……デジモンにも生と死の概念は存在する。
他のデジモンとの生存競争に負けたか。
病気や怪我による外因的なものか。
あるいは寿命か。
ともあれ、デジモンも生き物である以上、死というものからは逃れられない。
人間や他の生物同様、いつか、いずれ。
死したデジモンの多くはデジタマを残す。
しかし、それとは例外的な形でデジタマが残されることがある。
再生、つまりは復元である。
瀕死のデジモンのデータを再構築、修復し、デジタマへ復元する。
復元されたデジタマから孵ったデジモンは、死するまでの記憶を有している可能性が高い。
奇跡というべき事象だがこれを可能とする力を持つ者は存在する。
それこそが。
善きデジモンのみをデジタマへ生まれ返らせる冥府の管理者アヌビモンであり。
勇者として死したデジモンをデジタマへ復元する光の戦士ヴァルキリモンであり。
この二体のみが奇跡を引き起こす事ができるデジモンだ。
ーーーそれにしても驚いたな。まさか人間の世界で我々デジモンが大手を振って歩いているなんて。
「あれから色々と起きたのだ。お前が永久の闇に追放されて以降な」
ーー今から数千年前のデジタルワールドで戦いが起きた頃に遡る。
まだデジタルワールドと現実世界の接点が近しくなかった頃に起きた、ダークエリア最深部コキュートスからの軍勢の侵略行為。
アヌビモンだけでは圧倒的に力不足であり、彼からの救援要請を受けてデジタルワールドで様々な勢力と選ばれし子ども達が動いた。
その数少ないパイプ役として動いたデジモンの一体が、ヴァルキリモン。
どうにか協力に漕ぎつけるだけでも、かなりの労力を費やしたはずだ。
選ばれし子どもと数騎のロイヤルナイツを迎えたアヌビモンが目にしたのは、ダークエリアの境目を突き破ろうとした不死者の王グランドラクモンと、右に並び同盟を結んだ黙示録の落とし子たるガルフモンのオリジナルというべき個体。
ガルフモンは複数体もいる存在だが、その最もたる"オリジナル"は、底辺の究極体ならば立ち所に死に追いやる力を持った文字通りの化け物というべきモノだ。
進化を、生命の在りどころを、否定し根絶するために黙示録が残した"置き土産"。
それがデジタルワールドへ侵略しようものなら、無事では済まない。
同盟を結んでいるグランドラクモンもまた、数多くの天使型デジモンを堕としてきたのみならず七大魔王を上回る真の実力者としてコキュートスの一角を牛耳る。
万事休すと思ったアヌビモンの元へ駆けつけたのが、ヴァルキリモンとそれに手引きされた大勢のデジモン達だった。
戦いは熾烈を極めた。
多くの死者が出た。
選ばれし子ども達とロイヤルナイツらは二手に分かれ、ダークエリアから攻め寄せる軍勢とそれを率いる強大な二体の究極体を相手にしなければならなかった。
アヌビモンはガルフモンを、ヴァルキリモンはグランドラクモンを相手にする方へそれぞれ回った。
そして疲労困憊の体、ようやく二体の究極体をコキュートスへ叩き落とした時にグランドラクモンは奥の手を使ってきた。
永久なる闇の世界への追放である。
選ばれし子どもかロイヤルナイツ。
どちらかを闇に葬れればそれで良し。
その目論見にいち早く気づき、身を呈して永久の闇に呑まれた者こそ、ヴァルキリモンだった。
「…なるほど、暗黒の海で先生と…しかし、よくまあ肉体を失っただけで済んだものだ」
ため息が出た。
ははっ、と渇いた笑いが返ってくる。
ーーー狂っていた方が幸せではないかと何度も思ったがね。
「むしろどうする気だ。魂のデータしかない以上、デジタマとして残すには容量が少なすぎる。今のお前に"次代"は産めないだろうが!」
特殊な力と役割を持つデジモンだけは、残したデジタマに記憶を継がせる。
そうして生まれたデジタマから孵った事で、"先代"たる個体から八割ほどの記憶を引き継ぐのである。
アヌビモン、ヴァルキリモンは、そうして継いできたデジモンの一種だ。
ーーー弱ったな、すっかり忘れていたよ。確かにそれは困ったものだ。……まあ、おいおい考えるとしよう。今はそれよりやるべき事ができた。
ラブラモンは自身がやってきた方へ視線を向けた。
「昨夜ここへやってきたネットゴーストを排除したのはお前か」
ーーーあまり騒がしくして欲しくなかったからね。なによりも害意がなかろうとあれらは、ここにいてはならないモノだ。
そう言いながらヴァルキリモンは肩に乗ったフレイアの頭を指で撫でた。
ーーーそれにしても昨日は初めて人間の食べ物を口にしたが悪くなかったよ。現実世界にまだ未知のものがあると思うと堪らない。そうじゃないか?
「初めての現実世界だからと…」
浮かれるな、と続けようとしたラブラモンは、近づいてくる話し声を耳にし中断した。
「そろそろ私は行く。もう時間だ」
「…どうにかならないの?この状況は…」
ラブラモンとヴァルキリモンが息を潜める。
美玖とシルフィーモンが連れ立って出てくるのが見えた。
「情報が入らない限りは現状維持だ」
美玖の声が不安げに震えた。
「でも、どうにかしないと、現実世界…私達の世界が」
「わかっている。だが、私達ではどうしようもない。今は探偵としてやっていく事に徹するしかないんだ」
対するシルフィーモンの方は平常を保っている。
無理に彼女の不安を取り除こうとするそぶりもない。
美玖の肩に手を置き、シルフィーモンは言った。
「私にできることは、君の元へ帰れるよう努めることだけだ。だから。君も無理はするなよ…」
「シルフィーモン」
「君が無事でいる事。その事実が、私にとって最高の報酬だ。それを忘れないでくれ」
美玖が顔を上げた時、シルフィーモンの姿はなかった。
こちら、五十嵐電脳探偵所 第12話 地図から消えた村
『転移』を受けて消えたシルフィーモン。
先程まで彼がいた場所にぼんやりと手を伸ばし、空を掴んで美玖はハッとなった。
ーーー選ばれし子どもとパートナーデジモンの関係でもないに関わらず微笑ましいね。こちらが妬けるよ。
「茶化してる暇があるなら少しはこちらを手伝え、ヴァルキリモン」
ーーーすまない、すまない。確か、イグドラシルがこちらに干渉したという話だったな?
「そうだ、…あのイグドラシルがだ」
ラブラモンが説明しようと口を開いたところへ、美玖の呼ぶ声が聞こえた。
「ラブラモン?ラブラモン!どこなの?朝ご飯よー!」
思わず、返事した。
「いまいくー!」
返答して美玖の方に向かいかけたところで、ハッとしラブラモンはヴァルキリモンの方を向き直る。
ヴァルキリモンはというと。
ーーー……っ。
顔を俯け、手で口元を押さえながらふるふると震えている。
「おい」
ーーーっくくく……。
「おい、笑うな」
ーーーいや、まさか厳格な裁判官殿が子どものような言葉遣いと声を…。
「だから笑うな!…くっ、先生がいる手前、子どもらしい言葉を演じなければならないこの身がもどかしい!」
「ラブラモン?朝ご飯冷めちゃうから早く戻ってきなさい!」
「ちょっとまってー!」
そのやりとりについにヴァルキリモンの耐え忍びは限界を超えた。
ーーーっぷ、あっっはははは!!駄目だ、こんなの笑うなという方が無理じゃないか!くっ、ぷっ、ははははっ!
「おのれ!!後で覚えてろヴァルキリモン!!」
ーーーー
その正午、二人の大学生が探偵所を訪れた。
三年次生の男子が一人と四年次生の女子が一人。
彼らは、各々を、笠倉勇吾、野々原華と名乗った。
「私達は○◇大学のオカルト研究サークルをしてます」
「サークル?」
「はい」
探偵アグモンの言葉にサークルの顧問を務める華はうなずいた。
「この探偵所が、以前に某県の呪われた館の謎を解いたという話を伺っていましてそれで是非とも私達もこの探偵所に協力をお願いした方が良いのでは?とサークルの皆で話し合ったもので…」
「呪われた館?」
探偵アグモンが訝しげに美玖を向いた。
「隣の県で依頼があったんです。その件ですね」
美玖は答えると、華に尋ねた。
「理由はわかりました。私達はオカルトに関して門外漢ですので、どこまで力になれるかわかりませんがお引き受けしましょう。それで、どのような案件でしょうか?」
「そうですね……」
華と勇吾は顔を見合わせた。
口を開いたのは勇吾だった。
「探偵所の皆さんは、『杉沢村』をご存知でしょうか?」
「杉沢村?」
一同、目を瞬かせた。
「青森県にあると言われる村のことです」
「青森?」
(そんな名前の村、あったかしら…?)
美玖は思い出そうとする。
青森には父方の親戚が蕎麦屋を営んでおり、年に数度赴いたり桃や梨を送り合うくらいには身近だ。
だが、そんな名前の村など聞いたことがない。
「美玖よ、確かお主の親戚が青森におらんかったか?」
「はい。蕎麦屋を営んでいまして…しかし、聞いたことのない名前の村です」
美玖が悩ましげに思い出そうとすると、華は頷き続けた。
「ある意味、仕方のない事かと。この村は、もうないんです」
「ない?どういうことなの?」
「この杉沢村は、数十年前に起こったある事件によって、地図から消された村なんです」
………曰く。
ある一人の男が突如狂気に陥り、斧を凶器に村中の人々を惨殺する事件が起こった。
男はその後自殺し、動機すら知られる事のないまま小さな村を血生臭い死で満たした。
事件の凄惨さや犯人の自殺による迷宮入りが相まり、その村は地図や公文書から事件の隠蔽目的で消された。
その村こそが杉沢村であり、一時期はオカルトのスレッドで話題にさえなった伝説である。
「地図から、消された…」
「これまで何人もの目撃談はあります。いずれも、背筋の凍るものばかりで…」
杉沢村は、国そのものから見捨てられた村とも言っていい。
実態が定かでないながらも、目撃談が相次いだこともある。
悪霊の溜まり場となっており、中に入った者の中にはそこで味わった恐怖のあまり髪が白髪へ変わったという話があるほどに。
「私達は、杉沢村の存在をテーマに選びました」
華が言うに、一週間後に目撃談から整理した情報を元に華と勇吾と任意希望のサークル参加者で散策に入る予定だ。
「実は数年前のテレビ番組でも捜索企画はあったらしいのです。けれど…」
その手の企画の常か、杉沢村の所在は分からずじまいに終わっている。
そこで、華達は自分達が探そうという。
その内容に探偵アグモンは眉をひそめた。
「好奇心は大いに結構だ、そこまで本気ならワシも止めぬ。この子が引き受けた以上な。だが、ワシから一つ約束をさせてくれ」
「は、はい」
「無理はするな、そして自身らが知る必要のないものを知ろうとするな。それが守れれば良い」
「…ふたつ、ある」
ラブラモンがぼそり。
それに構わず探偵アグモンは美玖の方を向いた。
「今回はグルルモンを連れて行きなさい。シルフィーモンは居らず、かといえワシまでこの子だけを留守にさせる訳にもいかんからな」
「わかりました」
そこで、美玖は周囲をそれとなく見回す。
かすかに、羽音が聞こえた。
あの鳥、フレイアが近くにいる。
それはつまり。
(…あのデジモンに、助けてもらえるのかしら…?)
確証とはいえない。
そもそも二度も三度も都合よく助けてもらえないかもしれないだろう。
自分は未だ、あのデジモンの名前すら知らないのだ。
未だに助けてくれた恩人の何もかもがわからない。
不安だ。
ーーー円卓の間にて。
防衛の為の手勢を派遣したデジタルポイント各所からの戦況がリアルタイムで映し出されているのを見ながら。
オメガモンはドゥフトモンを振り返った。
「防衛はかろうじて上手くいっているようだが、そう甘くはないか」
「ハッカーの送り込むアバターが厄介だな。対策を練りたい」
言いながらドゥフトモンは、送られてきたデータに目を通した。
「現在、日本の警察が計画を立てている。日本国内で発見された拠点から持ち帰ってきたデータにより、組織の本拠地の所在を掴めるかもしれない見込みが出たそうだ」
「三澤女史は何と?」
「SITを送り込む事を計画していると」
SIT、正式名称は特殊犯罪捜査係。
人質誘拐事件や大規模な過失業務事件、爆破事件等に対処する刑事部の部署の一つ。
SAT(特殊急襲部隊)とは同じく人質救出作戦部隊として編成されもするため、両者は混同されがちである。
SATより捜査力に秀でたSITを送り込むことで、活路を見出そうというのだ。
「元SITも招集する見込みだ」
ドゥフトモンの言葉にオメガモンは腕を組む。
「本拠地の所在が判明できればその分こちらも動きやすくなるというもの。デジタルポイントの封鎖もガンクゥモンの縁者達がこなしてくれている。問題は」
「アバターへの対処と、防衛のための戦力をどこまで本拠地への攻撃に回せるかだ」
ドゥフトモンは言いながら送り込まれてきたアバター500人とぶつかり合う手勢のいるデジタルポイントの映像に目を細めた。
アバターは無限に湧く。
どうにかするには、大元たるハッカーを叩くしかない。
「ところで、ジエスモンの動向は?何か連絡はないか」
「現在もメフィスモンを追跡中だ」
そうドゥフトモンが返した時、円卓の片隅でアラートが鳴った。
ロイヤルナイツからの通信である。
「ジエスモンか、首尾はどうだ?」
映像に映り込んだクールホワイトの小竜にオメガモンは問うた。
『こちらジエスモン。現在、青森県付近を散策している』
「青森?」
『日本国内の北に位置する所だ』
「メフィスモンの潜伏地が判明したのか?」
『いや、奴の居場所は未だ掴めていないが、奴と同盟を結んでいるフェレスモンが人間から魂のデータを搾り取る拠点の一つがここにあるという情報を得たのでそこを洗いに来ている』
「ふむ…」
『五十嵐探偵所から得た情報で、メフィスモンは今深手を負っているようだ』
「深手?」
『探偵所が受けた依頼の遂行の途中で、遭遇したリアルワールドの生物から傷を受けたらしい』
オメガモンとドゥフトモンは顔を見合わせた。
「…あのオリジナルのガルフモンを、一部のみとはいえリアルワールドの生物が深手を負わせた?」
『そういう話だ。それを確かめるためにも足取りを追っている』
「ふむ、報告ご苦労。引き続き追跡を開始してくれ。奴に不穏な動向が確認されたら即報を寄越すように」
『了解』
通信が終わり、ドゥフトモンはつぶやく。
「メフィスモンが深手を負っているのが事実ならば、その分フェレスモンの動きは大きくなるだろうな。隠れ蓑になるはずだ」
ーーー
依頼遂行日、探偵所前に一台のワゴン車が停まったのは朝5時頃。
運転しているのは、華と同じ四年次生の男子である大倉道也だ。
「おはようございます!探偵さん、隣へどうぞ」
中列に座った華が美玖へ声をかけた。
「おはようございます。失礼して…今日はよろしくお願いしますね」
「このお姉さんが、本物の探偵さん?思ったより若いし可愛い!」
「中田さん、失礼ですよ!」
隣の女子大生を華が叱る。
ワゴンに搭乗した人物は美玖を含めて七人。
明るめに染めた茶髪に、いっぱいのストラップを付けた携帯を手離さない二年次生の中田理枝。
おどおどとした、地味めな印象が理枝と対照的な一年次生の横道謙也。
黒のショートに青のカラコンが特徴的な同じく一年次生の林麻里奈。
そして、唯一外国籍であるベトナムからの留学生にして二年次生のチャン・リン・ドワゴン。
「今日はよろしくお願いしますね、探偵さん」
「すごい!本当にデジモンがいるんですね」
「わあ!デジモン、わたしも、初めて見ます!カッコイイ…!」
玄関で送りに出ている探偵アグモンとラブラモン、シルフィーモンを見て麻里奈とチャンが興奮する。
「せんせい、きをつけてね!」
「うん」
ドアが閉まり、走り出すワゴン車。
それに手を振りながら、シルフィーモンはつぶやく。
「私が出撃予定でなければ、一緒についてやれたのにな…」
「ぐるるもんがいるからだいじょうぶ!」
「だと、いいが……」
不安を隠さぬシルフィーモンの声。
探偵所に入りながら、探偵アグモンは振り返る。
ワゴンが走る後ろを飛んでついて行く金色の鳥を見やって。
ーーーー
青森へは車で高速を走れば片道五時間。
ワゴン車の中で音楽を流し、ワイワイと話し合う大学生達。
曲は今をときめくアイドルを中心としたラインナップのHIPHOPだが、それに反して話の内容は一貫してオカルトに関するもの。
やれ、某県のとある田舎には過去に人柱の風習があっただの。
やれ、某県の人里離れた山にはその昔に旧日本軍が使っていた病棟があるだの。
美玖からしても、真偽の掴みづらい話ばかりだ。
だが、大学生達は、さすがサークルに加わっているとだけあり、皆熱心に聞いている。
途中パーキングエリアで一回休憩と運転手交代に入る。
交代し、運転手を務めるのは華だ。
その関係で配置は、美玖の隣を華の代わりに道也が座ることになる。
「このまま行くとお昼になりそうだけど、どこかご飯食べてから調査にする?」
「美味しいお店がいいなー!」
「それなら、探偵さんが言ってたお蕎麦屋さんに寄らない?」
「良いですね」
国道を出て、青森南部に入ること数十キロ先。
時刻は12時半近く。
山道にも近く車通りのそこそこ多い場所に、その蕎麦屋、『ケンちゃん屋』はあった。
美玖の叔父にあたる店主、五十嵐賢治のこだわりと丹精を込めて作られた蕎麦は、地元でも常連ができるほど。
最後に会ったのは春信のお通夜以来だ。
美玖と大学生達が来た時には、平日とはいえバイカー達や地元の家族連れで少し混んでいた。
元気よく大きな声でオーダーや会計をこなす割烹着の女性が、美玖を見るや一際声をあげる。
「まあ!!美玖ちゃんじゃない!どうしたの、こんな所に!」
「仕事の最中でして、昼食にと」
美玖が言うと、その女性…賢治の妻である沙都子が厨房の方を向いた。
「ケンちゃーん!美玖ちゃんが来てるわよ!お昼ご飯食べに来たんですって!」
その声に厨房から、手拭いをバンダナのように頭に巻いたサングラスの男が顔を出す。
暑そうに肩にかけたタオルで汗を拭きながら、賢治は笑った。
「おう、美玖ちゃん!今日はどうした?」
「こんにちは、ケンさん。今日は仕事の関係で依頼人の人達と一緒にこちらでお昼ご飯を…」
「仕事かあ、大変だな。さっちゃん、席へ案内してやんな」
「はぁい!」
畳の小部屋に案内され、美玖と大学生達はひと息ついた。
メニュー表を配りながら、沙都子は美玖と話す。
「ケンちゃんの事だからいつもより大張りきりになるわ。注文が決まったらいつでも呼んでね」
「ありがとうございます。…そうだ、沙都子さん、後でケンさんもご一緒に聞きたいことがあるんですが」
「そうね、食べ終わってお会計したら、うちにいらっしゃい」
ざる蕎麦、山菜そばに力そば、鴨南蛮に月見そば。
それらが席に配膳されると、香り高く蕎麦つゆの湯気が漂う。
「美味しいー!」
シャキシャキとした食感の新鮮な山菜。
サクッとした歯応えながら衣が中身より目立つ事のない天ぷら。
そして、コシがあり喉越しの良い麺蕎麦そのもの。
そのどれもが、客の舌と胃に確かな満足を提供するに足る味とボリュームだ。
美玖も、自身が注文したきつね蕎麦を啜りながらうなずく。
(やっぱり、ケンさんのお蕎麦は美味しい…)
過去に賢治の蕎麦を食べたことは二回程だが、それでも今なおその美味しさは衰えていない。
大学生達も喜んで箸を進める。
華が美玖に声をかけた。
「探偵さん、この後の予定なんですが蕎麦屋の店長さん達にお話を伺いに行くんですね?」
「そうですね。ここで蕎麦屋を始めてから三十年近くいますから、杉沢村について何か情報があれば聞いていきたいところです」
「それなら、探偵さんに是非道のナビをお願いしたいです」
しかし、その前に情報を少しでも得ておきたい。
そう思った時、近くの席に座っていたバイカーの若い男二人が、こんなやりとりを交わしていた。
「今日は早いうちに宿泊先へ向かって休もうぜ。暗いと色々困るし、怖い話も聞くし」
「なんだ、それ?」
「ここ十年くらい前から、近くの山道で行方不明者が出てるんだ」
「マジかよ!」
大きな声をあげた片割れに、そのバイカーは静かにするよう人差し指を立てた。
「声がでかい。…それで、最近は走り屋も夜間の峠越えをやらないらしい。つくづく不吉な話だよな…」
「わりぃ…それっていわゆる神隠しに遭ったって事か?」
「さあな。少なくとも俺はそんなもん信じない」
この時、美玖は華と一緒にこのやりとりに耳をそばだてていた。
他の大学生達は自分達の頼んだ蕎麦をシェアし合ったりしてやりとりには気づいていない。
(……夜間の山道で、神隠し?)
…出発日の前、美玖は事前に杉沢村について調べていた。
オカルトスレッドのログを、当時まだネットワークがパソコン通信と呼ばれていた頃の非常に古い年数まで辿って。
そこでわかった幾つかの情報。
まず、杉沢村の目撃情報は、夜間の山道が多いということ。
地図にこそ載っていないものの、村そのものの痕跡が残っているとされている場所が存在すること。
(…後は、実際にたどり着いてみないとわからないわね…)
実在しない創作の可能性を問う説も幾つかあった。
しかし、行方不明者が出ているという話との関連性を問うには情報収集が先だ。
美玖は華に目配せすると、席を離れてバイカー達に近づく。
「すみません」
「え、はい?」
「私達は旅行にここへ来たばかりなんですが…今の話は本当でしょうか」
行方不明者の件を持ち出していたバイカーが、頭を掻く。
「聞こえていましたか…すみません。不安にさせるつもりはなかったんですが」
「いえ、私達も始めての青森の旅行でしたので、今のお話について少しでもお聞かせ願えたら。宿泊先の確保も関わっていますからね」
「そうですか……とはいえ、俺もネットが出元の噂を見た程度だから無責任でしかないです」
それでも、という美玖の頼みにより、そのバイカーから得られた話によると。
今から十年前から、この蕎麦屋の近くから入る山道より先で行方不明者が出続けている。
未だに原因は不明であり、警察の捜索も何度かあったのだがその警察からも行方知れずになった者がいるという。
「そんな話が…」
「とはいっても、ネットの話ですからね…確証はないんです。神隠しだっていわれてますけど、俺オカルトとかそういうのは信じないタチなのでなんか不安がらせてすみません。ダチとのツーリングで話のタネになりそうだと思って話しただけですから」
「おい…」
片割れバイカーはジト目で相方を睨む。
美玖は一礼した。
「お話を聞かせてくれてありがとうございました」
「こっちこそ、こいつがすみません。旅行、楽しんで下さい」
ーーーー
会計を済ませ、沙都子から家の鍵を渡されると美玖達はワゴンへ戻った。
「探偵さん、運転できますか?」
「大丈夫ですよ」
車のハンドルは美玖に任された。
賢治の自宅は店や山道とは反対の方向にある。
国道からも近い。
到着後、事前に沙都子達から許可は得ていたため美玖と大学生達は家へと上がり待つことにした。
「お邪魔しまーす!」
大学生達と家に入り、お茶を淹れてすぐに計画の確認が行われた。
「今、私達がいるのはこの辺り。これから散策予定となる山道へは20時の予定となります」
赤ペンを手に、華はこたつテーブルの上に広げた地図で説明する。
「先程、お店にいたバイカーさんから行方不明者が出ているという情報を入手しました」
「ゆ、行方不明者って…」
「え。本当なんですか!?」
すぐさま謙也と麻里奈が両極端な反応を示した。
「あくまで、ネットで見た噂との事ですので、鵜呑みにはできませんが。それでも、共通点があるので頭の片隅に入れておくのが良いでしょう」
「具体的にはどんな?」
今度は道也。
「今のところ、夜間に山道を移動した者が…というだけですね。なので、これからケンさん達に聞こうと思います。もうじき閉店時間ですしね」
時計の針は17時を指している。
蕎麦屋の閉店時間だ。
「それで蕎麦屋さんからお話を聞いたらすぐに出発します」
「今回はどこまで回る予定ですか?」
夜間の山道の移動や車内泊を念頭に移動ルートを相談し合う。
雰囲気は旅行の計画相談のそれだが、内容は危険性があるかもわからない怪異の探索だ。
せめて何もなかったというオチで終わりであった方が、幸いだったのかもしれない。
ーー
「美玖ちゃん、帰ったぞー」
「ただいまぁ」
「お帰りなさい、ケンさん、沙都子さん」
話し合いの途中、賢治達が帰宅してきたのを迎える。
沙都子が台所へ入っていく。
「美玖ちゃん、それと大学生の皆さんはこれから山道へ向かう相談かい?」
「はい。……その、それで、聴きたいことがあるの、ケンさん」
「おう、どうしたん?おれも、山道へ行くと聞いて言っときたい事があるんだけど」
心配げに返す賢治の言葉に、美玖は華と顔を見合わせ、続ける。
「お昼にお客さんから聞いた話なんですが…」
昼間にバイカー達から聞いた話を美玖は話す。
それに賢治は渋い顔をしながら沈黙。
「……店主さん?」
「ああ、もう、聞いてたんだな…そうか」
賢治は表情を崩さないまま茶を一口。
唇を湿らせると話した。
「おれが言いたかったのは、その行方不明の件なんだよ」
「本当だったんですね…」
「ああ。うちの常連にも一人出てな…その奥さんが捜索願を警察に出してるんだ。一週間前にね」
賢治が言うには、ここ十年で行方不明者は増える一方であり、現在は夜間の山道での運行を規制している場所もあるという。
その関係で、美玖達に注意を促したかったというのが彼の意図だ。
「とはいっても、どうしても今回のサークルの方針としては是非とも散策に必要というスケジュールでしたので…」
「そうか…おれとしては止めたいところなんだがなあ…。数日前にうちの店に来たデジモンも、山道に入るっていうんで止めたんだがどうしても探したいものがあると言って聞かなくてな…」
「デジモンが、ですか」
「ドラゴンを小さくしたような白いデジモンでな、そのデジモンがたった一人で来たんだよ」
ドラゴンの姿の白いデジモン。
その言葉に、美玖は心当たりを覚えた。
「ケンさん、そのデジモン、もしかしてお名前はハックモンという名前ではありませんでしたか?」
「ん?……確かに、そんな名前だったような」
「以前に別な依頼でお世話になった事があるデジモンなんです。その方なら大丈夫だと思いますよ」
そう言いながら、美玖はふと疑問を抱いた。
(ハックモンさんが、ここに…。今回聞いた行方不明者の件、杉沢村…どちらとも関係が?)
ついで、華達は杉沢村についても聞いてみたが、賢治は首を傾げるばかりだった。
元々青森出身である沙都子に聞いても同じ反応だ。
ここまで聞いたのなら、後は。
大学生達と美玖がワゴンへ乗り込むと、賢治が見送りに出てきた。
「本当に、気をつけてな」
「大丈夫ですよ、沙都子さんにもよろしく伝えてください」
「美味しいお蕎麦ありがとうございました!」
車が出発したのは夜も更けての20時。
店があった国道近くへ逆戻りし、迷わず山道へ向かう。
山道で明るいのは、街に近い場所だけだ。
道を入って少しすれば、街灯は消えたちまち夜の深い闇が包む。
ここまで来ると頼りになる明かりは車や自転車ならヘッドライト、徒歩なら懐中電灯でもなければまともに前を歩くことはできない。
ワゴンは緩やかなカーブとガードレールを照らしながら上っていた。
山道を上っている間、ワゴン車の中は一種異様な沈黙に包まれていた。
朝方から昼間にかけての和気藹々さはどこへやら緊張から皆口を閉ざしていた。
(…皆、無理をしていたのかな…)
そんな事を美玖は思った。
ただでさえ実在するかもわからない村の所在を確かめに行くだけでない。
……行方不明者が出ているという案件。
それが言いようのない不安をもたらしているに違いなかった。
いくらオカルトが好きとはいっても、彼らも美玖と同じ普通の人達。
勇みだって行く程の肝の太さまでは持ち合わせていないのだ。
「……探偵さん、大丈夫ですか?」
隣に座っていた勇吾が尋ねた。
「私でしたら大丈夫ですよ」
「そうですか。…実は、さっき聞いた行方不明者の話を調べていたんです」
手元には開いた携帯電話。
「行方不明者が出ている件なんですが、幾つか噂があるらしくて」
「例えば?」
「その中で一番の可能性が、デジモンによるものではないか、と」
「……デジモンが」
実際、デジモンによる誘拐が神隠しや行方不明の原因と判明したケースは幾つも存在している。
その多くが、凶暴なデジモンによる捕食行動や殺害衝動の犠牲者になっていることもよくあるのだ。
(もしかして、今回もそういう案件だとしたら…)
考えれば、以前に調査した洋館も、デジモンが関わっていた。
そして、その洋館の案件には、間接的だがメフィスモンが絡んでいる。
しかし、今回聞いた行方不明者の案件は。
(今から十年前…メフィスモンが現れるよりも五年前。デジモンの仕業だとしても、メフィスモンではなく他のデジモンによるもの……)
「ね、ねえ?」
声が張り上げられた。
理枝のものだ。
「携帯が、なぜか圏外になってる!契約してる会社、電波が良好なとこのはずなのに」
見れば、全員の携帯電話の表示は圏外になっている。
そればかりか、表示された文字が虫食いのように文字化けしていた。
「いくら山の中でもこれはおかしいよ!」
「それに、先輩、やまのなか、ぐるぐるしてる」
チャンの言葉に運転していた道也の顔は真っ青になった。
「まさか」
美玖は腕のツールを起動する。
そして、モーショントラッカーの機能を使用してみた。
「……やっぱり!」
モーショントラッカーは美玖達七人と非デジモン反応一体分を表示している。
これが意味することはひとつ。
「今、私達はデジタルポイントの中にいる…!」
「え?デジっ…え?」
「それって、デジモンの通り道的なやつですよね確か」
理枝と麻里奈が戸惑って顔を見合わせた時。
道也が声をあげた。
「待った、チャンの言う通り、俺達どうやら同じ道路を回ってるらしい…この標榜、さっきのと同じだ」
美玖は非デジモンを示す反応の方を向いた。
ワゴンよりやや高い視点から並行して飛んでいる金色の鳥を見る。
(あのデジモンらしい反応がないけど…フレイアがいるのなら、近くにいるのかしら)
「一回引き返してみたら?」
「そうするか…いや、待てよ」
華の提案にうなずきかけて、道也はワゴンを道の端に寄せた。
エンジンは止めないまま、窓から外を覗き見る。
「どうしたんですか、道也先輩」
「あそこに道がある…さっきまで、あんな道あったか?」
美玖も見れば、そこは車一台やっと通れる幅の小道だ。
皆に聞くまでもなく、ワゴンはその道に入る。
道はさらに真っ暗で、その上整理されていない砂利道だ。
かなりの頻度でワゴンがガクつき揺れた先、とあるものが全員の目についた。
まず目についたのは一点の看板。
そこには、こう書かれていた。
『ここから先へ立ち入る者 命の保証はない』
「この看板…!」
全員は顔を見合わせた。
そして次に。
ぼんやりと暗闇の中に見えてきたのは鳥居。
それも、かなりの年月が過ぎているのか遠目からわかるほどに朽ち果てている。
「間違いない、ここが杉沢村への入り口…!」
誰かが唾を呑む音がした。
美玖はその鳥居の手前に、いく台もの車が停まっているのを見た。