・前回までのあらすじ
突如現れた歪みから漏れ出す光に飲まれ異世界に足を踏み入れた拓海・朝陽・夢・八雲の四人は、デジモンと名乗る生き物と出会う。『デジタルワールド』と呼ばれるこの異世界には今、戦争の危機が迫っているらしい。それぞれにパートナーを得た子供達だったが、接し方や考え方はそれぞれ違っていて…。
今後のことも分からないまま現実世界へ戻った四人。拓海と夢は徒歩で帰路につき、朝陽と八雲は駅へ向かった。その最中で、二組はそれぞれに言葉を交わしていた。
・キャラクター解説に、この話から登場するキャラクター(松山夜葉(まつやま よるは))を追加しました。
【 第二話・一 】
拓海と夢と別れ、八雲と駅へ向かう道すがら、朝陽はぽつぽつと八雲に質問をしながら歩いた。何せ初めて会う人で、年上でもあるから緊張している。緊張しているからこそ話したくなるのが朝陽の性だった。
「八雲、せんぱい、」
「八雲でいいよ」
「うん! あのさー……」
八雲の学校でのこと、部活動のこと、得意なことや好きなものを尋ねると、尋ねただけ返事が来る。淡々とした返答は、それでも少しも冷たくなくて、朝陽の気持ちや質問に誠実に答えようとする姿勢が感じられた。薄暗い中で見えた瞳は朝陽と同じ緊張を湛えていて、子供っぽくも大人っぽくも見える不思議な雰囲気がある。甘えるのは得意ではないけれど、八雲が朝陽と一生懸命接しようとしてくれているその姿勢が嬉しく思えた。
「八雲はさ、こんなことになってびっくりしてる?」
朝陽は肩にヴォーボモンを乗せながら、八雲は腕の中にツカイモンを抱えながら駅までの明るい道を行く。すれ違う車のヘッドライトが時折、眩しくふたりを照らしていった。
「当然。……せめて、危ないことにならないようにって思ってるよ」
「あぶないデジモンもいっぱいよ。気をつけてね? いざというときは年上のおにいさんを頼るのよ?」
「おれたちも普段は大人のいるとこで生活してんだ。そうじゃないとすぐごはんになっちゃう」
「そっか……ツカイモンもヴォーボモンも、大変なとこで暮らしてたんだな」
知り合ったばかりの友のこれまでの生活に思いを馳せると胸の辺りがぎゅっと締まった。危険と隣り合わせの場所で、無力なまま生きるとはどんな気持ちなのだろう。自分ならきっと歯痒くて苦しくて、早く強くなりたいと思うことだろう。ヴォーボモンの『大空を自由に飛びたい』という願いは『強くなりたい』という気持ちから来るものなのだろうか。ほの温かい彼にそっと頬を寄せると、ヴォーボモンは答えるように身を寄せてくれた。
「朝陽くん……きみは、戦いが起こるって話、どう思った?」
「夢のとこの、プロットモンの住んでる世界とツカイモンの住んでる世界が一触即発って感じ……なんだよね?」
「そうよ。あたしの住んでるとこって結構カオスだから、秩序と正義を重んじるあちらのデジモンさんたちにとっては気に入らないんじゃない?」
「難しいことは分かんないけど、でも、戦わないで欲しいって思うけどなぁ……」
「それは、どうして?」
「……ヴォーボモンに、辛い思いしてほしくないじゃん」
八雲の問いかけはいまいち要領を得ず、どう答えていいか分からなかったけれど、友に辛い思いをしてほしくないという気持ちだけはまっすぐに答えられた。朝陽にはふたつの世界が争おうとしている理由も、争いを止める方法も分からないけれど、朝陽の質問にまっすぐ答えてくれた八雲に、朝陽も同じ態度を返したかった。朝陽の答えを聞いた八雲は、その瞳の中の緊張を優しくほどいて朝陽の方を向いた。
「僕も、そう思う。世界のためとかじゃなく、身近な誰かのために、って」
八雲の言うことはやっぱりよく分からなかったけれど、同じ気持ちであるらしいことはなんとなく伝わって来た。まだデジモンについても、一緒にデジモンとパートナー関係を結んだ三人のことも分からないけれど、これからもっと仲良くなっていければいいと思う。八雲は電車で帰ると言っていたけれど、夜で危ないからと朝陽と一緒にバスを待ってくれた。自分もこんな風になれればいいと感じた、尊敬できる優しさだった。
ヴォーボモンは近所の木の中や人気のない神社で休んでもらうことにした。申し訳ないとは思うけれど、どうしても家の中には入れられない事情がある。それは、朝陽が帰宅するなり胸に飛び込んできたこの妹の存在だった。
「おにーちゃん、おかえり!」
「ただいま、夜葉」
松山夜葉。朝陽の三つ年下の妹で、今年小学二年生になった。通学のスクールバスも同じで、内気な少女なのでまだまだ何かと手がかかる。朝陽が荷物を置くのにも手を洗うのにも後ろをついて来てなんとも可愛らしい。ブロンドの癖の入った毛は朝陽と同じ質で、眉毛の上で揃えられた前髪はいつも丸い額で踊っている。長く伸ばされた後ろ髪はいつも母によって違うスタイルに整えられていて、本人もそれを楽しんでいるようだ。朝陽そっくりの大きな瞳は、宵を思わせる菫色をしていた。
遅くなった夕食をひとり口に運びながら、夜葉のおしゃべりに付き合ってやる。宿題はこの後一緒にするのがいつもの決まりなので、先に入浴を済ませるように促した。もう慣れたものだ。学校ではあんなに内気で友達とも小さな声でくすくす話すような女の子なのに、朝陽に対してはいつもこうして快活で懐っこい姿を見せている。朝陽は夜葉が大好きだったし、両親もまた夜葉を愛していた。
夜葉がいると家に入れてやれないというのは、常に夜葉が隣にいるからというのもある。流石に部屋は別々なので自室から出てこなければ大丈夫かもしれないけれど、万が一を考えると不安だった。一番の理由は、夜葉がヴォーボモンを欲しがってしまう可能性があるからだった。おもちゃもゲームも、文房具も、夜葉が欲しがると全部夜葉のものになってしまう。父も母も夜葉には甘く、朝陽のものであっても安価であったり代替の効くものであれば夜葉に渡してしまう。昔はそれがとても嫌だったけれど、今となってはもうなんとも思わなくなった。学校生活に必要なものと、誕生日やクリスマスに両親がくれたプレゼント。それが朝陽の個人の持ち物のほぼ全てだ。だからスケートボードを自由に扱える拓海が、内心ではとても羨ましく感じられた。欲しいものがもらえて喜ぶ夜葉はとても可愛らしく、いつも朝陽の心を癒してくれるけれど、一方で心のどこかでは、自分だけの何かが手に入ればな、とずっと思っていた。
上がって来た夜葉と入れ替わりで入浴を済ませると、ふたりで宿題をした。勉強はあまり得意ではないけれど、去年夜葉に宿題を教えるようになってからは少しだけコツが掴めてきた気がしている。宿題を終えるなり寝支度をして母と寝室に向かった夜葉の背を見送ると、朝陽のほぼ唯一のひとりの静寂がやってくる。父に甘えることのできる時間でもあるけれど、いつも仕事で疲れている父に無理はさせたくなかった。朝陽もタブレットを消して寝支度を整えると、父に挨拶をして自室へ向かった。電気をつけて一息つく。こうしてじっくり眺めていると、モノの少なさが妙に気になった。普段友達を羨むことは滅多にないけれど、拓海ほど自由に滑って飛べるのは少しだけ羨ましかった。八雲や夢はどうなのだろう。ふたりも、もっと自分のものやしたいことや目標を持って生きているのだろうか。自分だけの何かを持って息をしているのだろうか。
「自分だけの……」
ぼふ、と音を立て、ベッドにダイブしそのまま枕に顔を埋める。ヴォーボモンの夢を叶える手伝いは、自分にしかできないことになるのだろうか。デジタルワールドを守ること、ウェヌスモンが伝えた神の言葉の通りにヴォーボモンとの絆を深めることは、自分に何をもたらしてくれるのだろうか。それはヴォーボモンだけでなく、ツカイモンやエリスモン、プロットモン、拓海や夢や八雲にも、何かを与えてくれるのだろうか。考えれば考えるほど分からなくなって、やっぱり考えるのは苦手だなと大きく息を吐く。明日の支度を済ませようと立ち上がると、今後ヴォーボモンとしたいことが頭を駆け巡って行った。
朝のアラームの鳴るきっかり五分前に、窓を打つ小さな音がして目が覚めた。ヴォーボモンがやってきた合図だった。窓を開け、小声で挨拶を交わす。昨日の夜お小遣いで買っておいたパンを差し出すと、明るい笑顔が朝陽に向いた。
「朝陽ー、今日はなにするんだ?」
「学校に行かなきゃいけないんだ。時計の短い針がここまで回ってくる頃には帰ってくる。ヴォーボモンは置いてくことになっちゃうけど……」
「オッケー! デジタルゲートが開いたら、おれたちなんとなく分かるんだ。だから開いたら、頑張って朝陽のとこ行くから!」
「分かった。んじゃ、もう起きなきゃだから!」
朝陽がそう言うと、ヴォーボモンは手を軽く振ったあと木から木へと飛び移っていった。大空を飛びたいという彼は、どうやら今はまだたくさんは飛べないようだった。自分も似たようなものだと不意に思う。そんな考えを振り払うように、朝陽はリビングへと向かっていった。
学校へはスクールバスへ向かう。朝食を済ませると、夜葉を連れて家を出た。バスは各児童の自宅前を巡回するようになっているので、時間をきっちり守らないと路線バスでの登校になってしまう。バスに乗り込むなり声をかけてくれる同学年の友達と合流した。夜葉も自分の友達の隣に座って、いつもみたいに小声でおしゃべりに興じている。就学前は本当に内気で家族以外となんかほとんど話せなかったのに、今では数こそ少ないものの心を許せる友達ができクラスメイトや先生とも話せるようになったようだ。そんな妹の成長が兄として純粋に喜ばしく思えた。
友達といつも通りのなんてことない話をしながら、朝陽は拓海と夢のことを気にしていた。デジモンと出会うという鮮烈な経験を共有してはいるけれど、肝心の二人のことを朝陽はまだよく知らない。拓海は無口で無表情な感じがして、いつどんな話題で話しかけようかずっと伺っていた。夢は女子のグループの中にいることが多く、小学五年生の朝陽としてはなんとなく声がかけづらい存在だった。そんな拓海の好きなものが分かって、夢とも話をするきっかけができて、とても嬉しかった。
スクールバスを降りるなり、昇降口へ向かう拓海の後ろ姿が見えた。制服をきちんと身につけていて、昨日の印象とはまるで違って見える。
「拓海、おはよ!」
「あ、朝陽。おはよう」
「よく眠れた?」
「エリスモンがちくちくして、時々、目、覚めた」
そう言って笑う拓海の顔は、今まで見たことのない彼の表情だった。その顔を見た時、朝陽の心は暖かな高揚に包まれた。今まで何も分からなかった人のことが、少しだけ理解できた。その相手がこと拓海となると、一層嬉しく思えたのだ。拓海の笑顔に笑顔で返すと、ふたりの横を夢がちょこちょこと抜けていった。
「拓海くん、朝陽くん、おはよう。私日直だからもう行くね」
その言葉は端的であったが決して冷たくはなく、夢も昨日の経験を前向きに捉えているようだと思えた。昨日のことを言葉にはしないけれど、八雲も含めた自分たちの中にそれぞれの決意があり、それぞれがデジモンとの出会いと向き合っていることが、朝陽には何より喜ばしく思えた。そっと見たD-Venereの画面には、『ゲート状態:閉鎖』の表示が出ている。次開いたらどんなことが待っているのだろう。危険のある場所だと知っているけれど、気持ちが逸るのは抑えられなかった。
【 第二話・二 】
『皆はデジモンどうしてる』という質問を昨日作ったグループチャットに投稿すると、ぽつぽつと返事が来た。どうやら皆同じ家の中で過ごしているらしい。屋根のあるところにパートナーを入れてあげたい気持ちは朝陽も同じだ。だがヴォーボモンはぬいぐるみというには大きいしゴツゴツもしているし、もし夜葉の目に適ったら喧嘩になってしまうかもしれない。ここ数年喧嘩らしい喧嘩なんてしていないので、そうなったらきっと夜葉は泣くだろう。その時自分は、それでもヴォーボモンは渡せないと言えるだろうか。言わなければならないことは分かっているけれど、友と妹とを天秤にかけているようで、とても嫌な想像だった。自分から話題にしておいて、朝陽はどう答えることもできなかった。
帰りのバスは登校時のように巡回するのではなく、学校の決めた地区ごとに決まった場所を回る仕組みだ。放課後すぐのバスとクラブ活動の終わる時間に合わせたバスがあり、朝陽はクラブはしていないものの友達と遊んでから帰ることが多いので遅い時間のバスによく乗っている。それよりも遅くなると、昨日のように路線バスに乗って帰らなければならなかった。今日は早い時間のバスに乗って帰った。一刻も早くヴォーボモンに会いたかったからだ。夜葉はいつも遅い時間のバスで帰ってくるから、一時間程度なら一緒に過ごせるだろう。帰宅し自室へ入ると、朝陽はすぐに部屋の窓を開けた。
「朝陽ー!」
「ただいま。ちょっと静かに待っててな」
「うんっ!」
手洗いを済ませ母からおやつを受け取ると急いで部屋に戻る。今日からおやつはヴォーボモンと半分こだ。自分の食べる分が減ってしまうけれど、ヴォーボモンと分かち合えるのならそれくらいのことはなんでもなかった。
「ヴォーボモン、夜葉が帰ってきたらまた外な。ごめん」
「いいってことよっ、こっちの世界はおれの村よりずーっと安全でいいな〜、今日なんて木の上でうたた寝しちゃったし!」
朝陽の気にしていることをなんてことないことみたいに前向きに受け入れてもらえることが今はただただありがたく思えた。まるで妹を厄介に思っているようで自分が嫌になるのだけれど、彼が明るい態度でいてくれるから気にしないでいられる。夜葉の気持ちもヴォーボモンの気持ちも、どっちも大事にしてあげたい。そんな朝陽の気持ちまで大事にしてもらえているような気がするのだ。
「デジタルゲートっていつ開くんだろうな?」
「さぁ、分かんない」
「儀式したって言ってたけど、なんでそれで開くの?」
「それも分かんない……でもおれ、どーしても大空を飛んでみたくて、人間に会って強く大きくなったら飛べるんじゃないかなって思ったんだ。難しいこと分かんないけど、自分のしたいことくらいは分かる!」
焦ったり困ったり得意げになったり、ころころ変わる表情が朝陽の気持ちも照らしてくれる。ヴォーボモンはとても眩しい。今はまだ見つからないけれど、朝陽にもいつか、大きな夢や目標が見つかるのだろうか。彼という明かりがあれば、見つけられるような気がした。
「……あ、夜葉の声……」
「おう、またな朝陽ッ!」
入ってきた窓から木々の中へそそくさと消える彼を見送ると、胸がぎゅっと締め付けられる。それでも彼が気にしないよと言ってくれた言葉を信じることにした。玄関まで夜葉を出迎えに行くと、彼女はいつもの無垢な笑みをそっと朝陽に向けてくれた。
それから数日の間、デジタルゲートはずっと閉まっていて開く気配はまるで見えなかった。拓海と夢とは学校で少しだけ言葉を交わし、基本的にはグループチャットでやり取りをしている。そんな日の続いた、ある夜のことだった。早めに宿題を終えた夜葉は朝陽の体にくっついて甘えていて、朝陽もそれに応えながら宿題を進めていた。回答画面に答えを記入し、最後に提出ボタンを押せば宿題は完了だ。朝陽がタブレットの画面を消すのが見えると、夜葉は待ってましたと言わんばかりに一層強く朝陽に甘えた。
「お兄ちゃん、お休みの日はなにするのー?」
「んー、まだ決まってないけど。夜葉、遊びたいの?」
「うんっ、お兄ちゃんとゲームしたい!」
屈託のない笑みを向けられるとどうしてもノーとは言えなくて、ちゃんと毎日宿題して早寝したらなと約束をしてやる。朝陽の言葉に打たれた夜葉は早速歯磨きを済ませようと駆け出した。まだまだ手のかかる妹だな、と苦笑しながらその背を見送ると、スマホが軽く震えた。その画面には、『ゲート状態:開放』の文字が確かに映し出されていた。夜だろうが容赦無く開くらしいデジタルゲートの気まぐれに一気に気が引き締まり、自室へと向かう。ヴォーボモンも以前の言葉通りデジタルゲートが開いたのを感じたらしく、数分して窓の外にその姿を現した。
「朝陽ッ!」
「開い、てる……」
スマホを握りしめたまま、朝陽はどうするべきか少し迷った。デジタルワールドでヴォーボモンを危険な目には合わせたくないし、夜葉が眠るのも見守ってやりたい。いつ閉じるともしれないゲートを前にいつまでも迷ってはいられないけれど、デジタルワールドに行けばヴォーボモンが空を飛べるヒントを一緒に探してあげられるかもしれない。そのために自分がヴォーボモンと強い絆を結んで彼の力を引き出せるようになりたい。朝陽は迷ったけれど、ヴォーボモンにデジタルワールドへの行き方を尋ねた。
「D-Venereを開いて、ゲートのアイコンを押す。そしたらゲートオープンってボタンが出るから、それを押す。そうすればその場にこの前みたいな歪みが見えるはずっ!」
「分かった! ……夜葉におやすみのあいさつだけしてくるから、ちょっと待ってて!」
金色の目に見送られながら夜葉の元へ向かい、頭を撫でておやすみの挨拶をしてやる。自分は部屋でもう少し勉強を頑張るので母とふたりできちんと眠るようにと伝えると、夜葉は頑張ってねと言って見送ってくれた。嘘をついてしまったことが少しだけ苦しいけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。急いで自室へ戻ると、ヴォーボモンの教えてくれた通りアプリを操作した。窓の辺りにこの前見た歪みが見えて、眩い光が朝陽を包んだ。
ゆっくりと目を開く。草と水の香りが朝陽を包んだ。心地のいい湖のほとりのようだった。寝る前の格好をしていたはずなのに、何故かいつもの制服姿にスニーカーを履いていた。へんなの、と呟き、ヴォーボモンと離れないようにしながら周囲を散策する。周囲からは何かの気配がするのに、何も見えないし聞こえない。ただ、殺気のような悪意だけが朝陽を包んでいた。
「な、こんな綺麗なとこでも、常にこんな感じなの?」
「そ。だから村の大人たちと一緒にいるのが一番なんだよ」
覚悟はしていたはずなのに、ヴォーボモンの言葉と今のこの状況に恐怖の感情が胸の奥から湧いてくる。そんな朝陽を奮い立たせてくれるのも、ヴォーボモンの言葉だった。
「朝陽、戦いになったらおれがちゃんとできるって、信じてて。おれはひとりで戦うんじゃない、朝陽と一緒に戦うんだって、そう思えるだけで強くなれるから」
「……! うん!」
友の、相棒の言葉に、朝陽はもう一度前を向いた。少しでも彼の夢を叶える力になってやりたい。大空を飛ぶ彼をいつかこの目で見てみたい。そのために今自分はここに立っているのだ。
ヴォーボモンとの初のデジタルワールド探索は夜の短時間で終わりを告げた。緊張した割に肩透かしな感じはしたけれど、危険がないのならそれに越したことはないのだ。夜に入ってもデジタルワールドは昼であるというのがなんとも不思議だった。
「でもさあ朝陽ー、おれはああしてデジタルワールドでも現実世界でもどっちでもいいけど、朝陽と過ごせて話ができて、朝陽のこと分かるだけで嬉しいよ。そーゆーのが、絆になるんだろ?」
「あはは、そうかも!」
ヴォーボモンと笑い合える時間が、想像の何倍も朝陽の心を満たした。他の誰にも取られない、自分だけの大切な相棒が、自分を信じて見ていてくれる。誰にも何も奪われないことがこんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。心は揺れる。朝陽は自分の気持ちのゆらゆらするのが何故なのか、まるで見当もつかなかった。
【 第二話・三 】
一度そうでない状態を知ると、それまでの日々に戻ることがとても苦しく思えた。夜葉にあげた玩具たちは、未だに大事に遊ばれている。だから大丈夫だ、と今まで言い聞かせて立っていたのに、なんだか急にそうはできなくなった。返してほしいわけじゃない。夜葉にあげたものは全部、彼女に大切に使ってほしい。朝陽の願いはとてもささやかで、きっと他の人たちなら手を伸ばさなくたって叶うものだった。それがどんな名前でどんな形をしているのか、朝陽には分からなかった。
ヴォーボモンと過ごせる時間は朝陽を確かに癒してくれた。友達と遊んで帰ることもあるけれど、朝陽は努めて早めに帰宅するようにした。ともに過ごせる時間が短い分、少しでも多く機会を作りたいのだ。
週末に約束したゲームを終えて、いつものように甘える夜葉の頭を撫でてやる時、心の奥底が静かに凪いでいくのを感じた。可愛い妹、朝陽にとってとても大切な、愛しい妹。そのはずなのに、この静かで苛烈な感情はなんだろう。あまりの冷たさに火傷してしまうかのような矛盾と秩序を孕んだ痛みだった。そんな気持ちになる自分が許せない。夜葉とヴォーボモンとを天秤にかけるようなことはしたくないのに、朝陽はどうしても、自分の気持ちを抑えられなくなっていた。夜葉は悪くない。分かっているのに八つ当たりしてしまいそうな自分が怖くて、朝陽は静かに立ち上がった。今はヴォーボモンに、ただそばにいて欲しかった。
「ちょっと、散歩してくる」
「一緒にいくー!」
「ダメっ! ……っあ、あ、あぶないから留守番しててな」
「……おにー、ちゃん……?」
夜葉の切ない声が、朝陽の心をひどく揺さぶる。それでも振り切って玄関の扉を開ける時、自分がとても冷たい人間のように思えた。八雲のようなさりげない優しさを持ってみたかったのに、どうして、そうはできないのだろう。
スマホだけを持ってあちこち歩き回ったものの、ヴォーボモンの気配はどこにも感じない。木々の隙間に目を凝らしても、彼の黒い体は影に隠れてしまうのか中々見つけることができなかった。途方に暮れて足を止めると、不意にスマホが震えた。夜葉からのメッセージかとも思ったけれど、それはデジタルゲートが開いたことを告げる知らせだった。
「ヴォーボモン! どこにいるんだよー!」
彼は朝陽の部屋に向かったかもしれない。だから引き返すべきなのに、足はちっとも動かない。むしろもっと遠くを目指して歩み出す自分に朝陽はただただ困惑した。静かな神社の前を抜けて細い道に入ると、木の隙間からそっと、ヴォーボモンが姿を現した。
「朝陽、なんでこんなとこにいるんだよー!?」
「散歩、してて……とにかく行こうッ」
「まあいいや! おう!」
ここではさすがに目立ってしまうだろうと、先ほど通りかかった神社の陰に入ってゲートを開いた。夜葉とのことから逃げ出すようにゲートに飛び込む自分は弱く、拓海のように自由でも八雲のように優しくもないと思えた。こんな自分が、本当にヴォーボモンの夢の手伝いができるのだろうか。
ゲートの先は草原だった。草のざわめきが朝陽の耳を揺らし、陽が穏やかに照っていた。水の匂いは無く、この間の湖とはまた違う場所に出たらしい。激しい音が何度か響いたのでそちらに向かって走っていくと、拓海とエリスモンがいた。他の二人は見当たらなかった。拓海たちはこちらに気づく様子もなく、何やら緊迫している。デジモンと戦っているのだと直感して辺りを見渡すと、緑色のデジモンがエリスモンに向かって蔦のようなものを伸ばしていた。近づきたくてもあの蔦に絡め取られる可能性を考えると近づけず、かと言って遠隔攻撃は蔦に弾かれてしまうようだ。D-Venereを立ち上げ図鑑を開く。ザッソーモン、成熟期、植物型……と相手のデータが表示された。
エリスモンも懸命に応戦しているが、中々しぶといデジモンのようで未だピンピンしている。すぐに助け舟を出さなければ。考える前に体が動いた。ヴォーボモンも同じ気持ちでいるようで、ザッソーモンに向けて火を吐いた。
「『プチファイヤー』!」
「うわぁ、あち、あちちちちっ!」
伸びた蔦に火が直撃し、燃え上がる。ザッソーモンはなんとか火を消そうと懸命になっていた。このまま追い討ちをかけようとヴォーボモンが前に出た時、ザッソーモンの後ろから二体の新手が顔を現した。
「テメーら! いいかげんにしろよー!」
「おとなしくオレたちの養分になりやがれッ!」
キノコにそっくりな見た目のそのデジモンは、図鑑によるとマッシュモンという名前らしい。やっと火を消し終えたザッソーモンは、先ほどまで追い詰められていたことも忘れて大きく言った。
「ガキどもが、生意気なんだよ!」
「なんだよー! おれの炎であんなになってたくせにッ!」
「キーッ! なんだとぉ!? おいお前ら、やっちまえ!」
ザッソーモンの号令を受けた二体のマッシュモンが、懐から何やら投げつけてくる。エリスモンとヴォーボモンがそれぞれのパートナーに思い切り体当たりをし、必死の思いで攻撃をかわした。腹にうけた重みが自分のパートナーであることに気づいた瞬間、爆弾の炸裂する音がふたりの鼓膜を激しく揺らす。薄紫の爆煙が周囲に広がっていて、顔から血の気が引くのを感じた。
「大丈夫か、拓海!」
「うん……ありがとう、エリスモン。まだ戦えそう?」
「もっちろん!」
「おれも行けるぜッ! 朝陽、おれを信じて!」
「ヴォーボモン……」
——朝陽と一緒に戦うんだって、そう思えるだけで強くなれるから。
ヴォーボモンが以前朝陽にかけてくれた言葉を思い出し、恐怖を押し殺して前を向いた。ないものを欲しがっても、考えているだけで解決しないことに囚われてても仕方がない。今自分にできるのは、ヴォーボモンを信じて一緒に戦ってやることだけだ。
「……よし! やるぞ、ヴォーボモン!」
「……朝陽、ヴォーボモンには火の攻撃をたくさん出してもらって欲しい。あいつら植物のデジモンだ、だからきっと火が苦手なんだ。さっきの様子を見るにエリスモンの攻撃は相性が悪い。火の攻撃に怯んでるザッソーモンにエリスモンが突っ込むから、残り二体のデジモンは頼みたい。いい?」
「任せて。ヴォーボモン、信じてる」
「おう! よし……全員まとめて焼き尽くしてやるぜ! 『プチファイヤー』!」
すっかり得意になっているザッソーモンたちに向かって連続で火が放たれる。相当の温度らしく、そばにいるだけで掠めていく空気が熱せられて暑かった。ヴォーボモンの背中に迷いや不信は少しもない。ちら、と見たエリスモンの瞳にも、信頼と決意だけが凛と滲んでいた。
「今だエリスモン、思い切り突っ込め!」
「うおおっ! 『ケンザンダイブ』!!」
火に囲まれて手も足も出せなくなったザッソーモンに、エリスモンの体が凄まじい勢いで突っ込んでいく。あの厄介な蔦がなければこちらのものだ。ザッソーモンの全身が跳ね、ヴォーボモンが空中に上がったザッソーモンに向けて火を放つ。強烈な断末魔が響き、ザッソーモンの体は炎に溶けて消えた。まだ息のあるマッシュモンたちは完全に怖気付いたのか、どこかへ走って逃げていった。
パートナーデジモンと先ほどの健闘を讃え合い、木陰で少し休憩をした。太陽は変わらず光り、空は抜けるような青さを映している。気持ちはまだ昂っていて頭の中もごちゃごちゃしているけれど、こんな時は黙っているより言葉にしたい。話さないではいられないのが朝陽の性だった。
「俺さー、拓海のこといいなーって、本当に思ったんだ。スケボーってすごい自由でさ、人ってあんなに飛んだり滑ったりできるんだな、拓海はすごいなって、拓海って自由なんだな、って」
「朝陽は、自由じゃないの?」
「分かんない……それが分かんなくて、訳分かんない。俺ってなにができるんだろ。俺、夜葉やヴォーボモンになにをしてやれるんだろ。俺、夜葉から逃げ出してきたのかも。あ、夜葉って、妹ね」
拓海は否定も肯定もせず、ただじっと朝陽の話を聞いてくれた。朝陽の中でぐちゃぐちゃになっていた何もかもを、一緒に彼も掬おうとしてくれた。何の解決にならないとしても、朝陽にはそれがとにかく嬉しかった。
「ヴォーボモンと一緒にいたいって思うのも、夜葉が大事なのも本当なのに、ヴォーボモンと一緒にいるには夜葉に隠し事したり嘘をついたりしないといけなくて、でもそういうのしたら夜葉のこと、大事にできてないような気がして……もし夜葉がヴォーボモンを欲しがったら、絶対渡したくないって思う気持ちもあるし、夜葉を泣かせたくないとも思う。でもどっちにもいい顔しようなんて、ずるいよな、だから……」
「ずるくなんてないよ。朝陽は朝陽でしょ。ヴォーボモンは朝陽の友達だし、夜葉ちゃんは朝陽の妹だ。友達を誰かに渡さなきゃいけないなんてこと、絶対ないし、それにだめだって言ったからって朝陽の持ってるどれかが大事じゃ無くなるなんてことない。朝陽も、ヴォーボモンも、夜葉ちゃんも大事だ。むしろ……これからも夜葉ちゃんのことを大事にしたいなら、朝陽がちゃんと、嫌なことは嫌って言った方がいいよ」
拓海の目はまっすぐで、その色も相まってまるで空のようだ。ずるくなんてない、全部が大事でよくて、なにも大事じゃ無くなったりなんてしない。その言葉はきっと朝陽がずっと欲しいと思っていたものだ。ヴォーボモンを信じて戦えたのは、ヴォーボモンのことが大事だからだ。夜葉のことが大事な朝陽は、夜葉に何をしてあげられるだろう。
「本当に、無くなったりしないかな。本当に?」
「朝陽が嫌って言えば、誰も何も朝陽から奪ったりしないよ。だって、きっとみんな朝陽が大好きだ」
「おーう! おれ、朝陽のこと大好きだぜー!」
拓海の声がそばで揺れる。ヴォーボモンが気持ちをストレートに伝えてくれる。きっと、まだ本当にノーを言う勇気は出ないけれど、ヴォーボモンを信じるように、夜葉のことも、拓海の言葉も、全部信じていたかった。自分にしかできないこと、自分だけの何か。まだ見つからないけれど、信じる心は拓海たちと同じように、確かに持っていられた。
立ち上がり、尻についた草を二、三度払う。デジタルゲートが閉まる前に、家に帰らなければ。ふたりはそれぞれゲートを開き、それぞれの帰る場所へ向けて歩き出した。
続
続き来ましたね、待っておりました。夏P(ナッピー)です。
日常生活だけに終始する二話かと思いきやそんなことはなく、けれど一気にデジタルワールド一辺倒になるわけでもない、どこか不思議な感覚を覚える二話でした。朝陽クンはデジモンアニメお馴染みの三つ離れた下の子がいる長子だけど、太一やヤマトのような過保護な面がある、と見せかけてどこかでそれを億劫に思ってしまっている自分がいて、その自覚さえ既に芽生え始めている……という意味で、ちょうど太一やヤマトとは対照的なものとなっているのでしょうか。気持ちはわかる。
一話が拓海クン側の話であったため、それとちょうど真逆の視点になったというべきか。朝陽クン側から見た拓海クンもまた眩しかったのか……。二話はテイマーズでギルモンやグラウモンを隠すのに奮闘したタカトを思い出させますが、ヴォーボモン、鳥系デジモンだと割と身を隠してもらいやすいということでしょうか。なんとなくモヤモヤは今後も抱えたまま進んでいくものかと思いましたが拓海クン及びヴォーボモンとその話の内に会話して解決していく、そんな流れがどこか心地よい。
ザッソーモン死んだ! 何故だ!!
それでは三話以降もお待ちしております。