目もくれず、ルビーのような赤い目でセイラを見た。
「綺麗な鳥さん…どこから来たの?」
セイラは尋ねるが、鳥がそれに答えられるわけもない。
鳥が逃げる様子もないのに、思わず手を伸ばす。
柔らかな羽毛の感触と仄かな体温が指に伝わった。
その時。
セイラの脳裏で鮮烈にフラッシュバックが走った。
眩いばかりの純白。
その純白に沿うように停まる金色の……
「……!!」
セイラはハッと我にかえる。
未だ鳥は、そこにいた。
「今の……今の、何…」
ピイッ
鳥は何を感じとったのか、突然羽ばたいた。
そのまま、窓へ。
「あっ」
セイラが窓から外を見たが、すでに鳥はいなくなっていた。
ーーー
ピイーッ
シルフィーモンの元へフレイアが戻ってきた。
その嘴には紙、脚には炭を掴んでいる。
「それは……」
ピイッ
シルフィーモンの手に紙と炭を落とし、フレイアは旋回した。
これで、彼女と文通を交わせということだろう。
紙と炭はどこかの家にあったものを頂戴したか。
どのみち、接触の手段が浮かばないならばこれしかない。
「…よし」
近くにちょうどよく、書くのに適した平らな岩がある。
紙を置くと、シルフィーモンは炭を手に書き始めた。
今回、フレイアが同行するにあたり、ヴァルキリモンは探偵所の方へ残った。
万が一フェレスモンかメフィスモンの罠であった場合、ヴァルキリモンの存在が彼らに露呈する恐れがあるからだ。
ヴァルキリモンの存在を明確にメフィスモンに知られないうちは、こちらの"切り札"としての役目があるとラブラモンは、否、アヌビモンは言う。
「あちらはあの時の戦いで、お前の事を知っている。魂のみになってしまってもフェレスモンならば視認できる」
フェレスモンならばメフィスモンを経由してヴァルキリモンについて幾らか情報は持っていよう。
そうでなくとも、青森での一件に関与していた事に勘づかれているやもしれない。
そうラブラモンが言ったために、ヴァルキリモンはフレイアに一切を任せた。
フレイアには戦闘能力はほとんどない。
だが自我を持つ故の利点がある。
フレイアは美玖とシルフィーモンが拘束された際、シルフィーモンを連行するブラックマッハガオガモンを追った。
自身と違い、戦闘を行うことのできるシルフィーモンを優先したのである。
シルフィーモンを森の中へ放り捨てたブラックマッハガオガモンが向かった先は町だった。
規模の大きいデジタルポイント内にできたその町を探査することで、フレイアはいくつかの情報を得た。
町には、フェレスモンの気配はない。
次に、町中のデジモン達は皆、セイラ…美玖の前だけ人間であることを演じており、彼女が近くにいなければ隠す気すらない。
さらに、見張りは居り、決まった時間毎に交代すらあるものの居眠りやふざけ合いなど隙だらけな者がいる事、など。
フレイアに注意や警戒をする者はいなかった。
フレイアはシルフィーモンに紙と炭を渡し、彼の様子を木の上から見下ろす。
シルフィーモンは手紙として書くべき内容に幾らか苦心した後、改めて町の方へ目を向けた。
「……あそこが良いか」
そうつぶやいたかと思うと、ニ三行ほどの短い文をしたためて畳む。
それからフレイアに紙を見せた。
「これを、彼女の居場所があれば見える位置に置けるか?」
フレイアは枝を飛び立つと、シルフィーモンの手の中の手紙をくわえて再び町へと飛んでいく。
見つかりにくいよう空高くから町へ進入し、セイラの"家"へと向かった。
その途中、セイラの姿を見つける。
彼女は家より少し離れた井戸にいた。
セイラだけではない。
彼女と話す、複数体のデジモン達。
その中心にいたのは、強力な闇の力の持ち主として知られるレディーデビモンだ。
レディーデビモンが何か発言するたび、周りのデジモン達は彼女を仰ぐように見ているのだった。
それを眼下に通り過ぎると、フレイアはセイラの家に窓から入る。
フレイアはシルフィーモンが書いた手紙を、テーブルの上に置いた。
セイラが戻るまでに間がある。
家の中を、ぴょこぴょこと飛び移っては見に回る。
木製の家財用具が置かれており、機械の類は何一つない。
非常に素朴な家の中。
美玖である証拠の物がありそうなチェストは、フレイアでは開けられない。
セイラが開けるところを観察するか、シルフィーモンをここへ誘導して開けさせるかのどちらかだろう。
そこへ、足音と、わずかに水のばしゃばしゃという音が聞こえる。
「よい……しょっ、と」
ごとん、と何かが置かれる音。
フレイアは速やかに窓から外へと出ていく。
「あら?」
水の入った桶を手に家へ入ったセイラは瞬きした。
いつのまにか置かれていた、手紙と思しきもの。
それを手に取り、開いてみる。
『君と話がしたい。夜中に、町の中央の教会で待っている』
「誰かしら?」
とんと見当がつかず首を傾げた。
セイラからすれば、町中皆が顔を合わせばすぐ話が弾む"友達"だ。
森で遭遇したあの、人の顔をした恐ろしい化け物が文字を書くなど想像もつかなかった。
だが、いずれにせよ確かめる手段はない。
スマホどころか時計や電話すらない、かなり忠実に機械そのものが皆無な古きヨーロッパが再現されたこの町では。
ーーー
そして、夜。
森の中を駆け抜けながら、シルフィーモンは町を囲う外壁、門の近くへとやってきた。
茂みに身を隠しながら窺う。
門番をしていたのは、小鬼のようなゴブリモン二体。
このゴブリモン達はフレイアが目をつけていた、真面目に仕事をしない部類の門番だ。
片方のゴブリモンは、交代して門前に立つや否や、その場で舟を漕ぎはじめた。
「だらしねーのー。俺もだけどよ」
そうぼやきながら、もう一体も壁に寄りかかった。
そのゴブリモンからもいびきが聞こえ始めると、シルフィーモンは音をたてず彼らの間を通り過ぎていく。
門へ入ってすぐ、彼は家の囲いに沿うように身を隠した。
(……これは油断はできないぞ)
町中の明かりは消えており、デジモン達が町を闊歩している。
いずれも、明らかに町を出歩くというより見回りだ。
なかには、昼間にセイラと話をしていたレディーデビモンや…
(……あの時のブラックマッハガオガモン!)
夜闇にわかりにくいが、視界に見覚えのある姿を捉え、シルフィーモンはより慎重に教会を目指す。
「あいつははたして来るのかねぇ?」
「そりゃ、来るだろうさ。役者は揃わなきゃ始まらんよ」
退屈げなレディーデビモンに他のデジモンがそう話す声が聞こえた。
「ところで、あの記憶を奪ったまんまの人間の女は今家にいるかい?」
「さっき教会へ向かったよ。お祈りをしに行くんだと」
「教会ねえ、なんだって芝居づくりとはいえアタシらまで行かなきゃならないんだ」
「そうカッカすんなよ!」
(記憶…!)
その言葉を聞いて、シルフィーモンの胸中に湧き上がる熱。
(やはり、彼女は美玖だったんだ!)
だが、まずは会って話をしないことには始まらない。
あの、怯えたような彼女の表情は、自身への記憶も失ったゆえのものだろうが落ち着いて話を聞いてくれるかどうか。
いちか、ばちか。
ーーー
暗く、静かな教会の中。
セイラは一人佇み、奥のステンドグラスを見つめていた。
「……」
心の中で、ざわつくものがある。
それは、いつも教会の中に入るたびにわき起こるものだった。
(どうしてここに来ると、こんなに胸の中が苦しくなるのかしら?)
大事なものが抜けているが故に。
わからない。
わからない。
わからない。
忘れているような感覚に思いを馳せようとするたび、もやもやと頭の中が霞みがかる。