【 第一話・一 】
なんの変哲もない、心地いい晴れの日だった。ゴールデンウィークも明け、日常が続いていた。朝のテレビでは今流行りのVRゲームについての特集が組まれている。『話題沸騰! 本当にそこにいるかのような臨場感……エヴォリュシオンの世界の不思議に迫る!』という文字が液晶に浮かんでいた。ぼんやり見つめる目に明るさはない。全く興味がないからだ。手を合わせ、ごちそうさまの挨拶をすると、渡瀬拓海は学校鞄を背負い外に出た。日差しは、初夏の朝の晴れ間の白さを帯びていた。
エヴォリュシオンは、テレビで報じられている通り今一番熱いコンテンツだ。インカムにも似た小さな端末を耳に挿し、取り付けられた短いコードを耳の裏やこめかみに貼り付けて接続する。あとはボタンを押すだけで、あっという間に異世界に旅立てる……らしい。エヴォリュシオンの中で待ち合わせをして、友達と宿題をしたり放課後に遊んだりする同級生もたくさんいる。中に立ち並ぶ様々な店では、ゲーム内通貨を用いて実際に買い物をすることもできる。食事を頼めばその場で食べることもできて、バーチャル空間で食べているのに実際に味も食感も鮮明に感じ取れるという話だ。学校まで十五分の道のりを行きながら、青々と繁る木の葉を見上げる。拓海は、今この肉体で感じる清しい風が好きだった。
教室のざわめきは苦手だ。この中にいるとうまく息ができなくて、自分が自分であることを忘れてしまいそうになる。特に今年のクラスは拓海には合っていないようで、意識を遠くに置くので精一杯になってしまう。進級してひと月が経つが、いまだに馴染めそうにない。早く休み時間が終わらないかな、こんなこと考えているのは自分だけかな。孤独は苦手じゃないけど、孤独感は募るばかりだ。
私立星埼小学校は、長い歴史を持つ小中高一貫の学校だ。中学校の校舎は小学校の校舎と同じ敷地に建てられ、中学生とすれ違う機会も多い。高校はここから少し離れた、最初に学校が建てられたという土地に今も建っている。拓海はこの学校の五年一組に在籍する、少し大人しい雰囲気の少年だ。結べばぴょこんと短いしっぽができそうな長さの髪をしていて、前髪は少しばかり伸ばされている。澄んだ色の茶髪はミルクチョコレートを思わせる甘い色合いだ。透き通るような水色の瞳は、凛々しくやや吊り上がってクールな印象を帯びていた。無表情で無感情的だとよく言われるが、それは教室が好きではないからだ。趣味仲間と一緒にいる時はよく笑い、ふざけてじゃれ合ったりもする、ごく普通の少年である。
午後の授業が終わり掃除を済ませると、拓海は荷物を抱えて足早に教室を後にした。教室はあまり居心地が良くないけれど、拓海には別の居場所がある。早く家に帰って、楽しい放課後を過ごしたい。拓海の頭の中はそのことでいっぱいだった。
星埼小学校のあるこの街は海に愛されている。遠く伸びる水平線が学校からでもよく見えた。吹いてくる風も心地がいい。朝には十五分かけて歩いた道のりを走って十分で帰宅する。両親は仕事で、拓海が帰る時間には家にいないことが多かった。制服である濃紺のノーカラージャケットから鍵を取り出し、慣れた手つきで差し込んだ。帰宅の挨拶もせず靴を脱ぎ散らかしてまっしぐらに自室へ向かうと、拓海は学校鞄を椅子の上に置いた。脱いだジャケットを学校鞄の上に放り投げると、そのまま上だけパーカーを被って趣味用の荷物を背負う。この間わずか一分である。拓海は鍵を掴むと、再度自宅を飛び出した。
学校から数分、自宅からだと二十分と少しかかる大きな公園の奥の方にその場所はある。拓海が頻繁に通っている、スケートボードパークだ。屋内外に作られた多彩なコースは初心者から上級者まで誰でも楽しめる作りになっていて、スタッフもいい人ばかりだと評判がいい。公園の中央部からはそれなりに離れているはずなのに、いつもここまで噴水の音と公園の賑わいとが届いていた。この喧騒は少しも嫌いじゃない。パークに近づくにつれ、他の利用者の滑走音が拓海の心を揺らし急かした。窓口に利用者証を出し料金を支払うと、顔馴染みの窓口のおじさんが気さくに挨拶をしてくれた。軽く挨拶を返し、拓海もコースへ入っていく。端に置かれたベンチでプロテクターやヘルメットを身につけると、拓海はその日の滑走を始めた。
スケートボードが好きだ。ひとりで黙々と技を磨き、アクションを極める。風に溶け、天と地の境も失いながら、青い空と白いコースの中をぐるぐる巡る。体が傾いて、恐怖と高揚とに一挙に包まれる瞬間が好きだ。できなくて悔しい思いをすることもあるけれど、拓海はそのもどかしさも含めてスケートボードを楽しんでいた。ひとりでいるのが好きなわけではない。それでも、クラスメイトにはそれぞれの趣味や嗜好があり、友達がいるのだから、無理にこの場所で一緒に遊ぼうなんて考えたこともなかった。この風の冷たさと着地の確かな衝撃は、仮想現実ではなく確かな現実だ。それにSNSを開けばスケートボードで繋がった知り合いがいるのだから、学校や仮想現実の中にそうした仲間を求める必要性が無かった。
休憩がてらベンチに腰掛け持ってきたジュースにそっと口をつけて一息つくと、拓海は空を見上げた。いつもと変わらない青い空だ。コースにはいつもはもう少し人がいるはずなのに、いつの間にか皆帰って拓海ひとりになっていた。スケートボードの走る音がないことが、少し寂しい。公園のざわめきが遠くに聞こえた。ペットボトルの蓋を閉めてもうひと滑りしようかと立ち上がる。拓海のいなくなったベンチに、ひとりの少年がそっと腰掛けた。
こうして滑っているとどうしても時間を忘れてしまう。日が薄く傾いてきた頃になって拓海はやっとスケートボードを降り、プロテクターを外した。帰りの荷物をまとめようと先ほど休んだベンチに寄ると、少年がひとり、そこに座っていた。名前はもちろん知っている。記憶を辿り、小さく声に出した。
「あ、えっと……松山くん」
「よっ」
「あ、うん」
松山朝陽。拓海のクラスメイトの少年だ。短く切られた少し癖の入ったブロンドの髪と、大きく無邪気そうな目が特徴的な元気な少年だ。黄金の瞳は大きくていつでもきらきら光っていて、綺麗だとも怖いとも思えた。学校指定のジャケットはいつ見ても着ていなくて、スタンドカラーのシャツの上にビビッドなピンクのセーターをいつも身につけていた。今年初めて同じクラスになったから、こうして話すのは初めてかもしれない。朝陽はクラスの中心にいつもいて、明るくて、人が好きで、自分とは違う。拓海は彼を中心にできる輪を見ながら、いつもそう考えていた。
「拓海って、いつもここでそれしてんの?」
朝陽は拓海のボードを軽く指差しながら言った。その声には純粋な好奇心が浮かんでいて、拓海は距離を測りあぐねながらもそっと答えた。
「うん。まあ」
「いいなー、かっこいいなー、それ」
「ありがとう。松山くんは」
「朝陽でいいよ」
「あ、朝陽は、どうしてここに?」
「拓海ってさ、いつもひとりでいるじゃん? だから気になっててさー、で、さっきそこで遊んでたら入ってくの見えたから、皆と別れてから見に来た」
朝陽は自分とは違う世界の人のようだった。少年らしい無邪気さと好奇心と明るさを一身に抱きながら、人のことをさりげなく気にかけていることがこの短い会話からも伝わってくる。いつも教室の中心で友達に囲まれているのは、彼が嫌な求心力を持っているからではなく、ただ、いい奴だからなのだろう。憧れの気持ちが小さく湧いて、拓海は無意識に自分の胸を押さえた。
「俺、もう帰っちゃうけど……あ、朝陽も、一緒に帰る?」
「おう!」
荷物を抱え、朝陽と一緒に歩く。傾く夕陽は、静かに海の中へ融けかけていた。
公園の中を通りながらぽつぽつと会話を続けた。朝陽は会話が上手かった。丁寧なパスとキャッチを繰り返してくれる朝陽に乗せられて、つい何もかも話してしまいそうだ。話すのは苦手なはずなのに、朝陽が相手だと不思議と会話が続く。新しいクラスになって一ヶ月、朝陽のことをなんとなく怖いと思っていたけれど、全く怖い人では無かった。それが分かっただけで、明日から少しは安心して登校できそうな気がする。
公園の中は驚くほど静かだった。普段ならもっと人がいるし、まだ帰りたくないといった様子の子供達も歩いているはずなのに。違和感が胸のうちに生じると、そればかりが気になって仕方がなくなる。緑の中を抜けて公園の中央に置かれた噴水のあたりまで来ると、その違和感は更に大きくなった。
「なんか今日、静かだよね」
「あー、確かに。さっきまでは結構人いたんだけどなー?」
ふたりの耳を満たすのは、噴水の噴き出す音とわずかな風鳴りだけだった。三段重ねになった大きな噴水の周りにはいつも誰かがいて賑わっているのに、この光景は拓海の目から見ても明らかに異常だ。朝陽もそう思っているのか、大きな目に警戒の色を宿している。一層強く風が吹き抜けていく。日は傾き、じっくりと空を焼き、太陽の軌跡が空にとばりをかけた。
不意に、水の吹き出す音が止み、風鳴りが息を止める。消えた噴水の音に気を取られて振り向くと、噴水の形が歪にずれていた。まるでそこに一本の亀裂が走ったみたいに、噴水がひび割れ斜めにずれている。明らかに非現実的な光景だ。これは、一体なんだろう。何が起こっているのだろう。亀裂からは光が溢れている。朝陽と拓海は、逃げ出すこともできずその場に立ち尽くしたまま、溢れた光に飲まれていった。あまりの眩しさにぎゅっと目を瞑る。恐怖に息も忘れたまま、ただ早く眩しくなくなれと祈っていた。
【 第一話・二 】
やっと光が消え、瞼の裏の暗闇だけが拓海の眼球を包んだ。そっと目を開けると、強く閉じていたせいで目の前がチカチカした。二、三度瞬きして辺りの様子を伺う。拓海は見たこともない建物の前に立っていた。空は青く、先ほどまでの夕焼けなどまるで忘れてしまったかのように透き通っている。公園の深い緑の匂いはどこからもせず、砂を孕んだ熱っぽい香りが拓海を満たしていた。
よく見ると隣には朝陽がいた。隣に誰かがいることにも気づかないくらい気が動転しているようだ。一体何が起きたのだろう。ここはどこなのだろう。夢でも見ているのだろうか。
「拓海、拓海だよな」
「ああ、うん……ここ、どこなんだろう……」
「俺も、分かんない……」
朝陽も置かれた状況がうまく飲み込めていない様子だった。周囲の観察を続けると、周りには似たような建物がいくつかあるのが見えた。童話のような趣の丸屋根の建物だ。ここはどこだろう、自分の家はどこにあるのだろう。どうしたら帰れるのだろうか。朝陽も同じことを考えているようで、空中で視線がかち合う。その目は不安に揺れていた。
「扉、開けてみようか」
拓海が言うと、朝陽の目が見開かれた。返事に困っているみたいに視線を泳がせて、はいでもいいえでもない音を出している。いたずらに心を揺らしてしまったのかもしれない。謝ろう、と思った時、扉は内側から不意に開かれた。軋んだ音を立て開く扉に心臓が跳ねる。思わず後ずさると、中からは見たこともない生き物が、キラキラとした目をして現れた。
「ほら! おれの言った通りだったろ? エリスモン!」
「ほ、ほ、ほんとだ〜! これが人間? すげー!」
ハリネズミによく似た生き物が驚嘆の声を上げる。得意げな声を出した生き物は鳥のようだ。全身がゴツゴツとした黒い岩に覆われたようになっている。ハリネズミの空色の目は拓海を、鳥の黄金の目は朝陽をそれぞれ、じっと見つめていた。やがて、鳥のような生き物はひとつ咳払いをしてから話し出した。
「おほんっ! 人間のみなさん、よくお越しくださいましたっ! えーっと、なんだっけ……。そうそう、ようこそデジタルワールドへ! おれはヴォーボモン、そしてそっちのはエリスモン!」
「エリスモンですッ!」
「おれたちは人間に会いたくて、これまで頑張ってきました!」
「そしてついに、人間に会うという目標が叶ったのです!」
ドヤ顔と形容するに相応しい表情を浮かべたふたりを、拓海と朝陽のふたりはポカンと見つめた。デジタルワールドとはなんだろう。この生き物はなんなのだろう。もしかして、エヴォリュシオンのクローズドスペースか何かだろうか。だとしたら明らかにファンタジーな生き物が目の前にいる理由もなんとなく分かるような気がした。
「人間に会いたかった、って?」
「まーまー、座って。あとからあとふたり来るから、そしたら話、するからさ!」
エリスモンとヴォーボモンのふたりに促されるまま椅子に座り、振る舞われた飲み物に口をつける。蜂蜜を溶かしたような優しい甘さが体に沁みた。心は未だ警戒しているが、とりあえず言葉が通じるだけよしとしたかった。エリスモンの鼻がしきりに拓海に触れている。もしかして興味があるのだろうか。そっと声をかけると、エリスモンは驚いたように拓海を見た。
「俺の名前は、拓海。飲み物、どうもありがとう。俺たち、どうしてこんなことになったのか分からなくて怖い気持ちでいっぱいだったけど、少し落ち着いたよ」
「本当か!? よかった〜! あのね、後で理由説明するけど……でも俺たち、悪いことしないデジモンだから!」
「……デジモン……?」
エリスモンはどうやら少々シャイな性格らしい。気持ちは痛いほどよく分かるので、先ほど朝陽が拓海と話してくれた時みたいに、優しい話し方を心がけた。そのお陰か、エリスモンも少しは安心してくれたようだった。
こんなところに来てしまった理由はまだ分からないけれど、彼らは何か知っているようだ。デジモンというのがなにか、ふたりにはまだ分からないけれど、エリスモンのシャイなところは自分に似ている。もう少し話をして、彼を知ってみたいと拓海は思った。ヴォーボモンと朝陽も上手く打ち解けてきたようだ。話し声が楽しげに弾んでいた。
そうして出された飲み物を飲み切った頃、扉を二、三度打つ音がした。緊張の面持ちで扉を見つめる拓海と朝陽の心境とは裏腹に、エリスモンとヴォーボモンのふたりは急いた様子で扉を開けた。そこにいたのは、ふた組のデジモンと人間だった。
「あ! 夢じゃん!」
「松山くんに、渡瀬くん?」
ふたりの人間のうちのひとりは、朝陽と拓海の同級生である天花夢だった。桜を思わせる淑やかな薄桃の髪と若葉色の瞳の少女で、ふわふわしたボブ丈の髪をいつも後ろでひとつにまとめている。前髪は目の上で綺麗に揃えられ、長いまつ毛と淑やかな表情が印象的だ。丸襟にフリルのついたピンクのブラウスの上にパステルイエローのセーターを着て、下には制服のスカートを履いていた。白のハイソックスと黒のストラップシューズも相まって、可愛らしく清楚な印象の女の子だ。朝陽や拓海と普段交流はないが、女子と一緒にいるところはいつも見かけている。身長は女子の中でも低い方だと思う。
「じゃあ、プロットモンの言う他の人間って、松山くんたちだったんだ」
「そーみたいだな。その子、プロットモンって言うの?」
夢は腕の中に子犬のようなデジモンを抱いていた。首には金の輪を巻き、瞳は拓海たちを見透かすようにこちらに向いている。何もかも暴かれてしまいそうな眼差しに、思わず目を逸らした。
「うん。そう」
「よろしくね」
夢の後ろに立つもうひとりの人間は、星埼中学校の制服である濃紺の学ランを身につけていた。きっちりとした着こなしだが、袖がやや余っている。深い夜を思わせる髪は僅かに癖が入っていた。目にかかるかかからないかというほどの長さの前髪は中央で分けられていた。少しミステリアスな雰囲気だ。赤みの入った淡い紫の瞳からはどうにも感情が読み取れなかったが、時折不安げに揺れているのが、拓海から見ても分かった。
「あーあー、八雲、一番年上なのね! もしなんかあったら、せきにん、じゅ〜だぁい」
「ツカイモン……はあ、分かってるよ。……僕は暁星八雲。星埼の中学校に通ってる一年生」
「あたしはツカイモン! よろしくね」
八雲が肩に乗せていたデジモンはツカイモンと名乗った。深い紫の体色で腹部は白く、瞳は夜空に輝く月のように鈍く光っていた。頭部についた羽のような器官を時々動かしている。小さいくせに、表情や声には妙な艶があった。
「……で、えっと。説明、してくれるんだよね? エリスモン」
「もちろん! 夢と八雲も座って、座って!」
促されるまま朝陽と拓海の向かい側にふたりが掛けると、デジモンたちは机の上に上がり拓海たちの顔をじっと見た。
「俺たちは、デジモン! この世界に住んでる生き物で、人間とは色々違うみたい。俺たち、人間のことあんまりよく分かんないけど……ウェヌスモンさまが言うには、違う世界の生き物らしいんだ!」
「ここはデジタルワールド。上のそのまた上の神様によって作られた世界。あなたたちの世界にも、電脳世界があるんでしょう?」
エリスモンとプロットモンのふたりが口々に言う。どうやらここは作為的に作られた電脳世界で、そこに生きる生き物がデジモン、らしい。つまりはエヴォリュシオンのような仮想現実の世界をもっとリアルにした世界、ということだろうか。それならば先ほどの拓海の推測は当たらずとも遠からずということになるだろう。
「スマホっての、出してくれよ!」
ヴォーボモンの一言に、それぞれがスマホを取り出す。拓海がホーム画面を見ると、そこには見たこともないアプリがひとつ、いつの間にかインストールされていた。
「でぃー……べね、れ?」
「そ! 『D-Venere』。ウェヌスモン様が、お上の神様に言われてお作りになられたの。この世界の地図、生きるもののデータも入っていて、こっちの世界とあなたたちの世界を行き来するのにも使えるの。それから、そこにあたしたちのデータを登録することで、あたしたちは一緒にあなたたちの世界に行くこともできるわ」
起動したアプリケーションの画面にはいくつかのアイコンが並んでいる。それぞれのアイコンの下には地図、図鑑、ゲート状態、パートナー、通信……などと文字が書かれていた。言われるがまま、試しにパートナーのアイコンをタップすると、情報欄が空欄になった身分証のような画面が表示された。
「私たち、あなたたちのうちの誰かと引き合いパートナーになるのよ」
プロットモンの声には期待と不安が滲んだ。この中の誰かと、パートナーになる。拓海は咄嗟にエリスモンを見た。彼の双眸もこちらに向いている。エリスモンと共にスマホの画面を覗き込むと、軽いSEが鳴り画面が光った。空欄だった部分には謎の記号が並んでいる。デジモンの文字なのだとエリスモンが教えてくれた。
「拓海、拓海のパートナー、俺みたい! よろしく!」
差し出された手を、そっと握る。まるで友達ができたみたいな気持ちになって、心が不思議とそわそわした。同時に、朝陽がヴォーボモンと、夢がプロットモンと、八雲がツカイモンとそれぞれパートナー関係を結ぶと、ツカイモンが話の続きを始めた。
「あたしたち、ある夜にそれぞれ聞いたみたいなの。変な隙間があってね、そこから声がしたのよ。ウェヌスモン様の声よ。ウェヌスモン様っていうのは、こことは違うデジタルワールドの神様ね。遣いなんですって。ウェヌスモン様の言う通りに、あたしたちは声を聞いた他のデジモンを探して、出会ったのよ。あたしなんて、はるばる闇の世界からここまできたんだから」
「この辺は狭間の世界って呼ばれてるんだ。んで、向こうの方にある門の中が光の世界。真逆の方向にある、深い階段を降りていくと闇の世界があるんだぜ。このデジタルワールドには、大きく分けてこのみっつの世界があるんだ」
ツカイモンに続いてエリスモンが説明を続ける。
「ウェヌスモンさまやその上の神さまは、この世界には直接何かするってことができないんだって。だから俺たちがウェヌスモンさまの言う通りに代わりに儀式をして、人間をこっちの世界に連れてきた。それで来てくれたのが、拓海たちってこと!」
「えっと、連れてきて、それでどうするの……?」
「『人間とデジモンとが絆を結ぶ時、大きな力が生まれるでしょう』。ウェヌスモン様はそう仰ったの。今、私の生まれ育った光の世界と、ツカイモンの生まれ育った闇の世界が戦いを始めようとしている。大変なことよ。そうしたら両方の世界の住民だけでなく、その間に置かれたこの狭間の世界の住民も、とても苦しむことになる。だから私は止めるための力が欲しいの。お願い、夢。力を貸して」
プロットモンはパートナーとなった夢の目を見ながら言った。その瞳と声には確かな使命感と正義が燃えていた。
「おれは、強くなって空を飛びたい!」
「あたしは闇の女王になるわ。ひとりで強く立ち生きる女王様になるの」
「俺は、この世界の全部を見てまわりたい! なんでも知りたい! きっともっと大きな空や、綺麗な場所が、いっぱいあるはずだから!」
口々に言う彼らの言葉に拓海たちは打たれた。世界を救う力をあげたい。空を飛ぶ手伝いをしたい。ひとりで立てる強さを知りたい。大きな空、綺麗な場所を見てみたい。パートナーと自分との間にある同じ気持ちに気づいた時、考えるより先に言葉が出ていた。短く答えた子供達の言葉に、それぞれが歓喜を表現した。
知らない世界の知らない生き物である彼らと出会い、手と手を取り合った。まだこの世界についても彼らについても分からないことだらけだけれど、彼らが確かにここに生きていて、求めてくれていて、自分も一緒にいたいと思えるのなら、今はそれだけでいいと拓海は思った。
「あ、拓海! D-Venereで『ゲート状態』を確認してくれッ!」
「え? う、うん」
エリスモンに言われた通りアイコンをタップする。画面には『開放』の二文字と残り三分と少しを示すタイマーが表示されていた。
「あと三分って……」
「やべ! ゲートが閉じちゃう! 閉じたら次、いつ帰れるか分かんないんだ!」
エリスモンの言葉に思わず四人が立ち上がる。案内されるまま部屋を飛び出し走った。帰路だという亀裂は村の教会の中にあった。来た時と同じように空間に突如現れたかのようなひび割れが浮かんでいる。景色がずれ、歪み、隙間からは深い闇が見えた。スマホをかざして、という指示通りにすると、足元に闇が這ってくる。そのまま四人は来た時と同じように目をぎゅっと瞑った。
【 第一話・三 】
顔を冷たい空気が撫でていく。目を開けると、そこは見慣れた公園の噴水の前だった。噴水は水を止め、無機質なオブジェとしてそこに立っている。風は夜の冷たさを孕んで吹いた。日はもうすっかり沈んでいる。手元で光るスマホの時計は十八時五十分を示していた。もう帰らないとまずいのに、少しも体が動かない。
「拓海!」
拓海の硬直を解いたのは、エリスモンの明るい声だった。今までのことが夢ではなかったことを彼の存在が証明してくれている。拓海はエリスモンを抱き上げ、他の三人の顔を見た。皆それぞれ、さまざまな感情を顔に滲ませている。連絡先を交換しておかないか、という八雲の提案にハッとして、メッセージアプリを開いた。エリスモンはその様子を興味深げに観察している。それから公園を出るまで、会話はなかった。信じられないような出来事を経験した後なのだからそれも仕方のないことだろう。朝陽もすっかり黙りこくっている。街灯の下を黙々と抜ける間、拓海は腕に抱いたエリスモンの熱だけを、ただじっと意識していた。
公園の出口へ着くと、朝陽と八雲は駅の方へ向かうと言うので別れた。夢と同じ方向へ帰ることとなった拓海は、変わらず言葉もないまま歩いた。先に口を開いたのは夢だった。
「渡瀬くん」
「えっと、拓海でいいよ」
「じゃあ、私のことも夢って呼んで。拓海くんは、プロットモンの言ったことについてどう思う?」
プロットモンは夢の腕に抱かれたまま拓海を見た。その顔は少し不安げで、答え方に困る。先ほどは目を逸らしてしまったけれど、今回は逸らさず向き合ってみたかった。エリスモンは外が見えているとあちこちに気を取られるみたいだったので、鞄の中に入れて背負うことにした。
「戦いが起きるってこと? それは……とっても悲しいと思う」
「止めたい?」
「それは……止められるなら、もちろん」
「よかった……ありがとう。それが分かっただけで嬉しい」
夢はふんわりとした笑みを拓海に向けた。プロットモンも安心した眼差しを拓海に向けている。学校の前辺りで夢と別れると、拓海は自宅まであと十五分の道をじっくりと歩いていった。
◇
母には帰宅が遅いことを心配され、父には一言注意された。もう夕飯の時間も過ぎているので当たり前のことだ。エリスモンを部屋に入れ、物音を立てないようにと言いつける。帰宅が遅くなった理由は、スケートボードをしていたらクラスメイトに会って話が盛り上がってしまったからだと説明した。今までクラスメイトと遊んだ報告をしたことがなかったからか、両親の眼差しが途端に優しいものに変わる。もしかして学校に友達がいないことで、今までいらない心配をかけていたのだろうか。
部屋の電気を付けると、エリスモンが拓海の机の下からひょっこり現れた。ネットで知り合った人と通話することはよくあるが、できるだけ気づかれないよう小声で話をした。バレたらなんて説明するか、なにも思いついていないのだ。
「拓海の部屋、面白いものがいっぱいだー!」
「そう? 変わったものは、何も無いと思うけど……」
「これは、何に使うんだ?」
「これはスケートボード。乗って滑るおもちゃだよ」
「俺も乗りたい!」
「また、今度ね」
そう言いながら軽く頭を撫でると、エリスモンは気持ちよさそうに首を伸ばした。なんて心地いいひと時だろう。これから何が起こるかは分からない。エリスモンが強くなるということがどういうことなのかも、デジタルワールドやデジモンが本当はどんな存在なのかも、拓海にはまだ分からなかった。それでも今、自分が彼に感じている友情は本物だ。明日からはどう過ごそう、またデジタルワールドへ行くにはどうしたらいいのかな。戦いって、どういうことだろう。止めるって、どうすればいいんだろう。もし皆の気持ちが真逆の方を向いていたら、自分はどんな場所に立つべきなんだろう。エリスモンと過ごす未来は不安と期待が半分ずつで妙に心がゆらゆらする。今まで考えたこともない未来が、彼らとの出会いで拓かれた気がした。
早く明日の支度をしないと。そう思うのに、エリスモンとの会話は月が高く上がってもまだ、続いていた。
続
こんにちは。類と申します。
実はどくむしさんの作品は既に拝読していたのですが、「洒落た言葉や言い回しはできないし、サロンの新参者だし、snsで繋がってそんな経っていないし……そんなのが直接感想を送って大丈夫か?」と思い、迷っていました。ですが、貴方の作品が好きだという気持ちと、感想は送れる時に送らなければと思い直し今回、拙いもので申し訳ありませんが、感想をお送りします。
「金冠」設定及び第一話、素敵な作品です!設定は勿論、登場人物、もの、風景、内面、全ての描写が最高です。
特に、スケートボードに乗っているシーンの描写が大好きです。「青い空と白いコースの中をぐるぐる巡る」という一文がいいですね……。
異世界への転移と、デジモン達とや仲間達との出逢いはやっぱり良いですね……デジモン達が本当に可愛いです。
プロットモンの、「何もかも暴かれてしまいそうな眼差し」という描写に、澄み切った光のような美しい目を想像しました。
ツカイモンに対する、「表情や声には妙な艶があった」という一文に、将来の片鱗を感じさせます。
設定では、ヴォーボモンについてですが、チリソースがかかったものが嫌いという所に驚きました。炎系のキャラクターは、からいものが平気だったり好物な人が多いイメージなので、個人的に「意外だ」と感じました。
プロットモンはツカイモンが苦手で、ツカイモンはプロットモンに対して興味無いという関係も良いですね……。
澪さん、クールな女性が大好きなので、登場が本当に楽しみです。
それでは、ここで拙い感想を終わりとさせていただきます。
どうか、自身を大切に、貴方の好きなように創作活動をしてください。これからも、応援しております。
長々と失礼しました。
初めまして、夏P(ナッピー)と申します。登場人物紹介と合わせて拝見しましたので感想を書かせて頂きます。
エヴォリュシオン、所謂仮想現実ですが敢えて提示されたということはデジタルワールドと今後絡んでくる流れなのでしょうか。エヴァン〇リオンのようなエ〇ォリアンのような響きを想像しますが、現時点の登場人物の中ではこちらにハマってる側の人間はいないっぽい……? むしろ拓海君は現実世界で没交流かつ大人しい男の子とのことなので、てっきり「現実世界と違ってこっちの世界では僕は無敵なんだ!」というのび太の夢幻三剣士理論で入り浸っている側とすら予想しておりました。というか、デジモンお馴染みの“た”から始まる主人公ながら大人しい側なんですね……と思ったら、黙々とスケートボードをやる熱い心を持っていた。
デジモン小説の1話と言えば、突然謎の成熟期か完全体が襲ってくるイメージがあるもので、世界が歪み始めた時は「来る!(※来ない」と警戒したものの、1話時点ではデジタルワールドの説明とメイン(?)四人+四匹の紹介でした。朝陽君は名前通りクラスの陽の者にも関わらず場の空気を乱すこともなく、むしろ自然に拓海君と仲良くなりつつ順応していったっぽいのでこれはマジで陽キャ。
……ウェヌスモン様!?
神様がまさかの想定外のデジモンで衝撃にして戦慄。エリスモン自体もここの掲示板では初めて使われてるのを見たデジモンですが、これはなかなか新鮮な世界のようで。狭間と光と闇の三つの世界があって、あとその上または別の世界(?)があって……最後の夢ちゃんの台詞がなかなか不穏なものを感じさせます。というか、エリスモンとヴォーボモンが「俺たち悪いことしないデジモンだから」という凶悪な台詞を放ってるので、つまり悪いことするデジモンがいるってことでキエエエエエ。
登場人物紹介を拝見するに、もうだいぶ書き溜められてるそうなので次回もお待ちしております。女子大生がいるうううううう。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。