「今日は転校生を紹介します。銀水くん、入ってきてー」
冬休み明けてから転校生って珍しいとか、美人? イケメン? 巨乳メカクレ地味女がいいな、キモいぞお前、とか、クラス内は担任教師が休みなことには触れずにざわざわとにわかに騒がしくなる。
「(女子じゃないといいな)」
満はそう切実に願っていた。夏にも転校生はいて、満が女子に避けられているのを見て、いじめかと正義感の強い彼女は仲良くしようとしてくれたのだが、あり得ない頻度で起きる呪いに彼女は爆速で離れていった。
この一年で満も女子に避けられるのには慣れたが、それはそれ、嫌われて避けられる過程を見るのは辛い。
「銀水朱砂(ギンスイ シュシャ)です。親の都合で始業式には出られませんでしたが、これからよろしくお願いします」
入ってきた女子は、まだ制服がないのか黒のセーラー服で、長い銀髪は陽光を反射して光り栗色の瞳はどこか物憂げに見えた。
美人だ、エロ満から守れ。いや、エロ満に近づけろ。貧乳で瞳が綺麗で垢抜けてる子はタイプじゃない、チェンジもっと地味になれ。お前キモい上に最低か? 男子って脳味噌下半身にあるの? 下半身にあります。このクラスの男子終わってるから期待しないでね。などと、実際に登場すると尚一層騒がしくなった。
「銀水くんの席は……廊下側の角に用意してある。清水先生の置き土産だ、大事にしてくれ」
片桐の言葉の裏には、江口は窓側の席だからという意図があるのは明らかだった。
「(目標と席が離れちゃったな)」
と朱砂は考えていた。朱砂はリリスモンよりの刺客である、満に対して色仕掛けをすることが彼女の仕事である。
「置き土産って、清水先生を勝手に殺さないでくださーい。というかなんで休みなんですか」
生徒の一人がそう言うと、片桐はため息を一つ吐いた。
「……いつもの遅刻だ。道に迷ってるお婆さんを目的地まで連れて行ったら自分がどこにいるかわからなくなったらしい。多分午後には来るだろう」
キヨセンまた迷子か、GPSつけろって、あの人地図読めないから意味ないんだよGPS、社会科教師やってていいのか? キヨセン地図は読めてるけど自分を代入できないだけだから授業はできる。などと教室はにわかにザワザワし出した。
「まぁ、清川先生のことは置いておこう。それより銀水くんに聞きたいこととかある人はいるかな」
「あ、じゃあ……好きなタイプはどんな人ですか?」
「好きなタイプ……(早速チャンスね。ここで江口満を匂わせるような発言をして意識させる)」
朱砂はちらと満を見て、特徴を考える。
「……窓際の前から三番目ぐらいに座ってそうな感じの人」
その発言を受けてクラス中の視線が満に集まり、満は自然に居心地の悪さを感じて少し居住いを正した。
「あ、泣きぼくろとか好きかも」
追加の発言を受けてさらに視線は満の目元に集中する。そして、男子勢の視線は次いで朝顔に向けられた。
このクラスの顔がいい女子は趣味が終わってるって忘れてたな、だから巨乳で髪がぐしゃぐしゃで串なんて通したことなさそうなのがいいんだ、お前は最低だ、だが否定できない。とまた男子達がザワザワし始める。
「はいはい、静粛に、他に質問がある人はー……休み時間にでも囲んで質問攻めにして困らせるといい。私は一限目の準備が途中だったことを思い出したのでホームルームはここまで。はい、日直号令!」
片桐はそう言うと、号令が終わるや否や白衣をひるがえしながら走って教室を出て行った。
教壇のあたりに残された朱砂は、とりあえず自分の席に移動しながら、ちょっと朝顔を観察する。
朝顔は満の方を見て、知り合いかとでも尋ねる様に口をぱくぱくさせていた。
「(……結構仲良さそう、呪いの効果は彼女までは及んでないのは本当みたい。友愛って感じかな?)」
そう考えながら朱砂は歩いていき、自分のために用意された席に座る。
「(まぁ、その関係性も私がメチャクチャにするんだけどね)」
朱砂がほくそ笑んでいると、あっという間に女子に囲まれた。
「江口くんには近づくのはやめた方がいいよ」
「黒木さんがこの前江口くんがラッキースケベしてるの見て手の中のシャーペン砕いたの見た」
「片桐先生なんて、授業の中で江口くんに教科書を読ませたらなんやかんやで視聴覚室のスクリーンに自分のパンツを映す羽目になったしね、ズボン履いてたのに」
そんな言葉が朱砂にかけられているのを遠くに聞きながら、満は少し考えていた。
「(銀水さん、多分リリスモンの刺客だよな)」
好きなタイプをきかれて席の位置で答えるのはおかしい。
視線の動きも満と朝顔にばかり向けられていた。
さらにタイミングも少しおかしい。普通この季節に引っ越しとなれば始業式に合わせる。
最後は言いがかりのようだが、昨日現れたリリスモンの刺客であるウェンディモンは空間を操る能力があり、しかし、バステモンとエンジェウーモンを相手取るには明らかに能力不足だったから、別の役目があったのではと満は考えていた。
そして何よりも、満がリリスモンの刺客であると確信した理由は、朱砂が呪われているのがわかったからである。
基本、特殊な手順を踏まないと知覚できないデジモンを見る為、満は特殊な数珠をつけている。その効果で満はデジタルワールド由来の呪いも知覚できた。
「(とりあえず、デジモンの姿もないし様子見かな。リリスモンは自覚ない刺客も送ってくるし……)」
去年は、正義感が暴走する呪いをかけられた生徒が呪いの著しい被害に遭い、満が朝顔以外の女子から遠巻きにされる決定打になった。
満が冷静にそう考えている一方で、朝顔はその目をどんよりと濁らせていた。
「満くんのこと実質名指し……まぁそれは満くんが可愛いから仕方ないとして……」
「朝顔さんや朝顔さんや、ぶつぶついってるの怖いぞ?」
手の中でシャーペンをみしみし言わせている朝顔の頬をつんつんとつついて一人の女子が声をかけた。
寝癖のある茶髪に、よくずれる眼鏡をかけたちょっと小太りのその女子は、そう言って朝顔の机に肘をついた。
「……彩ちゃん、銀水さんのことどう思う?」
朝顔は彼女にそう小声で返した。
「美人さんよね。髪は銀髪でサラサラだし、指は白魚のよう、目は赤みがかったオレンジで……アルビノってやつなのかな? 足も細いしすらっと長いし、なんにしても美人さんだわね」
彩ちゃんと呼ばれたその女子、小島彩歌(コジマ アヤカ)は朝顔の耳元で朱砂を褒めちぎった。
「……だよ、ね」
「でも、まぁ満くんは大丈夫でしょ。朝顔のこと好きだし」
「そうかなぁ……一回も好きだって言われたことないし……ああいうタイプが好みかもしれないじゃない?」
「じゃあ、聞けばいいのではなくって?」
不安そうに言う朝顔に、彩歌はそうおどけつつ呆れたように返した。
「それは……不安というかなんというか」
「まだ両片思いのつもりなの? いつになったらラブラブになるの? わしゃあの、友達の惚気聞くのが三度の飯より好きなのじゃよ、早く惚気がききたいのぉ」
それは、と朝顔は言い淀む。彩歌はデジモンと関わりがない。当然、リリスモンの封印のことは秘密にしていた。
「満くんとの関係はちょっと、大いなる存在に決められたそれなところが、多分満くん的には先にあるから……そう振舞ってくれているだけなんじゃないかって気がして……」
「あー、許嫁みたいなやつなんだっけ。(大いなる存在?)」
「そうなんだよね……(大いなる存在?)」
「まぁ、そこは普通に正妻の格ってやつを見せつけてやればいいんじゃない? とりあえずお昼は一緒に食べるとか、手を繋いで帰るとか」
「そ、そんなの恥ずかしいって……」
「なにかとラッキースケベする江口くんに普通に話しかける時点で、朝顔の評価は江口くんが好きか、ラッキースケベに遭いたい露出癖のあるむっつりドスケベかの二択なのじゃよ」
現在およそクラスの(男子の)四割が朝顔のことをむっつりドスケベ(であって欲しい)と回答しています(彩歌調べ)と、架空のフリップを見せつけるような動きをした。
「私、そんな風に思われてるの……?」
「まぁ、普通の女子は江口くんのそばに寄らないし、『なんか朝顔にはラッキースケベが起こらない』よりも『自分が見てないところでラッキースケベした上でそばにいる』と捉えちゃうのは自然やね」
「うぅ……(エンジェウーモンが呪いを中和してるらしいのは私と満くんしか知らないから仕方ないけど……)」
朝顔はそう思いながら机に突っ伏した。そしてその顔を満の方に傾けた。
それに気づいた満は、ちょっと微笑んで小さく手を振る。それが嬉しくて朝顔も手を振りかえした。
ふと、二人の視線の間にセーラー服が割り込んでくる。このクラスにセーラー服は一人しかいない。
「満くん、彼女っているの?」
朱砂は満の席に陣取ってその顔を覗き込み、そう尋ねた。
「……好きな人はいる」
その問いに、少し考えて満はそう答えた。
「好きな人、どこが好きなの?」
さらにそう聞きながら、その細い指を朱砂は髪に伸ばした。
「髪が綺麗なの?」
朱砂はすーっと持ち上げた清流の様に透き通った髪を手ですいた。
「あなたとおそろいの泣きぼくろはある?」
そして聴きながら、おもむろに吐息が触れそうなほどに顔を近づける。その瞳の側には泣きぼくろがあった。
「くちびるは、柔らかそう?」
化粧なんてしてない素っ気ない薄いピンク色をした朱砂のくちびるはそれでもツヤがあった。
「……黒髪が綺麗な人だよ。泣きぼくろはないけれど」
満はまっすぐそう返した。健全な男子高校生であるから、目の前の朱砂を全く意識しないわけはなかった。
しかし、ここは教室で同じ部屋の中には朝顔がいるし、朱砂がリリスモンの刺客とわかっているのが致命的だった。
「……ふーん。ねぇ、お昼一緒に食べない?」
朱砂はめげずにそう顔を近づけたまま聞く。
「食事は絶対女子とはしないんだ。服とか汚しがちだし、食べ物ももったいないからね」
特にクリームやマヨネーズ、牛乳なんかの白いものは何故か女子の顔によくかかる。
「……そっかぁ」
朱砂はそう言って、スカートのポケットに手を入れた。
「そう、そして満は毎日俺と猥談をすると決まっているのだ」
「えっと君は……」
「最上定(モガミ サダメ)、ぽっちゃり好きだ。下ネタばかり話すから周りからはサイテイと呼ばれている」
その少年はくいと眼鏡を上げながらそう言った。
「……定、それでいいのか君の自己紹介」
構わないと定は言い切った。
「よろしく、サイテイ。じゃあお昼私が江口くんと食べてもいい?」
「それは最悪、俺の昼げも爆散するのでよくないが、僕も鬼ではないので食べ終わったら連絡する」
「ん、ありがとうサイテイ」
そう言って朱砂は満の机から離れる。
「気にするな、礼をしたいならその分太れ、焼肉と女は脂が全てだ」
「……定、君は最低だな」
「別にいいだろう。見たまえ、あの銀水さんを見る黒木さんの顔を。うちの猫が父さんを威嚇する時あんな顔をする。次に彼女がこちらにかける言葉はきっと……『お昼一緒に食べない?』だ」
「いやいやまさか……」
満がそう言っていると、朝顔はおもむろに立ち上がり満へと近づいてくる。
「……ねぇ満くん」
「なに? 黒木さん」
「……えと、お昼一緒に食べない?」
満が思わず定の方を見ると、定はいないものとして扱えと言わんばかりに顔を本で隠していた。
「(銀水さんの目的を探る意味では黒木さんいない方がいい気がするけれど……)」
満は悩む。封印のことを考えるならば答えは否一択、バステモンというもいるから一対一の様で二対一だし二人共倒れの何かを散布されたりする可能性もあるから二手に分かれておきたい。
けれども、満の中の思春期の部分がそれを邪魔する。
「(黒木さんとお昼一緒は嬉しいし楽しいだろう、間違いなく)」
満の心は揺れる。ここで自分の楽しみに走るのは色欲的にも思える。しかし、この状態の黒木さんを放置するのは愛を育む上で良くないのではと脳内で何かが囁く。
バステモンは恋愛の機微とかわかるわけもない、バステモン経由で理由を説明してもどこまで伝わるか、疑心を抱かれるのではないか。
多分、実際はエンジェウーモンが間に入るからそうはならないだろうとわかっているのに、心が理屈を選びたがらない。
「……いや、呪いが発動すると困るから」
朝顔に対しては呪いは効かない、わかってて満はそう言った。リリスモンのことは言えないし、こう言えば今は言えない理由があるとわかってくれるはずだと。
しかし、朝顔はそうは受け取れなかった。
「(満くん、銀水さんと一緒にいたいから断ったの? だってそうでもなかったらそんな嘘つく理由もないだろうし)」
銀水がリリスモンの刺客である。それを朝顔はわかってなかった、前提として朝顔は満のことが好きであり、満は満自身のことがあまり好きでない。
『突然現れた美人転校生が満に一目惚れして積極的にアプローチする』は、朝顔にとっては満ならあり得ると思わせる行為だった。
チャイムが鳴り、皆それぞれの席へと戻っていく。
それから昼休みまで、満は徹底して朝顔から距離を取った。それは朱砂の出方を伺う為だったが、思いがけず朱砂からのアプローチはなく、朝顔の不信感を募らせるだけだった。
「つまりな、よく食べよく太るはそれだけ栄養を吸収できる優れた生き物ということであり、恥じることではない。そしてその柔らかな脂に俺は触れたい、顔を埋めたい。わかるか満、脂とは夢なのだよ」
本来は立ち入り禁止の屋上で、一足先に昼食を食べ終えた定の言葉に赤べこのように一定のリズムで頷きながら、満は考える。
「(最近までのリリスモンの刺客は基本的に殺しに来ていた。でも銀水さんはその類だとすると、刺客とわかりやすすぎる気がする。人間であることを利用して近くに送り込むなら、もっと目立たない様にするだろうけど、髪を染めたりカラコンをしたりすることもないし、むしろ視線を引こうとしてる。囮目的で本命が別にいるかもしれない、あとで朝顔さんに他に転校生がいないか先生に聞いてもらおう)」
「おい満、話を聞いているのか?」
「……ごめん、聞いてなかった」
「全くお前というやつは、重さは強さだという話だろうが」
「格闘技とかの話?」
「もちろん脂だ。男子憧れのシチュエーション、ラッキースケベで女子のお尻が顔の上に、の際は重い方が当然顔へ密着するから素晴らしいという話だ」
「……アレは、首痛めるよ?」
首を痛めるとはいうが、満も実際に数日引きずる様な怪我を負ったことはない。
リリスモンの呪いは『色欲を煽る呪い』、怪我をしていたらそれどころではないからか、後頭部を床で強打しそうな場面では自然と鞄が間に滑り込んだり、なぜかうまいこと腰から順に綺麗に床について着地の衝撃が軽減されたりする。先日理科室の床に一緒に倒れ込んだ片桐も特に怪我はなかった。
なお、そのせいで実はわざとなのではと一部で疑われてもいる。
「痛めるべきだ、治るまでの間、自分のせいだからとちょっと控えめになる女子からしか取れない栄養も存在する。俺はその弱みにつけ込んでおなかを揉ませてほしい」
「それはただの強要だよ」
「……今日のお前は精彩を欠くな。普段なら強要罪は何年以下の懲役だよぐらい言ってくるだろうに、やはり黒木さんとの昼を断ったのが気になっているのか? 気にするぐらいならば断らなければよかったのに」
「それは……」
気にしてないと言えば嘘になる。もったいないことをしたとは思うし、きっとまた誘ってはくれないだろうとも思う。
「まぁ、それはそれとして僕は銀水にお前を売るが……連絡先を聞いてなかったな」
満の手元の弁当が空になったのを見て、定はスマホを取り出したが、そのまま困ったと呟いた。
「その必要はないわ」
ふと頭上からした声に満と定が貯水槽の方を見ると、朱砂がシュークリームを片手に貯水槽の上に立っていた。
「……パンツ見えてる?」
朱砂はスカートを抑える素振りも見せずにそう言った。
「見えているぞ、パステルピンクのパンツ、見せパン的だな。だが脚が細すぎる、針金の様だ。もっと肉感が欲しい」
「ガン見してレビューするな」
満は自身も視線を地面へと逸らしながら、覗き込む定の頭を掴んで地面に向けた。
「何を言うんだ満。銀水はわざわざ見せに来ている、見なければ失礼だ」
「そのまま頭下げててもいいよ。こっちで勝手にやるから」
ふふふと朱砂は笑う、それに満は一瞬どうするか迷った。そして、数秒経っても何も起きないのでとりあえずちょっと顔を上げると、朱砂は片手にシュークリームを持ったまま降りる為の梯子の前でおろおろしていた。
「……先にシュークリーム食べればいいんじゃないかな」
「うん、そうする」
そう言って朱砂はシュークリームに大口を開けて齧り付き、クリームが溢れてその手を汚した。
「(何考えてるのかわからない、むしろ何も考えてないのか?)」
満はポケットの中のスマホの電源ボタンを数度カチカチと押してバステモンに警戒を促す。
朱砂が手についたクリームをぺろと舐めて梯子を降りてくると、そのまま普通に満の横に座った。
「……じゃあ、猥談でもしよ」
「……なんで?」
満は困惑する。
「ナンセンスだ満、猥談に理由は要らない。色欲に男女の境はないし、斜に構えていてもいいこともない」
「(色欲……暗殺の為の布石ではなく純粋な色仕掛けで封印強化の邪魔をするつもりなのか?)」
だとしてこんな雑なと満は困惑する。
「(ふふふ、男は女からの接触に弱い、わざとらしくてもエッチなら都合いい様にしか考えられないということを私は知ってる)」
朱砂はその困惑を見て心中で勝ち誇っていた。
『おい満、入り口の方を見ろ!』
スマホの中からのバステモンの声に、満と朱砂はハッとして屋上の入り口を見た。
まず見えたのは扉の隙間を掴む白い手、そしてその隙間の奥には影より深い黒い瞳と触手の様に揺れるおさげが覗いていた。
「黒木さん、よかったらこっち来てよ」
満は、朱砂との間に距離を空けて朝顔が座れるスペースを作った。
すると、朝顔のおさげが一瞬ビクッと揺れた後、冷静に努めようとしてるのか妙な真顔ですすすっと歩いて来て、すっと満の横に座った。
「(特に仕掛ける隙をうかがってるとかじゃないなら、朝顔さんと分かれて仕掛けるのを待つ理由もない。思えば、さっきお昼食べようって言って来た時から朝顔さんはわかってたんだろうな)」
満はそう反省していたが、朝顔は何もわかっていなかった。
「(どういう? なにが……? 隣空けてくれたの嬉しいけど、銀水さんとなんかあったの? そもそもなんでさっきは断ったのに、私が来るまでに一体何が……探りたい、でもそれ以上に満くんの近くにいて欲しくない)」
朱砂もやはり何もわかっていなかった。
「(これは、照れ隠しかな。知ってる女子の方がまだドキドキしないみたいな、感じ……黒木朝顔をどうにか帰らせられたら……)」
しかし、満が朝顔に任せた方がいいと判断し、朝顔と朱砂はそれぞれ目の前の女に消えて欲しいと願った。
「……満、僕は教室に戻る。猥談はもっと自由でなきゃいけない、嫁同伴の猥談は流石にダメだ」
そう言って定はあっという間に去っていった。
定の嫁発言に深い意味はない、やや古めのオタク価値観と仲が良ければ夫婦とか言い出す中学生メンタルの延長からきてる発言である。なので満はもちろん朝顔さえスルーした。
「……黒木さん、江口くんのお嫁さんなの? じゃあ……一緒に寝た?」
そう聞かれて、朝顔はぼっと顔を真っ赤にし、満も流石に動揺した。
そして、一瞬固まった後朝顔がこくりと頷いたことで、満はさらに動揺した。
「(嘘だってわかってるけれども……いや、でも高校生で付き合ってたら普通なのかな、どうなんだろう。嘘として妥当なライン、なのかな……)」
満は結局肯定も否定もできず顔を赤くし、それを朱砂は肯定と受け取った。
「……そうなんだ。じゃあ、とりあえずいいや……体調悪いから早退するってせんせーに伝えて」
朱砂はそう言って立ち上がり、そのまま屋上から出ていった。
「……せっかく準備したんだけどなぁ、学校全員人質作戦」
朱砂はそう呟くと、屋上へ通じる階段の踊り場に置かれたロッカーを開けた。
「マッ!」
すると、紫色の派手な水玉の毒キノコのデジモンが出て来て朱砂に黒い軍帽とマントを渡す。
「ありがと、爆弾は仕掛けて来た?」
「シュッ!!」
「いい子だね、マッシュモン」
軍帽とマントをつけマッシュモンを抱えると、朱砂はスマホを操作する。
「じゃあ、とりあえずやるだけやっておこうかな。リリスモン様の使いとしての挨拶はまだしてないし」
少しして、学校の至る所でボンボンと破裂音が鳴り響いた。
「えと……満くん。今のはね、その……でも私は満くんならいいかなって」
破裂音は、もじもじと朝顔がそんなことを言ったのとほぼ同時だった。
「……バステモン、今の音は!?」
満がそう言う頃には既にバステモンは満のスマホから飛び出て、壁を伝って下の階の様子を見に行っていた。
「(……今の黒木さんは危なかった。つい抱きしめたくなるところだった。色欲は駄目、色欲は駄目……)」
満は心の中でそう自分に言い聞かせる。
「(せっかく、銀水さんがいなくなって、ちょっと近づける雰囲気もあったのに……)」
朝顔は物足りないという顔で、階下の壁に張り付いたバステモンを見る満の背中を見ていた。
「(いっそ、抱きついてもいいんじゃないかな……)」
『まずいぞ、至る所で生徒も教師もなんか……なんかやばい!』
「バステモン、もっと具体的に」
『色々なんだ! とりあえず見に行ってくれ!』
そう言ってバステモンに先導されながら屋上から降りていく。
すると、廊下に出たところで片桐と出くわした。
「江口、黒木、無事か!?」
「先生、今の音は……」
「よくわからんが、何か粉の様なものが舞っていて、吸った生徒がおかしくなってる様だ。私は廊下の窓を全部開けていくから、お前達はそのまま校庭まで避難しろ!」
理科準備室から持って来た、と使い捨てマスクの入った箱を投げ渡そうとした片桐に、突然一人の女子生徒が飛びついた。
「おっぱいせんせーッ! あはは! あははは!」
「ええぃ、飛びつくな豊田!」
白衣であまり見えないくびれに女子生徒が抱きついて、顔を胸に押し付ける。
「あは、うふふ、、せんせー今日もおっぱいでかーい!」
「普段さ、きゃは、ひひ、何食べたらこんなおっぱい大きくなるのー!?」
さらに一人二人と女子生徒が現れて、異様なテンションで笑いながら片桐に抱きついたり柔らかそうな胸を強引に鷲掴みにする。
「昨日は生姜焼きと豚汁だが、今は先生忙しいから本田も川崎も……ぬわぁ!?」
「あはは、やっぱでかーい!」「意外と腰も細ーい! きゃはっ!」「うふふ、ふふ! ははははっ!」「ぎゃはっ! ぎゃはは!」
女子生徒達に囲まれてもみくちゃにされる片桐に、江口達は何もできなかった。
「に、逃げなさい二人とも! 早く!! あ、こらブラジャーを外すな、取るな、投げるぬぁー!」
ブラジャーが宙を舞う自体にまでなっていたが、集まっている生徒達の周りに粉が舞っているのも見えたので、ぐっと堪えて下の階に降りる。
一つ階を降りると、定が倒れている女子生徒に覆いかぶさっていた。
「定!?」
「満、ちょうどいい手伝ってくれ、廊下で何人か痙攣して倒れている。とりあえず気道をかく、かっ、かかっ……く……」
女子生徒の顎を持って動かしていた定の身体が不意に痙攣し始め、そのまま廊下にゴロンと倒れる。
「くっ、くっ、くるッ、くるッ、なっ」
定はそう痙攣しながら満にそう言った。
「……エンジェウーモン、これは治せるやつかな?」
『治せなくはないけど、犯人のデジモンがわからない。一人ずつやってたらどれだけかかるかわからないにゃあ……』
「でもそんなの特定しようが……」
朝顔がそう言うも、満は静かに聞いた情報を反芻していた、
「……バステモン、花粉とか胞子を爆発でばら撒くデジモンに心当たりってある?」
『そうだな、マッシュモンってデジモンがいた筈だ。色々な症状を起こす胞子を撒き散らすキノコ型爆弾を投げるデジモン。詳しくは知らないが』
そう言ってバステモンはちらりとエンジェウーモンを見た。
『でも、マッシュモンが爆弾を設置して広範囲に同時に胞子を散布するなんて、聞いたことがないにゃあ』
「それは多分、マッシュモンじゃなくて人間が手伝ってるから……屋上に戻ろう」
満がそう考えたのは、犯人は朱砂だと確信してるから。
屋上から先にいなくなった理由を素直に考えると、自分だけは騒動に巻き込まれない為、またその時安全圏にいて関与を疑われない為。
胞子の安全圏は、胞子が散る風通しのいい屋外。加えて、片桐や定が無事だったことから人気のない理科準備室や使われてない教室。
でも、朱砂は二人を巻き込まないタイミングで爆発させている。
このことから、目的は脅し。事態に気づいた後の動向を確認して再度接触するには、避難してくるだろう安全圏の校庭と屋上を同時に確認できる場所、つまり屋上か、学校自体を見下ろせる近隣の建物。
一番怪しいのは移動に時間を使わず、さっき不自然に朱砂がいた屋上の貯水槽周りだった。
「……そこにいるんだろ」
屋上に辿り着いた満はそう貯水槽に向けて話しかけた。
満の言葉に、黒いマントを風に揺蕩わせ、朱砂はマッシュモンを抱えて貯水槽の裏から現れると、ゆっくりと座った。

「いるよ、はじめまして、江口満くん」
「(……さっき普通に話してたのに初対面の体? それとも銀水さんの姿はなんかのデジモンの能力で変わった姿で本来は違う?)」
満は困惑して台詞が出なかった。変装したつもりだとしたら、帽子を被った程度で顔を出す理由がわからなかったし、なにより一番の特徴の銀髪と赤い目がそのままだった。
「……あなたは、誰!?」
しかし、それでわからなくなっている朝顔もいた。ちなみにエンジェウーモンは朝顔は満以外の人間の顔認識能力が八割落ちると認識している。
「私は、マーキュリ」
朱砂はそう名乗った。
「(また水銀を表す言葉。銀水朱砂……銀水は前後変えただけだし朱砂も水銀の意味だし、わざと結びつけさせようと? 黒木さんはそれを察して、誰? と……)」
「何が目的なの……っ!」
「……挨拶」
挨拶、と聞いて朝顔は今朝の銀水のいきなりのアプローチを思い出した。
「(まさか、この人も満くんを……?)」
「これからよろしくねっていうのと、今後もし、あなた達が姿を隠す様なことをしたら……っていうのと」
あと、と言いながら朱砂は立ちあがろうとする。
「バステモン!」
満の合図にバステモンは、あっという間に距離を詰め朱砂をその場に引き倒した。
朱砂の抱えていたマッシュモンはその拍子に放り出され、エンジェウーモンは地面にべちゃと放り出されたマッシュモンに向けて弓を引いていつでも撃てる体勢を取った。
「……痛い。顔に砂利の跡残っちゃう」
朱砂はコンクリートの感触を肌で感じながらそう呟く。
『それぐらい、お前がやったこと考えれば可愛いもんだろ』
バステモンに押さえられ、朱砂は抵抗するも全く動かなかった。
「(変に誘惑とかされずに捕まえられてよかった)」
そんなことを考えながら、マッシュモンを捕まえようと歩いて近づいていく。
「……ママが言ってた、女の顔に傷つけるやつはぶっ殺していいって」
朱砂のマントかボコボコと揺れる。
『バステモン、危ない!』
そして、エンジェウーモンの注意とほぼ同時、マントの中からコウモリの様な生き物の群れが噴き出すと、バステモンにまとわりついて発火した。
『ぐおっ!?』
バステモンが思わず手を離し、エンジェウーモンもマッシュモンに向けていた矢を周りの炎を霧散させる為に放つ。
その瞬間、マッシュモンの方に向けることができる攻撃はなくなり、捕まえようとする朝顔は無防備だった。
それに気づいた満は朝顔に向けて走った。
「え?」
呆ける朝顔を、満は勢いのままに押し倒した。
直後、その背中を突如飛来した悪魔の赤い爪が引き裂き、マッシュモンもさらっていった。

「……頭、打ってない? くろっ、き」
満は言葉の途中で顔に脂汗を噴き出させて気絶し、朝顔の身体の上にその体は落下する。
「満くん?」
満を抱き抱える朝顔の手に温かい液体が触れる。
『見るな、朝顔!』
エンジェウーモンが叫び、満のことを持ち上げると自分の身体で朝顔から隠す様にして起き、傷口に向けて手のひらから光を発する。
「……こっちは、挨拶だって言ったのに」
バステモンの拘束から解かれた朱砂は立ち上がって自分の顔をマントでぐしぐしと拭う。その傍に、すっとマッシュモンを抱えた銀髪と赤い瞳の女の悪魔が立つ。
『最初から私もいた方がいいって言った通りじゃない……』
「……レディーデビモンいなくてもなんとかなったし」
『……なってないわよ』
「なったもん」
朱砂は悪魔をレディーデビモンと呼び、ぷうと頬を膨らませて子供の様にすねた。
『さて、バステモンには対空の攻撃はなかった筈だけど……投石でもすれば届くかしら。石を用意するには……屋上のコンクリを砕く? ああそうそう、当て損ねたものが誰かの頭に落ちて殺しでもしないといいわね?
レディーデビモンの言葉に、バステモンは朝顔と満を守る様に立ちながら、エンジェウーモンをちらりと見る。
エンジェウーモンは首を横に振った。治療を続けないと危ない、戦闘に回れる余裕はない。
「……だから、なに?」
朝顔はそう呟いて、左手をレディーデビモンに向けて伸ばす。そして、何かをつまむ様に持った右手を手首につけた。
ぽうと右手に光が灯り、光が一度脈打つと朝顔の全身を光が走る。数度光が全身を駆け巡った後、着ていた服は光に溶け始め、溶けた分だけエンジェウーモンと同じ服がその身体を覆っていく。それが終わると翼のないエンジェウーモンの様な姿になった。
左腕を包む長手袋から生えた翼が弓の様になったのを見て、朝顔は右手を引いた。
右手の光は矢の形をなして、つまむ様に持った手を離すとその勢いに周囲にすさまじい風を起こしながらレディーデビモンに向けて飛んでいきそのボロボロのマントを掠めて逸れた。

『(まだ、翼一枚出てないのに十分完全体を殺せる威力をしてる。)マーキュリ、帰りましょ』
「……今のはレディーデビモンが悪いよ。意地悪言い過ぎ、風でお腹冷えるかと思った」
『わかったわかった、帰るわよ』
レディーデビモンはそう言ってマーキュリも抱えると、ありったけのコウモリを目眩しに放った。
それに対しても朝顔は弓を構えたままだったが、レディーデビモン達の姿が見当たらなくなり、コウモリも空で適当に炎と消えるとやっと構えを解いた。
構えを解くと朝顔の服も元に戻っていく。
そして、戻るや否や朝顔は満の元へ駆け寄った。
「ごめん、ごめんね満くん! 私が余計なこと考えてなかったら……」
「大丈、ぶ……黒木さんは、そう、み、みんなを助けに……」
満は目の焦点も合わないままそううわごとの様に呟いた。
「その点はもう大丈夫だ。私がなんとかした」
不意にかけられた言葉に、朝顔が顔を向けると片桐が立っていた。
「片桐先生が……?」
「先生、もみくちゃにされながら胞子ってわかったから、学校中の胞子だけ温度を上げてタンパク質を変性させ無毒化した。じき収まる」
「どうやって……?」
「火の魔術は得意なんだ」
そう言いながら片桐は胸元のペンダントをプチと取り、手の中で弄ぶと1.5メートル強の長さの杖に変わった。
「……まぁ『ヒト』として生きてる以上、深く関わるつもりはないが、今回みたいな問題には教師として対応する義理がある。わかった時点で相談すること。わかるな?」
そう言いながら杖をまたペンダントに戻すと、片桐は満の背中を覗き込んだ。
「……保健室行くか?」
「大丈夫、です……ちょっと貧血気味ですけどもう大丈夫……」
満はふらふらと立ち上がって震える手でピースを作ってみせた。
「いやそれよりその背中がな……? パンク過ぎる」
「先生! 満くんと私は早退します!」
そう言いながら朝顔は破れに破れた満の背中を隠す様に抱きついた。
「……早退は他の痙攣してた子達も何人かしてるからいいとして、流石にそれは無理があるだろ。白衣貸してやるから、羽織って帰りなさい」
白衣を脱ごうとした片桐は、その場で白衣の裾を踏むと、満と朝顔に向かって体勢を崩した。
「すまん……足が引っかかって」
そう言う片桐の胸の下には満と朝顔の顔があり、さらに下に咄嗟に二人を受け止めようと割り込んだバステモンの胸があった。
その状況に朝顔はわなわなと震えると、バステモンの胸を一度ペシと叩いた。
弾力ある胸はその勢いにはね、バステモンは困惑し、満は何かフォローしようと思ったがくらくらと頭が揺れる感覚に負け、朝顔に向けて倒れ込む。片桐はこめかみをおさえて本当にすまんと呟いた。
ギャー! この子金色もとい銀色の闇ィーッ!? ミステリアスな美少女エネミーとして暗躍するのかと思えば普通にモノローグある上、なんか愉快なことばっか考えてる理不尽。完全にルフィサンジウソップを同時に相手にした空島のサトリの気分だ。コイツもバカなのかーッ!? というかカラコンはともかく染めてたんかイイイイイイイ。
地の文に記されるクラスメイト達の台詞が本音駄々洩れなのがシュールでしたが、鍵括弧ついても結局本音駄々洩れで最早笑うしかなかった。また満クンと朝顔サンに同時に親友キャラ出てきましたけど、どっちにしろ愉快な奴らだった。コイツら今後それぞれに単独の見せ場無かったら、最終的に気付かない内にコンビorカップル化してるのは間違いない。まあサイテイ君はどっかで活躍して「見事な活躍! お前はサイテイではなくサイジョウだぁ!(苗字的に」展開が来てくれると嬉しいですが、しかし多分こっからもっと変なクラスメイト出てくる確信がある。やたらコケてスカートに頭ツッコませてくるハレンチな風紀委員は確定でしょうなぁ。
そげキングをウソップと見抜けないルフィばりの認識能力の朝顔サンで草。と思ったら挿絵込みでマッシュモン使いかと思ったらレディーデビモンもいんのか!? うおう二話にしてピンチだと思ったら生身でホーリーアロー!? まさかエンジェウーモンのメモリ!? アンタあの町の人間だったのか!? ちょうどレディーデビモンと対になる存在だったんですなぁエンジェウーモン。いずれ宿命合体マスティモンになったりする……?
先生セクハラされないと済まないのか一話一セクハラがノルマになるまである。乳と乳に挟まれて圧殺されるわ!
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
あとがき
Q1.なんで朝顔さんこんな余裕ないの?
A.常々満くんがラッキースケベしてるから、(自分の気持ちが色欲か判断つかなくて)満くんが好きだとか言わないから、朱砂さん美人だから、エンジェウーモンとバステモンの見た目、焦らせてくるエンジェウーモンなどのせいです。
Q2.なんで満くんは余裕あるの?
A.朝顔さんが自分を好きなのがわかりやすいからまぁ……それに対して好きだと言えないのは自分の好きが色欲のそれじゃないかって真摯に向き合おうとしてるから、というのもあるし、朝顔さんがむっつりなのを少し察してるので、自分が抑えなきゃ色欲エンドになると思ってる節もある。
というわけで存在してない質問に勝手に答える質問コーナーも終わったところであとがきです。
一応本筋も進めてく様な回でした。サブヒロインの定義とは?みたいなアレがありますが、個人的にはこのジャンルだとほぼレギュラーの女性且つサービスシーンのあるキャラというつもり……
銀水朱砂さん=マーキュリさんですが、まぁこれははい、まぁそういうことです。レディーデビモンカラーですね。
さて、とりあえずこれで、味方と敵とわちゃわちゃする土台はできました。
今一番不安なのは各キャラの好感度ですね。満くんが応援されるよりも哀れみの目で見られてそうで……
ここからは基本、本人達はわりと真面目に、側から見ると滑稽に戦いつつハレンチしてもらう感じでネタがあれば書いてくかなぁというところ……本筋を進めようとすると必須イベント以外は突然二年生がスキップして三年の三月とかになるので、あんまり深く考えずに行きます。
次は、マラソン大会あたりにするか、バレンタインの話をするか……