前回までのあらすじ
光の世界で情報を集めようとデジタルワールドを訪れた一行は、そこでアスタモンと名乗るデジモンと出会う。自分を探偵だというアスタモンは、拓海たちに『デジタルワールドに眠る、なんでも願いを叶える秘宝』の話を教えてくれる。拓海たちが集めた情報を教える代わりに、デジタルワールド内外で様々手を貸そうというアスタモンの申し出を受けた拓海たちだが、デジタルワールドから現実世界ではなくエヴォリュシオン内に帰還したアスタモンとそのパートナー・百合花は何やら不穏な会話をしていて…。
そうとは知らず光の世界の門扉の前までやってきた一行は、ついに新たな世界への扉を開ける。
>>突然のコマーシャル<<
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以上コマーシャルでした。
【 第六話・一 】
プロットモンの柔い声が、硬い扉に吸い込まれていった。遥か天高くまで伸びる門扉は堅牢で、開く気配はない。夢はプロットモンの背を見つめながら、ただ扉が開きますようにと祈った。彼女は以前、光の世界のそばで故郷の匂いがすると言って笑っていた。今も故郷の香りはしているだろうか。夢の鼻には、概念的な草の匂いしか届いていない。プロットモンが今何を思い感じているのか少しでも分かち合いたかったけど、その小さな背は、緊張だけをただひたすらに夢に伝えた。解してあげたい。そう思った夢はそっと、プロットモンのそばに屈み視線を合わせた。空の色の瞳がこちらに向いて、淑やかに笑う。夢も思わず笑った。少しは緊張も解けただろうか。
そうしていると、長い間を置かず優しげな青年のような声がどこからか響いた。兄の声に似ている。よく考えれば全く違うのに、夢はついそう思った。
『プロットモン……息災のようだな』
「……はい。ただいま戻りました、お師匠様。どうぞ扉をお開けください」
『今迎えに行こう。そこでしばらく待っていなさい。人間たちと、ともに』
声の主はこちらからは見えないが、向こうからは見えているようだ。声の主をプロットモンは知っているらしい。夢は心の内側から湧き上がる己の使命というものを確かに感じていた。ふたつの世界の戦争を未然に阻止すること。それが夢の目標であり、プロットモンと共に抱いた使命だ。その第一歩を今から踏み出す。緊張しないではいられなかった。声をかけたくなったけれど、やめておいた。
やがて、門扉は開かれた。と言っても、大きな扉に取り付けられたほんの小さな扉が開いただけではあったけれど。視界に飛び込んできたのは一杯の光と、このデジタルワールドへやってきて初めて見る、賑わった街の楽しげな景色であった。すごいね、と呟く朝陽の声が後ろから朧に聞こえる。中へ入っていくプロットモンに続いて、覚悟を決め一歩踏み込むと、先ほどの青年の声が鋭く、一行を突き刺した。
「……プロットモン」
白いマントを身に纏い雪の結晶を模したような装飾の杖を持ったデジモンは、その凛々しい瞳で夢たちを見つめた。氷のような瞳だとつい思ったけれどそれも一瞬のことで、彼はすぐ雪解けのように柔らかな視線をプロットモンに送った。
「お師匠様、」
「久しいな。何も言わず村から消えたと聞いて、心配していた」
「……申し訳ありません」
「息災ならば良い。話を聞きたいし……旅立つと言うのなら、少し早いが旅立ちの試練も受けさせねばならない。城へ向かうとしよう。他の者もついてきなさい」
白いマントが翻って、デジモンは踵を返す。名前を聞きたかったけれど、どうにもタイミングを逃してしまった。だから光の世界の穏やかな空気の中、脚の疲れも忘れて歩きながらプロットモンに小さく尋ねた。
「……ソーサリモン様。私のお師匠様。私はこの世界で生まれて、しばらくお城で修練をしていたの。よくは分からないんだけど……私には輪っかがあるから修練しないといけないんだって、私には使命があるんだって、長が言っていた。でも、少し前から私、エリスモンの故郷の村で暮らすようになったの。他のデジモンや外の世界とも積極的に関わるべきだって……だから、夢とも会いたかった。人間と……それも、夢みたいに正義感のある素敵な人と出会えれば、私も自分の使命のこととか、少しは分かるんじゃないのかなって。まだ、ピンとは来ていないけれど……でも今は、ともかく戦争を止めることと、皆と一緒に秘宝を探すこと。その中で、私も私の使命を見つけられたらいいな、って、思うの……」
そう言うと、プロットモンは少し恥ずかしげに俯いた。おしゃべりしすぎたと言っていたけれど、夢はプロットモンの話が聞けて嬉しかった。だから夢も、プロットモンの気持ちに寄り添おうと思って口を開いた。
「プロットモン、私も、出会えて嬉しいな。プロットモンの言いたいこと、よく分かるしプロットモンもいつも分かってくれる。同じ気持ち」
そう言うと、プロットモンはまた笑った。
長い階段を登って辿り着いた光の世界の城は、真白の壁に淑やかな金の装飾が施されている。そばには水路が引かれ、緑の芝では見たこともないデジモンたちが憩っていた。木々の合間から溢れる日がなんとも心地よさそうだ。左右対称に造られた美しい白城のどこかオリエンタルな雰囲気を、タージ・マハルに似ている、と咄嗟に思った。
「入りなさい」
ソーサリモンはそう言って真正面の扉を開けた。白の中も外観に負けず劣らず美しく、テラコッタタイルが全面に敷かれた床の、薄色の優しい風合いがなんとも心地いい。窓から入る陽光が柱や床に施された金の細い装飾を照らし光っている。その美しさは外の殺伐とした雰囲気に疲弊した夢を少しずつ癒してくれた。ゆっくりと脳が動き始めると、よそ者である夢たち、特に闇の世界の住民であるツカイモンがこんなに簡単に入れていいのだろうかと不意に思う。それほど堅牢な門扉に自信があるのだろうか。疑問に思っていると、プロットモンが小さな声でこう見えて特殊なセキュリティがいくつもあるのだと教えてくれた。全くそうは見えないが、彼女が言うのなら本当のことだろう。仕組みが知りたい、と思ったけれど、聞くのはやめておいた。
「これから長に会ってもらう。……人間、きみたちがこの世界に及ぼしうる様々な可能性に、我々は期待も警戒もしているのだ。歓待したいが、そうは行かぬ事情もある。気を悪くしていたら、すまないが」
「だ、大丈夫です。むしろ俺たちみたいな外から来た存在を、ここまで入れてくださって、その……信じてくださって、ありがとうございます」
「……すまないな。話さえ終われば、好きに過ごしてくれて構わない。まあ、妙なことをすれば憲兵がすっ飛んでくるがな」
冗談混じりのソーサリモンの声は不思議と夢を安心させる。プロットモンには素敵な師匠がいるのだな、と思うと心の奥が暖かくなった。こうした仕草も兄に似ている。兄もいつも、夢を安心させてくれた。ソーサリモンを見ているとなんだか朧にその感覚が蘇るのだった。
ソーサリモンの後に続いて長い階段と廊下を進む。一際大きく豪華な装飾のドアをソーサリモンがそっと開けた。続いて入るように指示をされ、素直に従う。カーペットを踏みしめながら、部屋に満ちる光を浴びた。玉座と言える場所に座っていたのは、金の髪に獣の耳を生やした、半獣半人とも取れる見た目のデジモンだった。
「人間たち、光の世界へようこそ。プロットモン、おかえりなさい。いつの間にかいなくなったと聞いて、心配していたんですよ。……私はラジエルモン。光の世界を治める者です」
玉座から立ち上がり、ラジエルモンは夢たちの方へゆっくりと降りてきた。大きな足がカーペットを踏み締める。その仕草は長と呼ぶに相応しい余裕と威厳に満ちていた。ラジエルモンは夢たちひとりひとりの顔をしっかりと見ながら名を尋ねた。音を噛み締めるように、そっと名前を呼ばれると胸の内から熱が湧き上がる。美しく柔らかな音色だ。
「光の世界へやってきてからのあなたたちのことは、全て知っています。それが私の能力なんですよ。外のことは……塀のせいで、中々上手く見ることができないのですが。よく来て下さいましたね。先ほども言ったように、外のことは分からないことばかりなのです。是非お話を聞かせて下さい……あなたたちに期待していいのかどうか、見極めねばなりませんから」
ラジエルモンは仮面の奥で穏やかに笑う。その笑みには長としての力強さが確かに込められていた。夢たちは、先ほどアスタモンにした説明をなぞるように出会いから今に至るまでを語った。この世界の平和をどれほど願い、思っているか、夢の弁は特に熱を持って飛んだ。
「そう、ですか……。あなたたちがすでに聞き及んでいるように、ウェヌスモンは本来他のデジタルワールドを統べる神。それがこの神なき世界に介入してくるということは……何か大きなことが、起ころうとしているのかもしれませんね。人間界を含む他の世界との境界が緩み始めているということも、看過できない問題です。その件については、我々も調査を開始します。ですが私たちとてただ手をこまねき戦争の決断をするためにここに座っていたわけではないんですよ。ウェヌスモンほどの方が『選んだ』人間さんなのだとしたら、私はあなたたちを歓迎します。そして、あなたたちにお願いします。私たちが闇の世界と争うことがないよう、どうか手を貸して下さい」
「もちろんですっ! あの、私たちにできることがあるならなんでも仰って下さい、ラジエルモン様」
「んふふ、夢さん。ありがとうございます。あなたの胸の内に宿る正義の心、確かに感じていますよ。……今現在、私たち光の世界は闇の世界との一切の交流を絶って運営されています。それは、終焉の日を迎えたことがきっかけと言われています」
「終焉の……」
「残っている記録が非常に少なく、まだ私も生まれていませんでしたから、語れることは少ないですが……知っている限りを教えましょう。そして、今度こそそんなことが起こらないよう協力して欲しいのです」
ラジエルモンはそう言って、口元に浮かべていた微笑を消した。そっと話し出す声は、鎮魂歌にも聞こえるほど柔らかく、鎮痛で透き通った音色だった。
【 第六話・二 】
「まだこの世界が大きな塀に囲われる前……当時の長であるオファニモンは、闇の世界との平和な関係づくりを目指して様々苦心していたそうです。ですが長を持たない闇の世界との交流や相互理解は難航したようで、うまく行かないことへの苛立ちや相手方からの不理解、数々の心無い言葉、両世界の住民から湧き上がる不平不満……そうしたものに、次第に酷く苦しみ始めました。また狭間の世界も今と同じく闘争心に満ちた危険な者が非常に多く、闇の世界へ行き着くだけでも大変なことでした。光の世界から遠く離れるほど、危険なデジモンが多くなりますから。そうして世界のために尽くす長にもひとり、良き理解者がいたんですよ。そのデジモンの名は、ラグエルモン。文献によると、その役目から誰か特定の者と深い親交は持ちたがらなかったようです。ですがラグエルモンは、オファニモンだけは深く信じ理解していました。彼女ならばいつかきっと、デジタルワールドに真の平和をもたらしてくれることだろう、と。……ですが、その思いは、儚くも打ち砕かれることになるのです」
そこまで語ったラジエルモンは一度天を仰ぎ、声に滲んだ水っぽさをなんとか打ち消そうとした。夢たちは、ラジエルモンが言葉を続けるのをただ待った。そうして長い時間を置かず、またラジエルモンはあの美しい声で話を続けた。
「オファニモンは度重なる出来事と一向に進まない事態、世界中から一身へ飛んでくる苦言や誹謗中傷の数々に、遂に堕天への道を歩み始めました。大きな光の力を持つ者が、闇へと堕ちていく。ラグエルモンはそうした出来事を常に監視し裁かなければならない立場でした。それが、彼女の役割でしたから。ですがラグエルモンは闇に堕ちゆくオファニモンを即座に裁き消滅させられるほど、もう彼女に無感情ではいられなかったのです。ラグエルモンは、あらゆる生命、あらゆる物質、ありとあらゆるものの中で、唯一、オファニモンだけを愛していたそうですから。ですが己の使命として、堕ちゆくものは裁かねばならない。その狭間に置かれたラグエルモンは、ひとつの道を選びます。それが、オファニモンと融合し一体のデジモンとなることでした」
「デジモン同士が、融合……!?」
八雲が驚きの声を上げる。夢も驚いた。デジモンが進化するということすら先ほど知ったばかりなのに、融合までし得るなんて。人間なら考えられない。デジモンには無限の可能性がある、ということなのだろうか。驚く一行を置いて話は続いた。
「ええ。そうして生まれたのが、オルディネモンというデジモンでした。このデジモンに関する記録は、本当にほとんど残されていないのです。残されたわずかな記録から、その誕生の過程と名が分かる程度です。オルディネモンによって、終焉の日はもたらされました。全ての世界は破壊し尽くされ、生命のほとんどは死に絶えました。オルディネモンは世界の終焉と同時に消滅したそうです。……それが、前時代の終焉の日。生き残ったわずかなデジモンたちの尽力により、デジタルワールドは再興し今に至ります。だとしても、ここに生きるデジモンたちがすっかり変わったわけではありません。無策で闇の世界との対話を試みればまた同じことが起こる可能性があります。ですから今は、一切の交流を絶ち、平和を守るため高い塀を建て、新たな計画について話し合っているのですが……。闇の世界や狭間の世界では、戦争をしてどちらかの世界が滅ぶまで戦ってしまえばいいという考えもあるようです。実際城内でも開戦の意思を示すものは少なくありません。仕方のないことです、私たちデジモンは、持って生まれた闘争本能から逃れることはできないのですから。私も一度は、それもやむなしと考えました。ですが、私はあなたを見つけたのです。まだこんなに小さなデジモンだった頃は気づきませんでしたが、あなたはその身にホーリーリングを纏った。あなたがプロットモンへと進化した時、私は確信したのです。『彼女の生まれ変わりなんだ』って……なんて、思い過ごしかもしれませんが。だから、あなたにはオファニモンが果たせなかったことを、果たして欲しいのです」
ラジエルモンの透き通った色の瞳が夢たちを見る。今彼女の瞳に感じるのは、長としての穏やかさと深い慈愛だった。プロットモンに託したいことと、彼女の使命……そのふたつの重みが、夢にもしっかりと伝わっている。ラジエルモンも自分の言葉がプロットモンにどのような影響を及ぼすか分かっているのだろう。その言葉は、声音は、何より優しく、プロットモンを包み込んだ。
「プロットモン、あなたに『オファニモンの代わり』を期待しているのでは、ないのですよ。あなたは己の胸の内にある思いに、素直に従って生きなさい。それがもし、この世界の平和のために精一杯やりたいという思いであるなら……よければ、私も一緒に頑張らせてくださいね。私は人間さんがこの世界に訪れたことを、本当に喜ばしく思っていますから。人間さん、もちろん平和も大事です。この世界全てのためにお手を貸して頂けたら、こんなに嬉しいことはありません。ですが……一番は、あなたたちがデジモンと出会い成したいと思えることを見つけること、それを無事達成できることだと、私は思っています。デジモンとの出会いであなたたちが大きく羽ばたけることを、祈っていますよ」
ラジエルモンはそう言って笑むと、ソーサリモンと小声で話し始めた。ラジエルモンの願いや相談を受け入れるかどうかは、自分たちの手に委ねられた。ここではいつでも自分たちの判断でなにもかもを決めなければいけない。先生の言う通りにしていればいい学校とは違う。その事実に、夢は敢然と立ち向かう決意があった。プロットモンの手を取った時からずっと、揺らがない決意だ。ラジエルモンは夢たちに一礼すると、部屋の奥の扉から何処かへと消えていった。代わりにソーサリモンがこちらへやってきて、ひとつ咳払いをしてから話し出した。
「ラジエルモン様からのお言葉は以上だ。城は、清き者には常に開かれている。いつでも歓迎しよう。……プロットモン、きみには試練に挑んでもらう。旅立ちの試練だ。他の者は、自由に過ごしてもらって構わない。仲間の試練を見守りたいというのなら、案内するが」
夢は真っ先に前に出て、ぜひお願いしますとソーサリモンに願い出た。他の三人も夢に続いてくれて、心が暖まるようだった。どんな試練が課されるのか分からないけれど、プロットモンが乗り越えるべき壁に挑むというのなら、夢はパートナーとしてそれを見届けたい。できる限りいっぱいの応援を注いで、プロットモンの力になりたい。プロットモンが試練を乗り越えて、自分の使命と正義のために広い世界へ旅立てるように、できることをなんでも、全力でしてあげたいのだ。
【 第六話・三 】
ソーサリモンの案内で通されたのは、真っ白な箱のような部屋だった。壁も床も石張りで、空中には謎の光球がいくつか浮いている。窓もなく、どうにも息の詰まる空間だ。ソーサリモンが杖を振るうと光球のうちのひとつが降りてきて、夢たちの前で止まった。ランプの蝋のようにゆったりと形を変えた光球は、やがて気球のゴンドラの形になって夢たちを待った。
「プロットモン以外の者はそれに乗りなさい。……プロットモン、旅立ちの試練を行う。私と戦い、私を打ち倒してみせろ」
振るった杖をピタリ、と止め、プロットモンをまっすぐ見据えながらソーサリモンは言った。その瞳は、先ほどの氷のような眼差しとも、暖かい兄のような眼差しとも違う。師として、またひとりのデジモンとして、プロットモンと相対する覚悟と真剣さの滲んだ瞳だった。プロットモンは小さく頷き、ソーサリモンへ己の意思を伝える。戦うことに関して、プロットモンに忌避感はないようだ。夢は正直戦うなんてしないでいて欲しい。できるなら傷つけ合う以外の手段を選んで欲しい。言葉にしかけた夢を制したのは、振り返ったプロットモンの瞳と言葉だった。
「夢、大丈夫。大丈夫だから、見ていて」
プロットモンはそう言うなり、部屋の中央で師と対峙した。朝陽に引っ張り上げられるようにゴンドラに乗り込むと、ソーサリモンが再び杖を振りゴンドラを高くへ上げた。技は当たらないが様子が見える絶妙な高度なのだろう。光球に混じりゴンドラも部屋を漂う。夢はパートナーの無事と健闘を祈り、高所でじっとしているしかできなくなった。
「プロットモン、準備はいいな」
「……はい、お師匠様」
対峙したふたりは一瞬互いの目と目を見合い、やがてソーサリモンが杖を振り上げるわずかな動きを見せた。瞬間、プロットモンは後ろへ下がり身構える。プロットモンが完全に体勢を作る前に、いくつもの氷の礫が飛んだ。空中を走る冷気が夢たちにまで伝わってくるようだ。今までに見たことがないような俊敏な動きで、プロットモンは氷の間を駆け抜けていく。避けるのはいいが、技を出そうにもソーサリモンの攻撃は激しく防戦一方と言った様子だ。このままでは体力が尽きる方が先だろう。ただでさえここまで随分歩いてきたのだ、この俊敏さもそう長くは持たないはずだった。
「プロットモン、頑張って、プロットモン!」
高所から、夢はプロットモンをひたすらに応援する。この思いを形にせずにはいられないのだ。じっと見ているにはあまりに痛ましい光景だ。このままでは自分のパートナーはなすすべもなく倒されてしまう。そう考えれば考えるほど、焦りの気持ちが湧き上がってきた。
氷の礫はやがて止み、プロットモンは上がる息を整えながらソーサリモンとの間合いを測った。魔法攻撃を長く続けるには相当なエネルギーを使うのだろうか。それも一瞬のことで、ソーサリモンは再び杖を振り上げる。これでは先ほどの二の舞だ。プロットモンの名を呼びながら夢が悲痛な声をあげると、プロットモンは今度はしっかりと踏ん張りソーサリモンの方を見据えた。
「『パピーハウリング』!」
プロットモンが技を放つ。どうやら音波による技のようだ。ソーサリモンは真正面から技を受けて数瞬硬直した。その隙を逃さずプロットモンはソーサリモンへの懐へと飛び込んでいく。爪と牙での攻撃がソーサリモンの顔や腕に直撃したように見えた。自分のパートナーが、こういう場とはいえ誰かを傷つけていることに胸が痛む。本当はやめてと叫びたい。だからその代わり、懸命にプロットモンを応援した。頑張れ、と叫ぶ声が震えていることには気づかないふりをした。
「ふ、甘いな……お前の使う手など読めている。……『クリスタルクラウド』!」
プロットモンが次の技を繰り出そうとしたその時、硬直が解かれたソーサリモンが強烈な反撃を繰り出した。杖先が天を向くと、一挙に雲が広がり冷たい吹雪がプロットモンを襲った。鋭い冷気を纏った雪が、まるで意思を持っているかのように飛んでいく。プロットモンは悲鳴を上げ、冷たさと痛みにのたうち回りながら部屋中を駆け回った。その隙にソーサリモンは杖を両手でしかと持ち、目を瞑った。まるで祈っているかのようだった。ソーサリモンの体は淡い光を纏い、傷が癒えていくのが見える。こんな多彩な技と戦術を用いる相手に、プロットモンは果たして勝つことができるのだろうか。プロットモンはその身にたくさんの使命を背負っている。きっと彼女もその使命のために頑張りたいと思っているし、この世界に昔生きた過去のデジモンのことまで一緒に救いたいと思っているはずだ。夢は、そういう気持ちでいる。
プロットモンはやっと止んだ吹雪にふらふらと立ち上がり、首についた輪を揺らしながらソーサリモンを見据えた。まだ闘志は消えてはいないようだ。息は荒い。それでも、彼女は立っていた。
「あ、はあっ……、ふ……」
「まだ心は死んでいないか。よろしい」
ソーサリモンが再度杖を振り上げる。先ほどよりも溜め動作が長い。強烈な攻撃の準備をしているのだろう。最後まで手加減はしないということか。このまま攻撃を受けたら、なんて想像するまでもなかった。夢の声は痛烈にプロットモンへ飛んでいく。自分でも、どんな声を張り上げているかよく分からなかった。ゴンドラから落ちそうになる夢を、誰かが後ろから支えていてくれた。
「プロットモン、プロットモン! 頑張って! いっぱい、成し遂げなきゃいけないことがあるんでしょう! プロットモンがしたいこと、分かるよ! プロットモン、私、同じ気持ちだから!」
「ゆ、め……夢……! ……私を、信じていて……。お願い、大丈夫、だから……!」
プロットモンの声はか細いはずなのに、なぜか夢までしっかり届いた。お願い、信じていて、なんて言わせてしまうほど、自分はプロットモンを信じられていなかっただろうか。夢とプロットモンは、違う気持ちだったのだろうか。ソーサリモンの技は、プロットモンの技より一瞬早く放たれた。激しい雲が上がる。もう見ていられない、と咄嗟に目を閉じかけたその時、夢は自分がかけた声援の数々や先ほどまでの自分の気持ちを思い出した。
自分は今彼女をどんな風に見守っていただろうか。頑張れと声をかけ、強烈な攻撃にはもうそれ以上しないで欲しいと思っていた。痛ましい光景は見たくないと思っていた。プロットモンの懸命な戦いぶりも、なぜそんなになってまで戦うのかも、勇敢に立ち向かった結果生まれた傷の意味も、夢は見ていなかった。頑張って欲しいのも、使命を抱いてそのために生きて欲しいのも、過去も未来も丸々救いたいのも、どんな理由であれ戦って欲しくないと思うのも、全て夢の気持ちであり彼女の気持ちではない。共通する部分も分かり合える部分もあるけれど、プロットモンがどんな風に、どんな場所で、どんな理由で立つのかは、彼女が感じ決めていくことだ。それを分かっているつもりで、ちっとも分かっていなかった。
「プロットモン!」
プロットモンが技を放つより一瞬早く、ソーサリモンの『クリスタルクラウド』が放たれる。先ほどよりも暗く重たい色の雲が立ち込め、部屋中に冷気が満ちた。
「信じてるから、大丈夫! ともかく、大丈夫だから……!」
プロットモンを子供扱いしていたと思う。小さくて、まだ何も知らず、その体に大きな使命だけを背負い込んだ存在だと勝手に思っていた。思えば夢も同じなのに、夢の周りの人はちっともそんな扱いをしてこなかった。例えば夢が兄に同じように扱われたらどうだろう。夢は今のように兄を尊敬しただろうか。決してそうはならないだろう。彼女も同じなのだ。兄が夢を信じてくれているように、プロットモンも夢を信じ、また信じていて欲しいのだ。ただそれだけだ。パートナーとして自分がするべきは彼女が負ける想像をすることではない。勝てるビジョンを、信じ続けることだ。そう気づいた時、夢のスマホがひとりでにポケットを飛び出しD-Venereが立ち上がった。画面は金色の光を放っている。夜の空に上がる金星の輝きに似ていた。中央に表示されたボタンにそっと触れると、光はプロットモンまで飛んでいき彼女を包んだ。目も開けていられないほどの強烈な光だった。ソーサリモンもその光に思わず目を閉じ、攻撃の手を緩めたようだった。
光が静かに止んだ時、プロットモンの姿はそこには無かった。代わりに、白い大きな耳をして、尻尾に金の輪をつけたデジモンがそこにいた。進化したのだ、と、咄嗟に思った。
「プロットモン……?」
「テイルモンよ、夢。ねえ、見ていて!」
先ほどまでの傷も疲労も感じられないほどテイルモンは身軽に走った。ソーサリモンも目が開き、姿が変わったテイルモンを見てどこか感心したような声を上げている。それも一瞬のことで、すぐに杖を振り上げ氷の技を放った。テイルモンは今度は長い尾で氷を払うようにしながら、まっすぐにソーサリモンへと走り寄った。先ほどとは明らかに戦い方も身体能力も違う。これが進化して強くなるということなのだろうか。夢は目を見開いて、ひたすらにテイルモンを見つめた。もう何も、声は上げなかった。
ソーサリモンはテイルモンと間合いを取りながら、技を放つ隙を窺っている。『クリスタルクラウド』を放つ隙を探っているかのようだ。細かく放たれる氷や雪の技を受けテイルモンは悲鳴を上げるものの、脚を止める気配はない。一挙に間合いを詰め、やがて、ソーサリモンが次の技を放とうと軽く杖を振り上げたその時、ソーサリモンの腕目掛けて勢いをつけて突っ込んだ。
「しまった……!」
杖は遠くへ飛び、音を立てて落ちた。また杖が飛ばされるという事態に気を取られ、ほんの一瞬だけ顔を逸らしたその瞬間、テイルモンは師であるソーサリモンの顔目掛けて、思い切り技を放った。
「『ネコパンチ』ッ!!」
拳を受け、ソーサリモンの体が後ろへ飛んでいく。倒れる瞬間の彼は、柔らかな顔で笑っているように見えた。
ゴンドラを下ろしてもらって地面に降り立つと、テイルモンはプロットモンに戻っていた。そっと夢に歩み寄り笑う。夢が手を差し出すと、彼女は照れくさそうにその手を取ってくれた。ふたりの間に言葉はない。しかし、それで十分なのだと思えた。
ソーサリモンは吹き飛ばされた杖を取ると、夢たちにそっと向き直った。
「プロットモン。試練は合格だ。よくやったな。……様々目的がある旅だろう。達者でな」
「お師匠様も……」
ソーサリモンは不敵に笑い、部屋を出ていく。夢たちはその背を見送ると、プロットモンの健闘に盛大に声を上げたのだった。
……暗い、どこまでも漆黒が続く空間で、ひとりの男が笑う。そこは光に満ちた空間であったかもしれない。常人では何も見えない。兎角、そうした空間であった。
「最初の、進化……なんて愛おしいのだろう……」
男の正体は、定かではない。
続
その歳でタージ・マハル知ってるとは博識……ッ! 夏P(ナッピー)です。
前回のアスタモンとはまた違った、というか真逆の形でこちらのデジタルワールドの成り立ちを知る回ということになりますでしょうか。ソーサリモンの師匠っぷりも然ることながら、ラジエルモンってことはいやつまりだがんじゃん絶対コイツ敵になるんだよと警戒していましたが、その敵になった側のラグエルモンが既に伝承として語られてしまいました。そういえば長、こーいう時だとセラフィモンやオファニモンなことが多い印象でしたがラジエルモンだったのですが、オファニモンもまた既に伝説側の存在ということで、つまりオルディネモンへと融合して終焉を齎した時のオファニモンはルインモードってことかしら……?
そしてそういえばオファニモンに連なる系列のデジモンいるじゃんと思ったら、今回はまさしくそのプロットモンが主役。ソーサリモン師匠が文字通り自ら試練となってくれましたが、一緒についてきてくれたら頼もしいのになぁと思わなくもないのでした。いやついてきたら絶対死ぬポジションだ。ラジエルモン様はプロットモンにオファニモンの再来としての力を期待しているわけではないと言っていましたが、順当にテイルモンに進化したこと、そして冗談も交えながら幾度も「清い心を持っているなら城は来る者を拒まぬ」と言われていたことは逆にフラグになりそうな気もしますね。
最後の“男”は偽ゲンナイ(謎の男)みたいな奴でしょうか……?
それでは今回はこの辺りで感想とさせて頂きます。