(カッと空間の中央に据え置かれた椅子を照らすスポットライト)
(カツ…カツ…と足音が響き、全身に不気味な刺青の赤い悪魔が影から現れる)
(悪魔は悠然と椅子へ歩み寄り、椅子へ腰掛ける)
(咳払い)
こほん。
諸君、ご機嫌よう。
さて、諸君はエンディングでお好みなものは何かあるかね?
愛し合う者同士が艱難辛苦を乗り越え結ばれる?
正義の志を抱いたヒーローによる痛快な事件解決?
はたまた周囲の温かさに触れながら成長していく若者のハートフルストーリー?
成程、成程。
結構、結構。
実にわかるよ、ハッピーエンドとは満たされた者には甘いものだ。
…だがね、諸君。
満たされない者にとってはハッピーエンドよりもっと甘く痛快な終わりがある。
そう、バッドエンドだ。
先程のハッピーエンドを逆に置き換えるならば。
愛し合っていたはずの想いはたちまち冷め、二人の人生は破滅に繋がり。
あるいは、愛した者が第三者に身も心も穢され、生涯に癒えぬ傷を残すも一興。
ヒーローの正義とは時に悪にもなる。
善かれと思ったその行いが相手の人生を狂わせる劇毒だとしたら?
もしかしたら悪こそが真っ当な"正義"だと、そう主張する終わりもあるだろう。
人間とは常に偽善の仮面をかぶっているものだ。
君が今日まで良い人と信じていたその人間の本性が、真逆のものだとしたら。
明日にはきっと、君にとって全ての人間が嘘つきに見えるだろう。
成長ではなく、ただの思い込み(プラシーボ効果)だったとはお笑い種ではないかね。
そうだ、バッドエンドとは報われた物語に飽き、共感など1ミリも湧かぬ人間には何よりの栄養剤であり麻薬だ。
他人の不幸は蜜の味、とはよく言うものだな。
どんな善人、聖人だろうとどこかで、中指差しで呪われるものだ。
地獄に堕ちればいいのに、と。
では、本題に入るとしよう。
諸君らは美女と野獣という物語をご存知かね?
その傲慢さから魔女に呪われ、愛されなければ死ぬまで醜い野獣の姿であり続ける事を運命付けられた一人の王子と、一人の心優しく聡明な美女の、愛に目覚め結ばれるまでの過程を描いた物語だ。
人間ならば、知らぬ者はないと聞く。
まず、ここで、問わなくてはならないだろう。
この物語の本質は、『姿に拘ることなくその者を愛せるか』にある。
しかし、物語の読者のなかにはこう言う者もいる。
「なんで人間に戻ってしまうんだ?野獣のままが良いじゃないか」
……どうかね、諸君の中にも、そう思う人間はいるのではないかな?
皮肉な事に読者の半分ほどは姿に拘るがあまり、ハッピーエンドであるはずの終わりを自身の中で"バッドエンドに結びつけている"とは。
いやはや、なんとも興味深く、滑稽なことだ。
さて。
美女と野獣にもしバッドエンドが用意されているのなら、諸君はどんなエンドをお考えかね?
愛されぬまま野獣のままか、一度は愛を得ても美女か王子どちらかの愛が冷めて心変わりしてしまうか。
…ふうむ。
諸君がどのようなエンドをご所望かはともあれ、今回は不幸な不幸な二人を実験台にしてみるとしよう。
なに、ある意味でいえば、此度の犠牲者とは本質的にも種族としても違う者同士。
如何なる末路を辿るのか…
それでは、早速その二人をここへ招待し、諸君らに見ていただくとしよう。
彼らに訪れるのは救いか。
はたまた惨い終わりか、を。
こちら、五十嵐電脳探偵所 第13話 Beauty and The BeastMan
その依頼が五十嵐探偵所に持ち込まれたのは、閉業時間まで残るところ30分ほどのことだった。
依頼人の男はホテルのオーナーと名乗った。
小綺麗に整えられた髪と服装は、オーナーの人となりを表しているかのようである。
「ーーそれで」
美玖は尋ねた。
「ホテルでは不可解な現象が今も絶えず起きている、と」
「はい。始めは騒がしい…ラップ音とかいいましたか。あのような音が聞こえる程度で」
しかし、やがて顧客から苦情が増えるようになった。
夜中に子どもが駆け回るような、ばたばたという足音のようなもの。
大勢の人たちが囁き合うような声が、そのままボリュームを上げたかのような音声。
やがては、幽霊らしきものが歩くのを見たという苦情まで。
「このままでは経営もままなりません」
「そうですね…」
「ある時に、このような封筒が郵便受けに入っていたのです」
言いながら依頼人が差し出したのは、赤い封蝋が押された一通の封筒。
宛先は『五十嵐探偵所様』と書かれ、差出人の名前はない。
「これは」
「実はこの探偵所を訪ねたのは、この封筒があるからです」
「中を開けても?」
封を開けると中からは血のように赤い便箋。
そこには、次のような文章が書いてあった。
『五十嵐美玖様ならびにシルフィーモン様
お二人方のご活躍は此方の耳にしかと届いております。
明日、ホテル○×で宴会を行いますので必ずお二人のみ揃っておいでください』
「……これって……」
ホテル○×は依頼人が経営している場所だ。
依頼人に確認をしたが、そのような催しの予定に心当たりはないと返ってきた。
「しかし、なぜこの手紙の差出人は私と美玖を指定してきた?」
「…ホテルで起きているという怪現象の仕掛け人かもしれない」
訝しげに言い、シルフィーモンと美玖は見合わせる。
そこで、嫌な予感がよぎった。
「まさか、メフィスモンか?」
あの洋館での一件以来、メフィスモンに関係する話を聞かない。
ハックモンと僅かな時間の間のやりとりでも、彼が何がしかの有用な手がかりを得られた事はなかったと話している。
「差出人の名前もなし、なのにこちらを指名というのは…」
明らかにこちらを誘っている。
そう断じたシルフィーモンは、端末を取り出した。
「失礼…」
シルフィーモンがソファーを立ち、美玖は依頼人と話を続ける。
「封筒には、開催時間が書かれていませんが、明日午前9時頃にそちらへお伺いしても構いませんか?」
「構いませんよ」
依頼人はうなずいた。
少しして、端末での音声通話を終えたシルフィーモンが戻ってきた。
「担当に連絡をとって明日の出撃予定を別日に変えてもらってきた」
「わかったわ。明日の朝9時、○×ホテル前で」
ーー
依頼人が帰ると、シルフィーモンは美玖の方を見た。
「……思えば、久々に君との依頼になったな、美玖」
「そうね」
ここ二ヶ月近く。
進展がなければ攻撃を開始するというイグドラシルの宣告からしばらくの間、シルフィーモンはまともに探偵業務の方へ出向けなかった。
その間を埋めて探偵アグモンが残ってくれていたが、それでもシルフィーモンがいない時間の多さを考えればどことなく不安を美玖は覚えている。
その不安を、美玖が誰かにこぼす事はなかった。
「久方ぶりの"本業"だ。気合いを入れていくとするか」
シルフィーモンは言いながらキッチンへ向かう。
…この時ばかりは、一人と一体ともに、思わなかったのだ。
罠である事はわかっていたが、待ち構えているものに翻弄される事を、知るはずもなかった。
ーーー
翌朝、9時。
隣県のやや人里から離れた地域に、○×ホテルはあった。
「ここか」
上空から目的の場所を見つけたシルフィーモンが、足から下へと落ちる。
首元に巻き付かれた腕の力がきゅっと強くなるのを感じながら、地面へと着地した。
そのまま膝をついた姿勢で、彼は背中にしがみついた美玖を見る。
美玖も、ゆっくりと足を地面に付けるように立ちながら、シルフィーモンの背中から身体を離した。
「大丈夫か?」
「う、うん…」
思えば久々のシルフィーモンの背中である。
グルルモンの背に乗るようになってから、シルフィーモンも身が軽いのが良いだろうとご無沙汰だった。
「時間だ、入ろう」
ホテルへと入っていく美玖とシルフィーモン。
その後ろ姿を、木々の合間から見ているフレイアの姿があった。
「湯田さん、五十嵐です」
「はい、今参ります」
ホテルの受付カウンターの前で、依頼人の湯田は一人と一体を出迎えた。
「ここがホテルの中か…今のところ、宴会などの催しはやっていなさそうだな」
言いながらシルフィーモンはホテルの内装を見回した。
小洒落ているが、飾り気のない、ある意味ではごく普通の雰囲気のホテルだ。
「もし良ければ、探偵さん、ホテルの中を見て回られます?」
「はい、お部屋の構図なども把握しておきたくーーあ、怪異がよく起きる場所も知りたいですね」
「私もこの階は一通り部屋を散策して来ようか。ところで、本日の宿泊客は…」
「いえ、最近は本当に怪異のおかげで閑古鳥が鳴いておりまして…」
言いながら、湯田はシルフィーモンから離れてロビーへと向かう美玖の後をついて行った。
同行するにしては、静かに気配を殺した足運び。
美玖が部屋を開けた時。
湯田はその後ろから襲いかかってきた。
「!?」
片手で美玖の口を塞ぎ、ドアを閉めてから組み付きにかかる。
口と鼻にヒンヤリと濡れた布の感触。
「んんっ!!」
何をさせられようとしているのか理解した美玖が素早く身をよじり、湯田の脇腹に肘鉄を当てる。
「ぐっ!」
痛みに湯田が怯んだ。
美玖が部屋を飛び出そうとした時、部屋の外で派手な倒壊音が聞こえた。
「シルフィーモンーーっ!」
「大人しくしてもらおうか!」
「っぐう!んんうーっ!」
………
「ほう、多少はかわせるか」
「…っ!」
ほんの一瞬だった。
だが、その一瞬が致命的な一撃への連鎖に繋がる事を予測し損ねれば命がなかった。
破壊された壁、砂塵吹き荒れる向こうでそいつはシルフィーモンに向かいせせら笑った。
全面的に黒い装甲やサイバネ部位、そして毛並み。
それは、一般的にはマッハガオガモンと呼ばれる狼か犬のような獣人のサイボーグ型デジモンに酷似した姿。
「…ブラックマッハガオガモンか!」
シルフィーモンは左肩をさする。
先程壁を破壊し突っ込んできた拳をもし避け損ねていたら、一撃で持っていかれかねない衝撃。
そこで、シルフィーモンは後ろに聞こえるよう声を張り上げた。
「美玖!デジモンの襲撃だ!依頼人の避難を…」
「その必要はない」
ブラックマッハガオガモンの口角が吊り上がる。
「お前達は袋の鼠だ」
「なにっ…!?」
そこで気づく。
後ろを振り向くと、意識を失った美玖を抱えた湯田がいた。
「まさか、依頼人といったのは嘘だったのか…!」
「そいつはフェレスモンの旦那と契約した"信者"でな。随分と役に立ってくれる」
ブラックマッハガオガモンが言う間に、湯田はそれに一礼した後美玖を抱えて廊下の向こうへ駆け出していく。
「待ーー」
「よっ…と!」
後を追おうとしたシルフィーモン。
その後頭部へ強烈な一撃が叩き込まれた。
瞬時に距離を詰めたブラックマッハガオガモンの拳だ。
どさり…
力なく倒れる身体が半機械化された脚で蹴転がされる。
「こりゃ旦那の見立て通りだな…それなりのやり手ではあるが、あの人間の女がそんなに大事か」
倒れ伏すシルフィーモンを前に、ブラックマッハガオガモンは凶暴な笑みを浮かべた。
そこで通知音が鳴り響きだす。
ブラックマッハガオガモンは腰の端末を取り出し、通信用のスイッチをオンにした。
「おう」
『首尾はどうだ』
「湯田が例の女をそっちへ連れて行っている。こちらも今から連行するところだ」
『ふむ、例のコードは忘れておるまいな?』
「09666508だろ?」
『結構。では連れて行くといい』
フェレスモンとの通信を終え、ブラックマッハガオガモンはこちらも意識を失って昏倒したシルフィーモンを肩に担ぎ上げた。
「さて、俺個人としちゃどちらにも恨みはないがよ、フェレスモンの旦那の悪趣味を愉しませて貰うぜ…?」
……………
目を覚まし、最初に肌に感じたのは、冷たい空気。
次に感じたは、身体に加えられた強い圧迫感。
「………」
目を開けた美玖。
座った状態で椅子に縛られた状態だ。
「…ここは…」
「お目覚めかね、五十嵐美玖。…選ばれざる子どもよ」
「あなたは!」
暗い部屋の中、悠然とした足取りで近寄るは。
「フェレスモン…!」
「ご機嫌よう、エジプト以来だな」
貴族然とした赤い悪魔は笑みを崩さず、彼女のすぐそばへとやってきた。
そして、手を伸ばし美玖のあごを下から覆うように掴んだ。
「……っ」
「どうした、メフィスモンを捕らえた時のような鋭気ぶりが嘘のようだな」
あごを掴みながら目線を合わせてフェレスモンは言う。
ねっとりとした視線に、否応なく鳥肌が立つのを覚えた。
「こうして見れば、お前もただの子犬同然か」
「シルフィーモンは…彼は!?」
「ククク…この状況で助手の身を案ずるか。似たもの同士だな。心配せずとも奴は始末しておらんよ。ーーー用意しているショーにはお前と奴が必要なのでな」
「なんですって…?」
「そのためにまずお前から奪っておかなくてはならない。お前から、一切の記憶をな……」
美玖のあごに触れていた指先からぼうっと怪しげな光が灯った。
何が起こったのか。
それすらわからないまま、美玖の意識は闇へ落ちていった。
…………
冷たく固い土の感触。
シルフィーモンが目を覚ますと、そこはホテルの中ではなく薄暗い森の中だった。
ブラックマッハガオガモンの拳を直撃された後頭部が未だ痛みを伝えてくる。
「……ここは……」
森の中は霧が濃く、どこからか不気味にもカラスの鳴き声が響く。
立ち上がると、注意深く周囲を見まわした。
ゴーグルとHMDの機能に問題なし。
近くにある草木に触れ、作り物ではないその感触から今いる場所がデジタルワールドでない事を確かめる。
「…美玖は、フェレスモンの元で…!」
まさか人間を自身の傘下に加えていたとは、思いもよらなかった。
おそらく人間を使い、自身らを警戒させる事なく誘き寄せるためだったのだろう。
そうなると憂うべきは美玖の安否である。
フェレスモンはメフィスモンと何らかの形で同盟を組んでいる。
メフィスモンからの言質ではあるが、どのみち身の安全の保証は怪しむべきだ。
「急がないと」
そう呟いた時、獣の遠吠えが聞こえた。
……野良犬?
その時、視界を何かが横切った。
HMDがその姿を明確に捉える。
それは人間だった。
フードをかぶっているが、どうやら女性のようだ。
そして。
「!」
200mほど後方から数体もの獣が女性を追ってきている。
ただの獣ではない。
真っ赤な毛並みにギラギラ光る黄色い目。
痩せこけた身体に殺意を纏わせた狼のような姿。
「あれは……ファングモン!」
ファングモンは狡賢く攻撃的なデジモンだ。
それが数体も一人の人間を襲うなどデジタルワールドならともかく現実世界でとは尋常ではない。
シルフィーモンは脚に力を込め、飛び上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ…!」
上がる息、跳ねる心音。
女は木々の間を走る。
悪い足場、足先がもつれて倒れる。
「ああっ…!」
その周りをあっという間にファングモンが取り囲んだ。
耳元まで裂けた口には鋭利な大牙がずらり。
生臭く温かい息がすぐそばから顔にかかった。
「ひっ……来ないで!」
女の悲鳴を飢えた獣が聞く道理もなく。
うち一匹が女のコートに食らいつく。
さらにもう一匹が女の首を狙ってその裂けた口を開いた時。
「『トップガン』!!」
上空から飛んできたエネルギー弾に跳ね飛ばされ、そのままデータの残滓として四散した。
他のファングモン、そして女が上空にいるシルフィーモンの姿を見上げる。
そのままシルフィーモンは両腕を広げ、加速と共に急降下。
彼の腰に装着されたベルトのタービンが高速回転。
赤とピンクの光に包まれた状態で、シルフィーモンは狙いを定めた。
「『デュアルソニック』!」
キーン…!と飛んだ衝撃波は、さらに数匹のファングモンを蹴散らす。
これに生き残りはたちまち女を諦め、散り散りに逃げていった。
「大丈夫か!」
着地してすぐ、シルフィーモンは女へと駆けつけた。
女は慌てて立ち上がると、シルフィーモンに背を向け逃げようとする。
「待ってくれ!私はーー」
「嫌あっ!来ないで!!」
怯えた声と共に振り向かれたその顔に、シルフィーモンは硬直した。
別人と認めるには、あまりにも似すぎた顔。
「美玖!?」
思わず、足が止まる。
それに何一つ思うところもないのか、美玖によく似たフードの女は逃げ去ってしまった。
「………美玖……」
止めようと伸ばした腕はそのままに、立ち尽くした。
…あんな顔は初めて見た。
あれほどデジモンのそばに寄る事が生きがいのような彼女が、デジモンに怯え逃げるなど。
だが、あれは。
(あれは、美玖だ)
別人と疑おうにも、疑えなかった。
一体彼女に何が起きたのか。
地面にわずかに残された足跡を辿る、それしかシルフィーモンにはできそうになかった。
「……後を、追おう」
…………
息せきながら走った女が入った場所は、日本とは到底思えない場所だった。
一言で言えば、ヨーロッパの古き美しい町。
郊外に農場や牧草地帯が広がり、町中に玉石敷きの通りや古風な尖り屋根の家々が立ち並ぶ。
美玖によく似た女がその通りを歩くと、家の一つから顔を出したふくよかな女性が声をかけた。
「こんにちは、セイラ。朝から森に出かけてたのかい?」
「こんにちは、おばさま。ええ、今日はキノコ採りに出かけていたわ。恐ろしい狼に襲われそうになったのだけど…」
「まあ!」
女性の顔が青ざめる。
「よく無事だったわね!いえ、お前が出かけたのに皆が気づく前に、町に御触書が出て…」
「御触書?」
「そう、最近この辺りで、鳥の脚をした二本足の人間によく似た恐ろしい化け物が出たんですって。空を飛ぶことができて、人を襲うから気をつけろって書いてあったわ」
「…それ、きっと私は会ったわ。おばさま」
「まあ!!」
さらに顔が青ざめる女性にセイラと呼ばれた女は森での出来事を話す。
「狼を吹き飛ばしたりして、とっても恐ろしかった」
「本当、よくお前は無事だったわね…あ、そうだ。わたしはそろそろお父さんの畑を見に行くわね。お前が言っていたこと、皆にも知らせておかなくちゃ」
「わかったわ、おばさまも気をつけて」
別れると、セイラはキノコでいっぱいのカゴを抱えて家へ向かった。
………
「……あそこか……」
町を少し離れた場所、高い木の上からシルフィーモンはその姿を見ていた。
一体ここがどこなのかわからないが、少なくともシルフィーモンには確かなものが見えている。
「デジタルワールドでもないのに、あれだけのデジモンがいるとは…」
セイラ……美玖によく似た女性が話していた相手は、マッシュモンというキノコのようなデジモン。
セイラと話していたマッシュモンだけではない。
町の至る所にいるのは全てデジモンだ。
事実、シルフィーモンは間違っていなかった。
言うまでもなく、セイラは美玖その人である。
フェレスモンに記憶を消され、シルフィーモン以外のデジモンが人間に見えるように催眠をかけられていたのだ。
おそらくデジモン全てがフェレスモンの協力者だろう。
そして、自身が今町へ入れば、町にいる全てのデジモンが敵対して向かってくるだろうことも、シルフィーモンは予知していた。
「どうにかして彼女にもう一度接触しなければ。美玖かどうか、確かめる必要がある…」
その時、視界を金色がよぎった。
軽やかに羽ばたきながらシルフィーモンを更に高みから見やるその姿に、彼は見覚えがあった。
「お前は確か、フレイアとかいう鳥…」
ピイッ
美しい羽を羽ばたかせながら、フレイアはシルフィーモンの頭上を旋回。
そして、そのまま町の方へと飛んでいった。
「…なるほど」
デジモンではないフレイアなら、デジモン達から敵対されることはない。
少なくとも、非デジモン的存在を使役するデジモンはいれど、フレイアのような全くの生物を使役するデジモンはそういないのだ。
警戒されることはないだろう。
………
家に帰り着いたセイラは、カゴの中のキノコをテーブルの上で選り分けていた。
キノコは乾燥させて日持ちを良くさせる。
暖炉の火がパチパチと燃え、部屋を温かい空気で満たした。
脱いだコートを壁に掛けた時、窓の方から鳥の羽ばたきの音が聞こえた。
「…あら?」
セイラが振り向くと、そこには見たこともない美しい金色の鳥がいる。
思わず見惚れていると鳥は入ってきた。
ピイッ
金色の鳥はテーブルの上に降り立つ。
キノコには目もくれず、ルビーのような赤い目でセイラを見た。
「綺麗な鳥さん…どこから来たの?」
セイラは尋ねるが、鳥がそれに答えられるわけもない。
鳥が逃げる様子もないのに、思わず手を伸ばす。
柔らかな羽毛の感触と仄かな体温が指に伝わった。
その時。
セイラの脳裏で鮮烈にフラッシュバックが走った。
眩いばかりの純白。
その純白に沿うように停まる金色の……
「……!!」
セイラはハッと我にかえる。
未だ鳥は、そこにいた。
「今の……今の、何…」
ピイッ
鳥は何を感じとったのか、突然羽ばたいた。
そのまま、窓へ。
「あっ」
セイラが窓から外を見たが、すでに鳥はいなくなっていた。
ーーー
ピイーッ
シルフィーモンの元へフレイアが戻ってきた。
その嘴には紙、脚には炭を掴んでいる。
「それは……」
ピイッ
シルフィーモンの手に紙と炭を落とし、フレイアは旋回した。
これで、彼女と文通を交わせということだろう。
紙と炭はどこかの家にあったものを頂戴したか。
どのみち、接触の手段が浮かばないならばこれしかない。
「…よし」
近くにちょうどよく、書くのに適した平らな岩がある。
紙を置くと、シルフィーモンは炭を手に書き始めた。
今回、フレイアが同行するにあたり、ヴァルキリモンは探偵所の方へ残った。
万が一フェレスモンかメフィスモンの罠であった場合、ヴァルキリモンの存在が彼らに露呈する恐れがあるからだ。
ヴァルキリモンの存在を明確にメフィスモンに知られないうちは、こちらの"切り札"としての役目があるとラブラモンは、否、アヌビモンは言う。
「あちらはあの時の戦いで、お前の事を知っている。魂のみになってしまってもフェレスモンならば視認できる」
フェレスモンならばメフィスモンを経由してヴァルキリモンについて幾らか情報は持っていよう。
そうでなくとも、青森での一件に関与していた事に勘づかれているやもしれない。
そうラブラモンが言ったために、ヴァルキリモンはフレイアに一切を任せた。
フレイアには戦闘能力はほとんどない。
だが自我を持つ故の利点がある。
フレイアは美玖とシルフィーモンが拘束された際、シルフィーモンを連行するブラックマッハガオガモンを追った。
自身と違い、戦闘を行うことのできるシルフィーモンを優先したのである。
シルフィーモンを森の中へ放り捨てたブラックマッハガオガモンが向かった先は町だった。
規模の大きいデジタルポイント内にできたその町を探査することで、フレイアはいくつかの情報を得た。
町には、フェレスモンの気配はない。
次に、町中のデジモン達は皆、セイラ…美玖の前だけ人間であることを演じており、彼女が近くにいなければ隠す気すらない。
さらに、見張りは居り、決まった時間毎に交代すらあるものの居眠りやふざけ合いなど隙だらけな者がいる事、など。
フレイアに注意や警戒をする者はいなかった。
フレイアはシルフィーモンに紙と炭を渡し、彼の様子を木の上から見下ろす。
シルフィーモンは手紙として書くべき内容に幾らか苦心した後、改めて町の方へ目を向けた。
「……あそこが良いか」
そうつぶやいたかと思うと、ニ三行ほどの短い文をしたためて畳む。
それからフレイアに紙を見せた。
「これを、彼女の居場所があれば見える位置に置けるか?」
フレイアは枝を飛び立つと、シルフィーモンの手の中の手紙をくわえて再び町へと飛んでいく。
見つかりにくいよう空高くから町へ進入し、セイラの"家"へと向かった。
その途中、セイラの姿を見つける。
彼女は家より少し離れた井戸にいた。
セイラだけではない。
彼女と話す、複数体のデジモン達。
その中心にいたのは、強力な闇の力の持ち主として知られるレディーデビモンだ。
レディーデビモンが何か発言するたび、周りのデジモン達は彼女を仰ぐように見ているのだった。
それを眼下に通り過ぎると、フレイアはセイラの家に窓から入る。
フレイアはシルフィーモンが書いた手紙を、テーブルの上に置いた。
セイラが戻るまでに間がある。
家の中を、ぴょこぴょこと飛び移っては見に回る。
木製の家財用具が置かれており、機械の類は何一つない。
非常に素朴な家の中。
美玖である証拠の物がありそうなチェストは、フレイアでは開けられない。
セイラが開けるところを観察するか、シルフィーモンをここへ誘導して開けさせるかのどちらかだろう。
そこへ、足音と、わずかに水のばしゃばしゃという音が聞こえる。
「よい……しょっ、と」
ごとん、と何かが置かれる音。
フレイアは速やかに窓から外へと出ていく。
「あら?」
水の入った桶を手に家へ入ったセイラは瞬きした。
いつのまにか置かれていた、手紙と思しきもの。
それを手に取り、開いてみる。
『君と話がしたい。夜中に、町の中央の教会で待っている』
「誰かしら?」
とんと見当がつかず首を傾げた。
セイラからすれば、町中皆が顔を合わせばすぐ話が弾む"友達"だ。
森で遭遇したあの、人の顔をした恐ろしい化け物が文字を書くなど想像もつかなかった。
だが、いずれにせよ確かめる手段はない。
スマホどころか時計や電話すらない、かなり忠実に機械そのものが皆無な古きヨーロッパが再現されたこの町では。
ーーー
そして、夜。
森の中を駆け抜けながら、シルフィーモンは町を囲う外壁、門の近くへとやってきた。
茂みに身を隠しながら窺う。
門番をしていたのは、小鬼のようなゴブリモン二体。
このゴブリモン達はフレイアが目をつけていた、真面目に仕事をしない部類の門番だ。
片方のゴブリモンは、交代して門前に立つや否や、その場で舟を漕ぎはじめた。
「だらしねーのー。俺もだけどよ」
そうぼやきながら、もう一体も壁に寄りかかった。
そのゴブリモンからもいびきが聞こえ始めると、シルフィーモンは音をたてず彼らの間を通り過ぎていく。
門へ入ってすぐ、彼は家の囲いに沿うように身を隠した。
(……これは油断はできないぞ)
町中の明かりは消えており、デジモン達が町を闊歩している。
いずれも、明らかに町を出歩くというより見回りだ。
なかには、昼間にセイラと話をしていたレディーデビモンや…
(……あの時のブラックマッハガオガモン!)
夜闇にわかりにくいが、視界に見覚えのある姿を捉え、シルフィーモンはより慎重に教会を目指す。
「あいつははたして来るのかねぇ?」
「そりゃ、来るだろうさ。役者は揃わなきゃ始まらんよ」
退屈げなレディーデビモンに他のデジモンがそう話す声が聞こえた。
「ところで、あの記憶を奪ったまんまの人間の女は今家にいるかい?」
「さっき教会へ向かったよ。お祈りをしに行くんだと」
「教会ねえ、なんだって芝居づくりとはいえアタシらまで行かなきゃならないんだ」
「そうカッカすんなよ!」
(記憶…!)
その言葉を聞いて、シルフィーモンの胸中に湧き上がる熱。
(やはり、彼女は美玖だったんだ!)
だが、まずは会って話をしないことには始まらない。
あの、怯えたような彼女の表情は、自身への記憶も失ったゆえのものだろうが落ち着いて話を聞いてくれるかどうか。
いちか、ばちか。
ーーー
暗く、静かな教会の中。
セイラは一人佇み、奥のステンドグラスを見つめていた。
「……」
心の中で、ざわつくものがある。
それは、いつも教会の中に入るたびにわき起こるものだった。
(どうしてここに来ると、こんなに胸の中が苦しくなるのかしら?)
大事なものが抜けているが故に。
わからない。
わからない。
わからない。
忘れているような感覚に思いを馳せようとするたび、もやもやと頭の中が霞みがかる。
それでも。
教会に来るたび、痛烈な感覚が彼女に何かを呼び起こさせようとするのだ。
(いつも、いつも…そうよ、ここに初めて来た時から、いつも…… いつも?)
かたりっ
かすかな物音にセイラは懺悔室のある方を向いた。
そして、目を見開く。
「あ……」
そこには、森で自分を襲った狼達を攻撃した、あの怪物がいた。
(どうして?なんで教会に…!?)
怪物が歩み寄る。
逃げようとしたが、足が動かない。
その時、彼女の脳裏にフラッシュバックが走った。
明るい光差す教会の中。
ウェディングドレスを着て立っている、自分。
これは、これは。
「ああ……あ……」
唇が震える。
歩み寄る怪物と、フラッシュバックの中で自分に向かって歩み寄る誰かとが重なる。
怪物が口を開いた。
人と同じ唇で、声で。
「美玖!」
近寄り、腕を取ろうとするその手を、セイラは思わず取ろうとしてハッとした。
「さ、触らないで!化け物!」
払いのけ、後ずさる。
怪物は、シルフィーモンは、構わず続けた。
「落ち着いて聞くんだ!君は、記憶を消されて別の人間に仕立てられてここにいる!私は君を助けに来た」
「そんな話、誰が信じるの?私は生まれた時からこの町に…」
そう、私はセイラ。
私は生まれた時からこの町に住んでいる。
この怪物が呼んでる美玖って、誰のこと?
「私はセイラよ!生まれた時からずっと、ずっとここに…」
「それは君がそう思い込まされた偽物の記憶だ!君の名前はセイラじゃない!君は、君は、五十嵐美玖!それが君の名前だ!」
シルフィーモンは必死に訴えかける。
だが。
自身に向けられた殺気。
それを感じとり、身を捻ったシルフィーモンの足元に一本の矢が刺さった。
「感心しねえなあ、夜中の教会に女の子を呼んで拐かすとは!」
そう言いながら手にした弓でシルフィーモンに狙いをつける影。
その声を聞いたセイラが叫ぶ。
「狩人さん!怪物よ、早く撃って!」
「よし」
安堵の声を受け取り、降りてきたのは長いザンバラ髪に多彩な矢が仕込まれた特徴的な防具の持ち主。
(ザミエールモン!こいつまでいるのか!)
身構えながらシルフィーモンは改めて町にいる戦力がいかほどのものかに戦慄した。
ザミエールモンはゲリラ戦や掃討戦等のいかなる戦いにも対応した、文字通りのプロだ。
妖精型や植物型を中心としたデジモンの勢力を纏めるリーダーであり、将軍でもある。
高い指揮力のみならず、ザミエールモン自身の戦闘力の高さも、シルフィーモンは風の噂に聞いていた。
ーー今、相手にするには間違いなく不利な状況だ。
「…すまない、また、後で必ず!」
シルフィーモンが走る。
跳躍し、窓を突き破る。
ガシャアーン!!
「おい!逃げたぞ!!」
ザミエールモンの声と窓の破砕音に町のデジモン達が反応するのに時間はかからなかった。
シルフィーモンが教会を飛び出して早々、あらゆる攻撃が彼めがけて降ってきた。
「ほらほら!アタシらのセイラによくもちょっかいをかけてくれたね!」
レディーデビモンの『ダークネスウェーブ』が襲いかかる。
コウモリの群れを形成した闇のエネルギー体がシルフィーモンの身体に食らいつく。
「……っ!」
激痛に堪えながら、再び跳躍。
そのまま滑空し、外壁から外へ飛び出すシルフィーモンを追撃するべく何体かのデジモンが追いかけてくる。
そのなかには、あのブラックマッハガオガモンもいた。
「おいおいおい、まさか逃げるつもりじゃないだろうなぁ!」
背中のロケットエンジンを火力最大に、一気にシルフィーモンへと肉薄。
「これでも食らいな!『ガオガトルネード』!」
「くうっ!」
推進力で接近しての高速連続攻撃をいなす術はない。
「うわあああっ!!」
地面に向かい、垂直に叩き落とされていく。
どぉん!!
大きく立つ土煙。
晴れた場所には、大きな穴が空くばかりだった。
…………
教会から送り帰され、セイラは一人、家の中にいた。
灯りも着けず、暗い中椅子に腰掛けたまま、ひとり。
(……あの怪物が言ってることは、本当なの?)
自分がこの町で生まれ育った人間だと。
自分の名前がセイラだと。
それは偽物の記憶だと否定した怪物の声。
(そんなはずない。だって私は…)
生まれた時からここにいるんだもの。
優しい、いい人達がいるんだもの。
だって……。
「……あれ?」
他に、誰が、いたっけ?
そんな疑問と感覚が頭をよぎる。
いや、間違いなく、町の人たち皆で全員のはずだ。
でも、頭の何処かでそれが「違う」と否定してくる。
(君はセイラじゃない!)
(君は、君は、五十嵐美玖!それが、君の名前だ!)
あの怪物の言っていることが、脳の中をガンガンと叩く。
ズキズキと痛む。
「もう嫌…!」
振り払うように叫んでも、違和感は、セイラ自身の認識を否定する声は、止んでくれなかった。
………
「…うっ…」
冷えた固い土が手に触れる。
全身がどうにかなってしまいそうな程、激しく痛む。
身体中には、『ダークネスウェーブ』のコウモリによるおびただしい咬み傷もあった。
「……くそっ」
ぽっかりと空いた穴を見上げながら、悪態をつく。
結果を言えば、失敗だった。
彼女は自分を思い出せないばかりか、利敵行為に走った。
けれど、シルフィーモンが声をかける一歩手前で、彼女に著しい変化があったのは確かだ。
だが、今のままでは声をかけるだけには足りないこともこれでわかった。
……後は。
「あのー」
(あの手勢をどう、かいくぐれば……)
「……あの〜」
(ブラックマッハガオガモンにレディーデビモン、ザミエールモンとなると)
「あのー?おいらの言うこと聞こえてますー!?」
「!?」
シルフィーモンがとびあがり、後ろを振り向くとずんぐりむっくりとしたシルエットがあった。
鼻先と足先にドリルを付けたモグラのようなもの。
「…ドリモゲモン?」
「やっと気づいたあ!あのさ、今すぐここから出てってくれる?なんで上から落っこってくるの?うるさいよ!」
ぷんすか怒った様子でドリモゲモンはシルフィーモンを睨んだ。
どうやら、ブラックマッハガオガモンに叩き落とされた先は、ドリモゲモンの巣穴のようだった。
「お前もあいつらの仲間でしょ?デジタルポイント張って、町みたいなのまで作っちゃってさ。うるさくてたまんないって伝えてよ」
「ちょっと待て」
「なによ」
「お前の巣を騒がしくしてしまったのは謝る。だが、私は町の連中の仲間じゃない。町に、助けたい人間がいる」
シルフィーモンは素性を打ち明け、事情を話す。
ドリモゲモンは苛立ちもあって半信半疑だったが、元々攻撃的な性質の持ち主でない事もあり耳を傾けてくれた。
そして、シルフィーモンは最後に。
「私は、どんな手段を使ってでも、彼女に記憶を取り戻させた上で助けたい」
と話すと。
「今からそれやろうとするの、厳しくない?」
「そうだな。もしかすれば今頃は、警戒態勢を強化しているかもしれない」
「だったら、一晩待ってよ。そんならおいらが手伝う。あいつら、おいらの事見て見ぬふりしてるんだもん」
そう言うと、ドリモゲモンはシルフィーモンに尻を向けどこかへ行ってしまった。
まもなく、遠くでガリガリガリガリ……と硬いものをドリルで削るような音を聞く。
「…なら、少し休ませてもらおう」
今やるべきは体力の回復だ。
昼から何も食べていないが、死にはしない。
掘削音をBGMにシルフィーモンは深い眠りに落ちた。
ーー
シルフィーモンがドリモゲモンに起こされたのは、それから約8時間過ぎた頃か。
目を覚ましたその目前に、骨付き肉が幾つかと、一本の棒のような大きな骨が転がっていた。
「肉畑のやつだけど食べる?いらないんなら良いけど」
「ありがとう、助かるよ。昨日は午後の食事を摂ってなかったんだ」
シルフィーモンが食べるのを見ながら、ドリモゲモンは話した。
「あいつらの町の地下にトンネルと落とし穴を掘ったよ。うまく使って。で、その骨なんだけど…」
「これは…?」
目前に置かれていた長い骨を手に持った。
本当に骨かと思う程の重量と硬さがシルフィーモンの手に伝わる。
細長い方は尖っていて、ちょうど杭のようになっていた。
「それ、スカルグレイモンの骨」
「スカルグレイモンの?」
「前に拾ったんだよ、ガルルモンが埋めてたやつさ。重たいしおいらが持っても意味ないからそれもやるよ」
ドリモゲモンは答え、大きくあくびした。
「それじゃおいらはもっと下へ隠れとく。穴は結構掘ったんだけど、急がないとあいつらに塞がれそう」
「わかった。感謝するよ」
「これだけお膳立てしてあげたんだから。それで失敗してもおいらのせいじゃないからね」
そう言ってドリモゲモンは、自分の足元に鼻先のドリルを突き立てる。
本当に、地層の更に下へと消えていったお尻を見送り、スカルグレイモンの骨を持った右手を握り返した。
「…よし、待ってろ、美玖」
………
どれだけしばらく、座り込んでいたか。
気づけばテーブルに停まっている、あの金色の鳥を見てセイラは目をこすった。
「ああ…鳥さん、また、来たの?」
そう聞いて鳥が答えるはずもなく、目の前で羽繕いをするばかり。
椅子を立ち、そっと触れようとすると鳥はパッと飛び立った。
そうして飛び移ったはチェストの上だ。
「だめよ、その中には大事なものが入ってるから」
ピイッ
チェストの上を跳ねるように動く鳥に笑いつつ、セイラはチェストへと歩いていく。
ーーそういえば、何が、入っていたんだっけ。
「…大事なものって、なんだったっけ」
ピピピッ
金色の鳥はキョトンと首を傾げた。
しばらくそれを見て。
「……何を入れたか思い出せないから、確かめておかなくちゃーー」
チェストに掛けられた留め金具を外し、ゆっくり蓋を開けてーー
「これ……」
中に入れられていたものを見て、セイラは目を瞬かせた。
入っていたのは、衣服と思しきもの。
中から取り出してみれば、それはスーツだった。
「この服…」
頭の中で、再びもやもやしたものが生まれる。
頭の何処かで、強烈な感情がそれを押し破ろうとしている。
ピピっ
金色の鳥はパタパタと羽をあおぐ。
「…着てみせてって?」
ピイッ
しばらく悩んだのち、セイラは自分が今着ている服に手をかけた。
地味な仕事着をその場で脱ぎ捨てる。
そして、スーツに袖を通し、家の片隅に置かれた姿見を見て初めて。
「あ……」
頭の中のもやが、急激に晴れる。
私は、私は、私は。
目の前の私の姿を知っている!
「あら、セイラ。珍しく遅かったと思えば」
戸口からかかる声。
それが、いつも井戸端で会う馴染みの声だとわかり、振り向いた。
「お姉……さ、ま?」
戸口に立っていたのは、いつも優雅に談笑していた、"お姉様"ではなかった。
黒いレザースーツ、異常なほど大きく鋭い鉤爪を備えた細長い腕。
顔半分を覆うマスクの下で、冷たく零された笑み。
「セイラ、もしかして、私があの化け物のように見える?」
「あ…」
セイラの顔がたちまち青ざめる。
「嘘…嘘でしょう?お姉様?これは、これは…」
「ハッ!今頃気がついたのかい?…まあ、仕方ないね。今のアンタは催眠が解けただけ。予定より早過ぎたみたいだね。…それより」
"お姉様"を演じていたレディーデビモンは金色の鳥に一瞥をくれた。
「その鳥は何かしら?セイラ?」
金色の鳥がパッと飛んだのと、レディーデビモンの爪が閃いたのは同時だった。
爪をかわした金色の鳥が彼女を頭の上から突き回す。
「この!小鳥風情があっ!」
ひとひら舞う羽根。
セイラはどうしようかと迷うも、それもほんの数分はもたなかった。
(…私が誰だかわからないけど、逃げよう!)
家を飛び出したセイラ。
激しい物音と共にレディーデビモンのわめく声が響いた。
「セイラが逃げたよ!!捕まえろ!!」
…………
さて、セイラにフェレスモンがかけた催眠が解けるより前に遡ろう。
「ふぐぅ!?ん、ぐぅ…っ……」
口をふさがれ、もがく間もなく電脳核をスカルグレイモンの骨の杭が穿つ。
不用心に穴へ近づいてきた見回りのデジモンを仕留めたシルフィーモンは、その骸を穴へと蹴り落とした。
「…この辺りは」
周辺を見回すと、教会の屋根が遠くに見える。
教会は町のほぼ中央に建っているため、今出てきた場所から教会へ向かえば近いといったところだろう。
スカルグレイモンの骨を片手に、シルフィーモンは塀に沿って進んだ。
(……あそこにいるのは)
塀の伸びた先に、ゴブリモンが一体とピコデビモンが一体。
二体とも、バカ話に興じており、シルフィーモンには全く気が付いていない。
(…殺しやすい方は生かすか)
見比べ、見極めをつけたシルフィーモンが動く。
それに気づいたピコデビモンが相方に注意を促すよりも早く。
ズッ…
「あ…がぁ…」
ゴブリモンの胸を背中から貫く白い杭。
ヒッと漏れる悲鳴。
「おい!誰か……ん、ぐぅ!」
「お前はこっちに来い」
ピコデビモンを引っ掴み、その口を封じながらシルフィーモンはまだ目をつけられていない別の穴へと飛び降りた。
口をふさいだ手をどけると、ピコデビモンがわめく。
「クソぉ!いつのまにこんな所まで入り込んでやがったのか」
いくら大声でわめこうにも、穴はかなり深く、つまりここでなら周囲にバレず尋問ができるという事でもある。
「あの糞モグラめ、穴掘って根っこかじるだけしかない能無しめ、今に見てろ!こいつ諸共皆で八つ裂きにしてやる!覚えてーー」
シルフィーモンの手がピコデビモンの身体に強い力を加えた。
まるで風船から空気を搾り出すかのような音が、ピコデビモンの口から漏れる。
「質問といこうか」
淡々と見下ろしながら言った。
「フェレスモンは美玖に何をした?彼女を元に方法はあるか?答えろ!」
「きゃ、くゅう、ふぅ、がふっ…ゲホッ…!」
手で締め、手を緩め。
それを繰り返されてピコデビモンは観念する。
口だけ自由になると、彼は口早に喋りだした。
「わ、わかった!わかった話す!フェレスモン様は選ばれざる子どもだという女から記憶をぜーんぶ奪って、お前以外が普通の人間や生き物に見えるように洗脳をかけたんだ」
「なぜ、そんな真似を?」
「知らねえ!でもフェレスモン様の命令で、ここぞって時が来るまではあの女を殺しちゃならねえって言われてる。記憶はフェレスモン様が町の教会に隠した、けど洗脳の解き方はお生憎様オレたちも知らないんだー!」
「……町の教会、だな?」
「そうだ、記憶をビンに詰めて教壇に隠した…」
「そうか」
そこまで聞けば、十分だった。
ピコデビモンの丸く小さな身体を、下から杭が貫いた。
わななく骸を転がし、両脚に力を込めた。
「目指すは教会だ…!」
穴から飛び出し、敵が周囲に居ないことを確かめてシルフィーモンは教会へと走った。
ーーどんな手段を用いてでも。
傭兵という生業だった身が、雇い主のためにやるべき事は一つ。
一晩過ぎた教会は、壊れた窓もそのままだった。
窓から入ったシルフィーモンは、迷わず教会の奥にある教壇へと歩み寄る。
そこだけは、普通の教会にはないものであるだけに違和感があるが、シルフィーモンは構わずその裏へ手を探り漁った。
「……これが」
手に伝わる硬くとても軽い感触。
手を引き抜けば、仄かに光るものが中に収められた小瓶。
オレンジゴールドの色を持った光を見つめた瞬間、シルフィーモンの胸中に暖かく宿るものがあった。
(ーーずっと、忘れかけていたもの)
ずっと長いこと、シルフィーモンにとっては最早死ぬまで縁なくして終わると思っていたもの。
それは、他者への暖かな思い。
その他者としての枠に、自身も含まれている事に震える。
「なんとしてでも、彼女にこれを…」
その時、聞き覚えのある叫び声が遠くから聞こえた。
周辺の気配が活発になるのを感じる。
それはつまり。
「美玖が危ない!」
………
「はあ、はあ、はあ!」
行き慣れた道を全力疾走で駆け抜ける。
あの金色の鳥が気になるが、今はそれどころではないことくらいセイラにはわかっていた。
「セイラが逃げた!セイラが逃げたぞ!」
「ひどいなあ、皆、お前によくしてやったのにな!"友達"だったのにな!」
追いかける声のトーンすら、責めるというより煽りだ。
あれだけ仲良くお話しをしていたはずだったのにと。
しかしその声音は、こう伝えてきた。
あれだけ仲良くお話しをしてやったのに、と。
悪意と嘲りが背後から追ってくる。
早鐘を打つ胸を押さえながら、セイラは近くに積荷を見つけた。
後ろを振り向けば、複数体の化け物…デジモン達が追ってくる。
積荷によじ登り、屋根の上へ上がる前にそれを蹴倒す。
屋根の上へ上がり、化け物達を下に見やった時。
「いかんなぁ、セイラ?」
今立っている屋根よりさらに高い視点から、高速で飛び足元に突き立つは一本の矢。
ザミエールモン、セイラが知る"狩人さん"が更に高い屋根の上にいた。
「狩人さん…!」
すでに次の矢がセイラに向けてつがえられている。
「さあ、セイラ。逃げる悪い子にはお仕置きしなくちゃならねえ。それに俺の本職は狩人なんてものじゃないしな。じっくり痛ぶってあげるよ」
ザミエールモンの口元が愉しげに歪む。
フェレスモンから殺すなとは言われたが痛めつけるなと言われてない。
そして、ザミエールモン自身が残虐性を持つサディストでもあった。
ーーだが。
「!!」
自身に向かって何かが飛んでくる。
咄嗟にセイラから狙いをそらし、つがえた矢で撃ち落とす。
それは、杭のように尖った骨ーー
「美玖!!」
空から飛んできたのは、骨を投げた相手。
シルフィーモンだ。
一直線に飛んできたそのシルエットが、見覚えのある赤みがかったピンクの光に包まれる。
「『デュアルソニック』!」
「むぅ!」
飛ばされた衝撃波がザミエールモンの立っていた櫓に直撃した。
足場を崩され、ザミエールモンの態勢が崩れる。
「美玖!」
セイラは、その声に応えるように、思わず屋根から跳んだ。
その身体を抱き止め、シルフィーモンは外壁に向けて飛び続ける。
必死に首元にしがみつきながら、セイラは。
(私は、この化け物に、なんで…助けを求めたのかしら)
抱きつきながら、けれど。
不思議と嫌悪感はない。
それどころか、町の人達よりもはるかに穏やかでいられる。
昨夜遭遇した時は、余りにも動揺していて話もまともに聞く事はなかった。
けれど。
「……ありがとう」
今なら、話せる。
「教えて欲しいの。あなたは、私を、知ってるの?」
「…ああ」
返ってくるいらえ。
「私は、君に雇われた用心棒であり、助手であり…家族、だ」
「家族……」
不思議と、その言葉がすんなり入ってくる。
目の前の人外の言葉は、セイラの中に、染み入っていく。
「ひとまず、君は本当の記憶を取り戻す必要がある。そのための物がここに… !」
豪速がシルフィーモンの体のバランスを奪う。
ロケットエンジンがたなびく火に彼は舌打ちした。
「自警団長さん!」
「ブラックマッハガオガモン!」
ロケットエンジンを推進させながら迫る姿に一人と一体の声が出る。
さらに、シルフィーモンの行く手をコウモリの群れがさえぎる。
「逃げようたってそうはいかないよ!」
ふわり、と闇のオーラを纏ってレディーデビモンも現れる。
空中で二体に挟まれた。
もう逃げ場はない。
「遅かったじゃねえか姐御」
ブラックマッハガオガモンがシルフィーモンの背後をとりながら軽口を飛ばした。
見れば、レディーデビモンの髪は乱れ、一本二本不自然に飛び出している。
「金ピカの鳥に邪魔されたんだよ!あの鳥、後でもし見つけたら今度こそ捕まえてローストチキンにしてやる」
「へぇ、姐御がたかが鳥相手に」
「お黙り!!」
御機嫌斜めにレディーデビモンは叱咤する。
おそらくフレイアは健在だろう。
そう判断したシルフィーモンは、現状把握に務める。
(…後ろにブラックマッハガオガモン、前にレディーデビモン、そして…)
まもなく追いついてポジショニングするだろうザミエールモンか。
前後を挟むどちらも、完全体としては戦闘力が高く隙がない。
だが、手間取れば追いついたザミエールモンにいつ狙撃されるかもわからない。
追いつかれた場所は外壁までほんの1、2キロほどの地点。
ドリモゲモンが掘った穴が近くにあれば、活用できたかもしれないが…。
(穴は近くにない、か)
「そうカッカすんな、姐御。ともあれ、一応の役者は揃ったわけだ。始めようぜ」
そう切り出されたのを機に、前後から殺気が衝突してきた。
拳が、爪が、シルフィーモンとセイラを狙って襲いくる。
「……!」
僅かなタイムラグ。
シルフィーモンは前後の攻撃の速さを見極め、身を捻った。
「…はっ!」
脇に挟み込むように爪を振るってきた腕を封じ、もう片手で拳を払う。
「…っ!」
爪がセイラの着ているスーツをわずかに切り裂いた。
レディーデビモンの腕を脇に挟むとそのまま身体を回転、迫ったブラックマッハガオガモンへとぶつけた。
「おおっ!?」
「ぐわーっ!?」
互いにぶつかり合って、ブラックマッハガオガモンとレディーデビモン双方の態勢が崩れる。
今のうちに。
「降りるぞ、その方が君は安全だ」
二体が追いつくより早く、シルフィーモンは一気に地上へ降下する。
土に足が着くや、セイラを背中から離す。
「隠れろ」
「あなたは…」
「奴らは私が狙いだ、君はおそらくメフィスモンの件があるから保留にされてるんだろう」
「メフィスモン…?」
「いいから、そこにいろ」
そう短く言い置き、シルフィーモンは上空から襲う重量とコウモリの群れを振り仰いだ。
「『トップガン』!」
エネルギー弾が超音波とコウモリの群れ状の闇エネルギーと衝突する。
そのまま戦闘へ突入するシルフィーモンを、物陰に身を隠しながらセイラは見ていた。
頭の奥が、ズキズキする。
なぜかわからない。
でも、誰を頼るべきなのかもわかっている。
ピイッ!
バササッ、と顔にかかる風。
肩に乗った小さな重みに思わず向けば、あの金色の鳥がいた。
口に、何かをぶら下げている。
小さなプレートのようなものにベルトが付いた代物だ。
「それ、は…」
頭痛が、ズキ、ズキ、と。
その時、今まで意識していなかったが、スーツのポケットに触れた手が、小さな膨らみを掴んだ。
取り出せば、それは水晶体が嵌められた小さな指輪だった。
「…この指輪…」
どぅん!!
「!!」
近くの家屋で衝突音。
激しく倒壊したその中で、立ちあがろうとする姿。
「…!」
その手が、動いた。
左手の中指に指輪をはめる。
…そう、記憶は奪われても。
『それ』の使い方を仕込まれた身体の記憶までは、消えていない。
「当たって…!」
叩き落とされたシルフィーモンへいち早くトドメをと迫ったレディーデビモンめがけ、指輪から一条の光線が迸った。
「なっ、がっ…いっ、たい…!?」
デバイスから放たれた麻痺光線が、レディーデビモンの動きを止めたことで。
シルフィーモンに反撃の機会が生まれた。
「『トップガン』!」
「っ、ぎゃああああ!!」
まともに直撃され、レディーデビモンは消滅した。
ブラックマッハガオガモンの右目の眉が上がる。
「姐御!…なるほどねえ」
荒く息を吐いたシルフィーモンが倒れ伏す。
それを見下ろしたブラックマッハガオガモンに変化が表れたのは、その時だった。
「…ザミエールモンの旦那が来たなら、と思ったが」
全身に及ぶデータの歪み。
セイラはそれを見て嫌な予感を覚えた。
記憶と共にデジモンに関する知識を失ってもわかる。
それは、進化の兆し。
「旦那が来る前に絶望を徹底的に刻みつけてやるとしようかね!」
死神が如き宣告と共に、ブラックマッハガオガモンの姿が大きく変化した。
それは、ひと言で表せば、鎧を纏った騎士だった。
その両手には、剣のような長く鋭い爪の付いた手甲。
本来なら、深みのあるインディゴブルーである鎧は、ブラックマッハガオガモンの時と同じく、くすんだ黒色に染まっていた。
「まさ、か…」
それを、かろうじて身を起こして仰いだシルフィーモンの顔に、険しいものが浮かぶ。
「ミラージュガオガモン!?だが、その、色は…」
「ああ?この色はな、身体にこびりついちまってから離れないのよ」
低い声で言いながら、黒いミラージュガオガモンはシルフィーモンを冷たく見下ろし。
そして瞬きの刹那。
「ぐ、あああっ!!」
シルフィーモンの苦悶の叫びが響いた。
セイラは目を見開く。
ミラージュガオガモンの爪が、シルフィーモンの胴体を貫いていた。
「ほうれ、ほれ。もっと抉ってやろうか」
「ぅぐ、ぐ、ぁがっ、あああ…!」
貫いたまま、手甲を、幾度も、幾度も叩きつける。
時折中の内臓を掻き回すが如く、ぐりぐりと動かす。
そのたびにシルフィーモンの苦悶の叫びがあがり、セイラの顔から血の気が引いた。
「やめて…やめて!」
黒いミラージュガオガモンがセイラの方を向く。
その目に、喜色が浮かんだ。
「ようし、そうだセイラ、こっちへ来い。…こっちだ」
「何を、するの」
「良いから」
"いつも"の、軽薄な自警団長の口ぶりで呼ぶミラージュガオガモン。
恐る恐る歩み寄ったセイラに、彼は足元に転がった物を蹴って寄越した。
ーー肉切り包丁だ。
「それでこいつを殺せ」
ほら、こいつは御触書きの化け物だからさ。
そう、黒いミラージュガオガモンは嗤って言った。
「身体の真ん中、"この辺り"をグサってやればいい。それでこいつの命は終わり、お前に報酬が出る」
「……わ、私は……」
反抗しようにも、こちらへの一瞥には殺意が籠っている。
やむなく、包丁を取る。
でも。
(やりたくない。やりたくない。やりたくない。やりたくない)
包丁を持つ手が、震える。
なんで、なんで、なんで、なんで!
「……美……玖……」
シルフィーモンの手が動こうとしている。
「やれよ、俺達は"友達"だろう?」
そう言うミラージュガオガモンの言葉を聞いて、脳裏によぎるは。
自身の身体に加えられる痛み。
それは、蹴られたものだったり。
それは、髪を引っ張られ、引きずられたものだったり。
ああ、嫌らしく嗤う背後で、冷たく愉悦の笑みを浮かべた"彼女"はーー
「……違う」
「あ?」
「あなたは、あなた達は!」
胸の奥がカッと熱くなる。
宿るは、オレンジゴールドの光。
「友達なんかじゃ、ない!!」
ドンっ!
ミラージュガオガモンの懐へ走る。
それを跳ね除けようとして、目を見開く。
「お前っ…!」
沈黙。
払い除けようと振るわれたその爪は、彼女に当たった瞬間いとも容易く弾かれて。
なんの変哲のない包丁では貫く事も難しいクロンデジゾイト製の鎧は、包丁の貫通を奥深く許した。
「なん…だと…!?これは、これは…なんだよ、これは…!」
震える声で黒いミラージュガオガモンは怒声を張り上げる。
包丁が引き抜かれる。
傷口からデータが、血液の如く吹き出た。
「ぐ、おおおっ…!なん、だ、これはぁ…っ!」
「はぁ、はぁ、はぁ…!」
なおも噴き出すデータ。
黒いミラージュガオガモンの体内で、ブラックデジトロンなる物質の混ざったデータが、激しく脈動し荒れ狂っている。
「ぐああっ…くそっ、クソクソクソッ!クソがあっ!これがっ…これが、【奇跡の紋章】の力によるものな筈があるかっ!!」
傷口を押さえながら、ミラージュガオガモンが後退する。
やがて、その全身から力が失われた。
立つ事もままならないまま、彼は、やがてデータの残滓となり四散した。
セイラは、茫然としたままでいる。
そこへ、金色の鳥が飛び回り、彼女はようやく我に返った。
「そうだ…お願い!お願い、目を覚まして!」
包丁を放り投げ、セイラは、シルフィーモンにすがりついた。
だが、先程まで絶妙な加減で痛ぶられていたシルフィーモンは、最早生命力が底を尽きかけていた。
「……」
口が弱々しく何かを喋る。
だが、声がかすれ、聞き取れない。
「お願い!今、お医者様を…ああ、駄目!お医者様も化け物だった。どうしよう…!」
セイラの目から涙が滲み出す。
ぼろぼろとこぼれ落ちたそれが、シルフィーモンを濡らす。
ーーこれで、良い。
ゴーグルの裏で、目を閉じる。
ーー君を守れた、それで良い。ただ、まだ、記憶の小瓶を……。
「お願い、ねえお願い!神様!神様!お願いします!」
必死に叫びながら、彼にしがみつく。
「私は、私は、無力なままでいたくない!この人を見捨てたくはないの!だから…」
どうか、お願い
私に力をください
お願いします
そう願いながら、彼女はシルフィーモンの胸元に顔を埋めて泣きじゃくった。
しばらく、そうしていた時に。
シルフィーモンは、彼女の身体の下に光を見た。
オレンジゴールドと、それに重なった薄桃色の光。
それが、自身を包み込んで、そこでシルフィーモンの意識は途絶えた。
………
「…なるほど、ひとまずの終わりはこうなり得たか」
後ろに湯田を控え、フェレスモンは静かに瞼を閉じ、考えに耽った。
彼にことの経過を報告したザミエールモンが問う。
「あれは一体何なんだ?」
「さて。どうにせよ思惑が外れてしまった。いずれはまた何かの機会を設けるとしよう。ご苦労だったな」
言いながらフェレスモンが振り返り、ザミエールモンは既に姿を消していた。
声が反響する。
「やれやれ、お前と組むとどうも居心地が悪い。次からはちゃんと報酬は弾めよ」
「ああ、もちろんだとも」
…………
シルフィーモンが目を覚ました時、そこは探偵所のベッドの上だった。
泣き腫らした目をして、セイラーーいや、美玖は、彼に抱きつき何度目かわからない涙を流した。
ラブラモン達に聞くところによると。
フレイアだけが戻り、ラブラモンを通じて報せを受け、阿部警部らと共に○×ホテルへ行った。
そこにホテルは跡形もなく、シルフィーモンの上に覆い被さるように美玖も倒れていたのだ。
最初、意識を取り戻した美玖は、自身をセイラと名乗り、何の記憶もなくなったように思えたが。
「お前さんが持ってた変な小瓶。あれを金色の鳥が落として割りやがって、そうしたら途端に元の五十嵐に戻ったよ」
そう、阿部警部はシルフィーモンに説明する、
セイラを名乗っていた間の記憶はないようだ。
美玖の記憶が戻って、無事に帰って来れた。
その事実に、シルフィーモンは安堵した。
「お前さんの事はどうロイヤルナイツへ連絡したものかと思ったが、ラブラモンが知らないうちに全部やってくれたんだと」
「……そうか」
あの一件の直後から、どうやら数日間は意識を失っていたらしい。
あれだけ黒いミラージュガオガモンに抉られていた傷は、綺麗にふさがっていた。
「しるふぃーもんのでじこあも、きれいになおってたよ。でも、むりはしないでね」
「…わかってるよ」
ラブラモンの言葉に苦笑いで返した。
そして。
あの叫びを、思い出す。
"セイラ"だった間の、あの叫びを。
(…私が死に陥ろうとした時、君は、私への記憶がなかったのに、悲しんでくれた。助けようとしてくれた)
それに、言いようのない喜びを覚えた。
だから。
「これからも、君の事は何があっても守りたい。良いかな?」
「どうしたの?」
「…いや」
心持ち穏やかに、微笑んで返す。
そして、シルフィーモンは美玖に歩み寄ると、その身体を抱きしめた。
「ちょ、シルフィーモン?どうしたの?」
「…このまま、居させてくれ」
そう注文し目を閉じるシルフィーモンに、美玖は顔を赤らめながらも彼の好きなようにさせたのだった。
うおおおおお絶対「つづく」だと思ったのに一話で纏まった! 夏P(ナッピー)です。
冒頭のナレーションは誰だ……? 凄く嫌らしいというか嫌みったらしい感じでしたがフェレスモン様か……? というわけで建てたフラグはその話の内にしっかり回収されるのが素晴らしい。ふ~ん久々に二人でホテルに、それって……と出歯亀根性で読み進めていたら今回のMVPは間違いなくフレイアだった罠。ラブラモンもといアヌビモンも見えないところで名采配だったっぽいですが。前回の杉沢村に続き、今回はホテルの七不思議みたいな話が待ってるぜぇ~とワクワクしていたら、到着即「お前らは誘い出されたんだよぉ!」で話が進んでしまったのはちょっと無念!
フェレスモン様が素晴らしいご趣味というか能力をお持ちで、記憶消された時点で「これ一話で終わらん奴!」と戦慄しましたが愛だった。ブラックマッハガオガモンが素敵なまでに三下なので「あ~最後にシルフィーモンにサクッと片付けられる奴!」と思っていたのに普通に強い、しかも究極体に進化まで! そして包丁鬼つええ! 逆らう奴ら全員オレンジにしていこうぜ! ブラックミラージュガオガモンが振るった爪が生身の美玖サンに弾かれたのも奇跡の力……?
美玖サン囚われてる間、シルフィーモンは傭兵の本領発揮してメチャクチャ残虐プレイしてた気がしましたが然もありなん。悪趣味過ぎる世界・設定に実はとんでもなく怒っていた説。最後のシーンは恥ずかし過ぎて無事に砂糖吐きました。
……ん? 湯田オーナー(……もしや名前の由来ユダなのかしら)今回討ち取られずに終わった!?
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。