満月の夜
2匹の犬が窓越しに夜空を見上げ語り合う
1匹は鋭い牙と爪を持つ四足歩行のデジモン
もう1匹は翼を持った美しい二足歩行のデジモン
月を見上げながら会話を楽しんでいた
「人間世界の月ってどうして毎夜形が変わるんだ?あと月はチーズで出来てるって本当か?」
「自前のデータベースによると月は太陽の光にあたっているので輝いて見えます。実際月の形は丸く変わってません。分かりやすく言うと月は太陽の光の当たり方によって影ができて…この星にいる私達には欠けて見えるみたいです。月はチーズで出来てないと思います…たぶん」
「ふーん、てっきり誰かが食ったり作り直して元通りにしてるのかと思ったよ」
「すみません、私誰かとこんなにおしゃべりするのがこれが初めてで…。それにしても先程から食べ物の事ばかり、お腹が空いたならそう言ってください」
「い、いや…そうゆう訳では…」
ぎゅるる
「あ」
「ふふ、困った迷い犬さんね」
彼女はオヤツに取っておいた犬用のジャーキーを彼に差し出す
「どうぞ食べてください」
「お、俺は完全体ケルベロモン様だぞ!!そんな物より昨日食わせてもらったドックフードとやらをくれよ」
そう言いながらもジャーキーを目の前にしてツンとした態度をとるケルベロモンだったが尻尾は激しく振っている
彼女は意地悪そうに「では私が食べちゃいますね」とわざとらしくジャーキーを食べようとする仕草をしてみるとケルベロモンの尻尾がペタンと垂れる。「やっぱりアナタにあげようかしら」と彼にあげようとする動きをするとブンブン尻尾を振ったりと何度も繰り返す
「俺で遊ぶな!!!」
「すごく分かりやすいんですね」
「うるへー!」
その後謝罪も兼ねてケルベロモンはジャーキーを5枚平らげた
「うめっ!こんな食い物があるなんて知らなかったぜ!」
「もう少ししたら夕食ですね。そうすればご主人様がドックフードを持ってきてくださいます」
「なんだよ、もっと話したいぜ」
「ご主人様が寝静まった後宜しければ…今夜も昨日と同じく一緒に食べながらお話しませんか」
「いいけどよぉ、ご主人様かぁ…」
ああ…なんか気に食わねぇ
ご主人様ご主人様と彼女が口にする度にものすごくイライラする!
彼女の様な高貴なデジモンが軽々しく人間を主人と呼んでほしくない
ケルベロモンは会った事の無いご主人様とやらの人間に対して対抗心と嫉妬を燃やしていた
「なぁ、アヌビ…いやジュエリー…本当にこんな場所から出たいとは思わないのか?一生狭い部屋で暮らすつもりか?」
「ご主人様は私の命の恩人なのです。だからご恩を返すまでここにいると決めたのです」
「自由気ままに生きてきた俺からすれば監禁されてるように見えるがな」
「監禁?」
「あ、いや、すまん忘れてくれ。お前にとってここは楽園なのに俺は…」
「迷い犬さん?」
「迷い犬じゃねぇ!俺はケルベロモンだって…はぁ、何度も言わせるな」
「すみません…」
「べ、別にそんなかしこまって謝るなよ。なんならもういいし、好きに呼べよ。迷い犬でもわんわんでも(ご主人様でも)ボソッ」
「いいんですか!!」
「その顔、また俺の事を迷い犬って呼ぶ気だな」
「ち、違いますよ!!素敵な名前をアナタに付けられと思うと嬉しくて…///」
「お、おう…(は?この俺に素敵な名前だと?てかコイツ可愛いな)///」
嬉しすぎて尻尾がちぎれるくらい振って悶えてる横で彼女の口から「パイナップルにしようかな、メロンにしようかな」と好きな食べ物の名前にされそうになっている事にケルベロモンは気が付かない
「思いつかないので明日から考えときます!」
「おぅ(楽しみだな)」
きゃんきゃん鳴きながら2匹にしか分からない犬語で語る
豪邸の一角
ここは人間に飼われているアヌビモンの部屋
生まれてからずっと頑丈な部屋で閉じ込められているアヌビモン
そして昨日人間世界に迷い込んみ豪邸に辿り着いたケルベロモン
特にアヌビモンは自然発生で生まれた特殊なデジモンらしく、人間世界にたまたま落ちたデジタマから生まれた
生まれた瞬間から究極体という不思議な個体である
一方ケルベロモンはデジタルワールド生まれ
成熟期のドーベルモンからケルベロモンに進化して間もなく人間世界に迷い込み、アヌビモンが飼われてる豪邸に勝手に住み着いた
とても仲良さげだが、こう見えて2匹が出会ったのは昨日とつい最近である
そしてこの豪邸の主人はかなりの変わり者
煌びやかなものに目がない収集家の人間の男だ
アヌビモンの美しい容姿に一目惚れし彼女を保護という名の元で飼育をしている
餌や身の回りの家具もこの豪邸も全てアヌビモンの為にと男が揃えたのだ
それを聞いた時ケルベロモンは「そんな人間なんかより俺の方が…」と自分でも分からない謎の苛立ちを覚えた
「あ!見てください、今夜はとても月が綺麗ですよ」
「おっ!そうだな」
雲ひとつない秋の夜空に浮かぶランランと光る丸い月。庭の草むらからは鈴虫の鳴き声。風に揺れる木々の音
そして綺麗な彼女の息遣い
「…!」
ケルベロモンはアヌビモンの横顔をジッと見つめる
彼女の瞳に映るのは紛れもない外の世界への憧れ
夜風が窓際のカーテンとアヌビモンの金色の翼と鬣を揺らす。深く息を吸う度に彼女の匂いが鼻腔内に満たされる。彼女の匂いは出会った時もそうであったが不思議と甘ったるくて安心する
この感覚は空腹感に近いが違う
獲物を見つけた時の緊張感、安心して寝れる場所を得た瞬間の安堵感にも近いが違う
独占したいのに、ずっと自分の手の届かない場所でそのままでいて欲しいという矛盾を抱えた、何とも言えない胸の高鳴り
この気持ちはなんだろ
けれどこれだけは、俺に言えることは…
「…とても、とても綺麗だよ、ジュエリー」
俺がデジタルワールドのデジモンの多くを見てきた中でアヌビモンがジュエリーが一番美しいということ
だからこそ俺みたいに泥まみれになって毎日ゴミ餌を漁る生活をさせちゃいけない
穢れさせちゃダメだ
彼女をここから連れ出そうとした考えたりもしたがとても俺1匹じゃ彼女の麗しさを守れそうにない
ああ…悔しい、悔しいな
「あっ!この気配は!ご主人様が帰ってきたみたいです!早く隠れて!」
ドタドタと扉の向こうから喧しい足音がこちらに近づいて来る
ケルベロモンは慌てて庭の草むらに身を潜ませ、アヌビモンは窓とカーテンを閉めて何事も無かったかのように窓際に寄りかかる
そしてソイツは勢いよく扉を開けて入室する
バタンッ
「ジュエリーたん!ご飯の時間だよぉ!!」
前髪を七三分けをした中年男性が入ってきた
歩く度にぶよぶよと飛び出た三段腹が揺れる。この男こそアヌビモン、ジュエリーがご主人様と呼ぶ人間
「ご主人様、いつもお食事ありがとうございます」
主人の前で美しく頭を垂れる彼女を他所に、男は彼女の体を馴れ馴れしく触る
「相変わらず今日も綺麗な羽だね!これを食べてもっと美しくなってね!」
ああ…うぜぇ
庭に隠れているケルベロモン
男の姿は見なくても尋常じゃない汗臭さでどんなヤツなのかビンビンに伝わってくる
歩くだけで顔から油汗が滝の様に流れる肥満の体
彼女の感謝の言葉を無視して男は馴れ馴れしく触れて嫌がる彼女の声を聞くと怒りと殺意が込み上げてくる
「こんな男なんかの何処がいいんだよ…」
言動からしてコイツは彼女を物として見ている。好きなだけ彼女の自慢の翼を愛でたかと思いきや「もうすぐ…」「金」「コレクション」とブツブツ呟く声が聞こえる
「ジュエリーたん♡今夜も肌寒いからボクの毛布になってねヨロシク、いいね?」
「はい、ご主人様…」
「は?」
ケルベロモンは男の会話を聞いて言葉を失った
ジュエリー、…嘘だろ、とわなわな震える
あまりの衝撃発言にケルベロモンはただジッと会話を聞くことしか出来ない
「相変わらず細いね、もっと太ってムチムチにならないかな…早く味わいたいなぁ…ペロリ」
「あ、あの、ご主人様…まだ今夜は早いです…おやめください…」
「そうだね!シャワー浴びて仮眠をとってからにするよ。ボクが本気になったらジュエリーたん朝まで持たないからね」
「…はひ、ごしゅじんひゃま…」
「(ジュエリー?)」
草陰に隠れているケルベロモンには室内の様子は見えない
いや、見ない方が正解だったであろう
主人を前にした彼女がひれ伏し、脱ぎたての足を舐めさせられている
あんなに素敵に笑っていた彼女が怯えた表情を浮かべ、震える手をギュッと抑え、カタカタと翼を震わせ怯えている
ギリリと男の手によって首を絞めつけられ、息苦しい中、男のささくれて割れた爪が彼女の舌を舐める度に傷つけ、爪の表面を真っ赤に染める
5年間も彼女はこの男に従属している
究極体ならば人間を簡単に消せるのに
彼女はその術を知らない
自分以外のデジモンを知らないのだ
彼女は悪を知らない
これが良くないこと、やってはいけないことだと知らないのだ
ただ、生まれて初めて出会ったのがこの男だっただけ、運が悪かったのだ
身も心もここは安全だと暴力で教え込まれ
逆らうなと調教されている
だから彼女は外へ出れないのだ
暫くして男は高級なドックフードを置いてスキップしながら部屋を出ていった
ジュエリーは何事も無かったかのように血が流れる口を腕で拭い去りドックフードが盛られた皿を手に取ると木の枝で作ったお手製のスプーンでお行儀良く食べ始める
会話しか聞いていないケルベロモンだが今にも男に飛びかかって八つ裂きにしたいぐらい怒りが頂点に達している
「彼女をあんな変態と一緒に住まわせてたまるか!…引き裂いてキメラモンの餌にしてやる!!!」
ぎゅるぎるる
「あ」
力みすぎた腹から音が鳴る
彼の音に気がついたジュエリーは窓を開け、庭に潜めているケルベロモンに話しかける
「お腹すいてますよね?ご飯一緒に食べませんか」
「なっ!何故バレた!?」
「私、耳はいいんですよ。それにさっき思いっきり口切っちゃってご飯食べきれなくて…」
「そ、そうか…なら有難くもらうぜ」
お腹を鳴らしながらケルベロモンは彼女に差し出されたドックフードをペロリと平らげる
そんな彼をアヌビモンは頬を赤く染めながら見つめていることを彼は気づかない
「ふぅ…食った食った。飯ありがとな」
「どういたしまして……うっ!?ゲホッゲホッ!!!」
突然アヌビモンが激しく咳き込み出す
「ジュエリー!?」
窓越しに乗り出すとケルベロモンは爪が当たらないように優しく背をさする
「(人の手だったらもっと上手に撫でられた看病できたのに…人狼モードになっても俺の牙が彼女を傷つけてしまう。彼女を守れる姿に進化出来たら…)」
暫くして少しずつ咳は落ち着いてきた
「病気なのか?」
「いえ、最近酷くなってきて…恐らくさっきのご飯がしょっぱかったからでしょう。ご主人様には悪いけどここ最近私に高級品は合わなくて」
残ったドックフードを嗅いでみる
「俺が食っても何ともないなかった…」
しかし自分は何ともないのところを見るに彼女の体調不調なのか?
それにしてもこのドックフード
そんなにしょっぱかったか?
「きっとジャーキーの食べ過ぎ、ですね…」
疑問に思っても彼女が毎夜男の不潔な体を舐めて体調を悪くしていることをケルベロモンは知らないのだ
「まぁなんだ、ジュエリーが食べられなかったらまた俺が全部食べるよ!」
「ありがとう」と微笑むジュエリー
「お口に付いてますよ」とケルベロモンの口周りに着いたご飯を優しくナプキンで拭き取る
「綺麗になりましたね」
「っ///」
彼女の行動にケルベロモン思わず顔を真っ赤に染め「ご馳走さん!運動がてら」照れくさそうに皿を返却し、豪邸の庭の奥へ走り去っていった
「行ってしまいました…」
ケルベロモンの姿が見えなくなった後ジュエリーは彼がいた空間を隅々までスンスンと匂いを嗅ぐ
「彼と出会った日、検索したら私のこの感情は恋というものだと分かりました。更に検索するとおとぎ話や童話の多くは囚われのお姫様を勇敢な王子様が救いに来て下さる…と」
彼は私の王子様なの?
過去に希望、歓喜、という単語を検索しても調べても内容を読んでも理解ができなかった
だけど今ならわかる
湧き上がる喜び、期待、そして…
「うっ…」
ジュエリーは静かに涙を流す
「(いいえ、彼はたまたま迷い込んできたデジモン。彼に救いを求めて何になるというのですか)」
窓を全開に開け、月に向かってジュエリーは祈る
「どうか王子様、私をここから連れ出して…」
叶うなら彼とずっと一緒にいたい
懇切に祈る彼女
その背後に音を立てずに近づく男の影
その手には革ベルトと究極体を気絶させる威力のあるスタンガンを持った主人が忍び寄る
ジュエリーたん
ボクに黙って浮気はユルサナイよ
俺が彼女を守らなきゃ
この豪邸には人間はあの男一人しかいない
よっぽど人付き合いが苦手なのか
はたまた他人を信用していないのか
使用人が一人もいないのはおかしい
何か裏があるのではと男を怪しんでいる
だが俺みたいな野良が果たして彼女を守れるのか?
あんな人間でもここには美味い飯と彼女を守ってもらえる硬い窓に砦もある
ジュエリー
その名の通り美しい宝石
生きる目的も何も無くただ明日何を食って生きていけばいいのかしか頭に無かった俺が、彼女のことでいっぱいだ
窓から庭を眺める彼女を、俺は庭から見守る
最近この生活が幸せだと感じている
そう、俺はただ彼女を見守るだけで満足している
あれ?
なんで俺こんなに彼女に心酔してるんだろ
ダメだ、ジュエリーの顔を思い出すだけで胸が苦しい
「おっと、ここは散策したことない場所だ」
彼女は庭全体を把握してない
そもそも人間一人が住むにしては広すぎるくらいだし、太った人間が住むにしては酷な広さだ
ケルベロモンが外周しようとするも昨日は庭園が広すぎてうっかり迷子になった
豪邸の周囲は古びた噴水広場、手入れがされていない花畑、錆びた遊具、人工の川…
人気もなければ建物も人工物も全て古いものばかり
あの人間、一体全体どうしてこんな場所に住んでるんだ?
そしてたまたまた辿り着いたここはどうやら石像広場らしい
「デジモンの石像が飾ってあるな」
月明かりを頼りに庭奥へ進む
ズラリと石像が沢山
道沿いに沿って並んでいたり、無惨に崩れて放置されている石像だった残骸がある。よく見ると全て女性デジモンの像のようだ
「人間の趣味は分かんねぇな」
ケルベロモンは石像一つずつ眺める
羽の無いエンジェウーモンに似た石像
腕がないリリモンに似た石像
他にもフェアリモン、シスタモン、ハーピモン…そして
「究極体のロゼモンとサンドリモンまである」
何故こんなに女性デジモンがある?
それにどこからどう見ても本物みたいだ
ただおかしいのはどのデジモンも恐ろしく絶望した表情を浮かべていること
ケルベロモンはガラガラと壊れた石像を調べる。鋭い爪で壊していくと驚くことに石の中身はデータで構成されていた
まるで生きたデジモンを外側からセメントで固めた様な作りになっている
「まさか…」
一つ一つの石像に飛びつき匂いを嗅ぐ
すると一つだけ新しい石像を発見する
リリモンの像だ
「何故リリモンの石像から花の香りがするんだ」
リリモン像を恐る恐る引っ掻いてみる
ケルベロモンが引っ掻いた箇所から柔らかいリリモンの皮膚が現れ、傷つき血が流れ出した
間違いない
この石像は全て元は"生きたデジモン"だ
ケルベロモンはさっきジュエリーが言っていた台詞を思い出す
ドックフードの味がしょっぱい
体調不調、そして…
「リリモンの口内が傷だらけだ」
ジュエリー、まさかお前も?
怖くなったケルベロモンは彼女の安否を確かめるべく急いで来た道を戻る
嫌な予感がする
草木を掻き分け、途中枝やトゲが引っ掻かったことも忘れるぐらい全速力で彼女の元へ向かう
たどり着くと彼女の部屋の窓がガッチリと閉められていて中に入ることが出来ない
そして何より
「腐臭がする…」
それもただの腐臭ではない
自己の欲のために平気で命を粗末に弄ぶ
身も心もゴミ以上に腐った最悪の臭いだ
ジュエリー!
「ケルベロモン!人狼モード!」
ケルベロモンは生体外殻に包まれた二足歩行になり、両腕の大きな頭で窓ガラスを破壊し室内に侵入する
しかし彼女の姿がどこにもなかった
微かな匂いを頼りにケルベロモンは男の自室へと向かう
「(無事でいてくれ!!・)」
ケルベロモンは男がいるであろう扉の前に立ち"インフェルノディバイド"を放つ
ドカーーーンッ
「ぎゃあああああああああ!!!!」
断末魔からしてケルベロモンの技を食らったのだろう。燃え盛る部屋に入ると黒焦げになった油肉が横たわっていた
ケルベロモンは肉を無視し室の奥へ進むと手術台の上で口から泡を吐く彼女が横たわっていた
「ジュエリー!!!」
ケルベロモンが駆けつけると音に気がついたのか彼女は目を開ける
「やっと、来てくれたのね、おう…じさ…あ…」
「こんな時にその名前で呼んでる場合か!」
ああ…もっと俺が早く気がついていれば
こんな目に遭わずに済んだはずなのに…!
己の弱さに打ちのめされるもケルベロモンは彼女を抱え安全な場所へ移動する
体はとても冷たく衰弱していた
腹部や首周りをよく見ると首をきつく締め付けられた跡とスタンガンで焦げた跡が残っている
手馴れてやがる
弱らせたデジモンをあの男は薬漬けにして石像に変えていたのだ
ジュエリーを抱えた際ふと疑問に思った
「(やけに軽いような…)」
ケルベロモンは歩いて来た廊下を振り返ると床に一枚の金色の羽が落ちている
そしてケルベロモンは驚愕する
「アヌビモン、羽が…!」
無かった、全て、根こそぎ無くなっていた
あんなにも美しかった翼が
無惨にも全て毟り取られていたのだ
石像のデジモン達も体の一部が無かったことを思い出す
「全部、とられ…ちゃっ…た」
ごめんなさい、と告げるとジュエリーは微笑みながら意識を手放した
「ああ、ああああああ!!!!!」
許せん!ゆるせん!!!
ユルセンぞぉ!!!!!ニんゲぇン!!!!
人間への悪意を!憎悪を!
ケルベロモンは怒号とともに吐き出し血涙を流す
何よりも腹が立つのが先刻、屑野郎にジュエリーを託すことを良しと考えていた自分がいたということ
「馬鹿だ!俺はなんて馬鹿なんだ!!!!!何故彼女を早く連れ出さなかった!!!!!俺の大バカ野郎ぉぉぉぉぉ!!!!!!」
怒りのあまり我を忘れて全てを破壊してしまうところだったが今はそれどころでは無い
今のケルベロモンには分かる
アヌビモンの命の灯火が消えかかっている
死がチラついた瞬間、ケルベロモンの思考が呼吸が脈が何もかもが止まりそうになる
絶対に死なせない!!!
ケルベロモンは壁に向かって"ヘルファイアー"を放ち外の世界へ出でる
しかし出口が何処なのか分かない
たださ迷うことしか出来ない
泣きそうな声を上げながら走ることしか出来ない
アア…自分ハなんて無力なンだ
息絶えそうな愛しい生命
何も出来ない自分への怒り
込み上がる憎悪が極限にまで追い詰めるケルベロモンはいつの間にか姿形が変わっていた
冥府の王、プルートモンに進化を果たす
『プルートモン』
何処からか声がする
声というよりテレパシーに近い
「プルートモン?俺はケルベロモンだ
俺は先程まで森の中をさ迷っていたはずだ
それに彼女は?俺がついさっきまで抱き抱えていた彼女はどこに行った?」
『あの子は無事だ
お前もあの子も原初のデジモン
お前達は死ぬことも使命を放棄することを許されない運命を背負っている』
「どういうことだ?お前は誰だ?」
暗闇の中蠢く何か
目を凝らして見ると自分よりも遥かに巨大な存在が鎮座しているのが分かる
たぶん究極体を凌駕する力を持つ存在だろう
『我はこの世の全てを憎むデジモン
貴様らを保護し、教育する為にイグドラシルの使いで参った』
「イグドラシル!?デジタルワールドの運営者がなんだって俺達を」
『奴は悪しきデータを閉じ込め管理するダークエリアとやらを創造すると言い出してな。その為の管理者としてお前達を生み出したそうだ』
「生み…出した?」
『お前達は双子の兄妹、まぁ我々には家族という概念はないが人間の世界ではそう呼ぶらしい』
「ジュエリーと俺が、兄妹…」
『アヌビモンは酷く衰弱していたのでこちらで治療をさせてもらっている、会うか?』
「あ、ああ…」
声の主に誘われ、俺は彼女がいる暗い部屋へ辿り着く
そこには穏やかに眠る彼女が座っていた
「ジュエリー!」
『安心しろ、悪性物質は全て取り除いた』
確かにスタンガンや首を絞められた跡が綺麗に無くなっている
口の傷も、羽も全て綺麗に元通りになっている
喜ばしいことなのに、なのに…どうして
「どうして今まで彼女を保護してくれなかったんだ!!」
『我も早く守ってやりたかった!!!』
「!?」
『原初のデジモンはお前達以外に大勢いる。そいつらも血眼になって探してる。心が闇に堕ちる前に…手遅れになる前に…。アヌビモンの心は闇堕ちするに程遠かった。我は闇に堕ちそうな他のデジモンの保護を優先して動いていた…真に無念だ』
ブチブチと肉を引き裂く音が響く
声の主の悲痛な声に流石のプルートモンも言い返すことが出来ない
「俺達は今後どうなる」
『アヌビモンはダークエリアの監視とデジタマの裁定を、プルートモンお前は悪を罰する仕事をしてもらう』
「悪を、罰する?」
『正確に言えば世界中に蔓延る悪を喰らい続けるのだ。我の教育を受ければアヌビモンも貴様もダークエリアに堕ちるデジモンの裁定、罰も正しく行えるはずだ』
「それは人間も含めてか?」
『いづれ人間も含む時がくるやもしれん、遠い先の未来必ずな』
「そうか…(復讐は先延ばしになるか)」
眠るジュエリーの頬を撫でる
プルートモンに進化したことで5本指を得た
彼女の温もりをケルベロモンだった頃より暖かく感じることが出来る
『今後お前達は我の元で教育を受けてもらう。ふたりで共に…』
「いや、俺は受けねぇ」
『なんだと?』
「早くダークエリアに案内しろ。悪を罰する、それが俺の使命なら早いとこやらないと」
『待て、焦らずともせめてあの子が目覚めるまで…』
「ジュエリーがアンタの教育とやらを受けてる間に俺がダークエリアとやらを管理してやるよ、兄貴なら妹の仕事も請け負わなきゃあな。それに今の俺は腹が減って、今にも死にそうなんだ」
『……お前がそれでいいなら』
プルートモンの目の前にゲートが現れる
行先はダークエリア
この先を通れば彼女に次出会う時は兄妹
ならば
「ちょっと待った、少しだけ時間をくれないか」
俺がジュエリーを恋人としていられる時間を
この瞬間だけ、彼女の王子様になりたいんだ
『よかろう』
「感謝するぜ、ぐぅ…っ!!」
突然プルートモンは自らの牙を抜き始める
体全身の牙を抜き、血だらけになったプルートモン
これも彼女を捕食しないようにする為
もう罪人を喰らう者として覚醒してしまったプルートモン
最愛の彼女でさえ捕食対象として見てしまう
それほど彼にとって彼女は食べてしまいたいほど特別で愛おしい存在なのだ
「もう、お前と会うことはないだろう」
さよなら、俺の宝石(ジュエリー)
目を瞑り、プルートモンは眠る彼女の唇にキスを落とす
傷のない彼女の唇
最初に触れること、穢してしまうことを申し訳なく思いながら深く、ねっとりと重なる
昔読んだ童話の話であったな
呪いで眠りについた姫は王子様のキスで目を覚ます
覚ましたら俺はお前の兄貴だ
だから
達者でな
「王子…様?」
ジュエリーが目覚めた時には彼はいなくなっていた
彼が居た足元は血溜まりと大量の牙が落ちていた
その後自分の身に起きたこと、彼がどうなったのかを知り、暫くの間ジュエリーは泣いた
例え兄妹だろうと、恋人になれなくても
一緒にいるだけで幸せだった
それでも原初デジモンである自分達に死はない
だから信じてる
いつの日か
私が恋したアナタに
王子様に会えることを願って
長い長い時が流れる
ジュエリーはアヌビモンとしてダークエリアを管理する仕事を今日もひとり頑張っていた
「はぁ…疲れた」
デジタマの選別、ダークエリアの管理、その他デジタルワールドに最近できた地方裁判所の裁判官など、それらを休みなく行っている。誇りを持って仕事している、何の不満もないのだが…
業務に疲れた時、彼女は度々人間界に出かけて月を見に行く
「あ、満月」
何度も同じ月を見ているはずなのに、いつも彼との思い出がつい昨日のように思い出す
手元にあるジャーキーを握りしめながら彼との再会を心から望んでいる
「王子様、早く来ないとジャーキー全部食べちゃいますよ」
「ぶぇっくしゅっ!!!」
「あららぁ?プルートモン様お風邪ですかえ?」
「ぐすっ、煩い!ただのクシャミだ!!」
プルートモンは部下のケルベロモンと共に悪行の限りを尽くすデジモンを捕食しまくっていた
ただ捕食するのではなく、理由や動機、罪の重さを調べた上で襲うのだが、最近は治安が良すぎて悪行を働くデジモンが少なくなっていた為、常に空腹と戦っているのだ
「おい、俺は今から休憩に入る!後の罪人処理は任せたぞ」
「いつもの一服ですかえ?」
「さっさと行かねぇと喰っちまうぞ!!!」
「へいへい」
誰もいない場所でひとりジャーキーを貪る
イライラした時、上手くいかなかった時、いつも決まってジャーキーを食べる
食べれば気持ちが落ち着く
これが日課だ
「月、今日は確か満月だったな」
ジャーキーを頬張りながらふとダークエリア上空を見上げる
闇しかないこの世界の何処かできっと彼女も月を見上げているのではないか
今だに彼女が自分のことを王子様と呼んでくれるような気がしてならない
それでも例え個人の勝手な願望であろうと
私は彼のことが…
俺は彼女のことが…
す
き
わぉ────────ん …
それぞれ別の場所でプルートモンとジュエリーは秘めた思いを遠吠えに替えて月に向かって切なげに吠える
2匹の愛の告白を聞き届けたのは紛れもなく月だけだ
この先の未来で2匹が再び出会えることを願うかのように、今宵の満月はいつもより明るく金色に輝くのであった
【完】